« ペットボトル文明・敷島文明(2)◎日本人の温和な性格と水辺 | トップページ | ペットボトル文明・敷島文明(4)◎奇矯なる地名を聞いて、あいた口がふさがらない »

2005年10月17日 (月)

ペットボトル文明・敷島文明(3)◎失調した日本精神と経済停滞の淵源に

        失調した日本精神と経済停滞の淵源に

 神が授けてくれた比類のない至尊の国土を、日本人はなぜかくも醜悪に改変してしまっ
たのだろうか。なぜそうなったのか、その淵源をたどってみると、これが一筋縄ではいかな
い。ここでは、とりあえず思いついたことから言っていこう。簡略に言えない部分もあるが、
思い切って総論的に俯瞰すると、戦後史における日本人の意識の変遷が伝統的な街並
みや郊外の風景、また景観等に重大かつ深刻な破壊と無秩序をもたらしたことが主な原
因としてあげられるだろう。

 日本人がよかれと思い目標として掲げてしまった欧米的志向がその主因である。裏を
返せば、建国以来、日本民族が営々と築き上げてきた一貫した伝統精神が棄却された
ことに起因して列島の景観は変容してしまったのである。単純に欧米的志向とは言って
も、ヨーロッパは伝統的な街並みを美しく保存しながら現代に至っている国が多い。国土
の景観に関して言うならヨーロッパには彼らなりの美意識があり、各国の特徴的な景観
はそれなりに保たれている。景観論的な感性で言うなら、戦後日本がたとえばフランスな
どをモデルにした場合、その社会体制の影響力は無視して考えると、少なくとも今よりは
景観の破壊は少なくて済んだかもしれない。しかし、一般的に言って欧米のどの社会観
念、あるいは世界観をお手本にしたとしても、日本人が自国の自己同一性を置き忘れた
ら結果は大差なかったかもしれない。

 ここで言う日本における風土的景観の凋落に直截的に影響したと思われる淵源は、ず
ばり言って戦後の日本人がアメリカ一国だけを文明モデルに据えてしまったことにある。
実はこのことを短めに説明することは容易なことではない。これをきちんと説明するには、
アメリカと日本の係わり合いを歴史的経緯において、経済衝突、文化衝突、技術衝突、
軍事衝突など、文明的衝突の観点から言わなければならないだろう。文明と一口に言っ
ても、その包括する範囲は広いから、自分ごときがすべてを語る知識もなければ俯瞰も
ないのだが、一人の日本人として感じた範囲で述べるつもりである。

 私のような一介の庶民が、国家間のマクロな係わりを大上段に述べても限界があるので、
自分の生活感覚からあまり乖離しない範囲で考えを展開していきたい。戦後の日本は敗戦
の焦土から歯を食いしばって頑張り、経済的にはわずか十五年くらいの短期間で立ち直った。
このあとは世界の奇跡と言われた高度経済成長を成し遂げ、曲がりなりにも今日に至ってい
る。今、「曲がりなりにも」と形容したが、平成現在の日本は、その経済は曲がりに曲がって
奈落の底が待ち受ける崖っぷちまで来ているようだ。経済の凋落と日本的景観の変容とは
直接的には無関係だが、両者の原因はまったく同じところに端を発している。

 そのことをいっぺんに言うことはできないこともないが、それでは実感的な理解を皮相的なも
のにするので、モザイク的に話をしながらそのエッセンスを積み重ね、ことの真相を全体像とし
て浮かび上がらせてみたい。戦後の日本人は負け戦のあとで、明治以来の皇国史観的な自信
をすっかり喪失してしまった。茫然自失に陥った彼らは、食料や物質に飢えていたこともあり、
当面の生存目標を、いわゆる食うこと、生活することだけに絞ってしまった。また、そこへ絞ら
ざるを得ないほど国家はミニマムレベルまで疲弊していたのである。これが終戦直後における
闇市時代の空気である。

 私はこの当時を生きていないから、その本当の雰囲気については正直わからない。後の時
代に生まれた者の勝手な推測として言わせてもらえれば、闇市当時の一般的な日本人は、
たぶん、死が当たり前であった大戦のストレスから解放され、これから存分に生きられるこ
とを信じ始めた。そういう生存本能的な部分で安堵していたに違いない。その安心感は激越
な戦争空間からとりあえずは脱出できたことにあった。国民には、戦争そのものに対する釈
然としない思いはまだ鮮明に残存していたにせよ、各自はある種の開放感を得ていたので
はないだろうか。当時、今では想像できないほど食物や衣服など、生活物資が困窮のき
わみにはあったわけだが精神的にはある種の安堵感に満たされていたように思う。この当
時に生きる人たちの写真を見れば一様に明るい顔をしていることからそれはうかがい知れる。

 闇市を生活の起点として再出発した日本人は、とりあえずは食べて行くこと、生活して行く
ことに全神経を集中し、日本人特有の相互互恵的な共同体の力を発揮して、戦後の経済体
制は瞬く間に復興を遂げていった。ここには朝鮮戦争特需もかなりの追い風となった経緯もあ
る。この大復興で弾みをつけた日本経済は、このあと世界の羨望を招来するほどのミラクルな
高度経済成長期に突入した。しかし、当然ながら、この右肩上がりの経済成長は順風満帆に
進むことはなく、右顧左眄(うこさべん)しながらも平成にいたって完全に失速した。あとで説明
するが、我が国が右顧左眄したことも、経済失速の憂き目に遭って、今国民の大部分が呻吟
していることも、そのほとんどの原因がアメリカ一国の不当干渉によって生じていることである。
大東亜戦争はアメリカの勝利をもって終息したが、日本の経済及び精神領域におけるアメリカ
の影響は、いまだに有形無形の影響力となって日本民族を苦しめている。日米関係の歴史上、
アメリカが日本を真の同盟国として遇したことはただの一度もない。そのことはアングロサクソ
ンの本家筋にあたる同盟国のイギリスでさえ同様なのであるが。

 我が国の国土変容の原因が何に起因しているのかを考えるとき、終戦直後の数年間は日
本人の精神変遷に直接の原因をもたらした期間であっただけに、けっして避けては通れない
関門なのである。戦後60年を経た今、日本は国際的に自立していたと言えるだろうか。終戦
から六年八ヶ月間の被占領期を過ぎ、サンフランシスコ講和条約が発効されて日本は独立と
国家主権を回復したことになっている。この時、ダレス(後の合衆国国務長官)は、講和条約
締結の前提条件として日本に再軍備を執拗に迫ったが、吉田茂は消極的であり、自衛隊は
立ち上げたが、国防の主務をアメリカ駐留軍にほとんど預けてしまった。形としてはマッカー
サー憲法をそのまま温存し、アメリカに日本国の実戦的防衛を任せた。この後、吉田は経済
復興路線に国策を絞ってしまった。

 自主憲法制定も行わず、自国を守る軍隊も成立させずに60年を漫然と過ごしてきた日本
は、独立国家にはなれずに亜種国家の地位に甘んじていなければならなかった。誰が見て
もこれはまともな形ではない。吉田茂に代表される当時の日本国民は重大な選択の誤りを
犯していた。我が国を共産勢力進出の防波堤にするために再軍備を迫ったアメリカの意図
があったとしても、日本が真に一人前の自主独立国家になるチャンスはこの時にあったわけ
である。この時点で、かつて東京裁判を敷いたマッカーサーは、すでに大東亜戦争における
日本の自衛戦争の側面をはっきりと認めていた。しかし、日本は自国の命運を地中海の古
代国家カルタゴの宿命に委ねてしまったのである。カルタゴはローマ帝国と果敢に戦ったが
敗北した。ローマはカルタゴから刀狩を徹底的に行った。刀を忘れたカルタゴは、商業に邁
進しそれは圧倒的な成功を収めた。しかし、すぐにローマに占領され、ローマはカルタゴ
に街を造った。カルタゴという国家はそのまま溶解してしまったのである。

 平成17年の今日、米国の傀儡政策を獰猛に推し進めていた小泉政権は、ついにごく
少数の、日本人の良識を保持した政治家たちを駆逐し、ほぼアメリカの対日要求そのま
まの反国益的な政策実行に着手した。現実に進行するこの悪夢はローマ帝国(アメリ
カ)に食い荒らされるカルタゴの運命そのままである。我が国はグローバル経済に対抗
する最後の防波堤を失いつつあるが、このまま現政権を放置すると名実ともにアメリカ
合衆国の完全な植民地と化すだろう。

 軍隊を持たない国は滅びる運命にあるのである。国策を誤り、一人前の国家になりきれ
なかった日本は、60年の時をかけてアメリカの事実上の属国化を強めてきたのである。
ここで話を国土的景観の縮退増悪にもどすと、まともな国家になりきれず、商業的亜種国
家の道を選んだ日本人は、当然ながら自国の民族的自己同一性を自覚できなくなってし
まったのである。民族的自己同一性とは自分が日本人であるというもっとも原初的な自覚
のことである。これが保てなくなってしまったということは、日本の文化、経済、教育、国際
交流、国家的ビジョンの創出など、すべてにわたって悪影響を与え続けていることになる。

  国策の誤りも大問題だが、日本人が全体的に和魂志向を捨てたことが現在の日本カル
タゴ化を招いた元凶とも言える。明治は和魂洋才が生きていたのだが、今の日本は「洋魂
洋才」であり、民族のDNAが完全に沈潜麻痺してしまった状況と言えるのである。もっと先
鋭的に言うならば、現在の日本は完全に「米魂米才」に変容してきているのである。戦後の
我が国は、特にアメリカの文明観をモデルにしたことが大間違いであった。これが民族の一
貫した伝統観念を根こそぎ汚染した。歴史的に言うならば日本人の意識をここまで汚してし
まった元凶はずばり言って東京裁判史観にある。東京裁判が日本人の脳髄に注入した非
伝統的、非民族的な欺瞞の民主主義は、アメリカが占領期を通じて強制的に付与したもの
である。

 マッカーサーは言った。アングロサクソンが45歳の大人だとしたら日本人は12歳の子供
である、従って未熟な子供は教え導かねばならないと。彼がそれを言ったときは本気でそう
思っていたようだ。しかし、昭和天皇陛下に謁見したときからおそらくその意識は自律的な
訂正を強いられたに違いない。私は、極東国際軍事裁判が無理やり抽出した、日本人を
対象とした洗脳史観、すなわち東京裁判史観は、日本民族にとっては開闢以来、民族の
清らかな性質を消滅させ、その精神ベクトルを変えてしまった日本史上最悪の捏造史観だ
と捉えている。

 今まで述べたことと景観美の関係であるが、この説明段階にあれば言いやすくなってい
る。つまり要約すれば、一人前の国家に住むという自覚が持てない国民には伝統的に涵
養されてきた民族特有の美的意識も溶解しているのである。この状態で都市計画や郊外
計画を案出し、それを実行したとしても出来上がるのは秩序も美的景観も生まない醜悪な
国土改変だけなのだ。実際にこの60年間で日本人が国土をどのように変貌させたか、そ
れはとくに説明を要しないと思う。日本中、どこに住むものでもそれは目にできるからであ
る。景観に対して創造的観点を持とうとする者なら、現状に酸鼻きわまる景観が現出した
淵源がどこにあるのかをまず見極めるべきである。そこからしか現状の打開策は生まれ
ず、そこからしか未来への展望を探ることはできないからである。

|

« ペットボトル文明・敷島文明(2)◎日本人の温和な性格と水辺 | トップページ | ペットボトル文明・敷島文明(4)◎奇矯なる地名を聞いて、あいた口がふさがらない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/141377/6434079

この記事へのトラックバック一覧です: ペットボトル文明・敷島文明(3)◎失調した日本精神と経済停滞の淵源に:

« ペットボトル文明・敷島文明(2)◎日本人の温和な性格と水辺 | トップページ | ペットボトル文明・敷島文明(4)◎奇矯なる地名を聞いて、あいた口がふさがらない »