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2005年11月 1日 (火)

ペットボトル文明・敷島文明(9)◎大合併の背景に潜むある思想

          ああ、絶望のセントレアシティ(六)
       (それでも日本人なのか)

  7、大合併の背景に潜むある思想

  平成の大合併の動きには、よく言われるあの「失われた十年」の後から政府が一貫
して志向してきたある背景がある。経済に明るい多くの人たちが、出口の見えない平
成大不況は、経済用語で言うところのいわゆる「合成の誤謬」が多層に組み合わさっ
て起きているという論調を展開している。このことは経済音痴の自分でも素直にうなず
ける。合成の誤謬とは、良かれと思って決断実行した、個々人のミクロな行動の集積
が、社会全体のマクロなダイナミズムにとっては決定的に悪く作用するという現象であ
る。不況になればどの企業も苦しくなる。各企業は危機意識を持ち、こぞって内外に経
営の合理化を発動する。企業の場合、経営部門、生産部門などの非効率な部門は削
減したりカットしたりして機動的に企業経費を節減して利益率を高めようとする。この経
費節減のもっとも効果的なものが、手っ取り早く言えばリストラ、首切りである。国内の
多くの企業がこれを進めれば、巷は大勢の失業者であふれ、社会不安が増大する。
その結果、消費行動の急激な低下を招いて景気後退が深刻化する。

 個々の企業はベストの対策を取ったように見えても、個々の集まった全体としては、
社会にマイナスの力が働いて景気は後退してしまうことを「合成の誤謬」と言うらしい。
これは、企業経営だけではなく、その場その場の政策などにも言えるだろう。この多
層にわたる合成の誤謬の中に、地方の合併も含まれていると思うのである。自治体
を合併(合成)して行政機能の合理化や分権化の強化を行うと言っても、それは機械
論的に捉えた行政機能の効率化という一局面でしか捉えていない。自治体という全
体を構成する有機的な諸要素は無視されている。この合成作業が全国的に行われ
た場合、出来上がる国の形とか、国家的な経済ダイナミズムにどのような影響が出
てくるかなどをきちんと予測し、その描画を国民に示した為政者は誰もいない。地方
の合併そのものは、過去にも明治と昭和の二回に分けて行われているが、その時
の合併理由はある意味、歴史の必然に駆られて行った面が強いから全体としては
首肯できる。

 しかし、今回の平成の大合併は、財政面の補完視点からと、機械論的な行政効
率を目指しただけという社会システムの無謀な単純化にしか見えない。無謀という
意味は、地域の主体性の強化(地方分権)、地域経済、文化の振興とは逆行する
構造改革だからである。明治の大合併は徳川時代からの封建的な自然集落(村
落共同体)を、日本の近代化に適合させるために行政的統合を目指したものであ
り、約300~500戸の単位で行われた。日本が列強と対抗するために、欧米的社
会インフラを敷くことによって近代化に対応し、殖産興業の振興と挙国一致体制
(富国強兵策)を推進する国策に合致するものであった。また、昭和の大合併は、
戦後の新憲法下、新制中学校の設置基準の単位で行われ、その設置管理上の
目安として8000人が規模となった。明治、昭和ともに合併によるマイナス効果は
多々あったにしても、国策としてはそれなりの合目的性はあったと考える。

 そこで、平成の大合併であるが、市町村の統合合併という強行策は、国家的に
見てはたしてどんな妥当性を持つというのだろうか。そのことを考える前に、緊急
政策として地方交付金を減らさなければならない財政の逼迫がなぜ起きたかを考
える必要がある。結論から言ってしまえば、政府の経済政策の失敗が原因である
ことは異論がないであろう。国の財政逼迫がなぜ起きたのかを分析し、総括する
ことのほうが先決である。

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