西村眞悟、首相待望論(8)
西村眞悟氏は言う。国が成り立っていく条件として、「国益と国民の財産、安全
を守ること」が国たる由縁で、政治家はそのことを使命としなければならない。国
の安全を守ることは、日米安保におぶさっていて、今までは、対外的な国防はア
メリカの庇護の下でなんとかやってこれた。しかし、第二次イラク戦争の前あたり
から様子は変わってきて、日本は同盟国として応分の軍事負担をして欲しいという
ニュアンスが出てきている。一方、列島を取り巻くアジアの周辺状況は、シナは、
潜水艦による領海侵犯はやるし、日本を無視した形で東シナ海の天然ガス採
掘を稼動させているなど、せせら笑いながら我が国の主権侵犯を行っている。
これに対してアメリカは日中間の問題として静観を決めている。また、台湾と
シナの関係はきな臭く、いつ発火するかわからない。朝鮮半島情勢も目が離
せない。
こういうアジアの周辺状況、そして、日本の原油確保の問題を見ても、非常に重
要な中東情勢などを鑑みると、現在の日本が、もはや日米安保の傘に防衛を任
せるという選択肢は選べない状況になっている。もっとも、日米安保に寄りかかる
ことによって、日本は対外的な危機管理にほとんど真剣な神経を使わずにきた。
このために、我々は真の国防感覚から遠い意識に拘泥してしまい、六十年間も
そこに止まってしまった。このことが、日本人にまともな国家観を醸成させること
を妨げてきたという深刻な現実があった。この悪弊は吉田茂時代にその原点に
なる形を作ってしまったが、その考察はあとで行うことにしよう。国家が一人前の
国家足らんとするなら、自国の防衛は自国で行うということが大前提である。こ
のごく当たり前のことをやらなかったから、戦後の日本人の頭から、国家という
ものの観念は急速に希薄となっていった。伝統に基づかないアメリカ付与の戦後
民主主義は、偏頗な個人主義思想を蔓延させ、その結果として国民は徹底的な
アノミー(無連帯)に蝕まれた。当然、それは日本古来からの共同体観念を融解
させることになり、今小泉が推し進める新自由主義体制への構造転換は、そう
いう個人主義という名の無連帯の究極相として開花し始めたたことになる。まさ
に、GHQの撒いた種が小泉政権になって大きな結実となったと言えるだろう。
日本人の国家観の融解は、精神相から言うなら個人主義の極相としてのアノミ
ーから、国の在り方から言うなら国防を他国に任せたからということになる。国を
きちんと保つためには、いつの時代にも富国強兵という形は不変の国是なのであ
る。そういう意味でも「国是」の塊である明治憲法(大日本帝国憲法)を、占領軍
の命じるがままに廃棄することから成立した現行日本国憲法の国是は根底から
疑ってかかるべきであろう。戦後の日本人は、国家観形成にもっとも枢要な概念
である国防意識を曖昧なままに放置し、それから逃げ続けてきた。西村眞悟氏は、
自分の問題意識の根底は国家と民族の魂の問題だと言っている。自分が西村眞
悟という男を全的に信頼し、この人物はなるべく早く日本国宰相にしなければなら
ないと確信できたのは彼の思うその自覚である。国家の魂、民族の魂、それは、
政治家として、日本人としてこれ以上に大事な心構えはほかにない。
国民の品格が低下するのは国家観が曖昧になったときである。我々は現在だけ
をただ漫然と生きているわけではない。親の時代からも、その親の時代からも、そ
の先祖の時代からも、滔々と流れる連続性の中に生きている。人間存在の根源に
は、単に実存的な存在論だけではなく、こういう歴史的な連続性の中にある自分を
考える、あるいは自覚しないと、真の意味で生きているとは言えないはずである。
歴史的な連続性という存在感には過去だけではなく、未来の子孫たちへの橋渡し
として自分たちがこの世に存在しているのだという概念も当然必要である。このよ
うに過去時制、未来時制に自分を投射しながら、現在の自己確認を行うところに
本物の国民としての自覚が生まれる。これが歴史的存在としての国民意識である。
我々は、大東亜戦争に敗北し、歴史的にも、国際法的にも不当な極東国際軍事
裁判を行われ、日本人が一番失ってはならない国家観、そして国防観を喪失して
しまったのである。国民が歴史の連続性から浮遊してしまったら何が起こるのか。
それは日本民族としての自己同一性の喪失である。今の日本人の無力感の根底
を占める問題の大半はそこに起因する。護憲、改憲、加憲など憲法問題を皮相的
に論議する以前に、為政者も国民も官僚もまず考えなければならないことがある。
それこそが、民族の歴史性を前提にした国家の在り方についてである。過去と未
来を背負った存在として、今の我々がこの国土に生きるなら、もっとも近い戦前の
過去を意識しないこと、あるいは極力これを忌避するような意識の在り方は決定的
な間違い、つまりは巨大な錯誤であることがわかるだろう。
この錯誤に基づいてどんな小手先の政治観、人生観を持とうとしても、それは砂
上の楼閣であり、けっして生命を持たないだろう。自分はむしろ、戦後の日本人が
戦前を無視して生きてきたことに大きな驚きを覚える。自国の過去を否定した生き
方を選んだ民族は長くは持たないと思うからである。日本人は自国の過去否定を
しながら、なんとか秩序を保ち続け、六十年の時間を行き続けている。大東亜戦争
において、戦勝国アメリカが植えつけた「日本悪玉論」を、六十年もの長い間、後
生大事に持ち続け、それでも国を保っていることに驚きを感じる。逆説的に言うなら、
日本人とは、ここまで国家精神を蚕食されても、まだ秩序を維持して行けるだけの
巨大な民族アビリティを持っているのである。これは現在を生きる我々の力ではな
い。これは先祖たちが長い時間を弛まなく積み重ねてきたことから出来上がった巨
大な遺徳の力なのである。これに感謝し、尚且つ、先祖たちの遺徳、威徳を次の時
代に継承させて行く義務を我々は背負っている。
人間の病気に急性と慢性があるように、国家の危機にも慢性と急性がある。こ
の戦後六十年というのは、明らかに日本国の慢性的な危機である。急性は近い歴
史では大東亜戦争だろう。この時も負けはしたが、国民は総決起的に心を合わせ
て国難に立ち向かっていった。まさに「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」の精神で
ある。日本人は驚くべき生命力の強い民族である。教育勅語の精神を忘れ、長
い間、武士道精神を持ち続けた国民の心から、完全な「刀狩り」が行われてもいま
だに滅びないで国の秩序を保っているのだ。
この理由がわかるだろうか。今から二千数百年前に日本という国が起こり、連綿
と続く皇統を基軸にして、国家の連続性を保ってきた過去がある。この過去の重さ、
時間の集積に涵養されてきた民族意識の練成は、日本人にとてつもない精神の強
靭さをそのDNAに刻み付けた。これが急性アノミーに陥っても、六十年も国の秩序
を維持していける日本人の底力なのである。しかし、この巨大な力も、もしかした
ら命運尽きる時が迫っているのかもしれない。9/11日の総選挙で国民は、小泉が
指揮する売国政治内閣を思考停止状態で存続させてしまったからである。
(続く)
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

