戦艦大和(10)◎艦の姿形に込められたメッセージ
◎艦の姿形に込められたメッセージ
第一話で、劇場公開されている「男たちの大和」は失敗作である
と書いた。それは登場人物たちの時代性の復元に失敗していて、
表現されたものは、全編、戦後民主主義の空気である。だからと
言って、この映画がメッセージ性を持たないかというとけっしてそう
いうことはない。今回の「男たちの大和」は邦画史上、ある一面に
おいて突破的な作品となる可能性は高い。なぜそう言い切れるか
と言えば、その理由は非常に単純なことにある。それは、日本海
軍史上、いや、世界海軍史上、不世出のバトルシップである戦艦
大和の実物大のセットが使われているという一点に尽きるから
である。
この映画の場合、登場人物の役柄や「物語性」などは二義的な
価値しか持たない。というか、はっきりと言ってしまえば、この映画
は戦記文学作品として評価した場合は、駄作を通り越えて明らか
に失敗作である。その意味は、戦争真っ只中、昭和18年に大本
営が製作した映画・「海軍」の空気と比較してみると一目瞭然で
ある。「海軍」という作品が持つ空気、時代の雰囲気は、当然な
がら昭和18年という、その時代にリアルタイムに造ってあるか
ら、大本営が国威発揚映画としてどのような作為を持ったとして
も、映画自体の空気には生々しく当時の時代性が出ているので
ある。
「男たちの大和」では、あの時代の持つ空気がほとんど描きき
れていないのだ。これは単に、製作陣による時代考証的な追及
の甘さだけだけではなく、戦後60年を経て、日本という国の時代
感覚そのものの在り方があまりにも見事に変わってしまったから
だろう。製作陣、特に俳優さんたちに、この時代を体感的に知る
人物が多く居たなら事情は変わっていたかもしれないが、製作、
出演側に戦中を大人として生きて知る者がいないことは、この映
画の全体的な空気を「現代性」に閉じ込めて離脱させなかった大
きな要因ではあろう。これを改善する策としては、現在80代、90
代の戦中派の方々の智恵や体験を、積極的に時代考証やスト
ーリー性に加えることが必要であったと思われるが、その年代
の参加は実用的に言って無理な部分はあったと思われる。
「男たちの大和」は、総合的には失敗と言える作品であるが、
これがメッセージ性という観点から見た場合は、この作品は戦
後の邦画史上、突破的な作品と断言できる。なぜなら、この映
画に使われている戦艦大和には実物大の模型が使用されて
いるからである。実物大の大和の艦容が、その姿形に込めら
れた完全なメッセージ性を持って、我々現代日本人に強烈に
投射してくるのである。日本精神の伝承については、これを完
全に言語化する必要はないと思う。むしろ、言語化できない微
妙な空間に日本の本質が内在している場合が多いからである。
刀鍛冶には刀鍛冶の無言語の伝達様式があるだろうし、剣術
には剣術の極意伝達がある。同様に、大和を建造した多くの
先人たちは無意識に、戦艦大和という形に日本が持つ悠久の
時間を封じ込めていた。
戦艦大和という存在とはいったい何であったのだろうか。それ
は、海軍魂の発露でもあり、大東亜戦争の宿命的な帰趨を奇し
くも象徴してしまった悲しみの戦艦でもあった。そういう視点から
言うならば、戦艦大和をどう見ているかによって、我々日本人ひ
とりひとりが持つ、あの戦争に対する意識が問われる存在なの
である。戦艦大和を想い、考えることは、日本人が日本を問いか
ける意味で、もっとも適切な題材なのだと私個人は思う。
(つづく)
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