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2006年1月13日 (金)

戦艦大和(2)◎失われた戦前日本

     浮上せよ大和、祖国蘇生のために(2)

     ◎失われた戦前日本

 角川春樹氏はかつて、東シナ海に沈没している戦艦大和の探索に情
燃やし、ついには海底に横たわる大和を発見し、その遺影を撮影し
た。この経験からだろうが、川氏の大和に対する情熱は並々ならぬも
のがあったようである。彼が戦艦大和という、大日本帝国海軍、あるい
は大日本帝国そのものを象徴したような巨大戦艦にいったい何を見て、
何を感じたのかは推し量れない。だが、大和という実体には、戦後の日
本人が見失った何かしら重要なもの、亡失してはならないものが確実に
あることを、彼なりに確信したのではないだろうか。確信した上で、そこ
から現代に重要なメッセージを投げかけ、映像という媒体で今の日本人
に問いかけてみたい衝動が働いたのだと思う。

 戦艦大和という事跡には、戦後、すっかり封印されてしまった日本の
本質が余すところなく込められているのではないだろうか。平成の現代
になり、日本人は経済に、外交に、内政に、地域社会の機能不全など
に、まったくといっていいほど打つ手を見つけることができず、すっか
しょ
げきっている。この精神の凋落と退嬰には、日本人が日本人として
生きる心構えや希望の核となる「民族魂」を完全に失っていることにあ
る。西村眞悟氏はその日本なるの柱を「背骨」と言っている。この
言葉は「民族の魂」と置き換えてもけっして
間違いではないだろう。今
の教育や政治姿勢、あるいは企業姿
勢には、々と流れてきた祖国
の歴史を形成してきた民族の
「背骨」がまったくない。今現在、国家を
営する最高責任者としての小泉純一郎首相にもまったくない。ない
どころか、この不徳きわまる宰相は、わずかに残存する国家の背骨

米国の意に沿って圧し折る作業を推し進めている。この状況では我々
祖国日本はさほどの時間を要しないでその命運を滅びの道程に委
ねてしま
うだろう。

 誰しも祖国の滅亡を望む人間はいないはずである。日本が再び賦
活す
るためには、日本人一人一人の胸のうちにその背骨を取り戻さ
ければなら
ない。しかし、どうやってそれを取り戻すのか。戦後60年、
心ある有志たちが
強い憂国真情のもとにさまざまな意見や提言を繰り
返してきた。それはそれ
ぞれに有効なものではあったのだが、大多数
の国民には浸透するまでに至ら
ずに今日の低迷の闇をさまようことに
なった。戦後の国民は、極東国際軍事
裁判が生み出した置き土産を、
後生大事に国是にしながら、戦艦大和という日
本精神のかたまりを依
怙地になって封印し続けてきた。そして、凋落の極限
レベルまで堕ち
てしまった日本国民は、ついに、滅びの深淵を間近にして
族再生の
情念の炎が再び燃え上がる予感を示し始めたのである。この燎原

火の一つが今回の角川春樹氏の戦艦大和に賭ける情熱であったと
思う。

 ここに、水上特攻作戦を敢行し、一機護衛機もなく、敵機の重畳
爆撃によって海冥に沈んだ戦艦大和からの無言のメッセージが生き
てくるので
ある。戦艦大和とは今の日本人にとっていったいどのよう
な存在なのであろうか。この
疑問の答えを追い求めることは実は容
易なことではない。大和を如何に考え
如何に想うかに日本人の真
の歴史観の把握があり、さらには日本人本来
自己同一性が問わ
れるのである。

 昭和16年12月、日米開戦の一週間後に戦艦大和は就航し、その
半年
後には、大和級改良型二番艦である戦艦「武蔵」も登場してい
る。武蔵は
レイテ沖海戦で沈み、その半年後に大和も東シナ海に沈
んでいる。不思議
なことがある。戦艦大和も、戦艦武蔵も、超弩級バ
トルシップとして双頭
位置を占めているのだが、戦後、武蔵は印象
が薄く、大和は非常に強く日
本人の心に残っている。この差異はいっ
たいどういうことであろうか。その「大
和」という艦名が近代日本のた
どった宿命を象徴したということが大きいのだ
ろうか。大和(やまと)
というネーミングが戦後日本に投げかけている影響は
想像以上に絶
大だと思う。戦後日本は、皇統を維持しながらも、天皇の
神秘性、神
格性を完全否定するところから出発した。現行憲法前文は、
天皇の
存在を消して、国民主権を高らかに明示している。我々の戦後とは、
日本国神話の完全否定から動き出したのである。

 しかし、本来の日本人は、歴史的連続性から乖離した国民主権、
実際
は個人主権なのであるが、これを国是とすることにはまったく馴
染まない国民
性を持つ。国民主権が正当に機能するためには、歴史
の担保性をきちんと確保したところに憲法理念を求めるしかないはず
である。現行日本国憲法
による国民主権の概念は、歴史の背骨を否
定した
台から出発しているのである。すなわち、今我々が拝跪する
日本国憲法
には、その機能的効力は別にして、日本人の魂が宿って
いないことが最大の問題なのである。当然な
がら、魂の宿らない憲法
には真の遵法精神が生まれる
はずはないのである。真の遵法精神が
生まれない社会では子供は大
人の背中を見なくなる。これは当然のこ
とである。大人が自分の背中をして、自分の生き
た証としての歴史性
を示せない社会には真の教育は出てこない。

   (続く)

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