« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

2006年1月23日 (月)

戦艦大和(11)◎形に顕現した民族の美意識

   形に顕現した民族の美意識 

 さて、件の映画の話に戻ろう。この映画の圧倒的な価値は大和の
実物大スケールの模型にこそあるのだ。戦艦としての大和は、比類
のない超弩級型バトルシップとして世界の海軍史に屹立しており、
それが実写スケールで銀幕に再現されたことは、戦後史上、真に画
期的なできごとと言ってもいいだろう。この映画の価値は、戦艦大和
自体が強いメッセージ性を持っていることにより、それを実物大のスケ
ール・モデルで撮影したことが、戦艦大和という存在の重量感や具
体性を、きわめて現実的に再現して人々の眼前に出せたことにある。

 戦艦大和の威風堂々とした存在感、そして船形の優美さは、簡単
に言ってしまえば、それは「日本」というメッセージなのである。角川
春樹氏がこの作品にかけた意気込みは、氏自身が撮影した冒頭シ
ーンにおける、海底に沈む実物大和の菊の御紋章の映像に現れて
いる。彼は語っている。

「海底に沈む実物大和の菊の紋章の映像は、私が撮影したもので
す。それを実際目の前でみた時からこの映画を“つくらされている”
ような、魂に導かれて出来た映画だと思っています。」
と語ったよう
に、入魂の心境で製作に取りかかったようだ。この映画の物語性、
史実性は重要ではあるが、登場人物に主眼を置く映画作品という
ものは、監督や脚本家の表現主体をどこに見ているかで、その意
味や客観性は大きく異なってくる。だから、登場人物の内面や行
動様式の表現は、史実的客観性というよりも、作品を書いた原作
者の着眼性、歴史観などが如実に表れ、それは一つの文学作品
というジャンルのフィクションを構成している。今回の「男たちの大
和」にしてもその例外ではない。

 しかし、今回の映画の出来栄えは、文学作品としての映画とい
う枠をはるかに超え、解釈の相違の余地のない、実物大の大和
の映像そのものが、明らかなメッセージとしての史実性を持つこ
とにこの映画の真骨頂がある。戦艦大和の実物大模型を使用し
たことで、大和自体の存在感に圧倒的な真実性が付与され、そ
のことが観る者に強いメッセージを訴え掛けてくる。大和の船体
そのものが、バトルシップという専門性の高い船の機能美を超え、
「日本精神」そのものが形として様式化したような感じがある。
大和は艦体自体が明らかに強いメッセージ性を持つ。この着目
に賭け、これを映画という手法によって世間に問いかけた角川
春樹氏の一世一代の思惑は、非常に有意義な仕事として高く
評価する必要はあるだろう。

 難しいことを言うつもりはないが、もっとも単純な事実として、
戦後、戦艦大和はなぜかくも不動の人気を保ち続けているの
であろうか。自分の年代が小学生、あるいは中学生であった
ころ、プラモデルで圧倒的な人気があったのは、零戦と戦艦
大和であった。戦艦にしても、戦闘機にしても、他に多くの存
在があったのだが、だんとつに人気があったのはなぜか零戦
と戦艦大和であった。特に戦艦大和は飛びぬけて人気があっ
た。小学生であった自分が当時、戦艦大和に心を昂揚させた
のは、それが体現する圧倒的な性能だけであったのだろうか。
性能だけが魅力の根源だとしたら、外国の戦闘機や戦艦、潜
水艦などにはそれを超えているものはあったはずである。それ
でも、戦艦大和が今にいたっても、これだけの人気を保持して
いることには何か説明可能な明確な他の理由があるはずであ
る。

 大和は実戦的にはほとんど戦果らしい戦果を残していない。
建造され、無駄に待たされ、戦局が悪化してから沖縄水上特
攻作戦に出され、援護の飛行機もなく、米軍戦闘機によってむ
ざむざ撃沈されてしまった。大和は世界に比類のない巨砲(46
センチ)を装備したにも関わらず、時代は完全に航空母艦と攻
撃機のセットが戦闘の主流になっていた。軍記的に冷静に見
ると、大和は戦闘思想的には時代遅れの悲劇性をすでに持っ
て生まれた軍艦であり、ほとんどその戦闘性能を発揮すること
なく海底の藻屑と化してしまった。大和には、軍記の枢要であ
る雄雄しい戦闘シーンや華々しい戦果の物語は付随していな
い。唯一、レイテ沖海戦で戦闘したことくらいであろうか。

 当時、大和級の戦艦としては戦艦「武蔵」があったが、それ
は戦後60年を経て忘れ去られようとしている。しかし、なぜか
大和に熱い心を燃やす人間は今も後を絶たない。いったいそ
れはなぜなのか。それについて、ここ何年か考え続けてきた。
零戦及び戦艦大和が、子供や大人の心を惹きつけてやまな
い魅力は性能以前のそのフォルム(形態)にあったと思う。両
者に共通している形態としての精悍さ、優美さは、製作に携わ
った者たちが意匠的デザインや造形美を狙ったわけではない。
当時の技術者にしても、製造指針では、戦闘性能だけを考え
て必死で取りかかったに違いない。そこには機能的に意識し
たデザイン以外には、造形美学的意図などはまるでなかった
たに違いない。しかし、出来上がった零戦や戦艦大和は単な
る機能美を超えて、日本固有の造形美を醸し出すことになっ
たのである。

 (つづく)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

戦艦大和(10)◎艦の姿形に込められたメッセージ

 ◎艦の姿形に込められたメッセージ

  第一話で、劇場公開されている「男たちの大和」は失敗作である
と書いた。それは登場人物たちの時代性の復元に失敗していて、
表現されたものは、全編、戦後民主主義の空気である。だからと
言って、この映画がメッセージ性を持たないかというとけっしてそう
いうことはない。今回の「男たちの大和」は邦画史上、ある一面に
おいて突破的な作品となる可能性は高い。なぜそう言い切れるか
と言えば、その理由は非常に単純なことにある。それは、日本海
軍史上、いや、世界海軍史上、不世出のバトルシップである戦艦
大和の実物大のセットが使われているという一点に尽きるから
である。

 この映画の場合、登場人物の役柄や「物語性」などは二義的な
価値しか持たない。というか、はっきりと言ってしまえば、この映画
は戦記文学作品として評価した場合は、駄作を通り越えて明らか
に失敗作である。その意味は、戦争真っ只中、昭和18年に大本
営が製作した映画・「海軍」の空気と比較してみると一目瞭然で
ある。「海軍」という作品が持つ空気、時代の雰囲気は、当然な
がら昭和18年という、その時代にリアルタイムに造ってあるか
ら、大本営が国威発揚映画としてどのような作為を持ったとして
も、映画自体の空気には生々しく当時の時代性が出ているので
ある。

 「男たちの大和」では、あの時代の持つ空気がほとんど描きき
れていないのだ。これは単に、製作陣による時代考証的な追及
の甘さだけだけではなく、戦後60年を経て、日本という国の時代
感覚そのものの在り方があまりにも見事に変わってしまったから
だろう。製作陣、特に俳優さんたちに、この時代を体感的に知る
人物が多く居たなら事情は変わっていたかもしれないが、製作、
出演側に戦中を大人として生きて知る者がいないことは、この映
画の全体的な空気を「現代性」に閉じ込めて離脱させなかった大
きな要因ではあろう。これを改善する策としては、現在80代、90
代の戦中派の方々の智恵や体験を、積極的に時代考証やスト
ーリー性に加えることが必要であったと思われるが、その年代
の参加は実用的に言って無理な部分はあったと思われる。

 「男たちの大和」は、総合的には失敗と言える作品であるが、
これがメッセージ性という観点から見た場合は、この作品は戦
後の邦画史上、突破的な作品と断言できる。なぜなら、この映
画に使われている戦艦大和には実物大の模型が使用されて
いるからである。実物大の大和の艦容が、その姿形に込めら
れた完全なメッセージ性を持って、我々現代日本人に強烈に
投射してくるのである。日本精神の伝承については、これを完
全に言語化する必要はないと思う。むしろ、言語化できない微
妙な空間に日本の本質が内在している場合が多いからである。
刀鍛冶には刀鍛冶の無言語の伝達様式があるだろうし、剣術
には剣術の極意伝達がある。同様に、大和を建造した多くの
先人たちは無意識に、戦艦大和という形に日本が持つ悠久の
時間を封じ込めていた。

 戦艦大和という存在とはいったい何であったのだろうか。それ
は、海軍魂の発露でもあり、大東亜戦争の宿命的な帰趨を奇し
くも象徴してしまった悲しみの戦艦でもあった。そういう視点から
言うならば、戦艦大和をどう見ているかによって、我々日本人ひ
とりひとりが持つ、あの戦争に対する意識が問われる存在なの
である。戦艦大和を想い、考えることは、日本人が日本を問いか
ける意味で、もっとも適切な題材なのだと私個人は思う。

        (つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦艦大和(9)◎無意識なる造形美

   ◎無意識なる造形美

 戦艦大和の写真は異常に少ない。これほど有名でありながらも
当時の写真がほとんど見あたらないのは、それほど徹底して秘密
主義に徹していたからであるが、この事実からも大和の存在が当
時の一般国民にはほとんど知られていなかったことがなんとなくわ
かる。そういうことも大和の神秘性を高め、戦後の人気に拍車をか
けたのだと思うが、大和人気の中心はやっぱりその艦影の日本的
な美しさにあると思うのである。私と同様に大和の艦影に、直截に
日本美を感じている人々に問いかけたい。戦艦大和は当然ながら、
けっして船体の美しさを目指して造ったものではない。それは、当
時の日本技術の粋を結集し、戦後の日本型生産システムのアー
キタイプ(原型)となった大和建造技術陣の努力の結果がもたらし
たものであった。みなさんにも考えてもらいたい。審美的な設計思
想が微塵もないのに、戦艦大和はなぜあのように優美端麗な面
持ちをしているのであろうか。

 
 戦艦大和は当然ながら巨砲大艦を目的として建造された。着手
された当初の昭和10年の計画では、全長294m、全幅41.2mであ
ったが、呉の造船ドックの長さが313.94mで、この長さで294mの艦
長を造るのは無理だったらしい。そこで、模型実験を重ね、長さが
263mに決まったそうである。(渡部真一著「戦艦大和99の謎」、二
見書房刊)

戦艦大和基礎データ 

   全長   :  263m
   吃水線長 :  256.0m
   最大幅  :  38.9m 
    排水量  :  72809t(満載時)
    重油満載量:   6300t
    最大速力 :   27ノット  
    軸馬力  :  15000 HP 

兵装関係

   主砲   :    46cm     3連装3基(9門)
   副砲   :  15.5cm    3連装2基(6門)
   高角砲  :  12.7cm    2連装12基(24門)
    機銃   :  25mm     3連装29基(87門)
      機銃      :  25mm      単装26基(26挺)
   機銃      :    13mm     2連装2基(4挺)

 
   3連装の46cm主砲を3基、合わせて9門を搭載するために、その
主砲砲塔の全重量を合計すると、主砲の重さも含めて1基3269t、
それが3基で計9807tになり、重巡洋艦一隻の重さに匹敵した。戦
艦(バトルシップ)の使命は、この主砲を戦場に運搬し、なおかつ
縦横無尽の機動性を実現することにある。大和は上述の兵装、そ
の他を搭載し、航続距離や機動性能を追求した結果、その艦長と
艦幅が決まったのである。あとは生活環境や艦のユーテリティであ
る。そういう機能、性能を極力追求した結果があのような優美な船
体となったのである。

 大和級1号艦「戦艦大和」には、国家の命運を託するほど大きな
期待が掛けられていたことは、その命名からして想像に難くない。
従って、設計技術陣や現場を担当した職人連中は、並々ならぬ心
血を注いだことは間違いない。審美的な意図はまったく皆無だった
建造プロジェクトではあったが、結果的に出来上がった姿は、他に
類例のないほど優美かつ繊細なものに仕上がっているのである。
たとえて言うなら、名のある刀工が、心魂を傾注して造り上げた一
振りの芸術的な日本刀のような鋭さ、優美さが造形として出来上
がったのである。

 これを自分なりに考えてみると、蜂の巣が形成される過程と似て
いなくもない。蜂は群で巣を作るが、たとえばスズメバチの営巣過
程を見ると、アパートやマンションのように整然と階層がが出来上
がっており、それぞれの階はきれいな六角形の柱状穴が整然と
構成されていて、あたかも水晶の結晶構造のように自然の造形
の美しさがある。同様に、戦艦大和も、民族が魂を込めて造り上
げた巨大バトルシップは、期せずして、造形的に無駄のない美し
い仕上がりになったのである。これは蜂の巣と似ているが、日本
民族の無意識の審美眼があのような端麗な造形美を実現したと
しか思えないのである。

 何年か前に病院に入院したとき、隣のベッドに八十歳近い年
輩者が居て、その人から南方戦線の話をいろいろと伺っていた。
その中に印象深いものがあった。彼はレイテ沖海戦で戦艦大和
がトラック島に来たとき、碇泊している姿を間近に見たそうである。
その時の印象を感慨深げに話していた。大和を見たとき、その威
厳に満ちた姿と圧倒される美しさに、日本はけっして負けないだ
ろうと思ったそうである。それほど戦艦大和の姿は誇らしさと感動
を喚起させる強烈なインパクトを有していたということであろう。

 (つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月19日 (木)

戦艦大和(8)◎大和の美しさに魅せられて

浮上せよ大和、祖国蘇生のために

_520

    (昭和27年版、吉田満著・「戦艦大和ノ最後」巻頭
     より、在りし日の戦艦大和の雄姿)

 戦艦大和のことを書いているのに、いっこうにその性能やメカニッ
クの記述が出てこないじゃないかと思っている方々もおられると思
うが、戦艦大和に関する本は多数出版されていて、それぞれに詳
しい記述がある。構造や機関的なこと、戦闘能力などに興味があ
る人はそちらを参照してほしい。このブログで展開する「私の戦艦
大和」は、その視点がこの軍艦の短い生涯に凝縮されている本物
の日本を探勝することにある。そういう意味では、無知な自分自身
の肩肘張った精一杯の日本論のつもりで書いている。もちろん、そ
の日本を探索する方途には、大和建造にあたり、当時の日本の持
てる最高の技術と発想が結集されているから、技術的な方面から
も興味深い日本は浮き上がってくるだろう。大和の建造ノウハウや
技術的な塑型は戦後の工業技術史にもしっかりと生き残っている
からである。

 戦艦大和は、世界最大の戦艦用巨砲を搭載した、単なる巨大な
鉄の箱舟ではない。前にも書いたが、この船には日本的霊性が強
く宿っている。日本的霊性とは、かつて、禅学者の鈴木大拙や数学
者の岡潔(おかきよし)などがよく使っていた言葉である。日本の魂
のことである。

 小さい頃は、戦艦大和の威風堂々としたその容姿に憧れた。しか
し、今は、その泰然自若とした威容だけではなく、大和が放つ何と
も表現しがたい品格の高さと言うべきか、その日本的な光輝に強く
引きつけられる。このような格調高い光輝を放つ建造物は人類史の
中でも滅多に見ることはないだろうと考える。エジプト、ギザのピラミ
ッドは、プラトンだったか、誰だったか忘れたが、その記述に、建造
初期には、表面を美しい金箔や宝石のラピスラズリなどで飾られて
居て、陽光に燦然と輝いていたとある。また、旧約聖書に出てくる
ソロモン王の神殿も、同様に金箔などで飾られいて、この上なく美し
くそびえていたそうである。我が国の戦艦大和も、これらの歴史的
な建造物に比肩されるか、あるいはそれ以上の美しさを持った希
有な軍艦なのである。

軍艦の形容にはどうかと思うが敢えて言うなら、ソロモン王の神殿
が洋蘭の華やかさだとしたら、戦艦大和の美しさの根源は日本的
霊性であるから、それは和蘭や菊、また深山の百合の美しさでもあ
る。

suzumusi7
   (樹林にひっそりと咲く野生のスズムシ草)

 和蘭にはエビネ、春蘭、スズムシ草などがいろいろとあるが、その
姿は西洋蘭に比べて控えめで奥ゆかしい。樹林の日陰でひっそりと
咲いている可憐さがある。あるいは和蘭ではなくても、菊花の高貴さ
がある。戦艦大和には、その名前を象徴する、直径6メートルの菊花
十六弁の御紋章が舳先に飾られている。これは天皇家の神聖さを
象徴し、また大和朝廷の威厳を象徴している。これこそ現代人が忘
却した日本そのものである。かつての日本の魂が形となって具現化
したのが戦艦大和なのである。

 私が初めて靖国神社に参拝したとき、拝殿に至る参道の途中に門
があり、その上部には金色に輝く大きな菊花の御紋章が淡い光輝を
放って眼に飛び込んできた。その御紋章を見たとき、私はある世界を
垣間見た気がした。その菊花の彼方に静かに佇んでいるもう一つの
日本を。その世界こそ、現代日本人が忘却したかつての高貴な日本
なのである。皇統を中心軸に形成され、高度な秩序を保って存在して
いた大和の国の茫洋とした霞であった。四十路にいたって、日本を祖
国感情で眺めることが出来るようになったとき、私は靖国神社の御紋
章と戦艦大和の御紋章におなじ日本を見ていた。

 (つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦艦大和(7)◎遅れて知った祖国感

    浮上せよ大和、祖国蘇生のために

    ◎遅れて知った祖国感

 私が最初に戦艦大和に興味を持ったのは小学生の時であった。
その興味の持ち方は当時の例に漏れず、プラモデルであった。私
は零戦、戦車、そして戦艦大和が好きだったが、もっとも好きで多
くを集め、金銭的に親を困らせたのは戦車のプラモデルだった。こ
れはモーター動力で動く戦車で、作ると必ず外に持ち出しては走
らせて遊んだものだった。しかし、眺めて楽しむモデルは零式艦
上戦闘機と戦艦大和であった。子供というものは素朴に直感的
な興味で物を見る。

 当時は戦車や戦艦、軍用機、軍用トラックなどのプラモデルが、
戦争で使われた戦いの兵器だという意識はほとんどなく、ただ単
に形の面白さや想像上の機動性に惹かれたからだった。軍用と
はどんなことか、戦闘とはどんなことかということはぼんやりとし
かわからなかった。兵器という物は、その殺傷能力や破壊力を
除いた視点で眺めると、無駄のない機能的な美しさがある。同じ
車両や機械物でも、一般の乗り物や船舶、航空機は軍用に比較
すると、凡庸というか、デザイン的にシャープさが欠けている。戦
闘に使用されるメカニックは研ぎ澄まされた先鋭さを持っており、
これがマニアの魅力になっているようである。

 子供は余計なことを考えずに、ありのままにその存在の魅力を
直感的に捉えるから、軍用メカニックにストレートに興味を感じる
ものだと思う。後年、長じてから、大東亜戦争時の軍艦や軍用機
を眺めても、基本的には子供の頃と同じように惹かれる美しさを
感じるのである。私はけっして軍事マニアでも兵器マニアでもない
が、各国の兵器や軍用車両は一般的に美しいと感じる眼はある。
今、思うことは、軍用メカニックにも国別、民族別にそれなりの特
徴が出ていることである。そのことは国によって建築様式が異な
るように、ある意味で当然のことなのであるが、そのデザインの
違いや差異は民族性が出ていて非常におもしろい。

 大東亜戦争で、大日本帝国陸海軍が使用した零戦や戦艦は、
その写真類などをじっと見ていると、本当に日本的なデザインだ
なあと感心するのである。これがアメリカ人やシナ人の制作なら、
こういう風にはならないだろうと思う。戦艦にしても、軍用機にし
ても、その形態的デザインには、意識して作ったものと、意識せ
ずに、機能や効力を追求する過程で自然にできあがってしまっ
たものがある。戦艦大和は明らかに後者である。

 私が大人になってから、戦艦大和の美しさを再確認したのは
四十路を過ぎた頃からだった。振り返ってみれば、私自身も典
型的な戦後教育を受け、大多数の同年代と等しく、東京裁判史
観を主軸にしたみごとな歴史教育で成長した口である。日本は
アジアを侵略し、周辺のアジア諸国に多大な迷惑をかけ、とん
でもない邪悪な侵略思想の民族だった、なんという恥ずかしい
国に生まれてしまったんだろうと、人並みに自国嫌悪の観念に
縛られていた。しかし、28歳の時、石油プラントの建設工事で
サウジアラビアで生活してみて、初めて日本を外側から眺める
視点を持つことができた。サウジの砂漠は、自分にそれまでの
日教組的な歴史観を修正させる内省的な時間を与えてくれたよ
うである。帰国してから徐々に、日本という国は教わったほど悪
い国じゃないんだという視点が開けてきた。

 そういう感覚で、四十路になるころは、自然と日本人に生まれ
て本当によかったと思えるようになっていた。生まれ育った故郷
には誰でも懐かしさと強い郷愁を抱く。同様の感じで、日本とい
う国にも、自分が生まれ育った「国」という祖国概念が芽生えて
いた。自分に変容が起きていたのは、それまでは日本というの
は、「この国」という意識だったのが、だんだん「我が国」という
概念に変わっていたことである。自分の住む国家を、「この国」
などと、どこかの国のように突き放した言い方はいたって奇妙
であると感じるようになってきた。今までは、日本というものを、
パスポートに記載する「ただ何となく住んでいる場所」という感
覚だったものが、自分という存在のすべての根っこがある場所
というように、かけがえのない大事な領域だと自覚できるように
なった。

 今でははっきりとわかるが、それは紛れもなく「祖国感覚」で
ある。考えてみれば、大の大人が四十路を過ぎて祖国感覚を
自覚するなどということは、あまりにも異常なことであろう。他
の国は子供の頃からそれが出来上がっているというのに。戦
後日本の異常さは、国家や祖国という概念を消し去る方向に
進んできたことである。上手く言えないのだが、こういった私の
歴史観、国家観の変容が緩やかに生起して四十路に入った
ころ、つまり、祖国の認識がようやく出来上がったころに、戦艦
大和のずば抜けた美しさが自分に甦ってきたのである。

    (つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月17日 (火)

亡国の徒、小泉純一郎

 下記の文は、昨年、衆議院の郵政民営化を問う総選挙の9月11日に
ある掲示板へ投稿したものである。あれから五ヶ月、自分の小泉純一
郎に対する評価はこの時とまったく変わっていない。それどころか、日
増しに彼の危険性を痛感している。

  ------------------------------------------------------

      小泉純一郎は亡国の徒輩である

 小泉純一郎が進める構造改革とは、ずばり言って日本国家の構造解
体である。

 くりかえす。小泉構造改革は政府みずから行う祖国日本の完全植民
地化への布設であり、国家の完全無力化なのである。

 まず小泉の靖国参拝の公約不履行であるが、誰もが知ってのとおり、
彼は八月十五日の参拝をいまだに実行していない。実はこれは亡国へ
の踏み出しなのであるが、アメリカの対日要求の成果として結実に向か
う郵政民営化には、異常なほどの執心で日夜奮闘しているようである。
これが公約だからと再三再四繰り返している。だが、公約実行を口に
するなら最初にやっておくべきだったのは当然ながら八月十五日の靖
国参拝であっただろう。

 この宰相が、支那や韓半島人あるいは国内左翼系による参拝非難
を受け、それに対してなんと申し開きをしているかご存知だろうか。そこ
をよくこころに留めてほしい。彼は下記の理由を何度か述べている。

 『 こころならずも戦地に赴いて亡くなった方々を追悼し、                       

  不戦の誓いをあらたにするために参拝します。』   

 あるいは談話の中で、『 これは平和のために参拝するんです、二度
と戦争をしないために 』などと臆面もなく言ってのけている。よく注意し
て聞いてほしい。靖国神社には、明治維新から大東亜戦争まで、戦没
者、事変殉難者の御柱が240万あまりまつられている。小泉は日本国
の宰相でありながら、心ならずも戦地で亡くなったかたがただと、英霊
の御霊(みたま)を位置づけている。小泉は当事の、軍人として徴用さ
れ、戦死した国民や戦禍に逝った国民を、なんと、行きたくない戦争に
無理やり引っ張り出させられて、むなしくも犬死を遂げた人々であると
公言したのである。なんという恥知らずなのであろうか。これでは社民
党の思想・歴史観レベルと同じではないか。

 行きたくもない戦争に軍部の主導でしぶしぶ出かけ、死んでしまった
という言い方。これこそ紛れもないあの「階級闘争史観」そのものでな
くてなんだろう。田原総一郎なども赤紙を階級闘争史観でしか見てい
ないがこれとまったく同じ世界観である。しかも、これはかの無法なる
極東国際軍事裁判における裁定思想とまったく同じ流れから発した言
説として国民は心に刻まなければならない。「平和に対する罪、人道に
対する罪」という国際法にはない原則を急遽創出し、戦勝国が一方的
に力ずくで日本を悪の権化であると裁定した私刑のための裁判であり、
司法の理念がない人類的にも非道な裁判である。日本国家完全悪玉
史観なのである。これが世に言うところの東京裁判史観であり、今日ま
で、悠久の国史を背負った誇り高い大和民族を内部から痛め続けてい
るものの元凶なのだ。

 さて、次に彼が言った参拝理由に『不戦の誓いをあらたにするため』
というのがあるが、これも完全なる英霊毀損であり、国家的な意味にお
いても重罪である。なぜなら、国家の存立意義は防衛することと不可
分にある。国民が祖国のために戦うことは名誉なのである。だからこそ
殉国者は単なる死者ではなく、靖国神社では、一柱、二柱と数えられる
神になるのである。これは外国の宗教様式を適用することではなく、我
が国固有の戦死者を祭る形式なのである。従って、この祭礼様式は、
明治以来、日本人が日本人の伝統に従って行う連続性に基づいてい
ればいいことなのである。当事の軍人さんや銃後の国民が、左翼アカ
の言うように、いやいや戦争に狩り出された末に死んだのだと小泉は
言明しているのである。

かつてNHKのアナウンサー・堀尾正明が、俳優・今井均との対談番
組で、「特攻隊は集団ヒステリーだから」と言ったことがある。小泉の
戦死者認識はこれとなんら変わることはない。したがって、彼が戦後
60年目の終戦記念日に「村山談話」を踏襲したとしてもなんら不思議
なことではない。典型的な左翼メンタリティの宰相である。国が危急存
亡に陥ったら戦うのは理の当然である。その意識で殉国した方々に対
して「二度と戦争を起こさないように願う」などと言って拝んだら、戦死
者に対する最大の侮辱であろう。小泉は東京招魂社の存立意義を取
り違えているのである。この意味を国民が宰相に教えなければならな
いこの現実はあまりにも非道い。

 戦友同士が「靖国のおやしろでまた会おうな」と死んでいき、覚悟を決
めた軍人がふるさとの家族に、靖国の桜の下で会いましょうと書き残し
ていったことを小泉はどう考えるのか。お国のためにいさぎよく散って行
かれた人たちのまん前で、「不戦の誓いをあらたにします」などと左翼イ
デオロギーそのままの心持ちで拝殿に立たれたら、二百四十数万の英
霊たちは、心静かに安んじて居られないだろう。日本国宰相が英霊の
おやしろで、自国毀損の誓いを立てながら進める構造改革の本質がこ
の姿勢からはっきりと汲み取れるのである。 もうひとこと、これに関し
て言っておくことがある。

 あとで知られたことであるが、2002年に米国大統領ブッシュが夫妻で
来日した折り、ブッシュは日本の外務省に「靖国神社をお参りする用意
があるがいかがだろうか?」という大統領たっての打診があったそうで
ある。これが実現した場合、わが国の暗くて閉塞感にみちた戦後精神
史にとって画期的な鶏鳴となって響いたはずであった。よく聞いてほし
い、米国大統領と日本国総理大臣がそろって靖国参拝を実現させた
場合、いったいどんなことが起きていただろうか。

 戦後から今日まで、日本国民の内面を執拗に囲繞していた東京裁判
史観に風穴をあけることがことができたはずである。これが実現された
とき、日本人はその精神の負け犬根性を超克し、本来の強い生き方に
羅針盤を戻すことができたはずである。これを表現するなら、戦後精神
の抜き去りがたいトゲ、しこり、つまり戦後日本人を継続的にむしばんで
いる執拗でぶ厚い贖罪観念に、まっこうから爆雷を炸裂させたほどの効
果的なできごとになったはずである。戦後刷り込まれた詐術的捏造史観
は、すっかり日本人を意気消沈させた。戦後の経済成長はもちろん世界
史的に評価される画期的なできごとではあるが、反面、日本人は贖罪史
観の苦しさにあえいでいて、そこから逃避するために民族エネルギーを
経済のみに特化的に振り向けてしまった感も否めない。すなわち民族の
偉大な潜在力を視野狭窄的に経済にふりむけてしまったのである。

 その結果、精神史の退嬰をまねき、今日のような出口の見えない閉塞
感に呪縛されてしまったのである。この間違った贖罪史観は徐々に日本
国民の精神を蚕食していった。こういう潮流で進んだ戦後の空気に、ブッ
シュの靖国参拝は画期的な風穴を開ける出来事になったはずである。
小泉純一郎も、ブッシュ大統領も、いわばハレの反対のケガレである。
彼らが靖国の拝殿に参詣する価値があるかどうかは疑問ではあるが、
英霊たちに一瞬の間、眼を瞑ってもらえれば、そのあとに支那、北朝鮮、
韓国の連中は雑言を言わなくなり、国民は安らかにお参りができるはず
であった。

 なによりも英霊たちは、自分たちが不当に貶められていた60年もの戦
後の靖国史が、健全な方向に向くことを喜んでくれたはずであった。日本
はあの裁判とGHQ作戦による精神の施錠から開放される契機となって
いたはずであった。これが国民精神の啓明に働きかけるベクトルの大き
さはいかばかりであっただろうか。かえすがえすも惜しい話である。そして
小泉自身の犯罪的な不徳から生じた歴史的な不明に怒りが募るばかり
である。

 もう一度よく聞いてほしい。日米首脳の同時靖国参拝を阻害した張本
人はだれか。それは現象的には外務省・阿南惟茂を中心とするチャイナ
スクールの一派と、それに連なるOB連中の加藤紘一などが血相を変え
て阻止に動いたといわれている。しかし、日本国宰相である小泉純一郎
がこの千載一遇のチャンスを活かす気があったのなら、彼の権限でチャ
イナスクールとチャイナゲートの勢力を制圧し、間違いなく日米首脳参拝
を実現していたはずである。洞察力のない目の曇った国民の一部には、
小泉の闇雲に強引な政治手腕を評価する者もいるが、それだけの牽引
力と政治力がもしも本物だとしたら、あの四年前に彼は喜びいさんで、
ブッシュとともに英霊の御霊(みたま)の前に感謝の花を手向けていただ
ろう。これが日本史、世界史にとってどれほど大きな出来事であるか想
像できるだろうか。そう、これは実質上、ヤルタ・ポツダム体制の完全な
る終焉の幕引きにつながるできごとになるはずであったのだ。小泉はこ
れをみずからの手で葬りさったわけである。まことにもって、許しがたい
宰相である。

 小泉が知覧の特攻記念館を見学し、特攻隊や家族の心根に涙したと
言われているが、三文役者だって涙は流す。宰相となってからの彼の姿
勢を見ていると、この男が国益や愛国情念で動く者だとはとうてい思えな
い。小泉純一郎の靖国参拝を見て、彼を愛国者だとか、保守の鑑だなど
という風に見ている国民が居たら、彼は自分のIQレベルを心配した方が
いい。小泉の靖国参拝にはまったく心がない。哀悼の気持ちもない。あ
るのは人気をあてにした醜悪な演劇的心根だけである。山崎拓の下半
身ゴシップじゃないが、人徳と政治は別物だなどと考えている者が居る。
そんなことだから、こういう売国手合いを野放しにしてしまうのである。韓
国人が日の丸の旗をアホな顔して食いちぎっている光景を見ると思わず
笑ってしまうが、彼らの民度の低さを馬鹿にする前に、小泉純一郎を宰
相にしてしまった日本国民の民度低下を自覚したほうがいい。

 小泉純一郎。この男を信用することは祖国日本の未来を消失すること
である。この男は亡国の徒輩である。彼を政治の舞台から引きずり落と
さなければならない。くりかえす。小泉構造改革とは、国体を破壊し、日
本国家の解体を目指す売国政策にほかならない。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

今日は予兆の日(新自由主義的荒廃の前触れ)

 ライブドア(株)の社長、堀江貴文が証券取引法違反で東京地検
特捜部の捜索を受けた。急成長ITインターネット事業大手の花形と
して、時代の寵児に躍り出たホリエモンこと堀江貴文は、ライブドア
子会社の企業買収に絡み、株価をつり上げる目的で、証券取引法
に抵触する虚偽の事実(風説、偽計)を公表した疑いを持たれてい
る。

 遜正義、堀江貴文、三木谷浩史、村上世彰、彼らは蒼々たるIT企
業の成功者である。成功者と言っても、その成功とは、かつての立
身出世という意味での日本型成功を言うものではない。IT事業の成
功者の概念は、もちろん巨大な収入を得て資産を蓄えるという意味
ではかつての成功者と共通しているが、決定的に異なっていること
がある。現代のIT長者と称する者たちの一大特徴とするところは、
押しなべて市場原理一辺倒というところにある。ここにあげたIT長
者たちは、わが国における市場原理至上主義経済体制敷設の尖
兵たちである。

 これは今風に言うと、マネーゲームというある種の遊戯的感覚を主
として彼らが市場経済に参入したということである。彼らには、昔なが
らの成功者をイメージ付けた刻苦勉励(こっくべんれい)とか、精励恪
勤(せいれいかっきん)などいう類の社会性を含んだイメージがまった
くない。ホリエモンに代表される彼らには、なぜ社会性の衣が着いて
いないのかと言うと、彼らの仕事には、何かを丹念に、生真面目に積
み上げて形を成すという原型がないからである。頑張ったことや自己
の仕事をこつこつと掘り下げ、研究して積み重ねた結果が、正当に評
価される社会とは、秩序や規範がしっかりと構築されているという前
提で出来上がっていなければならない。ところが、昭和の終わりにな
るころから平成に入り、現在に至るにつれて、社会というものの「ふと
ころ」が極端に狭くなってきている。

 公徳心や道義という言葉が、実質的に死語と化してしまった今日、
いわゆる「公」という概念がすっかり融解してしまった。これは社会
規範そのものが崩壊してしまったということなのである。日本人として
の共同体形成感覚が崩壊し、そして社会秩序の柱である規範感覚も
崩壊したのである。日本にマネーゲーム感覚の経済感性が跋扈して
きたことには、はっきりとした原因がある。アメリカ型の新自由主義が
日本を席巻しつつあるからである。経済の原型的な姿とは経世済民
の思想である。物や金銭が世の中を移るにつれて、その及ぼす効果
が金銭の収受だけに限らず、世の中を安定させ、物心をともに豊か
にすることを目指した経済感性のことである。平たく言うなら、人倫や
道義をベースにした経済理念のことである。ただ、利潤追求や生産
だけじゃなく、社会報徳という経綸を伴った経済思想のことである。

 この経世済民を実現する社会とは、国家の国柄がきちんと確立し
ていることが絶対条件である。国柄がきちんと確立しているというこ
とは、社会規範がしっかりと出来ているということでもあり、良いこと
と悪いことの境界がはっきりとしていることである。戦後の日本は、
憲法的にも、実質的にもアメリカに隷従して自主、自立、自衛の精
神を漸次失ってきたが、少なくとも社会の根幹には昔ながらの経世
済民感覚は残っていた。しかし、それも時が経つに従い、アメリカに
盲従する根性が強くなるに従って、経世済民は漸減し、小泉内閣に
至っては完全に消滅したように見える。なぜなら、小泉純一郎の姿
勢は完全なる国家破壊であり、日本へ新自由主義経済を導入する
売国宰相に成り下がっているからである。彼にとっては、すでに残
滓とさえ言えるほどのかすかな経世済民思想であっても、この上な
く邪魔な日本的思想なのである。

 郵政事業を改革して磐石にして行くことと、民営化することはまっ
たく意味合いが違っている。郵政民営化は、関口英之氏が「拒否で
きない日本」でその真相を指摘しているとおり、アメリカへの郵政国
富の朝貢なのだ。膨大な国富のアメリカへの流失なのである。国柄
を破壊し、国富を投げ出すこの国賊宰相をどこまで日本人は許容
する気なのだろうか。

 今日は、ホリエモンが証券取引法違反の疑いで捜査を受け、同時
に国会では、建築物の耐震強度偽装問題で、ヒューザー(株)の社
長である小嶋進の証人喚問が行われた。両者に直接的な関係性は
ないが、ともに市場原理至上主義に拘泥して世間の掻擾を引き起こ
したという共通性を持つ。特に耐震強度偽装は、人間の生命を守る
べく建築構造を脆弱にして、それを金銭的利益に還元したことにお
いて許しがたい社会悪である。経世済民なき新自由主義の行き着く
ところは、単なる無機的な市民社会ではなく、人間の命さえおぼつか
ない荒廃した無慈悲な世界なのである。

 「小さな政府」の行き着くところは、つまるところ、小泉純一郎の心
象風景に等しい地獄の社会である。今日と言う日は、奇しくも、あの
阪神淡路大地震が発生してから11年目に当たる日である。小泉構
造改革をこのまま放置しておくと、やがては神戸のあの廃墟の再来
を招くことになる。新自由主義で人心が荒廃し、国家の礎が崩れた
ら、シナが占領する事態に陥るかもしれない。シナが日本に来たら
どうなるか。日本全土にあの忌まわしい通州事件が展開することに
なる。小泉はそういう国難を背負った男なのである。日本の救世主
どころか、元寇以来の国難をもたらす大疫病神なのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年1月16日 (月)

戦艦大和(6)◎日本人を囲繞する史観

     戦艦大和(6)◎日本人を囲繞する史観

    浮上せよ大和、祖国蘇生のために

    ◎日本人を囲繞する史観

 前章で、「アウトサイダー」を書いたコリン・ウィルソンの例を持ち
出したのは、話がややこしくなるので不適当だったかもしれない。
人間の感情もそうだが、意識の在り方にもさまざまな様相があり、
何かを理解するという事柄は、そういう意識性によって行われる
からである。人間の感情には、個人的な感情と超個人的な感情
がある。この勝手な分類が、はなはだ乱暴な試論であることはわ
かっているのだが、そういう前提を作って置かないと、戦艦大和を
語ることは、かなりむずかしいことになってしまうのである。

 人間が過去の歴史のある事象を理解しようとすることは、一筋
縄ではいかないややこしさ、やっかいさがある。歴史事象を解釈
することは、解釈する視点によってかなり異なる意味が出てくる場
合が多い。よく歴史の真相はこうだったという言い方を耳にするが、
一つの歴史事象には、観る者の視点によって複数の局面が開示
されることがある。大東亜戦争も、さまざまな位相が複合的に交錯
しているので、一面的な言い方では捉えがたい。

  明治から平成の今日まで、日本人が自国の歩んできた歴史を観
る見方、すなわち史観というものは、大雑把に言って四種類存在し
ている。一つ目は進歩史観である。この史観は戦後、もっとも多くの
日本人を囲繞しているもので、いまだに数多くの日本人の指標とな
っている。いわゆる進歩的な知識人とか、進歩派という言い方に凝
縮され、マルクス主義者が唱道した歴史概念である。しかし、これ
を世界観という思想形状から抽出していくと、その起源はマルクス
・レーニンよりもかなり以前のヨーロッパにその源流を見ることがで
きる。たとえば、その起源になる源流の一つに、18世紀、フランス
のコンドルセの書いた「人間精神進歩史」が上げられるだろう。啓
蒙主義から発展した彼の理念的進歩の幻想は、すでにマルクス
史観と似た階級概念の萌芽を持っていた。戦後日本における進歩
史観の筆頭には丸山真男が上げられるだろう。

 アメリカを盲目的に全肯定してけっして批判も反意も示さない自称
保守派の連中がいる。小林よしのり氏などは、彼らのことをポチ保守
と呼んでいる。彼らも世界観という概念から見れば、完全に東京裁判
を肯定する立場にあるので、進歩史観派に属する。その実態は明ら
かに左翼メンタリティである。

 二番目の史観としては、明治から日露戦争までは日本の行き方は
肯定されるが、日露戦争後に一気に驕り高ぶり、その後、日本は露
悪的に変質して行き、特に太平洋戦争(大東亜戦争)では日本は完
全に間違った方向にベクトルを向けてしまったと指摘する歴史観が
ある。「坂の上の雲}を書いた司馬遼太郎が唱えた「司馬史観」であ
る。

 三番目は、自由主義史観である。藤岡信勝氏や渡部昇一氏のよう
な理性的保守派であり、日本の自立性や主体性を強く主張するが、
戦前の皇国思想には批判的である。この派に属する人と、上述の進
歩史観にある人とはダブっている場合が多い。それはアメリカを肯定
して、その世界観をイデオロギー的に自己の思想に捉える輩であり、
日本人でありながら、アメリカの自由主義を首肯する感覚は、皇統の
の重要性をまったく認識できない似非保守連中である。

 四番目は、国粋主義史観である。これは非常に数が少ないが、系
譜としては、明治の熊本敬神党、昭和の2.26事件の青年将校たち、
戦後では三島由紀夫などが上げられるだろう。戦艦大和の航空的な
無護衛特効の真の姿は、この一派の精神をある程度理解しないとほ
とんど知ることは不可能だと私は思っている。三島由紀夫は昭和27
年版の、吉田満著・「戦艦大和ノ最後」に、短くも簡潔な跋文(ばつぶ
ん)を寄稿している。それはあとの展開で紹介しよう。

 ざっと見ただけでも、これら四つの史観が混交してる上に、韓半島
やシナにシンパシーを感じて、自国悪玉史観に染まっている日本人
も多くいる。こういう混交的な史観が日本にはあるが、中でも進歩史
観は、戦後日教組などによって精力的に国民に植え付けられてきて、
日本人を自虐的な心持ちに変えて行ったのである。保守化してきた
と言われている現在でも、日本人のマジョリティを占めている歴史感
覚は、ほとんどがこの「進歩史観」に毒されているのである。戦艦大
和を、全く無駄で無意味だった歴史のモニュメントとして一言の元に
切り捨ててしまう連中もこの一派に多い。進歩史観については、文
明論的に話したいことが多々あるが、今回はこの辺で抑えておく。

                    (続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦艦大和(5)◎末期の眼と歴史の背骨(二)

  戦艦大和(5)◎末期の眼と歴史の背骨(二)

 浮上せよ大和、祖国蘇生のために

         ◎末期の眼と歴史の背骨(二)

 吉田満は、昭和27年8月に発行された「戦艦大和ノ最後」の中で、
大和沈没に際し、重油の海に投げ出され、極度の疲労と海水の寒さ
で、まさに凍死寸前にある極限的な状況の中、急激な意識の透明性、
静寂性を体験していることを記している。その時のことをこう書いてい
る。

 『フト思フ 貴重ノ時、眞ノ音楽ヲ聴キ得ルハ、コノ時ヲ措キテ
  他ニアルベキカ 聴クヲ得ベシ ワレ今素直ナラバ必ズ聴クヲ
  得ベシ 類ヒナキ一瞬ヲ得ベシ

  -ーー 空白 死ノ如キ静寂

   サラバワレ、自ラノ音楽ヲ持タザリシカ カノ愛着、カノ自負、
  スベテ偽リナリシカ ーー 待テ、今聴キシモノ、胸ニ蘇リタル
  モノ、何ゾ

   マサニシカリ、「バッハ」ノ主題ナリ 耳馴レタル ワガ心ノ
  糧ナル主題ナリ 』  

    (昭和27年版ではp107、昭和56年版ではp113にある)

 吉田満は、後の昭和56年の改訂版では、この箇所の「バッハ」ノ
主題ナリの箇所に、『耳馴レタル ワガ心ノ「無伴奏ソナタ」ノ主題
ナリ』と曲名を付け加えている。死に直面し、最終的な生存への諦観
を持った時、吉田満の脳裏には、J・S・バッハの「無伴奏バイオリ
ン・ソナタ」が去来した。この体験は、末期の眼と言うには不正確か
もしれない。なぜなら視覚的な意識の変容ではなく、自らの内面に音
楽を聴いたからである。彼は、末期の状況に臨んで、自らがかねてか
ら愛好していたバッハの旋律を心静かに自分に蘇らせたのである。そ
のソナタが、どの組曲にあるどの曲なのか、吉田満が亡き今となって
は永久に知る由もないが、それは問題ではない。彼にバッハが蘇った
ということが私にとっては重要なのである。

 吉田満のこのエピソードに私が強く惹かれたのは、私自身も似た体
験を持っているからである。私の場合は、ある病気で呼吸不全に陥り、
余命が持つのは今日か明日かという時に至ったとき、完全に死を観念
したことがある。その時、不思議な静寂に包まれたように気分が落ち
着いて、呼吸の苦しさが軽減し、やはりバッハの音楽が静かに自分を
とらえていた。その曲は「フーガの技法」であり、晩年のバッハが未
完成で終えた最後の旋律であった。私もバッハが特に大好きで、その
音楽を心の糧だと思っている。吉田満とは状況が全く違うが、彼の末
期の経験は、死の深淵を覗いた者の忘我から出たものだということは
わかるのである。戦艦大和の存在は、日本的霊性の具現を強く感じる
とともに、頗る神秘的でさえある。そして、その格調高い存在感は、
人類至宝の音楽芸術であるバッハにも共鳴する神秘性を持っているの
である。従って、吉田満が大和の轟沈場面に遭っていた時に、末期の
忘我の中にバッハを聴いたことを書いていたことには何ら違和感も感じ
ないどころか、戦艦大和の最後に際しては、実に調和的なエピソードで
あるという印象を受けたのである。

 末期の眼は、それ自体が人間というものを根源的に問う意味では非
常に興味深い一つのテーマなのであるが、ここでは戦艦大和が主題で
あるから、それに即してこの話題を関連付けることにする。私が今、
言おうとしていることは、人間の感情の中で、ふと稀に湧いてくる非
個人的な感情のことである。それは無論、末期の眼だけではなく、前
述したデジャ・ブ心理やプルースト的な現象など、人それぞれに、い
ろいろとあるに違いないのである。それがどんな類のものであっても、
共通して言えることは、それが非日常的であり、没我的であり、視野
狭窄的な現在性を越えている感情であるということなのである。

 その非個人的、超個性的な感情も、結局は個人が感じているという
部分では、すべて個人的な感情に含まれることになるのであるが、言
いたいことは、私的な感情のほかに、個を超えた、より大きな次元の
感情の存在を自分なりの言葉で示したかっただけである。かつて、こ
の超個人的、超個性的な感情に強い興味を持ち、さまざまな文学者や
世界の偉人などを、その感情だけに焦点を当てて特異的に、体系的
に研究しようとした作家がいる。それはコリン・ウィルソンという英国の
作家であり、彼は今から50年くらい前に「アウトサイダー」という著書で
一躍有名になった人である。彼の博覧強記な興味の対象はあらゆる
分野に及んでいた。彼は、非日常的なその意識の拡大を、人間心理
の未知の機能領域として当時、X(エックス)機能と呼んでいた。

   (続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月15日 (日)

戦艦大和(4)◎末期の眼と歴史の背骨(一)

   戦艦大和(4)◎末期の眼と歴史の背骨(一)

   浮上せよ大和、祖国蘇生のために

       ◎末期の眼と歴史の背骨(一)

   人はさまざまな感情を持つ。その感情には、日常、慣れ親しん
でいる喜怒哀楽、愛情、友情、恋愛感情などの個人的なものがあ
る。私はもう一つの非日常的、非個人的な感情もあると思っている。
それは、たとえば、マルセル・プルーストの「失われし時を求めて」
に書かれてある紅茶にまつわる「プルースト効果」などがある。こ
れは主人公がマドレーヌという菓子を紅茶に浸した時、その香りが
触媒となって、突然、幼年時代の思い出にトリップしてしまうという
類の感情のことである。匂いだけではなく人間には、何かをきっか
けとして、急速な意識の拡大に導かれる根源的かつ郷愁的な感
情領域が確かに存在するようだ。初めての場所に訪れたときにふ
と感じる「以前、確かにこの光景は見たような気がする」というよう
なデジャ・ブ感覚などもそうである。歴史学者のA・J・トインビーも、
古代遺跡に佇んでいたとき、そういう種類の強烈な過去ビジョンを
体験しているエピソードは有名である。

 「失われし時を求めて」の場合は、時間を飛び越えた形での不連
続な意識の投射であったが、このような意識の超常性にはいろいろ
な形があると思っている。その中で、特に日本人に知られていて親
しみやすいものに「末期(まつご)の眼」というものがある。比較的有
名なものは、芥川龍之介が死を目前にして書いた次の言葉である。

 『・・・唯自然はかく云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自
  然の美。いのちを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふ
    であらう。けれども自然の美しいのは、僕の末期の眼に映るか
    らである。』

 死期を察知した人間にしばしば訪れる「末期の眼」というものは、
そういう非日常的な意識の一つである。印象に残っている事例を
挙げれば、日本画家である故東山魁夷画伯も、その自伝的著書
「風景との対話」に、その経験を素直な表現で記している。終戦間
近に召集を受け、爆弾を抱えて戦車に肉弾特攻する訓練を受けて
いた彼は、絵を描く望みはおろか、生きる望みも完全に喪失してし
まった。すべての望みを完全に失った瞬間、普段見慣れた何気な
い辺りの風景があまりにも美しく輝いて眼に飛び込んで来たそうで
ある。普段、特に眼にも止めなかった肥後平野の彼方に映る阿蘇
の裾野の広大な風景が、圧倒的な生命の輝きを帯びて、自己の眼
前にその荘重な存在を開示してきたそうである。

 彼はその意識を「末期の眼」だと言っており、風景画家として生涯
を貫く自己の美意識の在り方を発見したというようなことを書いてい
る。東山画伯の最初の日展入選作が、「残照」という題の風景画で
ある。それは高峰から残照に輝く遠くの峰々を望見した広角的な風
景画であり、その作品自体が彼自身の内的覚醒(末期の眼)を髣髴
とさせる心象風景であったように思えた。

 このような体験は何も特殊な人々だけではなく、ほとんどすべての
人間には内的体験として普遍的に起こっていることなのではないだ
ろうか。ただ、それを重要な体験として記憶する人がいる一方、それ
を瑣末なこととしてほとんど歯牙にもかけない圧倒的多数の人々が
いるということなのであろうか。実は、「戦艦大和ノ最後」を記した吉
田満も、その著書の中で末期の眼を詳細に記録している。戦艦大和
沈没時の地獄絵図に立会い、重油と破片の海に投げ出された時、
吉田水兵は明らかに末期の眼に相当する意識状態を体験していた
のである。その記述は人間の生存極限における一つの意識事例と
してきわめて興味深いものである。

    (続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月14日 (土)

戦艦大和(3)◎欺瞞のパシフィズム

       浮上せよ大和、祖国蘇生のために(3)

     ◎欺瞞のパシフィズム

 戦艦大和と現行日本国憲法に、いったいどんな相関関係があるの
かという疑問を抱く人々に言いたいことは、戦後の日本人は、平和と
いう言葉をキーワードに、脇目も振らずに経済の発展と親和的な
交に勤しんできた。平和というキーワードさえ金科玉条のように唱え
ていれば、万事はよい方向に向かうだろうと素朴に思い込んだまま、
戦後の60年を一気に駆け抜けてきた。戦後の日本人が60年間、そ
の胸裏に抱き続けてきた平和への希求、願望とは、日本人にいった
どれほどの充足感を与えてきたのだろうか。私はこれに対する答
えに否定的にならざるを得ない。

 戦後の日本人が確固として保ち続けたと思い込んできた、いわゆる
指標として一途な平和主義は、言うなれば道義とはかけ離れた、き
わめて空疎な観念であった。毎年8月の終戦記念日になると繰り返さ
れる平和への祈念は、その言挙げ的位相から深く読み取るならば、巨
大な欺瞞と呼べるパシフィズムに他ならない。それは広島の原爆慰霊
碑に刻まれている『安らかに眠ってください あやまちは繰り返しませぬ
から』という碑文に象徴されている。かなり以前から、この碑文には主
語がないことが問題視されているのだが、広島市は一向にその問題に
対処しない。主語のないこの文を、読んだままの印象的文脈で解釈
すると、安らかに眠ってくださいと祈る主体、つまり、我々日本人があや
まちを犯したから原爆が投下されてしまったという文意になるのは明白
である。ここでは原爆を投下した主体のアメリカは、罪責を免れていて、
投下された日本人が懲罰的に悪人扱いされているのである。これは
歴史的な真実の悪質な歪曲である、この状況下で「平和への祈り」
を行うことは、犠牲者の御霊と天に対する冒涜に他ならない。はっきり
言って、東京裁判史観を全肯定する感覚で犠牲者の慰霊や平和祈願
を行っている今の現状は、国民や国家、先祖に対する大冒涜である。

 この欺瞞の平和希求の形は、広島市だけに限ったことではなく、敷
衍的に言って、戦後日本の平和感覚を完全に囲繞しているのである。
戦後の日本人がなぜ誇り高く、力強くなれないのか、なぜ生きることに
充足感を持てなくなっているのか。それは、歴史から浮遊したパシフィ
ズムに魂を蚕食されているからである。現行憲法の前文に書かれて
ある世界のパシフィズムという、あまりにもいかがわしい前提を日本人
は見て見ぬ振りをし続けている。前文にある下記の世界認識を、60年
間も放擲してきた我々の精神的な佇まいに、少しでも肯定的な評価が
下せるのであろうか。

『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配す
 る崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国
 民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよ
 うと決意した。

 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して日本人の生存を確
保すると謳っているが、どこにそのような愛情深く誠意あふれる国家が
あるのか、馬鹿も休み休み言えと言いたくなる。しかし、恐ろしいことに、
の脳天気な前文は60年間も休み休みしたままなのである。武放棄
すれば平和になる世界ならば、戦争も紛争も起こらないのだ。の世界
では、平和を維持するためにはポテンシャルの高い武装と戦闘能力が
絶対条件なのである。これは理想論ではなく、単にあたりまえの理(こ
とわり)
なのである。平和を祈念するのは人類の理想ではあるが、国家
の魂
の入らない欺瞞の平和は、民族の内なる腐食につながる。民族に
が宿れば、その魂を守るためには、平和よりも防衛が優先されなけ
ばならない。国土と国民を防衛すること。これが何よりも優先されなけ
ればならない。平和とはその防衛力が万全である結果として生じる状
態を言う。

 魂の入った国土と、魂の入った国民を護ること、そして伝統の命を守
ること。これが国家の大義だと思う。この大義を守り抜くことこそ、国家
存立の目的なのである。大義を守り抜いてこそ国家は磐石になる。
大義を有しない平和などというものは滅びへの階梯に直結するだけで
ある。なぜ、今の政府や国民には防衛意識が希薄なのか。それは大
義を捉えていないからである。そうは言っても、この大義は、あの日、
あの時、戦艦大和とともに海中に沈んだのである。

     (続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月13日 (金)

戦艦大和(2)◎失われた戦前日本

     浮上せよ大和、祖国蘇生のために(2)

     ◎失われた戦前日本

 角川春樹氏はかつて、東シナ海に沈没している戦艦大和の探索に情
燃やし、ついには海底に横たわる大和を発見し、その遺影を撮影し
た。この経験からだろうが、川氏の大和に対する情熱は並々ならぬも
のがあったようである。彼が戦艦大和という、大日本帝国海軍、あるい
は大日本帝国そのものを象徴したような巨大戦艦にいったい何を見て、
何を感じたのかは推し量れない。だが、大和という実体には、戦後の日
本人が見失った何かしら重要なもの、亡失してはならないものが確実に
あることを、彼なりに確信したのではないだろうか。確信した上で、そこ
から現代に重要なメッセージを投げかけ、映像という媒体で今の日本人
に問いかけてみたい衝動が働いたのだと思う。

 戦艦大和という事跡には、戦後、すっかり封印されてしまった日本の
本質が余すところなく込められているのではないだろうか。平成の現代
になり、日本人は経済に、外交に、内政に、地域社会の機能不全など
に、まったくといっていいほど打つ手を見つけることができず、すっか
しょ
げきっている。この精神の凋落と退嬰には、日本人が日本人として
生きる心構えや希望の核となる「民族魂」を完全に失っていることにあ
る。西村眞悟氏はその日本なるの柱を「背骨」と言っている。この
言葉は「民族の魂」と置き換えてもけっして
間違いではないだろう。今
の教育や政治姿勢、あるいは企業姿
勢には、々と流れてきた祖国
の歴史を形成してきた民族の
「背骨」がまったくない。今現在、国家を
営する最高責任者としての小泉純一郎首相にもまったくない。ない
どころか、この不徳きわまる宰相は、わずかに残存する国家の背骨

米国の意に沿って圧し折る作業を推し進めている。この状況では我々
祖国日本はさほどの時間を要しないでその命運を滅びの道程に委
ねてしま
うだろう。

 誰しも祖国の滅亡を望む人間はいないはずである。日本が再び賦
活す
るためには、日本人一人一人の胸のうちにその背骨を取り戻さ
ければなら
ない。しかし、どうやってそれを取り戻すのか。戦後60年、
心ある有志たちが
強い憂国真情のもとにさまざまな意見や提言を繰り
返してきた。それはそれ
ぞれに有効なものではあったのだが、大多数
の国民には浸透するまでに至ら
ずに今日の低迷の闇をさまようことに
なった。戦後の国民は、極東国際軍事
裁判が生み出した置き土産を、
後生大事に国是にしながら、戦艦大和という日
本精神のかたまりを依
怙地になって封印し続けてきた。そして、凋落の極限
レベルまで堕ち
てしまった日本国民は、ついに、滅びの深淵を間近にして
族再生の
情念の炎が再び燃え上がる予感を示し始めたのである。この燎原

火の一つが今回の角川春樹氏の戦艦大和に賭ける情熱であったと
思う。

 ここに、水上特攻作戦を敢行し、一機護衛機もなく、敵機の重畳
爆撃によって海冥に沈んだ戦艦大和からの無言のメッセージが生き
てくるので
ある。戦艦大和とは今の日本人にとっていったいどのよう
な存在なのであろうか。この
疑問の答えを追い求めることは実は容
易なことではない。大和を如何に考え
如何に想うかに日本人の真
の歴史観の把握があり、さらには日本人本来
自己同一性が問わ
れるのである。

 昭和16年12月、日米開戦の一週間後に戦艦大和は就航し、その
半年
後には、大和級改良型二番艦である戦艦「武蔵」も登場してい
る。武蔵は
レイテ沖海戦で沈み、その半年後に大和も東シナ海に沈
んでいる。不思議
なことがある。戦艦大和も、戦艦武蔵も、超弩級バ
トルシップとして双頭
位置を占めているのだが、戦後、武蔵は印象
が薄く、大和は非常に強く日
本人の心に残っている。この差異はいっ
たいどういうことであろうか。その「大
和」という艦名が近代日本のた
どった宿命を象徴したということが大きいのだ
ろうか。大和(やまと)
というネーミングが戦後日本に投げかけている影響は
想像以上に絶
大だと思う。戦後日本は、皇統を維持しながらも、天皇の
神秘性、神
格性を完全否定するところから出発した。現行憲法前文は、
天皇の
存在を消して、国民主権を高らかに明示している。我々の戦後とは、
日本国神話の完全否定から動き出したのである。

 しかし、本来の日本人は、歴史的連続性から乖離した国民主権、
実際
は個人主権なのであるが、これを国是とすることにはまったく馴
染まない国民
性を持つ。国民主権が正当に機能するためには、歴史
の担保性をきちんと確保したところに憲法理念を求めるしかないはず
である。現行日本国憲法
による国民主権の概念は、歴史の背骨を否
定した
台から出発しているのである。すなわち、今我々が拝跪する
日本国憲法
には、その機能的効力は別にして、日本人の魂が宿って
いないことが最大の問題なのである。当然な
がら、魂の宿らない憲法
には真の遵法精神が生まれる
はずはないのである。真の遵法精神が
生まれない社会では子供は大
人の背中を見なくなる。これは当然のこ
とである。大人が自分の背中をして、自分の生き
た証としての歴史性
を示せない社会には真の教育は出てこない。

   (続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月12日 (木)

戦艦大和(1)◎角川映画「男たちの大和」を観て

        浮上せよ大和、祖国蘇生のために(1)

   ◎角川映画「男たちの大和」を観て

 今、角川映画・「男たちの大和/YAMATO」が劇場公開されている。
製作
総指揮の角川春樹氏は、広島県尾道市に、6億円を投じて全長
190メー
トルに及ぶ原寸大戦艦大和の撮影セットを建設したことでも
前評判は大き
な作品であった。物語は菊水作戦、つまり、戦艦大和
の出撃から撃沈され
るまでの水上特攻作戦を描いた作品である。

 この映画のストーリーは、辺見じゅん氏が、吉田満著・「戦艦大和
の最後」を下敷きに、大和の元乗組員たちの話を聞いて原作を書き
上げたものらしい。そういう下地があるわけなのだが、吉田満の「戦
艦大和の最後」に通暁する
空気と大分違う感じなのだ。原作と映画
に流れる空気や気配が異なることは
よくあることだと思うが、この映
画の場合、空気がまったく「戦後的」なのである。
私が、映画の属性
として一番求めるものは、作品に流れる空気の創出がきち
んとある
のかということである
。史実を元にして造ったものであるなら、なおさ
ら、
その時代の空気を醸成することはもっとも重要なファクターである。
これを欠い
ている映画は明らかに失敗作と言えるだろう。その意味
では「男たちの大和」
は、終戦間近の軍人たちや銃後の庶民たちの
雰囲気を捉えることに失敗し
ていると感じた。

 偉そうには言いたくないが、正直、自分は今まで角川映画をほとん
ど評価
していなかった。「犬神家の一族」、「野性の証明」、「人間の
証明」、「鎌田
行進曲」など、いろいろなヒット作品はあったのだが、自
分にとっては興味の対
象外というか、正直、角川映画にはあまり惹か
れるものは感じなかった。今回
の「男たちの大和」も、時代考証的に
はともかく、一番大事な時代の雰囲気
を再現することにおいて、あの
「戦国自衛隊」と同様に失敗していると思った。
そうであるならば、こ
れは邦画作品としてはまったく無価値な作品として全否
定に値するも
のなのかと言えば、けっしてそうではない。ある一点だけにおいて
この
映画は画期的なのである。そのことはあとで述べて
みたい。


 実物大の大和のセットで撮られた攻撃機との戦闘シーンは迫力があ
ったが、
吉田満の体験記に出てくるように、人それぞれ、さまざまな死
に様があったは
ずである。3300名を乗せた大和の出撃は特攻作戦と
して死での旅路を覚
悟したものであった。それなら、兵員が艦上玉砕
をしたとき、なぜ一度も「天