戦艦大和(6)◎日本人を囲繞する史観
戦艦大和(6)◎日本人を囲繞する史観
浮上せよ大和、祖国蘇生のために
◎日本人を囲繞する史観
前章で、「アウトサイダー」を書いたコリン・ウィルソンの例を持ち
出したのは、話がややこしくなるので不適当だったかもしれない。
人間の感情もそうだが、意識の在り方にもさまざまな様相があり、
何かを理解するという事柄は、そういう意識性によって行われる
からである。人間の感情には、個人的な感情と超個人的な感情
がある。この勝手な分類が、はなはだ乱暴な試論であることはわ
かっているのだが、そういう前提を作って置かないと、戦艦大和を
語ることは、かなりむずかしいことになってしまうのである。
人間が過去の歴史のある事象を理解しようとすることは、一筋
縄ではいかないややこしさ、やっかいさがある。歴史事象を解釈
することは、解釈する視点によってかなり異なる意味が出てくる場
合が多い。よく歴史の真相はこうだったという言い方を耳にするが、
一つの歴史事象には、観る者の視点によって複数の局面が開示
されることがある。大東亜戦争も、さまざまな位相が複合的に交錯
しているので、一面的な言い方では捉えがたい。
明治から平成の今日まで、日本人が自国の歩んできた歴史を観
る見方、すなわち史観というものは、大雑把に言って四種類存在し
ている。一つ目は進歩史観である。この史観は戦後、もっとも多くの
日本人を囲繞しているもので、いまだに数多くの日本人の指標とな
っている。いわゆる進歩的な知識人とか、進歩派という言い方に凝
縮され、マルクス主義者が唱道した歴史概念である。しかし、これ
を世界観という思想形状から抽出していくと、その起源はマルクス
・レーニンよりもかなり以前のヨーロッパにその源流を見ることがで
きる。たとえば、その起源になる源流の一つに、18世紀、フランス
のコンドルセの書いた「人間精神進歩史」が上げられるだろう。啓
蒙主義から発展した彼の理念的進歩の幻想は、すでにマルクス
史観と似た階級概念の萌芽を持っていた。戦後日本における進歩
史観の筆頭には丸山真男が上げられるだろう。
アメリカを盲目的に全肯定してけっして批判も反意も示さない自称
保守派の連中がいる。小林よしのり氏などは、彼らのことをポチ保守
と呼んでいる。彼らも世界観という概念から見れば、完全に東京裁判
を肯定する立場にあるので、進歩史観派に属する。その実態は明ら
かに左翼メンタリティである。
二番目の史観としては、明治から日露戦争までは日本の行き方は
肯定されるが、日露戦争後に一気に驕り高ぶり、その後、日本は露
悪的に変質して行き、特に太平洋戦争(大東亜戦争)では日本は完
全に間違った方向にベクトルを向けてしまったと指摘する歴史観が
ある。「坂の上の雲}を書いた司馬遼太郎が唱えた「司馬史観」であ
る。
三番目は、自由主義史観である。藤岡信勝氏や渡部昇一氏のよう
な理性的保守派であり、日本の自立性や主体性を強く主張するが、
戦前の皇国思想には批判的である。この派に属する人と、上述の進
歩史観にある人とはダブっている場合が多い。それはアメリカを肯定
して、その世界観をイデオロギー的に自己の思想に捉える輩であり、
日本人でありながら、アメリカの自由主義を首肯する感覚は、皇統の
の重要性をまったく認識できない似非保守連中である。
四番目は、国粋主義史観である。これは非常に数が少ないが、系
譜としては、明治の熊本敬神党、昭和の2.26事件の青年将校たち、
戦後では三島由紀夫などが上げられるだろう。戦艦大和の航空的な
無護衛特効の真の姿は、この一派の精神をある程度理解しないとほ
とんど知ることは不可能だと私は思っている。三島由紀夫は昭和27
年版の、吉田満著・「戦艦大和ノ最後」に、短くも簡潔な跋文(ばつぶ
ん)を寄稿している。それはあとの展開で紹介しよう。
ざっと見ただけでも、これら四つの史観が混交してる上に、韓半島
やシナにシンパシーを感じて、自国悪玉史観に染まっている日本人
も多くいる。こういう混交的な史観が日本にはあるが、中でも進歩史
観は、戦後日教組などによって精力的に国民に植え付けられてきて、
日本人を自虐的な心持ちに変えて行ったのである。保守化してきた
と言われている現在でも、日本人のマジョリティを占めている歴史感
覚は、ほとんどがこの「進歩史観」に毒されているのである。戦艦大
和を、全く無駄で無意味だった歴史のモニュメントとして一言の元に
切り捨ててしまう連中もこの一派に多い。進歩史観については、文
明論的に話したいことが多々あるが、今回はこの辺で抑えておく。
(続く)
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