自爆テロも特攻も米英なくしては生まれなかったのだが・・。
今、イラク国内は内戦状態にあるようだ。暫定政府ができて、
一応は選挙経験を有した政府になったが、とても安定した政府
とは言いがたいお先真っ暗な状態である。イスラム教シーア派、
スンニー派の宗派対立は、もはや内戦といっていいほど激化し
ており、駐留米軍に対してもイラク人の怨念は増大している。混
沌、無秩序社会が強まるばかりの現状である。本格政権樹立ま
でにはまだまだ遠いだろう。自衛隊はもう関わらないほうがいい。
アメリカの同盟国家とは言ってもイラク侵攻に加担する道理はな
い。
昨日のニュースで、国内の六割を占めるシーア派の一部政府
組織が、スンニー派の国民を捕まえて拷問したり、殺したりして
いる状況を報道していたが、我々日本人では到底考えられない
ような凄惨な拷問と殺しをしているようである。生きたまま、頭に
回転しているドリルの歯を刺して殺したり、股から首にかけて一
直線に切り裂いたり、無残この上ない殺し方をしている。この人
たちは、わが国の特攻のみならず、シナで起きた通州事件も参
照しているのか。
アラブの民は、もともとベドウィンと言って、家畜を放牧しなが
ら、あちこちを行き巡る不定着の生活を送っていた伝統がある
から、農耕社会的な日本民族とは当然ながらかなり性格は違
っている。我々日本人から見れば、他者や生き物に対して、残
酷になる時は徹底しているのである。遊牧民の伝統生活にお
いては、家畜を屠殺し、骨を断ち切り、皮を剥ぐ習慣が身に染
み付いているから、彼らはナイフの取り扱いが巧みだし、血に
は慣れているのだろうが、同胞に対しても似た感覚でできると
いうのだろうか。
私自身、サウジアラビアで七ヶ月暮らしてみて、周辺アラブ国
のアラブ人と一緒に働いた経験があるが、彼らが怒ったときに、
尋常じゃないものを示したことは記憶に残っている。宗教的な侮
蔑を感じた時や、親を馬鹿にされた時などの彼らの怒りは大層
凄まじいと現地到着時に聞いていた。自分はその方向で彼らと
トラぶったことはないが、給料計算の誤解で恨まれたことは一度
ある。私は当時、プラント・エンジニアだったから、装置設置関係
の仕事でしかアラブ人と関わらず、金払いのことにはまるでタッ
チしていなかった。私が使っていたあるアラブ人は給料を私に減
らされたと誤解してしまった。
勘違いだということを説明するために、拙劣なアラブ語で必死に
食い下がってはみたが無駄だった。そのあと、私はたちの悪い日
本人として割の合わない弾劾を受け、ナイフまでちらつかされて
往生したことがある。だからこそ、最近騒ぎになった回教創始者で
あるマホメットの風刺画に、アラブ社会が全体的な怒りを示した時
は、まさにさもありなんと思った。信仰心が篤いことは尊敬に値す
るが、我々の育った教育環境や神道的社会感性からすれば、信
仰的な部外者に対しては許容性がかなり狭いと感じる。その不寛
容は今の宗派間対立に顕著に出ている。
(SAUDI ARABIA RIYADH 郊外にて 後ろの動物はベドウィンの羊 1980年)
私個人は、イラクに対して、アメリカの一方的、かつ暴虐な軍
事侵攻が今日の混迷の事態を招来したことについて、大きな憤
りと同情を感じている。しかし、今、生起しているこの宗派間対立
が、あるイラク人が述べていたように、アメリカ及び、イスラエル
諜報機関の画策であるとしても、(多分そうなのだろうが)同じ民
族同胞に対してここまで憎悪と残虐性を示すことには根底から抵
抗感がある。不思議なのは、アメリカの暴虐性を心底から感じて
いるはずのイラク人なら、宗派の違いを超えて心を合わせるのが
普通だと思う。同じ歴史的な逆境に生きるイラク人であれば、む
しろ団結して当然の成り行きであろう。それがたとえ、西側の諜
報機関の画策があったとしても、なぜ憎悪を増大する反対の方
向に行くのか理解しがたい。それだけ、謀略的破壊が巧妙だと
いうことなのか。アメリカの侵攻意図は、イラクに軍事的橋頭堡
を築くことによって、石油利権確保とイスラエル共和国防衛とい
う二つの意味合いがあるのだろう。
聞くところによれば、少数派であるスンニー派アラブ人は、前フ
セイン政権時の裕福な北部アラブ人が多いそうである。その権
益を守ろうとする一部北部のスンニー派が、フセイン政権壊滅後
に恨みを晴らされていて、あとの大多数のスンニー派はそのとば
っちりを受けているのだろうか。しかし、そうだとしても正直、残酷
すぎると思う。これが生命の育たない砂漠で生き抜いた民族の正
直な姿なのだろうか。この辺は、緑溢れる豊穣な生命空間で歴史
を育んできた我々日本人がうかがい知れないところである。
これはアラブ人を差別しているわけではない。アラブ人は日本人
とは歴史も民族性も大きく異なると言っているのである。私がアラ
ブ過激派の自爆テロと日本の神風特別攻撃が質的に異なると考
える所以はこういう歴史性の違いにもあるのである。精神風土が
違うのである。この差異が環境風土から来ているのか、人種的な
血脈性から来ているかはわからない。アラブ人は宗教の民族だと
は言えるが、決して和の民族ではないのだ。そういう違いを持った
アラブ人が、日本の特攻を取り入れて自死攻撃をやることは理解
はできるが、それが特攻隊員の末期の精神性と同質であるという
ことは断じてない。自爆テロは行為の始めから完結に至るまで血
なまぐささが付きまとっている。
アラブ人も、マホメットが布教するまでは異教徒だったはずであ
る。布教が浸透してイスラム教徒になったのである。彼らの信じる
神の経綸の中で、異教徒にも改宗させてアッラーの偉大さを広げ
ていく展望があるとするなら、そして、テロ行為が新たなる時代の
あらたなる戦争形態だとしたら、その「無差別性」が未来の回教
徒を殺しているとはなぜ考えないのだろうか。そういう観点からも、
人の命を無差別に奪うことは、はたして神の所業に適っているこ
とだろうか。はなはだ疑問である。
イスラム過激派の自爆テロと特攻隊を、どっちも同じ戦争行為
じゃねーのか、という、「戦争」という単一概念で括り、同質性を
アピールする感覚は、小泉純一郎の単純きわまる愚劣な二項
対立とどこかしら共通した愚昧さを感じるのである。余計なこと
だとは思うのだが、アラブ人には祖国感情が必要だと思う。彼
らのそれに相当するのはアッラー一筋であろうが、現実に国家
が危殆に瀕している今、祖国感情を盛り上げて真の敵アメリカ
に反旗を翻して欲しい。
イスラム社会が横暴覇権国家であるアメリカを憎む気持ちは
よくわかる。歴史的にも米英のアラブ侵略は是認できるものは
何もない。英国の有名なT・E・ロレンス(アラビアのロレンス)は
中東地域を好き勝手にかき混ぜたイギリスの手先であった。ま
た、特にアメリカは人類が産み落としたニムロデ王の再来であ
る。アメリカのユニラテラリズムとはバベルの塔そのものにほか
ならない。傲慢の極地を行く国家である。白人五百年の侵略史
の中で、白人侵略帝国の総帥国家であるアメリカにまともに戦
いを挑んだのはわが日本だけである。アラブ人が終戦までの
日本を英雄視してもそれは当然のことである。
対アメリカという意味では、私はイスラム社会にシンパシーを
持つが、無差別自爆テロという、ある意味哀しくもあり、残虐き
わまる報復方法しか取れないことと、わが国の特攻を同一視す
ることは先人たちの究極の武士道精神を汚すことになると考え
ている。特攻も自爆テロもどっちも「戦争なのだから」という不毛
のカテゴライズは、わが国の戦後を席巻したあのニヒリズムに導
くだけなのである。
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