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2006年4月27日 (木)

政権とともに変わる公務員さんの顔

我々一般の国民は、公務員さんに対して、日ごろ、どういう風に思って
いるのだろうか。正直、あまり意識していなかったというところだろうか。

 公務員とは「公」、「務」、「員」、すなわち公(おおやけ)の職務に携わ
る人である。直接、我々が公務員さんに日常的に接する場所は、たと
えば市町村役場であり、そこではさまざまな手続きを行う。一昔前は、
役場の公務員にしても、郵便局員にしても、旧国鉄の職員さんにして
も、公務員のイメージは厳格で取っつきにくい感じであった。まあ、公
務員さんと言ってもいろいろな種類の公務員さんがいるが、ここでは
イメージとして役場の公務員さんを念頭に置いている。一昔前は、国
民はお役所の職員さんに対し、少々の揶揄を込めて「親方日の丸か」
とか、応対に不快な思いをした人は「やつら、威張りくさりやがって」な
どと言っていたことがある。

 ところがである。押しなべていかつい感じだったこの公務員さんたち
が、いつの間にか豹変した。柔和になっていたのである。窓口はすべ
て訪れる人間に対して柔らかく親切に応対するようになってきた。なん
か奇妙だなあと思っているうちにどこへ行っても公務員さんは親切にな
っていたのである。

 国民は、そのおかげで市役所などに行く時の憂鬱感が大幅に軽減し、
役所は対人ストレスを受ける代表格からいつしか除外されていた。警
察署でさえもそうである。昔のお巡りさんは「おい、こら、まて」式のコワ
モテであったが、最近のお巡りさんにはそういう態度を取って市民に嫌
われたら大変だということで始終ニコニコしているようだ。

 私は齢五十を過ぎてふと考えた。これは、日本に民主主義が根付き、
いわゆる「お上」が国民に対して、支配的に威張る時代は過ぎ去り、一
般国民も公務員さんも分け隔てなく、民主主義社会の中で、お互いの
人格や権利を尊重し合ういい時代が到来しているということなのだろう
かと。すぐに、いや違うなこれは、むしろ逆だなと気づいた。

 時代を通暁して公務員さんと国民の関係を見ると、そこにはお上、す
なわち国家と国民の関係性の変遷がはっきりと見えてくるのである。何
も難しいことを言うつもりはない。ことは簡単である。公務員さんが親し
く感じ、全般的に国民に対して親切になり、威張った人々という印象が
抜けている今の世相とは、怜悧な見方をするなら次のことが言える。

 戦後民主主義による個人主義が、人々の価値観を個の自由に収斂さ
せ、個の自由はいつの間にかミーイズムに取って代わられた。その結果、
国民は、自己が公(おおやけ)と連続しているという意識を大幅に希薄化
させてしまった。公というのは規範であり、秩序であり、社会性である。そ
の公が、漸減的に溶解へ向けて進んできたのが、昭和の終わりごろから
平成の今にかけてである。この公(おおやけ)意識の溶解が漸減的に進
んだことと、公務員さんの柔和な態度現出は、明らかに相関関係を持っ
ていたのである。

 私は思う。国家とは、国民の存在理由(レーゾンデエトル)を与えるため
の秩序であり縛りである。それは過去の歴史の積層という連続性から成
り立っている。つまり、人々が自由に幸せに生きる保証を与えてくれる大
きな枠である。この確かな枠があってこそ、国民はのびのびと個人生活、
そして社会生活が送れるのである。おおやけの最大公約数が国家であ
る。私の言いたいことはこうである。国家というものが磐石であってこそ、
国民は「ちゃんと生きる」よすがを持つことができるのだと。

 ただ、重要なことは、この国家という枠が、国民の幸福の根幹である存
在理由を与えるためには、十分な歴史性を背負っているという条件があ
る。つまり、先祖たちの弛まない営為の集積と時間の流れを土台にして
国家というものは意味を持つのである。今の日本人は国家を背負ってる
のだろうか。戦後、我が国は外部からいきなり不慣れな世界観を付与さ
れた。それは、西欧近代主義によって生み出され、アメリカによってソフィ
スケートされ先鋭化された「民主主義」というものである。先鋭化された
という意味は革命を経て出来上がったものという意味である。当然なが
ら、この革命民主主義の本質は伝統時間の集積を全否定する。これが
戦後の日本から日本らしさが漸減し、今まさに消滅の前夜に立たされて
いる主な理由である。我々が憧れたアメリカのモダンな世界観というの
はそういう日本破壊の型を持っていたということである。

 国民は国家を背負い、国家は国民を背負う。この相補関係は歴史の
連続性によって担保される。戦後の日本人は国家を価値否定し、それを
背負うことをやめた。その結果、概念としての国家は希薄化し、国家は
日本人、つまりは国民を背負えなくなってきている。これが日本国民を
囲繞する真の危機である。これから脱出し、国家という概念に実体性を
取り戻すためには、歴史のレジティマシーを日本人の心に甦らせること
である。つまり、神話が示すアーキタイプを再び心に確立することである。
何も難しいことはない。神武から連綿と続く天皇を中心とした国体観念
を持つだけでそれは見事に復活するのである。なぜなら、先祖が踏襲し、
次代に引き継いできたことを我々も踏襲し、また次代に引き継ぐというご
く自然だった日本人の在り方に戻ればいいだけである。今の日本人が
元気がない真因は、国家のあり方を見失ったために、自己の顔さえも
のっぺらぼうのようになんだかわからない顔になっていることにある。

 この話から、公務員さんを見つめなおしてみると、ある帰趨にたどり着
く。それは、公務員さんが厳格であって欲しいということだ。親方日の丸
をしっかりと背負って欲しいということだ。国民に対しては憮然と応対し
ていてもよい。埴輪や能面の顔をして窓口業務を行っても良い。頼むか
ら公務員さんは国家の権威を代行しているという強い誇りを持って仕事
をして欲しい。警察官は昔のような近寄りがたい威厳を回復して欲しい。
たとえば、いきなり現れたら、子供が思わず泣いてしまうような警察官
の方が安心だ。たとえば鬼平のような。それでこそ治安は守られる。

 私は、日本の公務員がコワモテ顔になることを望む。公務員さんと関
わる国民はおどおどとその顔色を伺うような感じになって欲しい。公務
員さん、つまり、官吏の皆さん方が取っつきにくいということは、国家が
確かであるという証左なのである。今の国民は、公務員が所得の面で
も、福利厚生の面でも格段に優遇されていると感じ、羨望の念と若干の
怒りを持って眺めている人たちは多い。しかし、これはとんでもない言い
がかりなのである。公務員さんは好不況に関わらず、身分と所得は充
分に保証されてしかるべきであり、退職後の保証も一般国民よりは格
段の恩恵を受けて当然である。それほど、公務員さんの仕事は厳格で
大切ものなのである。

 公務員さんが厳格で鬼瓦のような表情を持つ国の国民は幸せであ
る。不幸せなのは、公務員さんが揉み手をし、破顔一笑して、桂三枝
のように「いらっしゃあ~~いっ」と迎えるどこかの国である。それは
国家が溶解していることを、この目で確かめてしまうというつらい現実
なのだ。

 国家とは厳格な秩序である。その国家の権威を代行する職業は、そ
の秩序を体現する任務を背負うわけであるから、おのれの生き方を律
し、けっして悪いことはしないという自律的な精神を保持する宿命を持
つ。これが国民に安心感を与えるわけであり、そのことによって国民は
おのれの生活感を確かに獲得できるのである。

その意味で公務員さんの役割は大きい。公務員さんが悪いことをしな
いということは、それだけで国民の倫理規範の涵養になるのである。
母親が子供と役場に行く時、子供は道徳のモデルを公務員さんに見る
ことだろう。子供は思う。あの人たちは怖い顔をしているが悪い人では
ない。家庭とは違う何か別の大事な事をやっているんだな、だから近
づきにくいんだなと思うのである。

 ここに、子供たちとおおやけの接触がある。学校は駄目である。先生
に公がない。なぜなら、先生は「国家は悪いことするんだぞ~っ、公は
野放しにすると戦争するんだぞ~っ」と教育するからである。子供をの
びのびと育てよう、人格を認めて大事に教育しようとして子供たちから
石を投げられ、火傷を負わされる。そこで、先生は言う。「公徳心が必
要だな、こりゃ」と。あんたらが公を駄目だと教えたんじゃないのか。最
も日本的なる公と隔たっているのは先生方かもしれない。その代わり、
彼らは新しい公になっている。すなわち、それは「先公」という呼ばれ方
をする威徳のない「こう」である。

 これを読まれた方々は、公務員さんの顔つきと「おおやけ」の話の関
係か、ふ~ん、そういうのどかな見方もあるのか、じゃあ、これまでの話
で、特に「落ち」はないんだなとお思いだろう。落ちはあるのである。

 
     さて、ここからが落ち話。

 ニコニコ顔の公務員さんが、ふたたびいかつい顔になるような兆しがあ
る。だがそれは私がくどくどと述べたような与太話ではない。小泉路線と
は、日本をアメリカ型に造り替える完全なる売国路線である。その行き着
く姿は、極左急進的な無政府状態である。それは新自由主義という一種
のルソー教に基づく日本国家のインスタント食品化だからである。

 アナーキーとは限りのない「自分」のことである。限りのない自分が何
人か寄せ集まれば、そこは無政府空間である。これが我が国に起ころう
としている。すると、今の政府、つまり、小泉を筆頭とする新自由主義者
たちの集まりは必ずこういう仕掛けを施す。

 この無秩序は警察権力できちんと治める。警察は反乱分子の国民を
なるべく効率よくお縄にするように、そして公務員は、盗聴盗撮しても良
いからしっかりと国民を監視するようにという号令が下される。その一つ
のはっきりとした兆候が共謀罪法案である。法務省の説明は、国連総
会で採択された越境組織犯罪防止条約の国内法化のためだと言う。マ
フィアとか蛇頭などのはっきりした犯罪組織なら意味はわかる。

 しかし、法務省が準備した法案の中身は、国際犯罪を指定する越境
性はなく、対象範囲が国内のサークルや結社や会社のようなごく普通
の組織性を範囲にしているように思う。国際犯罪防止というよりも、これ
は明らかに国内に焦点が向けられており、その意図は犯罪を未然に防
ぐことではなく、現政権批判を封じる言論統制にある。つまり対象のター
ゲットはただの国民なのである。国民を組織犯罪から護るという触れ込
みで、実は国民自身の言論表現をがんじがらめにする目的がこの法案
である。戦時下の危急存亡時ならいざ知らず、こういう準平和状況で、こ
のような治安維持法的な思想を持つ法案が策定されるということは、内
閣がファッショ化しているという確かな証拠なのである。また、マスコミが
この法案成立を側面援護している。つまり、他のニュースを執拗に拡大
再生することによって、この危険な法案の審議過程と成立に煙幕を張っ
ているのである。本当に悪質極まりない。

 私が、小泉純一郎という男を、なぜ売国宰相、国賊と呼ぶのかその
輪郭が見えてきたと思う。小泉は日本の国柄を破壊して、新自由主義
社会を打ちたてようとしている。新自由主義とは思想的に国家を無政
府状態に置く。「小さな政府」とは、煎じ詰めれば無政府社会のことで
ある。そしてこのイデオロギーの行き着くところが夜警国家なのである。

 今、なぜ「共謀罪法案」かと訝っている人たちはこれで疑念が晴れた
と思う。これは小泉構造改革路線の必然的な帰結なのである。何の不
思議なこともない。直視した方がいい。我が国は小泉たちの奸策によ
って夜警国家に堕そうとしている。加えて、完全監視社会、密告社会
がこれに付随する。夜警国家とは、新自由主義社会が遷移して極相
化した社会のことである。そこには究極の格差二極分解構造が現出
する。この典型的なモデルがアメリカである。それは、この間のニュー
オリンズ・ハリケーン被災で世界にまざまざと知られてしまったことで
よくわかると思う。日本もこのまま小泉構造改革を推し進めて行けば、
持てる一割の富裕層と、赤貧洗うが如しの持たざる九割の貧民に分
極化するだろう。

 どうであろうか。前半の話は冗談ぽく書いたのだが、後半の落ち話は
リアルそのものである。小泉改革は軸足を矛盾した二つの考えに置い
て国民を騙し続けている。一つは「小さな政府万歳」とだけ言って、けっ
してその経済構造が新自由主義であることを言わない改革指針を持つ
こと。もう一つは、彼の靖国参拝に見える正統派保守主義の顔である。
もっともこの顔は保守のポーズをしているだけであり、その本心は極左
的かつ虚無主義的な色合いの濃い個人主義である。つまり、日本の歴
史性からは完全に遊離した欺瞞の保守主義なのである。靖国神社境内
を歩む彼の心には英霊は存在しない。

 小泉の悪質なところは、保守の顔をした急進的な国家破壊者だから
である。しかも、その目的は、アメリカ国益のために日本の国柄を積極
的に破壊していることにある。国民を恣意的に統制する人権擁護法案
が先送りになった。彼は今度は任期中に共謀罪の強引な成立を狙って
いる。我々国民は国家の命運が、この詐欺師の綱渡り的な一挙手一
投足で左右されている現実を把握しなければならない。

 ついこの間は、党議拘束までかけて皇統破壊を目指す皇室典範の改
正を企んだ。そのあとは人権擁護法案である。そして今は拙速に共謀罪
をごり押ししようとしている。今までの宰相で短期間にこのようなことをや
ったリーダーがいただろうか。小泉の政策行動のすべてが日本の完全
解体を目指しているのである。
 

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2006年4月26日 (水)

日本核武装の正当性と喫緊性(7)

◎北朝鮮の核武装も日本核武装の正当性の根拠

 中川八洋氏は、著書「日本核武装の選択」(徳間書店)の中で 、朝鮮半
島は今、昔のかなたに去ったはずの、明と李氏朝鮮の関係が復活しつつ
あると書いている。この動きは指摘されたとおり当たっていると思う。北朝
鮮と韓国の融和的関係が見えることと、米軍の韓国撤退の動きがあるこ
とからすれば、方向としては、韓半島の情勢は、昔のシナによる華夷秩序
に再び組み込まれつつある。今は大中華主義と言うのか。

 六カ国協議が事実上、進展しないことは、中共がいたずらに引き伸ばし
ているからである。中共の力と政治力をもってすれば、北朝鮮の核問題と
拉致問題は解決に向かうはずである。一向にこの協議が進展しないのは、
シナとアメリカのヘゲモニーがこの場でも火花を散らしているからである。
ホワイトハウスにおける、この間の胡錦濤(こきんとう)・ブッシュ会談でも、
ブッシュが胡錦濤に六カ国協議進展にシナが力を注いで欲しいと投げか
ければ、胡錦濤は「アメリカ側が条件を呑むことだ」と即座に言い放ってい
る。

 要は、シナは北朝鮮の核兵器を中心とした先軍体制を崩す気はまった
くないのである。こういう動きの中で、シナがアメリカと日本の同盟体制を
切り崩せば、難無く日本を掌中にできると考えていることは明らかである。
今の日本は、アメリカの胸三寸でシナへの供物になる方向へ向かってい
る。日本人はこの状況をほとんど認識していないように見える。米ソ冷戦
時代から今日まで、我が国は日米同盟、つまり、アメリカの核の傘下で生
き延びてきた。

 今、日本人が一番認識しなければならないことは、戦後60年という時
間をアメリカの核の庇護で保ってきた日本が、その持続性が担保されな
い状況に立ち入ってきているという大局的情勢をよく見つめることであ
る。前述したが、アメリカは、軍事、あるいは経済において、日本からの
総合的なメリットを得ることができなくなったと判断すれば、何のためらい
もなく日本をシナの掌(たなごころ)に明け渡す。たとえば、沖縄の兵力を
削減して、グアムに移転するという動きも、軍用機の航続距離が格段に
伸びたことや、高速性能、電子的戦闘能力の革新的な進歩が新しい段
階に入ったことを示している。トランスフォーメーションは地域的な戦略性
だけではなく、技術的イノベーションによる戦闘思想の高度化もある。

 つまり、原潜配備や航空能力、衛星システムの格段の技術革新から、
ハード及びソフト面における戦闘システムの進化が、日本の地政学的な
重要性を低下させてきていることは事実である。日本を東アジア制圧の
軍事的橋頭堡と捉えなくてもよい時期に移ってきているのだ。日本にと
ってこの意味は重大である。我が国が検討に入っているミサイル防衛
MD(Missile Defense)構想であるが、中川八洋氏が言うように、防衛庁
が国内向けに、MDによるミサイル迎撃率が百パーセントであるかのよ
うな幻想を振りまくのは百害あって一利なしである。

 たとえば、実際の迎撃率90パーセントでも、ミサイルが核搭載であっ
たのなら、この迎撃率では壊滅的被害は免れないことになる。ところで、
小泉純一郎の対北朝鮮外交の本質は間違いなく亡国に向いている。
横田めぐみさん拉致に象徴される数百名に及ぶ日本人拉致は、その
事実が判明した時点で十分な開戦事由に相当するはずである。この
認識から日本は北朝鮮と対峙する以外に方向性はないはずであるが、
現内閣は国交正常化というとんでもない売国方針で行っている。

 北朝鮮の首領自らが、国家の拉致を認めているのに、謝罪もなく、
被害者を帰還させる意思もない。ここにおいて、日本の取るべきスタン
スは宣戦布告して北朝鮮本土を攻撃する以外に選択肢はないはずで
ある。然るに現内閣は、拉致問題を一般外交懸案にしたばかりか、同
胞を拉致拐取した明らかなる敵性国家を、友好という欺瞞で国交正常
化を達成する外交目標を持った。この内閣は、国の誇りもなく、国防の
概念もなく、被害に遭われた同胞への連帯感もまったくない棄民内閣
そのものである。

 小泉内閣は日本の国柄を破壊し、日本を米国の指令に従って市場
原理至上主義社会に転換したばかりか、同時に外交では、大々的に
国民同胞を拉致した北朝鮮を友好国として国交の正常化をはかるとい
う姿勢を示した。これだけでもこの内閣は国家犯罪的な内実を持って
いると断言できるのである。これは、民族主義者でなくとも理解できる
売国姿勢なのである。

 北朝鮮存続はシナの意思でもあることから、宣戦布告するなら、当
然シナとの軍事的対峙を覚悟して行わなければならない。ここにおい
て日本がシナの軍事覇権を抑止する方法は核武装しか考えられない
わけである。アメリカは国際的に、日本が同盟国である立場を鑑みて、
日本が自衛から核武装の意志を持つことには表立っては反対できな
いはずである。日本の周辺状況を見ればそれは明らかである。これに
アメリカが反対するとすれば、国際社会の顰蹙を買うことになる。

 しかし、敵性国家であるシナ、北朝鮮、韓国は当然大反対をするだ
ろう。彼らの言い分は、大日本帝国の軍国主義路線への復活阻止と
いう名目である。しかし、戦後60年、日本が帝国主義的な動きや兆候
を少しでも示したことがあるだろうかと日本が言った場合、国際社会は
それを首肯せざるを得ない局面に立たされる。つまり、シナ人や韓半
島人が日本の軍国化に反対する理由が国際社会に支持されうるのか
ということである。日本の軍国化とは言っても、それは国家が危殆に
瀕した時、普通の国家として、普通に武力を行使しうる軍隊を持つと
いう意味しか有さないが。

 極東国際軍事裁判は、当初は説得力を持ったのかもしれないが、そ
の後の日本の歩みをきちんと評価する限り、侵略の意図などというも
のは露ほども示さなかったことを、国際社会は判断せざるを得ないで
あろう。ここにおいて、シナや朝鮮のように、東京裁判史観を国際世界
に向けて再アピールすることは、国家の民度として恥と言う以外にな
いわけである。

 日本が核武装の意志を表明するにおいて、真に問題なのはアメリカ
の判断であろう。アメリカを説得する時、日本は東京裁判の理不尽を糾
弾することを保留し、自衛一本やりを主張することである。それで絡めて
行けばアメリカには国際的に反対する理由を持たない筈である。なぜな
ら、我が国はもっとも深い絆を持つ同盟国なのであるから。もし、アメリ
カが日本の提案に反対したら、大声でその理由を国際社会の前で問い
かければよい。

ただしである。アメリカがあくまでも頑強に反対した場合、前に述べた
ように我々は腹を括り、アメリカの太平洋正義史観の元凶、すなわち極
東国際軍事裁判の不当性を国際社会に向けて高らかに主張し、民族
存亡の決意を込めて核兵器の自主製造に取り掛かるのである。ここで
迷っても迷わなくても時間はないわけであるから、死地に出向いて浮か
ぶ決意をするのである。一番、悪質なのは、「急いては事を仕損じる」と
慎重を旨として結局、惰弱に溺れていく精神である。日本は慎重に様子
見をし過ぎて現状の体たらくを招いているのである。要するに、今の日本
で、慎重にとか、十分に戦略的になどと言うグループは、何もしないで
成り行きに任せようという謂わばヘタレ主義なのである。今、行動を起こ
せる者は民族の立場にあって深い憂慮を持つ者である。

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2006年4月24日 (月)

日本核武装の正当性と喫緊性(6)

    ◎終焉の漆黒か、あるいは黎明の希望の光か

昨年の郵政民営化総選挙時に兵頭二十八氏は言った。「郵政
民営化は瑣末な問題である」と。郵政民営化法はけっして瑣末
なことではない。それどころか、国家の命運を左右する重大な
内実を孕んでいた。この欺瞞的な法案の中身を一切検証させ
ずに国会を引き伸ばし、国民に向かって誠意ある説明をしなか
った小泉自民党の詐術的施政は、国家犯罪として追求されね
ばならない。その最大の追求ポイントはこうである。

 抵抗派、造反派と言われ、金権利権護持とレッテルを貼られ
たまま小泉自民党を追放された勢力が、ここ一番、踏ん張って
問題視した要点、すなわち小泉竹中案における郵政民営化の
中身に、350兆円の国益的な使用法の明確性という問題が生
じ、それが未解決のまま審議が滞った。許しがたいことは、そ
の審議停滞の原因は、小泉・竹中が質問の要点を無視し、あ
るいは他の方向に偏執的にすり替えたことにある。

 それのみか、民営化で生起する、郵貯簡保資金の運用時に
おける市場的なリスクについて、どういう方策を講じるのかとい
うごく当然な質問を一貫して展開させないように、反対の立場
をある者たちを、言論の場から締め出すという不逞な行動を取
ったことである。法案に反対した実に40名の自民党議員を党
外に追い出すということをしたわけである。民主政治の根幹が
この時点で取り返しの付かないレベルで破壊されている。

 小泉の一貫してとったこの非情さは、何によって支えられてい
るのだろうか。それは、彼が敵視したものの精神や背景を見れ
ば瞭然と見えてくる。それはひと言で言えば「日本」そのもので
ある。日本型のシステムを旧構造の腐敗性、遅滞性というきわ
めて短絡的で下劣なる二値論理志向で日本型構造の根幹を破
壊していった。謂わば、創造には破壊が不可欠だ、進歩には停
滞が敵だという単純明快なロジックだけである。

 この一見してわかりやすい旗振りには、恐ろしい落とし穴があ
った。それこそが、米国がかつて南アメリカ諸国やインドネシア、
ニュージーランドに略奪経済的進出を行った時の口癖なのであ
った。米国が経済侵入を行い、その国の富を金融工学的に効
率よく収奪する時に、米国が半ば強制的に打ち立てさせる国家
政策が、「構造改革」の呼び声であった。小泉構造改革の本質
とは、アメリカによる利益誘導システムを日本に打ち立てるため
の「露払い」なのである。抵抗勢力とレッテルを貼られた議員た
ちはそういう小泉の国売り政策を国民に伝えようとして必死に
戦っていた。郵政民営化、拙速すぎるぞ、待て。なぜもっと時間
をかけて慎重に事を運ばないのだと。

 民営化推進与党はそれに真摯に答えるべきであった。ところ
が彼らの悪質なところは、外資問題は適当にはぐらかし、そこ
に国民の目が向かないように、マスコミを動員し、反対派を既
得権益、利権保全、進歩に逆行する停滞派のようなレッテルを
貼って、彼らを徹底的に排撃した。すなわち「頭の古い守旧派、
造反派」というネガティブなイメージ操作を行ない、抵抗派とい
う言葉の連打で構造改革を否定する悪い者たちと位置づける
ことに成功したのである。

 そして、彼らの意見を世間に流布させないようにして、そのま
ま解散総選挙に持って行くという暴挙を行ったことである。テレ
ビがこれに最大限に協力したのである。やはり、映像によるイ
メージ操作の力は強大である。

 国民も、頭を冷やしてよく小泉改革を眺めていれば、内閣が、
構造改革の中身、つまりは、そのベーシックな経済理論をけっ
して説明しなかった理由と、小泉たちの真の目的が見えてい
たはずである。つまり、亀井静香氏、野呂田芳成氏、小泉龍
司氏、小林興起氏、城内実氏、平沼赳夫氏、森岡正宏氏、そ
の他の郵政民営化に反対する議員たち。これらの議員の方々
は、小泉施政の欺瞞を良く見抜いていた方々である。

 特に、前厚生労働政務官であった森岡正宏氏は、「日本会
議国会議員懇談会」の総会で、「戦勝国だけが正しくて敗戦
国だけが悪かったというのは誤りだ。東京裁判(極東国際軍
事裁判)が本当に正しかったのか、国民に訴え、世界にも発
信すべきだ」
と発言し、実に正当な歴史観を持つ議員さんで
あることが証明されたのである。このようなきちんとした歴史
観を持つ方が、日本を新自由主義の市場原理社会一辺倒
に塗り替える政策を行う小泉構造改革を非難しないわけが
ない。

 アメリカの対日圧力が隠微に文章化されたもの、すなわち
「年次改革要望書」の内実が小泉構造改革の本質なのであ
る。それは、アメリカ国益いっぽんやりの構造改悪を強制的
に日本側に押し付ける文章である。悪質なのは、詳細に及
ぶ日本の経済構造や慣習的商習慣を、ことごとく改造の対
象とし、それが実際に法案化されたかどうか確認するペー
パーまで出させるという念の入れようである。つまり、日本
側は逃げが効かないシステムに束縛されているのである。

 これはシナや韓半島からの教科書問題や靖国参拝問題
とは異なる、もっとも悪質な内政干渉なのである。その国特
有の経済システムや伝統的商習慣をこのように変えろとい
う言い方は、占領した宗主国そのものの物言いなのである。
まるで幕府が藩政に口を出すようなものである。それに阿
諛追従し、唯々諾々と従う内閣には国家を運営する資格が
ない。

 それどころか、重大な国家毀損という意味では破防法の
対象ともなるだろう。我々はそういう内閣を容認しているの
である。それでもいまだに支持率が50パーセント近いのは、
国民意識にアメリカ隷従が染み付いているからであり、小
泉たちの傀儡的性格(アメリカのパペット)が見えないから
である。国民精神に、東京裁判という誤った歴史のベール
が降りているのである。

 国民側におけるこの絶望的な事実こそ、小泉売国政権を
五年間も延命させていた真因なのである。この五年間で日
本はどれくらいの国富を失ってしまったかを良く調べた方が
いいだろう。しかも、その米国利益誘導システムは、これか
ら本格的に作動するのである。

 このあと、国の宝であり、国民の汗の結晶である膨大な郵
政資金が外資、要はアメリカ財政に組み込まれてしまうのは
火を見るより明らかなことであろう。今の日本が置かれてい
る冷徹な現実を鑑みて、日本を憂い、対シナ戦略にアメリカ
の強大な軍事力を恃む以外に手がないとするなら、時の日
本が取りうる唯一の方策は、この郵政資金を祖国のために
もっとも有効に使うことにある。

 その方策として、現政権に反旗を翻し、早急に郵政民営化
法案の実施を凍結するべきである。つまり、外資による金融
工学的なリスク市場に郵政資金を絶対に置かないようにする
べきである。以前にも述べたように、郵政資金がキャピタル・
フライトの形でアメリカに流れたら、日本はアメリカの核の傘を
まったく利用できなくなり、そのことはとりもなおさず、チャイナ・
リスクを時間的に早めることになる。チャイナリスクとは、シナ
による日本の軍事占領である。これを防ぐには、我が国が核
武装するしかないのである。

 アメリカという国は、収奪理念が本当の国是なのである。国
民は悟るべきである。日米安保は日本国富の自動収奪機構
としてしか機能していないという事実を。日本から絞り取れる
以上の利益確定が、シナに構築できたら、大国同士の取引か
ら、アメリカは日本をシナに売るというシナリオは非常に現実
的なのである。だからこそ、今、アメリカの核の庇護にあるうち
に核武装を可及的速やかに整えるべきである。この最大の国
家サバイバルに、郵政民営化を利用しない手はない。

 それにはアメリカの垂涎の的である郵政資金を、アメリカに
対等の立場で貸し付けることである。その場合、当然ながら交
換条件は、シナが日本核攻撃の意志を示したとき、米国原潜
の核を支那本土に即時に撃ち込む条約(事実上は安保の改
正となる)を締結し、同時に、可及的速やかに我が国の核武装
を容認させる承諾を得ることである。小泉がそういう国家の生き
残りを賭けて、郵政民営化を推進したのであれば、自分は彼を
全面的に応援していただろう。だが、この暗愚な宰相は、「命を
賭けて」米国に国富を貢ごうとしているのだ。

 米大統領の靖国参拝打診をつぶし、「あの戦争はしてはな
らない戦争だった」などと言う者にそのようなしたたかな深謀
遠慮が働くわけはない。涎をたらしながらブッシュに尻尾を振
る姿は醜い日本人の代表格である。このような穢れた者が靖
国参拝をすることは、英霊に対する侮辱である。国民は自覚
するべきである。小泉政権とは、保守の名をかたる急進左翼
的な革命政権である。その実態を知られたくないために、彼ら
は新自由主義に沿って行われる構造改革の理論的な説明を
避けるのである。

 何度も言っているが、愚劣な進歩主義の衣を装い、ハイエク、
フリードマン的な新自由主義を我が国に敷設するという現内閣
の政治行為は、皇紀2666年の伝統を誇る国体の完全破壊を
意味している。この革命政権は、故三浦重周の言うように根底
に民族主義を持って革命的にぶち壊さなければならないのであ
る。それが今であることを日本人の何人が気づいているのであ
ろうか。

 日本人は対シナ戦略に当たっても、アメリカの奴隷根性か
らは脱却する必要がある。ここが大事なところである。さいわ
い、まだブッシュはアメリカの最高権力者である。彼の気持ち
が変わらないうちに、日米首脳によるトランスフォーメーション
へ寄与する日本の役割を申し出て、戦略的にアメリカと対峙し、
実効的な同盟政策を遂行することが必要なのである。アメリカ
も郵政の350兆円をできるかぎりただ取りしようなどというのは
虫がよすぎる。100兆円くらいはアメリカにやるから、日本の核
武装を承認してもらい、実際の戦略核及び大陸間弾道核ミサ
イルの技術を供与させるように話を付けるべきである。

 シナの東アジア覇権を、できるだけ日本の武力で抑えるとい
う口実に、核武装を行うとアメリカに申し出るのである。国家と
民族の存亡を賭けてこの交渉はやらねばならない。もし、アメ
リカがノーを言っても進むべきである。また、アメリカが日本が
核武装を実行する気配が見えたら核攻撃をすると脅しても、け
っしてあとに引いてはならない。我が国が核武装できなければ
いずれにしろ、日本は滅ぶ。それをわきまえて不退転の覚悟を
持つことである。アメリカが認めなくても、核兵器の研究と実戦
配備は可能である。もちろん核搭載の大型原子力潜水艦も急
ピッチで建造するべきである。

 日本人同胞諸氏よ、もういいではないか、もう。この辺で覚悟
を決めようではないか。これ以上じっと耐えていても民族の運
命に好転の兆しはない。このまま、アメリカの奴隷になることも、
シナの奴隷に堕ちることもご免だ。そういう魂のない生き方は、
我々日本民族の生きる選択肢にはない。先祖のように誇り高
く生きることが適わない未来ならば、民族皆、ともどもに潔く、
そして喜んで滅びようではないか。それが先祖の意思と願い
にかなう唯一の進むべき道である。大東亜戦争は霊的な意味
ではアジア開放のための聖戦であった。先人たちは本当に良
く戦ってくれた。我々もいざというときは腹を決めて後へ続こう
ではないか。それが民族の誇りというものではないのか。

 アメリカやシナという収奪文明のパラダイムが永続する世界
に生き永らえてどうする。それよりは精一杯そのパラダイムと
戦って民族の命運を決めた方がいい。三島由紀夫の自決は
未来の日本人に対する諌死であった。今、この時代、日本人
は三島に問いかけられている。すなわち「生命尊重のみで魂
は死んでも良いのか」と。我々は今、否応なく自分たちに生命
以上の価値とは何であるのか、それを問いかけねばならない
歴史の岐路に立たされている。シナやアメリカの奴隷が嫌だ
ということは、つまりはそういうことなのである。日本人が、日
本人とは何者であるかを、今、まさに問いかけられているのだ。

 日本は軍事的に、経済的に、そして精神的にもアメリカの奴
隷になってしまおうとしているのが今なのである。眠ったまま、
このまま成り行きに任せても少しは生きていけるだろう。心に
奴隷のくびきをはめられて。それよりは、日本民族が悠久の
時間で培った平和共生のパラダイムに、この凶悪な世界を
変えるため、今一度、先祖の武士道精神を甦らせ、民族全
員力を合わせて最後の戦いに入ろうではないか。そのため
の日本核武装論提起である。

 けっして、けっして、アメリカやシナのような野蛮な収奪国
家として日本人が生きるための核武装ではない。日本の神
道的な精神性がこの世界に存続するためである。それは自
然を慈しみ、神を尊崇し、異なった民族同士が助け合うとい
う新しい文明のモデル、新しい文明パラダイムをこの世界に
構築しなければ、地球の存続そのものがないという判断か
らである。日本的霊性が形作る新しい文明モデルこそ、これ
からの世界に必要なのである。キリスト教も、ユダヤ教も、
イスラム教も、血と破壊を呼ぶ型を持っている。我が国の神
道モデルだけがこれからの世界存続に大きく寄与するので
ある。この精神で日本はサバイバルを志向しなればならな
い。三島由紀夫の死は、今の我々日本人に、民族の文明の
型をはっきりと決定しろと呼びかけているのだ。

 自分も良くわかっている。本当は日本人には核兵器は合わ
ない。左翼が、市民的な平和感覚で核兵器を生理的に嫌悪
していることも、もしかしたら、その深層は民族的神道的な嫌
悪感から来ていると感じているからである。日本刀と違って、
核兵器や生物化学兵器は、神道的感性から言えば「ケガレ」
としての忌まわしい武器である。「ハレ」の日本文明を存続さ
せるために「ケガレ」の核兵器で外部の攻撃を抑止しなけれ
ばならないこの現実は、民族の霊的深層にとっては死ぬより
も辛いことかもしれない。しかし、それでも核武装は必要で
ある。我々は次代の日本と世界のために核武装をしなけ
ればならないのだ。

 私はそのように考えている。それくらいの覚悟を持って日本
核武装論を唱えている。36年前の三島由紀夫の自決死は、
今の日本が滅びを選ぶか、新しい日本型の精神革命を遂げ
て生き延びるかを選択させているような気がしてならない。
三島ははっきりと断言して死んでいった。生命以上の価値と
は「日本」であると。もし、アメリカやシナの奴隷を忌避する生
き方を選ぶしかないとすれば、我々は今こそ、その「日本」と
真正面から向き合うしかない。それは先祖たちの魂の型を知
るということなのである。武士道はファッションではない。また
天皇は民族の生命(いのち)である。そして、日本特有の「和」
の精神とは鎮守の森(杜)の厳かな静謐からくる共同体的和
合である。これらを蛮族たちの手にゆだねるよりは、特攻隊
あるいは玉砕した英霊たちと同じように、外夷文明に立ち向
かって果てた方がいいと自分では思っている。それが大東亜
戦争時の日本人すべての心持なのではなかったのか。かつ
ては確かにあった日本人の高貴さには世界的な意味があっ
たはずだ。それをとことん模索して未来を見つめる時が来て
いる。

 
 郵政民営化の話に戻る。アメリカが狙った国富としての郵政
資金は額面350兆円。実際は目減りして本当の額はわからな
い。しかし、百兆円は超えているはずである。これがむざむざ
とアメリカに吸い取られることは阻止することである。しかし、
アメリカは執拗に脅迫して脅し取ろうとする。くれてやろうでは
ないか。ただし、核武装承認と、すぐに実戦配備できる戦略核
ミサイルを何万基か譲り受けることと、大陸間弾道弾技術及び
核装備原潜の供与を要求するべきである。国富百兆円は痛い
が、国を護る事を考えれば安いものである。

 国を存続させる費用であると考えれば国民もなっとくする。し
かし、忘れてはならないのは、日本は最終的にはアメリカの覇
権傘下から離れる根性を持ち続けねばならない。そのために、
郵政資金100兆円は日本核武装への担保としての意味合いを
必ず持たせるのである。むかつくのはやまやまであるが、核武
装に関してはアメリカの現物と技術をもらった方が早い。もしそ
れがまったくできなくても日本は自力で開発すればいい。この
時、アメリカが日本壊滅をたくらんで核攻撃したら、日本とはこ
こまでの命運の国だったと従容として滅んでいけばいいだけ
である。

 神謀あるいは神慮という言葉がある。日本という古い国が、
この世界の未来に必要な国であったならば、神は最終段階で
日本を救うだろう。大東亜戦争に敗れても日本の皇室は残り、
靖国神社も残った。民族自らが神州不滅の言霊(ことだま)を
放擲してはならないのだ。これが日本人としての日本に対す
る信仰である。

 支那を牽制するには我が国が核武装する以外に方図はない。
しかもアメリカに頼まない状態で支那と軍事的対峙を果たしてこ
そ、本当の意味で自主独立国家となる。今、小泉竹中をムチ打
たなければ日本の大事な宝がただ取りされ、日本は完全に丸
腰となりアメリカは同盟から手を引くことになる。そうなったとき、
支那の牙に打ち勝つ武器はなにも残されていないのだ。その
自覚から始まることである。

 兵頭氏が見逃している致命的な視点とは、日本を護るため
の最後の虎の子が、この郵政民営化で失われる危険にまった
く気がついていないことなのである。郵政民営化は国富消尽の
魁(さきがけ)であり、柱でもある。これを失うことは、国家として
の底力が回復不能なまでに損なわれるという暗澹たる現実を示
している。兵頭氏よ、その状態でどうやって日本核武装を模索
するのか。

 従って郵政民営化とはけっして瑣末な出来事ではなく、国家の
屋台骨をのこぎりで切り取る行為に等しいのだ。日本の核武装を
指向するなら、対米関係と日本自身のあるべき姿を深く見つめる
べきである。アメリカを超克し、大東亜戦争を本気で肯定しなけれ
ば、日本は自力走行ができないところまで追い込まれているので
ある。

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2006年4月23日 (日)

竹島を不用意に利用した内閣

  韓国は、6月の国際会議でこの海域の海底地形に
ついて、韓国名を登録する提案をせず、日本も海洋
調査を当面実施しないとした。調査の現場海域で日
韓両国が衝突するという最悪の事態は回避された。
ただ、竹島の領有権問題は残されたままで、再び海
洋調査などの対立が再燃する可能性もある。
   (2006年4月23日1時42分  読売新聞)

小泉は、竹島問題はマスコミなどの挑発にのらないように、
冷静に対応するようにと各閣僚に指示したようである。この
不徳で暗愚な亡国宰相はどこまで国民を愚弄したら気が済
むというのだろうか。

 「日本も海洋調査を当面実地しない」という提案自体が愚
かなのである。この問題は日韓双方で、対等の論議の上で
解決を図る問題ではない。要は国境問題なのである。今か
ら53年前、韓国の李承晩大統領が、竹島と対馬の海洋権
益を狙って一方的に設定した漁船立ち入り禁止ラインがあ
り、これを李承晩ラインと呼ぶ。この違法な線引きは、1965
年の「日韓漁業協定」で廃止した。

 問題はこの「李承晩ライン」を韓国が頑迷に主張していた
13年間に拿捕された船舶数が328隻、抑留された日本人が
3929人、銃撃による死傷者が44人出ていることである。国
際法慣習を無視し、日本人を抑留、死傷させておいて、竹
島を実効支配しているばかりか、再度領有権を主張し、日
本が竹島付近の海底調査を目的として立ち入ると、抗戦も
託さずと威嚇する韓国の神経には怒りを持って対応するべ
きであろう。

 今回の竹島騒動は、領土侵害問題である。謂わば日本か
ら宣戦布告を行うべき国際事件なのである。

 私は、日本のメディアやブロガーたちが、取り敢えずは、
最悪の事態を回避できて良かったが、本質的な問題はまだ
未解決であるなどとしたり顔で言っていることが無性に腹立
たしい。

 何が「最悪の事態」なのだ。むしろ、今まで韓国に無理や
り竹島が軍事占領されている事態を放置していたことが最
悪の事態ではないか。今回は武力衝突に突入して当然だ
と自分は思っていた。領土問題という国家の一大事が実際
に起きている時に、穏やかに対応とか、静観で行くとか、相
手を刺激しないようにとか言っている我が国の為政者こそ
最悪である。こいつらには国家の誇りというものがない。

 日本人はこう考えるものが多い。竹島は、離れた場所に
ある自分たちの生活とは直接関わらないちっぽけな無人島
だ。ここの権益にしても多少の魚が獲れるくらいのもので大
したことはない。大騒ぎするほどではないと。

 ところが、領土問題は島が小さいとか魚がどうとかの問題
ではなく、国土を奪われるかどうかの、謂わば国の命運がか
かった重大な問題なのである。土地を持っている人たちは、
自分たちの土地が、ある日、外国人に所有権をいきなり主
張されたらどうだろうか。とんでもないといきり立つだろう。
竹島問題もまったくそれと同じなのである。領土問題を最大
級の重要懸案として捉えない国はやがて外国に侵略されて
しまう運命をたどる。

 日本が竹島問題をうやむやにして、韓国が今のまま実効
支配を崩さなければ、シナも、小笠原や尖閣諸島の領有権
を日本が手放すと見て、次々と侵略的奪取を始めるだろう。
つまり、竹島問題を慎重に対応し続けて行くと、シナが日本
の領土、領海をドミノ的に侵犯して行く口実を作ってしまうの
である。それでも静観しろという日本の為政者のたましいは
完全に死んでいる。静観したら駄目なのである。

 竹島とは、尖閣諸島や北方領土と同じく、日本人が命を賭
けて死守しなければならない領土なのである。今回の出来
事は紛争まで行って当然なのである。そうなってはじめて、
国家主権に疎くなり眠りこけている国民の意識が目覚める
のである。この折角のチャンスを最初から放擲するつもりで、
小泉内閣は三文芝居を打ったのである。いったい何のため
にであろうか。

 この亡国宰相は、国家の一大事を千葉の選挙戦の一環
として利用したふしがある。拉致問題を選挙戦に利用した
ことと同じ感覚でだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と小泉総
理は国内的にはともに凋落の状況にある。そこで両者とも
裏で話をつけて民族主義を刺激することにより、人気の回
復を謀った三文芝居だった可能性はある。すなわち、韓国
はポーズで獨島死守を、日本の小泉現内閣は、保守本流の
愛国者ぞろいであり、竹島領土問題に果敢に向かっていく
ぞというポーズをとったわけである。中途半端に領土問題
に手をつけるのは愚か過ぎる。やるなら、選挙など関係なく、
武力紛争を覚悟して自衛隊を待機させ、超法規的に戦争を
行う構えでやる事案が竹島なのである。それを形だけでや
りすごそうなどという浅はかな腹で、心構えのない国民を戦
争の危機にさらしたのである。

 両者話し合いで、当面引き分けたのは、取り敢えずは良
かったなどと本気で思っているのだろうか。戦争を受ける
気があるなら、事前に国民に状況を説明し、本気でやれと
言いたい。売国内閣が国内で格好をつけるのは構わない
が、選挙戦のために領土問題を使うなど言語道断である。
これも国賊内閣のきわめて愚かな国政運営の一つである。

 小泉内閣がわずかでも延命すると、今回のように日本の
国運が急激に傾きかねないというリスクが大きすぎるので
ある。なぜなら現内閣は国防を考えていないからである。

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日本核武装の正当性と喫緊性(5)

   ◎原爆慰霊碑に垣間見える自虐的国家毀損

 今、日本ではあちこちで、格差社会が広がってきて大変だという論調が
大賑わいである。教育格差、所得格差、企業格差、希望格差など、いろい
ろなことが喧々囂々と言われている。これが小泉構造改革のせいであると
いう私と同じ論調や、世耕弘成自民党幹事長補佐などが言うところの、い
や、格差拡大は15年くらい前から継続してあったのであり、今に始まったこ
とではないという論調もある。小泉純一郎にいたっては、「格差というもの
はいつの時代でもあったんです!」と言っていた。格差社会の急激な広が
りを論じている時に、一般的通念的な社会格差を取り上げてどうするのか
という話である。小泉はこの手のとんちんかんな話をまじめにやることが多
々ある。

 話の文脈を無視して、質問者の意図を取り違え、そこから主観的話題を
展開していくこの男、かつては、年金問題の質問に、「人生いろいろ会社も
いろいろ」と言った。これが日本国総理大臣のインテリジェンスなのかと嘆
く前に、この思考レベルは天然なのかもしれない。冷静に見れば、ただの
論理破綻を、大きな声と自己陶酔気味の強弁で辺りを煙に巻いてしまう。
巻かれる者たちも根性が座っていないと言うべきか。彼が総理でなかった
ら思いっきり笑えるフレーズがいくつかあった。この男は大衆芸能の漫談家
になったら成功するかもしれない。なにしろ、実際にやることよりも、彼の話
法そのものがサプライズだからである。話法の意外性と自己陶酔の強弁技
術は大衆を笑わせるには得がたい才覚である。お笑い芸人から一国の宰
相になったものはいないが、宰相からお笑いに転じることは可能であろう。
ただし、彼が祖国を甚だしく毀損した責任は償ってもらわないと芸人転身は
夢のまた夢である。冗談で話が飛んでしまったから元の流れに戻そう。

 今までの、日本特有の経済体制は、不完全ながらも、共和的な所得公
平分配社会であったが、小泉や竹中がアメリカの指令によって、ハイエク
型の新自由主義体制に構造を変革してから、わずか五年で格差の広が
りは国民大多数に実感として感じられるほどひどくなっている。これについ
ては、経済シロウトの私ではあるが、感じたことを別記事で述べていく。

 格差社会というものは、何を比較するのかで、いろいろ多くの格差が考
えられるが、国内の社会という視点を、国際社会という大きな枠に敷衍し
て考えた場合、もっとも大きく目立っている格差が何であるかおわかりだ
ろうか。それは「核格差」である。つまり、核兵器を保有する国としない国
の格差である。考えられる限りでこれほど大きく隔たった格差は他にはな
い。これに経済的視点から、持てる国と持たざる国を重ねた場合、核格差
くらい国家間の不平等を体現するものはないだろう。

 核という兵器は、持っているだけで持たない国々への絶対優位をすで
に有している。これが国際関係において、貿易や他の取り決め、人道的
な扱いまで、持てる国が恣意的な主導権を取ることになる。さすがに世界
の核格差を広げている張本人は小泉純一郎ではないが、小泉は日本を
国際連合の常任理事国にすることに血道を上げて失敗した。日本は敵国
条項に位置している通り、YP体制の敵なのである。国連は基本理念がY
P体制堅持であるから、アメリカが中心となって国連を動かし、早く持てる
国家が早々と「包括的核実験禁止条約(CTBT)」という、まことに手前勝
手な条約を作らせてしまった。これは事実上の核保有禁止条約である。

 国際世界という公平性を志向する社会で、CTBT以前に核を保有した国
がそのまま保有の権利を認められるという正当性がいったいどこにあるの
かという話なのである。自分たちが持つことは許されて、他の国々は一切
保有不可というのは、理不尽という一語に尽きるのである。収奪理念を真
の国是にしている米、英、シナのような国は、今ある優位性を最大限に使
って、自分たちに有利な状態に持っていくのを常道としている。

 18世紀中盤から19世紀中盤にかけて産業革命を行ったイギリスは、産
業革命によって生み出した多様な技術を国外に出すことを禁じる法律を作
っていた。その勝手な技術寡占が、軍事と産業構造の進展という面で、世
界の持てる国と持たざる国の比例的格差進行の原型を形作ったのである。
そういう自分勝手な感覚が包括的核実験禁止条約にも生きているのであ
る。

 CTBTを有効化させるためには、当然、核保有国が率先して核を撤廃す
るべきであろう。従って、我が国や他国が核保有する時は、この批准に縛
られることはない。もっとも、この条約は、採択されていても発効はまださ
れていないから事実上は無効である。理由は原子力施設を有する44カ国
のうち、アメリカを含む12カ国が批准しないからである。国連はアメリカの
傀儡組織である。自分が認めない条約を他国に飲ませるわけには行かな
いだろう、

 日本は国民意思を統一するだけで核保有ができるのである。非核三原
則は、横須賀や長崎に原子力兵器を搭載した空母などが寄港していること
から、事実上無効化されている。しかし、考えてみればこの非核三原則も
間抜けな法律である。この法律に通されている考え方は世界情勢をまった
く無視したものであり、国益や自国の安全には何の役にも立っていないば
かりか、自主的に日本を危険にさらす悪法である。この思想に基づいて造
られたのが、あの広島原爆慰霊碑に刻まれた下記の自爆的文章である。
こんな愚かな誓いがどこにあるというのだろうか。

 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰(くり)返しませぬから」

 この碑文は、故雑賀忠義広島大教授が考案し、故浜井信三広島市長が
決めたそうである。もし、犠牲者を慰霊する心があるのなら、この碑文はこ
う書くべきであっただろう。 

「安らかに眠ってください 我々は原爆を投下したアメリカに二度とこ
のような惨事を起こさぬように注意を喚起し、人類が二度と原爆の災
禍に遭うことがないように祈ります」

 現状の碑文を肯定する者たちは、主語を入れなかったことの説明を、人
類的な祈りとしての意味合いがあると苦しい言い訳をしているみたいだが、
それなら主語を「我々すべての人類は」と入れるべきであろう。しかし、直
接に原爆投下をした国はアメリカであるから、兵器として初めて原子力を
人類殺傷に応用したことへの反省をアメリカに促す文があって当然であ
り、それこそが慰霊の誠意というものであろう。

 今の碑文だと、原爆投下主体のアメリカは罪を問われず、いかにも日本
人が原爆投下の誘引を招いた張本人のように解釈されるのである。これ
が敗北史観でなくて何であろうか。原爆被災の因果律を日本悪玉論に置
き換えて碑文からアメリカという人類犯罪の張本人を故意に抜き取ったと
しか思えないのである。

 核武装を行うに当たって、日本人が超克しなければならない精神相は、
非核三原則に見える魯鈍な自縄自縛精神と、広島原爆慰霊碑の碑文に
象徴される、民族毀損を志向した自虐史観である。

  核兵器、持たず・・・、造らず・・・、持ち込ませず・・・。

 しかし、アメリカの核の傘の下にあって、よくこんな幼児的なことを考え
るものだと呆れてしまう。この三原則の国是のままでアメリカがいきなり
離れたらどうなるか、火を見るより明らかであろう。触ると擬態で死んだ
振りをする動物がいるが、それよりも無防備になる。

 危険に対して瞼を閉じれば、危険は見えないから、無いのと同じであ
ると考えているのが今の日本人の防衛感覚である。

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2006年4月22日 (土)

日本核武装の正当性と喫緊性(4)

    ◎物理的な孤立の瀬戸際にある日本

今の日本は、二つの大国に政治力学的にはさまれてしまっている。一つ
は、その内実が形骸と化しつつある日米軍事同盟を維持するアメリカ、も
う一つはわが国が、平成不況の足掻きから無為無策で経済的に踏み込
んでしまったシナである。問題は今の日本に、この両大国との力学的バラ
ンスを政治的にうまく取ろうとする能力がまったく持てないことにある。小泉
は岡崎久彦の言う「アングロサクソン同盟」を涎を垂らしながら嬉々として
実践している。

 日本が、アメリカとシナとの適度なバランスを保持するためには、最低限
度、アメリカとの関係を相対化しなければならない。つまり、シナと、アメリ
カと、我が国のこのトライアングルな関係性を相対化してしまうことにより、
国際政治力学のバランスが取れるのである。ところがである。この構図を
構築するためには軍事力の担保が絶対条件になるのである。この理屈は
ちょっと頭のいい小学生でもわかることである。

 ガキ大将が三人居て、それぞれの遊び場テリトリーを分担する時、この
ガキ大将のそれぞれの力関係で、遊び場の領域分担が決まってしまうこ
とは明らかである。三人のうち、二人が棍棒を持っていて、一人が素手で
何も持たないとき、遊び場は棍棒を持つ二人にほとんど占有されるだろう。
棍棒を持たない日本という国を考えてみればわかるが、高度経済成長期
が終えて、安定期に収束して当然だった我が国の経済は、安定しないで
衰亡に向かっている。この理由は、経済だけでは国家の安定を担保でき
ないということが史実として実証されたということである。

 日本人の深い眠り、つまり洗脳状態の一つとして、こういうネガティブな
志向がある。我が国が世界先進諸国と対等の軍事力を持つことは、アメ
リカやシナが許さないだろうから、そういう考えは現実的ではない。それよ
りも、多少は金がかかってしまうが、アメリカが軍事防衛を肩代わりしてい
るから、今のままで日本が浮揚する対策を考えていけば必ず突破口があ
るはずだと考えている。この思考が、戦後から現在までほぼ国是と言って
もいいほどに不変的に厳守されてきた。厳守というよりも思考停止に近い
ものであった。はっきり言うが、アメリカに軍事を任せる現状維持では、突
破口はどこにもない。どこにも出口はない。脱出の鍵は、国家としてまっと
うな軍事力を持つこと以外にない。

 ご主人様のアメリカが許さないから、ご迷惑をおかけしたシナの皆さま
がたが許さないから、日本国のまともな軍隊の設立は到底できそうにも
ない。ましてや核武装なんてものも、考えるだけでも忌まわしい。と、こう
いう感覚が日本人の大多数にあるのではないだろうか。つまり、精神の
刀狩りを施されたまま、眠ってしまっているのである。アメリカやシナが睨
んでいるから、大幅な憲法改正も核武装もできないという思い込みは錯
誤にほかならない。卑しくも表面的には我が国は西側のまっとうな独立
国家である。北朝鮮、イラク、イランの場合のように、我が国が核武装し
てはならない危険な国だとアメリカには言う根拠がない。YP体制が発足
してから60年過ぎており、その間、日本は一度も武力紛争を起こしてい
ない。徹底して戦いとは無縁であった我が国が自衛のための核武装を
提唱して世界の顰蹙を買う理由はないのである。

 シナ人や韓半島人が言うように、極悪な日帝に核を持たせるなんてと
んでもないという論旨でアメリカが「ノー」を言ったらしめたものである。こ
の時、日本人は腹を括り、民族自らの命運を賭けてアメリカに直言する
のだ。大東亜戦争は民族存亡の自衛戦争であった。従って東京裁判の
裁定結果は、ここにその全面的無効性を貴国に申し渡すと。

 日本は、戦後のYP(ヤルタ・ポツダム)体制というくびきに、お悧巧さん
のように従ってきて、その心情は、「日本は本当に悪うございました、二
度と軍事力は発揮しません。その代わり、経済で頑張ってまいりますの
で、その辺りの摩擦は何卒ご容赦ください」で通してきたし、そのままこ
れからも行こうと考えている。だが・・・、眠い眼(まなこ)の日本人は、そ
このところをよく考えて欲しい。それを継続する時間は残されていないの
だ。

 もう、どんなごまかしや法のねじ曲げをやったとしても、目の前に迫る
「物理的な自主独立」の現実は回避できないのだ。物理的な自主独立と
は、軍隊も核も持たずして、ハイエナの徘徊する荒野に放たれた赤子そ
のものの日本ということである。前述したが、日本の経済力があろうとな
かろうと、たとえ素寒貧になった日本だとしても、大きな価値を見出して
いる国がある。それがシナ(中華人民共和国)である。

 日本を奴隷化することが、シナ国内統一のもっとも効果的な方法論な
のである。その上、日本人を奴隷化すれば、日本の優れた技術をただ取
りできるし、優秀な働き手にことかかない。精神的にはシナ人の優位性を
もっともシナ人が望む形で確保できるわけである。言うことを聞かない反
抗的な日本人には、通州事件の地獄をお見舞いするということである。あ
るいは食人の餌食となる日本人も出てくるだろう。これは単なる想像では
なく、シナに占領されたら間違いなくそのようになるのである。

 何度も言うように、私の語るシナによる日本占領の悪夢を、日本人の最
後の矜持として、何としてでも回避したいのであれば、核武装を行う以外
に方途はない。当たり前のことだが、この兵器は配備された時点で憲法
九条の支配下を超える。核兵器は交戦権の範囲を超えるからである。従
って、本来は憲法の手順を整えてから核装備に移ることが順当なことで
はあるが、我々にはそのような悠長な時間は一切残されていない。やる
べきことは、九条を無効化した時点とほぼ機を一にして核武装を行うこと
である。これができないと間に合わないのだ。

 その理由は、アメリカの対日戦略が、軍事的世界再編成というトランス
フォーメーションに呼応して否応なく変化してしまっているからである。今
の日本は、こういう二者択一の危急存亡に突入している。それは、アメリ
カに今以上に多額の金を貢ぎ続けるか、それとも、自力で国を守って行く
かという選択である。アメリカは日本から国富を吸い取るだけ吸い取った
ら、次の猟場をシナに求める魂胆がはっきりしている。トランスフォーメー
ションの目的が、東アジア地域から撤退して、中東と欧州に力点を置いた
のは、明らかに資源確保の目的にある。たとえば、欧州諸国、シナ、ロシ
アなどとの資源確保におけるヘゲモニーで、なるべく優位に立つ必要が
あるからである。イラク侵攻もその一環であり、イスラエルを軍事的に守
ることによって自らの地位確定を行っているのである。

 一方、東アジア地域からの権益確保は、軍事力による浸透ではなく、
豊かな国を狙って、そこにグローバル・スタンダードを投入し、今まで日
本にやってきたような手法や姦策を労して、金融工学的な「利益確定シ
ステム」を構築することになる。その一等地の漁場、つまり市場として、
シナに目をつけたのである。ただし、シナは日本のような属国関係には
なく、アメリカとは違った意味で狡猾で喧嘩上手であるから、アメリカが
簡単にシナの金融界に潜り込み、利益確定誘導システムを構築するこ
とは容易ではないはずだ。何よりもシナには実効的な核兵器があり、
ヤクザ的恫喝の術も堂に入ったものである。

 ただし、科学技術もそうだが、金融工学における戦略的手法や発想
はアメリカが理論的にも、実践的にも、想像できないくらい進化している
ので、老獪なシナが造る防波堤でも、たぶん突破されてしまうことは確
実だろう。アメリカは喧嘩しないで富が手に入れば、それに越したこと
はないと考えている。従って、アメリカはシナと表面的には可能な限り
協調路線で行くだろう。その兆候が、昨日の胡 錦濤・ブッシュ会談にあ
らわれている。

 さて、このような情勢下で、このようなパワーバランスの下で、日本が
置かれる世界的な位置は、アメリカにとって、日本の地政学的な軍事的
重要性が薄れてきていることである。沖縄は、アメリカが東アジア地域の
植民地化、覇権にとって江戸時代から狙っていた場所である。大東亜
戦争で初めて沖縄を東アジアの軍事的な橋頭堡として確保した。しかし、
いま、大局的世界戦略では、アメリカはここから出て行こうとしている。

 すでにアメリカには、日本を東アジア地域における戦略的な軍事橋頭
堡として保っていくという意味は消えうせたのである。ここにおいて、我
が国が生き残る選択肢はたった一つしかない。それは核武装である。
日本が孤立したら、中国文明圏に吸収されて新しい生き方を求めれば
いいではないかという人たちもいるが、それが民族の自殺行為である
ということに早く気が付いてもらいたい。選択肢はひとつしかない。核
武装である。

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2006年4月21日 (金)

日本核武装の正当性と喫緊性(3)

  ◎ アメリカを睨めなくて、どうしてシナを睨むと言うのか

 昨年の「正論 10月号」で述べていた兵頭二十八氏の対シナ観には、米
国自身の日本への思惑という見方が欠けている。これは国際政治力学的
にもそうだが、国民意思という日本人の精神相の側面からも、アメリカの存
在は重要な視点である。対シナ問題にしても、対北朝鮮問題にしても、対
韓国問題にしても、日本人は基本的に、対アメリカ・コンプレックスを克服し
ないと、これらの問題には立ち向かえないのである。

 前回で私は、東京裁判史観をアメリカ国内史観に言い換えて、「太平洋
戦争正義史観」と便宜的に名づけたが、これは要するに、終戦直後、ヤル
タ会談とポツダム宣言で出来上がった連合国正義史観なのである。つま
り、ヤルタ・ポツダム体制という、今も継続する世界の戦後体制のことであ
る。アメリカは、太平洋戦争(注;太平洋戦争は、大東亜戦争が、連合国側
の戦争史観によって名づけられた呼称)
を、イラク戦争と同様に「正義の戦
争」に置き換えた。そのために必要だったことは、飽くまでも日本を完全な
悪として理由付けすることだった。そこで、極東国際軍事裁判というでっち
上げ裁判を行ったのである。

 アメリカの私怨で設立されたこの国際法違反の法廷は、戦勝国による敗
戦国への復讐という、およそ、裁判という公平な裁きの場とは相容れない
報復思想だけで行われた。ここから出た日本悪玉論という裁定結果を軸と
して、GHQは占領期間中に、日本国内で連合国批判ができないように放
送コードを敷き、日本がわずかでも、あの戦争の正当性を主張できないよう
にして、アメリカを正義とする情報喧伝が繰り返し行われた。日本は悪であ
り、特に軍部指導者は極悪の犯罪人であったという戦争史観を日本人に刷
り込んだ。これが世に言う東京裁判史観である。

 この虚偽の自国毀損史観は、マスコミと日教組のような左翼によって継続
され、戦後60年経た今も尚、続行中である。それを証拠付けるのは村山談
話であり、それを踏襲した小泉純一郎の談話である。つまり、自虐的な負
け犬史観を後生大事に維持しているわけである。困ったことに、この誤った
史観はかなり強い慣性があって、簡単には修正できそうもない。しかし、日
本人はこのアメリカに対する卑屈な負け犬史観を超克しない限り、シナや
韓半島と互角に渡り合えない。彼らは東京裁判による日本人の負け犬史
観を巧妙に衝いてくるからである。兵頭氏の例の論考の中でこう書いている
部分がある。

  日本には「アメリカの奴隷になっても良い」と公言する若者が多いの
で驚かされますけど「シナ人の奴隷になってもよい」と思う人はいないは
ずです。
       <2005年「正論」10月号 P212>

 
 シナ人の奴隷になってもかまわないと考えるメンタリティは、チャイナスク
ールにはあるかもしれないが、まともな日本人ならまずそんなことを考える
者はいないだろう。しかし、まともな日本人だと、自分を思っている日本人
には、アメリカの奴隷になることに対しては、さしたる抵抗感を持たないも
のが圧倒的に多い。彼らはそれを隷従としてではなく、親密な友人関係と
か、同盟国同士の信頼感などという方向で、無理なく自然な自己欺瞞に
逢着しているのである。隷従を親米と錯誤しているのである。小林よしの
り氏の言う「ポチ」である。隷従を憧れと思い違えているところに、東京裁
判史観の真の恐ろしさがある。

 問題は、兵頭氏が指摘しているように「アメリカの奴隷になっても良い」と
いう若者の存在があることである。すでにそういう層が出始めていることが
今の日本の陥っている病弊を端的にあらわしている。この隷米意識の流れ
は、若者層から突出的に出たものではない。これは戦後の日本が抱えた
敗戦トラウマが、時間を経てアメリカへの絶対的な服従観念に固定化し、ア
メリカの言うことは何でも従うのが日本の利益にもなるし、間違いないことだ
という条件反射が身についたのである。この盲従意識を端的に示す知識人
が岡崎久彦氏である。彼は言う。

 「日本はアングロサクソン同盟を持ったときは安定していた。だから、
どんなに焦燥感にかられても米国との同盟軸を見失ってはいけない」

  これについて、彼の言う「安定していた」という意味がいまひとつ判然とし
ない。要は、アメリカ・イギリスには基本的には逆らっちゃいかん、逆らった
ら日本は碌なことにならない。そのもっとも実証的な歴史的事実が太平洋
戦争におけるわが国の敗北であるということなんだと思う。私は岡崎氏の
言う「アングロサクソン同盟」はきわめてたちの悪い言葉のレトリックである
と考える。

 彼はもっとはっきりと本音を言うべきであろう。すなわち「アングロサクソン
への完全なる隷従」だと。日本はアメリカの奴隷国家として生き抜くしか選
択肢はないのだという言い方をしてくれれば、それは、それなりの腹を括っ
たひとつの見解として認めてもよい。もちろん、負け犬史観、典型的な敗北
主義としてそういう見方もあるんだなという意味でだが。

 彼の言葉上のごまかしは、同盟という言葉である。盟主的覇権外交を終
始一貫して取っているアメリカと、同盟という言葉が意味する相互平等的な
関係をわが国がとったことは、歴史上で一度もない。戦後は同盟国じゃな
いかという人がいたら、考えてもみて欲しい。アメリカの軍隊がわが国にこ
の規模で駐留している現実は、事実上の占領状態であると考える以外に
どんな国際関係として説明できるのか。何度も言っているが、西村眞悟氏
が言うように、国家とは護るべきものを持っているから国家なのである。そ
れを他の国の軍隊が守るという異常さは、日本人が自らを損ねる自傷行
為に等しいのである。これは民族魂の自殺である。

 戦後60年の思考停止的な慣行は、日本人が敗戦ショックという位相から
アメリカ盲従という「奴隷根性」に成り下がったという実相を把握しなければ
ならない。眠っている者に、お前は眠っているんだと悟らせることは至難の
ことである。しかし、その自覚からしか、日本人としての矜持は復活しな
い。いかに、現代日本人が陥った精神的な眠りが深いか、それを思うと暗
澹とした気分になる。
 
 日本が戦略的に持たなければいけない肝(はら)に、失ってはならないア
メリカに対する矜持と言うものがある。それは心ある憂国の人たちすべてに
共通する心持ち、すなわち靖国神社を守り、皇室を守っていく民族の基本
精神である。これに加えて、大東亜戦争終局面において、殺人を目的とし
た米国による都市空襲と原爆をけっして忘れない気持ちを保持することも
肝要なのである。

 こういう気持ちを持たずして、どうやってシナや韓半島人の戦略的な政治
攻撃に対峙できる気力が保てるというのだろうか。アメリカの奴隷になって
もかまわないが、シナにだけは隷属するのはいやだというのは、すでに日
本人としての顔を喪失した精神であり、これは深刻なる先祖毀損である。
亡国精神そのものである。亡国精神で周辺国と対峙することはできない。
しかし、今の日本人の精神相はそうなっている。

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竹島のこと

  ◎ 竹島のこと

 竹島周辺海域調査問題で、今、韓国の警戒水域が
上がっている。韓国は、韓国海域に浸入する敵に対し
ては断固とした措置を取ると言っている。

 調査船はどんどん、自国海域の調査をして「拿捕」さ
れるか発砲された方がいいだろう。日韓問題では、今
まで韓国が闘鶏のニワトリみたいに、トサカを逆立てて
がなり立ててばかりいたが、日本は終始冷静な対応をし
てきた。

 竹島は、自国領土なのだから、そろそろ日本側が普
通に実力で領有権を主張するべき時だろう。私は、紛
争という二国間問題に発展した方がいいと思っている。
韓国側は実力的な占領状態において、既成事実を積
み重ねている。これは早々に日本側がつぶさなければ
ならないだろう。リショウバン・ラインが無体なものでも、
不当占拠の既成事実が積み重なるのはよくない。この
辺りで日本はドカンとぶち当たった方がいいだろう。

 竹島領有問題は韓国側ではなく日本の国内問題にあ
る。国民に、贖罪的な歴史観によって竹島の領有権を
感じていない者たちが居ると言うことである。この阻害
要因がなくなれば、国際法的に日本のものであるから
案外すぐに解決するだろう。歴史問題追責は、韓国の
国是なのであるから、この問題に関わりなくうるさく鳴き
続けるだろう。

 日本人には領有意識をグレーゾーンとして思考停止し
ている者が大勢居る。彼らを国土の自主権と言う感覚に
目覚めさせるには、この状態はいい方向に進んでいると
見る。調査船は拿捕されるか、あるいは発砲された方が
いい。なぜなら、そこまで行かないとグレーゾーンのジャ
パニーズは本気で怒らないからである。

 時々、思って暗澹としていることがある。もしかして、今
の日本人は、もう、言葉や文字では目覚められないほど
深く眠りこけているのかもしれない。深い眠りに落ちてい
る人に対して「おーい、起きろ~っ!」と普通に言っても
まだ眠っているみたいな感じであろうか。これを目覚めさ
せるには冷たい水をぶっ掛けるという方法がある。謂わ
ばショック療法である。

 ちょうど今の日本はそうしないと起きられないほど、東
京裁判史観の深い眠りに陥っているのかもしれない。だ
とすれば、今の領土問題にしても、東シナ海でのシナに
よる強行採掘でも、武力的紛争事例が起きた方がいい
のかもしれない。

 無責任に言うわけではないが、日本が覚醒するので
あれば多少の被害や犠牲は仕方がない状況に至ってい
るのかもしれない。

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日本核武装の正当性と喫緊性(2)

   ◎米、シナ、日のトライアングル

 酔っ払いの酩酊感覚にも似た、偽りのパシフィズムに冒されている今の
日本国民でも、最近の世の中の急速な変化にはそれなりに敏感である。
昨年の9/11解散総選挙の時、それまでは政治選挙にさしたる興味をおぼ
えなかった若年層やノンポリ層にも、当時のあの選挙では、国民はどこか
しら国の進路にとって重要だなという雰囲気を察知していて、みんなが緊
迫した面持ちで今回の選挙の意味を汲み取ろうと真剣であったことはうか
がい知れた。

 しかし、結果的に小泉純一郎という戦後最大のペテン師によるマスメディ
アを使ったパフォーマンスに見事に騙され、国民は、小泉が何かいいことを
してくれるのではないかと期待し、「乗り」だけで支持してしまった。国民は
長期閉塞感の出口を短兵急にペテン師に任せてしまい、戦後最悪の政府
体制を許容してしまうことになった。そのことにいまだに気がつかない魯鈍
さが、今の日本人の陥っている凋落のひどさを物語っている。

 さて、軍学者としての兵頭氏の対シナ憂慮は自分もほとんど同様である。
近年におけるシナの対日姿勢の悪どさ、傲岸不遜さを鑑みれば、彼らが、
日本を掌中にできるのは、もう時間の問題だと考えていることは明らかであ
る。この深刻な憂慮は私もまったく同感である。ただし・・、である。兵頭氏
の対シナ指向の中には、決定的に欠けている視点がある。いや、致命的な
視点の欠落と言い換えてもよい。それは日米関係である。日中関係と日米
関係というトライアングルは、それぞれ別個のものではなく、我々が思う以
上に緊密な一体性を持っている。

 世界は、表面的には米ソ二極化の冷戦構造から、米中二極化の「冷戦構
造」にシフトしたかに見えるが、実は、これは冷戦ではなく、経済を通じて、
米中がかつての日米関係と似た関係を築こうとしているように見える。それ
を阻む障壁は、シナが「共産資本主義?」というわけのわからない路線を取
っていることである。資本主義経済に原子力エンジンのように邁進しながら
も、共産党北京中央政府なのである。こんなことは本来あり得ないはずで
あるが、彼らは長年の華僑経済によって資本主義の内実を知悉しているこ
とも、あり得ないことをあるようにしている一つの理由だろう。

 共産主義路線は国是であるから捨てられない。ならば、どうやって求心力
を保っているのかと言うと、それはご存知、悪鬼としての日本帝国撃滅思
想なのである。つまり、彼らは経済は自由主義で、政治は共産主義という
分裂病的な国家体制を維持するために、その両者を整合する接着剤を常
に供給しなければならないという病理に蝕まれている。この接着剤に当た
るのが、我が日本の存在なのである。

 アメリカそしてシナという大国に日本人はちょっとした皮肉を感じないだろ
うか。アメリカも、シナも、その超大国の行動エートスは、キリスト教倫理で
も、儒教でもなく、なんと我が日本なのである。それほど日本という存在は
彼らにとって大きなものなのである。アメリカは東京裁判史観(アメリカ国内
では太平洋戦争正義史観)を維持しなければ崩壊するし、シナは大日本帝
国を敵視して抗日史観を維持しなければ国民のバンドリングができない。こ
の歴史的な状況はある意味、これら二大国家のアキレス腱だろう。

 それはともかくも、シナの分裂症的な国家体制は、アメリカによるグロー
バリズム的浸潤、つまりは金融工学的な浸潤を阻害しているのである。ア
メリカ型民主主義とグローバルスタンダードを、どういう形であれシナに導
入できないでいることが、収奪戦略に明け暮れるアメリカの本当の焦燥感
であろう。

 それはこういうことである。米国は、日米同盟関係が軍事戦力的には日
本の力を当てにせず、煎じ詰めて言うなら日本のカネをあてにして維持して
きた。日本に進駐軍が居座ったのは、文字通り、共産主義の拡大を阻止す
るために、旧ソビエト連邦共和国に睨みを効かせ、同じ共産圏の中華人民
共和国(シナ)の極東覇権を止めることにあった。しかし、旧ソ連は崩壊し、
シナは「名目共産主義」ではあるが事実上の共産主義体制に「背教」してし
まった。アメリカには、共産主義の潮流を、朝鮮半島と日本という防波堤を
使って阻止するという大義名分はなくなった。

 極東アジア地域、あるいは台湾をシナの覇権内に入れても、「権益」にプ
ラスになればアメリカはそれでいいと思い始めている。米国の軍事戦略は
中東地域とヨーロッパに大勢として動き始めている。そういう大局的戦略と
してのトランスフォーメーションの一部として、沖縄駐留兵士のグアム移動
になっている。

 シナを初めとして、インドやパキスタンが核武装を行い、他のアジア諸国
が国力を増してきた今、いかにパワーのアメリカいえども、世界全体を睥睨
することは無理な状況になってきた。そこでトランスフォーメーションという戦
略的軍事配備の再構築を行うことになった。この過程において、自国利益
と国民の危険に関わらなければ、アジアのことはアジアに任せ、アジアから
は今まで通りの金融工学的な利益誘導という手法で富の収奪を行おうと腹
を決めたようである。もちろん、その対象は日本からシナに移り始めている
のだが。

 アメリカは、利益誘導システムをシナに植えつけられると確信した時点
で、日米安全保障条約を破棄する気である。あるいは何らかの経済的打算
から、シナと話をつけ、日本をシナに売り渡すことだろう。そういう近未来の
状況を政治家は想定して国際政治を考えているのか、はなはだ疑問であ
る。

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2006年4月20日 (木)

日本核武装の正当性と喫緊性(1)

  ◎通州地獄の再現は原爆死よりもむごい

 近年、我が国の核武装論を唱える人たちが何人か出始めた。数
年前までは、日本と核という文字を列記しただけでアレルギー性拒
絶反応が出ていたが、最近のシナや北朝鮮などの動向を見て、さ
すがに平和逃避の能天気な日本人にもそれなりの危機意識が出
てきたと思える。

 日本核武装論を唱える人を狂気の人間としてサディスティックに
弾劾していたのはつい最近までのことである。日本を心配し、国家
の行く末を真に憂慮する本物の国士であれば、日本核武装論を唱
導することは当然中の当然であるということが最近少し理解されて
てきているようである。ここでも日本国民は、政治家というものの正
当な国防観念というものがどんなものかを考えてみるべきであろう。
周辺国による核の脅威を抑止するに足る最大の方策が核兵器であ
ることは間違いない。政治家がこれを訴えるのが真に国家を思う国
防認識である。ここでも、これを早くから訴えていた西村眞悟氏の
核武装論提起
は、彼が真の憂国者であることを物語っている。宰
相にふさわしい人物とは彼のように国防を第一義に置く本物の国
士である。宰相の資質たるものにもっとも必要なものは、歴史に裏
打ちされた深い国防意識と先見性にある。それを考えた時、西村眞
悟氏以外にそれを有した政治家がどこにいるのかと思う。

 腐ったパシフィズムは、国民を思考停止という国防意識の極限的
な低下に貶め、日本国民としてどうあるべきかという基本的な価値
観を喪失せしめた。国民精神は歴史的連続性から遊離し、日本の
魂を失った、さまざまな雑多な価値観の揺らぎの海に沈んだ。国民
は、今、シナの核攻撃による滅びのリアリティに覚醒するべきであ
る。歴史の正統性を失った日本人には民族国家の危急存亡の事
態が見えないのである。もっと正確に言えば、今の日本人は自ら夢
遊病者となって現実から目を逸らしているのである。

 昨年の郵政解散総選挙の直前に出た「正論」誌10月号に、兵頭
ニ十八氏の「小泉郵政解散の暗号を読み解く」という、いわゆる兵
頭流の小泉郵政法案擁護論が載っていた。その要旨を私なりに要
約するとこうである。今、さしあたって日本の憂慮をもっとも端的に
示す事柄は、シナによるわが国への破壊工作が熾烈になり、より
いっそうのシナ覇権の危険にさらされてきている。支那は今、数百
発の水素爆弾を所有し、そのうちの何割かはわが国の諸都市を標
的としている事実
がすべてを物語っている。もしこの選挙で小泉現
政権派が敗れるようなことがあれば、日本の国権はめちゃくちゃに
なり、シナ外交部とわが国に巣喰うチャイナゲートとのタッグによっ
て、よりいっそうの国家構造の破壊が進む。

 1972年の田中角栄総理による日中国交回復以来、自民党旧田
中派の台頭は、シナ人との親密な友好という美名の下にありなが
らも、その内実は一方的に日本が支那に食い荒らされる方向に進
んできた。従って、対シナ政策の要点は旧田中派政治家の完全撲
滅にあると小泉は見ており、それが「自民党をぶっこわす」の真意
であった。俗に言われる角栄vs福田の確執から出た意趣返しはさ
したる問題ではないし、民営化論議そのものは「瑣末なこと」である。
つまりは対シナ戦略として郵政民営化をぶちあげたのが今回の郵
政民営化騒動の真相である。郵政民営化の目的は旧田中派の絶
滅にある。
                              
 さて、以上は昨年の郵政民営化解散総選挙直前の兵頭氏の見
方であり、時局的には古くなっているが、シビアな国際認識におい
ては、今も変わらない重要性を持っていると考える。だから今、自
分は兵頭氏の小泉擁護論のいくつかの論点に反論しなければな
らない。かなり以前からではあるが、シナの侵略意志が完全に日
本にロックオンされており、アメリカの動きひとつでわが国はシナ
覇権の餌食にされかねない瀬戸際まで来ていることはもはや疑い
ようのない現実である。マスコミはまったく言わないが、実際に支那
は水素爆弾をわが国の諸都市を、仮想ではなく現実の目標として
狙いを定めている。

 東シナ海の天然ガス資源のドリリング&採掘然り、それに関連
して、わが国の領海内において勝手に航行禁止のお触れを出した
り、潜水艦が領海侵犯的な動きをしたり、また、小笠原近辺の領有
を狙う動きがあったりと、支那の日本侵略意思は日毎に露骨にな
ってきている。今回の東シナ海の船舶航行禁止も、日本の出方に
対する様子見だったというのは本当だろう。日本が怖気付いたら次
の戦略を考えているのだろう。

 さて、国家サバイバルの見地から言えば、日本はいまシナの獰猛
な顎門(あぎと)にどう対抗するかが焦眉の急になっていることは論
を俟たない。戦略的にいかにシナに対峙してわが国の命運を引き
伸ばすかに全国民の強い意志を結集させなければならない。しか
し、シナの日本侵略意思が露骨に現実化する鍵は、アメリカが手中
にしていることは最初に認識して置かねばならないことである。シナ
は、日本や台湾を睨みながら、その背後のアメリカとじわじわと駆け
引きをしているのである。その拮抗バランスが崩れたら、すぐに日本
と台湾を侵略するはずである。

 簡単に言ってしまえば、日本をアメリカが見放した時、日本と台湾
はシナに併合され、蹂躙されるのである。米国は日本経済が機能し
ている間は日米同盟を堅持するが、日本からの「利益確定システ
ム」が機能しなくなった時、すなわち日本経済がパンクして米国に
利益誘導がなくなった時、日本は「貢ぐクン」としての利用価値を失
う。そして、その利益確定システムを、シナという新しい獲物の身体
に仕込むことを始めるだろう。そのために、今、米国は政治経済的
にはシナと親和的な付き合いをしている。

 兵頭氏は、「郵政民営化は瑣末な論議」だと言っていたが、私は
瑣末どころか郵政の民営化は、わが国の核被害に直接関わる国
家の危急存亡だと捉えている。ここ十数年来続けてきた日米構造
協議や、国内におけるもろもろの構造改革は、米国へ日本の国富
を誘導する機構作りであった。この利益誘導システムの中心に郵
政民営化があるのである。昨年の郵政民営化是非による総選挙
は、まさにわが国の命運を左右しかねないほどの重大な局面をも
っていた。

 これを一概に説明するのは、それなりの字数を要するが、要は、
郵政民営化によって、郵貯、簡保にストックされていた350兆円と
いう我が国の膨大な国富が、「生のまま」でリスク市場にさらされ、
それが「キャピタルフライト」という形で海外、つまりはアメリカに流
出する。そしてそれはすでに始まっている。今、郵政資金を目当て
に海外投資家の買いが激化している。これが一時的な景気浮揚
を起こしているが、小泉はそれを、構造改革の成果が目に見えて
きたと嘯(うそぶ)いている。今の景気浮揚は、日本経済が屠殺さ
れる直前に一時的に豪華な餌を与えられた状態にある。

  外国市場は、改革が進むという詐術で、日本国内の規制緩和が
進み、投資がやりやすい市場に構造変換し、そこに郵貯資金がな
だれ込む。基本的に海外市場は、ここ数年で日本株は買い、そし
て郵貯資金を巻き込み、最後は売り逃げする。そういう市場的な
収奪構図が見えてくる。小泉を支持した愚かな国民は、自分たち
が汗水たらして貯めた大事な金を小泉たちがアメリカにせっせとた
だで貢ぎ始めたという事実を認識できないでいる。これじゃ、竹中
にIQが低い国民は騙しやすいと思われてもまったくその通りであ
ろう。今からでも遅くはない。子や孫の未来を案じるなら、現政権
路線はなるべく速やかに弾劾、倒閣するべきである。彼らは紛う
ことなき国賊なのだから。

 郵政資金という膨大な国富が、金融工学に無知な我が国の市場
から流れ出たら、経済力を恃みにしていた我が国の国力は急速に
低落する。この状況で、アメリカは日本と軍事同盟を維持していく動
機を持てなくなる。すなわち金の切れ目が縁の切れ目である。アジ
アの覇権はシナに任せ、衰亡した日本は、やがて吸い取る金がな
くなったら突き放す。およそ、米国ほど共生とか相互互恵とかいう
ものと対蹠的な理念を持つ国はないだろう。はっきり言うなら、米国
のアーキタイプとは盗賊DNAなのである。

 アメリカが日本と軍事同盟を結んだのは、最初は日本の刀狩り
(憲法九条厳守)を監視する目的があったが、日本の経済が亢進
するにつれて、同盟の目的が、経済的に半恒久的な利益誘導の
場としての日本を安定的に「確保する」ということに変わった。そこ
で、不平等条約を嵩に来て、ねちねちと日本のカネを搾り取ってい
たのだが、ヤクザのエスカレートと同じで、近年に至って、日本から
効率的になるべく大きな塊で利益を収奪することに切り替えた。そ
れが日本国内での利益誘導システムの構築であり、これは小泉と
竹中が中心になってやっている構造改革によってほぼ実現した形
になっている。あとはなるべく素早く、効率よく、日本から富を吸い
取るだけになっている。

 日米同盟による核の傘下という構図はすでに成り立たなくなって
いるのだ。アメリカが日本と同盟関係を結んでいる理由は、西側資
本主義国家同士の連帯ではなく、都合のいい利益誘導市場として
日本を見ているからである。郵政資金を始めとする日本からの利益
を確保し、日本には奪うべき価値がなくなったと判断すれば、米国
は同盟関係をすぐに破棄するだろう。そうなった時、有無を言わさず
日本はシナの水爆の標的になり、アメリカはそれを座視することに
なる。

 シナは、日本がシナに併呑されるか、水爆攻撃で列島と民族ごと
灰燼に帰されるか、どちらかを選択しろと迫ってくる。シナに占領さ
れるということが、どういうことかを日本人は強く自覚したほうがい
い。それよりは水爆で一瞬のうちに死んだほうが幸せと言うもので
ある。それを確信できる実際の事件があった。そこから冷静にシナ
人というものの伝統的な一面を汲み取って欲しい。大陸的な残虐性
という言葉だけでは足りないと感じるだろう。歴史の要所要所に当
たり前に見られる彼等の残虐性は現代でもまったく変わっていな
い。読むのはつらいかもしれないが、「通州事件」というワードで検
索してみて欲しい。

  たとえば、
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/tusyu_jiken_1.html

 日本人は平和にぼけていないで良く考えて欲しい。通州で実際に
起きたこの酸鼻極まりない残虐な事件は、シナ人の伝統的な作法で
あり、彼等にとっては少しも異常なことではない。この事件は、東京
裁判に提訴されたが、それは当然ながら却下された。なぜなら、東
京裁判の裁定思想が、デフォルトで日本を悪玉にするという決め付
けに基づいていたのであり、通州事件が訴状に乗ると連合国側に
とって都合が悪いからであった。

 もっとも都合が悪いのは、当のシナ人よりも原爆を落としたアメリカ
である。私は南京陥落時のいわゆるあの大虐殺事件は、アメリカが
無差別都市空襲と原爆の罪を糊塗するために便宜的に捏造したも
のだと考えている。奸佞に満ちたその魂胆は、日本のような残虐な殺
戮を行う民族は、非戦闘員でも、女でも、子供でも、老人でも、原爆で
殺傷して当然であるという、謂わば、究極的な日本民族性悪論であ
った。それは、アメリカが自国の正義を歴史に投影するためにどうし
ても必要な虚偽であった。

 アメリカは、神ならぬ人間の分際で、キリスト教的な原罪観念さえも
凌駕する大罪を日本民族になすりつけたのである。それは日本民族
の存在そのものが悪(evil)であるという決め付けであった。まさに神
をも恐れぬ所業とはこのことであろう。日本人がデフォルトで悪魔な
ら、五百年に及ぶ侵略、殺戮、収奪、植民地化の暴虐をほしいまま
にしてきたアングロサクソンは慈悲深い有翼天使だとでも言うのだろ
うか。

 アメリカは、ドイツ・ニュルンベルグ裁判の裁定思想を無理やり東京
裁判に当てはめ、無罪の日本人を裁いたことは神が許さないだろう。
極東国際軍事裁判とは、国際法的に違法かつ非人道的であり、それ
は私怨による復讐裁判であった。アメリカは日本人がそれに気づくこ
とを怖れている。虚構の南京大虐殺は、アメリカが正義という嘘で塗
り固めた「太平洋戦争史観」を正当化するためにでっち上げた人類史
的な虚構なのである。そういう卑怯な嘘で通していた裁判であるから、
通州事件の提訴は明明白白な証拠があったにも関わらず却下された
のである。

 なぜなら、南京で関東軍がやったと言われているさまざまな虐殺様
式は、通州事件でシナ人がやらかした伝統的虐殺作法と酷似するか
らである。それは我が国の国民性や歴史からは到底想起されえない
行動様式だからである。つまり、南京大虐殺は嘘だということである。
通州事件と南京虐殺の様相を、民族学的な見地から比較検討するこ
とも重要である。それは、日本人が囲繞されている東京裁判史観の
深い昏睡状態から、正気の覚醒に導く一つの方法である。

 シナに占領されたら、列島全体の国民が通州事件の地獄の様相を
目の当たりにし、自身も確実にその運命に巻き込まれることを覚悟し
たほうがいい。のどを針金で通されて引き回され、目をえぐられ、嗜虐
的な娯楽のために嬲り殺されたり、強姦刺殺されたりしてもいいのか
という話である。何よりも恐怖なのは、愛する家族のそういう地獄絵図
を目にすることであろう。偽善ではあっても、キリストを信じていると嘯
いているアメリカ人の方がまだ増しであろう。彼らも国の体面を気にす
るからである。シナの興亡史を冷静に見るなら、彼らに蹂躙されること
が、どういうことであるかを知るために通州事件を念頭に刻み付ける
べきである。もちろん、日本のマスコミは絶対に知らせないが、1949年
から起こっているシナの人民解放軍によるチベット侵攻時にも、この
通州型虐殺や拷問は考えられない数で起きている。これは戦後の話
である。シナのこういう非道きわまる暴虐が日本に向かった場合、そ
れを想像することは夙に容易である。まったく同じ酸鼻な地獄が日本
で再現することになる。

 通州事件とは、シナ人がこういうことをやらかしそうだというのではな
く、実際にそういうことをやってきたという史実の一つなのである。しか
も、日本人が一時も忘れてはならないことは、彼らの歴史において、そ
の虐殺の類型が連続性を保っているということにある。歴史においては、
突出的に起きる事柄と、民族の性向によって再現性を持って起きる
こと
がある。この事件は明らかに後者なのである。原爆の無機的な殺
戮性よりも、同じ人間の形をした鬼畜の所業のほうが、救いがないよう
に思える。銘肝したほうがいい。

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2006年4月17日 (月)

喰われ続ける日本でいいのか

    中国、中間線付近の船舶航行を禁止…ガス田拡張のため
 【北京=末続哲也】中国海事局が、東シナ海の「平湖」ガス田拡張工事の
ためとして、日本が排他的経済水域(EEZ)の境界とする「日中中間線」周
辺の海域で作業船を除く船舶の航行を禁止する通知を今年3月1日付で出
していたことが15日、分かった。

 日中関係筋によると、航行禁止海域は、日中中間線をまたぎ、日本側ま
で広がっている。

 今回の通知には、3月上旬に行われた東シナ海の天然ガス田開発問題
を巡る日中両政府の局長級協議に先立ち、日本側をけん制する狙いがあ
った模様だ。日本政府は、中国の真意などをただしているが、中国の対応
次第では、日本側の強い反発を招く可能性がある。

 海事局のウェブサイトによると、対象は北緯27度7分、東経124度55分
付近から北緯29度4分、東経124度54分付近までを結ぶ帯状の海域。
工事は海底でのパイプラインやケーブル敷設などで、作業期間は3月1日
から9月30日まで。

 中国側は大陸棚を境界と主張する一方、日中中間線を境界として認め
ず、日本が権益を主張する中間線付近のガス田開発について「係争のな
い水域」で行っていると主張している。
          (4/16  YOMIURI  ONLINE  より)

 このニュースを聞いて憤然としない日本人は間違いなくどこかがおかし
い。中共政府が、日本を名指しで難癖を付けてくる場合と違い、このニュ
ースが示すことは、実際上の主権侵害行為である。東シナ海の日中中
間ラインを超えて日本の領海内部まで踏み込み、航行禁止を言い渡す
ことは明白な主権侵害行為である。これは明らかに戦争事由である。こ
のような一大事の時、日本のマスコミは亡国姿勢のせいで、この問題を
通常のニュースの範囲で流している。

 普通の国家なら、号外を出し、政府は声高に主権侵害を抗議すること
が順当な行動である。しかし、日本政府や外務省は静かである。静観を
決め込んで、この事態を傍観するとでも言うのだろうか。心ある国民は皆
憤慨し、相当の憂慮を感じているはずである。いつものことだが、政府は、
シナや韓半島が何か日本に対して問題行為をやった時、なるべく穏便に
やり過ごそうという態度を取る。主権侵害が行われているのにそんな態度
を取る国は日本しかないであろう。だからますます彼らは日本に横柄にな
り、非常識な国際政策をとる。

 政府はマスコミ対策的にいつも同じことを言う。すなわち、「抗議はきちん
とやっている」と。何度抗議しても平然と日本の侮辱をやるばかりか、今回
のように実際の主権侵害行為として、その態度をエスカレートさせる。シナ
のように露骨な覇権意識丸出しのやり方にどう対処するというのだろうか。
「話し合い」という選択肢しか持たないわが国は、抗議という非軍事的な手
段は基本的に無効だということを早く知るべきである。

 いざとなれば実効的な武力展開ができてこそ、国際的な話し合いはまと
もに成立するのである。シナのような大国主義に乗じた横暴な国家に対し
ては、強い軍事力の裏づけが必要である。そのもっとも効果的な軍事力と
は核兵器である。シナや韓国、北朝鮮と実効的な国際関係を続けるには、
軍事的な力の裏づけを必要とする。平和憲法は素晴らしいなどと言ってい
る輩は、「早く自滅しましょう」と言っていることに等しいのである。

 シナのように、話し合いなどということは最初から無視して、権益になる
ことなら、有無を言わせずに実行に移す国とは武力で対峙する以外に方
策はないのである。これが日本を取り巻く冷徹な国際情勢である。これに
対して、わが国は永久に平和を誓った国だからと繰り返し言えば、ああそ
うですか、それは立派な心がけですね、最大限に尊重しますよ、とヤクザ
国家のシナが頷いてくれるだろうか。

 ここに平和主義者の軽挙妄動がある。憲法九条という永久平和の憲法
があると日本人がいくらがなり立てても、覇権意図を崩さない国に対して
は、侵略してくださいと言っていることと同じである。この簡単な事実がわ
からない者が多くいることは不思議ではあるが、彼らは平和の美名に陶
酔した国家破壊者なのである。そもそもシナは強いものには卑屈に恭順
し、弱いものは冷酷に痛めつける下司で野蛮な心性を持つ。

 昨年の日本大使館や企業への破壊的デモの損害を、いまだに補償す
る気配はないことからもそれはわかる。こういうシナみたいな輩には、反
撃できる軍備さえ備えていれば下手に領海侵犯などはされないだろう。彼
らの優位性をぶち破って、パワーバランスを構築する唯一の方策は日本
の核武装なのである。これを実現できれば、シナもアメリカも無体なことを
押し付けては来ない。核武装以外に日本の民族自決が保証される方策
があったら是非とも教えてもらいたい。二度とアヤマチは犯しませんなど
という自虐文を石に刻んで、どうやって生きていくのか。どうやって子孫を
未来に残せるのか。

 今、国際的に言って、もっとも愚かな防衛策を取っている国家は、残念
ながら我が日本と言わざるを得ない。マハトマ・ガンジーの無抵抗主義に
はそれなりの思想があった。それは新約聖書の「山上の垂訓」を心の指
標にしたことである。これをやれる人は、実際に戦うよりも強い精神エネ
ルギーを必要とするように思う。しかし、日本の無条件絶対平和主義に
は思想性が皆無である。こんなものは戦後の浮薄な観念から出された
欺瞞のパシフィズムに他ならない。歴史や国家の連続性から遊離した腐
臭紛々たる偽りの平和主義は、日本人を極限的に蚕食し始めた。これこ
そが、三島由紀夫の予言した「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中
間色の、・・」の国民様態そのものにほかならない。
    
 そもそも教育基本法改正に「国を愛する」という表現を盛り込むことがど
うのこうのと騒いでいるが、歴史のレジテマシーをまったく考慮せずに、そ
んな形骸的なお題目をぶち上げたところで一切の効果は望むべくもない。
ましてや、村山談話を肯定したまま、先人たちの名誉を回復せずして、い
ったいどんな愛国心が生まれると言うのだろうか。占領憲法とセットで押
し付けられた教育基本法などは、日本国憲法とともに廃棄する方がいい。
その代わり、明治憲法を土台とした立憲君主制による新憲法を打ち出し、
それと同時に教育勅語を復活するべきである。

 アメリカやシナのような暴虐な国に無理難題を押し付けられ、刀を抜くこ
ともできずに武士道精神がどうのこうのと言う資格はない。ましてや今の
日本は、刀を使えないように保証する憲法を持っている。まず、この異常
さを正常に変える事である。民族自決と自主独立の中からしか民族の
幸福原理が働かないなら、初めから隷属を強いられてる憲法など、でき
る限り速やかに廃棄するべきであろう。私は護憲論者でも改憲論者でも
なく、現行憲法の無効を信じる「廃憲論」者である。アメリカ人が考えた
草稿で成立された憲法をなぜ護る必要がある?なぜ、それを土台に改
憲する必要がある?話はいたって単純だと思うのだが。

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2006年4月16日 (日)

戦艦大和(13)◎船影に見る亡失の日本美

   ◎船影に見る亡失の日本美

大和は美しい戦艦である。極秘で建造されたため、大和の実際の写真は
非常に少ないようである。おそらく、全体像を捉えた鮮明なものは皆無と言
っていいだろう。十年くらい前のことであろうか、私は少し考えてみたことが
ある。戦艦大和、あるいは戦艦武蔵が、なぜかくも美しい形態を備えている
のかということを。

 それを考えていたところ、その理由が一筋縄でいかないことにやがて気
がつくこととなった。しかし、取り掛かりとしては次のような捉え方を持ってい
た。それは、大和に限らず、たとえば戦車や装甲車、軍艦類、そういう、戦
闘のための機能や機関を備える戦闘マシーンすべてに言えることである
が、美しさの第一の要因は、まさに戦闘目的で造られたというところにある
と考えた。戦うための武器や戦闘機関というものは、効果的な殺戮や破壊
を何よりも優先させるために、戦闘に対して無駄な機能や構造は極力削ぎ
落としている。

 そのために、装飾的な恣意性、あるいは遊び心を含む冗漫さ、複雑さは
一切なく、そこには破壊殺戮というきわめて明確な目標に一直線に向かう
機能的、かつ簡素なデザイン形態が用いられる。これらのものが美しいの
は、たとえば、人間的な権利や個性、能書きを絶対に主張しないからであ
る。造られた存在目的にそういうヒューマニティと言うか、市民思想的なも
のが一切混じっていないところに洗練された簡略美があるのである。戦う
機動機関に、個性というものが垣間見られるとしたなら、たとえば大和の
舳先にデザインされた十六弁菊花の御紋章のように、国威すなわち国の
誇りを表すものであろう。つまり国柄を象徴するデザインである。

 これによって兵士は、死地に赴く時も誇り高くあることができる。国家に
誇りが持てなくては戦う意志も湧かないし護る意味もない。戦後の日本人
は、護る戦いさえも侵略する戦いとしてカテゴライズしてしまったために、
防衛観念に混乱をきたしたままこれを放擲してきたのである。そのため、
防衛という国家最大の存立意義を、日米安保というアメリカ主導の不安
定な条約に託してしまうという、もっとも愚かな錯誤を継続しているのであ
る。他国に防衛を依存するという行為そのものが、国家の正統性(レジ
テマシー)を失うことに気がついていないのである。

 国家の正統性を失った戦闘思想などは、本来あり得ないのだが、戦後
の自衛隊は実際、憲法的にはそういうものとして歩んできている。こうい
う倒錯した思想が生み出す武器とは、笑い事ではないが、必然的に醜悪
な形態を取るのだろう。たとえば、戦車や戦艦が、「俺たちも疲れることが
あるから、たまには休暇を与えてくれ、戦争労働基準法にのっとって」な
どと権利を主張するような自我を持ったらどうであろうか。あるいは市民運
動家のように、戦争反対、軍国主義への動きを牽制しようなどと戦車が言
い始めたらどうだろうか。それは実戦で使い物にならないことを自ら主張し
ていることになり、自らの自己同一性を否定することになる。

 さらに、場合によっては戦闘に対してストライキを起こし、だんまりを決め
込んでしまうような火器があるとしたら、そんな物は醜くて見られたものじゃ
ないと思う。武器から怜悧さや即応的な機能性を剥ぎ取ったら、切れなくて
料理に使えない包丁と同じである。従って、武器や戦闘用マシーンが美し
いのは、まさに戦闘だけに収斂された設計思想が創造する無駄のない機
能美を言うのである。ここで述べた火器や戦闘車両、その他の武器類は、
象徴的に言ったものであって、実はそれらを今の日本人の防衛感覚と言
い換えても一向に差し支えない。今の日本人の防衛観念は、建国史上、
もっとも醜悪な精神性になっている。なぜなら、それは隷従根性なのであ
る。

 と、そこまではトントン拍子に考えたが、いきなり立ち止まってしまった。
「武器の設計思想は戦闘性能だけに収斂される。だから、それらは極限的に
簡素化されて美しいのだ」と言い切ってしまえば、思考的には簡単明瞭で
楽である。しかし、それなら、大和のみを美しいと言わなくても、人類開闢
以来、人の手で生み出された武器、武具類はすべてが美しいということに
なってしまう。支那の武器も、日本の武器も、シリアの武器も一様に美しい
もんだなあ、などと言ったら、そもそも大和を論じる意味がない。そういう汎
用的、通俗的な美学に帰結する魯鈍なロジックは、単なる思考のゴミであ
る。一時的にもそんな水準の低い論理展開を安易に使った自分が恥ずか
しい。

 さて、そうは言いながらも、武器が簡素化された機能美を持つのはたし
かに一面の真実ではある。しかし、本当に知りたいことは、民族の違いに
よって、あるいは時代の違いによって、戦う道具が異なる造形美を醸し出
すということを考えるなら、その民族の美学的特質を思考の拠り所とする
のは当然である。そういう論理地平から戦艦大和の船影の美しさを論じる
ことが大事であると気がついた。それは、大和に関する美的考察を行うこ
とが、日本人今昔の美的感受性を問うこと、すなわち民族固有の感性的
な連続性を光に当てることに等しいことだと気がついた。

 言い換えれば、それは紛うことなき「日本論」なのである。日本論という
高嶺に聳え立つ道標は、私ごとき一介の親父の手に余る巨大なテーマで
ある。そうは言っても怖気づいてばかりではいられない。戦艦大和の魅力
に嵌ってしまったからには、その日本論、日本人論というテーマに挑戦し
なければ、大和とともに晦冥に沈んだ三千名近い英霊たちの弔いにはな
らないと思っている。

 日本論というものはいろいろな切り口があるがテーマとしては巨大であ
る。なぜなら、日本そのものを扱うわけであるから、並大抵の奥の深さ、
頂上の高さではないだろう。私は戦後の知識人、有識者たちに対しては
憤りを持っている。彼らは小賢しく国際関係における日本とか、開かれた
日本とか、のべつ幕なしに高邁ぶってさまざまな論説を打ち立てるが、肝
心の日本については非常に曖昧な見識しか持っていない。彼らの言う訳
知り顔の論説の中に、日本の未来を担う若者や子供が、希望を持ち、祖
国に誇りを感じるエッセンスがどれだけ含まれているのかという観点から
言えば、ほとんど見当たらないと言ったところだろう。

 彼ら有識者たちが、日本を持たずに無国籍な論説しかできないのは、彼
らの芯に日本の正統なる歴史観が存在しないからである。教育、政治、国
際関係、あらゆる国家的な営みに祖国を大事にする感覚が欠けていたな
ら、どうして日本の行く末を良い所に導けるのだろうか。戦後知識人たちの
師匠の中の師匠たる存在が丸山真男である。どんなに頭脳明晰でも、心
に日本がなければ、彼らは「国売り」の類である。

 たとえば、昨年、テレビ朝日の番組で、郵政民営化を頭ごなしに肯定し、
それに反対意見を述べる者を熾烈にこき下ろした、東○大教授の松○聡な
どという輩は、間違いなく心にいっぺんの日本も持たない売国奴である。小
泉純一郎や竹中平蔵と同質の無国籍精神で生きる典型的な日本人であ
る。この男が今は「通信・放送の在り方に関する懇談会」の座長をやってい
る。

 この男が旗を振って地上デジタル放送など、これからの通信インフラをや
って行くと思うと空恐ろしい。通信インフラが巨大メディアのハードとソフト面
を「規程」することを慮ると、それらのインフラには通さなければならない思
想があり、その根幹には日本を外国から守るという姿勢がなければならな
い。しかるにこの男が小泉売国内閣の尖兵として動いていることを見れば、
これは憂慮すべき事態であろう。日本の知識人の大多数はこの輩である。
彼らの傲慢で醜悪な無国籍性からは、大和の美しさ、品格の高さはけっし
て生まれてこない。彼らの世界認識には、防人(さきもり)感覚、すなわち
国や国民を護るという基本がないからである。あるのは、伝統や歴史や国
家の品性が皆無の、中性的で無機質な市民感覚だけである。そこから生
まれるものは、底なしの日本否定という醜悪さのみである。国への愛情な
くして、どうして未来日本の生命を育むと言うのだろうか。

 松○聡の「なぜ日本だけが変われないのか ポスト構造改革の政治経済
学」に、「小泉首相が掲げた廃止か民営化という大原則は云々」とか、「特
殊法人が利権を握っているがために、日本経済の活力が奪われてきた」
という言い方が出ている。学者であるにも関わらず、これでは竹中や小泉
が、国民を欺くために繰り返し使用した「官僚総悪玉論、従って有無を言
わさず民営化」という不毛愚劣な二項論理そのものである。典型的な御用
学者である。この男の名をわざわざ上げたのは、戦艦大和乗組員の誇り高
い顔と比べて、戦艦大和にもっとも似合わない戦後的な顔をしていると思っ
たからである。

 話を戻すが、日本論としての戦艦大和を考える上で、見逃せない大きな
視点が、もちろん日本の歴史という考察課題であるが、その中に、民族の
美学的感性というテーマが浮かぶ。戦艦大和の容姿の美しさに共通する美
しさを、わが国の歴史の中から探し出し、そこから美のエッセンスを浮き彫
りにすれば、それが求める「日本美」の姿なのである。少なくとも、戦前を否
定した戦後民主主義的な感性からは絶対に生まれないであろう日本美の
塑型を抽出していくことにより、本来の日本という本質をたどることができる
ような気がするのである。日本の美を追求していくと、必然的にそれは日本
という文明のアーキタイプに帰趨してしまうのである。

 前述したように、はじめに私は、浅はかにも戦艦大和の美を機能美のみ
に還元するというきわめて稚拙な思考展開を行った。それで大和の秀麗優
美な理由を説明できると考えた。今思えば、そういう思考過程にこそ、歴史
から浮遊した戦後民主主義のお定まりの観念論があった。民族の血と生
命がなく、魂の欠落した合理的な観念論などは何の役にも立たない。

 国家や民族を否定する感性は、人間として最大級の卑しさ醜さを意味す
るわけである。とすれば、戦後の日本人は、国家や民族という言葉に背
を向けて生きてきており、それが平和と幸福への条件であるかのように思
い込んできた。左翼や人権至上主義者の定義によれば、戦闘思想そのも
のが醜いということになっている。偽善のパシフィズムで、守るための戦闘
思想さえも醜いと断定したら、その方が異様に醜い。そういう国家防衛に
樹立しない考え方は、日本の伝統的精神文化から見れば、いかに間違い
であり、大きな自己欺瞞であるかということがわかる。

 日本人の心に「お国」が甦らなければ、日本美は復活しないのである。
別な言い方をすれば、日本美が国民意識に戻ってくれば、先祖たちへの
敬愛も、子孫たちの幸福も願うことができる。そうなれば、磐石な国防意
識も必然的に出てくる。日本人とは、国家の安泰を祈る気持ちが強くあ
るときが一番幸せを感じる国民性を持つ。何度も言うが、護らねばならな
いことをしっかりと認識することが大切だと思うのである。「お国」とはそう
いうものだと考えている。

 私の年代も含め、若い人たちにも少しだけ言いたい。浄福(じょうふく)
という言葉を知っているだろうか。浄福とは清い心の幸福感である。かつ
ての日本人にはそういう幸福感があったのだ。自分たちが住むこの美し
い国土の安泰を願い、そして祈ることにより、謙虚で静かな喜びを感じて
いた過去がある。その感情を、もし少しでも知りたければ、心を静かにし
て「紀元節の歌」を聴くことをお勧めする。かつての日本人が知っていた
浄福のさわやかな空気感がそこにはある。もし、聴いていて涙が出てき
たら、戦艦大和の美しいシルエットを想起して欲しい。そこには失われた
大事な日本がたしかに見えてくると思う。

      雲(くも)にそびゆる 高千穂(たかちほ)の
     高根(たかね)おろしに 草も木も
     なびき伏しけん 大御世(おおみよ)を
     仰(あお)ぐ今日(きょう)こそ 楽(たの)しけれ

          (つづく)

 

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2006年4月11日 (火)

戦艦大和(12)◎最強最大の戦艦、最後の咆哮ならず

Photo_1

 戦艦大和は、昭和20年、4月7日、菊水作戦(天一号作戦)の途上、坊の
岬沖、護衛機が皆無の状態で、米航空隊の集中爆撃を受け、約二時間奮
戦した後、沈没した。沈没開始時に大和は海中で船体爆発を起こし、キノ
コ雲状の巨大な黒煙を上げた。この時、爆圧のために大和の周辺は直径
580メートルのエリアで海面が40メートルも盛り上がったそうである。巨大
な海のテーブルである。それほど大和断末魔の爆発は凄まじいものだっ
た。(この描写は、戦艦大和から生還した八杉康夫氏が著した「戦艦大和
 最後の乗組員の遺言」を参照したものである。)

 このような状況でも生還者は276名いた。案外知られていないことだが、
海に脱出した者で、大和沈没の影響で巻き込まれて亡くなった者の他に、
漂流中に米軍機の機銃掃射で命を落とした者もかなりいたようである。機
上の米国兵は、海面に漂よう戦意も戦闘能力も失った大和の乗組員をタ
ーゲットにして撃ち殺していた。

 敵味方ではあったが、勇敢に戦った者同士の騎士道精神、あるいは惻
隠の情などというものは微塵もない非道さである。それは、B29爆撃機に
よる無差別都市空襲や、二都市への原爆投下を見ても同じ戦闘思想で
行われていることがわかる。

 軍人は、日米双方とも仲間の死傷を間近にして戦闘中は熾烈な怒りを
持っていた。従って、敵方兵員が戦闘不能になった時、たとえ無抵抗で
あっても、これを殺したいと思うのは人情であっただろう。しかし、日本軍
人の現場統率者はけっしてこれを許さなかった。武士道精神が憎悪を超
克していたからである。しかし、米軍兵士は、サファリ感覚と言うか、狩猟
の追い討ちのように無抵抗の日本軍兵士を殺したのである。これを人種
の違いによる戦闘様式の差異であるという言い方もできるが、ここには
明らかに人種差別感覚が存在していた。

 これには、無差別に民間人の殺戮を目的とした都市空襲と原爆投下を
行ったアメリカ白人の意識と同次元の心持がある。わが国へ行った二種
類のタイプの原爆投下は、破壊殺戮効果の実験検証と、ソ連に対するデ
モンストレーションの意味合いがあった。ソ連への見せつけであったのな
ら、同じ敵国のドイツに原爆を投下したほうが、隣接していただけに余計
確実に威嚇効果を望めたはずである。しかし、ドイツに原爆は使用されな
かった。人種が同じ白人系だからである。

 アングロサクソンにとっては、日本人は少し知恵の発達した類人猿と同
程度の動物としか見ていなかったのだろう。彼らアングロサクソンにとって
は、その五百年に及ぶ収奪の歴史から、有色人種はただの狩猟の獲物
としての存在価値しかなかったからである。その獲物に過ぎない分際が、
ロシア白人帝国と戦って勝ったばかりか満州帝国を建設し、シナ大陸の
権益を狙い、偉大なアメリカに戦闘を開始したという事実がどうしても許
せるものではなかったのだろう。

 マッカーサーは占領の手始めとして厚木に上陸した時、アングロサク
ソンが45歳の大人だとすれば、日本人は12歳の子供であると言ったらし
い。さすがに、これから統治する場所で「お前らは黄色いケモノなんだ」
とは言えなかったようである。2666年の国家時間を持つ、古い家柄の民
族に対して驕慢も甚だしい言い草である。物量の優勢と、産業革命の潮
流をいち早く受けたことによる工業技術のわずかな優先で勝っただけの
話である。彼らには勝利のレジテマシーがない。負け惜しみではないが、
条件が同じなら日本人は圧倒的な勝利をものにしていただろう。もともと
は、持てる国と持たざる国の差異から生まれた戦争であった。日本が欧
米の奴隷下に入る条件を飲めば、あるいは民族がそれなりに生き続け
ることもできただろう。

 しかし、思う。三島由紀夫の最後の檄文にあったように、「生命尊重の
みで魂は死んでもいいのか」という気構えは、当時のすべての日本人に
共通のものであったから、真珠湾開戦時、我々の先人たちは確かに感じ
た。開戦の知らせは、英米の大国主義による執拗な圧迫で日々鬱々と
していた日本人に、大きなカタルシスを確かに感じさせたのだった。それ
こそが東亜百年を耐え続け、我慢を重ねてきた先人たちの魂の咆哮であ
った。今を生きる日本人は、このような精神の構えをまるで亡失している。
そもそもその亡失こそ、現代日本を覆う深刻な退嬰の本質なのである。

 私自身は大東亜戦争、特に対米戦は歴史の宿命であり、たとえハル・
ノートを隠忍自重したとしても、時を待たずして対米戦は不可避だったに
違いないと思っている。これは、幕末のペリー提督来航の時から宿命付
けられていたと考える。

 先人たちが、なぜ魂を込めてあの戦艦大和を建造したか。これには
民族の強い潜在意識が横たわっていた。幕末のあの黒船に象徴され
た外来の侵略思想から、わが国の大事なものを守ること、民族のこの
深層意識が世界最大の戦艦大和に結実したのである。先祖たちは黒
船を見て世界の中の日本を深刻に認識し、国家体制の強化として明
治維新の苦悶を通り抜け、昭和に至った。比類なき大和の美しい船体
には民族の無我が体現されている。それは船名通りの大和朝廷の弥
栄(いやさか)なのである。舳先にデザインされた菊花の御紋章と、
戦艦大和の優美な船体に、日本人が何を護らねばならないかがよく
あらわれている。それは日本という古い時間の凝集である。それこそ
が、生命を超える日本という価値なのである。これを心に刻まないと、
特攻と玉砕の真の姿は見えてこないと私は感じている。

 アングロサクソン、彼らの基本は昔も現在も、腕っぷしが強ければ世
界の何を手中にしても構わないというバーバリズムが基本である。徹
底した弱肉強食である。勝ちさえすれば手段や正当性などはどうでも
いいわけである。この世界略奪をほしいままにする彼らの真の旗印は
徹底的な社会ダーウィニズムにある。聖書を信奉しているとは言うが、
その本心は紛うことなき社会ダーウィニズムにある。この世は喰うもの
と喰われるものに分かれており、どのような方法を取ろうとも、強いもの
が喰うということを進化の正当性にしているのである。弱いものは強い
ものに徹底的に奉仕して当然だという考え方である。日本人の民族心
性はそれとはけっして整合しないであろう。

 話が逸れてしまったが、現代に生きる我々日本人は、毎日食べたいも
のを食べている。衣食住には困らない生活を当然としている。このような
感覚で、物資が決定的に不足していたあの当時の日本を簡単に推し量
ることはできない。護衛機を一機も付けずに海上特攻に赴くなんて、なん
という不合理な感覚だと最初から思う人は多いであろう。まったくその通
りである。要は物量なのである。残存していた戦闘機は本土決戦に備え
て温存するしかなかったのである。それとてもとても戦える数量ではなか
った。飛行機を生産する能力は充分にあったが、すでに石油や資材が
そこをついていた。しかし、始めた戦争は簡単には終息できない。開戦
初動の短期決戦に失敗した日本は、二度と引き返せない地獄の地平に
進まざるを得なかった。

 大和最後の出撃は、終戦四ヶ月前の昭和二十年四月六日である。こ
の当時の日本は物量的にも、戦法的にもすでに打つ手を完全に失い、
戦局は終局部に差し掛かっていた。すべて、造られたものはその存在
目的を持って生まれる。戦艦大和も例外ではない。大和の悲劇性は建
造された時、時代はすでに大艦巨砲主義を追い抜き、航空戦に移って
いたことにある。

 しかし、もっとこの戦艦に悲劇を感じることは、絶望的な戦局において
水上特攻任務を与えられたにもかかわらず、大和は戦艦決戦もできず、
最後の最後まで敵機の襲来に対して、艦の生命であった46センチ主砲
を一発も撃てなかったことにある。この世に存在した戦艦は、たとえ時
代遅れでも、最後の戦いの舞台に出たからには、己の最大の武器を使
いたかったはずである。

 戦艦という物の最大の存在目的は、戦いの海という舞台に主砲の威
力を発揮させるために、それを機動的に移動することに尽きるのである。
菊水作戦(天一号作戦)において、大和の最終使命は、駆逐艦数隻を
伴って沖縄本島に到達し、海岸に突入して座礁させ、固定砲台として、
地上戦を行い、弾薬が尽きたら乗員が決死の戦いに挑むという、いわ
ば不帰の作戦であった。この形が大和の最後の理想ではあっただろう
が、護衛機なしでは、途中で敵機や潜水艦に襲撃されることは目に見
えていた。

 坊の岬沖で、第一波の敵機襲来があった時、総員は覚悟を決めたと
思う。八杉氏が書いている。この時、「来るなら来い、アメ公、俺は日本
男児だ」と肝を据えたそうである。しかし、この最後の時に、天候が曇り
空で敵機がまったく見えない状況にあったので、ついにこの世界最大の
主砲が火を吹くことはなかった。もし、晴れていたなら索敵して敵機群の
ど真ん中に何発か撃っていたと思う。

 後世の私が考えても、そこは非常に悔しい思いがする。兵員の戦闘配
置とは、解除命令が下るまでは、最後までその持ち場を死守しなければ
ならない。実際の解除命令は「総員退避!上甲板」という号令である。こ
の号令がかけられたときの大和の状態は艦が左舷に傾いており、各仕
切り部屋の分厚い防御鋼板の扉は重力に対して傾斜してしまい、人力
ではすでに開けられなくなっていた。爆発死を免れた者でも、閉じ込めら
れた状態で、内部の兵員たちは海水と重油に溺れて死ぬしかなかった
わけである。

 大和は浸水で沈みにくくするために、内部は多くの隔壁で仕切られて
おり、内部にいた兵隊たちは外の戦闘状況がわからずに死んで行った。
彼らは任務であるから覚悟はしていたのであるが、私は、船体とともに
海底の晦冥に向かう多くの兵隊さんたちに、「戦艦大和が敵に向かって
最後の轟音を放った」という、輝かしい記憶を残してから旅立ってもらい
たかった。そう切に思う。46センチ主砲発射の振動と音は艦の隅々まで
とどろきわたったに違いないからである。

 私でさえ、それがなかったことは悔しいのであるから、大和生存者のす
べての方々はそれを強く感じながら戦後を生きてこられたと思う。艦が傾
く前に一発でも大和の主砲が火を吹いていたなら、その爆圧は全艦に行
き渡り、船内の任務につく者たちは、閉じ込められ、死に行く間際でも、
「おお、大和よ、やってくれたか」という、戦った武士(もののふ)としての
誇りと安堵は与えられたはずである。感傷的に言うわけではないが、主
砲発射は戦艦大和の最後の咆哮として、死する兵隊さんたちへの送り
火の意味と、日本が最後まで雄々しく戦った証として、敵機のアメリカ人
に聞かせてやりたかったと思う。それが日本人の心根であろう。

 吉田満の「戦艦大和ノ最後」にも、八杉康夫氏の「戦艦大和 最後の
乗組員の遺言」にも、そのことは書かれていた。生存者たちは、駆逐艦
に救助され、佐世保に差しかかった。その時、そこで見た「青空」と桜の
木を見て、みんなは悔し涙にくれ、中には「チクショー」と号泣したものも
いたそうである。それは、たった一日違いの天候の差で、一発も主砲を
撃てなかったことへの慙愧の思いであった。これについて私は、大和の
魅力を感じれば感じるほど胸にこたえてくるのである。


戦艦大和艦歌(坂井保郎 詞)

遠すめらぎの 畏くも
肇めたまいし 大大和
永久に栄ゆる 日の本の
神武の正気 今ここに
こりてぞ成れる 浮きつ城

しこの御楯と 畏みて
たおれて止まぬ 尽忠の
大和ますらお 数二千
心を磨き わざを練り
断乎と守れ 太平洋

ああ悠久に 伝うべき
八紘為宇の 大理想
行くてをはばむ 敵あらば
無敵の巨砲 雷と吼え
撃ちてし止まん 大和砲


(つづく)

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2006年4月 9日 (日)

小泉内閣は破防法適用集団である

◎この構造改革は棄民思想に基づいている

 私は法律にはまったく詳しくないが、ある一つの特異な法律に
対し、一日本人として根本的な思惑を述べてみたい。それは破
防法についてである。わが国には破防法、つまり、破壊活動防
止法という法律がある。 

 まず最初に言っておくが、私は今の小泉内閣、つまり、現政府
に対してきわめて熾烈な怒りを持っている。それは、自分や家族、
親戚、親しい友人知人等、そして多くの日本人同胞が住むこの
国の行方を心配しているからである。時の内閣は、国柄を守り、
国民を守ることを国政運営の大前提としなければならない。しか
し、この内閣はその前提を省みないどころか、自ら積極的にそ
れに背いている。その観点から破防法について少し考えてみた。

 破壊活動防止法、簡単にその成立を言うと、GHQ占領期が終
わった昭和27年、つまり私が生まれた年にできた法律である。
破防法・総則の条文をみると、取締りの対象となるものは「暴力
主義的な破壊活動を行う団体」とある。当時、ターゲットを定めた
暴力主義的な団体とは、マルクス的な共産主義思想をもって暴
力革命を狙う共産党の意味であった。

 それは当時の日本共産党が革命を起こし、国家転覆を謀るこ
とを防止するためにというものであった。GHQの手を離れ、日本
が国内に増殖する共産主義の跋扈を独力で防止する必要が生
じてきた。しかし、当時のことを調べてもらえばわかるが、昭和
25年に朝鮮戦争が勃発し、アメリカのトルーマンは、下手をすれ
ばアジア極東地域が完全に共産化することを危惧した。

ソ連の機関紙プラウダは、アメリカが日本を完全植民地化すると
執拗に言い続け、そのことで自由主義陣営の欺瞞を世界に喧伝
していた。そこで、アメリカは(と言うか、マッカーサーは)は、日
本占領を終えると同時に吉田内閣に対して書簡を送り、国内の
治安維持を名目に防衛軍の設立を要求した。吉田茂は、焦眉の
急としての再軍備は拒否したが、暫定治安部隊として警察予備
隊(自衛隊の前身)の創立と海上保安庁の増員を行った。

 1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効され、日本は独
立した。このような流れの中で破壊活動防止法案は制定された
のである。この法律の背後には、明らかに共産主義の浸透を阻
止しようとしたアメリカの意志が強く働いていたと考える。

 日本共産党は、共産主義インターナショナルの日本支部とし
て外国の共産主義国家の指示で動くため、「外国の通謀として
日本国に対して武力を行使」する可能性があり、日本で革命を
起こせば、外側の共産勢力が応援に駆けつけ、国内を騒乱に
落としいれ、ひいては国家転覆をもたらす団体であると、当時
は実際に起こりうるものとして憂慮されていた。

 しかし、近年にいたり、破防法の適用対象は共産主義という
よりも、その法律の名前にあるごとく、国への破壊を企てたもの
に適用するという概念になってきている。たとえば、オウム真理
教のサリンガスによる都市へのテロ行為や、北朝鮮による日本
人拉致を幇助した朝鮮総連など、いわゆる国民毀損を行った団
体にも適用しようとする概念に移ってきている。しかし、戦後の
日本には、あまりにも左翼的感覚が広がったために、適用され
て然るべき事件は多々生起したものの、まだ実行されていない
現状である。

 たしかに破防法は、「破壊活動」というものの定義を取り違え
た場合、無辜の団体を処罰してしまう危険性がある。そのため
に、いったい何が「破壊」であるのかという定義を真剣に考え、
国民的なコンセンサスを得て行うべき法律である。しかし、この
定義を見定めるには、何が国家的な破壊であるのかということ
の根拠をしっかりと把握する必要がある。それこそが正統な歴
史観、文明観なのである。戦後の日本に生起しているほとんど
の深刻な問題の背後には、国民が歴史観の正統性(レジテマ
シー)を保っていないということに尽きる。

 それがないために、今の日本は、正統な価値観を持つことや、
国際問題の解決に重大な困難を惹起しているのである。破防
法の考え方も例外ではない。国民や政府が正統な歴史観を持
っていれば、当然、国家破壊というものがどういうことであるか
を明確に認識し、定義できるのである。

 オウム事件当時、破防法には国民の八割が賛成していたが、
司法や公安当局、政治家連中が紆余曲折した結果、適用は見
送られた。これは日本人に歴史のレジテマシーが存在しないか
らである。しかし、考えてみれば、破防法を適用できない国には
たして国民や国家の未来を磐石にできるのかという疑念が湧く。
我々が住む郷土の総合体である国家の壊滅を企てた者たちを、
一般刑法でしか取り扱えないということは、国自体の安全を信じ
られないということなのである。破防法がきちんと作動しなくて
どうして国民の安寧と幸福が担保できるというのだろうか。
                                 
  そこで、小泉現政権に言及するが、この内閣が進めている政
策とは、明らかにアメリカに強制されて推し進めている、いわゆ
る新自由主義的経済体制への国家構造の造り替えなのである。
これはただの経済体制の変更ということではない。明らかに日
本という国家構造の破壊作業なのである。それを証拠付けてい
るものは、年間三万数千人に激増している自殺者の数である。

 小泉政権が拙速に推し進める構造改革は、いわゆる英国の
サッチャリズム、米国のレーガノミックスを下敷きにして、ニュー
ジーランド・モデルを無考察に日本に当てはめた社会構造の改
悪なのである。ここで進められる加速的な規制緩和は、従来の
日本社会との整合性などの考慮などはまったく無視しており、
むしろ、革命に近い急進性を特徴としている。郵政民営化を機
軸にして、その無軌道な規制緩和はあらゆる分野に拡大され、
国民利益とはかけ離れたところにある。これらのいわゆる構造
改革とは、日本社会の解体であり、圧倒的な棄民思想によって
貫かれている。棄民政策の最悪の結果が激増する自殺者数で
ある。

 つまり、わが国にミルトン・フリードマン的な国家ビジョンを適用
し、新自由主義を用いるという政治行為とは、わが国の伝統的
な平等観、相互扶助の社会を完全に否定し、自由の名の下に
優勝劣敗構造を極端に推し進める、いわば、明らかなる「国家
破壊活動」なのである。「拒否できない日本」を書いた関岡英之
氏も指摘したように、フリードマン的な市場原理のみに特化さ
れた経済体制を敷くということは、その前提として、国家の
構造を極左急進的なアナーキズムに変える必要があり、こ
れが間違いなく国家破壊そのものなのである。この破壊の
中心に位置するものが、小泉が行おうとしている皇統の破
壊である。


 以前も書いたことであるが、小泉・竹中路線が敷いている今
の構造改革は、左翼革命とまったく同質の社会革命なのである。
ただ、イデオロギー的にはマルクス経済思想を通らずに、官僚主
導否定論と金権利権構造の打破という一種の政治修正的な方
法論で行っているが、その実態は変革様態において、日本国家
の歴史や伝統を完全否定する左翼革命そのものなのである。

ということは、戦後七年目に、共産主義革命への対抗として成立
させた破防法は、その適用対象が、ほとんど当時の憂慮と同じ
性格を持つ小泉内閣にも発生していると看做すべきではないの
か。

 したがって、小泉現政権には破壊活動防止法を適用するべき
であると私は考えている。小泉純一郎とその周辺のグループが
着手した国家破壊活動で、もっとも悪質で破壊的な作業とは、
皇室典範改正への動きである。国家2666年の万世一系の男系
皇孫の連続性を、こともあろうに、時の一内閣による瞬間的な発
想で、女系皇孫も認めようなどいうことは、国柄破壊の最たるも
のであり、これは重大な国家反逆罪に該当する。

  日本という国に、国民を欺瞞してアメリカ主導による新自由主
義体制を敷いたこと、そして皇室典範を女系天皇容認という形で
改悪を進めているこの事実とは、紛うことなき国家破壊である。

 日本文明の核は、皇統という大和朝廷の連続性にある。この
国体、すなわち国柄の真髄を破壊しようとしている小泉内閣とい
う「一団体」は、明らかに破防法の適用団体である。

 これを冗談だと考える人は、なぜそうなのかを論理的に自問し
ていただきたい。きっと笑えなくなる。

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2006年4月 7日 (金)

小沢一郎と小泉の対決が見たいものだ

私は小沢一郎の国会における小泉との対決を見たい。
想像だが、小泉は終始逃げを打つような気がする。政
治家としてのキャパシティにおいて問題にならないので
ある。おそらく大人と子供ほどの力量の差が表れるだろ
う。

 過去に小沢は小泉のことを、長く答弁できないのは、
考えていないからであると言い切っている。そう、小泉
は体系だった政治的議論は何一つできない人間なのだ。

 それくらい知的に問題を抱えた男なのに、五年も総理
大臣を張ってこられたのはフォーチュン(幸運)ではなく、
彼一流の詐話的技術にある。体系的な論考ができない
代償として、ワン・フレーズ・ポリティクスや本質的に都合
の悪い問題を、別の話題にすり替える強弁技術が発達し
たのだろう。

 彼はしばしば余裕をかますポーズを取るが、その実態は、
余裕ではなく大袈裟なポーズでごまかす時間稼ぎなので
ある。内心は早く逃げたくて仕方ないのである。小心者の
小泉が、五年間もそういう見せ掛けの顔をして無理を通し
てこられたのは、本当のところは彼に米国の支援があっ
たからである。

 小泉は政治を三文芝居だと見ており、国民をその観衆だ
と思っている。その主な舞台は国会と仕組まれた記者会見
場である。特に彼が力を入れるのは、選挙応援などの街頭
演説である。街頭パフォーマンスに彼が生気溌剌としてバカ
でかい声でがなり立てているのは、聴衆がけっして討論を
挑んでこないからである。小泉が一番怖れているのはテレ
ビにおける自由討論である。討論能力がないから、深い内
容の突っ込みに対応できず、すぐに馬脚をあらわしてしまう。
そんな男が、田中政治の時代から政界中央で揉まれた強
力な政治センスを持つ小沢と、国政の場でどのように対峙
できるのか。

 小沢の政治的姿勢がどういうものであるか、正直わからな
いが、彼は帝王学を学んでいる感じがある。だとすれば、小
泉と同次元で渡り合うことは考えにくい。貫録勝ちになるだろ
う。

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西村眞悟、首相待望論(9)

 西村眞悟という偉大な人物が居る。この人の言うことは政治に
しても、文化にしても、歴史にしても、よく現状を見極め、哲学的
にも非常に深いことを言う。自分の世界観を研ぎ澄ますことにお
いて、この人物の言うことはほんとうにためになる。西村氏は「眞
悟の通信」でこう言っている。

『今の私の関心は、我が国の文化と文明に向かっている。勿論、
抽象的で学研的な関心ではなく、政治課題としての関心である。
即ち、この政治課題から目をそらして我が国の未来は拓くことが
出来ないと得心したからだ。
 
 この私の傾向は、小泉内閣発足から強くなってきたのだが、こ
の小泉内閣は、具体的には森内閣の記録的な支持率低下から
生まれた。
 そして、森内閣の支持率低下は、森総理自身の「日本は天皇
を中心にした神の国」という発言に対するマスコミなどの異常な
バッシングが引き金になった。
 つまり、小泉内閣そのものが、森総理の極めて文化論的・文
明論的発言から生まれてきたともいえるのである。

 
 ということは、我が国の政治風土としては、文化や文明の「あ
り方」に触れる国民意識の領域において、政変を起こすに足り
る強いエネルギーが蓄えられていることになる。』

      http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=219

 西村氏の慧眼、そしてその洞察力のすごさは、『文化や文明の
あり方に触れる国民意識の領域において、改変を起こすに足りる
強いエネルギーが蓄えられていることになる』、
そして、『従って、
この政局を急激に変動させる動因を秘めた我が国の文化・文明
の領域に関して、政治家は関心を抱かねばならないのは当然の
ことである。』
と言っている箇所である。

西村氏のこの指摘は非常に希望に満ちたものである。日本人に
文化・文明の認識が生じた時、洗脳史観である「東京裁判史観」が
解けると指摘しているからである。これは新しい見解である。戦後
の知識人もマスコミも一貫して東京裁判史観の呪縛から抜け出ら
れなかった。その暗澹たる状況からの脱出は、日本人が自己の
文明史観をふたたび取り戻すことにあると言っている。西村氏は、
日本人の潜在意識に潜むそのための強烈なエネルギーを看破し
ている。私はこの視点がある宰相を心から欲するのである。

 今の日本を囲繞する真の問題とは、西村氏の指摘しているとお
り、日本人が文化と文明を喪失していることにあるのである。政治
に文化と文明だって?生き馬の目を抜く国際政治力学の世界で、
そんな書生風のことを言って何になると思っている人は大勢いるだ
ろう。しかし、今の日本人は、押しなべて悪しきプラグマティズムに
陥っているのである。すなわち、歴史の背骨がない政治力学に囚
われているのである。この状態が日本政治にどれほどの脆弱性を
与えているか、それは想像を絶するほどである。

 概観して、日本人にもっとも欠落しているのは、正統な歴史観の
欠落である。何度も言っているように、どんな民族でも、歴史という
縦軸から遊離してしまった民族は、自らの出自と「顔」を失い、必ず
立ち往生してしまうのである。それが今現在の日本の姿である。歴
史を失うことは、すなわち民族の生命を枯渇させることに他ならない。
この歴史を失うこととはどんなことなのか。

 六十年前、戦局が絶望的に悪化した時、先人たちは、それでも民
族の未来を信じて、自らの生命を犠牲にして、特別攻撃と玉砕という
戦法を取った。我々の先人たちは民族の歴史を未来に橋渡しするた
めに、できることの最善を行ったのである。この行為には後世の我々
は、どれほど感謝しても感謝し尽くすということはあり得ない。なぜな
ら、先人たちの最後の戦いは、民族の歴史存続の行為として、もっと
も崇高な散華だったからである。言葉を変えれば彼らは、民族同胞
に対して、歴史の過去と未来すべての時制に対して、至高なる愛情
を示して消えていったのである。言うなれば、これこそが日本人が持
つ究極の歴史観であろう。彼らの至尊の行為を無駄死にであったと
考える日本人は、その心に祖国感情を持たない不幸を抱えているの
である。

 現代日本の文明史観とは、まず最初にこの認識を土台にして考察
されるべきである。すなわち、守るべきは日本固有の歴史と文明であ
り、その核とは天皇である。現代日本人の胸のうちに、「日本」が住ん
でいないのは今言った認識が欠落しているからである。天皇、そして
皇統とは、ただ単に日本人の象徴的な存在ではない。この古い御存
在は、日本人一人ひとりの生命力を司る根本的な祭司なのである。
天皇を消滅させれば我々日本人は短時間で死滅する。そういう不可
知の御存在である。

 だからこそ、先祖たちは時の政治権力がどういう形態であっても、
一貫して天皇を次元の異なる権威として崇めてきた。世界稀有の永い
国家時間を持つ日本は、皇統という求心力があってこそ、成し遂げら
れたのである。

 このようなすばらしい歴史と、天皇を中心にした日本固有の文明を
持ちながら、戦後の日本人は、この伝統的文明観を野蛮なものとして
意識外に置いてきたのである。そのために民族の生命力が極限的に
低下し、小泉純一郎などという不届き極まりない人物を御輿に乗せて
しまったのである。これを民族の凋落と言わずして何と言う。しかし、
西村氏は、国民が小泉純一郎と言う、もっとも非日本人的な宰相を選
んでしまったことは、森喜朗前総理の「神の国」発言に対する国民の
反動であり、その強さを鑑みれば、これは逆説的に日本人が文化・文
明の意識によって大きく変化できる証左だと見抜いている。ここに西
村眞悟という人物の非凡な眼があるのである。

 単純に考えてもわかると思うが、今の世界環境は大量消費文明の
直接的な影響で逼塞している。西欧ルネッサンス以来、進んできた
近代文明は、産業革命を足がかりに、進化の極地として英米文明を
開花させた。これが地球的なパラダイムとなり、世界は混迷と環境
汚染に蝕まれている。そのために産業革命に出遅れた諸民族は、
英米に怨嗟の狼煙を上げている。これを変えうるパラダイムが生ま
れるとしたら、それは日本文明しかないのである。今後の地球環境
を持続可能な環境にするためには、わが国の神道的調和原理以外
に何があるというのだろう。こういう考察視点を日本人は真剣に考え
てみる必要がある。

その前に、政治的な亡国を招来しないために我々は西村眞悟氏を
日本国首相にしなければならない。

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2006年4月 6日 (木)

小泉は日本政治の振り子運動を破壊した

 民主党の党首が明日に決まる。誰が党首になったとしても、
民主党は政権交代党を目指さなければならない。それもなる
べく早急に。特に今為すべき事は、党是をしっかりと固めて挙
党一致で小泉自民党に立ち向かって行く事である。

 誰が党首になろうとも、取りあえずは必死で小泉自民党の
狂気を鎮め、少しでも早く自民党を解体しなければならない。
大多数の国民は、小泉政治の亡国性に気づいていなくとも、
一党体制は良くないと考えている。すなわち拮抗した力を持
つ二党が交互に政権を担当して行くことが望ましいバランス
を保つ方向だと考えている。

 しかし、今までの戦後政治にそのようなバランスがあったの
かと考えると、派閥抗争の拮抗作用を内に抱えた自民党一
党独裁しか思い浮かばない。すなわち、党政治ではなく派閥
政治なのであった。そのために、権力筋から外れた派閥はマ
イナスにくすぶり、党としてのパワーを殺いでしまう形となった。
法案の成立にしても、他派閥の利権構造に気を配るために、
ひどい時には換骨奪胎という形で妥協案が盛り込まれた。

 小泉純一郎は、第一次内閣を発足した時、「自民党をぶち
壊す」と言って、実際に派閥政治をぶち壊した。その象徴的
派閥はもちろん橋本派である。橋本派とは、田中角栄の負
の遺伝子を背負い、金権利権の巨大な闇を抱えた最後の巨
大派閥であった。日歯連の問題が派閥史終末の顔を覗かせ
た。小泉は橋本派を見事に壊滅させ、国民はそれに諸手を
挙げて賞賛した。

 ところがである。ここに最大級の落とし穴があった。小泉の
巨大派閥政治の破壊で、官僚権力の異常肥大は解消され
たのだろうか。結論から言えばまったく変わっていないので
はないだろうか。小泉の官僚主導すべてが悪というイメージ
付けにも問題がある。官僚で悪いのは愛国情念を持たずに
アメリカのモデルに盲従する行政感覚なのである。小泉はこ
れを温存して、逆に日本の伝統観念を持った官僚を徹底的
に敵視している。これは政治家に対しても同じである。去年
の解散総選挙で、郵政民営化に反対するものは「倒閣運動
だ」と言って徹底的に排斥した。昔で言えば、殿様の出過ぎ
行き過ぎを諌(いさ)めた誠実な老中連中を片っ端から切腹
させるようなものである。

 日本には捨ててはいけない政治力学の伝統がある。それこ
そが、田中の目指した民族利益から出る協調型、相互互恵型
の「和」の政治である。すなわち田中角栄の「正の遺伝子」で
ある。彼は官僚を上手く使いこなした。官僚を敵視せずにみご
とに統御しえたのである。ここに日本特有の和の政治力学が
実践されていた。

 一方、小泉は派閥間の闘争力学を消滅させ、ようやく党政治
を完成したかに見せて、わが国政治史にける最大級の悪行を
やらかしてしまった。日本政治の良き伝統とは、派閥間のエゴ
イズムの駆け引きではなく、行き過ぎた政治権力を自然に振り
戻す力が働いていたことである。これこそ、祖先が作り上げた
共同体的調和作用である。今は詳述しないが、このシステムを
小泉は憲法違反という野蛮な手法で破壊したのである。。

 小泉の行った歴史的な悪意とは何であったのか、何である
のか。わが国は伝統的に長幼の序、中庸の徳が大事にされ
てきた。従って、どの政治家が権力のトップになっても、それが
不穏に、そして鋭利に突出しないような仕組みを温存していた。
すなわち振り子運動である。一つの力学で大きく傾くことのな
いように反作用を起こす振り子の力学が働いていたのである。

それは昨年の例で言うなら、郵政民営化に反対した亀井静香
氏や、その他の郵政民営化に待ったをかけた多くの議員たち
である。小泉の悪行とは、この誠意ある議員たちを、憎悪を剥
き出しにして弾劾したことにある。ここから小泉ファッショがスタ
ートした。

 彼はなぜこういう日本的な振り子運動を憎んだのか。
それこそ、アメリカという悪魔に魂を売ってしまっているからで
ある。日本的な振り子運動とは、要するに民主主義の基礎モ
デルじゃないかと思われるだろう。そうなのであるが、わざわざ、
「日本的な振り子」と言ったのは、明治の五箇条のご誓文を見
てもわかるように、わが国には日本型の民主主義の萌芽がす
でにあって、歴史に生きていたということを言いたかったので
ある。だから、亀井静香氏などの修正勢力を、頭ごなしに排撃
した事実は、日本型民主主義政治の伝統を破壊する出来事
なのである。

 散々書いてきたつもりだが、西村真悟氏が言うように、歴史
の背骨を持たない政治家が国政を司ったら、それは国家国民
にとって最悪の政治に豹変する。それが不幸にして起こったの
が小泉内閣である。この男は日本政治の振り子運動を止めた
だけではなく、国柄によって出来上がった日本の政治経済構
造を破壊し、アメリカに大和の魂を売り渡してしまったのである。

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早く強力な野党が出ないと大変だ

 明日は民主党党首の選挙戦である。マスコミはこぞってこの
ニュースばかり取り上げている。まあ、慢心狂気・小泉自民党
による事実上の一党独裁が続いている今、何でもいいから、と
にもかくにも野党第一党が復活してくれなければ困るというの
が取りあえずの大衆的心情だろう。

 小沢一郎と菅直人、この両者は出自も基本の思想もまったく
違うが、どっちが党首になったとしても、今は一致協力をして、狂
気の売国政権である小泉内閣の暴走を止めて欲しいのは偽ら
ざる気持ちである。

 小沢一郎、この男は正直何を考えているかわからない。昔、田
中角栄政権全盛のころ、角栄には秘蔵っ子のようにかなり可愛
がられた経緯があり、そのつながりで角栄の長女である田中真
紀子が応援している。田中角栄というのは、「日本列島改造論」
に示されたように、日本中の土木事業や道路敷設を「均等」にす
ること、すなわち地域格差を是正して、生まれ故郷の東北新潟
やその他の寒村や僻地の生活文化水準を、中央並みに実現し
ようとして猛進した。ニックネームをブルドーザーと言われ、中央
の金を地方に持ってくる型の典型的な口火を切った。まさに土木
金権体質の教祖と言われた所以である。しかし、戦後歴代宰相
の中で、田中角栄のみが米国の経済支配にこぶしを上げたこと
は記憶に鮮明に残る。

 しかし、田中角栄という男は、いろいろと批判の元は造ったが、
歴代宰相の中では、際立って民族利益派であったことは間違い
ない。詳しくは言わないが、日本の石油輸入ルートを米国メジャ
ーの息のかかっていない場所に求めたことが、アメリカの怒りを
買い、ロッキード疑獄に嵌められて総裁の地位を剥奪された。こ
の当時の日本人が普通の国際的な常識程度の民族意識に目
覚めていたなら彼の失脚はなかっただろう。

 小沢一郎が、大塩平八郎のような心を持っていた角栄の思想
をどれほど汲んでいる男なのかわからないが、田中的な国民擁
護意識を持っているのであればある程度は期待できるだろう。し
かし、以前から気になっていることは、小沢が過大な期待をかけ
る国連中心主義である。国連ははっきり言うと、アメリカの傀儡
組織である。こんなものに国際正義の担保を重く見ているところ
は、もしかしたら小沢も追米主義なのかと思うことがある。

 一方、菅直人であるが、彼は小沢と違って、出自は市民運動
から出ただけに、その思想的基盤は完全にアカ、すなわち左翼
である。しかし、彼が厚生大臣であった時、薬害エイズの責任を
認めたことは大きい。この人はアカではあるが国民を向いてい
る政治家であることは確かである。私は国会における小泉攻撃
では、この男が一番適していると考えている。国会の質疑の技
術ではこの男の右に出る者は居ないだろう。攻め方が非常に鮮
やかである。ただし、攻められるとかなりもろい欠点がある。

 菅直人は公約として、日本の「最小不幸型社会の実現」を掲げ
た。私は彼の国民を向いたそういうものの考え方が好きである。
自殺者が年間で三万数千人、不意に電車を止める人身事故は
ほとんどが経済苦からの自殺である。中流社会から下流社会へ
の雪崩(なだれ)現象とは、日本が本来有する高度な社会的エ
ントロピーが急速に増大していることを示しているのである。そ
れはなぜか。小泉たち売国奴が日本人の魂をドブに捨ててい
るからである。

 理想としては、小沢一郎の策士としての強靭な戦闘能力と、菅
直人の弁論攻撃能力が合体すれば、小泉たちのヤサグレチンピ
ラ内閣は総崩れになると思うのだが。小泉内閣は政治の芯が欠
落していて一人ひとりはもろい。それでも五年の長期政権を保っ
たのは、後ろ盾にアメリカが居たからである。よらば大樹の陰で
持った政権である。小沢が田中角栄の心を継承し、真の民族意
識を持つ男であるのなら、少しは期待できるかもしれない。

 田中真紀子はどっちかと言えば、アカの菅直人に近いが、父
親ゆずりの感性で、政治家は腕っ節が強くなければならないと思
い込んでいる。だから、打倒小泉には小沢しかいないと考えてい
る。それなら、打倒橋本龍太郎の時に、小泉を選んだ目の悪さは
どうするのかと思う。小泉を総理大臣にしたのは他ならぬ彼女で
ある。最悪の男を宰相にした手前、小沢の豪腕で小泉を引きずり
落として落とし前をつけるということなのか。恨みだけで動いてい
るようにしか見えないのだが。

 とにかく今は、共産党あるいはカルト的宗教団体以外であれば、
どんなものでも登場して小泉政権を打倒することが先決である。

 

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2006年4月 5日 (水)

亡者どもが進める構造改革

 構造改革を押し進める中心的な議員たちは、今やっている
構造改革の思想的な背景が新自由主義に沿って行われてい
ることを、マスメディアなどでは決して口外しない。何故なのだ
ろうか。彼らは小さな政府の構築という言葉を口をすっぱくし
てがなりたててはいるが、構造改革の全体的な姿が、何をモ
デルにして行われているのかをまったく言わない。

 これは簡単である。言わないのじゃなくて言えないのである。
小泉・竹中構造改革路線が、ハイエクやフリードマンなどのア
メリカ新自由主義経済学者の思想に基づいているなどと本当
のことを言ったら、国民は、ああ、これは日本の国家構造の造
り替えなんだなと、すぐに気が付いてしまうからである。

 ハイエクなどの経済モデルを、初歩的にでも国民が知って
しまえば、現在広がりつつあるさまざまな国民格差発生の真
因が暴かれてしまうことになる。もちろん所得の傾斜配分の
実態が何に起因しているのかも知られてしまうし、日本の伝
統的な文化構造が破壊されている真因も納得するだろう。小
泉首相、安部官房長官、竹中総務長官、武部幹事長、世耕
弘成幹事長補佐、谷垣財務大臣、与謝野馨内閣府特命担
当大臣等々、よくテレビに出て発言しているが、彼らの口か
ら、我々の構造改革路線は新自由主義で行っております、
または新古典主義に基づいていますなどと一度でも口にし
たことがあるだろうか。

 口では「小さな政府論」をがなりたててはいるが、経済思想
について、それ以上のイデオロギー的な講釈はけっしてしな
いのである。現状の経済構造改変のデザインを、国民にわか
りやすく説明してしまうと、今の改革が、一目でアメリカの強
制命令で行っていることが露呈してしまうからである。

 小泉純一郎を是認して任せている国民は、IQ程度が相当
低いと思われても仕方ない。彼らは今の内閣が国家倒壊を
目論んでいることに気がつかず、基本的には現状改革路線
に期待を寄せているからである。

 日本人よ、覚醒してくれ!亡国内閣に気がついてくれ!
この内閣がアメリカに魂を売った亡者どもの集まりだと
いうことを。

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2006年4月 4日 (火)

世耕議員のトンデモ発言の背景

「日本から世襲がなくなったら、そもそも日本が成り立たない
  じゃないですかぁ」

  前の記事で、内閣中枢に居座る世耕弘成議員が、「朝まで生テレビ」で
思わず発した上の言葉に私が強く拘るのにはそれなりの理由がある。実
は、この発言が象徴することは、小泉現政権のただならぬ売国本質を良く
あらわしているからである。ただ単に世耕議員の言葉尻をつかまえて面白
おかしく書いているだけではない。この発言の裏に見える小泉内閣の本質
とは、ひと言で言うなら政策展望も、国家のグランドデザインも、何一つ持
たない、戦後史上最悪の内閣ということだけである。

 世耕弘成は自民党幹事長補佐、党改革実行本部事務局長の肩書きを持
つ小泉構造改革内閣の中枢にいる重鎮である。謂わば構造改革実行部隊
の参謀本部長に当たる役職である。この人物が、小泉構造改革の基底を
流れるアメリカ流新自由主義路線の思想を真っ向から否定する思想的言辞
が上の言葉である。すなわち、世襲肯定言辞である。

 この発言の真意とは、世耕自身が新自由主義的社会構造を、日本に敷
設することに反対だから思わず言ったのではない。事実はまったくその逆
であり、鉄の意志で新自由主義に陶酔しているからである。言葉を変えれ
ば、彼は、日本的な構造すべてを完璧に破壊し尽くすことに強い執着を持
つ小泉・竹中のパペット的な存在である。

 だとしたら、何ゆえに新自由主義への障壁である伝統や世襲という日本
的な伝統構造を強く肯定する表明をしてしまったのかということであるが、
それは間違いなく国民への偽装言辞だったのである。関連して述べるが、
去年の武部幹事長の行動の一環を思い出していただきたい。

 目立ったのは、武部幹事長がホリエモンを自民党の相談役のように持
ち上げたことは大きいが、そのことはさて置いて、二つの行動が特に年末
にあった。一つは、全国のブロガーを招いて懇親会を開いたこと、あと一つ
は、小泉チルドレンを召集して、浅香光代の公演を見学に行ったことであ
る。この二つは微妙に関連した出来事なのである。

 ブロガーを招いて意見を聞くという武部幹事長の行為は、政権存続五年
目に入る小泉政権が、政権に対する世間の思惑と評価の中で、もっとも気
になる部分を聴取する目的にあった。どういうことかと言えば、世間が小泉
政権の本当の姿をどれくらい把握しているかを調べることである。小泉政策
の真の狙いは、米国の要求にしたがって日本の伝統的構造を破壊し、アメ
リカ型の社会構造に作り変えることである。

 そのアメリカの意志による国家構造の造り替えは、実は1980年代から始
まってはいたのだが、小泉政権は、日本の国体構造転換の最後の仕上げ
として登場したのである。この事実は、関岡英之著「拒否できない日本」
や、浜田武夫著「騙すアメリカ 騙される日本」、本山美彦著「売られ続ける
日本 買い漁るアメリカ
」という著書等に端的に記されている。このブログを
見ている皆さんにも是非ご一読をお勧めする。まともな矜持をお持ちの人で
あれば、間違いなく憂国心情に駆られ、小泉売国倒国内閣への怒りで血圧
が300近くまで上昇するから、是非とも気をつけて読んでもらいたい。

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 構造改革最高、聖域なき規制緩和、と声高に叫びながら、今、行われて
いる構造改革が、いかに日本にとって「すばらしい善」であるかのように言
い続けているこの内閣は、日本からアメリカに効率よく国富を流出させるシ
ステムを造ることと、日本独自の文化伝統などを徹底破壊することに本当
の狙いがある。この現実を国民のどういう層がどれくらいの割合で気がつ
いているのかを調べるのが武部幹事長がネットブロガーを招いた真意であ
る。

 つまり、武部たちは、テレビメディアの情報操作は上手く行ったが、インタ
ーネットの中には自分たちの売国姿勢に気がついているものが多く居るこ
とに重大な関心を持っているのである。巨大なダムもアリの一穴から崩れる
ことがあるように、ネットから湧き出る真実の現政権批判から、自分たちが
総崩れになってしまう危惧を抱いているのである。余談ではあるが、人権擁
護法案の真意は、ネット情報を閉鎖する目的で発案されているような気がす
る。

 目立たなかったが、武部幹事長の暮れの行動二つめは小泉チルドレンた
ちを浅香光代の公演に連れて行ったことである。この時の武部幹事長の説
明は「新人たちに日本の良さを感じてもらうため」だと言った。これは、国民
の一部から、現政権の政策がアメリカ的な方向へ傾いてきていることを批
判されたことへの言い訳的なパフォーマンスなのである。つまり、ネットや
一部出版社から出ている「真正」の小泉批判が、テレビや新聞メディアに大
きな反小泉の流れをもたらすことを最大限に警戒しているのである。それは
とりもなおさず、日本破壊を狙う真の悪党、アメリカが日本国民の意識の覚
醒を怖れているということでもある。そのために、小泉政権は、我々は日本
の良さや日本的なるものをこんなにも大事にしています、慈しんでおります
よという見せかけを行わねばならなくなったのである。

 見せ掛けの構造改革で日本を精力的に壊している彼らが、騙しおおせな
い国民の一部を異常に気にしているのである。これが政権の戦略に大きな
修正を与えた。小泉・竹中が「年次改革要望書」の存在を認めさせる野党
議員の質問を可能な限り無視していたことは、特にネットのブロガーの一部
たちにものすごい反発と警戒心を与え、憂国情報発信のトリガーとなった。

 そこで、小泉や世耕たち、政権中枢部はマスコミ戦略の変更を余儀なくさ
れたのである。それが「日本大好きキャンペーン」なのである。その走りが
武部率いる浅香光代公演見学なのであった。そこで、例の朝生における世
耕議員の発言を目に留めて欲しい。

「日本から世襲がなくなったら、そもそも日本が成り立たない
 じゃないですかぁ」

 どうだろうか。世耕議員のこの「日本大肯定」発言は、日本破壊を旨とす
る偽りの構造改革を進める自分たちが、実はアメリカの傀儡政権であるこ
とを覆い隠す必死の作戦として出たものであることがわかる。

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なんだかなあ、と、ため息が出る情けないニュース

   さきほど、午後のニュースでこんなことが流されていた。場所
がどこなのか聞いていなかったが、67歳になる韓国籍の女性
が、路上で通りすがりの男に「ホテルに行かない?」と声をかけ
た。路上売春である。声をかけられた男が、たまたま警察官だ
ったのでその女性は逮捕された。女性は「厚化粧」をしていて
年齢よりはかなり若く見えたそうである。売春の仔細は、ホテ
ル代込みで全額一万五千円だそうである。

 このニュースを聞いて二つのことを感じた。一つは女性の年
齢であり、もう一つは化粧というものの効果についてである。
古今東西、身を売る女性で67歳というのはちょっとした驚き
である。一般的に言って、60代の女性でも魅力的な人はいる
ことはいるが、それはたいがいは人格的な魅力であり、性的に
行きずりの男を魅了することは考えにくい。まあ、世の中は広
いから、実際には思った以上に魅力的な60代はいるのかもし
れないが。

 夜の路上、厚化粧である程度は年齢を若く見せることは可能
だろう。私も公共的な場所でたまたま会うことがある女性と、ま
ったく関係ない深夜スーパーでばったり会い、面食らったことが
ある。彼女は子供もいる普通の奥さんであるが、店の中で彼女
に挨拶されたとき、私はその人が誰であるかすぐには「認識」出
来なかったのである。まるで別人だと思った。

 あまりにも見慣れている印象と違っていたからである。なぜな
ら彼女は、夜食の食材を慌てて買いに来たという風情で、まった
く化粧っ気がなく、すっぴんに近い顔で出てきたからである。私
は面食らいながらも、なんとか無難に彼女に挨拶し、ひとことふ
たこと世間話をして別れたが、奇妙な違和感はついに取れなか
った。理性ではすぐに同一人物を理解していたが、視神経情報
から得られた感覚がそれを「拒否」していたのである。(笑)

 化粧は女性の印象を大きく変えるのは間違いないが、男から
観るとけっして悪いものではない。きれいに見えるからである。
化粧の女と素顔の女、これを女の二面性などと言うつもりはま
ったくないが、もともときれいな女性が適度に化粧してよりきれ
いになることは、世の中を明るくし、男たちにロマンを与えるか
ら絶対にいいことである。

 そこで、冒頭のニュースに戻るが、67歳の女性ということと、
宿泊代込みで1万5千円という情報が飛び込んだとき、私は少
し物悲しい気分になった。ホテル代がいくらなのか知らないが、
売春代金とホテル代金を合計して1万5千円ならば、どう考えて
も女性の春をひさぐ行為の値段が一万円を下回っていることに
なる。その女性が自分の値段を数千円に見積もったこと、その
事実がそこはかとなく哀しいのである。化粧を厚く塗って、なお
さら数千円の価値しか付けられなかったということが哀しいの
である。ここには売春婦の悲哀感というよりも、老いても尚、生
きて食べていくこと、すなわち人生の物悲しさがある。これも
「もののあはれ」なのであろう。

 67歳という年齢の女性、この場合、「春をひさぐ」という表現が
妥当なのかどうかわからない。春は女性の性事を除けば、普通
は生命力の旺盛な若さを意味する。しかし、男女の間で、「春」
というものが、必ずしも実年齢の若いことを指す言葉ではないだ
ろうし、主観的な思いも許されるのであれば別に問題はないだ
ろう。だけれども、やっぱり少し物悲しい。(TT)

 小泉純一郎が国家デザインのベクトルを変えたせいで、この
まま格差社会が進展すれば、このような貧乏くさく物悲しいニュ
ースが巷に溢れてくるのだろうか。それにしても、こんなニュー
スにニュースバリューがいったいどれほどあるというのだろうか。
国家存亡の今の時期に流すニュースなのかと思う。

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2006年4月 3日 (月)

PSE法(電気用品安全法)に対する疑念

 電気用品安全法(PSE法)に対する疑念

 最近、テレビなどで騒然としたから、このPSE法というもの
はかなり知られてしまった法律だが、ミュージシャンの坂本
龍一や、多くの人が抗議の意志をあらわすまで、正直私は
まったく知らなかった。おそらく多くの人が知らなかった法律
なんだろうと思う。なぜなら、この法律によって多大な影響
を受ける音楽業界の人や、直接中古電気製品を扱う業者
が死活問題として大騒ぎするまではほとんど誰も注意を払わ
なかったからである。思うのだが、政府がひっそりと法案を
通しているときは、例外なく後ろめたい内容のものが多い
ような気がするのだが。

 この法案は、2001年に成立施行され、2006年3月31ま
で猶予期間があったそうだ。今4月だからすでに完全施行期
に入っている。しかし、考えれば考えるほど馬鹿丸出しの法
律である。この法律でいったい誰がメリットを受けるのだろう
か。この法律の縛りは明らかに有害無益である。

ざっくばらんに言うなら、この法律のテーマは、中古電気製
品、または輸入電気製品、新規電気製品の絶縁抵抗が安全
であるというお墨付きを政府が与えるというものである。つま
り、漏電で火災や感電事故が発生する恐れがないようにと
いう配慮らしい。

 私は、突出したこの安全基準の考え方そのものに無理があ
ると思う。電気製品は一般に極端なコンパクト化や安全思想
を欠いた設計を行うと、電源負荷がかかった時、回路間、ある
いは回路とその他の構造体との間で、絶縁抵抗が低くなる、
つまり導電しては行けない箇所に導電現象が起こりやすいと
いうことは考えられるかもしれない。

 だが、世界で膨大な種類の製品が生産される今日、工場
出荷品に対して、政府がボルテージ耐圧試験を、一概に何
キロボルト、何メガボルトと決め、それをチェックすること自
体がそもそもナンセンスだと思うのである。なぜなら、そうい
う大きな耐圧電圧が必要な機器は限られているからである。

 たとえばブラウン管(CRT)を使う機器は、カソードからアノ
ードに電子線を飛ばすために数千~数万ボルトの電圧がか
けられる回路になっているが、ヘアドライヤーや掃除機など
の機器は通常は100ボルトで使われている。高圧回路が
存在しない製品に大きな電気的耐圧試験を行うことに意味
があるのだろうか。しかも絶縁耐圧なんてものは、工場出荷
前に常識的にどこの工場でも行っているはずである。それを、
政府機関が勝手にやって良不良を選別するという魂胆がさ
っぱりわからない。

 電化製品の絶縁容量は、湿気や粉塵、空気中の不純物
など、環境要因によって変わってくる。つまり、使う場所や
使い方によって安全度合いは大きく変わるものなのである。

たとえば、飲食店の厨房などのテレビを思い出せばよくわ
かる。炊事の煙や油煙、湿気などが製品の寿命を短くする
だけではなく、中の回路の絶縁度を下げてしまうこともある。
わかりやすいのは、綿埃が機器の中に入って電気回路に
付着し、それが湿気を帯びてしまった場合であろう。これは
即、ショート(短絡)回路を形成する。

 一般に、実際の使用場所とは異なる、たとえば試験室の
ような安定した場所で絶縁耐圧試験を行っても、ほとんど意
味はないと考える。製品の感電事故や漏電火災事故の安
全を考えるのであれば、一定条件下の絶縁耐圧試験よりも、
実際に製品が使われる環境や雰囲気の問題、あるいは器
具の適切な使い方に注意を喚起することがむしろ、よっぽど
安全というものを実効的に捉える考え方である。

 そういうわけで、強制的にPSEマークをつけることに、合
理的な意味は見出せない。しかし、政府はなぜこのような
無用な法案を考えたのだろうか。意味のない法案作成は
あり得ない。この法案の本当の意味が、実は国民の安全
ではなく、政府の都合でやられたものだとしたら、どんなこ
とが考えられるだろうか。

 これは小泉構造改革の経済思想を考えると見えてくる。
彼らの経済政策の誤りは、不況の原因が需要サイド不足
から来ているのを見誤って、あるいは故意にそうしている
とも考えられるが、需要の喚起を行うべきときに、供給(サ
プライ)サイドの改善しか考えていないということに尽きる
と思う。

 供給拡大の一つの窮余の策として、PSE法の規制で電
化製品の中古市場をつぶすことによって、巷に強制的に
新規の電化製品を行き渡らせようという考えなのではな
いだろうか。デフレ不況のときは総需要を喚起することが
経済政策の定番である。ところが小泉政権は逆に供給サ
イドに血眼になっているのである。そのための思いつきで、
中古製品の流通を止めて、新しい製品を消費者に回す魂
胆ではないだろうか。これはほとんど効果はない。一時し
のぎにもならないだろう。なぜなら、国民側の消費マインド
から生じた需要喚起ではないからである。

とにかく、この法案はわけがわからない。

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世を耕すという名の議員さんが発したトンデモ発言

 先日、テレ朝の「朝まで生テレビ」を観ていたが、途中で眠って
しまい、後半部から少し見た。誰が何を話したのか、あんまり印
象には残っていないが、つい笑ってしまった場面を観た。それは
参加者の一人である世耕弘成(せこうひろしげ)自民党参議院
総務委員長の面白過ぎる発言である。

 話題としては、格差社会というものを考えるとき、一代目の社
会的成功、不成功が後を引き、その子孫の格差が決まっていく
のかどうかということだったと思うが、その話の流れの中で、参
加者の誰の発言だったか思い出せないが、たしか次のような質
問が出ていた。

 小泉純一郎総裁も、安部晋三官房長官も、麻生太郎外相も
そうなんだが、かなり多くの二世議員、つまり世襲が輩出して
いる現状で、その世襲議員が中心となって自助努力や能力主
義のようなものを唱えるのは矛盾ではないのか、そういう環境
で格差社会を固定せずに是正させることは可能なのだろうか。
どう思いますか、世耕さん?というような問いかけだったように
記憶してる。

 私は観ていて呆気に取られたのだが、世耕弘成という人物
は、興奮して手を上げ大声を上げながらこう答えた。

 「日本から世襲がなくなったら、
  そもそも日本が成り立たない
  じゃないですかぁ」

 これには正直、私も魂消(たまげ)てしまった。こんな意想外
のセリフを吐く小泉内閣の重鎮がいたとは驚きである。笑って
はみたものの、ん?ちょっと待てよと思った。彼のブログを見た
ら、世耕議員は仮にも、自民党幹事長補佐であり、党改革実
行本部事務局長と書いてある。

 小泉構造改革の重要な任命を帯びた一員であるなら、「世
襲がなければ日本が成り立たない」などとは口が裂けても言
ってはならないことなのである。なぜかと言えば、小泉・竹中
ラインが推し進める「構造改革」とは、アメリカに強制されて行
っている、いわゆる「新自由主義」(ネオリベ、新古典主義、
ニュークラシカルなどとも言う)を標榜して行っているからであ
る。この経済思想は伝統や世襲が大きな敵であり、理想の市
場競争至上主義を実現するためには、構造的な世襲、つまり
は伝統的なシステムを破壊しなければならないからである。

 市場の抜け穴や法の網目を潜り抜ける才覚のある者や抜
け目なく行動するものが、「自助努力」によって大きな利益を
受ける社会を構築するのが小泉たちの目的である。慣習的
な世襲は、新自由主義的な立場からみれば、数々の阻害
要因の中でも上位を占めるほど悪いものなのである。理論
的にそうなのである。

 だから世耕議員が「世襲なくして日本あらず」などという国
家構造の根底に関わる間違った発言をしてはならないので
ある。この発言一回で、小泉・竹中ラインが行っているリカー
ド、ハイエク、フリードマン的な流れに従う日本改造計画が、
いかに出鱈目でいい加減な思想性で行っているかがわ
かるのである。彼は、新自由主義という改革路線の大指針
を、自ら裏切る発言をしたのである。日本的構造システムを
破壊し、破壊するための立て看板である新自由主義という
錦の御旗さえ平然と裏切るこいつらとはいったい何なのだと
思うわけである。盗賊団でさえ、オキテというものがある。
これを守らずして盗賊の存続はできない。小泉内閣という
売国団は、自らのオキテさえ、きちんと保持しえないバガボ
ンド集団ということか。

 構造改革の中核に居る世耕議員が自らの思想をひっくり
返すようなことを不用意に言うことは致命的である。いくら夜
通し眠らずの疲れた頭でも絶対言うはずのない発言なので
ある。構造改革論者としては自己否定そのものだからである。

 もしも彼がうっかり発言だと思っていないのなら、政治家を
やる資格はないであろう。頭が悪すぎる。またまた小泉構造
改革内閣のお粗末な一面を垣間見た思いである。このグル
ープはお粗末ではあっても、効果的な日本破壊を行っている
ことだけは確かである。 

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2006年4月 1日 (土)

自分は先人たちを心から信じる

◎日本人は無類の自己陶冶に成功した民族 

    中国の胡主席「靖国参拝中止なら首脳会談」

 【北京=森本学】中国を訪問中の日中友好7団体の代表団
(団長・橋本龍太郎元首相)は31日、北京市内の人民大会堂
で胡錦濤国家主席と会談した。胡主席は「中日関係が困難に
直面した原因は日本の少数の指導者がA級戦犯を合祀(ごう
し)する靖国神社を繰り返し参拝していることだ」と強調し、小
泉純一郎首相の靖国参拝を直接批判した。そのうえで「靖国
参拝がこれ以上行われないことになれば首脳会談をいつで
も開く用意がある」と述べ、首脳対話再開の条件を提示した。

 胡主席が日本の要人と会談するのは昨年10月17日の首相
の靖国参拝以後では初めて。両国の関係の冷え込みについ
て「原因は中国にも日本人民にもない」と主張し、批判を首相
ら指導者に限定。橋本氏が首相時代に靖国参拝した経緯に
触れて「多くの日本人の心の中にある靖国神社はたいへん身
近な人の姿だ」と理解を求めると、「政府の代表者が行くことは
政策を表していると考える」と切り返した。 (21:07)
       (NIKKEI NETより引用)

 日中友好7団体の代表団と一緒に橋本龍太郎前首相が
北京で胡錦濤国家主席と会談した折、主席はいつものご
とく歴史問題を靖国参拝に象徴させて日本側をちくちくと
いたぶった。シナ人と韓半島人政府筋は、歴史問題で政
治的に日本側に圧力をかけ、一貫してそれを国際交渉の
前提条件として打ち出し、日本側から何らかの大きな譲歩
を引き出すというあざといことをやり続けている。

 日本側は韓国やシナに対しては戦後数十回も謝罪し続
けているが、この二国にはこれでいいということはない。金
づるを見つけたから、日本が呼吸をし続けている間はでき
る限り最後までタカってやるという意識である。まるで、チン
ピラヤクザのメンタリティそのものである。国家のたたずま
いとして、このような恥ずかしい国々はないだろう。日本人
の大多数は、これを不快とは感じつつも、日本が戦時中に
彼らに対して悪いことをしてしまったから仕方がないだろ
うと、何となく思っている。

 しかし、よく考えて欲しい。果たしてそうだろうか。日本
人が漠然とシナに対して、戦争侵略史観という贖罪史観
を持つのは何に対してだろうか。その中核を重く占めてい
るのは間違いなく「南京大虐殺」と呼ばれるものである。こ
の重いしこりがあるから、日本人はシナ人や韓半島人(朝
鮮人)の居丈高な「恨み言」に萎縮するしかないのである。
南京虐殺が百パーセント彼らの言うとおりであるのなら、
我々は同民族として恥ずかしいし、申し訳なく思うが、あ
のわけのわからない虐殺数と虐殺状況をいったい誰が歴
史的に確認したと言うのだろうか。

 人類は近代に入ってから、特に産業革命以降も国家間
の戦争は絶えなく生起している。クラウゼビッツによれば、
戦争は政治の一形態である。本来、戦争に善悪観念は
適用できないものである。人同士の戦い、部族間の戦い、
国家間の戦争は、人類始原、黎明のときから人間存在に
シャム双生児のように付きまとっているものである。人間
存在から戦争する動物としての性質を否定して考えたら、
人間は人間としてのアイデンティティを保持し得ないのだ。

 戦争はいやだ、残虐だ、悪事の中でも群を抜いた悪事
だと考えている人々が大勢居る。平和主義者と言われる
人々である。彼らの存在哲学は根底的な錯誤に基づいて
いる。人間という存在を、過去から現在までじっと通観し
た場合、他者と喧嘩しないで生きている人間などは誰一
人として居ない。

 喧嘩というものはほとんどの場合、両者に正義がある。
これが直線的に進むと殺し合いという決着方法を取る。
国家間も同じである。ある政治経済的な件名が、いくら
徹底して話し合っても決着が付かない場合、戦争に移行
することがある。この場合も両国に正義、言い分が存在
する。盗賊のたぐいによる殺しでなければ、人間はほとん
どの場合、正義の名の下で殺し合いをする。哀しいことだ
が、これは人類の不文律の一つである。

 人間は霊長類のトップに居るホモ・サピエンスである。
人間は、働く動物・ホモ・ファベルであり、遊ぶ動物・ホ
モ・ルーデンスであり、経済的動物・ホモ・エコノミクス
であり、そして、喧嘩や殺し合いをする動物・ホモ・ファ
イターである。人間の定義はまだ多くあるが、人間同士
は仲の良い状態よりも圧倒的に険悪な場合が多くある
ということからすれば、掟(おきて)、規則、法律体系、
領地、国境などを人類が定め、枠として国家を造ってき
たことが何となくわかるような気がする。

 以上述べたことは、すべての国家が平等に同じ地平
に立っていると言っているのではもちろんない。蓋然的
にそういうことであろうかと推考しただけである。今、存
在するすべての国家群が同じ地平に立っているなどと
いうことはあり得ない。たとえば、アメリカは産業革命の
波を受け、独自に発明の才を駆使し、その科学技術を
いち早く軍事技術に転用し、軍事力を楯に、世界の侵
略国家のナンバーワンの地位に着き、勝手放題に世界
を食い荒らした。シナは、1950年代からチベットを侵略
して残虐な殺戮をほしいままにしていた。このような国
家関係に同等な正義などはない。アメリカもシナも悪で
ある。

 法律大系は、古くはバビロニアのハンムラビ法典があ
り、古代イスラエルでは「モーゼの十戒」などがある。法
律思想の根底にはほとんどの場合、人間性悪説がある。
人は放っておくと何をするかわからないという発想が基
底にある。

 そこで、これを見ている方々はビールでも飲みながら
よく考えてみて欲しい。戦争に出たこともなく、しかも戦後
生まれの戦後育ちの一人に過ぎない私に、あの南京で、
帝国陸軍とシナ人との間に如何なる出来事が起こったの
か、文献や記録以外からどうしてその真実を確認できる
だろうか。その文献や記録と言われる物だが、戦勝国家
群以外の第三者が記録したものがいったいどれだけある
だろうか。これは当然、あの伝聞を悪意で解釈した捏造
の「ラーべの日記」などは論外である。

 極東国際軍事裁判から離れた第三者によって記録され
たものならともかく、ほとんどの記録伝聞はシナを中心とし
た戦勝国由来のものであろう。ここに真実性を確証する方
途はあるのだろうか。だとしたら、日本民族の民度、すなわ
ち伝統的な規律感覚、規範感覚から、当時の日本軍人の
道徳観念を推し量る以外にないのではないだろうか。

 そこで、日本人はあるたった一つの事実を思い浮かべて
欲しいのである。それはわが国が建国以来、どれくらい時
間を有しているのかということである。それが南京事件と
どういう関わりがあるのだと思うかもしれないが、ここで国
民一人一人建国時から現代までの国家存続時間というも
のを深く心に留めて欲しいのである。かつて皇紀という紀
元年代が使われていた。皇紀とは日本書紀が記す神武
天皇即位の年を元年とした年代のことである。それによれ
ば今年は「皇紀2666年」である。

 アカデミズムが言う日本建国年代ははっきりしていない。
しかし、わが国は大和朝廷が成立してから二千年を超え
る時間を背負った古い家柄である。この間に政権は変化
したが、朝廷は一貫して存続し、国民も民族の入れ替わ
りがなかったことは確かである。日本が世界にもっとも誇
れる事実は、この国家時間の長さにある。

 前述したように、人間社会が律法大系と国家という枠を
造ったのは、人間同士が争い殺しあうという性質を制御
するために行ったという理由はかなり大きいと思うのであ
る。国家時間が長くなればなるほど人間の持つマイナス
の性質が刻々と陶冶され、研鑽されて、全体として望まし
い規範社会が築かれて行くと思うのである。これを一貫し
て実現し得た国家はわが日本をおいて他にはない。ロー
マ帝国でさえ滅びた。驕れるものは久しからず。我々が
平家物語を文学として残したのは民族陶冶による当然
の結果である。祖先の深い知恵の一環なのだ。

 このような観点から、わが国の国家時間の長さを胸に
手を当てて考えたとき、日本ほど人間の自己陶冶を行っ
て、人間が根源的に持つ戦いや残虐性の情念を鎮める
ことに成功した民族は世界に無二なのである。従って、
大東亜戦争の発端である真珠湾攻撃が、覇権拡大の野
望からではなく、民族の自存自衛から起きたと考えるの
はけっしてこじ付けではない。あの戦争は米英が悪意で
日本の締め付けをやらなかったら起こり得ないものであ
った。

 渡部昇一氏の記述に、大日本帝国陸軍は世界のどの
国の軍人よりも軍律が抜けん出て良かったということが
書かれてあった。日本の国家時間を考えればこれは当
然のことである。皇軍は廉恥の意識をしっかりと持って
いた。天皇陛下の赤子としてやってはならないことをし
っかりと胸に刻んでいたのである。そういう軍人たちが
部隊単位で現地アジア人を残虐にいたぶることはあり
得ない。戦後流布された日本軍人極悪説は、東京裁判
から発信された虚妄の説なのである。

 もう一つは戦後という60年間を考えてみても、日本人
のDNAには他国への侵略意図はなく、共生感覚が強く
あることはすでに証明されている。日本は、他国に対
しては、人が良すぎるくらい支援したり知恵を貸したこと
のほうが圧倒的に多い。我々の先祖が残してくれた記
録類や文学の類を注意して読めばわかると思うが、南
京大虐殺と言われる殺しの手法のいったいどこに日本
的な風習や意志が見られるのか。あの中に見られる
殺戮の行動様式すべてが、通州事件において、実際
にシナ人が日本人にやらかしたこととほとんど酷似し
ていることを念頭に叩き込んで欲しい。

 戦後マッカーサーが断じたように、日本人が蓋然的に
幼稚で悪逆な民族だとすれば、その性格は押し隠しよう
もなかったはずであるから、戦後60年の間に世界の顰
蹙を買うような、奸知に長けた悪辣なことをやったはずで
ある。あたかもシナのように。そんな痕跡はどこにもない。
アジアでの買春ツアーやバブル成金の下品な世界行脚
は末節の出来事であり、国家的な指向ではなかった。そ
ういうことはどの国でもそれなりにある。

 日本人が長い時間に培った和の志向性を鑑みれば、南
京でシナの言うような虐殺は起こりようがないはずである。
森村誠一は、戦争は常人を狂気に追いやるなどと、もっと
もらしいことを言ったが、これも人間存在というものを皮相
的に見て、捉え方を間違っている。戦いは、人間に先験的
に備わっている性質の一つに過ぎない。戦争次元に移行
して人間が全体的な狂気にとらわれるなどということはけ
っしてない。世界の多様な民族国家は、それぞれ独自に
人間の殺戮本能や攻撃性の陶冶を試みてきたが、それに
一番成功した民族こそ、我々日本人だったのである。

 しからば、日本人が起こした大東亜戦争は、なぜ、かくも
執拗に、いつまでも悪人の所業のように言われ続けて
いるのだろうか。なぜ、シナ人と韓半島人は日本を恒久的
に責め立てるのだろうか。ここに一つの巨大な歴史の詐術
がある。実のところを言えば、一番、日本を悪玉に仕立て
上げて、そのことを隠れた国是にしている国がある。日本
の戦争責任を戦勝国の有理(有利)のみにたより、一方的
に日本を悪として裁いてしまった国がある。この戦勝国の
有理とは、無理が通れば道理が引っ込むの「無理」なので
あるが。ありていに言うなら、勝ちさえすれば敗戦国には
何をやってもよいということをアメリカは実践した。アメリカ
は日本の過去を悪として故意に裁いた。それが東京裁判
であった。

日本とシナの問題、そして、日本と韓半島の問題は百パ
ーセントアメリカ一国に原因している。日本のマスコミは、
占領時代の放送コードを今も後生大事に堅持しているの
で、この事実は決して言わない。シナも南北朝鮮も何か
ことがあるたびに日本の戦争責任をこれでもかと執拗に
追求する。外交の席ではたまにニコニコ顔で応対するこ
とはあっても、けっして戦争責任追及の手をゆるめない。

 シナ人と韓半島人は、アメリカの日本断罪史観に乗っ
ているだけでなのである。我々は真摯に事の真実を認
識する必要がある。皇統を戴く日本という至尊の国が持
つ悠久の国家時間が、アメリカという奸佞邪知(かんね
いじゃち)の国によって歴史を捻じ曲げられ、悪と断罪さ
れ、世界史の中に固定化されてしまったのである。これ
をシナ等のチンピラ国家が利用しているのが現実である。

我々は最近、日本人特有の「和」の原理で頑張ろうなど
と軽い気分で言う。しかし、この和の精神こそ、わが祖先
たちが長い時間に亘って自己陶冶し、築き上げてきた民
族精神なのである。幕末に黒船を見て驚きながらも、わ
ずか90年に満たない時間で、世界最大、超弩級戦艦の
「大和」を造り上げた日本人の優れた創造性や能力も、
この膨大な国家時間の蓄積に由来しているのである。

 日本人はアメリカの底意を見抜いて、本来的な民族矜
持を取り戻さないとカルタゴやパルミラのように消失の運
命をたどることになる。日本人よ。我々の祖先たちは世界
一立派な人間だったのだ。信じたほうがいい。私は本気
でそう思う。

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