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2006年4月27日 (木)

政権とともに変わる公務員さんの顔

我々一般の国民は、公務員さんに対して、日ごろ、どういう風に思って
いるのだろうか。正直、あまり意識していなかったというところだろうか。

 公務員とは「公」、「務」、「員」、すなわち公(おおやけ)の職務に携わ
る人である。直接、我々が公務員さんに日常的に接する場所は、たと
えば市町村役場であり、そこではさまざまな手続きを行う。一昔前は、
役場の公務員にしても、郵便局員にしても、旧国鉄の職員さんにして
も、公務員のイメージは厳格で取っつきにくい感じであった。まあ、公
務員さんと言ってもいろいろな種類の公務員さんがいるが、ここでは
イメージとして役場の公務員さんを念頭に置いている。一昔前は、国
民はお役所の職員さんに対し、少々の揶揄を込めて「親方日の丸か」
とか、応対に不快な思いをした人は「やつら、威張りくさりやがって」な
どと言っていたことがある。

 ところがである。押しなべていかつい感じだったこの公務員さんたち
が、いつの間にか豹変した。柔和になっていたのである。窓口はすべ
て訪れる人間に対して柔らかく親切に応対するようになってきた。なん
か奇妙だなあと思っているうちにどこへ行っても公務員さんは親切にな
っていたのである。

 国民は、そのおかげで市役所などに行く時の憂鬱感が大幅に軽減し、
役所は対人ストレスを受ける代表格からいつしか除外されていた。警
察署でさえもそうである。昔のお巡りさんは「おい、こら、まて」式のコワ
モテであったが、最近のお巡りさんにはそういう態度を取って市民に嫌
われたら大変だということで始終ニコニコしているようだ。

 私は齢五十を過ぎてふと考えた。これは、日本に民主主義が根付き、
いわゆる「お上」が国民に対して、支配的に威張る時代は過ぎ去り、一
般国民も公務員さんも分け隔てなく、民主主義社会の中で、お互いの
人格や権利を尊重し合ういい時代が到来しているということなのだろう
かと。すぐに、いや違うなこれは、むしろ逆だなと気づいた。

 時代を通暁して公務員さんと国民の関係を見ると、そこにはお上、す
なわち国家と国民の関係性の変遷がはっきりと見えてくるのである。何
も難しいことを言うつもりはない。ことは簡単である。公務員さんが親し
く感じ、全般的に国民に対して親切になり、威張った人々という印象が
抜けている今の世相とは、怜悧な見方をするなら次のことが言える。

 戦後民主主義による個人主義が、人々の価値観を個の自由に収斂さ
せ、個の自由はいつの間にかミーイズムに取って代わられた。その結果、
国民は、自己が公(おおやけ)と連続しているという意識を大幅に希薄化
させてしまった。公というのは規範であり、秩序であり、社会性である。そ
の公が、漸減的に溶解へ向けて進んできたのが、昭和の終わりごろから
平成の今にかけてである。この公(おおやけ)意識の溶解が漸減的に進
んだことと、公務員さんの柔和な態度現出は、明らかに相関関係を持っ
ていたのである。

 私は思う。国家とは、国民の存在理由(レーゾンデエトル)を与えるため
の秩序であり縛りである。それは過去の歴史の積層という連続性から成
り立っている。つまり、人々が自由に幸せに生きる保証を与えてくれる大
きな枠である。この確かな枠があってこそ、国民はのびのびと個人生活、
そして社会生活が送れるのである。おおやけの最大公約数が国家であ
る。私の言いたいことはこうである。国家というものが磐石であってこそ、
国民は「ちゃんと生きる」よすがを持つことができるのだと。

 ただ、重要なことは、この国家という枠が、国民の幸福の根幹である存
在理由を与えるためには、十分な歴史性を背負っているという条件があ
る。つまり、先祖たちの弛まない営為の集積と時間の流れを土台にして
国家というものは意味を持つのである。今の日本人は国家を背負ってる
のだろうか。戦後、我が国は外部からいきなり不慣れな世界観を付与さ
れた。それは、西欧近代主義によって生み出され、アメリカによってソフィ
スケートされ先鋭化された「民主主義」というものである。先鋭化された
という意味は革命を経て出来上がったものという意味である。当然なが
ら、この革命民主主義の本質は伝統時間の集積を全否定する。これが
戦後の日本から日本らしさが漸減し、今まさに消滅の前夜に立たされて
いる主な理由である。我々が憧れたアメリカのモダンな世界観というの
はそういう日本破壊の型を持っていたということである。

 国民は国家を背負い、国家は国民を背負う。この相補関係は歴史の
連続性によって担保される。戦後の日本人は国家を価値否定し、それを
背負うことをやめた。その結果、概念としての国家は希薄化し、国家は
日本人、つまりは国民を背負えなくなってきている。これが日本国民を
囲繞する真の危機である。これから脱出し、国家という概念に実体性を
取り戻すためには、歴史のレジティマシーを日本人の心に甦らせること
である。つまり、神話が示すアーキタイプを再び心に確立することである。
何も難しいことはない。神武から連綿と続く天皇を中心とした国体観念
を持つだけでそれは見事に復活するのである。なぜなら、先祖が踏襲し、
次代に引き継いできたことを我々も踏襲し、また次代に引き継ぐというご
く自然だった日本人の在り方に戻ればいいだけである。今の日本人が
元気がない真因は、国家のあり方を見失ったために、自己の顔さえも
のっぺらぼうのようになんだかわからない顔になっていることにある。

 この話から、公務員さんを見つめなおしてみると、ある帰趨にたどり着
く。それは、公務員さんが厳格であって欲しいということだ。親方日の丸
をしっかりと背負って欲しいということだ。国民に対しては憮然と応対し
ていてもよい。埴輪や能面の顔をして窓口業務を行っても良い。頼むか
ら公務員さんは国家の権威を代行しているという強い誇りを持って仕事
をして欲しい。警察官は昔のような近寄りがたい威厳を回復して欲しい。
たとえば、いきなり現れたら、子供が思わず泣いてしまうような警察官
の方が安心だ。たとえば鬼平のような。それでこそ治安は守られる。

 私は、日本の公務員がコワモテ顔になることを望む。公務員さんと関
わる国民はおどおどとその顔色を伺うような感じになって欲しい。公務
員さん、つまり、官吏の皆さん方が取っつきにくいということは、国家が
確かであるという証左なのである。今の国民は、公務員が所得の面で
も、福利厚生の面でも格段に優遇されていると感じ、羨望の念と若干の
怒りを持って眺めている人たちは多い。しかし、これはとんでもない言い
がかりなのである。公務員さんは好不況に関わらず、身分と所得は充
分に保証されてしかるべきであり、退職後の保証も一般国民よりは格
段の恩恵を受けて当然である。それほど、公務員さんの仕事は厳格で
大切ものなのである。

 公務員さんが厳格で鬼瓦のような表情を持つ国の国民は幸せであ
る。不幸せなのは、公務員さんが揉み手をし、破顔一笑して、桂三枝
のように「いらっしゃあ~~いっ」と迎えるどこかの国である。それは
国家が溶解していることを、この目で確かめてしまうというつらい現実
なのだ。

 国家とは厳格な秩序である。その国家の権威を代行する職業は、そ
の秩序を体現する任務を背負うわけであるから、おのれの生き方を律
し、けっして悪いことはしないという自律的な精神を保持する宿命を持
つ。これが国民に安心感を与えるわけであり、そのことによって国民は
おのれの生活感を確かに獲得できるのである。

その意味で公務員さんの役割は大きい。公務員さんが悪いことをしな
いということは、それだけで国民の倫理規範の涵養になるのである。
母親が子供と役場に行く時、子供は道徳のモデルを公務員さんに見る
ことだろう。子供は思う。あの人たちは怖い顔をしているが悪い人では
ない。家庭とは違う何か別の大事な事をやっているんだな、だから近
づきにくいんだなと思うのである。

 ここに、子供たちとおおやけの接触がある。学校は駄目である。先生
に公がない。なぜなら、先生は「国家は悪いことするんだぞ~っ、公は
野放しにすると戦争するんだぞ~っ」と教育するからである。子供をの
びのびと育てよう、人格を認めて大事に教育しようとして子供たちから
石を投げられ、火傷を負わされる。そこで、先生は言う。「公徳心が必
要だな、こりゃ」と。あんたらが公を駄目だと教えたんじゃないのか。最
も日本的なる公と隔たっているのは先生方かもしれない。その代わり、
彼らは新しい公になっている。すなわち、それは「先公」という呼ばれ方
をする威徳のない「こう」である。

 これを読まれた方々は、公務員さんの顔つきと「おおやけ」の話の関
係か、ふ~ん、そういうのどかな見方もあるのか、じゃあ、これまでの話
で、特に「落ち」はないんだなとお思いだろう。落ちはあるのである。

 
     さて、ここからが落ち話。

 ニコニコ顔の公務員さんが、ふたたびいかつい顔になるような兆しがあ
る。だがそれは私がくどくどと述べたような与太話ではない。小泉路線と
は、日本をアメリカ型に造り替える完全なる売国路線である。その行き着
く姿は、極左急進的な無政府状態である。それは新自由主義という一種
のルソー教に基づく日本国家のインスタント食品化だからである。

 アナーキーとは限りのない「自分」のことである。限りのない自分が何
人か寄せ集まれば、そこは無政府空間である。これが我が国に起ころう
としている。すると、今の政府、つまり、小泉を筆頭とする新自由主義者
たちの集まりは必ずこういう仕掛けを施す。

 この無秩序は警察権力できちんと治める。警察は反乱分子の国民を
なるべく効率よくお縄にするように、そして公務員は、盗聴盗撮しても良
いからしっかりと国民を監視するようにという号令が下される。その一つ
のはっきりとした兆候が共謀罪法案である。法務省の説明は、国連総
会で採択された越境組織犯罪防止条約の国内法化のためだと言う。マ
フィアとか蛇頭などのはっきりした犯罪組織なら意味はわかる。

 しかし、法務省が準備した法案の中身は、国際犯罪を指定する越境
性はなく、対象範囲が国内のサークルや結社や会社のようなごく普通
の組織性を範囲にしているように思う。国際犯罪防止というよりも、これ
は明らかに国内に焦点が向けられており、その意図は犯罪を未然に防
ぐことではなく、現政権批判を封じる言論統制にある。つまり対象のター
ゲットはただの国民なのである。国民を組織犯罪から護るという触れ込
みで、実は国民自身の言論表現をがんじがらめにする目的がこの法案
である。戦時下の危急存亡時ならいざ知らず、こういう準平和状況で、こ
のような治安維持法的な思想を持つ法案が策定されるということは、内
閣がファッショ化しているという確かな証拠なのである。また、マスコミが
この法案成立を側面援護している。つまり、他のニュースを執拗に拡大
再生することによって、この危険な法案の審議過程と成立に煙幕を張っ
ているのである。本当に悪質極まりない。

 私が、小泉純一郎という男を、なぜ売国宰相、国賊と呼ぶのかその
輪郭が見えてきたと思う。小泉は日本の国柄を破壊して、新自由主義
社会を打ちたてようとしている。新自由主義とは思想的に国家を無政
府状態に置く。「小さな政府」とは、煎じ詰めれば無政府社会のことで
ある。そしてこのイデオロギーの行き着くところが夜警国家なのである。

 今、なぜ「共謀罪法案」かと訝っている人たちはこれで疑念が晴れた
と思う。これは小泉構造改革路線の必然的な帰結なのである。何の不
思議なこともない。直視した方がいい。我が国は小泉たちの奸策によ
って夜警国家に堕そうとしている。加えて、完全監視社会、密告社会
がこれに付随する。夜警国家とは、新自由主義社会が遷移して極相
化した社会のことである。そこには究極の格差二極分解構造が現出
する。この典型的なモデルがアメリカである。それは、この間のニュー
オリンズ・ハリケーン被災で世界にまざまざと知られてしまったことで
よくわかると思う。日本もこのまま小泉構造改革を推し進めて行けば、
持てる一割の富裕層と、赤貧洗うが如しの持たざる九割の貧民に分
極化するだろう。

 どうであろうか。前半の話は冗談ぽく書いたのだが、後半の落ち話は
リアルそのものである。小泉改革は軸足を矛盾した二つの考えに置い
て国民を騙し続けている。一つは「小さな政府万歳」とだけ言って、けっ
してその経済構造が新自由主義であることを言わない改革指針を持つ
こと。もう一つは、彼の靖国参拝に見える正統派保守主義の顔である。
もっともこの顔は保守のポーズをしているだけであり、その本心は極左
的かつ虚無主義的な色合いの濃い個人主義である。つまり、日本の歴
史性からは完全に遊離した欺瞞の保守主義なのである。靖国神社境内
を歩む彼の心には英霊は存在しない。

 小泉の悪質なところは、保守の顔をした急進的な国家破壊者だから
である。しかも、その目的は、アメリカ国益のために日本の国柄を積極
的に破壊していることにある。国民を恣意的に統制する人権擁護法案
が先送りになった。彼は今度は任期中に共謀罪の強引な成立を狙って
いる。我々国民は国家の命運が、この詐欺師の綱渡り的な一挙手一
投足で左右されている現実を把握しなければならない。

 ついこの間は、党議拘束までかけて皇統破壊を目指す皇室典範の改
正を企んだ。そのあとは人権擁護法案である。そして今は拙速に共謀罪
をごり押ししようとしている。今までの宰相で短期間にこのようなことをや
ったリーダーがいただろうか。小泉の政策行動のすべてが日本の完全
解体を目指しているのである。
 

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2006年4月26日 (水)

日本核武装の正当性と喫緊性(7)

◎北朝鮮の核武装も日本核武装の正当性の根拠

 中川八洋氏は、著書「日本核武装の選択」(徳間書店)の中で 、朝鮮半
島は今、昔のかなたに去ったはずの、明と李氏朝鮮の関係が復活しつつ
あると書いている。この動きは指摘されたとおり当たっていると思う。北朝
鮮と韓国の融和的関係が見えることと、米軍の韓国撤退の動きがあるこ
とからすれば、方向としては、韓半島の情勢は、昔のシナによる華夷秩序
に再び組み込まれつつある。今は大中華主義と言うのか。

 六カ国協議が事実上、進展しないことは、中共がいたずらに引き伸ばし
ているからである。中共の力と政治力をもってすれば、北朝鮮の核問題と
拉致問題は解決に向かうはずである。一向にこの協議が進展しないのは、
シナとアメリカのヘゲモニーがこの場でも火花を散らしているからである。
ホワイトハウスにおける、この間の胡錦濤(こきんとう)・ブッシュ会談でも、
ブッシュが胡錦濤に六カ国協議進展にシナが力を注いで欲しいと投げか
ければ、胡錦濤は「アメリカ側が条件を呑むことだ」と即座に言い放ってい
る。

 要は、シナは北朝鮮の核兵器を中心とした先軍体制を崩す気はまった
くないのである。こういう動きの中で、シナがアメリカと日本の同盟体制を
切り崩せば、難無く日本を掌中にできると考えていることは明らかである。
今の日本は、アメリカの胸三寸でシナへの供物になる方向へ向かってい
る。日本人はこの状況をほとんど認識していないように見える。米ソ冷戦
時代から今日まで、我が国は日米同盟、つまり、アメリカの核の傘下で生
き延びてきた。

 今、日本人が一番認識しなければならないことは、戦後60年という時
間をアメリカの核の庇護で保ってきた日本が、その持続性が担保されな
い状況に立ち入ってきているという大局的情勢をよく見つめることであ
る。前述したが、アメリカは、軍事、あるいは経済において、日本からの
総合的なメリットを得ることができなくなったと判断すれば、何のためらい
もなく日本をシナの掌(たなごころ)に明け渡す。たとえば、沖縄の兵力を
削減して、グアムに移転するという動きも、軍用機の航続距離が格段に
伸びたことや、高速性能、電子的戦闘能力の革新的な進歩が新しい段
階に入ったことを示している。トランスフォーメーションは地域的な戦略性
だけではなく、技術的イノベーションによる戦闘思想の高度化もある。

 つまり、原潜配備や航空能力、衛星システムの格段の技術革新から、
ハード及びソフト面における戦闘システムの進化が、日本の地政学的な
重要性を低下させてきていることは事実である。日本を東アジア制圧の
軍事的橋頭堡と捉えなくてもよい時期に移ってきているのだ。日本にと
ってこの意味は重大である。我が国が検討に入っているミサイル防衛
MD(Missile Defense)構想であるが、中川八洋氏が言うように、防衛庁
が国内向けに、MDによるミサイル迎撃率が百パーセントであるかのよ
うな幻想を振りまくのは百害あって一利なしである。

 たとえば、実際の迎撃率90パーセントでも、ミサイルが核搭載であっ
たのなら、この迎撃率では壊滅的被害は免れないことになる。ところで、
小泉純一郎の対北朝鮮外交の本質は間違いなく亡国に向いている。
横田めぐみさん拉致に象徴される数百名に及ぶ日本人拉致は、その
事実が判明した時点で十分な開戦事由に相当するはずである。この
認識から日本は北朝鮮と対峙する以外に方向性はないはずであるが、
現内閣は国交正常化というとんでもない売国方針で行っている。

 北朝鮮の首領自らが、国家の拉致を認めているのに、謝罪もなく、
被害者を帰還させる意思もない。ここにおいて、日本の取るべきスタン
スは宣戦布告して北朝鮮本土を攻撃する以外に選択肢はないはずで
ある。然るに現内閣は、拉致問題を一般外交懸案にしたばかりか、同
胞を拉致拐取した明らかなる敵性国家を、友好という欺瞞で国交正常
化を達成する外交目標を持った。この内閣は、国の誇りもなく、国防の
概念もなく、被害に遭われた同胞への連帯感もまったくない棄民内閣
そのものである。

 小泉内閣は日本の国柄を破壊し、日本を米国の指令に従って市場
原理至上主義社会に転換したばかりか、同時に外交では、大々的に
国民同胞を拉致した北朝鮮を友好国として国交の正常化をはかるとい
う姿勢を示した。これだけでもこの内閣は国家犯罪的な内実を持って
いると断言できるのである。これは、民族主義者でなくとも理解できる
売国姿勢なのである。

 北朝鮮存続はシナの意思でもあることから、宣戦布告するなら、当
然シナとの軍事的対峙を覚悟して行わなければならない。ここにおい
て日本がシナの軍事覇権を抑止する方法は核武装しか考えられない
わけである。アメリカは国際的に、日本が同盟国である立場を鑑みて、
日本が自衛から核武装の意志を持つことには表立っては反対できな
いはずである。日本の周辺状況を見ればそれは明らかである。これに
アメリカが反対するとすれば、国際社会の顰蹙を買うことになる。

 しかし、敵性国家であるシナ、北朝鮮、韓国は当然大反対をするだ
ろう。彼らの言い分は、大日本帝国の軍国主義路線への復活阻止と
いう名目である。しかし、戦後60年、日本が帝国主義的な動きや兆候
を少しでも示したことがあるだろうかと日本が言った場合、国際社会は
それを首肯せざるを得ない局面に立たされる。つまり、シナ人や韓半
島人が日本の軍国化に反対する理由が国際社会に支持されうるのか
ということである。日本の軍国化とは言っても、それは国家が危殆に
瀕した時、普通の国家として、普通に武力を行使しうる軍隊を持つと
いう意味しか有さないが。

 極東国際軍事裁判は、当初は説得力を持ったのかもしれないが、そ
の後の日本の歩みをきちんと評価する限り、侵略の意図などというも
のは露ほども示さなかったことを、国際社会は判断せざるを得ないで
あろう。ここにおいて、シナや朝鮮のように、東京裁判史観を国際世界
に向けて再アピールすることは、国家の民度として恥と言う以外にな
いわけである。

 日本が核武装の意志を表明するにおいて、真に問題なのはアメリカ
の判断であろう。アメリカを説得する時、日本は東京裁判の理不尽を糾
弾することを保留し、自衛一本やりを主張することである。それで絡めて
行けばアメリカには国際的に反対する理由を持たない筈である。なぜな
ら、我が国はもっとも深い絆を持つ同盟国なのであるから。もし、アメリ
カが日本の提案に反対したら、大声でその理由を国際社会の前で問い
かければよい。

ただしである。アメリカがあくまでも頑強に反対した場合、前に述べた
ように我々は腹を括り、アメリカの太平洋正義史観の元凶、すなわち極
東国際軍事裁判の不当性を国際社会に向けて高らかに主張し、民族
存亡の決意を込めて核兵器の自主製造に取り掛かるのである。ここで
迷っても迷わなくても時間はないわけであるから、死地に出向いて浮か
ぶ決意をするのである。一番、悪質なのは、「急いては事を仕損じる」と
慎重を旨として結局、惰弱に溺れていく精神である。日本は慎重に様子
見をし過ぎて現状の体たらくを招いているのである。要するに、今の日本
で、慎重にとか、十分に戦略的になどと言うグループは、何もしないで
成り行きに任せようという謂わばヘタレ主義なのである。今、行動を起こ
せる者は民族の立場にあって深い憂慮を持つ者である。

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2006年4月24日 (月)

日本核武装の正当性と喫緊性(6)

    ◎終焉の漆黒か、あるいは黎明の希望の光か

昨年の郵政民営化総選挙時に兵頭二十八氏は言った。「郵政
民営化は瑣末な問題である」と。郵政民営化法はけっして瑣末
なことではない。それどころか、国家の命運を左右する重大な
内実を孕んでいた。この欺瞞的な法案の中身を一切検証させ
ずに国会を引き伸ばし、国民に向かって誠意ある説明をしなか
った小泉自民党の詐術的施政は、国家犯罪として追求されね
ばならない。その最大の追求ポイントはこうである。

 抵抗派、造反派と言われ、金権利権護持とレッテルを貼られ
たまま小泉自民党を追放された勢力が、ここ一番、踏ん張って
問題視した要点、すなわち小泉竹中案における郵政民営化の
中身に、350兆円の国益的な使用法の明確性という問題が生
じ、それが未解決のまま審議が滞った。許しがたいことは、そ
の審議停滞の原因は、小泉・竹中が質問の要点を無視し、あ
るいは他の方向に偏執的にすり替えたことにある。

 それのみか、民営化で生起する、郵貯簡保資金の運用時に
おける市場的なリスクについて、どういう方策を講じるのかとい
うごく当然な質問を一貫して展開させないように、反対の立場
をある者たちを、言論の場から締め出すという不逞な行動を取
ったことである。法案に反対した実に40名の自民党議員を党
外に追い出すということをしたわけである。民主政治の根幹が
この時点で取り返しの付かないレベルで破壊されている。

 小泉の一貫してとったこの非情さは、何によって支えられてい
るのだろうか。それは、彼が敵視したものの精神や背景を見れ
ば瞭然と見えてくる。それはひと言で言えば「日本」そのもので
ある。日本型のシステムを旧構造の腐敗性、遅滞性というきわ
めて短絡的で下劣なる二値論理志向で日本型構造の根幹を破
壊していった。謂わば、創造には破壊が不可欠だ、進歩には停
滞が敵だという単純明快なロジックだけである。

 この一見してわかりやすい旗振りには、恐ろしい落とし穴があ
った。それこそが、米国がかつて南アメリカ諸国やインドネシア、
ニュージーランドに略奪経済的進出を行った時の口癖なのであ
った。米国が経済侵入を行い、その国の富を金融工学的に効
率よく収奪する時に、米国が半ば強制的に打ち立てさせる国家
政策が、「構造改革」の呼び声であった。小泉構造改革の本質
とは、アメリカによる利益誘導システムを日本に打ち立てるため
の「露払い」なのである。抵抗勢力とレッテルを貼られた議員た
ちはそういう小泉の国売り政策を国民に伝えようとして必死に
戦っていた。郵政民営化、拙速すぎるぞ、待て。なぜもっと時間
をかけて慎重に事を運ばないのだと。

 民営化推進与党はそれに真摯に答えるべきであった。ところ
が彼らの悪質なところは、外資問題は適当にはぐらかし、そこ
に国民の目が向かないように、マスコミを動員し、反対派を既
得権益、利権保全、進歩に逆行する停滞派のようなレッテルを
貼って、彼らを徹底的に排撃した。すなわち「頭の古い守旧派、
造反派」というネガティブなイメージ操作を行ない、抵抗派とい
う言葉の連打で構造改革を否定する悪い者たちと位置づける
ことに成功したのである。

 そして、彼らの意見を世間に流布させないようにして、そのま
ま解散総選挙に持って行くという暴挙を行ったことである。テレ
ビがこれに最大限に協力したのである。やはり、映像によるイ
メージ操作の力は強大である。

 国民も、頭を冷やしてよく小泉改革を眺めていれば、内閣が、
構造改革の中身、つまりは、そのベーシックな経済理論をけっ
して説明しなかった理由と、小泉たちの真の目的が見えてい
たはずである。つまり、亀井静香氏、野呂田芳成氏、小泉龍
司氏、小林興起氏、城内実氏、平沼赳夫氏、森岡正宏氏、そ
の他の郵政民営化に反対する議員たち。これらの議員の方々
は、小泉施政の欺瞞を良く見抜いていた方々である。

 特に、前厚生労働政務官であった森岡正宏氏は、「日本会
議国会議員懇談会」の総会で、「戦勝国だけが正しくて敗戦
国だけが悪かったというのは誤りだ。東京裁判(極東国際軍
事裁判)が本当に正しかったのか、国民に訴え、世界にも発
信すべきだ」
と発言し、実に正当な歴史観を持つ議員さんで
あることが証明されたのである。このようなきちんとした歴史
観を持つ方が、日本を新自由主義の市場原理社会一辺倒
に塗り替える政策を行う小泉構造改革を非難しないわけが
ない。

 アメリカの対日圧力が隠微に文章化されたもの、すなわち
「年次改革要望書」の内実が小泉構造改革の本質なのであ
る。それは、アメリカ国益いっぽんやりの構造改悪を強制的
に日本側に押し付ける文章である。悪質なのは、詳細に及
ぶ日本の経済構造や慣習的商習慣を、ことごとく改造の対
象とし、それが実際に法案化されたかどうか確認するペー
パーまで出させるという念の入れようである。つまり、日本
側は逃げが効かないシステムに束縛されているのである。

 これはシナや韓半島からの教科書問題や靖国参拝問題
とは異なる、もっとも悪質な内政干渉なのである。その国特
有の経済システムや伝統的商習慣をこのように変えろとい
う言い方は、占領した宗主国そのものの物言いなのである。
まるで幕府が藩政に口を出すようなものである。それに阿
諛追従し、唯々諾々と従う内閣には国家を運営する資格が
ない。

 それどころか、重大な国家毀損という意味では破防法の
対象ともなるだろう。我々はそういう内閣を容認しているの
である。それでもいまだに支持率が50パーセント近いのは、
国民意識にアメリカ隷従が染み付いているからであり、小
泉たちの傀儡的性格(アメリカのパペット)が見えないから
である。国民精神に、東京裁判という誤った歴史のベール
が降りているのである。

 国民側におけるこの絶望的な事実こそ、小泉売国政権を
五年間も延命させていた真因なのである。この五年間で日
本はどれくらいの国富を失ってしまったかを良く調べた方が
いいだろう。しかも、その米国利益誘導システムは、これか
ら本格的に作動するのである。

 このあと、国の宝であり、国民の汗の結晶である膨大な郵
政資金が外資、要はアメリカ財政に組み込まれてしまうのは
火を見るより明らかなことであろう。今の日本が置かれてい
る冷徹な現実を鑑みて、日本を憂い、対シナ戦略にアメリカ
の強大な軍事力を恃む以外に手がないとするなら、時の日
本が取りうる唯一の方策は、この郵政資金を祖国のために
もっとも有効に使うことにある。

 その方策として、現政権に反旗を翻し、早急に郵政民営化
法案の実施を凍結するべきである。つまり、外資による金融
工学的なリスク市場に郵政資金を絶対に置かないようにする
べきである。以前にも述べたように、郵政資金がキャピタル・
フライトの形でアメリカに流れたら、日本はアメリカの核の傘を
まったく利用できなくなり、そのことはとりもなおさず、チャイナ・
リスクを時間的に早めることになる。チャイナリスクとは、シナ
による日本の軍事占領である。これを防ぐには、我が国が核
武装するしかないのである。

 アメリカという国は、収奪理念が本当の国是なのである。国
民は悟るべきである。日米安保は日本国富の自動収奪機構
としてしか機能していないという事実を。日本から絞り取れる
以上の利益確定が、シナに構築できたら、大国同士の取引か
ら、アメリカは日本をシナに売るというシナリオは非常に現実
的なのである。だからこそ、今、アメリカの核の庇護にあるうち
に核武装を可及的速やかに整えるべきである。この最大の国
家サバイバルに、郵政民営化を利用しない手はない。

 それにはアメリカの垂涎の的である郵政資金を、アメリカに
対等の立場で貸し付けることである。その場合、当然ながら交
換条件は、シナが日本核攻撃の意志を示したとき、米国原潜
の核を支那本土に即時に撃ち込む条約(事実上は安保の改
正となる)を締結し、同時に、可及的速やかに我が国の核武装
を容認させる承諾を得ることである。小泉がそういう国家の生き
残りを賭けて、郵政民営化を推進したのであれば、自分は彼を
全面的に応援していただろう。だが、この暗愚な宰相は、「命を
賭けて」米国に国富を貢ごうとしているのだ。

 米大統領の靖国参拝打診をつぶし、「あの戦争はしてはな
らない戦争だった」などと言う者にそのようなしたたかな深謀
遠慮が働くわけはない。涎をたらしながらブッシュに尻尾を振
る姿は醜い日本人の代表格である。このような穢れた者が靖
国参拝をすることは、英霊に対する侮辱である。国民は自覚
するべきである。小泉政権とは、保守の名をかたる急進左翼
的な革命政権である。その実態を知られたくないために、彼ら
は新自由主義に沿って行われる構造改革の理論的な説明を
避けるのである。

 何度も言っているが、愚劣な進歩主義の衣を装い、ハイエク、
フリードマン的な新自由主義を我が国に敷設するという現内閣
の政治行為は、皇紀2666年の伝統を誇る国体の完全破壊を
意味している。この革命政権は、故三浦重周の言うように根底
に民族主義を持って革命的にぶち壊さなければならないのであ
る。それが今であることを日本人の何人が気づいているのであ
ろうか。

 日本人は対シナ戦略に当たっても、アメリカの奴隷根性か
らは脱却する必要がある。ここが大事なところである。さいわ
い、まだブッシュはアメリカの最高権力者である。彼の気持ち
が変わらないうちに、日米首脳によるトランスフォーメーション
へ寄与する日本の役割を申し出て、戦略的にアメリカと対峙し、
実効的な同盟政策を遂行することが必要なのである。アメリカ
も郵政の350兆円をできるかぎりただ取りしようなどというのは
虫がよすぎる。100兆円くらいはアメリカにやるから、日本の核
武装を承認してもらい、実際の戦略核及び大陸間弾道核ミサ
イルの技術を供与させるように話を付けるべきである。

 シナの東アジア覇権を、できるだけ日本の武力で抑えるとい
う口実に、核武装を行うとアメリカに申し出るのである。国家と
民族の存亡を賭けてこの交渉はやらねばならない。もし、アメ
リカがノーを言っても進むべきである。また、アメリカが日本が
核武装を実行する気配が見えたら核攻撃をすると脅しても、け
っしてあとに引いてはならない。我が国が核武装できなければ
いずれにしろ、日本は滅ぶ。それをわきまえて不退転の覚悟を
持つことである。アメリカが認めなくても、核兵器の研究と実戦
配備は可能である。もちろん核搭載の大型原子力潜水艦も急
ピッチで建造するべきである。

 日本人同胞諸氏よ、もういいではないか、もう。この辺で覚悟
を決めようではないか。これ以上じっと耐えていても民族の運
命に好転の兆しはない。このまま、アメリカの奴隷になることも、
シナの奴隷に堕ちることもご免だ。そういう魂のない生き方は、
我々日本民族の生きる選択肢にはない。先祖のように誇り高
く生きることが適わない未来ならば、民族皆、ともどもに潔く、
そして喜んで滅びようではないか。それが先祖の意思と願い
にかなう唯一の進むべき道である。大東亜戦争は霊的な意味
ではアジア開放のための聖戦であった。先人たちは本当に良
く戦ってくれた。我々もいざというときは腹を決めて後へ続こう
ではないか。それが民族の誇りというものではないのか。

 アメリカやシナという収奪文明のパラダイムが永続する世界
に生き永らえてどうする。それよりは精一杯そのパラダイムと
戦って民族の命運を決めた方がいい。三島由紀夫の自決は
未来の日本人に対する諌死であった。今、この時代、日本人
は三島に問いかけられている。すなわち「生命尊重のみで魂
は死んでも良いのか」と。我々は今、否応なく自分たちに生命
以上の価値とは何であるのか、それを問いかけねばならない
歴史の岐路に立たされている。シナやアメリカの奴隷が嫌だ
ということは、つまりはそういうことなのである。日本人が、日
本人とは何者であるかを、今、まさに問いかけられているのだ。

 日本は軍事的に、経済的に、そして精神的にもアメリカの奴
隷になってしまおうとしているのが今なのである。眠ったまま、
このまま成り行きに任せても少しは生きていけるだろう。心に
奴隷のくびきをはめられて。それよりは、日本民族が悠久の
時間で培った平和共生のパラダイムに、この凶悪な世界を
変えるため、今一度、先祖の武士道精神を甦らせ、民族全
員力を合わせて最後の戦いに入ろうではないか。そのため
の日本核武装論提起である。

 けっして、けっして、アメリカやシナのような野蛮な収奪国
家として日本人が生きるための核武装ではない。日本の神
道的な精神性がこの世界に存続するためである。それは自
然を慈しみ、神を尊崇し、異なった民族同士が助け合うとい
う新しい文明のモデル、新しい文明パラダイムをこの世界に
構築しなければ、地球の存続そのものがないという判断か
らである。日本的霊性が形作る新しい文明モデルこそ、これ
からの世界に必要なのである。キリスト教も、ユダヤ教も、
イスラム教も、血と破壊を呼ぶ型を持っている。我が国の神
道モデルだけがこれからの世界存続に大きく寄与するので
ある。この精神で日本はサバイバルを志向しなればならな
い。三島由紀夫の死は、今の我々日本人に、民族の文明の
型をはっきりと決定しろと呼びかけているのだ。

 自分も良くわかっている。本当は日本人には核兵器は合わ
ない。左翼が、市民的な平和感覚で核兵器を生理的に嫌悪
していることも、もしかしたら、その深層は民族的神道的な嫌
悪感から来ていると感じているからである。日本刀と違って、
核兵器や生物化学兵器は、神道的感性から言えば「ケガレ」
としての忌まわしい武器である。「ハレ」の日本文明を存続さ
せるために「ケガレ」の核兵器で外部の攻撃を抑止しなけれ
ばならないこの現実は、民族の霊的深層にとっては死ぬより
も辛いことかもしれない。しかし、それでも核武装は必要で
ある。我々は次代の日本と世界のために核武装をしなけ
ればならないのだ。

 私はそのように考えている。それくらいの覚悟を持って日本
核武装論を唱えている。36年前の三島由紀夫の自決死は、
今の日本が滅びを選ぶか、新しい日本型の精神革命を遂げ
て生き延びるかを選択させているような気がしてならない。
三島ははっきりと断言して死んでいった。生命以上の価値と
は「日本」であると。もし、アメリカやシナの奴隷を忌避する生
き方を選ぶしかないとすれば、我々は今こそ、その「日本」と
真正面から向き合うしかない。それは先祖たちの魂の型を知
るということなのである。武士道はファッションではない。また
天皇は民族の生命(いのち)である。そして、日本特有の「和」
の精神とは鎮守の森(杜)の厳かな静謐からくる共同体的和
合である。これらを蛮族たちの手にゆだねるよりは、特攻隊
あるいは玉砕した英霊たちと同じように、外夷文明に立ち向
かって果てた方がいいと自分では思っている。それが大東亜
戦争時の日本人すべての心持なのではなかったのか。かつ
ては確かにあった日本人の高貴さには世界的な意味があっ
たはずだ。それをとことん模索して未来を見つめる時が来て
いる。

 
 郵政民営化の話に戻る。アメリカが狙った国富としての郵政
資金は額面350兆円。実際は目減りして本当の額はわからな
い。しかし、百兆円は超えているはずである。これがむざむざ
とアメリカに吸い取られることは阻止することである。しかし、
アメリカは執拗に脅迫して脅し取ろうとする。くれてやろうでは
ないか。ただし、核武装承認と、すぐに実戦配備できる戦略核
ミサイルを何万基か譲り受けることと、大陸間弾道弾技術及び
核装備原潜の供与を要求するべきである。国富百兆円は痛い
が、国を護る事を考えれば安いものである。

 国を存続させる費用であると考えれば国民もなっとくする。し
かし、忘れてはならないのは、日本は最終的にはアメリカの覇
権傘下から離れる根性を持ち続けねばならない。そのために、
郵政資金100兆円は日本核武装への担保としての意味合いを
必ず持たせるのである。むかつくのはやまやまであるが、核武
装に関してはアメリカの現物と技術をもらった方が早い。もしそ
れがまったくできなくても日本は自力で開発すればいい。この
時、アメリカが日本壊滅をたくらんで核攻撃したら、日本とはこ
こまでの命運の国だったと従容として滅んでいけばいいだけ
である。

 神謀あるいは神慮という言葉がある。日本という古い国が、
この世界の未来に必要な国であったならば、神は最終段階で
日本を救うだろう。大東亜戦争に敗れても日本の皇室は残り、
靖国神社も残った。民族自らが神州不滅の言霊(ことだま)を
放擲してはならないのだ。これが日本人としての日本に対す
る信仰である。

 支那を牽制するには我が国が核武装する以外に方図はない。
しかもアメリカに頼まない状態で支那と軍事的対峙を果たしてこ
そ、本当の意味で自主独立国家となる。今、小泉竹中をムチ打
たなければ日本の大事な宝がただ取りされ、日本は完全に丸
腰となりアメリカは同盟から手を引くことになる。そうなったとき、
支那の牙に打ち勝つ武器はなにも残されていないのだ。その
自覚から始まることである。

 兵頭氏が見逃している致命的な視点とは、日本を護るため
の最後の虎の子が、この郵政民営化で失われる危険にまった
く気がついていないことなのである。郵政民営化は国富消尽の
魁(さきがけ)であり、柱でもある。これを失うことは、国家として
の底力が回復不能なまでに損なわれるという暗澹たる現実を示
している。兵頭氏よ、その状態でどうやって日本核武装を模索
するのか。

 従って郵政民営化とはけっして瑣末な出来事ではなく、国家の
屋台骨をのこぎりで切り取る行為に等しいのだ。日本の核武装を
指向するなら、対米関係と日本自身のあるべき姿を深く見つめる
べきである。アメリカを超克し、大東亜戦争を本気で肯定しなけれ
ば、日本は自力走行ができないところまで追い込まれているので
ある。

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2006年4月23日 (日)

竹島を不用意に利用した内閣

  韓国は、6月の国際会議でこの海域の海底地形に
ついて、韓国名を登録する提案をせず、日本も海洋
調査を当面実施しないとした。調査の現場海域で日
韓両国が衝突するという最悪の事態は回避された。
ただ、竹島の領有権問題は残されたままで、再び海
洋調査などの対立が再燃する可能性もある。
   (2006年4月23日1時42分  読売新聞)

小泉は、竹島問題はマスコミなどの挑発にのらないように、
冷静に対応するようにと各閣僚に指示したようである。この
不徳で暗愚な亡国宰相はどこまで国民を愚弄したら気が済
むというのだろうか。

 「日本も海洋調査を当面実地しない」という提案自体が愚
かなのである。この問題は日韓双方で、対等の論議の上で
解決を図る問題ではない。要は国境問題なのである。今か
ら53年前、韓国の李承晩大統領が、竹島と対馬の海洋権
益を狙って一方的に設定した漁船立ち入り禁止ラインがあ
り、これを李承晩ラインと呼ぶ。この違法な線引きは、1965
年の「日韓漁業協定」で廃止した。

 問題はこの「李承晩ライン」を韓国が頑迷に主張していた
13年間に拿捕された船舶数が328隻、抑留された日本人が
3929人、銃撃による死傷者が44人出ていることである。国
際法慣習を無視し、日本人を抑留、死傷させておいて、竹
島を実効支配しているばかりか、再度領有権を主張し、日
本が竹島付近の海底調査を目的として立ち入ると、抗戦も
託さずと威嚇する韓国の神経には怒りを持って対応するべ
きであろう。

 今回の竹島騒動は、領土侵害問題である。謂わば日本か
ら宣戦布告を行うべき国際事件なのである。

 私は、日本のメディアやブロガーたちが、取り敢えずは、
最悪の事態を回避できて良かったが、本質的な問題はまだ
未解決であるなどとしたり顔で言っていることが無性に腹立
たしい。

 何が「最悪の事態」なのだ。むしろ、今まで韓国に無理や
り竹島が軍事占領されている事態を放置していたことが最
悪の事態ではないか。今回は武力衝突に突入して当然だ
と自分は思っていた。領土問題という国家の一大事が実際
に起きている時に、穏やかに対応とか、静観で行くとか、相
手を刺激しないようにとか言っている我が国の為政者こそ
最悪である。こいつらには国家の誇りというものがない。

 日本人はこう考えるものが多い。竹島は、離れた場所に
ある自分たちの生活とは直接関わらないちっぽけな無人島
だ。ここの権益にしても多少の魚が獲れるくらいのもので大
したことはない。大騒ぎするほどではないと。

 ところが、領土問題は島が小さいとか魚がどうとかの問題
ではなく、国土を奪われるかどうかの、謂わば国の命運がか
かった重大な問題なのである。土地を持っている人たちは、
自分たちの土地が、ある日、外国人に所有権をいきなり主
張されたらどうだろうか。とんでもないといきり立つだろう。
竹島問題もまったくそれと同じなのである。領土問題を最大
級の重要懸案として捉えない国はやがて外国に侵略されて
しまう運命をたどる。

 日本が竹島問題をうやむやにして、韓国が今のまま実効
支配を崩さなければ、シナも、小笠原や尖閣諸島の領有権
を日本が手放すと見て、次々と侵略的奪取を始めるだろう。
つまり、竹島問題を慎重に対応し続けて行くと、シナが日本
の領土、領海をドミノ的に侵犯して行く口実を作ってしまうの
である。それでも静観しろという日本の為政者のたましいは
完全に死んでいる。静観したら駄目なのである。

 竹島とは、尖閣諸島や北方領土と同じく、日本人が命を賭
けて死守しなければならない領土なのである。今回の出来
事は紛争まで行って当然なのである。そうなってはじめて、
国家主権に疎くなり眠りこけている国民の意識が目覚める
のである。この折角のチャンスを最初から放擲するつもりで、
小泉内閣は三文芝居を打ったのである。いったい何のため
にであろうか。

 この亡国宰相は、国家の一大事を千葉の選挙戦の一環
として利用したふしがある。拉致問題を選挙戦に利用した
ことと同じ感覚でだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と小泉総
理は国内的にはともに凋落の状況にある。そこで両者とも
裏で話をつけて民族主義を刺激することにより、人気の回
復を謀った三文芝居だった可能性はある。すなわち、韓国
はポーズで獨島死守を、日本の小泉現内閣は、保守本流の
愛国者ぞろいであり、竹島領土問題に果敢に向かっていく
ぞというポーズをとったわけである。中途半端に領土問題
に手をつけるのは愚か過ぎる。やるなら、選挙など関係なく、
武力紛争を覚悟して自衛隊を待機させ、超法規的に戦争を
行う構えでやる事案が竹島なのである。それを形だけでや
りすごそうなどという浅はかな腹で、心構えのない国民を戦
争の危機にさらしたのである。

 両者話し合いで、当面引き分けたのは、取り敢えずは良
かったなどと本気で思っているのだろうか。戦争を受ける
気があるなら、事前に国民に状況を説明し、本気でやれと
言いたい。売国内閣が国内で格好をつけるのは構わない
が、選挙戦のために領土問題を使うなど言語道断である。
これも国賊内閣のきわめて愚かな国政運営の一つである。

 小泉内閣がわずかでも延命すると、今回のように日本の
国運が急激に傾きかねないというリスクが大きすぎるので
ある。なぜなら現内閣は国防を考えていないからである。

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日本核武装の正当性と喫緊性(5)

   ◎原爆慰霊碑に垣間見える自虐的国家毀損

 今、日本ではあちこちで、格差社会が広がってきて大変だという論調が
大賑わいである。教育格差、所得格差、企業格差、希望格差など、いろい
ろなことが喧々囂々と言われている。これが小泉構造改革のせいであると
いう私と同じ論調や、世耕弘成自民党幹事長補佐などが言うところの、い
や、格差拡大は15年くらい前から継続してあったのであり、今に始まったこ
とではないという論調もある。小泉純一郎にいたっては、「格差というもの
はいつの時代でもあったんです!」と言っていた。格差社会の急激な広が
りを論じている時に、一般的通念的な社会格差を取り上げてどうするのか
という話である。小泉はこの手のとんちんかんな話をまじめにやることが多
々ある。

 話の文脈を無視して、質問者の意図を取り違え、そこから主観的話題を
展開していくこの男、かつては、年金問題の質問に、「人生いろいろ会社も
いろいろ」と言った。これが日本国総理大臣のインテリジェンスなのかと嘆
く前に、この思考レベルは天然なのかもしれない。冷静に見れば、ただの
論理破綻を、大きな声と自己陶酔気味の強弁で辺りを煙に巻いてしまう。
巻かれる者たちも根性が座っていないと言うべきか。彼が総理でなかった
ら思いっきり笑えるフレーズがいくつかあった。この男は大衆芸能の漫談家
になったら成功するかもしれない。なにしろ、実際にやることよりも、彼の話
法そのものがサプライズだからである。話法の意外性と自己陶酔の強弁技
術は大衆を笑わせるには得がたい才覚である。お笑い芸人から一国の宰
相になったものはいないが、宰相からお笑いに転じることは可能であろう。
ただし、彼が祖国を甚だしく毀損した責任は償ってもらわないと芸人転身は
夢のまた夢である。冗談で話が飛んでしまったから元の流れに戻そう。

 今までの、日本特有の経済体制は、不完全ながらも、共和的な所得公
平分配社会であったが、小泉や竹中がアメリカの指令によって、ハイエク
型の新自由主義体制に構造を変革してから、わずか五年で格差の広が
りは国民大多数に実感として感じられるほどひどくなっている。これについ
ては、経済シロウトの私ではあるが、感じたことを別記事で述べていく。

 格差社会というものは、何を比較するのかで、いろいろ多くの格差が考
えられるが、国内の社会という視点を、国際社会という大きな枠に敷衍し
て考えた場合、もっとも大きく目立っている格差が何であるかおわかりだ
ろうか。それは「核格差」である。つまり、核兵器を保有する国としない国
の格差である。考えられる限りでこれほど大きく隔たった格差は他にはな
い。これに経済的視点から、持てる国と持たざる国を重ねた場合、核格差
くらい国家間の不平等を体現するものはないだろう。

 核という兵器は、持っているだけで持たない国々への絶対優位をすで
に有している。これが国際関係において、貿易や他の取り決め、人道的
な扱いまで、持てる国が恣意的な主導権を取ることになる。さすがに世界
の核格差を広げている張本人は小泉純一郎ではないが、小泉は日本を
国際連合の常任理事国にすることに血道を上げて失敗した。日本は敵国
条項に位置している通り、YP体制の敵なのである。国連は基本理念がY
P体制堅持であるから、アメリカが中心となって国連を動かし、早く持てる
国家が早々と「包括的核実験禁止条約(CTBT)」という、まことに手前勝
手な条約を作らせてしまった。これは事実上の核保有禁止条約である。

 国際世界という公平性を志向する社会で、CTBT以前に核を保有した国
がそのまま保有の権利を認められるという正当性がいったいどこにあるの
かという話なのである。自分たちが持つことは許されて、他の国々は一切
保有不可というのは、理不尽という一語に尽きるのである。収奪理念を真
の国是にしている米、英、シナのような国は、今ある優位性を最大限に使
って、自分たちに有利な状態に持っていくのを常道としている。

 18世紀中盤から19世紀中盤にかけて産業革命を行ったイギリスは、産
業革命によって生み出した多様な技術を国外に出すことを禁じる法律を作
っていた。その勝手な技術寡占が、軍事と産業構造の進展という面で、世
界の持てる国と持たざる国の比例的格差進行の原型を形作ったのである。
そういう自分勝手な感覚が包括的核実験禁止条約にも生きているのであ
る。

 CTBTを有効化させるためには、当然、核保有国が率先して核を撤廃す
るべきであろう。従って、我が国や他国が核保有する時は、この批准に縛
られることはない。もっとも、この条約は、採択されていても発効はまださ
れていないから事実上は無効である。理由は原子力施設を有する44カ国
のうち、アメリカを含む12カ国が批准しないからである。国連はアメリカの
傀儡組織である。自分が認めない条約を他国に飲ませるわけには行かな
いだろう、

 日本は国民意思を統一するだけで核保有ができるのである。非核三原
則は、横須賀や長崎に原子力兵器を搭載した空母などが寄港していること
から、事実上無効化されている。しかし、考えてみればこの非核三原則も
間抜けな法律である。この法律に通されている考え方は世界情勢をまった
く無視したものであり、国益や自国の安全には何の役にも立っていないば
かりか、自主的に日本を危険にさらす悪法である。この思想に基づいて造
られたのが、あの広島原爆慰霊碑に刻まれた下記の自爆的文章である。
こんな愚かな誓いがどこにあるというのだろうか。

 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰(くり)返しませぬから」

 この碑文は、故雑賀忠義広島大教授が考案し、故浜井信三広島市長が
決めたそうである。もし、犠牲者を慰霊する心があるのなら、この碑文はこ
う書くべきであっただろう。 

「安らかに眠ってください 我々は原爆を投下したアメリカに二度とこ
のような惨事を起こさぬように注意を喚起し、人類が二度と原爆の災
禍に遭うことがないように祈ります」

 現状の碑文を肯定する者たちは、主語を入れなかったことの説明を、人
類的な祈りとしての意味合いがあると苦しい言い訳をしているみたいだが、
それなら主語を「我々すべての人類は」と入れるべきであろう。しかし、直
接に原爆投下をした国はアメリカであるから、兵器として初めて原子力を
人類殺傷に応用したことへの反省をアメリカに促す文があって当然であ
り、それこそが慰霊の誠意というものであろう。

 今の碑文だと、原爆投下主体のアメリカは罪を問われず、いかにも日本
人が原爆投下の誘引を招いた張本人のように解釈されるのである。これ
が敗北史観でなくて何であろうか。原爆被災の因果律を日本悪玉論に置
き換えて碑文からアメリカという人類犯罪の張本人を故意に抜き取ったと
しか思えないのである。

 核武装を行うに当たって、日本人が超克しなければならない精神相は、
非核三原則に見える魯鈍な自縄自縛精神と、広島原爆慰霊碑の碑文に
象徴される、民族毀損を志向した自虐史観である。

  核兵器、持たず・・・、造らず・・・、持ち込ませず・・・。

 しかし、アメリカの核の傘の下にあって、よくこんな幼児的なことを考え
るものだと呆れてしまう。この三原則の国是のままでアメリカがいきなり
離れたらどうなるか、火を見るより明らかであろう。触ると擬態で死んだ
振りをする動物がいるが、それよりも無防備になる。

 危険に対して瞼を閉じれば、危険は見えないから、無いのと同じであ
ると考えているのが今の日本人の防衛感覚である。

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2006年4月22日 (土)

日本核武装の正当性と喫緊性(4)

    ◎物理的な孤立の瀬戸際にある日本

今の日本は、二つの大国に政治力学的にはさまれてしまっている。一つ
は、その内実が形骸と化しつつある日米軍事同盟を維持するアメリカ、も
う一つはわが国が、平成不況の足掻きから無為無策で経済的に踏み込
んでしまったシナである。問題は今の日本に、この両大国との力学的バラ
ンスを政治的にうまく取ろうとする能力がまったく持てないことにある。小泉
は岡崎久彦の言う「アングロサクソン同盟」を涎を垂らしながら嬉々として
実践している。

 日本が、アメリカとシナとの適度なバランスを保持するためには、最低限
度、アメリカとの関係を相対化しなければならない。つまり、シナと、アメリ
カと、我が国のこのトライアングルな関係性を相対化してしまうことにより、
国際政治力学のバランスが取れるのである。ところがである。この構図を
構築するためには軍事力の担保が絶対条件になるのである。この理屈は
ちょっと頭のいい小学生でもわかることである。

 ガキ大将が三人居て、それぞれの遊び場テリトリーを分担する時、この
ガキ大将のそれぞれの力関係で、遊び場の領域分担が決まってしまうこ
とは明らかである。三人のうち、二人が棍棒を持っていて、一人が素手で
何も持たないとき、遊び場は棍棒を持つ二人にほとんど占有されるだろう。
棍棒を持たない日本という国を考えてみればわかるが、高度経済成長期
が終えて、安定期に収束して当然だった我が国の経済は、安定しないで
衰亡に向かっている。この理由は、経済だけでは国家の安定を担保でき
ないということが史実として実証されたということである。

 日本人の深い眠り、つまり洗脳状態の一つとして、こういうネガティブな
志向がある。我が国が世界先進諸国と対等の軍事力を持つことは、アメ
リカやシナが許さないだろうから、そういう考えは現実的ではない。それよ
りも、多少は金がかかってしまうが、アメリカが軍事防衛を肩代わりしてい
るから、今のままで日本が浮揚する対策を考えていけば必ず突破口があ
るはずだと考えている。この思考が、戦後から現在までほぼ国是と言って
もいいほどに不変的に厳守されてきた。厳守というよりも思考停止に近い
ものであった。はっきり言うが、アメリカに軍事を任せる現状維持では、突
破口はどこにもない。どこにも出口はない。脱出の鍵は、国家としてまっと
うな軍事力を持つこと以外にない。

 ご主人様のアメリカが許さないから、ご迷惑をおかけしたシナの皆さま
がたが許さないから、日本国のまともな軍隊の設立は到底できそうにも
ない。ましてや核武装なんてものも、考えるだけでも忌まわしい。と、こう
いう感覚が日本人の大多数にあるのではないだろうか。つまり、精神の
刀狩りを施されたまま、眠ってしまっているのである。アメリカやシナが睨
んでいるから、大幅な憲法改正も核武装もできないという思い込みは錯
誤にほかならない。卑しくも表面的には我が国は西側のまっとうな独立
国家である。北朝鮮、イラク、イランの場合のように、我が国が核武装し
てはならない危険な国だとアメリカには言う根拠がない。YP体制が発足
してから60年過ぎており、その間、日本は一度も武力紛争を起こしてい
ない。徹底して戦いとは無縁であった我が国が自衛のための核武装を
提唱して世界の顰蹙を買う理由はないのである。

 シナ人や韓半島人が言うように、極悪な日帝に核を持たせるなんてと
んでもないという論旨でアメリカが「ノー」を言ったらしめたものである。こ
の時、日本人は腹を括り、民族自らの命運を賭けてアメリカに直言する
のだ。大東亜戦争は民族存亡の自衛戦争であった。従って東京裁判の
裁定結果は、ここにその全面的無効性を貴国に申し渡すと。

 日本は、戦後のYP(ヤルタ・ポツダム)体制というくびきに、お悧巧さん
のように従ってきて、その心情は、「日本は本当に悪うございました、二
度と軍事力は発揮しません。その代わり、経済で頑張ってまいりますの
で、その辺りの摩擦は何卒ご容赦ください」で通してきたし、そのままこ
れからも行こうと考えている。だが・・・、眠い眼(まなこ)の日本人は、そ
このところをよく考えて欲しい。それを継続する時間は残されていないの
だ。

 もう、どんなごまかしや法のねじ曲げをやったとしても、目の前に迫る
「物理的な自主独立」の現実は回避できないのだ。物理的な自主独立と
は、軍隊も核も持たずして、ハイエナの徘徊する荒野に放たれた赤子そ
のものの日本ということである。前述したが、日本の経済力があろうとな
かろうと、たとえ素寒貧になった日本だとしても、大きな価値を見出して
いる国がある。それがシナ(中華人民共和国)である。

 日本を奴隷化することが、シナ国内統一のもっとも効果的な方法論な
のである。その上、日本人を奴隷化すれば、日本の優れた技術をただ取
りできるし、優秀な働き手にことかかない。精神的にはシナ人の優位性を
もっともシナ人が望む形で確保できるわけである。言うことを聞かない反
抗的な日本人には、通州事件の地獄をお見舞いするということである。あ
るいは食人の餌食となる日本人も出てくるだろう。これは単なる想像では
なく、シナに占領されたら間違いなくそのようになるのである。

 何度も言うように、私の語るシナによる日本占領の悪夢を、日本人の最
後の矜持として、何としてでも回避したいのであれば、核武装を行う以外
に方途はない。当たり前のことだが、この兵器は配備された時点で憲法
九条の支配下を超える。核兵器は交戦権の範囲を超えるからである。従
って、本来は憲法の手順を整えてから核装備に移ることが順当なことで
はあるが、我々にはそのような悠長な時間は一切残されていない。やる
べきことは、九条を無効化した時点とほぼ機を一にして核武装を行うこと
である。これができないと間に合わないのだ。

 その理由は、アメリカの対日戦略が、軍事的世界再編成というトランス
フォーメーションに呼応して否応なく変化してしまっているからである。今
の日本は、こういう二者択一の危急存亡に突入している。それは、アメリ
カに今以上に多額の金を貢ぎ続けるか、それとも、自力で国を守って行く
かという選択である。アメリカは日本から国富を吸い取るだけ吸い取った
ら、次の猟場をシナに求める魂胆がはっきりしている。トランスフォーメー
ションの目的が、東アジア地域から撤退して、中東と欧州に力点を置いた
のは、明らかに資源確保の目的にある。たとえば、欧州諸国、シナ、ロシ
アなどとの資源確保におけるヘゲモニーで、なるべく優位に立つ必要が
あるからである。イラク侵攻もその一環であり、イスラエルを軍事的に守
ることによって自らの地位確定を行っているのである。

 一方、東アジア地域からの権益確保は、軍事力による浸透ではなく、
豊かな国を狙って、そこにグローバル・スタンダードを投入し、今まで日
本にやってきたような手法や姦策を労して、金融工学的な「利益確定シ
ステム」を構築することになる。その一等地の漁場、つまり市場として、
シナに目をつけたのである。ただし、シナは日本のような属国関係には
なく、アメリカとは違った意味で狡猾で喧嘩上手であるから、アメリカが
簡単にシナの金融界に潜り込み、利益確定誘導システムを構築するこ
とは容易ではないはずだ。何よりもシナには実効的な核兵器があり、
ヤクザ的恫喝の術も堂に入ったものである。

 ただし、科学技術もそうだが、金融工学における戦略的手法や発想
はアメリカが理論的にも、実践的にも、想像できないくらい進化している
ので、老獪なシナが造る防波堤でも、たぶん突破されてしまうことは確
実だろう。アメリカは喧嘩しないで富が手に入れば、それに越したこと
はないと考えている。従って、アメリカはシナと表面的には可能な限り
協調路線で行くだろう。その兆候が、昨日の胡 錦濤・ブッシュ会談にあ
らわれている。

 さて、このような情勢下で、このようなパワーバランスの下で、日本が
置かれる世界的な位置は、アメリカにとって、日本の地政学的な軍事的
重要性が薄れてきていることである。沖縄は、アメリカが東アジア地域の
植民地化、覇権にとって江戸時代から狙っていた場所である。大東亜
戦争で初めて沖縄を東アジアの軍事的な橋頭堡として確保した。しかし、
いま、大局的世界戦略では、アメリカはここから出て行こうとしている。

 すでにアメリカには、日本を東アジア地域における戦略的な軍事橋頭
堡として保っていくという意味は消えうせたのである。ここにおいて、我
が国が生き残る選択肢はたった一つしかない。それは核武装である。
日本が孤立したら、中国文明圏に吸収されて新しい生き方を求めれば
いいではないかという人たちもいるが、それが民族の自殺行為である
ということに早く気が付いてもらいたい。選択肢はひとつしかない。核
武装である。

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2006年4月21日 (金)

日本核武装の正当性と喫緊性(3)

  ◎ アメリカを睨めなくて、どうしてシナを睨むと言うのか

 昨年の「正論 10月号」で述べていた兵頭二十八氏の対シナ観には、米
国自身の日本への思惑という見方が欠けている。これは国際政治力学的
にもそうだが、国民意思という日本人の精神相の側面からも、アメリカの存
在は重要な視点である。対シナ問題にしても、対北朝鮮問題にしても、対
韓国問題にしても、日本人は基本的に、対アメリカ・コンプレックスを克服し
ないと、これらの問題には立ち向かえないのである。

 前回で私は、東京裁判史観をアメリカ国内史観に言い換えて、「太平洋
戦争正義史観」と便宜的に名づけたが、これは要するに、終戦直後、ヤル
タ会談とポツダム宣言で出来上がった連合国正義史観なのである。つま
り、ヤルタ・ポツダム体制という、今も継続する世界の戦後体制のことであ
る。アメリカは、太平洋戦争(注;太平洋戦争は、大東亜戦争が、連合国側
の戦争史観によって名づけられた呼称)
を、イラク戦争と同様に「正義の戦
争」に置き換えた。そのために必要だったことは、飽くまでも日本を完全な
悪として理由付けすることだった。そこで、極東国際軍事裁判というでっち
上げ裁判を行ったのである。

 アメリカの私怨で設立されたこの国際法違反の法廷は、戦勝国による敗
戦国への復讐という、およそ、裁判という公平な裁きの場とは相容れない
報復思想だけで行われた。ここから出た日本悪玉論という裁定結果を軸と
して、GHQは占領期間中に、日本国内で連合国批判ができないように放
送コードを敷き、日本がわずかでも、あの戦争の正当性を主張できないよう
にして、アメリカを正義とする情報喧伝が繰り返し行われた。日本は悪であ
り、特に軍部指導者は極悪の犯罪人であったという戦争史観を日本人に刷
り込んだ。これが世に言う東京裁判史観である。

 この虚偽の自国毀損史観は、マスコミと日教組のような左翼によって継続
され、戦後60年経た今も尚、続行中である。それを証拠付けるのは村山談
話であり、それを踏襲した小泉純一郎の談話である。つまり、自虐的な負
け犬史観を後生大事に維持しているわけである。困ったことに、この誤った
史観はかなり強い慣性があって、簡単には修正できそうもない。しかし、日
本人はこのアメリカに対する卑屈な負け犬史観を超克しない限り、シナや
韓半島と互角に渡り合えない。彼らは東京裁判による日本人の負け犬史
観を巧妙に衝いてくるからである。兵頭氏の例の論考の中でこう書いている
部分がある。

  日本には「アメリカの奴隷になっても良い」と公言する若者が多いの
で驚かされますけど「シナ人の奴隷になってもよい」と思う人はいないは
ずです。
       <2005年「正論」10月号 P212>

 
 シナ人の奴隷になってもかまわないと考えるメンタリティは、チャイナスク
ールにはあるかもしれないが、まともな日本人ならまずそんなことを考える
者はいないだろう。しかし、まともな日本人だと、自分を思っている日本人
には、アメリカの奴隷になることに対しては、さしたる抵抗感を持たないも
のが圧倒的に多い。彼らはそれを隷従としてではなく、親密な友人関係と
か、同盟国同士の信頼感などという方向で、無理なく自然な自己欺瞞に
逢着しているのである。隷従を親米と錯誤しているのである。小林よしの
り氏の言う「ポチ」である。隷従を憧れと思い違えているところに、東京裁
判史観の真の恐ろしさがある。

 問題は、兵頭氏が指摘しているように「アメリカの奴隷になっても良い」と
いう若者の存在があることである。すでにそういう層が出始めていることが
今の日本の陥っている病弊を端的にあらわしている。この隷米意識の流れ
は、若者層から突出的に出たものではない。これは戦後の日本が抱えた
敗戦トラウマが、時間を経てアメリカへの絶対的な服従観念に固定化し、ア
メリカの言うことは何でも従うのが日本の利益にもなるし、間違いないことだ
という条件反射が身についたのである。この盲従意識を端的に示す知識人
が岡崎久彦氏である。彼は言う。

 「日本はアングロサクソン同盟を持ったときは安定していた。だから、
どんなに焦燥感にかられても米国との同盟軸を見失ってはいけない」

  これについて、彼の言う「安定していた」という意味がいまひとつ判然とし
ない。要は、アメリカ・イギリスには基本的には逆らっちゃいかん、逆らった
ら日本は碌なことにならない。そのもっとも実証的な歴史的事実が太平洋
戦争におけるわが国の敗北であるということなんだと思う。私は岡崎氏の
言う「アングロサクソン同盟」はきわめてたちの悪い言葉のレトリックである
と考える。

 彼はもっとはっきりと本音を言うべきであろう。すなわち「アングロサクソン
への完全なる隷従」だと。日本はアメリカの奴隷国家として生き抜くしか選
択肢はないのだという言い方をしてくれれば、それは、それなりの腹を括っ
たひとつの見解として認めてもよい。もちろん、負け犬史観、典型的な敗北
主義としてそういう見方もあるんだなという意味でだが。

 彼の言葉上のごまかしは、同盟という言葉である。盟主的覇権外交を終
始一貫して取っているアメリカと、同盟という言葉が意味する相互平等的な
関係をわが国がとったことは、歴史上で一度もない。戦後は同盟国じゃな
いかという人がいたら、考えてもみて欲しい。アメリカの軍隊がわが国にこ
の規模で駐留している現実は、事実上の占領状態であると考える以外に
どんな国際関係として説明できるのか。何度も言っているが、西村眞悟氏
が言うように、国家とは護るべきものを持っているから国家なのである。そ
れを他の国の軍隊が守るという異常さは、日本人が自らを損ねる自傷行
為に等しいのである。これは民族魂の自殺である。

 戦後60年の思考停止的な慣行は、日本人が敗戦ショックという位相から
アメリカ盲従という「奴隷根性」に成り下がったという実相を把握しなければ
ならない。眠っている者に、お前は眠っているんだと悟らせることは至難の
ことである。しかし、その自覚からしか、日本人としての矜持は復活しな
い。いかに、現代日本人が陥った精神的な眠りが深いか、それを思うと暗
澹とした気分になる。
 
 日本が戦略的に持たなければいけない肝(はら)に、失ってはならないア
メリカに対する矜持と言うものがある。それは心ある憂国の人たちすべてに
共通する心持ち、すなわち靖国神社を守り、皇室を守っていく民族の基本
精神である。これに加えて、大東亜戦争終局面において、殺人を目的とし
た米国による都市空襲と原爆をけっして忘れない気持ちを保持することも
肝要なのである。

 こういう気持ちを持たずして、どうやってシナや韓半島人の戦略的な政治
攻撃に対峙できる気力が保てるというのだろうか。アメリカの奴隷になって
もかまわないが、シナにだけは隷属するのはいやだというのは、すでに日
本人としての顔を喪失した精神であり、これは深刻なる先祖毀損である。
亡国精神そのものである。亡国精神で周辺国と対峙することはできない。
しかし、今の日本人の精神相はそうなっている。

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竹島のこと

  ◎ 竹島のこと

 竹島周辺海域調査問題で、今、韓国の警戒水域が
上がっている。韓国は、韓国海域に浸入する敵に対し
ては断固とした措置を取ると言っている。

 調査船はどんどん、自国海域の調査をして「拿捕」さ
れるか発砲された方がいいだろう。日韓問題では、今
まで韓国が闘鶏のニワトリみたいに、トサカを逆立てて
がなり立ててばかりいたが、日本は終始冷静な対応をし
てきた。

 竹島は、自国領土なのだから、そろそろ日本側が普
通に実力で領有権を主張するべき時だろう。私は、紛
争という二国間問題に発展した方がいいと思っている。
韓国側は実力的な占領状態において、既成事実を積
み重ねている。これは早々に日本側がつぶさなければ
ならないだろう。リショウバン・ラインが無体なものでも、
不当占拠の既成事実が積み重なるのはよくない。この
辺りで日本はドカンとぶち当たった方がいいだろう。

 竹島領有問題は韓国側ではなく日本の国内問題にあ
る。国民に、贖罪的な歴史観によって竹島の領有権を
感じていない者たちが居ると言うことである。この阻害
要因がなくなれば、国際法的に日本のものであるから
案外すぐに解決するだろう。歴史問題追責は、韓国の
国是なのであるから、この問題に関わりなくうるさく鳴き
続けるだろう。

 日本人には領有意識をグレーゾーンとして思考停止し
ている者が大勢居る。彼らを国土の自主権と言う感覚に
目覚めさせるには、この状態はいい方向に進んでいると
見る。調査船は拿捕されるか、あるいは発砲された方が
いい。なぜなら、そこまで行かないとグレーゾーンのジャ
パニーズは本気で怒らないからである。

 時々、思って暗澹としていることがある。もしかして、今
の日本人は、もう、言葉や文字では目覚められないほど
深く眠りこけているのかもしれない。深い眠りに落ちてい
る人に対して「おーい、起きろ~っ!」と普通に言っても
まだ眠っているみたいな感じであろうか。これを目覚めさ
せるには冷たい水をぶっ掛けるという方法がある。謂わ
ばショック療法である。

 ちょうど今の日本はそうしないと起きられないほど、東
京裁判史観の深い眠りに陥っているのかもしれない。だ
とすれば、今の領土問題にしても、東シナ海でのシナに
よる強行採掘でも、武力的紛争事例が起きた方がいい
のかもしれない。

 無責任に言うわけではないが、日本が覚醒するので
あれば多少の被害や犠牲は仕方がない状況に至ってい
るのかもしれない。

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日本核武装の正当性と喫緊性(2)

   ◎米、シナ、日のトライアングル

 酔っ払いの酩酊感覚にも似た、偽りのパシフィズムに冒されている今の
日本国民でも、最近の世の中の急速な変化にはそれなりに敏感である。
昨年の9/11解散総選挙の時、それまでは政治選挙にさしたる興味をおぼ
えなかった若年層やノンポリ層にも、当時のあの選挙では、国民はどこか
しら国の進路にとって重要だなという雰囲気を察知していて、みんなが緊
迫した面持ちで今回の選挙の意味を汲み取ろうと真剣であったことはうか
がい知れた。

 しかし、結果的に小泉純一郎という戦後最大のペテン師によるマスメディ
アを使ったパフォーマンスに見事に騙され、国民は、小泉が何かいいことを
してくれるのではないかと期待し、「乗り」だけで支持してしまった。国民は
長期閉塞感の出口を短兵急にペテン師に任せてしまい、戦後最悪の政府
体制を許容してしまうことになった。そのことにいまだに気がつかない魯鈍
さが、今の日本人の陥っている凋落のひどさを物語っている。

 さて、軍学者としての兵頭氏の対シナ憂慮は自分もほとんど同様である。
近年におけるシナの対日姿勢の悪どさ、傲岸不遜さを鑑みれば、彼らが、
日本を掌中にできるのは、もう時間の問題だと考えていることは明らかであ
る。この深刻な憂慮は私もまったく同感である。ただし・・、である。兵頭氏
の対シナ指向の中には、決定的に欠けている視点がある。いや、致命的な
視点の欠落と言い換えてもよい。それは日米関係である。日中関係と日米
関係というトライアングルは、それぞれ別個のものではなく、我々が思う以
上に緊密な一体性を持っている。

 世界は、表面的には米ソ二極化の冷戦構造から、米中二極化の「冷戦構
造」にシフトしたかに見えるが、実は、これは冷戦ではなく、経済を通じて、
米中がかつての日米関係と似た関係を築こうとしているように見える。それ
を阻む障壁は、シナが「共産資本主義?」というわけのわからない路線を取
っていることである。資本主義経済に原子力エンジンのように邁進しながら
も、共産党北京中央政府なのである。こんなことは本来あり得ないはずで
あるが、彼らは長年の華僑経済によって資本主義の内実を知悉しているこ
とも、あり得ないことをあるようにしている一つの理由だろう。

 共産主義路線は国是であるから捨てられない。ならば、どうやって求心力
を保っているのかと言うと、それはご存知、悪鬼としての日本帝国撃滅思
想なのである。つまり、彼らは経済は自由主義で、政治は共産主義という
分裂病的な国家体制を維持するために、その両者を整合する接着剤を常
に供給しなければならないという病理に蝕まれている。この接着剤に当た
るのが、我が日本の存在なのである。

 アメリカそしてシナという大国に日本人はちょっとした皮肉を感じないだろ
うか。アメリカも、シナも、その超大国の行動エートスは、キリスト教倫理で
も、儒教でもなく、なんと我が日本なのである。それほど日本という存在は
彼らにとって大きなものなのである。アメリカは東京裁判史観(アメリカ国内
では太平洋戦争正義史観)を維持しなければ崩壊するし、シナは大日本帝
国を敵視して抗日史観を維持しなければ国民のバンドリングができない。こ
の歴史的な状況はある意味、これら二大国家のアキレス腱だろう。

 それはともかくも、シナの分裂症的な国家体制は、アメリカによるグロー
バリズム的浸潤、つまりは金融工学的な浸潤を阻害しているのである。ア
メリカ型民主主義とグローバルスタンダードを、どういう形であれシナに導
入できないでいることが、収奪戦略に明け暮れるアメリカの本当の焦燥感
であろう。

 それはこういうことである。米国は、日米同盟関係が軍事戦力的には日
本の力を当てにせず、煎じ詰めて言うなら日本のカネをあてにして維持して
きた。日本に進駐軍が居座ったのは、文字通り、共産主義の拡大を阻止す
るために、旧ソビエト連邦共和国に睨みを効かせ、同じ共産圏の中華人民
共和国(シナ)の極東覇権を止めることにあった。しかし、旧ソ連は崩壊し、
シナは「名目共産主義」ではあるが事実上の共産主義体制に「背教」してし
まった。アメリカには、共産主義の潮流を、朝鮮半島と日本という防波堤を
使って阻止するという大義名分はなくなった。

 極東アジア地域、あるいは台湾をシナの覇権内に入れても、「権益」にプ
ラスになればアメリカはそれでいいと思い始めている。米国の軍事戦略は
中東地域とヨーロッパに大勢として動き始めている。そういう大局的戦略と
してのトランスフォーメーションの一部として、沖縄駐留兵士のグアム移動
になっている。

 シナを初めとして、インドやパキスタンが核武装を行い、他のアジア諸国
が国力を増してきた今、いかにパワーのアメリカいえども、世界全体を睥睨
することは無理な状況になってきた。そこでトランスフォーメーションという戦
略的軍事配備の再構築を行うことになった。この過程において、自国利益
と国民の危険に関わらなければ、アジアのことはアジアに任せ、アジアから
は今まで通りの金融工学的な利益誘導という手法で富の収奪を行おうと腹
を決めたようである。もちろん、その対象は日本からシナに移り始めている
のだが。

 アメリカは、利益誘導システムをシナに植えつけられると確信した時点
で、日米安全保障条約を破棄する気である。あるいは何らかの経済的打算
から、シナと話をつけ、日本をシナに売り渡すことだろう。そういう近未来の
状況を政治家は想定して国際政治を考えているのか、はなはだ疑問であ
る。

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2006年4月20日 (木)

日本核武装の正当性と喫緊性(1)

  ◎通州地獄の再現は原爆死よりもむごい

 近年、我が国