戦艦大和(20)◎戦後日本の文明構築力は弛緩した
◎戦後日本は文明エントロピーを増大する方向に歩んだ
私はなぜ、戦艦大和にこれほどまでに惹かれているのだろうか。小学生
のころにプラモデル・キットの紙箱に描かれてあった、波しぶきを上げて進
む大和の勇壮な姿に憧れた記憶は確かにあった。しかし、必ずしもそれが
今の基層的な原体験になったとは思わない。子供のころは、一番好きなも
のが、戦車やブルドーザーであった。それは無限軌道輪の力強さに惹か
れていたからである。地面の凹凸を物ともせずに進む姿にたまらない感動
を覚えていたからである。
戦艦大和は、目に見える場所にすでに実物はなかったわけであるから、
実物のスケール感も、鉄の浮き城の剛毅な硬質感も知りようがなかった。
雑誌やプラモデルの箱に描かれた挿絵が船体を認識する唯一の情報源
であった。しかし、人が描いた挿絵からでも、その受ける印象は圧倒的な
迫力のある戦艦だと感じていた。私はその頃、道なき原野を豪快に走破
する戦車の重厚な迫力と同じような機動性を、海上の戦艦大和に感じて
いたようである。もちろん、子供なりに直観的に大和の調和の取れた美的
なスタイルは見ていたとは思うが、興味の中心はまず力強さであった。
あれから四十年近く隔たって、自分は戦艦大和の新たな面に強い魅力
を感じ取るようになっていた。つまり、戦艦大和に対する興味や感動のファ
クターが、子供の頃と逆転したのである。それは力強さよりも、大和に顕
現された美的特質が、自分の深奥を揺らしてやまないことである。もちろ
ん、私は今でも戦艦の持つ剛毅、豪快なイメージは好きだが、今は戦艦
大和に顕現された、軍用という用途から想起する世界をはるかに超えた
日本特有の文化のデザインに尽きない興味を抱いているのである。
前にも書いたが、戦艦大和にデザインされた秀麗かつ緻密な芸術的形
状は、建造に携わった者たちが意識して仕上げた造形性ではない。これ
は、先人たちが当時、その持てる技術の最高水準を駆使し、一つの国家
的機密プロジェクトの中で組み立てる中で無意識に出たものである。そこ
には、乗用車や電化製品など、市場に出回る民需要品のような商業主義
的な意匠、あるいは新規性を示す意図的なデザインなどは微塵も見られ
なかった。戦後日本の産業品や構築物、あるいは公共的な人工環境群
に、日本独自の文明的なデザインがまったくなかったわけではないが、文
明そのものが湧出する統一的なデザインは皆無だったとは言えるだろう。
戦後の由々しき問題点は、戦艦大和に無意識に現われた文明の美的な
統一性が、社会のどこにもほとんど表現されて来なかったということにあ
る。
「大和」建造が計画された昭和八年当時、それはまだA140計画と呼ば
れていた。大正十一年のワシントン軍縮条約では、主力艦の数量の制限
と合わせて、基準排水量は三万五千トン以下、備砲の口径は四十センチ
以下に制限された。また、昭和五年のロンドン条約では、主力艦の建造
中止期間が五年延長されて、昭和十一年末までと決まった。
当時の世界の軍艦事情は、米、英、日の主力艦保有比率が、五:五:三
であった上に、主力艦の建造中止機関を五年も延ばされたのである。米、
英はこの間、条約決定条件に抵触しない一万トン規模の軍艦を大量生産
することができたし、既存の戦艦を改良することができた。しかし、日本海
軍の既存艦はこの間に老朽化し、いざ英米と対峙する時には、圧倒的に
数が少ない老朽艦で、相手国の多数の最新鋭艦と戦うという悪夢を見るこ
とになった。
ここに、ワシントン条約を脱退して超弩級大和級戦艦の設計思想が決定
されたのである。最終的に決まった大和の仕様規模は、主砲四十六セン
チ砲八門以上、副砲十五、五センチ砲三連装四基、二十センチ砲連装四
基、速力三十ノット以上、総排水量は七万トンクラス。設計大綱は三つあ
り、一つは、他国の追随を許さぬ卓越した戦闘能力を有すること、すなわ
ち量産せず、相手国の量的規模に太刀打ちできる戦闘能力を有すること。
二つ目は、緒戦において相手に大打撃を与える主砲を有すること。その
ために四十六センチ主砲を装備する。これは戦艦決戦において相手側の
攻撃レンジの外側から優位に砲撃できること、すなわちアウトレンジの考
えである。三つ目は、機動力を重視し、仮想敵国の同型戦艦よりも、速力
において三ないし五ノットの優性を有すること、そのためには艦速を三十
二~三十五ノットにすることであった。このような設計思想は当時の国力
的な背景を考えれば当然のことであった。ここで、歴史というものを私は
考える。
日本が、欧米列強と同列な潤沢なる物資がなく、しかも、産業革命的に
も後進的立場から出発している国であったなら、たとえ、列強に対峙する
ためとは言え、大艦巨砲思想を持てるものだろうかということである。つま
り、アウトレンジの戦闘思想を思いついたとしても、それを実現し得るハー
ドとソフトが備わっていただろうかという疑問である。
私は国家の技術産業能力が、イギリスから始まった技術的な産業革命
の潮流だけで成り上がったのであれば、我が国は大艦巨砲戦艦どころか、
欧米の戦艦と同等のものを建造することさえ無理なことであったと思うの
である。ところが、日本はこの当時、大和級という史上最大の超弩級戦艦
を建造したのである。当時の非常に貧しい条件化でこの偉業をやり遂げ
た日本の奇跡的な国力の背景は、欧米のヘーゲル的で経時的な歴史観
では説明し得ないことなのである。
ここにおいて、戦艦大和建造の背景に、日本という国の文明の生態史
観的な視点がそれを説明できるのである。すなわち、日本におけるオート
ジェニック(自成的)な産業技術の進展は、江戸時代の鎖国期間に十分
に熟成されており、それが土台となって、明治以降の欧米の産業技術に
適応し、ある部分ではそれを陵駕できたということである。この見方は戦
艦大和の技術史的な意味において、非常に重要で興味深いことである
が、今私が行っている考察は、大和の美学的な内実を主眼にしているか
ら、技術的な視点からのその展開は控えておく。しかし、欧米に対して技
術的な適応性、進歩性を当時の日本が持てたという事実は、日本文明の
根幹的な在り方と深く関わってくる事象でもあるから、産業技術史の生態
史観的な認識の基本は心に留めておきたい。
話を最初の流れに戻すが、大和という戦艦に顕現された文化、芸術性
を、今は考察対象としている。戦艦大和が大東亜戦争の終焉を象徴した
戦艦であったということは、ほぼ異論はないであろう。しかし、それと同時
に戦艦大和は戦前文明そのものを、美術的モニュメントとして有した歴史
的な構造物であるから、その文明モニュメントが破壊されて海底に沈んで
しまったことは、戦前に実体として現われていたそれまでの日本文明の
形も一緒に沈んでしまったことを意味する。勘違いしてもらいたくはないが、
文明の形が沈んだという表現は、日本文明そのものの自成的な潜在力が
死んでしまったということではもちろんない。
もしそうならば、時代に応じた日本文明の在り方や未来の可能性を展望
することさえ、むなしい発想となる。日本文明の蟻塚を創造していく、活力
や方向性が打ち出せないでいるのが戦後の日本なのである。高度経済成
長を成し遂げたことは、民族の一つの力ではあるが、戦前までに行われた
きた文明の絶え間ない建設はまったく行われていない。これから展開する
が、戦後日本のすべての社会インフラや経済発展の核には、文明が健康
体であったなら、必ず現出する美的構築物や美学的な様式性はまったく
ないのである。それは都市の景観、町並み、地方の無茶苦茶な道路行政、
環境行政にはっきりと出ている。国民の総合的な営為の結果が、荒廃し
た社会景観しかもたらさなくて、どうして文明が築けるというのだろうか。
これはすなわち、民族の衰亡と言ってもいいだろう。戦後六十年は、日
本人の精神を涵養する日本文化の集積は行われず、その環境的な結果
としての日本文明の構築は成されて来なかったのである。これが、今の
日本人が抱える最大の問題である、日本人は戦後の世界観の大規模な
修正を行い、それと共に戦艦大和に顕彰された正統なる日本の文明性
に回帰することである。その上で、新しい文明を構築していくビジョンを探
る必要がある。こういう方向性を持つことが民族生存のための需要な課
題なのである。そのために緊急を要する第一の条件は、アメリカの属国
感覚から少しでも早く脱出することである。
明治維新から戦前、つまり終戦時まで、日本は紆余曲折はあったが、
独自固有の文明の集積は絶えず行われてきた。これを、文明エントロピ
ーの絶え間ない減少化という姿で観るならば、明らかに戦後の日本は
文明エントロピーの絶え間ない増大に向かってきたと言えるのである。
それを文明の生態史観的な言い方に換えると、戦後日本とは、日本固
有のオートジェニック(自成的)な文明創出を停止した状態で、アメリカに
よるアロジェニック(他成的)な社会インフラと、伝統精神から乖離した他
動的な国民精神に安住してしまったという情けない事実があったという
ことである。
その傾向は現在に至っていっそう強まってきており、現在はその他成
的な遷移(変化)の極限、すなわち極相(クライマックス)に到達しようと
しているのである。これは文明エントロピーの姿で観るなら、増大の究
極地点、すなわちアメリカ的な新自由主義世界という、いわゆる他者文
明的な平衡地点に到達しようとしているのである。こういう戦後日本の
概括的な動性を、梅棹の文明生態史観的に言うならば、戦後の日本は、
それまでの「第一地域」の領域から離れて、明らかにアロジェニックな
「第二地域」に属するグループに入ってしまったということになる。この
変化を現代的な国際政治力学で言い換えるならば、日本はシナの華夷
秩序に再び飲み込まれようとしていることになる。つまり、日本のオート
ジェニックな連続性が中断してしまった形になっているのであり、これは
国家の自立性の破綻なのである。文明的な秩序形成能力の衰亡、す
なわち、これは日本文明の完全な崩壊が間近に迫っているということと
同義なのである。
今の日本が突破しなければならない、民族・国家的な最大の問題点と
は、アメリカによる我が国への支配的な実態にある。この他成的な強制
力から自由になることが喫緊の課題である。これを成し遂げるための精
神的な自覚は、我が国が固有の文明を有していて、その文明の集積は
戦前まで確かに行われていたという歴史観に目覚めることである。そう
いう正しい歴史観に復権すれば、日本人は正統な文明の連続性を取り
戻し、21世紀の新たな外衣をまといながら、再び生命力に満ちた力強
い文明観で生きることが可能になるだろう。
日本文明の復権こそが、かつて三島由紀夫が檄文で語ったこと、すな
わち、「生命を超える価値、それは日本である」ということの真意だと私は
確信しているのである。生命を超える価値と言う素晴らしい文明性を絶え
間なく築き上げていた日本は、大東亜戦争に敗北してから、その自国文
明に生きる気力を喪失した。そのため、基本的な文明創出の営為性を失
い、文明もどきであるアメリカの自堕落な享楽的世界観に取り込まれた。
アメリカの世界観、すなわち近代主義の成れの果ての世界観は、人間
や自然的存在を愚弄するイミテーションの文明である。ここには希望も未
来も存在せず、破壊と享楽の志向性しか見えない。アメリカはすでに文明
エントロピー的に観て熱的な平衡死の段階にある。文明生態学的に観て
アメリカは、死相を伴った極相的地点に入ってしまっている。ここから世界
秩序の安定化や環境修復の可能性はまったくあり得ない。
戦艦大和に顕現された文明の形こそ、日本が、いや、世界がその手に
再び取り戻すべき、希望の文明なのである。冒頭で、私は戦艦大和にな
ぜこれほどまでに惹かれているのだろうかと言ったが、その答えを言う。
戦艦大和こそ、忘却した日本文明の正統なる象徴なのである。だからこ
そ私は戦艦大和に、単なる憧憬を超えた熾烈な郷愁と回帰願望を覚え
るのである。
(参考図書 前間孝則「戦艦大和誕生(上)(下)」)
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