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2006年6月27日 (火)

戦艦大和(24)◎大いなる主客転倒

 ◎アメリカは「美しい白鳥の子」なのか?

 前回では、アンデルセン童話「醜いアヒルの子」になぞらえて戦後日本
の姿を大雑把に描写した。それを書いていて、最後に面白い発想が浮か
んだ。その思い付きとは、アメリカを「醜いアヒルの子」形式で寓意的な話
にしたらどうなるかである。もう、気づいているかもしれないが、話としては
当然、「醜いアヒルの子」の逆転倒置のストーリーになる。この話では物語
に出てくるすべての価値観が、「醜いアヒルの子」とは正反対の倒置概念
で作られるのである。

 ____物語「美しい白鳥の子」____

 ある池に、美しい白鳥のお母さんがタマゴを抱いて、今か、今かと孵化
のときを待っていました。そのタマゴの中には、ひときわ小さなものがあり、
それが孵(かえ)ってヒナになると、姿かたち、色合いがあんまり他の兄弟
姉妹と違うので、みんなに不思議がられました。他の兄弟たちは、そのこ
とを悪くは取らず、むしろ自分たちにはない好ましい特徴だと感じていまし
た。彼を兄弟の誇りと想い、その変わった白鳥の子を大事にしました。お
母さん白鳥も、この子は毛色が変わっていて小柄だけれどもとても可愛い
子だから、元気でよい大人に成長して欲しいと心で祈っていました。
 
 風変わりな白鳥の子は、兄弟にほめられ、親に特に可愛がられて「僕
は白鳥の中でも特に美しく立派なんだ、白鳥の中でも選ばれた存在なん
だ」と思うようになりました。

 みんなから大事にされ、尊敬された美しい白鳥の子は、自分が鳥類の
中で最も美しく優れた存在だと思うようになりました。「自分は美しい白鳥
の中でも、特に優れた存在として生まれた特別な白鳥なんだ。世界は自
分のためにある」と思い込みました。

 凡庸な兄弟たちと一緒にいるのがつまらなくなり、美しい白鳥は魅惑に
満ちた外の世界を探検したくなり、外に出て行きました。ある池に達する
と、そこには色が茶色、小柄で風体の上がらない地味な鳥たちが泳いで
いました。美しい白鳥の子は思いました。「なんてぶざまで醜いやつらな
んだろう、よし、自分の美しい姿を見せ付けてうらやましがらせてやろう」
と考え、その鳥たちのそばまで泳いで行きました。

 美しい白鳥の子は、自分が近づいても、彼らが一向に驚く気配も尊敬
する気配も見せないことにいぶかしく思いました。すると、醜い鳥の一羽
が彼に「兄弟はどこから来たのかな?」と呼びかけました。何?僕のこと
を兄弟だと?なんて無礼なやつなんだと憤然としてきびすを返し岸に上
がりました。あいつらは偉大なもの、美しいものがわからないんだ、なん
て低俗な奴らだ、と、もう一度振り返って彼らを見ました。その時、ふと足
元の水面に目をやったら、水鏡には、やつらと同じ醜い一羽の鳥が映っ
ていました。

 その時、美しい白鳥の子は、はじめて自分が醜いアヒルの子であるこ
とに気が付いたのでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この話は童話「醜いアヒルの子」を価値の倒置概念で書き直したもの
である。戦後の日本が、自らの文明を放擲し、その真の姿を忘却した状
態を、「醜いアヒルの子」として表したとすれば、極東国際軍事裁判で日
本を罪深き「醜いアヒル」にしたアメリカは、当然、正義と理想の代弁者
である「美しい白鳥」だということになる。アングロサクソンは確かに肌色
の白い民族である。しかし、彼らは美しいのだろうか。彼らは正義の使
者なのだろうか。彼らは、日本の二都市に原爆を炸裂させ、一般民間人
の虐殺を目的として非道きわまる都市空襲を行った。

 この人類犯罪を糊塗する目的でアメリカは極東国際軍事裁判を東京
に開廷し、日本がいかに残虐非道な国家であったのかということを執拗
にあげつらい、一切の抗弁を無効にして戦勝国の報復意志のみで日本
を裁いてしまった。ドイツナチスを裁いた思想とまったく同様に、日本を、
「人道に対する罪」及び「平和に対する罪」という、国際法にない事後遡
及の裁定思想で裁いた。戦後も日本の国富を吸い取る算段を宗主国気
取りで怜悧に実行しているアメリカ。考えれば、私には彼らが旧約聖書・
イザヤ書に出てくる「明けの明星」ルシファーに思えてくる。嘘を正義とし、
自らの犯罪を押し隠し、実質、属国同盟である安保を盾に我が国の国
富を貪欲に、恒久的に吸い取ろうとしているアメリカこそ、悪魔の申し子
である。アングロサクソンの侵略史を振り返ってみれば、先人たちが彼
らを「鬼畜米英」と呼んだのはけっして的外れな表現ではなかった。

 繰り返すが東京裁判では、日本を平和に対する罪、人道に対する罪で
勧善懲悪的な悪者として裁いた。極東国際軍事裁判をなぜ「東京裁判」
と言うのだろうか。そのことは、ただ単に東京で開廷されたからという意
味ではない。それは今、サッカーのワールドカップを開催しているドイツの
都市、ニュルンベルグでナチス犯罪を裁いた軍事法廷を指標にしたから
である。大日本帝国軍人が、ナチス犯罪と同位、あるいはそれ以上の人
類犯罪を犯したという前提にしなければ、アメリカの行った原爆投下と都
市空襲の大虐殺は正当化できないからである。

 大東亜戦争、日米戦はアメリカが日本に仕掛けて勃発した戦争であ
る。善悪の因果関係から言うなら、明らかに米英が悪いのである。白
人国家は数百年に及ぶ覇権侵略で、有色人種の国家群をことごとく踏
みにじり、奴隷化、植民地化、圧倒的な搾取を行ってきた。その最後の
標的が我が日本であった。先人たちは国家を防衛するために必死で欧
米の工業技術を取り入れ富国強兵策に邁進してきた。それは植民地化、
奴隷化を阻止するためであった。

 大正八年、パリ講和会議の際、国際連盟規約委員会の席上、国際連
盟の常任理事国であった日本は、「人種あるいは国籍如何(いかん)に
より法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」という人種差
別撤廃条項を案件した。しかし、欧米列強に蔓延(はびこ)るあまりにも
強い差別意識を斟酌した日本は、そうとうにトーンを減じて、「国家平等
の原則と国民の公正な処遇を約す」と、人種という言葉を除外して表現
を極力控えて提出した。

 ところが、国際連盟提唱者である米国のウッドロー・ウィルソン大統領
が、この提案を「重要案件は全会一致でなければならない」と、それま
で民主主義的な多数決原理に従っていた方法を突然ひるがえして強硬
に反対した。16ヶ国中11カ国が賛成していたにも関わらずである。米
国大統領自らが民主主義の国是を破棄して日本のもっともな提案を蹴
ったのである。日本にだけは適用できないデモクラシーということである。
世界で最もダブルスタンダードが得意な国はアメリカである。こんな国が
世界の警察を気取っているのだから世も末である。

 大東亜戦争勃発には、さまざまな誘因が入り組んでいるが、東亜百年
の歴史の中で日本が置かれた状況は、結局は対米戦が不可避な方向
へ進んできていたと私は思っている。ハルノートを上手くかわしたとして
も、時間の問題で対米決戦は起こったはずである。なぜなら、米国が日
本を列強として共存させる意志がなかったからである。幕末、黒船の砲
弾外交で、米国は一方的に開国を迫った。やむなく開国した日本は、工
業技術を取り入れ必死で国力の増強に努め、アジアで唯一帝国主義国
家を築くことができた。

 しかし、彼ら白人国家は日本の台頭を許容できなかったのである。そ
の底意は、植民地になる運命(さだめ)の小国日本が、自分たちと対等
の国力を持つこと自体が許せなかったのである。黄色い猿が自分たちと
同位同列の国際地位を持つなどとんでもないということであった。社会ダ
ーウィニズムによる白人優位主義、白人優生志向の枠組みを崩すわけ
には行かなかったからである。ウィルソンが、日本が提起した国際連盟
に人種平等条項を盛り込むことを忌避に等しい状態で受け入れなかった
のは当然のことであった。

 横暴な白人国家の侵略に、最後まで果敢に抵抗し、反撃を行った唯一
の有色人種国家が我が日本であった。日本が米英を中心とした白人国
家群と死力を尽くして戦った結果として、戦後はインドを始めとし、アフリ
カ諸国など、二百にあまる国家が独立を果たした。ここに白人の帝国主
義、植民地主義はその汚辱の幕を閉じたのである。しかし、戦勝国とな
ったアメリカは、日本的な国是、伝統観念、その民族性を徹底的に敵視
して、極東国際軍事裁判という、謂わば日本そのものを、日本の存在そ
のものを裁くという人類犯罪的な凶行を行ったのである。

 「醜いアヒルの子」という童話の落ちにはないが、白鳥が憧憬すべき
正義の価値だとすれば、当然、アヒルという存在は自身を優れたものと
思っている不正義の価値であり醜悪なる存在ということになる。日本民
族を品性極悪な民族と決め付けたアメリカこそ、醜悪な品性と価値観を
持つアヒルに相当する存在なのである。数百年も有色人種を殺戮して
きた白人は、その血で汚れた口で、大東亜の解放のために戦った日本
を「人道に対する罪」と「平和に対する罪」で裁いたのである。裁かれる
べき人類的な犯罪者が、東亜解放のために立ち上がった日本を裁いた
のである。これこそ大いなる主客転倒ではないか。

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2006年6月16日 (金)

戦艦大和(23)◎戦後の日本は醜いアヒルの子

  ◎戦後の日本は醜いアヒルの子である

 アンデルセン童話集には、有名な「醜いアヒルの子」という話がある。戦
後日本の姿を寓意的な童話であらわすとすれば、この「醜いアヒルの子」
が最もぴったり合った物語であろう。

 アヒルのお母さんがタマゴをあたためていた。中にはひときわ大きなタマ
ゴがあり、それが孵(かえ)ってヒナになると、姿かたち、色合いがあんまり
変わっているので、兄弟のアヒルたちにいじめられた。お前はなんて不細
工なやつだ、見れば見るほど不細工なやつだと馬鹿にされ、しまいにはお
母さんアヒルからも、どこかへ行ってくれればいいと見放されてしまった。

 みんなからいじめられ、侮蔑されて、とことん悄気(しょげ)ていた醜いア
ヒルの子はそこを飛び出し、とある場所で白鳥を目撃して感動する。「あん
な美しい鳥になれたならどんなにか幸せだろう」。醜いアヒルの子はその
まま厳しい冬を越す。春になってあたたかくなってきた。醜いアヒルの子は
羽ばたいてみたら空に浮き上がった。飛べるのだった。堀に舞い降りた醜
いアヒルの子は、そこにいた白鳥たちがいっせいに自分に近づいてくるの
を見て、「ああ、僕は殺されるんだ、でもいいや、みんなからいじめられる
よりも、あんな美しい鳥に殺されるほうが少しはましだ」と思った。

 意外なことに、近づいた白鳥は「こんにちは、新人さん」と挨拶をした。び
っくりした醜いアヒルの子は、水面に映った自分の姿が、自分が強く憧れ
ていた、あの真っ白に輝く白鳥の姿であることをはじめて知ったのであっ
た。

 
こういう物語である。この話は下手に受け取ると、自虐と自己愛のどん
でん返しにも見えるが、素直に解釈すれば、日本人の求道精神を想起さ
せる感じもある。皮相的に見るなら、人間の自己同一性の探求を寓話化し
ている。みんなから、お前は恥よ、無様よのうと言われるよりも、美しく死ぬ
方を選ぶ覚悟は、武士道精神である。

 奇態な姿のアヒルの子に生まれ、兄弟たちにさんざん馬鹿にされ、いじ
め抜かれた末に自己放擲に陥り、死を覚悟する。その時になって、初めて
世界は自分の真の姿を開示した。実にその姿は、彼の究極の理想である
鳥、優美な白鳥であった、めでたしめたし・・・。白鳥とアヒルのコントラスト、
話は単純明快であるだけに、この童話は映像的なイメージが鮮明である。
この童話を存在論的に捉えてみると、それなりに味わい深い物ではある
が、私はこの物語が、日本文明の魂を戦前に置き忘れまま、自分たちの
正体が見えず、何をやればいいのかわからずに足掻いている戦後の日本
に見えて仕方がない。

 戦艦大和に想いを馳せているうちに、戦後の日本が何か非常に大事な
ものを戦前に置き忘れてしまったのではないのかという疑念が日々に強ま
っていた。そしてそれは、戦艦大和の魅力に取りつかれれば取りつかれる
ほどいっそう強まるばかりである。終戦後、60年もの時は過ぎ、戦前の空
気や時代性を肌身で感じていた世代がこの世から去っていく。同時に若い
者がお年寄りから話を聞くという日本の伝承的風習が、核家族化など社会
の伝統構造の分解で断ち切られてしまい、物語としても戦前の文明に触れ
る機会は失われつつある。

 文明というものを大きく俯瞰すると、その民族国家に特有な性格や志向
性というものが見えてくる。我々は、その姿を過去の時代に造られた建築
様式とか、膨大な文学的文献などに見て取ることができる。この文明が孕
む民族の志向性は、特にその時代の美的な様式性に現われてくると考え
る。「醜いアヒルの子」は、戦後日本の文明的退嬰と、戦後に生きる日本
人全体の一貫した精神性の喪失、つまり、自国文明の認識を喪失したま
ま無様に生きている日本人を見事に言い当てている。

 ここで再びブルーノ・タウトに言及する。建築家である彼が、精力的に
「日本論」を書いて日本に知られ始めた時期が、ちょうど戦艦大和が設計
され、建造に着手されたころと一致しているようである。彼が完成した戦艦
大和を見たとしたら、彼の審美眼には大和がどのように見えたのか非常に
興味のあるところである。私は日本美の精髄として、タウトが伊勢神宮と桂
離宮を掲げたことは鋭い眼力だと思っている。特に、彼が伊勢神宮(おそ
らくは内宮の神明造りを主に指していると思うが)を、稲田の中の小屋、つ
まり、わらぶき屋根の農家の結晶的な建物だと看做したことは卓見と言う
ほかはない。確かに伊勢神宮には支那の影響を受けていない日本古代
の純粋な様式がある。

 そればかりではない。タウトは伊勢神宮にも、桂離宮にも、彼が建築家
として洞察した日本人特有の「釣り合い」の玄妙さをそこに見たのである。
これはいっぺんには説明しづらいが、建築的幾何学的な微妙な「間」はも
ちろんのこと、建築と人間、あるいは建築とその周辺の景観との微妙な釣
り合いの妙を捉えたのである。私は以前に、戦艦大和の美しい造形美は、
建造者がその美的意匠を意識して仕上げたのではなく、限られた条件下
で究極までに機能性を追及していて自然に出来上がったものだと書いた。

 実は、この考えはブルーノ・タウト自身も同じようなことを言っている。「日
本人論の中の日本人」を書いた築島謙三氏の言葉によれば、機械の外面
を美しくしようとして実現される美は芸術的な美ではない。機械に最高度の
機能を発揮させようと努力するところに、巧まずして芸術美が生じることが
あると。これこそ、戦艦大和の造形美にもぴったりと当てはまる言葉なの
である。

 「重要なのは、一切が実用的に極めて優れていると同時に、また外観も
端正なことである。しかし、それだけでもまだ十分でない。さらに何ものか
がこれに加わらねばならぬ、・・定義し難い、或はまったく定義し得ない何
ものかである」(タウト著作集より)

 建造者たちが戦艦の戦闘機能を究極的に追求した時、無意識に出来上
がった意匠が戦艦大和の類まれな船影美であった。しかし、タウトに倣う
わけではないが、戦艦大和にも機能美だけでは説明不能な、定義し難い、
あるいはまったく定義し得ない何ものか、超越した美がそこに現出してい
るのである。これこそが失われた日本文明を探る重要な鍵なのである。こ
れを気配という表現で言うなら、西行法師が伊勢神宮で感じた空気、気配
が案外近いものかもしれない。次の歌はあまりにも有名であるが、この歌
が簡素、控えめ、幽玄、そして清明な日本美の本質を最も的確に表してい
るのかもしれない。なぜなら、この歌自体があまりにも控えめで、表現する
ことを極力に抑えているからである。しかし、この歌を詠む日本人には、西
行の感得した伊勢神宮全体の神気、森閑の佇まいが浮立文字的によく理
解できるからである。この歌には、神道と仏教の融合性、すなわち本地垂
迹以前の日本人の原初的な信仰体系が感じ取れる。

 何事のおはしますをば知らねども
 かたじけなさに涙こぼるゝ      (西行)

 
 タウトは、日本人の文化意識の源泉が農家にあると考えた。かやぶき農
家というファクターの結晶的存在として伊勢神宮を捉えた。これは確かに間
違いない見方である。しかし、もう少し拡張的にこれを深く見つめると、農家
の先には山川草木の自然がある。伊勢神宮、あるいは桂離宮において、
彼が言うところの「釣り合い」の妙とは、私には人間が住む場所と自然との
調和的な関係性、あるいは絶妙な緊張感を孕んだ空間を造り出すことにあ
ると考える。伊勢神宮は大きな森の中にあり、桂離宮は日本の山河を凝ら
した庭園と一体になっている。伊勢神宮は鎮守の森の清冽な世界に鎮座
しており、桂離宮は風雅な庭園に清楚な様式美で建っている。

 両者の建築様式に共通に出ているものは、風土と建築様式の関係であ
る。あるいは土地柄と建築様式を生かした絶妙な空間配置とでも言えよう
か。建物とは、ただ雨露を凌ぐための構造物ではない。そこに人間が住む
こと、あるいは建物を祭祀などの場所として使用するに際しても、そこは人
間に文化的、文明的な空間感覚をもたらす場所なのである。建物自体は
自然という空間に対しては静的であるが、動く人間にとっては、目まぐるし
く変化する動的空間を媒介する場なのである。これは建物の内側と外側、
それぞれに動的空間がある。

 日本人は移ろうもの、変化するものに独特の心情を持っている民族であ
る。従って、桜花を愛でることや紅葉を愛でることは、移ろう自然のものの
あはれに心を投射し、同時に自己や他者、世の中の諸行無常、有為転変
に心を委ねて諦観することである。日本人は動きの中に静を観て取ること
ができる。逆に静の中に動きを観ることができる。変化の中に瞑想と祈り
を感じる心性がある。

 築島謙三氏はタウトについて言う。鋭い知性と美的感受性を持つ彼が、
比較美学論の立場に立って、日本人の生活、美意識、伊勢神宮、桂離宮
などを、連繋ある有機的全体として捉え、それが、他の芸術、文物への鑑
賞の土台をなし、果ては日本人の国民性の把握へと進み得たものと思う
と。戦艦大和に顕現した日本美は、戦前最後の日本的美意識の結晶であ
った。それが戦闘用兵器に忽然として現われたのは、その時代にはまだ
日本の文明が国民意識の中に燦然と花開いていたからだと言うことがで
きる。戦艦大和には、海に浮かぶ鉄の城としての威厳だけではなく、まさ
に西行が歌った、言葉で表現し得ないもの、定義し得ない何ものかが息づ
いていた。それこそが、それまでの日本にきちんと残存していた我が国の
文明感性ではなかっただろうか。

 ここで再び「醜いアヒルの子」の話に戻ろう。大東亜戦争に死力の限り
を尽くし、屍に屍を累々と重ねて日本は敗北した。敗戦直後の日本人は、
大東亜戦争に精魂を使い果たし、疲労の極限で、体内の酸素をすべて使
い切って精神のブラックアウトを起こしてしまった。日本人全体がその精神
の空白、虚無に揺曳している時、マッカーサー率いるGHQは、日本人の
その巨大なブラックアウト症状の上に、さらに洗脳を施したのである。これ
が太平洋戦争史観、すなわち東京裁判史観なのであった。昭和27年、
精神のブラックアウトから蘇生した日本人は、食べ物、生活物資の総てを
失っていたことに気が付き、まず食べることを目指して、がむしゃらに闇市
状態を脱却した。気が付いたら日本は世界第二の経済大国に成り上がっ
ていた。しかし、精神の深い虚無空間に施された洗脳史観は絶大な効果
を持って、戦後の日本人を囲繞し続けている。

 戦後、食うことに専念し、先祖から営々と築き上げてきた文明創出の
志向性を忘却した日本人は、自身が醜いアヒルの子になってしまったこ
とに気が付かず、自分たちはアジア友邦を残虐な目に遭わせた醜く忌ま
わしい過去を持っていると思い込んでしまった。また、日本が友邦と思い
込んだ支那と韓半島は、ことあるごとにお前は醜い国だ、残虐な国だと
日本に対して言い続けている。日本人はすっかり落ち込んで自分たちが、
独自に偉大な文明を歩んでいた事実を忘却してしまったのである。

 戦後の日本は文明を創出していない。創出したと思い込んでいるのは、
醜悪な町並み、醜悪な郊外型店舗群、世界に無類の秀麗な国土を、コン
クリート漬けにして破壊しただけである。日本人はいつになれば自分の
正体が白鳥であることに気付くのだろうか。日本文明とは、たぐい稀なる
自然が化身した優美な白鳥なのである。時代が日本を戦争に駆り立て、
その時代は必死に足掻きながらも戦艦大和という偉大な船を健造した。
国家を防衛するために精魂込めて造られた世界最大最強の戦艦には、
無意識ながらも、日本型文明の最後の美が顕現されていた。それは今、
三千名の英霊と共に四分五裂して海底に横たわっている。

 日本人が、この英霊たちの殉国死を、無駄死にだったと思い込んでい
るうちは未来永劫にアヒルの子のままである。アヒル(家鴨)とは、マガモ
を改良した家禽である。謂わば養鶏と同様に人間に喰われてしまう存在
である。気が付かないだろうか。日本人が今、家畜化され、その労働力
の成果がアメリカに喰われていることを。この二番煎じを虎視眈々と狙っ
ているのが支那である。先祖たちの築き上げた文明を亡失し、略奪を基
本とするならず者国家にいいように搾取される現状に怒りを覚えないだ
ろうか。この状況に陥ったのは、アメリカや支那が悪辣で狡猾であると
いうことだけではない。日本人自らが、国柄としての文明を喪失している
ことに最大の原因がある。この文明感性を再び呼び起こすことができれ
ば、日本人はおのれに覚醒し、優雅に空を羽ばたく白鳥になれるのであ
る。 

 

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2006年6月 5日 (月)

戦艦大和(22)◎日本文明には自然や先祖に対する涙の共感がある

   ◎日本文明には自然や先祖に対する涙の共感がある

 現在に生きる我々は、先人たちが、その時代の営為の中で弛まなく築き
上げてきた文化や文明に触れる時、彼らに対する深い共感からにじみ出
る涙は最も重要な鍵となる場合がある。日本人の大半が、北朝鮮に拉致
された、横田めぐみさん、他百名を越える同様の被害者たちに大きなシン
パシーをあまり感じていないことと、同じ戦後を生きる日本人が、自国の
過去の歴史に理解や共感を示すことができないという事実は、実は同じ
精神の有り方から出ている。それは国民同胞同士の共同体感覚、すな
わち、日本人同士の一体感、連帯感の喪失である。戦後の日本人は、
占領軍の言うままに民主主義を新たな精神パラダイムとして受け入れ
たが、それを機能させるための根幹的な国民思想を持たずに過ごしてき
た。

 民主主義そのものは、イギリスのジョン・ロックから始まり、その成り立
ちは教会権威に対抗して起きた啓蒙主義に源流を置いている。しかし、
民主主義が統治形態として機能するのは、その前提としてキリスト教倫
理が横たわっているからである。戦後日本の民主主義が、個人主義で
はなく、暴力的かつ無知蒙昧で醜悪な利己主義の代名詞に成り下がっ
たのは、統治原理を秩序付ける思想が根底に存在しなかったからであ
る。話は逸れるが、私は多神教・汎神論の国に、唯一神の権威を借りて
秩序を維持するタイプの国民統治原理は無理だと考えている。

 特に、日本の場合で唯一それが可能だった場合を考えれば、天皇を
現人神(あらひとがみ)として温存した場合のみであっただろう。それな
らば、欧米とは完全に異質ではあるが、日本固有の民主主義原理が、
それなりに機能して発達した可能性はあったのかもしれない。しかし、
戦争に敗れたからと言って、日本文明という精神原理の異なる国に、
フランスジャコバン党の革命原理と同質な世界観のアメリカ型民主主義
を一気に導入しても、国民精神に混乱、分裂が生じることは目に見えて
いたはずである。ところが、日本は七年の占領期間が終息した後も、つ
いに、その検討や修正を行わず、喰うための経済にのみ指向性を振り向
けて今日に至っている。

 その結果、何が起きたのかと言えば、日本人はお隣さんとなかよく「つ
るむ」という共同体精神を喪失し、個の充足、個の権利意識のみが突出
し、常識的な価値観としてそれが根付いた。その結果、民族に特有の相
互互恵感覚やいたわり、公への奉仕意識が溶解した。お隣さんの不幸は
わが身の不幸という、かつては当たり前だった共感、同情の国民精神が
吹っ飛んでしまい、北朝鮮というカルト的な犯罪国家に国民同胞を拉致
拐取されても、まるで他人事のように応じている。何度も言っているが、こ
の規模の国民拉致は十分過ぎる「戦争事由」に相当するのである。戦前
の日本人ならば、相当な義憤に駆られ、早急に政府の宣戦布告を要求し
ていただろう。それくらいのひどい事件が拉致事件なのである。

 ところが、政府を筆頭として、拉致事件にはまるで及び腰である。小泉
内閣に至っては、拉致事件について最も正当な対応ができる西村眞悟
氏を牢屋に監禁して置いて、犯罪国家と国交正常化の成立を画策すると
いう売国政策を行うという体たらくである。政府も国民も拉致という事態
を看過するような心持になっている。これを別の言葉で言えば、これは明
らかに「棄民」感覚なのである。ここまで言ったら、私の言う意図がわかっ
たと思うが、現代日本人が歴史を理解しないということと、拉致被害者や
被害者家族に対して大した同情も共感もせず、怒りもしないという趨勢は、
今の日本人を囲繞する「個への浮遊」感覚という意味で同じ所から出て
いるのである。すなわち、それは他者などには基本的に興味がない、国
家なども興味がないという自己への埋没なのである。これが同胞への棄
民感覚を生んでおり、国家共同体のアンバンドリングを加速させている。

 かつての日本人は、同胞のために怒り、同胞のために涙した。それは
天皇を国の大黒柱として、日本人が一大家族のようになかよく、互い同士
の安否を気遣っていたからである。しかし、今の日本人は、国家や国民と
いう言葉でさえも希薄な観念としてしか浮かんでこない。日本人が日本人
であるためには、自然の移り変わり、野の草花の変化に心を留め、他者
に目を配り、静かに、そして強い一体感を持てるということにある。これを
為しているのが、日本人特有の情緒性であり、和の精神性なのである。
特に今の日本人は情緒性を無価値なものとして無視する傾向がある。そ
れは欧米人の観念主義に毒されているからである。永い時間、国土の美
しい自然によって涵養された美的な情緒性こそ日本人特有の妙なる本質
である。これが基層にあるから、日本人は同胞の不幸に目を閉じていられ
ないのである。

 いまさら説明の必要はないかもしれないが、人間が涙を流すという現象
は、人間に内在する原初的感情の一つの肉体的な表出である。人間が生
物として、他生物と隔絶する典型的な特徴は、言語を持つとか、技術力を
発揮するとか、哲学や科学を思考し、それを文明的な出力として形にでき
る能力があるなど、さまざまにあるのだが、その中でも、涙を流す性質は
飛び抜けて興味深く、かつ重要な性質だと思うのである。
                   
 涙腺がゆるむという生理的な現象は、人種を問わず人類すべてに普遍
性を持ち、一番わかりやすい。涙の典型は、悲しみの感情の表出である。
たとえば肉親や親しい知己などを失った時などに出る涙である。あるいは
死というものを介在しなくても、親しい者同志が別離の境遇に置かれる時
である。また、悲しみ以外でも人間は涙を流す。何かを目にしたり、読ん
だり、聞いたりして、普段は隠れている精神の深奥に共感や同調が働い
た時、自然に感情が惹起されて涙を流すことがままある。その場合の感
情は、悲しみとは違い、むしろ肯定的な感情の場合が多い。また、音楽
や他の芸術に感動した時の涙もある。感動の涙はカタルシスを伴い、カ
タルシスはよりいっそうの涙を伴う感動の増幅作用である。

 歴史を理解するとはどういうことなのであろうか。我々が戦後教育で習
った歴史とは、客観性という名目を強調した無味乾燥な経時的な事象の
陳列である。こんなものが、一生を通じて行う世界認識や、政治感覚、人
生体験にとってどのような積極的な意義を持つと言うのだろうか。私は以
前から強く思っているが、歴史を知るという行為は、ただ単に経時的な事
象を記憶するということとは違うことだと考えている。特に日本人が日本
史を知る場合には、そこに登場するあらゆる事象や人物が、今生きてい
る我々と時空的に緊密な連続性を持っているという認識を持たなければ
ならないと考えている。

 それは現代人と過去人が、それぞれの時代という時空の異なる場所に
いても、同じ民族としての時間を越えた同一性が存在するからである。し
たがって、先祖たちの営為に伴う感情の有り方や動きは、今の我々でも、
かなりのリアリティをもって理解できるはずである。そういう情緒的、情念
的共感は過去の歴史に生きた先祖たちの行動の意味を探る上で非常に
有効な方法論だと思う。日本の歴史教育は、欧米のカント的デカルト的ヘ
ーゲル的な世界観のもとで行われているせいか、歴史の事象を記号論
理的な把握だけで終えてしまう場合が多い。

 歴史は、存在論的には不可解の塊りである人間が作るものであるから、
それを解釈する手法として、線形的な捉え方は事実を歪曲してしまうこと
になる。人間はオートマトン(自動人形)ではないのであるから、現実に生
きている我々が、その時代に現実に生きていた先祖たちを理解するため
には、情緒を媒介にした心の共振作用を惹起することは有効であると考
えている。人間が他者の行為や意念に共感して感動を覚える時は、涙を
伴うことがままある。その行為が、自己犠牲や自己放棄による愛他的行
為の場合は特にそうである。これに感応した時、この時に覚えるあの精
神の解放感(カタルシス)を経験してこそ、我々が本当の意味で先祖たち
を理解したと言えるのではないだろうか。歴史を「情理」で理解するという
ことは、つまりはそういうことのように思える。したがって、機械論的な理
解よりも、共感性を伴う感情的な理解の方がより高度で深遠な理解の方
法だと考えるのである。

 そういう基本を持たなければ、歴史という過去の生々しい生きた時間は
本当の意味で把握し様がないと思うのである。ならば、過去の生きた歴
史に触れるには如何なる心的態度が必要かということになるのだが、私
はそれこそが、日本人としての感情を介した共感作用にあると思う。すで
にこの世にいない過去の日本人も、現代に生きる日本人も同じ日本人で
ある。この同じ日本人が、時間という橋を隔てて、ある事象に対して共観
し、共感する時、歴史の実相が姿を表すような気がしている。すべての歴
史事象に感情移入や共感を行う必要はもちろんないのだが、先祖たちが
命を賭けて悩み、迷いぬいた末に判断して取った行動については、後世
の我々は可能な限り、その時代性をよく捉えた上で彼らの心情に共感す
ることは重要である。この考えの基本には、日本人には時代を超えた精
神性のアーキタイプが存在すると考えるからである。

 戦艦大和シリーズを書いていて、私自身は本当に言いたいことや考え
たことの根幹にはまだ触れていない。私が大和に関して感じたことや考
えたことが、どれほど真相に接近しているのか、あるいは乖離しているの
かわからないが、少なくともそれを言わずにいられないという気持ちは強
くある。それは大和の見事な造形性と、船影の威容に熾烈に惹かれてい
るからである。戦艦大和という謎に満ちたあの存在とはいったい何であっ
たのか、あの巨大な存在感の背景には何があったというのだろうか。戦
後という「非大和的な時代」の空気で育った我々にとって、戦艦大和が象
徴した時代性や文明の姿、その本質を私は純粋に知りたい。そして、戦
艦大和の撃沈とともに海底に沈んだ先人たちの統一された文明意識、そ
して当時の日本人が抱いていた伝統的な歴史観を私は知りたいと思って
いる。

 少なくとも、大和が象徴する時代性が、一般に理解されているように、
マルクス主義的な歴史観で言われている、いわゆる「軍国主義」の時代
などでは断じてあり得ない。我が国の教育要綱では、戦艦大和は軍国時
代の象徴であり、その最後は軍国時代の終焉だったという流れで捉えら
れている。すなわちマルクスの階級闘争史観である。国家間が戦争に入
った場合、文明の環境装置群の中で、軍事システムが突出して働くこと
は、国家生存の原理から当たり前のことであり、クラウセヴィッツの言う
ように、国家間闘争における軍事的行為自体には、どのような意味でも
善悪のファクターは存在しない。

 しかし、ある歴史的な経過の中で、国と国との相対的関係性を通観し
た場合、そこには戦争という収束に向かうべく、ある種の不可避な国際
政治力学は確かにあったことは間違いない。その意味においては、日
本とアメリカの相互関係はけっして等価ではない。大東亜戦争はアメリ
カ側による一方的な侵略の様相が見えている。

 日本人の誤った戦争観は、戦争が始まった時点から、歴史の起承転
結を見ていることである。どちらが先に攻撃したか、どの国から先に開
戦の口火を切ったかに重要な視点を置き、それ以前の相互関係や経
過の意味を捉えようとしない。国家のサバイバルとは言っても、ここに
は国益の確保と固有文明の維持という二つの筋合いがある。大東亜
戦争とは、その意味を解釈する時、以上の二つの意味合いだけではな
く、さまざまな位相が重畳されている。

 国家という一つの生命体も、食べることによって自分の身体(国民、
国土、経済など)を養って行かなければならず、時のABCD包囲網のよ
うに、物資の流れや供給を、国際社会に故意に停止させられた場合、
自存自衛の行動を起こす必然性は生まれるわけである。これを裏付け
ることの一つに、1951年のマッカーサーが「日本のあの戦争は自衛
の要素が強い」と発言したことである。戦争には大きく分けて二つの位
相がある。一つは、資源確保や領土の拡大を狙って外に侵攻して行く、
いわゆる侵略的戦争、もう一つは自国文明の防衛から起きる自衛戦争
である。

 戦後日本の大東亜戦争史観は、一般には自衛よりも侵略的位相が
はるかに強いものだと受け止められているが、その歴史的通念ははた
して正しいものと言えるだろうか。深い考察の下にその捉え方を再
探勝する必要がある。話を過去への共感から歴史を理解するという流
れに戻すことにしよう。日本の歴史を彩るさまざまな有名な登場人物に
は、その精神の形から学ぶべき人物が大勢出ている。たとえば、建武
の中興における楠木正成親子の話や、源平合戦時の熊谷直実と平敦
盛の話、また赤穂浪士の主君への忠節の一貫性などには、日本人の
精神の原型が強く出ている。

 歴史の連続性は重要であると、東京裁判の桎梏から自由になった多
くの人々は言う。しかし、それを実感として捉えることは、論理的な思考
や認識だけでは不足なのであり、そこには共感という情緒空間の介在
が必要である。この歴史の連続性が機能しているかどうかを判定するこ
とは、実はさほど難しいことではない。それは日本史上に現われた典型
的な人物に共感ないし同情ができるのかということにある。戦後の日本
人と戦前の日本人の大きな差異は、過去の物語に対して涙を流す度合
いがまったく違うことにある。戦前の人々は先祖たちを情緒的に、涙の
共感性を以って理解できる教育の中に育っている。その力づけに「教育
勅語」は、かなり重要な精神の態度を涵養したことは否定できない。

 戦後は、自国歴史を共感として捉えるどころか、進歩に出遅れる型を
持った究めて後進的で暗愚な歴史を歩んでいたと、否定的に考える教
育が積極的に行われた。そのために、日本人は先祖の営為を肯定的
に評価しないという、ある意味での自己否定に陥った。これが、戦後文
明の創出を阻んでしまったのである。私は、ある歴史的な人物の情意や
行為にシンパシーを持って涙した時は、特に彼らと同じ時間、そして同
じ認識を共有できると信じている。涙を流して共感するという状態も、人
類に共通な、多種多様な理解力の一つの典型である。我々は、なぜ絵
画や演劇、映画などを好んで観ようとするのだろうか。

 それは、日常生活という、ある意味では恒常的な繰り返しの生活様式
に彩(いろどり)を添えるために、娯楽として文芸的な文化を楽しむため
だけのものであろうか。文藝を鑑賞するというのは、形態的には受動的
な行為に見えるが、観る側の想像的な関与性で言うなら、非常に明確な
能動的行為である。文藝を観たがるという性質は、文藝に彩られている
他者性と、自己との相関関係を意識的に造ることによって、ある種の自
己確認を行おうとしているからである。ここにおいて、涙の共感性は、そ
の理解において重要なファクターとなる。人間が持つ、こういう性向は、
生活というトータルな営為の中ではそうとうに大きな比重を占めている。

 人間が、文藝を鑑賞しようとする性向は、実はその世界存在において、
無意識ではあるかもしれないが、自己存在の歴史的な位置づけを確認
するという意味もあるのではないだろうか。そして、こういう文芸娯楽を
追体験として鑑賞できる能力は、その人間個人個人の人生体験の多
様性や質によってさまざまな変化に富んだ世界をその目に映すことが
できる。この部分は科学的に数量化や定型化できないファジーな領域
であるが、人間生存にとっては非常に重要な要素でもある。なぜなら、
こういう人間の性質が集合し、共通した世界認識のもとで文化が形作
られるからである。

 人が生きるという行為は、ある時間の中で、自分自身の現在性の弛ま
ない集積であるから、当然、そこには感情の湧出も大きな関係を持つ。
最も切実で身近なことであるはずなのになぜか、現在進行形のその状
態の意味を、把握したり、認識したりできずにいる。生きるとは何だろう、
それはどういう意味を持つのか。自分がこの世に存在しているということ
は一体どういうことであろうか。自分はどこから来て、どこへ行こうとして
いるのか。この根源的な問いかけは、じつは古今東西で、人間存在に
まつわる普遍的なものであり、そのために人類史は人文科学というもの
を産み落とした。歴史の探勝とは、実はその自己同定、世界同定に連
なる重要な行為なのである。しかし、多様な人種が多様な哲学や宗教、
芸術を生み出しても、それは表現の多様性を生み出しながらも、それな
りの時間経過のうちに定型化しただけで、人類は相変わらず自己や世
界の存在論的な究明に悩み続けている。

 すなわち世界とは?自分とは?という問いかけが止んでしまったわけ
ではない。どの時代でも人間はその解答を得ようとして、千差万別の苦
しみを味わい、必死な足掻きを行ってきたし、それは現在も継続中であ
る。そういう世界同定、自己同一性を希求する刻苦精励的な営為が、さ
まざまな文化を起こし、結果としてその集積が各地に文明という足跡を
残してきたのである。人類史開闢以来、継続されてきたその営為はい
まだに普遍的に続いている。

 ところが、20世紀後半から、その問いかけの中において、外部条件
は急速に変化してきたのである。近代や前近代に比して、現代が決定
的に異なっていることは、世界性の中で、その物理的空間性の範囲が、
過去に比べて完全に限定化されてしまったという事実にある。つまり、
自分たちが属している世界というものが、以前までの地域(ローカル)
的な範囲ではなく、明らかにグローバルな「地球」という範囲に限定さ
れてしまったのである。

 交通科学、情報科学の発達によって、人類の世界認識は、限定空間
としての地球という認識に変わりつつある。人種相互の交流、国家間の
交流が盛んになり、人間の世界感覚は、古代や中世に比べて地球とい
う包括的な世界へ変わってきた。こういうグローバルな空間認識の中で、
文明創出の意味合いも変化してきている。しかし、脱国境、脱人種、脱
地域的な文化の創出が、地球文明という大枠の文明へ発展することは
原理的には有り得ないのであるから、もし、アメリカが狙っている「ワン
ワールド・オーダー」なる世界文明が志向されたとしたら、それは現代
の「バベルの塔」でしかないはずである。

 ここで、ジャン・ジャック・ルソー的な世界観を奇形に発展させた愚かな
人々、はっきり言って、何でもかんでも革命は自由な世界を実現し、伝統
は旧弊な堅苦しさであると硬直的に考えているグループは、国境やナショ
ナリズムを無形化無価値化した地球市民とか、コスモポリタンなどという
言い方をして、これからの人類のパラダイムが、いかにも国際的な生活
感覚の在り方に移行するかのような迷妄の言説をばら撒いた。固有の伝
統的文明感性を喪失した戦後の日本は、この左翼的な迷妄の世界観に、
空気的に感染したのである。

 これが、日本固有の伝統観念、そしてそれを継承発展させていく美意
識を希薄化させ、民族の品性や生命力を低下させてしまった。日本人の
文明創出の根幹には、民族の特質的性格としての「もののあはれ」と、
先祖に対する「涙の共感性」がその基層精神となっている。この精神性
は、日本列島の類まれなる美しい自然が長い時間をかけて日本民族に
作用した結果である。日本人の民族感性は自然によって涵養されたの
である。したがって日本人の文明創出の出力には、いつの時代でも、美
しい国土、美しい山河の存在が形象的に現われてくるのである。戦艦大
和の船影の美しさもその例外ではない。

 この自然から涵養された美意識は、どの時代にも日本民族の営為の
中に現出されてきた。しかし、戦後、アメリカ擬似文明に取り込まれた
日本人からは、この本来的な美意識は湧出しないのである。それは、
文明を創出する日本原理が働かないということなのである。

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2006年6月 4日 (日)

戦艦大和(21)◎文明を置き忘れた戦後の日本

    ◎戦後日本のインフラには文明が存在しない

 戦後の日本人は究めて大きな勘違いをして生きている。戦後の日本人
は、日本建国史上の連続性から鑑みれば、その歴史の正統性から見て、
明らかに巨大な錯誤の“核”を、精神の基層においてしまった。それは、
一言で言うならば、戦後日本は文明を戦前に置き忘れたということであ
る。また、それは必ずしも正確な言い方ではないが、自らのかけがえの
ない文明を脱ぎ捨てて、アメリカの物真似に奔走したからである。日本
人は、文明創出の原動力に費やすべき、精神的な“核”をアメリカ一辺
倒に据えてしまったのである。アメリカ型文明とは、西欧近代が到達し
た黄昏の文明であり、それは人類の強欲性の開花そのものである。こ
の文明は、一言で言えば、他者を食いつぶす型を持つ。他者や自然を
生かす型を持つ日本文明とは対蹠的な背反性を持つ文明である。

 日本人はそれに気づきかけて大東亜戦争を戦った。しかし、戦後の日
本人は敗戦に意気消沈し、せっかく気づきかけたアメリカ文明のいかが
わしさを忘却し、再び近代主義、すなわち強欲な物質主義を憧憬した。
その結果、精神の方向性を巨大なる錯誤によって狂わされてしまったの
である。その錯誤の本質が何であるのかを、日本人は自らの悟性と論
理でその意味を認識し、その迷妄の精神世界からなるべく早く脱出しな
ければならない。そうしなければ、この地球上に優曇華(うどんげ)の花
よりも稀少な文明を開化させた、我が日本のかけがえのない本質が泡
沫となって消え去ることになる。これを防ぐために、日本人は民族の特
質としての“悟性”を最大限に働かせ、この類まれなる日本文明の再構
築を行う必要がある。

 このような言い方をしても、すぐには何を言っているのかピンとこない人
たちが大勢いると思う。今、私は“悟性”という言葉を唐突に使用したが、
それは物事を理解する上で非常に重要なことである。悟性と言えば、よく
禅寺で座禅を組み、“悟りの境地”とか、“無我の境地”などというイメージ
を思い浮かべるが、私の言うことはそのような高尚で難しい話ではなく、ご
く普通の意味での、物事を見究める事、正しく認識することというものであ
る。

 その前に、「日本文明の再構築」という大雑把な概念を少し説明してお
きたい。構築、再構築と言っても、私の言わんとしていることは、社会の
インフラ再整備ということではない。ご存知の通りインフラとは
Infrastructureであり、社会の基盤整備という意味である。それは、人間
が健全な社会生活を営む上で、生活、健康、安全、環境防衛、経済の安
定性や持続的発展の可能性などを助ける社会システムの構築のことであ
る。しかし、この社会インフラの思想そのものは、生態学的文明論におい
ては、文明の環境装置群そのものではない。

 社会インフラというものは、国民の総意的な文明感性の統一性から生じ
るプラグマティックなシステム構成なのである。今の内閣や政治家たちの
姿勢には、この見識が思いっきり不足しているように思える。目的と手段
というように分けた場合、政府の言う社会インフラというものは、明らかに
手段に属することである。手段というものは目的が明確であって初めて成
立するものであり、手段が目的化することは、文明意識の愚鈍化そのもの
である。つまり、社会インフラを口角泡を飛ばして熱弁する政治家は、社会
インフラの文明的な思想や位置づけがまったくできていないのである。

 社会インフラは国や地域の統一的秩序をもたらし、その中で起こる文化
の多様性や将来に向けてのさまざまな意味における志向性に需要な概
念である。この概念は、結果として文明の重要な装置群の枠組みにはな
り得るが、それ自体はけっして目的ではない。重要なことは、社会インフラ
が成立するためのプリンシパルな土台に、文明の在り方、及びその方向
付けが絶対的に必要なのである。聖書では、神の言葉として「はじめに
言葉(ロゴス)が有った」と言っているように、インフラというものには、大
前提として文明観念の構築が絶対条件として必要なのである。

 我々の国家民族は、どのような文明世界に伝統として立脚しているの
か、そしてその文明思想をどのように継承し、どのように未来に発展させ
て行くのかというヴィジョンが先であり、これを国民精神として明確に意
識に刻み付ける必要がある。戦後の日本は明らかにその意味での伝統
的な文明意識を喪失しているのである。一つの端的な事例として、その
ことは戦後の社会インフラの無秩序性、雑然性に現われている。インフ
ラには、都市整備、道路網整備、教育機関整備、情報インフラ等、さま
ざまなジャンルがあり、社会性を構成するあらゆる要素に及んでいるが、
こういう社会インフラのハードが構築されてそれが機能するためには、
当然、それを統括的にオペレーションするソフトが要る。そのソフトにな
り得る思想が文明観なのである。

 文明こそ、人間が社会に存在するための最も基本的な土台なのであ
る。文明の生態史観を導入すると、私が言わんとしていることの大要は
理解できると思う。すなわち、国家や民族が健全であるためには、不断
なるオートジェニック(自成的)な文明の創出が必要なのであり、それは
受け継がれた伝統的文明観を継承することによって保全され、新たに
更新されて行くのである。ところがである。大東亜戦争の敗戦にまみえ
た日本は、戦勝国アメリカの言うがままに自国の伝統文化に疑念を持ち、
それを捨て去るか、あるいは思考停止に持って行くかという最も暗愚な
方法を取ったまま、六十年もの歳月を歩んできている。

 戦後の日本が行ってきたことは、文明の要素が存在しない、言わば魂
無きインフラであった。そのために戦後の日本は、その偉大な潜在力を
発動して世界に冠たる経済大国の地位を得たが、国民はけっして真の
満足にいたることはなかったのである。なぜなら、日本が得た経済大国
という地位は、一見自生的な発展には見えるが、それは、我が国特有の
文明観や国柄を無視して行われたために、産業革命的な大量生産、大
量消費の限られた範囲でしか効果のない発展に帰趨し、戦後文明の新
たな創出にはなんら寄与するものではなかった。そのために、バブル以
降、平成の日本は極端に国家的生命力が低下してしまったのである。

 日本はもともと高度な社会インフラを築き、それを地道に発展させて行く
能力があったが、それは民族の共同体的統一性が取れていたからであり、
自分たちの文明というものを強く意識していたからに他ならない。戦後日
本の鬼神も驚くような経済発展は、ただ、焦土から脱却したいという願望
に絞られたからである。それでも、戦前文明のオートジェニックな精神性
は、わずかだが残存しており、その遺産で経済的な国力を築いてしまった
とも言える。

 逆に考えれば、文明的な土台を持たずにあれだけの経済発展を成し遂
げた事実は、それだけ日本人が持つ潜在的ポテンシャルが巨大であるこ
との証左となっている。私は、今描いている戦艦大和シリーズでは、文明
の確かな証として各時代時代に、その文明の本質から抽出される何らか
の“美”が社会や環境に反映されるということを大きなテーマとして強調的
に取り上げている。

 明治、大正期の国策的な国家神道は、それが国家統一の原理的な指
針とされていた戦前でさえもそれなりの批判があった。GHQによる「神道
指令」によって明治以来の国家神道体制は崩壊したわけである。我々戦
後の日本人はそのことを、明治政府が国家体制の強化のために無理や
り造った、本来のネイティブな神道とはまったく異なる人工的な神道大系
が崩壊したというように理解している。国家神道は日本の伝統文化に対
し、確かに少なくない弊害をもたらした。その一つを言えば、神社合祀令
による鎮守の森の大幅な減少がある。

 しかし、考えてみれば戦前文明は、この国家神道を一つの求心力とし
て進んできたことは間違いない。私が言いたいことは、このいびつだっ
た国家神道を全否定することによって、そこに込められていた、何か重
要な日本的伝統的精神が忘却され、それとともに日本人が文明を創出
するという、民族生存の基本原理そのものが埋没されてしまったのでは
ないのかという基本的な疑念にある。これについては、短い説明は困難
であり、そのうち綿密に考えてみたいと思っている。

 要は、幕末から明治新体制発足にかけて、この当時の日本人が強く志
向したことを第一に考える必要がある。それは、国家崩壊を招く国内動
乱を敢えて起こしてたとしても、欧米列強に対して強力な防御力を持つ
新たな国家体制を樹立するという一念にあったことである。欧米列強に
対等に対峙できる国造りを明治政府が目指した時、何が最も適切な国
家体制なのかという深い考察があったはずである。その結果が天皇を
軍神として立憲君主体制を確立し、国家神道を基層に置いた明治新体
制が案出されたというわけである。当時はそれが最適と思われた国家
体制であったということがある。今、国家神道は、さまざまな批判や糾
弾を浴びているが、それはほとんどが全否定に近いネガティブなもので
ある。

 問題はその「全否定」ということにある。ここで考えてみなければなら
ないことは、“戦前文明の核”としての国家神道は、はたして全否定さ
れるべき悪玉なのかということにある。こういう視点も必要だと私は思
うが、それは日本という国に滔々と流れていた「日本文明の水脈」が
国家神道という求心力によって、大東亜戦争敗北まで護られてきたと
いう視点を持つことである。国家神道とは、天皇を軍神としてシンボラ
イズするために急拵えされた、ある種の硬直的な国家装置として機能
したことは否定できない。にも関わらず、それが日本人の文明的感性
をきちんと保ってきた役割を果たしてきたことは誰も指摘していない事
実である。

 天皇は、日本にあるすべての神社の頂点にある祭司の長でもある。
多様な神道系列の中で、国家神道というある種の単純化、統合化が
行われたことは、国家共同体の結束力を、防衛の方向に統一強化す
るためでもあった。この時期に欧米列強が軒並みに帝国主義化して、
日本もそれに合わせるために帝国主義へと変貌したと見るのは早計
である。日本が明治以来、国策とした「富国強兵」は、欧米と同列な
力による覇権主義への道ではなく、国家防衛、文明防衛としての意味
が強かったのである。

 軍事面で海外に太刀打ちできる十分な装備もまだ保有していない維
新の段階で、日本文明を継承し、しかも国際的に自衛の力を有すると
いう国家喫緊の方向性が定まった時、明治からの国家神道体制を無下
に全否定する者達は、自分自身が、それに代わる有効な国家護持の
主体性を、どのように持ち得たのかを提示する必要があると思える。そ
の提示を明確に為し得ないままに、国家神道を一言の下に全否定する
ことはけっして論理的な態度とは言えないだろう。

 戦後日本は戦禍で荒廃した焦土の中から、衣食住の充足だけを考え
て、必死に産業経済を立て直し、その勢いで高度経済成長を成し遂げ
た。しかし、この線形的な国民ダイナミズムには文明継承と創出の意志
が欠落していたのである。そのために、特に平成に至ってから、我が国
は軍事のみならず、経済体制までもアメリカの膝下に奴隷的に踏みつけ
られてしまったのである。アメリカの完全属国化が小泉内閣によって加
速的に進行してしまった現代日本の様相は、まさに、戦後、わずかなが
ら残存していた日本文明の残滓が、漸減し、それがまもなく消えうせてし
まう瀬戸際に突入したことを示しているのである。

 日本文明の残滓という言い方は甚だ奇妙ではあるが、我々日本人の
DNAはしっかりと保たれているわけであるから、その残滓を文明の種火
だと考えれば、それがいきなり燃えてきて、文明を再興することは充分に
可能だと考えている。日本が再び独自の文明国家に復権するためには、
論理の力以前に、日本人ならではの美的な覚醒が必要となると考える。
言い換えるならば、日本人に文明的な覚醒が起こらない限り、現在のア
メリカによるアロジェニックな強制性からは絶対に脱出することはできな
いということである。

 今の日本人が陥っている巨大な錯誤とは、社会インフラが上手く行け
ばそれなりの文明が築かれると考えていることにある。それはまったく
逆である。まず初めに日本文明への覚醒が為され、次にその文明の方
向性が確立されることである。これによって初めてインフラが整えられる
のである。

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2006年6月 1日 (木)

たわいない夢、されど慟哭

 明け方に、悲しい夢を見て目覚めた。猫の夢である。夢の中で
あるから自分が何歳頃なのかわからなかったが、感覚としては、
多分若い自分の様だった。場所は見知らぬ田舎ではあったが、
感覚としては、そこが故郷の田舎であり、家からさほど離れてい
ない小川のそばである。

 辺りには田んぼと用水路があり、その用水路は今と違って護
岸工事も施されていない小川で、両岸にはさまざまな草が繁茂
する昔の小川であった。夕方になって私はいつものように、その
場所へ釣りに出かけていた。ポイントを探して草むらを移動して
いると、ふと足元に白っぽい小さな物体が目に入ってきた。夕暮
れ時だったので、それは紙袋か肥料袋が捨てられていたのかと
思った。

 目を凝らしてみると、その白い物体は横たわって動かない猫だ
った。「うわっ、猫の死体かよ」と、一瞬たじろいだ。

 猫は手足を伸ばしたまま、無残に横たわっていたが、目は開い
ていて、その目が自分の目と合ったとき、何と、その猫はかすか
に鳴いたのである。その猫は瀕死の状態であったが、まだ生きて
いた。彼は私を見て、やっと聞き取れるくらいの弱々しい声で
「みゃー」と鳴いたのである。

 その瞬間、私は悟った。その猫は一週間前に、私の家に迷
い込んできた生後四ヶ月くらいの子猫であった。仕事で出かけ
ていた両親が帰宅するまで、その子猫と一緒に遊びながら過
ごした。夕方にはすっかり、その猫を飼う気になっていたが、両
親が頑強に反対したため、がっくりしながらその猫を捨てに行
った。どこに捨てていいのかわからなかったので、戻ってこない
くらいだと思える距離を歩いて、その小川の場所に来た。そこ
はいつも釣りをする場所であった。

 後ろ髪を引かれる思いで、その猫に、「ついてくるなよ」と言っ
て立ち去ろうとしたが、子猫は何度も後をついてきて鳴くので、
途方に暮れた。私は「駄目だ」と強く怒鳴って、猫を対岸の草
むらに向かって放り投げた。今度は静かになったので、ようや
くあきらめてくれたのかと思い、重く沈む気分で家路に着いた。

 今、目の前に無残に横たわって力なく鳴いているその子猫こ
そ、自分が放り投げたあの子猫だった。草むらに横たわった
子猫の傍らには大きな岩の塊があり、子猫の背中には傷が付
いていた。私はあることに思い当たり、愕然とした。あの時、こ
の子猫を放り投げたせいで、子猫は岩に叩きつけられ、そのま
まこの状態で動けなくなったのかと・・。子猫は一週間も横たわ
ったまま、動けずに生きていたのである。

 私は膝を折って、その子猫に謝った。「ごめん、許してくれ、
悪かった」と。涙がどうっと出て、子猫に顔を近づけ、懸命に謝
った。慙愧などと言うものではない。取り返しの付かないことが、
一週間前のあの時に起きていたのである。

 嗚咽で顔を地面に近づけて子猫に謝っていた時、子猫は一
緒に遊んでいた時と同じ表情で私の顔を舐めてくれたのであ
る。何度も力なく・・。しかし、そのまま子猫は完全に動かなく
なった。私は、ただただ慟哭するしかなかった。ここで夢から
目覚めたのである。思えば不思議と言うか、奇妙にリアルな夢
だったので、目覚めてもその光景と夢の中の情動はしばらく留
まっていたくらいだった。

 ひょっとしたら、私は幼い時分にそれと似たことをやったの
ではないだろうかと、今、自分を疑っている。人間には、都合の
悪い記憶を無意識にしまい込んでしまう場合があるそうである。
目覚めたら、足元に飼い猫のシロが眠っていた。こいつが、テ
レパシーで夢に物語を送ったのかな、などと思いつつ、眠い目
をこすったら、涙で濡れていた。

夢というものは、ほとんどの場合は非論理的であり、出てくる
光景は無彩色に近く、前後の脈絡がない。雰囲気としては論理
よりも情動の世界である。しかし、今朝の起き掛けの夢は、妙に
リアルで起承転結がはっきりしており、物語がそれなりに完結し
ていた。小さい頃、この夢に類似したことをやっていて、その記
憶を深層意識に閉じ込め、ある程度、年齢を経てから贖罪意識
とともに表層に夢として浮かび上がったのであろうか。

 何というか、夢の光景がリアルということよりも、自分の心に惹
起された強い情動が奇妙にリアルなのであった。それは慟哭と
呼ぶに相応しい感情であった。夢というものはもう一人の自分を
知るよすがであるとは思うが、見た情景以外の解釈は自分には
できない。フロイトだったらリビドーだとか、わけのわからない難し
い言葉を使いながら性衝動か何かに結びつけるのだろうな、など
と思ったら、あの子猫にとても済まないような気になった。フロイト
は嫌いなのである。人間の性的な側面を、あたかも、その精神的
存在の本質のように捉える自虐的な学問に見える。

 こんな落ちにしかできない、たわいない夢の話を書いた。(笑)

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