ブナ林とイワナが象徴する日本的原風景
時々、故郷の渓流を想い出すことがある。私は中学一年まで、秋田県の
雄物川水系のひとつである玉川沿いに住んでいた。この玉川に注ぐ支流
の渓流にはイワナが豊富に棲息していた。私にとって、ブナ林の渓流とイ
ワナは鮮烈な想い出として胸のうちにある。イワナという魚は私の少年期
の沢遊びの象徴だった。イワナと言っても、日本には全域的に何種類も分
布し、その上、地域や河川によって固有の斑紋や色合いを持つから、地域
によってイワナ(岩魚)という淡水魚のイメージは微妙に異なっている。
私が親しんだイワナは、東北地方であるから、調べてみるとニッコウイワ
ナという日本固有亜種で、冷水の流れる河川の源流域付近に生涯を過ご
す陸封型の生活史を持つイワナである。白い斑紋ははっきりと出ていて、
魚体腹部には鮮やかな茜色に近い橙色の輝きを放つ固体もいた。
私自身は渓流釣りはあまりしなかったが、当時は山沢に分け入って、イワ
ナ釣りの得意な同級生の友人の釣りを眺めているのが好きだった。私自身
はイワナを釣り上げてそれを食べるということよりも、イワナの魚体を見るこ
とが何よりも好きだった。だから、時々は水中眼鏡とモリを持って膝くらいま
での水位の浅い水流に入ってイワナを突いたこともある。その際、水中眼
鏡で渓流の淵を覗いたり、岩の下にいるイワナのそのままの姿を見るのが
楽しみだった。気が付くと身体をすっかり冷やし切って、唇が紫色になって
がたがた震えていることもしょっちゅうだった。
源流域の水温は15度C以下であったから、子供とは言え、長く沢水に浸
かっていることは大変だった。イワナの居る沢にはカジカという小さなハゼ
科の魚も居て、その姿や顔つきはユーモラスであった。これを水中眼鏡で
上から眺めていると、保護色になっていて川底の砂や石ころの色と非常に
見事に同化していた。中にはババカジカという比較的大き目のカジカがた
まにいて、これは串に刺して炙ると何とも香ばしくて美味しかった。イワナ
は水中で見ると、生き生きとしていて、ほとばしる渓流水の透明な質感に
よく調和していた。その美しさは観ているだけでもうっとりとして時間も忘
れる思いであった。
小学校の四年生ころであったと思うが、近所に私よりも四つくらい年下
の男の子がいて、家は養鱒も営んでいたが、彼はニジマスには目もくれ
ず、イワナだけに目を輝かせる私と同類の少年だった。ある日、イワナ釣
りに出かけようとして、竿や道具を用意していると、オラも連れて行けとそ
の子にせがまれた。その子は、釣ったら小さいのはオラにくれと言ったの
で、小さいのはやるよと念を押してその子を同行させた。狙っていたポイ
ントに真っ直ぐに着いて、私はいきなり尺を越えるイワナを釣り上げた。と
ころがそのあとは当たりがまったくないので、やむなく引き上げることにし
た。
すると、その男の子は、そのイワナはオラのものだからよこせと言った。
私は「なんでだべ?これデケェじゃねえか」と言ったら、その子はこう切り
返したのである。「あっちで見ていたら、ちっちゃいイワナに見えたから」
と。何のことはない、遠近感である。笑える話だが、これは本当のことで
ある。もちろん私はそのイワナを譲渡しなかったが、彼の欲しいという切
ない気持ちは痛いほどわかったので、「ごめんな、今度な」と言ってなだ
めたが、彼は半分なきべそをかいていたように思う。この手のエピソード
の大半は忘却の彼方にあるが、数多く私の記憶にしまってある。今の子
は、ここまでイワナにとりつかれることがあるのだろうか。昔の子供がと
りつかれた魚や昆虫に代わって、今の子が64ビットのデジタル映像に
とりつかれているとすれば、彼らの情緒を涵養する空気の匂いや、本物
の生きた自然の色彩はいったいどこから入ってくるというのだろうか。・・
話を過去に戻そう。
私自身はフィッシングのスリルや支配感を楽しむことよりも、人里離れた
ブナ山の渓流に、このような美しく精悍な姿をした鮭科の淡水魚が息づい
ているということ自体が不思議であり、自然の懐の深さを強く感じていた。
特に周囲が鬱蒼と茂るブナ林であったことは、この魚の神秘性をいやがう
えにも高めていた。私がよく出かけたその渓流域はマムシの多さでも有名
な場所であったが、イワナの姿を見ているうちに夢中になり、マムシのこと
はいつも忘れていた。実際にマムシの姿は何度も見ていたが、襲われるこ
ともなかったから危険を感じたことはなかった。
私は当時を思い出すたびに、沢遊びの光景を写真に撮っていたら、その
アルバムはどんなにか人生の貴重な宝物になっていただろうかと考える。
なぜなら、その場所は今も存在しているが、かつての場所ではなくなってい
るからである。渓流も照葉樹林も、つまりブナ林も残ってはいるのだが、最
も大事な要素が欠落していたのである。それは樹齢が高いブナやミズナラ
の木がほとんど伐採されて消失していたという事実である。私がそこから
離れていた40年近い歳月のうちに、渓流沿いの景観や生態系にどれだけ
深刻なダメージがあったのか、再び訪れた時に一目でそれを悟ったのであ
る。その衝撃は大きかった。私が子供の頃とりこになっていたあの神秘な
空間、あの底知れぬ、昏(くら)くて深い玄妙な森がいっさいなくなっていた
のである。
数十年の経時的体験は、同じ人間の感覚を変えることはあるだろうし、
目に映る世界への価値の持ち方、意味の汲み取り方、感じ方も変わって
くることは大いにありうる。人の感性というものは、子供から大人になるに
従って、変わるものと、変わらないものと、新たに出てくるものと、失うもの
があるようだ。また、海外体験も内面を変える大きな転機にもなるかもし
れない。しかし、樹齢の経た、太くて樹高のある大型樹木の林立しない
奥山は、すでに先祖たちが見慣れてきた深山幽谷とはまったく違う空間と
して、その存在主体を差し替えてしまったのである。そのことは観る者の
経時的主観の差異としてではなく、現実的に、プラグマティックに山そのも
のが変容してしまったことを意味するのである。老いた樹木の存在しない
森は、押しなべて明るい若草色に染まり、その景観はいたって奇怪であ
る。
山肌はどこを見てもゴルフ場の芝原のように無味乾燥な明るい緑一色で
ある。どこの自然林にも共通するあの心地よい濃淡、あるいは微妙な色彩
のフラクタルな諧調性がまったく見えないのである。要は、場所が同じで
も、はるかなる古代から息づく、あの悠久の自然林としての自己同一性を
完全に喪失しているのである。妙な言い方であるが、これは戦後憲法が帝
国憲法の自己同一性を喪失していることと位相的には同じことである。人
工的な開発が行われた形跡は一切なかったのだが、樹齢の経た大木がほ
とんど見当たらない光景は、里山、深山(みやま)を一つの生命体として見
た場合、これはかなり重篤な病気に罹っていることを示している。
この風景は、極端な言い方をすれば、ゴルフ場の芝生と同質の無残さ
を持つ。今から八年前のことになるが、はるか昔の記憶をたどって、私の
魂の故郷とも言えるあの懐かしい渓流に36年ぶりに行ってみた。地元の
釣り名人の同級生が同行してくれ、その渓流で中型のイワナを一匹すぐさ
ま釣り上げてくれたのだが、その沢は、私の記憶に鮮明に残る渓流とは別
ものになっていた。だから、私は当時の光景を写真で残しておけたらどん
なにかいいだろうと思っているのである。もっとも、写真や動画撮影でさえ、
当時の命ある光景が生き写しで記録できるとは思わないが、それでも鮮明
な記憶を引き出す有効な鍵にはなるだろう。
写真は、紅茶に浸したマドレーヌの味から過去を鮮明に意識したプルー
スト効果のようなものではなくとも、当時の私の心象風景を引き出してくれ
たと思うのである。当時、カメラは高価なもので、ガキの身分である私など
には到底持てるものではなかった。今はデジタルカメラや携帯カメラがあ
り、まさに隔世の感がする。当時の渓流入りの光景を撮影していたなら、
生涯、そのアルバムを見るたびに鮮明な過去蘇生が惹起できて、どんな
に豊かな追想の旅を満喫できたかと思う。その光景は何もイワナを追いか
けたことだけではなく、春の山菜採りや秋のキノコ狩り、あけび狩り、山ぶ
どう狩りなどでも、その渓流域は私の重要な場所であった。特に秋の紅葉
のころになると、その渓流沿いの色づきの見事さは何物にも代え難い夢幻
の光景を現出していた。
そこは、渓流の清冽なる空気と、日光に乱舞しながらほとばしる水流の
輝きが加わって、そこにいるだけで私は幸せな気分になっていた。周囲の
木々が真紅や黄色に色づく中で、アケビが真っ青になって熟しているので
ある。紅葉の中に特徴のあるアケビの葉と蔓を見つけ、注意深くそこを見
ると、陽光に輝き美しく誇らしげに藍色や青紫色に色づいてぶら下がって
いるアケビを発見するのである。その時は興奮して何度も歓喜の声を上げ
たものである。そのアケビは、故郷では「水アケビ」と言われていて、その
外見は濃い美しいブルーである。中身は、黒いたくさんのタネを宿した可
食部分があり、それはあたかもカエルの卵のように透き通っていた。食べ
てみると、とろりとして特に上品な甘味が強く、なめらかで瑞々しい食感が
口中に伝わるのである。これは至福そのものだった。
今思えば水アケビはどのようなお菓子よりも贅沢な味だった。両親に誉
めてもらいたくて、大き目のものは中身を食べずに持ち帰った。両親は喜
んだが、その理由は中身よりも、その真っ青なアケビの肉厚な皮に対し
てだった。アケビの皮は中が純白である。そこに味付けした味噌を塗って、
炭火で炙るのである。両親はそれをニコニコ顔で旨そうに食べていた。も
ちろん、子供の私はそんな苦いものは食べ物ではないと考えていた。山
ワサビと同じで大人にならなければ賞味できない味だったのである。
玉川にはイワナに限らず、ウグイやマスなどいろいろな魚が生息していた
が、私は特にイワナが大好きだった。あの美しい流線型の魚体や独特の
斑紋は山の神様の芸術作品である。上流の堰堤にはかなり大型の岩魚が
泳いでいるのを目にしたこともある。陸封棲息の淡水魚でも環境によっては
かなり大型になるようである。イワナが謎の淡水魚と言われるのは、棲息
流域環境が深い天然林であることと、時々、びっくりするような大型固体が
いることにも起因しているのだろう。源流に近い沢の想い出は私の少年期
の原体験と重なっている。
(これは現在のその渓流である。水は清くイワナもい
るのだが水量はかなり減少していて、沢筋全体が陽
光で明るい。つまり大木がない源流域なのである)
ブナ林にイワナあり、イワナが川に居るとか居ないとかを突き詰めると、
山の生態学的な健康、バランスの問題に行き着く。間違っているかもしれ
ないが、原流域の冷たい渓流に生息するイワナやヤマメが一定の棲息数
でいる川の山林は生態学的に健康なのである。私は、ハタハタの増減も
川の源流域の生態系の健全さに関わっているものとみている。また、日本
沿岸部の砂浜退行の問題や、ハタハタの産卵環境悪化の状態は、河川
流域や源流域の生態的な保全がしっかりと恒常的に行われているのかに
関わっていると思う。特にブナやクヌギ、ミズナラなどを中心とする、植生の
多様な照葉樹林などがしっかりと根付いていることが重要である。
このようなことは、多くの人たちに言い古された感は否めないが、日本人
全体が国民理念として持つべきことがある。それは、山、河川、河川流域、
そして海辺の自然が単純に独立した空間ではなく、それぞれ有機的に密
接に繋がっていて、大気的に、生態学的に巨大な、あるいは繊細なサーキ
ュレーションを持たなければ列島の自然自体が健全ではないという事実を
国民が認識する必要があると思っている。
日本人は明治以降、欧化策を取り入れ、それは大戦以降ますます顕著
になったが、欧米化を不用意に日本列島に取り入れると国家的民族的な
自己同一性の保持に重要な瑕疵をもたらすことを早く気が付くことである。
欧米近代主義の文明は、不断の自然破壊、自然征服のアーキタイプを持
つ。日本民族は縄文のいにしえから神道文明の基層を保持してきた。それ
は自然と馴染む文明のことである。これは、自然との同化、調和を民族心
性を核として持ち、その性向を生活に取り入れてきた連続した過去がある。
神道的文明とは、自然と和むこと、自然に畏敬の念を持つことを文明の型
とする在り方である。自然と一体になり、人間社会の調和を体現する文明
精神はかつては政治にも反映していた。たとえば聖徳太子の十七条の憲
法にある、和をもって貴しとなすは、民族的共同体の核を形成する精神で
ある。日本人は、石ころ一つ、草花一本に多様な神を感じ、心を観て取る
民族である。
今の日本は、こういう民族心性を封印してアメリカ的な物質文明に心を奪
われている。私は河川源流の世界、源流域の空気を求め続けることは、失
われつつある日本特有の天然林を憧憬し続けることであると考える。理由
はそこに日本型文明の源泉があると思うからである。現代文明、特に都市
文明の視点から見るなら、河川源流域の世界は逃避的で狭隘な世界であ
り、失われ、置き忘れた過去の原風景である。しかし、日本人は縄文の時
代からこの原風景に馴染み、そこから日本人特有の精神性を涵養してきた
のである。「水清ければ魚(うお)住まず」などと言って、清澄な源流的風景
を好まない風潮も根強くあるが、そこには、精悍かつ美麗な容姿をしたイワ
ナが元気に泳いでいるのである。神道的感性の根幹は限りない静けさと
清浄感にある。そして自然に対する畏敬の念と深い祈りなのである。ここ
にある限りない静けさへの希求は日本人の内面の原点であり、それは環
境を乱さず汚さない社会を営む型を持つのである。江戸時代の日本は、あ
る程度この形が完成されていたのではないだろうか。私はこれを、人類次
世代文明のアーキタイプとして活かすことが日本民族の使命だと考えて
いる。
化石燃料や原子力燃料をこれでもかと燃やし尽くす産業革命型の燃焼
文明はすでに破綻の様相を見せている。時期はずれの大豪雨や台風で、
今国土は散々な目に遭っている。戦後に単一樹種の植林で荒れ果てた
山々は異常な降雨を潅水する能力を持たず、泥土や土石流が里を埋め尽
くす被害が毎年続発している。そのことは、アメリカ大陸や、アジアを含め
たユーラシア大陸も、一様に激越な異常気象に遭遇していることを見れ
ば、日本以外も同じ原因による気象変化を蒙っていることがわかる。地球
バイオスフィアは二酸化炭素による大気的撹乱で一時的に恒常性を失い、
人類を痛めつけるだろう。しかし、いずれまた恒常性(安定期)を持つこと
になるだろうが、その時、人類は現代技術文明という化石燃料完全依存
の文明形態を変えざるを得なくなる。この時、何がモデルになるのかを問
いかければ、それは我が国の神道感性を基盤に入れるしか道がないこと
に気が付くであろう。ここに日本民族が経過した2666年の皇統時間が役
に立つのである。
国土とは、分割できる有価証券の一種だというような経済資本主義的な
考えが国民を支配しているが、国土とは国家の庭なのである。国家の庭
はそこに生きる人種と同様に国土的連続性を持つ。また土地とは生命を
生み出し、生命の継続性を担保する場でもある。国土とは、列島全体に
生命同志のつながりを保全する有機的な媒介であること、また、それは
悠久の時間を耐え抜いてここに存在しているかけがえのない過去の歴史
を背負った実体であることなどを思うことが大事である。イワナとは里山の
奥の原流域に位置する日本型自然の象徴である。
何万年も昔に、イワナが陸封されて現在の渓流に生き残っているという
事実に深い畏敬の念を持つ必要がある。昨今は、ブナ林の保全とかイワ
ナやヤマメを大切にしろとか、皮相的、局限的な環境保全思想が出てい
るが、我々生物はこの地球上に、この生物圏(バイアオスフィア)に単独
では存在できないという自覚が必要であり、その感覚を文明の基層的要
素として取り入れる姿勢は喫緊を要すると思うのである。注意していただ
きたい。単独では生物の存在はないという存在認識こそ、日本文明、す
なわち神道文明の枢要的な概念なのである。
ここに生物学者の今西錦司博士が発見した共生的生物相の生態学的
概念があり、欧米世界が自明のもとしているダーウィン的進化の仮説を真
っ向から否定する考え方が日本人から生まれているのである。日本人の
共生調和の思想は、古くは神武天皇の八紘一宇思想に見られ、近くは大
東亜共栄圏構想となって出てきている。日本人のアーキタイプにはこの調
和の形があるのであり、それは日本列島固有の調和的かつ恒常的な自
然から培われたものなのである。それが日本的進化論の骨子であり、文
明の骨格である。
産業革命を契機に人類が起こした現代文明の最大の瑕疵は、環境問題
と大量破壊兵器の過剰生産、過剰備蓄にある。殺戮兵器とは一方で大規
模な環境破壊を招く。生産において環境エントロピーを増大させ、その使用
において結果的に何百倍何千倍の環境エントロピーの増大を招く。そうい
う黙示録的な現状世界の打開に最も必要な思想は、この地球にとって持
続可能で環境負荷の少ない文明モデルである。それこそが、縄文以来進
化してきた我が日本の神道感性である。しかし、日本人自らが鎮守の森
の思想を忘却した今、まず日本人自身がそれを思い起こす必要がある。
それは日本文明への根源的回帰である。
奥山の原生林を通る渓流空間は、忘れられた日本民族の瑞々しい原初
的精神の象徴なのであり、民族の美的感性の中心である。これが基本と
なって過去の日本人は「豊葦原瑞穂國」という始原的な農耕文化を形成し
平和的共存の原点を持ったのである。奥山の清澄な渓流に何を見、イワ
ナに何を感じるか。それは里山の奥にある天然原生林の原初的な光景
なのである。熊襲を征討し蝦夷を平定した日本武尊(やまとたけるのみこ
と)は、伊勢の国に入り、能褒野(のぼの)という地で崩御した。息を引き
取る前に故郷の大和を偲んで詠んだといわれる有名な歌がある。
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる
倭しうるはし
この歌は日本人全体に共通する故郷の原初的心象風景と言われるが、
ここに描写される風景の中心には、原生的ブナ林を流れるイワナの住む
渓流があるのである。
欧米の自然収奪型の文明は終焉を向かえている。これからは過去の日
本の調和型共生型の、環境に負荷をかけない、内面的な精神性を涵養す
る文明形態に転換して行く方向性が模索されるだろう。我が国の神道文明
とは、地球環境(ガイア)の恒常性を志向し、それを祈る心から成り立って
いる。イワナとブナ林は、私個人の懐古的逃避性を意味しているのではな
く、日本が悠久の自然とともに生きてきた稀有な国家であること、また、そ
の文明形態が、山川草木と調和する固有の形を持っていることを確認する
指標なのである。
渓流の清澄な水流とは、本来の日本人の精神そのものなのである。
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» 気のいい火山弾 ブナ林の保水力の理由(わけ) [宮沢賢治の風 かぷかぷハッピーカレンダー]
月齢 19.7日
■ブナの保水力■
ブナの森は「緑のダム」と呼ばれるほどに保水力が高い。
「たとえば手入れの行き届いた杉林などに入ってみるとわかりますが、スギ以外の植物はほとんどなく、下草もあまり生えていません。
もし雨が降ると雨水はすぐ幹を伝....... [続きを読む]
受信: 2006年8月 2日 (水) 08時38分
» 海を守るため、川の上流に豊かな森をはぐくむ――森は海の恋人運動 [人間学を学ぶブログ 「こころは超臨界」]
1989年に宮城県気仙沼湾の漁民たちが始めた植林活動「森は海の恋人植樹祭」が今年も6月5日、岩手県室根村の矢越山「ひこばえの森」で開かれます。気仙沼湾を守るため、海に注ぐ大川の上流に豊かな森をはぐくもうという営みです。 [続きを読む]
受信: 2006年8月 2日 (水) 09時25分










コメント
山水庵 様
はじめまして。コメントありがとうございました。私にとりまし
ては最も嬉しい内容の投稿です。
岩魚などの渓魚にとりつかれ、はてはブナの森にたどり着く。
私とほんとうによく似ています。私も、東京に住んでで仕事をし
ていたこともあり、都会的環境も肌で知っています。しかし、
田舎の原生林体験はひと時も忘れたことはありませんでした。
日本は世界一、多様性に富んだ自然林を誇っています。
しかし、そのような原生林は戦後の単一人工林に置き換えら
れて数少なくなっています。これが日本人の民族性に与え
た悪影響は測り知れないものがあると思います。
日本人の民族性のほとんどは、日本固有の自然風土から
出来ていると私は考えております。その自然が荒廃すると
いうことは日本人自身も本来的な姿から遠ざかることを意味
します。
都会と田舎、都市文明の浸透は必然的に原生林を駆逐
するという欧米的な視点では、日本の文明復興は無理で
しょう。むしろ都市文明を包括する森林文明の思想を創っ
ていく必要を感じます。
山水庵様のサイトを見ました。すばらしいブナ林の写真
です。眺めているだけで楽しい思いをしました。四季折々
のブナ林の姿を楽しませていただきます。(^^)
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 高橋博彦(管理人) | 2006年11月26日 (日) 18時24分
「ブナ林とイワナが象徴する日本的原風景」を興味深く読ませていただきました。少年のころの体験と記憶が基礎にあられることもあり、これからの地球運営の方向性が大変な説得力をもって伝ってまいりました。
私もいつのころからか渓魚に惹かれ、渓魚を追い求めていたらブナにたどり着いていました。そしてブナはいろんなことを教えてくれました。渓魚はもとより、山や山里、都市、そして海にいたるすべての動植物を豊かにする文明の要だったことを知り、ブナこそが日本人の精神の根源であるといっても言い過ぎではないと思っています。私がブナに惹かれていったのは日本人として当然だったのかもしれません。
おっしゃるとおり、「今の日本はアメリカ的物質文明に心を奪われて」いて、神道文明である自然共生型の思想も霧散してしまい、日本人からは世界に類を見ない自然環境の恩恵というものは忘却されています。という私も若いころは、ご多分に漏れず欧米型自然収奪文明の洗脳をうけその恩恵を享受してまいりました。現在もその文明の凝縮する都市で、その文明の規範に組み込まれた企業活動の一端を担っております。しかし、このような日本人の精神を忘れてはなるまいと、時間を見つけてはブナの森に身をおくようになりました。「まず日本人自身が森の思想を思い起こす必要がある。それは日本文明への根源的回帰である」そのとおりだと思います。自然共生的文明への回帰をすこしずつ模索していきたいと思います。
こんな思いで山野の放浪を綴ったつたないブログを立ち上げましたので、お時間のあるときにでもご覧いただければ幸いです。
乱文失礼いたしました。
投稿: 山水庵 | 2006年11月25日 (土) 23時15分
Tmakura様、コメントどうもありがとうございま
した。「晴釣雨巻」を少し読ませていtだきまし
た。
秋田のザッコの話、興味が尽きません。現代版
「釣りキチ三平」ですね。(^^)
投稿: 高橋博彦 | 2006年8月21日 (月) 09時03分
高橋さんトラックバックありがとうございました。
非常に興味深い記事で大変参考になりました。
これからも覗きにまいりますのでよろしくお願いします。
事後報告となりましたが、お気に入りに追加させていただきました。
投稿: Tamakura | 2006年8月18日 (金) 13時04分
ようちゃん様、コメントどうもありがとうございました。酪農規模がアメリカ型にならって大型化していることは、連続性を持った過去からの生態学的環境を思いっきり破壊しているということですね。しかも、それは環境ホルモンなど、マイナスの安全要因を恒常的に生み出してしまった。農業に限らず、アメリカのグローバルスタンダードを日本が受け入れてから、日本社会や環境が加速的にガタガタになってしまいました。たとえばおっしゃった様な酪農の大規模化と、日本全域における郊外型大規模店の進出は里山の自然を余すところなく破壊しており、それは景観だけではなく、子供の情緒教育の観点からも深刻なマイナスととなっています。アメリカの経済合理主義は、効率と効果だけを狙い、生き物や環境の生態学的な調和や強い相互依存性をぶち壊すものです。まさにアメリカの文明の型は自然を破壊するだけではなく、社会の仕組みそのものも市場原理至上主義に換えてしまいました。日本には日本独自の土地柄、固有性が自然環境に限らず、人間社会の構造にあるわけでして、その条件や基盤を一切考慮せずにアメリカ型に切り替える日本の主導者たちの主体性のなさ、売国感覚は相当ひどいものであります。アメリカに心を売る日本人が最悪でなんです。
投稿: 高橋博彦 | 2006年8月 1日 (火) 18時53分
http://okaiken.blog.ocn.ne.jp/
北海道の東の果ての、根室台地は野鳥の宝庫であった。ほんの30年前までは、春になると騒がしいほどの野鳥の囀る声が聞こえたものである。しかし、その賑やかさはいつとはなしに、懐かしいものになりつつある。その時代の、三分の一程度の減少してしまっている。正確には、その分カラスやスズメやカモメが増えているから、鳥の数ではそれほどの減少ではないかもしれないが、鳥好きにとっては寂しいものがある。人間生活に依存する鳥が増え、本当の意味での野鳥が減っているのである。(中略)
あるいは酪農に直接関ってきたものにとっては、酪農の飼養形態が大き く関っているものと思っている。この質問に多くの人は、森を切って牧草地にしたからだと言う回答を用意する。しかし、増えた牧草地は30%もない。所によってはまったく変わりない地域でも、野鳥の減少は著しい。かつての牧草地には、小さな昆虫が沢山いたものである。野鳥は餌に欠くことはなかったと思われる。多収量を目指して、牧草の品種が改良されて早刈りになった。おかけで、野鳥たちは子育てをする間もなくなった。化学肥料の散布量も増えてきたし、放牧の減少などで糞尿が発酵することなく牧草地に還元されるようになった。そうした複合的な要因が原因でないかと思われる。酪農が大型化、高泌乳化することで、結果的に野鳥が追われる羽目になったものと思っている。しかし、この酪農も含めて農業の大型化は今後避けて通れない道なのであろうか?大地にも野鳥にも負荷のかからない農業こそが、持続可能な農業だと思うのであるが、日本はいま規模拡大しない農家は政策的に支援しない方針をとりつつあ
る。ーーーーー自然放牧しなくなった酪農が牛乳には環境ホルモン残留のままの牛乳を大量生産する体制を作り出したし、年中妊娠し放し状態で搾乳する機械扱いをした牛の健康問題が、人間にも様々な複合問題を起こしてるのです。
でもこれは氷山の一角のと思います。こういう農薬やホルモン残留の土壌は海へ雨で流さされて行きます。
投稿: ようちゃん | 2006年8月 1日 (火) 14時05分