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2006年9月29日 (金)

この国は人形芝居型国家なのか?(高橋清隆氏を紹介する)

 ここに記載する記事は、植草一秀氏の逮捕に関してもそうだが、私
(高橋博彦)と同様の、あるいは極めて似通った視点で、昨今の社会
現象を捉えている方の文章である。彼の名は高橋清隆(きよたか)氏
である。私は彼と会っていろいろと話をしたが、さまざまに生起する最
近の社会事象や、戦後の日本の歩みに対して、非常に鋭敏かつ深い
洞察力を持ったお人だと感じている。私は彼からいろいろ重要な示唆
を受け取った。

 今の日本を取り巻くメディアのバイアスのかかった空気や、それに巻
き込まれていながらも、そのバイアスに気がつかず、何にも疑いも持た
ずに偏頗な報道を鵜呑みにする人々。そういった昨今の日本の気持ち
悪さ、それが案じさせる危険な方向性を、高橋清隆氏も、私と同じく強
い憂慮の念を持って眺めている。このブログで今後も彼の文章を披露
して行こうと考えている。

 以下は高橋清隆氏が、植草報道に関して、特に警察の第一次発表
そのものにも「おいおい、ちょっと待てよ」という感じを持つことや、その
情報源を元に、あまたのメディア類が書き散らかしている記事や報道が、
問題の核心から逸れた興味本位の偏頗なアウトプットとして世間に放
散されていることなど、これらの背後に屹立する巨大なリバイアサンの
姿を冷静に直視し、分析している。

 そういうメディアの節操のなさや報道管制的態度が、この国のメディ
アには明らかに存在する。それを奇異に思わない今の日本の不気味
な空気・気配というものを、清隆氏は社会学的に鋭敏な視点で的確に
衝いている。皆さんにも是非お読みいただきたいと思う。

                   「神州の泉」管理人  高橋博彦

*****************************

   9月26日(火)

 人形芝居型国家
                     

                            高橋清隆

 今日、大田区の蒲田署に行ってきた。植草一秀名古屋商科大学客員教
授の逮捕事案について、詳しい話を聞くためだ。植草教授は電車内での痴
漢容疑で逮捕され、13日たった今も拘置されている。2年前にも手鏡を使
ったのぞき容疑で逮捕され、有罪判決を受けたが、本人はえん罪を主張し
ていた。

 氏は小泉改革批判を一貫して厳しく展開している。先回は同種の事件と
しては異例の家宅捜索まで行われ、今回は会社のパソコンまで差し押さえ
られている。その一方、報道では「被害者」と「取り押さえた男性2名」が知
り合いなのかどうか、植草氏がどこから乗ったのかも触れられていない。そ
の上、「被害者が声を上げたため近くにいた男性2人が気付いた」とする記
事と「目撃していた男性2人が取り押さえた」という記事の2通りが存在す
る。短い警察発表を基に、各紙が憶測で書いた証左に見える。不明な点は
はっきりさせなければならない。

 「フリーライターですが」と署の受付に行くと、当事件の責任者であるとい
う副署長に内線連絡してくれたが、「一切お答えできません」との返事だっ
た。その上、「取材は警察庁の広報室で報道機関の登録許可を得てから
来てください」とくぎを刺された。

 植草教授はまだ容疑段階にあり、自身の会社のホームページで潔白を
訴えている。しかし、「容疑否認」の続報を出したマスメディアは時事通信
と『スポーツニッポン』だけだった。『毎日新聞』に至っては唯一の記事で
「否認」の文言もない。わたしは神でないから、真実がどうかは知るよしも
ない。しかし、「公正・中立」を旨とするマスコミ人が容疑者と犯罪者を同
一視し、氏を常習変質者と決めつける興味本位の記事も繁殖している。
権力と闘っているつもりのジャーナリズムが自分の足で取材せず、警察
発表を垂れ流すだけの機関に堕していることに失望する。

 植草氏は某誌9月号で、りそな救済に絡む竹中平蔵らのインサイダー
取引疑惑を指摘したばかりだ。近日発売予定の暴露本があったとのうわ
さもある。記者たちはこうした重大な背景を念頭に、小さな事件も慎重に
扱うべきではないのか。しかし、そうさせないものがこの国の報道体制に
あるのかもしれない。記者クラブに登録しなければ取材が許されない。記
者発表以上のことを発表者の意に反する方向で書けば、後で上司を通じ
て怒られることになる。大抵それ以前に内部で削られる。運良く載れば、
記者クラブから外され、何も情報をもらえなくなる。職に有りついているた
めには、つまらない発表資料でも、ほかにコメントをもらえなければ、それ
で書くしかない。記事がないよりはましである。万が一生活するに十分に
お金があって、独立できたとする。フリーで登録できても、危ない記事を書
けば、今度は直接狙われる危険性が常につきまとうだろう。住所も連絡
先も提出しているからである。

 植草事件に限らず、新聞やテレビでは問題の核心を欠いた空疎な議論
がよく展開される。マスメディアを覆う深い闇は、こうした"会員制"取材管
理体制を装置に維持されているのかもしれない。

 昨年の「郵政国会」のとき民主党の桜井充参議院議員が、米国から出
される「年次改革要望書」について取り上げた。郵政民営化への指示も、
これに明記されている。竹中大臣は同文書の存在を知らないと答えたが、
前年の衆議院予算委員会ではその存在を認めている。どの新聞もこのこ
とを報じないばかりか、今に至るまで「年次改革要望書」という文字を一
切載せていない。

 8月ごろから、医師不足が問題にされ始めた。NHK総合「特報首都圏」
では、少ない医師状況を創意工夫で乗り切る各地の事例を紹介した。毎
日新聞の「闘論」では、医師不足を偏在性と見る識者と絶対数不足と見
る識者の意見を併記していた。地方の医師不足は2002年と2006年の
2度にわたる診療報酬のマイナス改定と医局制廃止が原因なのは明らか
だ。報酬が下がった結果、地方の零細な診療所では経営が悪化し、閉鎖
が相次いでいる。改革によって自由選択が始まる前は、国家試験に合格
した研修医は出身大学の医局に残ったまま配属先の病院が人事で決め
られた。わたしは医療の専門家でも何でもないが、『奪われる日本』関岡
英之(講談社現代新書)を読んで初めて合点がいった。小泉首相は米国
の要求に応え、民間保険会社に医療保険商品の販売市場をつくるため
医療費の患者負担の相次ぐ引き上げを実施した。これに反対する日本
医師会が郵政民営化法案に反対する自民党非公認候補を応援したため
の報復が診療報酬の引き下げと言われる。マスコミが「医師の名義貸し
問題」を騒ぎ立てて医局制廃止に貢献したため、これを原因に挙げない
のはまだ分かる。しかし、医師不足問題を取り上げるとき、専門家も含め
なぜマスメディアは診療報酬の改定に触れないのだろう。

 わたしの取ってる全国紙は、「農業コンクール」や「街元気シンポジウム」
などを所管官庁の後援で開いている。「農業コンクール」の上位入賞事例
は、毎年紙面に掲載される。今年は40万羽を目標に規模拡大に挑む養鶏
所や26ヘクタールの茶畑を経営する製茶メーカーなど。社説は規模の拡
大を絶賛し、講評として大学教授が企業家意識と専門化を歓迎した。しか
し、農水省の統計によれば、前回の調査から全国で5000の集落が消え、
今年ついに全国の過疎地比率は50パーセントを超えた。米国が要求し続
ける農業自由化が着実に進んできた結果である。農水省は農地法を改正
し大規模化・法人経営化を促進しているが、新聞は成功事例を紹介するば
かり。根本原因である食管法廃止を論じたり、自由化がもたらす弊害を扱
った記事を見たことがない。

 6月末に開かれた「街元気シンポジウム」は、都市計画法と中心市街地
活性化法の改正を機に開かれたもので、座談会と基調講演の内容、「が
んばる商店街77選」の受賞事例が新聞に掲載された。商店街の衰退問
題はNHKでも新聞でもよく取り上げられるテーマだが、「シャッター通り」化
を招いた最大の原因である大店法の廃止に言及したものを見たことがな
い。日米構造協議で米国に撤廃を要求され、相次ぐ基準面積緩和の末、
2000年に全廃された。今回の特集紙面も隅々まで見たが、原因に言及
することなく、創意工夫で乗り切っている商店街を礼賛しているだけだっ
た。前中小企業庁長官の基調講演は特にひどい。「弊害の原因はそんな
に難しいものではない。モータリゼーションや住み方、あるいは街の将来
像を考えずに公共施設を郊外に移転してきたことも原因だ」ととぼけた挙
げ句、「やはり商いをする人たちの工夫が大事だ。9割の商店街が疲弊し
ていると言ったが、逆に言えば1割の商店街はにぎわっている所もある」
としゃあしゃあと言ってのける。自分たちが外圧に押されるまま廃止した
大店法に触れたくないのは理解できなくもないが、誰もこれに言及しない。

 秋篠宮殿下に親王が誕生したことで、2600年にわたって国体を守って
きた皇室滅亡の危機は一時的に回避された。引き続き検討しなければな
らない皇室典範見直しについて、NHKの「時論・公論」や新聞紙上でも議
論が行われている。世界に例を見ないほど永きにわたる王室を断絶の窮
地に追い込んだのはGHQである。天皇本家を残し、11宮家の廃絶を強
制した。占領統治後は日本人の心をまとめる装置などない方がいいとの
判断からだろう。11宮家が皇族離脱したことに触れるマスメディアはある
ものの、「皇族復帰は国民の理解が得られるものでない」「この選択肢は
もはや現実的でない」などと論外な主張として片付けている。

 それぞれの問題について、どんなに詳しい専門家や勉強秀才たちが難
しい言葉で議論を続けたところで、肝心な部分に触れないのでは永遠に
解決に至ることはない。前小泉政権は、よく「劇場型政治」と言われた。メ
ディアで訴えて得た国民の支持を武器に、党内で反発のある改革を次々
と断行するスタイルを指すのだろう。しかし、それだけなら大衆政治という
平易な言葉で済まされる。米国が操っていることを、わたしはこの言葉に
含ませたい。その意味で、人形芝居と言った方がいい。劇の語り手であ
るマスメディアは、人形使いの存在を知らないふりをし続ける。演目は政
治にとどまらず、社会的事件、音楽や映画など文化、スポーツなど国民
生活全般に及ぶ。大衆は人形芝居の観客。子どもが語り手に反して本
音を言うとしかられ、それに耳を傾けては職を失う。ただし、劇を見ている
限り、現実は直らないのである。このお芝居は敗戦からずっと続いている
のではあるまいか。


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2006年9月25日 (月)

国思う者を救うのは今(植草先生は無罪)

    
 下記は前回記事へ、underdog 氏から寄せられたコメント投稿である。

 あるとき、京浜急行に乗っていたとき、車中を移動している人達がいまし
た。よく見るとその中心に監察医の上野正彦先生がいました。有名人も電
車に乗るのだと感心しました。引きつれていた人達は年配の女性たちでし
た。明らかに彼女らはボディガードでした。有名人が電車にのるときは、そ
の位の注意は必要と思いました。

 なるほど、まったくその通りだと私も思う。植草先生は官邸サイドを中心と
する売国謀略勢力が放った監視チームに、常時監視されているという自覚
が不足していたと私も思う。しかも、酒を呑んで電車に乗ったのはうかつな
ことだと思う。それでも私は植草先生のことをおもんぱかってこう考えてい
る。彼が狙われるそもそもの原因の巨大さ、重さを考えれば、仮に植草先
生が電車に乗らないように極力注意していたとしても、別の状況で今回の
ような目に遭わされていたのではないだろうか。

 植草一秀という、斯界ではそれなりに知られ、かつては新進気鋭と言わ
れて強い嘱望を浴びた有能な経済学者がいる。彼は、天賦の才能である
その鋭い知性を駆使して日本経済を分析していた。そのうち、日本経済の
動きと、小泉内閣の施政方針及びその政策実践の相関関係を調べて行く
うちに、この政権が志向するある重要な政治ベクトルにはたと気が付いて
愕然とし、熾烈な怒りを持った。

 植草先生は、小泉経済政策に横たわる政策的な根幹に一本の揺るがな
い対米隷従構造を発見していた。第一次小泉内閣の折、植草先生は小泉
総理や竹中経済財政政策担当大臣と直接会って、彼らの間違った政策を
正すべく、日本の国益にかなうまっとうな経済政策の考え方を具申してい
る。(この辺りの経緯は「失われた5年ー小泉政権・負の総決算(2)~(6)」
にも出ている。)

 しかし、小泉や竹中の売国為政者たちは、植草先生の国を思う正当な経
済政策を無視し馬鹿にした。その上、彼らは植草先生を構造改革に反抗す
る最も悪質な経済学者として位置づけたのである。植草先生はこのときか
ら彼ら官邸サイドの監視下に置かれたと私は思っている。推測ではあるが
植草氏が今回、冤罪逮捕の直接のきっかけとなったのが、「マル激トーク・
オン・ディマンド 第283回(2006年09月01日) シリーズ『小泉政治の総決
算』その5 小泉内閣は改革政権にあらず  」に語られている下記の内容
である。


しかし、植草氏は小泉政治にはより大きな罪があると言う。それは、「構造
改革」の名のもとに行った様々な制度改革はその内実をよく見てみると、実
際はこれまで日本の政治を支配してきた旧田中派の建設・運輸関連と郵政
関連の利権を破壊し、それを小泉氏自身の出身母体となっている財務・金
融利権へと塗り替えただけでのものに過ぎないというのだ。そこには国民
の生活をよりよくするなどの「国民の側に立った視点」はまったく欠如してい
る。しかも、その「利権の移動」を、アメリカの後ろ盾で行いながら、アメリカ
のファンドなどにはしっかりと稼がせているという。これが、植草氏が、小泉
改革を「売国奴的」とまで呼んで酷評する最大の理由だ。

                            

 つまりこういうことである。小泉は、日本が背負ってきた旧田中派が有し
ていた金権利権の自民党を否定し、日本の旧弊構造を破壊して構造を刷
新するのだと気炎を上げて、旧経世会の流れをくむ橋本派を事実上、日本
の政治史から葬り去った。小泉たちはこれを、現行構造改革の必須事項
として大いに喧伝した。これで日本を腐食させていた「利権政治」は終焉し
たと歓喜の合唱をした。ところがである、植草一秀先生はこれに最大の欺
瞞を発見しているのである。それが上の記事にある「利権の移動」という
驚くべき事実である。植草先生は、りそなに絡む国家的インサイダー取引
よりも、こっちの方がはるかに悪質だと言っている。

 植草一秀先生が小泉政権を批判した悪の本質には、二重の国民を裏切
る構図が存在していたのである。一つはりそな疑惑、もう一つは橋本派
つぶしの実態が、実は「利権移動」にあったことである。
後者の方がは
るかに悪質だと彼が言うのは、これによって国民に期待を抱かせた構造改
革の本質が、小泉政権を儲けさせるために行われていたという驚愕すべき
内実だったからである。すなわち財務・金融利権への塗り替えである。先
生は、これらの詳細をこれから世間に暴露する途上であったと思われる。

 皆さんも考えてみるといい。植草先生はその正義感から、その義憤から、
小泉政権の悪を糾弾する覚悟を決めたのである。しかもその告発的言動を
単独で行う決心をして、あちこちで言い始めたのである。彼自身も鋭敏な察
知力を持つ方であるから、当然、監視されていることは百も承知だったと思
う。しかし、彼が単身で立ち向っていた先の疑惑・疑獄の巨大さを思ってみ
ればいい。ことは小泉内閣だけではなく、アメリカの肝入りが絡んでいるの
である。こういう国家的怪物、すなわちリバイアサンを相手にして、どんな硬
骨漢であろうとも毎日毅然として気を張っているなどということはできない。

 考えたことがあるだろうか。命を狙われるストレスを抱え、それでも悪の告
発に踏み切っている単独生身の男というものを。その独りの男が耐える精
神のあり方を。それがどんな重圧かを。我々が植草先生の踏み切った凄惨
な修羅の道をどれほど想像できるというのだろうか。並みの覚悟ではこれ
は出来ないのだ。

 しかし、植草先生とてこの重圧を持続したままでは精神が持たないはず
である。酒でこれを緩和したいと時には思うことだってあるだろうし、その極
限的な緊張から解放されたい瞬間だってあるはずである。こう言うと悪意の
ある連中は、「ほれ見ろ、だから植草はその緊張緩和のために女子高生の
尻を撫でたんだ」と即座に言うだろう。違う。国民と国家の行く末を腹の底か
ら思い、命を賭けている者は酔っていても絶対にそのようなことはしない。
それを性癖として持つ者なら、最初から命がけで国家を護ろうとする発想は
出てこない。毎日AVでも鑑賞しているQOL(生活の質)に身を置いて居る方
がよっぽど安全で楽しいだろう。

 なぜ植草先生が性犯罪者に仕上げられねばならないのか。それは彼の
名誉を徹底的に貶めるためである。その犯罪でなければならない理由は、
彼が社会に言論を発することを封じるためである。言論人としての植草先
生の価値を完全に否定することが謀略サイドの目的なのである。それに
は植草先生の人格を全否定する痴漢犯罪者が最も都合がよかったから
にほかならない。冤罪を殺人に仕立てた方が決定的であろう。しかし、何
もしていない植草先生には犯罪事実も動機もないわけであるから、下手
をすれば謀略側の犯意や工作が発覚して世間の耳目を集めてしまう。そ
こで以前の手鏡汚名の経緯から考えるならば、仕掛ける側が最も安全で
確実な方法こそ、痴漢犯罪であったということになる。

 謀略側がただ植草氏を謀殺した場合、植草氏の書いたことや言論活動
は世間の関心を引く可能性が強い。しかし、彼の名誉を完全に剥奪するこ
とによって、彼の経済学者としての人格的信用性、そして社会的信用性を
完全に剥奪して置けば、彼が何らかの理由で亡くなっても、世間は彼の言
論を知りたいとは思わないだろう。今回の植草先生の逮捕の目的はそこに
収斂しているのだ。今回の謀略側の意図は、植草先生のすべての小泉政
権批判の信憑性を、完全な形で地に堕とすことを狙ったものなのである。そ
この部分をよく考えて欲しい。

 謀略側の思惑が、その最初の段階に成功した今、次に何が起ころうとし
ているのか、そのことをどうか皆さんも考えて欲しい。それは植草先生自
身の口を永久に封じることなのである。植草一秀謀殺の危機は単なる思
い付きではない。そのことは、これまでの経緯から導き出される、きわめ
て明確な論理的帰結なのである。

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2006年9月24日 (日)

植草一秀氏は今、謀殺の危機に晒されている

 これは冗談でも何でもなく、私は植草一秀氏の生存が脅かされている可
能性を真剣に憂慮している。それをブログに書く私を、あざ笑う者はいるだ
ろうが、ことはそのような些細な問題ではない。植草一秀氏が生命の危険
に最も晒されているのが今であると感じているのだ。その理由をざっと述
べる。

 前回の手鏡事件は確実に冤罪である。植草氏と小泉政権が以前から
政策展望において根底から対立していたことは事実である。植草氏は国
益毀損型の小泉経済施政を舌鋒鋭く批判し続けていた。手鏡事件以後も、
植草氏は身の潔白と共に小泉施政、特に「りそな銀行騒動」に絡むインサ
イダー取引の疑惑を、株価の動きや金の動きから、経済学者として指摘
していた。宮崎学氏主催の「直言」での一連のリポートも、彼の訴えたい
ことが、りそな銀行関係に収斂していることが見えてくる。

 これが官邸サイド、特に竹中平蔵や小泉総理、その取り巻き連中の決
定的な危機感を招き、植草氏は手鏡破廉恥男の汚名を着せられた上に、
今回の痴漢逮捕劇を演出されてしまったのである。

 背景には官邸サイドが絡む国策捜査が働いたと私は確信している。そ
の理由を私なりに述べ、今後のブログで展開していくつもりであるが、本記
事では至急言わねばならないことがある。謀略で植草氏を拘束し、無実の
植草氏に性犯罪の汚名を着せ、世間に対する彼の言論表現を封じるにし
ても、今回の痴漢逮捕劇には謀略側の焦りが感じられるのだ。植草氏を
憎む連中側の、何かしらの緊急性が感じ取れるのだ。

 今日から二日後の26日に、国会召集が行われて竹中平蔵の辞任発表
が出るまで、謀略サイドは植草氏に、絶対に言って欲しくない、あるいは書
いて欲しくない理由があったのかもしれない。それが何であるのかわから
ないが、もしかしたら、そのことは植草氏を突然襲った不幸の中の僥倖で
あったのかもしれない。なぜなら、謀略側の緊急性がどのような理由であ
ったにせよ、それによって今の所は植草氏の「謀殺」が回避されているよ
うな気がしているからである。しかし、植草氏の身はけっして安全ではな
いと思っている。

 今回の植草氏の痴漢逮捕はあまりにも唐突であり、それを仕掛けた側
の焦りが感じ取れると共に、二度と植草氏に政権批判をしてもらいたくな
いという熾烈な意志が見えてくる。この記事を見ている皆様方にも是非真
剣に考えてもらいたい。

 もしも、もしもである。植草氏が行っていた政権批判の中に、小泉政権
絡みの重大な経済事犯が存在していたとしたらどうであろうか。しかもそ
れが国家的な規模の経済犯罪だとしたらどうであろうか。植草氏のリポ
ートで最も重大なポイントは、小泉政権の失策というレベルにはないかも
しれない。それは、りそな銀行に絡む、金融危機不安の演出による株価
暴落と、新自由主義経済政策の根幹的精神である小泉お得意の「自己
責任論」を放棄してまでも政府資金でりそな銀行を救った、その一連の動
きの中にあるのかもしれない。

 世間は表面的にはこう受け止めた。小さな政府論をうんざりするほど絶
叫していた小泉や竹中は、りそなに関してだけは自己責任論を回避して
金融システムの安定化を最優先とし、ケインズ経済的な政府救済を臆面
もなく行った。それを眺めていた経済通たちも、おい何だいこりゃ、まった
く変節もいいところだなと思ったに違いない。

 しかし、りそなの真の問題はそんなところにはなく、実はこれら一連の騒
動の中で、その動きの本質を植草氏が一番言いたかったことは『政府犯
罪』の実態だったのだろう。彼が指摘するように、政府が金融不安を恣意
的に煽ることによって、株価を一気に下落させ、それが底値であることを
「知っている」何者かが、底値買いを行い、竹中がりそなの救済に政府資
金を供与して、株価が再び上昇に転じた頃合を見計らって、売り抜け、ま
たは、その後の株価上昇を睨んで保持し、膨大な儲けを手にした、あるい
はこれから手にする可能性があるのだ。ここで外資が動いていたと植草
氏は指摘する。

 つまり、植草氏は、小泉政権は政策上の失敗で日本経済を破綻寸前ま
で導いたが、その副産物として二つの出来事が日本に生じたと言ってい
る。一つは、本来は生起しなかったはずの失業、倒産、自殺の地獄を招
来したことと、もう一つは外国資本が日本の優良資産を理想的な安値で
買い叩くことができたことの二つを上げている。文脈に気をつけて欲しい。
私には行間に込められた植草氏の本音が見える。外資の政府への介入
を、「小泉施政の副産物」だと植草氏は言葉や表現に最大の注意を払っ
て書いているが、彼が本当に言いたかったことは実はこうである。小泉政
権は、国会議員と、外資系ファンド(アメリカ金融資本)と、竹中に協力し
た一部民間人を含む政権協力者たちのトライアングルが構成されていた。
これら共謀者どもが起した巨大なインサイダー取引があったということで
ある。

 植草氏はそれを調べるために当時の関係者から事情聴取を行う必要を
説いている。小泉は基本的にはアメリカに都合のよい売国方針を貫いて
きたが、それだけではなく戦後最大の疑獄事件と言われるロッキード疑
獄事件を上回る、アメリカが絡んだ国家的経済事件を起こしていた可能
性があるのだ。そして植草氏は株や金の動きからその本質を正確に把握
したのである。

 従って、この疑惑が当たっていたとするなら、植草氏がすでに謀殺され
ていてもなんら不思議ではないのである。ところが前述したように、売国
謀略サイドには今それを実行できない理由があるのである。それが竹中
辞任の直前だというタイミングに関わることだと私は感じている。官邸サ
イドと警察が共謀したら、個人を抹殺することなどいとも簡単にできるだ
ろう。しかし、痴漢逮捕という事象を経ないで植草氏を殺めた場合、その
死の不自然さが世間の注目を引く。しかし、逮捕拘留という過程を経た
場合は、「絶望感に打ちひしがれて」といういかにもな自殺理由が出来
上がるわけである。だからこそ、今の植草氏の身は危険な状況に入っ
てきたと私は感じているのである。

 とにかく、私が今、最も憂慮しているのは、現在を含む今後の植草氏の
身の安全についてである。植草氏のリポート『失われた5年ー小泉政権・
負の総決算』を熟読してもらいたい。このようなことが言える者は完全に
身を捨てて、自身の命を捨てる覚悟をしなければ絶対に書けないことな
のである。植草一秀氏はその優しい風貌に似合わず、幕末から明治動
乱期以来の国士そのものである。不惜身命の極地の覚悟でこの言論活
動を行っているのだ。小泉や竹中のような屑、奸人たちが跋扈する今、
植草氏のような立派な人物を日本から抹殺してもいいのかと一国民とし
て真剣に思う。

 私が植草氏の命を案じていることが杞憂に終わるならば、それは幸せ
なことである。私が嘲笑されればそれで済むからである。しかし、謀略サ
イドの植草封じの意志が強靭であることがわかった今、植草氏は拘留中
にも自殺などの偽装によって謀殺死に追い込まれる可能性がある。それ
を防ぎたい一心でこの記事を発信する。

 皆さんには、竹中平蔵辞任のあとの植草氏の安否動向を気遣って欲し
い。彼の命が今、最も危ない状況にあるのは、マスコミがこぞって彼を性
犯罪者に仕立て上げていることだ。この状況は彼が絶望して自殺を選ん
だと当局が最も説明しやすい状況なのだ。

 何度でも言う。植草一秀氏は現代の武士道精神を最大限に実践してい
る救国のもののふである。こういう人物を生かすことこそ、国家再生の礎
(いしづえ)となる。よく考えて欲しい、彼が官邸の眼の敵になる重大な理
由があることを・・・。

 我々日本人は、いつまでも米国の膝下に甘んじていては駄目なのだ。
今のままでは大切な国富が消尽されるばかりか、植草氏のような有意の
国士までこの日本から居なくなる。こんな亡国状況をいつまで続ける気な
のだ。眼を覚ませ、日本人よ。



 参考図書

  1、  「あるべき金融」東洋経済新潮社 (著者:堺屋太一、刈屋武昭、
                              植草一秀 )

  2、   植草一秀「失われた5年ー小泉政権・負の総決算(2)~(6)」

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2006年9月22日 (金)

植草氏、すでに七回も示談あり、って何だ?

 おお、吉原炎上ですな。過疎地域の拙ブログがこんな風にアクセス
数が上がるとは予想だにしていなかった。ランキングでもやるかな。(笑)

 山崎行太郎先生、トラックバックありがとうございました。本当に恐縮
しております。

 さっそく先生の毒蛇山荘日記の記事、『「女性セブン」の情報源は? 
官邸? かな(笑)…。』から一部引用させていただきます。

 
 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/

 さて、「女性セブン」は、植草氏その後として、物凄い情報を出した
ものである。 植草氏は過去10回、痴漢による逮捕歴があり、そのうち
7回は示談が成立して、表沙汰になったのは今回を含めて3回だとい
う話である。

 そもそも過去7回の示談事件があったとすれば、前回の「手鏡事
件」の時、長い裁判期間が継続していたにもかかわらず、その示談
事件がいっさい話題にもならなかったのが不思議だろう。なぜ、今、
その7回の示談歴が、「女性セブン」で暴露されなければならないのか
              (毒蛇山荘日記より)

 まったくもってその通りである。それについて、下のテレビ番組で宮崎
哲也が、過去七回の逮捕歴は、当時植草氏が所属していた野村総合
研究所が揉み消したと言っている。宮崎はその情報をどこから仕入れ
たのだろうか。思うに、野村総合研究所が揉みつぶしたとしても、一回、
二回の示談ならともかく、七回も示談が成立した事実がまったくリーク
もされずに今まで保留されてきたということなのか。

 また、その発表がなぜ「女性セブン」なのだろうか。トドメの手榴弾を
なぜ女性誌に? 女性の敵、にっくき痴漢犯罪だからか。いかにも都
合よすぎないかなと思ってしまう。しかも、なぜ今になってから?

  http://www.youtube.com/watch?v=JhgFeMPtwOU

 印象操作風に言うなら、宮崎哲也は武部勤一家とご飯を共にする仲
だといつかテレビで言っていたから、野村総研の件は官邸サイドから
聞いたのだろうか。印象操作ではなくストレートに言うなら、宮崎は官
邸マンセーなのかな。(笑)

 このテレビ番組を見ていて、ふと感じたことがある。私は西村眞悟氏
の逮捕の時も、今回の植草氏の件のときも、テレビ番組で「国策捜査」
という言葉を聞いた覚えがない。それを聞いたのは今回が初めてであ
る。司会者が大きな声でその言葉を使っていた。

 テレビが、たとえ否定的な意味で使用したとしても、「国策捜査」とい
う言葉が放送された意味は非常に大きい。なぜなら、それを聞いた視
聴者が国策による捜査の意味と、植草氏事件の背後の謀略の可能性
を考えるからである。今までは、著名な経済学者・植草氏の性犯罪とい
う位相で観ていた人々が、たとえ面白半分にしろ、小泉政権のどす黒
い謀略性に思いを馳せるからである。

 もしかしたら、小泉政権の五年間には、巨大な経済犯罪疑惑が存在
し、植草氏がそれを指摘して、政府を酷評し始めたから狙われてしまっ
たのかなという視点が出てくるからである。国策捜査疑惑を否定するた
めにテレビが放った「国策捜査」というキーワードは、聞いた者の興味
を、性犯罪から国家的経済犯罪の可能性にいざない、植草氏の論評
が指摘する巨大な悪を浮かび上がらせる契機になるかもしれない。

 宮崎哲也いわく、

「だからね はっきり申し上げるけれども、彼の経済的な知識や彼の経
済理論と、彼の下半身がどういう方向性を持っているかということは、ま
ったく別なんですよ。ですから、彼は、私は更生して欲しいと思う。更生
されるためには、冤罪とかね、陰謀とかね、そういうことを言っちゃい
けないんだよ、治療させるべきなんだよ



 
下線の部分はかなり激高した感じで喋っていたが、なぜ宮崎がここま
で突出的に、陰謀説とか冤罪説を否定した上に、植草氏の治療に話の
落ちを収斂させねばならないのだろうか。その前に、前七回の逮捕歴に
ついてこうも言っている。「七回ほんとかどうか知りませんけど云々」。
 その七回の逮捕に信憑性が持てないのならば、後半で「治療しかな
い」という結論の持って行き方は奇妙である。彼の説明に矛盾点を感じ
るところがあるとすれば、七回逮捕歴には確信が持てないが、野村総
研がそれをもみ消したことについては断定していることである。野村総
研が揉み消した件が確定的な情報に基づいているのであれば、新た
に出た七回の逮捕事実も確定的な信憑性を持つと言わなければなら
ないのでは?

 テレビが視聴者にバランスの取れた受け止め方をしてもらうためには、
たとえば、10のいわゆる正当な意見を言う者に対して、1か2くらいの
反対の視点、疑問の視点を持つ者を配置するのが普通なのではない
だろうか。特にこの番組のように週刊誌記事を俎上に乗せて、あれこ
れ思ったことを語らせる番組はそういう風にするのではないだろうか。
警察の直接の発表ならともかく、週刊誌記事だけで情報源の確度が
保証されたかのような放送態度はどうなのだろうか。娯楽性に視点を
置く番組なら、なおさら反対意見があってもいいのでは?「女性セブン」
の記事の確度や権威ってのはそれほど高いのだろうか。


 私にはコメンテーターたちが、植草氏を「性的欲望を抑制出来ない男」
という前提に立ち、あとは治療しかないと言っている様子に対して、典型
的な印象操作であるとしか思えないのである。 
      

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2006年9月20日 (水)

植草氏逮捕に関するメディアの独断性と偏頗性

 植草一秀氏の痴漢疑惑逮捕のニュースで、私は、報道された情報をす
べて網羅しているわけでは勿論ない。痴漢事件が起きたときの電車内の
状況や、植草氏が駅の事務室で蒲田署員に引き渡されるまでの詳細な
情報は、はたしてどれくらい出てきているのだろうか。

 私の知る範囲では、一連の経緯をそれなりに報道しているのは、下記
のnikkannsports.com である。これ以上の仔細な報道が出ているのかど
うか私にはわからない。もしあるのなら、是非にも知りたいと思っている。

 (1)nikkansports.com[2006年9月15日8時14分]
 この電車は同10時8分に品川を発車。席は埋まっていたが、乗客の肩
が触れるほどは込んでいなかったという。女子生徒は前から3両目の車
両中央部付近に立っていた。セミロングの黒髪、身長は約155センチ。紺
のミニスカートに白のブラウス、グレーのセーター、白のハイソックスという
制服姿で、学校行事の準備を終え、1人で帰宅途中だった。調べによると、
植草容疑者は品川を発車直後から女子生徒の右背後に立ち、左手でス
カートの上から尻の右側を触り始めその後、左手をスカートの中に入れ、
下着の上から尻を触ったという。当時はスーツ、白いワイシャツ姿でネク
タイはしていなかった。右肩にバッグをかけ、左手に黒い傘を持っていた
が、女子生徒は、植草容疑者はこの傘を左手首に引っ掛けて触っていた
と話しているという。数分間触り続けたところで、女子生徒が泣きだし「や
めてください」と声を上げた。付近にいた30代男性2人が異変に気付き
「何やってるんだ」と注意。植草容疑者は黙ってうつむき続けたという。

      

(2)毎日新聞の記事の抜粋
  警視庁蒲田署によると、植草容疑者は13日午後10時10分ごろ、京
浜急行品川―京急蒲田駅間を走行中の下り快速電車内で、女子高生
(17)の後ろに立ち、スカートの上から尻を触った疑い。女子高生が「や
めてください」と声を上げて発覚。乗客の男性2人が植草容疑者を取り
押さえ、京急蒲田駅で同署員に引き渡した。  (毎日新聞 9月
14日)

 (3)Dialy Spoprts Onlineより抜粋
調べでは、植草容疑者は13日午後10時10分ごろ、京浜急行品川-
京急蒲田間の快速電車内で、神奈川県内に住む私立高校2年生の女
子生徒のスカートの中に手を入れ、下半身を触った疑い。女子生徒が
「やめてください」と声を上げ、目撃していた乗客2人とともに取り押さえ、
京急蒲田駅で駆け付けた蒲田署員に引き渡した。

 以上の三つの記事から最も気になる部分を抜粋して疑問に思うことを
書く。気になることとは、植草氏を取り押さえたと言われている二人の30
代男性の判断と行動の時系列である。

(1)の記事に見られる二人の男性の行動
==============================
 数分間触り続けたところで、女子生徒が泣きだし「やめてください」と声
を上げた。付近にいた30代男性2人が異変に気付き「何やってるんだ」
と注意。 
==============================

 これを読むと二人の男性は、女生徒が声を上げてから異変に気づいた
ことになる。

(2)の記事に見られる二人の男性の行動
=============================
女子高生が「やめてください」と声を上げて発覚。乗客の男性2人が植
草容疑者を取り押さえ、・・・・
=============================

 これも(1)と同様に、女子高生が声を上げたことで、二人の男性が発
覚したということになる。

(3)の記事に見られる二人の男性の行動
=============================
女子生徒が「やめてください」と声を上げ、目撃していた乗客2人ととも
に取り押さえ、
=============================

 これは(1)、(2)の記事と決定的に意味が異なってくる。すなわち、植
草氏を取り押さえた男性二人は、女子生徒が「やめてください」と言った
ときは、すでに植草氏の行為を目撃していたことになる。わざわざ「目撃
していた」と過去進行形で書いているのである。文脈から言ってそう受け
取るのが自然である。書く側は、重要な意味を持つ表現をぼかすことは
しないだろう。この記事から読み取れることは、痴漢を働いた者と被害
者以外の第三者の客観的な目撃があったことを示している。

 
 取り押さえにかかった男性二人について、上記以外の表現で報道され
た記事がまだあるのかもしれないが、少なくとも矛盾した報道が出ている
わけである。その矛盾の意味は非常に重大である。つまり、痴漢行為に
ついては、女子高生が「言ったから発覚」したということと、女子高生の声
とは別に、男性二人はすでに行為を目撃していたという二種類の報道が
出ていることになる。つまり、男二人が犯罪を確認した方法と、それに至
る時系列、因果関係が決定的に違うのである。

 被害者である女生徒本人が叫んだことで発覚されたことと、第三者が
女生徒とは別個に目撃していたこととは客観性の重さがまったく違って
くるのである。

 それにしても奇妙ではないか。蒲田署の発表ソースはあくまでも一つ
である。それを新聞各社が文字にして発表した時は、裁判的な意味合
いがまったく異なる二種類の報道が出たことになる。逆説的に考えれば、
蒲田署が報道関係者に説明した時には、この第三者の男性二人の目撃
証言について肝心な部分は語っていないことになる。(3)の記事は表現
上の勇み足の可能性が高い。ということは、植草氏の痴漢を指摘した
者は、その女子高生だけであったという可能性が非常に高いことに
なる。

 私がいくつかのニュースを見た感じを言えば、植草氏を決定的に犯罪
者だと断定する客観的な情報は何一つ出ていないことになる。しかもで
ある。「女子高生自身の証言によれば」という情報さえも目にしていない
のだ。私はここに、植草氏に関するマスメディア報道の恣意的な偏頗性
を感じるのである。女子高生自身の証言という表現もなく、取り押さえた
男性二人に関する確定的な情報もない。

 妙だとは思わないだろうか。女生徒、そして男性二人、この三名の証
言という確定性が曖昧な状況で、マスコミが逮捕記事を流している事実。
この状況で、はたして植草氏を犯罪者呼ばわりできるのだろうか。つまり、
今の段階で何が起きたのかと言えば、植草氏の件には、推定有罪の方
向性しか見えていないということになる。もう少しこの事実を敷衍すれば、
この三名の証言の不確定性を敢えて示すことに加えて、マスコミにいき
なり逮捕記事とワンパターンな前回手鏡事件の併置報道をさせることに
よって、国民にこの事件の誤った先入観を与えていやしないだろうか。す
なわち、三人も当事者がいるのに、彼らの証言が一切報道に出ていない
ことと、逮捕という言葉と過去の手鏡事件を併記、あるいは併置報道す
ることによって、国民に恣意的な刷り込み操作をしているように私には見
えるのである。これは植草氏の痴漢性癖が、あたかも既成事実であるか
のような印象操作そのものである。謂わば洗脳に近い構造になっている
とは思わないだろうか。

 発表されているものには、植草氏の有罪を特定する客観的な材料、
つまり、決定的な目撃証言に関する一切の情報ソース、及びその因果
関係は書かれていない。つまり、「スカート内に手を入れ、尻などを触っ
た疑い」という肝心な痴漢行為については、誰がそれを証言したのか
がわからない。常識的には、被害を受けたと称する女子生徒自身から
の証言を暗然と示しているかのように感じるが、それさえも書いていな
い。痴漢の場合は、被害者本人の証言を重視する推定有罪が有効で
あるから、女生徒の話だけで植草氏は痴漢行為を行ったとされたのだ
ろうか。その可能性は圧倒的に高い。

 身体に関する犯罪というものを一般的に考えると、普通は実行犯と
被害者の間には決定的な犯罪の痕跡が残る。決定的なのは、傷害や
傷害致死の場合は被害者に傷痕があるとか、極端な場合は被害者の
死という完全に眼に見える状態がある。同じ身体関係の犯罪でも、拉
致や監禁などは物理的な拘束を受けるという客観性が生じる。ただ、
名誉毀損などの心理犯罪の場合は、物理的視覚的な傷は付かない
が、心理的な傷を付けた原因となる文章や言動が記録されている場
合が多く、そういう意味でははっきりと犯罪事実が確認できる。

 しかし、痴漢被害の場合は、女性が被害を訴えるか、実行犯人を自ら
確保するまでは、わいせつ行為自体があったことは、通常、周囲の人
間には知られていない。周囲の人間がそのことを「気が付く」場合とは、
ほとんどが女性の訴えや指定を受けてからである。今回の植草氏の場
合にも、ニュースに出てくる二人の男性が、痴漢行為と同時進行的に
それを目撃していた可能性は限りなくゼロに近い。ならば、女性が故意
に、意図的に叫んである男性を指差しても、その男性を鉄道公安官や
警察に引き渡すことも大いにありうることだと考えなければならない。

 痴漢という犯罪は、ほぼ完全な隠匿性の中で行われるから悪質なの
である。従って、痴漢被害の場合に限り、人権を拡張的に考慮する立
場から、被害者の申し述べだけを根拠とする推定有罪が特例的に認
められてきたのではないだろうか。しかし、被害者本人以外の目撃が
ない状況で、どうやって被害者の訴えが真正なものと確認できるので
あろうか。それが痴漢冤罪ではないとどうやって証明できるのだろうか。

 「おれはやっとらん」という弁明が、被害者の言葉よりもはるかに軽い
のであれば、本当にやっていない場合は悪魔の証明以外にないこと
になる。そういう極端な非対称性を持つ犯罪が痴漢なのである。冤罪
が生起しやすいまことに厄介な犯罪である。女子高生が植草氏という
有名人を見て、ほんのイタズラ心で狂言被害者を装った可能性は除去
できないのである。その可能性もあるが、私自身は植草氏逮捕に直接
関わった女生徒と男二人が確信犯である可能性のほうが強いと感じ
ている。この件に関するかぎり、ことの真相は慎重にも慎重を重ねる
検証が必要なのである。

 ところが我が国のマスコミのひどさは筆舌に尽くしがたい。警察の曖
昧な情報源だけで、蓋然的に植草一秀氏を確定的な犯罪者扱いにし
ている。こんなことが法治国家で許されるのか。特にマスコミがある種
の力を有していて、それを行使するなら、それは権力の暴走を監視して、
国民に訴えることにあるのではないか。今のマスコミは、特に小泉政権
下のマスコミは報道陣としての魂を完全に亡失し、小泉独裁権力におも
ねる愚劣さを持ってしまった。現在の日本は事実上の暗黒社会である。

 もう一つは、テレビ報道の偏頗性である。このニュースに関して、テレビ
で報道する内容はネットや新聞で見るものとほとんど同じであるが、奇妙
なことにテレビ特有の猟奇趣味的で野次馬的な視点による取材を一切し
ていないようなのである。どういうことかと言えば、テレビはワイドショーが
特に典型的だが、有名人が事件を起こすと、必ずそれを取材に行き、周
囲の迷惑も省みずに、事件の関係者や周辺にいた人たちにあることない
ことを聞きまわる。それはほとんど事件の本質とはかけ離れたプライベー
トなことに重点を置いているが、少なくともテレビ独自のソースを見つけて
取材を行うのが通例である。テレビが独自の取材を行うのは、テレビが
文字メディアとは異なり、視覚メディアであることを示す存在証明でもあり、
矜持とも言える。

 しかし、不思議なことに、今回の植草氏に関することについては、テレビ
も警察発表ソースだけで止まり、独自の画像主体の取材活動を行ってい
ないように見える。アナウンサーやキャスターが、警察発表の新聞記事を
そのまま棒読みしている感じなのだ。各局とも、一様に、前回の手鏡疑
惑を強調し、電車内の件についてはテレビ独自の取材行動をしていない
ようなのだ。思い起こせば、前回の手鏡騒動の時も、テレビは駅構内の
混雑した映像のみを流しながら新聞記事と同じことを繰り返していたよう
に思う。つまり、植草氏の件に関しては、テレビの存在証明である関係者
画像を用いなかったのである。

 その気になれば、当日、現場に居合わせた者を一人や二人見つけて、
ワイドショーらしい覗き見趣味な質問を行っていたはずである。あるいは
未成年の女子生徒本人は避けても、その親兄弟や親族、近所の住民に
聞き込みに行くくらいは常套手段であったはずである。ところが、そのゴキ
ブリ的な生命力は、植草氏の件に関してはまったくと言っていいほど発揮
されていないように見える。テレビの有名人報道が、植草氏に関しては、
その定番的な下司取材を行わないということは、あらためて思うと不可解
である。

 うがって考えれば、これは昨年の郵政民営化時にテレビが、民営化の
背後で糸を操る、外資やアメリカの意図を報道することを一切禁忌にし、
徹底的に忌避したことと、どこか似通っているキナ臭さがあるのだ。宮
崎学氏の「大衆迎合的人道主義」という言葉を借りて言うなら、植草氏報
道に限っては、普段よりも極端な大衆迎合的人道主義が優先され、テレ
ビメディア特有の映像取材による検証がなかったような気がする。そのこ
とはとりもなおさず、テレビの報道視点が植草氏の件に関しては通常と
異なっていることを暗示している。昨年の郵政民営化総選挙前の一ヶ月
あまりのテレビ報道には明らかに報道管制が敷かれていた。それは一
貫して、郵政民営化推進の小泉擁護の報道視点であった。これに反す
る考え方や視点は一切封じ込まれたのである。この時、テレビが報道
世界の良心や魂、公平性を完全に亡失していたことは記憶に新しい。

 その時を髣髴とさせるほどあからさまではないにしろ、今回の植草氏報
道でも、テレビの視点は偏頗性を強く有している。つまり、事実を検証しよ
うともせず、はじめに植草氏の痴漢逮捕ありきという前提を、あたかも常
識であるかのようにセンセーショナルに伝えたのである。事実を伝えると
いう段階をすっ飛ばして、植草氏の決定的な社会的ダメージを構築する
ことが目的であったかのような印象を受ける。つまり、テレビや他のメディ
アが、今回の植草氏報道に本音のメッセージとして孕んでいたものは、
常態的に痴漢をするような性癖の植草氏の言うことはまったく信用できな
いでたらめなものなんだぞということである。警察発表に出た正確な情報
の異常な少なさと、メディアの偏頗性を足して二で割ると、権力を有した
第三者の策謀という線が浮かんでくる。

 つまり、あの当時の抵抗勢力と言われた政治家たちの論評を一切発言
させずに忌避し、封じ込めた気配と共通した匂いを感じるのである。植草
氏は竹中や小泉の憎悪の的である。それは取りも直さずアメリカの警戒
心を強く買っている人物ということなのである。それも植草氏自身は、アメ
リカにとっても、最重要クラスの抵抗勢力なのである。私は今回もマスコミ
が、特にテレビが官邸とタイアップして植草有罪論を祭り上げたような気
がしている。これは元をたどれば必ずアメリカの意図が働いていると言え
るだろう。

 郵政民営化は来年の2007年に郵政公社を民営化して本格的に始動
する。アメリカの垂涎の的である郵政資金が、彼らの仕掛けた自由市場
の罠に晒されるのが近づいてきている今、植草氏のような国益主義の経
済学者は最も邪魔な存在なのである。従って、推量できることは、今回の
植草氏の痴漢逮捕は、植草氏の全人格否定を的にした故意の偽装犯罪
だったという結論になる。その黒幕が国民に対して無言で示したことは、
植草氏の発言を信用するな、彼の書いたものは決して読むなという強い
サインなのである。だからこそ、この事件にきな臭さを感じている人は
積極的に植草論文、あるいは植草論考を読むべきである。

 新聞記事やその他のニュースでは、植草氏が推定有罪の可能性にお
いて逮捕されたのか、あるいは第三者の決定的な目撃をもって逮捕され
たのかまったく出てこない。見えるのは、とりあえずは逮捕拘留して置い
て、マスコミで徹底的にイメージを悪化させれば植草氏の言論活動は完
全に封殺できると考えているのだろう。立件が可能かどうかは後回しと
いうことなのか。

 被害者の女子高生と、植草氏を取り押さえたという二人の男性の素性
や背景を徹底的に調べてもらいたい。もちろん、蒲田署とは別の管轄で。
警察権力と無関係の人が調べることはできないのだろうか。二人の男性
はテレビや新聞になぜ出てこないのだろう。最後に言うが、植草氏の犯
行を示す客観的な情報は何一つ出ていない。そのうえ、被害者自身の
主観的な情報は、植草氏が左手首に傘を引っ掛けながら尻を触っていた
こと以外には何一つ出ていない。尻の触り方も二種類の報道が出ている。
(1)は下着の上から触ったことになっているが、(2)はスカートの上からと
書いている。これも判然としない。警察がその点もはっきりと言わなかった
ということなのか。

 出たのは、女子生徒が「やめてください」と言ったということだけである。
あと、彼女は泣いたそうである。警察は肝心なところを何も出していない。
にもかかわらず、マスコミは逮捕だ、逮捕だと検証もしないで花火を打ち
上げている。この構図をじっと見たら、植草氏が「はめられた」という疑念
がますます強くなる。また、「反戦な家づくり」というブログからたどったが、
「PJオピニオン」に無視しがたい記事が出ていた。

 「どこかのテレビ局では、事件が起こる前に、電車内で女子高生の
  「あー、植草だぁ~」という声が聞こえたという証言が紹介されて
 いたが、
女子高生の植草氏へのいたずらの可能性も残されて
 おり、
もしも、その可能性が出てこれば、事実関係の確認の前に、
 今度は女子高生叩きに走るだろう。」


  http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2452811/detail


 以上を踏まえて言うのだが、植草一秀さんの心情をおもんばかると、
心底胸が痛くなる。

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2006年9月18日 (月)

トンズラ小僧、竹中平蔵

 竹中平蔵総務相が15日に議員辞職表明をした。自分は小泉首相の補
佐として仕事をしたのだから、小泉純一郎の退陣と共に議員を辞職すると
いう理由を述べた。

 普通に考えて不可解なのは、郵政民営化法案の成立をあれほど矯激に
牽引した竹中が、任期四年を残して今退陣することである。一般的に考え
て、郵政民営化法案の是非を脇においてみると、竹中があれほど執心し
た郵政民営化の具現化というか、その後の推移を責任を持って見届ける
というのが普通であり、政治家の責任だと思う。たとえ、担当大臣を退い
ても政治家としてその行く末を見守る責務があるのではないだろうか。

 小泉の補佐役でしたなどと言ってあっさり辞めることは奇異な感じがす
る。あるブログで、竹中が退くことはキリスト教で言う、いわゆる良い知ら
せ、福音であると書いていた人がいた。まったくその通りである。この御
仁が重要ポストを続ければ続けるほど日本の国益が損なわれるからであ
る。竹中は、平成16年の参院選、自民党比例代表で72万票の獲得でト
ップ当選している。しかも彼は、小泉の支えで経済財政担当相、金融担
当相兼務、総務相を勤め、昨年の郵政担当大臣として総指揮的な牽引
力となっていた。

 こういう「活躍」は民間出の政治家では異例のことである。後ろ盾が、小
泉だけではなく、アメリカだからである。竹中は1998年、小渕政権の諮問
会議メンバーとして初めて政治に参加している。その後、森首相諮問機関
のメンバーとなり、IT戦略会議のブレーンを務めた。小泉は首相就任の年
(2001年)に早くも竹中を国務大臣、経済財政政策担当大臣に任命して
る。最初は学者として自民党のブレーン的な立場にあった民間学者が、こ
れだけ早期に重要な指導的ポストに就いているのは奇異である。

 小泉内閣発足当時、自民党員の竹中へのバッシングは凄まじいものが
あったのだが、小泉の異常なまでの庇護と不可解な力によって竹中は重
要な位置に就き、いつの間にか郵政民営化の強力な牽引力となっていた。
この頃は反竹中を標榜する自民党員は圧倒的に少数になっていた。小泉
がブッシュの後押しを盾にして睨みを効かせたからである。党内で竹中批
判が封じ込められたのは、反竹中の連中が竹中の背後にいるアメリカを
怖れたからである。これを見ると、郵政解散総選挙時にパージされた小林
興起議員やその他の反小泉議員が、いかに反骨精神が強いかわかるだ
ろう。彼らこそ、真に国民の期待を付託するに相応しい立派な政治家たち
である。それにしても、金融政策で、その強権を余すところなくふるった竹
中が、任期半ばで辞めていくのは通常の感覚ではいたって奇妙である。

 もし、郵政民営化が、竹中や小泉が国民に説明したように、民営化する
ことで経済の活性化を狙ったものならば、2017年の完全民営化に向け
て中心人物の竹中が、それまでの順調な郵政の民営化体制構築に目を
配っていくのが、彼の順当な政治姿勢なのである。それを小泉が辞める
から自分も出て行きますでは筋が通らないだろう。このような行動を見る
と、民営化が国益目的で行われたのではないということがわかる。要す
るに、竹中が心血を注いだ要点とは、郵政事業の民営化による経済の
賦活ではなく、国営郵政を解体して、その膨大な資金を、外資の跋扈す
る民間市場に開放するということだけであったことが見えてくる。つまり
は、関岡英之氏が憂慮し、小林興起氏が言う「郵政米営化」が真の目的
なのであった。

 小泉政権とは、小泉自身が語ったように、郵政民営化という政策実現
一本に絞られ特化された特殊な内閣であった。彼は自身の内閣を「郵政
内閣」と言った。彼らにとっては、郵政民営化法案の成立自体が悲願の
目標だったのである。もちろん、売国的民営化が目的であるから、当然
国家の計、すなわち民営化後の国家グランドデザインがあるはずもない。
デザインどころか、彼らは国家解体に尽力を傾けたのである。郵政民営
化法案が成立した今、竹中の最大の役割は終わったということである。
もちろん小泉もそうである。小泉は郵政法案に命を賭けると断言した。小
泉構造改革を頼もしく思う国民は、それを小泉の積極的なやる気だと好
意的に受け止めた。しかしその実態はこうである。小泉が年次改革要望
書の実現を、ブッシュ政権に期限付きで命令され、脅されていたのであ
る。彼は文字通り命がかかっていたのかもしれない。小泉と竹中は、マ
スコミを動員し、国民を詐術にかけて、どうにか郵政民営化法案成立に
漕ぎ着けた。それ自身が目的だったから、彼らは今後の日本には興味
がないのである。

 竹中が政治家として、今後の動向を見守ることを辞退したのは、これか
ら、郵政の膨大な国富が消尽され、日本経済が壊滅的に失速する現場
に責任者として居たくないからである。まだ国民がことの真相に気が付く
前に逃走する魂胆なのである。山崎行太郎先生も言っていたが、竹中は
国益を害する構造改革をやりたい放題やり散らかして、早々に逃げていく
やり逃げトンズラ野郎なのである。あとは野となれ山となれ、日本が瓦礫
の山となろうがどうでもいいのである。

 彼がアメリカに行こうと、どこに行こうと日本を大企業、金持ち優先の酷
薄な格差社会に切り替えた罪は重い。前時代的に大仰な言い方をすれ
ば、日本の魂をアメリカに売り渡した小泉や竹中は、畳の上で往生でき
ないばかりか、無間地獄に真っ逆さまに落ちることになる。

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2006年9月17日 (日)

神州ノ尊 神州ノ美

Photo_4

    ◎黒木大尉の末期の目に浮かんだ麗しい日本


  このブログは立ち上げてからほぼ一年になった。私がこのブログを立ち上
げたことについては、いろいろな思いがあるのだが、タイトルをなぜ「神州の
泉」と付けたのか少し説明して置きたい。

 安倍晋三が「美しい国へ」という本を出しているが、我々日本人は、自分
たちが生まれ育ったこの国を、この国土をどれほど美しい所だと感じている
のだろうか。昔の人たちが、なぜこの日本を神州(しんしゅう)と呼称したの
か、私にはその由来はわからない。しかし、私はなぜか以前から、この神
州という言葉がしみじみと好きになっていた。それは私が戦艦大和に興味
を持ち始めた頃と期を一にしているような気もするが、その前からだったよ
うにも思う。

 この神州という言葉は、自分の内面にある種の日本の光景を静かに浮き
上がらせてくれる特殊な言葉の一つである。その光景は言葉では説明しが
たいのだが、そのイメージは、我が国のかけがえのない自然の美しさの讃
美が基調となっている。もちろん、神州と言うからには、もともとは記紀神話
に出てくる多彩な神々がつどい、住まう国という意味であろう。しかし、私自
身はあえて言うならば、それは我々の先祖たちが、四季折々の日本の自
然に心を溶け込ませ、生きていることの喜びや自然の美しさを静かに祈っ
た末に出来た言葉であるような気がしてる。それほどこの言葉が私に喚起
させる世界は美しく静謐なものである。

 今の日本人は、白砂青松(はくじゃせいしょう)とか山紫水明(さんしすい
めい)という言葉を知識としてではなく、どれくらいの実感を持ってその光景
をイメージできるだろうか。これら二つの熟語は文字通り、日本本来の国土
の美しさを象徴した言葉である。しかし、国民はこれらの熟語の本来のイメ
ージを二つの意味で喪失しつつある。一つは現実に日本の山川草木が汚
れ、荒廃してきたことである。もう一つは日本人から、ふるさとの山河を慈し
み、愛しむ心が失われてきたことである。

 私は日本人が真に幸福を取り戻すためには、白砂青松と山紫水明の風
景を日本の国土に取り戻さなければならないと思っている。それは現実に
国土を美しい姿に復興させることと、そして同時に今を生きる日本人の心
に、この美しい砂浜、青々と輝く松原、黎明に神秘的に輝く紫色の山々、
そしてその山々を水面に映す美しい水辺を取り戻すことだと考える。日本
人の心に美しい国土を反映させる国家とは、すなわち「神州」に生きる精
神を持つ日本人が住む国になってもらいたいのである。これは私の偽らざ
る願いであり、一人の日本人としての祈りである。

 靖國神社から出ている「英霊の言之葉(1)」に、特攻兵器「回天」の訓練
中、機関の故障により海底に座礁し、救助の見込みのない中で、ただ死を
待つばかりの最後に書かれた二通の遺書が載っている。乗っていたのは
海軍少佐・樋口孝命23才、もう一人は海軍大尉・黒木博司のものである。
今から八年くらい前であろうか、私は友人がメールで送ってくれた黒木大
尉の遺書を読んで、一晩中、涙が止まらなかったことがある。末期の黒木
大尉の言葉の中に「神州」という言葉が出ている。彼のその言葉を見つけ
た時、私は黒木大尉の日本や日本人に対する深い愛情を悟り、流れ出る
涙を止めることができなかった。この遺書には特攻兵の祖国に対する愛情
と讃美の気持ちが強く出ていると私は感じた。

 以下は樋口大尉と死を共にした黒木大尉の遺書である。享年24歳であ
った。

『海底の遺書』

昭和十九年九月六日、徳山湾大津基地に於て水中特攻兵器「回天」の
潜行訓練中樋口孝少佐と共に従容として最期を遂げられた黒木博司海
軍少佐が回天第一号海底突入事故報告と題し、状況、処置、経過、所
見と区分された詳細に亘る遺書の最後の部分である。

==============================
辞世

国を思ひ死ぬに死なれぬ益良雄が友々よびつ死してゆくらん

  二二〇〇壁書ス
  天皇陛下万歳
  大日本  万歳
  帝国海軍回天万歳
一九、九、六、二二〇〇

         海軍大尉 黒木博司

呼吸苦シク  思考ヤヤ不明瞭
手足ヤヤシビレタリ。

〇四〇〇  死ヲ決ス  心身爽快ナリ  心ヨリ樋口大尉ト万歳ヲ三唱ス
死せんとす益良男子のかなしみは留め譲らん魂の空しき
所見万事ハ急務所見乃至急務靖献ニ在リ同志ノ士希クハ一読、緊急
ノ対策アランコトヲ。
一九 - 九 - 七〇四〇五絶筆
樋口大尉ノ最後従容トシテ見事ナリ  我又彼ト同ジクセン
〇四四五  君が代斉唱  神州ノ尊  神州ノ美  我今疑ハズ
莞爾トシテユク万歳
〇六〇〇猶二人生存ス  相約シ行ヲ共ニス万歳」

  
(昭和39年5月、靖國神社社頭掲示)

===============================

 神州ノ尊  神州ノ美  我今疑ハズ
 莞爾トシテユク万歳

 座礁した潜水艇の薄れ行く空気の中で、従容として死を受け入れ、淡々
と遺書を綴った当時の皇軍兵士の心意気や武士道精神も賞賛するしかな
いのだが、彼が死の間際に心に鮮やかに描いたのは、彼の人生を彩るか
けがえのない日本の美しい自然であった。それが、この遺書の最後部分
でよくわかるのである。

 神州の尊厳、そしてその美しさを、今逝かんとする我は疑わない、という
のは、彼が日本人として日本の国土に育ったことを心底感謝していること
を書いている。そしてそれは薄れ行く意識の中で、祈りにまで昇華された
ように私には感じとれる。

 今の日本人に一番欠落しているもの、そして取り戻すべきものこそ、この
「神州ノ尊 神州ノ美」なのではないだろうか。日本という国の本来の文明
の質は、この言葉に集約されているのではないだろうか。「神州不滅」と聞
いて「軍国主義」を彷彿とする人々が圧倒的多数だと思うが、それは戦後
教育によって刷り込まれた誤ったイメージにほかならない。私にとっては、
これほど美しい言葉はない。なぜなら、神州不滅の本当の意味とは、「君
が代」に歌われているほまれある永遠の日本を言うのである。それは同時
に、世界に比類のない麗しい豊穣の日本美を形容しているのだ。この大切
な大和の国土を護るために、外夷に特別攻撃をかけた純粋な若者たちを、
今に生きる我々が、いったいどんな評価を下せるというのか。・・・神州の存
続を願う彼らの深い祈りを受け止めて生きていくしかないではないか。

 今の日本人は何をやっているのだろう。靖國神社には神州のかおりがあ
り、心を澄ませば神州の世界を垣間見ることが出来る。その入り口が神門
上部に淡く輝く菊花の御紋章である。あの淡い黄金色こそ、豊葦原瑞穂國
を象徴する豊穣の稲穂色なのである。その菊花は日本を護る象徴の形で
もある。だから、十六弁の菊花御紋章は戦艦大和の舳先に配された。そこ
に先人たちの神州護持の祈りを私は感じる。

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 分祀問題などの前に、英霊の末期の眼に生じた美しい日本の心象風
景を感じてもらいたい。特に若い人たちには・・。若い人たちは未来を背負
う。朝の湖面に映る静寂な風景のように、若い人たちの胸に神州の美、そ
して神州の尊厳が観えるようになれば、日本はふたたび蘇生するだろう。

 本ブログ名を「神州の泉」と名づけたのは、黒木大尉の末期の眼に映っ
た美しい日本を回復したいという願いからである。

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2006年9月16日 (土)

今回、植草氏擁護論が激減した奇妙さについて

 植草氏の逮捕について、人々の反応の仕方に奇妙な思いがある。それ
は、前回の「手鏡冤罪」の時は、彼を擁護していたブログなども今回は沈
黙を守るか、否定的な見解になっていることである。

 それが私にはいたって奇妙なのである。2004年、理不尽な国策捜査
が植草氏の身に降りかかった時は、小泉政権の暴政的売国姿勢に気が
付いて、ああ、これなら官邸サイドはやりかねないなぁと思った人々も、今
回は植草氏の『性癖』を信じて、国策捜査の疑いを持たないことである。
たしかに、小泉純一郎は宰相の座から降りる時期になっているが、それ
が即、小泉従米売国構造改革の終わりなのではない。

 小泉が起こした日本の革命政権、すなわちアメリカの完全傀儡政権が
終焉を向かえたわけではない。小泉の破壊的な構造改革路線は、その
まま安倍晋三に継承されることがほぼ確定的となっている。安倍晋三は
小泉の忠犬ハチ公である。小泉や竹中が退陣したからといって、国民を
地獄に陥れる国家毀損型の構造改革は続くのである。つまり、黄色い肌
の米国エージェントたちの巣窟はこれからも賑わいを見せて、米国の言
うがままに国家破壊作業を行っていくのである。

 このような現実にあって、国策捜査の邪悪な意図が小泉や竹中の退出
によって消え去るとは到底考えられないのである。だとすれば、息を吹き
返して精力的に活動を再開した植草一秀氏がまた官邸のターゲットにさ
れることは充分にありうることだという想像力は働かないのだろうか。

 世の中の動向を見据え、植草氏の言論の国益的方向性を確認してい
る者ならば、今回も植草氏が国策捜査の毒牙にかかったのではないか
と推量しても自然であると私には思えるのだが・・・。

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植草氏を庇って何の得があるのかという質問に

  下記のコメントをいただいたので、思うところを述べてみます。

 >これだけ社会的な信用を失墜した人を陥れて、
  >なにか得があるでしょうか。? 

  >あなたは教授を擁護することで何か得でもある
  >のでしょうか?

 たしかに植草氏は「手鏡事件」の冤罪を浴びて信用を失墜
していましたが、最近では精力的にあちこちで言論活動を行
っていたみたいです。たとえば、宮崎学氏が主催するネット
論壇「直言」などでも、小泉政権の鋭い批判を手を緩めずに
行っていました。宮崎氏も植草氏の現政権批判は斯界第一
であると太鼓判を押していました。

 従って、小泉・竹中が中心になって築いてきたいわゆる構
造改革の反国益性が植草氏の舌鋒により、以前より核心を
衝いて鋭くも鮮明に暴かれる傾向が強くなっていたと思いま
す。これを最も危惧したのが竹中平蔵だと思いますが、彼の
背後にはアメリカの監視の眼が存在しているので、植草氏を
再度、陥穽に陥れることを意図したのはアメリカの指令があ
ったのではないでしょうか。

 植草氏の経済理論は、私のような門外漢にとっては専門的
過ぎてわかりにくい箇所も多々ありますが、小泉におもねる
御用学者たちにとって、植草氏の言論活動は、経済学者とし
ての無能性を暴くに等しい恐ろしい存在となっています。つま
り、新自由主義経済に改変されていく我が国の構造改革を、
見て見ぬ振りをしている御用学者たちにとっては植草氏の言
動に戦々兢々としているということです。

 植草氏の専門的な分析能力は、我々シロウトが想像する以
上にその世界にとっては大きな影響力を持っています。そうで
なければ、手鏡事件などの実質的被害が曖昧で、ご本人の社
会的な信用だけが剥奪されるというような謀略は働かないと思
います。今回の痴漢事件も、ご本人の社会的信用を永久に失
墜させようとする謀略側の激しい意志が感じられます。

 植草氏を庇って、何か私自身が徳になることなどあるのかと
いうお尋ねですが、徳になることは何もありません。小泉施政の
売国性に気が付いている経済学者はかなり多いと思います。し
かし、彼らはそのことをけっして表現はしません。国益優先や国
家毀損防御よりも、自己保身が大事だからです。

 私が彼を応援する理由は、ひとえに彼の学者としての良心と、
言論活動におけるその武士道精神に感じているからです。彼の
言説をよく読んでみるとわかりますが、彼は立派な人物であるこ
とを確信できます。

 一言で申すなら、植草氏は日本の経済学になくてはならない稀
有な人物の一人であるということです。彼がこういう理不尽な人生
の苦難を一人で浴びている現状は、他の経済学者たちがヘタレで
だらしないからなのです。何名か名を知られた経済学者たちが、植
草氏と同様に現政権の欺瞞に敢然と立ち向かっていれば、植草氏
がこのような目に遭うことはないと思います。

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植草氏逮捕劇の大いなる違和感

 まず、電車内で酔った中年男と女子高生というシチュエーションでこの
痴漢事件が起こったということ自体が思いっきり怪しい。いかにもありそ
うな状況という感じである。はてなダイアリー・キーワードと言うサイトに
痴漢について以下の説明があった。

 
1、他人に気付かれないように、ふれたり写真を撮ったりする(人の)こと。

2、満員電車等の人混みのどさくさに紛れて女性のお尻に触る等の猥褻
  な行為をする事。軽犯罪法第1条第5項?による違法行為。但し他にも
  刑法第176条強制わいせつ罪?や刑法第208条暴行罪?が適用される
  ケースもある。

 まあ、痴漢の説明としてはこういう感じなんだろうが、植草氏が陥れられ
た痴漢捏造は、上記の典型的な説明にほとんど合致している。十年前く
らい前からであろうか、電車内の痴漢が急増して、駅構内や電車内では
私服の警察や鉄道公安官の警邏が頻繁になっている。そのうちに、由々
しきある問題が頻発してきた。それは「痴漢冤罪」という、謂わば、犯人と
被害者の主客転倒の悪質な犯罪が起きてきたことである。

 ほとんどは示談金目当てだが、女性が故意に「この男が痴漢している」
と指差して、まったく無実の男を痴漢犯罪者に仕立て上げるという事件で
ある。なぜこのようなことが起きるのかと調べてみれば、近代法治国家と
して適用する他の犯罪の「推定無罪の原則」と違って、痴漢などの性犯
罪では、ほとんどの場合は「推定有罪」が成立してしまうかららしい。その
場合は、女性側の邪悪な意図による犯罪のでっち上げが問題となる。
もし、ある男性を罠に嵌めようとした場合、特にその人間の社会的な信用
失墜を目論んだ場合、痴漢犯罪というトラップに嵌めることが最も確実で
あり、しかも、それを意図する側のリスクはかなり低いのではないかと思
われる。官邸サイドは前回の国策捜査の時、一部の国民に謀略逮捕の
疑いを掛けられている。それを学習した彼らは、今回は完全な仕掛けを
考えたと思う。すなわち、植草氏の性癖がことを起こさせたというイメージ
をでっち上げたのである。まったく悪質である。

 陥れる側に、露見リスクの最も少ない痴漢演出は、被害者に仕立て上
げる女性一人のみを偽被害者として彼女に依頼することである。相応の
報酬を渡すか、あるいは何か彼女の弱みを握って脅すことである。この
場合、少なくとも女性が口を割らない限り、犯罪事実は成立してしまうこ
とになる。もっと確実な方法は、被害女性以外に目撃者と共に、逮捕権
を行使する人間を仕立てて置くことである。逮捕権は一般人にもある。こ
れをやれば、犯罪立件は確実に成立する。しかし、協力者の素性や犯罪
前歴などを調べられたり、当事者がうっかり真実をしゃべるなどというアク
シデントが起きて、彼らが捏造犯罪に加担したことが露見するリスクは高
くなる。

 要は、誰か目撃者がいて、被害女性が強硬に言い張れば、痴漢冤罪
は容易に起きてしまうような気がするのである。だからこそ、ここ何年間
は男の防衛意識が進んで、如何に痴漢にされないように電車に乗るか
という自衛技術が発達しているようだ。しかし、電車に乗るだけで「俺は
犯罪者じゃないぞ」という積極的なアピールをしなければならないのは
異常すぎる。私は男として同情的である。しかし、実際に悪質な猥褻行
為をする馬鹿者が増えていることが、そもそもの発端であるから致し方
のないことである。

 何度も言うが、被害に遭ったと称する女子高生と、植草氏を取り押さ
えた者たちの素性と経歴、交友関係をしっかりと調べて、犯罪捏造加
担の可能性を調べるべきである。男とは総じてスケベな生き物である。
これは生物学的に仕方ないことである。しかし、その欲求程度の差は個
別に違っている。問題はこのような低次レベルの欲求を抑制できるかど
うかである。飲酒運転とは問題が異なるが、酒を飲んでもこの抑制が効
く人間は圧倒的に多い。もしすべての人間が、酒を飲んだがゆえに、低
次レベルの欲求が解放されるのであれば、そもそも、居酒屋文化とか
酒類の販売自体がありえないだろう。それでも、酒の上での失敗は後を
絶たないが、明らかに人様に迷惑をかけずにきちんと帰宅する人間が
圧倒的多数なのである。植草氏がそれ以外のわずかなアホ人間の部
類に属すとは到底思えない。「アルコールが理性のタガを外す」などと
真顔で一般論を述べる者は、すべての犯罪がアルコールに起因される
とでも言いたげでアホ丸出しである。植草氏のように高度で怜悧な経済
分析を行う学者は、並外れて超克心、自己陶冶力、状況分析などが優
れている。そうでなければ学問的な深層には肉迫できないからである。

 ましてや、一度検察の横暴で冤罪を受けた人間が、性犯罪というものに
対して、過度の警戒的心情を持つことは当然であると考える。植草氏のよ
うに論理的で怜悧な分析ができる人間が、しかも、一度冤罪を経験してい
る人間が、性犯罪生起の可能性を疑わせるような状況に自らを置くわけは
ない。たとえアルコールを飲んだとしても、自分の人生の破滅や、家族の
命運を決定的に悪い方向へ左右するような行為を行うだろうか。一度、性
犯罪の冤罪に遭遇した者が、多少の酒を飲んだからと言って、「出来心だ
った」などということは有り得ない気がする。むしろ外での行動における性
的な欲求は、普通の人よりも強い抑制下にあると考えた方が整合性が高
い。

 従って、今回の植草氏の痴漢逮捕は、政治的な謀略の可能性を強く暗
示させる。起きた状況が極めて不自然なのである。痴漢とは、最も冤罪が
起きやすい犯罪であるということも視野に入れるべきであろう。

 当日の電車内に居合わせた方々にお願いしたい。どのような些細なこ
とでも、事件について何か目撃していたら、警察にではなく、週刊誌でも
口コミでもいいから世間に発表していただきたい。これが冤罪であるの
なら、居合わせた人たちは国策捜査による偽装犯罪立件の現場で、なに
かしら不自然なファクトを目撃している可能性があると思う。

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植草一秀氏逮捕が不当逮捕だと考える理由

 植草氏逮捕の件であるが、私は現場に居合わせたわけでもなく、取調室
で尋問の様子を見たわけでもない。一般の国民と同様に・・。
確かめようがないものを、なぜ植草一秀氏がシロだと感じたのか、そのわ
けを話したい。一番おおきなわけとは、西村眞悟氏の例をみてもわかると
おり、今の政権は、その政策に疑念を持ち、厳しい批判を行う者に対して
は、官邸サイドの主導によって国策捜査を行うという強い確信を持つから
である。逮捕事例がすべて国策ということは当然ありえないが、世の中に
影響を及ぼす要人の逮捕については、そのすべてが百パーセントの妥当
性があるとは思えない。

 なぜなら、小泉政権が三権分立に則っていないのが明らかだと思うから
である。議院内閣制では、立法、行政、司法、これらの機関相互の独立性
を保つため,他の機関に対し、不当な介入は忌避されることになっている。
例えば,国会は,国政全般について内閣に質問できる権限が与えられて
いる。また、内閣は、国民の代表である国会議員から受けた質問に、誠
意を持って答弁しなければならない。そこで、昨年の郵政民営化法案に
おける審議過程を振り返ってもらいたい。

 小泉内閣は、他の法案はともかく、郵政民営化法案に限っては、議員の
質問を適当にはぐらかし、まったく真摯に答えずに法案成立をゴリ押しした
のである。郵政民営化の中身を充分に審議させずに途中で打ち切り、強引
に決定に持って行った。つまり、小泉は、「国会は国政全般について内閣
に質問できる権限が与えられていること」と、「内閣は、国民の付託を受け
た国会議員の質疑に対して真摯に答える義務がある」という議院内閣制
の根幹を破壊していたのである。

 その結果、何が起きていたかと言えば、充分な審議を望んでいた人たち
を、党是に反動するグループとして粛清したのである。ここに議院内閣制
は小泉総理大臣の恣意的な独裁権力行使によって崩壊した。つまり、小
泉は明らかに三権の頂点に立って、その権力をフルに行使したことにな
る。ほぼ完全な独裁体制である。郵政民営化については小泉純一郎は鬼
将軍と化していた。以下は「直言」で、平野貞夫氏、宮崎学氏、植草一秀
氏の三者対談の中から、植草氏の小泉内閣評を抜粋したものである。ここ
に売国政権である小泉内閣が蒼白になる真実が言い当てられている。

 植草一秀氏の談話
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 内閣総理大臣が権限をフル活用すると三権の頂点に君臨する存在にな
る。議院内閣制は絶対権力を創出する「ポテンシャリティー」を持つ仕組み
なんですね。これまでの日本では、「自己抑制」がどこかで働いて、自民党
の総裁であっても、タテマエ上、人事権をフル活用することは不可能でない
のですが、それを行使した人はいなかった。派閥均衡というのは権力者の
権力行使における「自己抑制」なんですね。内閣総理大臣は司法の問題
について介入しようと思えば介入できるわけです。人事権を通じて。日銀も
そうです。
 戦後の日本では政治権力者の「自己抑制」によって「三権分立」のタテマ
エが曲がりなりにも成立してきたと思います。小泉首相はこの不文律を根
こそぎ破壊した最初の人間ではないか。内閣総理大臣が「自己抑制」を捨
て去れば三権の頂点に君臨することは不可能ではない。「権力を持つ者が
活用できる権利を100%フルに活用するのは当然である」と考える発想法
は、「市場原理主義」そのものと言えるのではないでしょうか。

   http://moura.jp/scoop-e/chokugen/special/060324/s05/content01.html 

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  まったく言い得て妙である。小泉個人の資質と、それが牽引した独裁内
閣の本質をずばり言い当てている。三権分立の建前が瓦解すれば首相
の独裁傾向が強まるのだと簡単に言えるが、その実態がどんなものであ
るか、北朝鮮やポルポト政権を考えると一目瞭然である。端的に言えば、
司法権や警察権力を恣意的に動かすことができるのである。その血なま
ぐさい独裁権を有効に使うためには、第四の権力とも言うマスコミを掌握
することである。小泉は郵政民営化総選挙の時は、マスコミをフル動員し
て、あのナチのゲッペルズ宣伝担当相と同じような洗脳喧伝を国民に対
して行った。実際はマスコミを小泉万歳に仕立て、反小泉派のイメージを
徹底的に落としたのはアメリカ保険業界の金がマスコミに流れたからで
ある。

 昨今の平成不況で精神の退嬰を起こした国民は、小泉の威勢の良いワ
ンフレーズ・ポリティクスに幻惑され、この男はきっと何かいいことをやって
くれるに違いないと思い込んだ。竹中平蔵は、あの郵政解散総選挙時の
宣伝工作に、IQ値の低い層を狙い撃ちにするプランを出したそうである。

         http://www.tetsu-chan.com/05-0622yuusei_rijikai2.pdf

随分と失礼な話であるが、平成不況やその他で、思考能力が低下してい
る国民層が小泉たちの詐術に嵌ってしまったことは確かである。中身をブ
ラックボックス状態にした郵政民営化法案が、どれほど国益や国防を毀損
する法案であったのか、国民には考える力がなかったのである。その辺の
ところは小林興起氏の「主権在米経済」という本の「郵政米営化」に余すと
ころなく説明しきっている。郵政資金の国家的な意味を、小林興起氏の著
書から得た知識をもとにして少し説明する。

 この郵政民営化に最も尽力した男が竹中平蔵である。この法案の実質
的な推進力は実は小泉ではなく、アメリカの意を汲んだ竹中なのであった。
結論から言って、郵政資金と言われる膨大な簡保資金、そして郵貯資金
は、ただの流動性を持つ「お金」ではない。郵貯資金は、敗戦の焦土から
立ち直ってインフラをはじめる時の資金でもあり、大災害時に復興する時
の資金にも流用されるかけがえのない国家の財産である。また、国家が
経済的に窮地に陥るとIMFの世話になることになる。しかしIMFはアメリカ
の完全傀儡金融である。けっして安全な国際金融機関ではないのだ。こ
こから一旦、国家が金を借りれば、アメリカや外資の経済奴隷国家となる。
日本は郵政資金があるから、いざと言う時に郵政資金を使うことによって
外資の干渉から防御できるわけである。

 国営の郵政事業は、商売という側面よりも、国家の安定装置としての役
目がより重要な性格である。それをこともあろうに拙速に民営化に持って
いく愚を、国民のいったい何割が自覚しているのだろうか。小泉や竹中が
行った郵政民営化とは国家を丸裸にして完全に無防備化してしまったこ
とになる。思い出さないだろうか。小泉は「官から民へ」を繰り返し、竹中
は「イコールフッティング」を繰り返した。どっちも意味は同じであり、郵政
事業に国家が干渉せずに、民間と同等の条件でやれということである。
すなわち「小さな政府論」である。これはミルトン・フリードマン的な新自由
主義社会の姿そのものである。

 なぜ、小泉内閣が日本の経済構造をフリードマン的な新自由主義に転
換することを急いだのか。それこそがアメリカの強制命令なのであった。
アメリカが日本の虎の子の膨大な郵政資金を狙っているということである。
アメリカが日本から直接金を分捕るというのではなく、民営化の名目で、
日本の経済構造に自由市場という地引網を仕掛けたわけである。アメリ
カは新自由主義の地獄を通ってきた国である。彼らの持つ金融工学的な
経験値から繰り出される手法に日本が対抗できるわけがない。来年から
は外資は入れ食い状態になって郵政資金は風呂の栓を抜いたように外
に流れていくことだろう。しかし、国民が小泉政治の本質に気づけばまだ
間に合うかもしれないのだ。

 植草氏は、かねてから小泉施政を権力の暴走と見て三権分立の破壊
を読み取り、経済学的にそれをロジカルに分析した。これに顔色を失った
のが郵政民営化を牽引した非国民の竹中であった。竹中の経済学レベ
ルでは、植草氏の正当な経済学的批判をかわす術がないのである。そ
こで、官邸が国策捜査を行って植草氏の言論を封じたのである。アメリ
カ金融世界の奴隷である竹中が引退しても、安倍政権は従米売国路線
を引き継ぐことになる。植草氏のストレートな言動は、次期小泉内閣踏襲
政権にとっても邪魔なことこの上ない。

 そういう理由で、植草氏はアメリカのエージェントに成り下がった売国政
治家たちによって今度も嵌められたのだと私は推察するのである。植草
一秀氏は従米売国勢力に狙われる充分な理由を持つのである。今の検
察は堀江や村上を挙げる勢力よりも、官邸に従う勢力の方がはるかに強
いと思う。少なくともそれらが拮抗しているとは思えない。従って植草氏が
また官邸の毒牙にかかったことは充分に考えられる。

 推測だが、竹中辞任はアメリカの意向なのではないだろうか。彼は郵政
民営化具現化には大きな役割を果たしたが、国会答弁などで致命的なミ
スも犯している。その一つが年次改革要望書の存在を認めたり、知らない
と言ったりしたことである。これがアメリカの逆鱗を招いて辞職になった可
能性はある。しかし、アメリカに対してそれなりの功績がある竹中は、辞
職に際して一つの条件を出したのかもしれない。それが植草一秀氏の国
策逮捕である。なぜなら植草氏は竹中の不倶戴天の敵であるからである。
そのまま、植草氏の言論を放置すれば、彼の名誉はずたずたになるから
である。心までアメリカの従僕になった竹中は、植草氏に憎悪に近い恨み
を持っているはずである。

 参考図書:「主権在米経済」小林興起 光文社

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2006年9月14日 (木)

植草一秀氏の二度目の逮捕はまたもや国策捜査の疑いがある

 昼のニュースで、経済学者の植草一秀氏が京浜急行の電車内で、女子高生を痴漢し逮捕されたと報じられていた。にわかには耳を疑うニュースである。それにしても、植草氏本人のコメントが聞けないかぎり軽々には事件を判断すべきではないだろう。しかし、私は一報を聞いた時、米国エージェントの官邸はまたやったのかという思いがした。本人の仕事と人格は別だというまことしやかな言い方が横行しているが、仕事の結果に現われる人格は本人の性格を反映している場合が多いというのが私の見解である。そういう見方で行くと前回も今回も、本人の全人格を否定しなければならないような破廉恥な事件が生起したとは考えにくい。むしろ、背後に国策的な背景を持つ罠があるのなら、それはなぜかという疑問を追及したほうがいい。

===================================================

調べによると、植草容疑者は今月13日午後10時10分ごろ、品川―京
急蒲田間を走行中の京浜急行の電車内で、神奈川県内の高校2年の女
子生徒(17)の下半身を触った。女子生徒が「やめてください」と声を上げ
たため、植草容疑者は周囲の乗客に取り押さえられ、京急蒲田駅で同署
員に引き渡された。植草容疑者は当時、酒に酔った状態で、調べに対し
ては「覚えていない」と否認しているという。(14日、読売新聞から抜粋)

===================================================

 テレビや新聞でこういう報道をしているから、事の成り行きは確かめようがないが、私は植草一秀氏の逮捕は、またもや冤罪であると確信している。今の段階では、事件について仔細なことはわからないが、植草氏の前回の破廉恥罪の汚名に関して考えるに、今回の逮捕にも、警察、検察の謀略の匂いが強く感じられる。前回の警察の不審な動き方、肝心な駅構内のテレビモニターの録画像が出てこないことなどを鑑みると、前回は明らかに国策逮捕であると私は考えている。しかも、小泉政権の経済政策の本質が、植草氏に分析されると困ったことになると考えた官邸が彼の逮捕に踏み切ったことは、植草氏の以前からの小泉政権批判の言論活動をみれば頷けるのである。

 今回も、政権が安倍晋三に移行しても、彼が踏襲する売国政治は、小泉純一郎や竹中平蔵が行ってきたアメリカ型の新自由主義への日本改変である。この姿勢がほぼ確実となった今、アメリカにとって植草一秀氏のように国益主体を考えて、小泉売国施政を痛烈に批判できる経済学者は邪魔者以外の何物でもない。今度、小泉に代わって安倍晋三を祭り上げるアメリカエージェントたちが、小泉がやり残した売国路線を完成させようと企んでいるとすれば、今度の安倍政権も、愛国姿勢を持つ経済学者や識者連中を陥穽にはめて、無理やり彼らの表現を封じようとすることだろう。今回の植草氏の逮捕は、その血祭りがまた始まった可能性が非常に高い。

 上の記事に書かれている通り、被害にあったと称する女子高生や、植草氏を「取り押さえた」と言われている乗客の素性を徹底的に調べてもらいたいものだ。うかつにも今回の報道を鵜呑みにすることなく、植草氏の言論活動が、小泉現政権と、それを踏襲する安倍政権にとってどういう意味を持つのかを考え、国策捜査の疑いがないかどうかを国民は目を凝らして監視するべきである。

 「国家の罠」を書いた佐藤優氏は、世の中が大きな変化を起こす時、新しい時代の露払いとして、前の時代を象徴する人物を悪人に仕立てて時代の変化を固定化するというようなことを書いていたが、まさにそれと同質のことが起きているような気がする。植草氏の逮捕が、何か時代のメッセージを持つとすれば、植草氏と同様な視点で小泉内閣や安倍政権を批判したら、必ず社会的に血祭りに上げてやるという、官邸サイドの強靭な意志が示されたということにほかならない。これにびびる経済学者や、米国主導の実態を警告する識者連中は多くいるだろう。つまり、特に経済学者は小泉政権の本質を語ることも、安倍政権の姿勢を批判することも一切許容しないということを、構造改革を進めるアメリカのエージェントたちが決定したと言うことであろう。

 我々国民は、堀江貴文や村上世彰の逮捕で不用意に安心していないだろうか。博打経済の先鞭を切ったような彼らが罪に問われた時、国民は弱肉強食の株式社会の到来はこれで抑えられたと感じたかもしれないが、実際はアメリカの強圧により金融株式資本主義社会への転換が進められている。つまり、植草氏が狙われたのは、安倍政権が今までどおりの国益毀損の経済政策を進めていくということの証左なのである。

 もし、今回の逮捕も国策捜査であったのなら、植草氏が二度も官邸から狙われるということは尋常なことではない。それほど彼の経済分析は国益に敵い、アメリカ万歳連中の心胆を寒からしめるものであるということである。しかし、植草氏が無実だとすればこれほどむごいことはない。小泉政権の売国路線に憤りを持つ者ならば、植草氏の二度目の逮捕には目を光らせていなければならない。どう考えてみても強い違和感がありすぎる。彼の性癖が本当かどうかを考える前に、官邸サイドの謀略があったかどうかを考えた方がいい。つまり、植草氏の最近の経済言論が何を言っているかをよく知るべきだと思う。

 米国隷従の官邸サイドが目を光らせている連中は、国益的観点と憂国の思いが強い識者たちである。その中には当然「拒否できない日本」や「奪われる日本」を書いた関岡英之氏がいるだろう。もしかしたら、ターゲットしては最も狙われている御仁かもしれない。しかし、官邸サイドが彼を黙視しているのは下手に捕まえたりしたら、関岡氏が全国レベルで有名になり、その著書が爆発的に売れることを警戒しているのだろう。植草氏に対しても、エージェントたちは、彼を再逮捕した場合の国民の警戒レベルの惹起を何度もシュミレーションしたに違いない。つまり、国策捜査として彼の無実を信じる国民と、謀略どおり、でっち上げられた彼の犯罪性を信じる国民の割合を冷徹に計算したのかもしれない。

 一つだけ今確実に言えることは、手鏡事件で植草氏の逮捕拘留がなかったなら、小泉内閣の売国施政はかなり阻害されていた可能性があるということである。郵政民営化も成立しなかったかもしれない。それほど植草氏の経済学者としての存在感は現売国構造改革内閣にとっては目障りどころか、年次改革要望書の実現を阻むものだったと思う。では現政権がやり残して安倍政権に引き継いだ日本構造改革の要諦とは何であろうか。つまりアメリカがやろうとしている日本改変とは何であろうか。それこそが、医療システムの民営化と司法制度のアメリカ化なのである。私は西村眞悟氏と同様に経済学者の植草一秀氏を信じている。彼らは真に日本にとって必要な人物なのである。

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呑んだら乗るな

 連日、飲酒運転による事故や致死傷害がテレビニュースを賑わせてい
る。私は飲酒してハンドルを握る者は、人々が想像しているよりもはるか
に多いのではないかと思っている。「呑んだら乗るな」というのがこの話
の結論ではあるが、それが守られていないから少し感じたことを書いて
みたい。飲酒運転常習犯がいるということである。

 交通過密、歩行者と車の接触契機がいたるところにある今日、素面
(しらふ)でさえ事故を惹起する、あるいは遭遇する危険に満ちている。
このような車中心の社会で、飲酒運転をするということは、かなりの確率
で事故を引き起こすことは当然である。アルコールを体内に入れてハンド
ルを握った者が、岩に激突するとか、川に落ちて自死自傷することは本
人の責任であるから仕方ないと言いたいが、これは厳密な意味では飲
酒運転に適用できない。なぜなら、実際にガードレールを破損したり、
川に落ちたりれば引き揚げ作業に金がかかるし、明らかに社会に迷惑
をかけることになる。飲酒運転は自己責任という選択の問題ではなく、飲
酒運転そのものが犯罪だということである。

 狂犬というものは見境なく目に付いた者を噛み殺す犬であるというイメ
ージがあるが、飲酒運転車両はそういう狂犬意識を持つ自動車である。
困ったことに飲酒行為とはアルコールの神経作用によって多幸感や根
拠のない自信が満ち溢れるなど、一時的に自己肯定感覚が惹起される
ことである。ここにはネガティブな感情は抑制されて本人はいい気分にな
る。だからこそ、人間は酒を好んで呑む。問題はネガティブな感情が抑制
されてしまうことにある。このおかげで事故ってしまうという想像力や自覚
が本人にとって決定的に欠落してしまうのである。むしろ、アルコールは
自我の万能感を増幅して、運転することに躊躇を持たせなくなる。まった
く厄介である。アルコールとは冷静な自己抑制や客観的な想像力を眠ら
せてしまうのである。

 飲酒運転に対して、小泉純一郎の大好きな言葉である「自己責任」論
をぶちかませば、運転する奴は大概、「おれは自己責任をわきまえてい
るから運転は大丈夫」ということになる。飲酒運転をしてしまう意識とは、
ほとんどが「自分だけは例外である」と考えていることである。例外的要
素はまったくない。アルコールが体内に入ると、普段並外れて運動神経
や反射神経の優れている者でも咄嗟の回避行動ができないほど反応が
遅れてしまうのである。運動生理学的に、ノイロンやシナプスなど、神経
連結機能系に伝達遅れが生じるのか、あるいは大脳そのものに知覚麻
痺が生じるのか私にはわからないが、明らかに視覚情報から得る判断
や反応に致命的な遅れが出る。

 一番危険なのは前酩酊段階の飲酒であろう。本人はふらついていない
から大丈夫だと思う。しかし、傍から見ると明らかによれよれであるとい
うことはわかる場合である。むしろ完全酩酊状態になれば運転する気そ
のものが起こらないだろう。昔、飲酒運転常習者に聞いたことがある。彼
の話で最も恐ろしかったのは、「呑んで運転しているとガードレールや電
柱、側溝などが怖くないよ」と言っていたことである。これが酔っ払い運転
の真実を言い表しているのである。怖くないということは、自分が制御し
ているモバイルが物理的に動いているという認識が薄れていることであ
る。当然、そこには何かにぶち当たるという想像力がない。人も犬も壁も、
路面とあまり大差ない感じで見ているのである。というか、動体視力も低
下しているから、動いているものが視野にあっても認識していないことは
十分に有りうる。まったく恐ろしい話である。

 一番たちが悪いのは、「おれは酒は呑むが酒には呑まれない」などとい
う戯言を運転に適用する輩である。酒の席では乱れないから運転も大丈
夫。まったくアホ過ぎる。と言うか痴呆である。自動車という緻密な制御系
をコントロールする頭脳の主体が、道路を走る車の中で、人間的な礼儀を
守った守らないなどということは関係ないことである。酒を呑んだ瞬間に
人間は酒に呑まれている。アルコールが及ぼす自己肯定感覚は危険意
識を遮蔽してしまうのである。

 話の方向は変わるが、飲酒運転の罰則を強化した途端に、轢き逃げ運
転が増加してきたそうである。つまり、大人しく捕まるよりは逃げた方が増
しだという感覚である。悪質な飲酒運転を取り締まることによって生じるさ
らに悪質な轢き逃げ行為の増殖。これらの根本的な対策は交通ルール遵
守の啓蒙教育しかない。つまり、自分さえ助かれば後はどうなっても良い
とか、他者の気持ちを忖度しない不道徳な社会感覚を根元から正すこと
にある。今の社会の交通倫理とは、人を殺してから反省する前に、いか
に殺さず、自分も死なずにすむかという方向から考えなければならない。

 国民は交通警察にしっかりしてもらいたいなどと要請する前に、小泉が
敷いた「小さな政府」が、際限のない自由の暴走を許す社会であることに
気が付き、日本に相応しい国柄や社会の在り方をまず問題にすべきであ
る。しかし、昼間は滅多にないだろうが、夜に歩道を歩いていて我々は、
車道を流れる車とそれなりの距離を保っているから安全だと考えている。
しかし、実際のところ、本当に安全なのだろうか。横断歩道は安全なのだ
ろうか。通り過ぎる百台の車のうち、何台かは飲酒運転状態の車がある
と考えて用心していた方がいいと思う。

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2006年9月13日 (水)

日本人劣化の原因は教育問題の前にある

安倍晋三に関わらず、自民党、民主党、公明党、その他の党に関わらず、
政治家連中はこぞって教育問題を訴え、その改革や指導方針を訴える。し
かし、口角泡を飛ばして教育を語る彼らの言説がなぜかことごとく空々し
い感じで聞こえてくるのは私だけであろうか。

 確かに、今の日本社会で国民を特に暗澹とさせている暗いニュースは、
殺人、強盗、傷害、窃盗など、かつての日本が誇った安全神話の完全崩
壊を示唆する事件で目白押しである。そこで慌てた政治家や大人連中は
何の考慮も歴史的な思考過程も経ずに短兵急に教育問題に飛びついた。
教育さえしっかりと行えば今からでも何とかなる。犯罪を招来しない青少
年の育成をしなければならないと、みんなそういう方向に思考を持ってき
ている。

 はたしてそれは効果のあることだろうか。今の日本社会の乱れや規範
崩壊の原因を、教育というジャンルのみに帰趨させてもいいのだろうか。
広い意味で言うなら、確かに大人も含めて青少年の犯罪傾向は教育の
失敗に帰するところが大半ではあろう。しかし、教育というものの根拠が
何に由来するのかを深く観た場合、今の日本人が凄まじいまでに倫理や
道徳規範を喪失した根本的な原因は戦後パラダイムそのものにある。

 つまり、大戦が終えてアメリカが主導した近代主義的な価値観そのもの
に日本人の究極的退嬰の原因があったのである。教育というものは民族
固有の伝統的価値観や文化的価値観を、民族自体があまねく共有すると
いう前提が主体になって生じるものであると私は考えている。わかりやす
い例をあげるならユダヤ民族である。彼らは二千年前に祖国を失い、流
浪の民となって世界各地に離散した。そして1948年にパレスティナに
イスラエル共和国を建設した。

 ディアスポラ(離散)の艱難辛苦に耐え抜き、ヒトラーのユダヤ人殲滅の
政策にも耐え抜き、彼らが確固たる自己同一性を守り抜いてきた理由は
彼らが、国家を失っても歴史の背骨を失わなかったからである。その背骨
に相当するものが、ユダヤの聖典である旧約聖書(トーラ)と戒律などを説
いたタルムードである。これらにはユダヤ人が約束の地を与えられている
ことが示されており、彼らは選民意識とシオニズムをけっして失わなかった
という事実がある。それが彼らの民族的な教育体系であった。

 民族の自己証明をしっかりと保てば、民族は滅びないという最大の証明
がユダヤ人である。日本もその例に倣えば、戦前と戦後では民族の自己
同一性の性格がまったく異なってしまっていることに気が付くであろう。日
本人は大東亜戦争を経過して、国家と民族はもとのままに残ったのだが、
日本人の固有の背骨となる自己証明を失った。その理由は固有で長く続
いた日本の伝統精神を捨てて西欧近代主義的価値観へ移行することを
民族の主眼に置いたからである。ここに日本民族劣化の最大の原因があ
るのである。

 そもそも、日本固有の伝統的価値観を捨てておいて、科学技術至上主
義的な価値観と、放埓で享楽主義的な価値観しか持たない新興擬似文
明国家のアメリカを模倣することを国是にした日本が、どうして真の教育
が施せるのだろうか。物質至上主義、金銭至上主義の価値観しか持た
ない新自由主義社会の中で、倫理や道徳の涵養を期待するほうが無理
というものであろう。

 日本に新自由主義体制、すなわち市場原理至上主義社会を敷設して
おきながら、犯罪を惹起しない教育改革を行おうという魂胆が最初から
筋違いなのである。なぜなら、弱肉強食の社会ダーウィニズムで稼動す
る社会機構が今、小泉政権やそれを引き継ぐ安倍が進めている構造改
革の本質なのである。ことは今の戦後民主主義的価値観の中ではけっ
して改善できないことなのである。

 日本人は思い切って精神世界の質的変更をする必要に置かれている。
すなわち、国民精神を戦後パラダイムから戦前パラダイムに変換するこ
とである。何も難しいことではない。核家族化をもとに戻し、三世代が同
居するか、すぐそばに居て互いに家族として交流できる状況に復帰する
べきである。私は幼い頃、おばあさんの背中に負ぶされて、その着物に
鼻汁を垂らした。おばあさんはいろいろな話を私にしてくれた。仔細は記
憶にはないが、子供の私は感性的に、情緒的に何か大事なことを伝えて
もらったと思っている。私と同世代の人間はそういう経験を持っているは
ずである。

 教育はそこから始まっていると私は考えている。おばあさん、おじいさ
んは孫に学校教育のような知育は教えない。しかし、人としてどうあるべ
きか、日本人としてどう考えるべきかという原初的な思考の枠は教えて
いたのである。代々、日本人はそうやって何か民族の魂を受け継いでき
ていたのである。その基本の上に教育はなされるのだと私は思う。おじ
いちゃん、おばあちゃんが孫に教えてきたのは、先祖の大切さ、郷土へ
の愛情なのであった。これが土台となって真の愛国心は芽生える。今の
個性尊重とかいうバラバラな相対主義的な人間関係の中で、どうやって
歴史の背骨が我々の中に継承されるというのか。

 小泉や安倍は、日本社会を新自由主義というアンモラルな社会構造に
転換した。こういう激越な日本破壊を行っていて、そこから生まれる教育
とは、人殺しを野放しにする方向性以外に何があるというのか。社会の
在り方と教育体系は乖離しないはずである。実社会では弱肉強食の金
銭至上主義を最上の価値に置いて、教育だけは愛国心や人倫の道を
涵養するなどということが有りうるはずがない。しかし、今の自民党が語
っていることはそういう欺瞞の教育改革なのである。自国の誇り高い高
次な伝統精神を忘却し、低次元な欲望だけで成り立つアメリカ社会をモ
デルにして日本人がまともな教育を施せるわけがない。教育や社会を
モラルあるものに変えるなら、日本人自身の精神からアメリカナイズさ
れたものを剥ぎ取る以外にないではないか。

 ユダヤ人にはトーラという民族の背骨があった。今の日本人はこれに
相当する民族の魂がどこにあるのか考えて、それをしっかりと掌中にし、
それを求心力として教育を考えることである。少なくとも教育基本法や現
行憲法にはそれはまったくない。まったくないどころか、それは日本人の
背骨を覆い隠しているのである。核家族化を昔の大家族制へ復帰せよ
と言うのではない。理想的にはスープの冷めない距離に三世代がうまく
住んでいることである。三世代が近しく暮らせる社会インフラを整える計
画を行うことである。理由は生活の中から日本人の伝統精神を継承して
行くことができるからである。それによって社会構造はかなり変わってく
るだろう。仕事の形態や地域社会の構造がそういう方向を持つように政
治が指針を示し、実行することである。しかし、その前に戦前文明の価
値観の重要なエッセンスは再構築されなければならない。それは国民
的覚醒の中で行われる必要がある。簡単なことである。アメリカのポッ
プコーン文明を根底において否定することである。

言い方を間違えた。アメリカのポップコーン文明は楽しんでもよいが過度
に惑溺しないことである。こんなものは二千六百年のわが国の歴史から
見れば泡沫のようなものである。しかし、アメリカの文明は無害なポップ
コーンだけではない。この文明の最も悪質なところは、西欧近代主義の
有毒な観念が余すところなく凝集されているところにある。日本人はこの
毒を飲むことをもうやめるべきである。これ以上飲むとアナフィラキシー
ショックで民族の生命が枯渇する。

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2006年9月10日 (日)

次期安倍政権は従米売国路線踏襲内閣である

昨日、NHKで次期総理三候補の演説会が放送されていた。最初の安倍
晋三の演説の冒頭部分を聞いただけで、こりゃまったく話にならんなと思
った。安倍の開口一番は、八年前に小泉純一郎を応援したのは自分だっ
たという小泉万歳の逸話から始まったのである。この冒頭の発言に安部
政権というものの本質がすべてあらわれている。

 奇しくもこの日、フィンランドを訪問中の小泉純一郎が安倍晋三指示を鮮
明に打ち出した。この事実だけで、安倍の率いる政権が、日本の極限的
な脆弱化を狙う小泉従米的構造改革路線を引き継ぐ方針であろうことは決
定的となった。国民は安倍の「美しい国へ」などという著書名にごまかされ
てはならない。この男の政治的な本質は保守を気取る盲従的アメリカ信奉
者に過ぎない。安倍晋三は小泉・竹中構造改革というアメリカ受益だけで
画策される経済路線、政治路線をより顕著に踏襲して行くだろう。

 安倍自身が所信表明演説みたいに自ら語っていたが、今やっている構
造改革を緩めるどころか、いっそう先鋭的にそれをやって行くとのたまって
いる。安倍は言う。公立学校を建て直し国民が国家や公を信頼できるよう
な社会にして行くと。公の復権を唱えるなら、今の小泉・竹中路線が遂行
している新自由主義(ネオ・リベ)的な構造改革路線を完全な失敗と見て
即刻中断し、真に国益と日本の尊厳性を復活させるべく政策方針に転換
するべきであろう。安倍にはこの観点が微塵もないばかりか、より強力に
従米経済路線を遂行して行く方針が見え見えである。

 私は、かつて森喜朗前総理大臣が、日本は天皇を中心とした神の国で
あること、それから、鎮守の森やお宮さんを中心とした教育改革をすすめ
ることなどの発言に対して、ああ、日本もようやく独自文明認識の方向に
変わりつつあるんだなと、素直な期待を寄せたものである。ところが森前
総理は、こともあろうに小泉純一郎という稀代の売国奴を密室政治的手
法で政権の長に祭り上げたのである。その結果、どれほど日本の良い部
分や、先人たちが苦労して築き上げた有効な日本的経済構造を破壊した
か、言っても言い足りないくらいである。政権を造り上げ運営して行く裏構
造の勢力があるとしたら、こいつらは完全に米国のエージェントと化して
いる。

 その米国の走狗に過ぎない一政治家が、皇統や神社というキーワード
で日本国体の強化を目指すかのような嘘発言をして、日本を解体に追い
込む方向に国の舵取りをやっていたら、国家の品格も希望もあったもので
はない。安部晋三も、基本は支離滅裂な森喜朗とほとんど形は変わらな
い。私が安部の演説を聞いていて絶望感に打ちひしがれたのは、あの郵
政民営化時に追放(パージ)された自民党議員に対する彼の見解である。
自民党は郵政民営化反対で放逐された議員を復党させるのであるならば、
党規綱領をちらつかせ、党の方針に逆らったから、あの時はあのような強
硬手段を取ったが、それは過ぎたことである。しかし、今は自民党の党是
に気持ちを合わせてくれたなら復党は可能であるなどと言っている。

 国民もそうだが、自民党議員連中もあの郵政民営化という狂気の法案
の、異常すぎるほど異常な成立過程をよく振り返ってみた方がいい。法案
審議というものは反対意見を調整しながら進むのが本分であり常道であ
った。ところが当たり前の審議過程が異様な空気によって完全否定され
ていたのが郵政民営化法案であった。なぜ、あの法案だけが突出して是
か非かの二項対立的な論点に収斂させられたのか、なぜ中身の審議を
慎重に行おうとした連中まで、党是に反する悪党というレッテルを貼って、
彼らの生業(たっき)の道を強引に塞いでしまったのか。

 この奇妙さ、この異常さに国民のどれくらいの人間が気づいていたのだ
ろうか。小泉施政の六年間を振り返ってみると、この内閣の最大の眼目
が郵政民営化にあったことが良くわかる。あの悪名高き「年次改革要望
書」の成立よりも、小泉純一郎の郵政民営化思案の方が明らかに先行し
ている。だからと言って、そのことをもってして小泉がアメリカの言いなり
になったのではないといういい訳にはならない。小泉自身が思想的に若
い頃からネオリベ経済路線を志向していたことは十分にありうることであ
り、それにアメリカが目を付けて彼を最大限に利用したというのが今回の
真相だろう。

 もともとアメリカマンセーの小泉が、アメリカの金融政策路線に追従して
アメリカの虎の威を借り、郵政民営化を強引に具現したことは間違いない
ことである。年次改革要望書にはアメリカ保険業界からのあからさまな圧
力があり、日本郵政の簡易保険の解体、つまり、特別保護を撤廃した簡
保の民営化が無理やり進められた。年次改革要望書では民間保険会社
と簡保の身分を同一にしろという要望はあるが、郵貯資金については特
に要望はない。しかし、結果としては、簡保のみならず郵貯資金も政府の
保護を離れて国際金融が介入できる民間市場への解放に向っているの
である。

 アメリカは日本の国家が国民の保護を目的としたあらゆる国家政策の
要を解体する目的を持っている。そのことによって、彼らが敷いたグロー
バリゼーションという虚妄のアメリカ主導経済ルールに日本の市場を無
理やり参加させ、日本の奥にしまい込んだ国民保護の目的の金を余す
ところなく晒させ、株式的方法やM&A、その他の金融的手法を駆使して
巻き上げる魂胆なのである。一般日本国民は金融工学的手法に馴染ん
でいないから、郵政資金が自由市場に開放されたとき、それを国際金融
資本やアメリカ保険業界、いわゆる外資がどんな手法を持って巻き上げ
の算段を講じるかという想像力がまったくない。

 基本において、この恐怖の国益毀損をいち早く見抜いた小林興起氏や
亀井静香氏、橋本派の小泉龍司氏などが憂慮の念をもって国民に問い
かけようとしたが、小泉売国一派は彼らに熾烈な怒りを抱いて刺客候補
まで立て、党から放逐したのである。盗人猛々しいとはこういう時も使っ
ていいだろう。自身がアメリカに日本国民の労働の成果である国富を提
供する法案をごり押しして、それに反対する良心的な議員に敵意を抱く
とはとんでもない大悪党である。この案に賛成か反対かどっちだと、すべ
ての法案に対してこういう二値論理を振りかざして来たのならそれなりの
一貫性はあるだろう。しかしこの血なまぐさい二項対立の押し付けが、な
ぜ郵政民営化だけに絞られたのだろうか。小泉を応援する愚鈍な国民は
そこのところをしっかりと考えるべきである。

 理由は小泉内閣の最大の施政目的が郵政民営化に収斂していたから
である。それはアメリカからの期限付きの強制命令に従ったということに
他ならない。あの郵政民営化が是か非かの解散総選挙の時、マスコミの
小泉擁護は突出して異常であった。テレビは連日、アリコやアフラックなど
の外資保険会社のCMばかりを流し、報道番組では古館伊知郎やみのもん
たのように、露骨に外資リスク論を言わせないようにしていたことは記憶に
新しい。テリー伊藤は竹中平蔵や世耕のマスコミ対策にかりだされ、郵政
民営化擁護に働いた。彼らは庶民の味方のような振りをしてとんでもない
売国芸能人たちである。

 小泉内閣政策の本質とは、アメリカに魂を売り渡すことにあったのであ
る。次期政権を担う安倍晋三も、それと同様にアメリカに日本を売り渡す政
策に血道を上げることは間違いない。安部晋三の対アメリカ施政には厳し
い視線を向けて行く必要があるだろう。


参考図書 : 関岡英之「奪われる日本」(講談社現代新書)

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2006年9月 8日 (金)

安倍晋三次期総理への深刻な危惧

 平野貞夫氏があるネット論考でこのようなことを書いている。

「小泉首相の劇場政治の悪い部分が、テロ事件の遠因である。自己と異
なった意見、靖国参拝問題でいえば加藤氏や山崎氏との議論をせず、短
絡な感情論をテレビでたれ流し、狭隘なナショナリズムを煽って人気を押し
上げる手法は、ナチス・ドイツ、ヒットラーと何ら変わらない。理性も論理も
倫理も存在できない世界を日本に創ってしまった。

 安倍晋三官房長官に至っては、二重の責任がある。首相の補佐役とし
て小泉首相に諭(さと)すべき立場ではないか。それだけではない。次期
内閣総理大臣として事実上確定している立場からしても、民主政治の根
本を支える「言論の自由」を破棄するテロに対して、自分の見識を表明す
る義務がある。それが政権を担当する指導者の最高の政治感性である。
なのに夏休みと称してダルマになっていたとは何事か。


 安倍官房長官は自分の見識というものがないに等しい政治家だ。報道
や状況についてはなんとか説明できるが、判断やその理由については側
近やブレーンの補助がないと、発言できないといわれている。岡崎久彦、
八木秀次、中西輝政といった有識者が影響を与えているとのことだが、彼
等が加藤邸放火テロに対してどう考えているのか。そのだんまりが、安倍
官房長官のだんまりの原因かもしれない。」

  http://web.chokugen.jp/hirano/2006/08/27_898e.html
            

 平野氏が指摘していることだが、「安倍官房長官は自分の見識というも
のがないに等しい政治家だ」というのは非常に気になる発言である。実は
安倍晋三は、小泉訪朝第一回目の時、金正日に会えたことですっかり上
気してしまい、ここ一番の気力と慎重さを失った小泉をきつくたしなめて交
渉に当たったそうである。この時、交渉の合間に安倍晋三が、腑抜けた小
泉に喝を入れて拉致を金正日が認めるまでは日朝平壌宣言合意に持って
行っては駄目だと強硬に言い張っていたそうである。小泉や安倍たち随行
者たちの会話を盗聴していた金正日は、安倍のこの強硬姿勢を見ていて、
拉致を認める決心をしたという。つまり、第一回訪朝時に、北朝鮮の首領
自身に国家拉致を認めさせた功労の主体は安倍自身であった。

 なかなか肝の据わっている政治家だと思えて、その時は私も安倍を頼も
しく思った。しかし、その後の四年間の安部の小泉に対する阿諛追従を思
い出すと、彼へ抱いていた一抹の期待は完全に裏切られてしまった。小
泉第一次内閣の時は、まだ安倍は保守としての矜持を持っていたように
思えたが、いつの間にか小泉という狂気の宰相にすっかり取り込まれ、
小泉ポチに成り下がった感じである。私が安倍晋三に怒りを抱いている点
は主に二つある。一つは郵政民営化騒動時における彼の政策的な意味
でのだんまりである。彼の愚かさから郵政民営化というものの本質が極
限的な対米隷従政策であることに気が付かなかったのか、あるいは十分
に気が付いていながらも、小泉と歩調を合わせて反目をせずに時を待っ
て政権の長(おさ)に着くことを狙っていたのか、私にはわからないが、い
ずれにしても愛国を標榜する保守としては致命的な政治姿勢であると思
えた。

 あの郵政民営化法案の参議院議決の時、静岡選挙区第七区の城内
実氏を安倍晋三が最後まで引きとめた議場シーンは印象に残っている。
安倍は城内氏の清廉な愛国行動に、少しは自身を恥じる心がなかった
のだろうか。城内実氏は若いながらも、郵政民営化法案がアメリカ国益
だけで意図された国家毀損法案であることをいち早く見抜いていただけ
ではなく、人権擁護法案の危険性などにも熾烈な憂慮の念を持ち、人々
に訴え続けていた本物の有意の青年愛国者である。むしろ、安倍自身
が彼の意気に感じて郵政民営化に反旗を翻すべきであっただろう。要す
るに早くから、狂気で愚鈍な小泉純一郎の売国政策を、憂国的政治思
想を鮮明に打ち出して決然とした反意を示すべきであったと思う。

 ところが安部は小泉純一郎の完全な奴僕と成り果て、アカ思想紛々た
る識者連中で作成された皇室典範改悪法案を見て見ぬ振りをした。聞く
ところによれば、安倍は小泉の拙速な典範改悪案をよく思っていなかっ
たらしいが、それなら早くから小泉の弓削道鏡的な思い上がりを国民に
わかりやすく説明しながら叩くべきであった。それもせずにのほほんと
小泉に追従する姿は人間として駄目である。

 それから、二番目に私が頭に来ていることは、官邸サイドの謀略によ
る西村眞悟氏の逮捕劇の時、安倍がだんまりを決め込んでいたことで
ある。北朝鮮拉致被害の件で、最大の功労者であり、最も至当な国家
戦略を持つ西村氏が逮捕されることを官房長官なら当然知っていたは
ずである。西村氏の逮捕が、日本の国際的立場にとってどれほど深刻
な意味を持つものか、憂国の人々なら当然気が付いて然るべきである。
特に安倍と西村氏は拉致問題では党派信条を超えて協同する立場で
ある。それを座視したまま動かなかった安倍は、半島利益満載の売国
国交正常化に心から賛同していたとしか思えない。卑しくも、愛国を標
榜する政治家であるなら、身命を投げ打って西村眞悟氏の国策逮捕を
阻止するのが安倍の立場であっただろう。良心のある政治家としても、
あるいは一個の人間としても。西村氏を生贄にしたことは許されること
ではないだろう。子供が愛せる国家を目指すなら、西村氏の国策捜査
の動きに義憤を感じて然るべきであった。

 安倍晋三には保身の先読みはあっても、歴史的流れにおのれの政
治姿勢を投影する能力はまったくない。今の時局で、小泉政治を熾烈
に酷評する者だけが、我が国の歴史の正統性に乗ることができるので
ある。その評価は意外に近いうちに現われてくるだろう。安倍の取るべ
き道は反小泉以外にはなかったはずである。彼の選択は当初から完
全に間違っているのである。つまり、彼は小泉の後押しで宰相になると
いう最悪の道を選んでしまったのである。彼が本物ならば小泉を打倒す
ることによってこそ、一国の最高権力者に成り上がるべきだったのであ
る。その時が数年遅れても彼の評価を桁違いに上げただろう。しかし、
選択は為されてしまった。

 安倍がこのまま、総理になった時、彼が歴史に評価される宰相の道
を選ぶとするなら、小泉純一郎や竹中平蔵の国家毀損的な政策を正し、
正道に戻すことだろう。そのためには象徴的な売国奴としてこの二人
を死刑にするくらいのことはしてもいいはずである。日本は韓国などと
違って、以前の政策の悪を罰することはしない慣習があり、その大らか
な許容性が日本人の優れた民度でもあるのだが、この二人は死罪に
値すると私は思っている。それはともかく、安倍に歴史的な起死回生が
あるとするなら、対米売国路線を命がけで捨て、国家の浮沈を左右す
る組閣を小泉政権の方向、ベクトルと真逆にすることである。

 そのためには、西村眞悟氏を内閣官房長官に抜擢し、強権を発動し
て中国(支那)勢力、韓半島勢力、魂から従米奴僕の政治家連中をパ
ージするべきだろう。米国に関しては実は彼らのくびきから自由になる
ことが最も大事であるが、魂を売らずに米国と賢く付き合える政治家を
残すべきである。撲滅すべきは、日本に「年次改革要望書」を嬉々とし
て敷設した官僚や政治家連中を厳罰を持って放擲することである。彼
らは黄色い肌をしたアメリカエージェントである。これが最も悪い。もち
ろん小泉チルドレンは有害無益である。

 安倍晋三が今のままで小泉路線を踏襲すれば、日本は壊滅するよ
うな気がする。何よりもアマテラスの御怒りを買うことだろう。彼自身が
誇り高い宰相になる気なら、腹を決めてアメリカと対峙する覚悟が必
要だろう。それには西村眞悟氏や平沼赳夫氏に代表されるような本
物の日本魂を持つ政治家の力を借りる以外に道はない。このお二方
は絶対にブレーンにするべきである。そうすればお坊ちゃん宰相でも
なんとかなるだろう。間違っても小泉のブレーン的な売国奴たちを入
れる愚は犯してはならない。とは言っても、それができる決然とした
性格ならとっくの昔に小泉施政に牙を剥いていたと思うが。

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