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2006年9月29日 (金)

この国は人形芝居型国家なのか?(高橋清隆氏を紹介する)

 ここに記載する記事は、植草一秀氏の逮捕に関してもそうだが、私
(高橋博彦)と同様の、あるいは極めて似通った視点で、昨今の社会
現象を捉えている方の文章である。彼の名は高橋清隆(きよたか)氏
である。私は彼と会っていろいろと話をしたが、さまざまに生起する最
近の社会事象や、戦後の日本の歩みに対して、非常に鋭敏かつ深い
洞察力を持ったお人だと感じている。私は彼からいろいろ重要な示唆
を受け取った。

 今の日本を取り巻くメディアのバイアスのかかった空気や、それに巻
き込まれていながらも、そのバイアスに気がつかず、何にも疑いも持た
ずに偏頗な報道を鵜呑みにする人々。そういった昨今の日本の気持ち
悪さ、それが案じさせる危険な方向性を、高橋清隆氏も、私と同じく強
い憂慮の念を持って眺めている。このブログで今後も彼の文章を披露
して行こうと考えている。

 以下は高橋清隆氏が、植草報道に関して、特に警察の第一次発表
そのものにも「おいおい、ちょっと待てよ」という感じを持つことや、その
情報源を元に、あまたのメディア類が書き散らかしている記事や報道が、
問題の核心から逸れた興味本位の偏頗なアウトプットとして世間に放
散されていることなど、これらの背後に屹立する巨大なリバイアサンの
姿を冷静に直視し、分析している。

 そういうメディアの節操のなさや報道管制的態度が、この国のメディ
アには明らかに存在する。それを奇異に思わない今の日本の不気味
な空気・気配というものを、清隆氏は社会学的に鋭敏な視点で的確に
衝いている。皆さんにも是非お読みいただきたいと思う。

                   「神州の泉」管理人  高橋博彦

*****************************

   9月26日(火)

 人形芝居型国家
                     

                            高橋清隆

 今日、大田区の蒲田署に行ってきた。植草一秀名古屋商科大学客員教
授の逮捕事案について、詳しい話を聞くためだ。植草教授は電車内での痴
漢容疑で逮捕され、13日たった今も拘置されている。2年前にも手鏡を使
ったのぞき容疑で逮捕され、有罪判決を受けたが、本人はえん罪を主張し
ていた。

 氏は小泉改革批判を一貫して厳しく展開している。先回は同種の事件と
しては異例の家宅捜索まで行われ、今回は会社のパソコンまで差し押さえ
られている。その一方、報道では「被害者」と「取り押さえた男性2名」が知
り合いなのかどうか、植草氏がどこから乗ったのかも触れられていない。そ
の上、「被害者が声を上げたため近くにいた男性2人が気付いた」とする記
事と「目撃していた男性2人が取り押さえた」という記事の2通りが存在す
る。短い警察発表を基に、各紙が憶測で書いた証左に見える。不明な点は
はっきりさせなければならない。

 「フリーライターですが」と署の受付に行くと、当事件の責任者であるとい
う副署長に内線連絡してくれたが、「一切お答えできません」との返事だっ
た。その上、「取材は警察庁の広報室で報道機関の登録許可を得てから
来てください」とくぎを刺された。

 植草教授はまだ容疑段階にあり、自身の会社のホームページで潔白を
訴えている。しかし、「容疑否認」の続報を出したマスメディアは時事通信
と『スポーツニッポン』だけだった。『毎日新聞』に至っては唯一の記事で
「否認」の文言もない。わたしは神でないから、真実がどうかは知るよしも
ない。しかし、「公正・中立」を旨とするマスコミ人が容疑者と犯罪者を同
一視し、氏を常習変質者と決めつける興味本位の記事も繁殖している。
権力と闘っているつもりのジャーナリズムが自分の足で取材せず、警察
発表を垂れ流すだけの機関に堕していることに失望する。

 植草氏は某誌9月号で、りそな救済に絡む竹中平蔵らのインサイダー
取引疑惑を指摘したばかりだ。近日発売予定の暴露本があったとのうわ
さもある。記者たちはこうした重大な背景を念頭に、小さな事件も慎重に
扱うべきではないのか。しかし、そうさせないものがこの国の報道体制に
あるのかもしれない。記者クラブに登録しなければ取材が許されない。記
者発表以上のことを発表者の意に反する方向で書けば、後で上司を通じ
て怒られることになる。大抵それ以前に内部で削られる。運良く載れば、
記者クラブから外され、何も情報をもらえなくなる。職に有りついているた
めには、つまらない発表資料でも、ほかにコメントをもらえなければ、それ
で書くしかない。記事がないよりはましである。万が一生活するに十分に
お金があって、独立できたとする。フリーで登録できても、危ない記事を書
けば、今度は直接狙われる危険性が常につきまとうだろう。住所も連絡
先も提出しているからである。

 植草事件に限らず、新聞やテレビでは問題の核心を欠いた空疎な議論
がよく展開される。マスメディアを覆う深い闇は、こうした"会員制"取材管
理体制を装置に維持されているのかもしれない。

 昨年の「郵政国会」のとき民主党の桜井充参議院議員が、米国から出
される「年次改革要望書」について取り上げた。郵政民営化への指示も、
これに明記されている。竹中大臣は同文書の存在を知らないと答えたが、
前年の衆議院予算委員会ではその存在を認めている。どの新聞もこのこ
とを報じないばかりか、今に至るまで「年次改革要望書」という文字を一
切載せていない。

 8月ごろから、医師不足が問題にされ始めた。NHK総合「特報首都圏」
では、少ない医師状況を創意工夫で乗り切る各地の事例を紹介した。毎
日新聞の「闘論」では、医師不足を偏在性と見る識者と絶対数不足と見
る識者の意見を併記していた。地方の医師不足は2002年と2006年の
2度にわたる診療報酬のマイナス改定と医局制廃止が原因なのは明らか
だ。報酬が下がった結果、地方の零細な診療所では経営が悪化し、閉鎖
が相次いでいる。改革によって自由選択が始まる前は、国家試験に合格
した研修医は出身大学の医局に残ったまま配属先の病院が人事で決め
られた。わたしは医療の専門家でも何でもないが、『奪われる日本』関岡
英之(講談社現代新書)を読んで初めて合点がいった。小泉首相は米国
の要求に応え、民間保険会社に医療保険商品の販売市場をつくるため
医療費の患者負担の相次ぐ引き上げを実施した。これに反対する日本
医師会が郵政民営化法案に反対する自民党非公認候補を応援したため
の報復が診療報酬の引き下げと言われる。マスコミが「医師の名義貸し
問題」を騒ぎ立てて医局制廃止に貢献したため、これを原因に挙げない
のはまだ分かる。しかし、医師不足問題を取り上げるとき、専門家も含め
なぜマスメディアは診療報酬の改定に触れないのだろう。

 わたしの取ってる全国紙は、「農業コンクール」や「街元気シンポジウム」
などを所管官庁の後援で開いている。「農業コンクール」の上位入賞事例
は、毎年紙面に掲載される。今年は40万羽を目標に規模拡大に挑む養鶏
所や26ヘクタールの茶畑を経営する製茶メーカーなど。社説は規模の拡
大を絶賛し、講評として大学教授が企業家意識と専門化を歓迎した。しか
し、農水省の統計によれば、前回の調査から全国で5000の集落が消え、
今年ついに全国の過疎地比率は50パーセントを超えた。米国が要求し続
ける農業自由化が着実に進んできた結果である。農水省は農地法を改正
し大規模化・法人経営化を促進しているが、新聞は成功事例を紹介するば
かり。根本原因である食管法廃止を論じたり、自由化がもたらす弊害を扱
った記事を見たことがない。

 6月末に開かれた「街元気シンポジウム」は、都市計画法と中心市街地
活性化法の改正を機に開かれたもので、座談会と基調講演の内容、「が
んばる商店街77選」の受賞事例が新聞に掲載された。商店街の衰退問
題はNHKでも新聞でもよく取り上げられるテーマだが、「シャッター通り」化
を招いた最大の原因である大店法の廃止に言及したものを見たことがな
い。日米構造協議で米国に撤廃を要求され、相次ぐ基準面積緩和の末、
2000年に全廃された。今回の特集紙面も隅々まで見たが、原因に言及
することなく、創意工夫で乗り切っている商店街を礼賛しているだけだっ
た。前中小企業庁長官の基調講演は特にひどい。「弊害の原因はそんな
に難しいものではない。モータリゼーションや住み方、あるいは街の将来
像を考えずに公共施設を郊外に移転してきたことも原因だ」ととぼけた挙
げ句、「やはり商いをする人たちの工夫が大事だ。9割の商店街が疲弊し
ていると言ったが、逆に言えば1割の商店街はにぎわっている所もある」
としゃあしゃあと言ってのける。自分たちが外圧に押されるまま廃止した
大店法に触れたくないのは理解できなくもないが、誰もこれに言及しない。

 秋篠宮殿下に親王が誕生したことで、2600年にわたって国体を守って
きた皇室滅亡の危機は一時的に回避された。引き続き検討しなければな
らない皇室典範見直しについて、NHKの「時論・公論」や新聞紙上でも議
論が行われている。世界に例を見ないほど永きにわたる王室を断絶の窮
地に追い込んだのはGHQである。天皇本家を残し、11宮家の廃絶を強
制した。占領統治後は日本人の心をまとめる装置などない方がいいとの
判断からだろう。11宮家が皇族離脱したことに触れるマスメディアはある
ものの、「皇族復帰は国民の理解が得られるものでない」「この選択肢は
もはや現実的でない」などと論外な主張として片付けている。

 それぞれの問題について、どんなに詳しい専門家や勉強秀才たちが難
しい言葉で議論を続けたところで、肝心な部分に触れないのでは永遠に
解決に至ることはない。前小泉政権は、よく「劇場型政治」と言われた。メ
ディアで訴えて得た国民の支持を武器に、党内で反発のある改革を次々
と断行するスタイルを指すのだろう。しかし、それだけなら大衆政治という
平易な言葉で済まされる。米国が操っていることを、わたしはこの言葉に
含ませたい。その意味で、人形芝居と言った方がいい。劇の語り手であ
るマスメディアは、人形使いの存在を知らないふりをし続ける。演目は政
治にとどまらず、社会的事件、音楽や映画など文化、スポーツなど国民
生活全般に及ぶ。大衆は人形芝居の観客。子どもが語り手に反して本
音を言うとしかられ、それに耳を傾けては職を失う。ただし、劇を見ている
限り、現実は直らないのである。このお芝居は敗戦からずっと続いている
のではあるまいか。


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2006年9月25日 (月)

国思う者を救うのは今(植草先生は無罪)

    
 下記は前回記事へ、underdog 氏から寄せられたコメント投稿である。

 あるとき、京浜急行に乗っていたとき、車中を移動している人達がいまし
た。よく見るとその中心に監察医の上野正彦先生がいました。有名人も電
車に乗るのだと感心しました。引きつれていた人達は年配の女性たちでし
た。明らかに彼女らはボディガードでした。有名人が電車にのるときは、そ
の位の注意は必要と思いました。

 なるほど、まったくその通りだと私も思う。植草先生は官邸サイドを中心と
する売国謀略勢力が放った監視チームに、常時監視されているという自覚
が不足していたと私も思う。しかも、酒を呑んで電車に乗ったのはうかつな
ことだと思う。それでも私は植草先生のことをおもんぱかってこう考えてい
る。彼が狙われるそもそもの原因の巨大さ、重さを考えれば、仮に植草先
生が電車に乗らないように極力注意していたとしても、別の状況で今回の
ような目に遭わされていたのではないだろうか。

 植草一秀という、斯界ではそれなりに知られ、かつては新進気鋭と言わ
れて強い嘱望を浴びた有能な経済学者がいる。彼は、天賦の才能である
その鋭い知性を駆使して日本経済を分析していた。そのうち、日本経済の
動きと、小泉内閣の施政方針及びその政策実践の相関関係を調べて行く
うちに、この政権が志向するある重要な政治ベクトルにはたと気が付いて
愕然とし、熾烈な怒りを持った。

 植草先生は、小泉経済政策に横たわる政策的な根幹に一本の揺るがな
い対米隷従構造を発見していた。第一次小泉内閣の折、植草先生は小泉
総理や竹中経済財政政策担当大臣と直接会って、彼らの間違った政策を
正すべく、日本の国益にかなうまっとうな経済政策の考え方を具申してい
る。(この辺りの経緯は「失われた5年ー小泉政権・負の総決算(2)~(6)」
にも出ている。)

 しかし、小泉や竹中の売国為政者たちは、植草先生の国を思う正当な経
済政策を無視し馬鹿にした。その上、彼らは植草先生を構造改革に反抗す
る最も悪質な経済学者として位置づけたのである。植草先生はこのときか
ら彼ら官邸サイドの監視下に置かれたと私は思っている。推測ではあるが
植草氏が今回、冤罪逮捕の直接のきっかけとなったのが、「マル激トーク・
オン・ディマンド 第283回(2006年09月01日) シリーズ『小泉政治の総決
算』その5 小泉内閣は改革政権にあらず  」に語られている下記の内容
である。


しかし、植草氏は小泉政治にはより大きな罪があると言う。それは、「構造
改革」の名のもとに行った様々な制度改革はその内実をよく見てみると、実
際はこれまで日本の政治を支配してきた旧田中派の建設・運輸関連と郵政
関連の利権を破壊し、それを小泉氏自身の出身母体となっている財務・金
融利権へと塗り替えただけでのものに過ぎないというのだ。そこには国民
の生活をよりよくするなどの「国民の側に立った視点」はまったく欠如してい
る。しかも、その「利権の移動」を、アメリカの後ろ盾で行いながら、アメリカ
のファンドなどにはしっかりと稼がせているという。これが、植草氏が、小泉
改革を「売国奴的」とまで呼んで酷評する最大の理由だ。

                            

 つまりこういうことである。小泉は、日本が背負ってきた旧田中派が有し
ていた金権利権の自民党を否定し、日本の旧弊構造を破壊して構造を刷
新するのだと気炎を上げて、旧経世会の流れをくむ橋本派を事実上、日本
の政治史から葬り去った。小泉たちはこれを、現行構造改革の必須事項
として大いに喧伝した。これで日本を腐食させていた「利権政治」は終焉し
たと歓喜の合唱をした。ところがである、植草一秀先生はこれに最大の欺
瞞を発見しているのである。それが上の記事にある「利権の移動」という
驚くべき事実である。植草先生は、りそなに絡む国家的インサイダー取引
よりも、こっちの方がはるかに悪質だと言っている。

 植草一秀先生が小泉政権を批判した悪の本質には、二重の国民を裏切
る構図が存在していたのである。一つはりそな疑惑、もう一つは橋本派
つぶしの実態が、実は「利権移動」にあったことである。
後者の方がは
るかに悪質だと彼が言うのは、これによって国民に期待を抱かせた構造改
革の本質が、小泉政権を儲けさせるために行われていたという驚愕すべき
内実だったからである。すなわち財務・金融利権への塗り替えである。先
生は、これらの詳細をこれから世間に暴露する途上であったと思われる。

 皆さんも考えてみるといい。植草先生はその正義感から、その義憤から、
小泉政権の悪を糾弾する覚悟を決めたのである。しかもその告発的言動を
単独で行う決心をして、あちこちで言い始めたのである。彼自身も鋭敏な察
知力を持つ方であるから、当然、監視されていることは百も承知だったと思
う。しかし、彼が単身で立ち向っていた先の疑惑・疑獄の巨大さを思ってみ
ればいい。ことは小泉内閣だけではなく、アメリカの肝入りが絡んでいるの
である。こういう国家的怪物、すなわちリバイアサンを相手にして、どんな硬
骨漢であろうとも毎日毅然として気を張っているなどということはできない。

 考えたことがあるだろうか。命を狙われるストレスを抱え、それでも悪の告
発に踏み切っている単独生身の男というものを。その独りの男が耐える精
神のあり方を。それがどんな重圧かを。我々が植草先生の踏み切った凄惨
な修羅の道をどれほど想像できるというのだろうか。並みの覚悟ではこれ
は出来ないのだ。

 しかし、植草先生とてこの重圧を持続したままでは精神が持たないはず
である。酒でこれを緩和したいと時には思うことだってあるだろうし、その極
限的な緊張から解放されたい瞬間だってあるはずである。こう言うと悪意の
ある連中は、「ほれ見ろ、だから植草はその緊張緩和のために女子高生の
尻を撫でたんだ」と即座に言うだろう。違う。国民と国家の行く末を腹の底か
ら思い、命を賭けている者は酔っていても絶対にそのようなことはしない。
それを性癖として持つ者なら、最初から命がけで国家を護ろうとする発想は
出てこない。毎日AVでも鑑賞しているQOL(生活の質)に身を置いて居る方
がよっぽど安全で楽しいだろう。

 なぜ植草先生が性犯罪者に仕上げられねばならないのか。それは彼の
名誉を徹底的に貶めるためである。その犯罪でなければならない理由は、
彼が社会に言論を発することを封じるためである。言論人としての植草先
生の価値を完全に否定することが謀略サイドの目的なのである。それに
は植草先生の人格を全否定する痴漢犯罪者が最も都合がよかったから
にほかならない。冤罪を殺人に仕立てた方が決定的であろう。しかし、何
もしていない植草先生には犯罪事実も動機もないわけであるから、下手
をすれば謀略側の犯意や工作が発覚して世間の耳目を集めてしまう。そ
こで以前の手鏡汚名の経緯から考えるならば、仕掛ける側が最も安全で
確実な方法こそ、痴漢犯罪であったということになる。

 謀略側がただ植草氏を謀殺した場合、植草氏の書いたことや言論活動
は世間の関心を引く可能性が強い。しかし、彼の名誉を完全に剥奪するこ
とによって、彼の経済学者としての人格的信用性、そして社会的信用性を
完全に剥奪して置けば、彼が何らかの理由で亡くなっても、世間は彼の言
論を知りたいとは思わないだろう。今回の植草先生の逮捕の目的はそこに
収斂しているのだ。今回の謀略側の意図は、植草先生のすべての小泉政
権批判の信憑性を、完全な形で地に堕とすことを狙ったものなのである。そ
この部分をよく考えて欲しい。

 謀略側の思惑が、その最初の段階に成功した今、次に何が起ころうとし
ているのか、そのことをどうか皆さんも考えて欲しい。それは植草先生自
身の口を永久に封じることなのである。植草一秀謀殺の危機は単なる思
い付きではない。そのことは、これまでの経緯から導き出される、きわめ
て明確な論理的帰結なのである。

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2006年9月24日 (日)

植草一秀氏は今、謀殺の危機に晒されている

 これは冗談でも何でもなく、私は植草一秀氏の生存が脅かされている可
能性を真剣に憂慮している。それをブログに書く私を、あざ笑う者はいるだ
ろうが、ことはそのような些細な問題ではない。植草一秀氏が生命の危険
に最も晒されているのが今であると感じているのだ。その理由をざっと述
べる。

 前回の手鏡事件は確実に冤罪である。植草氏と小泉政権が以前から
政策展望において根底から対立していたことは事実である。植草氏は国
益毀損型の小泉経済施政を舌鋒鋭く批判し続けていた。手鏡事件以後も、
植草氏は身の潔白と共に小泉施政、特に「りそな銀行騒動」に絡むインサ
イダー取引の疑惑を、株価の動きや金の動きから、経済学者として指摘
していた。宮崎学氏主催の「直言」での一連のリポートも、彼の訴えたい
ことが、りそな銀行関係に収斂していることが見えてくる。

 これが官邸サイド、特に竹中平蔵や小泉総理、その取り巻き連中の決
定的な危機感を招き、植草氏は手鏡破廉恥男の汚名を着せられた上に、
今回の痴漢逮捕劇を演出されてしまったのである。

 背景には官邸サイドが絡む国策捜査が働いたと私は確信している。そ
の理由を私なりに述べ、今後のブログで展開していくつもりであるが、本記
事では至急言わねばならないことがある。謀略で植草氏を拘束し、無実の
植草氏に性犯罪の汚名を着せ、世間に対する彼の言論表現を封じるにし
ても、今回の痴漢逮捕劇には謀略側の焦りが感じられるのだ。植草氏を
憎む連中側の、何かしらの緊急性が感じ取れるのだ。

 今日から二日後の26日に、国会召集が行われて竹中平蔵の辞任発表
が出るまで、謀略サイドは植草氏に、絶対に言って欲しくない、あるいは書
いて欲しくない理由があったのかもしれない。それが何であるのかわから
ないが、もしかしたら、そのことは植草氏を突然襲った不幸の中の僥倖で
あったのかもしれない。なぜなら、謀略側の緊急性がどのような理由であ
ったにせよ、それによって今の所は植草氏の「謀殺」が回避されているよ
うな気がしているからである。しかし、植草氏の身はけっして安全ではな
いと思っている。

 今回の植草氏の痴漢逮捕はあまりにも唐突であり、それを仕掛けた側
の焦りが感じ取れると共に、二度と植草氏に政権批判をしてもらいたくな
いという熾烈な意志が見えてくる。この記事を見ている皆様方にも是非真
剣に考えてもらいたい。

 もしも、もしもである。植草氏が行っていた政権批判の中に、小泉政権
絡みの重大な経済事犯が存在していたとしたらどうであろうか。しかもそ
れが国家的な規模の経済犯罪だとしたらどうであろうか。植草氏のリポ
ートで最も重大なポイントは、小泉政権の失策というレベルにはないかも
しれない。それは、りそな銀行に絡む、金融危機不安の演出による株価
暴落と、新自由主義経済政策の根幹的精神である小泉お得意の「自己
責任論」を放棄してまでも政府資金でりそな銀行を救った、その一連の動
きの中にあるのかもしれない。

 世間は表面的にはこう受け止めた。小さな政府論をうんざりするほど絶
叫していた小泉や竹中は、りそなに関してだけは自己責任論を回避して
金融システムの安定化を最優先とし、ケインズ経済的な政府救済を臆面
もなく行った。それを眺めていた経済通たちも、おい何だいこりゃ、まった
く変節もいいところだなと思ったに違いない。

 しかし、りそなの真の問題はそんなところにはなく、実はこれら一連の騒
動の中で、その動きの本質を植草氏が一番言いたかったことは『政府犯
罪』の実態だったのだろう。彼が指摘するように、政府が金融不安を恣意
的に煽ることによって、株価を一気に下落させ、それが底値であることを
「知っている」何者かが、底値買いを行い、竹中がりそなの救済に政府資
金を供与して、株価が再び上昇に転じた頃合を見計らって、売り抜け、ま
たは、その後の株価上昇を睨んで保持し、膨大な儲けを手にした、あるい
はこれから手にする可能性があるのだ。ここで外資が動いていたと植草
氏は指摘する。

 つまり、植草氏は、小泉政権は政策上の失敗で日本経済を破綻寸前ま
で導いたが、その副産物として二つの出来事が日本に生じたと言ってい
る。一つは、本来は生起しなかったはずの失業、倒産、自殺の地獄を招
来したことと、もう一つは外国資本が日本の優良資産を理想的な安値で
買い叩くことができたことの二つを上げている。文脈に気をつけて欲しい。
私には行間に込められた植草氏の本音が見える。外資の政府への介入
を、「小泉施政の副産物」だと植草氏は言葉や表現に最大の注意を払っ
て書いているが、彼が本当に言いたかったことは実はこうである。小泉政
権は、国会議員と、外資系ファンド(アメリカ金融資本)と、竹中に協力し
た一部民間人を含む政権協力者たちのトライアングルが構成されていた。
これら共謀者どもが起した巨大なインサイダー取引があったということで
ある。

 植草氏はそれを調べるために当時の関係者から事情聴取を行う必要を
説いている。小泉は基本的にはアメリカに都合のよい売国方針を貫いて
きたが、それだけではなく戦後最大の疑獄事件と言われるロッキード疑
獄事件を上回る、アメリカが絡んだ国家的経済事件を起こしていた可能
性があるのだ。そして植草氏は株や金の動きからその本質を正確に把握
したのである。

 従って、この疑惑が当たっていたとするなら、植草氏がすでに謀殺され
ていてもなんら不思議ではないのである。ところが前述したように、売国
謀略サイドには今それを実行できない理由があるのである。それが竹中
辞任の直前だというタイミングに関わることだと私は感じている。官邸サ
イドと警察が共謀したら、個人を抹殺することなどいとも簡単にできるだ
ろう。しかし、痴漢逮捕という事象を経ないで植草氏を殺めた場合、その
死の不自然さが世間の注目を引く。しかし、逮捕拘留という過程を経た
場合は、「絶望感に打ちひしがれて」といういかにもな自殺理由が出来
上がるわけである。だからこそ、今の植草氏の身は危険な状況に入っ
てきたと私は感じているのである。

 とにかく、私が今、最も憂慮しているのは、現在を含む今後の植草氏の
身の安全についてである。植草氏のリポート『失われた5年ー小泉政権・
負の総決算』を熟読してもらいたい。このようなことが言える者は完全に
身を捨てて、自身の命を捨てる覚悟をしなければ絶対に書けないことな
のである。植草一秀氏はその優しい風貌に似合わず、幕末から明治動
乱期以来の国士そのものである。不惜身命の極地の覚悟でこの言論活
動を行っているのだ。小泉や竹中のような屑、奸人たちが跋扈する今、
植草氏のような立派な人物を日本から抹殺してもいいのかと一国民とし
て真剣に思う。

 私が植草氏の命を案じていることが杞憂に終わるならば、それは幸せ
なことである。私が嘲笑されればそれで済むからである。しかし、謀略サ
イドの植草封じの意志が強靭であることがわかった今、植草氏は拘留中
にも自殺などの偽装によって謀殺死に追い込まれる可能性がある。それ
を防ぎたい一心でこの記事を発信する。

 皆さんには、竹中平蔵辞任のあとの植草氏の安否動向を気遣って欲し
い。彼の命が今、最も危ない状況にあるのは、マスコミがこぞって彼を性
犯罪者に仕立て上げていることだ。この状況は彼が絶望して自殺を選ん
だと当局が最も説明しやすい状況なのだ。

 何度でも言う。植草一秀氏は現代の武士道精神を最大限に実践してい
る救国のもののふである。こういう人物を生かすことこそ、国家再生の礎
(いしづえ)となる。よく考えて欲しい、彼が官邸の眼の敵になる重大な理
由があることを・・・。

 我々日本人は、いつまでも米国の膝下に甘んじていては駄目なのだ。
今のままでは大切な国富が消尽されるばかりか、植草氏のような有意の
国士までこの日本から居なくなる。こんな亡国状況をいつまで続ける気な
のだ。眼を覚ませ、日本人よ。



 参考図書

  1、  「あるべき金融」東洋経済新潮社 (著者:堺屋太一、刈屋武昭、
                              植草一秀 )

  2、   植草一秀「失われた5年ー小泉政権・負の総決算(2)~(6)」

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2006年9月22日 (金)

植草氏、すでに七回も示談あり、って何だ?

 おお、吉原炎上ですな。過疎地域の拙ブログがこんな風にアクセス
数が上がるとは予想だにしていなかった。ランキングでもやるかな。(笑)

 山崎行太郎先生、トラックバックありがとうございました。本当に恐縮
しております。

 さっそく先生の毒蛇山荘日記の記事、『「女性セブン」の情報源は? 
官邸? かな(笑)…。』から一部引用させていただきます。

 
 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/

 さて、「女性セブン」は、植草氏その後として、物凄い情報を出した
ものである。 植草氏は過去10回、痴漢による逮捕歴があり、そのうち
7回は示談が成立して、表沙汰になったのは今回を含めて3回だとい
う話である。

 そもそも過去7回の示談事件があったとすれば、前回の「手鏡事
件」の時、長い裁判期間が継続していたにもかかわらず、その示談
事件がいっさい話題にもならなかったのが不思議だろう。なぜ、今、
その7回の示談歴が、「女性セブン」で暴露されなければならないのか
              (毒蛇山荘日記より)

 まったくもってその通りである。それについて、下のテレビ番組で宮崎
哲也が、過去七回の逮捕歴は、当時植草氏が所属していた野村総合
研究所が揉み消したと言っている。宮崎はその情報をどこから仕入れ
たのだろうか。思うに、野村総合研究所が揉みつぶしたとしても、一回、
二回の示談ならともかく、七回も示談が成立した事実がまったくリーク
もされずに今まで保留されてきたということなのか。

 また、その発表がなぜ「女性セブン」なのだろうか。トドメの手榴弾を
なぜ女性誌に? 女性の敵、にっくき痴漢犯罪だからか。いかにも都
合よすぎないかなと思ってしまう。しかも、なぜ今になってから?

  http://www.youtube.com/watch?v=JhgFeMPtwOU

 印象操作風に言うなら、宮崎哲也は武部勤一家とご飯を共にする仲
だといつかテレビで言っていたから、野村総研の件は官邸サイドから
聞いたのだろうか。印象操作ではなくストレートに言うなら、宮崎は官
邸マンセーなのかな。(笑)

 このテレビ番組を見ていて、ふと感じたことがある。私は西村眞悟氏
の逮捕の時も、今回の植草氏の件のときも、テレビ番組で「国策捜査」
という言葉を聞いた覚えがない。それを聞いたのは今回が初めてであ
る。司会者が大きな声でその言葉を使っていた。

 テレビが、たとえ否定的な意味で使用したとしても、「国策捜査」とい
う言葉が放送された意味は非常に大きい。なぜなら、それを聞いた視
聴者が国策による捜査の意味と、植草氏事件の背後の謀略の可能性
を考えるからである。今までは、著名な経済学者・植草氏の性犯罪とい
う位相で観ていた人々が、たとえ面白半分にしろ、小泉政権のどす黒
い謀略性に思いを馳せるからである。

 もしかしたら、小泉政権の五年間には、巨大な経済犯罪疑惑が存在
し、植草氏がそれを指摘して、政府を酷評し始めたから狙われてしまっ
たのかなという視点が出てくるからである。国策捜査疑惑を否定するた
めにテレビが放った「国策捜査」というキーワードは、聞いた者の興味
を、性犯罪から国家的経済犯罪の可能性にいざない、植草氏の論評
が指摘する巨大な悪を浮かび上がらせる契機になるかもしれない。

 宮崎哲也いわく、

「だからね はっきり申し上げるけれども、彼の経済的な知識や彼の経
済理論と、彼の下半身がどういう方向性を持っているかということは、ま
ったく別なんですよ。ですから、彼は、私は更生して欲しいと思う。更生
されるためには、冤罪とかね、陰謀とかね、そういうことを言っちゃい
けないんだよ、治療させるべきなんだよ



 
下線の部分はかなり激高した感じで喋っていたが、なぜ宮崎がここま
で突出的に、陰謀説とか冤罪説を否定した上に、植草氏の治療に話の
落ちを収斂させねばならないのだろうか。その前に、前七回の逮捕歴に
ついてこうも言っている。「七回ほんとかどうか知りませんけど云々」。
 その七回の逮捕に信憑性が持てないのならば、後半で「治療しかな
い」という結論の持って行き方は奇妙である。彼の説明に矛盾点を感じ
るところがあるとすれば、七回逮捕歴には確信が持てないが、野村総
研がそれをもみ消したことについては断定していることである。野村総
研が揉み消した件が確定的な情報に基づいているのであれば、新た
に出た七回の逮捕事実も確定的な信憑性を持つと言わなければなら
ないのでは?

 テレビが視聴者にバランスの取れた受け止め方をしてもらうためには、
たとえば、10のいわゆる正当な意見を言う者に対して、1か2くらいの
反対の視点、疑問の視点を持つ者を配置するのが普通なのではない
だろうか。特にこの番組のように週刊誌記事を俎上に乗せて、あれこ
れ思ったことを語らせる番組はそういう風にするのではないだろうか。
警察の直接の発表ならともかく、週刊誌記事だけで情報源の確度が
保証されたかのような放送態度はどうなのだろうか。娯楽性に視点を
置く番組なら、なおさら反対意見があってもいいのでは?「女性セブン」
の記事の確度や権威ってのはそれほど高いのだろうか。


 私にはコメンテーターたちが、植草氏を「性的欲望を抑制出来ない男」
という前提に立ち、あとは治療しかないと言っている様子に対して、典型
的な印象操作であるとしか思えないのである。 
      

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2006年9月20日 (水)

植草氏逮捕に関するメディアの独断性と偏頗性

 植草一秀氏の痴漢疑惑逮捕のニュースで、私は、報道された情報をす
べて網羅しているわけでは勿論ない。痴漢事件が起きたときの電車内の
状況や、植草氏が駅の事務室で蒲田署員に引き渡されるまでの詳細な
情報は、はたしてどれくらい出てきているのだろうか。

 私の知る範囲では、一連の経緯をそれなりに報道しているのは、下記
のnikkannsports.com である。これ以上の仔細な報道が出ているのかど
うか私にはわからない。もしあるのなら、是非にも知りたいと思っている。

 (1)nikkansports.com[2006年9月15日8時14分]
 この電車は同10時8分に品川を発車。席は埋まっていたが、乗客の肩
が触れるほどは込んでいなかったという。女子生徒は前から3両目の車
両中央部付近に立っていた。セミロングの黒髪、身長は約155センチ。紺
のミニスカートに白のブラウス、グレーのセーター、白のハイソックスという
制服姿で、学校行事の準備を終え、1人で帰宅途中だった。調べによると、
植草容疑者は品川を発車直後から女子生徒の右背後に立ち、左手でス
カートの上から尻の右側を触り始めその後、左手をスカートの中に入れ、
下着の上から尻を触ったという。当時はスーツ、白いワイシャツ姿でネク
タイはしていなかった。右肩にバッグをかけ、左手に黒い傘を持っていた
が、女子生徒は、植草容疑者はこの傘を左手首に引っ掛けて触っていた
と話しているという。数分間触り続けたところで、女子生徒が泣きだし「や
めてください」と声を上げた。付近にいた30代男性2人が異変に気付き
「何やってるんだ」と注意。植草容疑者は黙ってうつむき続けたという。

      

(2)毎日新聞の記事の抜粋
  警視庁蒲田署によると、植草容疑者は13日午後10時10分ごろ、京
浜急行品川―京急蒲田駅間を走行中の下り快速電車内で、女子高生
(17)の後ろに立ち、スカートの上から尻を触った疑い。女子高生が「や
めてください」と声を上げて発覚。乗客の男性2人が植草容疑者を取り
押さえ、京急蒲田駅で同署員に引き渡した。  (毎日新聞 9月
14日)

 (3)Dialy Spoprts Onlineより抜粋
調べでは、植草容疑者は13日午後10時10分ごろ、京浜急行品川-
京急蒲田間の快速電車内で、神奈川県内に住む私立高校2年生の女
子生徒のスカートの中に手を入れ、下半身を触った疑い。女子生徒が
「やめてください」と声を上げ、目撃していた乗客2人とともに取り押さえ、
京急蒲田駅で駆け付けた蒲田署員に引き渡した。

 以上の三つの記事から最も気になる部分を抜粋して疑問に思うことを
書く。気になることとは、植草氏を取り押さえたと言われている二人の30
代男性の判断と行動の時系列である。

(1)の記事に見られる二人の男性の行動
==============================
 数分間触り続けたところで、女子生徒が泣きだし「やめてください」と声
を上げた。付近にいた30代男性2人が異変に気付き「何やってるんだ」
と注意。 
==============================

 これを読むと二人の男性は、女生徒が声を上げてから異変に気づいた
ことになる。

(2)の記事に見られる二人の男性の行動
=============================
女子高生が「やめてください」と声を上げて発覚。乗客の男性2人が植
草容疑者を取り押さえ、・・・・
=============================

 これも(1)と同様に、女子高生が声を上げたことで、二人の男性が発
覚したということになる。

(3)の記事に見られる二人の男性の行動
=============================
女子生徒が「やめてください」と声を上げ、目撃していた乗客2人ととも
に取り押さえ、
=============================

 これは(1)、(2)の記事と決定的に意味が異なってくる。すなわち、植
草氏を取り押さえた男性二人は、女子生徒が「やめてください」と言った
ときは、すでに植草氏の行為を目撃していたことになる。わざわざ「目撃
していた」と過去進行形で書いているのである。文脈から言ってそう受け
取るのが自然である。書く側は、重要な意味を持つ表現をぼかすことは
しないだろう。この記事から読み取れることは、痴漢を働いた者と被害
者以外の第三者の客観的な目撃があったことを示している。

 
 取り押さえにかかった男性二人について、上記以外の表現で報道され
た記事がまだあるのかもしれないが、少なくとも矛盾した報道が出ている
わけである。その矛盾の意味は非常に重大である。つまり、痴漢行為に
ついては、女子高生が「言ったから発覚」したということと、女子高生の声
とは別に、男性二人はすでに行為を目撃していたという二種類の報道が
出ていることになる。つまり、男二人が犯罪を確認した方法と、それに至
る時系列、因果関係が決定的に違うのである。

 被害者である女生徒本人が叫んだことで発覚されたことと、第三者が
女生徒とは別個に目撃していたこととは客観性の重さがまったく違って
くるのである。

 それにしても奇妙ではないか。蒲田署の発表ソースはあくまでも一つ
である。それを新聞各社が文字にして発表した時は、裁判的な意味合
いがまったく異なる二種類の報道が出たことになる。逆説的に考えれば、
蒲田署が報道関係者に説明した時には、この第三者の男性二人の目撃
証言について肝心な部分は語っていないことになる。(3)の記事は表現
上の勇み足の可能性が高い。ということは、植草氏の痴漢を指摘した
者は、その女子高生だけであったという可能性が非常に高いことに
なる。

 私がいくつかのニュースを見た感じを言えば、植草氏を決定的に犯罪
者だと断定する客観的な情報は何一つ出ていないことになる。しかもで
ある。「女子高生自身の証言によれば」という情報さえも目にしていない
のだ。私はここに、植草氏に関するマスメディア報道の恣意的な偏頗性
を感じるのである。女子高生自身の証言という表現もなく、取り押さえた
男性二人に関する確定的な情報もない。

 妙だとは思わないだろうか。女生徒、そして男性二人、この三名の証
言という確定性が曖昧な状況で、マスコミが逮捕記事を流している事実。
この状況で、はたして植草氏を犯罪者呼ばわりできるのだろうか。つまり、
今の段階で何が起きたのかと言えば、植草氏の件には、推定有罪の方
向性しか見えていないということになる。もう少しこの事実を敷衍すれば、
この三名の証言の不確定性を敢えて示すことに加えて、マスコミにいき
なり逮捕記事とワンパターンな前回手鏡事件の併置報道をさせることに
よって、国民にこの事件の誤った先入観を与えていやしないだろうか。す
なわち、三人も当事者がいるのに、彼らの証言が一切報道に出ていない
ことと、逮捕という言葉と過去の手鏡事件を併記、あるいは併置報道す
ることによって、国民に恣意的な刷り込み操作をしているように私には見
えるのである。これは植草氏の痴漢性癖が、あたかも既成事実であるか
のような印象操作そのものである。謂わば洗脳に近い構造になっている
とは思わないだろうか。

 発表されているものには、植草氏の有罪を特定する客観的な材料、
つまり、決定的な目撃証言に関する一切の情報ソース、及びその因果
関係は書かれていない。つまり、「スカート内に手を入れ、尻などを触っ
た疑い」という肝心な痴漢行為については、誰がそれを証言したのか
がわからない。常識的には、被害を受けたと称する女子生徒自身から
の証言を暗然と示しているかのように感じるが、それさえも書いていな
い。痴漢の場合は、被害者本人の証言を重視する推定有罪が有効で
あるから、女生徒の話だけで植草氏は痴漢行為を行ったとされたのだ
ろうか。その可能性は圧倒的に高い。

 身体に関する犯罪というものを一般的に考えると、普通は実行犯と
被害者の間には決定的な犯罪の痕跡が残る。決定的なのは、傷害や
傷害致死の場合は被害者に傷痕があるとか、極端な場合は被害者の
死という完全に眼に見える状態がある。同じ身体関係の犯罪でも、拉
致や監禁などは物理的な拘束を受けるという客観性が生じる。ただ、
名誉毀損などの心理犯罪の場合は、物理的視覚的な傷は付かない
が、心理的な傷を付けた原因となる文章や言動が記録されている場
合が多く、そういう意味でははっきりと犯罪事実が確認できる。

 しかし、痴漢被害の場合は、女性が被害を訴えるか、実行犯人を自ら
確保するまでは、わいせつ行為自体があったことは、通常、周囲の人
間には知られていない。周囲の人間がそのことを「気が付く」場合とは、
ほとんどが女性の訴えや指定を受けてからである。今回の植草氏の場
合にも、ニュースに出てくる二人の男性が、痴漢行為と同時進行的に
それを目撃していた可能性は限りなくゼロに近い。ならば、女性が故意
に、意図的に叫んである男性を指差しても、その男性を鉄道公安官や
警察に引き渡すことも大いにありうることだと考えなければならない。

 痴漢という犯罪は、ほぼ完全な隠匿性の中で行われるから悪質なの
である。従って、痴漢被害の場合に限り、人権を拡張的に考慮する立
場から、被害者の申し述べだけを根拠とする推定有罪が特例的に認
められてきたのではないだろうか。しかし、被害者本人以外の目撃が
ない状況で、どうやって被害者の訴えが真正なものと確認できるので
あろうか。それが痴漢冤罪ではないとどうやって証明できるのだろうか。

 「おれはやっとらん」という弁明が、被害者の言葉よりもはるかに軽い
のであれば、本当にやっていない場合は悪魔の証明以外にないこと
になる。そういう極端な非対称性を持つ犯罪が痴漢なのである。冤罪
が生起しやすいまことに厄介な犯罪である。女子高生が植草氏という
有名人を見て、ほんのイタズラ心で狂言被害者を装った可能性は除去
できないのである。その可能性もあるが、私自身は植草氏逮捕に直接
関わった女生徒と男二人が確信犯である可能性のほうが強いと感じ
ている。この件に関するかぎり、ことの真相は慎重にも慎重を重ねる
検証が必要なのである。

 ところが我が国のマスコミのひどさは筆舌に尽くしがたい。警察の曖
昧な情報源だけで、蓋然的に植草一秀氏を確定的な犯罪者扱いにし
ている。こんなことが法治国家で許されるのか。特にマスコミがある種
の力を有していて、それを行使するなら、それは権力の暴走を監視して、
国民に訴えることにあるのではないか。今のマスコミは、特に小泉政権
下のマスコミは報道陣としての魂を完全に亡失し、小泉独裁権力におも
ねる愚劣さを持ってしまった。現在の日本は事実上の暗黒社会である。

 もう一つは、テレビ報道の偏頗性である。このニュースに関して、テレビ
で報道する内容はネットや新聞で見るものとほとんど同じであるが、奇妙
なことにテレビ特有の猟奇趣味的で野次馬的な視点による取材を一切し
ていないようなのである。どういうことかと言えば、テレビはワイドショーが
特に典型的だが、有名人が事件を起こすと、必ずそれを取材に行き、周
囲の迷惑も省みずに、事件の関係者や周辺にいた人たちにあることない
ことを聞きまわる。それはほとんど事件の本質とはかけ離れたプライベー
トなことに重点を置いているが、少なくともテレビ独自のソースを見つけて
取材を行うのが通例である。テレビが独自の取材を行うのは、テレビが
文字メディアとは異なり、視覚メディアであることを示す存在証明でもあり、
矜持とも言える。

 しかし、不思議なことに、今回の植草氏に関することについては、テレビ
も警察発表ソースだけで止まり、独自の画像主体の取材活動を行ってい
ないように見える。アナウンサーやキャスターが、警察発表の新聞記事を
そのまま棒読みしている感じなのだ。各局とも、一様に、前回の手鏡疑
惑を強調し、電車内の件についてはテレビ独自の取材行動をしていない
ようなのだ。思い起こせば、前回の手鏡騒動の時も、テレビは駅構内の
混雑した映像のみを流しながら新聞記事と同じことを繰り返していたよう
に思う。つまり、植草氏の件に関しては、テレビの存在証明である関係者
画像を用いなかったのである。

 その気になれば、当日、現場に居合わせた者を一人や二人見つけて、
ワイドショーらしい覗き見趣味な質問を行っていたはずである。あるいは
未成年の女子生徒本人は避けても、その親兄弟や親族、近所の住民に
聞き込みに行くくらいは常套手段であったはずである。ところが、そのゴキ
ブリ的な生命力は、植草氏の件に関してはまったくと言っていいほど発揮
されていないように見える。テレビの有名人報道が、植草氏に関しては、
その定番的な下司取材を行わないということは、あらためて思うと不可解
である。

 うがって考えれば、これは昨年の郵政民営化時にテレビが、民営化の
背後で糸を操る、外資やアメリカの意図を報道することを一切禁忌にし、
徹底的に忌避したことと、どこか似通っているキナ臭さがあるのだ。宮
崎学氏の「大衆迎合的人道主義」という言葉を借りて言うなら、植草氏報
道に限っては、普段よりも極端な大衆迎合的人道主義が優先され、テレ
ビメディア特有の映像取材による検証がなかったような気がする。そのこ
とはとりもなおさず、テレビの報道視点が植草氏の件に関しては通常と
異なっていることを暗示している。昨年の郵政民営化総選挙前の一ヶ月
あまりのテレビ報道には明らかに報道管制が敷かれていた。それは一
貫して、郵政民営化推進の小泉擁護の報道視点であった。これに反す
る考え方や視点は一切封じ込まれたのである。この時、テレビが報道
世界の良心や魂、公平性を完全に亡失していたことは記憶に新しい。

 その時を髣髴とさせるほどあからさまではないにしろ、今回の植草氏報
道でも、テレビの視点は偏頗性を強く有している。つまり、事実を検証しよ
うともせず、はじめに植草氏の痴漢逮捕ありきという前提を、あたかも常
識であるかのようにセンセーショナルに伝えたのである。事実を伝えると
いう段階をすっ飛ばして、植草氏の決定的な社会的ダメージを構築する
ことが目的であったかのような印象を受ける。つまり、テレビや他のメディ
アが、今回の植草氏報道に本音のメッセージとして孕んでいたものは、
常態的に痴漢をするような性癖の植草氏の言うことはまったく信用できな
いでたらめなものなんだぞということである。警察発表に出た正確な情報
の異常な少なさと、メディアの偏頗性を足して二で割ると、権力を有した
第三者の策謀という線が浮かんでくる。

 つまり、あの当時の抵抗勢力と言われた政治家たちの論評を一切発言
させずに忌避し、封じ込めた気配と共通した匂いを感じるのである。植草
氏は竹中や小泉の憎悪の的である。それは取りも直さずアメリカの警戒
心を強く買っている人物ということなのである。それも植草氏自身は、アメ
リカにとっても、最重要クラスの抵抗勢力なのである。私は今回もマスコミ
が、特にテレビが官邸とタイアップして植草有罪論を祭り上げたような気
がしている。これは元をたどれば必ずアメリカの意図が働いていると言え
るだろう。

 郵政民営化は来年の2007年に郵政公社を民営化して本格的に始動
する。アメリカの垂涎の的である郵政資金が、彼らの仕掛けた自由市場
の罠に晒されるのが近づいてきている今、植草氏のような国益主義の経
済学者は最も邪魔な存在なのである。従って、推量できることは、今回の
植草氏の痴漢逮捕は、植草氏の全人格否定を的にした故意の偽装犯罪
だったという結論になる。その黒幕が国民に対して無言で示したことは、
植草氏の発言を信用するな、彼の書いたものは決して読むなという強い
サインなのである。だからこそ、この事件にきな臭さを感じている人は
積極的に植草論文、あるいは植草論考を読むべきである。

 新聞記事やその他のニュースでは、植草氏が推定有罪の可能性にお
いて逮捕されたのか、あるいは第三者の決定的な目撃をもって逮捕され
たのかまったく出てこない。見えるのは、とりあえずは逮捕拘留して置い
て、マスコミで徹底的にイメージを悪化させれば植草氏の言論活動は完
全に封殺できると考えているのだろう。立件が可能かどうかは後回しと
いうことなのか。

 被害者の女子高生と、植草氏を取り押さえたという二人の男性の素性
や背景を徹底的に調べてもらいたい。もちろん、蒲田署とは別の管轄で。
警察権力と無関係の人が調べることはできないのだろうか。二人の男性
はテレビや新聞になぜ出てこないのだろう。最後に言うが、植草氏の犯
行を示す客観的な情報は何一つ出ていない。そのうえ、被害者自身の
主観的な情報は、植草氏が左手首に傘を引っ掛けながら尻を触っていた
こと以外には何一つ出ていない。尻の触り方も二種類の報道が出ている。
(1)は下着の上から触ったことになっているが、(2)はスカートの上からと
書いている。これも判然としない。警察がその点もはっきりと言わなかった
ということなのか。

 出たのは、女子生徒が「やめてください」と言ったということだけである。
あと、彼女は泣いたそうである。警察は肝心なところを何も出していない。
にもかかわらず、マスコミは逮捕だ、逮捕だと検証もしないで花火を打ち
上げている。この構図をじっと見たら、植草氏が「はめられた」という疑念
がますます強くなる。また、「反戦な家づくり」というブログからたどったが、
「PJオピニオン」に無視しがたい記事が出ていた。

 「どこかのテレビ局では、事件が起こる前に、電車内で女子高生の
  「あー、植草だぁ~」という声が聞こえたという証言が紹介されて
 いたが、
女子高生の植草氏へのいたずらの可能性も残されて
 おり、
もしも、その可能性が出てこれば、事実関係の確認の前に、
 今度は女子高生叩きに走るだろう。」


  http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2452811/detail


 以上を踏まえて言うのだが、植草一秀さんの心情をおもんばかると、
心底胸が痛くなる。

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2006年9月18日 (月)

トンズラ小僧、竹中平蔵

 竹中平蔵総務相が15日に議員辞職表明をした。自分は小泉首相の補
佐として仕事をしたのだから、小泉純一郎の退陣と共に議員を辞職すると
いう理由を述べた。

 普通に考えて不可解なのは、郵政民営化法案の成立をあれほど矯激に
牽引した竹中が、任期四年を残して今退陣することである。一般的に考え
て、郵政民営化法案の是非を脇においてみると、竹中があれほど執心し
た郵政民営化の具現化というか、その後の推移を責任を持って見届ける
というのが普通であり、政治家の責任だと思う。たとえ、担当大臣を退い
ても政治家としてその行く末を見守る責務があるのではないだろうか。

 小泉の補佐役でしたなどと言ってあっさり辞めることは奇異な感じがす
る。あるブログで、竹中が退くことはキリスト教で言う、いわゆる良い知ら
せ、福音であると書いていた人がいた。まったくその通りである。この御
仁が重要ポストを続ければ続けるほど日本の国益が損なわれるからであ
る。竹中は、平成16年の参院選、自民党比例代表で72万票の獲得でト
ップ当選している。しかも彼は、小泉の支えで経済財政担当相、金融担
当相兼務、総務相を勤め、昨年の郵政担当大臣として総指揮的な牽引
力となっていた。

 こういう「活躍」は民間出の政治家では異例のことである。後ろ盾が、小
泉だけではなく、アメリカだからである。竹中は1998年、小渕政権の諮問
会議メンバーとして初めて政治に参加している。その後、森首相諮問機関
のメンバーとなり、IT戦略会議のブレーンを務めた。小泉は首相就任の年
(2001年)に早くも竹中を国務大臣、経済財政政策担当大臣に任命して
る。最初は学者として自民党のブレーン的な立場にあった民間学者が、こ
れだけ早期に重要な指導的ポストに就いているのは奇異である。

 小泉内閣発足当時、自民党員の竹中へのバッシングは凄まじいものが
あったのだが、小泉の異常なまでの庇護と不可解な力によって竹中は重
要な位置に就き、いつの間にか郵政民営化の強力な牽引力となっていた。
この頃は反竹中を標榜する自民党員は圧倒的に少数になっていた。小泉
がブッシュの後押しを盾にして睨みを効かせたからである。党内で竹中批
判が封じ込められたのは、反竹中の連中が竹中の背後にいるアメリカを
怖れたからである。これを見ると、郵政解散総選挙時にパージされた小林
興起議員やその他の反小泉議員が、いかに反骨精神が強いかわかるだ
ろう。彼らこそ、真に国民の期待を付託するに相応しい立派な政治家たち
である。それにしても、金融政策で、その強権を余すところなくふるった竹
中が、任期半ばで辞めていくのは通常の感覚ではいたって奇妙である。

 もし、郵政民営化が、竹中や小泉が国民に説明したように、民営化する
ことで経済の活性化を狙ったものならば、2017年の完全民営化に向け
て中心人物の竹中が、それまでの順調な郵政の民営化体制構築に目を
配っていくのが、彼の順当な政治姿勢なのである。それを小泉が辞める
から自分も出て行きますでは筋が通らないだろう。このような行動を見る
と、民営化が国益目的で行われたのではないということがわかる。要す
るに、竹中が心血を注いだ要点とは、郵政事業の民営化による経済の
賦活ではなく、国営郵政を解体して、その膨大な資金を、外資の跋扈す
る民間市場に開放するということだけであったことが見えてくる。つまり
は、関岡英之氏が憂慮し、小林興起氏が言う「郵政米営化」が真の目的
なのであった。

 小泉政権とは、小泉自身が語ったように、郵政民営化という政策実現
一本に絞られ特化された特殊な内閣であった。彼は自身の内閣を「郵政
内閣」と言った。彼らにとっては、郵政民営化法案の成立自体が悲願の
目標だったのである。もちろん、売国的民営化が目的であるから、当然
国家の計、すなわち民営化後の国家グランドデザインがあるはずもない。
デザインどころか、彼らは国家解体に尽力を傾けたのである。郵政民営
化法案が成立した今、竹中の最大の役割は終わったということである。
もちろん小泉もそうである。小泉は郵政法案に命を賭けると断言した。小
泉構造改革を頼もしく思う国民は、それを小泉の積極的なやる気だと好
意的に受け止めた。しかしその実態はこうである。小泉が年次改革要望
書の実現を、ブッシュ政権に期限付きで命令され、脅されていたのであ
る。彼は文字通り命がかかっていたのかもしれない。小泉と竹中は、マ
スコミを動員し、国民を詐術にかけて、どうにか郵政民営化法案成立に
漕ぎ着けた。それ自身が目的だったから、彼らは今後の日本には興味
がないのである。

 竹中が政治家として、今後の動向を見守ることを辞退したのは、これか
ら、郵政の膨大な国富が消尽され、日本経済が壊滅的に失速する現場
に責任者として居たくないからである。まだ国民がことの真相に気が付く
前に逃走する魂胆なのである。山崎行太郎先生も言っていたが、竹中は
国益を害する構造改革をやりたい放題やり散らかして、早々に逃げていく
やり逃げトンズラ野郎なのである。あとは野となれ山となれ、日本が瓦礫
の山となろうがどうでもいいのである。

 彼がアメリカに行こうと、どこに行こうと日本を大企業、金持ち優先の酷
薄な格差社会に切り替えた罪は重い。前時代的に大仰な言い方をすれ
ば、日本の魂をアメリカに売り渡した小泉や竹中は、畳の上で往生でき
ないばかりか、無間地獄に真っ逆さまに落ちることになる。

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2006年9月17日 (日)

神州ノ尊 神州ノ美

Photo_4

    ◎黒木大尉の末期の目に浮かんだ麗しい日本


  このブログは立ち上げてからほぼ一年になった。私がこのブログを立ち上
げたことについては、いろいろな思いがあるのだが、タイトルをなぜ「神州の
泉」と付けたのか少し説明して置きたい。

 安倍晋三が「美しい国へ」という本を出しているが、我々日本人は、自分
たちが生まれ育ったこの国を、この国土をどれほど美しい所だと感じている
のだろうか。昔の人たちが、なぜこの日本を神州(しんしゅう)と呼称したの
か、私にはその由来はわからない。しかし、私はなぜか以前から、この神
州という言葉がしみじみと好きになっていた。それは私が戦艦大和に興味
を持ち始めた頃と期を一にしているような気もするが、その前からだったよ
うにも思う。

 この神州という言葉は、自分の内面にある種の日本の光景を静かに浮き
上がらせてくれる特殊な言葉の一つである。その光景は言葉では説明しが
たいのだが、そのイメージは、我が国のかけがえのない自然の美しさの讃
美が基調となっている。もちろん、神州と言うからには、もともとは記紀神話
に出てくる多彩な神々がつどい、住まう国という意味であろう。しかし、私自
身はあえて言うならば、それは我々の先祖たちが、四季折々の日本の自
然に心を溶け込ませ、生きていることの喜びや自然の美しさを静かに祈っ
た末に出来た言葉であるような気がしてる。それほどこの言葉が私に喚起
させる世界は美しく静謐なものである。

 今の日本人は、白砂青松(はくじゃせいしょう)とか山紫水明(さんしすい
めい)という言葉を知識としてではなく、どれくらいの実感を持ってその光景
をイメージできるだろうか。これら二つの熟語は文字通り、日本本来の国土
の美しさを象徴した言葉である。しかし、国民はこれらの熟語の本来のイメ
ージを二つの意味で喪失しつつある。一つは現実に日本の山川草木が汚
れ、荒廃してきたことである。もう一つは日本人から、ふるさとの山河を慈し
み、愛しむ心が失われてきたことである。

 私は日本人が真に幸福を取り戻すためには、白砂青松と山紫水明の風
景を日本の国土に取り戻さなければならないと思っている。それは現実に
国土を美しい姿に復興させることと、そして同時に今を生きる日本人の心
に、この美しい砂浜、青々と輝く松原、黎明に神秘的に輝く紫色の山々、
そしてその山々を水面に映す美しい水辺を取り戻すことだと考える。日本
人の心に美しい国土を反映させる国家とは、すなわち「神州」に生きる精
神を持つ日本人が住む国になってもらいたいのである。これは私の偽らざ
る願いであり、一人の日本人としての祈りである。

 靖國神社から出ている「英霊の言之葉(1)」に、特攻兵器「回天」の訓練
中、機関の故障により海底に座礁し、救助の見込みのない中で、ただ死を
待つばかりの最後に書かれた二通の遺書が載っている。乗っていたのは
海軍少佐・樋口孝命23才、もう一人は海軍大尉・黒木博司のものである。
今から八年くらい前であろうか、私は友人がメールで送ってくれた黒木大
尉の遺書を読んで、一晩中、涙が止まらなかったことがある。末期の黒木
大尉の言葉の中に「神州」という言葉が出ている。彼のその言葉を見つけ
た時、私は黒木大尉の日本や日本人に対する深い愛情を悟り、流れ出る
涙を止めることができなかった。この遺書には特攻兵の祖国に対する愛情
と讃美の気持ちが強く出ていると私は感じた。

 以下は樋口大尉と死を共にした黒木大尉の遺書である。享年24歳であ
った。

『海底の遺書』

昭和十九年九月六日、徳山湾大津基地に於て水中特攻兵器「回天」の
潜行訓練中樋口孝少佐と共に従容として最期を遂げられた黒木博司海
軍少佐が回天第一号海底突入事故報告と題し、状況、処置、経過、所
見と区分された詳細に亘る遺書の最後の部分である。

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辞世

国を思ひ死ぬに死なれぬ益良雄が友々よびつ死してゆくらん

  二二〇〇壁書ス
  天皇陛下万歳
  大日本  万歳
  帝国海軍回天万歳
一九、九、六、二二〇〇

         海軍大尉 黒木博司

呼吸苦シク  思考ヤヤ不明瞭
手足ヤヤシビレタリ。

〇四〇〇  死ヲ決ス  心身爽快ナリ  心ヨリ樋口大尉ト万歳ヲ三唱ス
死せんとす益良男子のかなしみは留め譲らん魂の空しき
所見万事ハ急務所見乃至急務靖献ニ在リ同志ノ士希クハ一読、緊急
ノ対策アランコトヲ。
一九 - 九 - 七〇四〇五絶筆
樋口大尉ノ最後従容トシテ見事ナリ  我又彼ト同ジクセン
〇四四五  君が代斉唱  神州ノ尊  神州ノ美  我今疑ハズ
莞爾トシテユク万歳
〇六〇〇猶二人生存ス  相約シ行ヲ共ニス万歳」

  
(昭和39年5月、靖國神社社頭掲示)

===============================

 神州ノ尊  神州ノ美  我今疑ハズ
 莞爾トシテユク万歳

 座礁した潜水艇の薄れ行く空気の中で、従容として死を受け入れ、淡々
と遺書を綴った当時の皇軍兵士の心意気や武士道精神も賞賛するしかな
いのだが、彼が死の間際に心に鮮やかに描いたのは、彼の人生を彩るか
けがえのない日本の美しい自然であった。それが、この遺書の最後部分
でよくわかるのである。

 神州の尊厳、そしてその美しさを、今逝かんとする我は疑わない、という
のは、彼が日本人として日本の国土に育ったことを心底感謝していること
を書いている。そしてそれは薄れ行く意識の中で、祈りにまで昇華された
ように私には感じとれる。

 今の日本人に一番欠落しているもの、そして取り戻すべきものこそ、この
「神州ノ尊 神州ノ美」なのではないだろうか。日本という国の本来の文明
の質は、この言葉に集約されているのではないだろうか。「神州不滅」と聞
いて「軍国主義」を彷彿とする人々が圧倒的多数だと思うが、それは戦後
教育によって刷り込まれた誤ったイメージにほかならない。私にとっては、
これほど美しい言葉はない。なぜなら、神州不滅の本当の意味とは、「君
が代」に歌われているほまれある永遠の日本を言うのである。それは同時
に、世界に比類のない麗しい豊穣の日本美を形容しているのだ。この大切
な大和の国土を護るために、外夷に特別攻撃をかけた純粋な若者たちを、
今に生きる我々が、いったいどんな評価を下せるというのか。・・・神州の存
続を願う彼らの深い祈りを受け止めて生きていくしかないではないか。

 今の日本人は何をやっているのだろう。靖國神社には神州のかおりがあ
り、心を澄ませば神州の世界を垣間見ることが出来る。その入り口が神門
上部に淡く輝く菊花の御紋章である。あの淡い黄金色こそ、豊葦原瑞穂國
を象徴する豊穣の稲穂色なのである。その菊花は日本を護る象徴の形で
もある。だから、十六弁の菊花御紋章は戦艦大和の舳先に配された。そこ
に先人たちの神州護持の祈りを私は感じる。

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 分祀問題などの前に、英霊の末期の眼に生じた美しい日本の心象風
景を感じてもらいたい。特に若い人たちには・・。若い人たちは未来を背負
う。朝の湖面に映る静寂な風景のように、若い人たちの胸に神州の美、そ
して神州の尊厳が観えるようになれば、日本はふたたび蘇生するだろう。

 本ブログ名を「神州の泉」と名づけたのは、黒木大尉の末期の眼に映っ
た美しい日本を回復したいという願いからである。

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2006年9月16日 (土)

今回、植草氏擁護論が激減した奇妙さについて

 植草氏の逮捕について、人々の反応の仕方に奇妙な思いがある。それ
は、前回の「手鏡冤罪」の時は、彼を擁護していたブログなども今回は沈
黙を守るか、否定的な見解になっていることである。

 それが私にはいたって奇妙なのである。2004年、理不尽な国策捜査
が植草氏の身に降りかかった時は、小泉政権の暴政的売国姿勢に気が
付いて、ああ、これなら官邸サイドはやりかねないなぁと思った人々も、今
回は植草氏の『性癖』を信じて、国策捜査の疑いを持たないことである。
たしかに、小泉純一郎は宰相の座から降りる時期になっているが、それ
が即、小泉従米売国構造改革の終わりなのではない。

 小泉が起こした日本の革命政権、すなわちアメリカの完全傀儡政権が
終焉を向かえたわけではない。小泉の破壊的な構造改革路線は、その
まま安倍晋三に継承されることがほぼ確定的となっている。安倍晋三は
小泉の忠犬ハチ公である。小泉や竹中が退陣したからといって、国民を
地獄に陥れる国家毀損型の構造改革は続くのである。つまり、黄色い肌
の米国エージェントたちの巣窟はこれからも賑わいを見せて、米国の言
うがままに国家破壊作業を行っていくのである。

 このような現実にあって、国策捜査の邪悪な意図が小泉や竹中の退出
によって消え去るとは到底考えられないのである。だとすれば、息を吹き
返して精力的に活動を再開した植草一秀氏がまた官邸のターゲットにさ
れることは充分にありうることだという想像力は働かないのだろうか。

 世の中の動向を見据え、植草氏の言論の国益的方向性を確認してい
る者ならば、今回も植草氏が国策捜査の毒牙にかかったのではないか
と推量しても自然であると私には思えるのだが・・・。

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植草氏を庇って何の得があるのかという質問に

  下記のコメントをいただいたので、思うところを述べてみます。

 >これだけ社会的な信用を失墜した人を陥れて、
  >なにか得があるでしょうか。? 

  >あなたは教授を擁護することで何か得でもある
  >のでしょうか?

 たしかに植草氏は「手鏡事件」の冤罪を浴びて信用を失墜
していましたが、最近では精力的にあちこちで言論活動を行
っていたみたいです。たとえば、宮崎学氏が主催するネット
論壇「直言」などでも、小泉政権の鋭い批判を手を緩めずに
行っていました。宮崎氏も植草氏の現政権批判は斯界第一
であると太鼓判を押していました。

 従って、小泉・竹中が中心になって築いてきたいわゆる構
造改革の反国益性が植草氏の舌鋒により、以前より核心を
衝いて鋭くも鮮明に暴かれる傾向が強くなっていたと思いま
す。これを最も危惧したのが竹中平蔵だと思いますが、彼の
背後にはアメリカの監視の眼が存在しているので、植草氏を
再度、陥穽に陥れることを意図したのはアメリカの指令があ
ったのではないでしょうか。

 植草氏の経済理論は、私のような門外漢にとっては専門的
過ぎてわかりにくい箇所も多々ありますが、小泉におもねる
御用学者たちにとって、植草氏の言論活動は、経済学者とし
ての無能性を暴くに等しい恐ろしい存在となっています。つま
り、新自由主義経済に改変されていく我が国の構造改革を、
見て見ぬ振りをしている御用学者たちにとっては植草氏の言
動に戦々兢々としているということです。

 植草氏の専門的な分析能力は、我々シロウトが想像する以
上にその世界にとっては大きな影響力を持っています。そうで
なければ、手鏡事件などの実質的被害が曖昧で、ご本人の社
会的な信用だけが剥奪されるというような謀略は働かないと思
います。今回の痴漢事件も、ご本人の社会的信用を永久に失
墜させようとする謀略側の激しい意志が感じられます。

 植草氏を庇って、何か私自身が徳になることなどあるのかと
いうお尋ねですが、徳になることは何もありません。小泉施政の
売国性に気が付いている経済学者はかなり多いと思います。し
かし、彼らはそのことをけっして表現はしません。国益優先や国
家毀損防御よりも、自己保身が大事だからです。

 私が彼を応援する理由は、ひとえに彼の学者としての良心と、
言論活動におけるその武士道精神に感じているからです。彼の
言説をよく読んでみるとわかりますが、彼は立派な人物であるこ
とを確信できます。

 一言で申すなら、植草氏は日本の経済学になくてはならない稀
有な人物の一人であるということです。彼がこういう理不尽な人生
の苦難を一人で浴びている現状は、他の経済学者たちがヘタレで
だらしないからなのです。何名か名を知られた経済学者たちが、植
草氏と同様に現政権の欺瞞に敢然と立ち向かっていれば、植草氏
がこのような目に遭うことはないと思います。

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植草氏逮捕劇の大いなる違和感

 まず、電車内で酔った中年男と女子高生というシチュエーションでこの
痴漢事件が起こったということ自体が思いっきり怪しい。いかにもありそ
うな状況という感じである。はてなダイアリー・キーワードと言うサイトに
痴漢について以下の説明があった。

 
1、他人に気付かれないように、ふれたり写真を撮ったりする(人の)こと。

2、満員電車等の人混みのどさくさに紛れて女性のお尻に触る等の猥褻
  な行為をする事。軽犯罪法第1条第5項?による違法行為。但し他にも
  刑法第176条強制わいせつ罪?や刑法第208条暴行罪?が適用される
  ケースもある。

 まあ、痴漢の説明としてはこういう感じなんだろうが、植草氏が陥れられ
た痴漢捏造は、上記の典型的な説明にほとんど合致している。十年前く
らい前からであろうか、電車内の痴漢が急増して、駅構内や電車内では
私服の警察や鉄道公安官の警邏が頻繁になっている。そのうちに、由々
しきある問題が頻発してきた。それは「痴漢冤罪」という、謂わば、犯人と
被害者の主客転倒の悪質な犯罪が起きてきたことである。

 ほとんどは示談金目当てだが、女性が故意に「この男が痴漢している」
と指差して、まったく無実の男を痴漢犯罪者に仕立て上げるという事件で
ある。なぜこのようなことが起きるのかと調べてみれば、近代法治国家と
して適用する他の犯罪の「推定無罪の原則」と違って、痴漢などの性犯
罪では、ほとんどの場合は「推定有罪」が成立してしまうかららしい。その
場合は、女性側の邪悪な意図による犯罪のでっち上げが問題となる。
もし、ある男性を罠に嵌めようとした場合、特にその人間の社会的な信用
失墜を目論んだ場合、痴漢犯罪というトラップに嵌めることが最も確実で
あり、しかも、それを意図する側のリスクはかなり低いのではないかと思
われる。官邸サイドは前回の国策捜査の時、一部の国民に謀略逮捕の
疑いを掛けられている。それを学習した彼らは、今回は完全な仕掛けを
考えたと思う。すなわち、植草氏の性癖がことを起こさせたというイメージ
をでっち上げたのである。まったく悪質である。

 陥れる側に、露見リスクの最も少ない痴漢演出は、被害者に仕立て上
げる女性一人のみを偽被害者として彼女に依頼することである。相応の
報酬を渡すか、あるいは何か彼女の弱みを握って脅すことである。この
場合、少なくとも女性が口を割らない限り、犯罪事実は成立してしまうこ
とになる。もっと確実な方法は、被害女性以外に目撃者と共に、逮捕権
を行使する人間を仕立てて置くことである。逮捕権は一般人にもある。こ
れをやれば、犯罪立件は確実に成立する。しかし、協力者の素性や犯罪
前歴などを調べられたり、当事者がうっかり真実をしゃべるなどというアク
シデントが起きて、彼らが捏造犯罪に加担したことが露見するリスクは高
くなる。

 要は、誰か目撃者がいて、被害女性が強硬に言い張れば、痴漢冤罪
は容易に起きてしまうような気がするのである。だからこそ、ここ何年間
は男の防衛意識が進んで、如何に痴漢にされないように電車に乗るか
という自衛技術が発達しているようだ。しかし、電車に乗るだけで「俺は
犯罪者じゃないぞ」という積極的なアピールをしなければならないのは
異常すぎる。私は男として同情的である。しかし、実際に悪質な猥褻行
為をする馬鹿者が増えていることが、そもそもの発端であるから致し方
のないことである。

 何度も言うが、被害に遭ったと称する女子高生と、植草氏を取り押さ
えた者たちの素性と経歴、交友関係をしっかりと調べて、犯罪捏造加
担の可能性を調べるべきである。男とは総じてスケベな生き物である。
これは生物学的に仕方ないことである。しかし、その欲求程度の差は個
別に違っている。問題はこのような低次レベルの欲求を抑制できるかど
うかである。飲酒運転とは問題が異なるが、酒を飲んでもこの抑制が効
く人間は圧倒的に多い。もしすべての人間が、酒を飲んだがゆえに、低
次レベルの欲求が解放されるのであれば、そもそも、居酒屋文化とか
酒類の販売自体がありえないだろう。それでも、酒の上での失敗は後を
絶たないが、明らかに人様に迷惑をかけずにきちんと帰宅する人間が
圧倒的多数なのである。植草氏がそれ以外のわずかなアホ人間の部
類に属すとは到底思えない。「アルコールが理性のタガを外す」などと
真顔で一般論を述べる者は、すべての犯罪がアルコールに起因される
とでも言いたげでアホ丸出しである。植草氏のように高度で怜悧な経済
分析を行う学者は、並外れて超克心、自己陶冶力、状況分析などが優
れている。そうでなければ学問的な深層には肉迫できないからである。

 ましてや、一度検察の横暴で冤罪を受けた人間が、性犯罪というものに
対して、過度の警戒的心情を持つことは当然であると考える。植草氏のよ
うに論理的で怜悧な分析ができる人間が、しかも、一度冤罪を経験してい
る人間が、性犯罪生起の可能性を疑わせるような状況に自らを置くわけは
ない。たとえアルコールを飲んだとしても、自分の人生の破滅や、家族の
命運を決定的に悪い方向へ左右するような行為を行うだろうか。一度、性
犯罪の冤罪に遭遇した者が、多少の酒を飲んだからと言って、「出来