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2006年10月28日 (土)

郵政造反組復党?正気なのか

    ( YOMIURI ONLINE 10/25 より抜粋)

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安倍首相は24日夕、郵政民営化に反対し、自民党を離党した「造反組」
の復党問題について、「最終的には党の判断を聞いた上で、私が判断す
る」と語った。9月の首相指名選挙で安倍氏に投票した平沼赳夫・元経済
産業相ら12人の無所属議員の復党を、自らが判断して容認する考えを示
唆したものだ。首相官邸で記者団に語った。*********************************************************


 昨年、郵政民営化関連法案に反対して自民党から追放された「郵政造
反組」の年内復党がどうやら本格的に決まったようだ。来年夏の参院選を
勝ち抜くためには、造反組の復党が不可欠という話が現実的に具体化さ
れてきたようだ。この話は、郵政問題総選挙で生き延びてきた自民党にと
ってはタブーであり、党内世論を二分する危険性を孕んでいる。とは言っ
てみたものの、私には隷米自民党のお家事情などはどうでもいいことで
ある。しかし、平沼赳夫氏ら、首相戦で安倍に投票した12人が自民党に
復党することの奇態さ、その変節に心底驚いている。

 平沼赳夫氏は人間としてやってはならないことに踏み込もうとしている。
私は平沼氏が、小泉が狂気の熱情でごり押しした郵政民営化法案可決
までの国際的な意味を最もよく知悉している人だと考えていた。つまり、
あの郵政民営化法案はアメリカ主導の反国益的、反国家的悪法なので
ある。小泉自身が言っていたように、郵政民営化は構造改革のカナメな
のである。だからこそ、造反者たちは抵抗勢力として小泉たちに睨まれ、
徹底的に疎まれた。彼らは構造改革の足を引っ張る害意ある犯罪者とい
う謂れのない罪を着せられた上に流刑を言い渡されたわけである。しか
し、彼らは日本という土台から見れば、最もまっとうな正論と批判力を持
った愛国・国益派議員だったのである。

 小泉政権の本質が隷米売国にある以上、郵政民営化法案に反対した
議員たちは国家に寄与する資格を持った唯一の国会議員だった。彼ら
の仁義としては自民党に復党するなどということは絶対にあってはなら
ない。私は、竹中と飯島勲が安倍政権中枢から外れたことによって、小
泉政治が踏襲されないというサインだと初めは思ったが、安倍は小泉政
権の構造改革を継続し、より強力に推進して行くとアメリカに媚を売った
施政方針演説を行っている。

 竹中や飯島が去っても官邸にはまだ中川秀直がいる。現幹事長中川
秀直は、かつて、「小泉なくして竹中なし。竹中なくして小泉なし。それが
真実だ」と豪語して憚らず、竹中を必死になって支えてきた人物である。
中川秀直という人物は、竹中平蔵や飯島勲の手法を徹底的に踏襲して
いる人物だと私は見ている。小泉は「官邸主導型政治」という革命的な
政治体制を作った。はっきり言えば官邸独裁政治である。これを支えた
中川が、「ファッショ型官邸主導政治」を操舵しないと考える方が不自然
である。従って、安倍政権の本質は小泉政権とほとんど変わらないとい
うことである。

 安倍内閣は新自由主義による米国の肝煎り政権であることを自ら言明
しているのだ。米国に阿諛追従する新自由主義の政治形態を踏襲するこ
とは、明らかなる日本破壊である。ここに復党することは日本国家に対す
る裏切りであろう。平沼氏は女系天皇論を激しく攻撃した。そこまで日本
の国体を明示する者ならば、小泉政権踏襲自民党に復党するのは皇統
への裏切りでもある。

 平沼氏は自民党に復党して、我が国の対米隷属体制を覆す公算でも
あるというのか。もしないのであれば、平沼氏は人間としても最低の政
治家となる。私は平沼氏や亀井静香氏が中心となって、小泉売国政治
の持続を打ち破り、新自由主義に塗り替えられた日本の構造を転換して
新たに日本を始動させていく勢力のさきがけになると信じていただけに、
今回の復党意志は信じがたい。

 復党議員。そんな奴らは要らん!

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2006年10月26日 (木)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(10)

格差を怒り、弱者を思いやる植草一秀氏

 ところで、「AAA植草一秀氏を応援するブログ」の管理人さんや、「一秀
くんの同級生のブログ
」の管理人さんは、植草氏その人をきわめて優しい
人間だと書いている。私は植草氏に会ったことはないが、彼の書いたもの
を読んでいるうちに、その「優しさ」がどういうものであるかを、その折々の
文章の中に見出している。じつはそのことが私を彼の擁護に向かわせた
動機でもある。植草氏は、小泉や竹中の人を人とも思わぬ冷酷非道さと
は対極に住む人である。テレビで植草氏が政策について解説されていた
時も、彼は他の御用学者たちとは際立って異なる印象を放っていた。

 彼は常に庶民の視線で経済や政策を語るのである。たとえば「ウエク
サ・レポート」にはこういうことが書いてある。

 今求められているのは「成長重視の政策」である。言い方を変えれば、
「均衡重視の政策」である。「人間尊重の経済政策である。「均衡」状態
にある経済とは、存在する経済資源が過不足なく有効に活用されている
状況だ。働く能力があり、働く意志が有る人には働く場が存在する状況で
ある。失業が大量発生している状況は、労働力という貴重な経済資源が
遊休化したまま放置されている状況なのである。
 人間は生きていくために職業を得る必要がある。経済成長を促し、経済
を均衡状態に誘導することは、すべての国民に健康で文化的な生活を送
ることができるための条件を整えることにほかならない。日本国憲法が保
障している生存権を満たすために政府が取るべき責務とも言える。
 現在のような不況下でも、現実に生活に困窮する、死線をさまよう人々
の比率は10%程度だろう。残りの90%人々はそれなりの豊かな生活を享
受しているだろう。しかし、
貴重なのは10%もの人々が苦しみに瀕し
ていることを重大視することにある。
誰しもがいつこの10%に転じるか
もしれないのである。社会学者のロールズは
「鎖で繋がれた輪を社会
と見たとき
社会の強さは鎖で構成される一つ一つの輪のなかのも
っとも弱い輪がどれだけ強いかで決定される」
と述べた。
 現在の政策は弱者切捨ての政策である。弱肉強食を支持し、強いもの、
恵まれたものがさらに収奪を強化することを推進する政策である。同時に
日本の国富の所有権が激しい勢いで海外へ流出しており、政府の政策
はそれを回避することに力を注ぐどころか、海外勢力に国富を贈与するこ
とに貢献するものになっている。(P184~P185)

 この文章の中に植草氏の信条や、小泉政権に対する基本的な批判が
余すところなく示されている。「10%もの人々が苦しみに瀕していることを
重大視する」という彼の信条に、植草氏の人間性の核がある。実はこの
思想は「一秀くんの同級生のブログ」の管理人さんが書かれていた、植
草氏に対する人物評とまったく符号するものである。つまり、植草氏はお
そらく幼少期からデフォルトで心優しい人物なのであろう。人の裏をかい
たり、陥れたり出来ない性格のまま大人になった人のように感じる。狡猾
さや悪意がない人だと私も思う。だからこそ自ら不利な局面に入り易い
のかもしれない。人を信じ易く純粋な人間は悪意に弱いところがある。

 自分に累が及ばなければ他人のことなどどうでも良いという昨今の風
潮はますますはっきりと出てきている。こういう日本にあって、植草氏の
ような弱者に対する慈悲のまなざしは、今後の日本を創造していく上で
のキーワードの一つであろう。小泉政権や現安倍政権の格差固定を志
向する新自由主義政策の非人間的な雰囲気とは180度の違いである。
これこそ伝統的な日本人の精神性そのものである。痴漢を行う奴らとは、
煎じ詰めて言うなら、他者に対する思いやりが欠けている。被害者女性
が屈辱と恐怖に打ち震えている時に、それを無視して、自己の欲望を優
先させる卑劣さがある。ここには他者への思いやりは微塵もない。植草
氏の弱者への温かいまなざしのどこに、他者の感情を無視して自己の
欲望を優先させる無神経さ、残酷さがあるというのか。そんな酷薄な人
間ならば、10パーセントの弱者にいたわりの気持ちを持たないはずであ
る。仮に植草氏が病的な性癖を持っていると仮定するならば、彼の知性
では、その性癖と自分の経済学との乖離に我慢できないだろう。そのよ
うな心理状態で、首尾一貫した経済政策論の展開は不可能である。し
かし、彼の基本的な政策論は緻密でブレがなく、経済弱者が出ない世の
中を志向しているのである。

 私が植草氏を信じる所以は、庶民の生活と幸福を最も大事な柱にした
彼のその一貫した考え方にある。植草氏の経済思想は間違いなく経世
済民(けいせいさいみん)思想である。日本の深層に息づいていた相互
互恵主義、弱者への思いやり、経済とは人倫と世の秩序の要でもある。
こういう精神が植草氏の核に根付いている。しかし、彼はそれだけでは
ない。彼には昔の日本人に宿っていた武士道精神がある。あの優しい
風貌の中に、人々を苦しめる政策を外国の命じるがままに行う不届きな
者どもに対して熾烈な怒りを持って立ち向かう男でもある。だから、品川
駅構内で無体きわまる国策捜査に遭い、手鏡男の汚名を被せられても、
意気消沈せずに、再びあの売国政権に向かって怪気炎を上げたのであ
る。こういう人物は今の日本では得がたいのである。

 植草氏は「ウエクサ・レポート」の巻頭言の最後にこう書いている。

 「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」のが経済政策の目的であ
る。・・・・中略・・・・
 政権に「もの申す」ことが憚(はばか)られる空気が言論空間を支
配しているが、純粋な洞察に基づく、良心に偽りのない声を、あら
ゆる妨害を乗り越えて、私は今後も唱え続けていく覚悟である。

 植草氏は上の覚悟を実行して9ヵ月後に再び国策捜査の罠にかかっ
た。戦後日本は、建前上は思想表現の自由を謳歌していたように見え
るが、東京裁判史観に疑念を呈する言語表現は率先して忌避され続
けていた。小泉政権では、再びGHQの放送コードが甦った感がある。
植草氏は日本の言論封じの背後にいるアメリカを見据えていながら、
果敢にも良心に基づいた洞察で、国家を毀損する勢力を言論攻撃した。
こういう不惜身命の気概に感じたら、彼を擁護せずにはいられない気
持ちである。

 (次回に続く)

 参考図書

      「ウエクサ・レポート 2006年を規定するファクター」
                   植草一秀    

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植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(9)

   景気の逆噴射を好んでやった竹中平蔵

 竹中平蔵金融相は、昨年10月末に不良債権処理を加速する「金融再生
プログラム」を公表。資産査定の厳格化、自己資本の質向上、ガバナンス
(統治)強化の3原則に沿って、大手銀行の不良債権を2004年度に半減す
る目標を掲げた。「ウエクサ・レポート 2006年を規定するファクター」で植
草氏は言う。バブル崩壊から15年が経過し、日本企業の体力を象徴する
株価が、2003年4月に日経平均株価で7600円に暴落した。こういう局面
で株式による企業買収を外国企業に認めるという政策は、完全に日本の
無条件降伏と同じである。政府が外資による対日投資を激しく推進してい
た時、ホリエモンによる日本放送株買収騒動が起きた。これが「外資の対
日投資促進政策」の是非へと国民の関心を向けたのは、盲目的隷米政策
続きの最中にあって、ほんの少しはいい傾向だった。

 かつて、米国にはグラス・スティーガル法があり、銀行と証券は明確に
区分されていたが、制度の抜本的変革を行って、業態間の垣根が取り払
われ、相互参入が可能となった。日本も証券取引法第65条で証券及び銀
行は明確に区分されていたが、米国は日本にも制度変更を迫り、米国型
に切り替えさせた。日本版金融ビッグバンを提案したのはアメリカであっ
た。97年、98年の金融大波乱を契機に、銀行、証券、保険、消費者金融、
企業再生、不良債権処理は外国資本の跳梁跋扈する所となった。彼らの
狙いとする最後の宝の山は郵政公社が保有する350兆円の国民資金で
あり、これを獲得することで米国による第二次日本占領政策はほぼ完結
することになる。

 こういう事態の推移に対して、国会はほとんど審議をせずに成り行きに
任せている。またマスコミはその真実を報道することを実に強い意志で忌
避しているのだ。日本は完全に米国の対日占領政策に飲み込まれている
のであり、国民はこの巨大な流れに身を任せているだけである。このよう
な対日占領政策を日本内部から支え、それを意識的に推進した急先鋒が
いる。竹中平蔵その人である。彼は民族に対する裏切り者として鮮明な形
で売国政策を主導した。小泉純一郎は竹中の政策主導を誰にも邪魔させ
ないために、総理としてのその権力を最大限に行使して竹中を庇った。彼
らの売国政策の最大値が郵政民営化であり、りそなショックはその先駆け
として、日本の安全弁を壊すために金融庁が恣意的に起こした政府犯罪
の可能性が非常に高い。

 第一次小泉内閣の金融担当大臣には柳澤伯夫氏が就任した。旧大蔵
省OBであり、金融監督庁を所管していた金融再生委員会の初代委員長
でもあった人である。金融庁は2000年に金融監督庁と大蔵省金融企画
局が統合してできた行政機関であるが、大蔵省という歴史的に由緒ある
省庁の名が失われたこと自体、小泉内閣の構造改革の本質をある意味
で象徴している。日本の金融構造改悪は橋本時代から進んでいたので
ある。初代金融庁大臣である柳澤伯夫氏は、2002年の内閣改造で更迭
され、その代わり竹中平蔵がその役職に就いた。これは、小泉が柳澤氏
の従来的ソフトランディング路線を嫌ったというよりも、子飼いの竹中を使
って性急に金融改革を日本にやらせる必要があったアメリカの意向なの
であろう。アメリカが日本の金融改造をハードランディング路線で行うため
に、刺客として竹中平蔵が送り込まれたと言ってもよい。結果的に竹中
はアメリカの期待通り、有能な刺客として日本金融界の咽の深部にドス
を突き刺した。

 さて、竹中の金融再編プログラムは、自分と親しい木村剛など、民間の
有識者を招いて発足したプロジェクトチームで始められた。発足当時は、
「繰り延べ税金資産の算定ルール見直し」、「国有化による経営者の退
陣」など、それまでの日本金融界の慣習や常識などを完膚なきまでに無
視する強硬路線が盛り込まれた。「完膚なきまでに無視」した内容とは、
大蔵省が金融庁に改名されたことが象徴するように、それまでの伝統構
造を悪として無価値化・害悪化し、アメリカ一辺倒の資産査定方式を取り
入れたことになる。アメリカの金融対日プログラムは、橋本時代の金融ビ
ッグバンから、後の会計ビッグバンを経て、竹中金融庁で急激なピークを
迎えたのである。竹中の役目は日本金融システムの完全書割転換なの
であった。

 ここでも構造改革の美名の下に、日本伝統構造の破壊が行われてい
たのである。しかし、銀行や与党内部からの激しい反発があり、竹中は
一定の譲歩を迫られたが、大方では米国流のやり方がそのまま踏襲さ
れた。この時、銀行家の反対者の急先鋒であった勝田泰久氏は金融庁
の姿勢を熾烈に非難したため、勝田氏は竹中の怨恨を買い、これが後
のりそなショックの直接の契機となっている。しかし、りそなが狙い撃ちさ
れた真相は、植草一秀氏が何度も指摘しているように、政府と外国資本
がつるんだインサイダー取引による経済犯罪だった可能性が非常に強
い。

 竹中が登場する以前の柳澤金融庁の指針は、金融システム自体は大
勢としては安定しているから、個別の成績の悪い金融機関には個別対
応で行くというソフトランディング路線であった。対症療法で済むという考
えであった。旧あさひ銀行と旧大和銀行を統合させたのも、その政策の
具体化であった。しかし、アメリカの肝煎りで登場した竹中は、金融シス
テム全体も深刻な危機にあるとして金融再生プログラムを発動させた。
これが大手銀行の恐怖感を招き、株式相場の値崩れを引き起こした。性
急な不良債権処理と経営の健全化という背中合わせの方策を強いたた
めに、銀行は必死になって合理化やその他できる限りのことを行った。し
かし、竹中がこういうハードランディング路線を実行している時に、国内中
小零細企業が、その改革の軋みをまともに受けて、どれほど途端の苦し
みに喘いだか、マスコミはほとんどその社会的損失と悲劇を報道しない。

 植草氏が繰り返して言うように、経営の健全化も、不良債権の処理も両
方重要である。両方とも重要ではあるが、両者を同時的に性急に行えば、
合成の誤謬が生じて結果的に経営的生命力が低下してしまうことになる。
マクロ経済が下降気味になっている時に企業整理を行えば、景気はます
ます下降へ傾くのと同様である。

 (次回に続く)

 参考図書

      「ウエクサ・レポート 2006年を規定するファクター」植草一秀

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2006年10月23日 (月)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(8)

   グローバルスタンダードとは米国欲望資本主義の別名である

  「直言:失われた5年  ー 小泉政権・負の総決算(4)」によれば、植草
氏は、2002年9月、内閣改造に伴って金融担当大臣に任命された竹中平
蔵が、その金融再編プログラムで、既存のルールを充分な検討もなく、初
めに正義ありきで拙速、無理やりに変更したと言っている。その際、銀行グ
ループは熾烈な反対を示し、結局、この時は竹中策定は見送られること
になった。こういう背景の上にりそなショックは生起した。植草氏は加えて、
2003年のりそな処理には三つの論点があると言っている。

1)金融行政と外国資本との連携の疑い

2)りそな銀行がなぜ標的とされたか

3)りそな処理における繰延税金資産計上の不自然さ

(1)については、りそなインサイダー取引疑惑の核心であり、竹中に牽引
された小泉内閣が、外国資本に利益誘導するための構造破壊の途上に
起きた一つの型である。(2)についての説明は論を俟たないほど単純で
ある。すなわち竹中金融再編プロジェクトが始動した時、反対した銀行家
の中で、最も頑強に抵抗した急先鋒がりそな銀行社長の勝田泰久氏で
あったからである。りそなは竹中に狙い撃ちされたのである。(3)は(1)
の外国資本と金融庁との連携にも関わるが、小泉構造改革の信条でも
あった「自己責任原則」を放擲して、りそなの破綻を回避、そのうえ預金
保険法の「抜け穴規定」を利用して救済したこと。この方法には早くから
米国が関与した疑いがあることなどである。

 (2)を除き、(1)と(3)は、りそな金融ショックの核心に触れる問題点で
あろう。この疑惑の仔細については、当事者しか知りえないこともあるの
で、植草氏は当時の関係者からさまざまなことを聴取したほうがいいと言
っている。これだけの疑惑の指摘があるにもかかわらず、マスメディアは
そのことについて不自然なくらい沈黙を通している。もっともメディアがそ
こを衝いて、大々的に世の中に問題点を流布したならば、植草一秀氏は
いまだに拘留されていることなど、あるはずもないからである。

 植草氏の国策逮捕・不当拘留が、竹中平蔵の個人的な怨念だけで行
われているものなら、逮捕時にマスコミが行ったセンセーショナルな報道
だけで充分だろう。この時点で植草氏の名誉はズタズタである。しかし、
彼を意味もなく長期拘留している官憲は、明らかに植草氏の言論活動を
封じたい意志が有りありである。私の見解では、植草氏の表現活動を封
じたい大元は、小泉構造改革の本質を隠したい大元と明らかに同一なの
である。りそなショックとは、ただの金融犯罪ではない。それは、国家の
体制を根底から覆した小泉売国内閣の悪の本質が最もよく象徴された
事件として、後世の歴史に残るだろう。

 なぜなら、金融行政の権力にある者が、その権力を国政以外の恣意的な
目的で発動させる時、国家や国民を裏切る形で利益を享受できることを如
実に示したからである。しかもここで重要なことは、そのようなことが可能
な国家体制、経済体制こそ、フリードマンモデルやハイエクモデルが示唆
する新自由主義体制だからである。国民は知らねばならない、市場原理
至上主義的な国家構造とは、新自由主義の「自由」を享受する世界理念
ではなく、資本強者が限りなく富を得、金融を司る立場の人間が犯罪的に
利益を享受できる最悪の弱肉強食世界を実現する社会なのである。りそ
なショックとはそういう世界の地獄絵図を先取りした雛形的事件なのであ
る。この事件が象徴するものは、かつての伝統ある日本の終焉だったの
である。

 国民はその事実を知らずに、りそなショックを従来経済の延長線上で起
きたこととして看過している。そこが大問題なのである。植草一秀氏が釈
放され、国民に小泉政権の売国政策の本質と、りそな騒動の舞台裏を理
路整然と語った場合、国民は小泉政権の真の姿を見ることになるだろう。
それが、日本人の独立心情を急激に揺り起こし、日本人全体に意識革命
が生じる可能性があるのである。りそなとはそういう背景を宿した歴史的
に重大な事件だったのである。ここで、竹中平蔵が金融再生プログラムを
策定するに当たっての思想的背景を最近までの動きの中で少し説明する。

 関岡英之氏によると、企業の成績、つまりは企業の業績を評価するもの
は決算書である。企業の業績は株価に反映する。株価の動きを決算書に
どう反映し、どういう作業で関連付けるかなどの基本的なルールが会計基
準である。これは一般の人には馴染みにくい。世界の国々は多様であり、
伝統習慣も違い、当然、会計基準も国によってかなり異なっているようで
ある。ところが、世界経済が越境性を持ってくると、このルールが違うこと
によってさまざまに支障を来たすようになり、国際統一基準が求められる
ようになった。

 この国際ルール造りは「国際会計基準理事会」という組織が行っており、
これはアングロサクソン系が約七割という偏った人種比率で構成されてい
る。事実上、この組織はアメリカが取り仕切っていると言っても過言ではな
い。従って、日本や他のアジア諸国のように、アングロサクソンとは異なっ
た歴史軸にある国々は、当然ながら会計制度も、その国に合った自生的
で固有なものがある。しかし、国際ルールを策定する例の理事会ではアン
グロサクソンに決定的に有利なルール作りしか行われないのである。ここ
にはアメリカの国是である民主主義はまったく存在しない。

 国政会計基準に関わらず、アングロサクソン流が問題なのは、自分たち
の基準が絶対基準であり、これに反するものや整合性がないものは、市
場の自由を阻む後進性、あるいは「不正義」であると、何の疑いもなく各
国へ押し付けることになる。これは一種の侵略と言ってもいいくらいであ
る。りそな銀行の前身である旧大和銀行が損失隠しをやったころ、アメリ
カは日本の会計・監査制度を「後進的すぎる」と痛烈に非難していた。金
融ビッグバンでアメリカは日本の閉鎖性をこじ開けるための大義名分とし
て「フリー、フェアー、グローバル」の標語を、日本人自らが気にかけて呼
称するように仕向けた。

 ところで、閉鎖性という言葉は、マイナスの語感、響きを持っているが、
一般には危ない物からの防衛性、楯という意味もある。この言葉と同質の
意味を持つ言葉として、かつての日本の270年に及ぶ「鎖国」がある。これ
も西洋近代主義的な歴史観で観るなら、後進性とか遮断性というマイナス
の見方が出るが、最近の研究では日本独自の固有性、積極性の意味合
いで捉える人も増えてきている。アングロサクソン感覚で、後進性とか閉
鎖性で捉えられている事柄は、文化の独自性とか、伝統が色濃いという
歴史の連続性にもとづいた固有な構造をさす場合が多い。

 会計制度も然りである。日本の会計制度も戦後にGHQの占領方針に
則ったアメリカの肝煎りがあったわけだが、それは日本の伝統的観念に
従って日本独自のものになっていた。「国際会計基準準備理事会」の思
想そのままであるアメリカは、そういう各国の固有性を、閉鎖性とか後進
性というきめ付けで全否定させ、自分たちに都合のいい方向で変えさせ
てきたのである。その旗振りの大義名分がフリー、フェアー、グローバル
なのであった。特にその中のフェアー(公正、透明性)とグローバル(グロ
ーバル・スタンダード)に関係するものとして、会計制度の国際標準化が
行われた。この三つの言葉は、あたかもフランス革命の標語、「自由、平
等、博愛」に奇妙に似た感じがある。

 1993年11月に、ノルウェイ・オスロで「国際会計準備委員会」理事会が
開催され、13対1でアングロサクソン流の会計基準策定が敢行された。
反対した1は日本である。それまでの日本の会計基準は「取得原価方
式」であった。取得原価方式とは、企業の保有財産は、取得した時点の
価格が帳簿価格として貸借対照表に記載されていた。従ってこの価格が
時価との相違を生じても、それは「含み損」か「含み益」として扱われ、帳
簿上には明らかにされない。

 この取得原価方式は、不透明、閉鎖的、情報の非対称性と言われ、い
わゆるフェアーの原則に反しているということで日本式会計基準は攻撃を
受けた。一般にアジア諸国も日本式もそれで充分にうまく行っていたの
である。むしろ取得原価方式は企業の長期安定性を確保し、全体的な経
済システムの安定に寄与していた面がある。剥き出しの裸や二値論理的
な思考を厭う日本人は、その伝統的な知恵として、物事には故意の曖昧
さを設定し、その曖昧さの中で自己修正的なバランスを取って来たのであ
る。自動車のハンドルやブレーキの「遊び」みたいなものとでも言おうか、
それは曖昧性の効用である。

 しかし、その情報の非対称性が、インターナショナルな企業活動の弊害
になるというのであれば、性急に原価主義を時価主義に変更する前に、
日本企業にとってマイナスになる要因を突き詰め、企業の生命力を弱め
ないように慎重に事を運ぶべきであった。ところが、日本側にも閉鎖性、
不透明性という言葉に囚われて、伝統的な会計基準を悪しきもののよう
に思い込んだ人もいた。結果として1999年に「会計ビッグバン」というグ
ローバルスタンダードが採用されてしまうのである。即時性を最大のメリ
ットと捉えるアングロサクソン系の「時価主義」と、時間をかけてバランス
を取ろうとする日本の「原価主義」、この違いは奪うこと略取することを旨
とする狩猟民族のアングロサクソンと、育てることを旨とする農耕民族の
日本人の違いから出ているものである。
 
 この違いを弁えないで、グローバルスタンダードに阿諛追従した日本は
情けないと言うべきだろう。せめて大東亜戦争時の百分の一の気概でも
あればことは変わっていただろう。アングロサクソンに隷従することがど
れほど民族益を損なうことか、日本人はよく考えるべきである。たとえば、
護送船団方式などと言われ、アジア特有の一種のクローイー二ズムの
弊害と看做された日本式のシステムには株式の持ち合い制度や談合制
度など、相互互恵主義が根付いていた。アングロサクソンの市場主義が
よくて日本の同族互恵主義が悪いという二値論理的な単純化をする前に、
日本の特性を温存、あるいは修正的調整を行う努力があって然るべきで
ある。

  このようにアングロサクソン流の市場主義だけに肩入れして、日本やア
ジアの伝統や文化を根こそぎ破壊する方向へ旗を振ったのが小泉と竹
中なのである。

 (次回に続く)

  参考図書
 
1) 「直言:失われた5年  ー 小泉政権・負の総決算(4)」植草一秀
2) 「騙すアメリカ 騙される日本」原田武夫 
3) 「拒否できない日本」関岡英之

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2006年10月19日 (木)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(7)

  幻想と虚構の繁栄がもたらした日本の虚無

 1970年とは、私にとってはきわめて面白くもあり落ち着かない年でもあ
った。この年は3月に大阪万博があり、高校3年生であった私たち生徒は、
先生の引率の下、万博会場を見学に行って来た。覚えているのは人ごみ
と異様な熱気、一瞬も絶えない喧騒であった。大阪万博の真のテーゼ、
それは「進歩と調和」などではなく、科学技術が日本の直線的な右肩上
がりの繁栄を確実に保証したかのような幻想をしめす「無限繁栄」だった
に違いない。国民全体が地球の有限性を感じない無限繁栄の幻想に酔
い痴れていたのである。

 面白いことその二は、この年の6月に第二次安保闘争があり、私のい
た高校の校門にも、大学紛争の波が押し寄せてきて、学生デモ隊を教師
たちが必死な形相で堰き止めていた光景を思い出す。当時、私はこのム
ーブメントにはまったく興味はなかったが、今から思えば70年安保闘争で
は、学生を中心として急進左翼が反米独立を謳っていた。けっして皮肉で
はないが、今の従米保守連中の軽薄さや脆弱さに比べたら、この時代の
左翼闘志の方がよっぽどまともな保守に見える。

 面白いことその三、というよりもショックだったできごとがその年の秋に
起こった。11月、教室は倫理社会という授業に入っていた。先生の表情
がいつもとは違い、少し蒼ざめた深刻な感じがあったので、これはただ事
じゃないという気配は何となく察していた。先生は開口一番にこう言った。
「さっき、作家の三島由紀夫が切腹したというニュースがあったぞ」。教室
内はざわついた。先生は一通り事件の概要を説明した後、本来の授業を
そっちのけにして、国粋主義や天皇のことなど、三島にまつわるさまざま
な話を語り始めたのである。そして、最後に「君たちは同じ日本人なのだ
から、これを切腹の事件として観るだけではなく、君たち自身がこれから
生きていくうえで、三島由紀夫が行ったこと、考えたことがどういう意味を
持っているのか、君たち自身でこれからもよく考えてみなさい」と言って授
業を締め括ったことは覚えている。我々生徒は、「現代社会で切腹だっ
て?」というニュース性に気をとられ、あまり熱心には聴いていなかった。

 私はそのあと、三島にも左翼にも国粋主義にもまったく興味を持たなか
ったが、あの三島事件は心のどこかにへばりつき、意識の底に沈殿した
まま時を過ごした感じがある。それがここ十年くらいの間に意識の表層に
浮かび上がってきている。私はここで三島由紀夫論をぶち上げようとして
いるのではない。そのような知識も気迫もない。私が言いたいことは、三
島由紀夫の異常とも思える時代への洞察力である。三島は割腹自決の
四ヶ月前に、日本のその後を見通した有名な文章を書いている。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま
いったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深
くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュ
ートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東
の一角に残るであろう」
私の中の二十五年・昭和四十五年七月七日発表) 

  また、最後の檄文に書かれているが、自衛隊は「護憲の軍隊」であり、そ
の行く末は「アメリカの傭兵になる」と言っているのである。どうであろうか。
これも安倍政権とその後に続く政権の喫緊の課題になりつつあり、北朝鮮
の核武装問題でその動きはますますエスカレートする趨勢である。この預
言ももうすぐ可視的に実現するだろう。しかし、その本質はけっして日本国
家の主体性から生じているものではなく、アメリカの国際戦略上の一駒とし
て位置づけられていることを忠犬のようにやっているだけである。

 日本人の精神が無機的でニュートラルになってきたのは漸次的であった
が、自衛隊の位置づけは、憲法の私生児から、いきなり米国の傭兵に変
わろうとしているのは急激である。我々はその動きを皮相的な意味での愛
国という言葉で自身を欺瞞しているのだ。それはあたかも、心のまったくな
い小泉が、靖国神社に参拝に行く行為と一致している。村山談話を踏襲し
て靖国に行く行為は「護憲の平和」という「呪詛」を英霊に向ける行為であ
る。

 ここで、佐藤優氏の「国家の罠」を思い出していただきたい。今から36年
も前に非凡な直観力で今日の時代を見据えていた三島の近未来把握は、
奇しくも小泉純一郎と言う稀代の亡国宰相によって鮮明に実現化、可視
化されようとしているのである。佐藤優氏は小泉政権の時を「時代の転換
点」と位置づけている。佐藤氏の書いている次の文章に注目して欲しい。

「小泉政権成立後、日本の国家政策は内政、外交の両面で大きく変化し
た。森政権と小泉政権は、人脈的には清和会(旧福田派)という共通の
母胎から生まれてはいるが、基本政策には大きな断絶がある。内政上
の変化は、競争原理を強化し、日本経済を活性化し、国力を強化するこ
とである。外交上の変化は日本人の国家意識、民族意識の強化である」
                         (「国家の罠」P293より)   

 佐藤氏は言う。社会哲学風に整理すれば、ハイエク型新自由主義社会
モデルで構造変革をすることと、国家意識、民族意識の強化を同時的に
行うことは、それぞれのベクトルが逆向きである。従って、これを矛盾なく
包括的に成し遂げるためにはパラダイムの転換が必要とされるのだと。
 しかし、時代構造を分析する手段の中の、一つの作業仮説として捉え
たとしても、はたしてそれはどうなのだろうか。今の日本で生起している
排外的ナショナリズムは、皇統と神道を基底にした真の憂国気運、愛国
情念とはまったくかけ離れている。私には小泉純一郎も、安倍晋三も、
偽装ナショナリズムを気取った左翼的情熱で動いているとしか映らない。

 理由は排外という「外」にはアメリカが含まれていないからである。ナショ
ナリズムやパトリシズムと言うからには、あらゆる国々からの内政干渉を
毅然と斥けることが最低の姿勢であろう。中国や大韓民国の干渉には憤
然としても、アメリカの内政干渉については、意識、無意識レベルで受容
するこの国、このどこが民族主義、愛郷主義だと言うのだろうか。今の日
本人は明らかに国家意識も民族情念も溶解しかかっているというのが実
相である。それをもたらしている本当の元凶を見定めずに愛国も独立もあ
り得ない。勿論、安倍晋三のいう「美しい国」は幻想の中の幻想に過ぎな
い。残念ながら三島由紀夫の眼力が見通した通りにことは進んでいるの
である。

 しかし、佐藤優氏の言う「森政権と小泉政権の間にわたる深い断絶」は
決して見逃せない時代のターニングポイントである。すなわちこの「時代転
換」の狭間に、植草一秀氏の国策逮捕が生じているのである。私が植草
氏の擁護論展開において、最も訴えたい部分が小泉政権が行った「時代
転換」なのである。この重要な事実にこそ、植草氏の国策逮捕を矮小化で
きない巨大な問題が秘められていたのである。なぜなら、小泉たちが行っ
たこの時代転換は、一般国民には意識されないように非常に注意深く行
われたからである。

 一般国民はフリードマンにしても、ハイエクにしても、その新自由主義モ
デルが、日本の国柄や伝統、皇統という歴史のレジティマシーにとって、
どういう意味を持ったものかまったく考えないでいる。なぜなら、小泉たち
は「構造改革」という経済修正的な言葉で、その時代転換の真相を覆い
隠していたからである。国民は小泉たちが行った政策を単なる「経済的
試み」としてしか受け止めていない。しかし実態は「国替え」なのである。
だからこそ、関岡英之氏や私はフリードマン・モデルの向かう先が「極左
急進的アナーキズム」だと断言しているのである。

 思い出してみるといい。小泉政権のスタッフから、自分たちが行ってい
る構造改革が、新自由主義をモデルにしているとか、ハイエクやフリード
マンを参考にしているなどという話を一度でも聞いたことがあるだろうか。
彼らはそのことをどこかで発言し、どこかで文字化しているのを見たこと
があるだろうか。私にはまったく覚えがない。ということは、小泉政権は
構造改革の本質が新自由主義に基づいている事実を故意に隠蔽し、
「従来経済路線の思い切った改革」という旗振りで国民をペテンにかけ
ていたのである。この意味がわかるだろうか。私が小泉政権を「転換」と
か、「時代の位相転化」だと言うのは、この短い五年間に日本という国の
質がすっかり変わって別のものになってしまったからである。すなわち国
替えされてしまったということなのである。

 小泉政権が行った、この「国替え工作」の頂点、すなわち国政ベクトル
が鋭角に変わった転換点に当たるのが「りそな金融ショック」だったので
ある。それまでは、戦前精神のイナーシャがかろうじて継続していたが、
小泉政権はその最後の力まで消滅させてしまったのである。国内外の
金の動きを監督するために、最も厳しいモラルを必要とする金融庁が、
日本人の誠実な魂を踏みにじる行動を行った時点で、それまでの日本
は終わったのである。現時点でも、このことに気が付かない国民は小泉
ポピュリズムを醸成した大衆層でもあるが、彼らは三島の預言にあるよ
うなニュートラルで無国籍な日常に揺曳しているのである。そのニュート
ラルという意味は極限的な空疎感、つまりは虚無感である。

 小泉純一郎を好ましく思った国民は日本人としてのリアリティを完全
に喪失しているのである。これほど不幸なことがあるだろうか。市場原
理主義に埋没した政権は、かろうじて残存していた日本の伝統精神や
共同体的原風景を憎悪し、敵視し、その殲滅に乗り出した。規制の徹
底解除とは日本的なるもの、伝統的なるものへの熾烈な憎悪に他なら
ない。これこそ新自由主義の思想的行動力学にほかならない。

 この本質を最も的確に説明しうる立場にあった識者が植草一秀その人
だったということである。りそな問題を彼が究明し、その国家的犯罪性を
暴いていくと、最終的には小泉構造改革が、ただの経済政策ではなく、
米国の思惑に百パーセント従った、非日本的な新自由主義構造に日本
社会が転換されたことに国民が気付いてしまうからである。つまり、小泉
が行ったことは、先祖に泥を塗る国体破壊であったことに気が付くのであ
る。りそなインサイダー疑惑で、謀議者たちが儲けた金が数十億円か、
あるいは数百億円かわからないが、問題は金銭的授受を超えて、小泉
たちの売国実体が白日の下に晒されることになることなのである。

 植草氏が踏みつけた虎の尾とはそういうことなのである。国民が国体
破壊の実態に気が付いた場合、瞬く間に世論形成が起こり、国民は二
大政党の政権交代実現などということよりも、新自由主義という構造改
革、いや、「構造転換」をやった政権や政治家たちを真っ先に糾弾する
だろう。それは一種の覚醒である。これが民族を囲繞している極東国際
軍事裁判の桎梏を解放し、WGIP(War Guilt Information Program)の鎖
を引きちぎる可能性がある。だからこそ、国内売国勢力もアメリカもその
ことを最大限に警戒しているのである。植草氏がその起爆剤となる最も
危険な人物であることを彼らは知り抜いているのである。

 さて、今回は時代のマクロ的な俯瞰を行ったが、次回は「りそな金融ショ
ック」のミクロ的な観点に視線を持っていく。物事は大きな視座から生々し
い現在性へ、そしてまた大きな枠組みに視点を換えるという焦点の当て
方を繰り返しながらやる方が自分の性に合っている。

 (次回につづく)

 

 

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2006年10月18日 (水)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(6)

  背景にはアメリカの一貫した対日戦略がある

 植草氏は最近の「ウエクサ・レポート(2006年を規定するファクター)」中
で、米国の対日金融戦略はきわめて長期の視野に立って行われており、
橋本龍太郎が金融ビッグバンの構想をぶち上げた時、私はこれが米国
の対日戦略であることを強く訴えたと書いている。また、植草氏は、金融
をめぐる意見対立について関岡英之氏の見方を引き合いに出してこうも
書いている。当時から今にかけて、日本では「国益擁護派」と「米国従属
派」に分かれた対立があり、(小泉政権にいたっては)真に国益を踏まえ
た「独立自尊」を軸に主張を展開する人々が、マスコミ支配の権力を行使
する「米国従属派」によって「抵抗勢力」として殲滅されかけていると。
                                                                                    (P459)

 これを私流に延長して言えば、マスコミ権力を盾にする米国従属派の
総本山が、最も先鋭的な「抵抗勢力」つぶしとして実行したことが「国策
捜査」という国家犯罪なのである。植草氏は上記レポートを書いていた
時点では、まさか自分が再度国策捜査の毒牙にかかるとは思っていな
かったと思う。しかし、9月までの彼の言動が、強烈な政府批判と同時
に、りそなショックの巨大な暗部を糾弾し始めた矢先、彼は再び国策に
よる口封じ作戦に捕らえられてしまった。小泉内閣とは米国従属勢力が
最も先鋭化した内閣なのである。それを引き継いだ現内閣が、その国
策の手を緩めていないのなら、植草一秀氏のいまだに解けない長期拘留
の謎は理解できる。安倍政権も従米売国政権の可能性がきわめて強い
ということである。

ところで、前回では、小泉構造改革がフリードマンの徹底した考え方で
行われていることを書いた。しかし、大ナタをふるったと言われるその構
造改革は国民に是認される下地がすでにできていたのである。少々長
くなるが、りそなショックを解明するためには、その伏線的背景として橋
本時代の金融ビッグバン辺りからの日本の経過を簡単に述べておこう。

 1989年、ベルリンの壁が崩壊、二年後にソビエト連邦が完全解体さ
れた。冷戦構造が消滅したこの辺りから世界は再び帝国主義の様相を
呈してきた。それは二極対立的な軍事均衡が崩れたあとの混沌状態で
あるが、世界が再びそれなりの恒常的均衡に落ち着くまでの揺れ動き
の中、世界における各国の経済ヘゲモニーは、大戦後、最も熾烈な様
相を帯び始めて来た。それまで、西側の軍事大国としてソ連共産圏を睨
んでいたアメリカは、今度はその国際戦略を経済問題に振り向けてきた。

 それまで世界の勝者であり自由圏内の庇護者、指導者であったアメ
リカが、今度は自分に従っていた国々に対して、極めて洗練された頭
脳的経済侵略の牙を向けてきたのである。これは、東西冷戦が消滅し
て、それまで抑制されていたアメリカの本質が出てきたという捉え方が
できるわけであるが、我々は当時のことを思い出すと、ある一つの不
思議なできごとに気付く。それはアメリカと日本の間で起きていたあの
熾烈きわまる日米貿易摩擦の話が’90年代になっていつの間にかす
っかり消滅していたことである。

 日米経済摩擦とは言うが、その実態はアメリカが一方的に日本に対
して、フェアーな貿易関係が樹立できない、従って、日本特有の組織構
造が駄目だから何とかしろという言いがかりである。実はこれが曲者だ
ったわけであるが、当時の外務省や政府関係者は、アメリカのこの執拗
な大騒ぎに辟易していた。しかし、ドイツ・ナチ、ゲッペルス宣伝相の鸚
鵡効果ではないが、アメリカのこのワンパターンな遠吠えを繰り返し聞
いているうちに、「本当に日本市場は閉鎖的なのかもしれない」などと
思うようになってきた者も出てきた。

 この意識の変化は、グローバリズムという言葉が、日本の知識人た
ちの口に頻繁にのぼり、それがあたかも国際経済のスタンダードでも
あるかのような錯誤が浸透していったことと期を一にしていた。もうひと
こと言うなら、日本から伝統観念や共同体意識が希薄化してきたことも
内在的な要因ではあった。さらにもうひと言付け加えるなら、戦後日本
に常識として根付き始めた「国際化」という標語の浸透とも同期してい
る。この常識とは、真の国際化という意味から乖離し、アメリカの標準
にいかに近づくかという思い込みであった。

 日本人は国際標準という漠然とした概念を、アメリカと国際金融資本
が提唱するグローバルスタンダードだと思い込んでしまったのである。
あとで説明するが、グローバルスタンダードというアメリカ一国の経済
覇権的な戦略を、日本人が普遍的な世界の趨勢だと読み違えてしま
ったところに、小泉政権という日本史上最悪の内閣が誕生する土壌が
あったのである。

 話を15年前に戻すが、日米貿易摩擦の喧騒の中で、アメリカの口撃
に頭にきていた日本人も、一方では、経済体制をモノから金融へ、生
産から情報革命へと、アメリカ並みの「近代化・進化」を遂げる必要を
痛感していた。そして、平成バブル不況に至っては、そのアメリカへの
思慕は、半ば脅迫観念を持っていたようなところもあった。そういう中
にあって、1993年、宮沢・クリントン会談で「年次改革要望書」の取り
決めが合意され、その辺りから、日米通商関係に関する摩擦やごた
ごたは不思議なことにきれいさっぱりと消えてしまい、小泉政権が始
動する数年前までにはほとんど耳にすることはなくなっていた。

 1996年、橋本龍太郎政権時代には、金融ビッグバンが起こったが、
その時の掛け声が「フリー、フェアー、グローバル」であった。金融ビッ
グバンは、小泉構造改革の予兆的原型を持っていた。それは金融に
特化された規制緩和、規制撤廃であり、いわゆる国際化に柔軟に対
応できる金融システムを作ろうということだったのである。ここにも「グ
ローバルスタンダードに合致する構造改革」という暗黙の了解ができ
ていた。また、ここには急速なIT化など、第三次産業革命と言われる
情報革命の進展があった。この時に目指したものが国際市場に倣っ
て、さまざまな規制に関する法制度の変革と会計制度の国際標準化
であった。グローバルスタンダードにあわせたこの会計制度の変更が、
2003年のりそな銀行国有化におけるインサイダー取引疑惑と重要な
関連性を持っているが、その話はもう少し後になる。

  この時点で、日本の金融界も、これまでのきわめて日本的な、そし
て集団主義的な共同体意識の変革とともに、護送船団方式による旧
弊なシステムを、新たに流動的市場原理に変えて刷新して行こうとい
う機運が生まれた。ここに小泉純一郎が気に入って繰り返して使用し
た言葉、すなわち「自己責任原則論」の萌芽があったのである。この
時の掛け声が、フリー(自由市場)、フェアー(公正な条件)、グローバ
ル(国際化)なのであった。記憶している方々も多いだろう。

 当時はバブル崩壊のショックで知的な後退に陥っていた日本人は
今、この時のことを冷静になって総括する必要がある。すなわち、あ
の金融ビッグバンとは、国益に敵う改革だったのかということと、それ
までネガティブにイメージ化された「日本の護送船団システム」が、本
当に時代遅れで機能障害を負い、全否定に値する産物であったのか
という真摯な問いかけである。

 フリー、フェアー、グローバルとは、日本人や他のアジア諸国をだま
す最も適切な標語群であった。しかし、落ち着いて考えてみるとこの三
つの標語には決定的に欠落しているものがあることに気が付く。それ
は文化や伝統の大切さが見事にというか故意に抜けているのである。
フリー(自由市場)、フェアー(公正な条件)、グローバル(国際化)とは、
フリードマンが提唱する世界、新自由主義そのものの世界観から成り
立っていることに気が付く。

 (次回に続く)

 参考図書
         植草一秀「ウエクサ・レポート」(2006年を規定するファクター)」
                              市井文学株式会社刊

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2006年10月17日 (火)

マッドアマノ氏の記事を読んで

「AAA植草一秀氏を応援するブログAAA」さんの最新記事に
マッドアマノ氏のサイトが紹介されており、その中の記事に植草
氏のことが言及されていた。

「竹中平蔵・議員辞職の謎と植草氏逮捕のカラクリ」(2006.9.28)
というコラムだが、そこに書かれていることは、ほぼ私の見解と
等しいものであった。マッドアマノ氏は、品川駅構内・手鏡事件の
係争中だった植草氏と弁護士にそれぞれ別の機会に会って事情
を聴いたことがあるそうである。その結果、彼は植草氏は権力に
ハメられたと確信していると断言している。

 このマッドアマノ氏の見解は重要である。直接、植草氏本人に
会った印象で言っている言葉は重い。推測や推論以外のダイレ
クトな印象があるからである。マッドアマノ氏は、植草氏がりそな
銀行インサイダー取引疑惑に言及した際、「りそな救済劇」に米
国が関与していることに触れたが、これが虎の尾を踏んだ可能
性があると言っている。

 私も最近はそう思い始めている。国策捜査は小泉政権の官邸
筋から出たのだろうが、これを指令した大元は米国ではないか
と思う。興味があったら是非読んでみて欲しい。

     http://www.parody-times.com/

 (この中の「最新パロディ」というコラムにある)

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2006年10月16日 (月)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(5)

  時代の強制転換を秘密裏に行うために植草氏は口封じされた

 私は、植草一秀氏の国策逮捕を追求し始め、「りそな金融ショック」問題
にたどり着いた。自動機械の装置設計や機械部品の設計などで細々と糊
口を凌いでいる私にとって、経済論はおろか、金融業界などの動向を語る
に至っては、門外漢などということさえ通り越した自分の無知蒙昧を感じて
いる。しかし、植草氏の無念を一刻も早く晴らしたい一念で、その恥をこら
えながら思ったことを書いていこうと考えている。

 さて、私は「植草つぶしは『りそな問題』の隠蔽にある(3)」で、フリー
ドマンの自由主義経済思想を素人なりに説明してきた。読者には、金融
問題、経済問題に特化された「りそなショック」に、新自由主義(新古典主
義)経済の説明などまったく不要ではないかと考えている人もあるだろう。
ところが、私はそれこそが「りそな問題」と「植草冤罪」の核心だと考えて
いる。私は植草氏が嵌められた、冤罪策謀が、「日本型資本主義経済」
と「アメリカ型新自由主義経済」の熾烈な対立軸の中で生起した国策的
な事件であることを確信している。

 それは、表現を換えて言うなら、佐藤優氏が「国家の罠」で語っていた
国策捜査がなぜ起きたかとということにも密接に関係している。氏の「国
家の罠」292ページに書いてあることに従えば、現在の日本(この場合、
小泉政権の五年間を言う)は、内政におけるケインズ型公平配分路線か
らハイエク型の傾斜配分路線への転換と、外交における地政学的国際
協調主義から排外的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代の
けじめ」をつける必要があり、その二つの線が交錯する箇所に、国策捜
査で狙われるターゲット、すなわち、その動きを鋭く捉えて警鐘を発する
知識人がいるということである。

 佐藤氏の表現は少し難しいが、私なりにわかりやすく言い換えるとすれ
ばこうなる。小泉政権という異常な政権が志向した政策とは、これまでの
日本型資本主義体制から、フリードマンが提唱した新自由主義経済体制
へ日本構造を転換する作業そのものに他ならなかった。佐藤氏が説明し
たケインズ型からハイエク型へという意味はそういうことである。また、「地
政学的国際協調主義」から「排外的ナショナリズム」へ転換するという意
味は、具体的な解釈をすれば、憲法九条の改正を目論み、これまで堅持
してきた戦後日本の絶対平和、絶対不戦の方向性を転換し、場合によっ
ては中国と軍事的に対抗できる路線へ変更していくということである。

 小泉・竹中路線は、今述べた二つの線の一つ、経済構造の転換は比較
的スムーズに行ったが、後の線、つまり排外的ナショナリズムへの転換は
まだ実現していない。これは小泉改革継承路線を踏襲すると断言した安
倍政権やその後の政権に託すことになったのである。従って小泉純一郎
が引退した後も、これが実現するまでは彼の院政が続く可能性は非常に
高い。狂気の宰相がトップから退いても、実質的には狂気の独裁政権が
今後も継続することは充分に考えられる。

 二つの線が交錯する時代と言うと何やらむずかしい感じがあるが、それ
はこの動きが日本国内の自生的自立的な動きだと捉えてしまった場合で
ある。実はこの動きは何もむずかしいことはない。この動きの力学的供給
源は日本ではなく、アメリカにあるのである。我々が「年次改革要望書」を
ただ、アメリカに有利なだけの商取引の次元で行われていると思ったら大
間違いである。アメリカの対日プログラムはそのような生易しいものではな
い。佐藤優氏の書いた「二つの線」とは、私流に深く掘り下げて言えばこう
いうことである。

 一つ目の線) 対日経済プログラムとして、日本に利益確定シス
          テムを構築し、恒久的に日本の国富を搾り取ること

 二つ目の線) 憲法を改正して自衛隊に交戦権を賦与し、アメリカ
          の傭兵として中国軍と戦わせること

 この二つがアメリカの日本改造の主目的なのである。アメリカは経済的
に日本から効率よく利益を本国に誘導し、搾り取れるだけ搾り取る算段な
のである。同時にアメリカのために日本という国を極東アジアの防波堤に
造り替え、場合によっては日本の自衛隊を中国軍と戦闘させる底意があ
る。おそらく、そのためには、アメリカの管轄範囲、限定的条件の範囲内
で日本核武装を推奨する可能性もあるだろう。 

 話を小泉政権の構造改革路線に戻すと、そのやり方、その政策決定の
さまは、劇的に急進的な革命政権の行動様式であった。その性格が最も
顕著にあらわれたのが、郵政民営化法案可決までの行動であった。郵政
民営化法案の異常に短い決定過程はいまだに人々の脳裏に鮮明に記憶
されている。竹中・小泉の構造改革とは構造破壊なのであった。この小泉
政権の不可思議なところは、日本の伝統的な構造をラディカルに破壊した
こと、つまりその構造改革の実態が急進的な構造解体であったことを国
民にひた隠しにしていたことにある。不可思議というか、実際はそこが非
常に悪質なのであるが、その理由は次回に書く。

 表面上は「希望の構造改革」という勇ましい掛け声で行っていたが、実
際は国民を偽り続け、米国のために利益供与確定システムを構築し、日
本固有の市場構造ばかりか、日本人の精神文化も破壊したのである。小
泉がやったことは、日本人の考え方を変えるために、新自由主義を啓蒙
することなく、構造改革という欺瞞の旗印で構造を先に変えたのである。
その新自由主義的な構造改変も、日本人の心を形から入らせて行く形を
とったのである。その意味するところは、日本人の心から伝統文化的な
固有性を取り除いて無国籍状態に置き、パブロフの犬よろしく、アメリカ
の忠実なロボットに造り替えることにある。

 以上、時代の転換点で、前の時代にけじめをつけるために、前の時代
にけっして後戻りしないために、前の時代を象徴する人物たちを見せしめ
として血祭りに上げるのが「国策捜査」なのである。これに狙われてしま
ったのが、鈴木宗男、佐藤優、西村眞悟、そして植草一秀である。彼ら
に共通することは、世の中に影響力を持つ本物の愛国者であるという一
点に尽きるのである。特に植草一秀氏は経済政策のスタンスから、この
偽りの政権の正体とその悪逆な本質を最も的確に見抜いていたと思わ
れる。彼はりそな金融ショックの背景に、小泉政権の確信犯的な国政誤
導を見通していた。従って政府(現政権も含む)は、植草氏が真相を語る
ことによって、「反構造改革」の劇的な世論湧出になることを真剣に危惧
しているのである。これが植草氏の冤罪逮捕と長期拘留の真相である。

 再度繰り返して言うが、世の中の転換点というのは、けっして自生的、
自律的な意味での転換ではなく、アメリカによる無言の強制命令で行わ
れている他生的、他律的な転換なのである。この様相を見抜いた国士た
ちが狙われたのである。次回は日本がフリードマン思想による経済構造
に塗り替えられたことと、植草氏が人身御供に狙われたことの関係性を
書くつもりである。上に掲げた数名の国策捜査による被害者で、植草一
秀氏が小泉政権にとって最も脅威を有した人物である理由を次回で述
べたいと思う。

 (次回に続く)

 参考図書  佐藤優「国家の罠」(新潮社) 

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2006年10月14日 (土)

熊本敬神党随感

   アカショウビン様のコメント

久しぶりにブログを拝見させていただきました。植草氏にあまり興味
はない小生ですが、氏をめぐる各論説は興味深く拝見しています。
 氏に対する対する管理人さんの言説も興味深く、それは決して自
己陶酔閑話ブログではないでしょう。
 「超賎人は人類の敵」さんのハンドルネームはともかくその論旨は
明快です。中高年の自殺が3万人を超える日本の現状は確かに異
常と思います。まして小学生の児童や中学生が自殺するのは平常
が或る境域を超えて病的症状を呈していると思われます。
 小生も現在の現状を憂える者ですが、さてどうするのか。ここのと
ころ「神風連とその時代」という渡辺京二さんの新書を読んで触発さ
れています。熊本敬神党の思想的支柱だった林 櫻園と言う人物が
興味深い。管理人さんはお読みでしょうか?



 アカショウビン様、お久しぶりです。コメントありがとうございました。

>中高年の自殺が3万人を超える日本の現状は確かに異
>常と思います。まして小学生の児童や中学生が自殺する
>のは平常が或る境域を超えて病的症状を呈していると思
>われます。


 まったくその通りだと思います。植草一秀さんによれば、小泉内閣が発
足してから、中高年の自殺が毎年、年間三万人を越え続けている現状が
あり、この自殺の原因は、大枠では経済的困窮に起因しているそうです。
これは単純に言えば、アメリカの対日本プログラムが、日本の国富を獲
得するために、小泉傀儡政権を介して行った利益移転システムの構築
に主な原因があると思います。小泉傀儡政権はアメリカに日本の富をた
だで貢ぐためだけに「構造改革」という名の「革命的破壊」を行いました。
この破壊は経済構造のみならず、国柄や日本人の道徳律にまで及んで
います。子供たちが小泉のやり方を真似て、気に入らない奴は抵抗勢
だからどんなことをしても排斥するという攻撃的姿勢しか持たなくなりま
す。謂わば、小泉は政府レベルで日本を学級崩壊させたような感じで
す。構造改革政権はモラル・ハザード政権でもありました。

 小泉がやったことは、構造改革、構造刷新による創造的破壊などでは
なく、それとはまったく対蹠的な国家破壊、すなわち破壊のための破壊
です。彼らが目標に掲げた「構造改革」は、新自由主義的発想をそのま
ま政策に用いた日本破壊であることを、私は度々指摘しています。この
ため、市場原理至上主義が瞬く間に日本社会を取り巻き、それは蛇の
毒のように、日本という国家を衰弱させています。

 小学生や中学生が自殺し、今までは考えられないような尊属殺人や
凶悪な事件が頻発してます。これは形態的に言えば、弱肉強食の本尊
国家・アメリカの社会風土がそのまま入ってきたと言えますが、精神的
に言えば、日本の国を預かる立場の人間に独立自尊の気概が喪失し
たことを意味しています。同時に小泉純一郎なる大漢奸や、その奸臣
たちを野放しにしてしまった国民精神の退廃にもあると思います。

 この民族存亡の危機に際して、どのような方法、どのような心構えを
日本人は持たなければならないのか。それを死ぬ気で考える時点に今
の日本は突入しています。私は寡聞にして、神風連(しんぷうれん)・
熊本敬神党のことも、林 櫻園という碩学のことも良く知りません。一つだ
け読んだもので、今、手元にあるものは、三島由紀夫の「豊饒の海」第
二巻「奔馬」に書かれてある「神風連史話」です。ここには絵巻物のよう
に熊本敬神党の発起から、その壮絶なる最後までが叙述されています。

 実は、私は大日本帝国海軍の魂が、いや当時の日本人すべての魂
が結晶化してでき上がったようなあの戦艦大和が、水上特攻(菊水)
作戦において、爆沈に向けたその最後の航行を決意した時の、艦長
以下乗組員たちの精神の持ち方を知りたいと思っています。それに関
してはいろいろな本が出ていまして、それぞれに頷くことは多々ありま
すが、根底において、今一つ、私を納得させないものがあります。最近
になって、そこに欠落しているものが熊本敬神党の心持ちではないの
かと思うようになっています。

 明治維新、欧風の合理精神が日本を席巻し、日本人の大和魂の純
粋性が汚染されることを最大の危機と考えた大田黒伴雄以下170名
の、思いを等しくする同志たちは、熊本城の鎮西鎮台を襲撃しました。
この時の大田黒のいでたちは、烏帽子姿に日本刀という、日本の伝
統、精神、文化を象徴し、廃刀令に屹然と背く日本の魂をあらわした
ものでした。170名の彼らの戦い方は壮絶そのもので、欧米近代科学
が生み出した火器、すなわち銃や大砲類を一切用いずに、近代兵器
を有する二千の敵に向かって討ち死にを遂げました。

 この実戦記を戦後感覚ですなおに読むと、あまりの馬鹿ばかしさ、無
駄死にの極地に圧倒されてしまうわけですが、なぜか、読み進むうちに
涙が止まらなくなります。彼らを、極端な復古神道主義のカルトだとか、
超国粋主義だとかいろいろな見解はあるでしょう。しかし、私でさえも、
心の奥底を揺さぶられる何か名状しがたい感動が起こってくるのはな
ぜなんでしょうか。神風連には明らかに本居宣長の有名なあの一句が
凝集されているからでしょうか。そこには理屈を越えた純粋さがありま
す。

 敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花

 一機の護衛戦闘機も伴わず、戦果を期待できないことがわかりなが
らも、三千名の兵士を乗せて死出の航海に踏み切った戦艦大和、私
はここにあらわれた深層の精神に熊本敬神党を見るのです。日本と
いう国は、時代が存亡の危機に達すればかならずや熊本敬神党、あ
るいは2.26事件の青年将校たちのように、やむにやまれぬ大和心
が出てくるのではないでしょうか。私には、それが日本人本来の救国
精神の発露なのではないかと感じています。

 平成現代、日本人の精神が内部から瓦解しかかっている今も同じで
はないでしょうか。小泉純一郎のような大漢奸が国家壊滅をたくらむよ
うな時代、第二、第三の神風連が出現するのではないでしょうか。で
なければ、神が何のためにこの日本をこの世界に存続させてきたの
かわからなくなりますから。

 アングロサクソンは人類史の害虫です。それ以外の何物でもない。
その害虫に隷属するなどということは、日本人のあり方にとって最も忌
まわしいということに尽きるわけです。若い人は日本がかけがえのない
国であるということを知るべきです。 

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2006年10月13日 (金)

燕子の遠吠え

  下は読者からのコメントである。

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「閑話休題」?、なんだ、今までのは無駄話だったのか。今回も従来と同
一論調なんだが・・・。

マル激トーク・オン・ディマンド」第210回、植草氏の表情に植草氏の心の
動きが出てますね。例えばpart1の54分頃(友人の下着姿の写った携帯
や家宅捜査で押収もセーラー服に話題が及んだ頃)の植草氏の表情か
ら垣間見られる心の動揺。苦衷の表情と絶句とに神保氏が慌ててとりな
す場面など。

 マル激第210回は植草氏に肩入れしてた印象を受けたのだが、その後、
蒲田での三回目逮捕があって、神保・宮台両氏の植草観がどう変わった
か興味がある。分別ある人びとが三回目逮捕で冤罪説と訣別、「擁護派
激減したのは何故?」と管理人氏をして慨嘆せしめた。


ここは所詮、自己陶酔「閑話」ブログ。読ませて貰う度に「なにを燕子が
実相を談じ顔なる」の思いを禁じえない。

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反論コメントとしては、このお人の書き方は秀逸である。それはさておき、
たしかに「閑話休題」の題名は不適当だった。最初は植草氏に関わりな
い話を予定したが急に気持ちが変わり、従来の話の延長になってしまっ
た。私もこの「マル激トーク・オン・ディマンド」第210回 を観ているので、こ
のコメントに答えてみる。

「(友人の下着姿の写った携帯や家宅捜査で押収もセーラー服に話題が
及んだ頃)の植草氏の表情から垣間見られる心の動揺
」と言われていた
ように、その箇所では、植草氏の心理的な動揺を私も感じた。しかし、こ
れについても、私は同じ男として弁解できることがある。性的なフェティッ
シュは人間であれば誰でも例外なく持っていると思う。これは神保氏や
宮台氏が言ったことにも繋がるが、フェチは内面の範囲の中で多様性を
持っていて、人によって千差万別である。

 問題はその傾向が、他者に関わる行動として出た場合、法律に抵触
する範囲内にあるかどうかである。友人の下着姿写真の真偽はわから
ないが、仮にそれが事実だとしても、それは秘匿している限り、フェティ
ッシュの範囲内にあることだと考える。普通に考えても、性は各自のプ
ライバシーの範囲にあり、個人にまつわる公私の併存においては「私」
に属するものである。

 女性の下着姿の写真、そのような物が携帯に入っていたとしても、そ
のことをもってして、手鏡で覗いたことが証明される、あるいはその犯罪
と連続性を持つんだという指摘はまったく当たらない。それがある個人の
犯罪性を担保する物的証拠となるのであれば、週刊誌のヌードやグラビ
ア写真を見る男は全員有罪となる。イスラム社会ならいざ知らず、日本に
おいてはあり得ない。

 セーラー服の件も同様である。これもフェティシュの範囲内にあり、盗ん
だとか、女子を強要して確保したとかいう話でなければ何の問題もない。
問題があるとすれば、そういうフェティッシュの部分を公的に自ら恣意的
に公開するという行為であろう。これは犯罪ではないが、公徳心や倫理
的には問題がある。そういうものを、官憲によって出されたとしても、それ
が都条例違反の行為にはまったく結びつかない。性的フェチシズムが犯
罪の担保になるのであれば、人類は全員有罪ではなかろうか。「欧米か
よっ!」風に言うなら、人類は誰一人として例外なく「原罪」を有している
から有罪であろう。ふとヨハネ福音書の有名な記述を思い出した。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を
投げなさい。」これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人
と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。

 私も含めてだが、我々は自分のことも省みずにこの手のことをやって
いる。 四六時中、女性の裸のことを微塵も考えずにいる男がいたなら
その人は珍獣の部類であろう。


「(友人の下着姿の写った携帯や家宅捜査で押収もセーラー服に話題が
及んだ頃)の植草氏の表情から垣間見られる心の動揺
」 というコメントの
話は「だから何だ」ということに過ぎない。不特定多数の見ている場所で、
自分のプライベートなフェティッシュを指摘されたら、どんな男でも動揺す
るのは当然である。恥ずかしいからである。人間には公と私の顔があり、
この両者は峻別される場合と、同時に出る場合と、互いに連続的に関
わる場合があると思う。国士と言われる人もこれは例外ではない。

 必ずしも適当な引き合いだとは思わないが、知識が足りないのでこれ
しか思い浮かばない。アブラハム・H・マズローの五段階欲求階梯心
理学を例に出せば、人間の欲望は段階があって大枠では自己実現とい
う最終段階にベクトルを向けるが、実はそんな単純なものではなく、日々、
要求の次元は事細かに揺曳している。男であれば、アダルト映像を観
たくなる時もあれば、次の日は社会や人類の行く末に思いを馳せる時も
ある。低次要求や高次要求がばらばらになって複雑に混在しながら生
きているのが人間である。

 性的な部分での要求が異常に突出して、それが他者を巻き込む行動
に出た場合は間違いなく犯罪である。しかし、人間一般の情動・欲情の
範囲内にあるものを恣意的に引っ張り出して、これに注目しろとやった
場合、実は今の捜査はこれに該当するのだが、その場合は常習性や
犯罪性を証明する担保にはまったく当たらない。むしろ、マスコミを使っ
てこれを注目させたことは悪質とさえ言えよう。

 三度も似たような事件で御用になる。しかも、携帯には怪しげな写真
が・・。公権力が公平性を保っていると万人が信頼している時ならこれ
は決定的である。しかし、小泉のように、公権力を私物化するような政
権が実現してしまった場合、政敵や、植草氏のように、政策論的に政
権の暗部、危険性を唱える者は、公権力によって恣意的に狙われる可
能性がある。植草氏の場合、これだけの判断材料で、その人間の性向
を常習的性犯罪者と印象付けるやり方は恣意性があるとしか言いよう
がない。「三度」という件をつぶさに見たとき、この連続性を既成事実
化するための演出を伴った故意の捜査、そしてこれを助ける報道の意
識的な印象操作を強く感じる。

 分別ある人が三回目の逮捕で冤罪説に決別、私、管理人はそれを慨
嘆と言っているが、私はこの三度の連続性が、国家権力によって意識的
に作られていると指摘してきた。国策捜査である。しかし、一度目の東海
道線車内の場合は、所轄警察の強引な誘導による結果であって、これは
国策ではないと考えている。しかし、あとの二件は明らかに最初の一件
を利用した国策捜査、国策逮捕である。

ここは所詮、自己陶酔「閑話」ブログ。読ませて貰う度に「なにを燕子が
実相を談じ顔なる」の思いを禁じえない。

 ご批判、しっかりと肝に銘じて置こうと思う。私の無学によって表現が稚
拙なことと不徳のなすところだろう。ただ、燕子だからこそ、今回のよう
な場合は声を上げなければならないのではないのか。そうでなければ、こ
の社会はがんじがらめの「警察国家」と成り果て、国民の幸福や希望は
雲散霧消することになる。

 私が言いたいことは、「三度の逮捕」という既成事実から出発しない見
方、可能性を考えて欲しいということである。逮捕は既成事実ではあって
も、その既成事実には国家権力の意図が関与していないのかという視点
を持って欲しいのである。なぜなら、小泉純一郎は三権分立の相互不可
侵性を自ら破壊した最初の宰相であるという疑いを強く持つからである。

 

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閑話休題(植草氏擁護に思うことあり)

 植草一秀さんは、小泉構造改革路線の売国的本質を、その経済政
策論的な洞察と炯眼で見抜き、かなりきびしい口調で批判を続けてい
たが、りそなの暗部を指摘し始めた途端に陥穽にはめられしまった。

 私はそのことを、マクロ的な観点からスポットを当ててみようと、いろ
いろと心当たりのある本や記事を調べているところである。すると、小
泉構造改革五年のあいだに、ほとんど見過ごしてきたようなニュース
や出来事が、互いに有機的な関連性を持つことが見えてきたり、売国
奴内閣の驚くべき隷米構造が明瞭になる瞬間がある。

 その時、驚きとともに、あらためて熾烈な怒りが湧いてくる。戦後は
一貫して、政治的にはアメリカに対する隷従傾向は強かったが、それ
でも小泉内閣以前は、政治家も、官僚も、言論人も、経済学者も、そ
れなりの反骨の気概は持っており、米国の奸佞邪智(かんねいじゃち)
に、それぞれの仕方できっちりと反抗していたのである。

 特に官僚の中には、世間のイメージとは違って、アメリカの好きなよ
うにやられてたまるかという強い防衛意識が働いていたように思う。
その中の一人が元通産官僚の小林興起氏であった。ところが、プラ
ザ合意辺りを境にして従米官僚と反米官僚の均衡状態がくずれ、反
米勢力がなし崩し消滅した。その結果、官吏の世界はアメリカ信奉
主義の官僚に席巻されてしまったようである。小泉個人の人間とし
ての器量や資質を考えた場合、彼を宰相に据えるような精神土壌は、
かつてはなかったはずである。

 ところが、こいつが宰相に居座るという異常な位相に我が国が突入
してから、日本の伝統意識や秩序感覚は急速に崩壊して行ったよう
に思う。国家の品格とか、美しい日本とかいう者が、皮相的な愛国ブ
ームに乗って胡散臭く出てきたし、先祖の遺徳を無視して靖国論をと
うとうと述べたりする馬鹿者が出てきたりする。

 私自身、過去五年間の日本の変化に、戸惑いを感じるほど驚いて
いる。戦後民主主義の単相な進歩史観に取り込まれている馬鹿者た
ちは、小泉施政のこの五年間の移り変わりが、日本の進化とか進歩
という概念で捉えているが、真相はその真逆に向っており、日本人の
精神風土はかつてないほど荒廃しているのが現状である。

 植草さんの本物の救国意志が通らない今の日本は、究極的な精
神の堕落に揺曳しているのである。気が付かないだろうか。テレビを
観ても、論壇誌などを見ても、米国を真正面から批判できるタイプの
気骨ある言論人が見事なまでに排斥されている現実がある。その代
わり、まがい物が排出している。中国や韓国を徹底的に毒づく話は
花盛りである。日本文明論を説く中西輝政とかね。あいつの拝米感
覚には反吐が出る。お前らのどこが保守なんだ。米国を睨む肝っ玉
を持つ奴が本物の保守なんだと私は確信する。小林よしのり氏など
は本当に頑張っていると思う。

 植草さんが痴漢だから逮捕されたと考えることは、頭を何も使わな
いから楽ではあろう。しかし、今の日本に心底違和感を感じている人
々なら、痴漢で逮捕され、拘留された植草さんが、会社のパソコンを
押収され、いまだに拘留を解かれていないことを不思議だと思う気
持ちが湧いて当然だと私は思っている。最もシンプルに素直に考え
たとしても妙である。彼の拘留継続を望んでいる者たちが、植草さん
に語ってほしくないことがあるんだという方向を考えてもらいたいと
切に思う。

 9月13日は私の誕生日である。この日に植草さんは逮捕された。
なぜか知らないが、自分に彼の汚名を晴らせという気持ちが強く湧
いた。私の直感であろう。今はこれを信じて突き進む以外にない。
滅多にはなかったが、今までこの手の直感に裏切られたことは一度
もない。

小泉や竹中どもによって、ここまで滅茶苦茶にこわされてしまった
日本は、植草さんの力を借りないと修正さえ出来ないと思う。だから
なるべく早く彼には復活してもらい、その能力を日本のために使って
もらいたいのである。植草さんの事件を面白おかしく捉えている者た
ちに言う。もうすぐそんな余裕なくなるぞ。郵政資金という国の安定を
保っていた国富がアメリカに吸い取られたら、日本の秩序は完全に
崩壊する。そうなってからでは遅い。政治でも、経済でも、国を思う者
を立てないと日本は壊滅する。
 

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2006年10月12日 (木)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(4)

  売国計画としてのりそな騒動(ブッシュの異常な饗応の陰に)

 植草氏によると、2003年4月28日の日経平均株価は7607円に達し、わ
ずか二年で株価は半値まで下落した。株価がここまで暴落した原因は、
それまで小泉が「退出すべきは退出させる」と何度も繰り返し、大銀行も
その例外にあらずとする、「自己責任完遂」の強硬的対策という一貫した
背景があったからである。政策決定における小泉の強硬裁断を見ていた
銀行や企業は、政府のりそなへの対処にも、当然ながら、この強行措置
がとられるものと戦々恐々としていた。その後に続く多くの銀行や企業を
連想したからである。これが結果的に金融恐慌発生の不安を波及させ、
株式の投げ売りが広がった。

  2002年9月に内閣改造が行われた時、竹中平蔵は経済財政政策担
当大臣に加えて金融担当大臣を兼務することになった。実は、2002年の
この年は、対米隷属構造強化において重大な進展が起きた年でもある。
それは、この年(平成14年)の5月に50年ぶりの商法(会社法)大改正が
行われ、翌年2003年の4月からそれが施行されている。りそなショックの
一月前である。この大改正の特徴は、日本型の経営組織をアメリカ型の
経営組織構造に変えることにあり、具体的には「社外取締役制度」を導
入したことである。これは強制ではなく、企業の自主裁量に委ねてはい
るのだが、改正の志向するところは、日本企業の経営組織構造をアメリ
カ型に切り替えることである。

 商法大改正の最も非日本的なところは、指名委員会、報酬委員会、監
査委員会の三つの委員会制度を採用するに当たっては、この委員会メン
バーの過半数が社外取締役、つまり外部の人間でなければならないとい
うことである。関岡英之氏によれば、この商法改正も2000年度版の「年次
改革要望書」に従っているということである。この改正の目指すところは
明らかに日本の便益のためではない。それは社外取締役にアメリカ人を
置くことでわかる。

 日本の企業経営最前線にアメリカ人を配置することで、経営の指揮コン
トロールをアメリカ本国から行うという狙いがある。実質的な経営権をコント
ロールできるということは企業ガヴァナンスもアメリカ式になるということで
ある。こんな法律を臆面もなくやる者たち、それを許容している者たちは、
日本人の顔をしたアメリカの奴隷である。南北戦争の時代、アメリカでは
リンカーンによって黒人奴隷が解放されたが、21世紀の今、アメリカは
またその制度を復活し、今度は一億二千万を越える日本人を使役しよう
とでもいうのだろうか。商法改正とは、アメリカによる対日利益確定システ
ムが、より高効率の稼動性能を発揮するためのバックアプなのである。

 もう一つ、りそな騒動が起きている頃、それに同期した興味深いことが
起きている。本山美彦氏の「売られ続ける日本 買い漁るアメリカ」によれ
ば、2003年の5月22、23日に、米テキサス州クロフォードのブッシュ牧場
でブッシュと小泉純一郎の会談が催され、宿泊も許されたそうである。こ
の日米首脳会談での小泉へのもてなしは異例中の異例で、それは外交
上の最高の「ご褒美」であるとワシントン・ポスト紙が伝えたことを、衆議
院議員・中川秀直が得々と語っていたそうである。

 ブッシュのこの異例な饗応に呼応して、会談後直ちに、USTRのゼー
リック代表は、「日本の市場開放努力と規制緩和の進展を米政府として
歓迎している」というコメントを発表している。りそなに公的資金の注入が
決定した頃、ブッシュは小泉を最大級の歓迎儀礼で遇していたのである。
今になって、あらためてこの年を顧みると、私はブッシュが敢えて行ったこ
の異常な饗応の理由が、3月20日のイラク開戦前に、小泉がいち早くブッ
シュを支持した事に対する謝礼以上のものがあるような気がするのである。

 だからこそ、USTR(米国通商代表部)のゼーリックが、「日本の市場開
放努力と規制緩和を歓迎する」という、経済に特化したコメントを出したの
が気にかかるのである。USTRだから通商関係のコメントが出たと言えば
それまでであるが、この時期、小泉純一郎のブッシュ参りの理由は、イラ
ク開戦に当たって、日本が米国の正当性を西側先進諸国でいち早く是認
したことへの「お礼」であるはずである。しかも、開戦直後で何かと慌しい
ブッシュが、そのことだけで小泉を歓待することの方が異常なのである。
つまり、この裏には同盟国日本の開戦賛同表明以上の何か、何か大き
な実利的な益が日本からもたらされたと考えなければ合点が行かないの
である。

 徹底したプラグマティズムと実利的な確実性でしか動かない米国の大統
領が、中東プランを左右する最も重要なあの時期に、唯一自分に戻れるブ
ッシュ牧場の「寝屋」に、尻尾を振るだけの小泉をわざわざ泊めたりするも
のだろうか。これこそ世界史の七不思議であろう。深読みかもしれないが、
私は今、イラク戦争と「りそな金融ショック」が、日米関係の深層の部分で
連動した動きのように思えてきている。この時期、日本人の目をりそな騒
動から遠ざけたのは、世界を驚愕させたアメリカによるイラク開戦であった。

 しかし、ブッシュが最も欣喜雀躍したであろう、2003年のこの年、自衛隊
のイラク派遣基本計画が閣議決定されたのが12月9日である。りそなショッ
クの半年以上も後のことである。ブッシュが、自衛隊の実質的派遣決定を
喜ぶなら、例の「異常饗応」の件は合点が行くことである。しかし、欧州各
国やロシア、中国などが反対しているさ中、日本がイラク開戦に賛同した
ことをブッシュが喜んだのは、開戦の大義や正義を日本が認めてくれた心
強さだけであったのかという素朴な疑問が生じる。

 この年、平成15年(2003年)の3月初旬、つまり「りそな金融ショック」の
約二ヶ月前であるが、3月初旬、日経平均株価の終値が8千円を割り込ん
だ。この株価の暴落因子が、イラク戦争勃発による世界環境の変化、そ
れに連動した米国景気のリセッション(一時後退)への不安が日本に波及、
加えて恒例的な3月危機説、あるいはこれらの複合要因であると一般には
感じられていたと思う。こういう大きな世界動向にまぎれて、この株価暴落
の真因が見逃されていたような気がする。

 植草一秀氏の視点は違っていた。この株価下落の真因は、日ごろ小泉
内閣が唱えていた、前提として例外なしの「退出させるべきは退出させる」
という構造改革の骨子的政策路線にあったことを彼は断言している。表面
的にはイラク開戦による世界同時株安という動きの中で、急激な日本株安
が発生した原因は、純然たる国内金融システムの構造的な要因にあった
のである。それこそが「りそな金融ショック」の真因なのであった。

 腹を括って、世界レベルの対テロ戦争を開始したブッシュが、その重要で
最も忙しい時期に、わざわざ時間を割いて、ハアハアとベロを出しながら尻
尾を左右に振る小泉ポチ犬に、最恵国宰相への待遇以上のもてなしを行っ
たのである。これは考えてみると不思議なことであろう。BSE感染疑惑の
ある牛肉を脅し入りの強圧で日本に輸入させるアメリカが、その見下げ果
てている日本の宰相を、最高レベルで饗応したことは異常である。これは、
この時期に日本からそうとう美味い汁を吸い取った満足感の表れとしか考
えられないのである。ここに植草一秀氏が、その鋭い視線に捕捉していた
国家がらみの「りそな騒動インサイダー疑惑」の線が浮かび上がってくるの
である。これは、この時期に米国にとって、よほど大規模な実益が日本か
らもたらされていたことを示すものである。

 日本はイラク開戦前、確かにこの戦争を秒単位の速攻で支持した。しか
し、それ以外に何か米国が喜ぶような突出したことを行っていただろうか。
考えられることは、上述したアメリカに都合の良い商法改正である。これは
アメリカにとっては確かに僥倖ではあろうが、さしあたっての強制性がない
ため、すぐには利益確保に結びつかない。それ以外に日本から米国に巨
額の利益が入った話はないのである。・・表面的には。

 私は小泉構造改革には表裏の位相が進んでいると言った。構造改革
のペテン性、まがい物性を「表」と言い、その裏で起きている、日本人に
よる犯罪的な米国利益誘導を「裏」の位相と名づけることにしたのである。
植草一秀氏が捕捉したことは、この裏の位相にほかならない。ここまで
言えば、私が何を言いたいのか賢明な読者諸氏にはもうおわかりだろう。

 そうなのである。植草氏が逮捕される前に、最も世間に訴えたかったこ
とが、りそなホールディングスの実質国有化までの一連の騒動において、
アメリカがらみ、政府がらみの意図的なインサイダー取引があったという
疑惑である。つまり、りそな騒動の背景には、政府、外資、そして政府に
協力した民間人たちのトライアングルで共謀され、仕掛けられた巨大な
規模の金融犯罪があったという植草氏の着目があったのである。

 あとで説明するが、新日本監査法人によるりそな査定と、それにまつわ
る金融庁の最終的な救済措置までの一連の胡散臭さの中に、外資(アメ
リカ)や政府関係者がむさぼった巨大な暴利が生じたということである。
これを鑑みれば、この時期、ブッシュが破格の待遇で小泉を迎えたことの
真の意味が見えるかもしれない。しかし、この記事を書いていて気が付い
たことがもう一つある。それはイラク開戦と「りそな金融ショック」の関係性
についてである。

 今年8月30日の産経新聞・東京朝刊に出ていたが、当時(’03年)、開戦
3カ月前に米国務長官(当時)アーミテージが、日本に戦費拠出の要請は
しないと伝えていたことがある。この新聞の書き方によれば、その理由と
して、米側は、日本側の湾岸戦争時の苦い教訓に配慮したということであ
った。何度も言うが、日本を属国扱いし宗主国気取りの米国が、1991年に
勃発した湾岸戦争時に、日本が130億ドル(1兆8000億円)も拠出しなが
ら、国際的には冷たい反応しか得られなかったことを配慮して、2003年の
イラク開戦には、日本から戦費の供出をびた一文求めないという話であっ
た。アメリカの本質を知る者にとって、この話を鵜呑みにしろと言う方が無
理がある。

 私は、りそな金融ショックと、その後の郵政民営化という国益毀損法案
の一連の生起過程において、米国が日本から巨額の資金を吸い込み、
また吸い取ろうとしていることを如実に感じ取る。アメリカは、これをイラク
戦費や米軍再編成に充当していると考えている。りそな金融ショックによる
恣意的な株価変動による莫大な「上がり」なども、2003年に米国がイラク
開戦に踏み切った重要な契機になったと考え始めている。それならば、ブ
ッシュ牧場の異常な饗応の一幕がすっきりと理解できるのである。

 今年の7月、国連イラク支援派遣団(UNAMI)は、イラク開戦以来、武力
攻撃で死亡した民間人の数は5万人を越えた発表した。我々日本人が、
アメリカのイラク侵攻を大義のない戦争と言うことは容易いが、私の推論
がもし当たっているのなら、ブッシュたちネオコンが、この戦争に踏みきっ
た直接の動機は、戦費捻出の目処がついたからである。だとすれば、隷
米売国政権であった小泉内閣を持ち上げ、受け入れた多くの国民は、自
分は関係ないと言っていられるだろうか。枡添要一はあるテレビ番組で、
「北朝鮮に対して米国の武力をあてにしているからイラク戦争に同意し、
自衛隊の派遣を行った」というような意味のことを吐いていた。小泉政権を
存続させてきた国民は、イラク戦争で亡くなった無辜の民の血を背負って
いることをどれだけ認識しているのだろうか。

 偽装されたりそな金融ショックが、米国のイラク武力侵攻の資金的契機
となった可能性は大きいのである。りそな金融ショックとは、あとに控えて
いる膨大な資金源である郵政資金に狙いを定めた米国が、その試験的
回収の意味合いとして行った、日本に作られた利益確定システムの稼動
実験であると私は考える。従って、この巨大な国家がらみ、米国がらみの
インサイダー疑惑の背後には、米国の獰猛な世界戦略が横たわっていた
のである。

 
 

(次回に続く)

 参考図書 

  1) 「売られ続ける日本 買い漁るアメリカ」本山美彦
    2) 「拒否できない日本」関岡英之

   

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2006年10月10日 (火)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(3)

  りそな問題にひそむ表の欺瞞性と裏の犯罪性(その二)

 前回記事では、葉山元氏の「国富消失」に書かれてある、りそなホール
ディングスの実質国有化までの経緯を簡略に書いてみた。その時系列に
従った「推移」の中には、実は同時に二つの位相で進んでいた重要な問
題があった。それについては、目に見える形で進んだほうを「表」、見えな
い形で進んだほうを「裏」と今は便宜的に言っておく。小泉・竹中構造改革
に内在する、この表と裏の関係は、この内閣に先天的に横たわる巨悪の
本質をよくあらわしている。

 まず表の方になるが、かつてのイギリスのサッチャリズム、中曽根政権
時代のレーガノミクスを参考とし、それを踏襲した新自由主義(新古典主
義)経済をモデルとして小泉構造改革路線はスタートした。この経済思想
の中核を担ったのが竹中平蔵であった。小泉内閣が、それまでに残存し
ていた日本型資本主義構造を完全に破壊して、急進的突発的に「新自
由主義経済」型社会に我が国の構造を造り替えて行ったことは事実であ
る。国民の大多数は、新自由主義、新古典主義経済と言っても、ほとん
ど何のことかわからずに、せいぜい小泉はアメリカ型に似た経済システ
ムを導入しようとしているんだなくらいにしか思っていない。

 本人が意識しているかどうかは別にして、小泉純一郎が新自由主義
経済を日本に敷設したことは明らかである。最もわかりやすいのが、累
進課税の撤廃と所得格差の急激な現われである。新自由主義経済学
の大御所であるミルトン・フリードマンは次のように言う。

「わたしは自由主義者として、もっぱら所得を再分配するための累進課
税については、いかなる正当化の理由をも認めることがむずかしいと考
える。これは他の人びとにあたえるために強権を用いてある人びとから
取り上げるという明瞭な事例であり、したがって個人の自由と真正面か
ら衝突するように思われる。」(政府からの自由)

 何のことはない、彼の主張はケインズ思想への徹底的な憎悪であり、
伝統ある国家の意義を完全否定する経済思想なのである。簡単に言え
ば、国家は鎖であり、足かせであり、くびきであり牢獄のようなものだと
いう国家否定である。小学生にもわかりやすく言うならば、人間は本来
自由であり、その権利と思いを何の障害もなく行動に移すことができる
社会を造ろうという考え方なのである。食い物を見たら自らの力で奪い
取って食え、より良い生活を望むなら自らの力で築き上げろ。そのため
には手段は選ぶなという徹底した弱肉強食の世界である。そして何よ
りもその思想が過激で特徴的なことは、国家が人間の自由を阻害する
諸悪の根源であるということにある。まあ、学級崩壊に関して言うなら、
生徒個人の人権意識を、究極的な過剰レベルで認めてしまうと崩壊
(クラッシュ)にいたるわけであるが、その現象の根幹にあるものも、フ
リードマンたち新自由主義者が志向した極左急進的アナーキズムに
ほかならない。行き着くところは無政府主義なのである。

 フリードマンの世界では政府や国家そのものが、人々の自由を奪い、
個人の行動を制限する悪しきケモノ、すなわちホッブスのリヴァイアサ
ンである。経済的視点から言うなら、あらゆる縛りから解放された市場
は、自ら理想的な秩序を形成して上手く行くのだという思想である。
(ハイエクの言う自生的秩序)しかし、そういう世界とは、イメージ的に
言うならば、あの拳劇コミック「北斗の拳」の舞台になった荒廃した近
未来世界の姿であろうか。

 すなわち、絵に描いたような優勝劣敗の世界である。動物の世界はそ
ういう風になっているから、動物の一種である人間社会もそういう傾向
になって当然ではないかと思う人がいたら、その人は自分の知性を疑
うべきである。生態学的実相では弱肉強食ではなく、生物同志は総体
として共生関係にある。つまり、求むべき人間社会の実相として、より
正しい姿とは、欧米連中が自明とするチャールス・ダーウィンから派生
した社会ダーウィニズム(ハーバート・スペンサーなどに代表される進
化論的社会学)などではなく、今西錦司博士が提示した棲み分け、す
なわち共生的進化論による社会学なのである。そしてこの視点こそが、
我が国、日本の伝統的社会構造に合致するのである。経済学もこの
視点を重視する必要がある。今の我が国で、この方向性を持つ最も
ふさわしい経済学者は植草一秀、あるいは内橋克人を置いて他にい
ないだろう。

  さて、話を戻すが、 所得格差の度合いをあらわすジニ係数の動きを見
てもわかるように、小泉内閣になってから、日本は明らかに典型的な傾
斜配分へ急速転換した。すなわち深刻なる格差社会である。小泉が累
進課税構造を破壊したからである。「旧弊なる自民党をぶっ壊す!」とい
うスローガンをぶち上げ、「小泉ポピュリズム」を醸成した低知能連中の
喝采を浴びた小泉は、文字通りの破壊を行ったが、彼がぶち壊したもの
は、伝統的日本が築き上げた知恵によって形成されていた優れた社会
構造であった。時代が進展し、世の中の形に合わなくなってきた旧弊構
造は改善する必要があるが、そのことを以ってして、日本型構造全体を
悪と看做し、それを根こそぎ破壊することは重大な犯罪である。

 小泉が行った構造破壊の型は、ラディカルな構造改革というよりも、ど
ちらかと言えば革命政権の行動様式にそっくりである。ただ、アメリカの
傀儡として行った構造破壊を革命と呼べるかどうかは疑問の余地があ
るところである。国民は小泉の狂気の熱気に巻き込まれ、この重大か
つ歴史的な大犯罪を見過ごしたのである。これはまさに、あのドイツ・ワ
イマール共和国時代におけるドイツ国民精神の落魄、退嬰化を髣髴と
させるできごとである。

 小泉には初期から国家のグランド・デザインがまったくなく、怨念のみ
で日本的国家構造なるものを選択的に破壊して行った。多分、小泉自
身はフリードマンなどという言葉さえ知らないだろうが、彼が行った構造
改革の思想性をこちらから忖度すれば、その手法は明らかにフリードマ
ンの考え方に沿っている。彼のやったことは、福祉の切り捨て、累進課
税構造の変更による大企業優遇、中小零細企業への税制的圧迫、非
正規社員の増加、国家的安定システムとして我が国の社会を守ってい
た郵政事業を解体し、その莫大な富を市場経済に投擲したこと等、彼
の政策的行動原理がすべてフリードマン思想に収斂しているのである。

 これをひと言でいうならば、小泉構造改革とは『日本破壊』なので
ある。

 以上、りそな問題に言及するために、その前提的背景として、小泉・竹
中路線の性格というものを私なりに簡単に説明した。これをある程度説明
しておかないと植草氏の政策批判の要諦が見えてこないからである。さ
て、冒頭で言ったように、小泉構造改革路線には、表と裏の二つの位相
が同時に進行していた。表は小泉構造改革がアメリカに利益を供与する
方向性しか持たない目的で行われたことを言う。ただし、小泉・竹中たち
が「隠しモデル」として採用した「新自由主義」は、アメリカの意向を百パ
ーセント汲んで行われているものであるから、これは個人の自由も国家
の自由もまったく関係なく、奴隷経済構造そのものである。

 つまり、小泉構造改革の真意とは、日本がこれまでに築き上げた経済
構造や伝統的慣習を根底から破壊し、国富流出の装置を新たに築き上
げることにあった。装置とは言っても、改革という名前を前面に推し出し、
日本の社会や国益をガードするさまざまな規制を、アメリカに都合のいい
ように撤廃、あるいは極限的な緩和を行ったことである。この動きの中心
に郵政民営化が存在するが、これについては別記事であらためて考察
するつもりである。とにかく、国民は気付くべきである。グローバリズム経
済に沿った構造改革というものは、この経済思想に親和性をもたらすた
めに行う改革だなどという生易しいものではなく、それは国家の尊厳と自
己同一性を根こそぎ破壊するための、アメリカによる日本破壊であること
を銘肝すべきものである。

 次に裏の位相であるが、これこそが、りそな銀行実質国有化騒動の動
きに隠れた小泉政権の巨悪の本質を言う。私は植草一秀氏が国策捜査
に狙われた直接の原因がここにあると確信している。ただし、植草氏が
かねてから舌鋒鋭く批判していた小泉内閣のマクロ的政策が、表の位
相、すなわち小泉のペテン的構造改革の反国益的性格を暴きだすとい
う意味でも、植草氏は最も都合の悪い存在なのである。

 金融政策で完全主導権を握った竹中平蔵が、りそなを救済するという
名目で行った実質国有化が、実は構造改革の眼目である自己責任原則
を根底から裏切っていることは、植草氏が繰り返して強調的に指摘する
ポイントである。おそらく、これに気が付いていた国民でも、この自己責任
原則を反故にしたことについては、「何事も原則通りには行かないものだ」
という程度で看過しているが、実は植草氏がこの原則論放擲に固着した
ことは重大な意味を持っているのである。

 この問題は、政策というものが場合によっては原則論通りには行かず、
時に応じて縦横無尽に手を打つ必要があるという考え方のレベルからは
はるかに隔たっている。植草氏は言う。りそな救済の言い訳に使われた
法律、すなわち「預金保険法第102条 第1項 第1号措置」でりそなを救
済したことに、重大な国家犯罪の含みがあったのである。

  (次回に続く)

 参考図書 
     1) 葉山元「国富消失」
     2) ミルトン・フリードマン「選択の自由」
            3)            〃             「国家からの自由」
            4)  植草一秀「失われた5年-小泉政権・負の総決算(4)」

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2006年10月 9日 (月)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(2)

 りそな問題にひそむ表の欺瞞性と裏の犯罪性(その一)

いよいよ「りそな問題」に入る。この問題は植草氏に限らず、さまざまな
方々が、その不自然さや恣意的な不可解さをピックアップしているようだ。
2003年10月に「国富消失」(新潮新書)という本を出版した葉山元という
方がいる。その中に、りそなホールディングスの実質国有化の一件を分
析したことが書いてある、まずは、その葉山氏の分析から紹介しよう。
105ページから122ページまで、りそな問題を中心に書いているが、それ
を参考として時系列的に述べていく。これをウエクサ・レポートと重ね合
わせて見ると興味深い事実が浮かび上がってくる。

 2003年5月17日に、りそなは預金保険法第102条に基づく、金融危機
対応会議開催の第一案件となった。りそなホールディングス社長である
勝田泰久氏も、高木祥吉金融庁長官も、当局も、直前までは、りそなの
実質国有化などという事態は想定していなかったようである。ただ、一人、
アメリカのエージェントである竹中平蔵だけは違っていた。

 りそなに引導を渡したのは、りそなの監査を担当する「新日本監査法人」
だった。焦点となったことは、脱効果会計の見直しであった。脱効果会計
とは、赤字決算となった企業が、将来の儲けを上げた時に、税金を払わな
くてすむ分を、自己資本として勘定する仕組みらしい。税金を支払いが繰
り延べられるので「繰延税金資産」とも言うらしい。繰延税金資産は将来
の儲けを前提にした、見かけ上の自己資本であり、先々の収益計画が当
てにならない赤字続きの銀行にとっては「とらぬ狸の皮算用」である。

 りそなの前身である大和銀行とあさひ銀行は、向こう5年間の納税軽減
額を繰延税金資産に計上して自己資本をかさ上げした。この両行は、2003
年3月に経営統合したが、竹中平蔵は一時これに難色を示した。大和銀
行のかさ上げぶりがあまりにもひどすぎたためらしい。竹中と金融庁事務
方が睨みあう中、2003年5月6日、新日本監査法人は最初の通告をりそな
に出した。

「りそなは繰延税金資産を計上する前の段階では債務超過。その場合は、
繰延税金資産を計算する決算の期間を5年より短くする必要がある」

 この通告はりそなにとっては寝耳に水であった。それまでの日本の慣例
からして考えられないことであった。通告を受けてりそなは金融庁に報告し
た。竹中金融相は言った。

「監査法人と銀行の協議には、金融庁が何らかの影響を与えるということ
があっては絶対にいけない」

 5月9日、新監査法人は重松孝司代表社員の名で、二度目の通告をり
そなの常務執行役員。大谷昭義に送った。

 「繰延税金資産を除けば債務超過」

 重松自身の見解は、「今後の業績が収益計画を下回るリスク、及び、
4、5年目の不確実性を考慮して、向こう3年の決算を合理的期間と判断
する」というものだった。期間3年の根拠としては、

 1、中期計画が3年単位
 2、経営健全化計画の見直しが2年
 3、主要行に対する繰延税金資産の厳格化に対する日本公認会計士
   協会長通牒を斟酌(しんしゃく) 

 などと記されている。その上で、「りそなホールディングスのように、繰
延税金資産の計上前に多額の債務超過状態にある場合には、安定的
な業務純益があることを前提としても3年が相当と判断した」と念を押し
ている。新監査法人がこのような出方をした背景には、りそなの協同監
査を受託した朝日監査法人所属の公認会計士・平田聡さん(享年38歳)
の自殺があった。4月24日に、都内の自宅マンション12階から転落死し
たのである。

 日本公認会計士協会会長・奥山章雄氏が、金融問題タスクフォースの
会議中に竹中平蔵に「脱効果会計について、金融庁が事前に意見を言
うことはあるのですか?」と聞いた。これに対し、竹中は「そんなことは
ありません、事後チェックだけです」と答えた。りそな延命を働きかけて
いた金融庁事務方も竹中直々のこの言明には従わざるを得なかった。
こうして新日本監査法人は、繰延税金資産を3年分しか認めず、りそな
の自己資本比率が国内業務を営むのに必要な4パーセントを下回る公
算が強まってきた。

 この経過を小泉純一郎に報告した竹中平蔵は、一緒に行った温存派
の金融庁事務方が「りそなは四パーセントの自己資本比率を維持できる」
と発言したことを無視して彼を所払いした。その上で、竹中は「預金保険
法第102条の発動もあり得ます」と言った。小泉は竹中にこの問題を丸
投げした。この瞬間に国内規模第6位の銀行の命運は決定した。

 5月14日、新日本監査法人は当初の主張をりそなに最終的に伝えた。
こうして金融有事を想定した金融危機対応会議は開催され、小泉首相
は、りそなの事態を放置すれば預金保険法第102条第一項に規定する
信用秩序の維持に極めて重大な支障が生じるおそれがあると答申した。
りそなへの公的資金の注入はこうして決まったのである。竹中はこの事
態をこう言い切った。「破綻ではなく、再生。国有化ではなく公的支援」で
あると。

 繰延税金資産問題は、2002年に就任した竹中金融相が、銀行経営陣
と正面衝突したテーマである。竹中は繰延税金資産を絞り込み、銀行の
自己資産を丸裸にすることで、銀行への公的資金の注入を急いだ。その
時、自民党の守旧派と手を組んで、頑強に抵抗していたのが、りそなの
社長である勝田泰久氏であった。小泉に金融政策の全権をまかされて
完全な主導権を握った竹中は、りそな問題を突破口として、金融庁の事
務方や銀行界守旧派へのリベンジを果たしたことになる。

 以上が葉山元氏の「国富消失」に従ったりそな騒動のあらましである。

 さて、これからは以上を踏まえて植草レポート「失われた5年-小泉政
権・負の総決算(2)~(6)」 に書いてあることを追っていこう。

  (次回につづく)

参考図書:葉山元「国富消失」(新潮新書)

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2006年10月 8日 (日)

植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(1)

    欺瞞の小泉・竹中構造改革路線

 「直言:失われた5年  ー 小泉政権・負の総決算」によれば、植草一秀
氏は、小泉内閣発足の一年前に、小泉純一郎と中川秀直に対してレク
チャーをしている。植草氏は財政収支改善を中期的に取り組む必要を説
き始めた時、小泉はその発言をさえぎって、「緊縮財政運営こそがすべて
に優先されるべき」であるという持論を得々と開陳したそうである。植草氏
は、当時、日本経済の根っこには、巨大な不良債権問題が沈潜しており、
これを無視して財政緊縮路線を遂行すれば、経済悪化、金融不安増大、
財政赤字拡大等の深刻なマイナス要因が発生し、「魔の悪循環」のスパ
イラルに呑みこまれることを指摘していた。

 植草氏は、小泉純一郎が政権を取った時、上述の基本政策が取られた
場合、明らかに日本経済の失速・墜落を招くと一年も前から確信していた
ので、小泉政権がスタートしてから一貫して政府のマクロ的な経済政策に
対して精力的に警鐘的な批判をしていた。植草氏の予想は的中し、政権
発足から2年経った2003年の4月28日に、日経平均株価が7607年円とバ
ブル以来の最安値に暴落した。金融不安を引き起こしたのである。

 その前に、小沢一郎が主催するある朝食会に植草氏が講師として招か
れた時、竹中も主席していた。この席で植草氏は、米国はこれまでに、「経
済、財政、金融」不振の三重苦からなる巨大な財政赤字を抱えていたが、
経済改善優先の指針を明確に採用したことによってこれを改善していたと
説明した。すると竹中平蔵は植草氏の正論に真っ向から異を唱え、先に
不良債権問題を処理しなければ経済は回復しないと突っぱね、それを強
硬に小泉施政の中で実践した。その結果、2001年から2003年までの経済
は、植草氏の判断が適正であったことを裏付けるように失速していった。

 竹中と植草氏には基本的にこういう経緯があって、マクロ的な政策見解
では完全に対蹠的、対立的な関係にあった。この時点で植草氏は、アメリ
カ・ハーバード・シンジケートの直轄エージェントである竹中平蔵に決定的
な要注意人物としてマークされ、それは当然、アメリカに最大級の危険人
物として報告されていたはずである。

 小泉内閣は、新自由主義経済の背骨である自己責任論の実践形式とし
て、「退出させる企業には有無を言わせずに退出させる」という断固とした
金融政策上の基本テーゼを掲げた。その時、退出させる企業には当然大
銀行も含まれると言明したために株式市場は慌てふためき、2003年の春
に日本経済は金融恐慌の崖っぷちまで滑り落ち、誰もが小泉政権の断末
魔をかいま見た。

 植草氏は言う。この究極の局面で小泉政権は、最大の眼目であった「自
己責任論テーゼ」を完全放棄して政策路線をケインズ型財政出動にいきな
り切り替えてしまったのである。「小さな政府論」を口角泡を飛ばして繰り返
し、官僚主導による「大きな政府論」の弊害を徹底的に非難し、憎悪を叩き
つけていたはずの小泉内閣が、その基本方針を180度方向転換し、小泉
構造改革のレエゾンデェートルを自ら放棄したのである。

 国民はこの時点で、この内閣の無思想性と極悪なペテン性を糾弾するべ
きであった。ところが、小泉べったりのマスコミ(実はアメリカの金が動いて
言論統制の網がかけられている)のせいもあるが、総じて、国民はこの大
事件を看過してしまったのである。実は、この『りそな突き落とし&りそな
救済』の雛形は2001年末にも存在した。小泉施政の根本的誤謬によって
株価暴落が始まり、マイカル(サティなど)や青木建設などが次々と破綻し
た。小泉はこの時、「退出するべき企業は退出させる」という政策テーゼが
実行されていることを念頭において、この動きを歓迎する旨の発言を行っ
た。これを受けて市場はパニックに陥った。そしてダイエー存続問題が急
浮上した。小泉は突如、このダイエーを政府資金で充当して救済したので
ある。構造改革路線への第一の裏切りであった。

 国民はこの時も「なんか変だなぁ」と思いつつもこれを看過した。しかも
小泉はダイエー救済後、臆面もなく竹中スタンスである緊縮財政路線に引
き戻したのである。株価は当然のようにまた暴落を再開し、小泉の支持率
は急落した。ところが、小泉はこの難局を北朝鮮訪問で乗り切り、支持率
を回復した。2003年以降、景気は上昇傾向に乗り出した。悪質なことに、
小泉や竹中は、この上昇を構造改革路線の紛れもない成功だとはやし立
てていた。この間の推移で、日本経済の底力を担っていた中小企業や零
細企業、多くの人々が、倒産、失業、自殺などで、どれだけ犠牲になったこ
とだろうか。

 国民は知らねばならない。2003年以降の景気回復は、構造改革の成果
とはまったく違い、これは経済が最悪の状況まで落ち込み、慌てた政府が
なりふり構わず、土壇場で自分たちが唾棄していたはずのケインズ主義的
な財政出動を行ったためである。ちゃっかりと路線を転換していたのであ
る。この時点で小泉構造改革は、その基本方針の根拠を完全に失ってお
り、後の郵政民営化に手をつけるどころか、内閣の存続理由を失っていた
のである。そういう自死的な状況にも関わらず、この内閣が奇跡的に延命
したのは、マスコミがその真相を報道しなかったことと、小泉・竹中が、構造
改革の痛みはさまざまにあったが、いまはそれを乗り越えて景気が良い
方向に向っていると国民を見事に騙したからにほかならない。

 あのような致命的な自己矛盾を内包しながらも、後の郵政民営化問題で
亀井静香氏を筆頭とする守旧派を攻撃した小泉純一郎の思想性、神経は
異常そのものである。まるで精神異常をきたしたヤクザが、腹を括って凶
暴な行為に駆り立てられているようなものである。こういう宰相を出してし
まったこと自体が日本史の汚点なのである。

 植草氏は言う。この現実をしっかりと踏まえた小泉政権の総括が必要で
あると。政府が釈明する「りそなの救済」は、救済という言葉が、新自由主
義経済の掟である「自己責任論&小さな政府論」の政策基本と整合性が
まったく取れていないことを示すものであった。小泉施政の失敗は、金融
恐慌を甘受するか、あるいはそれを回避するために自己責任原則を放棄
して政府救済を行うかの二者択一(究極の選択)のぎりぎりの限界点まで
日本経済を追い込んでしまったことにある。

 素人なりに思うが、植草一秀氏の経済思想とは、国家の適正な介入と
いうマクロ的ケインズ主義の包括的な視点と同時に、ミクロ的各論的なフィ
ールドサイドの問題では徹底した自己責任を被せるという、謂わばケイン
ズ経済主義の日本型進化形態に属していると私は見ている。適正なマク
ロ経済政策運営によって、経済システム総体の安定的恒常性を確保しつ
つ、個別の金融問題の対処については「自己責任原則論」を固守する。
一見、相反するかのように見えるこの両者の絶妙な拮抗バランスを維持
させ、それを政策的に実現していくことが経済政策の手腕であると植草氏
は言っているのである。よく考えてみれば、これも昔から日本人が得意とし
た「和の融合的創造性」なのである。植草氏の経済理論は、新古典主義
でもなければケインズ主義でもなく、両者の融合的視点から生まれた「む
すび」の経済学なのである。いかにも日本人の経済学と呼ぶに相応しい
ものだと私は見ている。

 私は植草氏のこのプリンシパルな経済思想が、日本民族の性向にもっ
ともよく合っていると思っている。なぜなら日本民族というものは、あれか
これかの二値論理的思考を好まずに、全体の空気からいつの間にか
整合的な結論を引き出せる本能を持っているからである。大江健三郎で
はないが、日本人の曖昧性や即断を嫌う性質の中には、全体から個別
に向かい、個別から全体に向う心の動きを繰り返しながら、いつの間に
か然るべき適正な思考にたどり着き、その結果が最適な結論に収斂して
行くという、謂わば複雑系に似た思考様式を持つ。日本人の思考様式が
欧米人の「要素還元主義」的な思考様式と決定的に異なるのは、各論と
総論が、フラクタルな自己相似関係を持ち、結果としては合成の誤謬の
リスクを回避して調和的な領野へ思考の方向性を向けることが可能なこ
とにある。これこそ、十七条憲法に謳われた「和を以って貴しとなす」の
基層精神の働きによるものである。こういう民族性は、民族の長い経験
則によって裏打ちされたDNAに蓄えられたものである。

 ところが、物事で、これがいいか悪いかという、小泉の二項対立を基底
にした間抜けな遠吠えは、人間の精神性まで要素還元主義に置換する
アングロサクソンの典型的な思考様式なのである。こんな奴は最も日本
人らしくない思考や行動様式に囲繞されており、魂の底までWASPに跪
いているのだ。。このような思考様式で、植草理論が提唱するマクロとミ
クロの絶妙な拮抗バランスを理解もできなければ実行できるはずもない
のである。また、ミクロ的な政策が結果的に合成の誤謬を惹起しないよう
に、政権は常に極度の観察力と深い洞察力をもって目を光らせている必
要がある。この総論と各論の絶妙な舵取りこそが、経済政策の要点であ
るという植草氏の提言を、あの小泉が理解できるはずもない。しかし、竹
中平蔵はあれでも経済学者である。彼は植草理論の要点は完全に理解
した上で植草理論をつぶしにかかったのである。

 つまり、小泉政権は「構造改革なくして経済再建なし」と花火をぶち上げ
て置きながら、「りそな騒動」で自らそれを破っていたのである。スローガン
と実践は違うとは言っても、これでは足下からの自己否定である。しかし、
小泉や竹中はこの致命的な政策破綻を糊塗し、乗り切るための偽装説明
を行った。それに使われたのが「預金保険法 第102条」である。

 (次回につづく)

 
 

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2006年10月 6日 (金)

私はなぜ植草一秀氏を擁護するのか

 敷島の 大和心のををしさは 事ある時ぞあらは
 れにける              
(明治天皇)

( 大意:わが日本国民の大和魂は、男々しいものであるが、平生はあ
らはれなくも、一朝事のある時に、始めて外にあらはれるものではあるよ)

私は植草一秀と言う人物に出会ったこともなければ、勿論、話をしたこと
も、手紙やメールで文字を交わしたこともない。彼の書いたものを網羅的
に読んだわけでもない。従って、彼の人柄や気風気骨、倫理道徳観、日
本観、総体的な世界観なども、直接のフィーリングとしてはまったく知らな
い。

 では私は今、なぜ彼を擁護し彼を庇うのか。それはいたって簡単明瞭
である。私は、植草一秀という一人の人物が、冒頭に掲げた明治天皇の
御製に則った行動を、彼が迷いなくとっていることをストレートに評価して
いるからである。彼は間違いなく現代の国士である。門外漢の私が言うの
もなんだが、いったい経済学者とは何であろうか。経済学者とは何を考
えて何を行う責務を担った人たちなのか。経済学者とは、古今東西の経
済学を頭に入れ、それを分析統合し、現代の実学として応用し役立てる
学者さんたちのことなのだろうか。

 自分の分際も弁えず、敢えて大言壮語をしてみるが、今の経済学者
は、それぞれが、それなりに一見鋭そうな分析を行い、見事な経済予
測や、人々に有効だと感じさせる政策提言や、近未来の展望をここぞ
とばかりぶちかます。しかし、彼らの多くは、学んだ学問や自分の経験
則や試行錯誤で訓練した、その重厚で膨大な知識と応用学を日本国
民大多数の幸福に寄与するように役立てているのだろうか。正直言っ
て、私には大いに疑問である。

 彼らの多くは、衒学的で空疎な経済学もどきを能弁しているだけであ
る。もっと生意気なことを言わせてもらえれば、彼らはまったく役立たず
なのである。無知を承知で言うが、我が国の高度経済成長期や平成に
入る直前辺りまでは、語弊はあるかもしれないが、日本型国家計画的
経済が主流であり、いわゆるケインズ的視野で経済を捉え、我が国の
経済の進展に、それなりの効果を果たしていた学者連中が多々いたよ
うな気がする。

 ところが、細川護煕政権くらいを境にして、このケインズ的色彩を持っ
た経済学者、学説が雪崩を打ったように駆逐され、平成の今となって
はほとんど消滅してしまったかのように思える。しかし、それに代わり、
押しなべて台頭してきたのが、イギリスやアメリカを礼賛する新自由主
義の経済学者、そして学説なのである。東大派の学者が駆逐されて、
慶大派の学者が席巻してしまったと単純に言っていいのかどうかわか
らないが、少なくとも今の経済学は新自由主義の色合いが極めて濃い
ものだと感じる。

 私は、我が国の戦後の経済復興や、そのあとの高度経済成長の原
動力となったのは、日本人のDNAが為せるわざであったことは勿論な
のだが、そのダイナミズムをもたらしたものは戦前精神の残存だった
と確信している。その頃は、日本人は表面的には東京裁判の影響で
戦前否定をしていたが、伝統的な共同体精神は、尚も強固に残存し
ていたので、工業技術や生産工学などインダストリーの分野で驚異的
な躍進を遂げて行った。これは戦艦大和の建造方式が、トヨタ生産方
式や大型タンカーなどの生産技術として花開き、ゼロ戦の技術が新幹
線の安全技術に生きたことを鑑みれば、戦後の経済復興のハードウェ
アーの基盤が、戦前からの連続性に基づいていたことがわかるだろう。
そして、ソフトウェアーとしての精神的なモチベーションも戦前の残存
にあるのだが、戦後の日本人は、ここに目に見えない大きな瑕疵を内
包していた。しかし、そのことは本記事の要点から外れるので今は説
明を除外しておく。

 つまり、日本人の顕著な特徴は「和の共同体」が確立した時に大き
な力を発揮するということである。この和の共同体をバンドリングし、
堅固に維持していくための求心力が国民精神の共有なのであった。
昭和30年代、そして40年代は、日本人全体に経済を立て直し、未来
を科学の力で築いていこうという、あの時代特有の共有できる目的が
あった。ところが世代交代を行ううちに、戦後教育がもたらした戦後民
主主義は、国民の心を個人に向わせ、それは平成になって、ほぼ完
全なミーイズムに取って代わられたのである。

 戦後の日本人の精神相を捉えたニヒリズム、三無主義、しらけなど、
価値相対主義が増殖するに連れて、日本人から「和の共同体」が雲
散霧消して行った。個々の人間の感覚がアノミー(無連帯)に向った
のである。共同体がバラけるに従って、経済学者もケインズ学派から、
ハイエク、フリードマンなどの新自由主義学派に代わって行ったので
ある。しかし、それでも日本人が取り入れた新自由主義は、実効的
な経済の考え方として、適度な国家の介入を認めている前提があっ
た。厳密に言うなら、日本人が比較的最近まで取ってきた経済方式
とは日本型資本主義だったのである。

 植草氏が小泉政権を初期から叩いていたのは、実は小泉政権の構
造改革の思想が間違っていることと、その政策上の一貫性がまったく
ない国益毀損型の政策に終始していたからである。植草氏の経済思
想は、今は絶滅した昔の型を踏襲していながらも、無駄や非効率を取
り除くスタイルも持っている。つまり、マクロで見るならば、国家の安定
的な介入も認めるが、自己責任の実力主義も視野に入れ、その両者
の絶妙なバランスを保つことが国益経済にかなうという考え方である。

 この形こそ、日本型資本主義経済の枢要なのである。だから、亀井
静香氏が植草氏のレクチャーを真剣に受けていたのである。はっきり
言って、今メジャーになりつつある新自由主義型の経済学では日本
の再生は不可能である。滅びに向うだけである。小さな政府論の極
相は国家否定であり、そこは狂暴な経済プレデターが跋扈する弱肉
強食の無政府エリアと化していく。そして最終的には監視社会、密告
社会の「警察国家」に成り果てるのである。事実上、小泉政権がアメ
リカの命令に従って、日本固有の社会構造を解体してしまい、今の
日本は警察国家になりかかっている。だからこそ、今、国策捜査
による不当な逮捕が出始めているのである。鈴木宗男、佐藤優、
西村眞悟、そして植草一秀、これからも日本の防衛を心底から
考えて活動する真の愛国者たちが狩り出されるかもしれない。

 この圧倒的な流れに対し、経済政策の分野で雄雄しくも立ち
上がり、政府を相手に堂々と反論し、国家の崩壊を食い止めよ
うと孤軍奮闘する偉大な経済学者がいる。それが
植草一秀
である。言論者の鏡である魂と誇りをもつ勇気ある人である。

 今、極悪な犯罪が連日多発していることも、小泉政権が行った極端
な新自由主義社会への構造転換に起因している。今の日本で救国
の思想をベースに持っている経済学者は植草一秀氏なのである。そ
のことは、りそな疑惑を一貫して糾弾し続けている姿勢にもあらわれ
ているし、彼は「あるべき金融」という本の中で次のように言っている。

「経済政策に関する考察は、優雅な経済学論争とは本質的に違うの
である。経済学論争は決着がつくまでに無限に時間を費やすことが
許され、誰が正しく誰が間違っていても、それによって国民が傷つく
ことはない。しかし、経済政策は現実の行政にかかるものであり、そ
の失敗は直接国民生活を左右する。
 経済学の重要な役割は、現実の経済政策の立案、決定過程に貢
献することだということを忘れてはならない」(P182)

 植草氏は、エコノミストたちが無責任な発言をしたり、重要ポストに
ある政治家たちに無責任な助言をすれば、結果として国が傾くと言
っているのである。小泉・竹中政権の五年間は、日本の構造をアメ
リカ型の新自由主義社会へ強引に構造転換しただけではなく、国民
を裏切って、国富をアメリカに貢ぐシステムを構築してしまったのであ
る。

 これを激しく糾弾し続けている植草一秀という男は掛け値なしの救
国心情に溢れている。こういうかけがえのない人物が、小泉、竹中、
世耕、飯島などの売国政治家に狙われるのは当然であろう。日本と
いう国は、国家が危急存亡になると、必ず有意の人物があらわれ、
命をかけて救国的警醒活動を行う。その一人が植草一秀氏であるこ
とは間違いない。日本の破壊を黙って見ていられない彼の義勇心、
義侠心が今回の境遇を招いているのである。彼の仕事はこれから
である。我々国民は家族や子孫に確固とした日本という国を残して
行かなければならない。植草一秀の救国のこころざしを見抜いた者
であるなら、彼が性犯罪の位相にはないことを確信できるはずであ
る。

 小泉の破壊によって日本は青息吐息、壊滅的な状態まで追い込
まれた。アメリカによる第二の経済敗戦である。なにを、馬鹿なこと
を、今日本の株価は上昇傾向にあるではないかと思っている日本人
は多い。しかし、これは外資活動による一時的な現象である。今、日
本経済の実情は死の瀬戸際にある。今、日米の長期金利の差は3パ
ーセント以上ある。日本はゼロ金利。外資はこの金利差を利用して
安い円を集め、これをアメリカで運用して儲ける。この儲けた金を日
本で運用しているから、一時的に日本の景気が良くなっているので
ある。そういうシステムが作られてしまったのである。

 これを専門用語では「キャリートレード」(carry trade)と言うらしい。
小泉政権はこのキャリートレードの型を恒常的に固定化してしまった。
今の景気浮揚は外資活動による皮相的現象にほかならならず、日
本の自力とは関係ない。これに気づき、早急に国を立て直さなけれ
ば我々に未来はない。今、植草一秀という男の力が何としても必要
なのである。


 かくすればかくなるものと知りながら
 やむにやまれぬ大和魂  
(吉田松陰)

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2006年10月 5日 (木)

(続)藤原直哉氏の例の放送について考える

 前回記事に対して、無記名さんから真摯なコメントをいただいたの
で参考になった。それにコメントを書いていたら、長くなったので本記
事に載せた。

>藤原氏の意図が、
>もっと本質を考えるように促しているのか、
>或いは、
>オカルト的なサイトを潰そうとしているのか。
>真意は測りかねますが、
>いずれにしても私たちが注意すべきは、
>コピペして喜ぶようなサイトも
>真意の推測もせずに、まるでおもちゃを貰った
>子供のように喜んで叩くような
>サイトも同じようなレベルであることです

ご意見、ありがとうございました。

たしかにおっしゃるとおりのようにも思いますが、藤原氏に情報
をあたえた者の意図ははっきりとはわかりません。ですが、この
放送による最終的な効果としましては、警醒の意味合いが結果
として強く出てしまうように思われます。

 藤原氏の語った「小泉政権の後始末」は、額面どおりに受け
取るわけには行かなくとも、話の骨格そのものは「年次改革要
望書による郵政民営化」の真相を衝いている内容だと考えます。
年次改革要望書の存在は紛れもない事実ですし、郵政事業を
民営化するという、構造改革そのものが国際金融資本を介して、
アメリカに日本の金を貢がせるシステム造りなのであります。

 小泉政権がやったことは、郵政民営化を構造改革のかなめ
と言いながら国富流失システム、すなわちアメリカに日本の国益
をトランスファーさせるシステムを構築したことには間違いありま
せん。人間や企業や社会は、基本的に自由がいいとは思います
が、だからと言って、国家の枠や国民生活の安寧に必要な規制
を闇雲に取り外していたのでは、それはもはや秩序ある国家とは
言えない状態になります。

 災害時、戦争、経済危機などの危急存亡の時などは、大規模で
利潤とは関係ない救済措置が必要となります。その場合、国家
以外に誰がその役割を担うのでしょうか。郵政事業というものは確
かに無駄もありましたし、汚職も発生していました。しかし、日本
に一旦ことが生じた時には、郵政の持つ莫大な資金は、国家国民
の救済の役割を担います。以前も言いましたが、こういう市場原
理の法則からはずれた金融装置が日本にあることは、国民生活
や国民心理に大きな安心感を与え、国内の秩序を維持することに
大きな力となっています。

 国営か民営かなどという愚劣な二値論理に拘泥せずに、郵政
事業がどうしたら安定的に、国益にかなうように、国民の幸福に
寄与するように出来るのかを、時間をかけてゆっくり考えていけ
ばいいことです。それを、こともあろうに小泉は、アメリカの片務
的な要望に追いまくられて拙速に民営化をやってしまいました。
それで何が解体されたのでしょうか。旧弊な郵政事業団体でしょ
うか。違います。解体されたのは国家の安全システムなのです。
郵政とは、日本人が歴史的経験則から得た知恵によって築き上
げた一つの精巧な国家安全装置なのです。それがまったく省み
られずに、市場原理至上主義的な観点のみで民営化が強行さ
れてしまいした。

 しかもです。この市場原理に特化した方向性で行われた郵政
民営化は、その市場原理で、どうすれば国益にかなう運用がで
きるのかとか、その際にヘッジファンドのように数字の大金だけを
動かしたり、その他の金融的手法を駆使して莫大な利潤を得る
ハゲタカ的な外資の攻勢を、どうしたら防衛できるのかという肝
心な議論を、竹中や小泉は敢えてさせなかったという経緯があ
ります。やらせるはずがありません。自由市場による「公正な競
争」という名目で、我が国の国富をアメリカにごっそり流動させる
ことが目的だったわけですから。

 植草一秀氏が、マクロ的観点から小泉経済施政が根底から誤
っていると指摘し続けたのは、構造改革が間違っているのではな
く、小泉・竹中がやった構造改革が国益毀損型であると見抜いて
いたからです。植草氏も実は構造改革論者なのですが、彼の構
想は小泉・竹中たち、売国ペテン師とはまったく違っています。そ
れは彼の著書や論文を読めばわかります。

 国益毀損型国政、郵政民営化もこの形を忠実に踏襲している
わけでありまして、やがては郵貯、簡保にストックされている膨大
な資金も、国外に流失することになります。日本人はそうなってか
ら、初めて竹中主導による郵政民営化が戦後最大の国富毀損犯
罪であり、日本人の知恵と経験がつくりあげた日本固有の構造が
解体されたことに気が付くわけです。このまま行けばですが。

 我が国の経済危機及び国難的状況に対応できる唯一の防御シ
ステム、安定システムである郵政事業が解体され、国際金融資
本が暗躍する弱肉強食の民間市場に投げ出されるのみならず、
国民の勤労努力の賜物が「ただ」でアメリカに出て行きます。し
かも見返りゼロの状態で。

 肇国以来、最大の国売り宰相である小泉純一郎に、たとえ六
分でも国家を思う気持ちがあるのなら、一兆円を懐にしてもかま
わないから、日本生存のために何か役立つ大きな交換条件をア
メリカに出せなかったのかという思いが強く出ます。たとえばで
すが、無条件の日本核武装をアメリカに確約させるくらいの手は
打てなかったのかと思うわけです。ところがこいつは喜々として
国富をアメリカに献上する準備を整えました。

 藤原氏の例の放送は、すでに朝貢システムが稼動して、200
兆円が外債に当てられたと完了形で言っていますが、その部分
と金額を度外視すれば、まったく起こりうる話だと考えます。

 従って、私は「警醒」の性格がかなり強いものと見ています。ま
あ、謂わば、ジョージ・オーウェルの「1984」が予言的性格を持っ
た小説であるように、例の放送も「これから、そういうことが起き
るから注意しろ!」というメッセージに見えます。

 これが実は嘘でしたということになったとしても、多分そうなるで
しょうが、この放送を聞いた人々は、現実の対米構造の最も危険
な側面を面白小説の形でインプットしたことになるわけです。これ
は小泉政権の欺瞞性を見破るためには、非常に効果的だと思い
ます。

 あとは聞いた人々が、各自の情報リテラシーを駆使して「小泉
内閣の五年」を、そういう角度からアナライズして行けば、郵政民
営化法案の拙速な成立が、いかに日本国民を欺いて為されたか、
その真相が見えてくるでしょう。

 結論において、藤原放送は国益に敵う方向に行くと思います。
これを放った人物は頭がいいと思います。なぜなら、郵政資金が
すでに流れてしまったと言えば、聞いた国民は度肝を抜かれる
からです。まっとうな警醒の語りよりも、起こることを起きたと言う
方が、はるかに大きなインパクトを与えることが出来ます。その
意味でこの警告放送は効果的だと思います。もし、これがブログ
つぶしの意図だとすれば、キックバックの一兆円、二兆円も嘘、
アメリカ国債への充当も嘘、従って根も葉もない放言であるこの
放送内容を、確定引用したブログは責任をとって閉鎖せよとな
るのでしょうか。

 コピペしたからと言って、それを鵜呑みにしたとは解釈されま
せん。こういう衝撃的な話があるんだよということで人々の耳目
をひきつけるにはいいアイディアだと思います。この話が作り話
であることが知れた時、その内容を全否定するほど日本人は愚
かではありません。

 なぜなら、この話が加速的に広まったというはっきりした事実
が、いかに多くの人がこの問題を気にかけているかをあらわし
ているからです。

 関岡英之「拒否できない日本」&「奪われる日本」、小林興起
「主権在米経済」、原田武夫「騙すアメリカ 騙される日本」等を
読んでいる人なら、この放送内容が骨格的には事実に基づいて
いることが一目瞭然に理解できるからです。

小泉構造改革の罪とは、国富流失システムを構築したことだけ
ではありません。かれが行ったことは改革の名を借りた国家構造
の大破壊です。国民は三島由紀夫が予言した内面がニュートラル
な無国籍人間になりかかっていますが、その前に小泉純一郎とい
う狂気の宰相が日本という国家構造を解体してしまったのです。
三島の予言は当たりつつありますが、三島が射程に捉えきれな
かった別の変数が出てきたのです。小泉による国家崩壊です。

 国家が先に崩れてしまったので、日本人は内面から無国籍人間
と化す前に、列島というあるエリア内で根無し草になり、漂流をし始
めたのです。これがどれほど恐ろしい現実であるか、まだ日本人は
気づいていません。

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2006年10月 3日 (火)

「小泉1兆円、竹中2兆円」放送の真意を推測する

 今、ネット世界に衝撃的な情報として急速に増殖しつつあるネットラジオ
放送について、その放送意図を少し推測してみた。この見解は前々回の
記事「同一情報源のはずが、二つの違う話に分化」にも書いたが、今回は
その部分だけをピックアップする。

 その内容は「藤原直哉のインターネットラジオ放送局、9月26日、「小泉
政権の後始末」である。この内容は、小泉・竹中路線が、小泉構造改革政
策の中核として、昨年10月に強引に成立させた「郵政民営化」によって、
郵便貯金資金と簡保資金合わせて340兆円の内、200兆円がすでにゴー
ルドマン・サックスの仲介を経て、30年満期の米国債に充当されたという
ニュースである。このキックバックで、小泉は一兆円、竹中は二兆円を懐
中にしたというものである。

 ここで語られている驚くべき内容の真偽は確かめようもないが、すでに郵
貯が米国債に充当されたという事象は俄かには信じがたい。郵政民営化
が本格始動するのは来年の10月であるから、時制的におかしいし、金融
関係者からその話がリークされている様子もない。もしそういう巨大な資金
の動きがあったのであれば、これに不審を抱く者が必ずあらわれると思う
からである。そういう噂がいっさい出ていない。

 しかしである、数字そのものはともかくも、郵政民営化の本当の目的が
この話の構造と一致していることは確かである。すなわち「郵政米営化」
である。ここで私は二つの推測をした。一つは、この話は郵政資金の外
資食いを防ぐために世論喚起として故意に投入した可能性と、もう一つ
は、郵政資金の流れに対して、日本人が今、どれほどの警戒感を抱くの
かという、米国政府機関による日本人の反応をリサーチする目的がある
のかもしれない。私自身は前者の可能性が高いと思っている。すなわち
警告のために、敢えて米国の思惑が完了したと過去形で語っているよう
な気がする。

 冷静に考えるなら、郵政公社が民営化に向けて本格始動するのが来
年’07年の10月からであり、民営化が完全に完了する設定期間が2017
年までの10年間である。私はこの設定期間が国民の目を欺いて安心さ
せる最大のペテンだと思っている。竹中平蔵がやったのである。国民が
10年というタームに安心しきっている時に、来年の民営化始動時から郵
政資金は外資の入れ食い状態となり、あっという間に国富は消尽してし
まうのである。

 あと一年である。あと一年の間に日本人が世論を喚起して、非国民政
権である小泉内閣が決めた郵政民営化を見直す法案を出さないと、国民
の血と汗の結晶である日本国の生命線的国富が外に流失してしまうので
ある。つまり、藤原直哉氏の語る内容が予言的雛形構造を持っている
ことは間違いない。

藤原直哉のインターネット放送局より、
『藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2006年9月26日
 小泉政権の後始末
                    ↓
http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/files/0926.mp3

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2006年10月 2日 (月)

植草氏謀殺までの必要な過程として仕掛けられた罠

 前回記事で、underdogさんが寄せてくれたコメントに植草氏ご本人が語
っている ビデオニュース、「丸激トーク・オン・ディマンド」が紹介されてあっ
た。これは全部で1時間06分の長さであるが、植草氏自らが語っている話
をじっくりと聞いてみて、大いに参考になった。’98年の件は40分ほど経過
した辺りから聞くことができる。

 前回、前々回の記事で私は、植草氏の’98年の事件そのものが、あた
かも現象として何も起きていなかったと書いてしまったが、その件では植
草氏が、警察による恫喝をともなった強引な取調べで、無実であるにも関
わらず、むりやり、警察の言い分に従った調書を取られてしまうという結果
になっていることを知った。破廉恥行為があったとされる、そのきっかけと
なった出来事は、植草氏ご本人の説明に従ってここに説明しておく。

 ’98年に東海道線電車内で起きたその出来事であるが、植草氏は四人
座りのボックス席の通路側に座った。対面側の席には二人の女性が座っ
ていた状況であった。植草氏は、太もも(股)の湿疹が痒くて掻いていたこ
とと、電車が揺れた時に、荷物を抱えていた彼の小指の先が、女性の膝を
ほんの0.01秒ほど擦過(さっか)しただけであるということだけであった。膝
を擦過された女性が、ちょうどその時に通りかかった車掌に「この人が感
じ悪いんですけど」と訴えたと言っている。

 それで植草氏は駅の事務室に連れて行かれ、その後、駅の警察で事情
聴取を受けたという経緯である。植草氏は故意にさわっていないことを何
べんも言ったが、警察はまったく肯えんじなかったと言う。警察は(意識的
に)さわったことを認めなければ返さないという態度に一貫して拘泥し、結
果的には上申書に「さわった」と書いてしまうこととなった。その後、また一
回、警察に呼び出され、恫喝されながら警察の言うがままに調書を取られ
たそうである。そのあと、五ヶ月くらい経ってから検察に呼び出され、上申
書にこう書いてあるからということで、最終的には五万円の罰金を払ってこ
の件が落着したそうである。

 ここで、植草氏の言は一旦おいて、ひとつあることが考えられる。たと
えば、A、Bという二人の男がいて、ある女性がAに好感を持ち、Bに嫌悪
感を持っていた場合、同じ軽微な偶発的擦過が、Aは何事もなく、Bはセ
クハラだと捉えられてしまう場合もある。偶発的接触に対して、女性側の
心理的、主観的な好悪感情による選別がはたらいてしまう場合も否定で
きない。

 それを勘案してこの一件を見た時、植草氏が湿疹を掻いている行為を
見ていた相手がその行為を誤解し、その時点でかなりの不快感を持って
しまったという前提も充分に考えられるのである。そうなると、偶発の擦
過的接触が、主観的におぞましい痴漢行為として感じられる場合もある
のではないだろうか。累犯といわれる’98年のこの件の場合、偶然的擦
過が意図的擦過のように女性に受け止められた可能性はないだろうか。
私は平野貞夫氏が言っているように、女性が過敏反応をした可能性を強
く示唆する出来事だったと考えている。

 植草氏自身も、そういうことが起きると男性側に非常に不利だと語ってい
るが、結局は大騒ぎになるよりは、おとなしく微罪を認めて収拾する方向へ
行くものらしい。これは著名人であるほどそういう傾向が強くなることは充分
に考えられる。現状の仕事やこれからの仕事に支障をきたすことや、社会
的な信用に致命的な傷がつくからである。勿論、冷静に考えれば、あとで
世間に発覚した場合も社会的信用に致命的な傷がつくことにまったく変わ
りはないのである。要は調書に応じないことであるのだが・・。

 これに対して部外者は、やっていない場合は、長い目で見れば一貫して
否認を通したらいいではないかと思いがちだが、現実にそういう場合に遭
遇し、拘留、取調べという非日常的な状況にいきなり陥った場合、冷静さを
保つべきだったと断言できるのだろうか。認めればすぐに釈放するが、否
認すれば拘留がずっと続くんだぞという言動や無言の示唆は、動顛した被
疑者にとっては人生の鬼門中の鬼門であると思う。

 実際にそういうことに遭遇して無実の罪を着せられた場合、それが微罪
ならば、認めることによって波風を立てず、罰金で済ませたいという誘惑に
抗しきれない気持ちも良くわかるのである。植草氏自身はこの件に関して、
そうとう深い後悔をしているようである。

 事実上、植草氏は前回の手鏡覗きの件と、今回の痴漢容疑の件で、こ
の’98年の一件が、咽に突き刺さったまま抜けない棘(とげ)のように彼の
状況を悪くしていることは否めない。逆に言うなら、アメリカと対米従属売国
政権にとって、植草氏が抱えていたこの’98年の不幸な一件は、彼を罠に
嵌める謀略側にとっては、思いっきり有利にはたらく出来事となっている。

 だからこそ植草氏は、手鏡覗き事件、そして今回の痴漢事件という、二
件とも「性犯罪」という事案で国家の罠をかけられたのである。なぜら、’98
年の一件を植草氏が抱えていることが利用されているからである。植草氏
を常習的性犯罪者、すなわちそういう破廉恥な性癖を持つ人間であるとい
う固定化したイメージを世間に流布するためには、’98年の件、’04年の手
鏡覗きの件、そして今回’06年の痴漢の件、すなわち、通算三度の件に連
続性を持たせることが最も確実な方法なのである。

 謀略側、すなわち小泉・竹中政権の黒幕たちが植草氏に狙っているもの
は、植草一秀氏の言論表現を完全に封殺することであり、そのためには謀
殺することが最も効果なのであるが、手鏡覗き事件に国策捜査の疑いがか
けられ、たとえ、それがわずかな声であっても、インターネットなどを介して
爆発的に世間に広まる危険があるのなら、たとえそうなっても、植草氏の言
論に対して国民の興味を惹起しないようにすればいいわけである。彼らは
植草氏の常習的性癖をどうしても立証し、植草氏のイメージ悪化を世間に
固定化する必要があったのである。

 繰り返すが謀略側は、品川駅構内の件と、今回の京浜急行電車内の件
の二つの性犯罪をでっち上げる必要があったのである。’98年の電車内で
の件は、不幸にも植草氏の身に起きた、謂れなきアクシデントである。植草
氏に対して、謀略側が立案しプロットした「国家の罠」における基本計画の
出発点が、もしかしたら’98年のこの一件に目をつけたことにあるのではな
いかと、今は思い始めている。

 つまり、「性犯罪者・植草一秀固定化計画」の核になる材料として、この
一件が利用されたと思うのである。謀略側が最も懸念していることは、植草
氏が見据えていた、政府がらみ、米国がらみの巨大な金融犯罪疑惑に世
間の耳目が集まり、取り返しのつかない巨大な世論を惹起してしまうことな
のである。

 これを防御する確実な手段として、植草氏を謀殺する前に、彼の人格的
な評判と社会的な信用を確実に地に堕とす段階が必要だったのではあ
るまいか。それが品川駅構内の手鏡のぞき事件と今回の痴漢事件で
あった。それが起きれば、世間は、このような破廉恥な男の理論や言
動などは読むに値しないということになる。

 このように植草氏謀殺までにはどうしても踏んでおく過程があったの
である。そして、この謀殺を実行する準備としての要件は、今回の
京浜
急行電車内における痴漢事件の偽装ですでに完了している
のである。

 だからこそ、私は今、植草氏が謀殺される
可能性が最も高くなっていると訴え続けてい
るのである。




※ 参考としたビデオ・ニュース(植草一秀氏ご本人の肉声あり 1時間06分)
 mms://wms04.aii.co.jp/vnews/210marugeki-uekusa/marugeki210-1a.wma

       
(’98年の件は、全体の2/3くらい、40分くらい経過した所から聞ける)

 

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2006年10月 1日 (日)

同一情報源のはずが、二つの違う話に分化(植草氏の謀殺を防ごうではないか)

 前回の記事はあまりにも長すぎて読みにくいので、非常に重要な要点
だけをここに短めに書いておく。「女性セブン」に発表された、植草氏の
過去7回の摘発という新事実はそれまで公表されていなかった。

 そこで、まずは、公表されてきた三回の事件の最初の事件について発
見したことをここに書く。それは手鏡事件の前、すなわち1998年の件に
ついてである。それに関する週刊誌報道が二種類出ていることを発見し
た。

 一つしか生起していないはずの事件が、「女性セブン」と「週刊現代」
では、まるで違った事件として描かれていたのである。次にそれを併記
する。

  1)女性セブン(10月5日号)   
         公判が進むにつれ‘98年に電車内で自らの陰部を触る
         などの自慰行為を行ったとして逮捕、罰金刑を受けた
         過去も明らかに。

 2)週刊現代  (10月7日号)
         また、手鏡によるのぞきの前にも、電車内で、女性の
         股間を触ったとして罰金を払っている(‘98年)

 一つの事件が二種類になって報道されていいはずがない。この二つの
ニュースの決定的な違いは、微妙な表現上のニュアンスの違いというレベ
ルにはなく、まったく別の事件になっていることである。この事実から何が
わかるのかと言えば、植草氏が起こしたといわれる三回の事件において、
最初の’98年の事件が実は生起していなかったという可能性が出てくる
のだ。

 二種類の週刊誌が時を同じにして、一つの事件が別の事件として報道
されたことは、これら週刊誌記事の致命的な確度の欠如もそうだが、肝
心の情報元である警察関係者、捜査関係者によるこの事件に関する「提
供情報」そのものの信憑性が最初からないことを強く示唆していることに
なるのだ。

 ’04年の手鏡事件の時は、公安が一時間も植草氏を追跡監視していた
ことや、品川駅の構内カメラの映像記録が、
ある時間が経つと自動的に
消去されるそうだが、その記録があるうちに警察が、それを押収しなかっ
たことの不自然が目立ち、そういう逮捕状況の怪しさから冤罪の可能性
を指摘する者は多い。よく考えてみよう。植草氏が大々的に報道された
のは二年前のこの手鏡覗き事件である。その前の’98年の件に関して
は、その時点では話題にもならなかった。これが事実として公判に提出
されたのが、’04年の手鏡事件の裁判中であり、世間に流布され始めた
のが今回の痴漢事件の後なのではないだろうか。つまり、ごく最近のこ
とではないだろうか。

 私は’98年の件の報道については、明らかに後付け報道ではないかと
疑っている。その報道が最初に出た時点、つまり、その報道の時系列的
な位置づけができないが、少なくとも私の記憶では、’04年の手鏡事件の
後か、今回の電車内の痴漢事件と期を同じくして出てきたのではないか
と感じているのだがどうだろうか。確実に知っている方がいたなら是非教
えて欲しいと思う。

 前の記事でも指摘したが、女性セブンによる「過去7回報道」には事件
生起を説明する確信的な情報は一切ない。同様に’98年の事件報道は、
客観的な事実報道としては致命的な「事件内容の乖離」が存在する。こ
れらの客観的材料から、浮かび上がる結論は、今回の痴漢逮捕も冤罪
の可能性がきわめて強くなるということである。

 こう言えば、’98年の件は、公判中に出たものとされているから、公判
記録が存在しているはずだ、それが絶対的な事実として揺るがないので
はないかと思う人もいるだろう。もし、調べてみて、その公判記録が「女性
セブン」の記事、あるいは週刊現代の記事のどちらかと同一性があったと
するなら、週刊誌のどちらか一方は捏造記事を書いていることになる。そ
うなれば、その出版社は自社の社会的責任をかけて世間に謝罪し、情報
ネタ元を明らかにする義務があると思うがどうだろうか。


 もし、その公判記録と違う記事を放出した週刊誌が、ネタ元の秘匿を理
由にうやむやに済ますのであれば、明らかに植草氏の人権侵害になると
思う。事実の成否以前に、犯罪そのものの捏造記事を書いた責任は許容
されるべきものではない。

 そして、参考としてあげるが、衝撃的な話題として急速に広まっており、
波紋を投げかけている話題に、「藤原直哉のインターネットラジオ放送局、
9月26日、「小泉政権の後始末」がある。この内容は、小泉・竹中路線が、
小泉構造改革路線の中核として、昨年10月に強引に成立させた「郵政民
営化」によって、郵便貯金資金と簡保資金合わせて340兆円の内、200兆
円がすでにゴールドマン・サックスの仲介を経て、30年満期の米国債に充
当されたというニュースである。このキックバックで、小泉は一兆円、竹中
は二兆円を懐中にしたということである。

 ここで語られている驚くべき内容の真偽は確かめようもないが、すでに郵
貯が米国債に充当されたという事象は俄かには信じがたい。郵政民営化
が本格始動するのは来年の10月からである。しかし、数字そのものはとも
かくも、郵政民営化の本当の目的がこの話の構造と一致していることは確
かである。すなわち「郵政米営化」である。この話は郵政資金の外資食いを
防ぐために世論喚起として故意に投入した可能性と、もう一つは、郵政資
金の流れに対して、日本人が今、どれほどの警戒感を抱くかという、米国政
府機関による日本人の反応をリサーチする目的があるのかもしれない。私
自身は前者の可能性が高いと思っている。すなわち警告のために、敢えて
米国の思惑が完了したと過去形で語っているような気がする。

 冷静に考えるなら、郵政公社が民営化に向けて始動するのが来年’07年
の10月からであり、民営化が完全に完了する設定期間が2017年までの10
年間である。私はこの設定期間が国民の目を欺いて安心させる最大のペ
テンだと思っている。竹中平蔵がやったのである。国民が10年というターム
に安心している時に、来年の民営化始動時から郵政資金は外資の入れ食
い状態となり、あっという間に国富は消尽してしまうのである。あと一年であ
る。あと一年の間に日本人が世論を惹起して、非国民政権である小泉内閣
が決めた郵政民営化を見直す法案を出さないと、国民の血と汗の結晶であ
る日本国の生命的国富が外に流失してしまうのである。つまり、藤原直哉
氏の語る内容は、予言的雛形構造を持っていることは間違いない。

藤原直哉のインターネット放送局より、
『藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2006年9月26日 小泉政権の後始末

                      ↓

http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/files/0926.mp3


 この番組の中で、植草氏の冤罪と関連して、実に気にかかることが一つ
あった。それは検察がCIAから10億円で口止めをされたという話である。こ
れが事実なら、検察がCIAか、あるいは官邸サイドに強制されて、植草氏
の犯罪をでっち上げることなどいとも簡単なことだろう。しかも、米国中央
情報局が絡んでいるとすれば、小泉・竹中路線のマクロ政策を初期から
徹底的に批判していた植草氏が、すでにアメリカに目を付けられていた可
能性は俄然強くなる。植草氏がCIAサイドに謀殺されなかったことがむしろ
不思議なくらいである。しかし、考え方を、植草氏の小泉政権批判にベー
スを持って行けば、CIA、あるいは官邸サイドが植草氏の謀殺を躊躇して
いた一つの理由が見えてくる。

 それは植草氏が、小泉政権と米国のタッグマッチによる巨大な金融犯
罪の中心を捕捉し、そのことを随所で言い始めていた事にある。そういう
国際疑惑を白日の下に晒す発火源となった植草一秀氏を、下手に謀殺
した場合、今まで彼が世間に発表した内容が一気に注目され、日本国
民の注視の的になる可能性は大きい。

 皆さんはよく聞いて欲しい。だからこそ、植草氏は永遠に口封じされる
前段階として、今回の「痴漢犯罪」を演出されてしまったのである。週刊
誌やテレビは、こぞって植草氏の性犯罪常習者としての性癖を固定化
する報道に躍起である。日本国民のほぼ全体が、これらの印象操作報
道によって植草氏の常習癖を事実だと信じ込んだ時、植草氏は殺され
てしまうことが充分考えられるのである。未来に絶望したという理由に
よって植草氏の自殺が偽装される可能性は非常に高い。

 
何としても植草氏の謀殺を防ごうではないか。

  
 一人の人間にも、さまざまな精神の位相があり、時には高雅、高尚に
なりもするが、時には世俗的な空気に埋没する。従って、世俗的な情報
を覗き趣味的に面白おかしく語る週刊誌が当然あってもいいとおもうが、
犯罪の容疑や、疑惑に関して語る時は、話の性質上、確度の高い情報
を発信する必要があると思う。しかも語る内容は慎重にも慎重を重ねる
姿勢がなければおかしい。よく、週刊誌ごときの報道などは、話八割くら
い差し引いて読めとか言うが、読んだ時はそのつもりでも、あとでそのこ
とを他人に語る時は既成事実であるかのように言う時がある。それが又
聞きとなって他の人間に伝搬して行く。案外、風評というのはこのように
して広がる場合もかなりあるのではないだろうか。

 たかが芸能ネタや下半身事情をあつかう週刊誌だなどと言っても、優
れた情報リテラシーを持った読み手ばかりではない。記事の確度をまっ
たく疑わずに記憶してしまう人々も多いだろう。風評、風説は、時には雪
崩現象的に、大衆にまたたく間に広がってしまう場合も多い。今回の植
草氏逮捕の報道も、かなりこの現象に近く、確度があやふやな最初の情
報が、いつのまにか、あたかも植草氏の常習的な性癖が引き起こしたか
のように伝わっているのは大問題である。

 週刊誌が元ネタを面白おかしく誇張的に報道するのは仕方ないし、そ
れがその世界の持ち味だということもよくわかる。しかし、まだ確定して
いない犯罪を、既成事実であるかのように報道するのは人権蹂躙以外
の何ものでもない。

 (短くまとめるつもりであったが、結局今回も長めになった)

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「女性セブン」誌、過去7回報道の悪質さ

     ◎植草一秀氏に関する週刊誌報道のひどさ

 この間、初めて女性週刊誌を買いに行った。植草氏に関する記事を直
接見るために、小学館刊行の「女性セブン」誌(10月5日号)を買ったので
ある。この週刊誌がどういう性格を持つものか、私はまったく知らなかった
が、他の記事の次のような内容から察するに、世俗的で下世話な話題を
主としている週刊誌の一種であるようだ。まあ、世俗週刊誌らしい週刊誌
である。しかし、そのことと犯罪報道の無謬性は別のことである。

 下は植草氏に関する問題の記事のタイトルである。

   ○植草一秀容疑者(45) 「痴漢で示談七回」の過去 
   部屋からは四つん這いパンチラ写真509枚、教室で
       女子大生に「えん罪でした」

 

 植草氏に関する重要な続報がそれまで出ていなかったので、これが出
たときは衝撃的だった。『「痴漢で示談七回」の過去』というその記事は、
私の知る限りメディアが初めて発表したものである。この世間の意表を衝
いた週刊誌情報について見解を言う前に、それまでに世間に流布された
三度の件を整理しておく。

 女性セブンによれば、一度目は、公判中に出たとされる、98年の電車内
での件である。彼は陰部を触り、自慰行為などのかどで逮捕された。二度
目は04年の品川駅での、いわゆる手鏡覗き事件である。三度目は今回、
京浜急行の電車内で起きたとされる痴漢事件である。

 一度目の事件に関連して言う事がある。今日、「AAA植草一秀氏を応援
するブログAAA」に週刊現代のことが書かれていたので、早速買い求めて
該当記事を読んでみた。週刊現代10月7日号である。応援するブログの管
理者であるゆうたま氏は、記事に書かれた植草氏の学生時代からの友人
の面会事実はなかったと、自分で調べて、その友人なる者のインタビュー
記事の捏造性を喝破されている。

http://yuutama.exblog.jp/

 私は上記の女性セブンの記事を熟読していたので、週刊現代誌に書かれ
ていたある重要な説明にすぐに目が留まった。それが、植草氏の一度目の
出来事、すなわち98年の事件である。読み比べてみると、その事件の内容
が、女性セブンと週刊現代では、まったく異なっているのである。その二つ
の該当する部分の抜粋記事を次に併記する。

 1)女性セブン(10月5日号)   
         公判が進むにつれ‘98年に電車内で自らの陰部を触る
         などの自慰行為を行ったとして逮捕、罰金刑を受けた
         過去も明らかに。

 2)週刊現代  (10月7日号)
         また、手鏡によるのぞきの前にも、電車内で、女性の
         股間を触ったとして罰金を払っている(‘98年)

 上の二つの記事は、‘98年にあったとされる同じ事件を扱っている。まっ
たく違う内容である。以前にも書いたが、日時の決まっているある事件に
ついて、警察から出る情報ソースは一種類であるはずである。よく注意し
て欲しい。いかに週刊誌記事とはいえども、個人や団体の犯罪を知らせ
る重要な記事が二種類あっていいはずはない。しかし、現実に二種類の
記事が書かれているのである。この事実をどう解釈したらいいのだろうか。

 女性セブンでは、「陰部を触る自慰行為」になっており、週刊現代ではは
っきりと「女性の股間を触った」となっている。同じ破廉恥行為ではあって
も、一つであるべき犯罪内容が、まったく異なった形で外に流布されてい
る事実をどう説明できるのだろうか。この二誌の表現における極端な乖離
は絶対看過できないことである。なぜなら植草氏の名誉と信用の失墜とい
う、彼の人生がかかっていることだからである。そういう重大なことをこの
ようないい加減な記事で決めていいのだろうか。

 それとも警察関係者が二通りの情報ソースをそれぞれの週刊誌に与え
たとでも言うのだろうか。もしそうであるなら、この‘98  年の植草氏の事件
は、警察サイドによる捏造である可能性が俄然高くなってしまうのである。
別々の犯罪内容が、植草氏の手鏡事件の前の件、すなわち‘98年の事件
として出ていること事態が、この一件の真実性を大きく欠いていることにな
る。このことは報道する側の失態で片付けられることではないし、情報源と
なる警察側のミスでも当然済まされる性質ではない。

 この二つの異種報道記事が示唆することは、‘98年の植草氏の事件は
なかったということに尽きるのである。もし、あったとするなら、同じ年に二
つの事件が起きていたことになる。今のところ、そのような報道は目にして
ない。しかし、これだけ、無責任にいい加減な記事を、さも本当であるかの
ように書く週刊誌類の常態では、そのうち、二つの事件があったような記事
が出てくるかもしれない。その時は私の指摘したことを思い出してほしい。

 皆さんも考えて欲しい。手鏡事件は冤罪だと思うが、今回の痴漢は三度
目だから、植草氏ももはや言い逃れはできないなと思っているのであれ
ば、手鏡事件の前の事件も、内容自体がこのような不確定性に留まって
いる事実を反芻してほしい。私が「植草氏逮捕に関するメディアの独断性
と偏頗性」でも書いているように、今回、京浜急行電車内の痴漢は、犯罪
を証明する核心的な情報が不確定のまま、逮捕事実だけがセンセーショ
ナルに先行報道されている。

 だとすれば、‘98年の件も、‘04年の手鏡覗きの件も、今回の電車内痴
漢の件も大いに疑わしいことにならないだろうか。すなわち植草氏は性犯
罪を犯していないという見方のほうが、はるかに妥当であると思えるので
ある。これに異議を唱える人は、上述の二つの内容の矛盾を考えてほし
い。仮にどちらかの週刊誌が訂正をして、事件内容を一つに絞ったとして
も、情報の出所の曖昧さ、いい加減さが解消されることはない。

 さて、本記事で私が最も言いたいことを最後に書く。冒頭でも書いたよう
に、女性セブンは決定的であるかのように衝撃的な記事を書いた。それ
は、植草氏には、過去三度の表に出た性犯罪のほかに、過去七度の痴
漢行為の前歴があり、それらは示談が成立したから表に出てこなかった
という内容である。この報道はテレビ報道でも便乗し、植草氏の常習性を
確定するイメージが構築される決定打となっている。この7回という数字の
魔術によって、その内容を確かめる気もなく、そのまま信じる手合いが多
いが、女性セブンには、その7回の前歴に対しても、なんら確定的な情報
を出していない。

 それについて書いている箇所は下記の短い文章だけである。

     捜査関係者が言う。「最初はいまから14年前の‘92年頃だった
     言います。女子高生でチェック柄のスカートを狙う犯行が多かっ
     たということで、警察内では要チェック人物でした。ただし、被害
     者との示談という対応に応じていたので、話は明るみに出なか
     ったようですが、今回で10回目の摘発なんです」(捜査関係者)  
    

 今まで秘されていたとする過去7回の摘発について書かれているのはた
ったこれだけである。妙だと思わないだろうか。過去7回の犯罪歴は、ひ
とりの容疑者の性癖を証明することに決定的な重要性を持つはずである。
ところが、その7回の事件について、女性セブンが明らかにしていること
は、第一回目、‘92年の最初の時だけである。しかもである。その情報は
「植草氏が要チェック人物であった」という、何も犯罪を確定していない出
来事のみである。この最初の事件には、被害者の年齢や起きた場所、月
日もないし、被害状況も何も書かれていない。しかも、あとの6回に関して
は情報がゼロなのである。このような無内容な記事で、7回の前歴がある
などと断言できる方がおかしい。

 もう一つ気になることが女性セブンの記事にある。原文のまま転載した
上記の記事を見て欲しい。

 捜査関係者が言う。「最初は・・中略・・摘発なんです」(捜査関係者

 重要な文の初めと終わりに、前後からはさむように「捜査関係者」の言葉
が置かれている。普通、これは文書ミスであり、どちらかの文は校正で削除
するはずである。ところが、わざわざ二箇所に配置した理由は何であろう
か。捜査関係者から聞いたんだぞというイメージを強調するためだろうか。
奇異な感じがする。もし、ミスであったとしたなら、校正もしない文章を載せ
たのかという疑問が湧く。それなら、この二重配置形式の文章の信憑性は
落ちると思う。植草氏の常習的性癖性を確定する重要な文章にしては、校
正ミスがそのまま記事に載ることは考えにくい。

 したがって、内容の強調の意味で「捜査関係者」というのを二重配置した
のだと思う。しかし、前述したように内容はほとんどない。これらから導き出
されることは、過去7回の件に関して、女性セブンが植草氏の確定的な情
報を得ていないのではないかという疑問が残る。

 もう一つ気になることがあった。それは文章内の「チェック」という言葉が
「チェック柄」と「要チェック人物」という言葉に引っ掛けて使用されているこ
とである。通常、「要チェック人物」とは言わずに「要注意人物」と言う。そ
れをわざわざ「要チェック人物」という言葉にしているのは、ふざけていると
しか思えない。先ほどの「捜査関係者」という言葉の二重配置も、もしかし
たらふざけて書いたのかもしれない。いずれにしても、植草氏の常習性を
担保する唯一の文章の中に、こういう「駄洒落」を入れていること自体が
信じがたい軽佻浮薄さだと言える。

  平野貞夫氏は、表沙汰になったとされる過去三回について、一度目の件
は女性の過敏な反応の可能性を示唆しているし、二度目のJR品川駅での
手鏡事件は冤罪であり、政治的な背景があったと私は信じていると言って
いる。そのことは、本記事で私が週刊誌の記事をつぶさに見て気が付いた
ことと符合する。

 
 最後に、女性セブンは植草氏が10回の「摘発」を受けたと書いているが、
この「摘発」という言葉は、手鏡事件と今回の痴漢事件には相応しい言葉
かもしれないが、過去8回の件についてはどうなんだろうか。「摘発」を広辞
苑で調べると、

     摘発 → 悪事をあばいて公表すること

 あと、あるサイトではこういう説明をしていた。

「逮捕・捜索→記者会見という一連の行為を、マスコミ用語で摘発とい
います。法律用語ではありません」 

「刑事手続について時系列を示すと、告訴・告発→摘発→送検→提訴
となります」

   ということは、マスコミの一種である「女性セブン」が「 今回で10回目の
摘発なんです」と書いたのは「摘発」という用語の間違った使い方なので
はないだろうか。上の説明を参考にすると、「摘発」は「逮捕・捜索→記者
会見という一連の行為」まで含む言葉に見える。また、国語辞典にも、広
辞苑にも、「摘発」の意味は「悪事を暴いて公表すること」となっている。

 だとすれば、これは推測であるが、「女性セブン」が「 今回で10回目の
摘発なんです」と書いた場合、10回全部が世間に公表されていたことに
なるのではないだろうか。しかし、公表されたのは手鏡事件と今回の二
度だけである。過去の8回は公表されていないから摘発とは言えない気
がするがいかがだろうか。そうなると、過去8回の件に対して、植草氏が
性犯罪をやっていたと警察が証言することは妥当なのだろうか。摘発の
厳密な意味を知りたいと思う。

 まあ、「摘発」のことはともかく、週刊誌記事は不確定な記事が多く、興
味本位のでたらめな推測や想像が、あたかも見てきたかのごとく書かれ
ていることが多い。そういうものだと思って読めば、週刊誌もそれなりの
娯楽性を大衆に与えているかもしれないが、一人の人間の社会的な生
命や全人格を否定されかねない性格の記事は、何よりも正確さ、無謬性
が要求されるのである。読者が多いほどこの前提条件は堅固としなけれ
ばならない。

 私が植草氏の冤罪説を唱えることで、被害者と取り押さえた人物たち
の人権が犯されると言う者たちがいるが、彼らは実名はもちろんのこと、
人物を特定する情報は一切出されていない。それに比べ、いい加減な情
報だけで、植草氏が常習的性犯罪者に仕立て上げられているこの現実こ
そ、人々はしっかりと見つめるべきではないのか。

 

                                    

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