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2007年2月27日 (火)

国策捜査をこう考える!

 私は昨今の日本が、国家として思いっきりねじれていると感じている。そ
の理由は国家がその政策上において、都合の悪い個人を狙い撃ちする傾
向が強くなっているからである。狙い撃ちとは、言論表現という世界におい
て、対象とした個人の社会的生命の徹底的な剥奪を意味する。この傾向は
小泉政権下において最も強くなり、安倍政権に移行してからもなお続いて
いる。例を挙げれば、国家に狙われた者として鈴木宗男氏、佐藤優氏、西
村眞悟氏などがいる。そして今、私たちが力を入れて支援している傑出し
たエコノミストのひとりである植草一秀氏がある。政府に物言う空気がはば
かられ、同時に国家が個人を狙うようになったら、その国の衰亡を端的に
表していると断言しても差し支えない。ぎらついた電飾をまとった小泉構造
改革は短時間のうちに、日本の安定的な社会システムを根底から打ち壊し
てしまった。それと同時に、言論メディアでは、多くの国益を志向する知識
人たちが、言論表現の場から露骨に外されてしまった。我が国は末期的
なねじれ現象が加速的に早まっている。

 我が国は戦後の一時期、未曾有の経済発展を遂げたが、一方では倫理
道徳は頽廃し、国家防衛の基本理念である自主防衛構想は60年以上も
放擲されたまま今日を迎えた。この長い期間を米国の膝下に甘んじたため
に、いまや我が国はローマ(ヘビ)に睨まれたカルタゴ(カエル)のような状
況に置かれている。すでに日本人は、国際政治や経済においても民族自
決の精神を忘却し、国家そのものが萎縮してすくんだ状態になっている。
身動きが取れないままに害獣の餌食にされようとしている。滅びの深淵が
目の前に迫っているというのに、日本人は脳天気な毎日を過ごしている。

 国家のねじれは小泉売国政権によって一層激化した。その一つの鮮明
な現象が国策捜査である。国策捜査が頻発する国家とは、政治的には警
察国家に変わりつつあることを示し、経済的には新自由主義の到達点で
ある「夜警国家」に向かっていることを示している。通常、警察国家と夜警
国家はその意味合いが異なるが、我が国の場合は、奇しくもその両者が
同時発生的に進行し、急速に国家的求心力が疲弊している。行き着く先
は、顔と国籍を失った流浪の民が弓形の土地にいるだけという荒廃の近
未来世界である。今の日本人は三島由紀夫が37年前に予見したとおり、
急速な無国籍化に向かっている。

 無国籍化という現在急速に進行する現象を、三浦展氏の定義した“ファ
スト風土論”の視点から考察しても、そのことは視覚的に明確な変化とし
て確認することができる。橋本内閣時代には、大店法改正によって、
日本列島の隅々まで大型店が席巻した。その結果、従来からあった里山
や、自然に満ちた日本本来の郊外の光景は一変し、毒々しい大型店が無
法者のように乱立した。それは紛うことなく暴虐な郷土破壊そのものであ
った。人々の生活の核、すなわち日々の生活における価値観は、そのほ
とんどが購買と消費だけに偏向し、従来からあった日本的な様式としての
ライフスタイルは崩壊しつつある。郷土の個性である地域性は消え去り、
どの地方でも、チェーン店である大型店が跋扈し、人々は家から大型店の
駐車場へ車で通うことが定着しつつある。

 この結果、子供たちがその成長過程で身に付ける社会性は、もはや昔
の形態とはまったく異なる、無機的で人工的なものだけになってしまった。
家庭という閉鎖空間から、外に出るときはショッピング・モールなどの商業
的閉鎖空間へ直行するような環境になった。社会とは、そこに行き交う人
間と文明の装置であるさまざまなインフラとの有機的な係わり合いである。
子供たちは成長過程に当たって、その関係性を自然に身に付けていた。
ところが、郊外がファスト風土化され、昔ながらの商店街が崩壊した今、
子供たちは正常な社会性の涵養が不可能になりつつあり、風土から自然
に培われていた日本人としての自己同一性も学べない状況に至っている。
これがファスト風土論から見る無国籍状態なのである。この変化の収束す
る目的点は、日本を新自由主義的構造に変換する一連の政府の政策に
あり、特に小泉構造改革と呼ばれる作業が、改革と言う名の日本破壊で
あったことは論を俟たない。こういう流れの中で国策捜査は生まれたので
ある。

 さて、「国策捜査」という言葉は、2005年に出た佐藤優氏の「国家の罠」
を読んで初めて目にした。背任と偽計業務妨害の被疑者となった著者を取
り調べた検事が使用した言葉となっている。この言葉が以前からあったの
かどうか、私は寡聞にして知らないが、最近では国策捜査が有名になった
ために、ネットではこれから派生した「国策逮捕」という言葉まで同義的に
使われ始めている。今ではこの言葉は定着しつつあるように思う。国策捜
査はいわゆる冤罪とは決定的に異なる構造を持つ。

 佐藤優氏の言に従えば、「冤罪」とは、捜査当局が犯罪を摘発する過程
で間違いが生じ、無実の人を犯人としてしまったにもかかわらず、捜査当
局の面子や組織防衛のために、強引にその人間を犯人として継続捜査を
して行くことである。これに対して、国策捜査は国家の「自己保存本能」に
より、国家の政策方針を変えうるような多大な影響力を持つ人間を、初め
から狙い撃ちし、検察を媒介にして政治的な事件や不名誉な事件を創出
することである。(「国家の罠」300項参照)  

 私は国策捜査をこう捉えている。国策捜査とは、時の政府が推し進める
政策上のトレンドに対し、そのベクトルを変えうるような大きな影響力を持
ち、政府が思い描く時代形成に反する方向性を持つ学者や政治家を狙い、
その言論を世論的に封じる目的で行なう恣意的な捜査のことである。その
目的は、時代のけじめをつけるために、何か象徴的な事件をでっち上げ、
時の政府の政策トレンドに異を唱える影響力のある人間を、検察が主体と
なって恣意的に断罪するということであろうか。

 佐藤氏を取り調べた検事の言によれば、国策捜査は冤罪ではなく、これ
というターゲットを見つけ出して、そのターゲットの隙を見つけ、それを徹底
的に揺さぶって国家の罠に引きずり落とすことである。そのターゲットにな
る人物はその道の第一人者であり、その言論表現を放置すると、時の政
府のマクロ的な国家運営に甚だしい阻害要因となる能力を有している。従
って国策捜査とは、国民に時代が変わったことを印象付けるために、旧時
代を代表する人物を、もはや不要な者として、あるいは新しい時代に有害
な考え方を持つ者として、その人間を象徴的な人身御供とする国家の断罪
行為と言えるだろう。

 植草氏の逮捕劇を、有名な経済アナリストが痴漢性癖で捕まったと世間
が面白おかしく騒いでいた時、私は彼の経済学者としての自己同一性と、
小泉政権時代の国家的グランドデザインとの整合性という観点からその逮
捕劇を捉えなおしてみた。植草氏は経済学者ではあるが、その経済学的視
点は徹底して政治に反映されてこそ意味があると考える実戦派エコノミスト
に位置している。つまり植草氏は衒学的な経済エッセイストではなく、国家
の政策中枢レベルに影響を与えうる提言と予見ができる非常に稀有なタイ
プのエコノミストなのである。

 われわれが認識する「事実」について少し考察しておきたい。われわれが
普段知覚する「事実」(ファクト)には、実は大きく分けて二種類ある。一つは
日常の中で、自分の目の前で生起する生々しい現象としての事実である。
これは、目の前で起きたこと、視覚、聴覚、嗅覚など、いわゆる五感をもっ
て体験しうる体験的事実のことである。その臨場感、迫真性は疑いの余地
のない場合がほとんどである。もし、この日々の実体験に疑いを持つとす
れば、人間は実存感覚の危うさに陥ってゲシュタルト崩壊を起こす。われ
われ人間が内包するこの実存的な脆弱さを精神的に制圧しているものこ
そ、日常に生起する多様な情報から得られるリアルな感覚というか、生き
生きとした存在感なのである。

 もう一つの「事実」は、日々目や耳にするニュースと言われる情報から得
られる仮想的な事実である。テレビやラジオ、あるいは、新聞等の活字媒
体から目にする情報は、物理的に放送局や記事の書き手という中間の媒
体を介して流れる物であるから、その情報は程度の差こそあれ、必ず加工
されていると見るべきである。その人為的な「加工」の度合いによっては、
われわれが知らされるニュースは事実(ファクト)とは大きな懸隔が生じる
と考えられる。しかし、我々は、時には胡散臭さを感じながらも、前提とし
てメディアは正直に遠方の物事を伝えているという暗黙の担保を与えてい
る。

 植草氏に起きた甚大な報道被害は、国策捜査の一環として、メディア操
作が行なわれたことにある。冤罪の可能性をまったく無視した初期報道に
よって、植草氏の弁明が世間に出る前に、徹底した印象操作が行なわれ
てしまったのである。これは、日本がすでに、言論統制国家、警察国家の
性格を帯びていることを端的に示すものである。


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2007年2月25日 (日)

何度考えても腑に落ちない車内状況

クリックすると本の内容が
     

私が書いた第四部「救国のエコノミストが落ちた陥穽(わな)」
                    は、国策捜査に視点を置いている”

 ◎何度考えても腑に落ちない車内状況

 つぶやきいわぢろうというブログを読んでみた。ここの管理人さんが実際
に、品川10:08分発の京急電車に乗って、車内の様子を観察した時のこと
が書かれてある。その中に、

>この車内の状況で痴漢をすれば、確実に半径5メートルにいる
>人たちに目撃されるだろうという感じです。「バレてもいいーっ、
>触りたいっ」という人ならきっと痴漢できると思いますが、出来心
>痴漢はしにくいだろうなぁ。。

         http://blog.iwajilow.com/?eid=478592

 と書いているが、まったくもって私もその感を強くしている。肩と肩が触れ
合わないくらいの混雑状況、そして目撃証言者が本当にそこにいたと仮定
するなら、その目撃者と女子高生の空間距離が77センチもあったことな
どを考慮すれば、車内が自由に動き回れる状態にあったことは明白であ
る。。これらを鑑みると、半径5メートルくらいの範囲内にいる乗客に
痴漢行為を目撃されてしまうだろうというのは重大なポイントに思え
る。


 もし、植草氏が、その状況下で強引に痴漢行為を行なったとしたら、それ
はもはや「痴漢」ではなく、「強制わいせつ行為」ではないだろうか。つまり、
相手は「強制わいせつ罪」で訴えるのが妥当だと思う。ところが、現実は迷
惑条例違反で訴えている。

 何度考えてみても、この車内状況での「痴漢犯罪」はあり得ないと思う。
ぎゅうぎゅう詰めだからこそ確実な秘匿性があり痴漢は成立する。車内の
混雑具合は、どんなに気の弱い女の子でも、百パーセント回避行動が可能
な状況にある。二分間も為すがままに任せて、回避行為をしなかった女の
子には強い作為性が存在するように思う。植草氏が同じ場所に立ってい
て、女の子から離れなかったとすれば、それはアルコールや他の物による
酩酊か意識の朦朧状態である。もし意識が明晰だったなら、そこにじっと佇
んでいたということは考えにくい。周囲に悟られる状況で破廉恥行為は行
わない。それでもあえてやるのであれば、それは確信犯的な強制わいせ
つ行為である。

 アルコールの酩酊で理性のタガがはずれ、つい性癖が出たのだろうとい
う考えもまったく成立しない。なぜなら、女子高生が2分間もさわられたま
ま、それを回避していないという摩訶不思議なことが起きているからであ
る。

 冷静に考えると、今回の事件は、比較的自由に動ける車内で、朦朧とし
た植草氏に対し、女子高生が後ろ向きににじり寄って、接触してきたとい
う考え方もできるように思う。しかも、視点を変えれば、植草氏の朦朧とし
た意識を確認したうえで、彼女は後ろ向きに植草氏ににじり寄っていたと
いう見方も可能なのである。

 つまり、作為は一貫して被害者側にこそ強く出ているように思える。
この作為性は状況的に証明できるように私は思っている。そして、目撃証
言者の目撃情報が異常なことは、周囲の誰一人、止めようともしないし、
注意もしなかったことを“目撃している”ということだ。つまり彼の目撃状
況そのものも、そうとうに不可解に思える。何度でも言うが、自由に移動
できる車内で、しかも周囲に目撃されてしまう状況で痴漢は起こらない。

 女子高生は法廷に出てくるべきである。遮蔽措置というプライバシー保護
があるにも拘らず、この被害者は一度も公の場に出てきて証言していな
い。検察はこの女子高生を公判に出せない理由でもあるのだろうか。


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2007年2月24日 (土)

これは妙だ!与党の差し金か?

北海道に住むある読者さんが、非常に気になることを言っていた。歌手
の松山千春さんが、京都で暴力団の会合に参加したというニュースが先
週末にあったようだ。しかし、これについて読者さんは、構造改革派が、
松山氏を狙い撃ちしてイメージダウンさせたんじゃないかと言っていたの
である。

 理由は、北海道知事選と参院選挙に関し、松山千春さんの応援活動
の影響力を今のうちに殺いで置くためだということらしい。鈴木宗男氏と
大の仲良しである松山千春さんが、勝手連派などの応援をすると、絶大
な影響力を持つと思う。これを懸念する勢力が、国策的な意図を持ち、
このニュースを取り上げた可能性は無下に否定できない。北海道では松
山千春さんの人気は絶大なものがある。彼は鈴木宗男氏がバッシングさ
れていた時、ただ一人、堂々と鈴木氏を庇っていた侠気溢れる男であり、
当時、私はその姿勢に感心した。

 昔から芸能人が興行に当たって、地元のヤクザに挨拶するのは
慣例となっていたし、それを警察がいちいち見咎めて問題視していたら、
日本の芸能活動は上手く行かなかっただろう。今の時期に松山千春さ
んが、会津小鉄会の会合に参列したから問題視するというのは、知事
選や参院選絡みで、松山さんのイメージダウンを狙ったと見ても不思議
ではない。芸能人とヤクザは、癒着関係というよりも伝統的には、ある種
の社会的な共生関係を保ってきたと捉えるべきだろう。マスコミが突然、
社会正義のきれいごとを強調するときは、大概は政治がらみではない
のだろうか。

 もし、松山千春さんを社会正義で弾劾するのであれば、他の多くの
芸能人も同じようにやるべきなのである。

********************************************************
 1.  歌手松山千春さん、暴力団の会合に参加 京都府警調べ(朝日新
聞)京都に本拠を置く暴力団会津小鉄会(約800人)が今月12日に京都市
内で開いた会合に、歌手の松山千春さん(51)が出席していたことが京都
府警の調べでわかった。同会会長の就任10周年を祝う催しで、幹部組員
約130人が集まったという。府警の調べでは、会合は12日午後6時ごろか
ら約2時間、京都市下京区の事務所で開かれた。府警は事前に松山さん
が会合に出席するという情報
      2007年02月16日(金) 21時58分

***************************************************

    http://www.stv.ne.jp/radio/
「松山千春 季節の旅人」 2月18日(日)放送休止のお知らせ

STVラジオで放送しております「松山千春 季節の旅人」(毎週日曜午前
11時00分~11時55分)は、松山千春さん本人が指定暴力団会津小鉄会
が開いた会合に出席していたとの報道があり、現在、事実関係を確認す
るとともに、18日の放送につきましては見送ることと致しました。尚、今後
の対応につきましては、随時HPに掲載する予定です。ご迷惑をおかけ致
しますが、どうぞよろしくお願い致します。

********************************************************

民主党の荒井聡衆院議員(60)は26日、札幌市内で記者会見し「北海
道は危機的状況にある。身をなげうって再生に取り組む」などと述べ、来
年春の北海道知事選に無所属で立候補することを正式に表明した。
民主、社民両党と地域政党新党大地(代表・鈴木宗男衆院議員)が支援
する方針。自民、公明両党の支援で再選を目指す現職高橋はるみ知事
(52)と激戦になりそうだ。

荒井氏は「医療、介護、教育を支える市町村が悲鳴を上げている。時に
は一緒に国とたたかう」と市町村重視の姿勢を強調、破たんした夕張市
についても「国や道に責任はないのか。市とともにたたかう知事でありた
い」と述べた。14ある道の支庁機能を強化する考えも示した。 (2006年
12月の記事)


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芸能人も一役買っているのか?!

 マッド・アマノさんの2月2日の「本音のコラッ!ム」に、テリー伊藤に
関することが書かれていた。この投稿は私の感想とそっくりである。

****************************************************

   ■2007年02月02日(金)  テリー伊藤はなぜ植草氏を有罪扱いする
   のか? 

 ある人物から貴重な内容のメールをいただいた。匿名で紹介します。

 昨日、車を運転していた時、カーラジオで日本放送を聴いていました。
そうしたら、テリー伊藤が言っていました。『次回のゲストはあの「それで
もボクはやってない」の周坊監督ですよ、冤罪についてたっぷりと話をし
ていただきます。でもね、植草教授は違いますからね、あれはまったく
違う』とわざわざ念を押して言いました。まったく不自然ですね。

 テリー伊藤は郵政民営化・是か非かの衆院解散総選挙の実況中継の
とき、某テレビ局のゲストに来ていて、中曽根弘文など郵政民営化に反
対した政治家を悪辣きわまる者のようにこき下ろしていました。奴は竹中

平蔵の子飼いとして動きましたね。

 このテリーが、今、話題になっている周坊監督の映画を話題にした時、
誰も聞いていないのに、敢えて植草氏の場合は冤罪ではないと念押し
することは非常に不自然なことでした。まったく悪質な芸能人です。しか
し、逆に考えますと、マスコミがこの映画の盛況で植草さんが話題にな
ることを極度に怖れていることを感じますね。

*****************************************************

 テリー伊藤というタレントが、植草氏を積極的に、かつ徹底的に痴漢扱
いすることは、ある意味で筋は通っている。なぜなら、テリー伊藤は、植
草一秀氏の宿敵である竹中平蔵前金融大臣・郵政民営化担当大臣の
手先として、いわゆる“B層国民”をターゲットにした、あの郵政解散総
選挙のために動き回ったからである。従って、彼が売国構造改革の応
援団として、植草一秀氏を徹底的にこき下ろすことは何の不思議もな
いことである。

 植草氏をよく茶化す芸能人には爆笑問題の太田光がいる。彼の植草
氏に対する執拗な茶化しも、気にかかることの一つである。また、最近
では「週刊ポスト」3月2日号の「ビートたけしの21世紀毒談 第875回」
というコラムでも、“本物の電車で痴漢ができるんなら、幾ら払ったって
いいっていう人もいっぱいいるよ。あの植草センセイも絶対に喜ぶぜっ
ての”などと無礼極まりないことを書いている。

 ビートたけしは「たけしくん、ハイ!」などで、自らの体験を基にした昭
和30年代の時代風景を描いたことや、フライデー殴り込みで義侠心を
示し、私はそれなりの好感を彼に持っていたが、今回、植草氏を茶化し
たことで私は怒っている。

 まあ、感情的なことは抑えて少し冷静にみてみると、芸能人が、まだ
公判中の植草氏のことを、あたかも犯罪が確定しているように茶化す
ことに、私はただならぬものを感じる。もしかしたら、所属芸能事務所
に“お上”からお達しがあったのかと勘ぐりたくもなる。なぜなら植草氏
のイメージ墜落を意図するなら、有名な芸能人を使えば効果が大きい
からである。

 芸能界には在日・半島系の息がかかっている場合が多い。彼らの多く
は日本の伝統文化や国体への破壊志向があり、その動きはアメリカに
よる日本構造改変の動きに合致している。米国と半島系は、目的は違
いこそあれ、日本破壊では互いに価値観を共有している。だから芸能
人に植草氏のイメージ固定をやらせている可能性も否定できない。ア
メリカは新自由主義社会への日本改変を急ぎ、半島系は日本の国柄
破壊に精を出している。そういう構図があるように思う。


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2007年2月23日 (金)

植草事件の闇(6)◎性癖説に牛耳られたマスコミ

 この間、東京都内で早稲田大学の関係者と会い、植草一秀氏の話をし
た。この人A氏は、植草氏を陰になり日向となってサポートしていたお一
人であるが、植草氏が巻き込まれた2004年の件と2006年のことで、
大学関係者からかなり辛らつな非難を浴びていて、困惑というか、その
面持ちには強い悔しさがうかがわれた。

 A氏からいろいろと話を聞くうちに、早稲田大学のA氏の友人たちから、
植草氏の病気説が出ていたということがわかった。A氏は品川駅構内の
高輪出口付近エスカレーターにおける手鏡事件の時、早稲田大学にたい
して、判決が出る前に植草氏を解職するのはおかしいと堂々と抗議を行
い、それからも植草氏をサポートし続けたそうである。

 A氏は昨年、2006年9月の痴漢容疑事件が起きた時は、驚天動地の
思いで、植草氏にどういうことなのか釈明してもらいたいと思い、彼宛に
何度かメールしたそうである。しかし返事は来なかった。それもそのはず
で、植草氏は拘束され、メールの返事どころではなかったのだ。

 また、A氏はこうも言っていた。『植草さんと野○総研時代に席を並べて
いたという人の知り合いから、私の友人が聞いた話ですが、野○総研で
は彼の性癖は有名で、ついに野○総研はそれを隠しきれなくなって植草
さんを放出したという事を言っている人がいます。その事を知らなくて教授
にした早稲田大学が情けないとも言っているくらいです』と語気荒く私に語
り、何とか真実を暴けないものかと、強い無念をにじませながら心中を吐
露した。
 
 A氏の真剣さと気迫に圧倒された私は、自分の知る範囲で、国策捜査
の疑いが極めて濃いことをこの方に伝えた。A氏からいろいろと話を聞くう
ちに、大学周辺や、野○総研から、植草氏の病的性癖説がにわかに広
がり、その説が既知の事実のように流されたことがわかってきた。つまり、
京急電車内痴漢事件の初期報道でさんざん流されていた病気性癖説が、
品川手鏡事件の時も流されていたのである。二回とも、同じパターンの言
い方が、テレビや他の刊行物、あるいは植草氏の職場周辺から判を押し
たように流されている。

 その典型的な事例として、以下の動画がある。大阪朝日放送(ABC)の
「ムーブ」という番組で、テレビ的に有名な評論家たちの口から、植草氏
の病気説がまことしやかに出されている。これはネットの動画になって
配信され、今も視聴可能である。

http://www.youtube.com/watch?v=JhgFeMPtwOU

 この放送は、女性セブン誌が出した唐突な記事「植草一秀容疑者 
痴漢で示談7回の過去」
を引き合いに出し、それについて各コメンテ
ーターが意見を述べていくという進行になっている。この中で評論家の
宮崎哲弥氏と、弁護士でタレント活動も兼ねる橋下徹氏が、植草氏の
病的性癖説を熱弁しているのだ。しかも薬物治療の必要性まで語って
いる。つまり、品川手鏡事件の時と同様に、京急電車内の都条例違反
疑惑も、植草氏の病的な性癖によって行なわれたという一方的な見解
が強弁されたのである。

 唐突に、不自然に強調された植草氏の性癖説は、植草氏側の弁明も
なく、乱暴な形で茶の間に流されたのである。ここに、女性週刊誌と、こ
の朝日放送に共通する恣意的な悪意を感じないだろうか。「女性セブン」
誌では、植草氏が過去に7回の痴漢摘発があって、それは全部示談に
なっていると書いた。これを読んでいる人は、当時のこのきわめてセンセ
ーショナルな「7回の示談」報道を思い起こして欲しい。示談が7回為され
ていたという報道が、女性セブン誌以外から、別個の取材ソースとしてど
こからか出ていたのだろうか。

 大事なことなので、よく考えてみて欲しい。私の記憶する限り、この「7
回示談」に関する報道は「女性セブン」誌以外からは出ていない。これを
報道した各社は一様に「女性セブンによれば」という断りで始まっていた。
つまり、この報道ネタは小学館の女性セブン一誌のみなのである。警察
からリークされた第一次報道が、一つの週刊誌だけだったというのは、そ
れだけで奇妙である。

 捜査関係者が、マスコミにサイド情報(横流し情報)として流す場合に、
このような重大な件名を通俗的な雑誌一誌だけに流すだろうか。私はそ
の記事が書かれた女性セブン誌(十月五日号)を手に持っているが、不
思議なことに、過去7回の示談の経緯や状況を書いている箇所は何も
ない。断言するが、これは完全にでたらめで印象報道そのものである。     

 植草氏を嵌めた何者かが、彼の病的性癖説定着を補強する意図で流
した悪質きわまる印象操作報道である。女性セブンの「過去7回示談」報
道はまったくのでたらめで、事実そのものがない。私は官憲が、国策捜査
を成功させる上塗り手段として行なったこの「示談7回報道」は、植草氏の
病的性癖説を補完するどころか、間違いなく大失敗であったと思っている。

 彼らは念を入れすぎて墓穴を掘った。妙だとは思わないだろうか。この
「過去7回」報道がである。植草氏の三回に及ぶ鉄道内の事件は簡単に
要約すれば次の通りである。

○1998年  JR東海道線横浜~川崎間。植草氏が湿疹を掻いたことが
        向かいの座席に座った女性に勘違いされる → 罰金刑

○2004年  JR品川駅構内の手鏡事件 → 罰金刑。手鏡没収

○2006年  京浜急行品川~蒲田間。痴漢行為疑惑 → 公判中。

 上のように、一回目が東海道線車両の事件、二回目が品川手鏡事件、
三回目が京急電車内の痴漢事件。この三度の連続性を不動のものとす
るために、謀略側はマスコミを動員し、後追いで「過去7回示談」報道を
追加した。これが謀略側の大失敗であったことを指摘する。「過去7回
示談」報道には、植草氏を嵌めた存在の大きな焦りが見て取れる。

 それは、記事の信憑性云々よりも、とにかく7回の示談があったことを
出して、だめ押ししようとする意図が見え見えだからである。これに宮崎
哲弥氏と橋下弁護士が映像メディアのだめ押しとして乗ったわけである。
7回の痴漢事実があって、示談に持ち込んだ過去があるとやれば、病的
性癖説はもはや動かしがたい印象として固定化する。ところがこの「7回」
は真っ赤な嘘。これによって、東海道線車両、品川駅、京急電車の三度
の連続性も脆弱になってしまうのである。国民に性癖による連続性を印
象づけようとして、だめ押ししたことが、かえって彼らの作為性を露呈す
ることになったわけである。

 それに加えて、品川事件も京急事件も、「りそなインサイダー取引」疑惑
を植草氏に追求されるのを畏れる権力側に捏造されたと考えて間違いな
い。1998年の東海道線車両内の事件は冤罪。そのあとの二度にわたる
事件は国策捜査によるでっち上げである。さまざまなことを考察すれば、
その傍証が成立してしまうのだ。つまり、メディアによる病的性癖説の流
布と、小泉政権がらみの経済犯罪疑惑が合体すると、植草事件が大きな
経済犯罪を背景にした「やらせ」事件であったことがはっきりと見えてくる。

 そして、公判で出てくる証言はあちこちにほころびが出ている。最も強烈
なものは、車両にいた乗客の一人で、植草氏のネクタイをつかんで、駅
員室に強引に引き連れて言った者を、目撃証言者が「私服の男性」
と思わず言ってしまった
ことだ。これは謀略側にとっては致命的であり、
まさに国策捜査を疑わせるに充分な証言記録である。検察と証言者との
綿密な打ち合わせや応答訓練にも関わらず、普段使用している“その
道独特の常用言葉”
が思わず飛び出してしまったということだ。

 私服の男性というのは、明らかに私服刑事のことである。私服刑事とい
う言葉を頻繁に使うことが日常化している職業の目撃者、そして植草氏
に「子供の見ている前で恥ずかしくないんですか?」と説教する婦人警官
のようなキャラクターの女子高生。これらは、○察関係者で構成された
「でっち上げ工作斑」と考えることが、もっとも合理的な推論ではない
だろうか。


 つまり、この事件は、報道の虚偽性、その報道への不自然な補完作業、
そして、公判証言から出る多くのボロ(作為性)などをみると、全体が虚偽
の事件であることがわかる。まもなく莫大な郵政資金がアメリカに流出す
るだろう。郵政民営化推進論者、すなわち売国構造改革派が恐れること
は、郵政民営化の完全実現を阻む者である。植草氏は、外資に利益誘
導する性格の構造改革はまやかしであり、有害だと言い続けてきた。

 りそなインサイダー疑惑が、植草氏によって国民に知られると、郵政民
営化を中心とする諸々の構造改革がまやかしであり、外資へ利益供与す
るためのシステム改変であることが暴露される。だからこそ、謀略側は大
慌てで粗っぽい仕掛けを植草氏にかけた。その結果、彼らは抜け目ない
どころか、数々の失態を演じている。その一つが京急蒲田付近での電
車内の痴漢行為が、すし詰めの満員電車とはかけ離れたまばらな
混み具合の中で発生したとされたことである。

 たとえば、抗精神薬を混入された紹興酒を植草氏が飲んでいて、意識
がおぼつかなかったとしても、周囲からよく見える状況下での痴漢発生
は不自然きわまりない。ましてや、被害者が二分間もその場を動かな
かったなどということは、奇妙さを通り越して充分に作為的である。

 A氏が困惑した植草氏の病的性癖説は、謀略側が植草氏のイメージダ
ウンを意図して、警察やマスコミを使役して行った印象操作にほかならな
い。国策捜査とは第一義的に、国民に時代の変化を印象づけるため、
自分たちが意図した時代構築にそぐわない考えを持つ識者を罠に落とす
ことにある。その目的は、その人間のイメージを徹底的にたたき落とすこ
とによって、時代が変わったことを国民に印象付けることにある。その意
味で、植草氏が受けた身に覚えのない連続した事件は、完璧に国策捜
査の性格を宿していると言えるのである。


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2007年2月21日 (水)

横浜のメリーさん

1000889_01

 久しぶりにDVDを借りてきて観た。題名は「ヨコハマメリー」。特に目的
があって観たかったわけではないが、ハマのメリーというのは以前、どこ
かで聞いた覚えがかすかにあった。横浜という街にはあまり馴染みはな
いが、二十代の時、鶴見で数年間働いていたことがある。なぜか横浜中
華街のエキゾチックな空気が好きで、仕事の合間には好んで行っていた。
当時、私は中東の石油プラント関係の設計をやっていて、中東諸国のど
こかの建設工事に一度行って、働いてみたいという強い夢を見ながらチャ
イナタウンを歩いていた。

 矢沢永吉の歌ではないが、金はなく、空のポケットに夢ばかり詰め込ん
でいた私の懐かしい時代である。「ヨコハマメリー」というタイトルを見て、
なぜか、当時へ強いノスタルジックな想いが湧き、その作品を借りてきた。
詳しくは言えないが(笑)、中華街とポニーテールは、私の記憶の中で一
セットになっている。今でもポニーテールの女の子を見ると、夢一杯のあ
の時代を想いだし、今の自分が恥ずかしくなる。

 さて、横浜のメリーさんとは、顔を異様に白く塗り、白いドレスと赤い靴
を履いて伊勢崎町などの横浜の街に佇んでいた老婆であり、彼女は終
戦時に米兵を相手にした街娼だったらしい。詳しい経歴は不明のようだ
が、その異形の風体と、街娼には相応しくない高雅なものごしのせいか、
彼女はハマのメリーさんと呼ばれ、いつしか横浜の風物詩になっていた
ようである。横浜に住む人なら誰でも彼女のことを知らない者はいない。

 ドキュメンタリーは、メリーさんが横浜にいた時の写真をふんだんに使用
していた。はっきり言って、彼女のどぎつい化粧はびっくりするようなインパ
クトがあり、実際に目にしたらそうとうに気持ち悪いかもしれない。薄暗い
山道でばったり出会ったら、間違いなく水木しげるの世界に入り、心停止を
起こすかもしれない。白いお化けなのだ。しかし、彼女には不思議な強い
存在感が溢れていた。彼女を知る人たちが口をそろえて言う。彼女は確か
に横浜の風景の一部になっていた。

 年老いても、背中が曲がっても、横浜の繁華街に立ち続けるメリーさん
は、けっして白い厚化粧を崩さず、いつも泰然と街に佇み、横浜の風景の
一部に同化していた。映画を観ていて私はいつしかメリーさんに魅了され、
すっかり引き込まれていた。老いた街娼と横浜の街並み。この取り合わせ
は不思議な雰囲気を醸し出していた。メリーさんをいつも見守り、それとな
く援助していたシャンソン歌手の永登元次郎さんは、癌に蝕まれた身体を
必死に鼓舞して好きな歌を歌い続け、メリーさんの語り部になっていた。そ
の語りが独特の風趣があって、横浜の一つの風貌を見事に描き出してい
た。

 元次郎さんのメリーさんに対する思い入れは、メリーさんに母を感じてい
たからということらしいが、その献身的な面倒見は心を打たれるものがあっ
た。それにしても、メリーさんはなぜ白い化粧で、毎日街に立っていたのだ
ろうか。戦争から敗戦、そういう激動の時代を街娼という運命に身をゆだ
ね、必死に生き抜いてきたという自負心が立たせているのか。それとも、
自らが渦の中の木の葉のように、時代に翻弄されたことへの抵抗なので
あろうか。

 敗戦ショックで、日本の男は心が折れた。しかし、日本の女は生きるため
にたくましく戦い抜いた。敵兵だった米兵に身を売って生きる街娼は、当時
はパンパンと呼ばれ、それは蔑みの言葉ではあったが、完全な侮蔑だけで
はなく、そこには時代に翻弄されて生きる者というニュアンスもあった。誰が
好き好んでパンパンになるだろうか。戦争に敗れるということは哀しいこと
である。私はメリーさんに横浜の戦後史を観ると言う人々の言葉を、その通
りだと思うし、それ以上の表現はないと思っている。しかし、メリーさんとい
う存在には、ひと言では語れないような、何かしら悲しみの時間がまとわり
ついている。

 メリーさんは人に心を許さず、いつも毅然として誇り高くいたらしい。人前
では常におしろいお化けの姿を保ち、高貴な人たちのものごしを崩さず、
いつも凛然とした態度を貫き通していたという。言えることは、メリーさんが
確固たる様式美を通したということだ。その様式の意味はいまだに誰もわ
からない。近い立場にあった元次郎さんにもわからなかった。元次郎さん
は2003年に病死した。メリーさんを慕い、その存在に強く惹かれながらも
ついに彼女をわからないままに死んでいった。

 元次郎さんも妙に横浜に似合っている不思議な人物なのだ。私はカラオ
ケなどで歌われる「マイウエイ」という歌はベタ過ぎて嫌いである。本人が
自己陶酔的に歌った場合は尚更である。「お前の道はそんなに凄いの
か?」と思わず突っ込みたくなる。しかし、元次郎さんの「マイウエイ」は素
直に沁みた。生で聴きたいと心底思ったが、もう彼は逝ってしまった。今の
時代は、心や情けのある人間がどんどん淘汰され、死んでいく。摩天楼の
ような金ぴかのビル群が押し寄せ、人間同志の悲しみさえ淘汰の風に掻
き消されていく。

 全編を観ていて、なぜか涙が出てくる映画であった。特にストーリーもな
いし、劇的なことも起こらない。さまざまな人が淡々とメリーさんを語ってい
るだけである。それでいて、私は横浜を通して戦後日本のある種の哀しい
姿が切々と胸に沁みてくるのである。ある人が言っていたことが、やはり胸
に響いてくる。それはメリーさんのお化けのような白塗りが、実は化粧とい
うよりも、生きるための仮面(ペルソナ)であったという説明だ。その通りだ
と思う。あの気味の悪い白塗りが、なぜか愛しくて哀切に思えるのは、時
代の持つ絶対的な時の悲しさがそこに溢れているからに違いない。

 街には独特の時の流れがあり、雑踏の中でその時の表情を強く感じて孤
独になる時がある。人々が往来し、四季が移り変わって、街路樹の風情が
変化するような時間とは異なる、時代の絶対的な時の流れが街にはある。
メリーさんはその時の流れに独りで乗って自分を様式化したのであろう。街
の孤独におのれを同化させ得る人間は滅多にいない。それをやるには、そ
うとうな自己克己と孤独に耐える覚悟がいる。そして何よりもおのれの魂を
むき出しにする自己放棄、究極の諦念が要る。それができる人だけが街の
風景となる資格を持つ。・・彼女はなるべくして横浜の風景の一角を担っ
た。我々は、時代の孤独な流れと対峙した女性の顔をまともに見ることは
できない。なぜなら我々は自分たちが思っている以上に、時の重圧に耐え
られない弱い存在なのだから。

 彼女はそれを知っているから顔を塗った。我々が魂の自己放棄を成し遂
げた人間の顔を凝視できないことを知っていたから。ハマのメリーさん、そ
れはあまりにも悲しく、そしてなつかしい風景なのだ。だから涙が出た。メ
リーさんが横浜から忽然と消えた時、人々はある重要な風景を失っている
ことに気が付き、慣れるまで茫然とした思いをした。なぜなんだ?と問いか
けてみてもそれは虚しい。なぜなら、メリーさんは、我々自身が気が付いて
いない時の流れに映った、我々自身の素顔だからである。

 戦争も、敗戦も、普通の人にとっては不可抗力である。時代そのものが
不可抗力であった。そういう時代は自分の意志でどうにかなるものでもな
い。受け入れていく以外に選択肢はない。生きるために米兵に身体を売
り、生きた証を納得するために白塗りをしてハマの街角に佇む。この女性
の様式は戦後の日本人すべてに当てはまるのではないだろうか。自主憲
法も造らず、自衛隊も身分を曖昧にし、年次改革要望書を丸呑みすること
しかできない日本人。米国に隷属する現実を、自ら見まいとして、顔を白
塗りにして62年間も仮面の日本人を演じ続けている日本人。われわれす
べての日本人はメリーさんの白い顔と同じではないだろうか。

 メリーさんを、横浜の戦後史を象徴する一つの風景として捉える見方は
無難でわかりやすい。しかし、そんなお悧巧さんなことを言って、悦に入っ
て、何になるという気持ちである。もしかしたら、彼女のペルソナは日本人
すべてのペルソナと同じ素材でできているのではないのか。だから、我々
ひとりひとりの日本人と、メリーさんはフラクタルな相似形を持って共振し
合っているように思うのである。あのお化け風味の白塗りは、我々の顔そ
のものではないだろうか。目の前にいると気色が悪いメリーさん。しかし、
いなくなると胸にぽっかり穴が開いたようになるメリーさん。どうして、この
婆さんに人々は惹かれてしまうのだろうか。

 老いてもなお街角に佇むメリーさん。彼女自身はけっしてその意味を語
ろうとはしなかった。メリーさんを無理に意味づけする必要はないのだろう。
彼女は街の風景だったからである。馴染みの建物も時が経てば取り壊さ
れ、新しい風景の一部になる。そんなところだろう。ただ、孤独で悲しい
色合いを宿した時間の流れが街にはある。その時間がメリーさんになっ
ただけなのだろう。

 彼女は昔の街路灯のような風情がある。さりげなく立っていて、少し上
から淡い光を照らす、お洒落な一本のガス燈である。物悲しい風景では
あるが静謐で心が和む。これは一幅の絵画に記されたメリーさんという
都市伝説である。横浜という街は深い懐がある。ちなみに、私が横浜を
もっとも強く感じるのは、メリーさんには悪いのだが、永ちゃんが歌った
「チャイナタウン」である。

 ♪ チャイナタウン 横浜トワイライトタイム 流れてる俺たちの好き
   だった「ドッグ オブ ザ ベイ」 ♪


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植草事件の闇(5)◎マスコミの異常な硬直性



 米国と結託し、国家の正道を踏み外した国賊的為政者たちと、それに
絡む金融関係者、加えて、強圧によって彼らを動かしたハゲタカと呼ばれ
るタイプの国際金融資本。この三者勢力は、米国の軍産コングロマリット
を支えるために、その資金供出を日本に頼っている。米国は自国の戦争
経済を支えるために日本の国富を流用する形を日本に造った。実際に構
築したのは米国通商代表部の意を汲んだ日本人である。そのシステムが
本格的な稼動をし始めたのが、りそな銀行の救済劇にあったと私は考え
る。

 アメリカ「奥の院」が、十年ほど前から、「年次改革要望書」という、一見、
平和的で双務的な日米経済協調コミットメントを行なっている。しかし、そ
の実態は完全に片務的であり強制的である。しかも日本への要望が実
行されたのかどうかを確認する行事まで念入りに盛り込まれている。これ
らのアメリカによる諸要望は、日本の国富をアメリカに流すための仕掛け
作りにほかならない。日本政府、特に小泉政権は、先鋭的にアメリカに従
ったために、日本の経済構造は公平配分型から傾斜配分型に急速な変
化を遂げた。

 聖域なき規制緩和、激しい規制緩和を柱とする新自由主義的な構造改
変は、構造改革と呼ばれ、あらゆる既成の商習慣を打ち砕いた。この弱
肉強食経済の結果、矯激な優勝劣敗ゲームが過熱し、資金不足や規模
の小さい弱小企業は地獄の苦しみを味わっている。小泉構造改革は結
果的に血も涙もない冷酷無残な政策となった。今、それを踏襲する安倍
政権の構造改革も、小泉改革と大差ない国富流出機構つくりにほかなら
ない。こういう売国システムを喜んで作っていたのが、竹中平蔵を始めと
する幾多の米国エージェントたちだった。日本人の顔をした米国の犬たち
である。

 大きな問題は米国の対日経済占領だが、直接的な問題は米国に魂を
売った者たちによる日本改造計画にある。その最大の構造改変が「郵政
民営化」であった。郵政民営化と言えば、先ごろ、米国通商代表部(USTR)
のシュワブ代表は、米国の条件と対等なものが築けなければWTOに提訴
すると脅しのような言い方をした。これで、小泉が死を賭して実現したと言
う郵政民営化が、実は米国の要望で行なわれた国富流出のための法案
であることがよくわかる。植草氏はこういう国家毀損的な流れに対し、果敢
にもクサビを打とうとして彼らに睨まれてしまった。そして国策捜査の罠に
嵌められた。植草氏は、いたいけな少女の姿を借りた汚れた国家権力に
口を封じられたのである。

 こういう背景があるから、植草氏の名誉を晴らすことは、単に彼個人の
名誉回復ではなく、多くの関係者たちの名誉を回復することになる。それ
のみではない。その延長上には、ねじれてゆがんでしまった醜い日本の
あり方そのものを回復することに繋がることになる。弱肉強食の拝金主
義、市場原理一辺倒の社会構造は、我々の日本民族の感覚にマッチし
ない。

 植草氏を嵌めた相手は強大な国家権力の一部である。これと戦うには、
我々も不退転の覚悟を決め、結束力のある行動をすることが肝要だと考
える。これは一見、蟷螂の斧であり、ごまめの歯軋りを思わせる。逃れよ
うもない絶望的な戦いに見えるが、けっしてそうではない。腐った権力が
最も畏れるのは世論である。そのために彼らは電通やその他を通じ、マ
スコミを掌握しようと必死である。これは植草氏に対する悪いイメージ付
けを行なうとともに、国民の目を真実から逸らして、世論の奔出を抑える
ためである。

 マスコミを押さえてしまえば、世論誘導などは簡単にできるわけで、そ
れはかなり成功している。植草事件の背景を国民に悟らせたくない権力
構造は、徹底的にマスコミによる印象操作を行い、植草氏のイメージ毀
損に血道を上げている。植草氏には集中豪雨のように報道被害が襲っ
た。しかし、品川事件の体験で学習した植草氏は果敢にも人質司法の
圧力を撥ね返し、四ヶ月に及ぶ長期勾留に耐え忍んで拘置所を出てい
る。まさに強靭な精神力である。

 いくら強大な権力でも、マスコミすべてを統制的に管理することはでき
ないだろう。マスコミの中にも、警察、検察の中にも反骨精神の強い者、
愛国心の強い者は大勢いるはずである。彼らがいつまでも沈黙を押し
通すとは思えない。私は彼らの日本人としての良心の発動に期待する。


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2007年2月19日 (月)

ベンジャミン・フルフォードさんが逮捕されたら

  ベンジャミン・フルフォードさんがご自身のブログで下記のことを語って
いる。情報網をたくさんお持ちの方だから、確度の高い情報から表明し
ているはずである。

****************************************************
February 18, 2007
ベンジャミンフルフォードが逮捕されるかもしれません
最近、複数のマスコミ関係の知人の方々から警告の電話があります。

どうやら、警察幹部が私のことを「あの外人は一体なんなんだ」と
色々な言いがかりをつけているようです。こういう動きがあると、
でっちあげ逮捕が近いうちに行われる可能性が高いと言われました。

但し、私はどんなに調べても絶対に違法なことはしていない自信が
あります。もし私が逮捕されることがあれば、それはでっちあげ逮捕
だと思って下さい。

警察幹部の方々は私のことを勘違いされているようですが、私の目
的は暴露ではありません。私の目的は、日本人をアメリカの闇の
支配から解放し、自由にすることです。そうすることにより、日本の
本来持っている力を発揮させれば、世界から貧困をなくし、環境破壊
を止めることができると信じています。

その目的のために力を貸してくれるのでしたら、警察の複数抱えて
いる大掛かりなスキャンダルにも目をつぶる余裕もあります。

Posted at 05:58 PM | Permalink

   http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2007/02/post_12.html

*******************************************************

警察が彼を逮捕するなら、それは明らかに植草一秀氏の国策逮捕絡
みであることは間違いない。ネットは警察の動きを監視している。ベン
ジャミンさんが逮捕されたら、いっせいに国策捜査が話題になり、それ
が揣摩臆測の範囲ではないことを国民は如実に思い知ることになるだ
ろう。

 官憲が、彼を不当逮捕した瞬間に植草事件の話題は沸騰すること
間違いない。当然、従米的な構造改革の欺瞞に対し、それは爆発的
な世論喚起を呼ぶことになる。

 彼は日本人の覚醒に期待し、世界の行く末を考えている素晴らしい
男である。それは私が日本人として断言する。


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・・海行かば

 ふと思った。オレのように名もなく何の才能もない人間が大上段に構え
て、植草氏の擁護をやっていていいのかと。

 オレがやるより、どこかの女がやるより、もっと相応しい立派な人間が
やるべきだと最近思うことがある。

 しかし、社会的な地位も名誉もある立派な人間が植草氏を応援してい
る話は聞かない。オレのような地位も名もない卑賤な奴でも、植草氏を
嵌めたやつらにはそれなりの憤りがある。義憤だ。黙っていられないの
だ。こんな社会をそのままにしていてはよくない。

 第一、先祖に申しわけが立たない。それに、子孫にこんな悪辣な社会
を伝統として残すわけにもいかない。ヤクザでもなく、警官でもなく、刀も
鉄砲も持たない非力な俺は文字通り非力だ。だが、オレはオレができる
ことをして奴らと戦う。オレの言葉がある。

 大東亜戦争では、先人たちが「海行かば」を歌って戦場に赴いた。

  海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
  山行かば 草生(くさむ)す屍
  大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
  かへりみはせじ

http://y4444y.hp.infoseek.co.jp/flagk/gktop.html

 この歌、古風な言葉だが、内容はいたって簡単だ。日本人として生ま
れたなら、大義がある限り、同胞の屍(しかばね)を乗り越えてでも戦え
という歌だ。人権至上主義、生命尊重至上主義の教育馬鹿たちが戦慄
する歌なんだろうな、きっと。でもおれは前からこの歌が好きだった。いさ
ぎよいからだ。

 俺は植草氏にも言いたい。そして、俺と似た心情の持ち主の不特定多
数の人にも言いたいことがある。

 何を言いたいのかといえば、それは、今から53年前に、シベリアに抑留
されていた山本幡男という人はついに帰郷を果たせなかった。自分の子供
たちに再会する望みが消えうせ、おのれの死を目前にした時、子供たちに
伝えたメッセージの一節がある。それをおれは伝えたい。

 『最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友達と
交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部
面において、この言葉を忘れてはならぬぞ』(山本幡男氏の遺訓より)

 おれは言いたい。刀も飛び道具も持たない人間が、戦って勝てる唯一
の武器は「道義」なんだ。戦後の日本人はこの道義心をすっかり忘却し、
人々は似非個人主義の究極相に突入した。今の日本はミーイズムに汚
染された。鬼畜アメリカを手本とした結果なのだ。

 しかし、だからこそ、権力者の腐敗には正攻法で「道義」をかざすことだ。
それは時代を超えて有効なのだ。日本人の品格は?などと考える前に
「道義」を貫けばそれは力になる。

 戦艦大和は一機の護衛機もなく、水上玉砕の旅路に敢えて出航した。
そして海底に沈んだ。彼らのその英断のために、戦後の我々は精神の
奴隷にならない選択肢を持っていたはずなんだ。

 ところが為政者からして、野卑な薄ら笑いを浮かべ、鬼畜アングロサク
ソンの奴隷化を選んだ。今では植草氏のような真面目な日本人を平然と
奴らの祭壇に生贄として提供する。こんな日本は変えなきゃいかん。変え
なきゃ日本が日本でなくなる。涙が出る。

 道義が通らなくなる社会のどこに生き甲斐がある?

 生れた土地は荒れ放題 今の世の中、右も左も
真っ暗闇じゃござんせんか  (せりふ)

♪何から何までまっくら闇よ すじの通らぬことばかり 
右を向いても 左を見ても バカとあほうのからみ合い 
どこに男の夢がある♪

http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/KizuDarake_no_Jinsei.htm

 おれの年代は知っているが、これは鶴田浩二の「傷だらけの人生」
だ。今の世の中はまったくこの通りになっている。鶴田の歌は預言詩だ
ったわけだ。

 アングロサクソンから日本は何を学んだ?狡猾に他者を騙して金儲け
をすることか?こんなヨゴレの先生から学んだ奴に、どうして品格が生ま
れる?

 植草氏を助けなければ日本は滅ぶ。日本が滅べば世界の未来もない。
だからおれは道義だけで戦う。おれがくたばったら次の奴が向かっていけ。
そいつがくたばったら、また次の奴が向かっていけ。

 それが大和民族のかたちだ。

 この世界に生まれて生きた。おれも友人たちも奴隷になるために生ま
れたんじゃない。日本人として生き、日本人として死にたい。ただそれだ
けの話だ。日本人の生き意地とはそういうことじゃないのか。

 ね?みなさん。


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植草事件の闇(4)◎欺瞞の時代潮流

 初回のボックス席事件は確実に冤罪である。しかし、そのあとの二件の事件は
国策捜査の疑惑がきわめて強い。植草氏と小泉政権が以前から政策展望において
根底から対立していたことは事実である。小泉政権が遂行した構造改革は「年次
改革要望書」に忠実に沿って行なわれた。大胆な規制緩和を旗印に国家構造の
作り替えを急いだ。典型的な新自由主義政策を強引に実行した結果、日本は完全な
傾斜配分社会に変換され、格差は固定化し、自殺者はいっこうに減る気配がない。

あの政権は米国の傀儡政権だったのである。植草氏は国益毀損型の小泉経済施政
を舌鋒鋭く批判し続けていた。手鏡事件以後も、植草氏は身の潔白と共に小泉施政、
特に「りそな銀行騒動」に絡むインサイダー取引の疑惑を、株価の動きや金の動きか
ら、経済学者として指摘していた。宮崎学氏主催の「直言」での一連のレポートも、
彼の訴えたいことが、りそな銀行関係に収斂していることが見えてくる。

 これが官邸サイド、特に竹中平蔵や小泉総理、その取り巻き連中の決定的な
危機感を招き、植草氏は手鏡破廉恥男の汚名を着せられた上に、今回の痴漢逮捕
劇を演出されてしまったのである。背景には官邸サイドが絡む国策捜査が働いたと
私は確信している。今回の植草氏の痴漢逮捕は、それを仕掛けた側の焦りが感じ
取れるとともに、二度と植草氏に政権批判をしてもらいたくないという熾烈な意志が
見える。その理由としては、植草氏が行っていた政権批判の中に、小泉政権絡みの
重大な経済事犯が存在していた可能性があるからである。しかも、それが国家的な
規模の経済犯罪だとしたらどうであろうか。植草氏のレポートで最も重大なポイントは、
小泉政権の失策を指摘するというレベルにはないかもしれない。それは、りそな銀行
に絡む、金融危機不安の誘導による株価暴落と、小泉お得意の「自己責任論」を
放棄してまでも、政府資金でりそな銀行を救った、その一連の動きの中にあるのかも
しれない。

 世間は表面的にはこう受け止めた。小さな政府論をうんざりするほど絶叫していた
小泉や竹中は、りそなに関してだけは自己責任論を回避して金融システムの安定化
を最優先とし、ケインズ経済的な政府救済を臆面もなく行った。それを眺めていた
経済通たちも、おい何だいこりゃ、まったく変節もいいところだなと思ったに違いない。
 
 しかし、りそなの真の問題はそんなところにはなく、実はこれら一連の騒動の中で、
その動きの本質を植草氏が一番言いたかったことは『政府犯罪』の実態だったの
だろう。彼が指摘するように、政府が金融不安を恣意的に煽ることによって、株価を
一気に下落させ、それが底値であることを「知っている」何者かが、底値買いを行い、
竹中がりそなの救済に政府資金を供出して、株価が再び上昇に転じた頃合を
見計らって、売り抜け、または、その後の株価上昇を睨んで保持し、膨大な儲けを
手にした、あるいはこれから手にする可能性があるということなのか。ここで外資が
動いていたと植草氏は指摘する。りそなの深い背景を説明するには紙数が足りない
が、この問題が孕む米国による国富の収奪は、郵政民営化においても鮮明に
繰り返される恐れがある。

 つまり、植草氏は、小泉政権は政策上の失敗で日本経済を破綻寸前まで導いたが、
その副産物として二つの出来事が日本に派生したと言っている。一つは、本来は生起
しなかったはずの失業、倒産、自殺の地獄を招来したことと、もう一つは外国資本が
日本の優良資産を理想的な安値で買い叩くことができたことの二つを上げている。
外資の政府への介入を、「小泉施政の副産物」だと植草氏は書いているが、彼が
本当に言いたかったことは実はこうである。りそな疑惑に関わるグループは三つあり、
国会議員、外資系ファンド(アメリカ系金融資本)、そして、竹中に協力した一部民間人
を含む協力者たちのトライアングルで構成されていた。これら共謀者どもが起した
巨大なインサイダー取引があったということである。

 植草氏はそれを調べるために当時の関係者から事情聴取を行う必要を説いている。
小泉は基本的にはアメリカに都合のよい売国方針を貫いてきたが、それだけではなく
戦後最大の疑獄事件と言われるロッキード疑獄を上回る、アメリカが絡んだ国家的
経済事件を起こしていた可能性があるかもしれない。そして植草氏は株や金の動き
からその本質を正確に把握した。植草事件とは、それに気付いた前政権筋の黒幕が
起こした国策捜査の可能性がきわめて濃厚なのである。

 参考図書

  1、  「あるべき金融」東洋経済新潮社 (著者:堺屋太一、刈屋武昭、
                              植草一秀 )
  2、   植草一秀「失われた5年ー小泉政権・負の総決算(2)~(6)」

       (宮崎学氏主催 ネット論壇「直言」に掲載中)

  3、   「植草事件の真実」ナビ出版(植草一秀事件を検証する会/編著)


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植草事件の闇(3)◎公判証言から見えてくる国策捜査の構図

 

公判証言から垣間見える国策捜査の構図                        

  私は2006年、京急電車内事件の第二回及び第三回公判を傍聴した。その結果、通常
の痴漢事件にしては不可解なことを多く見つけている。その中で、これが通常の冤罪ではない
という大きな証言を二つ指摘することにする。その一つ目は、これは最大の疑問なのであるが、
当日電車内の混み具合なのである。

 当日の電車内は立錐の余地がないほど混雑していなかった。その混雑程度は立っている
乗客が、動こうと思えば安易に動ける乗り合わせ状況であった。加えて、目撃証言者の言に
よれば、女子高生と、この証言者の間隔は直線にして77センチも空いていた状況がある。つ
まり、立っている乗客は、ぎっしりと詰まった状態ではなく、人が容易に通り抜けられるような、
いわゆる「疎」の状態であった。ここで被害者、加害者、目撃証人、目撃証人と加害者の間
にいた女性乗客の平面配置関係が目撃者証人の語ったとおりに再現するとおよそ次のように
なる。

 




この平面配置状態は、目撃者の証言を忠実にスケッチして出てきた図である。見てもわかる
とおり、この状況の中で痴漢が行なわれたとすれば、目撃者はほぼ完全にその行為が目撃で
きたことになる。被害者の女子高生は、電車の進行方向側に逃げることも、進行方向に対し
て左側、すなわち目撃者の方に移動することも出来たはずである。目撃証人は、車両の混み
具合を「肩が触れ合わないくらい」と言っているが、この図を見る限りにおいては、被害者と加害
者の行為は周囲から丸見えである。しかも、目撃証人の右斜め45度の所にいる女性はまった
く遮蔽にはなっていない。この状況で痴漢は行なわれたのであろうか。痴漢が行なわれるための
条件、すなわち、極度に視認性が低い状況とはまったく異なることは一目瞭然である。

 これでは、痴漢をする以前に、女子高生と加害者が不自然に密着状態にあるだけで、周囲
から確実に目を付けられてしまう状況である。ところが、二分間もの間、誰も咎めるものはいない
し、女子高生自体が抗議もしなければ動くこともしていない。なぜ黙っていたのだろうか。この被
害者の無為の方がよっぽど異常なのである。しかも2分間もさわらせておいて、いきなり【何をす
るんですか。子供の前で恥ずかしくないのですか】などと言うことのほうが奇妙である。

 

 重要であるから、何度も繰り返すが、痴漢被害を受けたと称する女子高生が、この「疎」の乗
り合い状況の中で、2分間もさわられたまま、痴漢被害の回避行動を取ることもなく、植草氏と
身体を密着させたままであったことは不自然きわまりない。

  もし、この女子高生が植草氏にさわられた恐怖で身動きが取れない、つまり心理的な萎縮
を起こし、ヘビに睨まれたカエルのように、そのままの体勢で動かなかったとすれば、上の言動は
非常に異様である。四十代半ばの男性に、「子供の前で恥ずかしくないんですか」などという説
教めいた言葉を投げかけたとすれば、この17歳の女子高生はかなりの気丈さを持っていること
になる。まるで婦人警官のような物言いである。それならば、2分の間に回避行動を取るか、あ
るいは抗議言動を発していなければおかしいことになる。通常であれば、この女子高生はさわら
れてから数秒でなんらかの回避措置を行なっているはずであるが、実際は何も行なっていない。

 したがって、この不可解な受容的態度には明らかな作為性が見られる。この女子高生につい
て、不可解なのはそれだけではない。彼女はまだ一度も公判に出ていないのだ。期日外尋問
という、法廷ではない場所でこっそりと行なわれたらしいが、その方法だと被疑者側が尋ねたい
疑問はすべて回答が得られないことになる。そのような乱暴なことがあっていいのだろうか。被疑
者の言い分が法廷で検討できない裁判に意味があるのだろうか。

周防監督作品の映画「それでもボクはやってない」では、15歳の