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2007年2月27日 (火)

国策捜査をこう考える!

 私は昨今の日本が、国家として思いっきりねじれていると感じている。そ
の理由は国家がその政策上において、都合の悪い個人を狙い撃ちする傾
向が強くなっているからである。狙い撃ちとは、言論表現という世界におい
て、対象とした個人の社会的生命の徹底的な剥奪を意味する。この傾向は
小泉政権下において最も強くなり、安倍政権に移行してからもなお続いて
いる。例を挙げれば、国家に狙われた者として鈴木宗男氏、佐藤優氏、西
村眞悟氏などがいる。そして今、私たちが力を入れて支援している傑出し
たエコノミストのひとりである植草一秀氏がある。政府に物言う空気がはば
かられ、同時に国家が個人を狙うようになったら、その国の衰亡を端的に
表していると断言しても差し支えない。ぎらついた電飾をまとった小泉構造
改革は短時間のうちに、日本の安定的な社会システムを根底から打ち壊し
てしまった。それと同時に、言論メディアでは、多くの国益を志向する知識
人たちが、言論表現の場から露骨に外されてしまった。我が国は末期的
なねじれ現象が加速的に早まっている。

 我が国は戦後の一時期、未曾有の経済発展を遂げたが、一方では倫理
道徳は頽廃し、国家防衛の基本理念である自主防衛構想は60年以上も
放擲されたまま今日を迎えた。この長い期間を米国の膝下に甘んじたため
に、いまや我が国はローマ(ヘビ)に睨まれたカルタゴ(カエル)のような状
況に置かれている。すでに日本人は、国際政治や経済においても民族自
決の精神を忘却し、国家そのものが萎縮してすくんだ状態になっている。
身動きが取れないままに害獣の餌食にされようとしている。滅びの深淵が
目の前に迫っているというのに、日本人は脳天気な毎日を過ごしている。

 国家のねじれは小泉売国政権によって一層激化した。その一つの鮮明
な現象が国策捜査である。国策捜査が頻発する国家とは、政治的には警
察国家に変わりつつあることを示し、経済的には新自由主義の到達点で
ある「夜警国家」に向かっていることを示している。通常、警察国家と夜警
国家はその意味合いが異なるが、我が国の場合は、奇しくもその両者が
同時発生的に進行し、急速に国家的求心力が疲弊している。行き着く先
は、顔と国籍を失った流浪の民が弓形の土地にいるだけという荒廃の近
未来世界である。今の日本人は三島由紀夫が37年前に予見したとおり、
急速な無国籍化に向かっている。

 無国籍化という現在急速に進行する現象を、三浦展氏の定義した“ファ
スト風土論”の視点から考察しても、そのことは視覚的に明確な変化とし
て確認することができる。橋本内閣時代には、大店法改正によって、
日本列島の隅々まで大型店が席巻した。その結果、従来からあった里山
や、自然に満ちた日本本来の郊外の光景は一変し、毒々しい大型店が無
法者のように乱立した。それは紛うことなく暴虐な郷土破壊そのものであ
った。人々の生活の核、すなわち日々の生活における価値観は、そのほ
とんどが購買と消費だけに偏向し、従来からあった日本的な様式としての
ライフスタイルは崩壊しつつある。郷土の個性である地域性は消え去り、
どの地方でも、チェーン店である大型店が跋扈し、人々は家から大型店の
駐車場へ車で通うことが定着しつつある。

 この結果、子供たちがその成長過程で身に付ける社会性は、もはや昔
の形態とはまったく異なる、無機的で人工的なものだけになってしまった。
家庭という閉鎖空間から、外に出るときはショッピング・モールなどの商業
的閉鎖空間へ直行するような環境になった。社会とは、そこに行き交う人
間と文明の装置であるさまざまなインフラとの有機的な係わり合いである。
子供たちは成長過程に当たって、その関係性を自然に身に付けていた。
ところが、郊外がファスト風土化され、昔ながらの商店街が崩壊した今、
子供たちは正常な社会性の涵養が不可能になりつつあり、風土から自然
に培われていた日本人としての自己同一性も学べない状況に至っている。
これがファスト風土論から見る無国籍状態なのである。この変化の収束す
る目的点は、日本を新自由主義的構造に変換する一連の政府の政策に
あり、特に小泉構造改革と呼ばれる作業が、改革と言う名の日本破壊で
あったことは論を俟たない。こういう流れの中で国策捜査は生まれたので
ある。

 さて、「国策捜査」という言葉は、2005年に出た佐藤優氏の「国家の罠」
を読んで初めて目にした。背任と偽計業務妨害の被疑者となった著者を取
り調べた検事が使用した言葉となっている。この言葉が以前からあったの
かどうか、私は寡聞にして知らないが、最近では国策捜査が有名になった
ために、ネットではこれから派生した「国策逮捕」という言葉まで同義的に
使われ始めている。今ではこの言葉は定着しつつあるように思う。国策捜
査はいわゆる冤罪とは決定的に異なる構造を持つ。

 佐藤優氏の言に従えば、「冤罪」とは、捜査当局が犯罪を摘発する過程
で間違いが生じ、無実の人を犯人としてしまったにもかかわらず、捜査当
局の面子や組織防衛のために、強引にその人間を犯人として継続捜査を
して行くことである。これに対して、国策捜査は国家の「自己保存本能」に
より、国家の政策方針を変えうるような多大な影響力を持つ人間を、初め
から狙い撃ちし、検察を媒介にして政治的な事件や不名誉な事件を創出
することである。(「国家の罠」300項参照)  

 私は国策捜査をこう捉えている。国策捜査とは、時の政府が推し進める
政策上のトレンドに対し、そのベクトルを変えうるような大きな影響力を持
ち、政府が思い描く時代形成に反する方向性を持つ学者や政治家を狙い、
その言論を世論的に封じる目的で行なう恣意的な捜査のことである。その
目的は、時代のけじめをつけるために、何か象徴的な事件をでっち上げ、
時の政府の政策トレンドに異を唱える影響力のある人間を、検察が主体と
なって恣意的に断罪するということであろうか。

 佐藤氏を取り調べた検事の言によれば、国策捜査は冤罪ではなく、これ
というターゲットを見つけ出して、そのターゲットの隙を見つけ、それを徹底
的に揺さぶって国家の罠に引きずり落とすことである。そのターゲットにな
る人物はその道の第一人者であり、その言論表現を放置すると、時の政
府のマクロ的な国家運営に甚だしい阻害要因となる能力を有している。従
って国策捜査とは、国民に時代が変わったことを印象付けるために、旧時
代を代表する人物を、もはや不要な者として、あるいは新しい時代に有害
な考え方を持つ者として、その人間を象徴的な人身御供とする国家の断罪
行為と言えるだろう。

 植草氏の逮捕劇を、有名な経済アナリストが痴漢性癖で捕まったと世間
が面白おかしく騒いでいた時、私は彼の経済学者としての自己同一性と、
小泉政権時代の国家的グランドデザインとの整合性という観点からその逮
捕劇を捉えなおしてみた。植草氏は経済学者ではあるが、その経済学的視
点は徹底して政治に反映されてこそ意味があると考える実戦派エコノミスト
に位置している。つまり植草氏は衒学的な経済エッセイストではなく、国家
の政策中枢レベルに影響を与えうる提言と予見ができる非常に稀有なタイ
プのエコノミストなのである。

 われわれが認識する「事実」について少し考察しておきたい。われわれが
普段知覚する「事実」(ファクト)には、実は大きく分けて二種類ある。一つは
日常の中で、自分の目の前で生起する生々しい現象としての事実である。
これは、目の前で起きたこと、視覚、聴覚、嗅覚など、いわゆる五感をもっ
て体験しうる体験的事実のことである。その臨場感、迫真性は疑いの余地
のない場合がほとんどである。もし、この日々の実体験に疑いを持つとす
れば、人間は実存感覚の危うさに陥ってゲシュタルト崩壊を起こす。われ
われ人間が内包するこの実存的な脆弱さを精神的に制圧しているものこ
そ、日常に生起する多様な情報から得られるリアルな感覚というか、生き
生きとした存在感なのである。

 もう一つの「事実」は、日々目や耳にするニュースと言われる情報から得
られる仮想的な事実である。テレビやラジオ、あるいは、新聞等の活字媒
体から目にする情報は、物理的に放送局や記事の書き手という中間の媒
体を介して流れる物であるから、その情報は程度の差こそあれ、必ず加工
されていると見るべきである。その人為的な「加工」の度合いによっては、
われわれが知らされるニュースは事実(ファクト)とは大きな懸隔が生じる
と考えられる。しかし、我々は、時には胡散臭さを感じながらも、前提とし
てメディアは正直に遠方の物事を伝えているという暗黙の担保を与えてい
る。

 植草氏に起きた甚大な報道被害は、国策捜査の一環として、メディア操
作が行なわれたことにある。冤罪の可能性をまったく無視した初期報道に
よって、植草氏の弁明が世間に出る前に、徹底した印象操作が行なわれ
てしまったのである。これは、日本がすでに、言論統制国家、警察国家の
性格を帯びていることを端的に示すものである。


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2007年2月25日 (日)

何度考えても腑に落ちない車内状況

クリックすると本の内容が
     

私が書いた第四部「救国のエコノミストが落ちた陥穽(わな)」
                    は、国策捜査に視点を置いている”

 ◎何度考えても腑に落ちない車内状況

 つぶやきいわぢろうというブログを読んでみた。ここの管理人さんが実際
に、品川10:08分発の京急電車に乗って、車内の様子を観察した時のこと
が書かれてある。その中に、

>この車内の状況で痴漢をすれば、確実に半径5メートルにいる
>人たちに目撃されるだろうという感じです。「バレてもいいーっ、
>触りたいっ」という人ならきっと痴漢できると思いますが、出来心
>痴漢はしにくいだろうなぁ。。

         http://blog.iwajilow.com/?eid=478592

 と書いているが、まったくもって私もその感を強くしている。肩と肩が触れ
合わないくらいの混雑状況、そして目撃証言者が本当にそこにいたと仮定
するなら、その目撃者と女子高生の空間距離が77センチもあったことな
どを考慮すれば、車内が自由に動き回れる状態にあったことは明白であ
る。。これらを鑑みると、半径5メートルくらいの範囲内にいる乗客に
痴漢行為を目撃されてしまうだろうというのは重大なポイントに思え
る。


 もし、植草氏が、その状況下で強引に痴漢行為を行なったとしたら、それ
はもはや「痴漢」ではなく、「強制わいせつ行為」ではないだろうか。つまり、
相手は「強制わいせつ罪」で訴えるのが妥当だと思う。ところが、現実は迷
惑条例違反で訴えている。

 何度考えてみても、この車内状況での「痴漢犯罪」はあり得ないと思う。
ぎゅうぎゅう詰めだからこそ確実な秘匿性があり痴漢は成立する。車内の
混雑具合は、どんなに気の弱い女の子でも、百パーセント回避行動が可能
な状況にある。二分間も為すがままに任せて、回避行為をしなかった女の
子には強い作為性が存在するように思う。植草氏が同じ場所に立ってい
て、女の子から離れなかったとすれば、それはアルコールや他の物による
酩酊か意識の朦朧状態である。もし意識が明晰だったなら、そこにじっと佇
んでいたということは考えにくい。周囲に悟られる状況で破廉恥行為は行
わない。それでもあえてやるのであれば、それは確信犯的な強制わいせ
つ行為である。

 アルコールの酩酊で理性のタガがはずれ、つい性癖が出たのだろうとい
う考えもまったく成立しない。なぜなら、女子高生が2分間もさわられたま
ま、それを回避していないという摩訶不思議なことが起きているからであ
る。

 冷静に考えると、今回の事件は、比較的自由に動ける車内で、朦朧とし
た植草氏に対し、女子高生が後ろ向きににじり寄って、接触してきたとい
う考え方もできるように思う。しかも、視点を変えれば、植草氏の朦朧とし
た意識を確認したうえで、彼女は後ろ向きに植草氏ににじり寄っていたと
いう見方も可能なのである。

 つまり、作為は一貫して被害者側にこそ強く出ているように思える。
この作為性は状況的に証明できるように私は思っている。そして、目撃証
言者の目撃情報が異常なことは、周囲の誰一人、止めようともしないし、
注意もしなかったことを“目撃している”ということだ。つまり彼の目撃状
況そのものも、そうとうに不可解に思える。何度でも言うが、自由に移動
できる車内で、しかも周囲に目撃されてしまう状況で痴漢は起こらない。

 女子高生は法廷に出てくるべきである。遮蔽措置というプライバシー保護
があるにも拘らず、この被害者は一度も公の場に出てきて証言していな
い。検察はこの女子高生を公判に出せない理由でもあるのだろうか。


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2007年2月24日 (土)

これは妙だ!与党の差し金か?

北海道に住むある読者さんが、非常に気になることを言っていた。歌手
の松山千春さんが、京都で暴力団の会合に参加したというニュースが先
週末にあったようだ。しかし、これについて読者さんは、構造改革派が、
松山氏を狙い撃ちしてイメージダウンさせたんじゃないかと言っていたの
である。

 理由は、北海道知事選と参院選挙に関し、松山千春さんの応援活動
の影響力を今のうちに殺いで置くためだということらしい。鈴木宗男氏と
大の仲良しである松山千春さんが、勝手連派などの応援をすると、絶大
な影響力を持つと思う。これを懸念する勢力が、国策的な意図を持ち、
このニュースを取り上げた可能性は無下に否定できない。北海道では松
山千春さんの人気は絶大なものがある。彼は鈴木宗男氏がバッシングさ
れていた時、ただ一人、堂々と鈴木氏を庇っていた侠気溢れる男であり、
当時、私はその姿勢に感心した。

 昔から芸能人が興行に当たって、地元のヤクザに挨拶するのは
慣例となっていたし、それを警察がいちいち見咎めて問題視していたら、
日本の芸能活動は上手く行かなかっただろう。今の時期に松山千春さ
んが、会津小鉄会の会合に参列したから問題視するというのは、知事
選や参院選絡みで、松山さんのイメージダウンを狙ったと見ても不思議
ではない。芸能人とヤクザは、癒着関係というよりも伝統的には、ある種
の社会的な共生関係を保ってきたと捉えるべきだろう。マスコミが突然、
社会正義のきれいごとを強調するときは、大概は政治がらみではない
のだろうか。

 もし、松山千春さんを社会正義で弾劾するのであれば、他の多くの
芸能人も同じようにやるべきなのである。

********************************************************
 1.  歌手松山千春さん、暴力団の会合に参加 京都府警調べ(朝日新
聞)京都に本拠を置く暴力団会津小鉄会(約800人)が今月12日に京都市
内で開いた会合に、歌手の松山千春さん(51)が出席していたことが京都
府警の調べでわかった。同会会長の就任10周年を祝う催しで、幹部組員
約130人が集まったという。府警の調べでは、会合は12日午後6時ごろか
ら約2時間、京都市下京区の事務所で開かれた。府警は事前に松山さん
が会合に出席するという情報
      2007年02月16日(金) 21時58分

***************************************************

    http://www.stv.ne.jp/radio/
「松山千春 季節の旅人」 2月18日(日)放送休止のお知らせ

STVラジオで放送しております「松山千春 季節の旅人」(毎週日曜午前
11時00分~11時55分)は、松山千春さん本人が指定暴力団会津小鉄会
が開いた会合に出席していたとの報道があり、現在、事実関係を確認す
るとともに、18日の放送につきましては見送ることと致しました。尚、今後
の対応につきましては、随時HPに掲載する予定です。ご迷惑をおかけ致
しますが、どうぞよろしくお願い致します。

********************************************************

民主党の荒井聡衆院議員(60)は26日、札幌市内で記者会見し「北海
道は危機的状況にある。身をなげうって再生に取り組む」などと述べ、来
年春の北海道知事選に無所属で立候補することを正式に表明した。
民主、社民両党と地域政党新党大地(代表・鈴木宗男衆院議員)が支援
する方針。自民、公明両党の支援で再選を目指す現職高橋はるみ知事
(52)と激戦になりそうだ。

荒井氏は「医療、介護、教育を支える市町村が悲鳴を上げている。時に
は一緒に国とたたかう」と市町村重視の姿勢を強調、破たんした夕張市
についても「国や道に責任はないのか。市とともにたたかう知事でありた
い」と述べた。14ある道の支庁機能を強化する考えも示した。 (2006年
12月の記事)


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芸能人も一役買っているのか?!

 マッド・アマノさんの2月2日の「本音のコラッ!ム」に、テリー伊藤に
関することが書かれていた。この投稿は私の感想とそっくりである。

****************************************************

   ■2007年02月02日(金)  テリー伊藤はなぜ植草氏を有罪扱いする
   のか? 

 ある人物から貴重な内容のメールをいただいた。匿名で紹介します。

 昨日、車を運転していた時、カーラジオで日本放送を聴いていました。
そうしたら、テリー伊藤が言っていました。『次回のゲストはあの「それで
もボクはやってない」の周坊監督ですよ、冤罪についてたっぷりと話をし
ていただきます。でもね、植草教授は違いますからね、あれはまったく
違う』とわざわざ念を押して言いました。まったく不自然ですね。

 テリー伊藤は郵政民営化・是か非かの衆院解散総選挙の実況中継の
とき、某テレビ局のゲストに来ていて、中曽根弘文など郵政民営化に反
対した政治家を悪辣きわまる者のようにこき下ろしていました。奴は竹中

平蔵の子飼いとして動きましたね。

 このテリーが、今、話題になっている周坊監督の映画を話題にした時、
誰も聞いていないのに、敢えて植草氏の場合は冤罪ではないと念押し
することは非常に不自然なことでした。まったく悪質な芸能人です。しか
し、逆に考えますと、マスコミがこの映画の盛況で植草さんが話題にな
ることを極度に怖れていることを感じますね。

*****************************************************

 テリー伊藤というタレントが、植草氏を積極的に、かつ徹底的に痴漢扱
いすることは、ある意味で筋は通っている。なぜなら、テリー伊藤は、植
草一秀氏の宿敵である竹中平蔵前金融大臣・郵政民営化担当大臣の
手先として、いわゆる“B層国民”をターゲットにした、あの郵政解散総
選挙のために動き回ったからである。従って、彼が売国構造改革の応
援団として、植草一秀氏を徹底的にこき下ろすことは何の不思議もな
いことである。

 植草氏をよく茶化す芸能人には爆笑問題の太田光がいる。彼の植草
氏に対する執拗な茶化しも、気にかかることの一つである。また、最近
では「週刊ポスト」3月2日号の「ビートたけしの21世紀毒談 第875回」
というコラムでも、“本物の電車で痴漢ができるんなら、幾ら払ったって
いいっていう人もいっぱいいるよ。あの植草センセイも絶対に喜ぶぜっ
ての”などと無礼極まりないことを書いている。

 ビートたけしは「たけしくん、ハイ!」などで、自らの体験を基にした昭
和30年代の時代風景を描いたことや、フライデー殴り込みで義侠心を
示し、私はそれなりの好感を彼に持っていたが、今回、植草氏を茶化し
たことで私は怒っている。

 まあ、感情的なことは抑えて少し冷静にみてみると、芸能人が、まだ
公判中の植草氏のことを、あたかも犯罪が確定しているように茶化す
ことに、私はただならぬものを感じる。もしかしたら、所属芸能事務所
に“お上”からお達しがあったのかと勘ぐりたくもなる。なぜなら植草氏
のイメージ墜落を意図するなら、有名な芸能人を使えば効果が大きい
からである。

 芸能界には在日・半島系の息がかかっている場合が多い。彼らの多く
は日本の伝統文化や国体への破壊志向があり、その動きはアメリカに
よる日本構造改変の動きに合致している。米国と半島系は、目的は違
いこそあれ、日本破壊では互いに価値観を共有している。だから芸能
人に植草氏のイメージ固定をやらせている可能性も否定できない。ア
メリカは新自由主義社会への日本改変を急ぎ、半島系は日本の国柄
破壊に精を出している。そういう構図があるように思う。


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2007年2月23日 (金)

植草事件の闇(6)◎性癖説に牛耳られたマスコミ

 この間、東京都内で早稲田大学の関係者と会い、植草一秀氏の話をし
た。この人A氏は、植草氏を陰になり日向となってサポートしていたお一
人であるが、植草氏が巻き込まれた2004年の件と2006年のことで、
大学関係者からかなり辛らつな非難を浴びていて、困惑というか、その
面持ちには強い悔しさがうかがわれた。

 A氏からいろいろと話を聞くうちに、早稲田大学のA氏の友人たちから、
植草氏の病気説が出ていたということがわかった。A氏は品川駅構内の
高輪出口付近エスカレーターにおける手鏡事件の時、早稲田大学にたい
して、判決が出る前に植草氏を解職するのはおかしいと堂々と抗議を行
い、それからも植草氏をサポートし続けたそうである。

 A氏は昨年、2006年9月の痴漢容疑事件が起きた時は、驚天動地の
思いで、植草氏にどういうことなのか釈明してもらいたいと思い、彼宛に
何度かメールしたそうである。しかし返事は来なかった。それもそのはず
で、植草氏は拘束され、メールの返事どころではなかったのだ。

 また、A氏はこうも言っていた。『植草さんと野○総研時代に席を並べて
いたという人の知り合いから、私の友人が聞いた話ですが、野○総研で
は彼の性癖は有名で、ついに野○総研はそれを隠しきれなくなって植草
さんを放出したという事を言っている人がいます。その事を知らなくて教授
にした早稲田大学が情けないとも言っているくらいです』と語気荒く私に語
り、何とか真実を暴けないものかと、強い無念をにじませながら心中を吐
露した。
 
 A氏の真剣さと気迫に圧倒された私は、自分の知る範囲で、国策捜査
の疑いが極めて濃いことをこの方に伝えた。A氏からいろいろと話を聞くう
ちに、大学周辺や、野○総研から、植草氏の病的性癖説がにわかに広
がり、その説が既知の事実のように流されたことがわかってきた。つまり、
京急電車内痴漢事件の初期報道でさんざん流されていた病気性癖説が、
品川手鏡事件の時も流されていたのである。二回とも、同じパターンの言
い方が、テレビや他の刊行物、あるいは植草氏の職場周辺から判を押し
たように流されている。

 その典型的な事例として、以下の動画がある。大阪朝日放送(ABC)の
「ムーブ」という番組で、テレビ的に有名な評論家たちの口から、植草氏
の病気説がまことしやかに出されている。これはネットの動画になって
配信され、今も視聴可能である。

http://www.youtube.com/watch?v=JhgFeMPtwOU

 この放送は、女性セブン誌が出した唐突な記事「植草一秀容疑者 
痴漢で示談7回の過去」
を引き合いに出し、それについて各コメンテ
ーターが意見を述べていくという進行になっている。この中で評論家の
宮崎哲弥氏と、弁護士でタレント活動も兼ねる橋下徹氏が、植草氏の
病的性癖説を熱弁しているのだ。しかも薬物治療の必要性まで語って
いる。つまり、品川手鏡事件の時と同様に、京急電車内の都条例違反
疑惑も、植草氏の病的な性癖によって行なわれたという一方的な見解
が強弁されたのである。

 唐突に、不自然に強調された植草氏の性癖説は、植草氏側の弁明も
なく、乱暴な形で茶の間に流されたのである。ここに、女性週刊誌と、こ
の朝日放送に共通する恣意的な悪意を感じないだろうか。「女性セブン」
誌では、植草氏が過去に7回の痴漢摘発があって、それは全部示談に
なっていると書いた。これを読んでいる人は、当時のこのきわめてセンセ
ーショナルな「7回の示談」報道を思い起こして欲しい。示談が7回為され
ていたという報道が、女性セブン誌以外から、別個の取材ソースとしてど
こからか出ていたのだろうか。

 大事なことなので、よく考えてみて欲しい。私の記憶する限り、この「7
回示談」に関する報道は「女性セブン」誌以外からは出ていない。これを
報道した各社は一様に「女性セブンによれば」という断りで始まっていた。
つまり、この報道ネタは小学館の女性セブン一誌のみなのである。警察
からリークされた第一次報道が、一つの週刊誌だけだったというのは、そ
れだけで奇妙である。

 捜査関係者が、マスコミにサイド情報(横流し情報)として流す場合に、
このような重大な件名を通俗的な雑誌一誌だけに流すだろうか。私はそ
の記事が書かれた女性セブン誌(十月五日号)を手に持っているが、不
思議なことに、過去7回の示談の経緯や状況を書いている箇所は何も
ない。断言するが、これは完全にでたらめで印象報道そのものである。     

 植草氏を嵌めた何者かが、彼の病的性癖説定着を補強する意図で流
した悪質きわまる印象操作報道である。女性セブンの「過去7回示談」報
道はまったくのでたらめで、事実そのものがない。私は官憲が、国策捜査
を成功させる上塗り手段として行なったこの「示談7回報道」は、植草氏の
病的性癖説を補完するどころか、間違いなく大失敗であったと思っている。

 彼らは念を入れすぎて墓穴を掘った。妙だとは思わないだろうか。この
「過去7回」報道がである。植草氏の三回に及ぶ鉄道内の事件は簡単に
要約すれば次の通りである。

○1998年  JR東海道線横浜~川崎間。植草氏が湿疹を掻いたことが
        向かいの座席に座った女性に勘違いされる → 罰金刑

○2004年  JR品川駅構内の手鏡事件 → 罰金刑。手鏡没収

○2006年  京浜急行品川~蒲田間。痴漢行為疑惑 → 公判中。

 上のように、一回目が東海道線車両の事件、二回目が品川手鏡事件、
三回目が京急電車内の痴漢事件。この三度の連続性を不動のものとす
るために、謀略側はマスコミを動員し、後追いで「過去7回示談」報道を
追加した。これが謀略側の大失敗であったことを指摘する。「過去7回
示談」報道には、植草氏を嵌めた存在の大きな焦りが見て取れる。

 それは、記事の信憑性云々よりも、とにかく7回の示談があったことを
出して、だめ押ししようとする意図が見え見えだからである。これに宮崎
哲弥氏と橋下弁護士が映像メディアのだめ押しとして乗ったわけである。
7回の痴漢事実があって、示談に持ち込んだ過去があるとやれば、病的
性癖説はもはや動かしがたい印象として固定化する。ところがこの「7回」
は真っ赤な嘘。これによって、東海道線車両、品川駅、京急電車の三度
の連続性も脆弱になってしまうのである。国民に性癖による連続性を印
象づけようとして、だめ押ししたことが、かえって彼らの作為性を露呈す
ることになったわけである。

 それに加えて、品川事件も京急事件も、「りそなインサイダー取引」疑惑
を植草氏に追求されるのを畏れる権力側に捏造されたと考えて間違いな
い。1998年の東海道線車両内の事件は冤罪。そのあとの二度にわたる
事件は国策捜査によるでっち上げである。さまざまなことを考察すれば、
その傍証が成立してしまうのだ。つまり、メディアによる病的性癖説の流
布と、小泉政権がらみの経済犯罪疑惑が合体すると、植草事件が大きな
経済犯罪を背景にした「やらせ」事件であったことがはっきりと見えてくる。

 そして、公判で出てくる証言はあちこちにほころびが出ている。最も強烈
なものは、車両にいた乗客の一人で、植草氏のネクタイをつかんで、駅
員室に強引に引き連れて言った者を、目撃証言者が「私服の男性」
と思わず言ってしまった
ことだ。これは謀略側にとっては致命的であり、
まさに国策捜査を疑わせるに充分な証言記録である。検察と証言者との
綿密な打ち合わせや応答訓練にも関わらず、普段使用している“その
道独特の常用言葉”
が思わず飛び出してしまったということだ。

 私服の男性というのは、明らかに私服刑事のことである。私服刑事とい
う言葉を頻繁に使うことが日常化している職業の目撃者、そして植草氏
に「子供の見ている前で恥ずかしくないんですか?」と説教する婦人警官
のようなキャラクターの女子高生。これらは、○察関係者で構成された
「でっち上げ工作斑」と考えることが、もっとも合理的な推論ではない
だろうか。


 つまり、この事件は、報道の虚偽性、その報道への不自然な補完作業、
そして、公判証言から出る多くのボロ(作為性)などをみると、全体が虚偽
の事件であることがわかる。まもなく莫大な郵政資金がアメリカに流出す
るだろう。郵政民営化推進論者、すなわち売国構造改革派が恐れること
は、郵政民営化の完全実現を阻む者である。植草氏は、外資に利益誘
導する性格の構造改革はまやかしであり、有害だと言い続けてきた。

 りそなインサイダー疑惑が、植草氏によって国民に知られると、郵政民
営化を中心とする諸々の構造改革がまやかしであり、外資へ利益供与す
るためのシステム改変であることが暴露される。だからこそ、謀略側は大
慌てで粗っぽい仕掛けを植草氏にかけた。その結果、彼らは抜け目ない
どころか、数々の失態を演じている。その一つが京急蒲田付近での電
車内の痴漢行為が、すし詰めの満員電車とはかけ離れたまばらな
混み具合の中で発生したとされたことである。

 たとえば、抗精神薬を混入された紹興酒を植草氏が飲んでいて、意識
がおぼつかなかったとしても、周囲からよく見える状況下での痴漢発生
は不自然きわまりない。ましてや、被害者が二分間もその場を動かな
かったなどということは、奇妙さを通り越して充分に作為的である。

 A氏が困惑した植草氏の病的性癖説は、謀略側が植草氏のイメージダ
ウンを意図して、警察やマスコミを使役して行った印象操作にほかならな
い。国策捜査とは第一義的に、国民に時代の変化を印象づけるため、
自分たちが意図した時代構築にそぐわない考えを持つ識者を罠に落とす
ことにある。その目的は、その人間のイメージを徹底的にたたき落とすこ
とによって、時代が変わったことを国民に印象付けることにある。その意
味で、植草氏が受けた身に覚えのない連続した事件は、完璧に国策捜
査の性格を宿していると言えるのである。


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2007年2月21日 (水)

横浜のメリーさん

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 久しぶりにDVDを借りてきて観た。題名は「ヨコハマメリー」。特に目的
があって観たかったわけではないが、ハマのメリーというのは以前、どこ
かで聞いた覚えがかすかにあった。横浜という街にはあまり馴染みはな
いが、二十代の時、鶴見で数年間働いていたことがある。なぜか横浜中
華街のエキゾチックな空気が好きで、仕事の合間には好んで行っていた。
当時、私は中東の石油プラント関係の設計をやっていて、中東諸国のど
こかの建設工事に一度行って、働いてみたいという強い夢を見ながらチャ
イナタウンを歩いていた。

 矢沢永吉の歌ではないが、金はなく、空のポケットに夢ばかり詰め込ん
でいた私の懐かしい時代である。「ヨコハマメリー」というタイトルを見て、
なぜか、当時へ強いノスタルジックな想いが湧き、その作品を借りてきた。
詳しくは言えないが(笑)、中華街とポニーテールは、私の記憶の中で一
セットになっている。今でもポニーテールの女の子を見ると、夢一杯のあ
の時代を想いだし、今の自分が恥ずかしくなる。

 さて、横浜のメリーさんとは、顔を異様に白く塗り、白いドレスと赤い靴
を履いて伊勢崎町などの横浜の街に佇んでいた老婆であり、彼女は終
戦時に米兵を相手にした街娼だったらしい。詳しい経歴は不明のようだ
が、その異形の風体と、街娼には相応しくない高雅なものごしのせいか、
彼女はハマのメリーさんと呼ばれ、いつしか横浜の風物詩になっていた
ようである。横浜に住む人なら誰でも彼女のことを知らない者はいない。

 ドキュメンタリーは、メリーさんが横浜にいた時の写真をふんだんに使用
していた。はっきり言って、彼女のどぎつい化粧はびっくりするようなインパ
クトがあり、実際に目にしたらそうとうに気持ち悪いかもしれない。薄暗い
山道でばったり出会ったら、間違いなく水木しげるの世界に入り、心停止を
起こすかもしれない。白いお化けなのだ。しかし、彼女には不思議な強い
存在感が溢れていた。彼女を知る人たちが口をそろえて言う。彼女は確か
に横浜の風景の一部になっていた。

 年老いても、背中が曲がっても、横浜の繁華街に立ち続けるメリーさん
は、けっして白い厚化粧を崩さず、いつも泰然と街に佇み、横浜の風景の
一部に同化していた。映画を観ていて私はいつしかメリーさんに魅了され、
すっかり引き込まれていた。老いた街娼と横浜の街並み。この取り合わせ
は不思議な雰囲気を醸し出していた。メリーさんをいつも見守り、それとな
く援助していたシャンソン歌手の永登元次郎さんは、癌に蝕まれた身体を
必死に鼓舞して好きな歌を歌い続け、メリーさんの語り部になっていた。そ
の語りが独特の風趣があって、横浜の一つの風貌を見事に描き出してい
た。

 元次郎さんのメリーさんに対する思い入れは、メリーさんに母を感じてい
たからということらしいが、その献身的な面倒見は心を打たれるものがあっ
た。それにしても、メリーさんはなぜ白い化粧で、毎日街に立っていたのだ
ろうか。戦争から敗戦、そういう激動の時代を街娼という運命に身をゆだ
ね、必死に生き抜いてきたという自負心が立たせているのか。それとも、
自らが渦の中の木の葉のように、時代に翻弄されたことへの抵抗なので
あろうか。

 敗戦ショックで、日本の男は心が折れた。しかし、日本の女は生きるため
にたくましく戦い抜いた。敵兵だった米兵に身を売って生きる街娼は、当時
はパンパンと呼ばれ、それは蔑みの言葉ではあったが、完全な侮蔑だけで
はなく、そこには時代に翻弄されて生きる者というニュアンスもあった。誰が
好き好んでパンパンになるだろうか。戦争に敗れるということは哀しいこと
である。私はメリーさんに横浜の戦後史を観ると言う人々の言葉を、その通
りだと思うし、それ以上の表現はないと思っている。しかし、メリーさんとい
う存在には、ひと言では語れないような、何かしら悲しみの時間がまとわり
ついている。

 メリーさんは人に心を許さず、いつも毅然として誇り高くいたらしい。人前
では常におしろいお化けの姿を保ち、高貴な人たちのものごしを崩さず、
いつも凛然とした態度を貫き通していたという。言えることは、メリーさんが
確固たる様式美を通したということだ。その様式の意味はいまだに誰もわ
からない。近い立場にあった元次郎さんにもわからなかった。元次郎さん
は2003年に病死した。メリーさんを慕い、その存在に強く惹かれながらも
ついに彼女をわからないままに死んでいった。

 元次郎さんも妙に横浜に似合っている不思議な人物なのだ。私はカラオ
ケなどで歌われる「マイウエイ」という歌はベタ過ぎて嫌いである。本人が
自己陶酔的に歌った場合は尚更である。「お前の道はそんなに凄いの
か?」と思わず突っ込みたくなる。しかし、元次郎さんの「マイウエイ」は素
直に沁みた。生で聴きたいと心底思ったが、もう彼は逝ってしまった。今の
時代は、心や情けのある人間がどんどん淘汰され、死んでいく。摩天楼の
ような金ぴかのビル群が押し寄せ、人間同志の悲しみさえ淘汰の風に掻
き消されていく。

 全編を観ていて、なぜか涙が出てくる映画であった。特にストーリーもな
いし、劇的なことも起こらない。さまざまな人が淡々とメリーさんを語ってい
るだけである。それでいて、私は横浜を通して戦後日本のある種の哀しい
姿が切々と胸に沁みてくるのである。ある人が言っていたことが、やはり胸
に響いてくる。それはメリーさんのお化けのような白塗りが、実は化粧とい
うよりも、生きるための仮面(ペルソナ)であったという説明だ。その通りだ
と思う。あの気味の悪い白塗りが、なぜか愛しくて哀切に思えるのは、時
代の持つ絶対的な時の悲しさがそこに溢れているからに違いない。

 街には独特の時の流れがあり、雑踏の中でその時の表情を強く感じて孤
独になる時がある。人々が往来し、四季が移り変わって、街路樹の風情が
変化するような時間とは異なる、時代の絶対的な時の流れが街にはある。
メリーさんはその時の流れに独りで乗って自分を様式化したのであろう。街
の孤独におのれを同化させ得る人間は滅多にいない。それをやるには、そ
うとうな自己克己と孤独に耐える覚悟がいる。そして何よりもおのれの魂を
むき出しにする自己放棄、究極の諦念が要る。それができる人だけが街の
風景となる資格を持つ。・・彼女はなるべくして横浜の風景の一角を担っ
た。我々は、時代の孤独な流れと対峙した女性の顔をまともに見ることは
できない。なぜなら我々は自分たちが思っている以上に、時の重圧に耐え
られない弱い存在なのだから。

 彼女はそれを知っているから顔を塗った。我々が魂の自己放棄を成し遂
げた人間の顔を凝視できないことを知っていたから。ハマのメリーさん、そ
れはあまりにも悲しく、そしてなつかしい風景なのだ。だから涙が出た。メ
リーさんが横浜から忽然と消えた時、人々はある重要な風景を失っている
ことに気が付き、慣れるまで茫然とした思いをした。なぜなんだ?と問いか
けてみてもそれは虚しい。なぜなら、メリーさんは、我々自身が気が付いて
いない時の流れに映った、我々自身の素顔だからである。

 戦争も、敗戦も、普通の人にとっては不可抗力である。時代そのものが
不可抗力であった。そういう時代は自分の意志でどうにかなるものでもな
い。受け入れていく以外に選択肢はない。生きるために米兵に身体を売
り、生きた証を納得するために白塗りをしてハマの街角に佇む。この女性
の様式は戦後の日本人すべてに当てはまるのではないだろうか。自主憲
法も造らず、自衛隊も身分を曖昧にし、年次改革要望書を丸呑みすること
しかできない日本人。米国に隷属する現実を、自ら見まいとして、顔を白
塗りにして62年間も仮面の日本人を演じ続けている日本人。われわれす
べての日本人はメリーさんの白い顔と同じではないだろうか。

 メリーさんを、横浜の戦後史を象徴する一つの風景として捉える見方は
無難でわかりやすい。しかし、そんなお悧巧さんなことを言って、悦に入っ
て、何になるという気持ちである。もしかしたら、彼女のペルソナは日本人
すべてのペルソナと同じ素材でできているのではないのか。だから、我々
ひとりひとりの日本人と、メリーさんはフラクタルな相似形を持って共振し
合っているように思うのである。あのお化け風味の白塗りは、我々の顔そ
のものではないだろうか。目の前にいると気色が悪いメリーさん。しかし、
いなくなると胸にぽっかり穴が開いたようになるメリーさん。どうして、この
婆さんに人々は惹かれてしまうのだろうか。

 老いてもなお街角に佇むメリーさん。彼女自身はけっしてその意味を語
ろうとはしなかった。メリーさんを無理に意味づけする必要はないのだろう。
彼女は街の風景だったからである。馴染みの建物も時が経てば取り壊さ
れ、新しい風景の一部になる。そんなところだろう。ただ、孤独で悲しい
色合いを宿した時間の流れが街にはある。その時間がメリーさんになっ
ただけなのだろう。

 彼女は昔の街路灯のような風情がある。さりげなく立っていて、少し上
から淡い光を照らす、お洒落な一本のガス燈である。物悲しい風景では
あるが静謐で心が和む。これは一幅の絵画に記されたメリーさんという
都市伝説である。横浜という街は深い懐がある。ちなみに、私が横浜を
もっとも強く感じるのは、メリーさんには悪いのだが、永ちゃんが歌った
「チャイナタウン」である。

 ♪ チャイナタウン 横浜トワイライトタイム 流れてる俺たちの好き
   だった「ドッグ オブ ザ ベイ」 ♪ 人気ブログランキングへ ← 何かお感じになった方はクリックよろしくお願いします!!

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植草事件の闇(5)◎マスコミの異常な硬直性



 米国と結託し、国家の正道を踏み外した国賊的為政者たちと、それに
絡む金融関係者、加えて、強圧によって彼らを動かしたハゲタカと呼ばれ
るタイプの国際金融資本。この三者勢力は、米国の軍産コングロマリット
を支えるために、その資金供出を日本に頼っている。米国は自国の戦争
経済を支えるために日本の国富を流用する形を日本に造った。実際に構
築したのは米国通商代表部の意を汲んだ日本人である。そのシステムが
本格的な稼動をし始めたのが、りそな銀行の救済劇にあったと私は考え
る。

 アメリカ「奥の院」が、十年ほど前から、「年次改革要望書」という、一見、
平和的で双務的な日米経済協調コミットメントを行なっている。しかし、そ
の実態は完全に片務的であり強制的である。しかも日本への要望が実
行されたのかどうかを確認する行事まで念入りに盛り込まれている。これ
らのアメリカによる諸要望は、日本の国富をアメリカに流すための仕掛け
作りにほかならない。日本政府、特に小泉政権は、先鋭的にアメリカに従
ったために、日本の経済構造は公平配分型から傾斜配分型に急速な変
化を遂げた。

 聖域なき規制緩和、激しい規制緩和を柱とする新自由主義的な構造改
変は、構造改革と呼ばれ、あらゆる既成の商習慣を打ち砕いた。この弱
肉強食経済の結果、矯激な優勝劣敗ゲームが過熱し、資金不足や規模
の小さい弱小企業は地獄の苦しみを味わっている。小泉構造改革は結
果的に血も涙もない冷酷無残な政策となった。今、それを踏襲する安倍
政権の構造改革も、小泉改革と大差ない国富流出機構つくりにほかなら
ない。こういう売国システムを喜んで作っていたのが、竹中平蔵を始めと
する幾多の米国エージェントたちだった。日本人の顔をした米国の犬たち
である。

 大きな問題は米国の対日経済占領だが、直接的な問題は米国に魂を
売った者たちによる日本改造計画にある。その最大の構造改変が「郵政
民営化」であった。郵政民営化と言えば、先ごろ、米国通商代表部(USTR)
のシュワブ代表は、米国の条件と対等なものが築けなければWTOに提訴
すると脅しのような言い方をした。これで、小泉が死を賭して実現したと言
う郵政民営化が、実は米国の要望で行なわれた国富流出のための法案
であることがよくわかる。植草氏はこういう国家毀損的な流れに対し、果敢
にもクサビを打とうとして彼らに睨まれてしまった。そして国策捜査の罠に
嵌められた。植草氏は、いたいけな少女の姿を借りた汚れた国家権力に
口を封じられたのである。

 こういう背景があるから、植草氏の名誉を晴らすことは、単に彼個人の
名誉回復ではなく、多くの関係者たちの名誉を回復することになる。それ
のみではない。その延長上には、ねじれてゆがんでしまった醜い日本の
あり方そのものを回復することに繋がることになる。弱肉強食の拝金主
義、市場原理一辺倒の社会構造は、我々の日本民族の感覚にマッチし
ない。

 植草氏を嵌めた相手は強大な国家権力の一部である。これと戦うには、
我々も不退転の覚悟を決め、結束力のある行動をすることが肝要だと考
える。これは一見、蟷螂の斧であり、ごまめの歯軋りを思わせる。逃れよ
うもない絶望的な戦いに見えるが、けっしてそうではない。腐った権力が
最も畏れるのは世論である。そのために彼らは電通やその他を通じ、マ
スコミを掌握しようと必死である。これは植草氏に対する悪いイメージ付
けを行なうとともに、国民の目を真実から逸らして、世論の奔出を抑える
ためである。

 マスコミを押さえてしまえば、世論誘導などは簡単にできるわけで、そ
れはかなり成功している。植草事件の背景を国民に悟らせたくない権力
構造は、徹底的にマスコミによる印象操作を行い、植草氏のイメージ毀
損に血道を上げている。植草氏には集中豪雨のように報道被害が襲っ
た。しかし、品川事件の体験で学習した植草氏は果敢にも人質司法の
圧力を撥ね返し、四ヶ月に及ぶ長期勾留に耐え忍んで拘置所を出てい
る。まさに強靭な精神力である。

 いくら強大な権力でも、マスコミすべてを統制的に管理することはでき
ないだろう。マスコミの中にも、警察、検察の中にも反骨精神の強い者、
愛国心の強い者は大勢いるはずである。彼らがいつまでも沈黙を押し
通すとは思えない。私は彼らの日本人としての良心の発動に期待する。


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2007年2月19日 (月)

ベンジャミン・フルフォードさんが逮捕されたら

  ベンジャミン・フルフォードさんがご自身のブログで下記のことを語って
いる。情報網をたくさんお持ちの方だから、確度の高い情報から表明し
ているはずである。

****************************************************
February 18, 2007
ベンジャミンフルフォードが逮捕されるかもしれません
最近、複数のマスコミ関係の知人の方々から警告の電話があります。

どうやら、警察幹部が私のことを「あの外人は一体なんなんだ」と
色々な言いがかりをつけているようです。こういう動きがあると、
でっちあげ逮捕が近いうちに行われる可能性が高いと言われました。

但し、私はどんなに調べても絶対に違法なことはしていない自信が
あります。もし私が逮捕されることがあれば、それはでっちあげ逮捕
だと思って下さい。

警察幹部の方々は私のことを勘違いされているようですが、私の目
的は暴露ではありません。私の目的は、日本人をアメリカの闇の
支配から解放し、自由にすることです。そうすることにより、日本の
本来持っている力を発揮させれば、世界から貧困をなくし、環境破壊
を止めることができると信じています。

その目的のために力を貸してくれるのでしたら、警察の複数抱えて
いる大掛かりなスキャンダルにも目をつぶる余裕もあります。

Posted at 05:58 PM | Permalink

   http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2007/02/post_12.html

*******************************************************

警察が彼を逮捕するなら、それは明らかに植草一秀氏の国策逮捕絡
みであることは間違いない。ネットは警察の動きを監視している。ベン
ジャミンさんが逮捕されたら、いっせいに国策捜査が話題になり、それ
が揣摩臆測の範囲ではないことを国民は如実に思い知ることになるだ
ろう。

 官憲が、彼を不当逮捕した瞬間に植草事件の話題は沸騰すること
間違いない。当然、従米的な構造改革の欺瞞に対し、それは爆発的
な世論喚起を呼ぶことになる。

 彼は日本人の覚醒に期待し、世界の行く末を考えている素晴らしい
男である。それは私が日本人として断言する。


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・・海行かば

 ふと思った。オレのように名もなく何の才能もない人間が大上段に構え
て、植草氏の擁護をやっていていいのかと。

 オレがやるより、どこかの女がやるより、もっと相応しい立派な人間が
やるべきだと最近思うことがある。

 しかし、社会的な地位も名誉もある立派な人間が植草氏を応援してい
る話は聞かない。オレのような地位も名もない卑賤な奴でも、植草氏を
嵌めたやつらにはそれなりの憤りがある。義憤だ。黙っていられないの
だ。こんな社会をそのままにしていてはよくない。

 第一、先祖に申しわけが立たない。それに、子孫にこんな悪辣な社会
を伝統として残すわけにもいかない。ヤクザでもなく、警官でもなく、刀も
鉄砲も持たない非力な俺は文字通り非力だ。だが、オレはオレができる
ことをして奴らと戦う。オレの言葉がある。

 大東亜戦争では、先人たちが「海行かば」を歌って戦場に赴いた。

  海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
  山行かば 草生(くさむ)す屍
  大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
  かへりみはせじ

http://y4444y.hp.infoseek.co.jp/flagk/gktop.html

 この歌、古風な言葉だが、内容はいたって簡単だ。日本人として生ま
れたなら、大義がある限り、同胞の屍(しかばね)を乗り越えてでも戦え
という歌だ。人権至上主義、生命尊重至上主義の教育馬鹿たちが戦慄
する歌なんだろうな、きっと。でもおれは前からこの歌が好きだった。いさ
ぎよいからだ。

 俺は植草氏にも言いたい。そして、俺と似た心情の持ち主の不特定多
数の人にも言いたいことがある。

 何を言いたいのかといえば、それは、今から53年前に、シベリアに抑留
されていた山本幡男という人はついに帰郷を果たせなかった。自分の子供
たちに再会する望みが消えうせ、おのれの死を目前にした時、子供たちに
伝えたメッセージの一節がある。それをおれは伝えたい。

 『最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友達と
交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部
面において、この言葉を忘れてはならぬぞ』(山本幡男氏の遺訓より)

 おれは言いたい。刀も飛び道具も持たない人間が、戦って勝てる唯一
の武器は「道義」なんだ。戦後の日本人はこの道義心をすっかり忘却し、
人々は似非個人主義の究極相に突入した。今の日本はミーイズムに汚
染された。鬼畜アメリカを手本とした結果なのだ。

 しかし、だからこそ、権力者の腐敗には正攻法で「道義」をかざすことだ。
それは時代を超えて有効なのだ。日本人の品格は?などと考える前に
「道義」を貫けばそれは力になる。

 戦艦大和は一機の護衛機もなく、水上玉砕の旅路に敢えて出航した。
そして海底に沈んだ。彼らのその英断のために、戦後の我々は精神の
奴隷にならない選択肢を持っていたはずなんだ。

 ところが為政者からして、野卑な薄ら笑いを浮かべ、鬼畜アングロサク
ソンの奴隷化を選んだ。今では植草氏のような真面目な日本人を平然と
奴らの祭壇に生贄として提供する。こんな日本は変えなきゃいかん。変え
なきゃ日本が日本でなくなる。涙が出る。

 道義が通らなくなる社会のどこに生き甲斐がある?

 生れた土地は荒れ放題 今の世の中、右も左も
真っ暗闇じゃござんせんか  (せりふ)

♪何から何までまっくら闇よ すじの通らぬことばかり 
右を向いても 左を見ても バカとあほうのからみ合い 
どこに男の夢がある♪

http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/KizuDarake_no_Jinsei.htm

 おれの年代は知っているが、これは鶴田浩二の「傷だらけの人生」
だ。今の世の中はまったくこの通りになっている。鶴田の歌は預言詩だ
ったわけだ。

 アングロサクソンから日本は何を学んだ?狡猾に他者を騙して金儲け
をすることか?こんなヨゴレの先生から学んだ奴に、どうして品格が生ま
れる?

 植草氏を助けなければ日本は滅ぶ。日本が滅べば世界の未来もない。
だからおれは道義だけで戦う。おれがくたばったら次の奴が向かっていけ。
そいつがくたばったら、また次の奴が向かっていけ。

 それが大和民族のかたちだ。

 この世界に生まれて生きた。おれも友人たちも奴隷になるために生ま
れたんじゃない。日本人として生き、日本人として死にたい。ただそれだ
けの話だ。日本人の生き意地とはそういうことじゃないのか。

 ね?みなさん。


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植草事件の闇(4)◎欺瞞の時代潮流

 初回のボックス席事件は確実に冤罪である。しかし、そのあとの二件の事件は
国策捜査の疑惑がきわめて強い。植草氏と小泉政権が以前から政策展望において
根底から対立していたことは事実である。小泉政権が遂行した構造改革は「年次
改革要望書」に忠実に沿って行なわれた。大胆な規制緩和を旗印に国家構造の
作り替えを急いだ。典型的な新自由主義政策を強引に実行した結果、日本は完全な
傾斜配分社会に変換され、格差は固定化し、自殺者はいっこうに減る気配がない。

あの政権は米国の傀儡政権だったのである。植草氏は国益毀損型の小泉経済施政
を舌鋒鋭く批判し続けていた。手鏡事件以後も、植草氏は身の潔白と共に小泉施政、
特に「りそな銀行騒動」に絡むインサイダー取引の疑惑を、株価の動きや金の動きか
ら、経済学者として指摘していた。宮崎学氏主催の「直言」での一連のレポートも、
彼の訴えたいことが、りそな銀行関係に収斂していることが見えてくる。

 これが官邸サイド、特に竹中平蔵や小泉総理、その取り巻き連中の決定的な
危機感を招き、植草氏は手鏡破廉恥男の汚名を着せられた上に、今回の痴漢逮捕
劇を演出されてしまったのである。背景には官邸サイドが絡む国策捜査が働いたと
私は確信している。今回の植草氏の痴漢逮捕は、それを仕掛けた側の焦りが感じ
取れるとともに、二度と植草氏に政権批判をしてもらいたくないという熾烈な意志が
見える。その理由としては、植草氏が行っていた政権批判の中に、小泉政権絡みの
重大な経済事犯が存在していた可能性があるからである。しかも、それが国家的な
規模の経済犯罪だとしたらどうであろうか。植草氏のレポートで最も重大なポイントは、
小泉政権の失策を指摘するというレベルにはないかもしれない。それは、りそな銀行
に絡む、金融危機不安の誘導による株価暴落と、小泉お得意の「自己責任論」を
放棄してまでも、政府資金でりそな銀行を救った、その一連の動きの中にあるのかも
しれない。

 世間は表面的にはこう受け止めた。小さな政府論をうんざりするほど絶叫していた
小泉や竹中は、りそなに関してだけは自己責任論を回避して金融システムの安定化
を最優先とし、ケインズ経済的な政府救済を臆面もなく行った。それを眺めていた
経済通たちも、おい何だいこりゃ、まったく変節もいいところだなと思ったに違いない。
 
 しかし、りそなの真の問題はそんなところにはなく、実はこれら一連の騒動の中で、
その動きの本質を植草氏が一番言いたかったことは『政府犯罪』の実態だったの
だろう。彼が指摘するように、政府が金融不安を恣意的に煽ることによって、株価を
一気に下落させ、それが底値であることを「知っている」何者かが、底値買いを行い、
竹中がりそなの救済に政府資金を供出して、株価が再び上昇に転じた頃合を
見計らって、売り抜け、または、その後の株価上昇を睨んで保持し、膨大な儲けを
手にした、あるいはこれから手にする可能性があるということなのか。ここで外資が
動いていたと植草氏は指摘する。りそなの深い背景を説明するには紙数が足りない
が、この問題が孕む米国による国富の収奪は、郵政民営化においても鮮明に
繰り返される恐れがある。

 つまり、植草氏は、小泉政権は政策上の失敗で日本経済を破綻寸前まで導いたが、
その副産物として二つの出来事が日本に派生したと言っている。一つは、本来は生起
しなかったはずの失業、倒産、自殺の地獄を招来したことと、もう一つは外国資本が
日本の優良資産を理想的な安値で買い叩くことができたことの二つを上げている。
外資の政府への介入を、「小泉施政の副産物」だと植草氏は書いているが、彼が
本当に言いたかったことは実はこうである。りそな疑惑に関わるグループは三つあり、
国会議員、外資系ファンド(アメリカ系金融資本)、そして、竹中に協力した一部民間人
を含む協力者たちのトライアングルで構成されていた。これら共謀者どもが起した
巨大なインサイダー取引があったということである。

 植草氏はそれを調べるために当時の関係者から事情聴取を行う必要を説いている。
小泉は基本的にはアメリカに都合のよい売国方針を貫いてきたが、それだけではなく
戦後最大の疑獄事件と言われるロッキード疑獄を上回る、アメリカが絡んだ国家的
経済事件を起こしていた可能性があるかもしれない。そして植草氏は株や金の動き
からその本質を正確に把握した。植草事件とは、それに気付いた前政権筋の黒幕が
起こした国策捜査の可能性がきわめて濃厚なのである。

 参考図書

  1、  「あるべき金融」東洋経済新潮社 (著者:堺屋太一、刈屋武昭、
                              植草一秀 )
  2、   植草一秀「失われた5年ー小泉政権・負の総決算(2)~(6)」

       (宮崎学氏主催 ネット論壇「直言」に掲載中)

  3、   「植草事件の真実」ナビ出版(植草一秀事件を検証する会/編著)


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植草事件の闇(3)◎公判証言から見えてくる国策捜査の構図

 

公判証言から垣間見える国策捜査の構図                        

  私は2006年、京急電車内事件の第二回及び第三回公判を傍聴した。その結果、通常
の痴漢事件にしては不可解なことを多く見つけている。その中で、これが通常の冤罪ではない
という大きな証言を二つ指摘することにする。その一つ目は、これは最大の疑問なのであるが、
当日電車内の混み具合なのである。

 当日の電車内は立錐の余地がないほど混雑していなかった。その混雑程度は立っている
乗客が、動こうと思えば安易に動ける乗り合わせ状況であった。加えて、目撃証言者の言に
よれば、女子高生と、この証言者の間隔は直線にして77センチも空いていた状況がある。つ
まり、立っている乗客は、ぎっしりと詰まった状態ではなく、人が容易に通り抜けられるような、
いわゆる「疎」の状態であった。ここで被害者、加害者、目撃証人、目撃証人と加害者の間
にいた女性乗客の平面配置関係が目撃者証人の語ったとおりに再現するとおよそ次のように
なる。

 




この平面配置状態は、目撃者の証言を忠実にスケッチして出てきた図である。見てもわかる
とおり、この状況の中で痴漢が行なわれたとすれば、目撃者はほぼ完全にその行為が目撃で
きたことになる。被害者の女子高生は、電車の進行方向側に逃げることも、進行方向に対し
て左側、すなわち目撃者の方に移動することも出来たはずである。目撃証人は、車両の混み
具合を「肩が触れ合わないくらい」と言っているが、この図を見る限りにおいては、被害者と加害
者の行為は周囲から丸見えである。しかも、目撃証人の右斜め45度の所にいる女性はまった
く遮蔽にはなっていない。この状況で痴漢は行なわれたのであろうか。痴漢が行なわれるための
条件、すなわち、極度に視認性が低い状況とはまったく異なることは一目瞭然である。

 これでは、痴漢をする以前に、女子高生と加害者が不自然に密着状態にあるだけで、周囲
から確実に目を付けられてしまう状況である。ところが、二分間もの間、誰も咎めるものはいない
し、女子高生自体が抗議もしなければ動くこともしていない。なぜ黙っていたのだろうか。この被
害者の無為の方がよっぽど異常なのである。しかも2分間もさわらせておいて、いきなり【何をす
るんですか。子供の前で恥ずかしくないのですか】などと言うことのほうが奇妙である。

 

 重要であるから、何度も繰り返すが、痴漢被害を受けたと称する女子高生が、この「疎」の乗
り合い状況の中で、2分間もさわられたまま、痴漢被害の回避行動を取ることもなく、植草氏と
身体を密着させたままであったことは不自然きわまりない。

  もし、この女子高生が植草氏にさわられた恐怖で身動きが取れない、つまり心理的な萎縮
を起こし、ヘビに睨まれたカエルのように、そのままの体勢で動かなかったとすれば、上の言動は
非常に異様である。四十代半ばの男性に、「子供の前で恥ずかしくないんですか」などという説
教めいた言葉を投げかけたとすれば、この17歳の女子高生はかなりの気丈さを持っていること
になる。まるで婦人警官のような物言いである。それならば、2分の間に回避行動を取るか、あ
るいは抗議言動を発していなければおかしいことになる。通常であれば、この女子高生はさわら
れてから数秒でなんらかの回避措置を行なっているはずであるが、実際は何も行なっていない。

 したがって、この不可解な受容的態度には明らかな作為性が見られる。この女子高生につい
て、不可解なのはそれだけではない。彼女はまだ一度も公判に出ていないのだ。期日外尋問
という、法廷ではない場所でこっそりと行なわれたらしいが、その方法だと被疑者側が尋ねたい
疑問はすべて回答が得られないことになる。そのような乱暴なことがあっていいのだろうか。被疑
者の言い分が法廷で検討できない裁判に意味があるのだろうか。

周防監督作品の映画「それでもボクはやってない」では、15歳の女子中学生が法廷に立っ
て被害状況を述べる尋問を受けているのである。ただし、傍聴席から姿が見えないようについた
てで仕切られていた。これを遮蔽措置と言うらしい。植草氏の公判ではなぜこれをやらないのだ
ろうか。遮蔽措置を施して被害者の尋問を行なえば、被害者のプライバシーは確保できるし、
「証人威迫罪」のリスクも回避できるはずである。これをやらない裁判の目的はなんだろうか。感
じられることは、被害者女性を法廷に出したくないということである。遮蔽措置を行なえば尋問は
可能なはずなのに、一貫して法廷内での被害者尋問を拒否する理由とは何であろうか。

 二つ目の疑問は、目撃証言者が植草氏を取り押さえた乗客を「私服」と呼んだことや、植草
氏が京急蒲田駅から蒲田署へ連行される経緯に要した時間の非常識な短さなどを加味する
と、この事件が官憲ぐるみで行なった大掛かりなでっち上げ事件であることを充分に確信させる
ものがある。したがって、ここから見えてくるものは、昨年9月の京急電車内の痴漢事件は、植
草氏を陥れるために何者かが意図立案し、その意を組んだ実行グループによって偽装工作が
為された可能性が非常に高いということなのである。

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2007年2月16日 (金)

植草事件の闇(2)◎三回という連続性に垣間見える官憲の巧妙な仕掛け

 三回という連続性に垣間見える官憲の巧妙な仕掛け

さて、我が国の気鋭のエコノミストである植草一秀氏が遭遇した三度にわ
たる摘発・逮捕は、三度とも鉄道にかかわる場所で起きた事件である。鉄
道の世界で起きた事件、これが植草事件の本質を解明する鍵となる。私
は、この三度の痴漢事件すべてが国策捜査の範疇で起きたとは捉えてい
ない。私は、1998年に起きた一度目は典型的な「冤罪」であり、
あとの二件は、その初回の「冤罪」を既成事実として目一杯利用し、
綿密に計画され実行された国策捜査であると確信している。
それ
を逐次説明する前に、植草氏が遭遇した三度の事件のあらましを箇条的
に書いて置く。

(1)1998年6月 JR東海道線横浜駅~品川駅間で24歳の女性へ痴漢
     行為で逮捕、神奈川県迷惑防止条例違反で罰金5万円(品川手鏡事
     件の公判中に検察側から出された)

(2)2004年4月 品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を
  手鏡で覗こうとしたとして逮捕。2005年3月、東京地裁は罰金50万
  円、手鏡1枚没収(求刑懲役4カ月、手鏡1枚没収)の判決を言い渡し
  た。

(3)2006年9月 京急電車内で17歳の女子高生に対する痴漢行為で
  逮捕、東京都迷惑条例違反で現在(2月15日)公判進行中

 この三つの事件を時系列的に俯瞰すれば、8年間に3度の連続性
が認められ、もはや植草氏の痴漢常習癖は疑いの余地はないように大衆
には思われるだろう。この俯瞰が示すことは、この連続した「事実」が動か
しがたい決定的なものとして人々の目に映ることにある。しかも、この三
度の事件を何者かによる画策、すなわち、「謀略的でっち上げ」の範疇に
当てはめるというのは無理があり、もっとも整合的で妥当な結論が、植草
氏自身の性癖がもたらした犯罪性癖にあると誰もが思うに違いない。

 しかし、私は一見動かしがたいこの「事実の連続性」が、実は完全な作
為的ストーリーの流れの中で起きたことを弁証する用意がある。弁証だけ
ではない。私は、2006年9月の京急電車内で起きたとされる痴漢事件に
おいて、今進行中の公判を二回傍聴した結果、重要な目撃証言の中に、
確固とした作為性を発見している。それについては後述するが、その前
に我々が認識する「事実」について少し考察しておきたい。

 我々が普段知覚する事実(ファクト)には、実は大きく分けて二種類ある。
一つは日常の中で、自分の目の前で生起する生々しい現象としての事実
である。これは、目の前で起きたことは、視覚、聴覚、嗅覚など、いわゆる
五感をもって体験しうる体験的事実のことである。その臨場感、迫真性は
疑いの余地のない場合がほとんどである。もし、この日々の実体験に疑
いを持つとすれば、人間は実存感覚の危うさに陥ってゲシュタルト崩壊を
起こす。我々人間が内包するこの実存的な脆弱さを精神的に制圧してい
るものこそ、日常に生起する多様な情報から得られるリアルな感覚という
か、生き生きとした現実感なのである。

 もう一つの「事実」は、日々目や耳にするニュースと言われる情報から得
られる仮想的な事実である。テレビやラジオ、あるいは、新聞等の活字媒
体から目にする情報は、物理的に放送局や記事の書き手という中間の媒
体を介して流れる物であるから、その情報は程度の差こそあれ、必ず加工
されていると見るべきである。その人為的な「加工」の度合いによっては、
我々が知らされるニュースは事実(ファクト)とは大きな懸隔が生じると考え
られる。しかし、我々は、時には胡散臭さを感じながらも、前提としてメディ
アは正直に遠方の物事を伝えているという暗黙の担保を与えている。

 従って、大衆は自分の生活に直接関わることでなければ、よほどのこと
がない限りは、日々のニュースを漫然と鵜呑みにし、メディア・リテラシーを
駆使することはしない。特にそういう傾向は芸能ニュース、ワイドショー、週
刊誌等に顕著である。芸能人のゴシップを深く追求し、確度の高い分析を
しようとする大衆はまずいない。そういうものは各自にとって、まるで切実さ
を感じないからである。従って、流す側にとってみれば、このジャンルのネタ
は扱いやすく誇張もしやすいのである。これに比して、経済スキャンダルや
政治ネタは、報道内容に正確さと裏づけ、高いインテリジェンスが要求され
るから、流す側は必死である。つまり、このジャンルのネタは安易な情報操
作がやりにくい面はあるだろう。

 メディアから放たれる情報は、大衆がそれを疑わない限り事実として受け
止められる。言い方を変えれば、ニュースを流す媒体主体が、その情報を
恣意的に加工することによって、思うがままに事実は歪曲できることにな
り、極端な場合は、事実との乖離を超えて、発生していない事実さえ作り
上げることができるという話なのである。このようなことは人類が放送メディ
アを有したかなり昔から言われていることである。だからこそ、権力中枢が
メディア情報を掌握するようなことがあれば、その国は独裁色を帯び、思想
統制が常態となる最悪の状況に陥るのである。

 小泉政権下では、特にメディアの意図的な暴走があり、それは報道被害
という形で洪水のように植草氏を襲った。ここから、植草氏が陥った人生の
底知れぬ闇の扉が開いたのである。この闇の背景には、メディアに止まら
ず、警察、検察、そしてその上に聳え立つ汚れた権力の頂上がおぼろげに
見えてくる。再び佐藤優氏の「国家の罠」に書かれていることから重要な箇
所を引き合いに出し、我々が日常的に「事実」だと思っていることが、実は
場合によっては、先入観念としての幻想的な「事実」であることを強く指摘し
てみたい。もっとはっきり言うなら、上に掲げた植草氏の三度にわたる事件
が、メディアを掌握する者たちによって、巧妙に計画された『事実の創作』
であることをこれから説明して行こうと思う。

 「国家の罠」の290ページに書いてある著者と西村検事の対話の中に
次のような内容がある。重要なので頭に叩き込んで欲しい。

○西村検事 『国策捜査は冤罪じゃない。これというターゲットを見つけ出
  して、徹底的に揺さぶって、引っかけていくんだ。引っかけていくという
  ことは、ないところから作り上げることではない。何か隙があるんだ。そ
  こに僕たちは釣り針をうまく引っかけて、引きずり上げていくんだ』

○著者(佐藤優氏) 『ないところから作り上げていくというのに限りなく近
  いじゃないか』

○西村検事 『そうじゃないよ。冤罪なんか作らない。だいたい国策捜査
 の対象になる人は、その道の第一人者なんだ。ちょっとした運命の歯車
 が違ったんで塀の中に落ちただけで、歯車がきちんと噛み合っていれ
 ば、社会的成功者として賞賛されていたんだ。そういう人たちは世間一
 般の基準からすればどこかで無理をしている。だから揺さぶれば必ず
 何かが出てくる。そこに引っかけていくのが僕たちの仕事なんだ。だか
 ら捕まえれば、必ず事件を仕上げる自信はある』

 以上の会話の中に、一連の植草事件の謎を読み解く重大な鍵が存在し
ている。私は植草一秀氏を実際に知る周囲の何名かに話を伺ったことがあ
るが、彼は生真面目な人であり、日常性の中で、たとえば当面は駐車違反
の心配がないような路上であっても、そこには車を止めずにきちんと近くの
駐車場に入れるような性格である。こういう人であるから、身にまとったダ
ークな噂もまったくない清廉な人柄である。従って、彼がしまい込んでいる
わずかな瑕疵を探し出し、それを俎上に乗せていくというようなことが最も
できにくい人物である。奸計を用いて彼を嵌めようとする側が、いくら揺さぶ
ってみても、植草氏の場合は軽微犯罪、つまり瑕疵がないに等しいわけで
あるから、いわゆる「可罰的違法性」の線で彼を陥穽(わな)に落とすことは
難しいと、検察当局あるいはそれに連なる権力側は判断したはずである。

 そこで謀略側は、植草氏個人の『使えそうな』瑕疵を、片っ端からあら探し
した結果、あることを見つけ出した。植草氏にはたった一つ、自らの瑕疵と
して強く悔恨の念を抱き続けているできごとがある。それこそが、(1)に書
いた1998年の東海道線車内で起きた事件であった。ここで誤解のないよ
うに強く指摘しておくが、彼が後悔しているという意味は、東海道線車内で
痴漢事件を起こしてしまったという意味ではない。この事件は警察と検察
の取調べ中に発生した純然たる濡れ衣なのである。つまり冤罪である。な
ぜここで冤罪が起きたのか。それは日本の官憲特有の「人質司法」だから
である。

 簡単に言えば人質司法とは、被疑者を逮捕し、否認を続けた場合、延々
と勾留し、なだめすかしたり恫喝したりして、被疑者の自白を引っ張り出す
という警察、検察による悪しき慣習である。1998年の東海道線車内での
できごとも典型的な人質司法により、植草氏は強引に調書を取られ、やっ
ていないのにやったという自白の言質を取られた。そして結果的に五万円
の罰金刑になった。東海道線車両のボックス席で、内ももにできた湿疹を
掻いていた時、それを向かい側の席に居た24歳の女性に見咎められ、彼
女は駅員を呼び止めて、「この人が感じ悪いんですけど」とだけ言ってい
る。この後の駅員室における取調べは、文字通り典型的な人質司法であ
り、認めなければ返さないというものであった。警察による冤罪である。

 ところが、品川駅における手鏡事件、そして、京急電車内における女子
高生への痴漢事件は国策捜査の疑いがきわめて濃厚なのである。私は
品川事件の時は、さほどこの事件に興味を抱かなかったが、2006年の
痴漢疑惑の時は、これは完全に嵌められたなと直感した。その洞察の契
機は、当時、テレビや週刊誌等でセンセーショナルに報道された、その報
道の仕方の極端な偏頗性に気付いたからである。どのメディアも、判で押
したように植草氏側の弁明がほとんど出てこないという同じ偏りを示して
いた。この初期報道には、併せて2004年4月の品川駅構内エスカレー
ターにおけるスカート覗きの事件も必ず報道されていた。そこには品川事
件で付けられた「ミラーマン」などというあだ名までよみがえっていた。

 2004年の品川駅での手鏡事件、これは神奈川県警鉄道警察隊がから
んだでっち上げ捜査である。まず、私服の警察官による執拗な追尾は、そ
の証言録を読むと「目つきが怪しかったから」という曖昧なものであり、追
尾の合理的目的性が欠落している。ほとんど底意があるとしか思えない
追尾理由である。

 また、構内エスカレーターでは、植草氏の姿は複数の監視カメラによって
映像が撮られており、その記録開示を植草氏自身が強く求めたにもかかわ
らず、警察はその意向を無視し、自らもカメラ映像を確認することもないまま
に、記録は自動消去されてしまった。これではどちらが捜査側で、どちらが
容疑者であるかわからない。主客転倒である。


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植草事件の闇(1)◎国策捜査

   国策捜査

 私は昨今の日本が、国家として思いっきりねじれていると感じている。そ
の理由は国家がその政策上において、都合の悪い個人を狙い撃ちする傾
向が強くなっているからである。狙い撃ちとは、言論表現という世界におい
て、対象とした個人の社会的生命の徹底的な剥奪を意味する。この傾向
は小泉政権下において最も強くなり、安倍政権に移行してからもなお続い
ている。例を挙げれば、国家に狙われた者として鈴木宗男氏、佐藤優氏、
西村眞悟氏などがいる。そして今、私たちが力を入れて支援している傑出
したエコノミストのひとりである植草一秀氏がある。政府に物言う空気がは
ばかられ、同時に国家が個人を狙うようになったら、その国の衰亡を端的
に表していると断言しても差し支えない。ぎらついた電飾に照らされた小
泉構造改革の一方では、国益を志向する言論人がメディアの場から露骨
に外されたことも、我が国の末期的なねじれ現象の一つである。

 我が国は戦後の一時期、未曾有の経済発展を遂げたが、一方では倫理
道徳は頽廃し、国家防衛の基本理念である自主防衛構想は60年以上も
放擲されたまま今日を迎えた。この長い期間を米国の膝下に甘んじたため
に、いまや我が国はローマ(ヘビ)に睨まれたカルタゴ(カエル)のような状
況に置かれている。すでに日本人は、国際政治や経済においても民族自
決の精神を忘却し、国家そのものが萎縮してすくんだ状態になっている。
身動きが取れないままに害獣の餌食にされようとしている。滅びの深淵が
目の前に迫っているというのに、日本人は脳天気な毎日を過ごしている。

 国家のねじれは小泉売国政権によって一層激化した。その一つの鮮明
な現象が国策捜査である。国策捜査が頻発する国家とは、政治的には警
察国家に変わりつつあることを示し、経済的には新自由主義の到達点で
ある「夜警国家」に向かっていることを示している。通常、警察国家と夜警
国家はその意味合いが異なるが、我が国の場合は、奇しくもその両者が
同時発生的に進行し、急速に国家的求心力が疲弊している。行き着く先
は、顔と国籍を失った流浪の民が弓形の土地にいるだけという荒廃の近
未来世界である。今の日本人は三島由紀夫が37年前に予見したとおり、
急速な無国籍化に向かっている。

 さて、「国策捜査」という言葉は、2005年に出た佐藤優氏の「国家の罠」
を読んで初めて目にした。背任と偽計業務妨害の被疑者となった著者を取
り調べた検事が使用した言葉となっている。この言葉が以前からあったの
かどうか、私は寡聞にして知らないが、最近では国策捜査が有名になった
ために、ネットではこれから派生した「国策逮捕」という言葉まで同義的に
使われ始めている。今ではこの言葉は定着しつつあるように思う。国策捜
査はいわゆる冤罪とは決定的に異なる構造を持つ。

 佐藤優氏の言に従えば、「冤罪」とは、捜査当局が犯罪を摘発する過程
で間違いが生じ、無実の人を犯人としてしまったにもかかわらず、捜査当
局の面子や組織防衛のために、強引にその人間を犯人として継続捜査を
して行くことである。これに対して、国策捜査は国家の「自己保存本能」に
より、国家の政策方針を変えうるような多大な影響力を持つ人間を、初めか
ら狙い撃ちし、検察を媒介にして政治的な事件や不名誉な事件を創出する
ことである。(「国家の罠」300項参照)  

 私は国策捜査をこう捉えている。国策捜査とは、時の政府が推し進める
政策上のトレンドに対し、そのベクトルを変えうるような大きな影響力を持
ち、政府が思い描く時代形成に反する方向性を持つ学者や政治家を狙い、
その言論を世論的に封じる目的で行なう恣意的な捜査のことである。その
目的は、時代のけじめをつけるために、何か象徴的な事件をでっち上げ、
時の政府の政策トレンドに異を唱える影響力のある人間を、検察が主体と
なって恣意的に断罪するということであろうか。

 佐藤氏を取り調べた検事の言によれば、国策捜査は冤罪ではなく、これ
というターゲットを見つけ出して、そのターゲットの隙を見つけ、それを徹底
的に揺さぶって国家の罠に引きずり落とすことである。そのターゲットにな
る人物はその道の第一人者であり、その言論表現を放置すると、時の政府
のマクロ的な国家運営に甚だしい阻害要因となる能力を有している。従っ
て国策捜査とは、国民に時代が変わったことを印象付けるために、旧時代
を代表する人物を、もはや不要な者として、あるいは新しい時代に有害な
考え方を持つ者として、その人間を象徴的な人身御供とする国家の断罪行
為と言えるだろう。

 植草氏の逮捕劇を、有名な経済アナリストが痴漢性癖で捕まったと世間
が面白おかしく騒いでいた時、私は彼の経済学者としての自己同一性と、
小泉政権時代の国家的グランドデザインとの整合性という観点からその逮
捕劇を捉えなおしてみた。植草氏は経済学者ではあるが、その経済学的
視点は徹底して政治に反映されてこそ意味があると考える実戦派エコノミ
ストに位置している。つまり植草氏は衒学的な経済エッセイストではなく、
国家の政策中枢レベルに影響を与えうる提言と予見ができる非常に稀有
なタイプのエコノミストなのである。

 以上の視点から、植草氏の二度にわたる逮捕事件を読み直すと、報道
機関によって大衆に印象付けられた彼の「常習的な痴漢性癖」という人間
像はにわかに怪しい様相を帯びてくるのである。植草氏の病的常習性を強
調する評論家には宮崎哲弥氏や弁護士の橋下徹氏などがいる。彼らは植
草氏の病的常習性を指摘するに止まらず、薬による治療にまで言及してい
るから悪質である。植草氏の病的常習性を確認するようなできごとは何もな
い。このような一方的な決め付け表現がテレビや週刊誌で大手をふるって
まかり通る現実がある。しかし、冷静に振り返ってみればわかるが、二度
の植草事件に共通することは、それぞれの初期報道に植草氏側の弁明が
ほとんど出てこなかったということである。

 二度とも、警察からマスコミにリークされた第一次情報に強いバイアスが
かかっていたのである。その情報ソースが第二次情報として、各メディアか
ら発表された時は、植草氏側の弁明がほとんどないに等しい状況であっ
た。この初期報道のバイアス、つまり報道に反映される加害者と被害者の
言い分の非対称性を見ると、この事件には検察あるいは警察を通して、あ
る種の策謀が働いたことを充分に思わせるものがある。このメディアの偏
向報道に関しては、「植草事件の真実」という本に、私が詳しく書いてある。


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2007年2月15日 (木)

リチャード・コシミズ本・第二版情報

★リチャード本情報          <<作成日時 : 2007/02/13 22:44 >>

http://richardkoshimizu.at.webry.info/200702/article_18.html

( 改訂版 植草事件に関する項目追加!!)

Vfsh0128

「リチャード・コシミズが暴く 911自作自演テロとオウム事件の真相」 
第二版

第二版は、204ページ (初版は190ページ)。なにが増えたかというと、

1)安倍鮮三の犯した悪行と今後の悪行の予定
2)植草事件に見る日本の腐敗度

が追加になったわけです。あとは、間違いを訂正したのと、若干、記述
内容に手を加えました。(指摘のあったところをわかりやすくしたなど。)

1)第二版をご注文の皆さん、2月14~16日には到着します。郵便受け
  から速やかに回収して、貪り読んでください。長らくお待たせしてすい
  ませんでした。

2)紀伊国屋新宿本店には、実は最後の第一版(オレンジ色の表紙)が、
  まだ数冊、平積みとなっています。(おそらく、まだある?)初版マニ
  アの方は、これが最後のチャンスです。明日以降は、第二版(青の
  表紙)となります。

3)鹿児島・熊本の皆さん、リチャード本第二版30冊が、2月16日、鹿児
  島阿久根のブックセンター書林に入荷します。第三セクターに乗って、
  買いにいってください! 

4)稀少本専門店、模索堂さん(新宿)にも第二版を置いてもらうことにな
  りました。明日以降です。よろしく。

5)2月17日の東京秋葉原の講演会でも、第二版を販売します。本だけ
  買いに来てもいいですよ。(人気トップの植草本も販売あり。)尚、
  講演会では、ワールド・フォーラム8,12,1月講演DVDも販売。(2500円)
  あとはちょっとややこしいので当日説明。

来てください!

6)リチャード・コシミズ後援会「独立党」の正式サイトは、こちらです。

http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/dokuritu.htm


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2007年2月13日 (火)

アマゾンにレギュレーション?!

 さっき、楽天ブックスのランキング・サイトを覗いたら、『植草事件の真実』
がデイリーでトップに、ウィークリーで第二位のランキングになっていた。ま
た、本の総合ランキング・ベスト100ではやはり一番になっていた。

http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/08gakumon/best.html

 しかし、ネットの大手であるアマゾンでは『植草事件の真実』を検索しても
まったく出てこない.。楽天ブックスでは上位に出ても、アマゾンで存在しな
いのはなぜだろうか。我々が知らない業界特有の慣行があるのだろうか。
それはそれとして、アマゾンでは時々おかしなことが起こるようである。

 たとえば、一昨年は関岡英之氏の「拒否できない日本」(文春新書)とい
うアメリカ発「年次改革要望書」の実態を鋭く暴いた画期的な本が、定価
700円に対して、稀少本扱いと言うのか、かなり高額の値段が付いてい
た時期があった。この本は2004年に初版本が出ているが、内容はアメリ
カによる日本改造の実態であり、それは衝撃的なものである。

 ところが発売の翌年、つまり一昨年の2005年は郵政民営化騒動が起
きた年であり、この本はアマゾンでは値段的に入手しにくい状況になって
いた。しかし、今は適正な値段で手に入る。この値段の変動は郵政民営
化騒動の時局と何か関わりがあるのだろうか。アマゾンでは、アメリカの
対日政策の真相が書いてある本は、対米関係が微妙な時期に差し掛か
ると販売したくないのだろうか。

 これと似たようなことが、植草一秀氏の本『ウエクサ・レポート 2006年
を規定するファクター』
にも進行しているようである。今見たら3000円
よりになっている。これは定価が1800円である。この本はたしか2005
年の12月に出た本だから、まだ一年ちょっとしか経っていないし、出版
社に問い合わせたら在庫は相応にあるそうだ。なぜ稀少本扱いになって
いるのだろうか。

 勘ぐれば、この本の内容には私が本ブログで展開しているように、完全
に米国の傀儡と化した前政権への批判が随所に出ているからであろうか。
アマゾンはディープな米国批判に関する書籍に関しては、その販売にレ
ギュレーションをかけているのであろうか。ちょっとした謎である。


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2007年2月12日 (月)

売国プロジェクト政権に憎まれた植草一秀氏

 

  ◎りそなインサイダー取引に関わる経済疑獄は、
  これから起こる郵政資金奪取のプロトタイプと
  なっている

   
  小泉純一郎前総理や竹中平蔵前金融相は、ミルトン・フリードマンが志
向した新自由主義の重要な掟である「自己責任原則」を旗印に構造改革
をぶち上げ、国民を扇動して強引に売国型の政策を推し進めてきた。その
結果はどうなったのか。老人や身障者への福祉の圧倒的後退、極端な所
得格差社会の現出、毎年三万人を越える自殺者は減る気配がまったくな
い。そして投機しか眼中にない外資の跳梁跋扈。我々の国はいったいど
うなってしまったのだろうか。

 小泉政権の欺瞞性を最もあざやかに示していたのが、2003年5月のり
そな銀行の国家救済であった。小泉・竹中の構造改革路線は、この銀行
の救済に預金保険法第102条を適用したが、その第一項には第一号措
置と第三号措置があり、彼らは第一号措置を選んだ。小泉政権の頑強な
基本理念から言えば、当然第三号措置が取られていなければならなか
った。しかし、彼らはあえて第一号措置をもってりそなに政府資金を注入
したのである。植草氏はこれがこの内閣の欺瞞性をあらわす象徴的な
事例であると語っている。以下は植草氏の説明である。我々一般人に
は耳慣れない世界の話であるが、重要なので我慢して読んでいただき
たい。

****************************************************

  預金保険法102条は「抜け穴規定」を有する条項である。第1項に第1
号措置と第3号措置が規定されている。当該金融機関の自己資本がマ
イナスに転じた場合、すなわち債務超過の場合は「破綻処理」になる。こ
れが第3号措置である。これに対して、自己資本が規定を下回っても、プ
ラスを維持する場合は「破綻前資本注入」が実施され「救済」される。こ
れが第1号措置である。りそな銀行には、第1号措置が適用されたので
ある。

 この措置が人為的に選択されたことは間違いない。「破綻処理も辞さ
ぬ」と言いながら、結局は「破綻処理ではない救済」が選択されたのだ。
この時点でりそな銀行を破たん処理していたなら、日本は間違いなく「金
融恐慌」に突入したはずである。この懸念があったからこそ、株価は暴落
していたのだった。(植草一秀 2006.06.25第10回「失われた5年-小泉
政権・負の総決算(4)」より抜粋)


***************************************************

 りそなの場合、この「預金保険法 第102条」において、自己責任原則で
行けば、第3号措置の「破綻処理」を適用するはずの局面であった。ところ
が、実際は第1号措置の「破綻前資本注入」が適用されたのである。政府
のこの判断を、金融恐慌を回避するための切迫した応急的措置であり、そ
れは当然な対応だったと片付ける人もいた。

しかし、その考え方こそ、日本人が金融政策に疎いということと、小泉構造
改革の欺瞞性を自覚していないことの何よりの証拠なのである。単純に目
の前の現象を見て、りそなが破綻すれば連鎖的に他の有力銀行に波及す
るから、それは何としても未然に防がなければならない、だからこの場合、
第1号措置の「破綻前資本注入」はやむを得ないではないかと見た人が圧
倒的に多かった。

 問題はそこである。考えてみてもわかるが、もしそうならば、なぜそこまで
株価の暴落を起こす政策を掲げ、それを強硬に実行してきたのかという、
それまでの経緯への当然の疑念が湧いてくる。なぜなら、それこそが小泉
構造改革の基本テーゼだったはずである。国民がマインドコントロールを
受けていることは、その疑問をスルーしてしまったことによくあらわれてい
た。
 
 小泉構造改革の骨子である自己責任原則、この一大テーゼを平然と自
己瞞着しておいて、次のステップに進むこの政権の異常な本質こそ、小泉
政権の売国姿勢を端的に示しているのである。国民はそのことをきちんと
問いかけるべきであったのだ。実際のところ、小泉政権はその時点で完全
な政策上の失敗を露呈していたのである。

 金融恐慌は最も恥ずべき政策の失敗であり、国民を窮地に陥れる大罪
である。それを回避するために使った手法が、小泉たちが忌み嫌っていた
ケインズ的財政出動であった。簡単に言えば「大きな政府」の手法である。
ここに小泉構造改革のテーゼは完全に崩壊し、内閣総辞職になるはずで
あった。ところが、マスコミはりそな救済劇の肝心な真相を世論に訴えるこ
とをしなかった。そのせいで、小泉たちは政権崩壊を免れたのである。

 小泉ー竹中構造改革路線がいかに欺瞞の政策であったのか、それは
「構造改革」という曖昧な言葉で国民をごまかし、その本質が実は、アメリ
カが1970年代に国内政策として完全に失敗した典型的な「新自由主義
(ネオリベ)」による経済政策であったことをひた隠しにしていたことにある。
この政権運営を司った当事者から、小泉構造改革がネオリベ・モデルであ
ることは一切説明されていない。あたかも、そのことが知られることを忌避
していたかのように。しかも、マスコミは良心的な経済学者がテレビなどで、
小泉構造改革の本質がネオリベだということを説明することを、一切封じ込
めたのである。

 りそな救済劇には植草氏が指摘するように、政府がらみ、米国外資がら
みの巨大なインサイダー疑惑があるが、自己責任原則をなりふりかまわず
放棄したことに、小泉政権の欺瞞の本質が露呈されているのである。りそ
な救済劇の本質を彼らは必死にごまかし、臆面もなく政権を運営し続けた。
二年後に目論む郵政民営化法案の実現に向けて、彼らは政策の失敗を
体よく糊塗し続けたのである。私はほとんど確信に近い思いがある。植草
事件は明らかにでっち上げであり、「国策捜査」そのものである。その国策
捜査の理由は、前政権が植草氏に「りそな騒動」の背景を経済政策的に
語って欲しくないところにある。

 もし植草氏がことの真相を語って、小泉政権の欺瞞性を国民に知ら
せれば、反小泉、反竹中の世論が沸き起こり、内閣は引責総辞職す
るか、無力化に追い込まれていたはずである。そうなると、小泉政権
は「年次改革要望書」に従って行う郵政民営化の約束をアメリカに対
して果たせなくなる。小泉政権の主たる目的は郵政民営化にこそあ
ったからである。だからこそ、その最大の妨害因子として働く、植草
氏の言論を止めたのである。それが、品川駅構内における手鏡でっ
ち上げ事件の真相である。

 そして、今回の京急電車の痴漢でっち上げ事件であるが、これも郵政民
営化と大いに関係がある。郵政事業は、2007年10月に郵便事業会社、郵
便局(窓口ネットワーク)会社、郵便貯金銀行、郵便保険会社の4事業会社
に分割し、持ち株会社化する。そのあと2017年までに完全民営化に移行す
ることになっている。四事業会社に分割されて持ち株化するのは2007年の
10月からである。植草氏が痴漢冤罪に遭遇したのが、2006年9月、このタ
イミングも重要である。

 植草氏は品川駅での事件があってから、また精力的に活動を再開し、小
泉政権のペテン性とりそなインサイダー疑惑を展開し始めていた。ここで、
彼の政権批判が世論に伝播した場合、アメリカの悲願である郵政民営化
が瓦解するおそれがあったのである。つまり、植草氏の言論によって、国
民が郵政民営化の真相に気付き、この法案の執行を停止、振り出しに戻
すおそれがあった。そのリスクを回避するために、植草氏は再びその口を
封じられてしまったのである。

 植草氏は品川駅で手鏡事件を仕立てられ、捕縛の仕打ちを受けたのが
2004年4月8日である。ここである出来事と奇妙な一致を見せていることが
ある。郵政民営化に関わる年次改革要望書(The U.S.-Japan Regulatory
Reform and Competition Policy Initiative)が正式に日本に提出されたの
は2004年の10月14日である。しかし、そのことについて米国と日本政府
が頻繁に会うようになったのはもっと前である。竹中平蔵が率いた「郵政
民営化準備室」とアメリカの政府及びその関係者が、18回も重ねて協議を
行ったのであるが、その第一回目が、なんと植草氏が手鏡事件として嵌め
られた4月からなのである。これは偶然の一致ではない。(小林興起氏の
「主権在米経済」参照)

 日本郵政事業の民営化を熱烈に要望したアメリカが、その実現を阻む
最も熾烈な抵抗勢力として筆頭に掲げた人物、それはいったい誰であった
だろうか。私は確信を持って言うことが出来るが、その人こそ植草一秀氏な
のである。よく考えてみて欲しい。植草一秀氏がこの時点で、もし、小泉構
造改革の欺瞞性を叫び、りそな実質国営化顛末の真相を国民に向かって
解説していたとしたらどうだったであろうか。それは小泉政権の欺瞞性を国
民に完璧に悟らせてしまうことに繋がったのだ。そうなれば小泉内閣は必
然的に引責総辞職を迫られる。これを阻止するために、アメリカと黄色い肌
の米国エージェントたちは植草氏の口を封じたのである。

 そして、その冤罪の衝撃から、山崎行太郎氏や日本経済復活の会等に
よって引き上げられ、やる気を回復した植草氏が、再び小泉政権の巨大な
欺瞞性を語り始めたのが昨年の前半から京急の痴漢でっち上げで逮捕さ
れた9月まである。この時期に植草氏が再びでっち上げ事件に遭遇したの
は、政権が安倍晋三に移り、またもや今年の10月に決行される郵政民営
化稼動に向けての大事な時期であるからである。

 つまり、植草氏が嵌められた二度の冤罪事件を時系列的に眺めてみる
と、米国とそのエージェントたちが、郵政民営化遂行に向けて計画を押し
進める大事なタイミングであったことが見えてくる。国民は目覚めなければ
ならない。小泉構造改革はペテンであり、郵政民営化は国富流尽の目的
で拙速に行われた売国法案であることに気が付かねばならない。植草氏
がりそな問題を重点的に語ったのは、前政権の構造改悪を国民に知らせ
ることによって、この国益毀損の政策を停止させ、国民利益の確実な政策
に切り替える世論を巻き起こすためだった。植草一秀という人物は間違い
なく救国のエコノミストなのである。

 この人物を無実の罪のまま放置したら、国家の行く末は暗澹たる荒廃に
向かうだけである。国民が自分たちや子孫の幸福を願うなら、植草一秀氏
をいわれなき不名誉の身から解き放ち、なるべく早急に彼を国政の壇上に
乗せるべきである。これは個人の問題ではない。植草氏を救出することは、
今陥っている国家の悪しき潮流をよい方向へ変えることにもなる。ことは一
経済学者の命運だけではない。彼の名誉を取り戻すことこそ、国家の命運
を正しい方向に戻すことに繋がるのである。

 日本人には悠久の時間が培った日本人特有の生き方があるのだ。経済
もその流れから、日本特有の経済体制が生まれて当然だ。これをネオリベ
で破壊することはけっして許されることではない。したがって、日本固有の
経済構造を、アメリカの介入で全否定することは、国民の不幸を招くだけで
あり、日本の未来がつぶされてしまうことになる。

植草氏の問題にはこういう重要な背景があるということを汲んで欲しい。


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2007年2月11日 (日)

旧弁護団解任の背景を推測

  以下はリチャード・コシミズさん率いる独立党の党員Fさんが、第四回
公判を傍聴して書いた弁護士解任の記事である。党員Fさんとは一度
お会いしたことがある。

*******************************************************

■植草裁判に新展開 

「不信の」弁護団解任し、意見陳述仕切り直し  2007年2月09日 
 
電車内で痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の容疑に問
われていた元大学教授植草一秀被告(46)の公判が、9日、東京地裁に
て行われた。元々被告質問が予定されていたこの日の審理だが、植草
被告が前日8日付けで当初からの弁護人4人を解任。これにより、新しい
弁護団が結成されるが、次回2月28日公判では、これまでより被告の真
意に近い形での冒頭陳述が行われると見られ、注目される。

 植草被告は8日自身のホームページ上で、旧弁護団とは「弁護方針を
巡って当初より溝を感じていた」と表明。旧弁護団の解任が遅れた理由
としては、勾留期間が同種の容疑としては異例の4ヶ月の長期に及んだ
結果、裁判を戦う上で必要な情報が被告自身に欠落していたことを挙げ

ていた。

 3~4人で編成される見込みの新弁護団だが、この日の公判にはその
うち一人のみ出廷。次回に行う主張・立証方針陳述について「新たな証拠」
提 出の予定にも触れた上、冒頭陳述30分、全体で2時間程度の所要時間
が必要との見通しを述べたところ、神坂尚裁判長が「え?そんなにかかり
ますか?!」と 驚きの声を漏らす場面があった。
 
 この日の審理を見る限り、「現状すでに、被告人質問に移るのも十分な立
証状況」というのが裁判官、検察側とも共通の見解。それだけに新弁護人
による長時間の冒頭陳述は実に意外との反応だが、同裁判長による「遅く
とも開廷45分後の2時までには終えて欲しい」との要望に対しては、新弁護
人は 「努力する」と答えるにとどまった。

 植草被告の冤罪の訴えを支援する、パロディストのマッド・アマノ氏:
「今までの弁護士は、やる気のない態度があまりに露骨だった。(今回の
弁護士解任は)
本人(=植草被告)が思い切って、よく決断したと思う」
 
     党員F

http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion2/top_test3.html

*******************************************************

雑談日記で、SOBAさんが植草氏による弁護団解任の動機を推測してい
た。

http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2007/02/post_9952.html

ここでSOBAさんの奥さんがいみじくも言及されているように、弁護団は、
ネットに支援の広がりが起こっていたことを正確に伝達していなかった事
が大きいと思う。これについては、私たち「支援の会」独自の情報からも、
そのことをある程度は裏付けることができる。

 我々支援の会の一人が、旧弁護団のある弁護士に時々電話を入れて
いたが、最近になって突然、彼の電話番号が拒否扱いされ、彼は「何とい
う侮辱だ」とかなり憤慨していた。この事実は、この弁護団が我々「支援の
会」をあからさまに嫌っていたことを裏付ける証左以外の何物でもない。加
えて彼らが「私服の男性」発言を不自然にスルーしたことも私は絶対に忘
れない。

 なぜ彼らが「私服」を無視したのか、推測ではあるが、彼らは人権派弁護
士であるから、「私服」などという「国策捜査」の領域に関する内容には努め
て触れたくなかったのかなと思う。SOBAさんがずばり指摘してるように、こ
の植草氏の「でっち上げ」事件は政治的な背景を展望できる弁護士さんじゃ
ないと無理である。

 正直に言ってしまえば、植草さんは優しい方だとか、子供の頃は弱者を
いたわる子供だったなどと言って擁護している者たちにとっては手に余る背
景を有している。同様に弁護士について言うなら、これは人権感覚の弁護
範疇だけでは手に負えない深さと重さを持っているのである。植草さんの
背景には政治的国策的な思惑がずっしりと絡んでいる。

 つまり、時の権力に嵌められたという前提でのみ、この事件は初めてそ
の全貌を現すのである。


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飯島さん、植草氏へのお詫びを忘れていませんか?

◎飯島さん、これって贖罪意識なのかな?!

*************************************************

ゲンダイ・ネットより

2007年02月09日 掲載
飯島元秘書官“夕張市長選出馬”

 財政破綻した北海道夕張市。4月に市長選があるが、手を挙げる人がい
ない。そんな借金自治体の首長に小泉前首相の秘書官、飯島勲氏(62)が
名乗りを上げた。本人は日刊ゲンダイ本紙の取材に「誰も立候補しなけれ
ば、私が立つ。政府は再チャレンジと言っているが、霞が関の役人は知ら
んぷり。再建のお手伝いをしたい」と話す。
************************************************

何なんだ、いったい、このニュースは?この話をカーラジオで聞いたとき、
私はしばらく唖然とした思いがした。飯島勲前書記官と言えば、小泉政権
の「陰の実力者」と呼ばれた男である。竹中平蔵氏や中川秀直氏などと同
様に、小泉官邸主導型政治の重鎮の一人であった飯島氏が、憂国の思い
から夕張市の建て直しを自ら働きかける言明をした。

飯島氏による夕張市再建表明は一見、素晴らしい心がけのように見える
が、はたしてそういうものなんだろうか。私にはとっては、これほど奇異な表
明はない。なぜなら、彼は小泉ー竹中構造改革プロジェクトの政策推進に
あたる中心的存在だったはずである。今から二十年くらい前、日米構造摩
擦が激化していた当時、軍事的には完全な片務性にあった我が国だが、
少なくとも経済に関してはまだ米国に対して双務的な関係性を保持してい
た。つまり、当時はまだ言いたいことは言えたのである。

 ところが、プラザ合意辺りからその関係性は露骨な非対称性を示し、宮沢
クリントン会議からその関係は完全に崩され、片務的な傾向がいっそう強く
なっていた。そして小泉政権に至っては、日本政府は完全に米国の傀儡政
権と化した。片務的というよりも完全に強制指令書と化した「年次改革要望
書」をご本尊と崇める小泉政権は、国民にはそのことを隠し、ひたすらブッ
シュ政権に貢ぐような形でその年次改革要望書の実践に邁進したのであ
る。

 この「小泉ー竹中構造改革プロジェクト」の実態が、「年次改革要望書推
進プロジェクト」であったことは間違いない。このプロジェクトを政治力学的
な推進本部として動かしていたのが飯島勲元秘書官その人であったと私
は記憶している。このあとすぐに言いたいことはあるのだが、ダイレクトに
言ってしまうと私が危ないのでやめる(笑)。少なくとも(笑)、官邸主導を強
引に推し進めてきた人物たちが、政敵やアンチ竹中経済政策を提言する
人物を疎ましく思い、何らかの『対策』を講じたとしても不思議なことではな
い。(う~ん、自分の表現が歯がゆいがこの程度にするのは仕方がない、
笑)

 官邸主導の中心に居た勢力が、アンチ小泉を標榜する者へ『ある種』の
攻撃を仕掛けた可能性はないのか?つまり西村眞悟議員やエコノミストの
植草一秀氏の活動を封じた可能性はないのか、という捉え方が、私がここ
で展開する「国策捜査」疑惑の中心になっている。飯島氏がそれに加担し
たとはもちろん言わないが(笑)、彼がそういう「アンチ小泉対策」と、まった
く無縁だったとは私には到底思えないのである。知る立場にあったんで
は?と考えるのが妥当だろう。だが、あくまでも可能性としてだが。

 その飯島氏が新自由主義社会の現象的荒廃として最初に出てきた地方
都市の再生を願うことが、私には奇妙としか映らない。夕張市を建てなおす
憂国心情がおありなら、そもそも小泉政権が進めた新自由主義(ネオリベ)
政策に対し、秘書官の立場から反対意見を小泉総理に提言するか、自ら
官邸を去るべきであっただろう。ところが実際は官邸主導を強力に推し進
めてきて、安倍政権に移行した後で財政破綻した夕張を復興するプロジェ
クト構想をぶち上げても説得力はまったくないのでは。

 それって、自らが犯したことに対する贖罪意識なのか。小泉政権は徹底
した反国益政策であった。卓越した洞察力を持つ植草氏は、その姿勢に
初期から気付いていた。植草一秀氏は果敢にも小泉政権を批判し続けた
のである。そして彼は国策捜査の毒牙にかけられた。飯島さんご自身が、
植草氏を嵌めた張本人とはもちろん言わないが、少なくとも、当時の官邸
が、反小泉派に何らかの対策をした事実は知る立場にあったと思う。

 したがって、もしそうなら国益擁護を基本にして経済政策提言を行なって
いた植草さんに謝罪する方が先なのではないだろうか。「夕張破綻」に贖
罪意識があるのであれば、西村眞悟氏や植草一秀氏にお詫びを表明す
るのが自然なことではないのかなと思う。地方都市の荒廃はネオリベ実
践の帰結である。米国に隷従してこれを推し進めた者たちが悪いのであ
る。その勢力の中心に位置していた飯島さんが、ネオリベ推進の責任を
夕張市再建に向けるなら、それに併行して、植草氏に謝ってもらいたい
と思う私なのであった。

 昨日、東京へ出たとき、帰りに八重洲ブックセンターを覗いてきた。政治
社会のコーナーには竹中平蔵氏の本や飯島勲氏の本が所狭しと置かれ
てあった。あなた方はいったい何をそんなに高らかに謳歌したいのか?
大和朝廷の国にネオリベ体制を敷設した喜びなのか?アマテラスの怒り
を畏れる心はないのか?

夕張市を建て直すのはけっこうだが、その前に植草氏の名誉を立て直
してもらいたい。


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2007年2月10日 (土)

これまでの弁護団を解任!

http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070209-154012.html

痴漢・植草被告が弁護人を解任

 電車内で女子高校生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条
例違反罪に問われた元大学教授植草一秀被告(46)の公判が9日、東京
地裁で開かれ、神坂尚裁判長は植草被告が8日付で弁護人を解任して新
しい弁護人を選任したとして、9日予定していた被告人質問を3月28日に
延期した。

 2月28日にも公判を開き、新たな弁護人が冒頭陳述を行う。

 植草被告は昨年9月13日夜、京浜急行品川-京急蒲田間を走行中の
電車内で、女子高校生のスカート内に手を入れ、下半身を触ったとして起
訴された。昨年12月の初公判で無罪を主張した。

[2007年2月9日12時18分]

*************************************************

昨日は第四回目の公判が開かれた。所要時間はわずか30分である。今
までの弁護団が解任された。四人の弁護団解任の経緯は知らないが、私
にはその理由はおよそ見当が付く。

 第二回公判で、目撃証人が思わず発した「私服の男性」について、弁護
人たちは何の追求もしなかった。このことだけでも私には彼らに相当の疑
念と不服を持っていた。この時、もし勝利を意識する弁護士であったら、
「私服」を徹底して追及するべきであった。

 植草氏の事件は前政権筋による明らかなる「国策捜査」であり、背景は
大掛かりである。これに弁護団が怯惰した、あるいはその他の理由で植草
氏の弁護にやる気を喪失したという感じであろうか。しかし、今後はよい方
向に行ってくれればと切に願う。

 植草事件に対して、これはただの冤罪であり、深い政治的な背景がない
と頭ごなしに思い込んでいる自称「擁護派、支援派」に対しても私は強い
疑念がある。わずか二年半の間で、二度も個的な冤罪が生じる確率は極
度に低いはずである。

 それが実際に起きたことに対して、通常の個的な冤罪だと主張し続ける
根拠とはいったいなんだろうか。その連続性を謀(はかりごと)以外のどう
いう説明で納得させるというのだろうか。このただの冤罪説で植草氏が蒙
った「常習的性癖」説のイメージ操作をどうやって払拭するというのだろう
か。

 このタイプの擁護派の中には、国策捜査に疑念があるかのような書き込
みをしている者がいるが、それならば、通常の意味における冤罪が二度も
起きた事実について正当な理由を提示して欲しいものである。それを提示
し得なければ、植草氏自身の「性癖による連続的犯意」説を覆すことは困
難だと私は思う。

 まあ、落ち着いたら、このタイプ、つまり情動的擁護派のいい加減さと有
害さについて、思いっきり叩いてみようと思っている。


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2007年2月 9日 (金)

リチャード・コシミズ氏講演会で、マッド・アマノさんが植草事件を語る!

2007年2月17日、リチャード・コシミズさんによる東京単独講演会におい
て、パロディ作家のマッド・アマノさんが特別ゲスト出演して「植草問題の
真相」について語ることになった。コシミズさんの新年会で、コシミズさん
とマッドさんが笑いながら「講演会でコラボしましょう」と言っていたから、
冗談だとばかり思っていたが、思いがけなく御両者のコラボレーションが
実現できて嬉しい。

 マッドさんは品川手鏡事件の時から植草一秀氏を信じ、その強い正義
感から彼を応援しているお人である。最近では、本ブログの管理人であ
る私も、マッドさんから世の中の多岐にわたる貴重な話題を伺う機会が
増え、大いに光栄に思っている。パロディ作家というものが、その作品一
つを表現するために、どれほど深い考察を行い、裾野の広い分野を渉猟
する博識を持たなければならないか、マッドさんにお会いして初めて知っ
た次第である。以下の記事はマッドさんの「THE PARODY TIMES」の
TOPICSから転載し、本の写真を付加したもの。

 『植草痴漢冤罪「デッチアゲ」事件の真相』

(1)演題 「痴漢冤罪事件の真相 

★<痴漢容疑>という名の恐ろしいワナ 
★植草氏が権力に狙われた真の理由」(30分)

   講師 マッド・アマノ

一回目の逮捕から「植草氏はやってない」と信じ、冤罪事件というよりむし
ろ「デッチアゲ逮捕=国策捜査」と睨み植草氏を支援している。
なぜ植草氏は4カ月という長期に渡る拘留を強いられたのか?それには明
確な理由がある。1月25日、2月9日の公判傍聴の模様などを含めて真相
に迫ります。

当日、以下の書籍を即売します。

 ★「リコール!小泉鈍一郎」(マッド・アマノ/著)特価1000円
     (※この本は、安倍さんが幹事長時代に通告書を突きつけてきたとい
   ういわくつきの本である。2004年の8月に刊行されているが、この時
   期の小泉政権をここまでパロディにする著者の胆力には驚く )

     Photo_23

  ★「植草事件の真実」(植草一秀事件を検証する会/編著)ナビ出版 
(緊急出版!)

        Photo_25

(2)演題
「リチャード・コシミズが解析する日本と世界の秘匿された構造」(2時間)
講師 リチャード・コシミズ
主 催 リチャード・コシミズ後援会 「独立党」
911とオウム事件は、世界を裏側から支配する強大な権力が、その醜悪な
姿を少しばかり露呈した瞬間でした。911とオウム事件を深く追及すること
が、彼らの更なる目論見を暴き、阻止し、人類を危機から救うことにつなが
ります。数百年にわたって、彼らに騙され、殺戮され、搾取されてきた我々
大衆は、子孫のために、今、なにをなすべきか、一人一人が自覚し、行動
に移さなくてはなりません。もう余り時間の余裕はありません。

リチャード・コシミズが、2時間たっぷり時間を使って、911とオウム事件を解
析し、背後に潜む巨悪の正体と目論見を暴きます。過去の講演では時間
切れで、解説しきれなかった部分にもたっぷりと時間を割き、なにが世界の
真実であるのかを明確にします。2時間の講演のあとには、参加者の方か
らの質問の時間も一時間弱設けてあります。
日 時  

2007年2月17日 (土) 14:30 ~ 17:30 

場 所 

TKP秋葉原ホール (東京都千代田区岩本町3-3-6井門岩本町ビル
7F)

アクセス  

JR秋葉原駅 昭和通口徒歩5分 都営新宿線 岩本町駅 A4出口徒歩
1分 東京メトロ日比谷線 秋葉原駅4番出口 徒歩4分 MAP

定 員  

150名 (満員の場合、受付を締め切らせていただくことがあります。)

参加費用 

①事前予約 一般 3000円 。
②事前予約 賛助会員 3000円 (後援会入会の方。ただし、当日、会場
  にて500円返金しますので、実質2500円となります。)。
③当日参加 一般 4000円 (当日一般参加の方は、匿名で入場できま
  す。ただし、事前予約で満員の場合はご容赦ください。) 
④当日参加 賛助会員 4000円 (後援会入会の方。ただし、当日、会場
  にて500円値引きしますので、実質3500円となります。) 

詳細は「リチャード・コシミズ」でネット検索願います。

以上、リチャード・コシミズ後援会「独立党」事務局

http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/2.17kouenkai.htm


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2007年2月 8日 (木)

アメリカの悪を見抜けない日本

 普段お世話になっているMad Amanoさんからこういうメールが今届い
た。ある弁護士さんからMadさんに来たメールだそうです。

******************************************************
         (転送・転載は大歓迎です)
ズビグニュー・ブレジンスキーといえばアメリカ・カーター大統領の補佐官だ
った人物としても、国際政治学者としても著名ですが、彼が去る2月1日、
米上院外交問題委員会で、ブッシュがイラン侵略の口実を探している、9.11
のようなテロが発生するかもしれない、と警告を発しました。アメリカの大マ
スコミは、無視を決め込んでいますが、今、このニュースが世界を駆けまわ
っています。詳細は、以下にアクセスしてください。

http://www.asyura2.com/07/war88/msg/499.html
http://www.asyura2.com/07/war88/msg/525.html
http://www.asyura2.com/07/war88/msg/593.html

 それにしても、このようなアメリカの動きを知れば、このようなアメリカと運
命を共にするという憲法改悪がいかにナンセンスかはよくわかると思いま
す。あの小林よしのり氏が憲法改悪反対に立場を変えたようです。

『SAPIO』2月14日号68頁で、「憲法改正が『自主独立』のためでなく、『日米
同盟の強化』のためのものであり、米国の属国化を進めるものならば、わし
は『護憲派』にはならないが、『現時点での憲法改正に反対』の立場に回ら
ねばならない!」と述べています。誠に立派な発言だと思います。

*********************************************************

私自身も「日米同盟」強化のための憲法改正は大反対である。なぜなら
国民同胞の自衛隊がアメリカの傭兵と化し、アメリカのために血を流すこ
とが歴然としているからである。

 これは自主憲法策定の精神から思いっきり背反している。国家国民の
防衛を前提にしないで、日米同盟という宗主国と植民地の結託同盟のた
めの憲法改正は亡国へ向かう急坂を滑り落ちるようなものである。

 同盟とは銘打っているが、その内実はカルタゴとローマ軍の欺瞞の関
係そのものである。この欺瞞の平和はカルタゴ(日本)滅亡の前奏曲な
のである。


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「植草事件の真実」増刷決定

 新刊本「植草事件の真実」は、思いのほか売れ行きがよくて、各地で
売り切れた書店が続出したため、今日、出版社の方で増刷を決めました。

 これからは求めやすくなると思います。楽天ブックスの「人文、哲学、社
会」ランキングでは、現在第3位になっています。

  http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/08gakumon/best.html

Photo_17

 裏側
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2007年2月 7日 (水)

詐術的構造変換の狭間で翻弄された植草一秀氏

 佐藤優氏の「国家の罠」を読んでみて初めて知ったが、可罰的違法性(か
ばつてきいほうせい)という言葉がある。「可罰的違法性を欠く」というの
は、刑法で刑罰をもって処罰する程度の違法性がないということである。他
人の畑から土を一握り持ってきたとか、時速40Km/hの道路で40.1Km/h
の速度で運転したとかいう範囲の超微罪のことを考える場合である。厳密
には違法性があるが、世間の常識では犯罪の範疇に入らないという類のも
のであるらしい。人間は日々生きる上で、こういうレベルの「微犯罪」は必ず
やっているものである。

 ところが、官憲がある人物を恣意的に逮捕したい時は、この可罰的違法
性の境界線というか、そのハードルを下げ、普段では世間が見逃すような
ことでも、犯罪としてむりやり確定する場合があるように思えてならない。そ
の法律的な厳密性がどうなっているのかわからないが、私のドシロウト的解
釈によれば、世間的には問題視されないような軽微な犯罪を、あえて恣意
的に拡大解釈することによって「立派な一人前の犯罪?」として持って行く
ことであろうか。

 私の頭のレベルでは、その説明はしにくいが、どこからが罰するに値する
犯罪と看做し、どこからがそうは看做さないという線引きは、実際的には法
律という厳密な物差しによるものではなく、その時々の世間の空気みたい
なものでファジーに変化しているように思えてならない。たとえば、最近、汚
職する奴らが増えてきたなぁという空気が強く出ていれば、議員さんがもら
う犯罪レベルの賄賂の額が引き下げられてしまうと感じている。

 一般的には、賄賂性があればその額如何にかかわらず、それは犯罪な
のであるが、10円や50円負担してもらっただけでは、世間的はそれを贈
収賄とは考えない。田中角栄の時代と現代では明らかに贈収賄の敷居は
変わっている。こういうことを素朴に考えると、ある人物に対し、またはある
出来事に対し、マスコミが恣意的に印象報道を行なえば、可罰的違法性の
線引きはそれによって変わってくるというのが私の見解である。

 専門的に法律をかじっている人には異論はあるだろうが、特に前政権下
において起きたこと、たとえば鈴木宗男議員や西村眞悟議員の逮捕の場
合は、本質論において、官憲がこの可罰的違法性を濫用した可能性は濃
厚だと私は感じている。鈴木宗男氏の場合は地元密着型の政治家で旧世
代的な政治家だと思われていた。

 完全な新自由主義体制を日本に敷設したい小泉政権から見れば、こうい
う土着的な日本型の政治家は邪魔で仕方がない。そこで、彼らを駆逐する
ために世間に対して行なったイメージ操作は、旧世代の政治家は利権をあ
さり、汚職にまみれた悪い存在だという印象付けであろう。小泉純一郎が
血道を上げた橋本派の一掃もそういう流れで行なっていた。さて、国策捜査
とは、佐藤優氏の著書を参考にして私流に言い換えれば、時代のけじめを
付けるために国家が行なう印象上の人身御供のことである。

 つまり、それなりの分野において、国策的にも影響を与えるような力量を
有する人間が、その時代の政権の方向性にとって阻害的性格を持つ場
合、その人間を悪の時代の象徴として、あるいは未来の時代には不必要
な人間として、世間に強くイメージ付けるために行なわれる人身御供が「国
策捜査」なのではないだろうか。それならば、なぜ私が植草一秀氏の二度
にわたる「でっちあげ」を国策捜査と位置づけたのか、説明をしなければな
るまい。

 簡単である。プラザ合意辺りから我が国の経済は米国の膝下に置かれ
る傾向が強まり、小泉政権下ではほぼ完全に米国の傀儡政権と化してし
まった。我が国を席巻した米国による奴隷化構造への変化は、GHQ時代
のような目に見える力の圧制ではなく、日本人自らの内発的意志で行なわ
れたかのように徐々に進行している。アメリカ「奥の院」の奸佞邪智は、日
本人から反発的なナショナリズムを惹起しないように極力注意深く行なわ
れたのである。それが関岡英之氏が指摘した「年次改革要望書」という日
米間の協議スタイルに端的に現われている。これを双務的だなどと言って
いる奴がまだ多いのには呆れ返る思いである。

 こういう流れの中で植草氏は亀井静香氏などと同様に、色濃く日本型経
済スタイルを踏襲する経済学者であり、横文字を使って申し訳ないが、日
本に残存する最後の正統派ケインズ主義者とでも言えるだろう。昨今の
日本は、グローバル・スタンダードを敷設する米国「奥の院」の知的戦略が
功を奏し、民族利益を色濃く内包するケインズ派の経済学者や政治家は
ほぼ完全に駆逐されている趨勢なのである。まさに経済学者の丹羽春喜
博士の言うとおりである。一昨年の郵政民営化総選挙で、構造改革という
「素晴らしい政策」に反対する悪の守旧派として、自民党の外へ投げ出さ
れた政治家にはこういうタイプが多かった。

 時代の変化には、自然に起こる流れと、もう一つは時の権力構造のパワ
ーゲームによって、恣意的に作られるものがある。今日本に起こっている
時代の変化は、明らかに米国発の意図によって起きていることにほかなら
ない。小泉構造改革とは、新自由主義経済体制へ日本の国家構造を変え
て、我が国の優良企業や優良資産を外国に安値で売り飛ばすためのシス
テム作りにほかならない。そのために日本の伝統文化や精神が根こそぎ
否定されかかっているのである。

 これが、我が国における時代の作為的変遷である。国民が騙されている
のは、この作為的構造変化が時代の自然な趨勢であると思いこまされて
いるところにあるのだ。この観点から植草氏のでっち上げ逮捕を考えてみ
ると、時代の詐術的構造がよく見えてくる。小泉や竹中は構造改革万歳を
大々的に喧伝したが、その内実が新自由主義(新古典派経済)であること
は一度も国民に説明しなかった。この事実は重い。なぜならそれを言えば
彼らが進める「改革」の詐術的構造が見えるからである。


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2007年2月 6日 (火)

身近に不穏な気配が・・

 「雑談日記」のSOBAさんが作ってくれた植草氏冤罪に賛同するバナー
を貼ってくれた67ブログの管理人さんたちにお伝えしたい。

 今日、私の自宅にお巡りさんが来て、家族に私のことを聞いたそうであ
る。たとえば仕事はどうしているかとか。身辺調査にしてはかなりの違和
感があったそうだ。これは、とうとう私も具体的な監視下に置かれるのか
なという感じがしてきた。そういえば日曜日の午前中も自宅のそばに不
審な車が行ったり来たりしていたのを私自身が確認している。

 「植草事件の真実」を発売したすぐあとであるから、目を付けられた可能
性は感じている。しかし、私には犯罪歴がないし、官憲に狙われるような
政治活動をしたこともない。もし、私が警察に目を付けられ、『何がしかの』
微罪で捕まることがあるとすれば、それは植草事件の背景を追及している
ことに関わっていること以外には考えられないことである。私を監視する者
が警察だけだったらまだ安心かもしれない。多分、命までは取らないからで
ある。しかし、たとえばそれが、闇組織や反日カルト団体だとしたら、私もそ
れなりの覚悟はして置かねばならないだろう。

 私はネコと遊んでいるのが性に合っている人間だから、自分が狙われた
り、監視されたりすることに現実感はまったくない。ないのだが、冷静に考
えれば、今は狙われる局面に入っているのかもしれない。私は植草氏がり
そなインサイダー疑惑について語った以上のことは、ネットでも本でも書い
ていないのだが、それでも昨年9月からそのことは書いてきた。問題は、植
草氏を嵌めた権力側が、ネットで書かれた物については看過することはあ
っても、紙の媒体に書いた場合は攻撃してくる可能性を否定できないことに
ある。

 この意味をあえて考えると、ネット・フィールドは玉石混交であり、どのよう
に書いたとしても、所詮は電子的仮想空間という仮の活字媒体であり、クリ
ック一つで消えたり書き直しができる。だから信憑性や確定性にどうしても
完璧な担保を得られないというところだろうか。ところが、同じ内容が書籍
や新聞記事という紙媒体に印字された場合は、文脈や文意が固定化さ
れ、よりリアルな世界に肉迫するからということであろうか。

 とは言ってみても、ネットに限らず、書籍も通俗的週刊誌などのように、
虚実いろいろと織り交ぜられているのも事実であるから、紙媒体系が最も
信憑性を持つというイメージも共同幻想のひとつではあろう。しかし、人類
の歴史で書籍はかなりの昔から存在しているから、紙に刻印された活字は
いまだに権威を持つことも疑えない事実である。したがって、りそなインサ
イダー疑惑を、ネット表現から本に書き換えた私は、植草氏と同様に疑惑
の張本人たちを痛く刺激した可能性は強い。

 おそらく私や他の支援関係者たちも、電話は盗聴され、メールも監視され
ていたと思う。だから、私は十中八九、本の出版は不可能だと考えていた。
ナビ出版社が叩き潰されることも想定に入れていた。そして出版までに、私
か他の誰かが、ある種の攻撃を蒙って見せしめにされる危惧は正直強かっ
た。一人の有力なコアメンバーが恐怖のあまり脱落したこともあった。しか
し天佑神助とはこのことであろうか。とりあえずは、一人も危害を加えられ
ずに本の出版まで漕ぎ着けたのである。しかし、これからも何が起こるかわ
からない。

  そこでSOBAさんの植草氏に関するネコバナーを貼っていただいてる方々
に言いたい。そしてお願いしたい。私の周囲には不穏な気配が立ち込めて
いる。もし、私に何か起きたら、その時は知人がその事実を公表することに
なっているので、それを知ったら、植草氏の事件が明らかに国策捜査であ
ることを世間に訴えて欲しい。あなた方ひとりひとりが恐怖に打ち勝ち、言
うべきことを言ってくれたら、今進んでいる暗黒社会へのベクトルは変える
ことができるはずである。子供たちや愛する者たちへ、住みやすい社会を
残してあげるのもわれわれの責務であると思う。

 外資へ隷属し、警察国家を志向する暗黒社会は作ってはならない。また、
それに加担して売国所業を行なっている者たちも許してはならないと思う。



                         神州の泉 管理人


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2007年2月 4日 (日)

映画『それボク』と植草事件との不思議な類似性

 昨日の朝、日本テレビの「ウェークアップ!ぷらす」という辛坊治郎氏が
司会をやっている番組で冤罪の話をしていた。 その中では、「痴漢えん罪
全国合同弁護団長」でもある弁護士の秋山賢三氏が言っていた。痴漢の
裁判では、裁判官は被害者の女性だけの供述を取り上げ、被疑者の言い
分はまったくと言っていいほど無視される場合がほとんどであると。私はこ
の見解に植草氏が陥った出口なき迷路を思いやった。

 この番組では、今ヒット中の映画、周防正行監督の『それでもボクはやっ
てない』を取り上げていた。冤罪被害について、辛坊治郎氏に何名かのゲ
ストコメンテーターが意見を聞かれていたが、その中に自民党の世耕弘成
氏もいた。彼は「マスコミも悪いんですよ!」と語っていたが、私はその物言
いに物凄い違和感を感じ、思わずテレビに向かってツッコミを入れていた。

『完全官邸主導の前政権中枢にいて、マスコミ対策を一手に引き受けてい
たのは誰だったんだ?せこうさん、あんただろうが。そのあんたがマスコミ
が悪いなんて今更言うのかよ?』

 竹中平蔵氏率いる経済政策の基本スタンスは、米国発の強制指令書と
も言うべき「年次改革要望書」に則った構造改革であった。ずばり言うなら、
これは米国による第二の日本占領政策にほかならない。この年次改革要
望書の要望事項をつぶさに見てみると、これはM・フリードマンをモデルに
した完全傾斜配分型の構造転換なのである。いわば、日本の社会体制を
新自由主義経済へ塗り替えるマニュアルである。その目的は日本国富の
アメリカ流出システムの構築にある。

 小泉政権の本質が米国の傀儡政権であったことは疑いのない事実であ
り、世耕さんはその広報宣伝マンだった。その傀儡政権の国民に対するイ
メージ付与を担当していた世耕さんが、周防監督の「それボク」映画のヒッ
トで話題になった冤罪について、なぜゲスト出演していたか、私は気になっ
た。彼の出演目的は、穿って考えれば、番組の話題が植草事件に及ばな
いようにレギュレーションをかけることではなかっただろうか。

 この番組を見て触発され、私は矢も盾もたまらなくなって、『それでもボク
はやってない』を観に行ったのである。ひと言で言えば非常にリアルなタッ
チでよくできた映画だと感じた。午後3:20分に始まって、夕方の6時前に
終わった。予告編の時間を引いてもゆうに二時間半はかかっていた。しか
し、あまりにも引き込まれて一時間くらいにしか感じられなかった。それほ
ど秀逸な作品なのである。

 この映画は、細部は違うが、本質的には植草氏の事件とほとんど相似形
を持っていることに驚いた。これは私が植草氏の公判を、立て続けに二回
も傍聴したすぐ後ということもあるだろうが、法廷内の空気や質感、判事や
検察官、弁護人、傍聴席の人々などの存在感は紛れもなく私が行ってきた
ばかりの東京地裁そのものだった。映画では被害者は15歳の女子中学生
であった。スカートをたくし上げて、うしろから尻をさわるという設定も植草事
件と似ていた。

 植草事件の場合は、乗客が私人で植草氏を逮捕したが、この映画では
15歳の女子中学生が被疑者の袖をつかんで現行犯逮捕していた。しか
し、それに手を貸した乗客がいたことは植草氏が京急電車内で経験した
ことと発生的には似ていると感じた。

 私がこの映画に、植草事件と本質的な類似点を最も見出したのは駅の事
務室に連れられた時の展開である。植草氏は駅事務室に連れて行かれた
ときは、力づくというか、抵抗できない状況で強引に連れて行かれ、車内状
況の説明も被害者との話も出来ない状態だった。一方、映画も駅事務室に
主人公が連れて行かれたときは、彼が痴漢をやっていないことを状況的に
見ていた女性が、すぐに駅事務室に行って証言をしようとしたにも関わら
ず、駅員が彼女を追い返した形になったことである。

 このストーリー展開は、植草氏が弁明の機会も与えられないままに、一方
的に京急蒲田駅の駅事務室に連行されたこととほとんどそっくりである。あ
とは警察、検察に身柄を拘束されたまま、一方的な推定有罪の前提による
取調べが行なわれたことである。そして映画の主人公は釈放されるまでに
四ヶ月の拘禁生活を強いられることになった。植草氏も131日の勾留で、
映画の主人公とほぼ同じ期間である。
 
 そして、この異常な長期勾留の理由も植草さんと同じなのである。つま
り、否認をすれば、次の三つの理由のどれかで延々と勾留されてしまうわ
けである。      

 ① 住所不定

 ② 罪証隠滅のおそれ

 ③ 逃亡の疑いがある

  現実的には、長期勾留の理由として検察が利用するのは、②の「罪証隠
滅のおそれ」である。これは物的証拠を隠すというよりも、被害者に対して、
その被害意識を取り下げるような方向に、被疑者が何らかの有形無形の干
渉を施すということらしい。たとえばお金で買収したり、あるいは脅しで相手
を萎縮させたり、そういうことも範囲に含んでいるらしい。

 支援者の仲間があることを調べてくれた。それは『証人威迫罪(しょうにん
いはくざい)』である。むりやり被害者や証人と会おうとしたり、強弁をもって
相手を言いくるめたりすると犯罪になるという法律である。

    証人威迫罪

 刑事事件の捜査・審理に必要な知識をもつ者などに対し、正当な
理由なく面会を求め、または要求に応ずるようおどす犯罪。

刑法では

(証人等威迫)
第百五条の二 自己若しくは他人の刑事事件の捜査

若しくは審判に必要な知識を有すると認められる者

又はその親族に対し、当該事件に関して、正当な理

由がないのに面会を強請し、又は強談威迫の行為を

した者は、一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金

に処する。

専門的にはどうか知らないが、検察が釈放しない理由が「罪証隠滅」にあ
るとすれば、この「証人威迫罪」はそれに含まれるのかもしれない。しかし
ながら、これを考えてみると、痴漢の被疑者がこのような犯罪を敢えて犯し
てまでも被害者とコンタクトするだろうか。私は現実性がほとんどないと思
う。したがって、推定無罪が原則の近代法治国家で、被疑者の長期拘束
は妥当性を著しく欠いていると考える。

 植草氏の痴漢事件に冤罪の疑いが濃いと思っている人も、植草氏を常習
的な性犯罪者だと思っている人も、周防監督の「それでもボクはやってな
い」を是非見て欲しいと思う。冤罪の恐ろしさがとてもよくわかる。しかも、そ
れは誰にでも起こり得る事であることがよく理解できる。そして私たち支援
者が公開し考察したことと、この映画の展開を照らし合わせて欲しい。

 すると、植草事件の真相が浮かび上がってくる。そうすると、植草事件は
ただの偶発的な冤罪ではなく、深い背景を持った大掛かりなでっち上げで
あることに考え方がシフトしてくるはずである。なぜなら、植草事件の場合
は、被害者と目撃者、それに「私服」と呼ばれた膂力のある乗客に、ある
共通した世界が垣間見られるからである。

 映画と植草事件が決定的に異なっている点が二つある。一つは、植草事
件では、被害者が一度も公の場所に出てこないことである。映画では15歳
の少女が「遮蔽措置」と呼ばれる衝立(ついたて)を使い、傍聴席から遮っ
た状況で証言しているのである。しかし、植草事件では被害者の少女は一
度も出廷しないし、期日外尋問の内容さえ、公判で公開されていない。被
害者が被害状況を一度も法廷で出さない植草氏の裁判ははたして成り立
つのだろうか。

 日弁連は言う。今の裁判制度では「証人保護の諸方策を活用すべきとし
ているが、すでに、遮蔽措置、期日外尋問が、被告人の意向に反して濫用
的に実施されている現状にある
」と。しかし、今、進行中の植草氏の公判は
それよりもはるかに不可解なところに行っている。なぜなら、遮蔽措置もな
ければ、期日外尋問の内容さえ公開されていないからである。

 ここまで異常に被害者を出してこないということは、すでに証人保護の域
を超えているように思えてならない。これは被害者不在の裁判ではないだ
ろうか。迷惑防止条例というものが、被害者不在で裁けるという法律なら、
明らかにこれは冤罪を多産する悪法ではないのか。ぜったいにおかしい!

 二つ目は車両の混雑率である。映画では混雑率250パーセント、すな
わち、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態であり、痴漢が容易に発生する状況であ
った。しかし、実際の植草氏が嵌められた京急車両内の混雑率は、肩と肩
が触れ合わない程度、または目撃証人と被害者の距離が77センチもあっ
たことなどから、隙間のない、すなわち車両の床に立錐の余地のない混雑
率を100パーセントとすれば、当日車両の混雑率は60ないし70パーセン
トくらいであったと思う。これは決定的な差異であろう。痴漢は起きにくい。

 映画では女子中学生が犯人を間違えたという設定になっているが、植草
氏の場合は犯罪そのものが発生していなかったという疑いが濃厚なのであ
る。


 ※注記
*********************************************************
 上記の混雑率について、読者から訂正の投稿が来た。

 『細かい点ですが、社団法人日本民営鉄道協会のホームページによる
と、100%の混雑率は「定員乗車(座席につくか、吊革につかまるか、ドア
付近の柱につかまることができる)」、150%の混雑率は「肩がふれあう程
度で、新聞は楽に読める」だそうです。植草氏の事件の場合は、150%弱
の混雑率だったと思われます。』


 だとすれば、植草氏の場合は「肩が触れ合わない程度」であるから、150
%以下であることは間違いない。いわゆる『定員乗車』に近いものだったの
ではないだろうか。肩が触れ合う程度でも新聞が楽に読めるくらいだから、
肩が触れ合わない程度がいかに「疎」なる状況かわかると思う。この状況
で、周囲の視認を避けて痴漢行為を起こすことは考えにくいのである。
*********************************************************


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2007年2月 2日 (金)

植草氏をガードしよう

 植草被告は逮捕直後自殺を図ったとされるが、同氏は「彼は私に『自殺
するつもりは全くない』と言いました。自殺に見せかけて殺されることを恐
れているからです。彼は日本の経済の裏を暴くことをあきらめていません」
と話した。

  ( http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070202-150404.htmlより抜粋)

 私は昨年の9月24日にすでに『植草氏は今、謀殺の危機に晒されてい
る』というタイトルで、彼の生命が安全ではないということを書いていて、そ
の後も何篇か彼の生存の危機を書いている。当時私が一番憂慮していた
ことは、植草氏が絶望して自殺を行なったように見せかける「謀殺」が行な
われるかもしれないという思いであった。

 実はその心配は釈放された今、最も大きなものになっている。特に彼は
武士道精神があるお人であるから、三月にりそな関係の本を出すと、フル
フォードさんが明言している。これを観ている黒幕たちは今あせって切歯
扼腕しているに違いない。今が植草氏の最も危ない時期なのである。周
囲の方々はそのように覚悟し、植草氏を絶対にガードして欲しい。彼のご
両親や奥様、そしてお子さんたちのためにもガードして欲しい。それに、
我が国が彼を失ったら、それは国家の計において、取り返しが付かない
ことになる。

『植草氏は今、謀殺の危機に晒されている』
         ↓   
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2006/09/post_5052.html

 黒幕たちよ!やるなよ!国民が黙っていない
からな!やったら一気に火がつくぞ


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テレビ朝日が紹介した記事

 テレビ朝日が、朝の「やじうまプラス」という番組で紹介した日刊スポーツ
の記事。

********************************************

(2月2日、日刊スポーツ、第24面から)

元フォーブス支局長が「陰謀説」
植草被告ハメられた?
インサイダー疑惑追及で国策逮捕だと?


電車内で痴漢行為をしたとして公判中の元早大大学院
教授植草貸す秀被告(46)に1日、思わぬ”援軍”が現れた。
米経済誌「フォーブス」の元アジア太平洋支局長のベンジャミン・
フルフォード氏で、植草被告が大手銀行をめぐる、政府関係者、
外資が絡んだ巨大インサイダー疑惑を追及していたことで狙われ
「国策逮捕」された可能性が高いとの見方を示した。同紙によると、
植草被告は3月にも同疑惑の告発本を出版するという。

多すぎる偶然
(以下略)


**********************************************
Photo_21

※元フォーブス支局長「植草被告陰謀説」
          
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070202-150404.html
(nikkansports.com   2007年2月2日8時31分 紙面から)


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テレビ朝日が植草氏の国策逮捕疑惑を放送!!!

 ◎テレ朝で、ベンジャミン・フルフォードさんが語る
  植草氏国策捜査疑惑を報道!


 ほんとうにびっくりした。朝起きて身支度をしながら、何気なくテレビを観
ていたら、なんと、植草一秀氏は国策捜査で捕まったのだという言葉が飛
び出していた。その放送があったのは、朝の6時40分くらいであった。

 注視すると、その番組はテレビ朝日系の「やじうまプラス」という朝のニュ
ース番組(ワイドショー番組?)で、キャスターが画面に映るスポーツ新聞
の記事を示しながらこう語っていた。『ベンジャミン・フルフォード氏という
元フォーブス誌の支局長が語っているところによれば、植草氏は二度
も国策捜査に嵌められて不当な逮捕を受けている。植草氏は米国が
背景に絡んだ「りそな銀行」のインサイダー疑惑を追及していて国策
捜査に嵌められてしまった
』という内容だった。

 あまり唐突なので録画できなかったため、正確ではないが内容は以上の
ことだった。私のように、去年の事件の次の日から国策捜査疑惑をネットに
書き続けていた
者からすれば、この放送は驚天動地なのである。なぜなら
テレビや新聞は例外なく小泉政権筋の国策方針を是とし、米国の謀略的
対日政策に関する報道は一切してこなかったからである。特に植草事件に
関する米国の思惑などは、テレビ業界にとっては禁忌中の禁忌となってい
たはずだ。

 しかしテレ朝のこの動きはいったいどうしたことだろうか。考えられること
は、テレビ業界の中にも反骨の人がいて、植草さんの国策捜査に義憤を抱
いているということなのか。しかし、この報道が呼び水になって植草さんの
疑惑を晴らす一大潮流になることを望むばかりである。

 他のテレビ局も遅れを取るな!! 植草さんの
冤罪疑惑、そして国策捜査疑惑を大々的に報道
せよ!日本の未来のために!勇気を持って!

 ベンジャミン・フルフォードさんには、私も含めた支援者数名が書いた本
『植草事件の真実』の帯に推薦文を書いてくれたお人である。その人が語
る植草国策捜査疑惑をテレ朝が報道したことは一大事である。もしかした
ら、アメリカべったりの国策とアメリカの報道管制によるテレビ洗脳が解除
される方向に向かうかもしれない。

 ベンジャミン・フルフォードさんのブログにも植草さんのことが書いてある。
          
   http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/

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2007年2月 1日 (木)

偽証の可能性は濃厚

  1月25日、第三回目の公判を傍聴して、気になった一言をメモしたので、
いまここに書くことにする。

 その言葉とは、被害者女性を尋問中、加害者は「指を折りたたむようにし
てスカートをたくし上げていた」と証言したと、弁護士が彼女の言葉を引用
して話したことである。これは被告人の指についた繊維に関連しての発言
であるが、弁護士が引用した言葉を直接聞いたので間違いないと思う。

 被害者女性のこの言葉にはほんとうに驚かされる。なぜなら、彼女が、加
害者の指の状態や、スカートがたくし上げられた状況を正確に知るには、ち
ゃんと後ろを見ていなければならないはずである。しかし、もし女性が後方
を振り返って見ていたのなら、こっそり狼藉に及ぼうとしている者が、堂々と
スカートをめくり上げたりするものだろうか。

 まずもって不可解なのは、この被害者女子高生の言うように、植草氏が
スカートをたくし上げていたとしたなら、そのまま2分間もその様態のまま経
過するものだろうか。前の記事で私が指摘したように、当日の車内状況は
肩と肩が触れ合わず、立錐の余地があり、移動しようと思えば比較的楽に
移動できる程度の混みようだった。こういう車内状況でスカートをめくり上げ
たとしたら必ず周囲が見咎めるに決まっている。

 しかし、周囲は沈黙しており、女子高生はスカートがめくり上げられるとき
の手の形まで正確に見ていたらしい。被害者が加害者の手の形まで見る
ためには、上体をねじって相当無理な姿勢を取らなければならない。また、
見咎めて制止するはずの周囲の乗客は何も言わない中、女子高生はスカ
ートをめくり上げられたまま2分間もそこに静止していたことになる。この状
況はありうることだろうか。

 つまり、彼女はスカートをたくし上げられ、二分間も極度の羞恥心を耐え
ながら、子供がそれを見ていることを観察しているのである。このような車
内風景など、まったくもって非現実的であろう。つまり、彼女はあり得ない
話をしているとしか思えないのである。第一、そこを一歩も動かなかったの
はなぜだろう。何度も言うが、動こうと思えば自由に動けたわけだから、動
かなかったのは他力的な原因ではなく、自分の意志で動かなかったとしか
思えないのである。これは通常の痴漢事件とは違い、余りにも不自然なこ
とである。

 第3回公判の話では、スカートはめくり上げられていた。しかし、第2回公
判に出廷した目撃者は、スカートの上から触っていたと証言しているから、
これでは女子高生か目撃証言者のどちらかが嘘を言っていることになる。
最初はスカートの上から、そしてエスカレートしてスカートの中へ手が入っ
たというステップを踏んだとでも言うのだろうか。

 しかし、そのことを考える前に、被害者と目撃者、そして加害者と目撃者
の間隔がそれぞれ70センチ以上離れていたこと、そして目撃者と加害者
の間の微妙な位置に、一人の女性乗客がいたという話を総合して勘案し
てみても、目撃者は、被害者と加害者の状況をかなり鮮明に見て取れる
わけである。しかも重要なことは目撃証人以外の人間にも、痴漢行為は
目撃されて当然の状況にあったと言える。満員電車内では破廉恥な行為
が周囲の目に触れない場合がほとんどであるが、今回の場合は複数の
人間に見られて当然の車内状況があった。

 だからこそ、植草氏と女子高生が密着状態で2分間そのままいたという
進展自体が非現実的なのである。その上、スカートがたくし上げられてい
たとなれば、その展開を二分も放置しておく周囲の乗客の方が常軌を逸脱
しているだろう。もちろん、目撃証人も含めてなのだが。

 これらを鑑みると、女子高生と目撃証人の証言は信憑性がまったく感じ
られないのである。

          【植草氏冤罪に関する本を発売中】

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