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2007年4月29日 (日)

排外的冤罪論と国策捜査論の決定的差異

  「植草事件の真相掲示板」にこんな書き込みがあった。
 
> 何故弁護士達が主張もしないのに勝手に政治的策略、国策捜査説を唱えているだろう・・応援する人たちの中でも疑問が湧いてこないですか?(たいまい氏;wrote)

 前の弁護士さんたちも、今担当しておられる弁護士さんたちも、それぞれのこの事件に対する真の思惑は別として、公判戦略的に植草事件が政治的背景を持つ事件だという弁護方針はまったく採っていない。なぜなら、通常、痴漢事件を裁判することは、「やったのかやらないのか」、あるいは「やったのか、それとも冤罪なのか」という詮議を対象としているからである。その弁護方針を、弁護思想的に推察すれば、それは人権的観点からである。

 つまり、裁判で問いかける本質は、痴漢という犯罪が、被告によって生起したのか、しないのかの二者のうち、どちらが事実かを明らかにするという方向性を見極めることにある。そういう現実的な進行を呈しているのに、政治的背景などという憶測だらけで、証明もできないような論法を担ぎ出す必要などはなく、ましてや国策捜査論などは、まったく論外であり、そういう思考はかえってことを複雑にするだけで意味はない。このように考えているのは、もしかしたらアンチ派に限らず、擁護派にも多くいるかもしれない。彼らの言い分は、現実に進行する裁判で重要なものは、被害者、目撃者、逮捕権を行使した者、それを見ていた者たちの傍証、そして被告人の証言だけであるということだろう。

 その見かたはけっして間違っていない。ただし、そう断言するには前提条件がある。その条件とは、その件が通常の痴漢事件の範囲であることが明らかな場合である。つまり、被告人に何ら政治的背景が存在しない場合、あるいは被告人が仕事上や人間関係で、重大なトラブルを抱えていないことがはっきりしている場合である。ところがこの範囲にない痴漢事件、たとえば被告が企業人として、中心勢力が唱える企業ガバナンスに対して、真っ向から異を唱えていたり、企業中枢の秘密を握っていた場合などは、罠に落とされてしまう可能性があると見るべきである。こういう濃密な政治的背景を抱えている被告の場合は、冤罪の可能性を疑うべきであろう。

 しかし、冤罪とは、狭義の意味で言うなら、被害者や警察側による誤認を、警察自身が組織防衛や面子にこだわって、それを訂正せずに強引に犯人に仕立ててしまうことである。いわゆる警察による一種の組織犯罪である。私はこの範囲までは「冤罪」という言葉で表現してもいいような気がする。しかし、数としては希少であるが、この世には同じ濡れ衣でも、政治思想的、政治犯罪的背景が絡んでいて、ある個人を覚えのない罪に陥れる事象が発生する。その背景に時の権力者が複数絡んでいて、被告が時の政権のマクロ的政策に真っ向から反対していた場合、国策捜査というものが発生する確率は非常に高い。特に従米的傾向の政権が続き、アメリカに付和雷同の面持ちを見せながらも、心では地団太を踏んで我慢をし、面従腹背、臥薪嘗胆で時を待つ覚悟があった時代はまだ国策捜査なるものは少なかったという気もする。しかし、時は移ろい、小泉政権という完全売国政権に国民が国家の執権を任せてしまった時から、その売国を見抜いて世間に警告を発した有能な愛国者は国策捜査の犠牲になってしまった。政治家では西村眞悟氏や、政府支出の暗黒部分に踏み込んで殺された石井紘基氏がいる。エコノミストでは現在公判中の植草一秀氏が明らかに国策捜査のターゲットになっている。なぜ彼らがターゲットになったかについては充分な論証は可能である。その背景を論証することによって、彼らが国策捜査の毒牙に掛けられる蓋然性は明確になってくる。 

 りそなインサイダー疑獄を追求している植草氏が殺されなかったのは、たしかに僥倖ではあるが、その理由はいろいろな方々がネットなどで国策捜査疑惑を提示しているからである。この疑獄の性格を考えてみると、植草氏の生命がかろうじて続いているのは、国民の目を国策逮捕に向けて、小泉政権の従米売国の本質を悟らせたくないためである。もし、有志の皆さんが植草氏の国策捜査疑惑を口にしなかったら、彼は昨年9月の痴漢でっちあげに嵌められるどころか、とっくに命を失っていたものと私は確信している。もし、擁護派で国策捜査論の無用論を唱えるものがいるとすれば、それは愚かである。なぜなら、植草氏が生きていてこそ、彼の無罪も真相も暴かれる可能性があるからである。それを狭量な通常冤罪の範囲内に留め、我こそは正攻法なりと国策捜査論を無視し、排外的冤罪論だけを喚いているとすれば、それは植草氏の安全上からも有害であり、稚拙である。冤罪論はもちろん公判戦略上で必要なのであるが、今回の場合、念頭には国策捜査論の可能性を置いてやるべきであろう。

 何度も言うが、今回の植草事件(特に品川手鏡事件と京急痴漢事件)は国策捜査による濡れ衣事件である。この背景を言い続けることによってしか、植草氏の生命の存続はないのだ。そういう認識を持たない擁護派は、氏にとっても、日本にとっても、有害無益な存在である。排外的通常冤罪論だけでは植草氏の命はとっくに消えているものと確信する。何回か言及していることだが、植草事件を真摯に扱う場合は、98年の東海道線車両内のこと、2004年の品川手鏡事件、そして2006年の京急電車内痴漢事件という三度の件をきちんと挙げて論ずることが重要であるし、そうしなければ擁護論としても誠意に欠けると言われても仕方がない。特に、98年の件をスルーして、品川事件と京急事件の冤罪論に固執することは、擁護派としては不誠実なことである。品川事件のみの冤罪を唱えても、メディアによく登場する人物(たとえば宮崎哲弥氏や橋下徹弁護士)などが、8年の期間に三度の性犯罪疑惑を起こしたことを指摘して、そこに見られる三度の連続性こそが病的性癖だと論陣を張れば、通常冤罪論者には相当に分が悪いのは明らかだ。

 病的性癖が強靭に居座っているからこそ、彼は懲りずに何度も同じ類のことをしでかしてしまうのだと言われれば、通常冤罪論者にはまずもって、それを論破することは不可能である。この病的性癖論を根本的に覆す唯一の論証こそ、国策捜査論なのである。従って、98年の件をスルーするということは己の論拠が脆弱であることを自ら証明していることになるのだ。だからこそ、擁護派は98年の一件からは逃げないで向かい合って欲しい。そして、病的性癖論を冤罪論証で覆すことがどうしても無理だと自覚したら、今度は目を国策捜査に向けて欲しいと思うのである。もっとも、そういう客観性と謙虚さがないから、排外的冤罪論者は痛いのである。

 つまり、排外的冤罪論は今回の場合、植草氏の生命を危険に陥れる有害な狭隘性を持ち、国策捜査論は「彼ら」の殺意を食い止める効果を持っているということを私は強く言っておきたい。

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2007年4月27日 (金)

3月28日 植草事件公判、午後の部(後半)の速記録

3月28日、京急植草事件、第六回公判、午後の部
(後半)の速記録です。「植草事件の真相」サイトに
掲載されています。植草一秀氏自身の証言録です。
これで、3月28日分は全部掲載されました。

      
http://uekusajiken.ganriki.net/sokki/032807_02.html

第二回公判速記録も収められています。

http://uekusajiken.ganriki.net/sokki/122006_01.html


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2007年4月23日 (月)

植草事件の真相掲示板

 植草教授を応援する非公認サイト「植草事件の真相」の掲示板
が今日から開設されたようです。関心のある方は投稿してみては
いかがでしょうか。ここの管理者さんは反対意見は削除しないそう
です。自分に都合が悪ければ、どんなに客観性のある意見でも、
速攻で削除する独り善がりの場所(笑)でエライ目に遭った方々も
行ってみるといいでしょう。ただし、場荒らしと反対意見の境界線
ははっきりと置くそうです。

   「植草事件の真相掲示板」

http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs


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2007年4月22日 (日)

島田洋七著「佐賀のがばいばあちゃん」を読んで

  「佐賀のがばいばあちゃん」
第五章、「一番好きで、一番嫌いだった運動会」を読んで感じたこと


 今日、お昼のテレビのトーク番組に、お笑い漫才の島田洋七氏が出ていた。島田洋七氏について知っていることは、第一次漫才ブームの先鞭を切ったB&Bというコンビの片割れであり、彼らの漫才は爆発的に当たり、洋七氏は数年間で三十億の現金を手にしたそうである。当時の彼は、あまり金を儲けて、押入れにファンレターと一緒に封筒に入った給料袋の現金がぎっしりとあったそうである。その話は洋七氏がよくテレビで話していたことは覚えている。

 私は、漫才ブーム初期の頃はともかくも、B&B全盛当時の洋七氏は大嫌いであった。有名になり大金を得て自我が肥大し、高慢な物言いが目立ったことを覚えていたので、この男には最近まで嫌悪感があった。ある種、日本人が陥ったバブル的成金趣味の権化という形に洋七氏が見えていたからである。しかし、振り返ってみれば、この時期の日本人は、芸能人に限らず、押しなべてにわか成金や利殖行為に溺れていたように思う。洋七氏に限らず、事業家や一般人でさえ、こういう雰囲気の人間は多く輩出していた。

 だが、島田洋七氏は第一次漫才ブームが去り、人気の凋落を迎えると、滝つぼに落ちる木の葉のように、その存在は芸能界から掻き消されていった。しかし、これほど栄枯盛衰の激しい男もいないと私は思っていた。島田氏のことを調べたわけでもないので、軽々しくは言えないが、彼は生き馬の目を抜く弱肉強食の芸能界でも、かなり壮絶な没落の地獄を味わっていたはずである。何度もテレビでの復帰の機会を狙ったと思うが、長い間それを果たせなかったように思う。人気の絶頂にいた者が没落のきわみに落ちて捲土重来を待つと言えば聞こえはいいが、本人にとっては、きっと地獄の辛酸を嘗め尽くしたに違いない。一人の人間に生起する極端な栄華と落魄。まさにこれは、平家物語の冒頭にうたわれる有名なかの一節を思わせる。

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。


 島田洋七氏は、彼が味わったこの人生流転の究極の愁嘆場にあって、諸行無常の道理を体得し、もののあはれの境地に悟達したものと見える。そして、人の世で何が一番大切かに、はっきりと気がついたに違いない。そうでなければ「佐賀のがばいばあちゃん」を著すことはできなかっただろう。彼は晩年の小野小町と同次元の心境に達したのかもしれない。それほどこれは文学的に優れた叙述なのである。洋七氏が広島から佐賀のおばあちゃんに預けられたのは昭和三十三年である。つまり、洋七氏が多感な時期に、がばいばあちゃんと生涯忘れられぬ重要な時期を過ごしたのが、かの「昭和三十年代」なのである。「佐賀のがばいばあちゃん」シリーズが四百万部の大ヒットをもたらしたのは、彼が最も訴えたかった昭和三十年代を、佐賀のばあちゃんとのエピソードを通じて、その時代精神を明快に伝えきっているからである。平易な文体、雑多で余計なものをいっさい省いたその簡潔明瞭な文章表現は、読む者を昭和三十年代に深く誘う。

  佐賀のばあちゃんという存在を通じて、洋七氏はあの頃の時代精神のエッセンスをみごとに描ききっている。私はお昼のテレビ番組を見て、「佐賀のがばいばあちゃん」を買いに行って、彼の小学生のころの体験までを読んだ。ばあちゃんとの生活体験の初期を書いた第五章に、「一番好きで、一番嫌いだった運動会」という項目がある。これを読んだとき、私は自分の昭和三十年代の体験を走馬燈のように思い出し、洋七氏のこのエピソードに深く感銘した。それは運動会での話で、洋七氏がテレビでも少し語っていたことだった。私は「佐賀のがばいばあちゃん」を全部読んでいないが、確実に断言できることがある。それは、洋七氏がこのシリーズで語りたい本質が、この第五章のエピソードにすべて収斂されているということである。

 洋七少年が佐賀に転校生として来て、没頭したのが走ることだった。一人暮らしだったおばあちゃんは筋金入りの貧乏であり、その日その日を食べることさえ事欠くような生活をしていた。しかし、そこはたくましい女性で、物を無駄にしないことと、近くに流れている川の上流は生鮮市場だったので、そこから流れてくる捨てられた果物や野菜をうまく拾い集めてそれを食卓に供して食べていた。このおばあちゃんは底抜けに明るい性格の人で、惨めな顔は洋七氏には一度も見せずに、ひたすらプラグマティックに、その日その日をどうして食べていくかに挑んでいたそうである。そういう超貧乏な家だったから、洋七氏はまともなおかずの入った弁当も持っていけなかったという。

 しかし、この当時はそういう子供たちはたくさんいて、けっしてそれが珍しい家庭ではなかったと思うが、それでも洋七氏の語りを読んでいるうちに、そういう家庭でも、がばいばあちゃんの家は、超一級の貧乏な家庭であったことがわかる。洋七氏は友達もでき、そのころ、剣道や柔道を習うことが流行ったそうである。洋七氏は何としても剣道を習いたくなり、婆ちゃんに習わせてくれと頼んだ。金がかかると言うと、うちは貧乏だから駄目だとばあちゃんは言った。そこで、今度は柔道を習いたいと頼んだが、やっぱり貧乏だから駄目だと言われた。そこで、ばあちゃんは彼にこう言って提案した。「明日から走りんしゃい、ただ走るだけなら金はかからん。地面はただだし、道具もいらん」

 洋七氏は、それに対してこのように回想している。「なにか違うような気がしたが、俺もまだ子供だったし、何となく納得して走ることに決めた」と。しかし、この書き方は私はすごいと思う。同年代を過ごした私には、彼が本当に言いたいことがわかりすぎるほどわかる。洋七少年はやるせない悔しさに押しつぶされていたはずである。仲の良い友達との関係で最もつらいのは、遊びや趣味で同じことを共有できない苦しみである。この時、洋七少年は貧乏の境遇を心底呪ったと思う。何か違うような気がしたが何となく納得したというのは、人生の辛酸を舐め尽くした彼が、その経験の中で気が付いたおばあちゃんの人間としての偉大さに最大の敬意を払っているからであろう。過去のおばあちゃんの幻影を、凄惨な色合いの現実で傷つけたくないのである。奈落の底に落ちて培った、彼の人としての成長が語らせたほの温かい嘘である。

 「何となく納得して走ることに決めた」という、さりげなくぼかしているこの奥ゆかしい語りには涙が出る思いである。セピア色の抑制とでも言おうか。たぶん、洋七氏はそれに気付いて欲しくないのだろう。お笑い芸人の矜持があるからである。彼の芸は、軽薄で奥ゆかしさのまるで感じられない瞬発的な話芸が信条であるから。しかし、あのテンポのよい話芸は、おばあちゃん譲りであることは間違いないことだ。

 それから、洋七少年は金のかからないスポーツ、走ることに専念した。かれこれ一年もたった頃、運動会が行われた。自分の話になるが、洋七氏より二年足りない私は、昭和三十五年頃の小学校の運動会の楽しさを鮮明に覚えている。秋田の片田舎の寒村で小学生を過ごした私は運動会に特別な思いを抱いていた。あんな楽しいイベントは何物にも代え難い物だった。走る競技も楽しかったが、仮装行列では大好きな月光仮面がいたり、七色仮面(今の人はちんぷんかんぷんだろう。笑)がいたり、夢のような楽しい行事であった。当時は今と違って、田舎にはスーパーもなく、贅沢な物を食べることはできない時代だった。運動会で重箱に入った料理を食べることが運動以外の第二の楽しみだった。というか、最大の楽しみだったかもしれない。父母、家族と一緒に運動場の周辺にゴザを敷いて、家族で楽しく食事するのである。私は好物の特大おいなりさんを腹一杯食べて、この上ない至福感を味わったものだった。

 考えてみれば、昭和三十年代というのは、終戦後、まだ十年あまりの時期である。日本の衣食住環境が充実していたとは言い難い。食べ物は質素だった。バナナもみかんも贅沢品だった。メロンは死の病床の人が食べるようなイメージがあった。しかし、あの当時は「マクワウリ」というのが農家で栽培されていて、時期には食べることができた。今のメロンより香りがよく、はるかに美味しい物だったような気がする。洋七氏は野生の木の実をよく食べたと言っていたが、私も同様である。桑の実を食べて口のまわりを紫色に染め、豆柿(まめがき)という小さな柿を食べ、野生のグミの実や山ブドウ、アケビなどをおやつ代わりに食べていた。今思えばこれらはほんとうに贅沢品であった。野生の木の実には栽培果物にはない清新な原初の味が残っている。

 洋七氏の運動会の話に戻ろう。当時の普段の家庭食は、おしなべて質素で貧しい物であった。しかし、それだからこそ、正月や運動会などの行事には、家庭は奮発してご馳走をつくって楽しんでいた。明らかに洋七氏のおばあちゃんの家はそれができなかった超貧乏家庭だった。父兄参観や運動会にはおばあちゃんはこなかった。毎日一人でよく走っていた洋七少年は、運動会の競技で一番を勝ち取った。しかし、その高揚感はすぐにしぼんだ。先生が「楽しいお昼休みになりました。みなさん、お父さん、お母さんとお弁当をたべましょう」と言ったのである。洋七少年は一人である。弁当も手持ちの梅干し入りの日の丸弁当である。ショウガも入っていたらしい。

 他の子には、親が「怪我せんかったか?よく頑張ったね、さあ、あんたの好きなウインナをお食べ」とか言っているのを、横目で見ていた洋七少年はいたたまれなくなっていた。洋七氏はこの時のことを、走っていて、家族から声援がないことより、お昼時の方がはるかに辛かったと語っている。当然である。両親も家族も来ない運動会、家族が一緒に運動会を楽しむ最大の瞬間がひとりぼっちで味わえないのである。こんな残酷な風景があるだろうか。この気持ちは私の年代でなくともわかると思う。しかし、この当時はこういう子供は案外いたのである。この当時はこういう境遇の子には格差による優越感などという物はなく、ある種の同情がみんなにあった。なぜなら、一般の人たちもけっして生活は楽ではなかったからである。

 しょんぼりした洋七少年は一人寂しく校舎の教室に歩いていった。そして、校庭の喧噪を泣きたい思いで聞きながら、持参した日の丸弁当を食べようとした時、先生が入ってきてこう言った。
「あのな、弁当を取り替えてくれんか?」
「え?」
「 先生、さっきから腹が痛くなってな。お前の弁当には梅干しとショウガが入っていると?」
「ハイ」
「ああ、助かった。おなかにいいからそれと換えてくれ」
「いいですよ」と洋七少年は先生と弁当を交換した。

 「先生は腹痛か、大変やなあ」などと思いながら弁当箱を開けた彼は仰天した。卵焼きにウィンナー、エビフライと、それまで見たことのないような豪勢な料理が詰められていた。彼は夢中でそれを食った。こんな美味い物はないと思った。先生の腹痛のおかげで萎えていた心も晴れやかになり、午後のリレー競技でも思いっきり頑張れた。そしてまた一年たった。彼は相変わらず競技のヒーローだったが、また恐怖のお昼休みが来た。そしたら、また同じ先生が「ここにいたのか。先生、腹が痛くなってな、お前の梅干しとショウガ入りの弁当と交換してくれ」と言った。承諾して、また先生の豪華な弁当を食べた。また一年がたち、四年生になった時、運動会がやってきた。今度の担任は女の先生に代わっていた。先生は「ここにいたの?先生、お腹が痛くなっちゃって、弁当を換えてくれる?」と言った。洋七少年は、この学校は運動会になると先生が腹痛を起こすのだろうかと真剣に考えたそうである。

 それから、卒業するまで運動会は孤独で、先生が腹を痛くして弁当の交換が行われたそうである。洋七少年がその意味に初めて気が付いたのは小学校の六年生だったそうである。運動会になると先生が腹をこわしたとおばあちゃんに言うと、おばあちゃんは「なんば言いよると。それは先生がわざとしてくれたとよ」と言った。そして、「本当の人間の優しさとは、お前のために弁当を持ってきたと言うたら、お前もばあちゃんも気ぃつかうやろ?だから先生は、お腹が痛いから交換しようって言ったとよ」

 かあちゃんが運動会にこられない洋七少年の境遇を思いやった先生たちが、代々、職員室で、せめて一年に一度美味しい物を彼に食べさせてやろうと計らったことであったのだ。本ではこのエピソードをここまで書いていた。しかし、洋七氏がテレビで言ったことは、本に書かれていないことだった。数年間、毎回、先生が腹を痛めて弁当を交換して欲しいという話をしたとき、おばあちゃんは涙をぽろぽろ流してから、それは先生がわざとしてくれたのだと言ったのである。洋七氏はおばあちゃんが涙したことは敢えて本には書かなかった。実はこの本のメッセージは、すべてがこのおばあちゃんの涙に凝集されている。このエピソードには、先生の計らいにも、それに感涙したおばあちゃんの気持ちにも、昭和三十年代の日本の精神が余すところなく出ているからである。洋七氏は、その最も本質的なおばあちゃんの涙を書かなかった。ここに彼の文学的な深い心境がある。これは私の推測だが、洋七少年がおばあちゃんにその話をした時、おそらく彼はおばあちゃんと二人で泣き明かしたのだと思う。しかしそのことを書くのは自制したのであろう。凄惨な貧乏生活をお笑いで塗りつぶすという覚悟があるからであろう。

 この「佐賀のがばいばあちゃん」から垣間見えるものは、昭和三十年代に立派に残っていた日本人のあるべき姿なのである。けっして懐古趣味で言うのではないが、あの頃は日本人が互いに思いやりを強く持っていて、助け合いの精神が息づいていた。敗戦の精神的焦土からともに這い上がってきた共有感覚もあっただろうし、それが日本民族の原型的な和の心でもあっただろう。あの頃は、昔ながらの人情が社会の隅々まで生きていた時代だった。私の家でも、近所の貧乏で米を買えない家に、米を持っていって、今年は実家で豊作だったからと嘘を付いたことがあるし、母は醤油や砂糖の貸し借りはしょっちゅうしていたように思う。同情して、物や金をやるときは、みんなが極力相手に恥をかかせないように気を使っていた。すべてのことがお互い様だった。みんなが裕福ではなかったから、情が生きていたのである。相互互恵の精神は、蛮族アメリカの洗脳のおかげで今は死語となったが、当時は色濃く残存していた日本人の一大特徴だった。本来の日本人は有徳なのである。

 しかし、あの時代から四十数年の歳月が流れ、日本社会は小泉純一郎のメンタリティが象徴する本格的なアメリカ型格差社会が到来した。日本人の幸福感なんぞ、とっくに掻き消されているのだ。他者への物質的優位性だけで己の幸福度をはかる今の時代はなんと貧相であろうか。我々が憧れていた豊かなアメリカ型生活は、実際は弱肉強食の荒廃した地獄の生活空間であったのだ。もういい加減に目覚める時ではないのか。

参照図書 島田洋七著「佐賀のがばいばあちゃん」(徳間文庫)


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2007年4月19日 (木)

3月28日 植草事件公判、午後の部(前半)の速記録



3月28日、京急植草事件、第六回公判、午後の部
(前半)の速記録です。「植草事件の真相」サイトに
掲載されています。植草一秀氏自身の証言録です。

      

  http://uekusajiken.ganriki.net/sokki/032807_02.html


 

植草氏逮捕は国策逮捕だな、3+10+10=23日越えて勾留だって?法的根拠は?言えるものなら言ってみろ(笑)バナー植草事件の真実

 
  ※午前の部、私服の証言者K氏の速記録はこちらから


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2007年4月18日 (水)

支援者C氏のご意見

マスコミが書かない「植草事件の真実」 by 「雑談日記」SOBAさん

 神州さん

 「植草事件のK証人が替え玉である決定的証拠」を拝読しました。一般
人がK証人のようなことをしませんよね。駅員を差し置いてシャシヤリ出る
なんて。第一、痴漢現場を目撃していないんですから。

 検察側にほころびが見えてきましたが植草さんの弁護団は今後、どう
主張していくんでしょうか。

 ところで、日本国憲法第38条は下記のように定めています。(1)「自己
に不利益な供述を強要されない」とありますが今回のケースは植草さん
がかなり酩酊状態だったにもかかわらず警察官が尋問しています。とり
あえず「黙秘権」を行使しても違法では無かったのです。(2)と(3)は前回
の逮捕・拘留のケースに当てはまるものであり、今回のケースには当て
はまりません。今回のケースは植草さんの自白はなかったものと私は理
解しています。誤解のないように言いますが(1)のケースにおいて植草さ
んは痴漢行為をしていないので何らやましいことはなく現場の状況を確
認しようと警察官に要求しましたがすでに明らかなように警察側は被害
者と称する女性との話し合いの場を与えませんでした。そればかりか
植草さんに不利益な供述をデッチ上げているのですから始末が悪い。

 なお[刑事訴訟法198条2項]によれば次のように定められています。


 「被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述する必要がな
い旨を告げなければならない。」


告げなかった警察側は明らかに違反しています。

さて、日本国憲法 第38条は、いわゆる黙秘権等を規定しています。

(1) 何人も,自己に不利益な供述を強要されない。

(2) 強制,拷問若しくは強迫による自白又は不当に長く抑留若しくは
  拘禁された後の自白は,これを証拠とすることができない。

(3) 何人も,自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合
  には,有罪とされ,又は刑罰を課せられない。


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植草事件のK証人が替え玉であるという決定的証拠

植草氏逮捕は国策逮捕だな、3+10+10=23日越えて勾留だって?法的根拠は?言えるものなら言ってみろ(笑)バナー植草事件の真実植草氏逮捕は国策逮捕だな、3+10+10=23日越えて勾留だって?法的根拠は?言えるものなら言ってみろ(笑)バナー

  K証人が替え玉であるという決定的証拠
     (支援者A氏による考証)

公判に登場した3名の証人は

平成18年12月20日 T証人尋問(検察側証人)

  これは、植草氏が痴漢をしているところを目撃したと主張しているT氏の証言。

平成19年1月15日 A証人尋問(検察側証人)

   A氏は、事件の日、駅事務室から警察署まで植草氏を運んだ警官である。

平成19年3月28日 K証人尋問(弁護側証人)、被告人尋問

   K氏は、事件の日電車に乗り合わせていて、植草氏を逮捕し、駅事務室に運んだ人

 事件の2日後、Tという男が、事件を目撃したという電話を警察に掛けてきた。彼は12月20日に検察側の証人として目撃証言をしているが、彼の証言は証拠として採用するには、著しく信頼性に欠いている。例えば、被害者女性は、スカートの中に手を入れられたと証言しているが、彼は入れていないと言っているし、その他矛盾点は至る所にある。しかし、彼は検察に4回も行き、蒲田警察に6~7時間もいたということだから、この事件の警察側の内部事情をよく知っているのは、間違いない。彼は、植草氏を逮捕したのは、「私服の男」だと証言した。つまり私服警官だったと言うことだろう。警察にとっての極秘事項が、何と検察側の証人によって暴露されてしまった。前回の品川手鏡事件も、植草氏は、私服警官3名に横浜から品川まで尾行されていた。今回も私服警官に尾行されていて、事件をでっち上げられたと考えるのが自然ではないか。そういえば、今回、被害者とされる女子高生も発言はまるで婦人警官だから、一緒に尾行していたのではないだろうか。

 もしそうだとすると、この逮捕者は公判に出てこないだろう。私服警官が尾行していたら、でっち上げがばれてしまうから、きっと替え玉が出てくるだろう。このように考えていたら予想通り、3月28日のK氏の証言は、彼が替え玉だということを証明した。

 決定的な証拠は、速記録の次の部分にある。

K証人 駅員さんは途中まで迎えに来てくれましたが、押さえてくれるのかと思ったら、押さえずに、「こちらへどうぞ」と方向を示してもらったので、最後まで僕が事務室まで連れていきました。

弁護人3 途中から駅員が来たということは、駅事務室がどちらの方向にあるかは、証人はご存じだったということになるのですか。

K証人 いえ、わからなかったので、途中で周りにいる人に「呼んでください」といったら、駅員さんがそのうち駆けつけてきて、「こちらへどうぞ」と方向を示したということです。

弁護人3 そうすると、ホームにおりてから、しばらくしてから、やはり駅員を呼んでくださいということをいったわけですか。

K証人 はい。抵抗が激しかったので、呼んできていただいて、それで押さえた方が楽だと思いました。

 この証言通りなら、電車がホームに着いてから駅事務室に着くまで最低でも5~10分は掛かったのは間違いない。蒲田駅に電車が着いたのは10:18であることは、誰もが確認している。植草氏を駅事務室に連れて行き、そこから警察に連絡が行き、最終的に近くのパトカーにいた青木巡査に連絡が行ったのが10:21、青木巡査が駅事務室に到着したのが、10:30であったというのが、A巡査の1月15日の証言である。つまり、電車が着いてから、近くをパトカーで巡回していた青木巡査に連絡が行くまで、僅か3分しか掛かっていない。もし、K氏の言うように、ホームに降りてから暫くしてから、駅員を呼んできて貰っていたら、それだけで3分以上かかってしまうから、絶対無理だ。K氏は電車の中から警察に電話をしなかったし、乗客の中にも電話をした者はいないと証言した(速記録参照)。

 植草氏も、逮捕者は駅員を呼んでいないし、駅員は来ていないと証言している。K氏が替え玉なら現場にいなかったから、植草氏が恐ろしいスピードで駅事務室に運ばれ、直ちに警察に連絡された事実を知らないのだ。

 これがでっち上げでなかったら、乗客が植草氏を実力で駅事務室に運ぶということは絶対にあり得なかった。K氏は、痴漢行為を見ていない。もし、植草氏が無罪になれば、彼は刑法 220 条逮捕監禁罪で3ヶ月以上5年以下の懲役に処されることになる。K氏自身が認めているように、植草氏は逃げようとしていなかった。顔を知られている著名人は逃げても何の意味もない。5年以下の懲役刑の危険を冒してまで実力行使をする乗客などいるわけがない。植草氏は女性と話をさせるよう要求していた。女性はなぜ逮捕するのか、植草氏に説明をしていない。なぜ自分が逮捕されるのかを聞く権利があるのは当然だろう。憲法第三十四条には、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない」とある。

 K氏の証言だと、被害者女性との会話は

K証人 「触られたの」

女性  「はい」

K証人 「突き出すの」

女性  「はい」

 たった、これだけの情報で、K氏は逮捕し、植草氏に女性と一切話をさせないことを決心したそうだから、まさに憲法違反だし、人権蹂躙だ。植草氏は逃げようとしていなかったのだから、現行犯逮捕の要件を満たしておらず、不当逮捕だろう。K証人が本当に通りすがりの乗客なら、たったこれだけの情報で、実力行使はあり得ない。

 K氏が替え玉であるという証拠はまだまだある。

K氏は、弁護人から事件当日、植草氏が酒に酔っていたのかと聞かれたとき「酔っている印象はなかった」と証言した。しかし、この逮捕者は警察での調書に「植草氏が酔っていた」と答えていた。この矛盾だけでも、K氏が替え玉だと分かる。追求されれば、言い訳はするが、それでは遅い。

K氏は公判の前、N弁護人に対し「被害者が振り返ったときに、被告人は被害者の右斜め後ろにいて、1~2歩後退することもなく、近くのつり革につかまってうつむいた」と述べていた。これは本人も認めると公判で証言した。しかし、公判でN弁護人に同じ質問をされたとき、次のように答えている。

N弁護人 あなたがごらんになったときに、その男性がつり革につかまっていたかどうかというのは記憶されていますか。

K証人 つり革にはつかまってなかったです。

N弁護人 つかまっていなかった。

K証人 はい。

 証言を翻しているのは明らかだ。つまり、つり革につかまっていたのなら、痴漢は難しいだろうから、つり革はつかまっていなかったことにしようと考えたのだろう。現場にいなかった替え玉にしてみれば、どちらでもよいことなのだ。

 K証人が、替え玉ということは、この事件全体がでっち上げだということを証明するものである。

 今回の痴漢被害者とされている女子高生も、明らかに嘘を言っている。事件当時、植草氏は傘と重さ4kgのカバンを持っていたことは、それらが警察に押収されていることから、間違いない。泥酔状態にあった植草氏が、このような荷物を持ったまま、両手で女性の尻を2分間も触ったという主張自体が、すでに不自然である。この女性は、「彼が、指を折りたたむようにして、スカートをたくし上げた」と語ったし、傘の位置まで言及している。しかし、自分の後ろで、スカートに触れた男性の指の形や傘の位置を確認することは、絶対に無理だし、弁護側の作成したビデオでもこのことが確認された。もし、この女性の目が後ろに着いていたとしても、酔っぱらいが、スカートをたくし上げようとしたら、逃げるか、スカートを押さえるかするに違いない。満員電車ではなく、いくらでも自由に動き回ることができたことは誰もが認めているのだから。この女性は、何と2分間もスカートをたくし上げられたまま、触ることを許したと自分で証言している。スカートに手を入れられたまま、2分間もじっと動かないでいたというのは、あまりにも不自然だ。回りに沢山の乗客がいたのに、公判で証言した証人も含め、スカートがたくし上げられたという光景を目撃した人は誰もいない。

 恐くて逃げられなかったというわけではない。K氏に言わせると、彼女は植草氏に対して「やめて下さい」「子どもがいるのに恥ずかしくないのですか」「謝ってください」「次で降りて貰いますから」と告げたという。恐怖に怯えた様子は全く感じられない。むしろ婦人警官による命令という印象を受ける。直ぐに彼女は自分のパンティーを繊維鑑定のため、警察に提出している。普通の高校生なら絶対やらないだろう。

 

「私服の証言者K氏」の証言速記録はこちらから


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3月28日 植草事件、第六回公判速記録(午前の部)

植草氏逮捕は国策逮捕だな、3+10+10=23日越えて勾留だって?法的根拠は?言えるものなら言ってみろ(笑)バナー植草事件の真実植草氏逮捕は国策逮捕だな、3+10+10=23日越えて勾留だって?法的根拠は?言えるものなら言ってみろ(笑)バナー

3月28日、京急植草事件、第六回公判、午前の部の速記録が
できあがりました。全文は、有志が新しく立ち上げたHP、植草
一秀さんの非公認応援サイト「植草事件の真相」に掲載されて
います。

 読みやすい体裁になっています。

 尚、当日公判速記録、「午後の部」は出来上がり次第、当該
管理人さんが掲載するでしょう。


     http://uekusajiken.ganriki.net/


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読者T氏の日本論(1)に返信

(1/28)神州の泉 管理人より返信

読者T 様

 おたよりありがとうございました。拙ブログを読んで頂いて恐縮します。全文拝読しました。極めて真摯且つ深い歴史認識だと拝察しました。特に戦後の日本人のメンタリティが、明治維新前後の先人たちのメンタリティと基層的になんら変わるものではないというご指摘、まことにご明察であると感じます。

 アメリカ貿易センタービル崩落の911、そして我が国では郵政民営化特化的是非論による衆院解散総選挙において、ある種の歴史的なルビコン河を渡ってしまったという御見解には大いに同感します。確かに、この911という数字には強い相似性があると言いますか、なにか暗示的な符牒を感じさせます。この郵政民営化によって、いわゆるグローバリゼーションの潮流、言い方を変えるなら、日本人のONE WORLD ORDERへの志向が一挙に加速化されてしまったということでしょうか。T様のおっしゃるように、これはアメリカに巣食う「奥の院」が、鮮明に世界統治への意志を示し、世界収奪への方向性を強めたという見かたも、あながち見当違いではないでしょう。私はT様の論文に見える国内売国勢力の動きを問題視しております。

年次改革要望書を国内にまったく説明せず、外務省や政府高官レベルだけでひそやかに進めていたことが、我が国にのさばる米国エージェントの存在を浮き彫りにしています。このエージェントたちのルーツを遡りますと、T様のご指摘のように、明治の西南の役に逢着するのかもしれません。実は明治の欧米化インフラにあたって非常に興味深く、かつ本質的には深刻な問題を想起させる出来事がありました。

 ご存知のように、明治インフラの主要は電信電話の敷設、そして明治五年の新橋-横浜間開設に始まる鉄道網の建設ラッシュでした。今は電信電話について申しますが、この時、日本各地に電信柱の敷設を行いました。これに借り出された欧米の技術者たちが語っていた感想です。彼ら技術者は日本に来て、その国土の美しさに押しなべて圧倒され、これを非常に賞賛していたそうです。当時の街道には、徳川家康時代に奉行の大久保石見守長安が敷設した一里塚などが、ほぼそのまま残っていましたので、我が国独特の美しい街道並木が外国人の審美眼を大いに刺激していたのです。

 そしてこの街道並木を切り倒し、新しい電信柱を立てて行った時、この工事に当たっていた人足はもとより、これを眺めていた大多数の日本人は、なんと、街道並木よりも、林立する電信柱の列の方が美しいと言ったそうです。これを聞いていた外国人技術者たちは耳を疑う思いだったそうです。いかに文明開花のわざとは言え、それによって生じる国土景観の破壊を嘆息することは当然だと思いますが、なんと、新たにつくられた人工景観のほうが美しいなどと言った感覚は信じがたいことに私には思えます。しかし、そういう記録が残っているそうですから、それは事実でしょう。つまり、日本人のある種のきわめて特徴的な性向がこのエピソードに出ているのです。明治のこの時期の日本人の世界観は、和魂漢才から和魂洋才に推移していた時期でありましたが、国内勢力の中には明らかに「洋魂洋才」の売国勢力が台頭していました。

 これに熾烈な怒りを持って立ち上がったのが、あの有名な熊本敬神党(神風連)の反乱でした。実際は国家の大義を守る義挙といいますか、やむにやまれぬ大和心の体現でありました。三島由紀夫が晩年の大作「豊饒の海」で神風連の逸話(神風連史話)を扱っています。現在は、原田武夫氏や関岡英之氏などが国内に巣食う米国エージェントを注視しろと言っております。私は満州帝国は立派な国土拡張計画だったと考えております。本当に五族協和を具現化し、新興国家のモデル的建国となっています。ただし、終戦時に関東軍の行った満州国放擲は重大な問題があります。寝耳に水のように、北部満州の邦人たちはソ連軍の奇襲的侵攻に対し、無残にも人柱(防波堤)とされ、殺戮や蹂躙、虜囚の憂き目に遭わされています。これは関東軍の棄民的行為と糾弾されて然るべきものでしょう。しかし、南下逃避行の時に住民を守りながら引率した関東軍がいたこともまた事実であります。この痛ましいできごとが、単純に関東軍の最大の瑕疵だったとは言い切れない部分もあります。もちろん、ソ連が条約を一方的に突然に破棄したことが原因でありまして、関東軍は全体の無事な避難が間に合わず、鬼の選択肢を取らざるを得なかった事情もあると考えます。しかし、犠牲になった方々のことを考えますと、ものすごく複雑な気持ちになります。実は私の母も満州南下逃避行の一行にいまして、その目で多くの犠牲者を目の当たりに見ながら生きながらえています。従って、その犠牲は、後世の私でも、歴史の非常さに飲み込まれた哀れな人たちだったと思えない気分もあります。

 T様の言われるように、戦後日本人の精神が、ルビコン河を渡って地獄の一丁目に来てしまったことは、遡れば明治維新に端を発しているような気もします。日本核武装論ですが、たしかにアメリカはけっして容認しないでしょう。しかし、逆に言いますと、日本が核武装論を唱えた場合、アメリカや旧連合国家群には反論の根拠がないことも事実です。なぜなら、戦後の半世紀以上にわたって、日本は完全に非戦状態を貫いた実績があるからです。この非戦状態がアメリカの植民地状態だったから、それは主体性を持つ非戦ではなかったという言い方もできますが、国際的、形式的にはアメリカは日本を同盟国としている以上、日本の自衛的核武装は是認する以外にないはずです。当然、周辺国に対する自衛的抑止手段として核を装備すると主張することは現代戦後体制下においても道理が通っています。もし、アメリカや中国が、ヤルタ-ポツダム秩序を盾にとって、日本核武装論を断固否定するならば、かの二ヶ国が戦後、どれほどの戦争行為を行なったかを、国連の場で堂々と言えばいいのです。日本はインドやイスラム勢力を味方に付ければ核武装への進展も不可能ではないと思います。これにアメリカが反対する根拠は極東国際軍事裁判しかありません。従って、この裁判の裁定思想を覆せば、アメリカに反論の余地はないでしょう。

 しかし、問題の根源は、国際事情というよりも、国内の日本を失った日本人にあるのでしょうね。アメリカや中国に魂を売った売国日本人たちです。日本の心を失った日本人、この問題を解決しなければ日本は永久に蘇生しないでしょう。現代のローマに魂まで蹂躙され、ローマに屈服した東洋の国に、唯一残るのはカルタゴの運命だけです。

 メールほんとうにありがとうございました。また、ご意見を寄せていただければご幸甚であります。

                        神州の泉管理人  高橋博彦


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読者T氏の日本論(1)

「神州の泉」様

 私は58歳の自営業者です。いつも記事を拝読させて頂いて居ります。貴兄のご努力とご高察には敬意を表明したいと思います。更に、貴兄のご指摘の9割以上に賛意を示したいと思います。と言って、残りの1割に反対かと言うと、そうでは有りません。単に、自身の不勉強と伴う理解不足に拠るものです。以上を踏まえた上で、私なりの感想を述べさせて頂きたいと思います。目障り・耳障りと感じられましたなら、どうぞ途中でお止め下さい。

 結論から先に申し上げますと、私には日本国及び日本人が先の9・11解散総選挙に於いて、世界と人類が9・11テロに於いてと同様に、渡ってはいけないルビコン河を遂に渡ってしまったと思わざるを得ないのです。私にはこの二つの事柄が重複して見えます。9・11テロはその反動として、国連を無視したアメリカ主導による多国籍軍の大義無きアフガニスタン・イラク侵攻をもたらし、彼の地は阿鼻叫喚の絶えないこの世の地獄と化してしまいました。世界と人類はアメリカのこの横暴に対して何らの対処も出来ません。

 9・11解散総選挙も、その結果はアフガニスタン・イラクと同様に、現在のところ戦争・内乱という最悪の形態にこそ至ってはおりませんが、内実は日本国内を熾烈なアメリカの日本経済収奪に晒し、更にはそれに伴う超格差社会の出現という極めて不安定で醜悪な混乱に導いている気がします。9・11テロ同様に、日本とその国民はその対策になす術もなく、社会は日に日に劣化の一途を辿っております。上述2件に共通する9・11と言う数字には、何か恣意的なものを強烈に感じざるを得ません。意図的な見えない陰の力が働いている様に感じます。

 9.11テロはさておき、9・11解散総選挙に焦点を当てますと、その結果は日本を更なる劣化と混乱に導くものである事は間違いありません。恩恵を蒙る極く一部の人々を除いて、解散総選挙後の日本社会に於いて状況が改善され良くなっていると思う者など、よほどの馬鹿を除いて、一人も居ないでしょう。大多数の国民が状況の悪化を実感しているのが実状でしょう。今後状況はますます悪化して行き、最悪の事態に行き着くと思われます。何故なら、我々が自身でその結果を招いたからです。政治家やマスコミのプロパガンダに踊らされた結果と指摘する向きもありますが、それが総てとは言えません。肝心な事は、我々自身が事前の深い考察も無くそれを望み・受け容れたという事であり、現況はその結果だという事です。これがルビコン河を渡ってしまったと言う、本当の意味です。

 この萌芽を、私なりに歴史的に辿りますと、勿論江戸末期のぺりー来航に行き着きます。砲艦外交の恫喝に於いても本格的内戦には至らなかった日本ですが、結果として開国・明治維新に至りました。しかし、その様な混乱の中でも”西南の役”が起りました。西郷隆盛による明治政府への反乱です。詳しくは解りませんが、その本質は西郷による政府要人の売国政策に対する義挙でしょう。結果として、国民大衆はこれを支持する事なく、反乱軍は鎮圧されます。後に西郷は国家国民により明治維新の貢献者として偉人に祭り上げられ評価されますが、それこそ後の祭りです。国家国民は西郷の義挙を支持することなく、見捨てた挙句、後になって再評価し帳尻を合わせただけなのです。

 西南の役を境に平定された明治はその後、鹿鳴館という毛唐猿真似の狂乱まで出現させます。何か日本の戦後に似ていませんか。短足胴長の日本人が無理して見栄を張って、ドレス・モーニングを纏いワルツに興じる。西郷が見たら、さぞ嘆いた事でしょう。いつの時代も同じですね。時代は飛びますが、昭和に入り、青年将校団による2.26事件が起きます。これも当時の社会状況に憤慨・絶望した青年将校団による義挙であったと思いますが、結果的に軍や国民の支持を得られず、反乱軍の烙印を押され、首謀者達は刑場の露と消えます。後に義挙は純真なる青年将校達による真に国を思う行動であったなどと美化されますが、これも西郷と同様、後の祭りです。

 その後、満州事変等の動乱を経て、太平洋戦争という本格的戦争に突入して行く日本ですが、その間に満州開拓という国策が行われました。悲惨なのは、その結末でした。国策としてソ満国境周辺に開拓移民として送り込まれた邦人達は、大戦末期の敗戦色濃い当時、もうすぐそこまでソ連軍が迫っているにも拘わらず、何ら情報も与えられず、関東軍に見捨てられたのです。その結果はご存知の通りです。戦後、多くの人々が引き揚げましたが、取り残された人々は残留孤児となりました。その後運良く、身許照会などで帰国を果たした人々の大多数は帰国後、不自由な日本語や政府援助の減額や打ち切り等により、社会の底辺に取り残されている者が多いと聞きます。

 戦後の”ギブミーチョコレート”、パンパンの大量出現、極東軍事裁判、占領軍司令官マッカーサー元帥への盲目的崇拝、売国奴宰相吉田茂の国葬、安保闘争,恒久米軍基地列島、政治家による今日まで綿々と続く汚職・疑獄と全く改善されない状況、公害裁判の異常な長期化による被害者の不救済等々、数え上げたらキリがありません。三島事件の時、市谷駐屯地に於ける三島の檄を目の前にした自衛隊隊員達の三島への嘲笑、今でも鮮明に覚えてます。当時、多くの社会人達の漏らした三島事件への感想は”馬鹿じゃないのー”という冷笑が殆どでした。私も事件の本質が解らず、単に時代錯誤のなせる業と思っておりました。今だから、三島のメッセージの重要性が理解できるのですが。時既に遅しです。そして最後に、真打ち小泉売国政権の登場!

 明治以降の日本の汚点を書き連ねましたが、誤解しないで頂きたいのですが、私は愛国者です。国や国土を愛しています。特に日本民族が武士道を有した事に誇りを持ちます。しかし、明治維新以降の日本人には感心できません。何故かと言うと、日本人自身が日本人の敵として、肝心なときにいつも日本人の前に立ちはだかるからです。明治以降、官僚や政治家が獅子身中の虫として危急の際同胞の前に立ちはだかるのです。その害や止まる所を知りません。国民はいつも甚大な被害を蒙るのですが、事後誰として責任を取るわけでもなく、いつもすべてがウヤムヤにされ、国民の側も何時しか忘れ去り、事は風化して行くのです。武士の時代には、最終的ケジメとして、切腹がありました。故に武士はその挙動において矜持を保ち慎重に物事を推進したのだと思います。明治以降この切腹という最終責任の取り方が日本社会から消滅して以来、日本人はその自身の重みを喪失したのでしょう。

 話を元に戻します。日本が日本人が遂にルビコン河を渡ってしまった真因は、武士道精神を敢えて自ら棄て去った明治維新にまで遡るのではないかということです。反動で顔が赤くなるような猿真似の鹿鳴館の登場がそれを物語っているような気がします。当時の日本支配階級は西欧コンプレックスに陥って、古臭い伝統的日本に恥すら感じていたのではないでしょうか。残念ながら、当時の日本には既に日本の伝統文化を見下し西欧文化を崇める日本人高官達(元勲)が、現在の日本と同じ様に、存在していたのではないでしょうか。その様な者達に日本が指導されれば、いずれは国は誤る。このことを賢明な西郷は見抜いており、身を挺して義挙に及んだのでしょう。

 戦後の日本に於いては、原爆を落とされた上、進駐軍の圧倒的物量を目の当たりにしたにした日本人は、上から下まで西欧文明に圧倒され、盲目的にこれに自ら隷従し、昨日の敵に愛情すら覚えたのではないか。しかもその素地は遠く明治維新に存在していたのではないか。その証拠が、突然の日本人のクリスマス狂騒である。私は今でもハッキリ覚えている。クリスマスにサラリーマン達がとんがり帽子をかぶり、酒に酔いながら銀座を闊歩していた事を。戦後の日本人の大多数は国を挙げてアメリカを、いや敗戦をも歓迎したのです。

 以前、ビートたけしのTVタックルという番組で、常連のハマコー氏が”日本はアメリカの植民地だ”と公然と発言しました。卑しくも政権政党の要職を歴任した元国会議員が、しかも元ヤクザの右翼と目される方が、公の場でされた発言でした。出席者の内、誰一人として、この発言に対し、口角泡を飛ばしてハマコー氏に議論し詰め寄る者は居ませんでした。翌日のマスコミでこの発言を取り上げたところは皆無に等しいと思います。私は思いました”氏の発言は真実であり、戦後の日本は総てマヤカシだったのだと”。歴代自民党政権は植民地日本のアメリカの為の行政機関であり、その政治は決して日本人に対して顔を向けてはいないと。戦後日本の独立はあくまで仮のものであり、アメリカの植民地という実体の上に載せられた虚構であったと。戦後の60年は、政官マスコミ一体となり、日本人を騙し続けた嘘の歴史であったと。日本の真の独立が虚構なら、虚構の中で締結された安保条約など無効に決まっています。

 お恥ずかしい話ですが、私はハマコー氏の説を聞くまで、日本を本当の意味で独立国と思っておりました。従いまして、地位協定等に違反する米軍の理不尽さには青くなったり赤くなったりしておりました。しかし、この件以来、総てが氷解しました。歴代自民党政権、小泉元首相・竹中大臣、安倍首相とその内閣,総て売国奴ではないのです。売る国は既にとっくの昔に植民地になっており売る事すら出来ず、単なる買弁に過ぎないのです。アメリカの傍若無人と日本の卑屈なる平身低頭の意味が良く解ります。アメリカと日本の関係の本質実体は単に宗主国と植民地に過ぎないのです。日本は単に独立国ゴッコをやらされていただけです。不幸にも植民地日本人の大多数はこの事実を知らされる事なく、脳天気に日本国と国民を演じさせられていただけです。

 9・11解散総選挙によって、日本人と称すべき者達が小泉元首相に与えたものとは、彼に対する信任のみならず、米国代理現地行政官としての認証と植民地日本に対する米国の直接統治の受け入れを表明したものであったのです。いま友好国アメリカはその仮面をかなぐり捨て、その下にある宗主国としての素顔を顕そうとしています。その時、植民地日本は明治維新以来のトラウマを総決算させられる筈です。それが、貴兄が記事にて心配されている諸事項の現実化です。因みに、宗主国は植民地をして、決して決して核武装などさせません。させるフリはしますが。

 実は、日本がアメリカの植民地であると自覚して以来、私自身はアメリカに対して愛憎などなくなりました。以前はアメリカに対して好き嫌いがありましたが、自覚して以来何も感じなくなりました。ただ現実を直視したいと思うだけです。それよりも残念なのは、明治維新以来、特に敗戦以降の日本人の著しい劣化です。我が民族には自浄作用というものが全く働かないのだと悟りました。矜持もなく自浄作用も働かない民族が、相手から馬鹿にされ軽蔑されるのは当たり前のことです。安倍政権になって安倍首相は未だ一度もアメリカ訪問をしてません。歴代の首相は就任するとイの一番にアメリカに表敬訪問に行きました。安倍氏は他の国々へは行きますが、肝心なアメリカには未だ行っておりません。これを私流に解釈すれば、9・11の解散総選挙の結果、日本人から統治の白紙委任を得たアメリカは、最早日本と儀礼的な国と国との国交ゴッコをする必要性を感じなくなり、必要な命令は既存の通信手段を以ってすれば事が足り、どうしても必要な時だけ安倍氏が來米すればよいとその方針をきりかえたのではないかと思われるます。

 思いつくままに私の所感をお伝えしました。失礼な点がありましたら、お許し下さい。
                     (2007.01.27)            読者T


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2007年4月17日 (火)

アメリカの野蛮なる真実(2) 

 (読者・通行者さんからの投稿文です)

 歴史は過去に起きたことを解釈したものです。しかし、近現代史はただ過去に起きたことの解釈に止まらず、現代の国家関係を形成するための倫理・道徳を求める上での根拠となっています。そこでは、第二次大戦の戦勝国(主にアメリカとイギリス)はその倫理・道徳を体現する存在となり、第二次大戦以後の(国連を中心とした)世界秩序の基礎となる理念を形成する立場に位置し、敗戦国(主に日本とドイツ)は世界の敵にされて、それ故に、戦後世界秩序の理念への絶対服従が要求されています。つまり第二次大戦が近現代史を解釈する価値の土台となっているということです。連合国共同宣言と国連憲章がそれを象徴しています。

 「この宣言の署名国政府は、大西洋憲章として知られる1941年8月14日付アメリカ合衆国大統領並びにグレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国総理大臣の共同宣言に包含された目的及び原則に関する共同綱領書に賛意を表し、これらの政府の敵国に対する完全な勝利が、生命、自由、独立及び宗教的自由を擁護するため並びに自国の国土において及び他国の国土において人類の権利及び正義を保持するために必要であること並びに、これらの政府が、世界を征服しようと努めている野蛮で獣的な軍隊に対する共同の闘争に現に従事していることを確信し、次のとおり宣言する。

(1) 各政府は、三国条約の締約国及びその条約の加入国でその政府
   が戦争を行っているものに対し、その政府の軍事的又は経済的な
   全部の資源を使用することを誓約する。

(2) 各政府は、この宣言の署名国政府と協力すること及び敵国と単独
   の休戦又は講和を行わないことを誓約する。

 この宣言は、ヒトラー主義に対する勝利のための闘争において物質的援助及び貢献している又はすることのある他の国が加入することができる。」  (連合国共同宣言)
連合国共同宣言
ttp://www.hoppou.go.jp/library/document/data/19420101.html

「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機関を設ける。」(国際連合憲章 前文)

「第53条〔強制行動〕
1 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。 2 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。」(国際連合憲章 第53条)
国際連合憲章(全文)
ttp://www.lares.dti.ne.jp/~m-hisa/uncharter/japanese.html

近代の歴史研究は史料の科学的な分析が不可欠ですが、近現代史の研究の場合、上記の戦勝国=善、敗戦国=悪、の図式を正当化する事象が無批判に歴史解釈の根拠に使用され、史料検証がなおざりにされる傾向が目立ちます。そこにあるのは、第二次大戦の戦勝国の支配の正当化、つまり連合国の利益を維持する方向に働くイデオロギーです。ここではそこから先のことを分析してみます。

 連合国が正義だとされるのは戦争に勝ったということもありますが、何より彼等が民主主義を掲げていたことが連合国の正義を印象付ける最大の根拠となっています。ソ連や中国(当時は中華民国)が民主主義国家かという批判もあるでしょうが、当時は共産主義はまだ資本主義よりも民主的な制度だと信じられていたし、身も蓋も無いことを言えば、歴史とは時間が経つに従って単純化、図式化され大掴みな印象が支配してしまうものです。それで結局のところ現在は、近現代史は民主主義を標榜している米英を中心とした連合国が正しかったという観念が先行しています。そして、米英の民主主義を人類の絶対的な理念と信じさせる原因となったのは、やはりナチスのホロコーストでしょう。

 私はホロコーストは存在しなかったと思っています。ここでいうホロコーストとはユダヤ人を対象とした絶滅政策、もっと具体的に定義すれば、ガス室を使用してのユダヤ人の虐殺のことです。しかし、ホロコーストを学術的に検証する能力は私にはないので、私は、米英の民主主義は本当に人類の理念なのかということを検証していきます。ホロコーストの見直しについては、知っている人も多いと思いますが、これらのサイトをご覧になってください。

ソフィア先生の逆転裁判
ttp://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/sohiasenseinogyakutensaiban2_mokuji.html
歴史的修正主義研究会
ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/

 民主主義という言葉が対象とする概念は曖昧です。政治制度を示す意味で使われる場合もあれば、その制度が目指す目標(つまり自由と平等)を指す場合もあるし、その両方を含めたイデオロギーを示す言葉として使われることもあります。これから問題にする民主主義はイデオロギーとしてのそれです。まず民主主義の出発点とされる、アメリカ独立宣言の要旨を引用します。

 「人の営みにおいて、ある人民にとって、他の人民と結びつけてきた政治的な絆(きずな)を解消し、【自然の法や自然の神の法によってその資格を与えられている】独立した、対等の地位を地上の各国のうちに得ることが必要となるとき、人類の意見をしかるべく尊重するならば、その人民をして分離へと駆り立てた原因を宣言することが必要とされるだろう。

我らは以下の諸事実を自明なものと見なす。

 すべての人間は平等につくられている。【創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。】これらの権利を確実なものとするために、人は政府という機関をもつ。その正当な権力は被統治者の同意に基づいている。……この宣言を支えるため、【神の摂理への堅い信頼とともに、我らは相互にその生命、財産、そして神聖なる名誉を捧げあうことを約するものである。】」(アメリカ独立宣言)
アメリカ独立宣言(全文)
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/america/declar.htm

 ここではまず神との契約が明記されています。彼等の神は当然、聖書に出てくる一神教の神です。これだけではなく、すべての西洋思想は一神教の世界観が前提となっています。つまりは近代社会は一神教の世界観の原理で動いていることになります。

 「自然の状態にはそれを支配する自然の法があり、それはすべての人を拘束している。そして理性こそその法なのだが、理性を少し働かせてみれば、すべての人は万人が平等で独立しているのだから、だれも他人の生命、健康、自由、あるいは所有物に危害を加えるべきではないということが分かるのである。【なぜなら人間は皆、唯一全能でかぎりない知恵を備えた造物主の作品だからである。すなわち人間は、唯一なる最高の主の命に
よってその業にたずさわるために地上へ送られた召使であり、主の所有物であり、主の作品であって、人間相互の気ままな意志によってではなく、神の意のある間、生存を許されるものだからである。】」(ジョン・ロック『統治論』 第二篇、第二章)

 「もちろん、かれはふつう、社会一般の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。外国産業よりも国内の産業活動を維持するのは、ただ自分自身の安全を思ってのことである。そして、生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。

 だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、【見えざる手に導かれて】、みずからは意図していなかった一目的を促進することになる。かれがこの目的をまったく意図していなかったということは、その社会にとって、これを意図していた場合にくらべて、かならずしも悪いことではない。自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進しようと真に意図する場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することもしばしばあるのである。」(アダム・スミス 『国富論』 第四篇、第二章)

 それでは一神教はどういう原理で成り立っているのでしょうか。まず一神教の核にあるのは自然宗教(多神教、アニミズム)の根絶です。一神教の神はこの世界を創造した者、つまりこの世の外にいるはずの存在ですから、自然世界に神が宿るという信仰は、一神教の概念を根底から崩壊させることに繋がります。だから一神教は多神教を偶像崇拝として排除しなければならないのです。

 「あなたの神、主が与えられるどこかの町で、あなたがたの中に、男にせよ女にせよ、あなたの神、主が悪と見なされることを行って、契約を破り、他の神々に仕え、その神々や太陽、月、天の万象などわたしが命じたことのないものにひれ伏す者がいるならば、その知らせを受け、それを聞いたときには、よく調べなさい。もし、それが確かな事実であり、イスラエルの中でこうした、いとうべきことが行われたのであれば、この悪事を行った当の男な
いし女を町の門に引き出し、その男ないし女を石で打ちなさい。彼らは死なねばならない。」(旧約聖書 申命記
17.2,3,4,5)

 「主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですか
ら、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」(新約聖書 ペトロの手紙二 3.10,11,12,13)

 次に、その結果として生じるのは神を共同体の統治の絶対的権威者とすることです。一神教を信仰する者は、自然の秩序の中で生きることを拒否した結果として、彼等の共同体を維持する権威として、(聖書に書かれた)神の命令と、それを履行させるための恐怖が必要になるのです。

 「(だれかが)天下を治めようとして作為するならば、
 わたしはその人は目的を達することができないと断言する。
 『天下』というこの不思議なものは、
 (むりに)治めることのできないものである。
 なんとか治めようとすると、天下を壊してしまい、
 なんとか握ろうとすると、天下を失ってしまう。
 だから、すべてのものごとは(もともと)
 あるものは先に進み、あるものはつき従い、
 あるものはそっと口を吹きならし、
 あるものはいそいで吹きならし、
 あるものは強壮で、あるものは弱々しく、
 あるものは少しく壊れ、あるものはすっかり壊れる。
 それゆえ
 『聖人』は(かならず)極端なもの、贅沢なもの、
 度をすぎたものを捨て去るのだ。」(老子 第二十九章)

 「大道はあふれた川の水のようだ、
 それは左へ右へと流れる。
 万物はそれをたよりにして生きているが、
 それは万物に干渉したことはなく、
 大きな事業が完成しても、
 それがどこでおこなわれたかを言わない。
 (それは)万物を守り育てるが、自分を主とはせず、
 いつも自分の欲望をもたないのでほんの小さなものだとよんでよい。
 万物はそこに向かってゆくが、自分を主とはしないから、
 偉大だとよんでよい。
 それは自分を偉大だと考えない、
 だからこそ偉大になれるのだ。」(老子 第三十四章)

 「『道』が万物を生みだし、
 『徳』が万物を繁殖させ、
 性質が万物に形を与え、
 〔こうしてできた〕具体的な物や器具によって万物が完成する。
 こうしたわけで万物はかならず『道』を尊崇して
 『徳』を重視するのである。
 『道』が尊崇され、
 『徳』が重視されるわけは、
 だれかが命令したからではなく、
 ずっとそのようであったからだ。
 それゆえ
 『道』が万物を生みだし、
 『徳』が万物を繁殖させ、
 万物を生長させ発展させ、
 万物に実を結ばせ成熟させ、
 万物を養い守るのである。
 万物を生み育てながら、それを自分のものだとはせず、
 万物を発展させながら、自分の力のせいだとはせず、
 万物の長となっても、かれらを支配したりはしない。
 これこそが、もっとも深遠な『徳』なのである。」(老子 第五十一章)

 「あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれるが、御自分を否む者にはめいめいに報いて滅ぼされる。主は、御自分を否む者には、ためらうことなくめいめいに報いられる。あなたは、今日わたしが、『行え』と命じた戒めと掟と法を守らねばならない。」(旧約聖書 申命記 7.9,10,11)

 「同じ母の子である兄弟、息子、娘、愛する妻、あるいは親友に、『あなたも先祖も知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか』とひそかに誘われても、その神々が近隣諸国の神々であっても、地の果てから果
てに至る遠い国々の神々であっても、誘惑する者に同調して耳を貸したり、憐れみの目を注いで同情したり、かばったりしてはならない。

 このような者は必ず殺さねばならない。彼を殺すには、まず、あなたが手を下し、次に、民が皆それに続く。あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出したあなたの神、主から離して迷わせようとしたのだから、彼を石で打ち殺さねばならない。全イスラエルはこれを聞いて、恐れを抱き、あなたたちの中でこのような悪事は二度と繰り返されることはないであろう。」(旧約聖書 申命記 13.7,8,9,10,11,12)

 「神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報いを実現なさいます。主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。」(新約聖書 テサロニケの信徒への手紙二 1.6,7,8,9)

 異端審問-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F
魔女狩り-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3%E7%8B%A9%E3%82%8A

 さらに、一神教では神は一人しかいないことになっていますから、一神教の秩序に基づく共同体を確立させるには異教あるいは異教徒を根絶しなければならなくなります。そのことを世界最大の一神教であるキリスト教の教徒達が行ってきた行動が証明しています。

十字軍-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D

「スペイン人はまず西インド諸島にやってきて、エスパニョーラのインディアンに対して一連の皆殺し作戦を行った。歩兵とブラッドハウンド犬をともなった騎乗の征服者(コンキスタドール)たちは、島の狩猟収集部隊をほとんど意のままに打ち破った。女、子供を逃さず、強姦し殺戮した。インディアンの抵抗は容赦なく鎮圧された。1496年までにスペイン人はエスパニョーラ島を完全に制圧した。同様の襲撃はキューバやカリブ海の他の島々に対しても行われた。

 コンキスタドールは国王の名において新世界にやってきたのだが、しかし、それはまたイエスの名においてでもあった。教会はしばしば彼らの手先として、進んで新しい土地の略奪に参加した。司祭は兵士たちと一緒にインディアンの村落にあらわれ、インディアンに向かって、キリスト教信仰を受容すべし、とスペイン語で書かれた公式の催告書(レケリミエント)を読みあげることになる。

 レケリミエントは教会が国王に新世界領有権を与えたと述べていた。そこには、イエスが宇宙の主であり、彼が聖ペテロをローマ大司教に任命し、ローマ法王がアメリカをスペイン国王に授けた、と宣言されていた。」(トーマス・R・バージャー 『コロンブスが来てから 先住民の歴史と未来』朝日選書 第一章)

 「ワシントン大統領はインディアンを保護する点での彼の政府の無能さに悩まされた。ワシントンは『万里の長城か軍の横隊でもなければ』土地投機屋や不法居座りの連中をインディアンカントリーから締め出すことはできないと匙を投げた。ワシントンの陸軍長官ヘンリー・ノックスはフロンティアの男たちと入植者によるインディアンの土地の押収を『力と詐欺による』ものと書き、さらに続けている。

  われわれはインディアンよりも、より強力でより文明化されているのだから、彼らを親切な心で、いや寛容の心すら持って取り扱わな くてはならぬ、国民性にかかわる責任がある。われわれの植民のやり方が、インディア
ン先住民に対して、メキシコやペルーの征服者の 振る舞いよりもなお破壊的だったことを思うと、憂うつな気持ちに沈められる。われわれの悪業の証拠は、合衆国の最も人口の多い部分 ではほぼすべてのインディアンが全く絶滅しているということである。将来、歴史家はこの民族破滅の原因を暗黒色で描くかも知れぬ。

 ワシントンの後の、歴代ほぼすべての大統領は連邦の権威でインディアンの諸権利を保護しようとした――あるいはそうするふりをした――が、そのだれもがインディアンの土地に対する入植者たちの飽くことを知らぬ欲望の前に屈してしまった。」(バージャー『コロンブスが来てから』第六章)

「南北戦争の間ですら、西部では白人入植者とインディアンの間で衝突が起こった。地方の民兵はとりわけ野蛮だった。1864年11月29日、コロラドの志願民兵たちは、サンドクリークの野営地で睡眠中のシャイアン・インディアンの男、女、子供を皆殺しにした。北と南の戦争状態が終わったあとは、インディアン戦争は以前にもまさる激しさで再開された。ロバート・M・アトリーの言葉のとおり、『アポマトックスのあと、合衆国は西を向いた』。それに続く25年の間、合衆国はインディアンに対して戦争を行い、一連の事実上の絶滅政策は、南北戦争の終結から1890年まで続いた。

 南北戦争のあと西部大平原の合衆国陸軍の司令官となったウィリアム・テクムセ・シャーマンと、その配下のフィリップ・シェリダンの両将軍は、ともに南北戦争の英雄だが、両者ともインディアンを絶滅すべしという発言をしたことがあった。ユリシス・S・グラント将軍ですら、1868年の共和党からの大統領候補者の一人として、その要求に呼応する発言をした。言うまでもないことだが、それは多くのフロンティアの男たちが取り上げたスローガンでもあった。シャーマンが南部に対して全面戦争を挑んだのと同様に、彼とその指揮下の将軍たちはインディアンに対して全面戦争を実行した。グラントは大統領になると、建前としては和平政策をとったが、西部のインディアンにとっては平和などありはしなかった。」(バージャー『コロンブスが来てから』第七章)

 「合衆国は寄宿舎つきの学校を設立した。インディアンの子供達たちは何年も学校に保留され、彼らから親たちと部族の影響を取り除く、あらゆる努力がなされた。衣服、言語、宗教的行事を含む、実際上すべてのインディアン的なものが禁じられた。カナダでは、私たちは一般土地割当法は採用しなかったが、先住民の子供たち用の寄宿学校は設立した。それはキリスト教会によって運営管理された強制同化の施設であり、インディアンの全世代に傷痕を与えた。」(バージャー 『コロンブスが来てから』第八章)

 「コンキスタドーレスに代表されるスペイン人、ポルトガル人の新大陸征服事業は、イベリア半島における異教徒イスラム教徒からの国土回復運動の延長であったが、その性格は『三つのG』(ゴールド・ゴスペル・グローリー)
によって象徴されるように、富の獲得とキリスト教の拡大と個人の栄光との三位一体であった。では、異教徒インディアンや黒人が、キリスト教徒に改宗すれば、奴隷化を免れたであろうか。初期にはそういう事例もあった。し
かし、奴隷による商品作物生産が本格的になり、利潤獲得が第一目的になると、インディアンや黒人キリスト教徒の奴隷化の禁止や、あるいは改宗による解放といったことも影を潜め、すべてのインディアン、アフリカ人が(そ
の実現の成否はともかく)奴隷化の対象とされたのである。

 それではキリスト教徒たちは、自分たちの行為の正当性をどのように主張したか。キリスト教徒はアフリカ人の奴隷化を、旧約聖書や新約聖書が奴隷化を是認したこと、神によって選ばれた民が奴隷所有者であり、キリストも奴隷制を攻撃していないし、その弟子パウロは奴隷制の積極的支持者であったと、長い間正当化してきた。」(『近代世界と奴隷制』人文書院 序章)

 「エジプトの国からわたしが導き出した者は皆、わたしの奴隷である。彼らは奴隷として売られてはならない。あなたは彼らを過酷に踏みにじってはならない。あなたの神を畏れなさい。しかし、あなたの男女の奴隷が、周辺の
国々から得た者である場合は、それを奴隷として買うことができる。あなたたちのもとに宿る滞在者の子供や、この国で彼らに生まれた家族を奴隷として買い、それを財産とすることもできる。彼らをあなたの息子の代まで財産として受け継がせ、永久に奴隷として働かせることもできる。」(旧約聖書 レビ記 25.42,43,44,45,46)

 「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけ仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」(新約聖書 エフェソの信徒への手紙 6.5,6,7)

 「奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いな
さい。」(新約聖書 コロサイの信徒への手紙 3.22,23)

 「軛の下にある奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。それは、神の御名とわたしたちの教えが冒瀆されないようにするためです。」(新約聖書 テモテへの手紙一 6.1)

 「奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗したり、盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことになります。」(新約聖書 テトスへの手紙 2.9,10)

「次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているか
らです。」(新約聖書 コリントの信徒への手紙一 15.24,25)

 これらことから近世以降、白人達が異教徒、有色人種に対して行ってきた残虐行為は、一神教のイデオロギーによる必然的な行動だった言えます。世界史の流れで見れば、一神教イデオロギーによって組織された西洋人(白人)国家の世界征服事業、一神教イデオロギーを社会組織へ適用させるために生み出された西洋思想が世界を混乱させてきたことになり、その到達点としての二度の大戦を生み出したことになります。第二次大戦後の世界秩序は、世界の災いの元凶である西洋思想と西欧の国家モデルを基礎として形成されていることになります。戦後世界は最初から誤った運営方針で構築されてきたのですから、現在の世界情勢が行き詰ってい
るのは当然の結果です。

 だからこそ連合国は歴史を捏造しなければならないのです。連合国の世界支配を確立しているものは、西洋文明が人類にとって唯一の文明であるという信仰であり、そして、その文明を連合国が守り通してきたという神話です。西洋文明が人類の唯一の文明だと信じているうちは、人々はその文明の正統性を疑うことができず、そのため、西洋人が歴史上行ってきた残虐行為は黙殺されていますが、西洋文明こそが人類の災いの源であると知られてしまえば、連合国中心史観に与した者は、自分達が下した正義の裁きを、今度は逆に自分達に向けなければならなくなります。彼等は、西洋人が一神教イデオロギーの下に近世から行ってきた異教徒、有色人種の絶滅政策と、その史実を、歴史を捏造することで隠蔽してきた事実を直視しなければならなくなります。そして、西洋文明の犯罪性の要因が一神教にあることが世界の人々に知られ、世界中から一神教を放棄しなければならなくなったとき、一神教の世界観の下で築き上げられてきた西洋文明は崩壊します。


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アメリカの野蛮なる真実(1) 

 (読者・通行者さんからの投稿です)

 「ワシントン大統領はインディアンを保護する点での彼の政府の無能さに悩まされた。ワシントンは『万里の長城か軍の横隊でもなければ』土地投機屋や不法居座りの連中をインディアンカントリーから締め出すことはできないと匙を投げた。ワシントンの陸軍長官ヘンリー・ノックスはフロンティアの男たちと入植者によるインディアンの土地の押収を『力と詐欺による』ものと書き、さらに続けている。

  われわれはインディアンよりも、より強力でより文明化されているのだから、彼らを親切な 心で、いや寛容の心すら持って取り扱わなくてはならぬ、国民性にかかわる責任がある。われ われの植民のやり方が、インディアン先住民に対して、メキシコやペルーの征服者の振る舞い よりもなお破壊的だったことを思うと、憂うつな気持ちに沈められる。われわれの悪業の証拠 は、合衆国の最も人口の多い部分ではほぼすべてのインディアンが全く絶滅しているというこ とである。将来、歴史家はこの民族破滅の原因を暗黒色で描くかも知れぬ。

 ワシントンの後の、歴代ほぼすべての大統領は連邦の権威でインディアンの諸権利を保護しようとした――あるいはそうするふりをした――が、そのだれもがインディアンの土地に対する入植者たちの飽くことを知らぬ欲望の前に屈してしまった。」(トーマス・R・バージャー『コロンブスが来てから』朝日選書 第六章)

「南北戦争の間ですら、西部では白人入植者とインディアンの間で衝突が起こった。地方の民兵はとりわけ野蛮だった。1864年11月29日、コロラドの志願民兵たちは、サンドクリークの野営地で睡眠中のシャイアン・インディアンの男、女、子供を皆殺しにした。北と南の戦争状態が終わったあとは、インディアン戦争は以前にもまさる激しさで再開された。ロバート・M・アトリーの言葉のとおり、『アポマトックスのあと、合衆国は西を向いた』。それに続く25年の間、合衆国はインディアンに対して戦争を行い、一連の事実上の絶滅政策は、南北戦争の終結から1890年まで続いた。

 南北戦争のあと西部大平原の合衆国陸軍の司令官となったウィリアム・テクムセ・シャーマンと、その配下のフィリップ・シェリダンの両将軍は、ともに南北戦争の英雄だが、両者ともインディアンを絶滅すべしという発言をしたことがあった。ユリシス・S・グラント将軍ですら、1868年の共和党からの大統領候補者の一人として、その要求に呼応する発言をした。言うまでもないことだが、それは多くのフロンティアの男たちが取り上げたスローガンでもあった。シャーマンが南部に対して全面戦争を挑んだのと同様に、彼とその指揮下の将軍たちはインディアンに対して全面戦争を実行した。グラントは大統領になると、建前としては和平政策をとったが、西部のインディアンにとっては平和などありはしなかった。」(バージャー『コロンブスが来てから』第七章)

「合衆国は寄宿舎つきの学校を設立した。インディアンの子供達たちは何年も学校に保留され、彼らから親たちと部族の影響を取り除く、あらゆる努力がなされた。衣服、言語、宗教的行事を含む、実際上すべてのインディアン的なものが禁じられた。カナダでは、私たちは一般土地割当法は採用しなかったが、先住民の子供たち用の寄宿学校は設立した。それはキリスト教会によって運営管理された強制同化の施設であり、インディアンの全世代に傷痕を与えた。」(バージャー 『コロンブスが来てから』第八章)

アメリカはこういう課程を経て築き上げられてきた国です。信用なんて出来ません。


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2007年4月16日 (月)

アメリカはハメルーンの笛吹き(流れない原田武夫氏の意見)

      芸能人たちの政治激論スペシャルを見て

 13日の金曜日、本ブログの読者さんが、午後7時の日本テレビに原田武夫氏が出ると教えてくれたので、その番組を見てしまった。それは「太田総理と秘書田中みんなで話せば日本が変わる!春の激論SP」という番組で、爆笑問題の太田光が「総理大臣」となり、国会議員や文化人、芸能人たちが、提案された”マニフェスト”について議論するスペシャル番組だった。

 この中の日米安保がテーマの箇所で、原田武夫氏はほんの数秒間出ただけだった。ケビンとかいう若者が、「年次改革要望書」は一方的じゃなく、双務的だなどと親米派の常套句を言っていたが、原田氏はその言質を捉えて、「今、双務的だと言いましたが、そうじゃないですよ」と言ったきりで出番は終わった。招かれた大勢の識者の中で、原田氏が最も傾聴に値することを言える人物だったが、番組は彼の言葉を封じていた。次の日は、東京で原田武夫氏の講演会があったそうである。それを聴いた人から伺ったが、原田氏は実はスタジオで多くを語ったそうだが、放映時には、そのほとんどはカットされていたとご本人が言っていたそうである。

 つまり、日本のマスコミは識者の対米批判を流さないようになっているのである。戦後の日本人は、日本という国は、アメリカと同様に自由主義が実現されていて、言論思想の自由が文字通り担保されている国であると漠然と信じているところがある。現行憲法でも19条と21条はその権利を謳っている。しかし・・。

第十九条【思想及び良心の自由】
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】
1  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 これらの条文は明らかに効力を持たなくなっている。というか、もっとありていに言うならこうである。戦後の日本では、言論や思想の自由に関して言うならば、ある領域に関して、この二つの条文は一貫して無効であったかもしれない。つまり江藤淳の言う「閉ざされた言語空間」という意味で、この国には思想言論の自由はなかったと言っても過言ではない。その「ある領域」とは、簡単に言えば、日本人が米国の正義や正当性を疑う言辞は一貫して許されなかったということである。原田氏の言うことがほとんどカットされている現実が、GHQ時代のプレスコードがいまだに有効に機能していることを物語っている。この現状が、マスコミの自主規制だけで行なわれているとは到底思えない。明らかに宗主国アメリカによる直接統治の形態が露骨に現われている。

 それにしても、元防衛庁長官の石破茂の日米安保認識は最低の水準だ。この人物の防衛観念はひと言で言って愚劣、ひどい。彼と太田の論争は見ごたえがあり、石破茂の論理矛盾を太田が見事に衝いていた。太田は自身のマニフェストで日米安保をご破算にして考え直すべきだという、彼なりに考え抜いた実に当然の議題を提起していたと思う。しかし、この最も基本的な論議に対し、識者はいつも判で押したようにお決まりの言辞を言い繕い、物事の本質から逃げてしまう。

 そのルーチンワークと言ってもいいような逃げの論理とはこうである。米国と上手く付き合いながらも、言うべきことはきちんと言い続けていく日本であるべきだと。いつものことながら、聞いていてうんざりしてしまう言辞である。日米ともに共有する価値感を基準にして親米を貫き、駄目なものは駄目だとはっきりと米国に言っていくなどという論議は、すでにその論理基盤からして虚妄なのである。東西冷戦の時期には、米軍占領状態の日本は地政学的に、旧ソ連や中国に睨みを利かせる橋頭堡として米国の役に立っていた。したがって、米国は、日本にある程度の国力の温存を期待した。だから日本の経済成長は大目に見ていた。しかし、東西冷戦終結前後は、日本の工業生産力は質、量ともに米国を脅かしていた。そして、東西の軍事的拮抗バランスが崩れ、一人勝ち状態になったアメリカは軍事覇権のパワーを世界経済覇権にシフトしてきた。

 アメリカは、国際軍事に注いでいたパワーを経済覇権にシフトし、友好国、同盟国から富の収奪を徹底して行なう方針に切り替えた。そのためにグローバリゼーションという市場原理主義を各国に浸透させ、その準備が整った国から、金融工学的な手法を用いて富の収奪を行なっているのである。アメリカの餌食になった国は数多くある。ラテンアメリカ諸国、ニュージーランド、東アジア諸国など、IMFと結託したアメリカの熾烈な収奪行動によって国力を殺がれた国は枚挙に暇がない。日本は同盟国という立場にあったが、防衛本能の高い有識者が面従腹背で国富防衛に頑張ってきた。しかし、その必死の体勢も小泉売国政権で完全に影を失ってしまった。

 繰り返すが、親米スタンスで日本は米国と共存共栄を行い、言うべきことはしっかりと言っていくなどと、森本敏や岡崎久彦などはしたり顔で言う。しかし、そんなことはすでに60年安保の時代からさんざん言い尽くされたことであり、今はその姿勢では日本側に弊害しか生まないことがはっきりと出てきている。今の日本は、ごまかしのない真の自主独立志向を問いかける時期に来ているのだ。なぜなら、米国による日本収奪が本格的に始まってしまったからである。石破茂も、拓殖大教授の森本敏も、もっともらしいことを言っているが、彼らの論旨は、煎じ詰めれば、日本は米国の膝下でおとなしく言うことを聞くしかないということである。奴隷国家の論理である。

 終戦時、日本に皇室が残され、国家が存続したのは戦勝国アメリカの温情であると考えている日本人は多いが、その認識が大きな誤りである。もし、当初の目論見のようにアメリカが天皇を処刑するか、あるいは国外追放するようなことを実行したら、あの当時の先人たちの半数は山にこもり、本土上陸した米軍兵と子々孫々に渡るまでゲリラ戦を行なう覚悟を持っていた。このとき、降伏して国を復興しようと考えた他の半数の先人たちと、この徹底抗戦派の熾烈なにらみ合いが始まり、一触即発で内戦状態に突入する事態があったのである。日本人同士の殺し合いを深く心痛された昭和天皇は、終戦の御詔勅を発布した。これによって日本人同士の自滅的内戦は阻止されたのである。

 こういう経緯があったからGHQは皇室の解体ができなかったのである。日本が内戦の無政府状態になったら、アメリカによる統治は事実上不可能になるからである。つまり連合国が最も望んでいた国民と天皇の紐帯の断裂はできなかったのである。アメリカ人のような馬鹿な二値論理判断を軽蔑し、それを嫌う日本人が、このときばかりは決然とした二値論理を選んだのである。すなわち、皇統が断裂するくらいなら、残った国民は総玉砕してもいい、民族は滅んでもいいという覚悟があったのである。原爆が落ちてもこの覚悟は変わらなかった。

今の日本人が、この覚悟の十分の一でも持てたら、アメリカのくびきは完全に取り去ることができる。

 太田が、日本の自主独立を話題にしたとき、石破は、もしアメリカから離れて日本が孤立した場合、中国に付くかロシアに付くか、そういうことを考えてみたらわかると思うが・・などと、アホなことを真面目くさって言っている。つまり、最も強いものに付かなきゃ損でしょ?と言っているのである。山本敏も基本はこれと同じである。誰の子分になるのがいいかという発想を持った時点で、自主独立の精神という議題からは完全に乖離している。これが奴隷根性じゃなくてなんだというのだろう。彼らは真面目くさって言う、アメリカに逆らわずに生きることが最も賢明で無難な国家の存続スタイルだと。識者や知識人、あるいはエリート官僚にこういう奴隷精神があることが、現代日本の致命的な脆弱性なのだ。

 台湾人の金美齢さんだけが唯一まともなことを言っていた。日本人は覚悟を持つだけで米国の桎梏を逃れられると。その通りである。アメリカは傍若無人にイラクやアフガニスタンを攻撃した。独善、偏屈な正義を振りかざして。こういう人殺し国家が標榜する虚妄の正義を受け入れ、国の屋台骨を造る国策を決めて、どうして日本国民が幸せになるというのだろう。アメリカが決める世界パラダイムは世界を地獄へ導くだけである。アメリカは現代のハメルーンの笛吹きなのである。こういう反人類的、独善的な精神性を持つアメリカ(奥の院)が築いた文明の幻影を追いかけてはならない。

 アル・ゴアが「不都合な真実」を世界中にばら撒いているが、産業革命以来、都合の悪い獰猛な収奪資本主義を世界に浸透させてきたのは米英である。世界中の人々から富と希望を奪い、南北格差を生じさせ、今、ガイアという地球生物圏の生命力を奪おうとしている。人を殺し、多様な文明を崩壊させ、地球環境を地獄の荒廃に導く文明が、人類に有用で永続性を持つ道理はない。アメリカが敷いた戦後パラダイムは人類史の終焉を招く本質を内包している。支那の文明圏も同一志向である。この地獄のパラダイムを切り替えて、ガイアを健全な恒常性に導く文明は日本しかない。


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2007年4月13日 (金)

日本大崩壊元年

 来日中の中国共産党国務院総理・温家宝と、創価学会の池田大作氏
が堂々と会見し、その光景が大々的にテレビで報道された。中国の首相
が公式訪問中に、一宗教団体の長に堂々と会った事を、日本の有力マス
コミが自然な成り行きのように報道することが、今の日本が陥ってる恐ろし
い現実を示している。今の日本を捉えている大きな負の潮流は、米国によ
る完全な対日経済支配の完成と、中国によるカルト的精神支配の二つの
流れに剥き身でさらされていることにある。中国国務院総理と創価学会名
誉会長の日本における友好的会談は、リチャード・コシミズさんやマッド・ア
マノさんの掲げる世界が、けっして電波的な陰謀論ではないことを物語っ
ている。

 日本は来月から「三角合併」と言う、外資の参入を歯止めなく許す売国
法案が施行される。また、今年の10月からは郵政公社の完全民営化が
スタートされる。日本は1985年のプラザ合意から、米国「奥の院」による
経済侵略に蚕食され続けていたが、歴代の内閣は面従腹背、その場そ
の場で、できる限りの抵抗をし続けてきた。しかし、この抵抗も、小泉政
権になってからは完全に鳴りを潜め、むしろ積極的に米国利益誘導政策、
すなわち完全な国益毀損型の政策に方向を定めてしまった。国民は小泉
純一郎や竹中平蔵が掲げる路線を、平成大不況を突破する新たな方向
性だと完全に見誤ってしまった。その最大の過ちが2005年の郵政民営
化関連法案の成立を許容してしまったことである。

 彼らが推し進めた「構造改革」は、端的に言えば、従来の日本型経済
構造を破壊して、外資が参入しやすい構造に日本を作り変えた
という
ことである。小泉構造改革の骨子として拙速に進められた規制緩和、規
制撤廃路線は、自由競争にして日本経済を賦活させていくという標榜と
は背反し、その実態は、日本の企業や優良資産のすべてを外資が食い
荒らすために行なわれたものである。その結果が三角合併や郵政事業
の拙速的解体である。小泉政権のこの亡国的現実を感知しない大多数
の国民の知的怠慢は、子々孫々に至るまで日本史に大きな禍根を残す
ことになった。それどころか、日本史の連続性そのものが青息吐息の状
態に陥っている。

 こういう流れの中で、良心的な警告を発し続けた勇敢なエコノミストである
植草一秀氏が、売国勢力の薄汚い罠に嵌められてしまったのである。

 このまま行けば、平成19年(西暦2007年)の今年は、間違いなく「日本
大崩壊元年」になるだろう。日本人が覚醒しなければ、まもなくこの国は滅
びてしまうだろう。我々日本人はローマに翻弄されたカルタゴ人とは違うの
だ。今、民族の理性と矜持を取り戻さなければ、この日本は外側にうようよ
徘徊する禽獣や猛獣たちの格好の狩猟場と化してしまうだろう。
 


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2007年4月10日 (火)

第三回公判(1月25日)傍聴記

     第三回公判(1月25日)傍聴記(支援者A氏)

(植草氏を蒲田駅から蒲田署に護送した巡査部長の証言)

《警察のでっち上げが余りにも明白で、傍聴記を書く気になれませんでしたが、3月28日の公判で、電車に同乗していて逮捕したT氏の証言との整合性を見ることで、T氏が実は替え玉であったのではないかという疑惑が出てきました。それが裁判の行方を左右する可能性があります。是非、多くの人にアオキ氏の証言とT氏の証言を比べてみて頂きたいと思い、傍聴記を書きました。》

証人 アオキヒデオ

アオキ氏の証言:

   ---最初は、検察側の尋問であった。---

アオキ氏:  私は9月13日に植草一秀氏を京浜急行蒲田駅で逮捕した警官である。蒲田警察署の巡査部長である。私は、昭和53年に警官となり、平成17年から蒲田警察署に勤務。平成18年9月13日の夜、痴漢の現行犯として逮捕した。9月13日午後10時30分頃、京急蒲田駅で身柄を引き取った。その名は植草一秀。ここにいる人に間違いありません。110番指令からパトカーで警備中、指令を受けた。そのときセキ巡査と一緒だった。すぐに蒲田駅に行った。指令を受けたのは午後10時21分頃と記憶している。

《電車が到着したのが10時18分だから、僅か3分後ということになる!》

 続報がありました。痴漢の被疑者には、あまり(?)がある(前科がある)と聞きました。

《なぜこんなに早く、前科があることが分かったのだろうか。植草氏を逮捕したT氏は、捕まえたのが植草一秀氏であると確認したのは、翌日だったと証言している。》

 10時30分頃に、駅に到着しました。事務室に入ったところ、駅員が犯人らしき男の胸元を押さえつけている様子でした。犯人と思われる男は、何らかの抵抗を行っていた。私が男に近づくと男は抵抗を止め、おとなしくなった。犯人らしき男は「植草一秀という名前ですね」と聞くと「はい」と答えた。それ以前から名前は知っていた。個人的というわけでなく、著名人だということで知っていた。そのときは植草一秀とは気付かなかった。会社員風の男だった。

 彼は立ったままだった。男の表情は酒を飲んでむくんだ表情だった。しかし、さほど飲んでいたとは思われなかった。ふらついていたとは思わない。無言のまま、下向きかげんで立っていた。その後落ち着いて、イスに座ってくださいと言いました。落ち着いて聴取しようとしました。彼は無言のままゆっくりと座った。特に変わった言動は無かった。下向き加減だった。「あなたは何をしたのですか」と聞いたら何も答えなかった。暫くして「電車の中で女性に不快感を与えるようなことをしました」と言った。

《植草氏は、このような発言をしていないと証言している》

 そのとき、彼が電車の中で痴漢行為をしたのだと思いました。それは、すでに痴漢容疑で事務所内に連行されていると聞いていましたから。そういう認識があったと思います。

検察官:  なぜ「女性に不快感を与えるような行為をした」という回りくどい言い方をしたのだと思いますか。不快なことと言っても、電車の中で足を踏んでしまったとかということもありますが、なぜ男が痴漢をしたのだと思いますか。

アオキ氏:  いくら痴漢をしたことを認めたくても、恥ずかしくて言いにくかったと思う。だからこの表現が本人にしては、精一杯だったと思う。ごまかそうとしているとは、思わなかった。否認しようとか、逃れようとかしているようとは思わなかった。否認するなら「俺はやっていない」とか言うだろうが、そうは言っていない。

《植草氏本人は、一度も痴漢を認めたこともなければ、女性に不快感を与えるようなことをしたという発言を行ったことは無いと言っている。当日の調書にも、犯行を否定しているし、それどころか、当日なぜ逮捕されたかすら教えられなかったと証言している。ということは、アオキ氏の証言は周到に準備された嘘ということになる。「女性に不快感を与えるようなことをした」という発言は過去の事件での彼の発言だ。彼は事前にそれを読んでいて、それを「引用」したのだろう。》

アオキ氏:  それから、不快感とはどういうことなんだということを尋ねました。

検察官:   何を聞き出したかったのですか。

アオキ氏:  痴漢行為の具体的な内容を聞き出そうと思った。そのことに対し、彼は無言のままだった。時折、目線をあげるなどしていた。無言の状態が10秒以上あった。

検察官:   なぜ、そうしたのだと思いますか。

アオキ氏:  本人にとって、羞恥心やプライドといったものがあり、生々しい言葉で痴漢をした、お尻を触ったなどと言い出せなかったのだと思った。

《よくまあ、ここまでストーリーをでっち上げるものだと思う。当日の調書には、犯行を否定していたと書いてある》

アオキ氏:  それ以上供述が得られないなら、捜査員に取り調べをゆだねることにしました。そこで確認をするため、痴漢行為の確認をした。

検察官:   質問の具体的内容は?

アオキ氏:  質問について間違いないかと尋ねた。彼は「私がやったに間違いありません」と言った。声を荒げるでもなく。表情は普通でした。やっぱり、痴漢行為をしたことを認めたと思いました。

《警察官がこういう偽証を平然と言うとは、桜田門が泣く》

その後、身分を確認しました。自動車運転免許証で確認した。私の事情聴取で誰かに似てるなと思っていましたが、植草教授という身分を確認しました。その後、被害者のほうに行こうと思いました。

検察官:  なぜですか。

アオキ氏:  被害事実の確認をしたかったからです。

検察官:   被害者はどこにいましたか。

アオキ氏:  被害者は同じ駅事務所のロッカーとついたてで区切られていた所にいました。犯人の男は、遅れてきたセキ巡査が私の横に来たので任せました。被害者のほうにいた、伊藤巡査部長が被害者の事情聴取をしていて、どういう被害があったかを聞いていた。伊藤巡査部長は被害者は「電車の中で後ろにいた男に痴漢をされた。スカートの上からお尻を触られ、スカートに手を入れられた」と言っていたと言った。そこに私どもの小池警部補が入ってきて、聴取した。小池警部補は蒲田警察の地域を担当している。小池警部補に、犯人は著名人で、痴漢行為を認めていると言いました。その後、蒲田警察署に連行しました。私を佐々木巡査が連行した。9月13日午後10:35頃に連行しました。

《ということは、現場に駆けつけた警官は少なくともアオキ、セキ、小池、佐々木ということになる。電車が着いたのが10:18で、到着が10:30、連行が10:35、つまり到着してから、連行するまで僅か5分ということになる。こういう展開を電光石火で仕上げるには、事件発生前の準備が周到だったことになるのでは?本当に痴漢事件が起きていたなら、とてもこうはいかないだろう。これは、あらかじめ仕組まれたシーケンスに沿って、首尾一貫した意志のもとで、きわめて短時間に進展したとしか思えない状況である》

アオキ氏:  そのとき、同じパトカーにセキ巡査を乗りました。犯人は特段声を出すとかはなかった。パトカーが蒲田警察署に着いてから、生活安全課の取調室に行き、生活安全課の警察官に引き継いだ。引き継いだのは10:45だった。

検察官:  京急蒲田駅で歩いていく途中とか、パトカーの中とかで、犯人は「自分はやってない」「人違いだ」とかのように否定する言葉はありましたか。

アオキ氏: ありません。

検察官:  「なにをやったか覚えていない」という発言はあったのか。

アオキ氏: ありません。

検察官:  酔いの程度はどうでしたか。

アオキ氏: 酔っているように思えなかった。酔いのためにふらついていたというようなことはなかった。

----次に、弁護人による反対尋問があった。----

坂井弁護人: 勤務時間は、翌日午前9:30までだったのですか。実際いつまで働いたのですか。

アオキ氏:  いつまで働いたか覚えていません。当初は9:30まで働く予定になっていましたが、いつまで働いたか覚えていません。

坂井弁護人: 駅に到着したのは10:30ですか。

アオキ氏:  はい。時計は確認しました。その後、連行した10:35も、生活安全課に到着した10:45も時計を確認した。

坂井弁護人: 駅事務室にいた警察官は、誰でしたか。

アオキ氏:  私とイトウ巡査部長が先に着いて、パトロールをしていたセキ巡査、指令を受けて、イトウ部長、ササキが来た。2台のパトカーがついた。駅の事務室にいた人は、駅員が2名、関係した男が2名、犯人が1名だけがいた。被害者はロッカーと衝立の中にいた。女の気配は分からなかった。駅員の洋服については覚えていない。被告人に聞いていたときセキ巡査が来たが何も言わなかった。

弁護人:  被告人がネクタイで首をしめて自殺しようとした話を聞きましたか。

アオキ氏: はい。警察署に行ってから、イトウ巡査部長から聞きました。イトウ氏は駅員から聞いたようです。私の補助にセキ巡査が来た。被告人になにをしたのですかと聞いたら、うつむいて「女性に不快感を与えるようなことをした」と言った。

弁護人: 「それはどういうことをしたんだ」と聞いたことはありますか。

アオキ巡査: 「ありません」

弁護人:  痴漢のことかと示唆したことがありますか。

アオキ巡査:  ありません

弁護人:  イトウ巡査から聞いて「スカートの中に手を入れたか」と聞きましたか。

アオキ巡査: 被告人にその場では、犯人に聞いていません。無線で「暴れがある」ということを聞いたので4人がいた。生活安全課の係長に引き継ぎ、そして状況報告書を作った。現行犯逮捕報告書をイトウさんが作成。取り扱い状況報告書、9月13日、を作成。間違いはないのかと聞いて「やったことには間違いない」と言いました。逮捕手続き書は記憶に基づいて作成。警察署に戻ってから書いた。被告人が罪を認めていないことは、新聞報道で聞いた。

  ---小林弁護人の質問への答え---

アオキ氏:  駅に着いたとき、駅員と男がもみ合っていた。駅員が男の胸元を掴んでいた。駅員と犯人は声を出していなかった。その後引き継いだとき、何も駅員と話をしていない。

弁護人: あなたは、今まで痴漢の通報を受けて言ったことはありますか。

アオキ氏:  はい、2回あります。(・・記録漏れ・・)女性に不快感を与えて、痴漢を認めていると、110番指令を受けて行きました。

弁護人:  痴漢を認めていると考えた理由は何ですか。

アオキ氏:  本人は痴漢として駅事務室に連れてこられ、私も痴漢逮捕としてかけつけていました。

弁護人:   セキ巡査は引き継いで何をしたか。何を質問したか。

アオキ氏:  警察署に着いてから聞いたことですが「話をしたら何も答えなかった」と言ってました。「何で来たのか分かっているのかと聞いたが何も答えなかった」被告人はメガネをしていた。

坂井弁護人: 被告人はネクタイをしていましたか。

アオキ氏:  していません。

弁護人:  どこにあったのですか。

アオキ氏: 駅員が持っていました。それをイトウ巡査に渡しました。

石川検察官:  「私がやったことに間違いありません」と言ったとき、声を詰まらせながら言ったのか、時間的な間隔を開けて、つまり一呼吸あけて言ったのか。

アオキ氏:  間隔を開けてです。

《検察は、でっち上げを完成するために、こういう意味のない質問をするのだろうか・・・》

大村るい裁判官: 「女性に不快感を与えるようなことをした」「私がやったことに間違いありません」といったことをセキ巡査は聞いていなくて、あなただけが聞いたということですか。

アオキ氏:  被告人が罪を認めていないことを新聞報道で聞きました。作成時、捜査員は被告人は罪を認めていないと言ってました。

裁判官:  酒の臭いはなかったのですか。

アオキ氏: 顔が赤くむくんだようでしたが、臭いはしていません。

裁判官:  彼は被害者と合わせてくれとは言わなかったのですか。

アオキ氏: 言いませんでした。

宮本裁判官: メモはその場で書いていたのですか。

アオキ氏: 書いていません。

裁判官:  持っていましたか。

アオキ氏: はい。

裁判官:  署に戻ってから思い出して書いたのですか。

アオキ氏: はい

裁判官:  あなたが、話していたとき、イトウ巡査が被害者と話している声は聞こえましたか。

アオキ氏: 聞こえませんでした。ロッカーに囲まれてたし、電車の往来があって聞こえませんでした。

裁判官:  あなたと被害者の距離はどのくらいでしたか。

アオキ氏: 5mくらい離れていました。

裁判官:  大声で話していたということはなかったのですか。

アオキ氏: ありませんでした。

裁判官:  ネクタイをしていなかったが、そのときどこにあったかわかりましたか。

アオキ氏: 分かりませんでしたが、署に言ってからネクタイはイトウ巡査が持っていることを知りました。

裁判官:  イトウ巡査に渡すところを見たのですか。

アオキ氏: 見ていません。

裁判官:  自殺しようとしていたという、その痕跡はありましたか。

アオキ氏: 分かりませんでしたが、顔が赤かった。首にネクタイで絞めた後も分からなかった。ワイシャツが開襟で、しわくちゃだと分かった。

裁判官:  植草氏であることは分かりましたか。

アオキ氏: 免許証で分かりました。それまでは見たような顔だと思っていました。前回の事件は知っていました。

裁判官:  被告人が罪を認めたと言われましたが、認めさせようとしてはいませんか。

アオキ氏: 取り調べではしていません。事情聴取はしました。

神坂裁判長: 駅員、関係者2名に対して事情聴取はしたのですか。

アオキ氏: していません。どういうことになったか、後からセキ巡査が聞いています。セキ巡査が逮捕した人(T氏)の事情聴取を、イトウ巡査が駅員の事情聴取をしています。

裁判長:  取り扱い状況報告書には、被告人はやったことを認めていないと書いてありますが、このことを知っているか。

アオキ氏: 知っています。

《警察作成の書類には植草氏の発言が、色々矛盾する形で書いてある。彼は一貫して無実であると言っているのにも拘わらず、警察が書類をねつ造するからこのようなことになる。》

裁判長:  被告人の取り調べで、被告人は何と言いましたか。

アオキ氏:  覚えていないと言いました。

《植草氏によれば、「痴漢をした覚えはない」と言ったのに、「痴漢をしたかどうか覚えていない」と言ったと調書をねつ造されたそうだ。》

これに続いて○○○○○○○という繊維鑑定の鑑定人からの証言があったが、これは省略する。


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