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2007年6月27日 (水)

年金問題の向こうに待つ地獄!!

お知らせ:今年も半分ちょっと経過しました。本日より人気blogランキングに参加してみました。皆さんの応援をお待ちしております。(7月1日)
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 TV朝日で今”ボーナス減額に応じない場合、社保庁解体後の組織に採用しない可能性がある”と報道していたと知人から連絡があった。いつの間に社保庁の解体が決定したのだろうか?知人は、これはサブリミナル効果狙いで、今のうちに既定事実のように報道して、国民にある種の洗脳を施したのではないかと言っていた。

 「社保庁解体後の組織に現職員を採用しない可能性がある」などというのは、どう考えても、国民意識の誘導操作なのだと思う。年金掛け金が宙に浮いていることや、それに応じた金額の行方の問題などに対し、国民の怒りが沸騰しているうちに、社保庁のような組織は解体して当たり前だというロジックが強化されていることは間違いない。

 年金問題に怒り狂っている国民は、社保庁解体の真の目的に気が付いていないようだ。それに加えて、今、ニュースワイドショーを中心にミートホープ(株)の偽装牛肉報道が執拗に繰り返されている。自民党の売国勢力は電通などを通じて、偽装牛肉問題を拡大して年金から目を逸らしているのだろうか。まったく姑息である。この手法は何度も自民党がやっているから、かなり多くの人が気が付いてきている。自民党は選挙のたびに民主党のスキャンダル暴きを定番のように行なってきた。細野豪志衆院議員(35)と美人フリーキャスターの山本モナ(30)の不倫が発覚したことや、永田寿康議員の偽堀江メール事件があった。

 今度の参院選はこのまま行くと、年金問題、そして住民税値上げショックも相俟って、自民党は大敗する惧れがある。今、自民党幹部連中は、それを阻止しようと躍起だろう。またいつものように姑息に民主党のイメージダウンを狙っているのかもしれないが、さすがに今回はその程度では自民党への風当たりが弱まりそうもない。すると彼らは牙を剥いて荒ワザを繰り出す可能性がある。その仕掛けの結果、国民がやっぱり自民党じゃなきゃ国政を運営できないなと思わせる何かをやるかもしれない。それが何か見当は付かないが、もしかしたら国家的ハザードを演出するかもしれない。すなわち偽装テロ事件である。米国が自民党の敗北を阻止する方向に影から力を貸すだろうから、北朝鮮のテロリストなどをこしらえてある種の破壊活動を首都圏で仕掛けるかもしれない。たとえばサリン事件のような騒擾事件が想定される。まあ、わからないが彼らが何かウルトラCを出す公算は大きい。

 社保庁解体が当然であるかのようにテレ朝が報道したことに話を戻すが、社保庁解体の真の目的が、国民の怒りの沈静化ではなく、実は外資参入への幕開けだということに国民は思い至らない。自民党の売国勢力が真に危機感を持っているのは、解体後に組織される民間の年金機構が外資参入の目的を持つことを国民に知られることに他ならない。郵政民営化と基本は同じである。国民は今の年金問題の向かう先に最も恐ろしい罠が潜んでいることに気が付かない。新設の年金機構に外資が参入すれば、国民はいくら年金掛け金を積み立てても、それはけっして戻っては来ないだろう。なぜなら年金がごっそり奴らに収奪されるからである。これこそが真のクライシスである。怒りに任せて社保庁を攻撃する気持ちはわかるが、社保庁職員の怠慢などという次元をはるかに飛び越えた国富の収奪が目論まれていることを国民は知るべきである。莫大な郵政資金と莫大な年金資金が海外に流れたら、日本は事実上無一文国家に転落し、地獄のIMF傘下に入ることになりかねない。その時、日本経済は這い上がる余力さえ残されていないのだ。

  何度も言っているが、売国マスコミに扇動されてはならない。

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本邦警察の悪習、代用監獄の弊害

 6月22日の東京新聞にこういう記事が出ていた。国連拷問禁止委員会が批准国からの報告書を見て、日本の警察の取調べや難民認定制度のあり方に対してレッドカードを突きつけたという内容である。このことに関連して、植草一秀氏の不当逮捕・不当勾留も、もちろん大いに関係がある。ジュネーブにおいて、国連拷問禁止委員会は日本の報告書を審査し、相次ぐ冤罪などを鑑みて、「日本には人権を守るという価値観がないのか」という声が出た。同委員会は日本に対して具体的な勧告案を採択し、日本は一年以内にその対応について返答を求められている。特に日本に冤罪が生じやすい土壌を形成している一つの厳然たる理由に代用監獄、すなわち「人質司法」の問題がある。

 東京新聞によれば、「取り調べが昼夜続き、そこから真相を引き出そうとするのは、推定無罪の概念が欠けている」「取調べのために拘禁され、さまざまな自白を強制されている。目の前の人が無罪だということから始めなければならない」―  。

 国連のこの組織は、拷問禁止条約の批准国に対し、条約の履行状況を審査している。今回は日本の警察の留置場が拘置所代わりに使われている、いわゆる「代用監獄」が取り上げられ、十名の委員全員から厳しい批判が出されたそうである。代用監獄は警察にとって、長時間の取り調べに便利である。長い日数、拘置するそのやり方は、自白強要、ひいては冤罪を招きやすい。国連人権委員会も1998年に懸念を表明していたが改善が見られないとして、今回、再度同じ問題が浮上した。この委員の中には周防監督の痴漢冤罪を扱った作品「それでもボクはやってない」を見た人もいて、「痴漢行為で過剰な取り調べを行う一方では、ジェンダー絡みの家庭内暴力など、より重大な事件を放置しているのは理解しがたい矛盾ではないか」と言っている。

 この委員会では、最近マスコミに取り上げられている二件の冤罪のことも言及されたそうである。一つは富山県の男性が強姦事件で服役後に冤罪が発覚したこと、もう一つは、鹿児島県議選の公選法違反事件で全被告の無罪が確定したことである。新聞によると、日本の代用監獄では、起訴前の拘置期間が逮捕一回につき、最大23日間に及ぶ。国連拷問禁止委員会はこの23日が異常に長すぎるとして深刻な懸念が表明された。国際標準は24時間拘束が普通、長くても48時間という実態から、「拘禁できる最長期間の制限」を勧告し、一日あたりの取り調べ時間制限も求めてきた。取り調べにおける弁護士の立ち会いや、ビデオ録画といった方法で体系的に監視される必要性も強調したそうである。

 東京弁護士会のサイトによれば、

 我が国の刑事訴訟法では、逮捕された被疑者は、3日以内に裁判官の面前に引致されなけれぱならず、裁判官が勾留の決定をすると、被疑者は拘置所に移されて、最大10日間(更に10日間、特殊な犯罪の場合には15日間延長が可能)拘禁されることになっています。
 しかし、実際には、監獄法(1908年)で「警察官署に付属する留置場は之を監獄に代用することを得」と定めているため(1条3項)、ごく例外的な場合を除き、全ての被疑者が勾留決定後、捜査を担当する警察の留置場(代用監獄)に連れもどされます。被疑者は、警察によって、逮捕後23日間も拘禁され、身柄を管理されるのです。この警察留置場に監獄の代用として被疑者を長期間拘禁し、取調べを行うことを認める日本独特の制度が、「代用監獄」制度です。

     http://news.livedoor.com/article/detail/1903200/

  さて、昨年の9月13日に、京急電車内において痴漢容疑で逮捕された植草一秀氏の場合は、確か蒲田署に10月19日まで留置されていたと思う。そのあとは小菅の拘置所に移管された。つまり植草氏が代用監獄に留置された期間は36日間、一ヶ月と6日間である。この拘禁日数は監獄法で決められている最長23日を13日間も越えている。その間、植草氏にどのような苛酷な取り調べがあったのか、ご本人から伺う以外に知る由もないのだが、彼は「意見陳述書」でこう述べている。

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 検察官は、「否認を続ければ、裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」と学校等でのいじめを意図的に誘発するとも受け取れる発言を繰り返し、また警察官は、「否認して裁判になれば必ずマスコミのえじきになる」、「否認すれば長期の勾留となり小菅に移送される」と繰り返し述べ、罪を認めることを迫り続けました。
 ( http://uekusajiken.ganriki.net/sokki/12060601.html ) より引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 これは人権蹂躙というよりも、官憲による悪質な恫喝以外の何物でもない。植草氏が警察署に留置されている間に、上記のような非道な取調べが続いていたことが推し量れるのである。日本では旧態的な男尊女卑の裏返しから皮相的なフェミニズムが横行し、痴漢については被害女性の言葉を絶対視するようである。無実の被疑者であっても、推定無罪は採用されず、初期から推定有罪でことが運ばれていくという慣行が続いている。こういうはじめに有罪ありきの過程の中で、代用監獄制度が冤罪発生に拍車をかけている現状は是正されるべきである。今回の場合は、警察が面子を保つために誤認逮捕をごり押ししようとする冤罪ではない。植草氏の逮捕とは、エコノミストとしての植草氏の経済視点が、従米売国路線に本邦を誘導する勢力に真っ向から反していることに起因する国策捜査であることは間違いない。従って、代用監獄における彼への詰問は苛烈さを極めたに相違ない。彼はこの厳しい状況によく耐えたと思う。


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2007年6月25日 (月)

白昼の悪夢「小泉新党結成!?」

 お昼のテレ朝の番組で、小泉新党が結成か?などという話が聞こえてきた。何でも、郵政民営化を後戻りさせるようなことがあってはならないという設立論旨で、武部勤前幹事長や小泉チルドレンを加えて新党を結成するかもしれないとかいう話だった。

 多分、噂の域を出ないガセ情報だと思うが、安倍晋三首相の不甲斐なさに業を煮やした勢力が、願望として小泉再登場論をぶち上げているのかもしれない。今の日本の状況を見ると、ものをまともに考えることを放棄した日本人が多いから、小泉再登場の可能性がまったくないとは言えない状況になっている。安倍も小泉も徹底的な売国路線に変わりはないのだが、劇場型パフォーマンスとヤクザ的押しの強さを持つ小泉純一郎氏が再び組閣を行なったら、今度こそ皇室そのものが危うくなる。

 こんな売国奴でも支持率はかなり高い状態でやめたので、彼を待望している愚鈍な連中が大勢いることには変わりがない。かつて小泉を担ぎ上げた奸智に長けた売国奴たちはごく一部だと思うが、マスコミの情報操作に踊らされて小泉氏の謀反人的メンタリティを見抜けず、救国の士だと勘違いしたB層(笑)連中が大勢いるのが日本の現実だ。悪魔に魂を売った男を再度国政の壇上に上げるなどということがないように国民は注意をしてもらいたい。


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2007年6月22日 (金)

植草氏公判に関し、法廷傍聴人の数に大いに疑念を感じる

 東京地裁の第709号法廷で、6月20日、徳間書店を植草氏が訴えている件で民事の公判が開かれたが、これを知人が傍聴してきた。約10分くらいで終わったそうである。 この時、知人は地裁の職員から、刑事事件に使用される法廷と、そこに入室できる傍聴人の数を書いた表をみせてもらったそうである。それによれば下記の通りである。

傍聴者が最大96人が入室できる法廷が数室あり、次に大きいのが52人で、これが21室あった。その次が40人、30人、20人台の法廷。

 ここで我々検証する会の面々も当初より奇異に感じていたが、わざわざ26~7人しか傍聴できない第429号法廷を使うのは妙である。それ以上入室できる他の部屋がことごとく満杯ならともかく、これはいたって奇妙である。

 考えてもみてもらいたい。昨年9月の植草氏の件は、2004年の東京品川駅の手鏡事件に続いて、マスコミがあれだけセンセーショナルに報道したできごとである。有名なエコノミストが起こした事件として、テレビや新聞、週刊誌を大いににぎわせたことは周知の通りである。しかし、彼の公判に使用された第429号法廷は傍聴人がせいぜい多くて27名止まりである。私は96人が傍聴できる法廷を使用しても当然だろうと考えている。あるいは52人が傍聴できる法廷を使うべきである。この52名の法廷は21室もあるのだ。これが今回で八回目になる植草氏の公判にただの一度も使われていないことは考えると奇妙である。

 以前にも本ブログに書いたが、矢田部浩二氏の「お父さんはやってない」の傍聴事例では毎回50名くらいだったそうだ。27名という植草氏公判の場合はその半分くらいである。妙だとは思わないだろうか。矢田部氏は一般人であり、植草氏は著名なエコノミストである。矢田部氏には失礼だが、単純に関心を惹くという意味では、公的度合いは植草氏のほうが桁違いに大きい。なのに、なぜ公的度合いの高い植草氏の傍聴者数が半数くらいなのだろうか。裁判所は植草氏の迷惑条例違反の公判内容を強いて外へ知らせたくない何か理由があるのかと勘ぐりたくもなる。

 この事実を穿って考えると、植草氏に関する昨年の事件は国策捜査の色合いを帯びていると考えてもつじつまが合うように思う。何度も言うが、マスコミが植草氏の名誉を毀損する目的だけで、客観性や公平性を欠いた偏頗な報道を大々的に行なったことには明らかに政治的な背景が存在している。強引な犯罪事実の作出には当然ながら、必ずや不自然さが生じるはずである。そのことを露見させたくない意志が、使用した少人数の法廷に反映しているような感じもしないではない。通常、あれだけ世間を騒然とさせた報道様態から見れば、少なくとも第一回目や第二回目の公判は、傍聴人数が96名という最大規模の法廷を選ぶことには蓋然性がある。ところがわずか二十数名しか傍聴できない小さな部屋を選んだ理由を考えると、法廷自体が公判内容を外部に出すのを嫌っているのではないかという疑いが当然起きてくる。つまり、一般人傍聴者を極力閉め出して、報道関係者だけにあることないことを織り交ぜた報道を行なわせようとする無言の意志を感じるのは私だけであろうか。これを見ると、植草氏が官憲がらみの意図で嵌められた事件であることが公判証言類の矛盾から見えてくることを恐れているからではないのか。現に傍聴記や速記録でその疑いは濃厚になっている。

 東京地裁の植草氏公判の関係者がこの記事を読んでいるなら、私からも是非お願いしたいが、あなた方が公正さを示すつもりなら、今後の法廷を傍聴者数の多い法廷に切り替えるべきだと思う。次回以降の公判はそういう観点からも注目を浴びていることを自覚して欲しい。少なくとも52名が傍聴できる法廷で行なってもらいたい。

 この疑念に賛同し、東京地裁の姿勢に意見を言いたい方は次の連絡先に問いかけていただけるとありがたい。

   最高裁判所事務総局広報課
電話 03-3264-8111(内線3156)


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2007年6月19日 (火)

植草一秀氏、6月18日、第八回公判について

 電車内で痴漢行為をしたとして東京都迷惑防止条例違反に問われて
いる経済学者の植草一秀氏の第八回目の公判が18日午後、東京地裁
で開かれた。 

 この日の公判は留保されていた証書関係の認否確認が行われ、1時
間足らずで終わった。次回公判は7月4日午後1時15分から開かれる
予定。


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2007年6月11日 (月)

社保庁解体論やコムスン・バッシングも国家崩壊の道程

 社会保険庁とコムスンのバッシングが同時期に起きているのは偶然ではない。郵政民営化とあわせて、これらの動きは、ここ数年、急速に進行している国家の構造改変の顕著なあらわれである。今から四半世紀くらい前のことになるが、日米二ヶ国は、経済関係において構造摩擦という叩きあい罵り合いが苛烈を究めていた。その頃は、いわゆる国際舞台の中で堂々と関が原の様相を呈していた日米両国であったが、この熾烈な経済摩擦がある臨界点を越えた時、アメリカの国際戦略が発動した。その結果、日本は内政的にアメリカに経済のイニシャティブを牛耳られてしまい、対外的には構造摩擦の喧騒がぱったりと掻き消えた。それが1985年のプラザ合意である。この瞬間から日米関係の潮目が変わったと言ってもよい。冷戦時代はアメリカも経済大国として余裕があり、日本を保護的に遇していた面もあるが、冷戦以後は日本の産業的実力に席巻され、巨大な赤字を抱えていたこともあり、日本を第一の経済上の敵性国家とみなし、対日戦略を転換した。それがプラザ合意であり、この戦略の発動が確定化したのが、1993年の宮沢・クリントン会談である。

 この会談で「年次改革要望書」が組み込まれ、アメリカによる日本の第二次占領体制が敷かれた。ここにおいて、日本が占領下に置かれたことを知悉する一部の為政者を除き、ほとんどの日本国民は大きな錯誤を持ってしまった。つまり、あれほど騒いでいた日米構造摩擦がぱたりと止んだのである。大多数の日本人は、日米関係が荒れ狂った海から、嘘のような凪状態になったことで、まあ、何とかいい方向に向かっているだろうと思い込んだ。ところが日本の内部で起こっていたことは、日本人のエージェント(売国奴・裏切り者)を動かしながら着々と進行した日本型構造の確実な破壊作業であった。

 こういう流れの中で、橋本政権は年次改革要望書を引き継ぎ、小泉純一郎元総理にいたってはアメリカの日本構造改変要望を完全な形で実行するという、まさに肇国以来、最大級の売国為政を完遂した。小泉前総理は元寇時の北条時宗とはまったく正反対の国家破壊型宰相であった。こういう内政的対日占領戦略において、最大のイベントが郵政民営化であり、郵政公社が株式会社化され、外資が郵政資金を略奪する民営化が実効的に始動されるまであと若干四ヵ月弱に迫っている。その布石として五月には三角合併が解禁されている。そして今、年金問題が先鋭的に沸き起こり、社保庁解体論があたかも当然のように噴出している。確かに五千万件を越える支払い履歴のエアポケットは、国家構造を崩壊させるに足る重要な事件であるが、それ以上に国家崩壊を確実視させるものは、この問題に乗じてマスコミが扇動している社会保険庁解体論から保険完全民営化への動きである。安倍総理の言う「非公務員型の保険機構へ」というのは「民間の保険会社」へ移行するという意味以外にないではないか。これは郵政の民営化とまったく同じ姿である。政府介入の徹底廃止である。老人福祉も年金も自由経済の枠組みに入れられるということだ。ここに外資参入の意図を見る者は正常である。年金の民営化も老人福祉の民営化も、一国の上で人間が生きていく上で、確実に不安定要素となっている。ましてや、これに利益収奪だけが目的の外資が参入したら我々の生涯は野蛮な弱肉強食に放り込まれることを認めるようなものである。これが国家崩壊でなくて何と言うのだろう。

 これに加えて、同時期に出てきたコムスンのバッシングは、社保庁解体論と同様の構造、流れの中にある。コムスンは介護福祉事業では寡占的大手である。この会社の不正や抜けは以前から良く耳に入っていたが、今、マスコミはこの会社を社会悪としてのみ異様に糾弾し続けていて、会社自体の社会的存在意義を故意に説明していない。ここにも介護保険制度を改変して外資参入に道を明けようとするアメリカの陰湿な意図が丸見えになっている。ここ数年来の日本はアメリカによる国家解体が急速に進んでいる。マスコミの誘導的なニュースに惑わされてはならない。郵政民営化、三角合併、社保庁解体、コムスン叩き、これらはそれぞれがバラバラに偶然的に生起したものではない。明らかに年次改革要望書という一貫した占領政策の仕上げとして出てきているものである。言葉を換えて言うなら、これらの動きは「日本に特有な構造の解体」を超えて、国家そのものの解体と言えるものである。この総仕上げは、おそらく小泉がやり残した件名、すなわち皇室解体に行くことは間違いないだろう。 


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2007年6月 1日 (金)

現代日本、危殆に瀕する若者の恋愛事情

  恋愛空間の縮退は民族衰亡に繋がる
 
(年次改革要望書に従えば若者の恋愛空間が消滅する

 最近、国際評論家・小野寺光一氏のメールマガジンでとても気になることが書かれていたので、そのことについて私の時代的な感想を少し述べておく。その気になる記事は、三角合併解禁への警鐘として4月29日に、小野寺氏が小説風に書いていた下記の文である。小野寺氏は三角合併解禁後の日本社会の凋落を次のようにあらわしている。

 国際評論家・小野寺光一作、小説「火の鳥と亡国の人物」より

==============================
 両親は共働きではなかった。
父親は、近くのレンズ工場で働いているが、
母親は、手持ちぶさたに家にいるのであった。
とにかく、「金」がない。

 格差社会の結果である。
父親の勤めているレンズ工場は、親会社のカメラメーカーが
外資に買収されていた。

 三角合併という日本の歴史史上最悪の売国奴内閣の
小泉内閣がやった結果である。

・・・・

 父親がいくら働いても初任給からまったく給料は
上がらないのであった。

 都会に出れずに一生を終えることに
なった。なぜなら、格差社会を推し進めた結果、
東京への流入が増えすぎて、「東京へ田舎者は住むべからず」と
流入制限をかけていたからだ。

 そのため、亡国の彼は、レンズ工場でレンズの研磨工として
一生を過ごした。それ以外に職がなかったからだ。

 そして工場の役職までになったが、月給は手取りで23万円
だった。結婚相手はいなかった。日本人の女性はすべて、米国人
かまたは韓国人と結婚をするようになっており、誰も日本人男性と
は結婚したがらなかった。

そして彼は一生を終えた。

================================

 要は、三角合併後の日本社会は、外資が日本の会社を乗っ取ったうえ、日本人社員を安くこき使って労働生産性を最大限までに上げるコーポレート・ガバナンスを実行した。そのためには手段を選ばない過酷な労働条件を課され、日本人には自由や遊びがまったくなくなってしまうという社会を言っているのだ。この小説の中で私が最も目を引いた部分は、日本人の若者男女には恋愛の自由がなくなってしまうというSFみたいな話である。特に若い男は、ほとんど自由に遣える金を持てないために日本人女性と恋愛ができなくなる。一方、若い女性たちは米国人や韓国人とだけ恋愛するようになるという箇所である。しかし考えてみれば、それは新自由主義社会が稼動した場合、当然の帰結のような気がしている。原田武夫氏も「タイゾー化する子供たち」で、これからの日本は「ワーカー国家」となるとはっきりと断言している。アメリカに奪われる日本の最大のイベントは郵政資金の350兆円がターゲットになっていることだ。三角合併と郵政公社が株式会社化される年度が同じだというのは決して偶然ではない。

 三角合併というのは金融資本主義的侵略の前提条件を満たす法律である。米国利益ということでしか意味を持たない法律だ。ゴールドマン・サックスを手始めとする金融侵略者は、70年代に中南米諸国の国富を吸い取ることに成功していて、その成功経験則で培った金融工学的な手法を日本に余すところなく駆使する算段なのだ。国富を奪われ、文字通りワーカー国家となった日本は、若者に恋愛の空間、時間さえ与えられなくなる息苦しい場所になる。このことがどれほど重大なことかと言えば、少子化どころではなく民族の存亡に関わることであり、結婚が日本人の子孫が残らなくなる方向へ進む可能性がある。これは単に生物学的に子孫繁殖が絶たれるということだけではなく、若者の多彩な恋愛感性から生まれる日本独自の文化の火が消えることにも繋がる。

 若者の恋愛、それは生物学的に人類が子孫を残すためにプログラムされたひと時の熱病なのだろうか。私はそれだけではないと思う。恋愛というものは、人生の中の最も重大で決定的な意味を持つイベントではないだろうか。動物と人間が異なる所以は多々あるが、その中でも、恋愛感情は他の生物とはかなり大きく隔たっている。生物学的な本能が基本にあるとしても、人間の場合は、人間にしかない意識の変容を伴うことは明らかで、それは人間であるが故の精神性を示す一大特徴である。恋愛には強い精神昂揚の発露がともなう。これを周囲のものが見ると、一種の熱病のように見える。古今東西、恋愛は世界中の文学や音楽、その他の芸術的発想を触発してきたことは確かである。若い時は二度とないという話はよく聞くがまったくその通りで、若い時の恋愛も二度とない性質のものであることもその通りである。若者が恋愛をすることは、その恋愛が結婚という形で成就しようと、あるいは失恋という形で破局を迎えようと、その体験はその後の人生に決定的な影響を及ぼす。恋愛論の大御所であるスタンダールの恋愛に関する彼の持論がどれほど正しいのかわからないが、彼の恋愛論には納得することが多い。私も二十代の時、人並みに鮮烈な恋に身を焦がし(笑)、その悩みの中でさまざまな恋愛論を読んだことがある。内容はほとんど忘れてしまったが、記憶に少し残っているのは遠藤周作とスタンダールの恋愛論だった。

 遠藤周作の恋愛論では、恋人に過去の恋愛を聞かれた時、そのことを隠し立てぜずにぺらぺらとしゃべっては絶対にいけないということくらいしか覚えていない。しかし、そのあと読んだスタンダールの恋愛論では「結晶作用」という非常に興味深い恋愛心理のことを説明していた。それを理解してから、狐狸庵先生の語る過去のことを語るなという意味が、わが身の経験を通じて鮮明に理解できた気がした。特に若い女性が恋する若い男性に自身の過去の性体験を語ることはいかなる事情が生じても良くないという狐狸庵さんの指摘は、昔から賢い女性にとっては当たり前のことだった。なぜなら、自分に夢中になっている相手の男が、ほかならぬ自分に対して、想像上の美化を必死に構築させているという強い精神的な作業を進行させているからだ。そのことをスタンダールは結晶化作用と名づけた。これは説明すると長くなるのでスタンダールを読んでもらいたいが、一例として、女性が自身の過去の性体験を話した場合、相手の男はこの結晶作用の精神的作業を即座に中止し、それまでに作り上げた女性の美しい幻影的結晶体そのものが泥を塗られたうえに、無残にも破壊されて粉々になったと感じる。これはほとんど修復できない。私も二十代前半の時、一人の女性に食欲をなくすほど恋焦がれたことがあるが、その女性から過去の同棲体験を告白されて一気に醒めたことがある。あれほど身を焦がしていた自分が冷水を浴びせられたように急激に冷えきったことは自分でも驚きだった。彼女は誠意から正直に言ってくれたのだろう。しかし若かった私の気持ちはいきなり凍った(笑)。これは苦々しい喪失感だった。こと恋愛に関しては何もかも正直であることは罪である。若い人は銘肝すべし。ただし、若くない人々にとってはもちろんその限りではない。(笑)

 結晶作用といえば、私は二十代の前半から生々しい現実とは別に、実際には存在しない女性に結晶作用を生み続けてきたことを告白する。ざっくばらんに言うならいわゆる「憧れの女性」のことである。こういうことは特別に私だけではないはずだ。女性の場合はどうかわからないが、男は若い時に理想の女性像を胸のうちに描いて、それを後生大事に幻影として育てていくことはあると思う。その女性像は、例えばオードリー・ヘプバーンや吉永小百合さん(年がわかるかな、これは)などの映画女優だったり、何かの写真で偶然印象に刻まれた女性だったかもしれない。私の場合は後者であり、二十代のある時、映画の雑誌か何かで、たしか満州のことを書いた特集だったと思うが、その中に李香蘭(りこうらん)という女優のモノクロ写真を見たときだった。彼女の写真を見た途端、稲妻に打たれたように李香蘭に惹きつけられ、これこそ理想の女性だと思い込んでしまった。後年、それが国会議員の山口淑子さんであったと知った時も、私の若い李香蘭に対するイメージは変わらなかった。むしろ李香蘭が日本女性であったことに感動していた。私は現実社会で何人かの女性と付き合ったが、胸にある憧れの李香蘭と現実の彼女を比べることはなかった。李香蘭は私の中で永遠化、理想化された女性であって、現実にいるとはけっして考えていなかった。しかし、それはそれで五十路を過ぎる今日まで静かに自分の中で結晶化を続けている。そのことは強いて言うなら、お気に入りの絵を毎日眺めているようなものである。ふと思うのだが、もしかしたら、私はただ目が大きくて美しい女性が好きなだけで、そういう女性を理想化してしまったら李香蘭にたどり着いただけかもしれない(笑)。しかし、私は数年前に李香蘭とそっくりな女性に偶然出逢って大変驚いた。そして心が大きく揺れ動いた。その女性を最初に見たとき、この世に存在しないものがいきなり目の前にあらわれたというような錯覚を覚えた。その李香蘭を目の当たりに見て、私は人生で最も幸福な時を過ごした。もういつ死んでもいいと思った。当の女性は、自分が冴えない中年男に、理想の李香蘭として見られていたことはまったく知る由もないだろう。その女性はすぐに私の目の前から消えて、いつの間にかどこか遠くへ去っていた。しかし、私の胸の中で結晶化されていた夢の李香蘭は相変わらずその場にいた。しかし以前と比べて、ちょっと変わってしまったことは、そっくりな人を見たために若い時から夢見ていた李香蘭は、そのそっくりさんの面影に自動的に修正されていた。より現実的なイメージに変化したと言うべきだろうか。生きているといろいろと不思議なことが起こるものである。

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 私の李香蘭話はともかく、若い人たちにはスタンダールの有名な「結晶作用」という事実を知ってもらいたい。この結晶作用は実は二種類存在する。一つは、惚れてしまえば、相手の異性に、欠点も何も見えずに盲目的に恋してしまうという結晶作用である。これは相手を完全な美として総体的に捉えてしまうという心理作用である。この段階を超えると、実はもう一つの結晶作用があって、自分は本当に相手を愛しているのか、また相手に愛されているのかという疑念を抱いたり、それを打ち消したりという、自己の内部で心理的な葛藤、すなわちシーソーゲームが行なわれる。そして自分は相手を愛しているし、愛されているという確信が生まれてくる。要するに不安と確信の間を揺らめく心である。これによって第二の結晶作用が進行する。恋愛を経験したものなら、このプロセスはある程度当たっていることは頷けるだろう。言いたいことは若い時の結晶作用は非常に重要であるから、大事にしてほしいということだ。岩石の結晶は美しい。それが形成されるまでは過酷な条件下で長い成長時間を要する。恋愛においては、いい加減な思いで突入すると、この結晶生成過程が上手く行かないことになる。余談だが、次から次へ相手を取り替えている者は、当然ながらこの結晶化は起こらない。起こらないから彼(彼女)は人生の重要な場面で何事も大事なことを得られないことを暗示させる。(もっとも実人生はこういう単純なものでもないが) 若い時の恋愛とは、人生の情緒的な視界を得るという意味で言うなら、ニュートン力学ではないが、初期条件が決まれば人生の軌道や結果が決まってくるようなところがあるということである。人間の情緒性が開けるかどうかは初期の恋愛体験が大きく作用しているのではないかという私の思いである。(さりとて、さほど根拠はない。笑)

 要は、若い時の恋愛は二度と手にできない宝物をいきなり与えられたようなものだから非常に貴重なのである。大脳生理学的にも然るべき理由はあるだろうが、恋愛中は感性が研ぎ澄まされ、その人間の洞察力や知的鍛錬に重要な触発を与えていると考える。最も良いことは情緒性が深まることである。日本人の情緒性の究極とは「もののあはれ」である。世界最古の文学である「源氏物語」も相聞、つまりは恋愛が舞台になり、男女の愛が作者のインスピレーションを絶え間なく湧出させている。我々はともすれば恋愛を艶聞という方向で矮小化するきらいがあるが、若い時の純粋な恋愛は人生の喜怒哀楽を深め、芸術的な感性の幅を広げてくれることは確かに言えると思う。思い出してみるとわかるが、若い時代の純粋な恋は見る風景を輝かせ、未来への強い希望と悦びを期待させるものだ。そして、最初は成就する恋より成就しない恋の方がいいかもしれない。これは当事者同志にとっては残酷だが、あれほど恍惚感に耽溺した悦びの実体が失せると深い悲しみを味わう。そうなった時、妙な言い方だが、それまで平板に見えていた人生のコントラストが見えてくる。これも、もののあはれという日本人特有の情緒性を育む大切な感性の入り口になる。恋愛感情とは、それが熾烈であればあるほど「自分とは何者か?」という存在論的な問いかけに対面せざるを得なくなる。当然そこに答えはない。それでも、溢れ出る感情に押しつぶされそうになりながら、彼は熱病に浮かされたように自己探求をする。この情動、この精神の動きが後年の生活の質を決定すると思う。したがって、若い時分に結晶作用を深く経験することは、その人間の人生を強く左右することになると思う。だから若者にとって恋愛は人生教養の必須アイテムなのである。小泉政権が敷いた新自由主義の社会出力として、これが正常にできない恐ろしさが今目前に迫りつつある。一つ気がかりなことがある。それはITの進化、つまりはパソコンや携帯、モバイル等、情報機器の急速な発展によって、若者同志のコミュニケーションが効率と合理性に傾き、ある意味では昔に比べて恋愛は容易にしやすい状況にある。しかし、過剰な双方向的情報の氾濫は、逆に本来的な精神の結晶作用を阻害しているのではないのかという疑問が浮かぶ。このままでは「万葉集」の歌が理解できず、あの芳醇な精神世界を鑑賞できない日本人が育ってしまうような気がする。人間には一人で自然と向かい合う無為の時間が必要なのだ。特に日本人は。

 話が妙なところへ逸れてしまったが、これからの日本が国策で新自由主義を拡張する政策を続けていけば、間違いなく富の極端な偏在、つまり傾斜的不公平配分が生じ、日本社会は地獄の格差社会になる。それだけではない、国富を吸い取る目的だけの外資が跳梁跋扈し、日本の企業形態は、奴隷的な様相を帯びるだろう。その時、若者は恋愛が自由にできなくなる。これが国家にとってどれほど重大な損失を招くか考えると空恐ろしい。若い男が恋愛できない境遇に置かれると希望がなくなり、知的触発も、積極的モチベーションも縮退し、日本は国力が極端に低下するだろう。

 若い人に言いたいが、スタンダールの語る恋の「結晶作用」というのは非常に面白くて重要なことだ。男女の愛は時代を超えてある程度普遍性がある。したがってスタンダールの恋愛論は現代でも充分に参考になる。一度読んでみたらいかがだろうか。それにしても小野寺光一さんは鋭い。三角合併から若者の恋愛事情の逼迫までストレートに読み取った。私も恋愛に関しては小野寺さんの見解に賛同する。このままインチキな構造改革を進め、アメリカに魂を委ねた自民党に政権を運営させておくと、近い将来に若者はまともな収入も得られず、大切な恋愛もできなくなるだろう。


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