7月4日公判、目撃証人の目撃時間帯
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テレ朝のサンデープロジェクトに、前金融相の竹中平蔵氏と株式会社ドリームインキュベータ社長の掘紘一氏が出て、最近の経済動向を語っていた。竹中平蔵マンセーの田原総一郎氏が、最近の動きとして、米系外資系ファンドのスティールパートナーズなどが行なっているM&A(企業買収)などをどう思うかなどと質問していた。竹中氏は小泉内閣での構造改革路線推進当時そのままに、敵対的企業買収という言葉もなんのそので、昨今の気運では企業が買収にさらされることは当然のことで、その買収者の企業経営戦略が間違っていれば淘汰されるだけの話。だから、経営不良の企業があらわになって却っていい傾向だというような言い方に終始していた。
掘紘一氏は昨今の外資やファンドによる企業買収に対し、日本企業は昔さながらの持ち合い株制度を復活させ、時代が逆戻りしたかのような防衛を行なっている、これではまるで談合だ。しかもライバル企業同士で株の持合をやっているという、きわめて純日本的な形態が発生しているということを言った。私(神州の泉)などは、この動きはきわめて健全な対処法だと思っているが、構造改革路線を単純な進歩史観に同定した竹中氏に言わせれば、これは旧態依然に復帰するきわめて悪辣な動きなのであろう。彼が濫発した言葉で説明するなら、これは抵抗勢力的な動きということになるのだろうか。それにしても三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。公職を離れ、在野に下った竹中氏でも、今だにフリードマン的新自由主義経済の典型的な信奉者であることが言葉の端々から垣間見える。また竹中氏は何でも合併礼賛主義者である。企業、デパート、金融会社、地方都市、すべてが合併して大きなサイズになることは望ましいという言い方も、現役当時とまったく変わらない。
竹中氏は特にこれからの合併で重要なものは「金融」だと断言した。これこそ、彼がハーバード・シンジケートの意を受けた米国エージェントの総帥であることを物語る発言だ。掘紘一氏は竹中氏が百兆近くの不良債権を処理した英雄であるかのような物言いをしたが、とんでもない見当違いだ。こういう馬鹿な発言の前提には、不良債権の迅速な処理が金融システムの安定化を促進するという誤まった前提があるのだ。デフレ下で竹中氏が無用の不良債権処理を行なったために、本邦の金融システムはかつてないほどに脆弱化してしまった。竹中氏はその事実を完全にスルーしている。この見かたは植草さんが小泉政権発足当時からすでに口をすっぱくして語り続けたことだ。
合併といえば、メガバンクの出現で利用者へのサービスが低下し、国民に無用の不安を煽っている現実も無視できないことだ。不良債権の加速処理で日本の金融システムは深刻に弱体化しているが、竹中氏は不良債権処理が大成功で景気は上昇したと今でもうそぶいている。この辺りの経過は菊池英博氏の「実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠」という迫真の名著にあますところなく書かれている。要は、緊縮財政下で竹中氏が行なった金融再生プログラムは日本経済を失速させる悪逆非道なる政策であったということだ。この欺瞞性をいち早く察して警鐘を鳴らしていたエコノミストが植草一秀氏その人なのである。時代の政策を深く見つめた場合、植草氏の良心が訴えていた構造改革のインチキ性は、彼がどれほど国民の側に立っていたかを雄弁に物語っている。彼を痴漢をした、しないの位相で見るのも重要だが、植草氏の言論活動の背景に竹中氏の国益毀損の展望が存在していたことは絶対に認識する必要があるのだ。
サンデープロジェクトと言う番組は、従米マンセー番組そのものだ。国民に奴隷化を強いる番組だ。田原総一郎氏は売国路線の走狗である。今日の番組の締めで、掘紘一氏と田原総一郎氏がとんでもない発言をした。それは次期日銀総裁には竹中平蔵氏が最も相応しいと田原が断言したことと、掘紘一氏が、竹中氏が次期日銀総裁になる確率は六割ないし七割であると言ったことだ。いつの間にか竹中マンセー番組になっていた。真面目な話、竹中氏を日銀総裁に据え付けるというのは、アメリカ「奥の院」の意向だろうが、売国テレビがここまで竹中氏を持ち上げるからには、電通その他がこぞって竹中日銀総裁実現へ持っていくことは充分に考えられるのだ。
竹中氏が日銀総裁になること。これが完全な国家崩壊だ。
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植草さんの応援活動をしていてつくづく思うことがある。 私のようなど素人が高所大所に立って、政治をあれこれ論じる資格も見識もないと思っているが、庶民感覚でなら言いたいことは山ほど持っている。私は個人的には植草氏の実直なお人柄が好きで何とか力になりたいといつも思っている。しかし、私の場合は傑出したエコノミストの濡れ衣をただ晴らしたいという一事だけに心はない。私は植草さんの偉大さは尊敬するが、どこかのタレントに対する一個人が持つ盲愛的なファン心理はまったくない。私が植草さんを真剣に応援するのは彼の逮捕の背後に是正すべき国家の歪曲を見ているからにほかならない。
何の政治的背景も考えずに「植草さんは優しくて良いお人だからかわいそう、こういうお人がやるわけはない、だから彼は無実」などと脳天気な世迷言を言っている輩と私の応援立場は大いに異なる。二年以上も応援していて、植草さんの政策経済論の内実を学ぼうとする努力が皆無であることは知的怠慢であり、その狭隘な精神土台で国策捜査論に否定的な姿勢を持つこと自体が、植草氏応援という大所から見た場合、役に立たないどころか有害でさえある。ただし、この中心人物がある時間、品川手鏡事件に関して応援ブログを開設し、孤立無援で応援していた事実は正直賞賛に値すると思っている。しかし、この頑張りに胡坐をかいて、後半に唯我独尊状態に陥ったことは全体としては有害だと私は思っている。この人物の功績は功績として認めるのはやぶさかではないのだが、今後は悪しき影響しか及ぼさないだろう。応援者としての客観的な視座を失い、自尊心を満たす方向へ行っているこの人物はすでに応援者の資格を失っていると思うのである。これは植草さんご本人にとっても不幸である。
それを私が断言できるのは、植草さん逮捕の不条理性に付きまとう二種類の経済政策論の衝突が根底に横たわっているからだ。実は対立する二種類の経済政策論の内実が読み取れるならば、植草氏の逮捕は不条理でも何でもないのである。この濡れ衣事件の背景は非常に単純である。それは米国や国際金融資本を利する売国政策に敢然と批判を行なったエコノミストが、その売国権力筋に睨まれ、「国権的に嵌められた」ということに尽きるということだ。具体的に言うなら、それは竹中経済路線と植草さんの経済政策論の内在的論理が、国益という観点から言って真っ向から対蹠的な立場にあるということだ。この対立相が読めない、読み取ろうとしない独善的かつ盲愛的なファン心理は度し難いものがある。この馬鹿さ加減については植草さんの第一審が落ち着いたら、本ブログ上で逐次展開するつもりでいる。理由はこういう下劣な輩に偉大な植草さんの命運を預けたら日本の損失に繋がるからだ。ただし、植草さんご本人がその意味を理解しないお人なら、それはご本人の宿痾と言うべきもので、余人にはどうしようもない部分はある。私やフルフォードさん、他の仲間が命を張って国策捜査論陣を張ったことが植草さんの謀殺を防いだ面は否定しがたい。しかし、政治的背景も考えず、修羅場も踏まず、ネットヒロイン気取りに拘泥するこの御仁には、そういう事実はまったく理解できないだろう。まあ、そのうちこいつらの欺瞞の仮面を剥ぎ取っておこう。それもご奉仕の一つだ。
さて、植草さんの身の上に生じたあまりにも不当と言える逮捕は、現今日本が置かれている戦後政治の疲弊と、それを支持する国民意識の鈍磨に大いに関わる背景にある。一昨年の郵政民営化に関わる衆院解散総選挙時は、戦後の二院政治のバランスが見事に崩れた象徴的な現象だった。郵政一色のあの狂気とも言える選挙が実施されること自体、かろうじて良い面が残存していた戦後政治の終焉であった。つまり、良識の府である参議院が自民一党専制政治、官邸主導政治の影響下に陥ってまったく機能を果たさなくなったのである。売国マスメディアが跋扈しても、良識の参院は泰然として悪いものは悪いと言うべきであったのだ。これをもっと深い位相で眺めれば、戦後政治は裏表に米国主導の圧力が常にあったが、日本は面従腹背と、この二院制の防御作用でかろうじて国益を完全に喪失するところまでは行かずに踏みとどまっていた。ところが、小泉郵政選挙時にこの防衛システムは完全に障害を起こしてしまい、通ってはならない売国法案が立て続けに通過するという異常事態が続いている。
常識的な話であるが、もともと議会政治で二院制を採用したのは、衆院の未熟な法案を補完し、あるいは行き過ぎた部分を厳粛に削除するという、目の前の欲得よりも思想的政策論が監視役として機能するからである。だからこそ参議院は良識の府と呼ばれた。しかし、戦後の理想政治はいつの間にか権力凝縮の第一院、すなわち衆議院の権謀術数の影響下に置かれてきたのも事実である。しかし、それでも良識と反骨の議員さんが残存していたために、なんとか売国法案は瀬戸際で留められていた観はある。
明日の参院選に臨んで、参議院が「行政監督者」だという認識を持つ有権者はどれくらいいるのだろうか。衆議院が、暴れ馬に引かれる荷馬車だとすれば、参議院はそれに手綱をつけて制御する御者の立場にある。今度の選挙で郵政選挙の二の舞を演じ、一党(ん?二党?)独裁を狙う売国党にまたぞろ勝たせたら、こんどこそ、言論の自由が確保されている最後の砦であるネットに言論規制が入ることは間違いない。そうなったら、この国が暗黒政治に突っ走ることは火を見るより明らかなことだ。
若い人たちも、フリーターも、無職の人たちも、この選挙が日本という国家の分水嶺であることを自覚して投票して欲しい。テレビやマスメディア、あるいは御用学者の唱える嘘っぱちの政策論は無視していい。自分の良識で選んでもらいたいと願うのみである。よくも悪くもこの選挙が日本の岐路になる。断言できるが、この選挙結果が下手な方向に行けば、米国の膝下に押さえつけられたまま、二度と日本は立ち上げれなくなる惧れがある。売国政党に権利を委ね、国民意識が拡散してしまえば、日本の風土で練られた議会制民主主義の秩序は二度と回復しない。
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(検証する会A氏から頂戴した記事)
恐ろしくわずかな確率!!
7月4日の証人は、事件が起きた時、植草氏から1mの至近距離にいて、彼が痴漢をやっていないことを目撃していた。そうであれば、植草氏の無罪は確定するのだが、検察側は彼は別な事件を見ていたのだと主張する。しかし、その確率が如何に小さいか、それは天文学的な数字となる。検察の主張は、そっくりの事件が2つ同時に起きたという主張だ。これをA事件とB事件と呼ぶことにする。A事件には本物の植草氏がいて、B事件には彼にそっくりの人間がいた。これほど似た事件が同時に起きる確率はどの位だろう。
①植草氏と見間違えるほど彼に似た人物と出会う確率・・・100000分の1
②その男性が酔って、つり革に捕まっている確率 ・・・ 100分の1
③その男性が丁度その日のその時間に品川で乗ってくる確率・・・ 100000分の1
④その男性が2人に取り押さえられ蒲田で降ろされる確率 ・・・ 1000000分の1
⑤今回の被害者と言われる同じセーターとスカートをはいた女性も一緒に降りる確率 ・・・ 1000分の1
これだけで、すでに確率としては10の21乗分の1,つまり0.0000・・・
と小数点の後ろに0が20個も並ぶ小さな確率となる。要するに、このような偶然は起こりえないということだ。彼が罪を犯した確率はこれ以下ということになるわけだ。「疑わしきは罰せず」という原則に従えば罪を犯した確率が50%であれば、有罪にしてはいけないということだろう。であれば、当然、判決は無罪しかあり得ない。
もちろん、検察は、この証人が犯行時間にウトウト居眠りをしていたという主張はしていないし、この証人が被告人に雇われて証言したという主張もしていない。検察には、そのような無茶な主張ができない事情がある。万事休すの状態だが、「かすかな望み」をかけて、別事件を目撃したのではないかという可能性を主張してみたものの、その可能性の少なさに自ら驚いているに違いない。
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この事件においては、犯行が起きたとされる時間帯の確定が最も重要なポイントである。犯行時間帯(あるいは犯行アリバイ時間帯)に言及している証言者は、
①被害女子高生
②検察側目撃者
③一般人逮捕者の片方
④弁護側目撃者
の四名である。
①被害者女子高生 : この女子高生については初期報道からして、本人が正確にどのように語ったのかという資料を目にしたことはない。警察が発表したものがマスコミを通じて報道されたもの、あるいは公判中に検察が散見的に出したものしか私は見ていない。つまり検察側の起訴状を原文のままで見ていない。従って、最も重要で知りたいところの、女子高生の被害状況、特に被害者が語る痴漢行為の起承転結に関する一次情報が見たいが、現在でもそれはできない状況にある。この女子高生は非公開の質問を受けているが、我々のところへはその全貌が出てこない。わずかに検察が断片的に語ることを唯一の情報とする以外にない。しかし、その情報は決定的な意味を持つ。
②の検察側が連れてきた目撃者の場合は痴漢行為の起点が曖昧である。この証人は逮捕者の一人を「私服の男性」と言ったり、植草氏の右肩と左肩の視認についてあり得ないことを語っている。その他の証言にも看過できない矛盾が多々見られる。また、③の逮捕者の場合は犯罪行為そのものは目撃していない。
従って、植草氏の「やっていない」という「悪魔のアリバイ証明」は、第九回公判に出てくれた善意の第三者である目撃証人④がきちんと真実を証言し、そのアリバイは証明されたのである。女子高生が痴漢をされた時間が品川駅を電車が発車した時刻が起点になっていることを検察自らが確定事項としたことで、この事件における植草氏の無実性が完全に証明された結果となっている。ビジュアル的にわかりやすいようにタイムテーブルを図化してみた。
1)品川駅発:午後10時08分
2)京急蒲田駅着:午後10時18分(実際は10時18分50秒)
3)パトカーで管内を警邏中だった青木巡査部長が蒲田駅に行くように指令
を受けたのが午後10時21分
4)青木巡査部長が蒲田駅に着いたのが午後10時30分
ほぼ同時に4人もの警官が到着し、更にそれに加え応援部隊が駆けつ
けている。
5)蒲田警察署に連行したのが午後10時35分
6)蒲田警察署の生活安全課へ引き継ぎを行ったのが午後10時45分
目も止まらぬ早業で多数の警官が動き、連行している。この間に、植草
氏の手やネクタイに付いた繊維を粘着性のテープを使い採集したそうで
ある。
電車が蒲田駅に到着してから、パトカーで警邏中の青木巡査部長に指令
が行くまで僅か3分(実際は2分10秒)しかないことに注目しよう。
こういうシーケンシャルな展開が当初から企画されていたとするなら、逮捕者が植草氏を押さえつけた時点から、蒲田駅での逮捕の段取りが即応的に決められ、着々と進行したということだろう。植草氏の事件が「国策的偽装事件」である可能性がきわめて高いことが見えてくるだろう。
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真相掲示板に重要な書き込みがあったので、こちらにも転載しておく。 ****************************************************************** 7月4日報道記事の誤りを指摘する 投稿者:gigi ◎記事→×「しかし、これまでの事実と食い違う証言もあり、植草被告の“無罪”を印象づけるにはほど遠い内容だった。」 無実は決定的に裏付けられた。 非常にリアルな表現ではないだろうか。ジェスチャーも交えたようだ。仮に作り話だとしたら、足元の表現は見事である。また「タバコの臭い」は、報道には出ておらず、真実味を帯びている。 ◎記事→×「証人の男性は弁護側にとっては、逆転無罪を勝ち取る最後の隠し玉のはずだった。しかし、検察官、裁判官の質問でつじつまが合わなくなってしまった。男性は京急品川駅のホームから下りの快速特急に乗車し、すでに乗車していた植草被告の前を通り抜け、酒臭いことを確認してシートに座ったと証言。だが、植草被告は『ホームに止まっていた電車発車直前に乗った』と供述。入線してきた電車にすぐ乗った男性より前に車内で立っていたことが、これまでの事実と異なってしまう。」 悪質な捏造記事である。植草氏は発車直前に乗ったとは言っていません。意見陳述書ではこうです。「強い睡魔に襲われる酒酔い状態にあったために、私が本来帰宅する方向とは逆方向に向かう電車に乗ってしまいました。 ◎記事→×「また、男性は、さいたま市に住んでいるが、事件当日はビル管理業務の夜勤明け。京急川崎駅前で待ち合わせをしていた人にすっぽかされて、自宅に戻ったという。裁判官から「電車に乗ったことを証明できますか?」と同乗の事実の信ぴょう性を問われたが「できません」と力無く答えた。」 これも捏造が判明した。公判では「夜勤明け」という言葉はなかったので、記者の早とちり?で読者に誤解を与えている。実際のやりとりは、正確ではないが、大体こんな風であった。 検察:9月13日にまちがいないですか? またこのようなやりとりもあった。 検察:さしつかえない範囲であなたの職業をおしえてください ビル管理業務とは一言も言ってない。建物の管理である。 また気がついた点がありましたら、書きます。 |
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2007年7月18日公判傍聴記、及び管理人の私見
裁判長 神坂尚
裁判官 大村るい
裁判官 宮本総
裁判所書記官 石川百合子
検察官 清野憲一
論告求刑の帰結は、先に言ってしまえば、7月18日の公判で検察側は植草氏の犯意は当初から確実だった、そして植草氏が公判で否認したために、被害者の精神的苦痛は一度ならず二次的な苦痛としてもその衝撃は大きく、これは実刑に相当するという見解を述べ、懲役6ヶ月を求刑した。
午前10時に開廷したが、裁判長が必要事項を読み上げてまもなく、弁護側が、65号証の学術論文、つまり目撃証人に関する論文については、一般の法律的学術論文と同様に、証拠として採用されてしかるべきだという発言をした。裁判長はこれについて疑義をはさみ、証拠としては必要性を感じませんが、と言った。弁護士はすかさず、これは学者の意見として有効である旨を述べた。
神坂尚裁判長は、これについては検討したいので、5分間暫時休憩しますと言って、公判関係者は別室へ行った。10時15分に法廷は再開された。弁護側は65号証の論文の扱いについては意義がありますと言った。そこで、裁判長はそれは証拠能力がありませんと言い、検察官は客観性がないと言った。裁判長はそれについては却下しますと言った。
(ここで言う弁護側が採用してほしいと言う学術論文は、前回公判に出てきた補充の被告人質問で、目撃者が被告人が眼鏡をかけていたことを覚えていないと証言したことについて、弁護側が日本大学のI教授に依頼して心理学実験をしてもらったことが明らかにされましたという件のことです)
検察官は57号証の証書(証拠写真の証書)が不同意のまま云々 ← (聞き取れなかった。)
検察官の読み上げが始まった。被告は公衆に著しく迷惑をかけた東京都迷惑条例防止違反で逮捕されましたが、植草氏自身は「やっていない」と否認しています。しかし、第二回公判に出た痴漢を目撃した証人、第六回公判に出た逮捕した証人、そして第三回公判に出廷した蒲田警察署の青木巡査部長など、これらの証人の証言から、被告が該当する犯罪を行なっているのは明白でありますと言った。そして被害者である女子高生の証言からも、彼女が著しい精神的衝撃を受けたことなどを延々と述べた。また、痴漢をされている最中に、第二回公判の目撃者に対して何度か目線を送って助けを訴えていたということも言ったそうである。また、検察は、女子高生が声を上げた後の被告人の行動についても詳細に語ったが、傍聴人の私が感じたことは、細部の表現はともかく、第二回及び第六回公判における証言録を大まかではそのままトレースしたものと思えた。ただし、予想に反して検察は被害者が電車の出発時からさわられていたという事を認めているのである。
あまりにも検察官の語るスピードが速くてかなり聴き取りにくかったのだが、大枠において、第二回公判の検察側証人は電車の中で植草氏が痴漢をしているのを目撃し、被害者から目で助けを求められていたと感じた、06年12月20日の検察側証人、そして06年3月28日に出廷した、事件発生直後に植草氏を逮捕した検察側証人の証言があり、これらの証言が、前回公判(7月4日)で、被告人が痴漢をしていなかったという証言をした弁護側証人の証言の信用性を比較するという形で求刑理由を述べた。7月4日の弁護側証人の公判で、新聞各紙は証人は事件の際ウトウトしていたから、痴漢を目撃していないかもしれない、つまり証言は役立たないと書いたが、今回の検察論告はそういう立場を取っていないようだ。つまりその報道には今回は触れていなかった。「本件痴漢事件は電車が品川駅を出発して直後から被害者が抗議するまでの2~3分間の事件であると認められる。」というのが今回の犯行経緯であり、これを変更する可能性は無いことを検察側は自ら確定したような結果となった。検察のこの確定事項は今回の論告求刑公判の要であることがわかる。なぜなら、この確認は第九回の弁護側証人の見ていた時間帯と一致するからである。弁護側証人の言を信じれば、この時間帯に犯行がなかったことになり、それだけで植草氏の無罪が明白となるからである。
つまり、第九回弁護側証人の証言が事実であれば、被告のアリバイは完璧に成立したことになる。現在の争点は、このアリバイを検察側が崩すことができるかどうかということにあった。これ以降は私の推測と私見が交わるから傍聴記というよりも参考意見として考えて欲しい。もしも弁護側証人が被告に雇われていたという視点を敢えて想定した場合、前回の公判で、彼が被告に効果的で有利な証言をする可能性に思い至るのだが、この弁護側証人の証言にはそういう性格は感じられなく、あくまでも第三者としての客観性を保持していたように思う。つまり被告に有利な作為性はまったく感じられないのだ。裁判の詳細を知らない弁護側証人は、被告 に不利になるかもしれない証言を数々自然体でしているからである。例えば、青物横町からはウトウトしていて植草氏を見ていなかったと証言した。またその間に痴漢が行なわれたなら、あなたは見ていなかったことになりますねと裁判長に尋ねられた時、「そう言われるとウ~ンと思う」と答えている。また電車に乗った目的を聞かれ、友人に会う予定だったと答えたものの、友人の名前を聞かれると「プライベートなことを聞くのはやめて下さい」と答えている。被告に雇われ、状況証言を仕込まれて証言したのであれば、このような答え方はないと思う。
実際、7月4日に傍聴した多数のマスコミ関係者が、揃ってこの点を取り上げ、この弁護側証言は不確かな証言であり、無実の証明にはならないという報道をした。もし彼が雇われ証人であれば、そのように、被告に有利になるのか不利になるのか分からないような証言をするわけがない。おそらくマスコミ関係者は全員がそう思わざるを得ないのではないだろうか。これこそが、弁護側証人が、自分の目撃したものをありのまま話したという歴然とした証明ではないだろうか。しかし、弁護側証人もマスコミ関係者も今まで知らなかった新たな決定的事実があった。それは犯行時間が品川駅を出てから0~2分であったということであり、これは裁判官・検察の確定事項として今日初めて出たように思う。つまり品川駅を出て、0~2分の間、被告は痴漢をやっていなかったという表現で、完璧なアリバイが成立したと私は解釈した。この時間帯における弁護側証人の記憶は非常に鮮明であった。
弁護側の証人は、被告に有利なこと、不利になるかもしれないことの両方を述べており、事情を知らないマスコミに、「役立たず」と勘違いをさせる内容になっていたことは、逆説的に大きな意味を持つとは考えられないだろうか。
一方、強調したいことは、検察側の証人のすべての証言は、一つ残らず被告に不利な証言となっている。これこそ検察側証人が雇われ証人であることを疑わせる一つの客観性ではないだろうか。その意味でも、弁護側証人の供述は一貫して第三者の立場を崩していない。証言者の心理として少し思うのだが、国家組織(検察、警察)が背後に控える検察側証人の証言に比して、そういう背景を持たない一般庶民の、剥き身の証言のほうが信用性がはるかに高いように私は思うのだが。別に親方日の丸に対する弱き庶民を気取っているわけではないが・・。
今日7月18日の公判で検察側が行った「苦しい」アリバイ崩しは次のようなものだった。
(1)弁護側証人は、実は別な事件に遭遇しており、それに関する証言をしたのではないか:
(この可能性は限りなくゼロに近い。彼は、被告の顔を見て植草氏であることをはっきり確認しているし、植草氏が酔ってぐったりしてつり革につかまっていたところや、2人の逮捕者が強い力で押さえつけながら植草氏を連れ出すところを見ている。この目撃は、時間も場所も検察側の言う時間帯にぴったり一致しており、偶然別な事件を見ていたということはあり得ないと考える。)
(2)弁護側証人の証言と被告の証言とで、被告の立っていた方向が異なっている。
:
(何ヶ月も前に乗った電車で自分の立っていた方向を正確に言える人がどれだけいるだろうか。それに時々向きを変える方が普通であり、乗ってからずっと同じ方向を向いているとは限らない。従ってこの立証視点は有効性がないと思う)
(3)弁護側証人は、川崎駅で友人に会う予定だったが、川崎駅に行って20分待っても友人は来なかったから、会わずに帰ったと言ったが、友人の名前を言うのを拒否した。
:
(自分の友人が警察に取り調べを受けることを考えれば、友人に迷惑がかかるから答えたくないのは当然と言える。拒否したこと自体が、この証人が雇われ証人でないという証明になるかもしれない。「否認を続ければ、裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」とまで警察は植草氏に言っているわけで、警察は怖いと一般の人が思うのは当然であり、この証人も、友人をそのような怖い目に会わせるわけにいかないと考えるのは当然である。)
(4)検察側目撃証人や逮捕した検察側証人は、被害者女性の叫び声や、その被害者と逮捕者との会話を聞いているのに、弁護側証人は被害者女性の叫び声や泣き声を聞いていない。その他、この弁護側証人の様々な証言は検察側証人のものと異なっている。これは弁護側証人が事件を目撃していない証拠ではないだろうか。:
(これは、第二回証人、第六回証人の証言が作り話だという可能性を示唆する。植草被告自身も、女性の声が、それほど大きくない声で「子どもがいる前で・・・」がやっと聞き取れた程度だったと言っており、弁護側証人までは声が届かなかったとしても不思議ではない。植草氏も女性の泣き声は聞いていない。つまり第二回及び第六回証人が作り話をしている可能性が大である。検察は今日の求刑理由の説明の中で、車内で2人が植草氏を逮捕したように言っている。植草氏も2人に逮捕されたと言っているのだから、その部分では検察と被告のそれは一致している。しかし、第二回公判の証人も、第六回公判の証人も共に、車内で逮捕したのは一人であるという証言をしており、事実と食い違っている。2人の逮捕者の片方である証人がこのような重大なことを記憶していないはずはないから、第六回公判に出た証人は限りなくあやしいと言えるのではないだろうか。第六回公判検察側証人(逮捕者)は、電車が蒲田駅に止まってからホームに被告を連れ出し、暫くしてから、別の乗客が逮捕に協力、更に暫くしてから、周りの人が駅員を呼びに行った。駅員を連れてきてから駅事務室に被告を連れて行ったと証言している。しかし、警察の発表だと、電車が蒲田駅に着いてから植草氏を駅事務室に連れて行き、それから警察に連絡が行き、更に蒲田駅近くのパトカーに連絡が行くまで僅か3分しかなかったそうである。しかも駅側の発表だと、電車は約1分遅れて到着したので、実際は2分ちょっとしかなかったそうだ。駅員を呼びに行っていたら、2分強でこれら一連のことが運ぶはずがない。つまり第六回検察側証人(逮捕者)の証言は詐話ではないのかという疑念が出てしまうのである。
また第二回公判の検察側証人(目撃者)は、逮捕者のことを「私服の男性」と呼んでいる。もし第六回公判に出た逮捕者が私服警官であったのなら、でっち上げ事件の全容が暴露されるから、彼を警察が証言台に立たせるとは到底考えられない。そうなると第六回公判に出た逮捕者の替え玉説が浮上してくるのではないだろうか。もしも証言者が替え玉だとすれば、彼は事件の詳細が分かってないから、作り話をこしらえなければならなくなる。事実と異なるこれらの話を勘案すると、検察側が第九回公判の弁護側証人の話を嘘だと主張する展開は非常に苦しいものとなる。
第二回公判の目撃証人の証言もかなりの瑕疵がある。彼は植草氏の持っていた傘もかばんも見ていない。犯行時間が出発してから0~2分と被害者は言ったのに、その目撃証人は犯行は出発後1~2分してからだと言った。)
検察官1 あなたがそのような様子を目にしたのは、電車が品川駅を
発車してどれくらいたったころでしたか。
証人 正確にはわかりませんが、1、2分たったころだと思います。
検察官1 もちろん時計などで確認していたということではないわけ
ですね。
証人 はい、そうです。
検察官1 感覚としては品川駅を出て割とすぐという感じですか。
証人 はい、そうです。
第二回公判目撃証人はスカートの中には被告は手を入れていないと言ったのに、今回検察は、被害者がスカートの中に手を入れられたと言っており、かなり食い違っている。第二回の目撃者は、被告は女性の体を密着し前屈みであったと言いながら、頭は女性から離れていたと言っている。植草氏が身長2m以上ない限りそんな体勢はどうやっても無理である。また、第二回公判の目撃証人は、植草氏の左サイドから見ていたと語っている。彼は植草氏の左肩は見えなかったが右肩は見えたと言っている。これも位置的にまったくあり得ないことだ。
以上、検察側による被告のアリバイ崩しは完全に破綻していることが確認された。
総じて、検察側は、第九回公判に出廷した弁護側目撃証人の信憑性を崩す論拠は至って脆弱だったことは如実に感じた。要約すれば、弁護側証人の信用性がきわめて薄弱なのは、第二回公判の目撃証人の話、及び第六回公判での逮捕者の話との差異が際立っているためというものであった。しかし、これほど乱暴で説得力のない論法はない。この論法は視点を逆転させれば、第二回公判の目撃証人と、第六回公判の逮捕者の証言がいかに矛盾に満ちた作為性の強いものであったかということにもなる。単なる相対的な視点であり、論理の有効性は皆無である。一方、検察側の論拠の中には、平成7年の事件と平成10年の事件が前科となっていて、被告の常習性を余すこところなく証明しているというものであった。従って、彼の今回の犯行が彼本来の性癖から生じていることは明白であるという言い方も付け加えている。しかし、これについては植草氏自身や弁護士さんの公判戦略からは逸脱するが、傍聴人の私(高橋)の立場から言えば、 国策捜査論で充分に植草氏の無実性が論証できるのである。
あと一つ、被害者の精神的被害について検察が繰り返し言及していたが、私にはいまひとつ納得できかねる話であった。被害者は現実にさわられて極度の精神的苦痛を味わっただけでなく、植草氏が否認したために、公判(非公開)に引き出され、二次的にきわめて重い精神的衝撃を味わったと言っているそうだ。もちろん、被害感情は当事者の受けた感覚だから、それを外側から無神経に否定するようなことはやるべきではないと私も強く思う。ただ、一つの見かたとして、レイプや強制わいせつに至らない迷惑条例違反で、聴衆のいない非公開尋問を受けたことが、セカンドレイプを想起させる被害感情にいたるというレベルがなかなかわからないという私の素直な思いである。それは私が男性だからであろうか。植草氏の冤罪の可能性という深刻な方向性を鑑みれば、少なくとも遮蔽措置の出廷をしてもらいと考えるのは被害者に無思慮な考えなのであろうか。私が言いたいことは、植草氏が無実の罪で長期拘束をされ、報道被害でずたずたになった苦痛を慮ると、被害女性と植草氏の蒙った被害に対称性が感じられないと思うからである。決して被害女性が嘘を言っていることを強調しているのではない。
以上、ざっと今日の論告求刑をたどってみた。次回の公判は8月21日午前10時からである。
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下記のPJニュースは私と同じ検証の会のコアメンバーの一人であ
る高橋清隆君が書きました。支援者仲間では最も文章作成能力が
高く、歴史や経済、国際政治情勢などに通暁しています。実名で植
草氏の記事を掲載した根性は、仲間ながら並々ならぬ覚悟を感じま
す。
彼は記者としての取材能力が高く、仲間随一の機動力を有する男
です。しかし、心配なのは、ネットでも記者として植草さんの国策捜
査論サイドに立脚して物を書いている以上、植草さんを嵌めた謀略
勢力に狙われる可能性は大です。
まぁ、向こうも滅多なことは仕掛けてこないでしょうが、清隆君には
是非注目して応援していただければ幸いです。管理人(神州の泉)
からもお願いします。 なお、高橋清隆君は本ブログ「神州の泉」上で
も「人形芝居型国家」を投稿しています。一読を願います。
神州の泉管理人
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http://news.livedoor.com/article/detail/3233768/
「植草一秀教授は無実だ」、検察が矛盾とわたしは見る
2007年07月15日15時09分
【PJ 2007年07月15日】- 痴漢の罪に問われている経済学者の植草一秀氏の裁判が7月18日に求刑が言い渡される予定である。昨年12月から始まった公判で検察側の矛盾が山ほど明らかになったが、マスコミは一切報じない。そのため国民の大多数は、彼を変質者だと思っているようだ。彼の名誉と公正な言論空間を守るため、ここで事件を疑ってみたい。
異常に素早い処理、被害者不在の法廷
事件が起きたのは、2006年9月13日午後10時すぎ。京浜急行下り列車内で女子高校生の尻をスカートの上から触ったとして、東京都の迷惑防止条例違反で逮捕された。報道によれば、被害者が「やめてください」と声を上げたため異変に気付いた男性2人が取り押さえ、駅事務室に連行した、とされる。
しかし、肝心の「被害者」は一度も出廷していない。植草氏は女性と話しもさせてもらえず、力づくで引き離され、ホームに引きずり出されている。1月25日の公判では、蒲田駅に到着してから蒲田署の担当巡査が出動指示を受けるまで、わずか3分しかかかってないことが、警察の記録により明かされている。これは周到な準備がなければできないことではないか。おまけに12月20日の第2回公判では、検察側目撃者が、取り押さえた男性のことを「私服」と呼んだ。これは何を意味するのだろう。
この「私服」と呼ばれた男は、3月28日に驚くべき証言をしている。彼は一人で植草氏をホームに連れ出し、しばらくしてから別の協力者に植草氏を運ぶのを手伝ってもらった。ホームに降りてしばらくして「駅員さんを呼んでください」と周りの人に頼み、駅員に来てもらったと話している。これだけのことが3分以内にできるわけがない。逮捕者が私服警官なら、証言台に立って身分が発覚すれば大変なことになる。だから、替え玉を証言台に立たせるしかない。しかし、替え玉は事件のことを知らないから、このような「失言」をするのではないか。
公判で次々と吹き出した矛盾
公判ではたくさんの矛盾が露呈した。現場の位置関係もその一つ。第2回公判で検察側が連れてきた目撃者は、植草氏は女子高生に体を密着させ、前かがみだった。しかし、手に傘やかばんを持っていることは確認できなかった。頭は彼女から離れていたと証言している。しかし、そんな格好は不可能である。この証人は被害者が車内の真ん中に立っていたと証言したが、裁判で計測された被害者との距離77センチを適用すると、被害者は車内進行方向右端にいたことになる。
植草氏は事件のとき眼鏡を掛けていたことが認められているが、検察側目撃者は「眼鏡については、付けていたか付けていなかったかは覚えていません」と証言した。植草氏は逮捕からこの公判まで約10キロやせたが、この証人は事件当日と「違いはありません」と答えている。植草氏の顔をどこで覚えたかと聞かれ、「インターネットで」と答えた。具体的にyahooと植草氏の応援サイトを挙げながら、それらに「写真はありませんでした」と証言している。
この証人は痴漢騒ぎがあったことを車内から友人にメールしたと証言。メールが表示されている携帯電話の写真が提出されたが、時間が後の方がバッテリーが多い。
繊維鑑定では女子高生のスカートの繊維と植草氏の指に付着した繊維との鑑定を行った。結果は「類似」だったが、通常そのような項目はない。「一致」か「不一致」いずれかである。
これだけでも何一つやった確証がない以上、無罪と見なせるだろう。そもそも被害者は、「それほど込んでいない車内」なら、少し移動すれば済むではないか。
無実を決定づけた勇気ある目撃者の証言
さらにやってないことを決定づける証言が7月4日の公判で出された。当日電車に乗り合わせたという男性が、道徳心から名乗り出たのである。起訴状では午後10時8分から午後10時10分の間に犯行があったとしているが、彼はこの時間帯に植草氏が何もしてないことを証言した。初めから植草氏であることをはっきり認識しており、セルロイド製の眼鏡を掛け、つり革につかまってうなだれて立っていたと話した。
この証人は青物横丁から大森海岸駅当たりまでうとうとした状態になったという。そして大森海岸駅当たりで何か騒がしい感じがして見ると、植草氏が絡まれていたと述べている。品川から青物横丁までの所要時間は2、3分。10時8分品川発の電車だから、容疑の時間帯はとらえている。
この証人は事件報道を調べていないし、弁護人と打ち合わせも持っていないと証言。検察官が事件がどこであったか知っているだろうと繰り返し問いつめたが、「知らない」と答えた。それでも執拗に「品川から蒲田の最初の3分の1、真ん中の3分の1、最後の3分の1のどこだと思うか」としつこく聞かれると、「それだったら、最後の3分の1じゃないですか!」と腹を立てたように証言した。
裁判官から「あなたがうとうとしている間に犯行があったのだとしたらそれは分からないのですね」と向けた際には、「はい、それは分かりません」とはっきり答えた。真実をありのままに述べていることが分かる。検察官の「弁護人から事件がどこで起きたのかを聞いているのではないか」との質問には、「全く聞いていない」と答えている。
ところがマスコミは検察側の主張を覆すこの重大な証言を無視している。産経グループのインターネットニュース『ZAKZAK』では、「ミラーマン号泣、証人出廷に感激…も役立つ証言出ず」と題し、青物横丁駅を過ぎたあたりからうとうとしたとの証言を紹介し、「結局、犯行を直接、目撃していなかった」と断じている。「スポーツ報知」も途中、うつらうつらしていたことを取り上げ、「植草被告の潔白を証明する明確な回答はなかった」と伝える。
裁判官にとっては、犯行時間である品川駅出発から2分の間に植草氏が痴漢をしたかどうかを知れば十分なはず。していないという証言は、無罪が成立したことを意味する。裁判官が「あなたがうとうとしている間に犯行があったのだとしたら、それは分からないのですね」と聞いたのは、裁判官が犯行時間を知らないからでなく、この証人が植草氏に雇われて被告に有利な証言をしに来たのではないことを確認するためだった。
この証人は車内で植草氏を捕まえたのは2人だったと明かし、そのときの様子を詳細に述べた。その内容は植草氏の証言と一致しているから、極めて信頼性が高い。2人の逮捕者の一人は3月28日の公判で、車内では自分が一人で捕まえたと証言している。これは、3月28日の証人が替え玉であることを裏付ける。
マスコミによる露骨な印象操作
マスコミは植草氏に対し、一貫して悪印象を植え付ける記事や番組を発信している。女性週刊誌『女性セブン』(集英社)は昨年「痴漢で示談7回の過去」という記事を出しているし、ABCテレビ『ムーブ』は同記事を紹介し、評論家の宮崎哲弥氏や大谷明宏氏が植草氏の性癖を酷評している。しかし、植草氏が民事訴訟を起こしているように、いずれも根拠のないことだ。
植草氏に対する悪評の流布は、新聞も同じだ。例えばスポーツ報知は10月7日に植草氏の保釈取り消しを伝えた記事を出している。その中で、「『事件は警察のでっち上げ』『電車が揺れて手が触れ、勘違いされたのでは』などと往生際が悪い供述に終始していることが今回の逆転裁定の原因と見られる」と綴った。
3月28日の『ZAKZAK』は、「ミラーマン植草DVDで犯行再現…コスプレも登場」と題する記事で第6回公判で弁護側が再現DVDを公開したことを紹介した。上映時間は検察側の要求により非常に短い時間しか許されなかったが、「『それでもボクはやってない』に足下も及ばないワンシーンだけの“超短編映画”」と酷評。このときの公判では、取り押さえた男性の一人(「私服」と呼ばれた男)が証言に立ち、検察側目撃者の証言に反し植草氏と会話しなかったと述べたが、記事はこのことに触れず、「『私が“突き出すからね”というとかすかにうなずき、納得したような感じだった』と、被告が犯行を認めるような行動をしていたことも新たに明かした」と結んだ。
繊維鑑定の結果を報じた1月25日付の『ZAKZAK』は、「ミラーマン植草ピンチ…手にパンティー? 繊維」と題してスカート繊維との鑑定結果を「酷似」と報じている。「類似」からのさらなる飛躍である。パンティー素材に近い綿繊維が植草氏の手から採取されたとあるが、検察側目撃者はスカートの上からと証言している。おまけに、駅事務室で自殺を図ったことを「茶番劇を演じている」と書いている。
「酔って覚えていない」という語句は初期報道で各紙に見られたが、植草氏はこのような言葉を使っていないという。「ミラーマン」という語句を連発すること自体が、思惑に満ちている。
日本の独立阻む「国策逮捕」?
マスコミ報道はこれまで、わが国が独立する機運を一貫してそいできた。占領期のウオー・ギルト・インフォメーション・プログラムで国民に劣等感を植え付け、石油メージャーからの脱皮を模索した田中角栄を金脈問題で失脚に追い込み、ロシアとのパイプを構築しつつあった鈴木宗男氏を嘲笑の的にした。マスコミがキャンペーンを始めたら、米国あたりからの力が働いてる証しだと思ってまず間違いない。
植草氏といえば、米国の要求に従った小泉構造改革を一貫して批判してきた。2004年の手鏡事件は長銀をリップルウッドホールディングス社が落札した不当性を指摘した直後。今回の事件は、りそな銀行救済時に大規模なインサイダー取引が行われたと指摘した直後であり、前回事件の警察捜査の不当性を告発する本を出版予定だったと言われている。
賢明な国民は、こうした背景からこの事件を疑っているはずである。記事を書くマスコミがこれらのことを念頭に取材しない方がどうかしている。
そもそも、迷惑防止条例違反の容疑で4カ月も勾留(こうりゅう)されるのは、誰が考えても不自然だ。証拠隠滅の可能性も、逃亡の可能性もない。自宅と会社が強制捜査を受けており、会員制レポートを書くパソコンも押収されている。支援者の一人の自宅には警察が訪ねており、別の支援者は事情聴取を求められた。2人とも勝手に応援しているだけである。このこと一つとっても、国策逮捕であることを告白しているのではないか。
植草氏の事件については、すでに本が出され、インターネットブログで公判内容が詳しく紹介されている。これらの情報に接すれば、マスコミ報道で培われた印象が偏見だと分かるだろう。いかなる判決が出ようと、植草氏が犯行にかかわっていないことを確信した。【了】
■関連情報
ジャーナリズムの本当の目的
PJニュース.net
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。
パブリック・ジャーナリスト 高橋 清隆【神奈川県】
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植草氏無実論を強く否定する人たちへの疑念
(アンチのよって立つ官憲無謬論の背景を探る)
植草一秀氏を擁護する論調を、異常なまでの執心で否定する人たちの心持ちとはいったいどういうものだろうか。以前から、擁護仲間が集まった時に必ず話題に上ることがあって、それはアンチの表現動機についてだった。昨年九月、京急電車の件がニュースに出た直後、応援するブログが激しく炎上した。正確には覚えていないが、ゆうたま殿のブログに殺到したコメント数は二千とか三千とかいう異常な数だった。その中の大半は強い思いもなく、報道を鵜呑みにし、痴漢を擁護するのはけしからんという、言わばからかい半分のものだったと思う。しかし中には、反冤罪論、つまり「植草氏は実際にやっているんだよ」という論調のブログが出てきた。つまり、マスコミ報道を「強いて」補完するかのようなブログまでが立ち上げられた。コメントにしろ、2ちゃんねるスレッドにしろ、反論ブログにしろ、擁護派のサイトに張り付いて、精力的に反論をネット上で開陳する人々は、いつの間にか「アンチ」と呼ばれるようになった。
アンチの動機については、我々検証する会の間で何度も話し合われたが、誰も明確な意見を言うことはできないでいる。ただ、共通してみんなが言う感想は「なぜここまで精を出すんだろう?なぜこんなに擁護派への反論へエネルギーを費やしているのだろうか?まったく奇妙なことだね。」ということだった。正直に言えば、私自身も彼らの本当の動機がわからずにいる。私は日本という国を愛している。しかし、私が国を愛しているという時は、時の政権が運営している現在時制の国家体制を愛しているということとはまるで違う。私が愛する国家という時のイメージは、国土、民族、そして過去と未来時制をすべて含んだ生きる有機体としての国家である。
国家も生き物であるから、時の政権に小泉純一郎氏のような破壊的な宰相が現われることもあるだろう。こういう売国宰相がブッシュの膝下に額づいて国替えを行い、先祖たちが踏襲した精神がまったくない国家構造を造ったとする。これは左翼的な言い方をすれば革命である。小泉氏は国民をあざむいて国替えという革命を行なったのである。私が今の日本を愛する国家と呼べないのは、正確に言えば小泉政権とそれを踏襲する安倍政権を愛せないということだ。なぜ愛せないのか。それは強いものがますます居丈高になり、金を持つ者がますます富んでいくという不公平配分のベクトルを持ったからである。それに加えて、彼らが行なった、あるいは現に行なっている構造改革とは、国民が汗水たらして貯めた預貯金や保険資金を外資に流動させる仕組みに他ならない。国富の国策的流失である。こんな社会は我々の先祖たちが愛した御国(おくに)とはまるで違っている。このまま行けば、「北斗の拳」に描かれているような荒廃した未来社会になる。戦後日本という国家体制が、小泉氏によって革命政権に移行する時、眼力の鋭い植草さんが小泉政権の異常なペテン性を見抜いた。そして彼はエコノミストの良心に従って、小泉政権によるマクロ政策の誤導性を弾劾したのみか、りそな銀行に関するインサイダー疑惑を敢然と指摘した。植草氏の政権批判言動と、日本構造の拙速な変革の動きを眺めれば、属米政権の中枢が植草さんを最大の阻害因子として捉えていたことは間違いない。
しかし、ネットの力は大きい。品川手鏡事件で植草さんは国策捜査に嵌められたんだという噂が飛び交ってしまった。これによって、植草さんを簡単に謀殺できなくなってしまったのだ。しかも品川事件以降の植草さんは意気消沈するどころか、書籍メディアやネットで果敢に小泉政権の犯罪的国策を指摘し始めていた矢先だった。状況的には、植草さんが人間として不名誉な意味を持つ犯罪者に仕立て上げられて当然の成り行きがあったのである。植草さんを擁護する者も、否定する者も、私が今述べた背景に思いを馳せてもらいたいと思う。
さて、アンチの書き込み動機であるが、私の足りない頭で考えたところ、理由としては二つあるような気がする。ひとつは、彼らは私とは違っていて、小泉政権が敷いた属米新自由主義体制を心から信奉する者たちであるから、エコノミスト植草氏の政策上の内在的論理を敵性、または破壊要因であると考えている。つまり、何としても植草さんを有罪に持って行き、彼が先天的な病的性癖を持つものにしたいのである。そのイメージを固定化すれば、植草さんの素晴らしい経済哲学が世論に与える影響をつぶすことができる。別な言い方をすれば、特に平成になってから日本のケインズ学派は謀略的に表舞台から外されている経緯があった。この流れの末期的段階として、植草さんは最後の犠牲者の位置にいる。
もう一つは、非常に精力的に頑張るアンチが官憲の一味であるという可能性である。つまり、警察か、検察かわからないが、植草さんが謀略で嵌められたとすれば、考えられるのは警察か、警察に近い組織による工作班がいたことになる。あくまでも国策で嵌められたと仮定すればだが。アンチが蓋然的な存在理由を問われるとすれば、それは断じて社会正義の動機ではない。社会正義と言うなら、冤罪撲滅の観点からして、その心的態度は我々擁護派にとっては自然である。しかし、擁護を主張する意志と反する立場のアンチの心的態度は我々と同様の庶民感覚ではありえない。つまり、アンチは一般庶民ではないということである。佐藤優氏ではないが、いつの時代にも国家は暴力装置を携えている。鎌倉期から江戸期まで、それは武士階級だったし、現在では警察に相当する。愛国を感じる時の国家とは別に、通常の国民は、ごく通常の感覚として、警察やその他の公権力機関が暴走しないようにいつも見張っている。それが一般庶民の生活感覚である。私は国家の暴力装置を否定しているわけではない。それは社会秩序を保持するため絶対に必要である。表面的には警察は社会秩序の番兵であり、庶民の防塁になっている。しかし、小泉氏のような破壊的宰相が国替えを行ない、国家の様相が根幹から変革される時、つまり、新自由主義(市場原理)社会へ転換する時、公権力装置である警察は、それに歯向かう勢力に牙を剥くのである。佐藤優氏も、植草一秀氏も、国家の生存本能が引き出した官憲の獰猛さにやられてしまったのである。それが無情無慈悲な国家の論理である。もちろん官憲の獰猛さが思想統制装置として最大限に発揮されるのは翼賛体制が生じる戦争時である。
だから、植草さんが国家構造の転換期に国策によって嵌められることはしごく当然なのである。しかし、時の政権が売国政策を綱領とした時、国民はそれを敏感に察知して歯向かい、軌道修正をする必要がある。それを率先して体現してくれた勇士が植草さんなのである。私自身は日本をグローバリゼーションに従って新自由主義に移行することは国家の終焉だと考えている。つまり絶対的に反対だ。革命によって捻じ曲がった国家は反動エネルギーによって姿勢を修復しなければならない。これは世論が湧くだけで可能だ。国民が無知から覚醒するだけでいい。植草さん個人の無実は勝ち取る必要があるが、植草事件は国家的位相からもその意味を汲み取る必要がある。つまり、私が本ブログで一貫して主張してきたとおり、無実の植草さんは「国策捜査」によって不当逮捕を受けたのである。私はその蓋然性を政治的背景から説明している。
さて、アンチが植草さんを病的性癖が抑制できなくて痴漢を働いたんだと執拗に言い続けるのは非常に不可解なことである。品川手鏡事件の発生ファクトは不自然である。しかし、強引な推定有罪に裁判は誘導された。また、公判で植草氏を医学的に病的だと証言した者はまだいないし、第一、それを想起させる具体的ファクトは見つかっていない。そのことは「植草事件の真実」に書いてある。報道のように品川事件を具体的ファクトとみなすことは無理である。同様に98年の件も人質司法の疑いが濃厚であるから、それをファクトとみなすことはできない。病的性癖論を掲げるなら、連続した事実をある程度列記する必要がある。品川事件も、京急事件も、初期報道の偏頗性があるからそれをそのまま事実の材料にすることはできない。第7回公判は我が国の司法制度の恥である。あんなものは被告の私生活の暴露以外の何物でもなく、傍証にさえもならない。公権力による人権蹂躙である。
アンチの反擁護動機はいたって不可解である。少なくとも彼らの言説の内在的論理というか、方向性は一般国民のものとはかけ離れている。なぜ、これほどまで一生懸命に冤罪論や国策捜査論を否定するのだろうか。一般人なら冤罪論に対して、国家の暴力装置ならそういうことはありそうだから注意して見守るか、くらいの視点は持つ。しかしアンチの人たちは、まるで国家的謀略勢力に魂を売った者たちを代弁するかのような印象を受ける。そう思うのは私だけだろうか。一般庶民の場合、どうしても植草さんを有罪にしたいなどという熾烈な動機は持たない。植草さんを憎む動機がないからだ。しかし、アンチは憎悪に近い意志を感じる。この意志の動機が、国家は信頼するに足るものなんだよ、警察も検察も疑ってはいけないんだよ、それを疑うものは健全な国民性ではないのだよ、というスタンスに彼らがあるような気がしてならない。そんなスタンスを持つ国民はいないのだ。私は一般論的には国民が国家権力を信頼すること、すなわち警察も検察も正義の番人であると国民が思える社会は健全であると思う。しかし、現実は冤罪は次々と生起するし、時の権力中枢の都合によって、警察や公安の謀略が国民に向かうことは歴史からも散見できる。問題は、国家構造が新自由主義的国策によって、本来あるべきでない性格に切り替わったとき、官憲が官邸中枢の意向によって忠実に動き、新国家体制を受け入れない思想などを狙い打ちするようなことがあれば、それは統制国家、警察国家であり、国民にとって非常に有害である。アンチの反論・反証スタンスを敷衍すれば、それは警察国家のさきがけとして出てきているように感じるのである。
つまり、アンチの人々の熾烈な反論と、それに注ぎ込むエネルギーはまさに、統制国家的官憲無謬論に立脚しているように見えてならない。つまり、警察の一部が戦時中の特高警察の性格を帯び、それを官邸サイドの意向を受けた一部の検察がバックアップしているという構図だ。そういう基盤に従って官憲無謬論が展開されていると私は見ている。警察も検察も間違いは起こさないのだよ、それが間違いだという奴はまともな国民ではないんだよと言っているように見える。私には執拗な反冤罪、反国策捜査論のアンチにそういうスタンスが透けて見えるのだ。これは戦後日本のシビリアンコントロールの理念から見てもつとにおかしい。
結論的に言って、アンチは善意で中立的な一般国民のメンタリティでは絶対にない。では彼らは一体何なんだと思うわけである。何なんだ、いったい???
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菊池英博著「実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠」
を推薦する!!
あと二ヶ月少しで郵政公社が完全民営化に向けてスタートすることになる。私は経済学については無学に近いが、それでも小泉政権が発足してから、一庶民として、この総理大臣が標榜し、政策として実行し始めた構造改革がきわめて悪質なペテン性を持つことに気が付いていた。それは植草氏のようにエコノミストとしての冷徹な読みや洞察力から発したというものとはまるで違っていて、五十年を生きた自己の生活実感や、社会とのかかわり、経験則などから得た、言わば直感に近いところから判断できたと言える。
小泉純一郎前総理の構造改革の説明は、路地で木箱に立ち、「ガマの油売り」をやる大道芸人の口上を聞かされているようなものだった。ワンフレーズ・ポリティクス、劇場型パフォーマンス、あれかこれか、白か黒か、良いか悪いかの典型的な二項対立による目くらまし、彼は政治家の頭目にあるまじき下品な物言いとやくざ的な押しの強さで国民を幻惑した。小泉首相の強引野蛮な牽引力を経済と金融の両面から最大限にバックアップしたのが竹中平蔵前金融相であった。この二人が中心となり、米国の年次改革要望書に従って行なった構造改革は、我が国特有の社会システムを滅茶苦茶に破壊してしまった。
通常、腐った体制破壊の後に、あらたな創造がなされる過程(シュンペンターの言う創造的破壊)なら歓迎もするが、彼らの行なった“構造改革”という破壊行為は、国民の幸福の追求という原理原則を根本から突き崩す野蛮なものであった。単純な官僚有害論と、 我慢をすれば未来は明るいという幻想を振りまくいわゆる「米百俵の故事」を旗印に彼らは日本の構造を破壊する作業に邁進した。その結果、政策の誤りによる経済苦による自殺者は減るどころか年々増加し、倒産件数はうなぎのぼりとなった。また、不可逆的な経済格差や教育格差が社会を深刻な状況に追い込んでいる。
これに一石を投じたきわめて良心的な経済学者がいた。植草一秀氏である。彼は小泉政権発足時から、そのマクロ的政策の破壊的要素に気が付いて、果敢に異を唱えていた。しかし、テレビやその他のメディアは植草氏の言説をほとんど無視した方向に誘導し、竹中経済路線を錦の御旗のように徹底的に持ち上げた。メディアは判を押したように植草氏のような誠意あるケインズ学派を駆逐してしまった。しかし、植草氏はめげずにこの売国政権を糾弾し続けたのである。彼はこの詐欺的政権のマクロ政策の誤りを指摘するに止まらず、りそな銀行にまつわる一連の動きの中に、金融相と銀行関係、そして外資の意向が働いた大掛かりなインサイダー取引疑惑を読み取ったのである。そしてその関係者を洗いざらい取り調べることを提言した。これが売国勢力の逆鱗に触れて、植草氏は国策捜査に陥れられたのである。
皆さんも考えて欲しい。今の世の中に大塩平八郎のように民を心底思う為政者や学者が何人いるかということを。ほとんどいないことがわかるだろう。植草氏のように国民の幸福追求と経済の大道に立って政策提言ができる有識者が何人いるかとあらためて考えると、ひしひしとこの日本に絶望感が湧いてくるだろう。ほとんどの有識者は米国という巨大なリバイアサンに睨まれただけで萎縮し、むなしくこの潮流に流されて行くだけである。中には竹中平蔵氏のように意識的にアメリカの走狗に成り果て、国家構造の破壊に精力を出している者も多くいる。学者は学者で定見を持たず、時の政権にただなびいて保身をはかる御用学者が目立つ。典型的なお人が小泉政権の子飼いみたいな感じがする松原聡氏であろう。
しかし、ここに来て、植草氏と並ぶきわめて良心的なエコノミストが貴重な本を出版した。その本のタイトルが「実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠」である。これを上梓した方が、国際金融専門の菊池英博博士である。この人の経済学者としての憂慮の念は凄まじいものがある。彼の言いたいことの中心が、小泉氏がやらかした日本史上、最大の悪行である郵政民営化なのである。菊池氏は言う。郵政民営化は日本の経済システムを崩壊させると断言している。金融の専門家だけあって、この本の内容は緻密に学問的に日本金融の危機を説明している。
郵政民営化による郵政公社の株式会社化がスタートし、「かんぽ生命」、「郵貯銀行」を国際市場に開放した場合、長短期金利上昇で、我が国の金融システムが崩壊に瀕するという論旨をきわめて明確に説明している。この本は経済の玄人の目で見ても、高度な説得力を持ち、私のような経済音痴が見てもそれなりに頷ける箇所が多々ある。ただの小泉手法が憎しとは別個の客観的な知的冷静さで本邦の置かれた危機が余すところなく説明されている。みなさんにも是非読んでもらいたい。私はこの本が出版される一月前に、菊池英博先生の講演を拝聴した。聴き終えてから、感動した私は、先生のところに行って、「このままでは日本が崩壊します。先生頑張ってください!!」と思わず言った。そうしたら菊池先生は私の肩を両手でがしっとつかんで、「何を言うんですか、頑張るのはあなたですよ、みなさんですよ」と力強くおっしゃった。
ここにも植草氏と同様に無私の精神で邁進している学者がいる。今の日本の真の危機は金融的危機なのである。猛禽のような国際金融資本の猛攻にあって、それに対応する知的防衛策と精神がまだできていないことが真の問題なのだ。この防衛システムを確立し、日本が海外からの金融的浸潤にきちんとした防壁を作ることが肝心である。そのためには植草氏や菊池氏などの英知が生かされなければならない。日本版のエクソン・フロリオ条項を早急に設置する必要がある。しかし、何よりも10月に差し迫っている郵政公社の分割化、株式会社に最大の注意を払うことだ。郵政民営化は我が国の歴史上、最大のペテンなのである。郵政民営化という国家的な詐欺の雛形になったのが、りそな銀行の国有化である。植草氏が指摘したりそなインサイダー取引に暗躍した勢力もまた、郵政民営化の雛形になっているのだ。
つまり、郵政民営化が解禁されて外資の国富収奪が始まる時、りそなで暗躍した奴らが桁違いの暴利をむさぼって我が国を三等国(這い上がれない貧乏国家)に導くのである。とりあえず、心ある国民は参院選で売国自民党を勝利させてはならない。
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植草一秀氏のサイト「スリーネーションズリサーチ株式会社」のコラムより転載しました。
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平素は格別のご厚情を賜りまして心よりお礼申し上げます。
2007年7月末に下記著作を上梓いたします。出版の節にはぜひご一読下さいますよう謹んでお願い申し上げます。
タイトル 『知られざる真実-勾留地にて-』
著者 植草 一秀
出版社 株式会社イプシロン出版企画
時期 2007年7月末予定
『勾留132日間 東京拘置所内 渾身の書き下ろし』
『満身創痍にひるまず巨大権力に立ち向かう著者が現代日本政治経済の闇を抉る戦慄の告発書』
「苦難を克服し、信念を守って生きてゆきたい。発言を続けることは危険を伴う。しかし、人はパンのみに生きる存在ではない。いかなる妨害があろうとも屈服せず、勇気をもって今後も発言を続ける覚悟だ。」(第三章「不撓不屈」より)
本書の構成
プロローグ 想像力
第1章 偽装(小泉政権の経済金融政策を抉る)
第2章 炎(半生記)
第3章 不撓不屈(望ましい社会のあり方と生きがい論)
エピローグ
巻末資料 真相(事件の概要)
ご購入は大手書店またはネットブックショップにてお願い申し上げます。
2007年7月5日
スリーネーションズリサーチ株式会社
植草 一秀
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「神州の泉」管理人からひとこと
待ちわびていた植草先生のご著書がようやく上梓されることになって期待感はいやがうえにも増すばかりだ。目次からは内容を伺えないが、第1章の「偽装(小泉政権の経済金融政策を抉る)」は、我が国を奈落の底に突き落とした小泉施政の本質(売国政権の非道な論理構造)をすばり糾弾したものと思える。また、私はそれだけではなく、第3章の「不撓不屈(望ましい社会のあり方と生きがい論)」にも、植草先生の国民の生きがいを問いかける彼の内在的論理が出ているものと推察する。
もしも植草先生を嵌めた勢力が、この本の出版妨害を行なったら、それは彼らが国策捜査を行なって先生を陥れたことを自ら証明することになるだろう。従って、この本が予定通り出ない時は、国民は植草先生のエコノミストとしての活動が、米国資本に魂を売った前政権中枢にとって、いかに迷惑な存在だったかということを確認できることになる。また、前政権と米国の意を受けた残存勢力が威勢を張る安倍政権にとっても、そのことは言えると思う。
従って、国民は植草先生の裁判動向をしっかりと見据え、彼の無罪に気持ちを向けて欲しいと思う。私がこのブログで何度も繰り返しているように、先生を嵌めた売国勢力の中枢は破防法を適用して厳罰に処して欲しいとさえ思っている。なぜなら彼らが行なった売国政治は日本の国家構造を根元から悪しき構造に切り替える「日本破壊」だからだ。理念なき新自由主義構造がどれほど国民全体の幸福に背反しているか、今になって思い当たる人々は多くなっている。この間違った国策で死ななくてもいい人たちが大勢死んだ。倒産しなくてもいい優良中小企業や零細企業がたくさん出た。格差社会を不遡及な状態に固定し、国民の希望を奪い去った元凶には戦いを挑む必要がある。そのためには、植草先生の内在的論理をしっかりと見据えて、売国路線を叩き潰し、危殆に瀕した国家構造を修復する必要がある。
アメリカに尻尾を振り、市場原理至上主義、金融的優勝劣敗(弱肉強食)を是とする竹中平蔵さんと、国家国民の幸福を念頭に置く植草先生が対極の世界観にあることを良く見抜いて、我々は日本社会の回復を志向しようではないか。
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熊八さんという方から非常に貴重なコメントを寄せていただいたので、その全文を本記事に掲載した。途中に私のリプライが挟まっているが、熊八さんの鋭利な洞察を皆さんも考えてみてください。 (管理人より)
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詳細な傍聴記をありがとうございます。
>ネットやマスコミではこれを根拠に弁護側証人の証言について、「うとうとしたあとに犯行があったのなら証人は気付かなかったはず」として、弁護側証人の証言が被告人の無実を証明することにはつながらないとする見解が流布されています。
この見解は、おっしゃるように、品川を出て「割とすぐ」犯行に気づいたと検察側目撃者が認めていることから否定できると思います。
また、犯行時間とは関係なく、否定できる見解であるとも思います。検察側目撃者は、品川で電車に乗り込んだときには既に「おじさん(犯人)」の存在に気づいており、そのときには既に「おじさん」は被害者の真後ろに付いて吊り革はつかんでおらず、その状態は被害者が振り返るまで続いていたとのことです。つまり、既に品川から、犯人と植草氏とは別の場所で別の体勢を取っていたことになります。したがって今回の証言は、植草氏の無実を証明する決定的な証言であるといえます。
投稿 熊八 | 2007年7月 7日 (土) 12時54分
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熊八様
貴重なコメントを寄せていただいてありがとうございました。確かに検察側目撃者の語る犯行時間帯(2分間)も、被害者の語る被害時間の2~3分間も重要ですが、ストップ・ウオッチで物理的に計測した時間ではなく、それらは主観的心理的な時間ですから、犯行起点時と犯行終了時には曖昧さが存在します。。私は図を使って、弁護側目撃者と検察側目撃者の語る時間帯の重ね合う部分を強調しましたが、これはあくまでも両者が植草さんご本人という同一人物を目撃していたという前提でやっています。
しかし、熊八さんのおっしゃるように、弁護側目撃者が電車に乗り込んだ時、すでに別の人が出発時とほぼ同時(割とすぐ)に痴漢犯行に及んでいたとするなら、別人誤認説も大いに頷けることだと考えます。そうなりますと、警察という組織は、おのれの面子を死守するために「誤認逮捕」を死に物狂いで斥けるでしょう。官憲組織の生存本能です。彼らは瑕疵を背負いたくないという発想が熾烈ですからね。これは典型的な冤罪ストーリーに合致します。
熊八さんの言うことはとても明快に理解できます。ただ、そうなりますと、第二回公判で目撃した証人は植草さんが有名な人であることをまったく知らなかったどころか、かくもはっきりと人間違いを起こしていることになりますね。人間は記憶違いという一種の思い込み的な心理錯誤を起こすことはあります。しかし、同じ人物を2分間以上も目撃していて、しかも、その状況が痴漢行為だったとすれば、通常の乗り合わせで近くの人物を眺めていたことよりもはるかに強い印象で目に刻まれているはずです。特に顔相を見間違えるなどということはないような気がします。ところが彼は植草さんがセルロイド・フレームのメガネをかけていたことさえ思い出せません。真犯人を植草さんと思い違いをした可能性ははたしてどうなのでしょうか。
私は当初から国策逮捕説をとっていたので、誤認逮捕説ははなから疑っていましたが、熊八さんのおっしゃることももっともなことで、可能性としては大いにありえると考えます。警察が組織防衛のために偽証を行なう目撃者を仕立てることもあながち否定できませんからね。熊八さんの貴重なご指摘で、物事は多元的に考える必要に思い至っています。今後ともよろしくお願いいたします。
投稿 高橋博彦(管理人) | 2007年7月 7日 (土) 17時54分
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高橋様。
過分のお言葉ありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
この事件、事件直後の報道では、<容疑者は被害女性の右後ろに密着して、左手首に傘を掛けながら、左手で、女性の右臀部を触り、スカートをたくし上げて下着も触った>という容疑でした。これは被害者の供述をもとに構成されたものと考えられます。よく見ると、非常に無理のある痴漢の仕方です。なぜ「右手に持っていた傘を左に持ち替えた」とか「右手で触った」という話にならなかったのでしょう?それは、右手の傘を左に持ち替える時間が無いことや、右手で触ることができないことを、被害者が知っていたからだと考えられます。つまり、被害者が振り返って見た瞬間に見たものは、左手に傘を持ち、右手は吊り革を握って立っている植草氏の姿だったということでしょう。だからこそ、左手首に傘を掛けて左手で触った、なんていう話になったのだと思われます。
このストーリーが変わったのは、9月15日に目撃者が警察に連絡してきたからだと思います。
おそらくこの目撃者は、被害女性の真後ろに不審な男が付いていたのを見ていたのでしょう。そして逮捕騒ぎがあって、スーツの男性が電車から降ろされるのを見た。後日、その犯人は植草氏だったという話を聞いた。そして否認していると聞き、あんなに大騒ぎだったのにそれはないだろうと思い、現場で役立てなかったことに忸怩たるものもあったので、警察に連絡した。という事情だったのではないかと思います。
しかし、この目撃者の見たものは、警察にとってはまずいものでした。真犯人が女性の真後ろにいたことになるからです(そして真犯人には逃げられたことになるからです)。そこで、女性の真後ろにいた植草氏が、女性が振り返った瞬間に1~2歩後退した、というストーリーに変更されたのでしょう。「瞬間移動説」です。また、犯人が左手で右臀部を触っていただけならばこの目撃者の位置からは犯行が全く見えないことになって目撃者としての意味が無いので、左臀部への犯行が加わり、これが目撃者から見えていたことになったのでしょう。結果、<左手で右臀部を>という容疑が、<左手で左臀部を、右手で右臀部を>というストーリーに変更されました。目撃者が9月16日に警察に出頭し話をした6~7時間は、見ていないものを「思い出す」のに要した時間なのでしょう。
そして起訴、初公判と進みましたが、第2回公判で、この検察側目撃者は、非常にまずい証言をしてしまいました。痴漢行為をやめさせようと思って犯人の顔を注視していたはずなのに、犯人が眼鏡をかけていたかどうかわからないと言ってしまいました。さらに、裁判官の質問に対して、事件時から激痩せしていた植草氏を見て、事件時の犯人とは変わりがないと答えました。これで、裁判官が「瞬間移動説」を疑っているということがわかりました。つまり、犯人が移動したと目撃者が思ってしまっただけではないか、犯人から目が離れたのではないか、と裁判官が疑っているようなそぶりが見られたのです。
これでまたストーリーを変更する必要があると、検察側は考えたと思います。次は「犯人は移動しなかった説」です。それが第6回公判のK証人の証言に表れました。K証人は、犯人はほとんど移動していない、移動できるようなスペースはなかった、と証言しました。これにより、移動しなかった犯人が逮捕され、それが植草氏だったことなり、犯人は植草氏と言えることになります。
しかし、この説で生じる難点は、被害者の抗議でした。第2回公判の目撃証言によれば、被害者は振り返ったあと、1~2歩下がった犯人に詰め寄って抗議しています。しかし、「犯人は移動しなかった説」で同様の抗議をしたことになると、被害者は振り返って、犯人とものすごい至近距離で顔と顔をつき合わせることとなり、この状態でひたすら抗議していたことになってしまいます。そこで考えられたのが、「振り返り振り返り、ひとことひとこと抗議」だったと思います。K証人は、被害者が、ひとことひとこと、いちいち大きく振り返り振り返りしながら抗議していた様子を証言しています。
ここまで話を変更すると、もう破綻していると言わざるを得ないと思うのですが、やむを得なかったのでしょう。
そして4日の弁護側目撃者の証言。
検察側は、被害者の真後ろに付いていた男をなんとか植草氏だったことにしたいがために苦心してきましたが、4日の証言によって水泡に帰しました。犯人が吊り革を持たず被害者の後ろに密着していた品川からの数分間は、植草氏は吊り革にぶら下がって誰とも密着していなかったと証言されてしまったからです。これは決定的なので、検察側はこの証言の信用性を攻めるしかなかったものと思われます。
傍聴記・速記録等を見るに、以上のような経過をたどったのではないかと、今のところ考えています。とんだ勘違いをしているかもしれませんが。
陰謀説については、真犯人に陰謀があったのかもしれませんし、もっと大きなカラクリがあるのかもしれません。よくわからないというのが正直なところです。何らかの陰謀の可能性も捨ててはいません。
しかしまずは、植草さんが無実であるということが言えればいいという立場から、その点に集中していろいろ考えをめぐらせています。こういう姿勢も認めていただければありがたいと存じます。
長々と失礼いたしました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
投稿 熊八 | 2007年7月 7日 (土) 19時43分
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7月4日に植草一秀氏の第9回公判がありました。
ひとりの傍聴人として公判を聞きました。
その傍聴記をお伝えします。
弁護側申請の目撃証人の証言と補充の被告人質問が行われました。
これまでの公判情報から得た情報ですが、起訴状では犯行は2006年9月13日午後10時8分から午後10時10分の間に行われたとされています。
犯人は電車進行方向に向いて立っていた被害者の真後ろに被害者と同じ方向を向いて密着して立ち、両手を被害者の臀部側面につけていたとされています。
4日に証言した証人は、たまたま同じ電車に乗り合わせた乗客で、電車に乗った時に被告人に気付き、電車が出発する時点では植草一秀氏であることをはっきりと認識したと証言しました。事件当日に被告人が男二人につかまれて蒲田駅で電車を降ろされたのを見た時には、電車が揺れた際に被告人が誰かの足を踏むなどして絡まれて、被告人が男二人に蒲田駅で電車から降ろされたと感じており、翌日ニュースで痴漢事件だったを聞いた時には、とても変だと感じていたと証言しました。
証人は品川駅出発時点から青物横丁を過ぎるあたりまでは、被告人の様子をしっかりと見ていました。被告人はセルロイドフレームの眼鏡をかけ、右手で吊り皮につかまり、右肩にショルダーバッグをかけて、うなだれて酔って疲れた様子で立っていたと証言しました。被告人のそばには女性は見えず、誰とも密着していなかったと証言しました。
証人は青物横丁から大森海岸駅あたりまではうとうととした状態になり、女性が声をあげたことなどには気付かなかったと証言しました。
大森海岸駅あたりで何か騒がしい感じがして見ると、自分の右前に立っていた男性が移動して被告人の上からおおいかぶさるようにつかんでいるのが見え、そのあと、もう一人の男性が右奥から声をあげて野次馬のように現れて、被告人を捕まえるのが見えたと証言しました。このあとから現れた男が声をあげて被告人をつかんだ状況を証人は「騒ぎ」と表現していたように思われます。
裁判長は、
「青物横丁から大森海岸あたりまでうとうとしていたのなら、翌日、ニュースで痴漢と知った時には、うとうとしている間に痴漢があったと考えるのが自然ではないですか」との疑問を証人に投げかけました。
証人の回答が質問に直結しない部分が多かったので何度か裁判長が繰り返し聞き返しましたが、証人がはっきり答えているのに質問を繰り返したということではありません。あくまで裁判長は質問に対する回答を求めたということだと思います。
証人は、
①品川から青物横丁までは被告人をはっきり見ていた。
右手を吊革につかまり、ぐったりしていた。
誰とも密着していなかった。
証人が観察していた時間に痴漢の素振りは一切無かったことを証人ははっきり記憶している。
②大森海岸以降で、騒ぎ(なにかざわついた感じ)がして見ると、被告が二人の男に押さえ込まれていた。
最初の男は声も発さず、被告人も声を発さず、変な雰囲気だった。足を踏んだなどでからまれているのかと考えた。
二人目の男は野次馬のような男で、少し騒いでいた。証人が「騒ぎ」と言っているのはこの二人目の男が声をあげて被告人をつかんだことを指しているようでした。
③翌日、ニュースで痴漢事件と知って驚いた。車内暴力というか、男に因縁をつけられて電車を降りていったと思っていた。
④事件の詳細については、報道でも聞いていないし、弁護士も一切説明してくれなかったので、具体的にどこで何があったのかは知らないが、当初から、痴漢事件と聞いて、「変だなー」と思っていたと証言しました。
検察官が痴漢事件がどこであったのか知っているのだろうと繰り返し問い詰めましたが、「知らない」と答え、それでも執拗に検察官が「品川から蒲田の最初の3分の1、真ん中の3分の1、最後の3分の1のどこだと思うか」としつこく聞かれれると、「それだったら、最後の3分の1じゃないんですか!」と腹を立てたように証言しました。検察官は期待と異なる証言が示されたのか、絶句していました。証人が本当に事件の具体的内容についてはほとんど何も知らないということことが誰の眼にもはっきりと分かる受け答えをしていました。
⑤裁判官が「あなたがうとうとしている間に犯行があったのだとしたらそれは分からないのですね。」と質問した際には、「はい、それは分かりません。」とはっきり答えていました。ありのままに真実を述べていることがよくわかる証言でした。検察官からの「弁護人から事件がどこで起きたのかを聞いているのではないか」との質問に対しては、「まったく聞いていない」と答えました。
証人の証言のポイントは以下のようなものになります。
青物横丁までの様子で、痴漢をしている可能性はゼロだったこと、大森海岸以降の状況を見て、車内暴力が起きたのかと考えたこと、翌日にニュースで痴漢事件と聞いて、「変だなー、車内のトラブルで男性にからまれたように見えたのに」という感想をニュースを聞いた瞬間から持っていたことを証言しました。裁判長はこの説明で納得したように見えました。
裁判長は事件発生時刻が品川出発直後からの2、3分の間であることをこれまでの公判の証言などで十分に知っており、「青物横丁から大森海岸あたりまでうとうとしていたのなら、翌日、ニュースで痴漢と知った時には、うとうとしている間に痴漢があったと考えるのが自然ではないですか」と証人に質問したのは、証人がニュースを聞いた時にすぐに痴漢事件だったのだと納得しなかったのはなぜかという素朴な疑問を提示したまでだとうかがわれます。証人は被告人が痴漢行為をまったくしていない場面をしっかりと見ていたために、痴漢事件と聞いて強い違和感を感じたのだと傍聴人には感じられました。
日刊スポーツは、証人が電車が入ってきてすぐに、人の列の後ろに並んで電車に乗ったと証言したことから、被告人が先に電車に乗っていたのはおかしいとの記事を掲載していますが、被告人質問で被告人は、被告人が電車に乗った時は車内はまだすいていて、その後何人も乗客が乗ってきて発車時点では混んだと供述しています。
被告人は改札を通るときに目の前に電車が止まっているなと感じたことを証言していますが、改札を通過する瞬間から電車に乗る瞬間までの記憶が途切れており、目の前の電車にそのまま乗ったのかどうかは判明していません。
被告人が改札を通過した時には被告人が乗った電車はまだ駅に到着していず、ふらふらとホームを歩き人待ちの列の先頭付近から、その後に到着した電車に乗りこんだ可能性があります。
被告人は電車のドアとドアの間のゾーンに立っていたそうですが、証人はドアを入って左側の椅子席のゾーンに入ったところ、たまたま運良く自分の前に座っていた乗客が急に電車を降りて、席に座ることができたと証言しました。
一部のネットに酔っていた被告人がなぜ座らなかったのかとの疑問が提示されていますが、電車の座席はすべて埋まっていたのだと考えられます。証人も座席に空席はなかったと証言しました。
また、証人は車内は混んではいない、「まばら」の乗客だったと証言しましたが、これは椅子と椅子のあいだのスペースのことで、座席は満席であり、出入り口付近の四角のゾーンは人が触れ合う程度(表現は違うかもしれないがこのような意味)だったと証言しました。
快速特急電車で品川から青物横丁までの所要時間は2、3分だそうです。
起訴状では、犯行時刻は10時8分から10時10分の2分間とされています。電車の品川発時刻は10時8分です。
犯行は発車後すぐに始まって、トータルで2、3分とされています(各種情報を総合して)。検察側目撃者が公判で、最初は「痴漢行為に気付いたのは電車が出発してから1、2分してから」と証言しました。ネットやマスコミではこれを根拠に弁護側証人の証言について、「うとうとしたあとに犯行があったのなら証人は気付かなかったはず」として、弁護側証人の証言が被告人の無実を証明することにはつながらないとする見解が流布されています。しかし、この指摘はまったく的外れです。検察側目撃者の「品川駅を出て1、2分たったころに痴漢行為に気付いた」との証言に対して、検察官は「時計などで確認したということではないのですね」と確認し、さらに、「感覚としては品川駅を出て、割とすぐという感じですか」と聞き、目撃者は「はい。そうです。」と答えました。犯行時刻を被害者供述に合わせて、10時8分から10時10分ころに合わせるやり取りを公判で展開したものと思われます。
被害者も犯行時刻については起訴状とほぼ同一の内容を証言したと思われます。
4日の証人は、電車が品川駅を出発してから青物横丁を通り過ぎるまでの間は被告人の様子をしっかり見ていたと証言しています。
品川を出発してから青物横丁を通過するまでの時間は2、3分になります。
したがって、証人の証言は事件の犯行時刻の被告人の様子をはっきりと目撃したもので、右手を吊革につかまり、うなだれて酔った様子で誰とも密着せずに立っていたというものです。被害者供述、検察側目撃者の供述する犯人と被告人は別人であることがはっきりと示されたと言えます。
被告人が有罪になるためには、弁護側証人が偽証をしていることが必要になりますが、弁護側証人の証言は、詳細で具体的、臨場感があり迫真性がある、虚偽を述べる動機がない、供述内容が不合理・不自然でない、経験則に背反していない、主観的確信に満ちている、という要素を満たしているもので、裁判所が弁護側証人の証言を偽証とするのは極めて困難であると感じられました。
弁護側立証は、被害者供述、目撃者供述を大枠では否定せず、別に真犯人が存在し、被告人が誤認されて取り押さえられたとの仮説に従っていますが、4日の証人証言はこれを補強するものになっています。
他方、検察側目撃者の証言は
① 被告人が眼鏡をかけていたことを覚えていない
② 勾留中の被告人が著しく痩せたことに気付かなかった
③ 目撃者が証言した電車内での被害者の位置が被害者供述などとあまりにも矛盾している
(目撃者のネクタイ結び目から、目撃者と被害者の間に立っていた女性の左肩までの距離が40センチメートル、目撃者のネクタイ結び目から、被害者の左肩までの距離が77センチメートル、目撃者はドアとドアの間の四角のゾーンの4本の吊革用手すりのうち、進行方向に対して垂直の列車前方の手すりに下がる三つの吊革のなかの、進行方向左側の吊皮を左手で握っていた、と証言しました。これを車内図にあてはめると、被害者の位置は列車進行方向に対して右側のドア付近になってしまいます。被害者の位置がドアとドアの間の中央付近とする他の関係者の証言と著しく矛盾してしまいます。
を含んでいます。
7月4日の公判での補充の被告人質問で、
被告人の体重が 事件時 67、8キログラム
→ 12月公判、1月公判時 58キログラム」
→ 現在 64キログラム
と推移したことが明らかにされました。昨年12月、本年1月時点では被告人はとてもやつれていたことが確認されていますが、検察側目撃者はこのことに気付かなかった証言をしています。
4日の弁護側証人が「騒ぎ」と証言したのは、二人目の逮捕者が声をあげて被告人を取り押さえたころのざわつきを指しているようです。被害者が声を出したことについて、被告人は被害者が「やや大きめの声をあげた」と証言しましたが、「子供がいるのに」といった言葉しか聞いていません。座席に座っていて、うとうとしていた4日の証人に、線路の音や他の音楽を聞いていた人の騒音などの影響で被害者の声が聞こえなかったとしても、まったく不思議はないと思われます。
補充の被告人質問では、目撃者が被告人が眼鏡をかけていたことを覚えていないと証言したことについて、弁護側が日本大学のI教授に依頼して心理学実験をしてもらったことが明らかにされました。事件当日の状況を再現して被告人が眼鏡をかけて、目撃者の目線から撮影した9枚の写真を、学生に1枚につき8秒ずつ、合計72秒見せて、3日後に集まってもらい、アンケートを取ったところ、20人中19人が眼鏡をはっきりと覚えていたとの結果を被告人がI教授から直接聞いたとのことでした。被告人がかけていたメガネは特徴のあるもので、写真では顔の印象よりも眼鏡の印象の方が強く残るものだったと被告人は供述しました。犯人の顔を注意して見ていた目撃者が被告人が眼鏡をかけていたかどうか分らないと証言したことは、目撃者が被告人とは別の人物を見ていた可能性を強く示唆するものです。
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7月4日の植草氏の公判は、善意の目撃証言者がその正義感から勇を鼓舞して証言してくれたようだ。この方が法廷に出るまでは何かと紆余曲折があったようだが、やっかいなことにかかわりたくないという一般人の心理を押して、植草氏の真実のために証言台に立ってくれたその気持ちには、植草氏ご本人も、つい感応して落涙、慟哭するというシーンがあったようだ。
私個人は、あの有名な応援するブログの管理人さんの冤罪説とはまったく異なり、品川手鏡事件も、今係争中である京急痴漢事件での逮捕・勾留も、植草さんが国策捜査によって嵌められたと一貫して主張してきている。簡単に言うなら小泉前政権は、構造改革という、一見して語義が曖昧で、聞いたものが等しくプラスのイメージを抱かせるその言葉を前面に押し出して出発した。ところが、蓋を開けてみると、その政策内実がグリーンメーラーのような儲け至上主義の株屋、つまりハゲタカ的な外資を利する政策に特化収斂したことに気が付く人はいた。しかし、大勢の国民層は小泉前首相の劇場型パフォーマンスに幻惑され、小泉・竹中的構造改革路線を結果的には支持してしまった形となった。もうかなりの人たちが気付き始めているが、ここ2、3年、日本の優良企業や各地の優良資産が安値で外資に買い叩かれる現象が起きている。このように、小泉構造改革の目的は日本の叩き売り路線なのである。そのために、わずか五年足らずで我が国は70年代の米国がたどったような格差社会に急速に移行した。それだけではない。戦後、我が国特有の素晴らしい伝統的な倫理規範は時間を経るごとに漸減し、小泉政権以降に至ってはモラル・ハザードを飛び越えてモラル・クラッシュを起こした。昨今、連日耳にする猟奇殺人や尊属殺人は日本人の倫理道徳意識が急速に破綻してしまったことを物語る。
かくして、小泉・竹中両氏が米国の意を受けて、属米政策路線、つまりはフリードマン型の新自由主義路線を取ったことは、我が国が築き上げた経済構造の破壊だけに止まらず、日本人の精神性にも甚大な悪影響を及ばしてしまった。私くらいの年代の人間なら、この六年間くらいで日本社会の姿や、日本人の精神構造がかなり異質な方向に変化してしまったことを痛切に感じている。今、この流れを食い止めようとする者こそ、日本のラストサムライなのである。エコノミストの植草一秀氏は、この亡国的ベクトルを早くから見抜いていて、勇敢にも警醒の言葉を発していたことを国民は知らねばならない。宮崎学氏のWeb「直言」で、植草氏は「失われた5年-小泉政権・負の総決算」シリーズを書いている途中で国策捜査によって逮捕された。この小泉政権への植草氏の糾弾姿勢に、彼のエコノミストとしての良心が余すところなく出ている。御用学者には決して書けない勇気ある国政批判が書かれている。小泉政権の初期に国民は植草氏の言葉に耳を傾け、自身の考えでこの売国政策の本質に気付いていたら、今の日本はまったく様子が変わっていただろう。
今からでも決して遅くはない。植草氏を不名誉の洪水から引き出して、もう一度、日本国家と国民の幸せのために彼の能力を存分に発揮させる必要がある。植草一秀氏はあのおぞましい政権の危険な方向性を初期から指摘していた。それに加えて、彼はりそな銀行の救済騒動が、仕組まれた経緯を持つことに気が付き、インサイダー疑惑を調べるように提言していたのである。新自由主義に我が国の国家構造を変えて、より鮮明にアメリカの奴隷国家への変質を迫った小泉政権の邪悪な意図は、今も尚、安倍政権に引き継がれている。この流れはなんとしても食い止める必要がある。国家国民の利益と幸福を念頭において経済政策を提言できる植草氏は、現今の日本においてはきわめて稀有な存在である。いわば、彼の存在は国の宝である。
いい加減に国民は気付いてほしい。小泉政権がもたらした新自由主義政策が持つ内在的論理は、ずばり言って「売国論理」である。それに対し、植草氏が持つ内在的論理は日本人の幸福にそのベースがある。この真っ向から異なる内在論理が衝突することは当然と言えば当然なのである。植草氏は時の政権の誤った政策ベクトルを是正するために単身立ち向かった。その結果が、権力側から国策捜査による不当逮捕を仕掛けられてしまったのである。
植草一秀氏の結審が迫っている。このブログを読んでいる方々は、植草氏がなぜ、無実の罪で陥れられたのかということを、自分の生活環境や社会の変化から考えてみて欲しい。日本で最も良心的なエコノミストが、国民を毀損し愚弄する政策に単独で向かって行った事を是非評価して欲しい。植草氏を不当な闇の権力から救出することは、日本の将来を健全に戻すことと同義の次元であることに気付いてほしい。
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●完璧な目撃証人の出現で冤罪は完璧に証明された
7月4日の公判で、事件のとき植草氏の真横1mの所に座っていたという証人が、植草氏は、痴漢をやっていなかったと証言した。このような証言は、この人にとっては何のメリットもない。昨今の希薄な人間関係の中では、面倒なことに係わり合いになるのを忌避する風潮が強い。それだけに、この人がわざわざ嘘を言うために証言台に立つことはないと思うし、彼の語ることの信憑性は極めて高い。
植草氏が訴えられたとき、訴状には品川駅を出発して2分間の間に痴漢を行ったということだった。被害者女性の証言も品川を出て2~3分間触られたとなっている。品川から青物横丁まで2~3分である。この間、すぐ近くの座席に座っていたこの男性は、「植草氏が右手をつり革にかけて、ぐったりとした酔った状態でふらふらと立っていた。植草氏は彼女に密着していなかった。」と証言している。そうであれば、容疑は完璧に否定される。
●マスコミが行った偽りの報道
マスコミの報道をそのまま次に引用する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一方、裁判長は、男性が全てを見ていたわけではなく、居眠りしていた時間があった点を指摘します。
「寝ていた時には、何が起きたのかわからないわけですよね?」(裁判長)
「そうですね」(証人)
「そうすると、痴漢の事件も寝ている間に起きたのかもしれないと考えるのではないですか?」(裁判長)
「一瞬思いましたけど」(証人)
裁判長は男性の主張に納得できない様子で、何度も質問していました。
いかにもこの証人が眠っていた時に痴漢が行われ、この証言が役に立たないとの印象を与えるような表現ですべてのマスコミが報道した。しかしながら、すべての裁判官も、検察官も、痴漢が行われた時間としては品川駅を出発して2~3分ということは確認している。これを今更、変えることはできない。そうするためには、もう一度被害者尋問を行わなければならないだろうし、それはあり得ないから、もう「犯行時刻」は確定事項なのだ。
それならば、なぜこのような質問を裁判長が何度も行ったかというと、それは証言の信憑性を確かめるためだった。もし、この証人が植草氏から雇われて出てきたとし、実はその現場にはいなかったとしよう。そうしたら、彼の情報は植草氏から聞いたとおりに、つまりできるだけ彼に有利になるように細工をするに違いない。この裁判長の質問は、実はこの証人が本物か、雇われかを区別するのが目的だった。
裁判長は、彼がこの事件についての情報を事前学習しているかどうかテストしたのだ。痴漢は品川駅から蒲田駅につくまでのどのあたりで行われたと被害者が言っていると思うか証人に聞いた。時間帯を3つに分けて、最初の1/3、真ん中の1/3、最後の1/3のどれだと思うかと聞いた。彼は、最後の1/3と答えた。つまり、彼は事前学習をしていないことが分かる。更に念を押すために、裁判官は
「寝ていた時には、何が起きたのかわからないわけですよね?」(裁判長)
「そうですね」(証人)
「そうすると、痴漢の事件も寝ている間に起きたのかもしれないと考えるのではないですか?」(裁判長)
「一瞬思いましたけど」(証人)
「それでも彼が痴漢をやっていないという証言をしようと思ったのはなぜですか」(裁判長)
「2人が捕まえた様子が余りにも変だったからです。普通なら捕まえる際に言い合いになるはずなのに、捕まえる側、捕まる側の両方が異様に静かだった。植草氏が絡まれているに違いないと思いました」(証人)
これにより、この証人が雇われでないことが完璧に証明されたわけだ。もし雇われなら、うとうとしてたなどと言わないに違いないし「寝ていた時には、何が起きたのかわからないわけですよね?」(裁判長)「そうですね」(証人)という会話は、絶対にあり得ない。この証人は知らないのだが、実は、青物市場まで、植草氏を見ていて、痴漢をやっていないということが証言されれば、それで完璧なのだ。植草氏にとって不利になるかもしれない「そうですね」(証人)という発言は、逆に証言の信憑性を高めるのに役立っているのだ。 すべてのマスコミは、意図的に植草氏に不利になるような報道しかしないから、「役立つ証言出ず」という見出しになった。
事件の報道では被害者が「やめて下さい」「子どもいる前で恥ずかしくないのですか」といったとなっていた。その後泣き出したそうだ。しかし、至近距離にいたこの証人はこれらを聞いていないし、植草氏も「子どものいる前で・・・」という少し大きめの声が聞こえただけと言っている。今回の証人は、これらの声を一切聞いていないことと合致する。
●第六回公判に出たK証人は替え玉であることが証明された
なお、3月28日のK証人が替え玉であったという証拠がまた一つ増えた。なぜなら、7月4日の証人は、車内で植草氏を捕まえたのは2人だと証言したからだ。K証人は一人で捕まえて、ホームでもう一人手伝ってくれたと言った。これは明らかな偽証だ。
電車が蒲田駅に10:18到着して、植草氏を駅事務室に連れて行き、駅員に説明、駅員が警察に連絡、警察から近くにいるパトカーに連絡が行ったのが10:21。これだけのことを僅か3分でできたというあり得ない離れ業。周到に準備したでっち上げ事件だからこそできたのだ。K証人は、ホームで周りの人に駅員を呼びに行ってもらってから、駅事務室に連れて行ったと証言した。これも明らかな偽証。それでは3分以上かかるからだ。K氏が替え玉でなかったら絶対に間違って証言することはあり得ない。つまり、K氏は替え玉なのだ。
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7月4日の公判で、事件の時、植草氏の真横1mの所に座っていた証人が、植草氏は、痴漢をやっていなかったと証言した。このような証言は、この人にとっては何のメリットもない。さまざまな状況を考えると、この方が出廷することは非常に勇気が要ったに違いない。それだけに、わざわざ嘘を言うために証言台に立つことはあり得ず、彼が行なった証言の信憑性は極めて高い。今、読者に心を留めてもらいたいことは、この善意による第三者の目撃証人は、裁判に係わる原告にも、被告にも、何の利害関係も社会的関係も持っていないということだ。彼は当日乗り合わせた一般乗客の一人である。彼の証言動機は、自分は無関心を装う傍観者でありたくないという思いだった。彼が良心の叫びに従って公判に出廷したことは大きい。
さて、植草氏が訴えられたとき、訴状には、品川駅を出発して、すぐに痴漢行為が始まり、それは約2分間に及んだということだった。
以下は第二回公判にて、それについて言及した目撃者の証言録である。(速記録より抜粋)
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192 検察官1 さて、あなたは、この電車の車両に乗り込んですぐに、今回痴漢行為を働いたおじさんや、被害に遭った女子高生が、同じ車両に乗っていることに気づいたのですね。
264 検察官1 あなたがそのような様子を目にしたのは、電車が品川駅を発車してどれくらいたったころでしたか。
265 T証人 正確にはわかりませんが、1、2分たったころだと思います。
266 検察官1 もちろん時計などで確認していたということではないわけですね。
267 T証人 はい、そうです。
268 検察官1 感覚としては品川駅を出て割とすぐという感じですか。
269 T証人 はい、そうです。
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さて、「植草事件の真相」掲示板を管理するgigiさんが、品川と京急蒲田間における快速特急で、それぞれの駅の通過時刻を近似的に調べてくれた。

上図は、品川と蒲田間、全8km区間において、快特電車が等速度運転しているものとして、各区間距離から単純に通過時刻を割り出したものである。実際は品川駅を出発して一定速度に達するまでの加速区間があり、同様に京急蒲田駅に停止するまでの減速区間があるから、青物横丁と大森海岸の通過時刻が、距離に比例する単純な時間計算では出てこないだろうし、路線のカーブの状況やアップダウン、あるいは踏み切りの安全状況の判断などで、毎回同じ時刻にそれらの駅を通過するとは限らない。しかし、大まかな目安としては、上図の時刻割り出しとあまり極端な差異は生じないと思う。要は停車駅の到着時刻が正確ならいいということであろう。
植草氏から、すぐ近くの座席に座っていたこの男性は、「植草氏が右手をつり革にかけて、ぐったりとした酔った状態でふらふらと立っていたことを見ている。しかも、彼は植草氏が彼女に密着していなかった。」と証言している。この二つの証言は重大である。今回公判の最重要箇所は、植草氏のその様子を目撃したその時間帯がどの範囲にあるかである。
上記の速記録によれば、植草氏が電車に乗り込んですぐに痴漢を働いたと検察が言っているが、第二回公判に出た目撃証人は痴漢行為の起点が、品川駅を発ってから1~2分後くらいだったと言っている。ミニマムで出発から一分後に痴漢行為が始まった。マキシマムで出発から2分後に痴漢行為が始まった。そうなると、座席に座っていた今回の善意の証人は、品川から青物横丁までの3分間は覚醒していたわけだから、少なくても1分間、多くても2分間は植草氏の様子を見ていたことになる。そうなると、彼が青物横丁辺りでうとうとして眠るまでは、植草氏が痴漢とは無縁の状況にあったことをはっきりと見ているのである。よく考えてもらいたい。植草氏が痴漢行為を行なったとされる時間が2分間である。つまり善意の証人が、植草氏を見ていた時間が、ミニマム時間で1分間、マキシマム時間で2分間は、植草氏が行なったとされる犯行時間と重なっているのである。
これらの時間構成を眺めれば、植草氏による痴漢犯罪は明らかに生起していなかったことになる。図によれば、京急品川から青物横丁までは2分45秒であるが、先ほど言ったように加速時間を考慮すれば、その時間にプラスα秒加算した時間になるから三分くらいで青物横丁を通過したかもしれない。すると繰り返しになるが、この証人の語ったごとく、初期の2~3分間は植草氏を見ているから、その間に痴漢は発生していないことになる。10時08分に品川を出た電車は青物横丁を10時10分~11分ごろに通過している。3分に近い所要時間である。
ニュースは、彼の証言は役に立たないと言っている。この男性が事件そのものを目撃していないから駄目だというニュアンスである。証言者の信憑性を疑うような報道がテレビでなされたことは、たとえば2007年7月5日06時02分に掲載された「スポーツ報知」で書かれた次の内容を見てもらいたい。
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だが、この男性も「痴漢行為はなかったのではないか」と主張しながらも「電車内では途中、うつらうつらしていた」とも。裁判長は証人に「居眠りしている間に痴漢行為があったかもしれないと考えるのでは」と繰り返し質問したが、植草被告の潔白を証明する明確な回答はなかった。
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神坂尚裁判長は、この善意の証人さんに何度も「居眠りしている間に痴漢行為があったかもしれないと考えるのでは」と訊ねている。しかし、上記で私が語った時間構成を眺めれば、この証人が覚醒していた時間、すなわち植草氏の様子を見ていた時間が、第二回公判で植草氏の痴漢を目撃したと称する証人が語る犯行経緯と、完全に時間的な矛盾を生じていることがわかる。
つまり、善意の証人が植草氏の犯行を目撃していないという決定的な事実が暴かれたのである。巻頭で言ったごとく、この善意の証人は乗り合わせただけのただの乗客である。彼が虚偽の証言をする理由は何もない。しかし、この事件が植草氏を貶める謀略にもとづいて演出されたのであれば、第二回公判で目撃したと称する男も、その後で名乗り出た一般人の逮捕者の証言自体もすこぶる怪しいものとなる。おわかりだろうか。植草氏は完全に無実なのである。これが国策捜査でなくて何だろう。
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