ネクタイをキーワードとして考察する(1)
植草氏が巻き込まれた痴漢事件は、通常の意味合いにおける冤罪ではありえない。これは公権力が行なったれっきとした国策捜査事件なのである。その最大の理由は、植草氏のけっして手を緩めなかった小泉政権批判と、りそな銀行にかかわるインサイダー取引疑惑という政府絡みの金融犯罪の可能性を指摘したことである。これに呼応するかのように権力筋に掌握されたと思えるマスメディアは、植草氏が巻き込まれた事件について、異常な偏向報道を行なった事実がある。この報道の特徴は植草氏がまだ容疑段階であるにもかかわらず、彼が常習性を持った病的痴漢性癖者のように扱ったことだ。ここには著名人が痴漢をしたという話題性をはるかに超えた底知れぬ執拗な悪意、そして攻撃性があった。
ネットを除くほぼすべての報道媒体は、植草氏があたかも確定的な犯罪を行なったかのように一様にセンセーショナルに報道した。この異常な過熱報道は植草氏という個人の人権を著しく毀損ずるどころか、マス・メディアの犯罪とも言える暴走的体質を示した。植草氏の弁明を完全に無視したまま、事件を伝えた警察も、マスコミも、完全に良識とバランス感覚を逸した報道を行なった事実が、この事件に対する彼らの異常なこだわりがあったことを物語る。マスメディアがこの事件に示した異常なこだわりとはなんだろうか。それこそが公権力と結託したメディアが国策捜査の片棒を担いだという紛れもない事実なのだ。つまり、時の政府が、国民をだましながら誤導的国策を行なっていた事実があった。これを鋭敏に見抜き熾烈な政府批判を敢行した有識者を、国家がマスコミと官憲を使って狙い撃ちしたのが、植草氏に関わる事件の真相なのである。すなわちこれは国策捜査であり、植草氏は紛れもなく無実なのだ。
さて、本題に移ろう。第二回及び第六回公判で、検察側証人の語った逮捕状況に奇妙に類似したブログ記事が存在する。強いて言うなら、これは類似というよりも、その記事自体が検察側公判証言のプロット・モデルとして先行していた観があるのだ。何と、その記事は植草氏逮捕の2日後にインターネットのブログに出ていたのである。この記事が先行的な指標となって公判が行なわれたというのは奇妙な言い方であるが、冷静に考えるとまさにそのように思える決定的な類似性が存在する。私がいまだに不可解なのは、逮捕状況を克明に補完すると思われるその記事を弁護側が提示しかけたにもかかわらず、なんとそれは裁判長によって即座に却下された。それは公判に時間を掛けたくないという意味なのか、あるいは別の思惑が存在するのかよくわからないが、その記事の証拠能力を否定されたことで、却ってその記事と公判証言録との類似性が強調された結果となったことは注目に値する。
公判録を読むと、その記事が採用されなかったというよりも、検察はその記事が出ることを慌てて忌避したようにも見える。その理由を考察してみると、この事件が冤罪よりもはるかに根深い性格を持つ、公権力による国策捜査を浮かび上がらせる結果となった。審議不採用になったその記事は、内容が証拠としてに不適格ということになるのだろうが、そうであるならば、そこに描かれる逮捕状況が、検察側証人二名による逮捕状況の描写とあまりにも酷似する事実をいったいどのように説明すればいいのだろうか。私はそこに検察側の深刻な苦慮を読み取った気がした。この記事は国策捜査を計画した側が、9月13日の京急事件の事実性を補強するために仕組んだものではないだろうか。ところが、彼らの補強を目的とした思惑とは別に、公判内容はこの記事の内容とは若干不整合な進展をたどったのである。その結果、週刊誌「女性セブン」の「植草氏は七回も示談を行なっていた」という事実無根の勇み足報道と同様に、このMixi記事も彼らは採用できなくなっていたのである。以下にそのことを説明していく。
ともかくはキャプチャーとして残っていたMixiの記事を読んでいただこう。
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