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2007年9月30日 (日)

郵政民営化開始は国家の危急存亡局面である

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  今日は9月30日、ついに明日、10月1日から郵政民営化が予定通りスタートすることになった。眼前に迫る危機に気が付かず、相変わらず眠りこけている大多数の国民の中で、売国自民党がアメリカの犬に成り下がり、参院選後の国会開催を潰し、郵政民営化凍結法案の芽を潰すことに躍起になり、それは現段階で成功している。9月25日の植草さんのコラムでもこのことに言及しているので以下にその部分を引用する。

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自民党総裁選は9月14日の段階で、麻生派を除く自民党の全派閥が福田康夫氏を支持することを表明したために、福田氏の総理総裁就任の流れが決定的になった。そうであれば、自民党は迅速に後継総裁を決定すべきであった。ところが、自民党は総裁選の日程を9月23日に設定し、新政権の発足は9月26日にずれ込んだ。参院選直後に安倍首相が辞任していれば、8月末には国会を召集できたはずである。ほぼ1ヵ月の政治空白を生んだ責任はひとえに自民党にある。

 ところが、メディアは自民党総裁交代、新内閣発足を一大国民的行事として批判的視点を完全に欠如したまま報道した。参院選で有権者は安倍政権に対して明確にNOを突きつけた。NOの意味は、小泉・安倍政権の基本政策に対する評価であったと判断できる。小泉・安倍政権の政策路線に対する明確な総括を示すことが政府、与党に求められている。
 今回の突然の安倍政権総辞職、福田新政権発足の大混乱を政府、与党が狡猾に利用していることを明確にしておかなければならない。三つの大きな問題にしっかりと光を当てなければならない。第一は、9月に1ヵ月の政治空白が生じたために、郵政民営化を凍結する法案の審議が極めて困難になったことだ。
米国は力づくで、郵政民営化の10月1日実施を確保しようと注力したと考える。郵政民営化凍結法案の民主党と国民新党とによる共同提出が民主党の反対で見送られたが、民主党にその真意を糺す必要がある。
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 植草さんが指摘されているように、8月の参院選惨敗時に安倍前総理が辞任していれば、9月の国会審議は通常通りに開催されたのだ。ここで憂国心情派の国民新党が「郵政民営化凍結法案」の重大さをぶち上げてくれたら、国家存亡の重大事であるこの民営化は見直される気運が生じたかもしれないのだ。返す返すも慙愧の思いが走って仕方がない。安倍氏が突然辞任を発表した時、私やジャパンハンドラーズさんが、この辞任劇の真の底意に気が付いた。それは郵政民営化に対して国民に疑念の念を抱かせずに10月1日を迎えるためであった。私は財団日本相撲協会の横綱朝青龍の問題をマスコミが執拗に取り上げ続けたのも、郵政民営化凍結の気運から遠ざけることに一役買っていたような気がする。時津風部屋のリンチ死騒動もそうかもしれない。とにかくこの時期のマスコミの論調は恣意的に何か重大なものを押し隠すように働いていたことは確かである。その中心が安倍氏の辞任劇であり、最もタイミングが不自然な総裁選なのだ。このように9月のメディアの動きは異常なものだった。郵政民営化は本当に危ないのだ。

 喜八ログさんの最新記事から引用しよう。

「郵政民営化」はノンフィクション作家関岡英之さんの言葉を借りて言えば、「対米迎合派」対「国益擁護派」の戦いの場です(小泉・竹中がしきりに喧伝した「改革派」対「守旧派」の戦いなどではなくて)。そして私は「郵政民営化」は「対米買弁派」と「国民生活防衛派」による決戦場だと考えています。ブログ「神州の泉」さんは「関が原の戦場」にも喩《たと》えられています。

 私が今の局面が関が原の戦いだと思っているのは、郵政民営化が国家の危急存亡時に該当すると考えるからだ。表層的には郵便事業のユニバーサルサービスの低下が懸念されているが、真の恐怖は国民の共有財産である簡保と郵貯資金、併せて350兆円が国債分を除いて海外に流出する危険が迫っているからだ。日本の国富を狙う大もと的存在と、それに手を貸す買弁政治家たちの真の狙いは民営化ではない。ずばり言ってそれは郵政公社の分社化なのだ。これについてはまた記事を書くつもりである。

尚、植草さんは2005年の12月に出版した「ウエクサ・レポート」のvol・25の「サムライVS代理人の政策論」で次のように言っている。関岡英之氏の「年次改革要望書」を主題とした「奪われる日本ー年次改革要望書米国の日本改造計画」と同様の視点で、1991年の「中央公論」に「バブル崩壊後日本経済の行方」という論考を寄稿した。私神州の泉の考えなのだが、植草さんはすでにこの時点辺りで、要注意人物として米国に目をつけられていた可能性がある。この時期クリントン大統領は日本を素通り(パッシング)して中国を訪問し、日本との外交関係を軽視したが、一つだけ彼らは日本に重大な関心を持っていた。それが日本の金融分野である。フリー、フェアー、グローバルのキャッチコピーは米国からもたらされたものであり、日本の金融市場の規制を取っ払うものであった。その結果、ご存知のように金融ビッグバンが実現され、日本金融市場は無理やりこじ開けられる形になった。郵政民営化はすでにこの時点で明確に計画化されていたに違いない。

 1993年の宮澤ークリントン会談で年次改革要望書は合意され、翌年の1994年に最初の年次改革報告書が出されている。少し不思議なことがある。2005年の8月、民主党の櫻井議員の「民営化は米国からの要望に配慮したのか」という質問に対して、小泉純一郎氏は「私はアメリカが言い出す前から民営化を説いてきた」と答えている。最初の1994年の年次改革報告書が出されたのがその後続いた通例的な10月だとすれば、その前の9月には小泉氏が「郵政省解体論 「マルチメディア利権」の読み方」という本を出しているのである。ほぼ同時期だ。これは小泉氏が単独で郵政省解体論を考えていた時期と奇しくも一致しただけなのか?それとも米国からの何らかの接触が小泉氏にあったのだろうか。

 もっとも郵政の簡易保険に関して、年次改革要望書に初めて出てきた年月日は1995年の11月だった。関岡氏によれば、そこには「郵政省のような政府機関が、民間保険会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する」とあったらしい。米国は日本が国営として営んでいる郵政事業、特に簡保に関して、前提としていきなり官営を廃止して、民間会社に開放しろと要求を突きつけたのだ。小泉氏が口角泡を飛ばして繰り返した言葉、「民に出来ることは民に」のロジックの淵源がすでにこの時期の要望書に見受けられたのだ。そして前掲の小泉氏の「郵政省解体論」の出版、これらは何の関連性もなく出てきたことなのだろうか。小泉氏は1992年にすでに郵政民営化を唱えていたが、この年は宮澤喜一内閣の郵政大臣の時である。宮澤内閣と言えば、クリントン大統領との会談で年次改革要望書を合意した内閣であることは示唆に富む。確かに米国の要望よりも小泉氏の民営化論が先行しているのだが、鳥瞰的なタイムテーブルで眺めると、小泉氏と米国の要求はほぼ同期しているように見えるのは私だけなのだろうか。

 私は米国と、かの国に魂を売り渡した買弁政治家連中が10年後の完全郵政民営化を悠長に待っているとはとても信じられないのだ。彼らの切迫した目的は、民営化そのものではなく、郵政公社の分社化にあるのではないだろうか。今、そのことを調べている最中である。私には今の時期がさしあたっての国家危急存亡の局面であるという直感がある。何と言うか、切迫した危機感がどうしてもぬぐい切れないのだ。

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メディアの暴走、司法の歪みを許容する国民性の深層を考えてみる

 弊記事「鈴木淑夫氏(前衆議院議員)が植草氏の国策捜査疑惑に触れる!」に関して、ある読者の方から下記の貴重なコメントを頂いた。日本人の国民性について少し感じるところがあったので、これに管理人の愚考を加えてみたい。

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  はじめてコメントさせていただきます。

>政権交替の不在こそが、日本の社会をここまで腐敗させるような司法とメディアを作り出した根本の原因だと思う。

私は、むしろ生活優先の日本人の行動様式に問題があると思います。

職業生活において、権力者に圧力をかけられた場合、生活の糧である今の地位を捨てる覚悟で、その職業上の使命、職業倫理を貫こうとする人が、先進国といわれる国と比較して、日本には少ないからではないでしょうか。「長いものには巻かれろ」、「泣く子と地頭には勝てない」等の格言にそのことは表れています。

また、万年与党とは無関係の某巨大宗教団体に対する批判的な記事が、その団体からの広告収入に支えられているマスコミが報じない事を見ても明らかです。

使命、倫理を貫き通そうとすると自らの生活を犠牲にしなければならない事態が起り得る、そういうことに多くの日本人は耐えられないのでしょう。

その点、一神教の精神世界に住んでいる人は、神の意思を実現する事こそが正しい事だと思うことができるので、管理人様が書かれているような評価になるのだと思います。

今回の参議院選挙の最大に問題が「年金」であった事が日本人の精神性を象徴しています。

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  この方は日本人の民族性を非常に興味深く指摘している。現在、我が国メディアの暴走的な権力志向と、司法に深刻なる「いびつ性」が生じた原因は、日本人の生活優先の行動様式にあると喝破されている。確かに現象的にはその通りなのである。生活の糧が何よりも優先され、職業倫理観や社会規範がおろそかにされるきらいが国民の大多数にはある。ただし、問題はこれが戦後顕著に表層に現われた国民性なのか、あるいは戦前、かなり時代を遡る以前から培われていた日本人特有の庶民キャラなのかということにある。

 素人的に解釈すると、私はまず豊臣秀吉の百姓に対する兵農分離策、いわゆる「刀狩り」を思い起こす。思考の方向性を明確にするため、作業仮説として敢えて国民の階級を、わかりやすいように、おおざっぱに働く者と護衛する者に無理に二分すると、お百姓さんと武士階級に分けられる。もちろん実際は多くの職能階級があったのだが、思考実験なので、これを職能的に二分して、農業階級と支配者階級というふうに単純に分けて考えてみようと思う。このような粗暴きわまる階級観を使うことには抵抗があるが、この二分法は煎じ詰めて言えば、支配者と被支配者という人類に普遍的な原型素描となる。被支配階級の農家は武士や支配者に楯突かないように教育されるが、秀吉の時代は飢饉や悪徳地頭などの影響で百姓一揆が勃発することがしばしばあった。権力者としては、そのリスクを少しでも軽減させるために、お百姓さんが銃刀を所持することを禁じたのである。さらに明治維新では廃刀令が出され、大東亜戦争直後にはマッカーサー連合国総司令官が、日本の軍部解体を行い、それにともなって武器、及び伝統的な武道すべてを廃止した。これも刀狩りである。日本人には歴史的に為政者(支配側)に刀狩りされることによって、性格が従順というかお上に楯突かない精神構造が出来上がっているように思っている人は多い。伝統的に庶民はデフォルトで精神の武装解除を施されているのだ。

 と、このように単純化して言ってしまえば、私の頭はマルクスの階級闘争史観そのものになってしまう。(笑)本当のところ、私はその外来の階級闘争史観なるものは日本民族の伝統的構造には思いっきり不整合だと考えている。日本という国はフランス革命のように民衆が支配者の抑圧に対して決起するという構図は原理的に生まれようがない国である。もちろん百姓一揆やその他の反乱は多々見られるが、海外に比べればその血なまぐささはいたって少ない。つまり他国のように社会ダーウィニズムを基調とするバーバリスムとしての反乱・決起はほとんど見られないといってよい。その証明は明治維新を成し遂げた事実によく出ている。たとえば江戸城の無血開城などもその事例だ。支配者の飽くなき抑圧、一見そのように見える民衆の抑圧形態は、日本の場合、実は抑圧ではなく一種の共同体志向から由来していると私は思っている。つまり農耕民族のアーキタイプと、天皇を戴くシステム(体制)が長く続いてきたために、日本人の統治感覚、被統治感覚は「和の共同体志向」がその中核を成しているのだ。

 最近は特に思うのだが、もともと国民とお上の関係は西欧で言うところ抑圧を基盤とした統治形態とは本質が違うと。つまり、日本人の統治原理は力の論理ではなく、和の論理である。これは聖徳太子の十七条の憲法が多大に影響を及ぼしてきたということだろう。文化的にそのことを端的に証明するものはあの「萬葉集」であろう。一つの詩文の世界に、天皇から世俗の人間まで身分の貴賤上下が分け隔てなく編集されている。つまり、日本民族とは、観念や情緒、人間の存在論的なレベルにおいては平等なのである。なぜこういう民族性になったかを分析することは有益なのだが、それは本論を外れる。本論のテーマは現代マスコミの独断性や暴走、そして司法の偏頗性をなぜ国民が受容しているかにある。

 日本という国はマックス・ウェーバーの言うように、プロティスタンティズムの世俗内禁欲が資本主義の原理を健全に稼動させたという作業仮説は絶対に適用できないところがある。ところが知識人たちはなぜかこの「プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を好んで取り上げ、日本論にも適用しようとする人が多い。私もかつてそんな気分になったこともあるが、最近は根本思想においてこの見方は疑問に思っている。なぜなら日本民族は欧米諸国とは存在原理が異なるからである。ルターに始まるキリスト教プロティスタンティズムを基盤とする西欧は、資本主義を支えたエートス(倫理規範)が神との契約概念で成立しているという蓋然的な了解があるが、我が国にはそのような契約概念は存在しないし、出てくる土壌もまったくない。天職と心得る職業に就いた場合でも、それが神の御意志の顕現として労働するという感覚は存在しないのだ。

 しかし、大東亜戦争後、焦土と化した国家を驚異的な短時間で復興し、奇跡と言われた規模の資本主義的社会を形成してしまったことは近現代史の紛れもない事実である。この驚異的なダイナミズムがキリスト教倫理に似たようなもので衝き動かされたとは到底信じがたい。日本的なるエートス概念、それが仏教か、儒教か、神道的エートスなのかと問いかけることはまるっきり無駄な作業だと思う。むしろ、大東亜戦争にしろ、戦艦大和の建造にしろ、戦後の高度経済成長しろ、日本人が引き起こす巨大なダイナミズムは宗教的内発性とはまったく違うものであることを認識するべきだろう。私はそれこそが「和を以って貴しとなす」の共同体原理だと考えている。

 それを展開することは本論の主旨ではないので、マスメディアの横暴を許容する国民性を指摘したい。「長いものには巻かれろ」、「泣く子と地頭には勝てない」、「親方日の丸感覚」等の言葉は、この共同体思考から来ていると考えて間違いない。日本人の規範感覚の要諦は相手と喧嘩しない、恨まれない、相互謙譲である。これが田んぼの水利権争いの平和的な解決から、やむなく生み出された社会規範だとしても、長い時間にDNAに刻み込まれ、民族の原型的性向となった。さてこれからが本論である。圧倒的多数の日本国民がマスメディアや司法の横暴に鈍感なのは、この原型的共同体思考が権力者たちに対しても適用されるからである。つまり、日本人はすべての国民が高貴な精神性を宿しているために、けっして力の強圧による隷従隷属を受容しないところがある。形式的にはその形態を固守したとしても、精神のアーキタイプが萬葉集に出ているように他者と自分は存在論的に身分差別を認めないのである。そのために、主従関係が成り立っても、互いに相手を敵視しない精神土壌が出来上がっているのだ。そうでなければ赤穂藩浪人の敵討ち騒動は起きないわけである。

 つまり日本人は権力者に対しては従順に見えても、その抑制は基底精神で権力者と自分には平等性が担保されていると確信しているのである。原始的な捉え方をすれば、日本人にとって権力機構とは、共同体原理を束ね、それを存続させる求心力なのである。この感覚で現代人もマスコミを眺めているので、マスコミの恣意性や誘導性に対して無感覚なのである。だからこそ、マスコミを牛耳る権力者は日本人の民族性向を正確に捉えて好きなように洗脳しているのだ。彼らは日本人の平和志向を逆利用して世論コントロールを行なっているのだ。非常に奸智に長けていると言える。繰り返すが、和の共同体志向とは、おそらく、狭い土地内で耕作地の水利権を争ううちに、喧嘩して奪い取るよりも、あい和して微妙な棲み分けを考えた方が都合がいいということになったのだろう。こういう有徳の国民性を利用して、映像や音声、あるいは文字で好き勝手に日本人の社会感覚を左右している存在には心底怒りが湧いてくるのだ。

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植草氏が遭遇した偽装事件の真実


植草事件の真実―植草氏は無罪だ(Z氏の考察)

(検察側証言者の証言は作為と誤謬に満ちている)

 「事件」発生時の車内の様子はどうだったのか。いろいろな情報が錯綜し混乱しているがこれも当然のことである。有罪だと主張するのは検察側陣営の2人、すなわち検察側目撃証人(第二回公判で証言)と、第一逮捕者(第六回公判で証言)である。それに対して無罪を主張するのは弁護側目撃証人(今年7月4日、第九回公判で証言)と被告。両陣営の主張は真っ向から対立しているから、当然車内の様子も違ったものとなっている。事件当時の車内の様子が様々な人によって図で示されているのだが、かなり検察側陣営の証言に振り回されているの実情だ。しかし検察側陣営の2人は実際は事件を見ていないし、作為的な証言をしているだけという動かぬ証拠(下記参照)があるので、彼らの一切を信用すべきではないと私は考えている。従って、弁護側の2人、つまり目撃証人と被告の証言のみを信用して事件当時の車内の様子の図を描いてみた。これが図1だ。「目」と書いたのが目撃証人の位置である。この大部分は目撃証人の証言が元になっているが、彼は被害者女性を見ていない。ところが、植草氏は自分が乗ってきたドアの方向に向かってつり革につかまって立っていたと述べている。そして被害者女性は自分の前1~0.8mくらいの所にいたと言っているから、その位置証言を加えると図1のようになる。

図1

Z

  この図でまず気付くことは、被害者女性と第一逮捕者の位置が異常に近いことだ。第一逮捕者の位置は目撃者によってしっかり目撃されているし、被害者女性の位置は植草氏の証言が元になっている。2人の証言を併せてみると、何とこの2人が非常に近くにいたことが分かる!被害者女性は逮捕者の連れのようだったと目撃者が証言していることにぴったりと符合する。表向きは被害者女性と見ず知らずの乗客が逮捕してくれたことになっているが、実は連れだって行動していたのではないだろうか。

 この電車に植草氏は最初、間違えて乗った。そこで降りようとしたら、後から乗ってきた乗客に押し戻されたと言っている。酩酊していた植草氏を押し戻したのはこの2人ではなかったか。図の下のドアから入ってきたのだから、場所的にはこの2人が押し戻したと考えるのが非常に合理的だ。

 何のために押し戻したのか。それは、植草氏が下車して、反対向きの電車に乗ってしまうと、上りの次の駅までの所要時間が2分しかなく、しかも車内はガラガラなので、とても痴漢偽装事件の工作は無理だからである。満員ではなくても、乗客の多い電車であれば、「痴漢です」と女性が声を出しさえすれば、指一本触れて無くても起訴され、99.9%の確率で有罪となるのだから、勇気を出して声を上げるだけで、偽装事件は成功する。しかし、その田舎芝居を見ていた人が、彼は痴漢をやっていなかったと証言すれば、いくら何でも有罪にはできないのだ。今回はそのケースとなる典型的な事例だ。しかし、もし裁判官が当日乗り合わせていたこの目撃証人の証言を不採用とするなら、今回のケースでは明らかに司法の独立性は存在しないことが明らかとなる。考えたくもないことだが、裁判所の三権分立の精神は幻想だということになり、国民は裁判所の公平性という思い込みの中で生きていることになる。さらに言うならば、裁判所まで「国策捜査」の片棒を担いでいる可能性が濃厚となると言ってよい。一国民としては、けっしてそのようなことがないことを祈りたい。国民はこの裁判の帰結を細心の注意を以って見守るべきだろう。国家が健全か、どこまで腐っているのかが判断される裁判だからである。もし、第九回公判に勇気を出して出廷してくれた目撃証人の言が裁判官に否定されるようなら、日本の司法は立ち腐れと言えるだろう。国際社会において、これほど恥さらしな国家があるだろうかということになる。

 この事件が偽装、すなわちでっち上げであるという証拠は数え切れないほどある。もちろん、最も確かなものは、弁護側目撃証人が「植草氏は痴漢をやっていなかった」という直截な証言である。これが嘘だと言うなら話は別だが、検察側もこの証人が嘘を言っているとは主張していない。被害者女性が2分間触られたと主張しても、この目撃証人の証言により、それが真っ赤な嘘だということが証明されている。

 第一逮捕者の証言(3月28日)は間違いだらけで、証言を行った男が実は事件と無関係な替え玉だということをはっきり証明するものとなった。例えば彼は、車内では自分一人で植草氏を逮捕し、京急蒲田駅のホームに降りてから、別な乗客が逮捕に協力してくれたと言っている。しかし、実際は車内での逮捕者は2人であり、このことは植草氏も弁護側目撃者もはっきりと述べている。特に弁護側目撃者は2人が逮捕した様子を鮮明に覚えており、その様子を詳細に証言台にて説明しており、間違いない。もちろん、被告人にも弁護側目撃者にも、1人でなく2人だと嘘を言わなければならない理由は全くなく、それは真実に違いない。もし3月28日に証言した逮捕者が本物なら、一人で逮捕したか、二人で逮捕したかという決定的なできごとを取り違えるわけがない。なぜなら彼は逮捕当事者なのだから。逮捕に協力したもう一人の逮捕者を証人に呼べば、このことが更にはっきりする。

 この逮捕者は植草氏が傘と4kgの重いかばんを肩に下げていたことも気付かなかったと言った。逮捕者ならそれはあり得ない。また、被害者も身動きの取れないほど混んでいたと彼は述べているが、図1と弁護側目撃証言から、それは嘘だとわかる。対面ドアツードアーの四角のゾーンは、人が触れ合う程度だった。また対面ロングシート(座席)のゾーンは「まばら」だったので、目撃者が植草氏の位置周辺を見通すことは充分に可能だった。乗客は充分に身動きできる状況だったのである。また蒲田駅のホームに降りて、しばらくしてから、駅員を呼んで下さいと周りの人に言い、呼んできてもらって駅事務室に連れて行ったと彼は言っているが、実際はホームに降りてから一心不乱に駅事務室に直行したのであり、その証拠に、電車がホームに着いてから、駅事務室に連れて行き、そこから警察に連絡が行き、その連絡が駅近くにいたパトカーに行くまで僅か2分10秒しか掛かっていないことを警察は時限的に発表した。この事件は、事件が起きる前から周到に準備されていたのでなければ、このようにスムーズには絶対にいかない。是非一度、この逮捕者の証言が書かれた速記録を読んでみるとよい。証言が自作の作り話を並べたものということが手に取るように分かる。

 もちろん、これは仮説なのであるが、なぜ、警察が替え玉に証言させたかといえば、次のような事情だろう。それは検察側の証人が思わず口を滑らせたように、現場における本物の逮捕者は私服警官の可能性があるからだ。もしそうであるならば、警官が「事件発生」に備えて逮捕の準備をしていたことが発覚することになりかねない。乗り合わせた善意の一般人逮捕者(常人逮捕者)が、実は私服警察官だったならば、この事件が警察という国家機関が関与して計画遂行された「国策捜査」である構図が法廷の場で浮かび上がってしまうからだ。

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2007年9月29日 (土)

鈴木淑夫氏(前衆議院議員)が植草氏の国策捜査疑惑に触れる!

 植草さんのコラムを見てはじめて知ったのだが、前衆議院議員の鈴木淑夫という方が、HPで植草一秀さんの国策逮捕に言及していた。元衆議院議員という経歴を持つ方の見解なので、この記事の重さはひとしおであり、是非内容を吟味していただきたい。また、鈴木氏は、作家の辻井喬氏著『新祖国論』と、ヤメ検弁護士・田中森一氏著『反転』という書物が、植草さんの書かれた「知られざる真実 -勾留地にて-」と、それぞれ立場もテーマも異なるが、三者ともまったく同じ問題提起を扱い、同じものを告発していることに注意を喚起している。私もさっそく『新祖国論』と『反転』を注文した。

 鈴木氏が、植草さんを潰そうとした社会的勢力がいるのではないのかと語っているのは非常に重い。実は植草さんが巻き込まれた偽装事件の真相を知る政治家は案外多いのではないかと私は思っている。彼らはその世界に身をおくプロだからこそ、この事件の恐ろしさを肌で痛感し、努めてこの事件に触れないようにしているようだ。これを保身じゃないのかと言うことは容易(たやす)いのだが、彼らは生活がかかっているし、米国に睨まれたら二度と政治家として生きていけないことを知っているのだろう。また家族の安全のことも考えるだろう。それほど巨大な背景が絡んでいる。それはよくわかる。わかるが、何と言おうとも、実際のところ、その意識は隷属根性に変わりはない。つまり奴隷なのだ。しかし、植草さんにしろ、城内さんにしろ、自らその枠を超えて戦い抜き、不遇な状況に置かれた人たちもいる。自己の安全を優先した人は、彼らに後ろめたさを持って生きるくらいなら自分の怯惰を突破して声を上げるべきだと思う。恐怖心は誰にもあるが克己しなければ良くない方向にしか行かないのだ。中には竹中平蔵氏のように、自ら率先して米国に利益供与している者がいるが日本人として許せない思いだ。また、小泉チルドレンと称する売国愚連隊もこれと同様である。

 しかし、私は思うが、気が付いた人間たちが触らぬ神に祟りなしで決め込んでしまえば、事態は日本を食い物にする外国勢力と、それに魂を売った一部の国賊的日本人たちにぼろぼろにされ、しまいにはカルタゴのようにこの日本は滅亡するだけだ。政治家であるが、ひとり、ふたりが声を上げるならなら、命も狙われるかもしれない。しかし、10人100人の政治家が声をあげれば事態は容易に変わると思う。我々一般人も政治家だけに任せず声を上げるべき時が来ている。重要なことは気運を盛り上げることだ。米国隷属、国際金融資本が好き勝手に跳梁跋扈して食い荒らし放題の現状。こういう状況がひ弱な個人である自分には関係ないと思っている人が大勢だと思うが、考え直して欲しい。だんまりを決め込んでも日本人に明日はない。それなら、他国から富を掠奪する外国の為すがままに任せる現状は止めて、自分たちの日本を切り拓くべきだろう。それには国民が一人ひとり現状を見究め、悪の根を断ち切る以外にない。

 付け加えるが鈴木氏は、植草さんが指摘したりそなインサイダー疑惑と同様に、郵政民営化も、米国隷従絡みで、政府とメディアが偽装したものだと言っている。以下は鈴木淑夫氏のサイトに載っているコラムである。

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 鈴木淑夫氏のサイトより転載

政治権力に支配された司法とメディアの偽装

―辻井喬、田中森一、植草一秀の新著は共通の問題を訴えている―(H19.9.18)

【多くの人に読んで欲しい辻井喬、田中森一、植草一秀の新著】
 最近、面白い本を3冊読んだ。それぞれテーマは違うし、著者のキャラクターも全く異なるのだが、3冊とも政治権力に支配される司法とメディア、それが作り出す「世論」という怪物、真相の隠ぺい、その結果生じる日本社会の不条理を問題にしているのだ。
 1冊は、作家辻井喬の『新祖国論』、2冊目はヤメ検辯護士田中森一の『反転』、3冊目はエコノミスト植草一秀の『知られざる真実』である。田中森一と植草一秀は、いずれも刑事事犯に問われて裁判中で、それぞれの本を勾留されている時に構想し、あるいは執筆している。
 全く異なるキャリアを持つ3人が、同じ問題を憂い、あるいは告発している事に非常な興味を覚えたので、そのポイントを紹介したい。
 関心のある方は、是非、読んでみて頂きたい。

【メディアに支配された言論の空疎化、政治の堕落】
 辻井喬は、『新祖国論』の中で、次のように訴える。
 改革という言葉が、そのまま内容であるかの如く流通している言論の空疎化。その言論を支配しているのは、「世論」という怪物だ。この「世論」は、センセーショナリズムとセンチメンタリズムを身上にするメディアによって形成されている。
 自分達が努力した結果、国は富み、自分達が苦しむ社会が実現してしまった不条理。改革とは、既得権益を持った人の手から役得や有利性を取り除くことであって、弱者救済と同じ方向性の筈なのに。
 政治は、大衆の中に鬱積している不満を、いつ、どんな方向へ噴出させ、その中で自分の存在を際立たせるかというデマゴーグに満ちている。議会制民主主義は、手続きと数の民主主義に堕している。
 グローバリズムと見えていたものは、実は特定の一国のナショナリズムを偽装したものではないか。
 ナショナリズムが正しいか、正しくないかを判定する鍵は、①情報が常に人々の前に公開されているか、②人々の権利を増大させる方向へ機能しているか、の2点である。情報を隠し、あるいは偽装して、人々の権利を抑える方向に動くナショナリズムは、危険である。今のアメリカは、どうなのか。日本には、正しいナショナリズムが興ろうとしているであろうか。
 今回の教育基本法改正で脱落した文言の中に、「個人の価値をたっとび」「勤労と責任を重視し」「自立的精神に充ちた」の三つがある。全部、民主主義を支える基本的条件なのに。この国は、どこへ向かおうとしているのか。

【身の毛もよだつ検察の「国策捜査」】
 辣腕特捜検事から辯護士に転じて、闇社会の守護神と呼ばれた田中森一は、著書『反転』の中で、日本社会の不条理と理不尽が、政治権力と結び付いた司法によって作られ、あるいは隠されていることを、赤裸々に告白している。ここ迄ひどいのかと、読んでいて身の毛もよだつ。
 彼は特捜検事の頃、上からの命令で、何回も捜査を中止させられ、その経験から、次のような結論に達する。
 検察は法務省の一機関であって、日本の行政機関の一翼をになっている。検察は行政機関として、「国策」のことを考えなければならない。その時の国の体制を護持し、安定させることを専一に考える。最近、「国策捜査」という検察批判がよくされるが、そもそも基本的に検察の捜査方針は、全て「国策」によるものである。
 被疑者に「人権」がある、などと本気で考えている検事はいない。
 現実の裁判官は必ずしも正しくなく、それどころか間違っているケースの方が多い。
 遂に馬鹿らしくなったのか、田中森一検事は辯護士に転じ、検察と裁判を知り尽くした辯護士として、闇社会を護り、大儲けをする。しかし、最後に許永中事件に連座し、獄中の人となる。

【植草一秀を社会的に潰そうとした勢力が居るのではないか】
 辻井喬が今の日本の民主主義の堕落、権力に支配されたメディアが作る危険な潮流を正面から告発しているとすれば、田中森一は権力と結び付いた司法が作り出す、日本社会の不条理と理不尽を、裏から告発しているのだといえよう。
 このような日本の社会の中で、もみくちゃにされたのが、エコノミスト植草一秀である。普通なら起訴されない、あるいは冤罪かも知れない痴漢事件で一審有罪となり、社会的地位を失った。
 辻井喬と同じように日本の政治、社会を憂えて、主としてエコノミストの立場から政府・自民党を批判し続けた植草一秀が、田中森一の告白にあるような「国策捜査」の検察の手で葬られたのではないかという疑いを、田中と植草の本を読んだ人なら、誰でも抱くのではないだろうか。

【経済政策の「見逃された偽装」を正当に告発】
 植草一秀の著書は、その第1章「偽装」で、政治権力による司法とメディアの支配が作る「見逃された偽装」を詳細に述べている。
 96年にバブル崩壊不況から脱出した日本経済が、97年度緊縮予算によって「平成恐慌」(菊池英博の表現)に陥った際の「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代」による偽装。
 「金融再生プログラム」の失敗で03年春に再び金融恐慌前夜の様相を呈した時の、りそな銀行救済劇の不公平と理不尽、それを偽装する政府とメディア。
 これを契機とする株価急反発と一連の不良債権処理の中で、いかに外国資本に利益供与が行われたか。郵貯民営化も、同じような米国隷属政策によるものだが、政府とメディアの偽装で国民はそれを知らない。

【政権交替の無い万年与党の存在が社会を腐敗させた】
 以上の3冊が共通に述べている日本社会の不条理と理不尽は、何故生まれたのであろうか。司法とメディアが政治権力に支配されるのは、当然なのであろうか。他の先進国は、ここ迄ひどくはない。司法は行政から独立している。メディアは、どの政治勢力と同じ考えを持っているかを明らかにした上で、論陣を張っている。不偏不党で公正だという建前で、実は時の政治権力を護るようなことはない。
 何故違うのか。政権交替が行われる議会制民主主義が根付いているかどうかの違いだ。政権交替が行われる議会制民主主義の下では、司法とメディアが一つの政治勢力に支配されることはない。
 日本では、細川・羽田政権時代の短期間を例外として、半世紀以上にわたって自民党が与党を続け、政府を作ってきた。この万年与党の存在、政権交替の不在こそが、日本の社会をここまで腐敗させるような司法とメディアを作り出した根本の原因だと思う。

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2007年9月27日 (木)

植草一秀氏著『知られざる真実 - 勾留地にて -』

 今、郵政民営化問題をブログに書いていて、植草さんのご著書の紹介文、及び感想文が遅れ、植草さんには大変申し訳ないと思っている。もっと早く書きたかった。このようなきわめて優れた本の全貌を無学非才の私が上手く解説することはできないが、感じた部分を思いをこめて書いてみた。 なお、第二章と第三章は植草さんの人となりがよく出ていて、読み物としても、とても面白いが、字数の関係でその部分の感想は割愛した。しかし、このようにすぐれた有識者の植草さんに、昭和30年代に色濃く残存していた日本人の美風が醸し出されていることには驚かされる。この時代の暖かさと思いやりが植草さんに強くあるからこそ、彼の経済視点は一貫して国民の幸せに向いているのだ。ご自分の青春時代や世の中、歴史などに対する思いが素直に書かれている。

                                      神州の泉・管理人 高橋

            Shirarezarushinjitsu

『知られざる真実 - 勾留地にて -』の感想文

 プロローグ 想像力

 この中で植草氏は酩酊して事件に巻き込まれた要因をつくったことを反省しているが、けっして疑われているような罪は犯していないと断言。彼は「本書執筆当時においては裁判所が真相を正しく究明し適正な審判を下してくれることを念願するが、裁判所の判断と独立に真実は存在する」と明記している。これは品川事件の裁判を踏まえて、裁判所が公正な裁定基準を厳格に堅持してほしいという植草氏の切実な願いが込められている。逆に言うなら、裁判所が独立していない、すなわち他の権力機構からの干渉があれば正しい裁定は望むべくもないということである。彼は前回の裁判で最も採用して欲しい審議内容が不採用にされた不条理を経験している。そのようなことが本裁判でも起こらないようにという強い希求がこの文には込められてある。裁判所の独立とは、他の権力機構の影響を受けない厳格性だと私は受け止めている。

 メディアの俗悪趣味は個人のプライバシーを拾い集めて針小棒大に騒ぎ立て、事実無根の虚偽情報を無責任に流布すると彼は言う。しかし、私(神州)から言わせるなら、この執拗さ、申し合わせたように画一的で低劣な内容など、これらを鑑みれば、植草さんをメディアが扱ったレベルは「俗悪趣味」をはるかに超えている。それはメディアの背後に横たわる得体の知れない巨大な権力的策謀を浮かび上がらせるものである。マスコミによる大泥流のような植草さん攻撃は、彼が言うように「いじめの構図」そのものではあるのだが、このいじめを生み出した底意には明らかに政治的な背景が存在する。しかし、大きく言えば、マスコミといういう巨大権力に個人がいじめられている現実を、大勢の国民が感知できないところに大きな問題がある。国民は戦後民主主義教育で権力機構の横暴にはすこぶる敏感になった。しかし、どういうわけか、マス・メディアという巨大権力に対しては従順というか、思考停止的でさえある。

 植草さんはメディアについて深い指摘をしている。今日本列島を覆い尽くしているいじめ問題をマス・メディアはこぞって取り上げるが、肝心のマス・メディアが行なっている大がかりないじめをきちんと見つめる必要があると言う。大掛かりないじめ、そう、この言い方は意味深である。彼はマス・メディアが国策捜査に加担する今の日本の体たらくを、言外に嘆いているのだ。もちろん、植草さんは自身の巻き込まれた状況を国策捜査とは言っていないが、メディアが政治と結託した場合の悪しき世論誘導がどれほど深刻に真実と乖離するか、その警鐘を鳴らしている。

第一章 偽装

 この章のタイトルが「偽装」と付けられたのは、りそな銀行問題が主題となっているからであるが、植草さんが巻き込まれた事件の本質を表していて意味深である。

1 沖縄知事選と徳洲会病院臓器売買事件

   この本の最も最初に植草さんは愛媛県宇和島の徳洲会生体腎移植問題が不自然に大きく取り上げられ、これもまた不自然にいきなりその話題が終息したことを指摘して、これと沖縄知事選の相関関係を国策捜査の観点から捉えている。ここに政治権力に介入された司法とメディアの作為が存在した可能性を見ている。

2 テレビ・メディアの浅薄さ

 テレビが政治権力に加担して恣意的な世論誘導を行なう危険について、メディア論を展開している。小泉政権は政治権力、司法、メディアの三位一体による世論誘導政権だった。植草さんの名誉が著しく傷つけられることに、メディアは強い役割を果たしている。本質的なことは伝えないのに、どうでもいいことや愚劣なことは執拗に伝え続ける今のメディアは、国民総愚民化を目指す洗脳機関に成り下がっている。

3 偽装三兄弟

  郵政民営化選挙で、追い出された自民党議員を復党させたこと。それとタウンミーティング、耐震構造偽装事件を偽装三兄弟と言ってる。

4 耐震構造偽装

5 偽装タウンミーティング

    小泉政権は発足年の2001年6月から2006年9月まで、合計174回のタウンミーティングが行なわれ、小泉政権の妥当性を国民に知らしめたと言っているが、それはやらせだった。このことは国民の意見を反映して推し進めたと、誇らしげに強弁しながら遂行した小泉・竹中構造改革路線の実態をよくあらわしている。つまり彼らの実行した構造改革は「偽装」なのである。

6 福井日銀総裁追及の深層

 福井日銀総裁バッシングの深層を植草さんがするどい切り込みで追求している。昨年の量的金融緩和政策の解除やゼロ金利政策解除を実行した福井氏を強く評価している。しかし、財政当局は別の思惑があり、福井氏を叩いた。ここにも表に出ない謀(はか)りごとがある。

7 摘発される人・されない人

 国策捜査で摘発される人と摘発されない人の違いは、米国にとっての「抵抗勢力」の度合いであるということが指摘されている。西村眞悟議員は北朝鮮問題で米国の思惑に反したから抵抗勢力度を高く見られて国策捜査に嵌められた。また、木村剛氏のことにも言及している。木村氏はりそな銀行実質国有化を発表する前とあとでは、言動が完全に異なっていると言っている。

8 りそな銀実質国有化

   本章の主題に位置する重要な内容である。植草氏は小泉政権が発足し、国民が熱狂的に支持している時に、有識者としては唯一と言っていいくらい異端的な存在だった。りそな銀行の実質国有化は大掛かりな偽装であり、小泉政権の実質的破綻を意味していると植草氏は言う。しかし、民主党はこれを追及しなかった。りそな銀行の実質公的救済が発表された日、2003年5月17日、大阪読売テレビのウェークアップ(桂文珍司会)に出演していた植草さんは、番組中に求められたコメントで、「常識的に考えれば週明けの株式市場は大混乱に陥るでしょう」と答えた。すると番組のエンディングで桂文珍氏が、金融庁から入ったとされるメッセージを読み上げた。「現状においては金融システム全体に影響が及ぶ状況にはありません。・・・」

 神州の泉・管理人の意見であるが、このテレビ番組で、偽装を見抜いた植草さんの慧眼に惧れをなした竹中平蔵前金融担当大臣が、慌てて番組に植草さんの見解を否定するメッセージを出したものと思える。このエピソードは植草さんが偽装事件に嵌められる要因を成す重要な契機の一つかもしれないのだ。

9 小泉政権五つの大罪

  小泉政権の本質が国民を不幸に陥れる売国姿勢にあったことを見事に説明している。興味深いことを植草さんは書いている。郵政民営化は小泉氏個人の怨念=ルサンティマンと米国政府の要求によって推し進められたこと。

10 自由党定例研究会

 2001年3月、自由党幹部の定例研究会で植草氏が講師をし、80年代の後半部から2001年までの日本経済の推移を経済政策との関連を軸に講義した。2001年当時に日本経済が直面した不況、財政赤字、不良債権の三重苦は90年代初頭に米国が直面した状況に類似しており、これを解決するためには経済改善が優先されるべきであることを説明。経済改善が資産価格下落の回避に有効であり、金融問題解決や財政赤字が縮小されると。米国は先代ブッシュの時代にS&L(貯蓄貸付組合)預金者を公的資金で保護した。公的資金投入による不良債権問題解決策を法律に盛り込んだことが大きな効果を生んだ。米国の金融問題処理では、巨額の公的資金投入によって金融システム破綻を防ぐが、責任は厳格に問うという原則が貫かれた。(※これは植草さんがりそな銀行インサイダー取引疑惑を語る時の根拠にも使われているから重要である。植草さんはこの原則を日本の金融問題に当て嵌めてみた時、小泉構造改革が「まやかし」であることをあざやかに指摘した)

 米国の財政再建は景気回復実現によって実現したことが、定例会の主要テーマとなっている。(小泉純一郎氏はこの歴史に学ぶ前に、植草さんの言葉自体を耳に入れなかったようだ。この時点で小泉氏には国家国民を不幸に導く愚宰相の徴候が出ているようだ)

11 日本経済混迷の真相
 
 90年代以降の日本経済の推移を植草さんが解説している。これは彼の著書「現代日本経済政策論」で書いたことの抄録を「自由党定例研究会」で発表したことをかいつまんで説明している。ここに1992年から2007年までの日本経済推移の植草さんのグラフがあるが、これは小泉構造改革派が最も忌み嫌っているグラフである。なぜなら、このグラフ自体が視覚的に小泉・竹中的経済政策の偽装性、不当性を端的に示すからである。経済に関心のある方は必読部分である。
1_3   

12 異論の表明

  ここにも植草さんと竹中氏の金融問題についての見解が真っ向から対立していたエピソードが書かれている。自由党定例研究会で竹中氏は植草さんにかなり腹を立てていたようだ。

13 小泉純一郎氏への進講

 自由党の定例研究会の一年半前、植草さんは小泉氏に経済政策の進講を行なった。日本経済新聞の現社長と小泉氏は深い親交があり、社長(当時は副社長)の依頼によるものだった。(留意してもらいたいのはこの席に中川秀直氏がいたこと。神州の泉・管理人の独断で言うなら安倍政権の幹事長を勤めた中川氏は、構造改革継承のお目付け役として配置されたのだ)この時、植草さんは小泉氏に持論を言おうとしたが、小泉氏は遮って緊縮財政論一点張りの主張をまくし立てたそうだ。何のための勉強会?この時、植草さんは彼が宰相になったら、日本経済はお先真っ暗だと感じたそうである。

14 日本経済の崩壊

   ここでは、小泉氏が緊縮財政政策を行なって日本経済をジリ貧に誘導したことが解説されている。

15 標的にされたりそな銀

  竹中氏が発足させた金融再生プログラムの時から、りそな銀行が標的にされた経緯。

16 1・3・5の秘密

  りそな銀行を追い落とすために、竹中金融相、奥山公認会計士協会会長、木村剛氏が連携して謀議を企んだ可能性を指摘。その際、繰延税金資産の計上に秘密があったこと。1・3・5とは、1年、3年、5年のことである。知りたい方は本文を読んでいただきたい。

17 小泉・竹中経済政策の破綻

 彼らは植草さんの提言を無視したために、文字通り日本経済は奈落に突き落とされた。
しかし、植草さんは言う。背後に米国政府と米国金融資本の誘導があったのではと。

18 巨大国家犯罪疑惑
19 りそな銀処理の闇
20 求められる事実検証
21 天下り全廃なくして改革なし
22 第一種国家公務員の廃止

  18~22までは「知られざる真実」の山場なので、本で読んでください。

23 切り捨てられる弱者

 小泉氏は官僚利権は温存して、弱い人々を冷酷に切り捨てた。また政府税調会長に就任した本間正明氏はすぐに失脚したが、就任早々法人税を引き下げるという新自由主義路線そのものの政策を行なった。植草さんはここで興味深いことを言っている。米国の財政支出には福祉予算が自動機械的に決められる「プログラム支出」と、額が個別に裁量される「裁量支出」がある。日本の財務省は、国税配分である地方交付税を、このプログラム支出から裁量支出に切り替えようとしている。理由は官僚利権死守と権力増大志向。

24 米国隷属の外交
25 外国資本への利益供与
26 露見した郵政米英化の実態
27 濫用される権力
28 蔑視されていた国民
29 言論封殺のメディア・コントロール

  24~29は本を読んでください。

30 竹中氏の抗議

 竹中氏は植草氏の言論を徹底的に嫌悪していた。当時植草氏は夕刊フジの「快刀乱麻」でコラムを書いていたが竹中氏はこれに圧力をかけた。植草さんが勤めていた研究所の上司からコラムの表現に手心を加えるように言われた。(刑事ドラマでは、政治家の犯罪を追及していた刑事が上司から担当を外される場面などはよくあるが、まさか竹中氏がこれに類似したことをやっていたとは驚きである。露骨な言論介入である。しかし、植草さんに生起するいろいろな良くないことには不思議と竹中氏が頻繁に登場しているようだ)

第二章 炎

1 『オールウェイズ?三丁目の夕日』
2 小学校
3 中学校
4 こっくりさん
5 百字作文
6 炎
7 受験
8 『隠された十字架』
9 みんなちがって、みんないい
10 『エデンの東』
11 経済学
12 TPR
13 情報操作
14 公益法人の実態
15 転機

16 消えた放送委員会
17 政治権力に支配されるNHK
18 テレビ・メディアの偏向
19 多様な価値観との共生

第三章 不撓不屈

1 美しい地上
2 人類の歴史
3 弱き者のためにある政治


 
特にこの部分で植草さんの重要な視点が出ているので書いておく。彼によれば、近年、日本の政治思潮は従来の「ケインズ的経済政策と市民的自由」の組み合わせから、「ハイエク的経済政策と治安管理を重視する政治体制」の組み合わせに大きく旋回したように思えると書いている。(※神州の泉・管理人の捉え方では植草さんが言う「ハイエク的政策と治安管理の重視」とは、新自由主義の極相である「夜警国家」に日本が変化したということだと思う。特に国策捜査が頻発した小泉体制は「警察国家」の特徴が色濃く出ている。)

4 信長ぎらい
5 望ましい政治
6 平和国家の追求
7 個性を尊重する教育
8 不条理
9 救済
10 執筆の契機
11 他者への祈り
12 弱くもろい社会
13 不撓不屈

エピローグ

巻末資料 真実

1 2006年事件
2 自殺未遂
3 捏造
4 懇親会
5 電車利用
6 脅迫
7 2004年事件
8 横浜駅ビル「シアル」
9 変遷した追跡開始経緯の供述
10 決定的な矛盾
11 12分間の出来事
12 卒業生への電話
13 N氏への電話
14 刺客
15 弁解録取
16 錯乱
17 1998年事件
18 創作された調書

19 罠
20 隠滅された防犯カメラ映像
21 隠蔽された神奈川県警不祥事
22 控訴拒絶

 以下は神州の泉・管理人の見解であるが、巻末資料では1998年、2004年、2006年の事件の経緯が詳述されている。第一章の「偽装」を念頭において読めば、彼が国策捜査に陥れられた背景が明瞭になるとともに、国策捜査を別個に置いて考えたとしても、三度の事件がいかに不自然なものかよくわかるのである。2004年の品川事件における構内カメラの録画の扱いは、植草さんが無実証明として検証するように提示したにも関わらず、無視されたまま、録画は自動消去された。この故意の放置は不可解そのものである。被疑者から訴えているのに、最も有力な証拠が隠滅されている。この事件の公判中に、神奈川県警の現職警察官による多数の盗撮事件が発生していた。すべての事件において警察官は逮捕されておらず、それどころか退職金が支払われている。問題はこれらの事件が植草さんの裁判が終結するまで公表されなかったことにある。皆さんは妙だとは思われないだろうか。

 現職警官が盗撮行為をすれば、テレビや新聞、他のマスコミがこぞってニュース報道を行なうはずである。ところが、植草さんの公判中は故意に報道を控えているのである。明らかに植草さんの裁判への影響が出ないように意図されているのだ。この構図を見れば、植草さんの逮捕、勾留、裁判の流れが、ただの個人的事件の取り扱いではないことがはっきりと見て取れる。植草さんは官邸主導を行なった権力筋によって政治的言論を封殺されたのである。

 虚心坦懐にこの「知られざる真実」を読めば、植草さんの身に起きた理不尽な出来事の真相が透視できるのである。真相とは何か。それは国策捜査である。私、神州の泉は今、10月1日から始まる郵政民営化の亡国性をしろうとなりに検証し、警鐘を発しているが、小泉政権の国家毀損という犯罪性は、植草さんが指摘していた「りそなインサイダー疑惑」のみならず、郵政民営化という究極的な売国法案にも色濃く出ているのだ。従って、郵政民営化のペテン性に気が付いているかたがたも、この「知られざる真実」をお読みいただければ、小泉・竹中路線の売国本質がよく見えてくるのである。何度も言うが、植草氏のこの著書は戦後史の中でも稀に見る名著である。現在おかれている日本の位相が非常に明確に認識できる内容なのだ。是非、読んで欲しい。読めば売国構造改革推進論者にはだまされなくなる。

 この本は最初から最後まで本物の憂国心情に溢れている。読み進めるうちに、きっと読者にも鶏鳴の轟(とどろき)がひびきわたるだろう。これからの日本は国賊的改悪を断行した小泉政権の本質を明確に総括し、断固として悪い部分を見定めて置かなければ先へは進めないのだ。安倍晋三前総理の失敗は、それを怠って構造改革をそのまま踏襲したことにある。「美しい国へ」の構想そのものは全体としてはけっして悪くはない。しかし日本を思う展望と、実体が売国本質の構造改革の狭間で、彼が地層の断層のように引き裂かれるのは時間の問題であった。私はケインズ的な政策がいいか、新自由主義的な政策がいいかという二項対立的な視点でこの問題を捉えていない。この二者の間には絶妙な中間領域が存在するのだ。しかし、このどちらかを選べと言われればもちろん前者である。植草氏は、たとえば企業や銀行が回復の余地を残していて運営破綻に直面した場合、政府救済のシステムは温存していて、なおかつ自己責任原則を守るという一見二律背反的な考えを基本とする。しかし、これには絶妙なバランス感覚が必要なのである。そういう中庸の感覚は日本人の繊細な神経の使い方によく出ている。このバランス感覚を持つエコノミストが、植草さん以外に我が国にいったい何人いると言うのだろうか。怪獣のように粗野な日本破壊を行なった稀代のデストロイヤー・小泉純一郎氏、この男の根本姿勢に疑念を持ち始めた人々は、いまこそ植草一秀という人物の真価を評価しなければならないと思う。

 この本全編に、植草さんの誠実なお人柄が横溢していることを感じるだろう。マスメディアが故意に作り上げた植草氏の人物像と、この本からにじみ出る彼の人格がどれほど極端に乖離しているか、読み進むうちに読者は思い知らされるだろう。今の日本のマスコミには「真」、「善」、「美」が完全に欠落しているのだ。

 

                    神州の泉・管理人  高橋博彦

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2007年9月26日 (水)

関係各党各位に郵政民営化凍結の意見を言おう!!

  「村野瀬玲奈の秘書課広報室」というブログに、「とくらBlog」さんと「神州の泉」を紹介して、郵政民営化凍結にはまだ間に合うという指摘があった。私もそう思う。郵政民営化は日本という国を事実上破綻させてしまう建国以来の悪法である。何としてもこの国家毀損法の計画を頓挫させないと日本と日本人に未来は残されていない。それくらい我々が生まれ育った大切なこの日本を壊滅に導く法案なのだ。その第一段階があと数日で実行されようとしている。

 この危険性を最も知悉する政党である国民新党、売国議員を半数くらい抱えている民主党にも意見を書いたメールを提出し、FAX、電話をしよう。問い合わせ先、意見の送り先は村野瀬玲奈さんがご自身のブログで明記している。意見の文案はおよそ次のようなものでいいと思う。

 10月1日から実行される郵政民営化は、郵貯資金200兆円、簡保資金150兆円、併せて350兆円もの膨大な国民財産を外資に委ねるという稀代の国家毀損法案です。特に簡保の資金は2017年を待たずとも、郵政公社が民営分社化された途端に外資に流れ出す惧れがあります。郵政民営化の真の実体を国民に知らせないために、9月の国会休止は意図的に行なわれた可能性が大です。今からでも遅くありません。郵政民営化を即時凍結するために行動していただきたいと思います。国家国民が今危殆に瀕しています。国民の汗の結晶である350兆円を国外に流出させることを阻止しなければなりません。郵政民営化の凍結に声を上げて世論を引き付けて下さい。そうしなければ国富が海外資本にただ取りされてしまいます。そうなれば、我が国の国力は敗戦直後のレベルに限りなく近づくものと思われます。

 以下は喜八さんたちや私と同様に、郵政民営化の凍結を願ってやまない村野瀬玲奈さんの熾烈な危機感が出ている記事である。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-410.html

 ◎郵政民営化凍結は、あらゆる改革につながる本丸。国民の財産を国民の手に取り戻すこと。

 郵政民営化推進になお疑問を持つ立場から、ひとまず郵政民営化を凍結して政治家と国民全体に再考をうながしたいと思い、精力的に関連の記事を書いている「神州の泉」さんの記事と、もともとの事実紹介をしている「とくらBlog」の記事に私も触れたいと思います。

内容は「驚きの新事実」でもなんでもなく、郵政民営化を国会審議していた2005年に言及されていたことではありますが、人間の記憶力ははかないもの。2年前の議論であれなんであれ、筋が通った内容は何度でも書き、記憶を新たにしてもよいと思いますので。

神州の泉 2007年9月25日
郵政公社のままと、民営分社化の場合の驚くべき損益試算があった!!
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2007/09/post_8aa3.html

とくらBlog 2005年8月30日
郵政民営化について、真正面から論議して!
http://ttokura.exblog.jp/1122335/

とくらBlog 2007年9月24日
民営化すると600億円の赤字、公社のままなら1383億円の黒字?
http://ttokura.exblog.jp/6512594/

事実の要点は次の通り。

2005年当時の竹中平蔵郵政民営化担当相の試算によれば、民営化10年目の2017年3月期の郵便貯金銀行の最終損益(税引き前)は600億円の赤字。日本郵政公社のままなら同時期の郵便貯金事業は1383億円の黒字。 (村野瀬:黒字のものをわざわざ赤字にするカイカク。)

早稲田大学の田村正勝教授のHPによると、郵政職員の給与に税金は使われていない。郵政公社が5年間で、1兆円の国庫納付金を納め、これは全金融機関の10年分の法人税総額に相当する。さらに本来国庫が負担すべき年金部分を、現在は郵政公社が負担している。したがって民営化すれば、財政が改善されるのでなく、逆に悪化する。 (村野瀬:財政が悪化するカイカク。)

あとは、「神州の泉」さんと「とくらBlog」さんをもう一度お読みください。「神州の泉」さんの「350兆円を扱う重要な法案が、こんなわけのわからない経緯で決められていくとしたら、国の秩序はどうなるのかと思う」という指摘は重いです。350兆円ですよ、350兆円。

数日前の新聞に出た、「日本郵政株式会社」の西川善文社長(元・三井住友銀行頭取)名による、バラ色の未来を強調する全面広告、思い出しても腹が立ちます。

過ちを正すのにためらうことはないはずです。過ちを正したいと願う方は、郵政民営化を凍結したいと動いたが民主党の折衝で断念した国民新党と、なぜか国民新党の提案を蹴った民主党にとりあえず出しましょう。あきらめる必要はありません。

国民新党と民主党の個別の議員(特に幹部)への意見はよろしかったらこちらの名簿↓をお使いください。

衆議院・参議院 国民新党・そうぞう 全国会議員 名簿 (2007年8月31日更新)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-11.html

民主党 幹部 名簿 (2007年9月10日更新)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-7.html

また、他党の個別の議員(特に幹部)にも投書するなら、その名簿はこちらから。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-86.html

また、マスメディアへの投書はこちらからが便利。

News for the people in Japan
マス・メディア 問い合わせ用 リンク集
http://www.news-pj.net/link/media.html

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郵政民営化法案の凍結
http://tbp.jp/tbp_9088.html

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米日主従構造

9月21日の弊記事、「マスコミが麻生氏劣勢の誘導報道を行なった理由(わけ)」に、シーサン様という方から興味深いコメントを寄せていただいたので掲載します。日米関係と日本のマスコミの真相に肉薄しています。おおむね私の基本見解と一致しています。

*********************************************************************************

 初めて参加します。

小生は、政治や経済など専門的なことは一切解りません。
ただ、小生も多くの皆さんも共通の戸惑いは、郵政民営化を初めとし、この日本社会に様々な難題を突きつけられているのに、何で多くの政治家が異常な事態を黙視しているのか、何でこの位のことが解らないのだろう、かという、事だと思います。

そして、マスコミが怪しい、何か操作されているなと思いながらも、そのほとんどの知識や情報は、大マスメディアによるもので、これに左右されています。
ここが、また、情けないのです。

なぜ、こうなったのか。小生の独断と偏見を聞いてください。
本格的な奴隷化は中曽根や竹下内閣の時に始まったのです。この時代から銀行はじめ、民間企業は戦後の中小企業が編み出した全ての知恵と財産をも抱えてこれを外国へ持ち出しました。国民を捨てたのです。

企業が円高で国外に出始めた時、日本は再占領されました。30年前のことです。
戦時中、中国やアジアの資源を求めて、日本軍は荒し回り内部がおろそかになりました。その姿と同様なのです。
現在、企業は更なる合理化、効率化を謳っていますが、これは、ジェスチャーです。
もう、果実はモンスターに吸引され、国内には回りません。
これが小泉に与えられた使命で、構造改革ではなく構造革命ですべてが奪われたのです。

あちこちで死人がでているのは、革命だからなのです。

そして、マスコミです。私企業である以上、スポンサーや権力には逆らえません。公共のものである、との地位を自ら放棄したのです。

彼らは、普段、虚実をチリばめて報道しますが
事ある時は一方向に集中砲火します。
この時は、必ず、作為されています。

日本が再占領された理由は、経済が無視できぬ脅威となったからで、当時、悪の枢軸国となざしで蔑視されたのです。今の北朝鮮と同じ扱いです。

軍事も経済も同盟国なのにです。
信じられますか。マスコミは沈黙です。タマがひとつ抜かれてたからです。

この時から日米構造協議が始まりました。
そして、今の年次要望書に受け継がれているのです。経済の憲法です。官僚もロボット化し米国の指示通りに動くものとなったのです。

これで、全てのことに対し、「内政干渉だ」と言い張る、政治家は皆無となったのです。

当然、政治家不在、国会も無用の長物となりました。日米軍事経済同盟が全てに優先するのです。
大統領補佐官は、外務省の歴代大使が勤めました。内部は大蔵省や総務省の次官が、構造改革を錦の御旗にして日本を引っ張ってきたのです。

日本の予算も米国の代理人と日米閣僚会議で決定されてきたのです。日本の国会論議は儀式でガス抜きでしかないのです。
その極端な例が、小泉と安部で全ての法案は強行採決です。国会不要なのです。
アフガンもイラクも国会では、憲法に抵触しても真剣な議論にはなりませんでした。
結論ありきなので、野党は無視です。

安部君の最後は特に見事でした。
国会がノーと言うかも知れない時に、テロ特措の延長を米国に約束したのです。しかも約束の不履行を気にして病気になったのです。

日本国民の事は、倒れるまで念頭にもなかつたのです。
如何に、自民党の首脳がアメリカの指示に従って動いてきたかの見本だと思います

頼りない、政治家に変って上記の官僚をテレビに引き込み、虚構の世界を語ってもらいたいと思います。また、今後、彼らがどんな命を受けているかを聞きたいのです。

民主党も政権奪取の時は、日米軍事経済同盟と真剣に向きあわねばなりません。
原爆を落とすぞ との恫喝に耐えうるか。です。

投稿 シーサン | 2007年9月25日 (火) 23時46分

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2007年9月25日 (火)

奥山の精・アケビに思う!

   

Photo_5  幼年期を過ごした故郷の友達のメールに、今日懐かしい写真が添付されていた。なんとアケビの写真である。私が少年時代を過ごしたのは秋田県の田沢湖町という所である。田沢湖に近い山間の集落である。四方を山に囲まれ、中央部を雄物川の支流が通っている典型的な山里である。今私は静岡県の富士山のふもとに居住していて、朝な夕なに富士のお山を眺められるという贅沢を享受している。この場所も自分の第二の故郷で気に入っているが、私の内面の原風景を形作ったのは幼年期の田沢湖町である。思えば私が子供時代をすごしたこの場所は、子供にとっては文字通りパラダイスであった。川に行けば岩魚や虹鱒がいたし、山に行けば豊かな山菜や木の実、きのこが見つかった。

 今、私はつくづく都会の子供じゃなくて良かったと思っている。林業や細々とした田畑で生計を営んでいた集落には工場というものがなかった。それは大人たちの生活感情から見れば、経済的に大変な辛酸に結びつく淋しい光景だったと思うが、能天気な田舎の子供たちにとってはわが世の春?を謳歌できる桃源郷であったのだ。なぜなら自然の山河が人手で荒らされていなかったからだ。山遊びや川遊びの思い出を書けばきりがないが、私が特に好きだったのはアケビ狩りであった。アケビの中身と皮が食べられるものだということを知っている人はどれくらいいるだろうか。山形県の人たちはアケビの皮を好んで食べるようだから、それは常識的なことかもしれない。アケビの甘い中身を食べることは無上の楽しみだったが、私はそのアケビを見つけることに執念を燃やしていた。

 今から思えばその執念は食べることがもちろん最大の目的だったが、自分ではアケビの姿を見ること自体が好きだった。アケビは形といい、色合いといい、とても山間の興趣が色濃く出ていて、自生する場所自体がなにやら神秘めいていた。だからこそ、アケビは山の精なのだ。しかし、真っ青で、大きくて、姿のいい物は渓流などの水辺にあったような気がする。それで当時はそのたちのいいアケビを「水アケビ」と呼んでいたように思う。秋田を離れてから、私は一度もその水アケビを拝んだことがない。富士山のふもとの森にもアケビはたくさん見受けられるが、美しい瑠璃色で大きなアケビは一度も見つけたことがない。どこかにはひっそりと存在しているのかもしれないが。そのアケビの最後の姿を見てから、すでに四十年以上の月日が経過しているが、最近は秋口になるとその水アケビが脳裏に甦ってくる。嫌なことばかり多いこの世の中で、このアケビに対する強い想いは、あの楽園であったふるさとへの永劫回帰の願望なのかもしれない。

B  現代文明とはいったい何であろうか。人工的で巨大な都市化、高速で行き交う交通手段、情報技術の進展。産業革命以来我々人類は何か大事なものを見失っているような気がしてならない。縄文時代に普通にあった精神風土が今は失せているように思える。私は自分のブログに「神州の泉」と名づけているが、それを見て戦時中の「神州不滅」を想起し、眉をしかめる方も多いだろう。しかし、無理に言う必要も感じないが、私の言う「神州」とは、美しい瑠璃色のアケビが日本の各地にそのままの姿でいつまでも残っていて欲しいというごく単純な祈りをこめただけなのだ。薄汚れたおっさんがこういうことを言うのも気が引けるが、子供たちの健全な情緒性を涵養するのは優れた教師ではない。人間が欲得で引っ掻き回さないごく自然な風景、風物があればいいのだ。さらに言うなら、その心象風景に教育勅語が沁みていけばなおいいと思う。

 健康な野山のシンボルであるアケビが季節の彩(いろどり)を沿え、そこに住む人たちの心を和ませる。たんぼが黄金色に色づき、刈り取った稲の香りが鼻腔をくすぐる時、日本人は平和を感じるだろう。今年ももうそんな季節がやってきた。ちなみに私が最も好きなアケビの姿は、晩秋の紅葉の中で実る水アケビの姿である。鮮やかな黄色や紅の色彩の中に真っ青な水アケビ、その姿を見た時、私がどれくらい癒されるか、はかり知れないものがある。しかし、それは私だけだったりして。(笑)

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郵政公社のままと、民営分社化の場合の驚くべき損益試算があった!!

郵政民営化凍結  郵政民営化凍結TBキャンペーン!


 「民主党山口県参議院選挙区第一総支部 代表」のとくらたかこさんのブログ、「とくらBlog」に、昨日の私の記事「城内実氏からコメントがよせられました!!」が取り上げられていた。で、とくらさんの記事を読み進めていくうちに本当に慄然とした。とくらたかこさんは、二年前のあの悪夢、9月11日の衆院解散総選挙の前の8月30日に「郵政民営化について、真正面から論議して!」という記事を書かれていた。その中に郵政公社と、民営分社化した場合の二つの前提で、10年後の損益試算があったことが書かれていた。それを見て、あきれ返るというか、とんでもない話が書かれていると思った。その部分を引用する。

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6月6日の共同通信のニュースで以下のように伝えられています。

竹中平蔵郵政民営化担当相は6日午後の衆院郵政民営化特別委員会で、民営化10年目の2017年3月期の郵便貯金銀行の最終損益(税引き前)が600億円の赤字になるとの試算を明らかにした。日本郵政公社のままなら同時期の郵便貯金事業は1383億円の黒字になるとの試算も合わせて示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050606-00000184-kyodo-pol(※現在表示不能)

(続き)

郵政公社は、黒字分を国庫納付金として納めているそうですが、金利引下げによりあれだけ国民から銀行へ所得移転した上、税金を投入した民間銀行はどのくらい法人税を払えているのでしょうか?
早稲田大学の田村正勝教授は、HPで以下のように書かれています。

郵政職員の給与に税金が使われていない。郵政公社が5年間で、1兆円の国庫納付金を納め、これは全金融機関の10年分の法人税総額に相当する。さらに本来国庫が負担すべき年金部分を、現在は郵政公社が負担している。したがって民営化すれば、財政が改善されるのでなく、逆に悪化する。
http://www.waseda.jp/sem-masakatu/main.html(※現在表示不能)

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 まずびっくりするのは、当時の郵政民営化特別委員会は、分社化したあとの郵便貯金銀行の10年後、2017年には最終損益が600億円の赤字になる、また、今のまま郵政公社で進めば同時期には1383億円の黒字になると試算が出されていたことだ。しかも郵政職員には税金が一円も使われていないし、郵政公社が過去五年間で、日本の全金融機関の10年分の法人税を納めているそうだ。とくらさんが引用したこのニュース記事全体が、今は読めないので文脈はつかめないが、それでも、この情報には驚愕する。特別委員会でこの試算が出されたなら、なぜ民営化を強行するのだろうか?参議院の否決を反故にするという暴挙までして、なぜ民営化なのか。民営化すれば600億円の赤字を許容させる何か確実なメリットでもあるというのだろうか。しかも、この試算は郵政民営化担当大臣の竹中平蔵氏が自ら発表している。このような試算が出ているにも関わらず、なぜ郵政公社を存続させないで民営化する必要があったのか。私にはその理由がまったく理解できない。

 というか、竹中氏たち推進論者たちの行動は思いっきり非論