« 「郵政民営化凍結」を即時に行なうべきだ!! | トップページ | 第九回公判傍聴記とその考察(3) »

2007年9月16日 (日)

安部氏辞任に思うテツさんの日本論

本ブログの読者であり、時々深い考察を寄せてくださるテツさんからの9月14日のコメントです。管理人も、この透徹した見方には全面的に共感します。(管理人)

*************************************************************

   安倍首相の辞意表明に思う      
                             (神州の泉の読者さん テツさんより)

 私はやはり2年前の郵政選挙が見えない踏絵であったと思います。「みなさん、これからは手紙を書かなくてもメールという手段でいくらでもコミュニケーシンがとれるのです。あっ、今妻からメールが届きました」「ホリエモンは時代が生んだ寵児です」「官から民へ、改革を止めてはならない~。」これらは安倍さんの選挙期間中の応援演説での言葉です。
 安倍さんは小泉さんの亡国的政治に賛同していました。いちばん政治家として成長しなければならないときに小泉さんにかかわってしまったことで、彼の政治家としての資質が大きく損なわれたのではないかと思います。「これからはメールで・・・」というところに教育再生を唱える人の言葉ではないものを感じました。政治家は言葉が命だと私は思います。真の保守政治家はその言葉の真奥に「日本」がなければなりません。かりにも保守を標榜する者は、先祖から繋がる時間とそこに紡がれてきた歴史・伝統・美意識を自分なりに体現してゆかなければなりません。常に深遠なる「日本」に少しでも近づく努力をしなければなりません。いはんや国を守る政治家においてをや、です。安倍さんには決定的にそこが欠落していました。    

 そのつけが首相になってからの胆力のなさ、先祖のお力をいただけなかったことにつながっていたのだと思います。その資質に対して自分たちの夢を託すために目をつぶって本質を指摘してこなかった保守系の論説家・知識人・マスコミあるいは国民にもおおいに責任があります。安倍さんのことよりも「日本」を考えるべきでした。         

 2年前、郵政の民営化について保守・革新・リベラル問わず、「小泉のやりかたはいけないが、民営化はしなければならない」「族議員をなくさなければならない」など表面的な議論に終始していました。関岡さんの指摘に始まり、城内さんや平沼さんのように「アメリカに資金が流出するためのとんでもない法案」であることに気づいた政治家が存在したことには救われましたが、それでもまだ核心に触れ得ていません。評論家遠藤浩一氏は「(たかが郵政の民営化)で国政を誤るな」と言いましたが、そこにも日本の美的感性・情緒の欠落を見ることができます。「民営化」という言葉がどれほどわが国の国柄にそぐわないものであるか。国土を守りつつ都市の人たちよりもはるかに天皇のご存在を潜在的に意識している山間僻地の人たちの生活にそぐわないものであるか。そんなひとつの言葉さえ世の中を気づかぬうちにあらぬ方向へ導いてしまうことに、今の日本は(特に街に住む人)は気づくことができません。                 

 私は、片田舎の小学校で厳格な校長のもと、あたりまえのように「日の丸」を揚げ「君が代」をうたっていました。目の前には霊峰「富士」が我々を見守ってくれていました。わが家に隣接する郵便局には200~300円の貯金をするために農家の方々が来ては、日の当たる暖かな待合室で談笑し、煙草をくゆらし、お茶を飲んで帰っていきました。いまだからこそ思うことですが、そこには山間僻地の人がわずかな額でも「お国に託す」ことで、潜在的に「公」とつながる懐かしくて暖かな空間が広がっていたということです。ここにも「日本」がありました。

 そんな「日本」をかたちは変わっても心に残る風景として次世代へと繋いでゆく知恵と努力がすべての国民に求められているのだと思います。政治にだけ期待するのではなく、自らのうちに「日本」を蓄え、紡いでいかなければならぬと感じています。安倍さんにはこれを機に疎遠となっている先人との対話を始めてほしい、そして「生まれ変わった政治家安倍晋三」として帰ってきてほしいと思います。

投稿 テツ | 2007年9月14日 (金) 15時13分

***********************************************************


 管理人の安部氏に対する感想

 私は安部氏は基本的にお坊ちゃん的な育ちのよさがある人だと思う。しかし、政治家として見た場合、その基本政策を支える思想信条が思いっきりぶれているように見える。それを端的に表しているのが矛盾だらけの彼の行動原理であろう。まず「戦後レジュームからの脱却」と言うが、この定義を彼はまったく捉え切れていない。戦後の日本人が伝統と文化の正当な継承路線に歩んで来なかったという意味なら、まさに安部氏の言うようにそこから出でて、正道に復帰することはその通りである。しかし、はっきり言って「戦後レジューム」というものの核心は東京裁判史観という一種の洗脳史観なのである。この東京裁判史観という非正統的歴史観に加えて、マルキシズムの世界観が合体して出来上がった異常な歴史観、社会観が、いわゆる戦後レジュームというものの正体なのだ。

 ところが、安部氏は村山談話を踏襲し、アメリカで議会にかけられた従軍慰安婦問題を認めるという大きな愚を犯してしまった。東京裁判史観を全面肯定し、従軍慰安婦問題を史実と認めた彼が、いったいどのような考えを持って「戦後レジュームからの脱却」と言えるのだろうか。そして安部氏が政策展望の重要な柱としてあげた教育問題でも、致命的な欠陥を露呈しているのだ。安部氏が小泉構造改革、すなわちアメリカのネオリベ継承者だということは否定しようもない事実である。政治をネオリベ体制に持って行きながら、教育に「美しい国」構想を謳っても、それは原理的な意味ですでに自己矛盾なのだ。その証左が厳然としてある。安部氏は政権公約に「改憲と教育」を挙げているが、教育基本法の改正に加えて「教育バウチャー制の導入」を行なうと明言している。内橋克人氏の「悪夢のサイクル」によれば、このバウチャー制度は教育に市場原理システムを導入することなのだ。

 ミルトン・フリードマン著「選択の自由」によれば、教育バウチャー制とは、これまで学校ごとに与えてきた助成金を、直接各家庭にクーポン券という形で分配し、子供たちが自由に学校を選べるというものだ。これをアメリカやイギリスで導入したところ何が起きたかと言えば、貧困地区の子供たちがその権利を行使できないと言う格差悲劇が起きたのである。安部氏はこれをそのまま踏襲しようとしていた。美しい国へと言いながら、全人格的な教育をと言いながら、子供たちの教育環境に市場原理至上主義を押し付けてどうやって徳育教育が可能なのか?貧困層がたとえ学校を選んだとしても、その地域に子供を居住させたり、移動させたりする自由が得られないならば、学校格差、居住格差を生む効果以外にないではないか。教育バウチャー制については、同じフリードマンの著書「政府からの自由」でも少し触れていた。

 これらのことから、安部氏の思想上の信念は評価に値しないことになる。失脚した人間を叩く趣味はないが、国民に否定された小泉氏の構造改革を頑強に踏襲する基本姿勢では、いかなる日本文明論を語っても空虚なだけであろう。なぜならネオリベの構造改革自体が我が国の国柄にそぐわないからである。小泉構造改革を支持推進した者たちは、一様に「バラマキに戻ってはいけない」と言いながら何をやってきたのか?彼らは旧弊政治手法の欠陥を盾にとってネオリベ的な構造改悪を行なった。バラマキどころか、これは日本破壊である。福田康夫氏の「構造改革は重要です」発言が、戦略的なリップサービスであることを心から祈らずにはいられない。

 安部氏の理論上の失敗は、祖父・岸信介の親米政策と、継承的な日本文明論の理念的な統合が成立していないところにある。私個人はアメリカという国は、その標榜する自由や民主主義と違って、その本質は、他の国々や民族を食いつぶし、自国の一部の民を誤まった享楽に陥れ、他方では大多数の国民を犠牲にする現代のリヴァイアサンだと思っている。あの国は個々の人権を保証するという建前上、国家が奇怪な暴力装置と化し、世界を不幸に導いている。日本とアメリカの和の統合は文明整合的に無理なのだ。だからこそ大東亜戦争は思想戦でもあった。この深層を見ることもなく、安部氏は岡崎久彦氏のアングロサクソン隷従論と大差ない感覚に陥った。私は思うのだが、アメリカに隷従を誓っている者たちは、堂々とその旨を開示して、郵政資金をアメリカに貢ぐことでしか日本の生存は保証されないと言うべきなのだ。これに国民大多数が賛同したならそれは仕方ないことなのだろう。国民の総意が自国文明を否定したことになるからだ。問題はこの本心をひた隠しにして姑息な欺瞞政治を行なう卑劣さにある。


人気ブログランキング ← この記事に興味が湧いた方はクリック願います!!

|

« 「郵政民営化凍結」を即時に行なうべきだ!! | トップページ | 第九回公判傍聴記とその考察(3) »

コメント

たつさん

 コメントありがとうございます。今襲っている
日本のさまざまな問題は根幹にテツさんの見方が
横たわっている思います。日本人全体が先祖の見
ていた重要な風景を忘却しているのですね。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2007年9月17日 (月) 13時05分

テツさんのコメントに胸に込み上げて来るものがありました。
現代日本の変容を見るにつけ、心に巣くっている不安と理想を言葉にしてくれているようでした。
自分はどちらかといえば自分勝手で便利な都会に近いところに住む者ですが、「…ここにも日本がありました。」そんな日本がこれからも続いていくことを切望しています。

投稿: たつ | 2007年9月17日 (月) 01時00分

>高橋さま
ご紹介いただき、ありがとうございます。
今日、植草さんの本が届きました。注文して3週間以上かかりました。この国難のときに、国家の中枢に西村眞悟・佐藤優・植草一秀諸氏がそれぞれ国家の心・技・体となっていたら・・・と、つい思い浮かべてしまいます。植草さんの本これから読みます。

投稿: テツ | 2007年9月16日 (日) 20時58分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/141377/16464323

この記事へのトラックバック一覧です: 安部氏辞任に思うテツさんの日本論:

« 「郵政民営化凍結」を即時に行なうべきだ!! | トップページ | 第九回公判傍聴記とその考察(3) »