奥山の精・アケビに思う!
幼年期を過ごした故郷の友達のメールに、今日懐かしい写真が添付されていた。なんとアケビの写真である。私が少年時代を過ごしたのは秋田県の田沢湖町という所である。田沢湖に近い山間の集落である。四方を山に囲まれ、中央部を雄物川の支流が通っている典型的な山里である。今私は静岡県の富士山のふもとに居住していて、朝な夕なに富士のお山を眺められるという贅沢を享受している。この場所も自分の第二の故郷で気に入っているが、私の内面の原風景を形作ったのは幼年期の田沢湖町である。思えば私が子供時代をすごしたこの場所は、子供にとっては文字通りパラダイスであった。川に行けば岩魚や虹鱒がいたし、山に行けば豊かな山菜や木の実、きのこが見つかった。
今、私はつくづく都会の子供じゃなくて良かったと思っている。林業や細々とした田畑で生計を営んでいた集落には工場というものがなかった。それは大人たちの生活感情から見れば、経済的に大変な辛酸に結びつく淋しい光景だったと思うが、能天気な田舎の子供たちにとってはわが世の春?を謳歌できる桃源郷であったのだ。なぜなら自然の山河が人手で荒らされていなかったからだ。山遊びや川遊びの思い出を書けばきりがないが、私が特に好きだったのはアケビ狩りであった。アケビの中身と皮が食べられるものだということを知っている人はどれくらいいるだろうか。山形県の人たちはアケビの皮を好んで食べるようだから、それは常識的なことかもしれない。アケビの甘い中身を食べることは無上の楽しみだったが、私はそのアケビを見つけることに執念を燃やしていた。
今から思えばその執念は食べることがもちろん最大の目的だったが、自分ではアケビの姿を見ること自体が好きだった。アケビは形といい、色合いといい、とても山間の興趣が色濃く出ていて、自生する場所自体がなにやら神秘めいていた。だからこそ、アケビは山の精なのだ。しかし、真っ青で、大きくて、姿のいい物は渓流などの水辺にあったような気がする。それで当時はそのたちのいいアケビを「水アケビ」と呼んでいたように思う。秋田を離れてから、私は一度もその水アケビを拝んだことがない。富士山のふもとの森にもアケビはたくさん見受けられるが、美しい瑠璃色で大きなアケビは一度も見つけたことがない。どこかにはひっそりと存在しているのかもしれないが。そのアケビの最後の姿を見てから、すでに四十年以上の月日が経過しているが、最近は秋口になるとその水アケビが脳裏に甦ってくる。嫌なことばかり多いこの世の中で、このアケビに対する強い想いは、あの楽園であったふるさとへの永劫回帰の願望なのかもしれない。
現代文明とはいったい何であろうか。人工的で巨大な都市化、高速で行き交う交通手段、情報技術の進展。産業革命以来我々人類は何か大事なものを見失っているような気がしてならない。縄文時代に普通にあった精神風土が今は失せているように思える。私は自分のブログに「神州の泉」と名づけているが、それを見て戦時中の「神州不滅」を想起し、眉をしかめる方も多いだろう。しかし、無理に言う必要も感じないが、私の言う「神州」とは、美しい瑠璃色のアケビが日本の各地にそのままの姿でいつまでも残っていて欲しいというごく単純な祈りをこめただけなのだ。薄汚れたおっさんがこういうことを言うのも気が引けるが、子供たちの健全な情緒性を涵養するのは優れた教師ではない。人間が欲得で引っ掻き回さないごく自然な風景、風物があればいいのだ。さらに言うなら、その心象風景に教育勅語が沁みていけばなおいいと思う。
健康な野山のシンボルであるアケビが季節の彩(いろどり)を沿え、そこに住む人たちの心を和ませる。たんぼが黄金色に色づき、刈り取った稲の香りが鼻腔をくすぐる時、日本人は平和を感じるだろう。今年ももうそんな季節がやってきた。ちなみに私が最も好きなアケビの姿は、晩秋の紅葉の中で実る水アケビの姿である。鮮やかな黄色や紅の色彩の中に真っ青な水アケビ、その姿を見た時、私がどれくらい癒されるか、はかり知れないものがある。しかし、それは私だけだったりして。(笑)
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