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2007年9月14日 (金)

なぜ今のタイミングで安倍総理は辞任なのか?

  ◎唐突な辞任と総裁人事は9月国会の時間つぶしでは?

9月12日、午後二時ごろ、安倍首相は突然退任を表明した。政治家、ニュース解説、評論家などは、所信表明演説を行ったあとで、国家の命運を預かる最高職に就く総理が、今のタイミングで辞職することは無責任だという論調が圧倒的である。この退陣劇について、いろいろな憶測が乱れ飛んでいるが、どれも決定打とはなっていない。民主党の小沢党首との会談を断られたからだとか、消化器系の病状が悪化して気力を喪失したとかいろいろ取り沙汰されている。しかし、安倍首相自身が語ったテロ特措法の延長を考えてのことというのはまったく説得力に欠いている。なぜなら、テロ特措法は暫定立法であり、延長ができなくても、新法として制定すれば問題ないからだ。従って、延長にしろ、新法設立にしろ、民主党を初めとする野党が反対することは同じであるから、今安倍総理が辞任するということがテロ特措法に関わるとは到底思えない。病気入院は後付の体裁だと考えている。そこで私は突飛かもしれないが、安倍総理の退陣理由を別の角度で考えてみた。

 総理大臣は日本国を統べる重責だから、誰がなっても並大抵のストレスではないだろう。しかし、少なくとも15年も政界の空気を吸った安倍氏は、このタイミングで辞める道理がまったくないことは百も承知であろう。つまり個人が調子悪いからと言って会社を休むこととはまったく異なる位置にある。安倍氏にそれがわからないはずはない。しかし、なぜ引き際にこのような不名誉な形態を取ったのであろうか。これを的確に説明しているものはいない。これには冷徹な国際政治が影響しているに違いないと私は考えている。安倍氏が退陣しても後継総裁が浮上するが、国会を中断してまでも退陣した理由があるはずである。

  ここで、スリーネーションリサーチ(株)の最新コラムで、植草氏が書いている末尾の部分を引用する。

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http://www.uekusa-tri.co.jp/column/index.html

  9月10日に臨時国会が召集された。安倍改造内閣は総理の座に留まりたい安倍晋三首相と次期首相を狙う麻生太郎自民党幹事長の私的な利害の一致によって組成された内閣である。経済政策運営では、小泉政権以来の「市場原理主義」を否定する思潮が新内閣内で広がり始めているが、安倍首相は十分な説明を示していない。与謝野馨官房長官は経済政策運営での基本理念を「市場原理主義=弱者切り捨て」から、「弱者への配慮」に転換する意向を示しているが、一方で天下り問題については官僚利権温存をより鮮明に示す可能性が高い。

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今までの安倍政権は、安倍総理と中川秀直氏とのタッグで小泉構造改革路線を継承していた。しかし、新自由主義に基づいた小泉・竹中構造改革路線は、この間の参院選で国民の審判を受けた形となった。与謝野馨氏が言うように、弱者切捨てから、弱者救済の方向転換を模索する勢力が自民党内に生まれていて、これに平沼赳夫氏などの郵政造反組の勢力が加わる様相を呈して来た。つまり、固定化したように見えた新自由主義政策(構造改革)のベクトルが変わろうとする動きが活発になってきたことに、安倍氏辞任の大きな要因があると私は思っている。理由は安倍氏の基本理念が、美しい国という言い方はしているが、結局は小泉構造改革路線の継承を絶対化していたからである。安倍氏は拉致問題の果敢な解決と日本国の主体性を目指すことを「美しい国づくり」の根幹と捉えるなら、政権発足時に鮮烈な小泉批判を行なって、新自由主義路線の確固とした否定路線を目指すべきであった。ところが、安倍氏は構造改革継続は絶対の条件のように旗を振ってしまった。ここに彼のグランドデザインの決定的な間違いがあったものと思える。

 小泉路線を修復するには祖父に当たる岸信介の対米政策を否定して、それを乗り越えなければならなかったのだ。しかし、安倍氏は基本で岡崎久彦氏の「アングロサクソン国家絶対宗主国」という隷属思想を堅持してしまった。ここに彼の自己矛盾が内包され、早晩行動様式上の亀裂が露呈することは避けえなかったと思われる。しかし、安倍氏の器量の問題や国政運営上の矛盾のほかに、安倍氏には深刻な事態が生じていたのではないだろうか。私はそれこそが10月1日から稼動する「郵政民営化」の稼動プランだったと思うのである。テロ特措法の有効期間は11月までである。安倍氏は表向きはこの延長を至上命題としているが、実は言葉に出せない命令をアメリカから強制されている可能性が高い。それこそが10月から始まる郵政民営化の完全遂行なのだ。

 思い出してもらいたい。アメリカの副大統領のチェイニー氏が今年の二月に来日した折、有識者はこのレベルの大物が何のために来日したのかという大きな疑念を持った。それは副大統領自ら、日本の郵政民営化をテコ入れしに来訪したとしか思えない。イラク人道支援という名の下に自衛隊を送り込み、実情はアメリカの軍事作戦の軍事支援であった自衛隊の派遣。その自衛隊の長である久間防衛長官にチェイニー氏は会わなかった。アメリカを批判されたからと言って、アメリカの軍事作戦の大元が外交上で防衛長官と会わない理由はない。だからチェイニー氏の来日は郵政民営化のテコ入れ、すなわち関係者に対する脅しのために来たのだと思う。その結果、あとは郵政株式会社がスタートするのを待つだけで膨大な郵政資金はアメリカ資本の手に落ちるだけである。ところが、最近野党から、「郵政民営化凍結法案」が出された。この法案はいつの間にか消滅していたが、安倍氏が続投していれば、この国会期間にその凍結法案が再び生まれる可能性があった。つまり、国会答弁で郵政民営化問題が一気に燃え上がるかもしれなかった。

 そこでアメリカの政府機関は日本の財務省に働きかけ、安倍氏を孤立無援の状態に追い込んだ。一連の大臣を襲った金銭スキャンダルもアメリカの作戦だろう。植草さんによれば、日本の財務省は外務省よりも売国的体質が強力である。今のタイミングで安倍氏が退陣することにより、時間的な政治空白が生まれ、来月に控えている郵政民営化実行の前に、凍結法案を国会で審議する可能性は限りなくゼロに近くなった。これこそがアメリカが安倍氏に望んだことなのだろう。

 もう一つのできごとは自民党の若手の動きにある。両院総会で次期総理を選ぶ機関が短いのは承服できない、なるべく選出を判断する時間を長く取るべきだという彼らの熾烈な主張である。特に片山さつき氏や佐藤ゆかり氏、小池百合子氏、コイズミチルドレンの必死の叫び、あとは武部勤氏、中川秀直氏、山本一太氏などもそれに呼応して動いている。彼らは小泉前総理の擁立に時間をかけたいということなのだろうか。私は彼ら構造改革派の真意は、総裁選に時間をかけて九月中の国会の時間をつぶすことにあると感じている。これはアメリカによる郵政民営化計画遂行にもとづく動きの一環であろう。アメリカに魂を売り渡した構造改革強硬派の当然なる行動ではないだろうか。小泉氏が突然福田康夫氏を推したことも、郵政造反組みの動きを封じる構造改革継続派の反撃ではないだろうか。彼らの言い方で憤懣やるかたないのは、地域間格差の是正は改革の推進でという空虚な鸚鵡返しだ。「また以前のバラマキに戻ってもいいのか?」と必ず言う。つまり生産性のない無駄な公共事業で地方を疲弊させるのか、それとも改革かという二分法に持って行く。しかし、この小泉論法で言う「改革」とは、弱者切捨て、地方切捨てのことだ。コイズミチルドレンが使うのはこのペテン論法だけである。本心は宗主国様に国富を貢ぐことしか考えていない。

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コメント

安倍首相の辞意表明に思う
 私はやはり2年前の郵政選挙が見えない踏絵であったと思います。「みなさん、これからは手紙を書かなくてもメールという手段でいくらでもコミュニケーシンがとれるのです。あっ、今妻からメールが届きました」「ホリエモンは時代が生んだ寵児です」「官から民へ、改革を止めてはならない~。」これらは安倍さんの選挙期間中の応援演説での言葉です。
 安倍さんは小泉さんの亡国的政治に賛同していました。いちばん政治家として成長しなければならないときに小泉さんにかかわってしまったことで、彼の政治家としての資質が大きく損なわれたのではないかと思います。「これからはメールで・・・」というところに教育再生を唱える人の言葉ではないものを感じました。政治家は言葉が命だと私は思います。真の保守政治家はその言葉の真奥に「日本」がなければなりません。かりにも保守を標榜する者は、先祖から繋がる時間とそこに紡がれてきた歴史・伝統・美意識を自分なりに体現してゆかなければなりません。常に深遠なる「日本」に少しでも近づく努力をしなければなりません。いはんや国を守る政治家においてをや、です。安倍さんには決定的にそこが欠落していました。    そのつけが首相になってからの胆力のなさ、先祖のお力をいただけなかったことにつながっていたのだと思います。その資質に対して自分たちの夢を託すために目をつぶって本質を指摘してこなかった保守系の論説家・知識人・マスコミあるいは国民にもおおいに責任があります。安倍さんのことよりも「日本」を考えるべきでした。                  2年前、郵政の民営化について保守・革新・リベラル問わず、「小泉のやりかたはいけないが、民営化はしなければならない」「族議員をなくさなければならない」など表面的な議論に終始していました。関岡さんの指摘に始まり、城内さんや平沼さんのように「アメリカに資金が流出するためのとんでもない法案」であることに気づいた政治家が存在したことには救われましたが、それでもまだ核心に触れ得ていません。評論家遠藤浩一氏は「(たかが郵政の民営化)で国政を誤るな」と言いましたが、そこにも日本の美的感性・情緒の欠落を見ることができます。「民営化」という言葉がどれほどわが国の国柄にそぐわないものであるか。国土を守りつつ都市の人たちよりもはるかに天皇のご存在を潜在的に意識している山間僻地の人たちの生活にそぐわないものであるか。そんなひとつの言葉さえ世の中を気づかぬうちにあらぬ方向へ導いてしまうことに、今の日本は(特に街に住む人)は気づくことができません。                 私は、片田舎の小学校で厳格な校長のもと、あたりまえのように「日の丸」を揚げ「君が代」をうたっていました。目の前には霊峰「富士」が我々を見守ってくれていました。わが家に隣接する郵便局には200~300円の貯金をするために農家の方々が来ては、日の当たる暖かな待合室で談笑し、煙草をくゆらし、お茶を飲んで帰っていきました。いまだからこそ思うことですが、そこには山間僻地の人がわずかな額でも「お国に託す」ことで、潜在的に「公」とつながる懐かしくて暖かな空間が広がっていたということです。ここにも「日本」がありました。
 そんな「日本」をかたちは変わっても心に残る風景として次世代へと繋いでゆく知恵と努力がすべての国民に求められているのだと思います。政治にだけ期待するのではなく、自らのうちに「日本」を蓄え、紡いでいかなければならぬと感じています。安倍さんにはこれを機に疎遠となっている先人との対話を始めてほしい、そして「生まれ変わった政治家安倍晋三」として帰ってきてほしいと思います。

投稿: テツ | 2007年9月14日 (金) 15時13分

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