植草氏が遭遇した偽装事件の真実
植草事件の真実―植草氏は無罪だ(Z氏の考察)
(検察側証言者の証言は作為と誤謬に満ちている)
「事件」発生時の車内の様子はどうだったのか。いろいろな情報が錯綜し混乱しているがこれも当然のことである。有罪だと主張するのは検察側陣営の2人、すなわち検察側目撃証人(第二回公判で証言)と、第一逮捕者(第六回公判で証言)である。それに対して無罪を主張するのは弁護側目撃証人(今年7月4日、第九回公判で証言)と被告。両陣営の主張は真っ向から対立しているから、当然車内の様子も違ったものとなっている。事件当時の車内の様子が様々な人によって図で示されているのだが、かなり検察側陣営の証言に振り回されているの実情だ。しかし検察側陣営の2人は実際は事件を見ていないし、作為的な証言をしているだけという動かぬ証拠(下記参照)があるので、彼らの一切を信用すべきではないと私は考えている。従って、弁護側の2人、つまり目撃証人と被告の証言のみを信用して事件当時の車内の様子の図を描いてみた。これが図1だ。「目」と書いたのが目撃証人の位置である。この大部分は目撃証人の証言が元になっているが、彼は被害者女性を見ていない。ところが、植草氏は自分が乗ってきたドアの方向に向かってつり革につかまって立っていたと述べている。そして被害者女性は自分の前1~0.8mくらいの所にいたと言っているから、その位置証言を加えると図1のようになる。
この図でまず気付くことは、被害者女性と第一逮捕者の位置が異常に近いことだ。第一逮捕者の位置は目撃者によってしっかり目撃されているし、被害者女性の位置は植草氏の証言が元になっている。2人の証言を併せてみると、何とこの2人が非常に近くにいたことが分かる!被害者女性は逮捕者の連れのようだったと目撃者が証言していることにぴったりと符合する。表向きは被害者女性と見ず知らずの乗客が逮捕してくれたことになっているが、実は連れだって行動していたのではないだろうか。
この電車に植草氏は最初、間違えて乗った。そこで降りようとしたら、後から乗ってきた乗客に押し戻されたと言っている。酩酊していた植草氏を押し戻したのはこの2人ではなかったか。図の下のドアから入ってきたのだから、場所的にはこの2人が押し戻したと考えるのが非常に合理的だ。
何のために押し戻したのか。それは、植草氏が下車して、反対向きの電車に乗ってしまうと、上りの次の駅までの所要時間が2分しかなく、しかも車内はガラガラなので、とても痴漢偽装事件の工作は無理だからである。満員ではなくても、乗客の多い電車であれば、「痴漢です」と女性が声を出しさえすれば、指一本触れて無くても起訴され、99.9%の確率で有罪となるのだから、勇気を出して声を上げるだけで、偽装事件は成功する。しかし、その田舎芝居を見ていた人が、彼は痴漢をやっていなかったと証言すれば、いくら何でも有罪にはできないのだ。今回はそのケースとなる典型的な事例だ。しかし、もし裁判官が当日乗り合わせていたこの目撃証人の証言を不採用とするなら、今回のケースでは明らかに司法の独立性は存在しないことが明らかとなる。考えたくもないことだが、裁判所の三権分立の精神は幻想だということになり、国民は裁判所の公平性という思い込みの中で生きていることになる。さらに言うならば、裁判所まで「国策捜査」の片棒を担いでいる可能性が濃厚となると言ってよい。一国民としては、けっしてそのようなことがないことを祈りたい。国民はこの裁判の帰結を細心の注意を以って見守るべきだろう。国家が健全か、どこまで腐っているのかが判断される裁判だからである。もし、第九回公判に勇気を出して出廷してくれた目撃証人の言が裁判官に否定されるようなら、日本の司法は立ち腐れと言えるだろう。国際社会において、これほど恥さらしな国家があるだろうかということになる。
この事件が偽装、すなわちでっち上げであるという証拠は数え切れないほどある。もちろん、最も確かなものは、弁護側目撃証人が「植草氏は痴漢をやっていなかった」という直截な証言である。これが嘘だと言うなら話は別だが、検察側もこの証人が嘘を言っているとは主張していない。被害者女性が2分間触られたと主張しても、この目撃証人の証言により、それが真っ赤な嘘だということが証明されている。
第一逮捕者の証言(3月28日)は間違いだらけで、証言を行った男が実は事件と無関係な替え玉だということをはっきり証明するものとなった。例えば彼は、車内では自分一人で植草氏を逮捕し、京急蒲田駅のホームに降りてから、別な乗客が逮捕に協力してくれたと言っている。しかし、実際は車内での逮捕者は2人であり、このことは植草氏も弁護側目撃者もはっきりと述べている。特に弁護側目撃者は2人が逮捕した様子を鮮明に覚えており、その様子を詳細に証言台にて説明しており、間違いない。もちろん、被告人にも弁護側目撃者にも、1人でなく2人だと嘘を言わなければならない理由は全くなく、それは真実に違いない。もし3月28日に証言した逮捕者が本物なら、一人で逮捕したか、二人で逮捕したかという決定的なできごとを取り違えるわけがない。なぜなら彼は逮捕当事者なのだから。逮捕に協力したもう一人の逮捕者を証人に呼べば、このことが更にはっきりする。
この逮捕者は植草氏が傘と4kgの重いかばんを肩に下げていたことも気付かなかったと言った。逮捕者ならそれはあり得ない。また、被害者も身動きの取れないほど混んでいたと彼は述べているが、図1と弁護側目撃証言から、それは嘘だとわかる。対面ドアツードアーの四角のゾーンは、人が触れ合う程度だった。また対面ロングシート(座席)のゾーンは「まばら」だったので、目撃者が植草氏の位置周辺を見通すことは充分に可能だった。乗客は充分に身動きできる状況だったのである。また蒲田駅のホームに降りて、しばらくしてから、駅員を呼んで下さいと周りの人に言い、呼んできてもらって駅事務室に連れて行ったと彼は言っているが、実際はホームに降りてから一心不乱に駅事務室に直行したのであり、その証拠に、電車がホームに着いてから、駅事務室に連れて行き、そこから警察に連絡が行き、その連絡が駅近くにいたパトカーに行くまで僅か2分10秒しか掛かっていないことを警察は時限的に発表した。この事件は、事件が起きる前から周到に準備されていたのでなければ、このようにスムーズには絶対にいかない。是非一度、この逮捕者の証言が書かれた速記録を読んでみるとよい。証言が自作の作り話を並べたものということが手に取るように分かる。
もちろん、これは仮説なのであるが、なぜ、警察が替え玉に証言させたかといえば、次のような事情だろう。それは検察側の証人が思わず口を滑らせたように、現場における本物の逮捕者は私服警官の可能性があるからだ。もしそうであるならば、警官が「事件発生」に備えて逮捕の準備をしていたことが発覚することになりかねない。乗り合わせた善意の一般人逮捕者(常人逮捕者)が、実は私服警察官だったならば、この事件が警察という国家機関が関与して計画遂行された「国策捜査」である構図が法廷の場で浮かび上がってしまうからだ。
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