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2007年11月 4日 (日)

『夕焼けの詩』&『ALWAYS三丁目の夕日』

 先週の金曜日、テレビで映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を途中から観て、いつの間にか自分の昭和30年代に遡行し、思わず涙が出ていた。当時のセピア色の思い出に浸った私は、さっそく翌日公開された『続・ALWAYS 三丁目の夕日』を観に行ってきた。まだ観ていない人のために続編のストーリーを語ることはあえてしないが、やっぱり涙腺が緩んでしまい、私の想いはあのなつかしい幸福な時代へ飛んでいた。観終わってからすぐに席を立つことができなかった。恥ずかしくて他人に顔を見られるのが嫌だったからだ。

 一作目、続編とも、この映画はかけねなくいい作品だと思う。この作品はビックコミックオリジナルという雑誌に、西岸良平(さいがんりょうへい)という人が描いていた『三丁目の夕日 夕焼けの詩(うた)』というのが原作になっている。1974年から連載されたらしい。いつ頃まで続いているのか私はわからないが、いつかゆっくり読んでみたいという思いも特にはなかったので、このコミックについては、つまみ食い的に読んだ以外はほとんど知らない。しかし妙に気持ちに触れてくる漫画であったことは確かだ。私の年代ではどこかのラーメン屋さんや喫茶店で一度は目にしているのではないだろうか。今でこそ、この漫画はほのぼのとしているとか、失われたあのなつかしい頃とかいうフレーズで知られてきているが、昔、私がラーメン屋さんなどでこれを見たときは、正直言って読むたびに複雑な思いにとらわれていた。一つはまったく今の時代にそぐわない懐古趣味で、あの失われた時代をこのように再現していったい何になるのかという気持ちがあった。今はスピードと効率を旨とする“イケイケどんどん”の時代、あのようにのんびり構えていたら時代に取り残されてしまうではないかという感覚が強かった。

 時代の空気というものに、ある種の傾向がまとわり付いているとしたら、その効率至上主義の傾向は現在も変わっていない。いや、むしろそれは年々先鋭化している。現代は情緒を味わう時間を持つこと自体が“悪”なのだ。当時、仕事に追われ、毎日あくせく働いていた時は、いくら頑張ってもまだ遅い、このままでは会社も個人も生存競争に打ち勝てない、もっと効率よくパワフルにやらなきゃならんと、私だけではなく社会全体の趨勢としてそういう空気があったのだ。週末のわずかな時間を、見飽きている同僚と忙しく飲み歩き、仕事と飲み歩きで疲れたまま、ねぐらに帰る。貴重な休みは心身の休養を兼ねて自分の好きなように無為に過ごしたくても、既婚者は家族サービスで出かける羽目になり、独身者は付き合いや会社以外の情報を得るために友人や異性と必死でどこかへ出かけていく。あるいはローンでやっと購入した車を目的もなく乗り回したりする。高度経済成長とバブルの残渣は、日本人を“静けさとゆとり”からすっかり遠ざけ、内面をハツカネズミの回し車のような状態に追いやった。人間の通常様態が“ハツカネズミの回し車”状態なら、本物の休息と慰撫を得るためなら、人間は“回し車”から降りて、周囲の景色をゆっくりと見る必要がある。私が“回し車”と形容したものの正体が何であるか、いまさら言うまでもないが、これが産業革命以来、英米が主体となって回し続けていた産業資本主義を基軸とする文明形態である。この究極的な姿形が新自由主義である。

 話を戻そう。日本人の貧乏性という性癖なのだろうか。余暇にゴルフや温泉地へミニ旅行をする者は多いが、人々は押しなべてゆったりした自己の時間を取り戻せないのである。他者の様子を見ているとわかるが、彼らはせっかくの休養の時間も“ハツカネズミの回し車”みたいな息せき切った心理状況にある。そんな時、私のように根っから右倣(なら)えを嫌う一部の日本人(笑)は、ラーメン屋などで西岸良平氏の“夕焼けの詩”を見て、その世界に垣間見えるテンポのずれた静けさにイライラしながらも、ほっとため息をついていたのではないだろうか。私に関して言うなら、この漫画はいつ読んでも奇妙に心に引っかかるものがあった。それはあたかも、時々見ているが目覚めたら、かすかにしか覚えていない夢のようなものである。その時代にそぐわない妙ちきりんな漫画が、いつの間にか『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画になって人気を博していた。ただし、この映画が、西岸良平氏の“三丁目の夕日 夕焼けの詩”に流れる独特の静けさを踏襲しているのかと言えば、答えは明らかに“ノー”である。だからと言って、映画作品の出来が悪いのかと言えば決してそうではない。これはこれで充分に成功している作品だと思う。特撮を使った昭和30年代街並みの再現シーンは圧巻であり、それをセピア色のフィルターで統一したことは、ノスタルジックな時代再現にはきわめてよくマッチしていると思う。観客の既視感覚(デジャブ)に訴えるなら、初回作品は見事に成功している。第二作はこのセピア色を少し押さえたことが気になった。観客の心象風景を触発するなら、むしろセピア色をもっと強調してもいいくらいだ。

 しかし、映画ならではの動きや色彩感覚が、あの時代色を良くつかんでいると私は思った。映画は動きが中心なので、西岸漫画におけるあの何とも言いがたい独特で静かな雰囲気はないが、漫画と同様に、この映画も、やわらかく切ない哀しみが混じった私の記憶を奇妙にくすぐるのである。マルセル・プルースト作『失われた時を求めて』の有名な場面にある、紅茶に菓子を浸した時、忘れていた幼年期の記憶が鮮やかに甦ってくるような感じであろうか。この映画には明らかに“プルースト効果”がある。何と言えばいいのか、昔の街路灯の淡い光みたいな映画である。漫画の話に戻るが、若いころの私は西岸氏の「夕焼けの詩」に惹かれはしたが、必ずしも好んで読みたいと思うものでもなかった。理由は漫画全体のトーンがあまりにも切な過ぎて、若い私の生き急ぐ時間感覚に合わなかったからだ。それはちょっと耐えられないという感じだった。だから、ラーメンのできあがりを待つ間の無聊(ぶりょう)を埋めるために漫然と読んでいたに過ぎない。しかし、妙に切ない心持ちになりながらも、結局は一話完結のその物語を読みきってため息を漏らす気分になっていた。五十路に至った今は、一丁前の日本人らしく“もののあはれ”を正面きって感じてみたくなっているせいか、却って西岸氏のこの作品に興味が強くなってきている。今の私は、その漫画の全体の雰囲気を素直に鑑賞できる年齢になっているようだ。

 そんなこんなで、どんどん馬齢を重ねていくうちに、この漫画が土台になった『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画ができていた。私は昭和27年生まれだから、この映画の時代設定で行けば、当時の私は6歳、7歳だったことになる。東京タワーができたころだが、秋田県の田舎で育っていた私は、その後に到来する高度成長期をシンボライズしたその東京名物の電波塔については名前だけしか知らなかった。当時は東京そのものが憧れの都(みやこ)だったから、東京タワーと東京は幼い私にとっては同義語だった。この映画の舞台としてイメージされている場所は、港区西久保巴町(現虎ノ門三丁目)辺りをモデルにしているようだと他のブログに書かれていたが、当時の街並みは、東京でも、地方都市でも、田舎町でもさほど大差なかったように思う。特に商店街の風景はどこでも似たような感じだった。

昭和33年当時は、六歳という年齢からして、そのころの細部の記憶が残っているわけではないが、時代の雰囲気は当時の遊びを通じて今でも鮮明に覚えている。特にその後の五年くらいの期間である昭和38、9年ごろまでは、私にとって人生の黄金時代とも言える時期であった。よく光り輝く黄金時代という形容がある。たしかに幼年時代の記憶はまぶしい光に溢れていたこともあったが、私の場合は、どちらかと言えば、この『ALWAYS 三丁目の夕日』のように夕焼け色の記憶に彩られている。私の育った郷里が特に夕焼けが美しい場所だったこともある。そんなことを言うなら日本中あらゆる場所がそうなのだろうと思うが。(笑)

 野球、魚とり、飛行機飛ばし、近くの山ですべるスキー、気の合う友達と時間を忘れて遊んでいて、いつしか日が蔭り、遊び足りない気持ちで家路に急ぐ時、目に映えていたのは里山に強く照り映え、やがては淡く暮れ行く残照の風景だった。結局、幼年時代の記憶で自分の中に強く結びついている光景はどういうわけか夕暮れが多い。以上に述べた昭和30年代に関する取り止めのない私の感想はまったく大したことではないし、ブログに書くようなことでもないかもしれない。ただ、今面白いことに私は気付いている。それは非常に単純なメッセージなのだが、昭和30年代にあって、平成の今にないものは何かという問いである。答えは簡単である。それは人間本来に与えられている内面の豊饒性を味わう時間と希望である。これが見出せない日本人は不幸である。今の日本人は昭和30年代の日本人に比べて圧倒的に不幸なのだ。昭和30年代は日本人が戦争のショック状態からようやく立ち上がり、前を向いた時期であった。物資は貧しかったが、未来への希望に満ち溢れていた。しかも、みんなには助け合い精神が強く残存していた。だからこそ、時代が健康に光輝いていた。ニヒリズムが蔓延する前の時代は子供たちが活き活きとしていた。アメリカ型の欲望資本主義、つまり大量生産・大量消費は民族の優しさを摩滅し、その豊かな情緒性をすっかり奪い去った。

 時代が健康か否かの判断基準は、子供たちが未来に希望をどれだけ強く持っているかどうかでわかると思う。そういう観点から言えば、今の時代は敗戦直後の日本よりもひどい時代なのだ。子供たちに生きる希望がない。これ以上、民族の衰退を象徴することはない。為政者の最も重要な仕事とは、国民の付託に応えて、夢多き国家のグランドデザインを描いてやることだ。人間が希望を持てる状態とは、未来を強く想像し、そこへ向かって歩めるんだという確信を持てることだと思う。これが可能な政治家は国民と国家に強い愛情を持っていることだ。未来へ希望をつなぐことができない時代は歴史の存続が途絶える可能性がある。今の日本がそういう位相に突入している。小泉政権ほど国民への愛情が欠落した政権はなかった。愛情どころかこの政権は、外の強欲者どものために、国民に多大な犠牲を強いただけだった。

 私が『ALWAYS 三丁目の夕日』を観るようにお勧めするのは、けっして復古主義でも懐古主義でもない。昭和30年代にあって、平成の今にないものは何かということを画面から感じ取ってもらいたいからだ。『ALWAYS 三丁目の夕日』に関して、昭和30年当時にブレークした落語家の故林家三平の奥さんである海老香葉子さんが印象深いことを語っていた。

 “あの当時はとにかく楽しかった。朝目覚める度に楽しくて仕方がなかった。電気製品とか品物が一つずつ増えて行った。それも楽しかった”

 海老名香葉子さんのこの話は、この時代の大人たちの共通した感覚だった。大人たちが希望を持てる時代は子供たちが幸福なのだ。貧乏を苦にせず先に進む原動力を持てたのは国民全体に希望があったからだ。私はこの国民的希望が経済力に直結していると信じている。小泉純一郎という稀代のペテン師が国民の希望を根こそぎ奪い去って国家経済を危機的状況に陥れた。こういう状況で、サプライサイド重視のデフレから総需要喚起の政策に切り替えろと言っても、国民には響かない。国民が希望を持てる社会インフラを同時に進めるべきだ。そこに政治家のビジョンがある。外国の強欲者の犬に成り下がって、国家をここまで疲弊させた政治体制とはきっぱりと訣別し、昭和30年代の気配を学び取った方がいい。それは時代を逆行しろということではない。国民が決して捨ててはならない民族の心がどの時代にもあると思うからだ。この映画には懐古趣味を超えたメッセージが確かにある。 

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コメント

どうも、自分はただのひねくれ者なだけで、確たる根拠があって書いた訳ではありません。某掲示板では、いろいろ悪口が書いてあり、結構当たっているんじゃないかと思ったものです。続のほうでは、冒頭、意表をついた演出があるそうで、前作は、くさい芝居だったと思いながら、続も見てみようかなと思う今日この頃です。尚、調子に乗ってブログを汚してしまったことお許しください。

投稿: gbc | 2007年11月 8日 (木) 17時58分

gbc様

 はじめまして。非常に斬新な視点に驚かされま
した。

>これは国策映画でしょう?貧しくなることは怖
くないと言っているように思えてならない。つま
り格差社会を言い出し、それを固定化させようと
するものだと思う。60年代の無責任男シリーズ
の逆パターンだと思う。

 『ALWAYS三T目の夕日』を国策映画であると見
据えたことは、ある意味非常に説得力がありま
す。なるほど、格差社会を庶民に受け入れさせ、
心の絆があればそういう超貧乏な社会も考えよう
によってはパラダイス。

 ただ、真面目に言いますと、この映画は昭和30
年代の貧乏の中にも希望があるというメッセージ
というよりも、やるべき未来があるという、あの
時代にふつふつと育っていた強い希望が本当のメ
ッセージではないでしょうか。

 それに比較しますと、小泉政権が敷いた格差社
会には希望がありません。ペシミズムで生きてい
くしかないどうしようもない救い難い世界で
す。だから、映画で出された時代の息吹を再び
これからの時代にも呼び覚ませという風に私は
捉えています。貧乏という形態は似ても、内包
する希望やエネルギーが違っていると思います。

 まあ、何といいましょうか、素直に鑑賞すると
国策映画には見えませんが。しかし、本当に面白
い視点で興味深く思いました。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2007年11月 7日 (水) 23時00分

自分も前作は見ました。映画は見る人により、好き嫌いが分かれるのでそれは言いませんが、これは国策映画でしょう?貧しくなることは怖くないと言っているように思えてならない。つまり格差社会を言い出し、それを固定化させようとするものだと思う。60年代の無責任男シリーズの逆パターンだと思う。(まともに見たこともないんですが・・)大体読売がかんでいるし

投稿: gbc | 2007年11月 7日 (水) 19時18分

JAXVNさん、こんにちは。

 確かに安倍氏は「美しい国へ」の中で、この映
画を賞賛しています。今見直したら、あの映画の
深いメッセージを象徴する指輪のエピソードに触
れていましたね。好きな女性に指輪の入っていな
い空箱を贈り、女性が見えない指輪を嵌めたシー
ンを紹介しています。

 たしかにこの映画の深い主題は“心の絆”であ
るんですが、時代の性格からとらえれば、この映
画が訴えている時代はお隣さんとの絆が“情”を
介してしっかりと生きていた時代でした。ところ
が“小泉構造改革”が指向し、今日継承されてい
る時代性とは、人々や団体同士の絆をバラバラに
して、日本的な“情の共同体”を徹底破壊するこ
となんですね。

 だから安倍さんがほんとうにこの映画に感動し
たのなら、首相に就任した時点で小泉構造改革を
真っ向から否定するべきだったんです。ところが
それをしないで継承路線を進んでしまいました。

 おそらく途中で方向性を変えようとしたと思い
ます。たとえば、三角合併の手続きを複雑にした
という話を聞いています。彼が郵政造反組深い
同情を持っていたと思えるふしもありました。
それでアメリカと通じた売国財務省にターゲットに
され、次々と閣僚の不祥事が噴出しました。そうな
らば、彼は在任初期に美しい日本思想を体現して
自爆するべきでした。その筋を通して沈んだ場合、
彼には将来名宰相の道が残されていたかもしれま
せん。

 政治家である限り、今を逃したら宰相の道は二
度とないという気持ちもわかるような気はしま
す。しかし、小泉亡国路線を継承することは政治
家の道義として選んではいけなかったと思いま
す。もしかしたら安倍氏は辞任前には郵政民営化
を見直そうとしていたかもしれません。それは平
沼氏への態度でそう思えるからです。

 今から思えば、安倍氏は就任時に“身を捨てて
こそ浮かぶ瀬もあれ”を敢然としてやるべきでし
た。政治生命の賭し方を誤まったのでしょう。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2007年11月 6日 (火) 15時16分

こんにちは。
「三丁目の夕日」といえば、確か安倍前総理が著書「美しい国へ」で絶賛していました。この映画には「美しい日本」の原点がある、と。しかし、安倍前総理は本当にこの映画を見たのでしょうか(まあゴーストライターが書いた、という話もありますが)?本当にこの映画を見たのなら、この映画に描かれている「美しい日本」は、決して「構造改革路線」からは生まれない事は分かるはずです。どこかで読んだのですが(詳しい場所は失念してしまいましたが)、「この時代が良かったと思う人が多いのは、それがそれまで大きかった『格差』が縮小し始めた時代だからではないか」という意見がありました。なるほど、と思うと同時にでは今とは全く逆ではないか、と思いました。
しかしながら、安倍前首相も本当は分かっていたのかもしれないと思います。本当は路線を転換したかったのに出来ない、という矛盾がどんどん大きくなり、それに耐え切れなくなった結果があの辞任劇だったのかもしれません。しかし、ならばせめて「構造改革路線からの決別」を宣言してから辞めて欲しかった、と思います。

投稿: JAXVN | 2007年11月 6日 (火) 12時53分

テツさん、こんにちは。

>当時わが家では、かまどで煮炊きをしていまし
>た。土間には大きなかまどがふたつあり、朝か
>ら薪の匂いで満ちていました。

私の家もそうでしたよ。かまどの煮炊きは家が
生きているアカシだったように暖かい感じがあり
ましたね。ご飯が電気釜で炊かれたとき、文明開
化を感じていました。今でも覚えていますがスイ
ッチを入れるとスイッチそのものがぼうっと点灯
するタイプの電気ガマでしたね。しかし、かまど
の薪で炊いたご飯は何にも増してうまかったです
ね。

 豊かさというのは“量”ではないですね。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2007年11月 6日 (火) 10時45分

読者 様

>先進国で深夜にこんなに働く国がありますか。

 ないでしょうね。働くことはいいことですが、
他国や外資のために働くことは真っ平です。なぜ
ならその働きを奴隷状態というからです。自分の
国のために、家族のために、地域の幸福のために
働くならいくら働いてもいいのではないでしょう
か。舛添さんが進めるホワイトカラーエグゼンプ
ションは国民を無駄に過労死させることは確実で
す。外資のために過労死ですか。最悪です。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2007年11月 6日 (火) 10時34分

生きた化石 様

 はじめまして。コメントありがとうございまし
た。

>現代においては「これが無いと貧しい」という
>気持ちに変っており、「際限ない欲望」が国民
>感情では無いでしょうか?

 そうだと思います。物(便利な製品)がない
時代から、物が充足する時代に幼少年期を過ご
した私の世代は、最初は物のありがたさに素直
に感動していたんですが、物が一通り満ち溢れ
て来ると、物に感謝の心がなくなり、もっとい
いものを、もっと他者と差別化をはかれる物を
志向したために、完全な“欲望消費主義”に堕
して、人としてのまともな文化を味わったり創
設したりする気持ちを失ったと思います。

 世の中(体制)も、人々の欲望消費主義を加
速させようとするインフラ造りに専念してきま
した。その結果が今の悪魔の新自由主義的社会
が形成されたのではないでしょうか。小泉さん
や竹中さんのようないかがわしい宰相・大臣が
、アメリカ政府筋の意向に沿って市場原理主義
を導入したとしても、それを許容してしまう素地
が国民にも一様にできていたという視点も必要で
しょうね。

 市場経済原理主義はすべての価値をお金に置き
換えるものです。これが人を卑しめていることが
問題ですね。

 市場原理主義の世界フランチャイズ化(グロー
バリゼーション)は、世界の崩壊へ向かうだけで
しょうね。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2007年11月 6日 (火) 10時29分

>『ALWAYS 三丁目の夕日』私も見ました。漫画は知りませんでしたが、テレビをつけた時に妙に懐かしい風景がブラウン管に広がっているので思わず最後まで見てしまい、そして不覚にも涙してしまいました。ちょうど私が生まれた当時の話ですが、生活をとりまくすべての色・形・匂いまで記憶の底からよみがえってくるのに驚きました。当時わが家では、かまどで煮炊きをしていました。土間には大きなかまどがふたつあり、朝から薪の匂いで満ちていました。それが小学校の2年生くらいのときに鋳鉄製のガスコンロが入り、すごいな~と感動した覚えがあります。柱には電話交換士が繋いでくれる古い手回しの電話機がかかっており、茶の間には父がきげんを損ねてひっくり返す丸いちゃぶ台が座っていました。毎日忍者ごっこをして山の中を走り回り、遊び疲れて帰途につく背中に赤い夕日があたってぬくいな~と思ったことも思い出しました。この映像にたまたま出会って、当時の様々なことを次から次へと思い出させてくれた本当に素敵な時間でした。今から見れば夕景の残照に輝く天国のような日々だったなあと、この時代に生を受けたことに感謝しました。

投稿: テツ | 2007年11月 5日 (月) 15時11分

経済成長するには、夜も寝ないで働く日本人にもっと働いてもらはねばなりません。
先進国で深夜にこんなに働く国がありますか。
あげくに、体を壊して過労死する。 何かおかしいとは、自民党の経済成長至上主義者は思わないのでしょうか。

投稿: 読者 | 2007年11月 5日 (月) 14時05分

昭和の時代が良かったという気持ちは日本人の総意だと思います。海老名さんの言われている「毎日が楽しい・朝起きるのが楽しい・電化製品が増えるのが楽しい」全く同感です。しかし現代においては「これが無いと貧しい」という気持ちに変っており、「際限ない欲望」が国民感情では無いでしょうか?こういった現象は「史上原理主義」が起した現象です。ありがたみが「当然」になり「感謝」が「拝金」に代わってしまった現代の「行く末」を案じている毎日でございます。今後ともブログ応援しております。

投稿: 生きた化石 | 2007年11月 5日 (月) 11時22分

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