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2007年11月26日 (月)

年次改革要望書が生まれた経緯

 今、日本の国民は現状の壮絶な格差社会や、一向に上向きにならない景況感の理由が、小泉政権の行なった“構造改革”にあるのではないのかと思い始めている。今夏の参院選での自民党大敗北は端的にそのことを裏付けた結果となっている。しかし、この参院選の結果を単純に小泉-竹中構造改革路線の破綻と受け止めていいのだろうか。私は短兵急なその見方には懐疑的である。確かに国民の総意は小泉路線、及びその継承路線である自民党清和研究会(町村派)の方針に“ノー”を示した。しかし、この結果は国民、特に地方在住の人間が小泉構造改革路線の非を認めたことは確かであるが、その本質を分析し、理路整然とした判断の下に行なったと考えるのは時期尚早であると思う。

 参院選の結果を出した人々を馬鹿にするわけではないが、彼らは格差を肌身で感じ取り、そのあまりのひどさに対して本能的に反応したという方が正確だろう。彼らは小泉政権の本質を見抜いた上で自民党に“ノー”を突きつけたというよりも、誤った政策がこのような惨憺たる結果をもたらしたというレベルで捉えているような気がする。しかし、ここで真剣に考えてもらいたいことがある。それは、小泉政権が行なったマクロ政策とは、従来政策路線の延長上で行なった政策上のミスリードではなく、アメリカの意志に忠実に沿って行なわれた結果だったという事実である。このことを真に認識しなければ、今後、新たな政権が成立しても、日本は同じ政策上の愚行を延々と繰り返すことになるからだ。

 日本人の社会に対する考え方は、いい意味でも、悪い意味でも、現状維持的というか保守的である。この感性が多大に影響しているために、国民は小泉改革に対してもこれは保守政治の一環として受け止めてしまい、アメリカによる日本国家の構造改変だという本質にはまったく気付いていないように思われる。その意味でも、村山談話を忠実に踏襲するような小泉元総理大臣が、靖国神社を参拝したという見せ掛けの行動が国民に誤まったメッセージを与えた影響は非常に大きい。小泉氏は靖国神社参拝を公約、実行したことで国民に保守本流のイメージを与え続けた。そのおかげで国民は小泉氏が行なった米国傀儡政権の売国本質を見逃してしまったのである。無論、これにはマスコミの小泉政権持ち上げ姿勢が最大の功を奏したことは見逃せない事実である。それでも日本の宰相が8月15日に靖国を参拝するなら、それなりの国際的メッセージとして意味があったが、その肝心な公約は破棄して中途半端な参拝だけは実行していた。これが国民を欺くパフォーマンスだったことは言うまでもない。

 国民が真に理解しなければならないのは、小泉政権の本質が『年次改革要望書』を最大限に実行したアメリカの傀儡政権であったという事実だ。ここで私が言いたいのは、年次改革要望書が、ただ単に最近アメリカからもたらされた内政干渉だというように受け止められているきらいがある。関岡英之氏によれば、この要望書の発端が、1989年(宇野宗佑)のアルシュ・サミットの際に行われた日米首脳会談の席上で決められた『日米構造協議』にあったと言う。小泉構造改革の内実が“聖域なき規制緩和”にあったことは周知の事実である。しかし、国民はこの規制緩和・規制撤廃について、あまりにも無神経、無防備ではなかっただろうか。問題はこうである。日本の事業や商習慣を縛るさまざまな“規制”がどうして存在しているかについて、政府はいっさい説明しなかったし、国民もそれについて考えることをしなかったという事実だ。

 規制というものはそれが存在する蓋然的な理由があって存在している。けっして一部の官僚が自己利益のために編み出した法体系ではない。我が国特有の商習慣や然るべきルールの必要性があって生じている。この規制が時代の変遷や社会構造の変化に応じて硬直化し、無実化するということは当然起こるだろう。それは逐次修正的に改善していけばいいことだ。ところが、小泉政権が行なった規制撤廃は、何の理由もなく規制そのものが世の中の進歩や効率性を阻む前近代的な悪習と決め付けて、無秩序に壊すことを急いだのだ。そして、相当数の規制を無意味に破壊した結果が、現状の超格差社会への変貌だった。国民が真実を知って反省すべきことは、アメリカの年次改革要望書に従って我が国固有の規制を破壊した結果が、現今の望まない社会の出現だったということだ。小泉政権の最も顕著なペテン性は、粗暴な官僚悪玉論と規制悪玉論である。この政権はこの無謀な定立によって日本の体制を破壊してしまったのである。この無謀な定立の根拠となったテキストが年次改革要望書であった。

 年次改革要望書は関岡英之氏が「拒否できない日本」で世間に問いかけてから、最近では急速に国民に知られてきている。しかし、この要望書の存在を知っている人でも、この内政干渉的指導書の歴史的経緯を知っている人は案外少ないように思われる。実は年次改革要望書の歴史的発端は前述したように日米構造協議に遡ることができる。東西冷戦構造下の80年代後半まで日米間の最大の懸案は貿易摩擦であり、アメリカの怒号は熾烈なものだった。繊維、テレビなどの家電、自動車、牛肉、オレンジなど個別の物について、アメリカは日本の輸出入の姿勢に難癖をつけてきた。競争力の原則から言えば、日本の製品が高品質で低コストだから売れるのは当たり前のことだったが、アメリカはそれを認めず、徹底して日本の社会構造や商習慣が悪いと決め付けた。実は日本が自らの主体性を失い、アメリカの勝手な論理に蹂躙され、呑み込まれたのはこの時点である。ブッシュ・シニア大統領時代の「日米構造協議」は、1993年のクリントン政権に至って「日米包括経済協議」になった。

 原田武夫氏の『仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理』を参照すると、ここでアメリカは経済目標を具体的に数値化することを日本に求めたが、さすがに日本はこれに強い反発を示した。米国製の製品をある時期までこの台数で買えなどということは自由貿易の精神に反するということだ。米国は日本の熾烈な反発を見て戦略を変更した。日本市場が構造問題を抱えているのは  “日本政府”がマーケットに介入し、いたるところで規制していることが元凶になっているからだという論法を駆使した。要するに日本は政府が市場に必要以上に介入する“大きな政府”になっているから極力政府介入を解除しろという話である。ここにおいてアメリカは日本にはっきりと新自由主義への政策転換を奨励という形で押し付けている。これを阻害しているのはひとえに日本固有の伝統的商習慣や構造であるという不当な指摘であった。問題はこの段階で日本人がアメリカの論理を受け入れてしまったということにある。日本には日米同盟による核の傘下で守られているという負い目があり、アメリカによる強気の内政干渉に逆らえない空気になっているというのが最も大きな理由であろう。もう一つの理由は同盟国のアメリカが日本国益を損なう政策を押し付けるはずがないという、言わば思考停止的な思い込みや希望的観測が日本側にあるのかもしれない。

 それにしても年次改革要望書は二重の意味で陰湿である。一つはアメリカが日本の構造について大声を上げなくなったと言うか、上げる必要がなくなったことにも関連するが、日本の規制緩和に関する伝書的イニシャティブを布設したために、アメリカの要望が国民に見えなくなってしまい、ごく一部の日米政府関係者同士(外交官)でしかこの協議が進行しなくなったことだ。特に悪質なのは日本政府が故意にこの「要望書」の存在を国民に隠蔽していることだ。年次改革要望書については、政府がマスコミに対して故意に報道管制を敷いているとしか思えない。政府の中枢がこれを隠蔽する直接の証拠は国会における竹中平蔵氏の答弁に端的に現われている。竹中平蔵氏は2004年10月19日の衆議院予算委員会で「要望書の存在を存じ上げております」と答弁したが、翌年2005年8月2日の参議院郵政特別委員会では「見たこともありません」と断言している。竹中氏が一旦は衆院予算委員会で年次改革要望書の存在を認めながら、参院郵政特別委員会ではそれを見たこともないと言ったことは、裏を返せば郵政民営化がアメリカの意向で行なわれていることを国民に知られたくないということだ。この事実からして、政府中枢が年次改革要望書の存在を国民に明らかにすることを一貫してタブー視していることが見えてくる。

 理由は何だろうか。それは内容を国民がつぶさに吟味して、後に政府主導の政策と照らし合わせると、日本で次々と策定され、実現されて行く重要な法案が、この要望書に従って生まれていることがわかってしまうからだ。これは日本がアメリカの植民地であることを国民に如実に悟らせてしまうことになり、それによって巻き起こる反米的世論形成を政府が恐れているからにほかならない。いくらお人よしの日本人でも、日本の実態がアメリカを宗主国とする植民地だったという現実には到底耐えられないだろう。

 日本に対し、系列会社の存在や談合を厳しく非難する米国が、年次改革要望書という一部の政府関係者同士で交わされるこの重大な外交文書は、まさしく国際的な談合そのものだ。しかも談合の主導権は完全に米国側にある。もう一つはアメリカ大使館がこの要望書の存在を公開しているにも関わらず、日本の政府やマスコミはいっさいこれを国民に知らせないことだ。GHQのプレス・コードがいまだに継承され続けている証左である。基本的には小泉構造改革は戦後のプレスコード環境下と同一の条件で行われたものだ。つまり、郵政民営化についても国民は知るべきことを知らないままに、賛成か反対かの選択を強いられ、マスコミが反対の材料を極力報道しない中にあって、国民は賛成傾向で投票を行なった。こういうことはまともな主権国家で起こるはずがない。日本が戦後62年間、自覚することを拒み続けていたことを、小泉政権の鮮明な傀儡政策によってまともに向き合わざるを得なくなっている。つまり、日本はある日気が付いたら主権は存在していなかったということである。歴代政権や国民が強いて考えなかったことの付けが今現われてきたとも言える。

 この年次改革要望書に従って行なわれた数多くの規制緩和は、日本の構造改革という美名の下に日本の国内問題に特化され、その内実がアメリカによる国富収奪であることを覆い隠してしまった。つまりアメリカに従うエージェントたちは、国内問題の解決だという論理のすり替えによって、国家存亡事態である国富の流失を加速するシステムを構築してしまったのだ。莫大な郵政資金の国外流出を中心に、我が国のありとあらゆる優良資産が米系外資の懐に入っていく現状はまさに国家の危急存亡そのものだ。小泉・竹中路線が推進した構造改革とは、国民に利益をもたらすどころか、逆に国民の財産を海賊に捧げるようなものであった。この悪魔の構造改革路線が、安倍政権から福田政権へといまだに継承されていることが大問題なのだ。

 国民は年次改革要望書が成立した過程をきちんと自覚した上で今後の対処を考えた方がいいだろう。つまりこの要望書の生まれる起源は、日米貿易摩擦であり、アメリカの戦略の凄さは、露骨な外圧で日本の反感を誘うことよりも、日米間の平和的な協議という範疇に収め、日本人が自ら主体的に考えてやったような形を取り始めたということだ。無用な反米感情を生まずに米国の願望を実践するという方法は多大な効果をもたらした。つまり、年次改革要望書の成立経緯は、日米貿易摩擦が起きて日米構造協議が生まれ、スーパー301条なる無茶苦茶な制裁法案が提出されて日本の反感を招いた。その後ブッシュ・シニア大統領からクリントン大統領に移った時、日米包括経済協議を立ち上げて数値目標を設定するなどというごり押しをして、アメリカは日本の大反発を食らった。そういう経過を踏まえたアメリカは最も狡猾な対日戦略を考えた。その結果、全体としては日本の構造そのものが間違っている、特に日本政府がマーケットに介入しすぎだという論法を日本側に納得させたのである。納得した日本も情けなかったと思う。もっとも、納得したのは一部の政府関係者だけだったが。国民はこの時点でアメリカの内政干渉的な構造批判について無頓着だった。関岡氏の言うように、この時点で国民は、日米構造摩擦の喧騒が収まって事態はいい方向に進んでいると受け止めていたと思う。かくして規制改革を日本人の自主判断で行うという名目の下、米国は『規制緩和及び競争政策に関する日米間の強化されたイニシアティブ』という対話路線を立ち上げた。これが年次改革要望書である。

 以上が年次改革要望書が生まれることになった歴史的経緯であるが、大きな捉え方をすれば、東京裁判史観に拘泥した戦後日本人の重大な欠点がアメリカに効果的に利用されたという言い方もできる。戦勝国のアメリカには逆らえないのだという負け犬史観がこの経済問題の重要な意識的背景を有している。アメリカの強要に逆らうことができないのだ。軍事と経済は別物だという日本人の非常識な考え方が、冷徹な国際社会には通らないという実例は戦後日本はいやと言うほど見せ付けられてきたはずだが、その現実から逃避し続けてきた付けが小泉政権に顕著に出てしまったということになる。日米間の実態は、宗主国アメリカが植民地日本から効率的に富(アガリ)を分捕っているという現実に他ならない。

 今のまま、日本人がアメリカの隷属状態に甘んじていたら、国民レベルでは絶対に幸福な生活はできない。このまま行けば、経済奴隷国家だけで済む筈もなく、アメリカの傭兵として無用な戦争に借り出されることは間違いない。日本の自主権を取り戻すには、日本人が自国文明の尊さに覚醒することだと思う。経済が軍事力の裏づけと表裏一体を成すものなら、日本がアメリカの軍事力を当てにすること自体が大間違いである。もちろん中国の軍事力も当てにするべきではない。言葉を換えて言えば自主独立を実現したければ日本がどこの文明圏にも属さずに自国文明を維持するために充分な強さを持つことだ。強さ(国力)の根幹は軍事力と経済力である。アメリカに睨まれただけで経済が頭打ちになるような国はまともな国家ではない。社会ダーウィニズムで動く国際社会は軍事力を放棄した国家を国家として認めない。この現実を無視して、日本が世界で始めての武力放棄を実践するモデル国家となるなどと言ったところで、悪鬼の跳梁する荒野に丸腰で立つようなものだ。本気でそう考えているなら、アメリカの核の傘下から離脱することだ。アメリカの核の傘下を是認しておきながら、永久平和国家として歩むなどという考えは悪質な自家撞着以外の何物でもない。

 日本を真に愛しているが、日本が軍隊を持つことには断固として反対すると言うやからが大勢いる。彼らに聞きたいのは“アメリカの核の傘下で守られている現状はいいのか”ということだ。つまり日本でパシフィズムを標榜する人間の欺瞞はそこにある。国家を自国民が防衛するのは自立国家の基本だ。この単純な原則が認識できないうちは日本はアメリカに限らず他国の餌食にされてしまうだけである。

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2007年11月20日 (火)

“金融ブルーギル”大繁殖

  今月の11日、天皇皇后両陛下が大津市に行幸された折り、琵琶湖で行われた「第27回全国豊かな海づくり大会」の式典にご臨席された時の天皇陛下のお言葉があった。それは陛下ご自身が皇太子時代に米国から持ち帰った外来魚のブルーギルによって、琵琶湖の生態系が脅やかされていることに言及され、「心を痛めています」とおっしゃったことである。(ここを参照)

 これについては、原田武夫氏が彼の公式ブログで重要な視点を言及していた。それは天皇という存在は、日本国の危機に際しては、重要なメッセージを国民に送ることがあるという捉え方であった。私もまったくその見方と同じだった。天皇陛下が、外来魚のブルーギルの異常繁殖に関してご心痛されたニュースについては、私も当日、車のラジオで聞いていたが、非常に重く心に残っていた。外来生物の侵入・繁殖については、かなり以前から在来生物を脅かし、本来の生態環境を破壊するものとして懸念されていた。今回の陛下のお言葉は表層的には、文字通り生物学的な意味におけるご懸念を語られたと思う。しかし、原田武夫氏が指摘するように、“外来魚”という言葉には、現代日本の深刻な危機を心痛される陛下のやむにやまれぬ重いメッセージがあるような気がする。

 日本国憲法の制約上、天皇は政治的な発言をする権能を持たれない。したがって琵琶湖における今回のお言葉には政治的意味合いはまったくないものだが、ブルーギルの繁殖を懸念されたご発言のタイミングを考えると、陛下は国民に対して重要なメッセージを送ったように感じている人は案外多いのではないだろうか。47年前にシカゴから持ち帰った外来魚の繁殖を心痛されるお言葉に託して、陛下は現代日本が外国のものの考え方や文化にあまりにも強く浸潤され、本来の日本的な伝統や実質が根本から脅かされていることに強い憂慮の念を重ねておられるのではないだろうか。日本は日米構造摩擦が頻繁に起きていた時代から米国の執拗な内政干渉を受けていたが、その怒号のような外圧はいつの間にか鳴りを潜め、宮澤政権あたりからは『年次改革要望書』という形を取り、静かで陰湿な内政干渉として人々の目に見えない深部に潜り込んでいた。

 一見、日米の協調的対話路線という姿をとった『年次改革要望書』は、アメリカ政府も日本政府もまったく騒がず、毎年淡々と提示されてきた。一見双務的な形を取るこの悪質な内政干渉は、国会で質疑されることもなく、マスメディアに載ることもなく、開かれた首脳会談で一切話題にされることもなかった。そのため、国民は日米間でやり取りされた実質上の片務的内政要望書が孕む深刻な内容を一切吟味する機会を失われ、わずか十数年の間に我が国固有の経済システムは壊滅状態になった。日本は新自由主義経済システムに変わってしまった。特にこの構造変換は小泉政権の五年半で完全に仕上げられたと言ってもいい。問題は国民を苦しめ愚弄したこのペテン的構造の組み替えが、“構造改革”というスローガンで行なわれたことにある。“構造”とは何かという説明をいっさい省いて、ただ執拗に“構造改革”なる言葉を呪文のように繰り返した。つまり、小泉純一郎氏が音頭を取り、竹中平蔵氏が中心となって推し進めた構造改革は、日本特有の経済構造を破壊したのみならず、“国体”の破壊にまで及んだのである。

 小泉政権や安倍政権がもたらしたものは、ネオリベ構造による福祉切捨てや格差社会の現出だけであろうか。実はこの構造改革は日本人の精神文化まで破壊してしまった。ネオリベの思想的究極相は極左急進的無政府主義である。長い伝統文化を持つ日本人が、小泉政権によって強引に社会の形をネオリベ構造に変換したために、日本人は相互互恵や受容の精神を失ない、効率至上主義、金銭至上主義のマティリアリズム(物質主義)に陥っている。米国の傀儡となった政治家や財界人が小泉政権の下で行なったことは、国際金融資本が大手を振って日本の隅々に浸透できる体制作りをしたことである。これに加えて外資参入のための商法改正がなされ、日本の企業は軒並み外資の企業ガバナンスで統一されつつある。今まで日本的な慣習が通じていた企業内環境は激変し、無機的で冷たい効率至上主義、成果主義が幅をもたげ、終身雇用制が崩壊して職場にはゆとりが絶無になった。今までのように会社にロイヤルティを持つことが原動力にならなくなった。搾取しか考えていない外資のために汗水流して働くことの虚しさを持っていい仕事はできない。首にならないためにはどんな手段を使ってでも業績を上げようとする考え方が出てくる。倫理や社会道徳が無視され、あらゆる商空間に偽装がはびこる温床ができあがった。今の日本の危機的な変容は、このように弱肉強食を是とする外国の考え方が侵入したために、日本人本来の良さがほとんど失われかけているという状況にある。まさに“外来種侵入”のために起きた国難である。

 時代がどう移り変わっても、国家の危機、すなわち国難に際して発せられる天皇のお言葉は、国民にとっては特別重要な意味を持つのではないだろうか。天皇陛下が発せられた“外来種”という言葉に、我々国民は特別な意味を汲み取る必要がある。元来日本民族は和合の国民である。外国の文物を取り入れて自国の文化に吸収していく形が古来から日本文化の固有性となっていた。しかし、日本という国は文明的にみて、ヨーロッパにも近隣のアジア圏にも属さない固有の文明形態を持つ国であるから、いかに外来文化の和合を旨としても、適度な度合いというものがある。漢字を見ても一目瞭然だが、中国の文化は積極的に取り入れた過去があるが、むやみに全的に中国文化を移入したわけではない。日本にとって異質なものはけっして取り入れなかった。例えば中国の纏足(てんそく)などの風習は入れなかった。理由は大陸的な残酷なものは民族性に合わないからだ。日本人は日本人の気質や天性的なものに和合しないものは努めて忌避する感性も強く保っていた。ところが戦後、GHQの洗脳(War Guilt Information Program)によって精神の深部まで眠らされた日本は、本来は受け入れてはならない外国の考え方まで取り入れてしまうという愚を犯しはじめた。戦後民主主義と戦後教育は自文化喪失の歩みであった。コーラやポップコーン、ハンバーガーなどが入るのはある程度仕方がないとしても、入ってはならないものがあった。それがグローバリズムとネオリベ構造改革なのである。小泉氏や竹中氏がペテンを働いて国民をだましたとしても、構造改革の実態を見抜けなかった国民にも責任はある。小泉氏は物を考えるのが嫌で何でも他者に丸投げしたと言うが、彼にだまされた国民も、ペテン的構造改革を小泉氏や竹中氏に丸投げしてしまった愚は反省すべきだろう。

  話を外来種侵攻にもどすが、天皇陛下が今、ご心痛されているのは、ネオリベ政策によって国民の気持ちが荒廃し、日本本来の国体・国柄が非日本的なものに変わろうとしていることだと思われる。国体の危機と言えば、当然、皇室の撤廃という事態が考えられる。日本にネオリベを敷いたアメリカ(国際金融資本)の目的は、日本に外資を参入させ、我が国のあらゆる優良資産の奪取を目論んでいるが、もう一つの目的は日本国体の破壊にあることは間違いない。つまり最終目標は皇室の撤廃、皇統の断絶である。今夏の参院選で民意は小泉構造改革を否定した。しかし、小泉政権は否定するだけでは駄目である。あの政権によって何がどのように破壊されたのか、遡行して綿密に検証し、総括する必要がある。そうしないと、日本の建て直しは不可能だろう。さまざまなジャンルの識者が集ってその総括を行なう必要がある。経済の総括に関して言うなら植草一秀氏が最適任だろう。植草さんは最も初期に小泉政権を弾劾した救国のエコノミストである。国民は今こそ植草一秀という稀有の人物の慧眼を評価するべき時だと思う。はっきり言って、小泉政権発足当時からこの政権の反国益性ばかりか、その犯罪性を果敢に指弾した有識者は植草さんただ一人だけだったという事実はきわめて重い。だからこそ彼は国策逮捕に遭遇したのだ。

 さて今、私がなぜ天皇の話を持ち出したのかと言うと、小野寺光一さんのメルマガに看過できないことが書かれていたからだ。

(引用)
つまりユダヤ外国資本は、
現在、不動産が欲しいため
天皇制廃止して皇居を売り飛ばすことを望んでいる。

一方、天皇制というのは、日本の場合、神道と密接に関係する。
つまり天皇制を廃止するとは、全国の神社仏閣も不動産として
ユダヤ外国資本が売り飛ばすことにつながる。

つまり宗教廃止して不動産売買を容易にするということを
目的としている。

最近、ある都市で五重の塔を売りに出していたのは、完全に
そういったキャンペーンが広がっているからです。
(引用終わり)

 外資が皇居や日本各地の御用邸の敷地を狙うことは十分に考えられる。同時に天皇は全国に散在する神社の祭司でもある。外資が皇室を廃止して全国の神社の敷地を狙う算段を持つことも充分にありうることである。神社仏閣の不動産も紛れもなく優良資産である。小泉元首相が女系皇孫肯定論を掲げたことも、外資による神社仏閣不動産の収奪を念頭において行なった可能性は強いかもしれない。外からの攻撃は武力攻撃だけではない。年次改革要望書があり、それを実行した買弁勢力が内部から日本の砦を破壊して収奪者を参入させている。この形は、池波正太郎の“鬼平犯科帳”に出てくる「引き込み女」である。日本にはアメリカに唯々諾々と従って外資に内部から門戸を開ける日本人がいる。アメリカの手ごまたちである。同胞を裏切って外資にお膳立てを整える勢力がいる。これが国難でなくて何だろうか。琵琶湖にご臨席された天皇陛下のお言葉は“金融ブルーギル”の大繁殖を見据えてのことだと思うのは私だけであろうか。

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2007年11月16日 (金)

額賀氏の名前が出されたことへの疑念!

   昨日の守屋氏の証人喚問で二人の政治家の名前が出されたことに関し、山崎行太郎氏が11月16日の“毒蛇山荘日記”で重要な疑念を呈しているので紹介しておこう。

 (毒蛇山荘日記からの引用)しかし、不思議なのは、またしても、名指しされた政治家が、特に額賀のことだが、旧田中派、旧経世会であることである。それに対して、何故、小泉や飯島の名前が出てこないのか。守屋が次官を勤めていた5年間は、ほぼ小泉政権の5年間と重なっているではないか。守屋の政界人脈の中心は久間、額賀ではないだろう。僕は、守屋が、政治家の名前として苦し紛れに、久間、額賀の名前を出した背景には、「司法取引」のようなものが隠されていると考える。本当の黒幕は、久間、額賀ではない。彼らは当て馬にすぎない。つまりスケープ・ゴートにすぎない。久間、額賀をスケープゴートにして、生き延びようと画策している本当のワルは誰か? 民主党よ、そこまで切り込んでいけ。「久間、額賀逮捕」での幕引きを許してはならない。

 なるほど、指摘されて私も納得したが、額賀氏は旧田中派・旧経世会の流れにある政治家である。私自身は額賀福志郎氏が財務大臣に起用された時点で非常に違和感が強かった。はっきり言って、福田総理大臣は米国傀儡政権を踏襲するために選ばれた人物である。つまり小泉構造改革(新自由主義路線)継承のための総理大臣だ。したがって福田氏が小泉政権では絶対に選ばない財務大臣に額賀氏を起用したことは、あきらかに国民に対するブラフの意図が存在する。夏期の参院選で自民党が大敗したのは、福祉切捨てや格差社会を到来させた小泉自民党路線に国民がはっきりと拒否の意志を示した。これを受けて従来のネオリベ構造改革路線をそのまま継続することに難を感じた自民党は、深刻なディレンマに囚われてしまった。それは、アメリカは宗主国として自民党の買弁勢力にネオリベ路線の一層の継続を要求しているが、国民の大多数がその路線の反国益性に気が付き始めていて、表面的には小泉路線や安倍路線と同様のスタイルを取ることができなくなっているという現実がある。

 そこで買弁自民党が何を考えたのかと言えば、国民の疑念を逸らすために、第一次組閣から小泉構造改革路線色を薄めることにあった。そのために財務省に額賀福志郎氏を、選挙対策委員長に古賀誠氏などを起用して見掛け上、小泉路線色を薄めたのである。これは来るべき衆院選への布石であろう。しかし、福田自民党の従米路線はほとんど小泉政権の性格と変わらないはずであるから、本来は財務官僚の中枢も、自民党全体も額賀氏の現ポストを歓迎していないのは明白だ。つまり、額賀氏の財務大臣というポストは国民を欺く見掛け上の措置と考えた方がいい。彼ら買弁勢力は、遠からず額賀氏を失脚させる予定でいたのではないだろうか。山崎行太郎氏が指摘したように、額賀氏が旧田中派、旧経世会派であるという事実は重い。なぜなら、彼は大きな政治路線から言えば、鈴木宗男氏などと同様にケインズ派であり、本音は積極財政推進論者だと思うからだ。考えてもわかるが、反ケインズ路線を日本に強要する米国の傀儡政権が、ケインズ路線を志向する人物を財務大臣に起用するわけがない。ところが敢えてそれを行なった背景には、国民のガス抜きの意味があったということだ。

 そこで、山崎氏の推測どおり、守屋氏の証言で額賀氏の名前が出たことは、買弁勢力と守屋氏の間で何らかの取引があった可能性を思わせる。私としては額賀氏は嵌められた公算が強いと感じているが、今の日本に重要なことは、傾斜配分を是正し、積極財政を打って出る政策を遂行する人物が活躍することが望ましいのだ。したがって額賀氏はこの事態につぶれないで果敢に立ち向かって危地を切り抜け、頑張って欲しいと思う。

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2007年11月12日 (月)

小野盛司著『日本はここまで貧乏になった』書評!

Photo_2   今年の9月、『日本経済復活の会』の会長さんでもある小野盛司氏が、現状日本におけるのっぴきならない経済の実情を訴えるきわめて重要な本を出版した。その書名は『日本はここまで貧乏になった』(ナビ出版)である。2001年に小泉政権による急進的な構造改革が推進され、紆余曲折はあったが、日本の景気は一応は回復したことにされている。しかし、庶民側の生活感覚から言えば、景気が上向いたという実感はまったくない。我が国は異様なデフレ固定の状況が長く続いて、2007年の今年になってもいまだに“デフレ脱却宣言”が出ていない。

 小野氏によれば、我が国において、(※)GDPデフレーターがマイナスという意味のデフレは1994年から始まっている。その後、わずかに1997年を除外してデフレーターは継続してマイナスを維持している。先進国中、これほど長期間デフレが続いている国は日本だけである。このデフレ固定(?)のおかげで日本はどんどん貧乏になってきている。

 ( ※GDPとは、国内総生産の略で、国内で生産された商品やサービスの総額を表し、国内の経済状態を測る指標となる。GDPには、単純に市場価格だけで考えた名目GDPと、物価変動を考慮した実質GDPがある。またGDPデフレーターとは、商品やサービスの価格変動を示す指標。物価が上昇するとプラスになり、下落するとマイナスになる。消費者物価指数が個人消費者が購入するものに視点を置くのに対し、GDPデフレーターとは、設備投資など、経済全体のダイナミックな動きを示すため、物価の変動をより正確に把握することができる指標。財貨やサービスの値段は、需給バランスによって決定付けられる。たとえば給料が2倍に上がっても(名目GDPが増えても)、物価が2倍になってしまえば、実際は経済が活発になったとはいえない(実質GDPが上がったとは言えない)。
      
    GDPデフレーター=名目GDP/実質GDP

 物価の変動による影響分を取り除いた実質GDPを使って経済の活況を知ることが重で、その名目GDPと実質GDPの差額を調整する指標がデフレーター。 )

 一人当たりの名目GDPは1993年と1994年は世界第一であったが、昨年2006年は世界第18番目まで低落した。小野氏によればこれは1971年の水準だそうだ。22年もかけて日本は豊かな国へ邁進してきたのが、特に小泉政権に至って、我が国は先進国中、最も貧乏な国へと加速的に転落しつつある。植草さんも、小泉政権が2001年から2003年にかけて急速に景気悪化させた原因を超緊縮財政政策というマクロ政策の過ちのせいだと指摘し続け、また政府がりそな銀行への公的資金を注入した後の株価猛反発を、小泉元総理が“構造改革の成果”だとうそぶいたことの非も指摘した。小泉政権はさまざまな点でいかがわしさが目立ち、それまでは存在しなかったタイプの深刻な格差社会を現出し、老人福祉の切捨てや実質増税路線を無慈悲に遂行して国民生活を逼迫させた元凶となっている。

 著者の小野氏は、小泉内閣が国の借金も借金のGDP比も大幅に増加したことを指摘し、もしも小泉内閣が緊縮財政路線ではなく積極財政路線をとっていたなら、どういう結果になっていたかを、日経新聞社の日本経済モデルを使ってシュミレーションを行なったことを書いている。それによると5年後には、緊縮財政よりも積極財政のほうがGDPが約四割増しで、国の債務は二割以上小さくなるという結果が出た。内閣府で行なわれた試算でも同じ結果が出ている。当時、この結果を衆議院議員の小泉俊明氏が竹中平蔵財務大臣に示したら、答えは「勉強しておきます」だったそうだ。

 本書ではこのシュミレーション結果を、衆議院議員の滝実氏が“質問主意書”で国会で質問した答弁の様子が書かれている。政府は積極財政のほうが財政が健全化することを認めておきながら、滝氏の質問に対しての答弁は“誤差が大きいから従わなくてもよい”ということだった。誤差を問題にするなら試算そのものを出すなよということである。

 第一章  貧乏になった日本、今後どうすべきか

 世界のGDPに占める日本の比率は1999年の17%から2005年には10.3%まで落ちた。ここに世界のGDPに日本が占める割合を示したグラフがあるが、ほとんど急激な右肩下がりである。不思議なことは、世界経済がここ30年間で最も良くなっている時に、日本だけがこういう凋落のカーブを描いていることについて政府もマスコミも何も言わないということだ。もうひとつのグラフは2007年2008年の名目GDP予測が、OECD加盟30ヶ国中、日本が最低の水準になっていることを図示している。下記のグラフは一人当たりの名目GDPの国際順位である。右側の急峻な崖のような斜面が小泉政権時代である。まさに奈落へ向かって一直線に滑り落ちている。

Photo_3

 1994年は世界一豊かな国であったが、継続的な経済政策の失敗で、2006年には18位まで順位を下げた。国民がどんどん貧乏になっていることがはっきりとわかるグラフである。ただし、小渕内閣の時だけは一時的に積極財政を行なった成果が現われて世界第二位まで行ったが、すぐに積極財政への逆噴射をかけて経済は墜落した。森政権と小泉政権の失敗で日本経済は1971年の水準まで凋落した。大手マスコミの報道姿勢が世論を誘導していると思われる節(ふし)があるから、小渕さんが評価されなかったのは、何らかの恣意的な画策が働いていた可能性がある。逆にマスコミは小泉構造改革を、まるで救世的な政策であるかのように大々的にかつ肯定的に報道しまくった。まるで日本だけが“積極財政策”を取るのを嫌っている大きな力が働いているのではないかという疑念が生じてくる。

 安倍氏の積極財政に対する考え方は、まるで小泉構造改革が逆戻りしてはならない素晴らしい景気回復であるかのような言い方をした。改革を止めたら時代が逆行してしまうかのような言い方である。これは新自由主義特有の単線的な進歩史観モデルに沿っているのである。こういう言い方は小泉元首相が最も顕著で、竹中平蔵氏なども、この欺瞞の進歩史観を構造改革推進の常套句として使った。すなわち“改革か後戻りか”の二者択一であり、改革に批判的な者はすべて“抵抗勢力”と決め付けた。積極財政こそ取るべき第三の道だった。経済をよくわかっている人たちや、外国、例えばニュージーランドや南米諸国の事例をよく見ていた人たちには、新自由主義経済の適用が結果において、ことごとく無残な失敗に帰していることをよく承知していたはずだ。ところがマスコミはそういう本物の知識人たちの言葉をテレビや新聞で紹介しなかった。それどころか、小泉構造改革の本質が新自由主義(ネオリベ)であるということさえ伏せて、頭ごなしに賞賛していた節があるのだ。

 歴史に学ぶデフレ脱却法

  デフレ脱却法は良く知られていて、政府が日銀と協力しながら適切な規模の財政出動をすること。その事例として、小野氏は大恐慌時の大蔵大臣・高橋是清と日銀総裁・深井英五の協力体制を築き、国債の日銀引き受けという形で財政と金融両面から景気を刺激した話を掲げている。

 特に小泉政権が顕著だったが、最初からデフレ脱却は不可能という姿勢があったようだ。新聞(特に日本経済新聞)は、積極財政論的な予測を行なったとしても、けっしてそれを発表することはない。このように積極財政を頭ごなし否定する根拠として、“いったい財源はどこから出てくるのか?”という設問が必ず出される。財源は国債の増発と仮定して金利を低めに誘導する必要があると持っていく。そのように多くの国債を発行してもいいのかという問題提起だが、結果としてGDPが増え、景気が良くなって税収は増える。国の借金のGDP比は減る。これを示す図も必見である。小野氏が積極財政による再生というこれらの試算を発表しようとしたら、日経新聞が公表するなと言ってきたらしい。このあたりのことは本書を読んでもらいたい。要はこの日本には“積極財政”を忌避しようとする何らかの勢力が目を光らせているということなんだろうか。こういう経過はあまりにも異常である。

 日本は過去に“資産デフレ”で千数百兆円という膨大な資産価値が失われている。しかし、政府は40兆円足らずしか景気対策を行なわなかった。積極財政はある程度持続的に行なう必要があるが、これまではそれをやったとしてもすぐにブレーキをかけたために効果が出る前に景気が活性化しなかった。適切な規模で適当な時間を持続させる必要がある。しかし、小渕政権の例を見れば、積極財政はやれば必ずそれなりの効果が出ることが証明されている。1999年以降、国民の可処分所得は減り続け、貯蓄を切り崩して生活しているという悲惨な状況に立ち至ってきた。小泉政権ではメディアの画策がかなり大きいが、結果として国民は自分たちを痛めつける政権と政策を受容してしまった。小野氏はこのまま可処分所得が減少し続けたらどうなるかについては、あまりにも恐ろしい想像が襲ってきて計算を放棄したらしい。しかし、可処分所得が今後変化しなかった場合と、毎年2.5%ずづ増加した場合は数年後には直線的に増え始めることを確認している。

 デフレ下では賃金はさがり、リストラは促進される。こういう状況で消費が伸びるわけはない。一刻も早くデフレを解消しないと日本は貧乏になる一方である。

 国債の大量発行で国債の格付けが下がり、国債が暴落するという嘘

 この箇所には著者の面白い記述が書かれている。国債の増発で国債の信用低下が起こり、財政が破綻すると主張して国民の恐怖感を煽っているエコノミストに対して、著者が怒りとともに痛烈な批判をしている。それは本書で読んで欲しい。こういうエコノミストも国民の貧乏に積極加担しているということだ。もしも、十年以上も前に「国債を増発すれば国債が暴落する」ということが大間違いであることに気が付いていたなら、適切な規模の国債を適切な時期に発行し、日本経済の没落を未然に防げたと著者は語っている。

 景気が良くなって金利が上がることを、あらゆる手段を講じて阻止しようとしているのが財務省である。金利が上がれば膨大な国債の利払いが増え、財政が破綻する。だから景気が良くなっては困るという論理である。小泉元首相も安倍前首相も財務省の言いなりだった。(ただ、管理人が思うに、安倍前首相の場合は辞任寸前に財務省に反旗を翻したためか、大臣の金銭スキャンダルが軒並みに続いていたのかもしれない)

 日銀にもっと国債を保有させれば日本の貧乏は食い止められる。これを阻んでいるのが日銀の“自主規制”である。日銀の不文律として、“長期国債の保有は日銀券発行残高まで”という自主規制がある。神州の泉・管理人も知らないし、これをマスコミが言った事はないのだろう。これについては滝議員が安倍首相に質問し、答えを得ているので本書を読んでもらいたい。政府はこの質問に逃げ腰である。日銀がこういう自主規制を持つことで長期国債の保有が厳しく制限され、その結果として日本は財政悪化に陥り貧乏国家になっている。

 その他、日本の公共投資は悪者扱いされて久しいが、我が国は国土の特異性や自然環境の風災害が多いことなどから、防災的治山治水や道路整備などは不可欠な投資環境にある。ここで、一つの有効な試みとして九州大学名誉教授の“洋上風力発電構想”が提言されている。この装置を日本の各海岸沿いに設置すれば、原子力発電の半分のコストで、二酸化炭素を排出しないクリーンな電気が発電できることがあげられている。効率のいい風力発電であるから、政府が決断すれば実行可能である。

  第二章および第三章は質問主意書を使った安倍前総理との質疑応答の解説である。これを読むと、積極財政に対する政府の異常な忌避姿勢が浮かび上がってくる。

 以上、小野盛司氏の『日本はここまで貧乏になった』の概要を紹介したが、日本がなぜここまで貧乏になったかをこの本は、見やすいグラフとわかりやすい説明できわめて端的に説明している画期的な本である。なぜ、実力のある日本経済がここまで閉塞的な状況に置かれているかを考察する非常に有力な一助になることは間違いない。今は、有象無象のエコノミストモドキが書いた本が数多く出ているが、本書はエコノミストの植草一秀さんや、内橋克人氏の本と同様に、真摯に国民の立場に立った数少ない良書の一つである。皆さんも是非ご覧になって欲しいと思う。

                     神州の泉・管理人

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2007年11月 9日 (金)

小沢党首に働く米国の報復意志

 植草一秀さんのスリーネーションリサーチ(株)、11月7日付けコラムで、植草さんが小沢一郎氏の今回の動きの背景について、米国の圧力が介在していることを指摘しておられた。植草さんは言う。小沢氏の動きは、表面的には「連立政権樹立構想」及び「テロ特措法」に前向きの姿勢を示したことが、今回騒動の引き金になったととらえられてるが、実際の米国の思惑は、インド洋上における自衛隊の給油活動の継続であり、小沢氏がこれに反旗を翻したことに対する徹底的な報復が始まったという見解である。

 植草さんも基本的には前記事で書いた私の見方と共通している。結果的には慰留を受け入れた小沢氏は、今回の件でぶれた行動を取ったことに恥を感じているという言い方をした。私は小沢氏には詳しくないが、少なくとも、今回の慰留受け入れは、故田中角栄の申し子として育てられた時代から見て、彼の行動様態にはあり得ない“ブレ”であった。らんきーブログさんはここに人間小沢一郎を見たと評価していたが、私もこの終息形態に小沢氏の度量と胆力の大きさを見る。小沢氏がデヴィッド・ロックフェラー氏の甥であるジェイ・ロックフェラー氏と懇意であるという情報を加味しても、テロ特措法延長の件に関して、小沢氏は米駐日大使のJ・トーマス・シーファー氏に、公然と延長反対の意見を示したのは記憶に新しい。参院選で従米型の自民党政策が否定され、民意が小沢民主党に注がれてきた矢先、小沢党首が米国の対日意志に真っ向から反対意見を唱えたという事実を、米国権力筋は許せないのである。つまり、自衛隊による給油が一時的にできなくなっても、他国が代行できるから、テロ特措法延長や給油新法不成立が直接米国の悪影響になることはないが、米国が問題としていることは、属国日本が小沢氏の口を通じて宗主国の米国に楯突いたということを問題視しているということだ。

 そういう意味では植草さんが、米国の傀儡政策をとった小泉売国構造改革推進急進派に狙われて国策捜査のターゲットにされたことと、同様の“憎悪”が小沢氏に向けられたということはほぼ間違いのないことだろう。これに読売のナベツネ会長や経団連の御手洗富士夫会長、前清和会の森喜朗氏らが動いた。彼らはネオリベ構造改革固定派の急先鋒たち、すなわち米国の忠実な奴隷たちだ。しかし、考えてみると今の民主党党首が小沢氏以外の人物であったなら、こういう終息に持っていけずに、米国の望むとおりに民主党の大崩壊に直結した可能性は高い。それを考えると小沢氏の胆力・度量の大きさにかろうじて我が国は救われたという形になっているのかもしれない。

 しかし、私は何度も言うが、米国(米系国際金融資本)の意志は、郵政民営化見直し法案成立の気運をつぶす目的があったと見ている。この騒動がなかったら、今は国民新党の綿貫党首と民主党の小沢党首が当該法案の件で党首会談をしている時期だった。

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2007年11月 8日 (木)

大連立構想よりも自公政権の打倒が先

(以下は産経ニュースより抜粋)

○小沢氏は記者会見で「2カ月前後前にさる人に呼ばれ、食事をともにしながら話を聞いた。
○小沢氏は「さる人」の実名を伏せたが、「小沢氏に最初に連立を持ちかけたのは渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長」(自民党幹部)とされている
○複数の政府・与党関係者によれば、首相の代理人は森喜朗元首相とみられている。

 やっぱり、今回の大連立政権騒動の着火元は読売新聞のナベツネ会長と、小泉構造改革を陰で牽引した旧清和会(現清和政策研究会)の森喜朗氏であった。国民から見て、今回の二大政党党首による会談の意味することがよくわからないなどと言ってみても、ナベツネ会長と森氏という二人の妖怪が起爆装置になっていたと見れば、詳細は見えなくとも、ことの本質はきわめてはっきりしていると思う。それはぜったいに国民のためにはならないということだ。私個人は政党の党首同志が密室で膝を突き合わせ、腹蔵なく肝要な政策を話し合うこと自体は特段問題はないと考える。古来から敵将同志が一時的な談判を行い、それが和睦に結びついたり、決定的な対立に向かったりすることはよくあったと思う。党首の権限とはそれだけ絶大であり、その行動が独断専行として非難される筋合いはない。

 しかし、今回の膝詰め談判で、大連立構想を出したのは読売の渡辺恒雄会長であり、彼が“お国のために”ということでもちかけたらしい。9月の総裁選の時、読売新聞が麻生氏不利の露骨な偏向報道を行なって、福田氏を誘導的に当選に導いたことは記憶に新しい。私が弊ブログで指摘したが、読売が麻生氏当選に熾烈な危惧を持ち、誘導操作的な報道によって福田氏を当選させたことにははっきりとした理由があった。それは麻生氏が郵政民営化において、郵政公社の分社化にはっきりと反対の意志を持っていたからだ。麻生氏の考えは、郵政は単一会社のままに保持し、段階的(慎重に)に分社化して行くという方針であったが、年次改革要望書の強力な実践者であった竹中平蔵氏は初期からこれに猛反対していた。二年目のその構図は、竹中氏が去った後も、そのまま今回の総裁選に持ち越されてしまった。もしも麻生氏が総理総裁になったら、米国金融筋は、彼らの本懐である郵政資金の掠奪が遅れることになる。それを嫌った米国政府(金融)筋が圧力をかけて読売を動かし、反麻生氏のキャンペーンを張ったということである。

 つまり読売は日経と同じように、現段階では朝日新聞以上に売国奴の高いメディアということになる。これを統括するナベツネ会長が今回の二大党首会談のきっかけをつくり、その仲立ちを、「旧清和会」を引率し、小泉売国構造改革を陰でバックアップした森喜朗氏が行なった。大連立構想などというものの本音は明らかに、米国主導型の小泉構造改革の継承を目的とする動きに決まっているのだ。しかも、その本丸であった郵政資金の完全獲得はこれからである。彼らにとって、その大事な時期に“郵政民営化見直し法案”の動きが出ることはぜったいにまずいのだ。国民新党から出されたこの見直し案については、下記のニュースにあるごとく、綿貫民輔氏と小沢一郎氏は近いうち(つまり今のこと)に党首会談を開く予定があった。

 私は今回の連立大騒動劇も、郵政民営化見直し法案を潰す目的だと考えている。国際金融資本は国民の目から、郵政民営化について考え直すことをいっさい忌避しているのだ。なぜなら、民意は参院選で小泉構造改革を完全に否定したからだ。構造改革そのものが、国民を痛めつけるいかがわしいものだということになれば、当然ながら、その構造改革の本丸である郵政民営化が、実は非常に反国益的な性格を持つ法案だったことが国民に知れ渡る可能性は強くなる。彼らにとっては、今がその危険ゾーンに入っているのだ。メディアの論調を見ても、テロ特措法や「給油新法」だけに傾斜していることがよくわかるだろう。これは郵政見直し法案から人々の関心を遠ざけるためである。

 民主党は、大山鳴動してネズミ一匹というよりも、雨降って地固まるということで結束し、卑屈さを丸出しにして米国に尻尾を振りながら郵政民営化に走った自民党の打倒に専念すべきである。国会を「給油新法」の論戦に使うために会期延長するということであれば、そんなものはあとにして、郵政民営化見直し法案を国会論戦の主題にして欲しい。櫻井充議員などに大いに期待する。

 ちょうど今、筑紫哲也氏のニュース番組で、大連立構想が頓挫したことについて、小泉前首相からの“たいへん残念だった”という談話が語られた。この一事をもってしても、今回の騒動の背景に米系国際金融資本の力が働いたことは確実である。

  (NIKKEI NETから)
(10/17)郵政民営化、「株式売却を当面凍結」・民主党が見直し法案を了承
 民主党は17日、国民新党が共同提出を求めていた郵政民営化見直し法案を了承した。今国会に提出する。政府が保有する持ち株会社日本郵政の株式や、日本郵政が持つゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の株式の売却を当面凍結することが柱。郵政3事業の一体的な経営を維持する狙いだ。民営化見直しを検討する規定も盛り込んだ。

 国民新党は同日の両院議員総会で、参院で民主党と統一会派を結成することを決めた。両党は近く党首会談を開き、正式合意する。

 

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2007年11月 7日 (水)

今はポチ自民党を叩きつぶすこと!!

 前記事の補足になるが、二党首会談後の小沢一郎氏の不自然な動きは、結果的には民主党の結束力の脆弱性を露呈した形となって党のイメージをそうとう傷つけていることは否めない。小沢氏の人となりを古くから知る石井一議員が小沢氏に、“この間の参院選で民意は安倍さんではなく、あなたを選んだんですよ、その重みを自覚しているんですか?”と問いかけたら、小沢氏は強く反応したと言っていた。一般レベルで考えれば確かにこの通りである。小沢氏個人の人格や政治手法はともかく、今の政局バランスにおいては、民意が民主党に注がれていることは間違いないし、その機運を大事にして、民主党はこの機会に売国自民党を壊滅させる重大な責任がある。

 戦後、良くも悪くも(悪いことのほうが多かったが)自民党一党独裁体制で対米隷従的な政権を踏襲していた我が国も、小泉政権という稀代のペテン的政権の破壊行為によって国家が徹底的に毀損されてしまった。羊の群れのように従順な日本国民もようやく、自民党政権がこのまま続くと、国民利益を毀損する方向性しか持たないことに気が付き始めた。日本全土が格差の弊害に怯え、デフレ構造の固定化はますます一般庶民の生活を苦しめている。特に地方の疲弊は凄まじく、小泉構造改革路路線に対する怨嗟の声は熾烈さを極めている。国民に我慢を強いて、やがては良くなるとうそぶいた結果が凄まじい格差社会(傾斜配分社会)を現出し、国民生活を徹底的に苦しめている。

 歴代の自民党政権は、基本は対米隷属構造を踏襲していたが、それなりに面従腹背の気概もあり、国民利益をかろうじて守っていた面もあった。しかし、中曽根政権がレーガノミクス(あるいはサッチャリズム)を無批判に招き入れてから、我が国は新自由主義的な路線を受け入れるベクトルを有して行った。宮澤・クリントン時代には『年次改革要望書』を受け入れてしまい、その陰湿な従米路線の帰結として、小泉政権が完全に米国の傀儡政権と化した。この間には小渕政権が唯一積極財政の試みを行なって日本経済を復活させたかに見えたが、反積極財政派のブレーキによって、我が国は再びデフレの地獄に突入した。これらを冷静に眺めると、我が国の経済状態は単に国の指導者がブレーンを使って計画推進する政策以外の大きな外力が働いていることが見えてくる。この外圧を単純にアメリカと言い切っていいのかどうかは疑問が残るが、少なくともその主体が“国際金融資本”にあることは間違いない。

 経済力と軍事力は“国力”の両輪である。この両輪が、外圧によってまともに稼動できない国家をはたして国家と呼べるものだろうか。経済と軍事力は関係ないと考えている国民が大勢いるようだが、クラウゼビッツの『戦争論』などを読んでも、それが根本から間違いであることがわかる。我が国経済の現状は、江戸末期の日米修好通商条約の構造とまったく同じ不均衡状態にある。それはいくら経済力をあげて頑張ろうとはかっても、アメリカの外交圧力に睥睨され、国益に沿う経済政策を断行できないような状況に置かれてしまっているからだ。日本は戦争に負けて充分に敗戦国の惨めさを味わってきた。しかし、歴史は縷々進展している。いつまでも米国を宗主国対象に見るべきではない。自衛隊は充分な装備を持っているから、国土防衛はその気になれば可能だ。問題は米軍の進駐を当然のように許容している日本の惨めな負け犬根性にある。日本の国土は日本人が守るという当たり前の形にすることが大事なのだ。ところが我々は戦争贖罪史観があるので、日本が軍隊を持つことには忌避感情を抱いている。これだからアメリカが宗主国面をするのだ。このいびつな自虐を克服しないといつまでたっても日本はアメリカの財布になり、シナ(中国)の防波堤に使役されることになる。つまり、私はナショナリズムでこいういう見解を言うのではなく、一国の体裁を保てるごく当たり前の国になればいいという普通の視点で考えている。他国に国家防衛を任せる国など、未来永劫にわたって自立は無理である。しかも、軍事力を肩代わりさせている国が侵略や収奪を国是としている国だった場合、最悪ではないか。日本は古代国家“カルタゴ”が、いつかたどった道をたどっているような気がしてならない。

 日本は国際的に普通の国になることを志向しないと、経済力も国力も充実するなどという事は絶対にあり得ない。日本の真の問題は国家意識が崩壊に瀕していることと、共同体的結束がすべて悪として否定されていることにある。日本人が小泉政権や新自由主義の跋扈を許容してしまったことの真の理由には、日本人の自己同一性の崩壊がある。したがって、ただ単に今の深刻な問題を構造問題だけで捉えるべきでもない。

 さて、自民党と小沢民主党の話に戻るが、参院選で自民党が大敗北したことは、民意が民主党を選んだわけではなく、小泉的な自民党を国民総意が否定したのである。民主党はこの空気を読んで、自らが信任されたわけではないという謙虚さを持ち、小沢党首を中心に一気に自民党を叩きつぶす局面に入っている。今、売国自民党をつぶしておかないとこの国の再生はおそらく無理ではないだろうか。民主党が今やるべきことは徹底して自民党の息の根を止めることである。この作業を終えた暁に、志の高い政治家が集い、好きなように合従連衡を行い、国政の建て直しをはかればいいと思う。しかし、国内問題とは別に、米国や国際金融資本とどう対峙していけばいいかという最も重要な問題は厳然と存在するわけであるから、国家の舵取りを任せる大人物の登場に期待せざるを得ない。歴史が日本の消滅を望んでいないなら、かならずそういう人物が現われると思う。ある意味、今は明治維新の動乱期よりも大変な時代である。

 さて、テロ特措法を如何にするか、国際貢献を如何にするかなどということは重大な局面にある今の日本では瑣末なことだ。そんなことはあとでいいのだ。喫緊に優先すべき大問題は、郵政株式会社、郵貯、簡保の膨大な株式の売買を即時凍結することにある。この動きを牽制するために小沢民主党に今大きな力が働いている。こんな頼りない寄り合い所帯の民主党でも、今の動き如何に国家の命運がかかっている。この事実を冷静に見て、民主党も国民も“郵政民営化見直し法案”を早急に成立させ、国民の共有財産の防衛を行なうべきだ。

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2007年11月 6日 (火)

小沢氏の動きの裏に外資による“郵政民営化見直し法案”つぶしの意図が!!

 ここのところ、民主党党首である小沢一郎氏の動きが不可解で悶々としていた。いや悶々としていたわけではないが、ある種の危機感に襲われていたと言った方がいいかもしれない。福田氏と小沢氏の両二大党首が膝を突き合わせて何を語り合ったのか、実際のところはわからない。見えてきたところは、二党の大連立構想があったという話がどちらからともなく起き、結果的にそれは民主党にとって寝耳に水の話であり、党首辞任の話になった。 しかし、民主党の総意は小沢氏に党首辞任を思い留まらせたいということである。

 この二大党首談話の結末はまだついていないが、小泉構造改革を旗印とした自民党の横暴に嫌気がさしている人々にとっては、小沢氏の今回の行動や辞任表明はまさに仰天なことだった。夏の参院選でせっかく小泉構造改革に“ノー”を突きつけた国民的総意が、民主党支持に傾いてきていた矢先、小沢氏のこのような行動形態はこの趨勢に水を差すことになると誰でも思ったことだろう。民主党という党は、政治信条や思想構造から見れば、保守と左翼の寄り集まり所帯であり、求心力を有するはずの思想上の屋台骨は大きく二層構造になっていて繋ぎとめられていない。したがって民主党とはごく小さな地震でも、党全体は大きく揺らいで崩れそうになる構造を持っている。こういう頼りない党にあって、重厚な田中型政治を踏襲する小沢氏の求心力は相当に大きい。それだけに小沢氏の一挙手一投足は党の命運を左右するわけであるが、逆に言えば、自民党が恐れているのは烏合の衆の民主党というよりも、それを束ねる小沢一郎氏なのである。その小沢氏が外側から見ていて奇妙奇天烈な行動を取った。

 大連立構想というのが、小沢氏から出たのか、あるいは福田氏から出たのかはともかく、国民の素直な思いはそういうものではない。政策の確実な実現こそが国益に適うと言っても、小泉路線を継承する自民党と数合わせの論理で妥協した政策など、国益・国民益に沿うはずもない。今重要なことは小泉構造改革路線の否定とともに、傷ついた日本の修復ではないのか。このような時に国益を売り渡すやからが大勢集まっている自民党と大連立構想を持ったり、合従連衡を行なったりする動きはけっして国民が望むものとは一致しない。したがって今回の小沢党首の動きは客観的に観てそうとうに不可解なものだ。

ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報』さんを見ると、あの金融界の超大物デヴィッド・ロックフェラー氏が来日中だそうである。彼が自著のサイン会だけのために来日するはずがない。当該ブログの管理人さんが推測しているように、小沢氏の不可解な動きと、このロックフェラー氏の来日は無関係ではないはずだ。おそらく小沢氏でも抗しきれない大きな力が働いたのだろう。私は以前、ある人から小沢一郎氏はデヴィッド・ロックフェラー氏の孫であるジェイ・ロックフェラー氏と親しいと聞いたことがある。爺さんと孫が同じ考え方を持っているとは限らないが、同じ国際金融資本の元締めであることは変わりがない。こういう大物が日本を訪れる理由は、政界財界に対して何らかのテコ入れをしに来たと考えて間違いないだろう。国際金融資本・総本山の大王が来日した目的とは、もしかしたら郵政民営化にあるのではないだろうか。

 もちろん私の憶測だが、デヴィッド・ロックフェラー氏は、国民新党が提案して、民主党に持ち込み、統一会派を結成して“郵政民営化見直し法案”を参院に共同提出したことを怒り狂っている可能性がある。この法案が可決して運用されれば、郵便、郵便貯金、簡易保険の郵政3事業の結束的一体経営が行なわれ、持ち株会社の日本郵政などの株式売買を凍結されてしまうからである。これが彼ら国際金融資本には許しがたいできごとなのである。民主・国民新党の統一会派は、参院選後に小沢一郎氏が国民新党の綿貫代表に打診したものである。したがってこの統一会派の行動の鍵を握る人物が、勢力分布から言って小沢氏になることはほぼ間違いない。だからこそ今、デヴィッド・ロックフェラー氏は来日し、読売を使って小沢氏を叩き、民主党の屋台骨を壊そうとしているのではないのか。つまり、小沢氏の辞任騒動の裏には、国際金融資本による郵政民営化見直し法案つぶしの意図を感じるのである。

(※訂正 : デヴィッド・ロックフェラー氏はジェイ・ロックフェラー氏の叔父。爺さんと孫と言うのは管理人の思い違い!!)

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2007年11月 4日 (日)

『夕焼けの詩』&『ALWAYS三丁目の夕日』

 先週の金曜日、テレビで映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を途中から観て、いつの間にか自分の昭和30年代に遡行し、思わず涙が出ていた。当時のセピア色の思い出に浸った私は、さっそく翌日公開された『続・ALWAYS 三丁目の夕日』を観に行ってきた。まだ観ていない人のために続編のストーリーを語ることはあえてしないが、やっぱり涙腺が緩んでしまい、私の想いはあのなつかしい幸福な時代へ飛んでいた。観終わってからすぐに席を立つことができなかった。恥ずかしくて他人に顔を見られるのが嫌だったからだ。

 一作目、続編とも、この映画はかけねなくいい作品だと思う。この作品はビックコミックオリジナルという雑誌に、西岸良平(さいがんりょうへい)という人が描いていた『三丁目の夕日 夕焼けの詩(うた)』というのが原作になっている。1974年から連載されたらしい。いつ頃まで続いているのか私はわからないが、いつかゆっくり読んでみたいという思いも特にはなかったので、このコミックについては、つまみ食い的に読んだ以外はほとんど知らない。しかし妙に気持ちに触れてくる漫画であったことは確かだ。私の年代ではどこかのラーメン屋さんや喫茶店で一度は目にしているのではないだろうか。今でこそ、この漫画はほのぼのとしているとか、失われたあのなつかしい頃とかいうフレーズで知られてきているが、昔、私がラーメン屋さんなどでこれを見たときは、正直言って読むたびに複雑な思いにとらわれていた。一つはまったく今の時代にそぐわない懐古趣味で、あの失われた時代をこのように再現していったい何になるのかという気持ちがあった。今はスピードと効率を旨とする“イケイケどんどん”の時代、あのようにのんびり構えていたら時代に取り残されてしまうではないかという感覚が強かった。

 時代の空気というものに、ある種の傾向がまとわり付いているとしたら、その効率至上主義の傾向は現在も変わっていない。いや、むしろそれは年々先鋭化している。現代は情緒を味わう時間を持つこと自体が“悪”なのだ。当時、仕事に追われ、毎日あくせく働いていた時は、いくら頑張ってもまだ遅い、このままでは会社も個人も生存競争に打ち勝てない、もっと効率よくパワフルにやらなきゃならんと、私だけではなく社会全体の趨勢としてそういう空気があったのだ。週末のわずかな時間を、見飽きている同僚と忙しく飲み歩き、仕事と飲み歩きで疲れたまま、ねぐらに帰る。貴重な休みは心身の休養を兼ねて自分の好きなように無為に過ごしたくても、既婚者は家族サービスで出かける羽目になり、独身者は付き合いや会社以外の情報を得るために友人や異性と必死でどこかへ出かけていく。あるいはローンでやっと購入した車を目的もなく乗り回したりする。高度経済成長とバブルの残渣は、日本人を“静けさとゆとり”からすっかり遠ざけ、内面をハツカネズミの回し車のような状態に追いやった。人間の通常様態が“ハツカネズミの回し車”状態なら、本物の休息と慰撫を得るためなら、人間は“回し車”から降りて、周囲の景色をゆっくりと見る必要がある。私が“回し車”と形容したものの正体が何であるか、いまさら言うまでもないが、これが産業革命以来、英米が主体となって回し続けていた産業資本主義を基軸とする文明形態である。この究極的な姿形が新自由主義である。

 話を戻そう。日本人の貧乏性という性癖なのだろうか。余暇にゴルフや温泉地へミニ旅行をする者は多いが、人々は押しなべてゆったりした自己の時間を取り戻せないのである。他者の様子を見ているとわかるが、彼らはせっかくの休養の時間も“ハツカネズミの回し車”みたいな息せき切った心理状況にある。そんな時、私のように根っから右倣(なら)えを嫌う一部の日本人(笑)は、ラーメン屋などで西岸良平氏の“夕焼けの詩”を見て、その世界に垣間見えるテンポのずれた静けさにイライラしながらも、ほっとため息をついていたのではないだろうか。私に関して言うなら、この漫画はいつ読んでも奇妙に心に引っかかるものがあった。それはあたかも、時々見ているが目覚めたら、かすかにしか覚えていない夢のようなものである。その時代にそぐわない妙ちきりんな漫画が、いつの間にか『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画になって人気を博していた。ただし、この映画が、西岸良平氏の“三丁目の夕日 夕焼けの詩”に流れる独特の静けさを踏襲しているのかと言えば、答えは明らかに“ノー”である。だからと言って、映画作品の出来が悪いのかと言えば決してそうではない。これはこれで充分に成功している作品だと思う。特撮を使った昭和30年代街並みの再現シーンは圧巻であり、それをセピア色のフィルターで統一したことは、ノスタルジックな時代再現にはきわめてよくマッチしていると思う。観客の既視感覚(デジャブ)に訴えるなら、初回作品は見事に成功している。第二作はこのセピア色を少し押さえたことが気になった。観客の心象風景を触発するなら、むしろセピア色をもっと強調してもいいくらいだ。

 しかし、映画ならではの動きや色彩感覚が、あの時代色を良くつかんでいると私は思った。映画は動きが中心なので、西岸漫画におけるあの何とも言いがたい独特で静かな雰囲気はないが、漫画と同様に、この映画も、やわらかく切ない哀しみが混じった私の記憶を奇妙にくすぐるのである。マルセル・プルースト作『失われた時を求めて』の有名な場面にある、紅茶に菓子を浸した時、忘れていた幼年期の記憶が鮮やかに甦ってくるような感じであろうか。この映画には明らかに“プルースト効果”がある。何と言えばいいのか、昔の街路灯の淡い光みたいな映画である。漫画の話に戻るが、若いころの私は西岸氏の「夕焼けの詩」に惹かれはしたが、必ずしも好んで読みたいと思うものでもなかった。理由は漫画全体のトーンがあまりにも切な過ぎて、若い私の生き急ぐ時間感覚に合わなかったからだ。それはちょっと耐えられないという感じだった。だから、ラーメンのできあがりを待つ間の無聊(ぶりょう)を埋めるために漫然と読んでいたに過ぎない。しかし、妙に切ない心持ちになりながらも、結局は一話完結のその物語を読みきってため息を漏らす気分になっていた。五十路に至った今は、一丁前の日本人らしく“もののあはれ”を正面きって感じてみたくなっているせいか、却って西岸氏のこの作品に興味が強くなってきている。今の私は、その漫画の全体の雰囲気を素直に鑑賞できる年齢になっているようだ。

 そんなこんなで、どんどん馬齢を重ねていくうちに、この漫画が土台になった『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画ができていた。私は昭和27年生まれだから、この映画の時代設定で行けば、当時の私は6歳、7歳だったことになる。東京タワーができたころだが、秋田県の田舎で育っていた私は、その後に到来する高度成長期をシンボライズしたその東京名物の電波塔については名前だけしか知らなかった。当時は東京そのものが憧れの都(みやこ)だったから、東京タワーと東京は幼い私にとっては同義語だった。この映画の舞台としてイメージされている場所は、港区西久保巴町(現虎ノ門三丁目)辺りをモデルにしているようだと他のブログに書かれていたが、当時の街並みは、東京でも、地方都市でも、田舎町でもさほど大差なかったように思う。特に商店街の風景はどこでも似たような感じだった。

昭和33年当時は、六歳という年齢からして、そのころの細部の記憶が残っているわけではないが、時代の雰囲気は当時の遊びを通じて今でも鮮明に覚えている。特にその後の五年くらいの期間である昭和38、9年ごろまでは、私にとって人生の黄金時代とも言える時期であった。よく光り輝く黄金時代という形容がある。たしかに幼年時代の記憶はまぶしい光に溢れていたこともあったが、私の場合は、どちらかと言えば、この『ALWAYS 三丁目の夕日』のように夕焼け色の記憶に彩られている。私の育った郷里が特に夕焼けが美しい場所だったこともある。そんなことを言うなら日本中あらゆる場所がそうなのだろうと思うが。(笑)

 野球、魚とり、飛行機飛ばし、近くの山ですべるスキー、気の合う友達と時間を忘れて遊んでいて、いつしか日が蔭り、遊び足りない気持ちで家路に急ぐ時、目に映えていたのは里山に強く照り映え、やがては淡く暮れ行く残照の風景だった。結局、幼年時代の記憶で自分の中に強く結びついている光景はどういうわけか夕暮れが多い。以上に述べた昭和30年代に関する取り止めのない私の感想はまったく大したことではないし、ブログに書くようなことでもないかもしれない。ただ、今面白いことに私は気付いている。それは非常に単純なメッセージなのだが、昭和30年代にあって、平成の今にないものは何かという問いである。答えは簡単である。それは人間本来に与えられている内面の豊饒性を味わう時間と希望である。これが見出せない日本人は不幸である。今の日本人は昭和30年代の日本人に比べて圧倒的に不幸なのだ。昭和30年代は日本人が戦争のショック状態からようやく立ち上がり、前を向いた時期であった。物資は貧しかったが、未来への希望に満ち溢れていた。しかも、みんなには助け合い精神が強く残存していた。だからこそ、時代が健康に光輝いていた。ニヒリズムが蔓延する前の時代は子供たちが活き活きとしていた。アメリカ型の欲望資本主義、つまり大量生産・大量消費は民族の優しさを摩滅し、その豊かな情緒性をすっかり奪い去った。

 時代が健康か否かの判断基準は、子供たちが未来に希望をどれだけ強く持っているかどうかでわかると思う。そういう観点から言えば、今の時代は敗戦直後の日本よりもひどい時代なのだ。子供たちに生きる希望がない。これ以上、民族の衰退を象徴することはない。為政者の最も重要な仕事とは、国民の付託に応えて、夢多き国家のグランドデザインを描いてやることだ。人間が希望を持てる状態とは、未来を強く想像し、そこへ向かって歩めるんだという確信を持てることだと思う。これが可能な政治家は国民と国家に強い愛情を持っていることだ。未来へ希望をつなぐことができない時代は歴史の存続が途絶える可能性がある。今の日本がそういう位相に突入している。小泉政権ほど国民への愛情が欠落した政権はなかった。愛情どころかこの政権は、外の強欲者どものために、国民に多大な犠牲を強いただけだった。

 私が『ALWAYS 三丁目の夕日』を観るようにお勧めするのは、けっして復古主義でも懐古主義でもない。昭和30年代にあって、平成の今にないものは何かということを画面から感じ取ってもらいたいからだ。『ALWAYS 三丁目の夕日』に関して、昭和30年当時にブレークした落語家の故林家三平の奥さんである海老香葉子さんが印象深いことを語っていた。

 “あの当時はとにかく楽しかった。朝目覚める度に楽しくて仕方がなかった。電気製品とか品物が一つずつ増えて行った。それも楽しかった”

 海老名香葉子さんのこの話は、この時代の大人たちの共通した感覚だった。大人たちが希望を持てる時代は子供たちが幸福なのだ。貧乏を苦にせず先に進む原動力を持てたのは国民全体に希望があったからだ。私はこの国民的希望が経済力に直結していると信じている。小泉純一郎という稀代のペテン師が国民の希望を根こそぎ奪い去って国家経済を危機的状況に陥れた。こういう状況で、サプライサイド重視のデフレから総需要喚起の政策に切り替えろと言っても、国民には響かない。国民が希望を持てる社会インフラを同時に進めるべきだ。そこに政治家のビジョンがある。外国の強欲者の犬に成り下がって、国家をここまで疲弊させた政治体制とはきっぱりと訣別し、昭和30年代の気配を学び取った方がいい。それは時代を逆行しろということではない。国民が決して捨ててはならない民族の心がどの時代にもあると思うからだ。この映画には懐古趣味を超えたメッセージが確かにある。 

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2007年11月 1日 (木)

読者さん情報!!(郵貯・簡保委託先リスト)

 (読者の「本が好き」さんより)


 神州の泉殿

 先日書き込みさせて頂きましたが、郵貯民営化の委託先の件の詳細が国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジンに出ていますので、転載させて頂きます。 この情報は、ネットで広がっているようで僕も自分のブログにリンクさせて頂きました。 ご参考まで、

<郵政軍需化>
まずいと思ったらしく、ジャパンポストから
あるリストが突然削除された。

<あわてて削除された後の画面>
http://www.japanpost.jp/pressrelease/japanese/kani/040331j401.html
           削除された内容は

1 郵便貯金資金の委託運用
 (1) 投資顧問会社
  【国内株式】
   シュローダー投信投資顧問株式会社
   大和住銀投信投資顧問株式会社
   日興アセットマネジメント株式会社
   三井住友アセットマネジメント株式会社
   メリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ株式会社
   UFJアセットマネジメント株式会社
  【外国株式】
   興銀第一ライフ・アセットマネジメント株式会社
   ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社
                          以上8社(50音順)

2 簡易生命保険資金の委託運用
 (1) 投資顧問会社
  【国内株式】
   ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社
   シュローダー投信投資顧問株式会社
   大和住銀投信投資顧問株式会社
   富士投信投資顧問株式会社
   メリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ株式会社
  【外国株式】
   興銀第一ライフ・アセットマネジメント株式会社
   ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社
   大和住銀投信投資顧問株式会社
   東京海上アセットマネジメント投信株式会社
   メリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ株式会社
  【外国債券】
   興銀第一ライフ・アセットマネジメント株式会社
   ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社
   富士投信投資顧問株式会社
   三井住友アセットマネジメント株式会社
以上8社(50音順)
   
  【国内株式】
   シュローダー投信投資顧問株式会社
   大和住銀投信投資顧問株式会社
   日興アセットマネジメント株式会社
   三井住友アセットマネジメント株式会社
   メリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ株式会社
   UFJアセットマネジメント株式会社

  【外国株式】
   興銀第一ライフ・アセットマネジメント株式会社
   ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社
                            以上8社(50音順)

2 簡易生命保険資金の委託運用

 (1) 投資顧問会社

  【国内株式】
   ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社
   シュローダー投信投資顧問株式会社
   大和住銀投信投資顧問株式会社
   富士投信投資顧問株式会社
   メリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ株式会社

  【外国株式】
   興銀第一ライフ・アセットマネジメント株式会社
   ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社
   大和住銀投信投資顧問株式会社
   東京海上アセットマネジメント投信株式会社
   メリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ株式会社

  【外国債券】
   興銀第一ライフ・アセットマネジメント株式会社
   ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社
   富士投信投資顧問株式会社
   三井住友アセットマネジメント株式会社
以上8社(50音順)

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超緊縮財政路線の背後に潜む魑魅魍魎

 下記は読者のJAXVNさんからのコメントから抜いて引用した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すみません。追記です。
今は「積極財政」を支持しているように見える竹中氏ですが、かつて2001年の自民党総裁選では亀井静香氏が次期政権が「積極財政政策」を行う事を条件として立候補を取り下げたが、その後誕生した小泉政権は緊縮財政路線一辺倒となり、亀井氏との「約束」は完全に反故にされた、という事がありました。今回のこの竹中氏の発言も、単なるポーズだけという可能性は十分あると思います。
「2003.7.22 毎日新聞記事

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 この話は私もネットで見たことはあるが、考えてみれば、小泉純一郎氏が亀井静香氏との約束を破って『超緊縮財政政策一点張り』に突っ走ったのは、小泉氏の気まぐれな思い込みなどというレベルではなく、明らかにアメリカ政府筋の意向があったと私は考えている。小泉純一郎氏は靖国神社参拝に何度か行っている。だから、これは一見保守愛国の形は取っているが、神道形式で参拝しないこと、終戦記念日の参拝公約を反故にしたことなどを鑑みると、真に英霊に敬意を捧げたのか私自身は思いっきり疑念に思っている。しかも、靖国神社には参詣に行く小泉氏が、歴史問題で村山談話をそのまま踏襲している。村山談話で語られた歴史観とは、一言で言うなら“階級闘争史観”である。これで靖国参拝する行為は、思想上の二律背反である。ありえないのだ。こういう一連の仕草を見るにつけ、この人物の国家観・歴史観が遊就館の歴史観とまったく相容れないものであることがよく見えてくる。彼の靖国参拝は偽装である。

 長くデフレが継続していた時期に、あえて超緊縮財政を取る姿勢は、すでに政策のレベルにはなく、日本破壊を画策する意思に基づいているとしか思えない。つまり、小泉氏の姿勢はある意味、まったくぶれずに一貫性を持っていた。その一貫性とは“日本破壊衝動”である。おそらくこれには二種類の位相が存在していたと思う。一つは小泉氏個人の日本に対する憎しみ、あるいは経世会を徹底的に潰したように、過去の郵政大臣の頃からのルサンチマン(怨念)があった。もう一つは日本の国力を弱めようとするアメリカ側の意志である。実質、アメリカは日本を属国様態にしているが、それでは世界に対して同盟国の示しがつかない。だから、エージェント(傀儡)と化した多くの日本人を使って、構造改革という名目の新自由主義的構造替えに奔走した。同時に日本の財産収奪を目立たないように目論み、規制緩和を標榜して、いかにも日本人が自主的に考えたように、障害になる日本的な構造を変更した。この実体は日本から見れば、国家破壊、国体破壊である。小泉純一郎氏や竹中平蔵氏が構造改革という名の下に何を行ったのか。それはネオリベ構造敷設による日本の大破壊であった。その結果、経世会や亀井さんたちが踏襲していた公平配分路線が完全に断ち切られたのである。ここにはケインズ的な積極財政路線を憎む大きな意志が介在しているとしか思えないのだ。

 したがって、小泉氏が亀井氏との約束を履行して“積極財政政策”をやっていたら、今の日本は先進国中でもかなり豊かな位置にいたはずである。しかも植草一秀さんが国策捜査に嵌められることはありえなかった。なぜなら、超緊縮財政的構造改革路線の中心的旗振りであった竹中氏が登用されることはないから、当然、植草さんの政府批判もなかったわけである。要は、小泉・竹中路線とは国賊路線にほかならない。反ケインズのこの路線が相変わらず継続されていることは、国家的大問題である。

 そういうわけで、JAXVNさんが言うように、竹中氏の積極財政肯定発言も、小泉氏と同様に、単なるポーズ、リップサービス的な芯のないものであることがよくわかる。竹中氏が議員の使命感から見ても異常な人物であったことは、今年の10月1日の郵政民営化発車を見届けないで議員辞職をしたことでもわかる。これだけの国家構造の変革を行なった中心人物が、自らが心血を注いで手がけた法案の行く末を見届けずに辞職するのは、一種の職場放棄であり、無責任のきわみである。これを穿って考えると、竹中氏は10年後の完全民営化にはほとんど興味を持っていないことがわかる。彼が喫緊に実行することに精力をつぎ込んだのは、郵政公社の完全分社化なのだ。それは宗主国に貢物を運ぶためにゲートを開いたということに他ならない。日本の金融システムを安定させ、日本全体をくまなく公共インフラの役命を担っていた郵政事業の土台を壊し、米系外資に国民の莫大な共有財産を明け渡した人物、これが竹中平蔵氏である。

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