読者・とおりすがりさんの熱いメッセージを紹介しておきます。ほとんど私も同感です。
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● 喜八さんの言うとおり自称愛国者たちは小泉純一郎の暴言(朝敵発言)を見事なまでに黙殺しております。特に政治ブログランキング上位の自称愛国者連中は普段の勇ましさとは違って完全黙殺。何が愛国だ、と思わず嘲笑してしまいました。しかもこの自称愛国者連中は最近になって首相公選制を訴え始めています。首相公選制とはイコール共和制、つまり大統領制に他なりません。即ち権威と権力を一極に集中させる事実上の独裁体制ですね。今のブッシュを見ればわかるようにその弊害は計り知れないです。そして中東やアジア諸国、南米諸国など政情不安な国家は全て共和制であり大統領制であります。しかし日本はそれらの国家と違い、少なくとも1500年以上もの歴史があり、その歴史的な知恵として権威と権力を分散させる皇室制度を定着させているわけですね。
実際、天皇による親政の期間は極めて短いです。殆どが摂政や関白、そして征夷大将軍など今の内閣総理大臣に近い存在が権力を握り政治を行ってきました。その時の天皇の役割は彼ら権力者に権力のお墨付きを与える権威として機能してきたわけですね。確かに歴史上、弓削道鏡や足利義満、織田信長のように皇室を私物化して権威と権力を自分たちに集中させようとした朝的が出現しました。しかし不思議な事に彼らの野望は全て失敗に終わりました。そして小泉による皇室解体の女系天皇制です。しかし小泉の野望も秋篠宮殿下によって打ち砕かれました。絶対権力のGHQですら解体出来なかった日本の皇室。
これは右派左派関係なく日本人の財産です。日本人の知恵なのです。それを侮辱した小泉純一郎。この男を許すどころか大絶賛しまくった政治ブログランキング上位の自称愛国者たち。彼らが靖国神社を礼賛する姿をみた英霊たちはどう思うのでしょうか?自称愛国者連中の存在意義とは今の体制、つまり従米隷属迎合体制の護持にあると私は思うのです。
だからこそ小泉純一郎のやる事なす事言う事全てを礼賛し、都合の悪いことは完全黙殺する。これを卑怯と言わずして何を卑怯と言うのでしょうか?日本における愛国者とは国家国民を愛し、皇室を尊ぶ者を愛国者と言うのです。決してアメリカを始めとする外国に媚を売る者を愛国者とは言いません。
この際だからハッキリ言います。
件の小泉暴言を黙殺する自称愛国者は売国奴に他ならない。そして首相公選制をほざく自称愛国者は朝敵に他ならない。管理人さんは私の考えをどうおもいますか?
●中東を始めとする一部国家は王政を布いています。これは事実上権威と権力を合体させた国王親政とも言えますね。その弊害として独裁体制が生まれたのです。
例えばアメリカが作った人工国家クウェートなどは実に酷い。その一端が例のハンドボール事件ですね。サウジなどもクウェートと同じく酷いですね。日本の国家体制である権威と権力を分離させた皇室制度は他国には決してマネのできない素晴らしい制度であります。日本人ならば先祖が長い時間をかけて作りあげた皇室制度を誇りに思うべきではないでしょうか。
●共産党は皇室容認に路線変更しましたね。皇室をあれだけ批判し続けた共産党ですら皇室の権威を無視出来なかった訳です。それくらい皇室の権威は偉大なのですね。私は別に盲目的に皇室を信奉しているわけではありません。歴史的に鑑み、歴史に学び、自分の目と耳などあらゆる感覚で考えた結果、権威と権力の分離、つまり皇室の権威は日本民族の歴史遺産でもあり現在進行形の財産である、と結論付けたのであります。
共産党ですら認めざるを得ない皇室の権威。
それを蔑ろにする小泉純一郎が如何に不埒な輩であるか。それが件の小泉暴言であり愚行であるわけです。小泉の野望に完全と立ち向かった平沼赳夫氏。小泉の野望を打ち砕いた秋篠宮殿下。この二人の偉業は後世まで語り継ぐべきではないでしょうか。小泉純一郎の政治生命はまだ潰えていません。だからこそ小泉純一郎の政治生命を絶つべく私たち日本人は民族を挙げて右派左派無党派関係なく結束して小泉一派とその支援組織(特に新聞テレビや経団連などの売国組織)と戦わねばならないのです。
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(管理人の感想)
とおりすがりさんが憤怒を持って私に問いかけたこと。それは、小泉氏の「皇室は抵抗勢力だ!」発言についてスルーし、首相公選制を唱えている上位のブログランカーについてどう思うかなのだが、言われたとおりであるとするならば私も憤懣やるかたない思いである。そういうブログ上位者に、せと弘幸さんが入っているかどうかわからないが、彼は以前、憂国掲示板で少し係わり合いを持ったお人なので、若干私なりの親近感はある。しかし思想性となると私とはかなり異なっているようである。ただ、瀬戸さんの場合は、あの松井石根陸軍大将の元秘書官である田中正明氏の薫陶を受けていると聞いたことがあるので、彼なりの深い思想性に基づいていると考える。だから彼の親米対支那感覚に対しては相当の疑念を持つが、深謀遠慮のすえに打ち出しているような気がする。これについてはいつかお目にかかる機会があったらいろいろと伺いたいと思っている。私はネットで実名を用いている方は、その人がどのような考え方を持っていても敬意を持つ。
首相公選制については、保守や右派がけっして賛同してはならない考え方である。理由は我が国の国体が基本的には立憲君主制であり、天皇の存在を無視した首相公選制は原理的にありようがないからだ。天皇による国事行為には、国会指名にもとづく内閣総理大臣の任命行為がある。これはアメリカ大統領就任時のように聖書に片手を置いて誓う形式的な行為とはまったく違っていて、日本の国体の根幹に関わる重要な儀式となっている。この行為そのものが象徴的に意味することは単純明快である。すなわち、国政の最高権限を有する者を任命する権威を天皇だけが持っているということにほかならない。重要なことはこれが王としての政治権力ではなく、朝廷を権威の別格として連綿と押し頂いてきた我が国固有のあり方に基づいているからだ。GHQの英文草案にもとづいて出来上がった日本国憲法で天皇の地位は定められているが、敵性国家による憲法置換という歴史的出来事が生起したとしても、我が国国体の礎は不変であり、天皇が国体の中心になっている。政治という政(まつりごと)の次元を上回る権能が先天的に付与されている御存在を戴く国家とは、政治的な最高主導権を持つ者が、天皇の存在から外れた場所で勝手に選ばれてはならない。これを行なってしまうと、つまり首相公選制を実行してしまえば我が国の国体が完全に崩壊することになる。この選挙行為自体が、日本のあり方そのものをフランス革命以降の新興国家群の一部に変容させてしまうだろう。戦争に負けても、勝っても、民族の文化と伝統精神は普遍性を持たねばならないと思う。
西村眞悟さんが言うように、公選で決まる大統領制は君主のいない国家で生まれたものだ。アメリカのような君主の存在しない新興国家の統治形態が大統領制である。従って、日本が公選制を行うという意思決定があるとすれば、日本人が左翼革命を起こしたことと同じ意味を持ってしまい、いわゆる日本という国家アイデンティティが喪失する事態となる。新自由主義を無作為に導入し、女系天皇論を吹聴して国体破壊を目論んだ小泉純一郎氏の最終目標が日本国家の解体にあることは明白である。彼は日本を不況に陥れ、外国資本に国の優良資産を叩き売った張本人としても許されざる国賊である。しかし、桁違いに許されざることは国体の解体を目論んだ国家反逆者として振舞った彼の政治行為にある。。
西村眞悟さんは平成13年に下記のように言っている。このことからも彼が小泉官邸主導筋に国策パラダイムに反する者として強く認知されたであろうことがよくわかる。
『私は、「歴史的共同体」としての我が国のあり方、つまり「国体」または「国柄」つまり我が国の「国民主権」を深思すれば、立憲君主国と議院内閣制は歴史的にも論理的にも不可分と確信する。我が国から、共同体としての国民の「歴史性」を消去すれば「大統領制」つまり「首相公選制」しかないのは解る。臣小泉は、そこまで見切って言っているのか。総理として我が共同体の歴史的に神聖な中枢に触れた以上、明らかにせよ。』
http://www.n-shingo.com/getuyou/1306.html
(※西村さんのご子息のご不幸については深い哀悼の想いを捧げます)
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