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2008年3月30日 (日)

どうやれば「お金を刷る」ことができるのか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第51弾です)

 4月中旬に、次の書籍が出版される。

 『お金がないなら刷りなさい ―米国が16兆円を刷って国民に配っているときに日本は増税かー』 小野盛司、中村慶一郎著、ナビ出版

 時々質問を受けるのは、お金を刷るということは、どういうことかということである。ここでは比喩的に言っているだけで、実際に輪転機を回して刷るということではない。現在、紙幣はお店で物を買うような少額の取引に使われるだけで、大部分の取引は銀行振り込み等で行われており、紙幣は使われていない。いくら紙幣を刷っても、国民に使ってもらえないのでは、何にもならない。

 最も直接的には、政府が紙幣(政府紙幣)を印刷して使うことだが、それでは景気対策に役立たないような法律ができている。今、衆参ねじれ現象の時、このような制度変更の法律を通すのは至難の業だ。

 単純に、新規国債発行額を増やし、お金を手に入れ、それを減税や歳出拡大で国民のために使った場合どうなるのか。この効果に関する政府の予測は、多くの民間シンクタンクの予測と一致する。つまり、景気は良くなり、GDPが拡大し、税収が増え、デフレ脱却が可能となり、国の借金のGDP比は減っていくというもの。つまり財政は持続可能なのだ。一見、国の借金は増えたように見えるのだが、GDP比で見たときに減っていれば、実質借金は減ったのだ。実質減ったということは、実質借金を返したことになる。

 つまり、国はお金を国民のために使った。それによって実質借金が減った。どこからお金が出てきたのかと言えば、事実上国がお金を刷って国民に渡したということに相当するということだ。GDPが増えること自体が実質「借金を返す」ことに相当している。もちろん、国民は将来税金で借金を返す必要はない。

 将来、デフレ脱却ができて、金利が上がってきたら(つまり国債が値下がりしたら)どうするかということだが、日銀が買い支えればよいだけだ。日銀が国債を買えば、お金が日銀から出ていく。これは日銀によって新たにつくられたお金(刷ったお金)であり、経済の拡大を可能にする貴重な成長通貨である。昨日(3月29日)の日経新聞に英国エコノミストのスティーブン・キング氏がアメリカに対し消費刺激のために特別国債の発行を提案している。つまりFRBが全額引き受ける国債をアメリカ政府が発行し、個人向け減税をせよということ。

 日本はアメリカよりはるかに経済状態が悪いのだから、日銀の国債引き受けをやってもよいくらいだが、それをする必要はないのだ。現在、政府が国債を売り出したとき、国債の予定発行額を応募額が大きく上回っており、市中への消化に不安は無い。本当に不安であれば、国債の買い入れの「お得意様」であった郵便局を民営化することはあり得なかっただろう。市中消化に不安がでてきたら、日銀が市中から国債を買い入れればよいだけであり、国会の承認が必要な国債の日銀引き受けをする必要は無いのだ。

 結論から言えば、景気対策をして国民のために政府がお金を使った瞬間が事実上お金を刷った瞬間であり、返す必要が無いお金を受け取るのに、なぜ国民が反発する必要があるのだろうと考えるのである。減税が大嫌いで、自分はどうしても増税でなければ困るという人にまで減税を強要するつもりはない。増税がそんなに好きなら、どうぞ、2倍でも3倍でも自主的に税金を多く払って下さいと言いたい。しかし、日本の将来を真剣に考え、我々の次世代、次々世代に貧乏生活を強いることはできないと考える人であれば、是非国の借金を実質的に減らすために、減税を含む積極財政を受け入れていただきたい。(小野盛司)

“お知らせです” 

 4月21日の出版記念パーティ

 4月21日(月曜日)、東京にて日本経済復活の会・小野盛司会長さんと評論家の中村慶一郎氏の共著『お金がないなら刷りなさい ―米国が16兆円を刷って国民に配っているときに日本は増税かーの出版記念パーティがあります。弊ブログで小野会長の積極財政論シリーズをご愛読して頂いている読者さんも参加してくださればうれしい限りです。出版記念会詳細は上記リンクにてどうぞ。(神州の泉・管理人)

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2008年3月28日 (金)

積極財政に関する質問に対する福田首相の答弁書(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第五十弾です)

 先週の水曜日に提出した質問主意書に対する福田首相の答弁書が本日届いた。質問は、

 政府発表の試算「進路と戦略」によれば、積極財政によって成長が加速され、失業率が下がり、デフレ脱却が可能となり、しかも財政が健全化するとなっている。それでも積極財政を否定するのか。それはこの試算が誤差が大きすぎて使い物にならないということか。そうであれば、そのような試算を基に歳出削減や増税を国民に強要するのはおかしい。

という内容であった。

 それに対する福田首相からの答弁では、なんと「積極財政を否定」の意味が必ずしもよく理解できないと言って逃げた。こんな易しい言葉の意味が分からないとは何と言うことか。その次の行以降に書いてあることは、この質問とは全く関係ないことだ。国民を馬鹿にするなと言いたい。

 このやり取りで分かるように、積極財政によって成長が加速され、失業率が下がり、デフレ脱却が可能となり、しかも財政が健全化するという試算結果を政府は発表していることは確認された。それに対し、積極財政のどこが悪いのかという議論を政府は全くできないことがこの答弁書で明らかになった。

平成二十年三月十九日提出
     積極財政に関する質問主意書
                         提出者  滝  実

 1月17日に経済性諮問会議から提出された「日本経済の進路と戦略」(以下「進路と戦略」が内閣府の名で発表されている。ここで成長シナリオケースAと成長シナリオケースBの比較が示されている。歳出削減幅がケースAでは14.3兆円、ケースBでは11.4兆円ということであるから、相対的に言えば、ケースAが緊縮財政、ケースBが積極財政と見なすことができる。両者を比べると別表のようになり、この3年間では積極財政のほうが、緊縮財政よりも、成長率が高まり、デフレ脱却へ大きく前進し、失業率も減り、しかも国の債務のGDP比は減少し、財政は健全化し持続可能となっている。つまり、積極財政のほうが、緊縮財政よりもあらゆる面で良い結果を導くということは、明らかであり、政府の行っている緊縮財政は全く正当化されない。

 2012年度からこのモデルでは債務のGDP比が逆転する可能性があったとしても、それが積極財政を否定する理由にはなり得ない。なぜなら2012年以降となるとモデルの精度が著しく悪くなるからである。例えば、2007年1月に発表された「短期日本経済マクロ計量モデル(2006年度版)の構造と乗数分析(ESRI Discussion Paper Series No.173)」と平成19年3月に内閣府計量分析室で出された経済財政モデル(第二次改訂版)で乗数を比べてみる。公共投資をGDPの1%相当継続的に拡大したとき、名目GDPの増加は1年目は両モデルの差は2.5%だが、3年目となると38.5%と飛躍的に拡大するのであり、2012年度の精度は極めて悪いと考えるべきである。つまり積極財政を否定することは無理だと言うべきである。そこで質問する。

一、積極財政を否定するのは「進路と戦略」はすべてが誤差が大きすぎて使い物にならないという理由からか。そのような信頼性に欠くモデルで歳出削減や増税を国民に強要すべきではないのではないか。

328

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

内閣衆質一六九第一九八号
    平成二十年三月二十八日
                    内閣総理大臣 福 田 康 夫

衆議院議長 河 野 洋 平 殿

衆議院議員滝実君提出積極財政に関する質問に対する答弁書
一について

 御指摘の「積極財政を否定する」との趣旨が必ずしも明らかではないが、政府としては、我が国の極めて厳しい財政状況を放置すれば、財政の持続可能性に対する疑念の高まりが経済成長自体を阻害するおそれがあり、財政再建がなければ持続的な経済成長も実現しないとの考え方に基づき、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針二〇〇六」(平成十八年七月七日閣議決定。以下「基本方針二OO六」という。)及び「経済財政改革の基本方針二OO七」(平成十九年六月十九日閣議決定)において、歳出・歳入一体改革を実行するとしたところであり、その実現に向け、正面から取り組むこととしている。

 なお、御指摘の「日本経済の進路と戦略―開かれた国、全員参加の成長、環境との共生―」(平成二十年一月十八日閣議決定)の参考試算においては、基本方針二〇〇六の別表に示された十四・三兆円の歳出削減の考え方に対応するケースと、十一・四兆円の歳出削減の考え方に対応するケースを想定しているところである。

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出版記念パーティーの開催(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十九弾、特別篇です)

出版記念パーティー開催のお知らせ
            ―経済成長を加速するシナリオを語ろう-
                   ご案内

 謹啓 時下 益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
最近は、マスコミで日本経済の没落が話題になっております。一人当たりの名目GDPが世界第2位から18位へ、世界のGDPに占める日本のシェアが半減、世界の株式の時価総額に占める日本の割合は実に5分の1にまで縮小し、名目経済成長率では、日本は世界最低で、しかも他から大きく引き離されています。この状況に我々は大変な危機感を持っております。アメリカやフランスは、お金を刷って景気対策として国民に配っているときに、なぜ日本は増税しか話題にならないのでしょう。
日本経済の復活のための具体案を示すために、この度

『お金がないなら刷りなさい 
― 米国が16兆円を刷って国民に配っているとき、日本は増税か!-』

を出版します。
 つきましては、八方塞がりの日本経済を救い、経済成長を加速するシナリオを語るために、パーティーを下記日程にて執り行います。どうぞ万障お繰り合わせの上、ご出席下さいますようお願い申し上げます。

                                        謹白

平成20年3月27日     
                             日本経済復活の会
                             会長  小野盛司
                              

日時 平成20年4月21日(月) 

祝辞・講演 18:00~18:45

中川秀直前自民党幹事長
小野盛司(日本経済復活の会会長)
Photo_2 

中村慶一郎(政治評論家)、その他
Photo_3


○懇親会 18:45~20:45

場所 星陵会館
   〒100-0014 東京都千代田区永田町2丁目16-2 星陵会館4F
   TEL 03-3581-5673
421

会費 六千円(本進呈/飲食すべてを含みます)
   会費は当日会場でもお受けしますが、事前にお振り込みいただければ幸甚です。

お振り込み先 :みずほ銀行 動坂支店 普通預金 8027416 日本経済復活の会

事務局所在地 東京都文京区本駒込3-17-2 (〒113-0021)
電話 03-3823-5233 (担当 小野)  FAX 03-3823-5231

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2008年3月27日 (木)

景気悪化を放置する政府(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十八弾です)

 3月24日に内閣府と財務省が発表した1-3月期の法人企業景気予測調査によると、大企業全産業の景況判断指数は-9.8ポイント下がり、04年の調査開始以来で最悪の水準となった。円高、株安、原材料高、住宅不況、米国不況など、様々な逆風の中、衆参のねじれ現象で政治はマヒ状態であり何も決まらない状態が続いている。

 正常な経済政策の知識を政府が持ち合わせていれば、もちろん緊急経済対策として大規模な財政出動を打ち出すところだ。しかし、何も出てきそうもないということは、日本はこれから、恐ろしい経済低迷期に入ってしまうことを意味している。昨日(3月26日)は、第50回の日本経済復活の会の定例会があった。60名もの参加があり、会場は熱気であふれていた。日本経済をなんとかしなくてはという多くの方々の思いの表れだろう。近く、宍戸駿太郞vs大田弘子大臣の公開討論会が開かれることが決定しており、宍戸駿太郞氏の講演に多くの人が注目したのは当然と言える。この日の宍戸氏の講演の一部を紹介する。

 1989年、ブッシュ大統領の父親が来日し、海部内閣に圧力をかけ、10年間で430兆円の公共投資を約束させた。これはアメリカが日本にかけた圧力である。アメリカは日本との貿易不均衡を是正させるために、日本が輸出産業ばかりを伸ばすのでなく、内需を拡大し、産業構造を外需依存から内需中心の産業への移行させようと考えたのである。日本政府は一旦約束したものの、内需拡大の効果もなく、財政赤字が拡大するだけだという理由から3年後には約束を破棄した。その後日本経済の急激な没落が始まるのである。もしも、この約束を日本政府が忠実に守って内需拡大を行っていたらどうなっただろうというのが、宍戸氏のシミュレーションである。計算はかなり大がかりなものであり、産業を81部門に分類し、1973年~2003年の間の30年間の経済データが再現できるように経済モデルをつくり、それを基に部門ごとの詳細な予測を行っている。

 現実には、430兆円の公共投資は行われず、平成大不況に陥ったのだが、もし公約通り公共投資が行われていたら、このような大不況は生じず、正常な景気回復パターンとなったはずだとこのモデルは予測する。約束が守られた場合は、現実の場合に比べ、2003年には実質GDPが11%増加し、名目GDPも14%増加する。失業率も1%ポイント改善する。景気がよくなるため、税収が増え、現実の場合より国の借金も20%少なくなる。

 こういった結果を基に、政府の過去の判断が正しかったのかを考えてみよう。430兆円の公共投資の約束は日米構造協議で行ったもの。アメリカからの圧力で、約束させられたものだ。こういった圧力への日本人の抵抗は強く、「NOと言える日本人」でありたいと願う日本人は、ここでNOと言った政府に拍手喝采を送ったのかもしれない。しかし、本当にそれでよかったのだろうか。公共投資を止めたために、道路整備が遅れ交通渋滞のために経済発展は大きく阻害された。港湾の整備が遅れたためにコンテナ取り扱い量で上位にいた日本の港も、順位を大きく下げ、空港のハブ化も大きく遠のいた。環境対策も遅れている。

 お金を使わなければ、財政が健全化するだろうというのが、余りにも甘い見通しであったということだ。逆に430兆円を使っていれば、不況にならず、これほど国の借金を増やすことはなかった。GDPももっと増えていたから、国の借金のGDP比を比べるとその差は更に顕著になる。結局、世界大恐慌を引き起こしたフーバー大統領や、昭和恐慌を引き起こした井上蔵相と同じ間違いを犯し、不況なのに財政健全化を優先して緊縮財政を行い、不況を更に悪化させ税収を減らしたために逆に財政を悪化させてしまった。

 つまり、平成の大不況は政策の間違いで引き起こされたことが証明された。政策の失敗は、日本経済を大きく没落させ、国の借金を増大させただけではない。国民を生活苦に追い込んだ。下図にあるように経済生活問題が原因の自殺者の数は、景気がよかったころの数倍にも増えてしまった。政策の間違いが毎年数千人もの人を自殺に追い込んでいる。国の借金ばかり気にして、このような政策の大失敗をしてしまったのだが、国はお金を刷ってもよいことを忘れてはならない。刷ったお金で道路をつくり、港湾や空港を整備し、環境対策もすればよかった。税金ではなく、刷ったお金であれば返さなくてもよいのだから反対する理由は何もないはずだ。

 この例で分かるように、アメリカの圧力に常に反発していればよいというのでなく、逆に、アメリカの圧力で日本の間違えた政策を正してもらうことが日本の国益になることもあるのだ。

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2008年3月25日 (火)

植草一秀氏被告事件控訴審第1回公判傍聴記

 (管理人 :  NPJに載っていた作者不詳の公判傍聴記を転載する。この傍聴記には特筆すべき二つの特徴がある。一つは弁護団の控訴趣意の文章がきわめて正確に写し取られていること。この傍聴者さんの聴き取り能力及び文書化能力は驚異的である。もう一つの重要な特徴はこの傍聴者さんは、巻頭で植草さんの事件を「国策捜査」、あるいは「国策逮捕」とは言わず、裁判所の事件処理を取り上げて『国策裁判』と断言していることである。

 検察、警察がぐるになってでっち上げた逮捕を、昨今は便宜的に国策捜査、あるいは国策逮捕と呼び、比較的知られた言葉になっている。しかし、この傍聴者さんは「国策裁判」と銘打って、裁判自体が国策的な底意にもとづいて不当な審理を行なったと結論付けているようである。だとすれば、この傍聴記は、2006年9月13日に植草さんが遭遇した京急電車内における事件の翌日、私が弊ブログで発信した「植草一秀氏の二度目の逮捕はまたもや国策捜査の疑いがある」の捉え方と基本的には一致する。ただし、私自身は、電車内では性的な接触行為そのものが発生していなかった、つまり事件そのものが偽装されていたという説を採っている。

 巻頭で腑に落ちない表現がひとつある。それは「植草氏を政治犯として闇に葬ってはならない。」という箇所だ。それはおそらく「植草氏が政治的謀略によって闇に葬られることを許してはならない」という書き違えであろうと思う。)   

植草一秀氏被告事件控訴審第1回公判傍聴記

  植草一秀氏の条例違反被告事件の控訴審第1回公判が2008年3月17日、東京高等裁判所第429号法廷で開かれた。本書はその傍聴メモである。

  弁護団は控訴趣意についてプロジェクター・スクリーンを用いて説明した。被告の無罪は説得力をもって完璧に証明された。目撃証人の信用性も高い。

  しかし、裁判所は弁護側が申請した証拠調べ請求をことごとく却下して結審した。この審理で有罪判決を下すなら、それは日本の司法の自殺行為である。

植草氏の事件処理は『国策裁判』に他ならない。中東の笛によるハンドボール試合など比較にもならない。植草氏を政治犯として闇に葬ってはならない。

  政治権力に支配されたマスメディアは植草一秀氏の無実を示す情報を、報道しないどころか意図的に隠蔽している。『知られざる真実』を一人でも多くの日本国民に知らせねばならない。

  弁護団による控訴趣意の説明は以下の順序でなされた。

    はじめに

1.被害者供述の信用性

2.証人T供述の信用性

3.証人K供述と被害者供述、証人T供述との矛盾・不一致

4.青木警官供述の信用性

5.弁護側目撃証人供述の信用性

6.繊維鑑定結果からの合理的疑問

7.被告人供述の信用性

8.結論

はじめに

  本件は、大学院教授の被告人が痴漢の嫌疑を受けた事件であり、いわゆる手鏡事件として報道された過去の事件に基づく偏見の下、逮捕の翌日からマスコミ各社において興味本位の報道が繰り返された事案である。

  過去の事件では、被告人は、手鏡を手にしていなかったにも拘わらず手鏡を差し出したとして逮捕された。現場を撮影していたはずの監視カメラの映像を保全するように再三に亘り強く要求したにも拘わらず、この要求は無視されて映像は消去されてしまい、また、被害者が被告人を起訴しないで欲しいと要望していたのにも拘わらず起訴された。

  裁判所は、このような過去の事件により間違って形成された予断や偏見を一切排除し、慎重に事実を認定することが強く要求されるところである。ところが、原判決は、虚心坦懐に被告人の弁解を聞くことなく、被告人の無罪を証明する重要な証人の証言を軽視して、事実認定を誤ったもので、予断や偏見に大きく左右されたものと断ぜざるを得ない。

  このような問題を含む原判決について控訴の理由を述べる。

1.被害者供述の信用性

  被害者は、痴漢犯人が背中に密着している状態で、犯人を注意するために、耳に掛けていたヘッドホンを外して、「やめてください」などと言いながら右回りに振り返ったと供述しています。

  この時被害者のお尻の右側を撫で回していた犯人は、被害者がヘッドホンを外す動作に気付いて、咄嗟に右後方に2、3歩、後ずさりして、人と人との間に紛れたと考えられます。

  写真は弁護人らが行った再現実験の映像の画面です。この画面では被害者が右回りに振り返り始めていますが、この時点で犯人はすでに移動を終えています。

  被害者が犯人の手を掴んだまま振り返って、対面したというのであれば犯人を取り違えることはないし、振り返る時に犯人の手を見ていたというのであれば、取り違える危険性は減少します。しかし被害者は犯人の手に触れていないのはもちろん、振り返る時に犯人の手も見ていないのですから、このような形で犯人を特定した供述は、とても取り違えの危険性が高いと言えます。

  この画面は被害者が振り返り終わった様子を写したものです。

  被害者が右回りに振り返り終わった時点で、既に真犯人は人と人との間に紛れていたので、被害者は真犯人が誰かは分かりません。

  一方その時点で、被害者のすぐ近くに立っていたのが被告人であり、被告人が被害者の抗議する言葉や、急に振り返る動作に反応して、一旦被害者の方に注目した後、右の方に顔を背けるような動作をしたことから、不自然に感じて、被害者は被告人が犯人であると取り違えました。

  以上の犯人、被害者、被告人の動きを図で示すとこのようになります。

  ここでは被害者が振り返るという回転動作をしている点が重要です。

  被害者は、ほぼ真後ろ近くまで振り返って被告人と対面したという趣旨の供述をしています。

  しかし実際に被告人が立っていた位置は、被害者の真後ろではなく、右横少し後方です。この位置は被告人の供述と逮捕者Kの供述がほぼ一致していることから間違いないものと言えます。

  したがって被害者は、実際には被告人が立っていた位置の方向位までしか回転していないにもかかわらず、真後ろまで回転したと勘違いしました。

  これを動画で見てみましょう。

  被害者は、犯人が真後ろに密着して痴漢をしていて、被害者が真後ろまで回転して被告人と対面したので、被告人が犯人に間違いないと言っています。しかし被害者は、実際には、真後ろまで回転していません。この勘違いが犯人を取り違えることにつながったと考えられるのです。

  被害者供述の信用性を認めた原判決には、誤りがあります。

2.証人T供述の信用性

  次に目撃者である証人Tの供述の信用性について述べます。

  証人Tは、この図に示した位置のつり革に捉まっていたと公判廷で証言しています。

  そして証人Tのネクタイの結び目から約77㎝前方の位置に被害者の左肩があったと証言しています。この図の被害者と書かれている位置になります。

1審判決もこの証人Tの供述を前提にして被害者が証人Tから約77センチ離れていたと認定しています。

 しかしこの供述のとおりだとすると、被害者は車両の真ん中ではなく、進行方向に対してずっと右側に立っていたことになってしまいます。

 1審判決は、図の点線で囲んだ位置に被害者が立っていたと認定しているので、1審判決の認定は完全に矛盾しています。

 証人Tが捉まっていた吊革ははっきりしていますが、立っていた位置ははっきり供述していないので、もし証人Tの立っていた位置がこの図よりも下だとするとどうなるでしょうか。

  証人Tの位置が、もっと下だった場合を想定しても、被害者の位置が進行方向右側に大きくずれることは変わりません。

  そして証人Tの立っていた位置がこれ以上下だったら、この吊革に捉まることはもうできなくなるでしょう。

 

 これは証人Tが立ち会って、平成18年9月15日に作成された再現報告書の写真です。

  この写真によると、証人Tと被害者役のマネキンは大きく離れています。証人Tの身長が183センチメートルあることからすると、証人Tから被害者の左肩まで約77センチメートル離れていてもおかしくはありません。

  証人T、被害者、証人Tと被害者の間に立っている女性客、この3人の位置関係を見ると、車内はがらがらであり、このような混み具合で犯人が痴漢をしていれば、他の乗客から丸見えです。こんな混み具合で痴漢をする人はいないでしょう。とてもおかしな話です。

  事件が起きたのは9月13日の夜で、この再現は9月15日ですから、証人Tの記憶はしっかりしていたでしょうし、本当なら、自分の体験に基づいて正確に再現が行えたはずです。

 こんながらがらの車内で痴漢が起きたというのは、被害者や証人Kの供述にも反していて、証人Tが実際にこのような状況を見たというのは信じられないことです。

 証人Tの公判供述は、この再現にほぼ合致しているので、証人Tは自分の実際の体験した記憶に基づいて供述しているのではなく、この再現のときの記憶に基づいて供述したのではないでしょうか。

 この写真も先ほどの再現のときの写真です。

  証人Tは、公判廷において、犯人の男が被害者の後ろに密着して、「被害者を覆うような感じで」、「前屈み」で立っていたと供述しています。

 しかし被害者の頭と、後ろの男の頭は、「頭は離れているというイメージを持った。」と供述しています。

 しかしこの写真のように犯人の男が被害者の後ろに密着して、覆うような感じで前屈みに立てば、犯人の頭は被害者の頭の後ろに接近した状態になるのが当然です。

 証人Tは「体だけ密着して、頭は離れているということなのですか。」という質問に対し、「身長差があったので、そういうイメージを持ったのだと思います。」と答えています。

 

 しかしこの再現でも、犯人役の警察官は写真のとおり被害者役のマネキンと十分な身長差があります。

  証人Tだけが183㎝と頭一つ抜け出ています。

したがって証人Tが犯人であれば、身長差があるため被害者と頭が接近しないと思われますが、被告人のように普通の身長の男性であれば、前屈みになったときに頭が接近するのです。

 証人Tがこのような供述をしたのは、頭の中でだけ犯人が被害者の後ろに密着して前屈みになっている場面を思い描き、自分が犯人になったつもりでその場面を想定したためと考えられます。

 これも証人Tの供述の信用性に疑問を投げかけます。

 先ほどの証人Tの再現は9月15日に行われたことになっています。

ここでもう一つの重要な問題は証人Tが再現の行われた9月15日(金曜日)ではなく、9月16日(土曜日)に、初めて蒲田警察署に行って、目撃状況について警察官に説明したと、1審の公判で供述していることです。

 証人Tの証人尋問が行われた段階で、この9月15日の再現報告書は、検察官から弁護人に開示されていませんでした。

 これは、この9月15日に再現を行ったことを隠していたと疑われても仕方がないでしょう。

 これは証人Tが、事件目撃後、9月13日の午後10時37分に友人に見たこと感じたことを書いて送ったメールです。

  証人Tの初期供述はこのメールです。このように他の人の供述や様々な情報に証人Tの記憶が汚染されていない段階の初期供述は、一般的に最も信用性が高いと言われています。

  ここで証人Tは次のように供述しています。

「今電車の中で痴漢が起こった。俺はほぼ確信できるような状況を目にしながら、女の子が自ら泣きながら訴えるまでその男を注意できなかった。

情けないよ自分が。何回か、女の子が前にいる俺の方を見たんだ。助けを求めるサインだったのに、そうじゃないかと思っていたのに、俺は結局単なる思い過ごしとして処理した。」

  ここで証人Tは、被害者の女性の前に自分がいたということと、被害者の女性が何回か自分の方を見たということを供述しています。

  しかしこれは、被害者女性の左横に証人Tが立っていて、被害者が何回か左横を振り向いたという証人Tの公判供述や先ほどの再現報告書とは全く異なっています。

  この初期供述が正しいとすれば、証人Tの公判廷での説明は完全に間違っていることになります。

  次に証人Tは犯人の男について、「眼鏡についてかけていたかどうか覚えていません」と供述しています。

  一方被告人は、事件当時眼鏡を掛けていて、その眼鏡はセルロイドのフレームで青と紫が混ざったような特殊な色の眼鏡ですので、印象に残る眼鏡です。

  証人Tは、犯人の顔について、「少しうつろな目をして、ボーッとしていたような感じです。」と述べ、犯人の目を注視していました。

 証人Tが被告人の横顔を見ていればメガネが記憶に残るはずです。

しかし証人Tはメガネについて記憶していません。

  したがって証人Tが見た犯人はメガネをかけていない別の男だったと考えられるのです。

  この問題について1審判決は、被害者が振り返って注意した後も、証人Tは、被告人の顔を見ていて眼鏡に気付いていないのであるから、証人Tが犯行時に眼鏡に気付いていないことは、問題にならない、と指摘しました。

 しかし証人Tは、被害者に密着していた犯人が2、3歩後退して、右側の方を向いたと供述しています。

 このように真犯人が右側の方を向いた後は証人Tから犯人の顔は見えなくなります。

  では証人Tから被告人の顔は見えたでしょうか。

このように被害者が振り返った後,被告人も右の方を向いたので,証人Tから眼鏡をかけている被告人の顔は見えなくなります。

 つまり証人Tが犯人又は被告人の顔がよく見えた場面というのは,犯人が被害者の後ろに密着して痴漢をしていた場面しかないのです。

 そして被告人が犯人であれば,証人Tは被告人の眼鏡に気付いていたはずなのです。

 次に証人Tは、犯人の左手が、被害者の左のお尻の側面を触っているのを見たと供述していますが、具体的に「指先も手の甲も、後、袖口も見えました。」、「手の甲と袖は一体として肩の上から見えました。」と供述しています。

  しかし一方で、男性が傘を左手首に掛けていたことには、気付いていませんと供述しています。

  被告人は左手に傘を持っていたので、被告人が犯人であれば証人Tが被告人の左手に掛かっている傘に気付かないはずはありません。

 そして被害者が振り返った後、証人Tから、被告人の傘が見えるかですが、

先ほどと同じように傘も見えなくなります。

 また傘の位置は低いので、犯行時以外では被害者などの乗客に遮られて証人Tの目線から傘は見えなくなるはずです。

 犯行時、証人Tから傘はよく見える位置にありますから、被告人が犯人であれば、左手首に掛っている傘に証人Tが気付かないはずがありません。犯人は左手首に傘を掛けていなかった被告人とは別の人物としか考えられません。

 被告人は、事件当時、肩に大きな重いカバンを掛けていました。これは鞄を掛けている被告人の後ろ姿のイメージを図にしたものです。

  しかしながら証人Tは、痴漢行為をしている際の犯人の姿勢について「重心が右に傾いていて変な格好をしているというふうに思いました。」と繰り返し供述しています。

  そして犯人の右肩は見えていたけれども、右肩にカバンを掛けていたという記憶もないと供述しています。

  しかし第1に、証人Tは右肩が見えていたと述べているのですから、被告人が犯人であれば右肩から掛けているカバンが見えなければおかしいのです。

  そして第2に、右肩に重いカバンを掛けていたとすると、カバンがずり落ちないようにしながら、重心を取ろうとするから、体を右に傾けた姿勢を維持するのではなく、むしろ逆に少し左側に傾くか真っ直ぐの姿勢を維持しているはずです。

  それでは右に傾いた姿勢でカバンをかけているとどうなるでしょうか。

 このようにカバンがずり落ちるか,重心が取れなくて,右に倒れてしまうでしょう。

 証人Tが目撃したのは,右肩からカバンを掛けていない被告人とは別の人物だったと考えるべきです。

 証人Tの供述には被害者との距離、電車の混み具合、犯人の姿勢、証人Tが立っていた位置など、幾つかの根本的な疑問があります。

  証人Tが犯人を目撃していたとすると、眼鏡の点、傘の点、カバンの点などから、被告人とは別の人物だったと認められるべきです。

  証人Tの犯人識別供述の信用性はきわめて低いと言えます。

(補注1) 3月17日の公判廷では触れられなかったが、弁護団によると、平成18年9月16日付の証人Tの警察官に対する供述調書には、被害者の女性と目が合ったが声をかけることができなかった理由について、「逆に自分が被害者の高校生の女の子に逆に、怪しく見られているのではないかと思い、判断がつきませんでした」と記述されているとのことである。

3.証人K供述と、被害者供述、証人T供述との矛盾・不一致

  証人Kは、被害者が「やめてください」と言って振り返ったとき、

  被告人は被害者のすぐ右後ろに立っていた、

  被告人は被害者のすぐ後ろにおり、その間に、もう1人、だれか入ることは押しのけない限りは、あり得ない

  被告人の足の移動はあって半歩か一歩くらいしか動く余地はなかったと思うし、動いた印象もない

  という供述をしています。

  これに対して、被害者は、

  痴漢犯人は、被害者の背後に密着し、被害者の左右の腰の下あたりの太ももとお尻に左右の手でそれぞれ触るという痴漢行為をしていた、

  被害者が右回りに振り返ったときに、犯人が後退した、

  という供述をしています。

  しかし、これは密着していたはずだと思い込んでいた被告人が離れて立っていたのを見て、被告人が後退したと錯覚しただけであると考えられます。

  また、証人Tは

  被害者の背後で犯人が同方向を向いて密着し痴漢行為をしていた、

  被害者が振り向いたとき、一、二歩後退し、進行方向右側のドアの方向を向いた、

  という供述をしています。

  証人Tは、被害者が振り向いた直後に真犯人が後退したのを確認したのに、後に真犯人と被告人を混同してしまったものと考えられます。

  証人Kの目撃状況をスライドで示すとこのようになります。

  原判決は、証人Tは犯人が後退した位置について具体的に図で示しているものではないから、右後方も含みうる趣旨であって証人K供述と矛盾しないと述べています。

  しかし、この写真は、証人Tが警察での再現見分をしたときの写真ですが、犯人が被害者から二歩くらい離れていて、間に人が入れる程度の間隔があり、真後ろに下がって斜め右を向いた位置関係が指示されているのです。証人K供述とは明らかに矛盾しています。

  証人Kの供述を合理的に解釈すれば、

  被告人は、もともと「やめてください。」という言葉の前から、被害者のすぐ右後ろに立っていたことになります。

  被告人は「やめてください。」という言葉に反応して、被害者の方を向いて身を引くような動作をしたが移動はほとんどしていないのです。

  これは、基本的に被告人供述と符合しているばかりではなく、被告人が、被害者の背後に密着し、被害者の左右の腰の下あたりの太ももとお尻に左右の手でそれぞれ触るという痴漢行為をしていたということはあり得ないことをも示しているわけです。

4. 青木警官供述の信用性

  次に青木供述の信用性について述べます。

  そもそも公判廷で否認している被告人の捜査段階における警察官に対する自白供述をその内容とする取調警察官の公判廷供述は、定型的にその信用性が低いというべきです。

  被告人は、事件直後に作成された弁解録取書では明確に否認しているのに、青木に対しては、「電車の中で、女性に不快感を与えるようなことをしました。」と答えたというのは余りに不自然不合理です。

  しかも、どの言葉をも記載した青木のメモが存在しないことや、

  弁解録取の際に青木はすぐ側にいたのに、その際、被告人に対して、駅での事情聴取の際には痴漢行為を認めていたではないかと述べていないことを考えても、

  青木供述には全く信用性はありません。

5.弁護側目撃証人供述の信用性

 原判決は、弁護側の目撃証人の供述には信用性がなく、本件車両に乗車していたことも、本件を目撃したことも、その両面において相当の疑問を差し挟まざるを得ない、などと述べています。

  しかし、原審がそのような疑問を抱いたのは、十分に審理を尽くさず、弁護側の目撃証人の供述内容を取り違え、その結果、事実誤認をしたことが原因なのです。

 まず、原判決は、弁護側の目撃証人が、「大森海岸駅を過ぎたあたりで、騒ぎが起きた、自分の右前に立っていた証人Kが動く気配がして、反対側座席の方向へ向かっていき、見ると、被告人を押さえつけていた。」と供述したと認定しました。つまり、同証人が、証人Kの移動する気配に気付いたのが大森海岸駅を過ぎたあたりだと供述したと決めつけたのです。

  しかし、弁護側の目撃証人はそのような供述をしていません。青物横丁駅を過ぎた辺りから、座席に座ったまま、軽く目をつぶり、うとうとしていたら、「ふわっと向かっていったような雰囲気だった」とか、「何となく……人が動いた気配というのがありました」と供述しているのです。決して、証人Kが移動する姿を目撃したわけではないのです。

  また、大森海岸駅を通過したときの状況について、弁護側の目撃証人は、向かい側の車窓に大森海岸駅の看板がはっきり見えたと供述しています。この供述は、窓外の光景という客観的状況に基づく具体的且つ臨場的なものであり、どこから何分くらいだと思う、などという主観的感覚に基づく他の供述者の説明に比較すれば、はるかに信ぴょう性が高く信用できるものです。そして、もしも目をつぶりうとうとしていたら、大森海岸駅を通過したことを確認できないことは明らかなことです。

  したがって、おのずと時間的な前後関係は明らかになります。

  青物横丁駅を通過した頃からうとうとしていた弁護側の目撃証人は、証人Kが移動する気配を感じて、少し目が覚め、その後更に意識がはっきりしてきた時に大森海岸駅の通過を確認したということになります。

  そのうえで、大森海岸駅を過ぎたあたりで、「騒ぎ」が起きたと述べているのです。

   

  弁護側の目撃証人が平成19年4月20日に作成したファックスには、大森海岸駅の通過を対面の窓で眺めながら目をつぶろうと思った時、騒ぎが起こり、何だ!!何だ!!と見渡したら、被告人が押さえられていて、その後、もう1人野次馬が加わった、と述べられています。この「もう1人野次馬が加わった。」というのが逮捕者の証人Nであることは明らかです。

  つまり、弁護側の目撃証人が、大森海岸駅を過ぎたあたりで起きたと述べている「騒ぎ」というのは、逮捕者である証人Kが、左手で被告人の腕又は肩をたたいて、突き出すからねと一言述べ、周囲の乗客もこの行為に注目し、証人Nも動き出して被告人を押さえようとした、この時の車内の緊張、人の動き、ざわつきを、弁護側の目撃証人は「騒ぎ」と表現したのです。このときの状況については、証人Nが、事件当日に警察官に対して供述した内容とぴたりと整合しており、その供述調書は当審において提出予定です。

  原判決には、大森海岸駅を過ぎたあたりで証人Kが動き出す気配があったなどと弁護側の目撃証人が供述したかのように書かれていますが、証人の供述内容を明らかに取り違えたものであり、重大な過ちを犯しています。

  次に、弁護側の目撃証人が被害者の「子供がいるのに」などとする言葉を聞いていない点については合理的な理由があります

  まず、被害者が抗議を始めた頃、弁護側の目撃証人は座席にすわったまま目をつぶりうとうととしていて、その間は何が起きたか分からなかったのです。

  また、被害者の抗議はそれほど大きな声ではありませんでした。

  このとき被害者の抗議に気付いたという証人Kは、被害者の抗議の声が、「それほど大きな声で、びっくりするようなことではなかった」、と証言しています。

  また、被害者自身は、動転し困惑している心理状況の下でようやく抗議をしたというのですから、自分では大きな声を出したつもりでいても、第三者に聞こえた声は客観的にはさほどの大きさではなかったのです。

  原判決は、被害者の抗議が「それなりに大きな声」であったなどと極めて曖昧な表現をしています。しかし、うとうとしていた弁護側の目撃証人の目を覚まさせるほどの大きさの声だったという証拠は何ら存在していないのです。

  また、被害者の抗議は、わずか2、3秒間と思われる極めて短いものでした。被害者の抗議は、「やめてください」、「はずかしくないんですか、子供たちの前で」というものです。その次に「次で降りてもらいますから」と言ったときには泣いていて声が涙声になっており、その後は泣き続けていたというのです。

  そんな僅かな時間の抗議なのですから、うとうとしていた弁護側の目撃証人がそれを聞き取ることは困難です。むしろ、それを契機として徐々に覚醒し始め、その後、証人Kが移動する気配を感じとるに至ったと思われるのです。

  さらに、弁護側の目撃証人が座っていた位置からは被害者の姿さえ視界に入りませんでした。しかも、被害者は弁護側の目撃証人に背を向けるような方向を向いて抗議したと思われます。このような客観的な状況から判断すれば、弁護側の目撃証人が被害者の声に気付かなったことに何ら不合理なところはありません。

  弁護側の目撃証人は、証人Kが被告人に対して、覆い被さるような形に見えたと証言しています。しかし、証人Kは被告人に接近して被告人が逃げることの無いように立ち、被告人は動かなかったのですから、座席に座ったままの弁護側の目撃証人の低い視線からは、証人Kが被告人に対して覆い被さっているように見えても不自然ではありません。

  また、もうひとりの逮捕者である証人Nの動きについても、弁護側の目撃証人の位置から見れば、両者の供述内容は一致するのです。

  このような証人Kや証人Nと被告人との位置関係や、被告人が動かなかったことを考慮すれば、被告人がずっと押さえられているように見えたという弁護側の目撃証人の供述内容は、証人Kと証人Nの供述内容と何ら矛盾するものではありません。

  次に、弁護側の目撃証人は、目撃したときは、被告人のそばに女性はいなかったと証言しています。

  まず、この証人から、被告人の姿をよく見える状態だった理由は、発車直前に、たまたま目の前の座席が空いて座ることができたので、それまで立っていた前方のスペースが空いたままになっていたので、そのスペースから被告人が見えていたからなのです。

  また、被害者が立っていたドア側のエリアは、多少人と人とが触れ合うかもしれない程度の混み具合でした。車内の誰からも被害者の姿が見えたわけでもないのですから、他の乗客の影になって弁護側の目撃証人から被害者が見えなかったとしても何も不自然なことではありません。目撃しているあいだ、被告人が女性と密着していなかったというのは極めて重要な証言なのです。

  このように、弁護側の目撃証人が供述している内容は、他の供述者の供述内容や客観的な事実と合致することのほうが多いのです。もしも、実際に現場に臨んで目撃していないとしたら、予備知識がないのですから、他の供述者の供述内容や客観的な事実と合致する供述をすることはあり得ません。

  ドアが開いて電車に乗り込んでから発車するまで1分くらいだったと供述していることや、当時被告人が着用していた眼鏡の特徴、証人Kに押さえられた被告人が静かにしていた状況、京急蒲田駅に到着してから被告人が証人Kや証人Nに連れられてホームへ降りる後方から被害者が降りていく情景、被害者の服装がセーターと普通のスカートだったことなど、その場に居合わせない限り供述できないような内容について、弁護側の目撃証人は、極めて具体的且つ臨場的に供述しているのです。

  弁護側の目撃証人が自発的に公判廷において証言するに至った経緯は、ただ自分が目撃した事実をありのまま正確に伝え、公正な裁判を実現してもらいたいとの一心に基づくものであり、誰に対して有利だとか不利だとかいう利害や偏見は全く持ち合せていないのですから、その供述の信用性は極めて高いものがあります。弁護側の目撃証人の供述は、被告人が無罪であることを裏付ける極めて重要な決定的な証拠にほかなりません。その供述内容を取り違えるような間違いをしないよう、予断を排して慎重に取り扱うべきです。

6.繊維鑑定結果からの合理的疑問

 繊維鑑定の結果、被告人の手指には被害者のスカートやパンツの構成繊維は   1本も付着していなかったので、被告人の無罪は証明されている。

  痴漢事件では、被害者の着衣の構成繊維が、手指に付着していないかの「手指鑑定」しか行わないのが通常である。

  ところが、本件では、この「手指鑑定」の他に、ネクタイから採取した付着物に被害者のスカートの構成繊維が付着していないかの「ネクタイ鑑定」と「背広鑑定」2件の合計4件もの繊維鑑定を行っている。

  通常と異なり、本件で、4件もの繊維鑑定を行ったところに、被害者のスカートの構成繊維が被告人の手指に、全く付着しなかったことが読み取れる。

  被害者が穿いていたスカートの構成繊維が被告人の手指に付着していないかの「手指鑑定」の結果、被告人の手指からは、多数の繊維が検出され、スカートの構成繊維の「つよい青色」の「色調が類似した獣毛繊維」3本が検出されたとの鑑定結果になった。

  この「手指鑑定」の結果が判った頃に、ネクタイから付着物が採取されて、スカートの構成繊維がネクタイに付着していないかの「ネクタイ鑑定」が行われ、「あかるい青色」「さえた青色」「つよい青色」の「色調が類似した獣毛繊維」4本が検出されたとの鑑定結果になった。

  「手指鑑定」の結果、被告人の手指から、スカートの構成繊維と「類似」の繊維が検出されたなら、それで繊維鑑定での証明は十分であり、それ以上、「ネクタイ鑑定」をする必要は全くない。

  それなのに、被告人の手指に付着したスカートの構成繊維がネクタイに転移したはずだと、捜査官は考えて、急遽、ネクタイを領置して、引き続き「ネクタイ鑑定」をしたのは、「手指鑑定」の結果における、スカートの構成繊維と「色調が類似した獣毛繊維」という「つよい青色」との色調の判断基準が、主観的で曖昧すぎて「類似性」の判断基準にならなかったからである。

  そして、「ネクタイ鑑定」の結果における、ネクタイの付着物から検出された、スカートの構成繊維と「色調が類似した獣毛繊維」という「あかるい青色」「さえた青色」「つよい青色」との色調の判断基準も、やはり、主観的で曖昧すぎて「類似性」の判断基準にならなかったので、捜査官は、急遽、背広を領置して、2件の「背広鑑定」を実施させざるを得なかった。

  2件の「背広鑑定」の結果、被告人の手指とネクタイから採取した、スカートの構成繊維と「色調が類似した獣毛繊維」合計7本と、被告人が着ていた背広の構成繊維とは、いずれも異なるとの鑑定結果が出たが、だからといって、この7本の繊維が、スカートの構成繊維であると認められたわけではない。

  そもそも、背広鑑定は背広にスカート構成繊維が付着したとの見込みによって行なわれたもので、見込み通りの付着物を発見できなかったために、見かけ上の鑑定目的を変更したものと考えられる。

  科学警察研究所の繊維鑑定の教科書によれば、繊維鑑定では、顕微分光光度計を使えば、繊維の色調を「つよい青色」等、主観的にではなく、プロファイル(波形)で客観的に評価・比較することができ、繊維の異同を客観的に評価・比較することができる。

  警視庁科学捜査研究所でも、この顕微分光光度計による鑑定ができないはずはなく、顕微分光顕微鏡による観察の結果、上記スカートの構成繊維と「色調が類似した獣毛繊維」7本は、客観的・科学的には、波長が異なり「色調が異なる」との結論が出ているはずである。

  なお、「手指鑑定」「ネクタイ鑑定」には、「被告人の手指やネクタイの付着物 から、被害者が着用していたパンツの『無色綿繊維に類似した無色綿繊維』が認められた。」とあるが、鑑定書の『参考事項』に、「無色綿繊維は、生活環境中至る所に多数認められるものであるため、パンツに由来するものか否かは不明である。」と記載してあるとおり、パンツの構成繊維である無色綿繊維が被告人の手指やネクタイに付着したと認めることはできない。

  この様に、被告人の手指やネクタイに、被害者が着用していたスカートやパンツの構成繊維が全く、1本たりとも付着したと認めることができないことから、

(1)被害者供述や証人T供述のように被告人が手指で被害者のスカートやパンツに触ったことが客観的証拠で裏付けられず、被告人が本件痴漢行為をしたとするのには、客観的で、具体的な合理的疑問が残ることになる。

(2)捜査官は、手指から出なかったら、ネクタイに転移したはずだと考えて次から次へと4件も繊維鑑定をしたのであり、捜査官の経験上、被害者や、証人Tの言うとおりに被告人が触ったならスカートやパンツの構成繊維が出ることを確信していた。

  また、痴漢事件での繊維鑑定は、痴漢で触ったら、被害者の着衣の構成繊維が触った手指に付着する蓋然性が高いからこそなされるものであり、だからこそ、警察庁も、全国の警察に、痴漢事件で、繊維鑑定等の科学的捜査をするように文書で、指示を出している。

  したがって、被告人の手指やネクタイから被害者のスカートやパンツの構成繊維が1本も検出されなかったということは、高度の蓋然性を持って、被告人が被害者のスカートやパンツに触っていないということを推認させ、被告人の無罪の証拠となっている。

  このように、本件は、被告人の無罪の客観的・科学的証拠がある冤罪事件である。

7.被告人供述の信用性

  被告人は、本件電車に乗る直前に多量の飲酒をし、その結果、「子供がいるのに」という女性の声があがった直前をピークに酔いがまわっていました。

  被告人からは、午後10時52分頃に実施された飲酒検知において、呼気1リットルあたり0.47mgのアルコールが検知されていますから、犯行があったとされる時刻における被告人の血中アルコール濃度は、最小値で1.0366mg/ml、最大値で1.11336mg/mlと合理的に推認されます。

  そして、血中アルコール濃度が1mg/mlを越えると、歩行失調、協調運動障害が起こるとされています。

  したがって、被告人は本件犯行があったとされる時刻に歩行失調、協調運動障害が起こった状態であったと合理的に推認できます。

  また、危険運転致死傷罪の適用された裁判例では、呼気検知結果が呼気1リットルあたり0.4mg程度あるいは0.45mg程度で「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」であったと認定されている例が複数あります。

  また、別の裁判では、検察官から、「血中濃度が1ミリリットルあたり0.9~1.0ミリグラム程度になれば前頭葉などが抑制され前方注視及び運転操作が困難になる」などとした鑑定意見も提出されています。

  これらに鑑みても、本件犯行があったとされる時刻に、被告人は「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」と同程度の状態であったと合理的に推認できます。

  さらに、被告人がその当時約4キログラムのカバンを右肩のみにかけ、左右のバランスが極めて悪い状態であったこと、真犯人は傘を手首に掛けていたとされていることなどの事情もあります。

  したがって、被告人が、吊革につかまることなく、上記犯行を行うことは不可能です。

  次に、原判決は、被告人の供述は、被害者供述及び証人T供述などの信用できる各供述に反し、信用できないとしますが、これまでに述べてきたとおり、それらの供述こそ信用性がないのであり、それらの供述をもって、被告人の供述の信用性を否定するのは誤っています。

  原判決は、被告人の供述において、4つのポイントをあげ、不自然・信用できないとしていますので、それらの各点について検討します。

  原判決は、まず、被告人が上り電車と下り電車を間違えたこと、被告人が逆方向の電車にそのまま乗っていたことが不合理であるなどと認定しています。

  しかし、被告人の酔いの程度の推移はこれまで述べたとおりであり、被告人は、頭が働かず「まあいいか」とそのまま電車に乗ってしまったのです。また、被告人は「一度降りようと試みたものの、何人かの人に押し戻された」のです。

  原判決は、それらの事情を適切に評価しておらず、不当です。

  原判決は、被告人が犯人扱いされた際に否定しようとせず、目撃者等も捜すことなく、そのまま連行されたことは理解し難く、駅事務室に来た警察官から、人定以外聞かれなかったことも不自然であるなどと認定しています。

 しかし、被告人は、有名人であり、騒ぎになることを避けるために、小さい声で否定し、目撃者等を捜すことなくそのまま連行されたのであり、自然・合理的と言えます。

  また、一般に、駅事務室に来た警察官が、駅事務室において人定以外しなかったとしても不自然と評価すべきではありません。

  なお、原判決は、被告人が被害者に対して、失礼というような感じで手を顔の前に上げて被害者に対して頭を下げるなど謝罪するような態度をとったなどと認定しています。

  しかし、その被告人の動作に関する、目撃者証人T、逮捕者証人K、被害者の供述は明確に、しかも大きく異なっています。

  原判決は、これらの供述を都合良くきりはりして、あたかも相互に信用性を高めているという前提で誤った認定をしているのです。

  被告人の動作は、被害者の突然の動きに驚き、身をひきながらたじろいだ、反射的な動作と考えられ、元々その場(被害者の右後ろ)に被告人が立っていた時に被害者が突然振り返った状況です。

動画でみてみるとこのような動きになります。

  原判決は、被告人の記憶は、ある部分は曖昧、自己に都合がいい部分は明確であり、自己の都合に従って供述しているとうかがえる面があるなどと認定しています。

  しかし、被告人は上記の酔いの程度に応じて、あいまいなことと覚えていることを慎重に区別して、自然・相応に、そして誠実に供述しているのです。

したがって、「自己の都合に従って供述しているとうかがえる面がある」などという評価は全くあたりません。

  原判決は、証人Kの供述によっては、本件当時の被告人の位置についての被告人の供述を裏付けられないと認定していますが、証人Kの供述が本件当時の被告人の位置についての被告人の供述を裏付けていることは既に述べたとおりです。

8.結論

  最後に結論を述べます。

  前節で述べたように、一貫性と詳細さを備え、十分に信用性のある被告人の供述は、同様に十分に信用性のある弁護側目撃証人の供述によって、裏付けられています。

  弁護側目撃証人は、事件当日、被告人と同じ電車に乗り合わせ、品川駅から青物横丁駅くらいまで被告人を見ていたところ、被告人は酒に酔い、疲れた様子で、右手でつり革につかまり、下を向いて揺れており、痴漢行為はしていなかったというのです。

  また、証人Kの供述も、基本的に被告人供述と符合しているばかりでなく、被告人が、被害者の背後に密着し、被害者の左右の腰の下あたりの太ももとお尻に左右の手でそれぞれ触るという痴漢行為をしていたということはあり得ないことをも示しています。

  それに加えて、スカート・パンツの構成繊維が被告人の手指やネクタイから1本も検出されていないことも、被告人が本件痴漢行為の犯人でないことを証明しているということができます。

  他方で、被害者の犯人識別は、犯人が真後ろに密着していて、被害者が真後ろまで回転して犯人と対面したことが重要な根拠になっているところ、被害者は、自分がどの程度回転したのかについて誤認しているだけであって、真犯人は真後ろにいたのに、右後ろにいた被告人を犯人と誤認しただけにすぎないのです。

  そして、証人Tの供述にも、幾多の根本的な疑問があり、証人Tの供述を根拠にして被告人を犯人と特定することもできないことが明らかになりました。

  以上述べたところから、被告人は本件痴漢行為の犯人ではなく、無罪であることは明らかであり、原判決の認定には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があります。

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2008年3月24日 (月)

日本経済の4重苦:円高、株安、原材料高、米国不況(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十七弾です)

 日本経済の停滞に対して、海外の厳しい目が注がれている。英エコノミスト誌は 「JAPAiN」と題した日本に関する特集記事を掲載した。JAPANとpain(苦痛)をかけた造語である。円高、株安、原材料高、サブプライムローン問題によって引き起こされた米国不況など、日本経済を取り巻く環境は厳しい。それぞれが、どの程度日本経済にダメージを与えるのかを、詳しく説明するつもりはないが、それぞれ悪影響を及ぼすのは間違いない。

 円高に関しては、様々な意見がある。円高でも企業は頑張るべきだという意見も多い。しかし、頑張れば経済が発展するといった簡単な話ではない。円高でも利益を出している企業があるではないかと言う人もいる。円高だと輸入物価が下がり、消費が伸びるから、景気が回復するといった珍説まである。しかし、日本経済は外需の伸びで今まで支えられてきた。輸出企業にとっては、円高は厳しい。

 円高とは、日本製品を一斉値上げするようなものである。1割円高になれば、外国にとって、日本のすべての商品が1割高くなる。値上げしたら売れないということなら、値上げせずに企業が差額を負担する。そうすると企業の利益が減る、あるいは赤字になって商売にならなくなる可能性もある。もちろん、原材料が輸入品であれば、円高で原材料が安くなる可能性もあり、企業によりまちまちである。果たして、円高が日本経済にプラスなのか、マイナスなのかを考えるには、マクロ計量経済学に基づいたシミュレーションを行い、様々な要因をすべて組み込んで計算すればよい。

 日経新聞社の経済モデルを使い求めた結果を下の図で表した。一番下が何もしなかった場合の実質GDP、そのすぐ上が、円売りドル買いの介入をして、10円の円安にしたとき(例えば1$=100円から1$=110円にしたとき)であり、その上が20円の円安、その上が30円の円安のときである。参考のために、10兆円~50兆円の財政出動をしたときの、実質GDPも示した。

 このグラフで良く分かる。円高は間違いなく、日本経済の成長にとって害になり、その意味でドル買い介入のメリットはある。円高で景気が良くなるという珍説は完全に否定される。では、為替介入をしたらどうだろう。現在は巨額の資金が国を超えて動き回っているから50兆円程度のドル買い円売りの介入でも、10円の円安は難しいのではないか。第一50兆円の介入をしようとすれば、まず政府が国債を発行して円を手に入れ、その円でドルを買うわけだから、国の借金は確実に増える。それによるGDPの増加はほんの僅かしかなく、間違いなく国の債務のGDP比は増える。しかもドルを持っていても、人為的に値上がりさせたドルが、将来値下がりすることも考えられ、その場合は巨額の差損が発生する。

 同じ50兆円を使うなら、財政出動で減税や歳出拡大で国民のために使ったらどうだろう。この図で分かるようにGDPを押し上げる効果は数十倍はある。そのため国の債務のGDP比は下がってくるし、税収も回復してきて財政が健全化する。財政出動のほうが、為替介入よりはるかに良い。株安、原材料高、米国不況による悪影響がどれだけか、一つ一つ議論するつもりはないが、それなりの悪影響は確実だ。重要なことは、それらの悪影響を一気に挽回できるほど財政出動の効果は絶大なのだ。政治家の決断次第で日本経済のV字回復は可能なのだ。最悪なのは、何もしないこと。本日(2月24日)の日経新聞にも内閣支持率が31%に急落しており、安倍内閣末期の支持率程度まで下がったとのこと。日銀総裁の件では民主党も支持率を下げたとある。

 台湾総統選挙も終わり、これで、台湾も韓国も経済のてこ入れを重視することが鮮明になった。日本は台湾・韓国などとは比べものにならないほど経済が悪化している。しかし、幸いなことに、デフレ経済であるのだから、財政政策が極めて有効であり、しかも当分はインフレ率が高すぎるような事態は起こりそうもない。今こそ政治家は目先のプライマリーバランスの改善ではなく、国民に目を向け、経済を復活させ、経済成長による財政再建を目指すべきである。(小野盛司)

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“お知らせです” 

 3月26日の日本経済復活の会の定例会

3月26日(水曜日)、東京にて宍戸駿太郞先生の講演があります。日本経済復活のために今何をすべきかという大変貴重なお話を聴くことができます。皆さんも是非、積極財政論の真髄を味わってください。小野会長のお話とともに、日本経済復活の希望を得て帰っていただきたく思います。弁当やお茶の用意がありますので、決まったら上記案内をご覧の上、小野会長宛にご連絡ください。電話でもメールでもけっこうです。(神州の泉・管理人)

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「さかなのうた」に想う

「さかなのうた」に想う(神州雑感)

一、神州という言葉に惹かれて

 私がこのブログをはじめたのは、単純に言って、「神州」という言葉に強く感化されたからである。はじめて意識した神州という言葉が、眠っていた私の深部を奇妙に揺さぶった。それまでは私の意識の奥底に茫漠と沈潜していた日本の風景が、神州というキーワードによって一瞬鮮明な姿として脳裏に映し出されたのである。神州という言葉には不思議な光輝が宿っている。その古風な言葉は、今は忘れかけた淡くてすがすがしい日本のたたずまいを亡羊としたもやの中に浮かび上がらせる。それは現実的な風景というよりも、日本人すべてが、生まれながらの日本的霊性を凝集し、現実の風景を絵画的な風景に再構成したという感じである。他人に言ってもそのニュアンスは伝えられないかもしれないが、神州の絵画的イメージを惹起する鍵となるものが靖国神社の境内にある。それは参道の途中にある神門に飾られた直径一メートルはあろうかと思える大きな菊の御紋章である。この御紋章には神武天皇以来、日本人の心に燦然と輝き続けている霊的な日本の光輝がある。神州とは日本人すべての心に宿る原初的な精神原像のことなのだ。

 今から40年以上前の幼少年期、ふるさとの山野に遊んだ自分の原体験をもとに、日本の風景論や文化論を多角的に考えてみたいという単純な動機からこのブログを始めた。ところが、いざ始めてみると当初の思惑とは違って、政治や時事ニュースの感想ブログになっていた。その上、人間関係の綾なす織りは不思議なもので、いつの間にか、エコノミストの植草一秀さんを応援していたり、現在は日本経済復活の会の会長さんの積極財政論シリーズをこのブログで連載していただいたりしている。植草一秀さんが遭遇した身に覚えのない濡れ衣事件については、調べれば調べるほど、彼の良心が理不尽な迫害を受けているという結論しか出てこない。この日本が本来的な日本人の精神土壌から乖離して、アメリカ的な唯物主義、金銭至上主義的な方向へねじれて来たことが見えてくる。昨今の日本を囲繞する真の問題は新自由主義である。この新自由主義が根付いた土壌にはGHQが刷り込んだWGIPという東京裁判史観とマルクス主義の連結があった。戦後教育とこの連結史観によって、日本人の心から伝統的霊性が徐々に失われ、1970年代からは、その空白の精神土壌に新自由主義が静かに根を下ろしてきた。

二、新自由主義の台頭

 日本人は新自由主義を経済の一形態としてしか理解していないが、実はこれこそが伝統や固有の文化を根こそぎ無化する破壊的なイデオロギーだったのだ。小泉純一郎氏や竹中平蔵氏の欺瞞の構造改革によって、日本の基礎構造(国体)が揺らいでしまった。それほど彼らの採用した国策は国家の屋台骨を危ういものにした。私は経済にはすこぶる疎いのであるが、どういうわけか最近は経済のことがらに縁が深くなっている。小野会長にしても、植草さんにしても、城内実さんにしても、彼らは斯界にあっては、ずば抜けて優れた頭脳の持ち主であり、知的フィールドにおいては私のような凡庸な人間との共通性はない。しかし、一つだけ思いを同じにしている部分があるとするなら、それは壊れかけたこの日本を修復したいという切なる気持ちであろうか。このような優れた方々と私を結ぶ線があるとするなら、それは日本回復への情念だと思う。

 小野会長や植草一秀さん、城内実さんに共通することは、この青息吐息の弱った日本に万民幸福の原理を実現したいという願いであろう。わかりやすく言うなら、小野会長は日本人を貧乏にしてはいかんと言い、植草さんは弱者を掃き捨てるような社会ではなく、経世済民の実現を願っている。城内さんも弱者に優しく地方に暖かい万民幸福の政治理念を持つ。三者とも、同じ願いと展望をこの日本に抱いている。私がささやかながら関わったこのお三方が、然るべき地位に付き、病みつかれた日本を再生する大きな力になってくれることを願っている。今の日本は本気で日本を考える有能な人が叩かれてしまうことが多い。気をつけなければならないのは、マスメディアが好んで取り上げ、持ち上げる人物は国民を崖っぷちに導くハーメルンの笛吹き男の場合が多い。メディアは小泉純一郎を異常に礼賛し、御用学者たちはそれを援用した。その結果、日本にもたらされた惨禍は記憶に新しい。日本の崩壊は今に始まったことではないのだが、小泉政権によって急速に自壊速度が早まった。55年も生きていると日本社会の空気の変化がよくわかる。新自由主義という猛毒の潮流が日本を深部から痛めつけているのだ。

三、英霊の言乃葉(えいれいのことのは)

 ブログをやっていて、植草さんを嵌めた国を売る勢力が放っている瘴気紛々たるおぞましい気配を感じたり、日本人が人間としてだんだん劣化してゆく姿を日々のニュースで見ていると、気持ちが汚れた曇りガラスのようになる。今の日本の生活風景は醜悪である。都市に行っても、地方に行っても、私が少年のころの風景とはまったく異なった異様なたたずまいが目に入る。山も、川も、谷も、田んぼも、畑も依然としてあるが、それは以前のような清新な輝きを持たず、まるで日本列島全体が毒物を散布されて醜悪なただれを帯びたように、その光景はくすんでしまった。安倍晋三元首相は「美しい国へ」を政策基調のモットーに掲げた。しかし、小泉政権が敷いたネオリベ政策を踏襲したために、彼の理想とした国家構想は絵に描いた餅の域から出ることはなかった。それどころか、新自由主義の暴虐性は、戦後にかろうじて残存していた日本の良さや美しさを徹底的に破壊しつくしてしまった。日本を蚕食する真の問題は左翼や右翼思想というイデオロギーではなく、37年前に三島由紀夫が洞察していた無国籍化という現代思潮にある。

 それは左でも右でもなく、ネオリベラリズムである。経済政策として理解される新自由主義は、左右思想の枠を超えてイデオロギー化し、それは文明破壊の猛毒を秘めた代物だった。日本の再生を願う人たちは、今の日本の状況を左右思想の桎梏ではなく、社会ダーウィニズムを基調とした市場原理至上主義の問題として捉え、そこからの脱却を計らねばならない。ここで重要なことは、新自由主義を経済の一方法論として捉えることの間違いである。新自由主義はすでにイデオロギー化して日本人の心を野獣的な野蛮性に変えつつある。これを阻止して、もとの日本的霊性に日本人を軌道修正するためには、日本人が忘却つつある神州の風景を心に甦らせることである。神州という言葉は、戦後生まれにとっては大東亜戦争という言葉と同様に馴染みの薄い感じであり、その言葉を見てかすかに記憶にひっかかるものを感じたとしても、あえて意識の表層に乗せることを拒む言葉の一つなのであろう。私は四十路に達して、神州という言葉を目にし、大東亜戦争史観とは別に、景観論的な方向性からこの言葉に強く感応した。とは言ってみても、神州という言葉を初めて強く意識したのは、大東亜戦争史観とは不即不離である靖国神社が出版する「英霊の言之葉(1)」を読んだときであった。

 そこには、特攻兵器「回天」の訓練中、海底で事故死した若き海軍大尉の遺書があり、その中に「神州ノ尊  神州ノ美  我今疑ハズ 莞爾トシテユク万歳」という記述があった。海底に座礁した回天の中で死を待つばかりのとき、彼の末期の目に映った日本の尊厳や美しい風景は奇しくも「神州」という言葉で表現されていた。海底に座礁し、酸素の乏しくなってきた回天の絶望の中で、死が訪れるわずかの間、この若い海軍大尉は日本に神州の尊厳と美を確信した。そして最後の言葉を残して従容と旅立って行った。彼の死に様は特攻の潔い戦死ではない。無念の事故死であり、しかも狭い艇内、酸素欠乏で死ぬまで時間が残されているという地獄の状況にあった。しかし、それでも後輩に必要なことを書き残し、神州の美しさを讃仰しながら泰然として死に赴いた。私は彼の記述を目にした時、一晩中涙が止まらなかった。と同時に、私はある種の霊感に打たれ、この言葉をキーワードとして、日本の霊的な風景を垣間見る思いがした。神州という言葉には日本人特有の内面を構成する心象風景の原像がある。

 日本人は日常的な生活においては日本の風景を絵画的に意識することはない。それは田舎で野外作業に従事し、慣習的に自然の風景を見慣れている人にあってもそうである。しかし、死に臨んだときの日本人は、末期の目に映る風景として、一瞬のうちに、凝集的に日本の美を内面のスクリーンに垣間見るようである。吉田満の書いた「戦艦大和ノ最後」にも末期の目に映じた日本がある。日本人は内面が日本的な風景と一体化していたのだ。だからこそ、日本には欧米の観念が流入する明治まで独自の風景論がなかったのだ。ところで、特攻に関して気になることがある。最近は右派論陣の中にも、特攻という事象を美化せずにプラグマティックに捉えろという、ほとんど左翼的な思潮が主流になってきたようだが、私はまっこうからそれを否定する。なぜならその論調には日本人としての心象風景が存在しないからである。

 臆せずに私の解釈を言わせてもらうなら、特攻心情とは、祖国愛の静かなる表出として「もののあはれ」が究極的に凝縮したものである。その精神風景にはいっぺんの野蛮性も濁りも存在しない。この民族性のアーキタイプ(原型)が理解できないと、特攻と自爆テロを同位同列に捉えてしまうという間違いを犯してしまう。戦後の日本人は東京裁判史観の刷り込みによって、戦前思想や戦前の内面風景をことごとく喜捨する方向に進んでしまったが、民族には時代によって変わらない心の形があるはずである。戦前の日本人の心のあり方にはけっして捨ててはならないものがあったはずだ。現代日本人はこの心のアーキタイプを無価値化したために日常性が無国籍化してしまった。こう述べてもわからない人は大勢いるだろうが、我が国の長い歴史の中で、美しい風土とそこに住む人間の内面性の関係を黙考すると、特攻の基本心情が深く祖国を慈しむ詩情に満ち溢れたものであることがよくわかる。

 四、童謡、文部省唱歌にこそ、神州風景の原点がある

 風土とそこに住む者の内面との濃密な相関性。これこそ日本人の心象風景の基本形である。私はけっして難解なことを述べてはいない。たとえば、風土と内面の関係をよく表すものが最近までわかりやすい形としてごく身近なところにあった。それが戦後でも比較的最近まで学校で取り入れられていた文部省唱歌なのである。私の年代も子供のころ、よくなじんだ唱歌がたくさんあったが、戦前は私の知らないよい唱歌がたくさんあったと思う。文部省唱歌には、万葉の詩詠み人であった我々の祖先が目にしていた美しい自然への讃歌やもののあはれが、単純でわかりやすいメロディーや歌詞にさりげなく込められている。これが親しみやすい旋律や単純明快な言葉を通して、詩情豊かに子供たちの心にストレートに入っていたのである。

 文部省唱歌は子供たちの情操教育にもっとも直截に、効果的に訴える力を持っている。外で遊ぶ子供たちは、身近な里山や川辺の自然を親や仲間たちと一緒に過ごし、文部省唱歌に込められた自然のエッセンスを素直に内面に取り入れる心的行動様態を身に着けるのである。この在り方こそ徳育の基本である。ところで、私が城内実さんを応援する理由は、彼の筋を曲げない一貫性にもあるが、やはり彼の基本的な世界観を認めているからでもある。その一つには彼が童謡や文部省唱歌を評価していることも大きい。藤原正彦氏との対談で城内さんは童謡、あるいは文部省唱歌の復活を説いている。これだけでも彼が真の日本復活の展望を持つ政治家であることがよくわかる。ちなみに私が特に好きな歌は「紅葉(もみじ)」である。

紅葉(もみじ)
         高野辰之
一、
  秋の夕日に照る山紅葉、(もみじ )
  濃いも薄いも數(かず)ある中に、
  松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は、
  山のふもとの裾模樣(すそもよう)。
二、
  溪(たに)の流に散り浮く紅葉、(もみじ )
  波にゆられて離(はな)れて寄つて、
  赤や黄色(きいろ)の色さまざまに、
  水の上にも織る錦(にしき)。

 五、神州模様とは白砂青松、山紫水明

 話が逸れたので神州論にもどす。さて、「神州ノ尊  神州ノ美」であるが、 私はその記述を読んだとき、自分の幼年期に味わった自然体験の瑞々しい感動と結びついて、日本本来の風土や自然の美を強く意識し、日本人の精神性が豊饒な自然と不可分であることを悟った。ただ、日本人は明治になるまで自然(natural)という言葉を持たなかったということを考えると、それまでの日本人はあまりにも自然と深くなじみすぎていて、自然に対して我(われ)があるという対置的な客観性を持たなかったようだ。つまり日本人の精神性は自然と融合していたのである。我と自然が同化して日本人の精神を形作っていた部分は否定できない。あまりにも自然が内面的に入り込んでいて、欧米人のように対置的な視点で自然を捉える慣習はなかったのである。そのために、戦後における日本人の環境保全概念は最悪の様相を帯びた。

 つまり、日本人の気持ちには自然を保全するという感覚がないのである。それはあまりにも自然が内面化していて客観性を持たず、当然、それを保全するという思考が出てこないのである。もう少しわかりやすく言うと、日本人の自然観は徹底的に内面化されているために、心象風景の崩れはそのまま、外の周辺環境を醜くするのである。ドイツ人やフランス人など欧州人は自然を客観物として対象化するので環境保全概念は発達している。日本人は自然を内面の延長として意識するために、内面の荒廃がそのまま周辺環境の荒廃をもたらしてしまう。これは建築や街並みなどの人工物に対しても同様である。戦後日本の街路や街並みは気持ちが萎縮するほど醜悪である。戦後日本は秀麗な自然の山々の天然林を破壊して単調で無機的な人工林に置き換えてしまった。そのために杉花粉症に苦しめられていると言うが、もっと破壊的だったことは日本人の情操のゆがみが起こったことである。もののあはれを伝統的に解する日本人は、その根幹的な情操を基にした審美的な眼を、アメリカ的な文明摂取とともに、人工林を増殖したことによって喪失してしまった。なぜなら、日本人の情緒性、審美性は自然の美しさと不即不離の関係を持ち、自然は文字通り日本人の身体の一部だったからである。

 白砂青松、山紫水明を自己的な生活風景として当然のように享受していた日本人は、戦後民主主義の到来とともにその感覚を喪失した。山野を開墾し、片っ端から日本全土の自然林をつぶし、産業に役立てるために美しく豊饒なる天然林を人工林に置き換えた。河川を堰き止め、川辺や海辺をコンクリートの人工護岸に置き換えた。そのために民族の原初的な情操、情感は破壊されてしまった。同時に子供たちから、美しい自然を讃美した童謡や文部省唱歌が失われていった。これが戦後教育荒廃の根幹的原因である。戦後教育に取り込まれた東京裁判史観によって精神の深部を蚕食され、同時に美しい天然林をつぶして人工林に置き換えたために、山や老木、岩などに対する畏れや信仰を失った。

六、徳育の基層には豊葦原瑞穂国の秀麗な情景がある

 我々は、教育と言えば、ともすれば学校の教室で教わる人文科学的な世界をイメージするが、人間に必要な教育は知育と徳育のバランスにあることを気付かねばならない。特に情操教育は徳育の基本である。日本人の徳育は、核家族化の前、三世代が同居する大家族時代には祖父母が孫に人として必要なことを教えていた。人倫の基本である。しかし、当時の日本人の徳育にはもう一つの重要な要素があったと思う。それこそが水田や河川の美しさ、そして里山や奥山の美しさであったと思う。欧米型の産業文明にあまり侵食されていなかった時代は、原初的な自然として、日本固有の秀麗な風景がいたるところに見受けられた。この美しい山村の風景が、子供のみならず大人たちの精神性にも大きな影響を与え、情緒的な意味で徳育の要素になっていた。つまり、自然の美しさが日本人の深い情緒性を涵養していたのだ。

 ここで話の流れを神州論に合流させる。特攻兵器「回天」の訓練中、機関の故障により海底に座礁し、救助の見込みのない中で、ただ死を待つばかりの最後に書かれた遺書には「神州ノ尊 神州ノ美」が書かれていた。若き海軍大尉の末期の眼には、「神州」の美しい情景が映っていた。この情景こそ、日本の故郷や日本人に対する尽きせぬ深い愛情である。この風景は特攻訓練をしていた当時の日本人の心だけにあったものではない。現代日本人の心にもきっとその心の窓は残っているに違いない。戦後の日本人はひどく劣化してしまった。もちろん、本物の教育原理が失われたあとでこの世に生を受けた若い世代も、当然のようにひどい劣化を起こしている。しかも、日本には本物の教育環境が損なわれた代わりに、新自由主義という殺伐とした非人間的な思潮が覆い尽くすことになった。最悪である。しかし、若者のDNAには神州が生き残っている。悠久の時間をかけて磨かれた民族の情緒的感性をしっかりと保っている者が次々と出ていることも事実である。これは絶望の中の希望である。

七、終章、「さかなのうた」・・・それは希望の轍(わだち)

  ここまで荒廃、劣化した日本列島にも、まだ希望の光が輝くこともある。それは若い人の感性が美しく花開いているのを見つめる時である。ネットで偶然に見つけたが、公開されている動画にとても美しいアートがあった。それは東京工芸大学の犬尾さんという人の自主制作音楽アニメ「さかなのうた」である。最初何気なくこの作品を見ていたら、妙に気持ちが惹きつけられ、何度も見て音楽を聴いているうちに深く癒されてきた。なんというか、みょうに心の深部に入ってくるアートである。

 アニメも非常に洗練されていて美しい。空を飛ぶシーラカンスを思わせる幻想的でメカニックな魚がゆっくりと動くさまは、あたかも太古に流れていた時間が視覚化したような不思議な光景になっている。そしてこれも幻想的で暗い静かな森が出てくるが、そこにたたずむ少年の姿は、一幅の静かな絵画を眺めているようで、美しい。また音楽は作者自身が演奏し、歌っていると思うが、このフラクタルな波のような音楽は静謐さがあり、心地よい。そして内省的な気分に満ちている。視覚でも、聴覚でも、この作品は相当な完成度を持つというか、一つの高度な芸術作品である。作者がどのような思想で作ったのか知らないが、少なくとも現代の慌しい殺伐とした世界に流れる時間とはまったく異なる、人類が忘却した遠い太古のやさしい時間に誘(いざな)われるような気分になる。この作品のモチーフとなっている少年と空は永遠の時間を象徴している。

 繰り返して聴いていると、深い慰めを感じる不思議なアートである。昔、幼いころ、暗いブナの木々の中を一人で歩いている時に感じた清涼な孤独感と奇妙に共振するものがある。街に流れる時間とはまったく別種の太古の時間が見えるようだ。心の琴線に触れるという表現はよく聞くが、この作品はまさにそれである。私の神州論は大したものではないが、この「さかなのうた」は是非鑑賞して欲しいと思う。気持ちが何ともいえない深い静けさに満ちてくること請け合いである。日本人も捨てたものではないと思う。欧米の近代主義とは違う日本特有のスピリチュアルな美しい世界を少し覗いたような気がした。

   http://zoome.jp/inuo/diary/2/


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2008年3月22日 (土)

外国人の日本株離れ鮮明(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十六弾です)


 東証の発表によれば、三月第二週に外人投資家の日本株の売り越しは、ブラックマンデーに次ぐ過去二番目の規模になったそう。日本売りが止まらない。世界の株式時価総額で日本の昨年のシェアは1990年の5分の1に縮小しており、今年も派手に株価は下落している。衆参で意見が合わず、日銀総裁も決まらない。現在の日本の政治は何も決まらない機能停止状態に近い。それが日本経済の停滞に拍車をかけている。

 お隣の国の中国は、独裁国家だ。何でも簡単に決まる。反対意見があっても問答無用で決めてしまう。チベットでも、何が起こっているのか我々には見えてこないが、多分流血を伴うチベット人弾圧で大変な事態となっているのだろう。政府は力で押さえ込んでしまう。日本と中国の政治体制、どっちがよいのか。学校では独裁より民主主義がよいと教わってきた。しかし、民主主義もここまで非効率になり、機能不全、国民不在の政治となると問題である。一方、独裁国家の中国が飛躍的な経済発展をしている。民主主義の日本が14年間もデフレが続き、経済崩壊とも言えるほどの落ち込みが続いているのに、政治はそれを食い止める手だてを何も打ち出せないとなれば、本当にこれでよいのかと考えてしまう。このような政治の無能から引き起こされた経済停滞を放置していると、独裁者の出現を待望する気運が生まれないとも限らない。

 経済は複雑で、停滞の原因が何かが、誰でも簡単に理解できるというものではなく、どうすれば現状を克服できるのか様々な意見が飛び交う。私も多くの国会議員と個人的に接触し、それぞれの考えを聞いた。深刻な意見の不一致で立ち往生している現状をいやというほど知らされてきた。一つ一つ話せばきりがないのだが、例えば、民主党の枝野幸男氏に2003年頃、「50兆円規模の財政出動をすれば、日本経済は見事に立ち直る」というシミュレーションの説明した。当時、彼は「自分も5兆円、10兆円の景気対策をやる位なら50兆円位の財政出動を思い切ってやったのがよいと考えている」と言った。私は「好感触」と感じた。2年後、再度、もっと具体的にその話を彼にするために会ったのだが、驚いたことに、そのときの彼の反応は全く逆だった。「景気対策など、全く効果はない。減税しても、現代は物が余っていて、買う物など無いから消費は全く伸びず、景気はよくならない。」ともの凄い剣幕でまくし立てられた。

 それほど多くはないのだが、こういった政治家には、時々出くわす。冷静に話し合おうとせず、相手の話を封じ、持論を押し通す。経済の議論をしようと思えば、過去の経済データを元に、科学的に分析し、将来の予測をしなければならない。天気予報だって、下駄を投げて明日の天気を予想するより、膨大な気象データを大型コンピュータでシミュレーションをすれば、当たる確率が高くなるではないか。可処分所得が増えれば、それに比例して消費が伸びることは、過去の膨大なデータに裏付けられた動かしがたい事実だ。10万円程度の減税をやってもらっても、枝野さん個人としては消費を増やさないかもしれない。しかし、国全体では確実に違うのだ。

 金利が上がれば利子収入が増えて景気が良くなるという「珍説」がある。一見してもっともらしく思えるのだが、経済は利子収入だけで終結するのではない。だからこそマクロ経済モデルを駆使したシミュレーションが必要となるのだ。例えば、内閣府の試算を引用しよう。短期金利を1%上げたらどうなるか。まず設備投資が大きく下がる。お金を借りて設備投資をしようとしている人にとって、利払いの増加は大きな痛手となるからだ。初年度1.33%、2年目2.97%、3年目3.63%も減少する。住宅投資も同様に金利が上がれば買いにくくなるのだが、こちらは2年目から効いてくる。1年目は変化なしで、2年目は0.81%の減少。では利払いの増加で消費はどうかと言えば、初年度は-0.02%、2年目0.06%、3年目0.17%というわけで、増加はするが、増加幅は小さい。総合的には、名目GDPも、実質GDPも大きく下がり、デフレは加速し、失業率も増える。更に金利の値上がりは、借金を多く抱える国・地方の財政を大幅に悪化させる。悪いことばかりだ。

 それでもなお、日銀は金利を上げたがるし、マスコミはいつ上げるのかと催促している。全く間違えた判断だ。デフレのときに金利を上げてはいけない。14年間もデフレが続き、経済はどん底に落ち、更に日本は貧乏への道をばく進している。私の提案は、もうここで思い切って、経済政策だけは、マクロ計量経済学の結果を全面的に信頼することとし、シミュレーションで最良と出た手法に忠実に従って、経済政策を進めたらどうかということだ。経済が成長し、国民の暮らしが改善し、更に環境問題に十分対処できるような政策を、コンピュータではじき出し、その結果には誰も口出しをしない。つまり完全な独立性を確保すればよい。

 経済理論も色々あるかもしれない。しかし、過去の経済データをどの理論が忠実に再現できるかを見れば、どの理論が最も優れているかは判断が可能であり、最も優れた理論を使えばよいだけである。その理論に基づいたシミュレーションにより定まった最良の経済政策には誰も口を挟むべきではない。この考え方に基づくなら、財政と金融の独立性は不要である。いわば、大型ジェット機の自動操縦のごとく、人間は関与しなくても、最良の政策決定が可能だ。これは極めて効率的であり、合理的であり、日本経済を最も成長させることができる方法が導けることは間違いない。日本経済が発展すれば、日本売りがとまり、日本買いが始まる。(小野盛司)

“お知らせです” 

 3月26日の日本経済復活の会の定例会

3月26日(水曜日)、東京にて宍戸駿太郞先生の講演があります。日本経済復活のために今何をすべきかという大変貴重なお話を聴くことができます。皆さんも是非、積極財政論の真髄を味わってください。小野会長のお話とともに、日本経済復活の希望を得て帰っていただきたく思います。弁当やお茶の用意がありますので、決まったら上記案内をご覧の上、小野会長宛にご連絡ください。電話でもメールでもけっこうです。(神州の泉・管理人)

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2008年3月20日 (木)

景気が「踊り場」入り?? デフレとは大不況を意味するのに!(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十五弾です)

 昨日(3月19日)の関係閣僚会議で、大田弘子経済財政担当相は、「景気は踊り場状態にある」と表明した。しかしながら、下の図を見ていただければ分かるように、日本経済1994年からデフレーターがマイナスになって以来、ずっとデフレが続いている。デフレとは、どの国も絶対に避けようとする大不況の状態だ。だから、デフレを続けようとする馬鹿な国はどこもない。日本も1997年に僅かにデフレーターがプラスに転じたように見えるが、それは消費税増税による見かけの物価値上がりによるものだ。実際に需要が増えてデフレーターがプラスになったわけでなく、実質このときもデフレは続いていたし、実際はデフレは悪化していた。そういうわけで、景気は踊り場というわけではなく、実際は景気は1994年からずっと大不況が続いていると言うべきだ。戦後最長の景気回復など、全く「大本営発表」の虚報もいいとこだ。  「踊り場」とは長い階段の途中で一呼吸するために設けてある平坦な場所。製油所などにある塔の周囲を巻くらせん状階段の途中にも平坦部がある。「景気の踊り場」とは、変化する景気の中で一時的な中休み状態にあることを言う。)

 これだけの経済危機であるのに、政治家には危機感がない。国会は何も決まらないだけでなく、決めようと悪戦苦闘していることの内容が、経済危機打開につながる重要課題ではない。日銀総裁人事も重要だと言うが、もともと日銀が機能停止しているからこそ、十数年間もデフレから脱却できず、日本が一気に貧乏になってしまったのだ。機能停止状態で、新しい総裁が決まったところで、機能停止の状態は変わらない。

 日銀の決断次第でデフレなど一気に脱却できる。日銀は金利引き下げの余地がほとんどないから、いずれにせよ何もできないとの発言に対して、バーナンキFRB議長は言った。それなら、日銀が国債を全部買い取ったらどうかと。そうすれば、巨額の資金が国民へ供給されインフレになる。それではインフレ率が高くなりすぎるではないかと言うのであれば、適正なインフレ率になるところまで、日銀が国債を買えばよいだけ。それにより、日本経済の没落を食い止めることができ、円の信用失墜も食い止めることができる。日本経済はかつてのような力強い成長を始める。経済の成長があれば、税収も増えるし、国の借金も気にならない程度にまでに減ってくる。すべてはマクロ計量経済学により正確にシナリオが描けるのだ。

 昨日(19日)、滝実(たきまこと)衆議院議員を通じ政府に質問主意書を提出した。これで22回目だ。内閣府の試算「進路と戦略」には、積極財政の方が、緊縮財政より景気を回復させ、成長を高め、デフレを脱却し、財政も健全化するという結果が出ていますね。それなのにどうして積極財政にしないのですかという内容。答弁書は10日後あたりに受け取れるので、そのときは、ご報告したい。

 先日もお知らせしたように、近く、宍戸駿太郞vs大田弘子大臣の公開討論会が開かれる。これに関連し早くも、あるところから「圧力」がかかって来ている。我々は、この討論会が「時代が動く」きっかけになって欲しいと願っている。マクロ計量経済学に従えば、デフレ下で、緊縮財政を行う利点は全くない。本日の朝日新聞の2面には「財政出動も『「巨額の債務を抱える現状ではマイナスの影響が出る』という内閣府幹部の発言が掲載してある。こういう間違えた発言だけをマスコミは掲載し正しい発言を抹殺し続ける。これが真実なら、内閣府の発表する試算は全部嘘ということになり、内閣府の経済統計・試算は、単に税金の無駄遣いをしているだけということになる。

 福田総理にご提案させていただきたい。株価も落ちたし、景気も悪いし、内閣支持率も低下するばかり。もはや失う物は何も無いでしょう。起死回生、日本経済の復活のための財政出動を思い切ってやりましょう!経済発展に必要な成長通貨を国民に供給し、日本経済を一流の状態に戻そうではありませんか。(小野盛司)

出所 OECD Economic Outlook
Gdp_3 

※“お知らせ” 

 3月26日の日本経済復活の会の定例会
3月26日(水曜日)、東京にて宍戸駿太郞先生の講演があります。日本経済復活のために今何をすべきかという大変貴重なお話を聴くことができます。皆さんも是非、積極財政論の真髄を味わってください。小野会長のお話とともに、日本経済復活の希望を得て帰っていただきたく思います。弁当やお茶の用意がありますので、決まったら上記案内をご覧の上、小野会長宛にご連絡ください。電話でもメールでもけっこうです。(神州の泉・管理人)

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2008年3月18日 (火)

日銀総裁人事の議論で欠けるもの(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十四弾です)

 日銀の総裁人事は混迷を極めている。しかし、この人事が重要であるとして、なぜ重要なのかを正しく指摘した論評を見たことがない。金融資本市場が荒れる中で「通貨の番人」と呼ばれる日銀総裁ポストに空白が生じれば困るというだけなのか。空白を作らねばそれでよいのか。

 最も重要なことを忘れている。それはどうやってデフレを脱却させ日本経済を復活させるかということだ。どの候補がデフレ脱却のための具体策を持っているかという議論は一切無い。候補者にそのような質問をする勇気のある人物さえ、存在しない。質問しているのはただ一つ、誰が「買いオペ」をしない(お金を刷らない)人物かということだけ。

 私は、気は確かなのかと言いたい。デフレの時に買いオペを禁止したら、デフレは絶対に脱却できない。日本はますます貧乏になるだけだ。これはまさに世界大恐慌を引き起こしたフーバー大統領や昭和恐慌を引き起こした井上準之助蔵相の取った最悪なる政策だ。どうしてそのように歴史的な危険人物を日銀総裁に就任させたいのか。デフレ問題の世界第一人者であるバーナンキFRB議長が来日して買いオペを勧めた事を、重く受け止めて頂きたい。

 金融政策とは買いオペもあれば、売りオペもある。財政政策には拡大路線も緊縮路線もある。両方を臨機応変に使い分けて、この厳しい経済情勢を乗り切らなければならないのに、買いオペも財政拡大も禁止してしまったら、アクセルの壊れた車を運転しているようなものだ。図1を見て頂きたい。日本の成長率は群を抜いて遅い。これではまるで高速道路を自転車のスピードで走っているようなもの。周りの国にどれだけ迷惑をかけているか分からないのだろうか。更にスピードを落とそうと考えている人たちの気が知れない。

 成長率が遅すぎれば買いオペ(お金を刷ること)で景気を加速し、速すぎれば売りオペ(お金を回収)で景気を冷やす。これはどの経済学の教科書に書いてある。日銀は何をやっているのか。図2を見て頂きたい。なんとデフレが続く日本経済で、更に景気を冷やすために売りオペをやっているのだ。世界の中でノロノロ運転をしている日本経済の成長を更に遅らそうとしている。可処分所得が下がり、消費が盛り上がらなくて困り果てている日本経済だが、国民から更にお金を奪い取ってしまおうとしている日銀。本当にこんな日銀は必要なのだろうか。

 デフレなのに、買いオペが嫌いな人が多いようだが、買いオペしたらどうなるのか。国債(国の借金)を日銀が買い取り、莫大な国の利払いが日銀に戻って国庫に返る。それだけではない。国債が日銀に買われた替わりにお金が銀行や郵便局等に流れていく。そのまま遊ばしているわけにいかないから、何かに運用する。例えば一部は株に流れるから株は上がる。株式の時価総額は、株式市場に流れたお金の10倍も増える。それだけではなく、お金不足で極端に収縮した日本経済を活性化し、税収も増え、デフレ脱却も可能とする。それが、当然国の借金を減らしていく。また名目GDPも増えるから国の借金のGDP比は大きく減少する。運用先は国内だけに留まらず海外にも流れるだろうから、ドル安、円高の流れをストップさせ、輸出企業には、恵みの雨になる。

 経済が強くなれば、当然、円の信用も増してくる。最近十数年の間で、日本経済の没落は目を覆うものがある。それは取りも直さず、円の信用の低下を意味している。かつてドルが高い信用を得たのは、アメリカの経済力だったし、今、ドルの信用が揺らいでいるのは、アメリカ経済が世界の中で埋没しつつあることに起因している。それと同じだ。円の信用を高めようと思えば、お金不足で息絶え絶えの日本経済にお金を供給することで、息を吹き返えらせることしかない。(小野盛司)

図1
2007

図2
Photo


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3月17日、植草一秀氏の控訴審を傍聴して

(※ これは植草事件を検証する会F氏の傍聴記、及び感想です)

◆昨日3月17日、植草氏の控訴審公判を傍聴した。場所は今までと同じく429号法廷。高裁ということで、場所は変わるものと考えていたので意外に思った。法廷前のプレートは、「地裁」と書かれてある箇所に2本線が引かれ「高裁」と書きかえられていた。よくみるとチョークのようなもので斜めに殴り書きしてあるだけだった。これから起きることを予告しているような印象を受けた。

 報道関係者による2分間の撮影後、向かって左側から弁護団、植草一秀氏が右側のドアから入廷した。傍聴席を仕切っている柵のそばに黒いソファーが3つ並べられ、植草氏は裁判長席に向かって座った。

 裁判長は植草氏にいくつかの質問をし、植草氏はそれに多少とまどいながら答えた。弁護側と裁判長席の間にスクリーンが置かれ、弁護団はパワーポイントを用いて被告の無罪を主張した。弁護団の要求に対し裁判長は「いずれも必要性が無いものとして却下する」といい放ち、弁護側が求めた証拠調べの請求さえもことごとく退けた。そのとき、傍聴席では、ザワツキこそなかったものの、顔を見合わせ唖然とした表情をみせる人たちが多くいた。

 次回の判決の日をいいわたされ公判はあっさりと終了した。傍聴人は急きたてられるように退室した。中央の席に座ったままの植草氏の様子は、はっきりとはわからなかったが、おそらく呆然とされていたように見受けられた。この裁判は、まったくの茶番劇である。マスコミが報道したことよりも、マスコミが報道しなかったことにこそ、事件の核心が潜んでいる。言い換えるなら、マスコミが世間に向けて報道した植草事件の内容は真実を覆い隠し、植草氏の誤まったイメージを流布しようとする意図が明白である。権力と結託したマスコミが故意に植草氏の名誉を地に堕とす目的で行われたものである。そもそも被害当事者である「女子高生」は本当に「女子高生」だったのか?

 我々「植草事件を検証する会」は、一審の公判やその他を通じて、さまざまな検証や考察を重ねた結果、2004年の品川駅構内の事件も、2006年の京急事件も、明らかに官憲が係わった意図的な偽装事件であったという結論を得ている。つまり、植草氏は濡れ衣の罪に落とされているということである。この濡れ衣に大きく関与しているのがマスコミの報道である。植草氏を嵌めた主体とは、マスコミ報道を恣意的に操作できる位置にある勢力である。これは公権力の中枢と無関係ではあり得ない。植草事件の真相とはかくも巨大な背景を有しているのだ。

 メディア・リテラシーをきちんと働かせている人は、我が国において最近頻発する報道の偏向性、恣意性に気が付いているはずである。その一例として、昨年の12月、香川で起きた祖母・孫遺棄事件がある。この報道様態には松本サリン事件と似たような状況が生まれつつあった。

http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20071217000183

 この事件報道において、あるテレビ局の某番組は、被害者の幼子の父親をほぼ犯人と断定するような無謀な短絡を露呈した。その報道の中で、マスコミは被害者の幼児の友達にまで執拗にマイクを向けていたではないか?あそこまでやるマスコミが、なぜ植草氏の被害にあったとされる「女子高生」のところに取材に押しかけないのか、私にはそれが初期から不思議でしょうがない。

 さらにもう一つの疑念がある。事件当日、植草氏がなぜ大量飲酒にいたったか、報道機関はその場にいあわせた団体になぜ取材に行かないのか?その団体を取材してはならない背景が存在するのだろうか。報道はいきなり事件の蓋然性を疑いないものとして、女子高生の素性も、直前まで一緒に飲んでいた団体も調べようとしない。マスコミに限らず、司法もこの事件の不自然な要素にはいっさい関知しない姿勢自体が、この事件がただの冤罪事件ではない異様な深い背景を持つことを物語っている。

 植草氏が告発したりそなインサイダー疑惑の本質とは、国際金融資本が金融収奪に際して取りうる常套手段である。経済番組では、日本の株式市場の6~7割が外資によるものであるとことを既定事実として語るが、なぜそうなったかについては決して言及しない。2003年4月、日経平均株価は歴史的な安値7603円をつけた。このとき、「外資さまの御買い占め」を演出したのが小泉・竹中「改革」だった。その結果何がおきたのか?今さらながらに植草氏の言論を読み返してみた。

http://web.chokugen.jp/uekusa/cat70107/index.html

 不遜ではあるが、これに付け加えさせてほしい。りそな処理は人工的に相場の転換点を強引に、作為的に作り上げた。その結果、日本はマーケットの主役を外国勢力に奪われただけではない。この時、配当金を通して莫大な国富が外国資本やファンドに渡るようになったのだ。正確な額はわからないが、小泉内閣発足時の2000年に比して、配当金は数兆円は増えたはずである。小泉内閣はそのほとんどが外資にわたるように「構造改革」を実行した。「働けど働けど、わが暮らし楽にならざりき、じっと手を見る」ように、日本と日本人を超格差社会とワーキング・プアーに変えた小泉内閣陣。歴史的に稀代な詐欺師をあたかも錬金術師のごとく偽装し、もてはやしたマスコミ。その小泉氏をいまだに持ち上げる自称保守派の言論人に言いたい。あなたたちは本当に日本人なのか?

 今回の公判はおよそ裁判の名に値しないデキレースだった。これほどのひどい裁判を見せ付けられれば、「裁判に一般人の眼を導入せよ」という声が出てくるのは当然である。しかし、それこそが日本総督府からの指令に違いない。私は今、郵政解散選挙を思い出す。売国連中はこういう常套手段を使う。既存のシステムを破壊するときは、前段階として、世論がそれを望ましく思う状況を作りだすのである。この視点にたてば、富山の冤罪や鹿児島の志布志事件も、裁判員制度導入のためにデッチアゲられた可能性があると私は思っている。

 判決が言い渡される4月16日の結果はほぼ決まっているはずだ。いま株式市場は下落の一途をたどっている。円高が急激に進むという異常な為替の動きもある。来月、植草氏へ有罪判決が言い渡されるとき、それは外資への「買い指令」のきっかけになるのではないかと私は想像している。そのための下げが今まさに仕掛けられているのではないだろうか?日経平均の作為性を知らないデイトレーダーたちは、あの「りそな処理」のときと同じように、過ちを何度もくりかえすことになる可能性を、ここで指摘しておきたい。

 最後に、政治的背景(小泉政権糾弾の急先鋒)によって、第一級の邪魔者として扱われた植草氏は、その執拗な悪意を時間が経っても受け続けていることをここに知らせておく。昨日、田中裁判長は植草氏の本籍地を、報道陣のいる前で氏に確かめさせた。被告本人から現住所を述べるようにする意味があるのだろうか。公判の内実とは何の関係もないことだ。どう考えてもこれは植草氏の現住所をメディアにさらす意図ではないのか。第一審公判において、検察は植草氏の性的嗜好について無用な質問を故意に行なった。これは司法の品位の問題と捉える前に、司法がマスコミに下衆な報道材料を与えているとしか思えない。同様に昨日の植草氏の現住所のさらしは司法の域を超えているのではないのか。このような事象にも、植草氏がマスコミを随意に操作できる公権力に捕捉されていることを感じずにはいられないのだ。


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2008年3月17日 (月)

ドル急落、円95円台、株急落、政府は日本経済を見殺しにする気か(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十三弾です)

 米国のサブプライムローンを発端とする金融不安が深刻化し、本日3月17日、円高と株安が進んだ。莫大なお金が消えて行っていることが分かるだろうか。東証の株の時価総額は昨年7月から、約200兆円減少した。つまり、国民一人当たり約170万円も損をした勘定だ。日本は1兆ドルの外貨準備を持っている。これは政府が国債を発行して(つまり借金をして)円を手に入れそれをドルに替えたもの。昨年6月に比べ、30%近く円高になった。ということは、日本政府が借金をして買ったドルの価値が、30%近く下がったのだから、30兆円近くもの損失が発生したということになる。ガソリンの暫定税率で2.6兆円の税源が失われるかどうかという議論で、国会が右顧左眄している間に、その10倍、いや100倍近い損失が発生している。与党も野党もこのことには、全く無関心だ。瀕死の状態の日本経済を、救おうと考える政治家はいないのだろうか。

 2年位前だったと思う。アメリカの経済学者(ノーベル賞受賞者)、サミュエルソンは日本政府に忠告している。アメリカ国債ばかりを持つのでなく、もっと有利な投資先を見つけなさいと。もちろん、日本政府が米国債を売ることは、アメリカ経済にとっては、不利になることだ。しかし、サミュエルソンは日本の苦境をよく知っている。日本経済を何としても救いたいと思っている。だからこそ祖国の利益を度外視してでも、日本経済を救うためにアドバイスをした。彼には将来のドル安が見えていたのだ。更に、彼は日本政府に、お金を刷りなさい。そして減税などに使いなさいと日本政府に提案している。

 残念ながら、日本政府は彼の忠告を無視した。米国債以外に移ったとき、損害が出たら誰が責任を取るかなどと馬鹿な議論をしているうちに、莫大な損害が出てしまった。誰が責任を取るのかお聞きしたいものだ。米国債を売ることに反対した人に責任を取ってもらうしかない。

 もちろん、日本の損害は、上記のものだけではない。下の図にあるように、地価の下落だけで、1200兆円もの資産が失われた。デフレとは、際限なくお金が消えていく。もしも政府がこれを放置したら、国は際限なく貧乏になる。国の借金は決して減らない。貧乏になった国民から税金を取り立て、膨大な国の借金を返そうなど、できるわけがない。デフレでお金は消えても、生産設備は消えるものではない。今、生産を増やそうと思えばいつでも増やせる。しかし、お金が消えた状態では、物が売れないから膨大な生産設備を遊ばせてしまうことになる。これが途方もない無駄だということが分かるだろうか。

 サミュエルソンの提案に従って、お金を刷って国民のために使ったらどうなるか。消えたお金が戻ってくる。そうすれば、また物が売れるようになり、生産設備が生きてくる。日本経済のダイナミックな発展が再開する。経済活動をするに十分なお金が戻ってくるわけだ。環境対策にも、教育にも、医療にも、年金にもお金が使えるようになる。日本経済を復活させたいと思っている方々に訴えたい。増税・歳出削減に反対し、減税・歳出拡大を求めよう!それが、デフレ脱却し、我々の子孫に豊かな生活を保障する唯一の手段だ。国を豊かにすれば、円の信用も復活する。(小野盛司)

出所:国民経済計算
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2008年3月15日 (土)

宍戸駿太郞vs大田弘子大臣 公開討論会で時代が動く(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十二弾です)

 3月14日の予算委員会で、日本経済復活の会の顧問である参議院議員自見庄三郎氏が「宍戸駿太郞vs大田弘子大臣」の公開討論会を求め、これを福田首相が受け入れた。1971年のピンポン外交を思い出す。それはアメリカの卓球チームが単に中国を訪問しただけではなく、米中対立の時代が終わったことを意味していた。

 私は、この公開討論会が、単なる討論会ではなく、政府が積極財政への転換のきっかけになって欲しいと願っている。福田首相も自見氏の提案を拒否することは簡単だっただろう。「検討します」と言っておいて、後で時間調整がつかなかったなどと言えばよいだけである。しかし、福田首相も国民のために、経済復活のために何かしなくてはいけないという思いが、即座に受け入れる決断に至らせたのだと思う。我々は、日本経済のため福田首相に全面的に協力する覚悟である。

 日本経済にとって、現在は四面楚歌だろう。外需頼りで景気回復を目指していたのに、アメリカのサブプライムローン問題で、外需に陰りが見えてきた。円高が日本経済の牽引役である輸出産業に重くのしかかる。デフレ脱却は見えてこない。様々な経済指標で日本経済の没落が目立ってきた。特に、福田政権になってからの株価下落はひどい。下図を見て頂きたい。年率換算の株価騰落率は最近の7内閣の中で群を抜いて悪い。

Photo_2

 こういう状況で、福田首相も心の中で助けを求めているのではないか。今の経済ブレーンで本当に大丈夫なのかと、彼が思うようになったとしても不思議ではない。宍戸駿太郞氏は、かつて大蔵省で日本経済の高度成長を経済理論で支えてきた最高のブレーンである。彼のアドバイスを聞いてみたいと首相も考えたのだろう。我々は、「日本はここまで貧乏になった」という意見広告を朝日新聞に載せたことがあるが、そのメッセージが福田首相にも届き、首相は「一人当たりの名目GDPが世界18位にまで下がったんですか」と、話されたそうである。

 これから、我々は公開討論会に向け準備に入る。我々の目的は日本経済を復活させることであり、政府を倒すことでは決してない。我々は超党派で組織する会であり与党でも野党でもない。日本経済復活は、国民すべての願いだろう。ここは党派を超えてじっくり議論をしたいものだ。

 本日(3月15日)の日経朝刊の第2面に書いてある。2003年1月の「次の内閣」では「国債買い切りオペの増額を積極的に検討すべきだ(つまりお金を刷るべきだ)」、との談話を決定していたとのこと。民主党も没落する日本を救う決定打を知っていたというわけだ。ここは、与野党とも冷静に客観的に、デフレ時に政府は何をすればよいのかを考えて頂きたい。

 3月26日の日本経済復活の会の定例会では、宍戸駿太郞氏の講演がありますので、日本経済復活のために今何をすべきかという議論に、皆さんも是非加わって頂きたいと思っております。

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2008年3月14日 (金)

『宍戸駿太郎氏vs大田弘子大臣』の公開討論会が決定!!

 前々回の記事、『自見庄三郎氏吼える』で、大田弘子大臣と宍戸駿太郎先生の討論会を行なう指示を、福田総理が出していなかったと思い込んでいましたが、日本経済復活の会の小野盛司会長は福田総理が「公開討論会をやれ」とはっきり指示を出していたことを確認していました。したがって、訂正します。

 大田大臣と宍戸駿太郎先生の公開討論会は実現の運びになりました。討論の様態や日時については追って決定されることと思います。大田弘子大臣も経済学者ですから、きちんと臨んでくれると思います。国会の場で明言していますから。

 私は経済の素人ながらも、積極財政論がなぜ政府やマスコミ等、公の場で取り上げられないのか訝しく思っている一人です。今までの流れを考えるなら、福田総理の決断は予想を裏切るものです。討論会開催の意義は、国家の命運をよい方向に戻す、非常に希望の持てる話なのです。神武肇国以来、長い歴史を持つ我が国は、国家が土壇場になると論理を超えた不思議な力学がはたらくのでしょうか。大東亜戦争敗北のわだちを踏んでも我が国は滅亡しませんでした。二度の元寇の役でも滅びませんでした。明治維新は国体の危機でしたが乗り切りました。今の日本は貧乏どん底ジリ貧国家に突入して、青息吐息です。

 大袈裟かもしれませんが、今回の公開討論会実現は日本が倒れる寸前の神風に等しいことかもしれません。

 追記:   3月26日の日本経済復活の会・第50回定例会は当日参加もOKです。しかしながら、当日に食事の準備等がありますので、決まった時点で連絡をしていただきたいと思います。宍戸駿太郎先生のお話です。みなさん、こぞって参加してください。

      

 定例会詳細と連絡先


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☆お知らせ☆ 時局講演会(3月14日(金)、15日(土))

(※喜八ログさんの記事をお借りしました)

(★引用開始★)

☆お知らせ☆ 時局講演会(3月14日(金)、15日(土))

2008-02-3 02:08 by 城内 実

 3月に以下の日程で時局講演会「信念を語る」を開催します。皆様ふるってご参加願います。

 弁士:元経済産業大臣 平沼赳夫、政治評論家 福岡政行、野球解説者 中畑清

○浜北会場:3月14日(金)19:00~20:30、浜北総合体育館(グリーンアリーナ)、入場無料

 JR浜松駅(徒歩5分)→遠州鉄道新浜松駅(22分)→遠州鉄道浜北駅→浜松バス西廻り「グリーンアリーナ」下車(20分)
 JR浜松駅(徒歩3分)→遠鉄バス61番(40分)→「サンストリート浜北グリーンアリーナ入口」下車(徒歩5分)

○湖西会場:3月15日(土)11:00~12:30、湖西市民会館大ホール、入場無料

 JR浜松駅(20分)→JR鷲津駅→遠鉄バス10番(3分)「市役所前」下車 

(★引用終了★)



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自見庄三郎氏吼える!!

 さきほどNHKを見たら、衆院予算委員会の質疑が生中継されていて、国民新党・自見庄三郎氏(新緑風会所属)が質問していた。最近、日本経済復活の会・定例会で彼のパワフルな話を聴いてきたばかりなので、その人が国会の壇上で総理に質問している姿は特別な感慨があった。自見庄三郎氏は、国民の多数が小泉構造改革を否定的に見ていることや、郵政民営化がまったく国民の利益にもならないし、日本のインフラの破壊であるというようなことを言って、郵政民営化の即時凍結を訴えた。まったくその通りである。
             
 また大田弘子経済財政政策担当大臣との質疑では、何度も宍戸駿太郎先生の名前を出し、今の日本は宍戸先生の智慧を借りて積極財政に打って出るべきだと言った。最後の方では大田大臣に宍戸駿太郎先生と討論会を開けと詰め寄った。大田氏は最初、取り合っていなかったが、自見先生が何度も討論会の必要性を訴えたら、福田総理の指示があれば、宍戸先生と討論会を開いてもいいとたしかに言った。元政府税制調査会会長である本間正明氏の薫陶を受け、竹中平蔵氏の経済感覚をそのまま踏襲する大田弘子氏が宍戸駿太郎先生と討論を行なうとどのような展開になるか想像できるような気もする。しかし、やることは記録が残るから決して無駄ではないだろう。是非実現してもらいたいものだ。

 本間氏も竹中氏もサプライサイドの経済思想であり、それを踏襲する経済学者の大田氏がどのような展開をするのかすこぶる興味深い。しかし、今の福田政権そのものが、小泉構造改革路線を継承するアメリカのいいなりの傀儡政権である理由から、福田総理が自見庄三郎氏の言うことに従って、「大田経済大臣vs宍戸駿太郎先生」の討論会をやってもいいなどという指令はおそらく出さないだろう。竹中平蔵氏が植草一秀氏との言論対峙を避けたのと同様に、サプライサイドの呪縛思想に絡め取られている大田氏も討論には応じないだろう。しかし、国会で福田総理の指示があればやると言っているので、多くの支持があれば総理は指示を出すかもしれない。何が起きるかわからない世の中だ。

 積極財政論をタブー視する現政権が、大田弘子氏のような御用学者と積極財政論の大御所である宍戸駿太郎先生との討論会を是非実現して欲しいものだ。その場合は日本経済復活の会の会長さんである小野盛司氏も討論メンバーとして加えて欲しいものだ。

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2008年3月12日 (水)

背後にアメリカが?日銀の独立性について:日銀総裁人事の奇々怪々

読者のいかりや爆さんのコメント投稿をエントリーします。(太字強調箇所は管理人の独断です)

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背後にアメリカが?日銀の独立性について:日銀総裁人事の奇々怪々

日銀の総裁人事をめぐって、与野党間でもめにもめている。

 今月19日に福井総裁の任期が切れる。与党は下手すれば、株価低迷やサブプライムローン問題の影響などこの重大な時期に総裁不在という空白が生じ、大変なことになると言っている。安倍首相が政権を放り出して政治空白が生じたことなどもうすっかり忘れたのだろうか。一国の首相首相の重みよりも日銀総裁問題の方が重いとでも言うのだろうか。

 法案なら、参院で野党が否決しても、衆議院に差し戻して三分の二以上の多数決で再可決が可能(テロ新法のように)。だが、総裁人事は参院で野党が否決すれば、衆議院で再可決という手段はとれない。

 民主党は武藤副総裁の昇格については、早くから否定していた。そういう事情は百も承知いたはずであるにもかかわらず、与党は武藤氏をもちだしている。つまり自爆覚悟で武藤氏を推薦している。さらに額賀福志郎財務相は11日の閣議後記者会見で、政府が次期日銀総裁に武藤敏郎副総裁を昇格させる案を国会に提示したことに関連し、「最善の案を出しているので、再提出も含めて国会の同意を得る努力をする」と述べ、野党の反対で同意を得られなかった場合、同案を再度提示すべきだとの考えを表明した。(時事通信)

 そこまで武藤氏にこだわる理由は何だろうか。問題の多いテロ特措法の場合も、安倍前首相、福田首相も一貫して、テロ特措法にこだわり続け無理やり成立に漕ぎ付けた、アメリカの要望に従ったと言わざるを得ない。郵政民営化も背後でアメリカが糸を引いていた。日銀総裁の背後でもアメリカが糸を引いているのではないだろうか、それほど米国にとって日銀総裁は重要な役割を担っている。

 「日本経済復活の会」の小野会長は、第三十二弾、『アメリカが圧力をかけて日本に景気対策をさせないようにしているのか?』の冒頭で次のように述べています。

”” アメリカが圧力をかけて日本に景気対策をさせないようにしているのではないかという疑問が、読者からメールで筆者に寄せられたので、そうではないということを書くことにします。””

 私は、小野会長ほど単純には考えない。

 リチャード・ヴェルナー氏の 『円の支配者』「誰が日本経済を崩壊させたのか」によれば、日銀がバブル発生から崩壊まで、またその後の日本経済の顛末に深く関わっていたことを実証しています。特に、大蔵省(当時)の経済浮揚策にもかかわらず、その陰でひそかに窓口規制という手段を用いて、景気浮揚策に対し陰で足をひっぱっている実体を暴いています。

 日銀の独立性を担保することが、それほど重要なことだろうか。現在の日銀は、一企業として株式市場にも登録されている。独立性は形式上担保されています。 

 我々国民は、むしろ日銀の「目にみえない独走」に目を向ける時ではないだろうか。国民の目にみえる『透明性』こそ重要である。経済の重要なカギを握る日銀は、まさしく伏魔殿のようである、その奥の院で何が行われているのかを明らかにしなければならない。
 福井総裁の任期中彼は何をしたか、共産主義にしかあり得ないような超低金利政策(ゼロ金利~0.5%)で国民の資産を毀損した。

 この10年間で日本は一人当たりGDPが18位になったことは小野会長は指摘しています。財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)発表の統計資料によれば、2006年の一人当たり名目GDP(ドル表示)は20位になっています。

 また、同所の資料:世界各国のGDP(上位60)によれば、2006年の日本の名目GDPは、4,365,418(単位100万ドル)です、1995年は5,247,609(単位100万ドル)です。なんと日本の名目GDPは11年間で、17%も低下(0.83倍)したのです。

 これら60カ国のうちマイナス成長だった国は無論日本一国だけ、日本の経済政策がいかに間違っていたことを如実に示すものです。多くの政治家の『いざなぎ超え』などというとぼけた虚言妄言の実体がこれだったのです。これら日本経済に日銀は深くかかわっています。

 今年2月末の外貨準備高は1兆ドルを超えました。その85%以上は外債(外貨証券)です(そのほとんどは、米国債と思われる)。小泉政権成立直前の2003年3月末の外債額は2820億ドルしかありませんでした。それが現在その3倍、8568億ドル(約95兆円)なっています。均衡財政を叫んで自国の国債発行を抑える一方で、一体何のために米国債を購入し続けるのでしょうか。あたかも、アメリカのイラク戦費を陰で日本が支えているようにみえる。 

 ブッシュ大統領がイラク戦を開始した2003年1月からその翼年3月まで狂ったように為替介入(円売りドル買い)している。総額は約35兆円以上にのぼる。しかもそのほとんどは米国債に化けたものと思われる(財務省はその詳細の実体は明らかにしていないが、それを裏付けるように、外貨準備高のなかの外貨証券が激増している)。米国債の購入は事実上、アメリカへの献金に等しい。

 日銀の独立性は日本国民に対しては独立しているように見えても、皮肉なことにアメリカに対しては完全に従属しています、違いますか。独立性を問うなら、アメリカからの独立性を問うべきです。

 アメリカの政治も経済も常にダブルスタンダードであり、表向きだけを見ては誤りを犯す。日本の日銀にあたるのは、米国ではFRB(連邦準備制度理事会)ですが、その成立の経緯について、掲示板『阿修羅』の玄関口に『詐欺師集団=国際金融資本を告発するビデオ』として紹介されています。

 「日本経済復活の会」の顧問には、自民、民主、国民新党及び無所属議員含め計90名以上の議員が登録されています。彼らは言葉は悪いが、単なる愚者の集団ですかね?このメンバーのなかには、小泉チルドレンのような役立たずのチンピラ議員は一人もいない。これだけの錚々たる超党派議員が一丸となれば、大きな起爆剤になり得るはず。にも拘わらず、「日本経済復活の会」の主張は全く無力です。何故だろうか。

 日本経済は、アメリカの手のなかで踊らされています。「日本経済復活の会」のグループが主張するような経済政策をを採用するなら、日本経済は間違いなく復活するはずです、株価も現在の3倍にはなるでしょう。日本経済が復活すれば、日銀の現在の低金利政策は採れなくなる。その場合、仮に日本の金利が3~5%となった場合(日米に金利差がなくなるかもしくは逆転)、米国債の購入の大義名分が立たなくなる。日本経済が復活して困るのは、アメリカと違いますか。
 仮にアメリカが困らないとしても、日本経済の自立はやがて日米安保体制を揺るがすはずです。

 「人の心は、お金で買えない」というのはきれいごと、実際のところはお金で買えるのです。貧乏人、貧乏国民にして生かさず殺さず、そしてIQの低い愚民のほうが、御しやすいのです。

蛇足:

 日本は今、岐路に立っている?いやもう手遅れかもしれない。
(1)戦後から60数年、日米安保体制、そして今日米同盟とまで言っています。しかし、実情は日本の米軍基地は、アメリカ本土を守るための極東の前線基地じゃないですか。

(2)日本の医療制度は崩壊の危機にある・・・アメリカ型に移行しつつある。アメリカの自己破産者の半分は高額医療費を払えなくなった人たちという。

(3)裁判員制度はまさしくアメリカの陪審員制度そのままである。

(4)郵政民営化は小泉政権がアメリカの要望に応えたもの。

その他、例をあげればきりがないほど、アメリカの属国化がはびこっています。

投稿 いかりや爆 | 2008年3月12日 (水) 15時19分

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積極財政の経済シミュレーションと、その驚くべき結果(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十一弾です)

○「日本経済復活の会」発足の経緯
 

 私が、このようなシミュレーションを行おうと決心したのは、2002年のことだった。自分一人ではとてもやろうとは思いつかなかっただろう。何と言っても、私を支えて下さったのは、宍戸駿太郞氏だった。この分野の第一人者であり、世界的に有名な経済学者で、ノーベル経済学賞の有力候補である。かつて、大蔵省の審議委員として日本の高度経済成長をシミュレーションで引っ張っていた人であり、筑波大学副学長、国際大学学長、環太平洋産業連関学会会長など、まばゆいほどの経歴の持ち主であることを考えれば、通常とっつきにくいだろうと思うのだが、全くそんなところはなく、どんな質問でも分かりやすく答えて下さる。

 私は、彼とあるフォーラムで名刺交換し、その後私のほうから電話して、色々経済の話をしているうちに、積極財政のシミュレーションをやってみようということになったのだ。すべてを知り尽くした人がバックにいれば、何だってできる。私は、日本のシンクタンクに片っ端から電話し、積極財政のシミュレーションがやれないか聞いた。これは「反政府活動」になるかも知れないという警戒感から、非常に難しい交渉になったが、日経新聞社が応じてくれた。シミュレーションは2段階で行われた。第一段階は簡単なものだったが、それだけで90万円、第二段階はもっと徹底的な分析でそれが280万円、合計370万円で、貧乏人の私には天文学的な額ではあったが、日本経済復活のためにと考えたら、私財を投げ打ってでもやるだけの価値はあると思った。

 日本人は国の借金という言葉を勘違いしている。通貨を自由に発行できる国なのだから、国の借金など何の意味もない。お金を刷って返せば一夜にして返せるではないか。むしろ重要なのは、お金を使って経済を立て直すことだ。こういった私の考えが背景にあった。積極財政をやれば、景気は良くなるし、デフレは脱却できるし、経済は成長するし、給料は上がるということは、計算しなくても分かることだ。私は、財政拡大の結果財政は悪化するかもしれないが、そのとき政府貨幣を発行して財政破綻を阻止するというシナリオを考えていたが、実際は財政は悪化どころか、改善するという結果になって、驚いた。シミュレーションに真実を教えられたと思った。

 もう少し、順を追って話そう。第一段階の試算は日経新聞社にどの位減税をすれば、どの位景気が良くなるのか、そして、デフレ脱却には、どの位の減税が必要なのかということを計算してくれということだった。最初は、10兆円と20兆円の減税で計算してくれとお願いした。驚いたことに、この程度の減税ではデフレは全然脱却は不可能という結果が出た。デフレ脱却とは、そんなに大変なことなのかと、正直、我々が退治しようとしている魔物の大きさに身震いした。仕方なく50兆円の減税で計算してみてくれとお願いした。日経新聞社の方は、その大きさに驚いた。国税をほとんどゼロにしてもまだ足りないので、仕方なく消費税をマイナスにしてみるという巨大な減税だ。しかし、50兆円の減税を5年間続けても5年間で平均0.6%のインフレ率にしかならなかった。しかし、ものすごい経済成長率がはじき出された。なんと初年度実質成長率は9.8%というものだった。

 この段階で、私はこの結果を世界の経済の第一人者に見せてコメントをもらおうと考えた。世界で最も有名な経済学者は、ノーベル賞受賞者のサミュエルソンだろう。英文の説明をつけてまずサミュエルソン氏にこの結果を送った。何と、すぐに返事が来た。「インフレ率は気にしなくても良い。需要を回復し、デフレから脱却できればよいのだから。」という内容だった。私は、ノーベル経済学賞受賞者であり、計量経済学の世界的な権威のローレンス・クライン氏にも、同様な結果をまとめたレポートを送った。彼からも直ぐに返事が来た。「2%位のインフレ率が適当なのではないか。経済状態が改善されることは本当によいことだ。減税だけでなく、教育にもお金を使ったらどうだろう。」という内容だった。私は大変勇気づけられた。何と、50兆円減税を5年間続けるという提案に、二人のノーベル経済学賞受賞者が賛成して下さったのだ!

 しかし、この計算だけでは、不十分だった。自分が計算したいことの10分の1も終わっていない。たった、これだけで90万円では、金が掛かりすぎて後が続かないと思われたのだが、日経新聞社はプラス280万円で、私が自分で自由に計算させてくれるという提案をしてくれた。ここまで来れば後に引けなかった。

 日経新聞社に助けてもらいながら、自分で計算を始め、計算結果は日経まかせのものより数十倍も出せた。当初の私の考えは、景気対策で国の借金が増えても、日銀が買い取ればよいし、必要なら政府貨幣発行を行えばよいわけだから、問題にならないだろうということだった。しかし、計算を進めているうちに、景気が良くなるにつれ、ものすごい勢いで、税収とGDPが伸びてくることが分かってきた。

 そして国の借金のGDP比が財政出動で減少してくることに気付いた。これは私は全く予想しなかったことで、非常に驚いた。財政健全化とは、国の借金を減らすことでなく、借金のGDP比を減らすことなのだ。借金は減らなくても、借金のGDP比が減れば、実質借金を減らしたことになる。これは積極財政で財政が健全化するということだ。例えば50兆円の財政拡大の場合、どの程度経済拡大となるかを書いておく。現状維持の場合に比べ5年後、実質GDPは26%増加、名目GDPは38%増加、民間設備投資は2.3倍、法人企業利益は2.8倍に激増、失業率は2.2%まで下がり、インフレ率は2.1%、日経平均は3万2000円にもなる。

 この事実を一人でも多くの人に知らせたかった。私は、仲間を集め「日本経済復活の会」をスタートさせた。頻繁に議員会館に出向き、国会議員に日本経済復活の会の顧問になってくれるようお願いした。国会議員の多くは理解してくれた。その中の一部は顧問になってくれた。現在では70名近くの国会議員が顧問として参加してくれている。

 この話の続きは、またいつか話すことにして、最近マスコミで話題になっていることについて、コメントする。

【新銀行東京への追加出資】

 新銀行東京に東京都が400億円の追加出資する話だが、私はこの銀行に当初から批判的だった。中小企業を助けるという目的で危険な融資を税金で行うというやりかたに賛成できない。お金を刷って国民に配れという私の主張であるが、こういう形で配れと言うつもりはない。非効率で採算が取れずつぶれそうな会社に無担保で新銀行東京が金を貸そうということが良いことなのか。金融は民間に任せて良い業務だ。郵便局ですら融資に乗り出してくる時代、なぜこのような業務を東京都が税金でやらなければならないか。

 デフレ下の日本においては、国民に十分にお金が渡されていなくて、企業も商売ができない状態で、まともな企業はなかなか金を借りて投資をしようとはしない。今の状況で新東京銀行に無担保融資をお願いする企業の中には、どうせ会社はつぶれるのだが、その前にいっぱい金を借りて、遊びに使って、その後倒産させればよいと思って借りるところもあるだろう。
 
 こんな所にお金をばらまくくらいなら、減税や福祉・医療・社会資本整備・教育等にお金を使うことで、国民にお金を十分渡し、そうすることによって需要を伸ばせば、優良企業を強力に支援することになる。物が売れれば、利益が出るからである。それでも不採算な企業は市場から退出してもらい、優良企業をどんどん伸ばすことで、全体の生産性が上がり、国は豊かになるのだ。(小野盛司)

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第50回 日本経済復活の会 開催のお知らせ

★★  第50回 日本経済復活の会 開催のお知らせ   ★★

-第50回記念定例会では、国際レオンチェフ賞受賞者の宍戸駿太郞先生が講演します-

◎ 講師 

①宍戸駿太郎 先生 

元国際大学学長・名誉教授、元筑波大学副学長・名誉教授 環太平洋産業連関分析学会元会長、日米・世界モデル研究所所長
『日本経済のグランドデザイン:いかにして集団催眠から目覚ますか?』

②小野 盛司 先生

日本経済復活の会会長 会の活動報告、-日本経済復活への道-  

 宍戸駿太郎先生の「日本経済復活のシナリオ」から一部参照すると、昨今の日本に固定化されているデフレの特徴を見ると、経済成長を押し上げる内需が弱く、失業率もきわめて高く、ニートや非正規雇用者も急速に増大しています。この形は社会学者の言うところの「ソーシャル・ディスインテグレーション」であり、この根本原因はケインズの言う有効需要の不足にほかならないということだそうです。神州の泉・管理人の私から言えば、ソーシャル・ディスインテグレーションという聞きなれない言葉は社会崩壊、国家秩序の崩壊とでも解釈したらいいと思います。

 「年次改革要望書」、つまり、アメリカが押し進めるグローバル・スタンダードによる国際的同調圧力と言うのは、国家秩序の緩みを意味すると私は考えます。これは単に経済問題のみならず、国家特有の自立性、文明の特有性の崩壊に繋がります。宍戸先生は真の構造改革は単線的指向ではなく複線的指向で長期的視点でやらねばならないと言っています。小泉構造改革の不自然な性急性、拙速性は有効需要を無視してサプライサイドに収斂しました。構造改革はデフレ下でやってはいけない、やるなら完全雇用が達成され、インフレ加熱の傾向が出てくる、いわゆる「ハイプレッシャー・エコノミー」の状況でやるのがいいと宍戸先生は言っています。小泉構造改革はこの真逆に行ったわけです。その結果がどうなったか、今更説明は要しないと思います。

 これは別の位相で眺めると、グローバル・インテグレーションとソーシャル・ディスインテグレーションが同時進行しているということです。現今の強固なデフレ固定現象はこのグローバリゼーションの潮流と無関係ではないと思います。私は宍戸先生の講義をまだ聴いたことはありませんが、機会があったら是非にも拝聴したいと思っています。宍戸先生は、小野盛司先生とともに日本経済復活の鍵を手にする重要な人物の一人だと考えています。神州の泉の読者さんは是非、26日の定例会に出席して宍戸先生と小野先生の日本経済復活論を聴いてみてください。
 

○ 日時 平成20年3月26日(水)午後6:00時~午後9:00時

○ 場所 東京都千代田区九段北4-2-25 アルカディア市ヶ谷(私学会館) 
TEL 03-3261-9921

○ 会費 3500円(資料代や食事・飲み物の費用を含みます)
当会合に関する一切の問い合わせと、御来会の可否は小野(03-3823-5233)宛にお願いします。メール(sono@tek.jp)でも結構です。弁当の注文や配布物の準備等ありますので、申し込みはできるだけ早めに行って下さるよう、ご協力お願いします。

 日本経済復活の会 

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2008年3月11日 (火)

植草一秀氏が日銀総裁人事で緊急提言!!

 植草一秀さんがご自身のサイトのコラムにて日銀総裁後継問題の緊急提言を行なっている。私は日銀人事のことはまったく不明だが、財政問題や金融事情を知悉する植草さんがここまで日銀総裁後継者の人選を重大視しているからには、背景によほどのっぴきならない理由があると考えた方がいい。

 植草さんは三つの論旨を以って、武藤氏の昇格に熾烈な反対論を唱えている。その主張の骨子は、

(1)政策決定メカニズムにおいて日銀の独立性が担保されること
(2)構造改革の最大の課題が「財務省を中核とする官僚主権構造」の根絶
(3)現代の時代性はグローバルに複雑な様相を呈しており、日銀総裁には高度な専門能力が求められること

 この(1)主張にある日銀の独立性について植草さんは下記のように言っている。

『中長期の視点で通貨価値の維持を図る視点から、財務省出身者を日銀総裁候補者から排除することが、日本の通貨価値維持を担保するセーフティーネットと考えるべきである。』

 やっぱり、日本という統治システムの原理から言って日銀の独立性を担保することは最大の要件だろう。これは財務省(旧大蔵省)官僚たちのボス的存在である武藤敏郎氏が、財務省主導で日銀の裁量権を全的に行使する立場になったら、我が国の統治構造が独裁性を帯びてしまうということに他ならない。具体的に言うなら、武藤氏が日銀を掌握した場合、アメリカと半島勢力に魂を売っている自民党清和会主導の独裁体制が固定化するということだろう。したがって、日本の自主独立保持の面でも武藤氏の日銀総裁昇格は回避すべきことなのである。

 植草さんによれば、(3)の日銀総裁に求められる高度な能力とは、国際的にクロスオーバーで協調しなければならない性格を持つ金融面で、諸外国との緊密な連携をする必要があり、これには経済学、金融論、経済政策論の濃密な蓄積が必要だということで、武藤氏では十分ではないということである。日本における財務省の巨大な権限は伝統的に突出しており、国家財政の管理や運用、金融当局に対する支配権、為替市場への介入権、証券取引の監視権、経済政策の実質的な決定権など、国家権力の枢要な部分を占めている。つまり日銀が財務省と事実上結託してしまえば、経済にしても、国政にしても、自由に権勢を行使する伏魔殿が出来上がってしまうということなのだろう。

 しかも始末の悪いことに、財務省はテレビや新聞など大手メディアの支配権も掌握していると植草さんは言っている。つまり、財務省主導で露骨なプロパガンダによる世論誘導が行なわれているということだ。武藤氏選出を表面の反対意見とは別に、民主党が是認する格好になれば、事実上、清和会思想に牛耳られた自民・民主の巨大連立翼賛政権が誕生することになる。日銀総裁後継問題の本質は、総裁候補の資質云々というレベルではなく、財務省主導の翼賛政治体制が構造化する危険があるということらしい。植草さんは1985年から87年まで大蔵省(現財務省)で勤務していたので、財務省の体質や組織の思想には詳しい。その植草さんが武藤氏の総裁昇格に強い憂慮の念を抱いていることはただ事ではない。

 福井俊彦日銀総裁は、2006年6月、証取法違反容疑で逮捕された村上世彰氏率いる村上ファンドに1000万円の出資をしていたことを明らかにした。福井氏が日銀総裁就任後に解約手続きをしたことで、野党はこれを利殖行為だとして道義的責任を追求、辞任要求をした。読売の国民アンケートでも72パーセントが辞任賛成だったが福井氏は職責を全うすると言って今日に至っている。植草さんは、その著書「知られざる真実-勾留地にて-」第一章の「偽装」の中で、わざわざ『福井日銀総裁追求の深層』という項目を挙げている。彼は言う。当時、村上ファンドの出資者としてアドバイザリー・ボードに名を連ねていた人物の中で、オリックスの宮内義彦氏と福井俊彦氏の名前は表面に出たが、ここで福井氏の名前のみが突出的に世間にさらされたことを訝しいと語っている。

 植草さんによれば、司法当局はこの時、すべての出資者の全貌をつかんでいたはずだが、なぜか恣意的に福井氏のみが世間に注目を浴びる形でさらされたようだと書いている。(同書p37)植草さんはここで鋭い指摘を行なっている。2006年、村上ファンド絡みで、福井氏がマスコミや国会で槍玉にあげられた時、その裏側では、マクロ経済政策と、2008年3月の日銀総裁任期満了をめぐる暗闘があったと思われると。つまり、日銀執行権の独占的掌握を狙う売国清和会は、この頃から、旧大蔵官僚の総帥のような存在である武藤敏郎氏にポスト福井総裁のレールを敷いていたのである。

 福井氏が村上ファンド絡みのスキャンダルで悪いイメージを与えられていたころ、反構造改革路線色の強い有識者を狩りつくす計画が実行に移されたのではないだろうか。その三ヵ月後の9月に、小泉政権糾弾派の急先鋒である植草一秀さんは、あらぬ痴漢の嫌疑を無理にかけられ、132日も不当な拘束を受けている。売国清和会にとって、マクロ経済政策でも福井氏の路線が“国民を益する”方向性を持つまずいものであるなら、小泉政権を弾劾した植草さんが標的にされていたことは当然うなづけることだ。小泉政権の反国益性(=清和会の反国益性)に、もっとも正確に肉薄した植草さんが強く懸念する日銀総裁人事とはいったい何であろうか。もしかして、野党が結果的に武藤敏郎氏の日銀総裁への昇格を黙認することにでもなったら、それは日本の分水嶺であるのかもしれない。私のような一般人にとっては日銀人事など世俗と関係ないことのように感じているが、植草さんレベルの人たちから見るなら、これは国家危急存亡の一大事なのかもしれない。

 ものごとを国民利益と国益的方向で見る有識者と売国清和会との関係においては、城内実さんと植草一秀さんは同じ位相に置かれた有識者である。今なぜ城内さんの名前を出したのかと言えば、城内さんが今度の衆院選で立候補する静岡七区には、民主党が唐突に元NHK職員の立候補者を立てるという不自然な状況が起きた。同時に静岡新聞は城内さんの立候補に関する記事で、彼を“共産/無所属”という記述入りで掲載した。城内さんは郵政民営化反対の急先鋒である。植草さんは小泉政権のマクロ政策の間違いを指摘し、りそな銀行救済にまつわるインサイダー疑惑をただ一人指摘した。このお二人には清和会思想に真っ向から異を唱えるという明らかな共通性がある。城内さんはいろいろな意味で今も、彼らの妨害行動に遭っている。よく聞いてほしい。民主党には自民党清和会に通じる売国奴たちが大勢いる(凌雲会か?)。彼らが城内さんの選挙を撹乱する作戦を取っている。同時に彼らは小沢党首を睥睨し、日銀人事で武藤敏郎氏後継を黙認する可能性が高い。植草さんはこれが国家統治を財務省主導の独裁体制に導くと憂慮しておられるようだ。だとすれば、武藤氏が日銀総裁に就任した場合、より強い清和会政策が固定化し、日本は獰猛な外国資本に荒らされ、国民は恒久的に塗炭の苦しみをなめ続ける超格差社会が出現するだろう。

 植草さんと城内さん、我々一般の国民はこのお二人の言葉には真摯に耳を傾けるべきである。彼らは非凡な洞察力と頭脳で小泉構造改革継承路線の危険性を見抜いているからだ。これ以上、日本を駄目にしない意味でも植草さんの言葉には耳を傾けた方がいい。

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2008年3月 9日 (日)

財政と金融の分離、日銀の独立性について(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第四十弾です)
  http://tek.jp/p/

 今回は、なにやら難しそうなタイトルとなった。日銀総裁の選出で財務省出身の福井日銀副総裁をするかどうかで、与野党の一騎打ちの様相となった。ここで財政と金融の分離が争点となっている。何が問題なのかは、次のような例と比べればよく理解できる。

 あるところに、母子家庭があった。母は非情であり異常であり、娘にろくに食事を与えず、娘は栄養失調になっていて、元気が無い。何をやってもうまくいかない。専門の医師が、この娘を診て、もっと食事を与えなければいけないと忠告した。しかし、この母親は言った。どこの家でも(グローバリゼーション)娘にダイエットをやらしている。娘には食事制限をしていると主張し、ダイエット食品を買ってきたり、エアロビックスをやらせたり、ジョギングをやらせたり、医者の反対を押し切って、娘を他の家の女の子と同じよう扱っていたので、娘はいつもフラフラでやせ細っていた。確かにどの家庭でも、可愛さからつい娘に食べ物を多く与え過ぎるので、油断するとすぐ肥満になり健康に悪いことは誰もがよく知っているから、ダイエットをさせている。しかし、食事を満足に与えず、娘を栄養失調にしてしまったのは、この母子家庭しかいなかったのだ。非情な母親は、娘に勝手に食べさせないように、いつも冷蔵庫に鍵を掛けていて、この鍵を誰にも渡さなかった(この場合の母親の独立性=娘の食事量の裁量権)。

 この例と日本経済がそっくりなのだ。政府は非情であり、異常であり、国民にろくにお金を渡さなかったので、国民は経済活動が思うようにできずデフレ(栄養失調に相当)になり、経済に元気が無くなった。何をやってもうまくいかない。経済の専門家がアメリカからやってきて(バーナンキ、クライン、スティグリッツなど)、もっと国民にお金を与えなければいけないと忠告した。しかし、日本政府は言った。どこの国でも財政規律や、財政と金融の独立性(ダイエットに相当)は守っていると主張し、世界を代表する経済学者の反対を押し切って国民からお金を奪い取る(増税、社会保険料値上げ、歳出削減など)ことばかり続けた。しかもデフレ下では不適当な構造改革(エアロビックス、ジョギングなどに相当)まで強行した。その結果、日本経済はみるみるやせ細って行った。

 確かに、どの国でも、つい国民のためにお金を使いすぎるので、油断するとすぐインフレが度を超してしまい、それが経済に悪いことは誰もがよく知っているから、財政規律や財政と金融の独立性を守ろうとしている。しかし、国民にお金を満足に与えず、経済をデフレ(栄養失調)にしてしまったのは、非情な日本政府だけだったのだ。

 日銀は金庫に鍵を掛けていて、鍵を誰にも預けない(日銀の独立性)。日銀には巨大な金庫があり、いっぱいお金が入っている。鍵を開けて、手前にある小さな札束を持ち出すだけで、国の借金である800兆円など余裕で返せてしまうほどの、大変な金庫だ。霞ヶ関埋蔵金などとは比べものにならないほどのお金が入っている。このお金を適量に持ち出して、国民のために使えば、日本経済は現在のどん底状態から転じて、絶好調になり、ダイナミックな経済の躍進が再開する。

 これでお分かりだろうか、どこの国でも、政府は国民の幸せを考える。だから、国民のためについお金を使いすぎてインフレになる傾向がある。それにストップを掛けるために、様々な工夫をしている。中央銀行をつくって、政府がお金を使いすぎるようなら、ストップをかけるようにしている。だから日本の中央銀行である日銀は政府・財務省が何と言おうと、お金の使いすぎでインフレになったときは、それを止めさせることができるような権限を持っていなければ存在価値が無いのだ。

 日本政府は非情であり異常だ。できるだけ国民にお金を与えないようにすることばかり考えている。だから、デフレになる。こんな非情な政府は世界中に日本しかない。なぜ日銀は金庫にあるお金を出して(お金を刷って長期国債買い入れる)国の経済を立て直そうとしないのだろうか。日銀は言う。一度、金庫のお金を使い始めたら際限なく使い始めるから、インフレになって悪影響がでる。こんな馬鹿な話はないだろう。

 娘が栄養失調で14年間も苦しんでいて、医者ももっと食べさせろと言っている。しかし、非情な母親は、一度冷蔵庫の鍵を開けて食べ始めたら、際限なく食べて、肥満になるから食べさせないと言っている。こんな母親がいたら、鬼のような残虐な母親だと誰もが思うだろう。金庫を開けたら最後、際限なくお金を使い続けてしまうような人間が政府・日銀に混じっているのであれば、彼らを追放すればよいだけだ。デフレという怖い病気に罹っているときは、金庫の鍵を開け、適切な額のお金を国民に与えるということが、日銀に求められる絶対的な使命である。日銀がお金を直接国民に与えることはできない。そこで、一旦政府に与え、それを財政支出という形で国民に届ける。その意味で財政と金融は協調しなければならない。14年間もデフレが続いているとき、日銀の独立性を掲げ、いつまでも金庫の鍵を閉ざしていたのでは、日本経済は破滅に向かうだけである。

 それでは、次期日銀総裁に誰を推薦するかだが、それには候補者全員を、「あなたはデフレ脱却のために何をしますか」という質問に答えさせることだ。彼らがこの質問に対して、『日銀の金庫を開ける(長期国債を買う)』と言ったら、合格である。しかし、残念ながら日本では、そういう質問をすること自体がタブーになっているし、答えることもタブーになっている。日本人は日銀の金庫を開けると神のたたりがあると99.9%までの人が信じているのだろう。私は、この迷信から人を解放し、マクロ経済モデル使用のシミュレーションで得られた結果に基づいた政策決定へと転換させるために長年活動を続けている。日本人が一刻も早く目を覚まさないと、日本は際限なく貧乏な国になってしまうからだ。

 新聞を読むと、伊藤隆敏氏はインフレターゲット論が持論となっている。インフレ率を適正レベルにするということはデフレ脱却ということだから、素晴らしいことだ。しかし問題はどうやってそれを実現するのかということだ。小泉前首相も首相在任中にデフレ脱却を実現すると約束しながら、増税や歳出削減というデフレ脱却とは逆行する政策を行い、結局デフレ脱却ができなかった。栄養失調の娘に、栄養失調をなおすと言いながら、食事制限を厳格に行い、結局栄養失調はなおらなかったという例と同じだ。なぜ医者の指示に従わないか。

 世界を代表する経済の専門家は「日銀の金庫を開けろ(お金を刷って長期国債を買え)」と主張している。例えばバーナンキ現FRB議長は2002年、日本にやって来た。田中秀臣著の『バーナンキ 世界経済の新皇帝』の10頁から引用しよう。彼は日本銀行の政策を決める幹部たち(日銀総裁を含めた政策審議委員たち)をこう評した。「一人を除いてみんなジャンク(くず)だ!」。さらに日本銀行の常道を逸した稚拙な経済政策を評して「日銀はデフレを退治するために(紙幣をどんどん刷って、それで)ケチャップでも買え)」と辛辣な批判をおこなったのである。

 デフレ問題の世界的権威であるバーナンキ氏が激怒したのがお分かりだろうか。日本がデフレから脱却するには、日銀がお金を刷って使うしかない。それを拒否する日銀に怒りが爆発したのだ。もちろん、国債でなくてもケチャップでも何でもよいから買えば、お金が出ていく。実際にケチャップを買えという意味では無いが、皮肉ってそういう表現になったのだろう。
 
 栄養失調の娘を回復させるには、食事制限でもなく、ダイエットでもなく、エアロビックスでもなく、ジョギングでもない。もっと食事を食べさせればよいのだ。デフレから脱却するには、歳出削減でもなく、消費税増税でもなく、社会保険料の値上げでもない。日銀がお金を刷って、それで国債を買い、そのお金で政府が国民のために使えばよいのだ。

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2008年3月 7日 (金)

政府よ、企業に賃上げの圧力を掛けるのをやめよ(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第三十九弾です)
  http://tek.jp/p/

 福田首相は、3月6日のメールマガジンで、賃上げを促したそうだ。賃上げがなされれば、消費が拡大し、経済成長が加速すると考えているのだろう。全くお粗末な考えと言わざるを得ない。春闘に政府が介入するなど、愚の骨頂だ。

 よく考えて欲しい。政府の経済政策の失敗によって、本来優秀な日本企業がどれだけ不利な立場に立たされているか。世界の株式の時価総額は1990年には日本のシェアは32.9%だったのに、2007年は7.3%までに低下、最近10年間の株式の騰落率は世界52カ国中で下から2番目の51位。株式時価総額で世界トップ20に入っていた日本企業は1989年には14社あったが、2007年には18位のトヨタだけになった。港湾や空港の取引量、利用頻度等、みるみる国際的に没落しているのには目を覆うばかりだ。

 法人税は国際的に見て高い。法人税が高い国からは、優秀な企業は、より法人税が低い国へと逃げていく。一人当たりのGDPが世界一のルクセンブルグは法人税が低い。税率を低くしても優秀な企業がたくさん入ってくるなら税収は潤う。筆者もかつてルクセンブルグの近くに住んでいたことがある。ルクセンブルグには、周りの国からどっと買い物にやってくる。

Photo

 なによりも忘れてならないことは、日本がデフレ経済ということだ。つまり、政府は国民に経済活動を行うに十分なお金を渡していない(これがデフレの定義と言って良い)。国民がお金を持っていなければ商品を売りようがないから、企業は発展しようがない。設備投資ができないから、古い効率の悪い機械をいつまでも使い続けるしかない。国際競争力ランキングも世界一から2007年には24位にまで落ちた。

 日本企業をこのような逆境に置いたままにした政府の責任は極めて重大だ。デフレーターがマイナスに転落したのは1994年だから、日本は何と14年間もデフレ経済から抜け出せないままでいる。

 経済政策の大失敗で、これだけ企業の足を引っ張っている政府だが、更に賃上げというハンディーを企業に加えようとしている。どこまで企業を痛めつければ気が済むのか。原油や素材価格の高騰、そして円高が加わって企業を苦しめる。これでは国際競争力落ちるばかりだ。

 今、政府がやらなければならないことは、減税や歳出拡大をして、国民に十分なお金を渡し、国民を豊かにし、国際的に対等に競争できる状態に戻すことだ。国の借金に関しては、内閣府のマクロ経済モデルを使った試算「進路と戦略」で、はっきりと示されている。積極財政でGDPが増えて、国の債務のGDP比は減少していき財政健全化ができるのだ。国の借金は日銀に買わせると良い。

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2008年3月 6日 (木)

構造改革、不良債権処理が終わって、景気は回復したか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第三十八弾です)
  http://tek.jp/p/

 小泉首相のキャッチは「構造改革なくして景気回復なし」だった。不良債権処理さえすれば、お金が流れるようになって、景気が回復するとのことだった。不良債権処理を国際公約にまでした。しかし、小泉氏は自らを浅学非才と言っていたが、実際その通りだった。それを証明するように、不良債権処理は終わっても、銀行貸出は大きく落ち込んだままであり、お金が流れるようにはならなかった。景気回復どころか、大不況に陥ったと言って良い。一人当たりの名目GDPは2位から18位に落ち、世界に占める日本の割合は、GDPで2分の1に、株式の時価総額で5分の1にまで落ち込んだ。

 不良債権のお陰でお金が流れなくなり、景気が悪くなっているという前提が間違えていたのは明らかだ。もちろん、不良債権が問題であったのなら、その処理が進むにつれ銀行貸出は増えていったはずだが、下図のように実際はどんどん減っていき、2008年現在でも、回復とはとても言えない水準である。

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 もしも、不良債権が原因で、お金が流れなくなっていたのであれば、外国資本の銀行(外銀)は、邦銀がもたもたしている間に大幅に貸出を伸ばし、一気に勢力を拡大したに違いない。しかし、実際は下の図のように、外銀も貸出を減らした。

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 それだけでなく、債券市場の低調もあったことから、不良債権が不況の原因ではなかったことは明らかだ。量的緩和も行って、銀行にはじゃぶじゃぶとお金があふれていた。なぜ、それが市中に流れなかったかは明らかだ。優良な貸出先が無かったということだ。なぜ無かったかと言えば、政府が国民に十分なお金を渡さなかったから、国民は物を買えないし、企業は物が売れない。だから、設備投資をしてもっと生産しようとは、誰も考えないということだ。

 私の知人で、建築会社の経営者がいた。建設大臣から表彰を受けたほどの優秀な建築士で、所有ビルは10もあり、超優良企業だった。しかし、バブルの時代、銀行が彼に過剰な融資を押しつけた。バブル崩壊の後には、厳しい取り立てが始まり、本業は利益が出ているのに、銀行にとっては返済が滞ったということで不良債権となった。不良債権処理ということで銀行はこの会社を倒産させ、悲観した彼は自殺してしまった。

 不良債権処理は、日本経済をここまで成長させる原動力となったような優秀な経営者まで、葬り去ってしまった。明らかな経済政策の誤りである。最近のサブプライムローン問題では、全世界の銀行で20兆円の損失が出たと報道されている。これに対してアメリカはすぐさま大幅な利下げや大規模な景気対策で対抗している。それに比べて日本政府は対応が余りにも遅い。日本のバブル崩壊で、株だけで350兆円の損失が出たと言われていた。サブプライムローンより、桁違いに大きな損失が出たのに、景気対策は遅すぎたし、規模が小さすぎた。しかも政府の経済政策の失敗によって生じた被害者を、残酷と言えるほどの手法で切って捨てた。それが不良債権処理だ。

 アメリカ側からの要請もあり1991年に日本政府は9年間で430兆円の公共投資をする約束をした。かつてマスコミは建設国債は発行しても、後に資産が残るので赤字国債より良いと言っていた。しかし、今は一転して公共投資のための建設国債を悪者扱いする。何という心変わりの早さか。主張の一貫性はどうなんだと聞きたい。いずれにせよ、430兆円の公共投資は、実際には実現しなかったのだが、もし実行していたら日本経済はどうなっていたのだろうという分析が今、宍戸駿太郞氏らのグループで行われている。3月26日の日本経済復活の会の定例会で、宍戸駿太郎氏から、その分析結果を一般向けに分かりやすく紹介して頂けることになった。

 宍戸氏は国際レオンチェフ賞受賞者であり、産業連関分析で世界的に有名な経済学者である。国際レオンチェフ賞受賞者はノーベル賞も受賞している人が多く、宍戸氏のノーベル賞受賞も間近だと期待されている。「不良債権が日本の不況の原因だ」などと馬鹿なことを言っていた馬鹿なエコノミストの空理空論を信用するのを止めて、宍戸グループのような、しっかりとした計量経済学に基づいた分析で、日本経済復活の方法を考えるべきである。

 宍戸グループの結論は430兆円の公共投資で経済の大幅な成長、デフレ脱却、失業率の低下、国の借金の減少など、ダイナミックに成長する素晴らしい日本になっていたということ。この結果を見ても、やはり恐ろしいほどの日本経済の急激な没落、自殺者の激増、生活保護世帯の激増などすべてが、経済政策の失敗によって引き起こされたことが分かる。

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2008年3月 4日 (火)

環境問題に対する正しい考え方(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第三十七弾です)
  http://tek.jp/p/

 これまで、日本経済をどのようにして復活させるかについて書いてきた。GDPを増やせばCO2が多く排出されるようになるから環境には悪い影響を与えると思われがちだ。しかしそれは逆で実際は、経済が発展すれば、環境対策に資金を回せるようになる。貧乏な国ほど、環境対策は遅れている。

 大気中のCO2の濃度の平均値は、産業革命前に280ppmで概ね安定していたものが、2000年には368ppmとなり、現在も毎年1.5ppmの割合で上昇し続けている。人類が化石燃料使用などによって大気中に放出してきたCO2は、大気中増加分の2倍近くあると見られている。つまり、放出した割には意外と大気中濃度は増えていないのだ。これは、自然プロセスで海洋に吸収されたためと推定される。大気中のCO2の濃度が増えたために温暖化が進んだと言われている。

 しかしこの考えに反対する学者もいる。原因と結果が逆だという。単なる気候変動で温暖化が進み、その結果として、陸海からCO2が放出されたと主張する。どちらが正しいのか、専門家の間で論争中である。しかし気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が、温暖化の原因は温室ガスの増加が原因とほぼ断定したので、それを受け入れることにしよう。

 CO2を減らすには様々な方法がある。単純な方法としては、電気や車を使わないように努力すること。しかし、これでは劇的に減らすのは無理だ。太陽光とか風力などの自然エネルギーを積極的に利用する方法もある。京都議定書に従って、日本は排出権購入で巨額の支払いを求められているのだが、二酸化炭素を減らす設備の導入で、逆に排出権を売って巨額の収入が得られることになり、一石二鳥だ。

 二酸化炭素削減で最も期待ができるのが、風力発電だろう。その理由は発電コストが低いことと、風力はほぼ無尽蔵にあり、日本の全エネルギー需要をまかなえる規模だからである。財団法人エネルギー総合工学研究所のホームページから引用すると1キロワットアワー当たりの発電コストは次の表のようになる。

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 風力発電は、資源が無尽蔵にあるという点とコストが低いというメリットがある。残念ながら、風力発電はヨーロッパでは盛んだが、日本は遅れている。陸上と洋上があるのだが、陸上のものはかなり制約を受ける。大型にしないと電力コストを低くできない。大型のものは市街地にはできないので、比較的不便なところに造るしか無く、まず機材を運ぶ道路や、送電線の設備などを造っていたら、コストがかさんでくる。その意味で採算が取れるという場所だとかなり限られてくるということである。

 その点、洋上発電はどこかの工場で造ったものを船で運べば良く、効率的である。電力を電線で運ぶのは効率が悪く、大規模発電にするなら、電力を使って電気分解をし、水素にして運ぶ方法が考えられている。しかし、水素は扱いにくいので、発電所などから集めたCO2と反応させメタンにして運ぶ案も考えられている。そのときの電力コストは10.7円/kWhと矢後清和(2007)は見積もっている。もちろん、風力発電の施設の建設の際にCO2を発生させる。一旦建設が終わり、発電が始まるとCO2削減効果がでてくる。建設時に発生したCO2の量の削減効果がでてくる期間は0.95~1.18年というのが矢後清和(2007)の見積りである。

 ここまでに述べたのは、鋼鉄製の風力発電だが、大田俊昭(2007)はカーボンファイバーを使った風力発電を提案していて、鋼鉄の10倍の強度があり、100年の使用に耐え、発電コストは風力の2分の1以下としている。

① 蜂の巣形コンクリート浮体のクラスター群に搭載された10MW級『超大型風レンズ風車』により洋上風力発電を行う。得られた電力により、水素を生成する。

② 水素は、船で陸上の水素ステーションに運搬される。

③ 最終的に50~100万KW級水素タービン発電所や自動車、車両の燃料用電池に使用される

 全く別な観点から大気中のCO2を減らす方法がある。それはCO2を回収し、地中や深海に隔離する方法である。油田もだんだん深いところから、ガスを吹き込んで原油を押し出さなければならなくなっており、その際発電所から回収したCO2を使えば、そのままCO2を地中に閉じこめることができ、一石二鳥である。最終的にCO2は地層内の水に溶けると思われる。地中に埋める場合は、その量は限られてしまうのだが、深海に沈める場合はほぼ無尽蔵とも言えるほどのキャパシティーがある。

 海洋隔離の方法は色々研究されているが、その中の船行船舶方式を紹介しよう。まず火力発電所などからCO2を回収し、これを圧縮して液体にする。これを船で沖合い数百kmに運び、そこからパイプを水深2500mくらいの中深層までおろして、ノズルを通じて海中に放出する。液体CO2はノズルから放出されると、多数の小さな液的となる。海洋の中深層などの低温・高圧下の条件で水と混じると、水の結晶の中にCO2が閉じこめられ、「CO2ハイドレード」と呼ばれるシャーベット状の膜がつくられる。液体CO2は、この膜を通じて、徐々に海水中に溶解する。放出CO2が海洋に留まる期間は、放出深度や海域にもよるが、100~300年程度と考えられている。これに対して、深海底の窪地にCO2を溜めるのが貯留法である。深度3500m以深にすると、CO2は比重が重くなり沈んでいく。この場合は2000年以上隔離することができる。

 それでは、このような方法でCO2を海に沈める場合、生態系への影響は無いのかという問題がある。その研究はされていて、もちろん皆無ではあり得ない。しかしながら、海洋隔離をしない場合より、生態系への影響は軽減できるのは間違いない。漁業への影響という点では、深海での漁業は行われていないので、悪影響は考えられない。もし海洋隔離をしなければ、放出されるCO2の約半分が空気中に残り、残り半分が海洋の浅い所に溶ける。空気中に残ったCO2は温暖化の害をもたらすし、海洋表層に溶けたCO2も貴重な水産資源に害をもたらす。その意味で、もし有害なCO2を、水産資源に影響の少ない深海に閉じこめれば、全体で見れば環境被害は激減するのは間違いないと思われる。

 残るはコストの問題である。海洋隔離を行うためのコストの大部分は、火力発電所からCO2を回収する際に発生するコストであり、発電コストの20%程度と言われている。詳細は未確認だが、それを10%程度に抑える技術が開発されたとの記事を目にした。つまり、電力コストが少し上がるが、それでも地球環境の危機を救うために、その程度コストで済むのであれば、是非実行すべきだと考える。

 増税が大好きな日本人は、すぐに環境税を提案する。しかしながら、それではデフレを悪化させ、財政健全化には逆行する。このような先進的な技術開発に、国も思い切ってお金を出すべきだ。他国に真似ができない高い技術を確保すれば、日本の将来は安泰になる。年金積立金を貯め込むより、はるかに価値が高い。(小野盛司)

  参照 : 矢後清和 「浮体式洋上風力発電の大規模展開の可能性について」第4回洋上風力発電フォーラム (2007)

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2008年3月 2日 (日)

貿易赤字になると輸入ができなくなるのか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 会長 小野盛司氏の記事、第三十六弾です)
  http://tek.jp/p/

 貿易赤字になると輸入ができなくなるのかという質問が読者から寄せられましたので、お答えします。そんなことはありません。財務省によると2007年の貿易収支は12兆3,781億円の黒字に対し、所得収支が16兆2,730億円の黒字となっています。所得収支とは日本が持つ海外の株や債券、つまり証券資産などが生む配当や利息を示しています。所得収支の黒字のほうが、貿易収支を上回る規模になっています。つまり黒字は貿易だけではないということです。

 それだけではありません。赤字でも貿易はできます。アメリカなど、長年貿易赤字です。本当はアラスカにも油田があるのに、それは温存しておいて、その代わりにドルを刷って外国から石油を買いまくります。国益をどん欲にまでに守ります。日本の円は基軸通貨ではないので、アメリカほど派手にはやれないにせよ、円は国際通貨ですから、刷って使おうとすれば使えます。

 将来、日本の企業が国際競争力を失い、貿易赤字になったとし、更に所得収支も赤字になったとしましょう。そうすると円の価値が低くなるわけですが、価値がゼロになるわけではありませんから、貿易はできます。輸入物価は高くなりますから、買いにくくなるかもしれませんが、お金を多く出せば買えます。かつての共産圏は貧乏でした。国産品はろくなものはなく、物不足で日用品ですら手に入りにくくなっていた時代がありました。自国の通貨をドルなどの外貨に替えてもらえず、闇で観光客から替えてもらって、ドルショップに行って欲しいものを買っていましたね。あれは国境が封鎖されていたので、そうでもするしかなかったのでしょう。まさか、日本が将来そんなことにはならないと思います。

 今の日本は、政府が国民に十分なお金を渡していないので、国民は十分物を買えません。つまり、国産品も輸入品も十分買えないわけです。しかし、外国の人は十分なお金を渡してもらっているので、自国のものも、日本からの輸入品も十分買えます。ということで、外国人は日本の物を多く買い、日本人は外国の物を十分買えないので貿易黒字になります。こうして日本人はどんどん貧乏になっているわけで、十分輸入品が買えないから貿易黒字になっているのであり、黒字だから輸入ができるというわけではありません。所得収支でも同じでしょう。日本は発展しない国だから、投資の魅力はない。だからお金は外国に逃げていき、外国で収益を挙げるので黒字になる。

 このような黒字は、結局ドルのまま海外の銀行に預けられ、海外で運用されますから、外国を豊かにするだけで、いつまで経っても日本は豊かになりません。お分かりでしょうか。黒字ということは、日本人が汗水流して働き、生産した代償がドルという紙切れに替わり、その紙切れがどんどん溜まるだけ、しかもその紙切れはアメリカの銀行に預けていてアメリカで運用されるだけ。日本を豊かにしません。決して良くないのです。黒字は善、赤字は悪と考えるのは全く間違いです。アメリカは長い間貿易収支も経常収支も赤字が続いています。膨大な借金が貯まっていると言えますが、逆にドルを刷って、そのドルが世界に流通して、世界経済を育ててきたともいえます。経済を知らない人は借金をいつか返さねばならないと考えるでしょうか。世界中からドルを引き上げたら、世界経済がマヒするのは明らかであり、これは返すべきではない借金です。アメリカが赤字なら、アメリカ以外の国を合わせれば、黒字で、プラスマイナスがゼロです。

 日本の財政問題も同様でしょう。国が赤字なら、国民の側は黒字で、プラスマイナスゼロです。デフレということは、国民の側にお金が不足して経済が成長しなくなっているのですから、こういうときは赤字を拡大せよと、世界を代表するエコノミストは異口同音に主張しているのです。それが日本経済を拡大し、財政健全化にも役立つということです。何度も繰り返しますが、日本を豊かにするには、アメリカでもフランスでもやっているように、お金を刷って景気対策として国民に渡すことです。そうすれば、デフレ脱却ができ、国民が金持ちになり、国民はもっと物を買えるようになります。日本企業は、その需要増に十分対応できますから、経済は活性化し、企業も国際競争力を増し、しかも、国民は国産品だけでなく、輸入品ももっと買うようになります。輸入が増えると貿易黒字が減ってきます。

 これは私も日経の経済モデルでも確かめました。外貨が溜まりすぎた現在、輸入が増えて貿易赤字になっても構わないのです。日本経済がかつてのように成長を始めると、日本が魅力的な市場になりますから、外国資本も入ってきます。もちろん、日本人にもお金が渡されるようになれば、海外への積極的な投資も活発になるでしょう。貿易収支や所得収支だけでなく資本収支も重要です。お金も日本国内で多く運用されるようになれば、企業も育ってきます。大規模な投資がされるようになり、地方経済も地方政府も潤ってきます。積極財政は、日本経済も、そして世界経済の均衡ある発展も助けます。(小野盛司)

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