ブログにも見られる印象操作(植草事件の底流に)
植草一秀さんが「植草一秀の『知られざる真実』」というブログを開設しておられるので、植草事件に関心をお持ちの方々には読んでいただきたいと思う。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/
今日付け(5月25日)のブログにはネットによる報道被害に触れている。2006年の京急事件が起きた翌日の9月14日、「ぐっちー」なる人物が、「債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」なるブログで、植草さんに関するありもしないことを書いていることに言及している。当時は私もその記事を見ているが、その人物も植草さんとの関係もまったく知らないし、コメントのしようもなかったので特に弊ブログでは書かなかったのだが、『筋のよくない』ものだという強い印象だけは持っていた。
以下、ぐっちー氏(Y・M氏)の書いたことを植草さんのブログから引用する。
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(引用開始)
私が事件に巻き込まれたのは2006年9月13日の夜だった。9月14日午後4時25分の記事にこのような記述がある。
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/d/20060914
「どうしたもんでしょう??やはり病気だったんでしょうか。こちらで植草擁護論をぶちあげ、東京地方裁判所にて証人に立ったぐっちーとしてはもうマカロニ状態ですな。(みんなにやめとけ、とかいわれたけど・・・)
これから本人に会いに行ってきます。
また、こちらでご報告いたしますが、3回目はさすがにまずいだろうね。私は偽証罪を問われたりするかもしれんの(笑)。」(一部抜粋)
そして、9月15日の午前9時14分の記事に「いかにもな話」と題してこう書いている。
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/d/20060915
「植草君に会ってきました。
今はあまり詳しくいえないんですが、やはり彼は相当世の中を甘く見ているかもしれない。
何がいいたいかをいうとそういう一連の非合理性の証明が前回の裁判でかなり有効だった・・・・という事実に味を占めてしまった、という感じがしないでもない。つまり片手にかばん、片手にかさ、触れる訳無いじゃん、と供述したというのですよ。これは結構痛い。前回と違い証人が3人(被害者を含めて)。それも全て民間人で・・・ってなことになると嵌められた説はなかなかとれませんよね。で、警察も相当不信感を持って、問い詰めた所「酔って覚えてない」、となったという訳ですから、おい、確信犯かよ、という受け止め方になっていて簡単には離してくれそうにない・・・・というのが現状です。
彼の復帰にほんとに粉骨砕身した人々がたくさんいるんですよ。それをどう受け止めるか、今後の人生に全てをかけて欲しいですね。私はもう長いつきあいなので、まあ、仕方ないですけどね(笑)。最後までお付き合いしましょう、ってな感じでどっぷり疲れて帰って来た、という話。人を信じるってのもパワーがいるんですよ、時に。私の修行だと思ってがんばりますわ・・・」(一部抜粋)
この2つの記事以前、2005年3月23日にも記事を掲載している。
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/c18d2801ccc64ba38a07c274ba774911
「私は彼とは数年間酒を飲んだり、カラオケにいったり、キャバクラにもいったし、ずいぶん仲良くしていました。結構楽しい時間を過ごしたもんです。」(一部抜粋)
(以下は植草氏)
このブログの筆者は、現在の所属は知らないが、かつてはABNアムロ証券に勤務していたY・M氏だ。今回の記事ではとりあえず実名を伏せておく。拙著『知られざる真実-勾留地にて-』にも記述したが、恩師として、多方面にわたって指導賜っていた方が、飲食店を経営されていた時期があり、よくその店を訪ねていた。Y・M氏もその店に来ていた結果、何度か話をしたことがあった。恩師の誘いで1度か2度、お酒を飲みに行ったことがあったが、それだけの関係だった。
(引用終了)
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植草さんご本人が、ぐっちーなる人物が書いたブログ記事は事実無根だと断言しているし、この人物とは一度、二度飲んだだけで、植草さんとは友人でも何でもないということがわかった。当時、メディアの初期報道は大々的に植草さんの事件を「既遂事実」として取り扱ったうえ、ミラーマンなどという侮辱的な形容で面白おかしく報道していた。わずかばかりの被害者証言だけしか出ていない中で、警察による第一次情報をそのまま鵜呑みにした報道ばかりが先行され、事実の検証に関する意見も考察もいっさいなかった。それはメディアが京急事件に対し、いきなり品川事件とからめて報道したからである。私(神州の泉)は、すでにこの時点で、植草さんがとてつもなく大きな力にからめ取られていることを強く感じていた。
この時期の報道を振り返ってみると、いまさらながら不思議なことに気が付く。京急電車では被害者と称する女性、それに『一般人』と称する二人の逮捕者(もしくは逮捕協力者)がいたが、この三人に対してメディアはいっさい取材活動を行なった形跡がない。有名なエコノミストとして、植草さんの知名度を考えれば、テレビのワイドショーや週刊誌の記者は格好のネタとして、この三人の関係者に飛びつくはずである。ところが、なぜかそういう取材的な動きはいっさい表面に出てこなかった。しかもである。京急蒲田駅にはこの事件に関して緘口令が敷かれているのである。妙だとは思わないだろうか。京急側にとって、一時的に取材活動を受けることには何らの不利益も生じないはずだ。植草さん逮捕のきっかけとなった関係者に対しては、何ら取材活動が行なわれた形跡がなく、京急蒲田駅には不自然な緘口令が敷かれた。冷静に顧みれば、この事実は不可解である。
私は、マスメディアが行なった植草事件の報道には、最初から決定的な方向性が存在していると見ている。それは『植草有罪論』という確定的な決め付けである。そのために、他の検証を要する事実や傍証にかんしては、警察や初期報道からは故意に省かれている気がしてならない。被害者の徹底的な匿名性もそうだが、逮捕者にかんする初期情報の皆無性もそれを裏付ける。加えて肝心の植草さん側の弁明が極端に少なかったという非対称性も歴然と認められた。ここには明らかに権力筋による誘導的な操作がマスコミに働いたことが伺えるのだ。週刊誌やテレビの世俗的、常識的な対応を考えてみれば、まず第一に被害者、それに一般人である逮捕者に話を聞くというのが普通だ。著名人の事件なのである。ところがメディアにそういう取材の形跡はいっさい出ていなかった。しかも、奇妙なことに、関係者への取材殺到の代行現象として、ネットには二つの奇怪な情報がいち早く掲載されていた。
その一つが、以前、私が弊ブログでも指摘したmixiの日記の件だ。植草さんを逮捕した『一般人』と同じ職場の同僚が書いた9月15日付けのmixiの日記である。
(※クリックするとより鮮明に見えます)
ぐっちー氏のブログ記事は事件の翌日であり、このmixiの日記に逮捕者同僚が書いたのは翌々日である。この二つの記事のタイミングといい、その怪しさといい、これがばらばらに現出したものとは到底思えない。事件に対し、その念の入った補足的な内容と言い、記述の妙な具体性といい、両者とも、明らかに何者かの計画的意図が働いていると考えなければおかしい。その目的は植草さんに負のイメージ付与を行なうことにある。
私は事件初期から、植草さんが遭遇した身に覚えのない事件は『国策捜査』であると言い続けているが、これに対して擁護派の中からも、確証性の乏しいことを言ってどうするのかという言辞がよく聞かれる。しかし、私から言わせれば、通常冤罪論を主張する彼らが、わずか三年以内に二度の迷惑防止条例違反に植草さんがかかわったということに、合理的な説明がまったくできない事実を重く受け止めた方がいい。品川事件に警察官の関与があったという決定的な事実をスルーしたまま、品川事件も冤罪、京急事件も不幸な冤罪に巻き込まれたでは、かえって筋が通らないだろう。その個別的な冤罪論に説得力が乏しいのは自明だろう。二度の事件という事象に「偶然か必然」が関与する場合、これが『必然』であることを指し示す傍証的事象は、すでに複数出ているのだ。メディア報道の偏頗性、被害者の徹底的な匿名性、逮捕者の行動様式、犯行目撃者の矛盾証言、mixiの記事とぐっちー氏によるブログの捏造記事等、事件にはこれだけ多くの偽装性が存在するのだ。
そして、最も決定的なことは、弁護側目撃者が植草さんの犯行そのものがまったくなかったことを見ていたという事実なのだ。当日の植草さんが犯行に及んでいないという目撃証言にスポットを当てると、事件が紛らわしい冤罪か、あるいは決定的な謀略に嵌められてしまったのかということが見えてくる。しかし、私が述べたように、付随して出てきた数々の不自然な事柄を鑑みた場合、この事件の全体像が限りなく『必然』に近い様相を帯びていることは誰でも気が付くことなのだ。それは『謀略的な必然』のことである。
お分かりだろうか、京急事件で植草さんを中心に見ると、犯行があったのか、なかったのかの二者択一になる。やったのを見たという目撃者、そして『やっていないことを見た』という二人の目撃者が出ている。ここにおいて通常冤罪論にはほとんど説得力がない。あまりにも多くの作為的傍証が出てきているからだ。ぐっちー氏のブログも、mixiの日記も謀略説の重大な傍証だ。重要なことは、品川事件において、植草氏は警察官によって事件を作出されているという厳然たる事実だ。これを自明と見るならば、『なぜ警察官がここまでやるのか?』という当然の疑問を感じなければおかしい。これをうやむやにしたまま、二年四ヶ月後に起きた京急事件も、通常の冤罪であったと強弁する方がはるかに異常であろう。
植草さんは明らかに官憲が介入した国策的謀略によって嵌められている。繰り返すが、京急事件が通常の冤罪でないことは、上述したようにマスメディアが関係者をいっさい取材しなかったということと、京浜蒲田駅に厳重な緘口令が敷かれたことだ。加えて、初期報道と機を一にして、mixiの日記とぐっちーなる人物のブログ記事によって、偽装事件があたかも本物であったかのように補強されているという事実だ。
植草事件の本質とは、植草さんが、小泉政権の国益毀損性とマクロ政策的なミスリーディングを早くから舌鋒鋭く指摘していたことと、りそなインサイダー取引疑惑を指弾していたということに尽きるのだ。これによって彼は権力筋に狙い撃ちされたのである。また、そのことによって、植草さんは他の良心的な有識者たちへの『見せしめ』にされたのだ。植草さんの存在の重さを認識して欲しい。小泉政権がもたらした非道な結果は、今、国民全体を徹底的に苦しめている。小泉政権の初期からこの非道性を見抜き、良心にもとづいて果敢に批判していた植草さんを今こそ見直して欲しい。この素晴らしい先見性、そして並外れた洞察力、同胞への無償の思いは日本再建に絶対に必要なのだ。彼はけっして犯罪者ではない。他の有識者よりも弱者に対する同胞愛が強かったために、悪魔に魂を売った権力筋に狙い撃ちされた無辜の人物なのだ。
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コメント
わざわざお返しのコメントまでありがとうございました。太平洋の小さな島からずーっと植草さんを応援しています。
それにしても、今件へのブロガーの反応が鈍いですね。管理人様のこの記事へのTBがまだ2件だけなのも...不気味です。
投稿: suyap | 2008年5月29日 (木) 12時12分
管理人さん、こんにちは。
「ぐっちー」という方は複数の雑誌にエッセイを書いていたり、とても一般ブロガーの枠には収まらない方ですね。
それなのに植草証言によると明らかな虚偽、それも裁判に関係する重大な局面で虚偽の記述をしているとしたら・・・。
なんとも不思議な感じです。
それにしても植草氏が逮捕されたときのマスメディアの反応は明らかに異常でしたね。
植草氏が「痴漢」で何度も「示談」となったというデマカセを信じて(信じたふりをして?)、
テレビという公の場で罵詈雑言を並べ立てた「タレントもどき文化人」のセンセーがたにも
きっちり責任をとってもらいたいものです・・・。
(追伸)
城内実応援メッセージをよろしくお願いします。
お忙しいところ無理を言ってすみませんが・・・。
投稿: 喜八 | 2008年5月28日 (水) 12時35分
二つの記事についての感想です
mixiの日記
:事件を仕組んだ関係者の匂いがします。具体的な事を書き込み、内容を信用させようという意図が感じられます。通常、詐欺にも使われる方法が使われているように思います。
作り話かどうかの見破り方は、具体的なものについての記述が、虚構でしかあり得ない不自然さを伴っているかどうかです。
ぐっちーの書き込み
:彼は、作り話が常套だと思っています。
彼の具体的なものについての書き込みは99%作り話だと思っています。
植草氏の関連の書き込みでは、面会に行ったと言うのにもかかわらず、決定的にも、二人の人間関係に具体性がありません。文章だけからでも、100%作り話と思いました。
ぐっちーの書き込みの特徴は、
1.親近感や興味を持たせるために、身近なことについて作り話を書き込む。身近であるにもかかわらず、具体性に欠け、不自然な内容なのです。
2.分析するとき、どちらに転んでも、言い訳できるような書き方になってるように思う。経過を経ても、最初の書き込みが正しかった、と言う形に持って行ける。これは彼の文章の「巧さ」であり、彼の狡さであり、彼の無能さ故でしょう。
具体的なものが嘘くさいから、彼の「分析」も信用できないし興味がありません。
私の感じ方では、mixiの方は、指示されたものの感じがします。ぐっちーは、何時もと同じ創作かもという感じはします。しかし、ぐっちーも繋がってる可能性は排除できないかもしれませんね。
投稿: | 2008年5月28日 (水) 12時14分
私も知られざる真実を読んで、冤罪だと思いました。私は文章の書き方からの判断です。見せしめ説が正しい。
それにしてもマスコミを冷静に見ていると、言論統制がしかれており、江藤淳氏が指摘した、事前検閲がまかり通っている。
恥を知らない人が居り、意地を張る人が無くなり、俺の顔が廃るという感覚をなくした人いる。
誇りは何処へ行った。
グッチは私もよく読んでいましたから、植草氏の著作を読んでから、注意して読んでいます。
私は小さくてもいいから、自らの運命は自ら握りたい。
自ら稼いだ、正当な金で、生きたい。
自らの目で事実、真実を見て、死にたい。
投稿: kenji | 2008年5月25日 (日) 20時17分