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2008年6月30日 (月)

(続)吉兆の堕ちアユ

 前回エントリー『吉兆の堕ちアユ』に、cameramanさんという読者さんから下記のコメントを寄せていただいた。少し感じるところがあったので、私も感想を書いてみた。
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  一般家庭で食べ残しを捨てたら(程度にも依るが)、常識を疑われるでしょうが、食事を文化として供する料亭がここまで落ちているとは。いわゆるケに対するハレの文化を楽しむものであり、カロリーの摂取によって血糖値を安定させるためのものでは有りません。お茶を飲むのに1時間かけるような文化は、おそらく世界でも珍しいでしょう。
料理人、経営者にも責はありますが、客の側にもこのハレの気分を味わう、という極めて良い意味での雅さが薄れて来ているのではないでしょうか。ありていに言えば「料亭○○」で食べられる人間は、勝組である、・・・お終い。といったところです。

投稿 cameraman | 2008年6月29日 (日) 22時36分
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  (以下は「神州の泉」管理人)

cameramanさん、こんばんは。

>いわゆるケに対するハレの文化を楽しむものであり

>ありていに言えば「料亭○○」で食べられる人間は、勝組である、
>・・・お終い。といったところです。

 おっしゃるように、高級和食料亭の存在意義は、日常“ケ”を超えたところに求める、しばしの“ハレ”・・。まったくその通りなんですね。高級料亭で食べられる資格を持ったものは、いわゆる普通の意味で、社会の勝ち組と言われる人たちでした。と、あえて過去形で言ったのは、風流や雅(みやび)が、文化人や為政者達に当然の教養として根付いていたころの話です。ただ、大金を出せば最高峰の和食文化を楽しめるという時代ではなかったと思います。高級和食を味わえるステータスのある者とは、それに相応しい知識を持ち、文化を深く理解できる教養人であり、しかも斯界の成功者という文脈での“勝ち組”なんですね。つまり、“ハレ”の空気がきちんと読める人たちでありました。当時であれば“金融博打で”儲けた成金さんは敷居が高くて行けなかった店はたくさんあったはずです。今ではそういう店そのものが幻想となっています。

 ホリエモンや村上何がしかが行くようなところはけっして本物の高級和食ではありません。“場”が彼らのような金銭至上主義者、つまり下衆な守銭奴をはじいていたのです。この対応関係は、昔の吉原文化の中で、一番の花魁に気に入られるためには、大金持ちという条件のみでは近づけなかったことと似ているでしょうね。いわゆる“粋”を解し、花柳界の文化に通暁している最低の条件があったように理解しています。ただ、おっしゃるように、客層水準の低下を見れば、現代日本にはたして、高級和食文化なるものが存在するかどうかは、はなはだ疑問がありますね。もっとも、私のような貧乏庶民には、その世界の実態はわかりませんけどね。

 私個人の願望から言うなら、いわゆる“健全な意味”における勝ち組連中が行く料亭はあってしかるべきです。それは深い文化に接するという健全な特権意識を育みます。これはこれで、社会の一つの必要なエリート意識を育てることにもなります。若い人たちが憧れるような場所であれば、なおさらいいでしょう。料亭でなくとも、そういう場所はインフラとして必要だと考えます。財産や持ち金の多寡だけで会員資格を問うような“場所”には文化も品位も生まれるとは思えません。そういう場所がどのような雰囲気になるかと言えば、旧約聖書・創世記に出てくるようなソドムやゴモラのような背徳の雰囲気に満ちてくるでしょう。求める場所とは、日本人であることを再確認でき、日本人でよかったと思える空間ではないでしょうか。そこには当然ながら、和の伝統的空気が息づいていることが必要です。然るべき社会的成功を収め、そういう特別な場所へ行く資格ができた者には、高度な日本文化を理解できることと、もう一つは日本人として、ノーブレス・オブリージュの魂も持って欲しいと思うのは私だけでしょうか。しかし、見かけの偽装を行なうようなところに、そのような空気は絶対に生まれません。

 私のイメージはあくまでも私個人の想像が大きいわけですが、これもマンガ『美味しんぼ』などのレベルで仕入れた浅薄な知識で言いますが、本物の伝統的高級和食なる文化は、すでに北大路魯山人あたりで消滅しているのかもしれません。だいたいにおいて、現代日本が和の文化を死守する構えが強かったのなら、けっして対米隷属にはなりませんね。日本が日本の本質を大事に守っていたなら、マクドナルドがここまで毒々しく街に氾濫しないでしょう。和食文化の極限的衰退は、戦後日本の社会体制の変遷からもある程度言うことができます。それはドイツの社会学者テンニースが唱えた、有機的、血縁的、継承的社会共同体から出てきたゲマインシャフトから、利害関係のみで泡沫的に形成されたゲゼルシャフトへの移行が、戦後日本では極端に進んでしまい、伝統的な世襲制、徒弟制度が急速に崩壊してしまったことにも関係があります。特にゲゼルシャフトへの変容ですが、日本は新自由主義を取り入れて、もともとあった共同体的志向の残渣さえも消えようとしています。この状況で、職能的世襲制が滅びかけており、和食職人の伝統的奥義が伝承されにくくなっていることも確かでしょう。

 また、われわれが和食と考えている物の大部分は素材からして海外産です。本当の独立自尊的な考え方が国家レベルにあるならば、食料自給率をこれほど低迷させたまま放置することはありえません。確か39パーセント以下でしたっけ。BSE(狂牛病)の疑いがあるアメリカ産牛肉を政治的圧力によって、唯々諾々と輸入しているわが国に、正統な意味における和食伝統文化が残存しているものでしょうか。食糧自給の実態と、環境悪化を正視した場合、今の日本は文化以前のレベルまで落ちていることがわかります。雅な食の伝統が花開く以前の状態ですね。本物の和食文化が残存しているとしたら、それはどこかの漁村や山深い山村に、風流心を持った板前さんがいて、新鮮な素材に和の心を込めて料理している所くらいではないでしょうか。船場吉兆は日本全体の食文化退嬰の実態を忠実に示しているのではないでしょうか。

 正統な和食文化が復興するためには、日本の自然そのものが回復し、人々の心に万葉の雅(みやび)が満ちることしかないでしょう。日本の国土復興と日本精神のルネッサンスですね。戦後大きく逸れた道は、日本人をあまりにも遠いところに導いてしまったわけです。

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2008年6月29日 (日)

吉兆の堕ちアユ

船場吉兆の『使いまわし』に見る日本人劣化の現実

 はじめに

 和食の事情通からの受け売りなのであるが、料理、ことに日本料理では、「材料八部」ということが言われている。食材の質によっては、料理の良し悪しが八割がた決まってしまうという話である。船場吉兆の「料理使いまわし」は、単に食品偽装というレベルを超え、日本人の自己同一性の危機まで感じさせる深刻なものであると筆者はとらえている。小泉政権が日本に洪水のごとく新自由主義をもたらしてから、その当然の帰結として、国民全般の気持ちから公益心や公徳心が消えかけている。新自由主義の大御所であるミルトン・フリードマンの『政府からの自由』を読めば、国家と言う連続的有機的実態は、まるで無意味であるかのような方向性を明確に打ち出している。

 今の日本にとって重要な著書である『拒否できない日本』を書いた関岡英之氏は、フリードマンの思想性を「極左急進主義的無政府論」と喝破していたが、筆者もまったく同感である。中曽根政権が新自由主義的傾向を色濃くしてから、この日本は特にアメリカに阿諛追従し、ネオリベラリズムの風潮に囲繞され、今日まで至った。それは小泉政権が出現してから、突出的に鮮明になり、むしろこの政権が、国民に放った出力は、日本の伝統文化や倫理規範、相互扶助観など、もともと日本人に強く継承されていた民族的な性質をことごとく破壊する結果をもたらしている。船場吉兆が常態的に行なってきた「使いまわし」は、戦後日本人の公徳心や良心の衰退を見事に反映している。

食品偽装に新顔登場!「使いまわし」の衝撃

 飲食店業界から新たな衝撃波が発生した。今から半年ほど前、料亭「吉兆」グループの「船場吉兆」本店(大阪市)が運営する福岡市岩田屋本館にある「吉兆天神フードパーク」で、五種類に及ぶ菓子類の消費期限、賞味期限偽装が問題となった。それを皮切りに、大阪本店では牛肉や地鶏のみそ漬けに原産地偽装が発覚し、前役員らは不正競争防止法違反容疑で大阪府警の捜査を受けた。5月3日付けの読売新聞によれば、今回は料亭・船場吉兆の本店が、客が食べ残したアユの塩焼きなどの料理を別の客に使いまわしていたことが発覚した。これは前社長・湯木正徳(ゆきまさのり)氏の指示で行われ、一連の偽装が発覚して休業した昨年11月まで続けられていたらしい。使いまわしをしていたのはアユの塩焼きやサケの焼き物など、少なくとも6品はあったという。また、船場吉兆関係者が読売新聞の取材に対し、「使いまわしは20年以上前から行われていた」という証言もある。

 具体的には、客が食べなかった料理を再度加熱したり、油で揚げ直したり、新たな料理として客に提供していた。アユの塩焼きの場合は身をほぐして白飯に混ぜて出していた。一食数万円も散財し、期待して食べた料理は、一度他の客に出された料理から回収された食材から作られていた。何も知らずに、それを食べた者は、大衆食堂の安い定食とは、はるかに隔たった『高級な』満足感も同時に味わいながら、料理に舌鼓を打っていたことだろう。しかし、その高級料理の本当の成り立ちに客が気付いたとき、そこにふつふつと沸き起こるのは、美食の満足感とはまったくかけ離れた言いようのない嘔吐感だけであろう。大枚をはたいて船場吉兆で高級な和食を楽しんだ多くの人たちは、今ごろ、俺のときもそうだったのか、私のときもそうだったのかと、大いに堪能したであろう美食の追憶を、こみ上げてくる嫌悪感という、ひどい後味に塗り替えていることだろう。まったく罪深い話だ。

 こういうことを耳にすると、誰もが、もしかしたら、このような使いまわしは、他の料理店や大手居酒屋でも日常的に行われているのかもしれないと、疑心暗鬼になるのではないだろうか。実際、何人かの知人もその疑念を口にした。つまり料理を提供する側が、「その気」にさえなれば、枝豆などの豆類、刺身のつま、パセリ、サラダなど形の崩れないものは労せずして新品料理として再提出ができるからだ。客に発覚さえしなければ、使いまわしは容易にできるのである。ふだん、われわれが外食に出かけるときは、応分の金を払っている以上、食の安全と新鮮さは当然のことだと思っている。つまり、出される料理は衛生的であり、誰も「箸をつけていない」と信じて疑わない。しかし、その常識的な「一回性」がじつは幻想だと知ったとき、われわれが外食に抱いていたすべての期待や価値は根底からくずれることになる。「一回性」という確固たる伝統的な前提が根底から揺らいだとき、大事な金と時間を費やし、他家の残飯を食うために、のこのこと出かける人間がどこにいるだろうか。

 さて、次はこの「使いまわし」という食品偽装が、いかに悪質かつ深刻なものであるか考えてみる。

 欺瞞の「もったいない精神」

 船場吉兆・前社長の湯木正徳氏は「きれいな料理を捨てるのはもったいない。利用できるものは利用しろ」と厨房に指示したそうである。この話が本当だとすれば、湯木前社長の言う「もったいない」精神とは、いったい誰にとっての「もったいない」なのだろうか。前社長の指令には次のような論理構造が見える。

(1)大前提 「きれいな料理はもったいない」
(2)小前提 「船場吉兆の料理はきれいである」
(3)結論  「故に、きれいなうちの料理はもったいないから捨ててはならず、きちんと再利用される必要がある」

 これを典型的な三段論法と言っていいものかどうかわからないが、これを三段論法と解釈して、大前提の『きれいな料理はもったいない』を見ると、表層的には理屈が通っている。見た目にも美しい料理は、崩して食すのがもったいないということはよくあるからだ。しかし、この論法の結論に相当するロジック、『もったいないから捨ててはならない』という論理進展は完全に間違いだ。

 これがエコロジカルな再利用(リユース)という意味での「もったいない」の文脈でないことだけは確かである。「利用できるものは利用しろ」が、違った客に同じ物を提供できるという意味での再利用なら、「もったいない」の真の文脈は、一つ分の料理で二つ分の利益が見込めるという店側のぼったくり的営利感覚のことだ。そして、法律や商業道徳を加味した全体の文意は、ずばり言って『詐欺指令』そのものだ。廃棄物を新品だと偽って売ったわけだから、これは明らかに詐欺行為である。ウィキペディアで「詐欺」を調べてみた。

■詐欺(民法)
他人を欺罔(ぎもう:人をあざむき、だますこと)をして錯誤に陥れること。
詐欺による意思表示は、その意思の形成過程に瑕疵があるため取消得るもの
とされる (民法第96条)。

■詐欺(刑法)
他人を欺罔し錯誤に陥れさせ、財物を交付させるか、または、財産上不法の
利益を得ることによって成立する犯罪 (刑法246条)。10年以下の懲役に
処せられる。

 ここまで書いて筆者は、湯木氏の発想のあまりのわかりやすさに、こみ上げてくる笑いを抑え切れなかった。とは言っても、この事件を深く見つめれば、笑いとは無縁の日本人劣化の問題にどうしても突き当たってしまう。その深刻な問題提起は後半に説明するとして、湯木氏のこの指示を本音で言い直せば、「船場吉兆が儲かるなら、どんな食材でも効率よく使いなさい!腐っていなければ、残飯でも何でも使いなさい!見た目が美しければ何度でも使いなさい!」ということに尽きる。「使いまわし」は究極の原料コスト削減である。いや、考えようによっては無から有を生み出すわけだから、最も斬新な商売上のアイデアと言えるかもしれない。ただし、倫理道徳を完全に捨て去るという付帯条件はあるが。

 この剥き出しのぼろ儲け主義を見て、読者の諸姉諸兄は何かと似ていると思われないだろうか。そう、これは何でも貪欲に食い尽くすハゲタカファンドの手口である。儲けのためには、原料の品質も入手手段の不当性もまったく問わないという「やったもの勝ち」のぼったくり的市場原理至上主義だ。米国発、アングロサクソン流、究極のネオリベラリズム(新自由主義)である。料理を見抜けずにだまされる客が悪いということなのだろう。なんという精神劣化、なんという規範感覚の頽廃だろうか。使いまわしとは、一度は他人の面前に出されたものを再び別の客に出すことだ。それが以前と同じ形を保っていても、それはすでに料理としての自己同一性を失い、残飯という廃棄物に変わっている。箸を付けたとか付けなかったということは関係ない。一度他人に提供したものは廃棄物としての価値しか持たない。何というか、呆れるという気持ちをとおり越して、茫漠とした虚しさがまとわりついてくる。

 見た目も新しく箸もつけていないから衛生的だ、だから何の問題もないと思う人がもしもいたとしたら、その人に言いたい。前のお客に出した後に回収するというタイムラグがあり、厳密に言って、これには「経時的劣化」が起きている。ただし、それは微々たるものだから食品衛生法には抵触しない。それなら何も問題はないのだろうか?もし、そう考えるのであれば、その人は日本人をただちにやめるべきだろう。この問題の根は、単に経時的劣化を問題視することとは、まったく異なる、精神文化に関わる根源的な問題がある。そのことは追って説明する。

 さて、湯木前社長の「もったいない」指令にもっと突っ込みを入れてみよう。彼の本意は我利我利亡者の利潤追求主義であるが、それにしても、もったいないから使いまわしをしろというのはかなり乱暴である。野菜や魚など、新鮮な食材をあますところなく無駄なく使い切るというのであれば、そのことが料理の味や見た目に影響が出ないかぎり、エコロジカルな考えから言っても理にかなっている。一般論から言えば、物の再利用(リユース)は歓迎すべきことである。しかし、高級和食という確立された食文化体系の中では、食材の使いまわしは恥ずべき行為だ。料理の精神に真っ向から反した行為であり、饗応の精神にも背く。これに比べれば、二桁も値段の安いファスト・フードのほうがはるかにまともな食べ物に思えてくる。

 たしかに彼が言うように、日本の食文化には「もったいない」精神が伝統的に宿っている。子供のころ、よく親に、食べ物を粗末にするとバチが当たると言われたことを思い出す。そこには食材を大事にする、すなわち「もったいない」という伝統的な継承感覚がある。もったいないから野菜の切れ端を別の料理に上手く取り入れる。もったいないから残り物を明日の料理に使い、味を工夫して作りかえる。今風の主婦にも、ある割合でこういう「もったいない」感覚を生活に活かしている人はたくさんいる。経済的にも合理的なこういう生活の知恵は、一般家庭なら美徳として受けとめられ、良妻賢母の鑑(かがみ)として賞賛されるだろう。しかし、高級日本料理になると話はまったく違ってくるのだ。

 日本料理は満腹感を得るためのボリュームよりも、見た目の美しさや簡素さが重用される。特に高級和食にその傾向が強い。煎じ詰めて言えば、日本料理は無駄なものをそぎ落とすという美学である。食材を無駄なく満遍なく使い切るというのは、いわば世俗的な「もったいなさ」と言えよう。しかし、和の簡素な美を追求する高級和食料理の場合は、料理そのものがただの食事ではなく、日本特有の四季の移ろいや自然美を象徴する一幅の絵巻物になっている。その世界では、世俗的なもったいなさは止揚され、食材の鮮度や料理人の精魂込めた作品としての「一回性」が尊重される。つまり素材の鮮度や象徴としての意味性を最大限に際立たせるために、無駄なものはいっさいそぎ落とされているのだ。ここには日本における伝統的な食文化の精髄としての「もったいなさ」がある。

 しかし、天下に名をはせた一流の老舗料亭が「もったいない」と言って、一度客に出した料理を食材として再利用したという話は、心ある日本人を暗澹とした気分にいざなう。もったいない精神の実践は美徳だが、料理の使いまわしとなれば、それはすべての食文化への裏切り行為に直結する。船場吉兆の行なった料理の使いまわしは、飲食業というサービス産業に決定的なダメージを与え、なおかつ和食文化を根底から覆す悪質な所業である。

 この背信行為は日本文化の冒涜

 老舗中の老舗である高級料亭が、残飯として廃棄すべきものを回収し、それを客に出すことの衝撃度は尋常ではない。筆者自身は貧乏な庶民の一人だから、船場吉兆のような高級店で食事した経験はほとんどないが、少なくとも高級料亭のたたずまいはわかる。一つは料理を盛り付ける器そのものが並外れた高級品であることだ。たとえば北大路魯山人(ろさんじん)の陶芸品などである。そこでは、われわれ庶民が日常ではなかなか目にすることのできないような陶器・磁器の名品が揃えられてあり、器が醸し出す風格が、和食職人による入魂の料理と拮抗して、絶妙なバランスと存在感が奏でられる。ここには板前さんと言うよりは、繊細優美な日本画を描写するアーティストになっている。板前さんの流儀と思いが深ければ、変幻自在にいろいろな作品が楽しめる。器、盛り付け、もてなす側の所作雰囲気、部屋の飾りつけ、すべてが日本料理を成らしめる一種独特の和の空間を形成し、そこには味だけではない、総合芸術としての設(しつら)いがある。高級懐石などの和食は、さりげない簡素さの中、安らぎとともに、日本人独特の情緒性や風趣を呼び起こす舞台が演出されているのだ。そこにこそ、華道や茶道に通じるわび、さびとしての日本料理がある。船場吉兆はこの系統にあって、しかも高みに位置する料亭だと思っていた。筆者には手の届かない和食の高峰にある店が、あろうことか「使いまわし」を常態的にやっていた。

 船場吉兆の行なった料理の使いまわしは、この伝統的な食文化の精神を冒涜する行為である。そこには、客に対する裏切り、日本に対する裏切り、伝統文化に対する裏切りがある。そのことは「鮎の塩焼き」の使いまわしを例にとって端的に説明できる。鮎の姿焼きは、川に遊泳する鮎の姿そのままに焼いて出され、見た目にも清流の心地よいそよ風を一緒に味わうがごとくである。鮎という魚が、流れて止まるところを知らない清流の風情を醸し出すとなれば、そこには日本人としての情緒空間が引き出されている。行雲流水、すなわち、無常観なり、もののあはれがそこはかとなく醸し出されるのだ。流れる水に遊泳するアユとは、二度と出会えないこと、すなわちたった一度の貴重な瞬間(とき)を映している。仏教的な感性で言うならば、これは一期一会である。

 高度な板前さんの手にかかれば、広めの平らな器に塩をまいて川面の波紋を凝らし、その上に溯上するアユを配置する。料理とは言え、今にも飛沫を上げて飛び跳ねそうである。水面に躍り出たアユの一瞬を器に固定するのだ。瞬間の固定とは永遠である。まさに一期一会の妙味である。あざやかな桜花が一瞬で散るように、美しく盛り付けられた和食にも刹那的な一回性がある。つまり和食もたった一度という一回性が味の深みを引き立てている。和食の高度な簡素さには、やり直しの効かない一回性の厳しい本質がある。くわえて、移り行く四季をめぐり、山海の彩(いろどり)を凝らしたり、地場産食材の利をふんだんに活かした料理など、日本料理は奥が深く千変万化、まさに高度な食の芸術である。日本人は料理にも自然を見て楽しむ心を持っている。目で味わう、五感で味わうとはそういうことである。船場吉兆の不祥事は、単なる食品偽装の域を超えて、日本人の底流に横たわる原初的な情緒性を愚弄した。悠久の時を経て形成された日本人の感性を逆撫でするできごとであり、許しがたい背信行為だ。このような根深い問題を提起しているたちの悪い事件なのに、「もったいない」という世俗的なエコロジー文脈で、このできごとを見過ごしていいはずはない。

井沢元彦著「穢(けが)れと茶碗」からのアナロジー

 この記事を書いている途中で、また新たなニュースが出てきた。どうやら吉兆の「堕ちアユ」は一匹だけではなかったようだ。船場吉兆は大阪本店のみか、心斎橋店、福岡市の博多店、それに昨年11月に閉店した天神店でも使いまわしが行なわれていた。料亭4店すべてが開店当初から使いまわしを行なっていた。何をかいわんやである。じつは船場吉兆に露見したこの不祥事について、筆者が最も言いたいことはこれからである。前述したように、これは日本の伝統文化に対する裏切り行為なのであるが、より深い部分では、日本人の根源的な宗教感覚からの逸脱行為であり、原始的な神道思想ともかかわる話なのである。今から13年前、作家の井沢元彦氏が「穢れと茶碗」という衝撃的な本を世に出した。当時、外国人が日本論を出すと目の色を変えて飛びついた日本人が、斯界の一部を除いて、この本にはさほど興味を示さなかったようだ。しかし、筆者にとっては、いまだに影響力の強い本である。

 井沢氏の基調的主題は、日本人が軍隊を忌み嫌う理由に、神道的な穢(けが)れの感覚があるという。戦うことを職業とする軍人は常に死と向き合う。したがって軍隊には死穢(しえ)の気配があり、日本人はそれを忌み嫌うという話である。日本人にとって死はケガレであり、それを象徴するものはすべて嫌い敬遠するという考察である。我々の日常意識の奥底には、ハレ、ケ、ケガレという日本人特有の原初的な感覚が脈々と流れている。ハレは清浄や聖なること、ケは普通、日常である。これに対してケガレとは、その清浄さや日常性が壊されることであり、その極点が「死」である。死を最大の穢れと考える感覚から、昔の日本人は墓守や動物の皮を処理する仕事をしていた人々を差別的に忌み嫌った。井沢氏は穢れの説明として、日本人にとって、箸と茶碗は個人に属するものであり、けっして使いまわしをしないことを強調した。不思議なことに箸と茶碗は属人器となっており、他人の茶碗や箸は使いたくないというのは日本人の伝統的心性なのである。それは筆者も例外ではない。「穢れと茶碗」から孫引き引用すれば、穢れとは汚いこと、よごれ、不潔、不浄のこと。汚いを古語辞典で調べると、「きたなし」で、その意味は次の六つである。

一、触れるのもいやなほど、よごれている。清潔でない。
二、乱雑である。乱れている。
三、よこしまである。正しくない。腹黒い。
四、卑怯である。恥を知らない。
五、野卑である。下品である。
六、けちである。しわい。

 三から六が、感覚としての汚れ、つまり「穢(けが)れ」を指している。井沢氏は言う。本来実体としての汚れのない洗い箸や茶碗に、われわれ日本人は感覚としての汚れ、つまり穢(けが)れを感じる。古代日本人の感覚は、罪(犯罪)も、災い(災禍)も、過ち(過誤)もすべて穢れとして感じていた。穢(けが)れの意識は、古代から日本人に連綿と続く神道的感性なのかもしれない。井沢氏が指摘する、日本人に共有されている穢れを認識する心性は、じつに二つの重大な精神態度を生み出した。一つは被差別部落を生み出した差別感覚である。もう一つは日本人特有の性癖と言うべき強い潔癖感、清潔感というものである。今筆者が問題とすることは後者である。穢れを忌み嫌う日本人固有の清潔感は、良い悪いを超えてわれわれのDNAに刻印されている。その感覚から言えば、料理の使いまわしとは、ずばり穢(けが)れそのものだ。

 船場吉兆の前総帥・湯木正徳氏が、「もったいないから」という言葉でこの穢れを糊塗したことは許しがたい罪である。船場吉兆に起きた「使いまわし偽装」事件には、日本人であることに由来する二つの問題が起きていた。一つは今説明した使いまわしという「穢れ」の発生である。もう一つはこれに関連して、湯木前社長が「もったいない」という言挙(ことあ)げを行なっていたことである。日本には古来から言霊(ことだま)信仰が存在する。共同体の長(おさ)が言挙(ことあ)げを行なうと、人々はそれに従順に従うという慣習が根付いている。日本人に集団性が見られるのはそういう性癖が影響していることもある。

 湯木氏は「もったいない」という言挙げを行い、部下たちを洗脳した。日本人は権威ある者、位の高い者が発する「言挙げ」にめっぽう弱いのだ。言挙げの内容の正邪を問う前に、従容と受け入れてしまうところがある。井沢元彦氏の感じたように、言霊信仰は日本人の深層に根付いている原初的な宗教感情のようなものである。この感覚にわれわれは無意識裡に影響されているのではないか。卑近な例を上げると、数年前、あの郵政民営化の是非を問いかけた衆院解散総選挙では、小泉純一郎元首相がワンフレーズ・ポリティクスを大声で繰り返し、国民はその単純明快さに酔いしれた。これは社会現象的には、米系外資に扇動された大手広告会社がマスコミに情報統制を行い、それに気が付かない大勢のB層国民が洗脳されてしまったという現象で説明されることが多い。

 当時は筆者もそう思っていたし、今もその見解に変わりはない。しかし、それだけでもないような気がしてきた。そのころ、小泉氏に熱狂した人たちが、必ずしもIQの低いB層市民であるという見方も不十分かもしれない。なぜかと言えば、そこには日本人の言霊信仰が強く影響していたと思うからだ。小泉純一郎という強烈なキャラクターを持つ男が、宰相の地位に着いた瞬間から、わかりやすい自信のみなぎる言葉と、極力短い説明で国民に言挙げを行なった。国民は原初的な言霊信仰を揺り動かされ、小泉構造改革の意味を深く考える前に、盲目的にそれを受けいれてしまったという側面も否定できないだろう。これには共同体から来る付和雷同の精神など、日本人が言霊信仰にどこかで囲繞されていることも案外影響しているような気がする。

 最後にもう一度、穢れに戻るが、料理の使いまわしは穢(けが)れそのものだ。前述したように穢れ感覚とは、死を忌み嫌う日本人の神道的な国民感性から出ている。日本料理とは海や陸、山紫水明の自然から得られるさまざまな新鮮な食材を、食器というカンバスに盛り付ける伝統的な職人技である。アユの姿焼きが生命躍動の一瞬を捉えているように、日本料理が象徴するものは生の輝き、生のはかなさ、生の無常観だ。使いまわし料理とは、日本料理の精神を象徴する峻厳な一回性がぶち壊されることだ。これは"料理の死"である。従って「死」は日本人にとって「穢れ」にほかならない。一度客に提供した料理は、形がそのままでも、誰も箸を付けなくても、すでに廃棄物、屍骸、死んだものなのである。客に、見た目にも美しい料理の「屍骸」を提供した湯木前社長らは、自ら日本料理の死をもたらしたのである。その罪はきわめて重いと言わねばならない。船場吉兆の「吉兆」は良い兆(きざ)しの意味である。しかし、筆者はこの粉飾事件を知ってから、吉兆という文字が凶兆(きょうちょう)に見えてくる。それは、この騒動が、今日本で急速に起きている深刻な精神劣化の表象として出ているからだ。和食に限らず、料理には、限りない清潔感、衛生観念が前提にあるべきで、これが日本人の伝統的感性の一つになっていたことは疑う余地がない。これは神社を参拝する時に手水で手を洗い、口中をすすぐ禊(みそぎ)的な慣習からきている。船場吉兆で常態的に使いまわしが行なわれていたこと、そして、それを止めさせる力が自己修正的に働かなかったという事実に、戦後日本人の行き着いた絶望的な民族劣化を見てしまう思いである。

(※ これを書いたのは今から一ヶ月前であるが、船場吉兆は予想したとおり廃業した。これが廃業しないで営業再開に至ったら、その方が日本の未来にとって絶望的であろう)

 参考図書
『穢れと茶碗』(詳伝社) 井沢元彦

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2008年6月28日 (土)

植草一秀さんというお人について・・。

  ほんとうにブログというものはうっかりしたことは書けないものである。6月25日に書いた拙記事『無題(管理人より』で、心ならずも曲解的な記事になっていたことを強く反省する。植草さんが6月22日に書かれた『政治の対立軸(2)三つのトピックス』というブログ記事の中で、グリーン・ピースに関する記載が少しあったが、愚かな「神州の泉」管理人の私は、グリーン・ピースの記載に過剰反応し、あたかも植草さんがグリーンピースの行動を全面擁護したと言わんばかりの誤解を与える書き方をしてしまった。

 まったくもって私の曲解である。あとで植草さんの書かれた該当記事をよく読んでみたら、私が受け取った文意とまったく違う文脈で書かれていたので、しばし恥じ入った次第である。誤解を与えた人たちや、植草さんご本人には多大なご迷惑をおかけしたことを深くお詫びする。グリーンピースに関する私個人の見解と、植草さんがブログに書かれた内容にはまったく関連はないことであり、私の書き方が植草さんを否定するかのような印象を与えてしまったことは悔いが残る。植草さんには心からお詫びする気持ちで一杯である。

 植草さんはグリーンピースに関しては下記のことしか書かれていない。
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グリーンピース関係者が逮捕され、世論がグリーンピース・バッシングに誘導されているが、財政資金が投入されている機関の不透明な実態の全容を解明することの必要性はまったく減じていない。

 グリーンピース関係者を逮捕までする日本政府が、拉致問題の全面解決を棚ざらしにしたまま、経済政策解除に動くのは、日本の「対米隷属」を象徴する以外の何者でもない。
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 この文脈が主張することは、世論がグリーンピース叩きに矮小化され、GP関係者に強硬に対応する方向だけに傾いて、肝心の公的資金が投入されている調査捕鯨関係者の不透明性を棚上げしてもいいのかということである。まったく植草さんのおっしゃるとおりである。グリーンピースの不法な行動を責めることと、調査捕鯨関係者が不公正なことを行なっていることはまったく別のことであり、公的機関の社会的責務を厳しく追求する必要性は微塵も減じていないというのが植草さんの本意だった。

 これに対して不肖な私は、グリーンピースという団体は強硬に叩かなければいけないというような、植草さんの文意をまったく無視した書き方をしてしまった。まったく自身の不明を恥じるばかりである。私の書き方は、排外的ナショナリストと受け取られてしまっても仕方のない稚拙な書き方になっていた。私自身は2006年9月13日に、植草さんが理不尽な偽装事件に遭遇した次の日から、植草さんを擁護し続けている。当日のブログを見ていただければお分かりのように、私は植草さんが国策捜査に遭遇したと、確信的に書いている。しかも、品川事件を含めて謀略に巻き込まれたという視点を鮮明に打ち出している。

 この確信の理由は何かと問われたら、表層的には植草さんが小泉政権を糾弾していたからと言えるのだが、私自身のもっと深いところで、植草さんに対する人間としての確信的な洞察があったからだ。このお人なら、良心や筋を曲げないで、悪いものを悪いと、どこまでも真っ直ぐに言い続けるだろうと。この世の中には、稀にだが、自爆しても良心を曲げない人たちがいる。彼も明らかにその人たちの一人だ。その確信があまりにも強かったので、私は即座に擁護し続けることを決心した。そのことは今になってもまったく変わっていない。私と植草さんは、歴史認識にも、思想にも、核兵器に対する考え方にも差異はあるが、そういう差異をはるかに超える真摯な雰囲気をこのお人は持っている。それが何であるかを、言葉で言うのは難しいかもしれないが、『知られざる真実ー勾留地にてー』を読んで、たった一つだけは明確に言えることがある。第三章第2節「人類の歴史」からの175-176ページにこう書かれている。
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「人類の歴史を振り返ると美しい世界は広がっていない。人類は支配と被支配、戦争と殺戮(さつりく)を繰り返す歴史を負ってきた。動物の世界の弱肉強食は自然の摂理に従って起こる。しかし、人間の支配、被支配、戦争や殺戮は自然の摂理によって生じるものでない。
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 絶対的な楽園である「エデンの園」を追放された人類は、今日まで戦争や殺戮、病気、裏切り、侵略、収奪、奴隷化など、さまざまな凄惨な光景を目にし、苦痛を味わい、苦痛の種を撒きながら現在に至っている。じつは私も根底は排外的ナショナリストではなく、人類の大きな歴史観の根底に、植草さんが書かれた上記の俯瞰的情景を強く有している。人間存在の持って生まれた罪深さ(キリスト教的には原罪)には、何とも言えない哀しみと絶望感に時々さいなまされる。ここにおいて、植草さんは自分と世界観的感性で似たところがあるお人だと思っている。私も若いときから、人間が人間に対して、その関係性の中で行なう最も無礼でむごいことは、『支配、被支配』だと思ってきた。

 他の人間に対して、力やお金を誇示して隷属させるくらい罪深いことはないと思う。人間は個々に尊厳を保ち、自由であるべきだ。他者や他国を意のままに支配しようとするところに人類の不幸が現出する。この感覚は植草さんと強く共通している。だから、巨悪を憎んで単身でそれを糾弾する人たちには、心から賛同し、応援したくなる。私が植草さんや、鹿砦社の松岡さん、西宮冷蔵の水谷さんに惹かれるのはそういうことである。彼らには強い良心があり、他者の利益のために不利な立場を覚悟して巨悪に向かう心がある。ここには人間としての本物のやさしさがある。私のことはともかく、植草さんのように人類史の俯瞰に静かな目を投じている人は、どのような道から入っても、人類の負の側面を何とかしなければならないという考え方に逢着するだろうと思う。だからこそ、彼は小泉政権の弱者廃棄姿勢が許せなかったのだと思う。

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私は私の主張に対する批判を封じ込める考えを一切持っていない。あらゆる問題について、多数の見解、意見があることは当然であり、自由主義社会の美点のひとつは、自由な言論活動が容認されることにあると思う。建設的な論議は非常に大切だと考えている。
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 この文章を見ると、私の書いた軽率な記事が、植草さんに無用なご心労を強くおかけしたかもしれないことを強く感じる。しかし、時々胸に手を当てて思うのだが、生きることも、ブログ記事を書くことも、後悔や恥ずかしさとの対峙の連続である。

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ガソリンや食料品等の値上がりに対する正しい国家戦略(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第92弾です)

 ガソリンや食料品等の輸入品の値上がりが止まらない。それに対し、本日(6月28日)の日テレのウェークアップという番組で竹中平蔵氏は「我慢するしかない」と発言した。知恵が無さ過ぎると思わないか。本日の日経新聞には、原油価格が1バレル140ドル継続なら今年日本から産油国への所得流出は24兆円に上るという推計が書かれている。仕方が無くはないのだ。昨年我々は九州大学名誉教授の太田俊昭氏をお招きし、カーボンファイバーによる洋上風力発電の構想を聞いた。11兆円あれば、日本の全エネルギー需要の半分をまかなえる風力発電の設備ができる。その倍なら、全エネルギー需要がまかなえるのだ。しかもこの設備は100年の耐久性があるという。

 政府は金が無いから造れないと言う。金は刷ればよい。毎年24兆円を産油国に払うくらいなら、洋上風力発電所をきちんと造れば、産油国への支払いは激減する。しかも温暖化防止も完璧だ。日本政府は温暖化防止のための2050年までの目標作りには熱心だ。それは高齢の政治家は2050まで生きていないだろうと思っているから自分には関係ない目標作りは喜んでやる。しかし、今年何をやるのかということに関しては、骨太方針08にあるように「歳出の最大限の削除」である。つまり何もやらずじっと我慢しながら日本を貧乏にするように最大限努力するということだ。新興国の発展は目覚ましい。貧乏だと思っていた国がどんどん金持ちになっていく。この中で日本だけが貧乏になっていくのでよいのか。貧乏は貧乏を呼ぶ。資源や食糧の取り合いの末、どんどん価格は上昇する。やがて、金持ちの国だけが資源や食糧を取ってしまう時代がくる。資源も無く、食糧自給も僅か39%の日本を貧乏にして、生きていけるのか。竹中氏のように仕方がないでは済まされない。仕方がないと諦めてじっと我慢するのでなく、汗水流して、代替エネルギーの大規模な活用施設の建設を行えば、未来が開けてくる。

 やるべき事は明らかだ。食糧自給率を上げるには、大規模農業を進めて生産性を上げ、国際競争力をつけ、その後でFTAなどの貿易協定で関税の引き下げをするとよい。金が無くては農業の大規模化は進められない。刷ったお金を使えば、農家の切り捨てをしなくてもすむ。むしろ農家の所得を上げることが出来る。国際競争力のある農業が実現すれば減反は必要ない。国内生産をどんどん進めることが出来るからだ。

 エネルギー自給率は現在4%にすぎないが、これもどんどん上げていけばよい。一昨日、日本経済復活の会では産業技術総合研究所の盛田耕二氏を招いて地熱の利用について話して頂いた。世界中で地熱発電の利用がどんどん進んでいる。その中で日本だけが停滞している。その理由はお金が無いということだ。例えばドイツなどは、地熱発電をすると1kWhあたり24円で、フランスでは16円で電力会社が買い取る義務があるが、日本では僅か6円での買い上げだ。こんなに低い値段だと採算が合わず地熱発電が進まない。つまり、電力の買い取り価格を上げれば、地熱発電はどんどん進む。地熱に関しては日本は狭い国土に多くの火山があり、地熱発電に適した場所はいくらでもあり、世界で第3位の地熱の資源大国である。なぜ持てる資源を活かそうとしないのか。国が金を出せば、地熱利用はどんどん進むし、エネルギー自給率のアップにつながる。二酸化炭素の排出量が減らなくて、ペナルティーで高い排出権を買わされるよりはるかによい。洞爺湖サミットの議長国なら、2050年の目標だけでなく、今年や来年に何をやるかくらい言ったほうがよい。

 もっとも、筆者は温暖化が二酸化炭素によるものか、それ以外の理由で説明できるのか現段階で結論が出たとは思っていない。二酸化炭素が原因ではなく、単なる気候変動であり、温度が高くなったのだから、海中に溶けていた二酸化炭素が出てきたのだという説もあるし、太陽活動による気温の上昇だという説もある。学者の論争の決着はまだ着いているとは思わない。しかし多くの学者が温暖化が二酸化炭素によるものだと結論している現状では、現状では二酸化炭素による人為的な温暖化であるという通常の説が多分正しいのだろう。何かの「陰謀」が入り込む予知があるとすれば、石油資本が学者に金を渡して、温暖化説は嘘だから石油はどんどん使って構わないという説を流すように仕組んだという可能性だ。いずれにせよ、二酸化炭素による地球温暖化説は本当かどうかは、確認は必要である。

 輸入物価の値上がりによる消費者物価の上昇が家計を直撃している。それが消費の低迷を招き景気の更なる停滞を招こうとしている。残念ながら、政府の骨太方針は歳出削減しか言わない。その中でも、中川昭一自民党政務調査会長や渡辺喜美金融担当大臣あたりは、景気対策に前向きと伝えられる。このあたりを手がかりに政府を動かすことが出来ないかと現在、具体的な方法を模索中である。景気対策をするためには国債を発行しなければならないが、それによりGDPも増えるのだから、債務のGDP比はむしろ減る。つまり国債残高は増えても、実質借金は返したことになる。つまり景気対策とは、事実上お金を刷って国を豊かにし、しかも財政を健全化する政策だということをできるだけ多くの人に理解させたい。景気対策で発行した国債は、将来返す必要が無い借金だということを。

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NHKドラマ『たったひとりの反乱』が7月30日に全国放送される!!

  西宮冷蔵・水谷洋一社長の凄絶なる苦闘の物語がNHKテレビドラマ化

 冷蔵倉庫会社・「西宮冷蔵」社長、水谷洋一氏の内部告発物語がNHKでドラマ化された。テレビや週刊誌でも何度か紹介されているので、水谷社長のことは覚えている方も大勢いると思う。今から6年前の2002年初頭、水谷氏は雪印食品牛肉偽装事件を内部告発した。そのために大手食品メーカーである雪印食品は消滅した。しかし、その告発が原因となって、業界や監督官庁から陰湿な迫害を受け会社は壊滅状態に陥った。内部告発するような奴には任せるわけにはいかない、と、得意先はいっせいに仕事を出さなくなった。それでも、再起を決意した水谷氏は裸一貫で大阪の街頭に立ち、西宮冷蔵の苦境を訴え続けながら再興資金のカンパを募った。告発から営業停止、そして営業再開と、凄絶な苦闘の日々を歩んで今日に至っている。この話は7月23日に鹿砦社から発売される『西宮冷蔵 魂の内部告発』に詳しい。また、昨年は、柴田誠監督作品の映画『ハダカの城』が公開されている。

 水谷氏は、昨今、立て続けに起きている食品偽装事件の先駆け的告発を行い、当時は世間に衝撃を与えている。ところが、彼が勇気を出して正義の告発を行なったにも関わらず、最近は食品偽装事件が軒並み続き、いっこうにおさまりそうもない。つまり、健全さを保つ社会とは、何らかの社会悪が露呈した場合、即座にフィードバック機能が作動して悪いものを除去し、安定化を図る修正作用が働く。しかし、小泉政権下、あるいは以降の構造改革継承政権下では、この社会的機能が完全に壊れている。この原因について、私は小泉政権の『人でなし政策』の悪影響だと分析している。そのことに異論はあるかもしれないが、食品偽装頻出の原因について、私なりの考察を加えた論考を来月7日発売の『紙の爆弾』8月号に載せている。興味があったら弊ブログの読者さんも読まれて、一考してみて欲しい。

 拙稿の題名は『告発の後に襲い来る漆黒の大津波』(副題:鹿砦社の暴露と西宮冷蔵の内部告発の教訓)です。

 2002年当時の食品偽装事件は、雪印食品の牛肉偽装事件、日本ハムの牛肉偽装とその隠蔽が発覚、日本食品の偽装事件などがあった。昨年、2007年は食品偽装事件のオンパレードであった。小泉政権以降に偽装事件が頻出していることはけっして偶然の事象ではない。明らかに新自由主義の浸透が国民全般のモラルハザードを招いている。同時に隠れたもう一つの位相は、食品会社の優良資産を狙う外資の暗躍であろう。こういう時代性の中で、鹿砦社の松岡社長への言論弾圧や、エコノミストの植草一秀さんへの弾圧、水谷社長への弾圧等が起こっている。植草さんの事例を見てもわかるように、小泉政権は正義の告発に対して官憲を動かし、憎悪と理不尽で応酬しているのである。その牙は、松岡氏や水谷氏など、社会正義の告発を行なうすべての人間に対して向けられた。小泉政権下では言論弾圧の国家的形態として、一連の『国策捜査』が起こっている。『紙の爆弾』の拙記事では、告発後の弾圧が小泉政権のファシズム的な姿勢から生じていることを考察した。

 ところで、水谷社長の苦闘の過程には、鹿砦社・社長、松岡利康氏の物心両面にわたる援助があった。この西宮冷蔵の再起までの話がドラマになったわけだが、鹿砦社・社長ご本人も友情出演で少しドラマに登場する。正当な告発と暴露を行なった両人が、全国放送の番組に出演することは画期的である。

 放送日時は7月30日、午後10時から。NHK総合

 『紙の爆弾』8月号出版ニュース
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2008年6月26日 (木)

金の力と国際競争力(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第91弾です)

 橋下大阪府知事が打ち出した平均削減が12%にも及ぶ人件費削減案が話題になっている。お金が無いときに、国民をどんどん貧乏にしてしまえばよいのか、それともお金を刷って、国民を元気づけるのがよいのか。

 お金が国民を元気づけるのにどれだけの威力を発するのかについての例を、昨日(6月25日)の朝日新聞の記事から引用してみよう。44年前、東京オリンピックでの日本水泳は惨敗だった。メダルは男子800メートルのリレーの銅が一個だけ。あのとき面目なさそうに、シワのついた国旗が揚がっていく光景が忘れられない。この光景を見た一人の金持ち、ロート製薬の山田社長が、金メダルを取ってやると、私財を投じて「山田スイミングクラブ」を立ち上げた。山田SCは、あっという間に日本選手権で上位を独占し始め遂に、青木まゆみが世界記録を樹立、ミュンヘンオリンピックで見事金メダルを獲得した。

 水泳ニッポンのもう一人の救世主は天理教を統率する中山正善だった。山田SCに対抗し東京スイミングセンター設立に東京・駒込にある3300坪の土地をただで貸した。実は筆者も東京SCの会員で、来月の文京区水泳大会(年齢別)に向け練習をしている。ここで育ったのがアテネで金メダルを取り、今月も世界記録を出した北島康介である。

 この2つの例からも、如何にお金の力が偉大かがお分かりだろう。国家的な規模での財政支援ではない。個人が出したお金で、すでにこれだけのことができるのだ。ましてや国が本気になって支援すれば、どんなに大きな仕事ができるか。金が無ければ刷ればいい。日本が国際競争で勝つために失うものは無いはずだ。

 逆に、お金を使わないことが、国民にどれだけやる気を失わせるか。かつての東ドイツが良い例だ。東西が分裂状態にあった頃、東ドイツを旅したことがある。レストランに入って、チキンを注文したが、チキンを焼く機械が故障しているから出せないという。ビールを注文したが、それも駄目。ジョッキが足りないのだそう。彼らはすべて公務員で、所得は定額制でサービスを良くして客を多く入れても収入は同じだ。それならサービスを落として客が来ないようにしたほうがよい。一日何食を出すというノルマが決められているので、それを達成すると直ちに客を閉め出す。多く働いても金にならないのであれば、人は働かない。東ドイツの人たちの絶望観が伝わってきた。列車の座席の前に座った少年が語ってくれた言葉が印象に残る。自分たちは65歳になれば、国外に出ることが許されるのだそう。要するに65歳以上は姥捨て山行きだから外国へ出て行っていいよと国が言っている。日本は75歳だが・・・。

 ところが、国威発揚のためには、国はいくらでも金を出した。それがオリンピック金メダルのために使われた。東ドイツは人口の割に、異常に多くの金メダルを取っていた。筆者は、かつてヘルシンキ大学で研究をしていた頃、陸路ソ連のレニングラード(現在はサンクトペテルブルグ)を訪ねたことがあった。入国・出国には怖いほどの厳しい検査があったのだが、入国時に入手した印刷物に書いてあったソ連のプロパガンダで目に付いたのが、オリンピックでの金メダルの獲得数の推移だった。ソ連の「繁栄」をPRするために使ったのだろう。

 金メダル獲得には、どんどん金を使ったのかもしれないが、産業発展のためにはうまく使われていなかった。産業発展や国民の利益に貢献した人は、その貢献度に応じて多くのお金が受け取れる仕組みがあれば、ソ連の衰退にはならなかっただろう。レニングラードの町はひどかった。物不足がひどい。至る所食品を買う人の列ができていた。飲み物を売っているところへ行った。コップに気味の悪い液体を入れてくれるのだが、前の人が飲んだコップを洗わずに出しているので飲む気がしなかった。エルミタージュ美術館に入ろうと列に並んだが、割り込みがひどい。自分の前に並んでいた人の数がみるみる増えて10倍くらいになった。

 私は、理論物理学の研究のため、様々な国で暮らし、また旅行もした。その国々の人たちと直接話しをする機会を持つことができた。そこで感じたことは、貧乏ほど惨めなものはないということだ。国を貧乏にしてはいけない。しかし、デフレはお金が消えていく病気だ。金持ちの国ほど物価が高く、貧乏な国ほど物価が低い。物価がどんどん下がっていくということは、金持ちだった国がどんどん貧乏になっていくということだ。デフレを止めよ。国を貧乏にする政策を止めろ。デフレという病気に対する特効薬はお金を刷ることだ。それは世界を代表する経済学者が異口同音に言うことである。

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2008年6月25日 (水)

無題(管理人より)

  植草さんがこの間のブログ記事で、グリーンピースについて言及しておられたが、神州の泉の重要コメンテーターであるJAXVNさんが、これに異を唱えていました。植草さんを応援する管理者として、これを素通りすることは誠意に欠けると思い、これについて、簡単に私の見解を述べておきます。(本音は素通りしたいのですが・・。汗)

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  こんにちは。
植草氏のメディアコントロールに関する記事についてですが、おおむねは同意しますがグリーンピースと捕鯨に関する記事だけは同意できません。植草氏はグリーンピースの活動家の逮捕が不当であるような印象を持っておられるようですが、横領の捜査と称して運送会社の倉庫に侵入し荷物を持ち出すような事をもし警察がやったとしたら大問題になります。彼らのやった事は警察でさえやらないような事なのです。しかもこのグリーンピースの行為自体、メディアが関与していた可能性があります。GPの鯨肉横領問題の告発については朝日新聞のスクープが第一報でした。この問題はメディアがGPをたきつけて調査捕鯨を問題化しようとしたものの、世論が思いのほか乗ってこなかった為メディアが引いてしまい、GPははしごをはずされてしまった、という事ではないかと思います。また捕鯨問題については、GPの主張する様に調査捕鯨をやめ捕鯨から撤退する事こそ、外国の言いなりになる事なのではないでしょうか。

投稿 JAXVN | 2008年6月23日 (月) 21時14分

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 結論から言えば、今回のグリーンピースに関することがらに関しては、私もJAXVNさんの意見におおむね賛成です。国際環境テロ団体のグリーンピースは、文明論的な憂慮というよりも、きわめて政治的な思想性で動いているように見えます。思想の核はニューエイジに置いているようですが、非常に怪しいですね。どのような勢力の傀儡団体であるかなどは、ベンジャミン・フルフォードさんとかリチャード・コシミズさんたちが詳しいのかもしれませんが、少なくとも、捕鯨に関する事を見る限り、行為的には思いっきり反日性の高い危険な団体に見えます。私自身の思想の核から言うなら、この団体は戦後、連合軍国家群が敷いたYP(ヤルタ・ポツダム)体制が生んだ、「世界環境保護」という偽装を凝らした政治的監視団体の一つに捉えています。根っこにある物は、思いっきり日本文明なるものの否定でしょう。西欧近代主義が産み落とした鬼っ子の一つでしょう。日本はなるべく強硬な姿勢でこの団体に臨むべきでしょう。

 さて、植草さんの世界観や人間観など、私は深く尊敬しており、共感することはたくさんあります。しかし、すべての人間に共通することですが、万全の思想性や完全無欠の人間はいないと思います。人それぞれ、ある物事については見解の相違は必ずあることなので、そのことはなるべく許容する態度が大事かと常々自分に言い聞かせています。あまた活躍しておられるブロガーさんの中では、意見の相違や、思想性の差異について、学ぶべき許容性と冷静さを保っている人が、「喜八ログ」の主催者である喜八さんです。この人のバランス感覚は大いに参考になります。このお人のように、冷静にものごとの本質を見つめて、情緒的に妙な傾斜を起こさないように見ていく態度は大事だと思いますね。

 自分にも言えることですが、一つの山を判断する時、一本のナラの木が目に入ったからと言って、その山全体が「ナラの木」に覆われているという見方は当然できないわけです。同様に、ある人物の見方感じ方に異質さを感じるからと言って、軽々にその人の思想性を全体がこうであると断じることもできないわけです。少なくとも、偏らない大きなキャパシティを持った見方は大事にしていきたいものです。もっとも、それができないこともけっこうありますが。人間は他者のことは針小棒大に見えて、自分のことはよく見えない愚かな動物でもあります。

 人にはさまざまな捉え方、考え方が存在しますが、大きな方向で共感できる人の場合は喧嘩しないように行きたいものです。私が植草さんを応援する気持ちはいささかも変化しません。

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2008年6月24日 (火)

お金が海外に流れ出ている(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第90弾です)
 
 本日(6月24日)の日経の夕刊のトップ記事は「日本、所得流出際だつ 1-3月26兆円、原材料高響く」である。原油等の輸入品の価格高騰で、今年の1-3月期で、実質的な所得の流出入が26兆円もマイナスとなった。この交易損失のGDP比は、日本が4.5%だが、米国は0.8%、ユーロ圏は0.4%なので、日本の一人負けといったところ。輸入品を高い値段で買わされることにより、巨額のお金が外国に吸い上げられていて、日本はどんどん貧乏になっていく。外国に取り上げられた分だけ、内需が落ちたことになるから、内需を相手にしている中小企業には、極めて厳しい。

 内閣府・財務省の調査や朝日新聞の調査にも、大手企業の景況感が大幅悪化していることが示されている。それでも政府からは消費税増税の話しか出てこない。国がどんどん没落していっているのに、そして自殺者が10年連続して3万人を超えているのに、政府は国民に対し更に痛みに耐えよと言う。

 この日本の現状を見るとき、私は昔高校の英語の教科書に載っていた物語を思い出す。昔の話なので記憶は定かではないのだが、ストーリーは次のようだった。一人の少年が一人で長い船旅に出かけるのだが、最初の日に財布を無くしてしまう。船内の食堂にも行けないし、食べ物も買えない。彼は、じっと耐え抜き、悪戦苦闘しながら長い船旅をする様子が色々書かれていた。ところが最後、船が目的地に着いたとき、食事代も船賃に含まれていたことを知らされる。何のことはない。食堂で自由に食べて良かったのだ!

 この話は、今の日本の現状とそっくりだ。政府はお金がないと言って、老人を姥捨て山へ送る。予算削減で医療・福祉・教育など崩壊寸前だ。病院も次々破綻。産婦人科医や、麻酔科医も足りない。介護現場も人が集まらない。学校には教材費が無い。チョークも買えないと先生は嘆く。学力は落ちる一方。日本の自慢の製造業もみるみる没落。かつて時価総額で世界20位以内に14社も入っていたのに、今はトヨタが日本企業で最高で、それもやっと20位。地方自治体もお金がない。給料を大幅カットしてる。どうしてこんなにお金が無くなったのだろうと、十数年間も嘆き続けている。このストーリーの終わりには、「実は、お金は刷っても良かったんだよ」と国民が教えられ、なぁ~んだ、そうだったの。何と馬鹿なことをやってきたのだろうと言って、ストーリーの終わりとなる。先程の少年の物語と似た物語だ。

 少年の物語と日本経済の物語は本質的には同じだ。両方とも、簡単な勘違いのために、長い間、味わわなくても良い苦しみを味わっている。違いは、前者は勘違いであったことが、一目瞭然だが、後者は勘違いであることを教えるのに苦労する。しかも日本人はお金を刷ること、つまり通貨増発に対して強い先入観がある。それと借金は一日でも早く返したいという気持ちも強い。

 もちろん、お金を刷ることが万能ではない。お金さえ刷れば、どのように刷ったお金を使っても、日本経済は良くなると言うつもりはない。お金は経済を発展させるために刷ったほうがよい。

 日本経済の没落が続いている。しかしそれでもまだ、GDPは世界第2位の経済大国だ。日本がなぜ経済大国になったかと言えば、もちろん日本企業が世界の中で競争に勝ったからだ。しかし、デフレでお金が消えてしまったら、いくら日本人が優秀でも、企業は競争に負けてしまう。金が無くなったら、いくら優秀な日本企業でも、競争に勝てるわけがない。日本が今後も世界の中で繁栄を謳歌し続けるためには、企業が世界の中で競争に勝ち続けることが必要不可欠である。

 今の政府は何の意味もない国の借金を返すことばかり考えて、日本経済のこと、日本経済の未来のことを考えていない。外国から多額の借金をしているなら、それは本当の意味での国の借金だから、返済をいつも念頭に経済政策を進めなければならない。国の経済政策も国の借金の返済を国家目標にすることもあり得る。かつて、日本企業が弱体だったころ、日本は輸出できるものが少なく、貿易赤字と外貨不足に悩まされていた。しかし多くの企業人の努力により、日本企業が世界の中で競争に勝てるようになり、貿易黒字が拡大し、円が強くなり、現在に至っている。外貨はありあふれている。外国が日本から多額の借金をしているのだ。国の借金を気にしなければならないのは、日本から金を借りている諸外国であり、日本ではない。

 今、日本が必要とされていることは、柔軟な考え方だ。お金が無いのではない。主権国家はその国の通貨を必要なだけ発行しても良いという通貨発行権を持っている。その権利を行使し、デフレを止め、老人を姥捨て山に送るのを止め、経済苦から膨大な数の国民を自殺に追い込むのを止め、真の国民の幸福のための政策を直ちに始めるべきだ。

 日本経済復活の会では、お金を刷って何をすべきかについて研究を続けている。明後日の6月26日(木)には、地熱を利用して温暖化防止に役立てる試みを第一線の研究者を招く。7月24日(木)には、花粉を出さない杉に植え替えることで花粉症対策をしたり、美しい森作りを研究している林野庁の方に来て頂いてお話しをして頂く。日本を豊かで住みやすくしていくためにお金を使うと良いというのが日本経済復活の会の主張である。どなたでも参加できますので、皆様のご参加をお待ちしております。

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2008年6月22日 (日)

メディアの洗脳的世論操作について

 植草さんがマスメディアの「情報操作」について、大事なことを書いていた。今、「後期高齢者医療制度」や年金問題、増税気運、その他、国民のためにならない自民党政策の数々を見るにつけ、有権者の多くが、深い部分から自公連立政権に疑いの目を向け始めている。植草さんの6月20日のブログ、『劇場型政治手法の再来』から一部引用させていただく。

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自民党内の政策論争が激化しているように見える。「財政再建派」と「上げ潮派」の意見対立である。

 福田首相に対する問責決議案が憲政史上初めて参議院で可決され、有権者の多数が衆議院の解散総選挙を求めている。マスメディアが国民世論を尊重して、解散総選挙を求める論調を強めれば、政治は国民の意思を問う総選挙に向かう局面だ。

 しかし、マスメディアは解散総選挙を求める論陣をまったく示していない。政治権力は現時点での総選挙を封印しようと強い意志を持ち、政治権力に支配されたマスメディアは政治権力の意向を代弁して、解散総選挙への流れを阻止するための情報操作を実行している。
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 自民党が早期の衆院解散総選挙を嫌っていることは確かだろう。国民支持という点では、今はまさに引き潮の真っ最中だからだ。そのため、与党政権の使い走りとなっている大手メディアは解散総選挙の気運醸成に繋がるような報道はいっさい忌避しているようである。植草さんは、テレビを筆頭に、大手メディアが解散総選挙に“触れようとしない”こと自体が、権力筋の意向を汲んだメディアの情報操作、世論誘導であると捉えているようだ。私も同感である。

 世論誘導とは、敢えて虚実の入り混じった情報や、誤解を与える恣意的な情報を流して、世論の方向性を誘導することであるが、このような報道姿勢を“積極的な世論誘導”と名づけるならば、もう一つは、政局などで、世論が澎湃(ほうはい)として起こらなければならないタイミングの時に、敢えてそのことを伝えようとせず、鎮静的にやり過ごすという、いわば“消極的な世論誘導”がある。今のメディアの態度は明らかに後者、すなわち「消極的な世論誘導」を行なっている最中である。その顕著なやり方は、とりあえず関係ないニュースを過剰に、延々と長く報道することによって、真の問題を内包するニュースを目隠ししてしまうことにある。

 この形は、植草さんが言われるように、今の自民党が、いわゆる「財政再建派」と「上げ潮路線派」の対立という、一見ありそうな党内対立を派手に仕立て上げ、国民に目くらましをおこなっていることと同じであろう。これは自民党の「見せ掛け芝居」という常套手段のひとつである。いみじくも、わが党は異なる意見でも、きちんと論戦し、調整しながら進んでいますよ、信頼に足る政党だからこそ、こういう健全な論戦が実現できるのです、という三文芝居である。考えてみればすぐわかることだが、財政再建派(財政均衡派とも言う)も、上げ潮路線派(なぜ積極財政派と言わないのだろうか?)も、その顔ぶれを見れば、全員がバリバリの急進的小泉構造改革継承路線派であることがわかる。骨の髄まで染まり切った買弁「政治屋」どもである。上げ潮路線派に竹中平蔵氏の名前が見えていること一点だけを取り上げてみても、この党内対立が偽装的な茶番劇であることがお分かりだと思う。小泉政権以降の自民党は紛うことなき買弁政党である。この継承路線が、国益を害し、国の遺産を海外に移転するための、害資の傀儡政党に成り下がっていることをけっして忘れてはならない。

 大手メディアが常態的に行なっている情報操作のわかりやすい事例を、元駐レバノン大使(現・外交評論家)の天木直人氏が、6月18日付け『天木直人のブログ』に非常に端的に書かれているので、是非一読をお勧めしたい。記事タイトルは『特定ニュースの過剰報道』である。天木氏は、学習院女子大学教授の石澤靖治氏のメディア考を引き合いにして、昨今の日本メディアの問題傾向をずばり指摘している。それは、メディアの巧妙で極端な不作為性のことである。

 国民に伝えなければならない重大なニュース源があるにもかかわらず、権力筋の強い意向が働いて、メディアの報道内容に影響を与えている。これを行なう存在は、ある特定のニュースを国民に伝えたくない場合、彼らの飼い犬的存在となっているメディア(主要テレビ局や巨大新聞など)に働きかけ、その報道内容を自主規制的に変更したり、他の報道に置き換えたりすることが常態化している。比較的に多用されていることは、関係ないニュースを延々と過剰報道することによって、国民の関心を真に重要な問題から一時的に逸らし続けることがある。つまり『報道種別』の恣意的な選択性が、まさに権力筋の都合のよい方向で行なわれているという話である。つまり、『過剰報道の作出(=過剰報道による報道ジャック)』によって行なわれているのだ。天木直人氏が石澤靖治氏のメディア考を引用している部分を下記に示す。
______________________________

『・・・(中国震災、秋葉原事件、岩手・宮城内陸地震などという)大きな事件が飛び込んできた。しかし、毎日ニュースを見ることを日課とし、仕事にもなっている私にとって、この種のニュースが起きると憂鬱になる。・・・これらの事件が起きると、メディアは大半の時間をそれに費やすばかりか、その報道が数日間、場合によっては2,3週間続いてしまう。その結果、それまでの重大ニュースも、国内外の重要な情報も突然消える。

 このように、一つの大きな出来事が「ニュースジャック」するという傾向は、テレビメディアに多くみられる。中でも、災害報道に力を入れているNHKにその傾向が強い。衝撃的なニュースは大きく取り上げるべきだし、それがある程度継続されることも了解できる。しかし、問題はその度合いである。一つの問題に大半を費やすことは、他のニュースを報じる余地がなくなるリスクを負うことでもある。世の中に起こっていることでも、メディアに取り上げられなければ、それは「事実」として人々に認知されないというのは、ニュースの社会的意義を理解する際の基本である。

 私がもし政府や企業の要職にあって、何か都合の悪い事があったら、こんな時期を狙って発表するところだ。更に指摘したいのは、そのように大量に報道される内容が、一面的であることである。例えば四川大震災についての報道は地元の人たちがいかに大変な思いをしているかという悲惨な話ばがりに視点が固定されていた。(しかし、私がインターネットで見つけた情報では)現地で救援活動を続けている人が、日本の報道で伝えられていることが現場の状況と大いに違っていてびっくりした、とコメントしていた。
 ・・・インターネットで、多様な情報に接している現在、受け手は「複眼」を持ちつつある(という事を認識しないと、メディアに将来はない)・・・』
最後の括弧内の文は天木氏が付け足したそうである)
_______________________________

 以上はまったくその通りであると私も感じている。地震被災ニュースも重要ではあるが、明らかに報道分量的に多すぎる。この過剰性の裏を読み取れば、現段階では政治の伝えなければならない重要なことを、政権筋が故意に覆い隠そうとしていることはもはや疑う余地がない。彼らは解散総選挙までの期間を、積極的な世論誘導とは正反対の、世論鎮静的な方向に持っていくために、メディアの誘導性、洗脳性を目一杯駆使して、国民の思考能力を減衰させているとしか考えられない。

 この重要な現象に気付いている人たちは、大手メディアが持っていこうとする誘導操作の仕掛けに乗らずに、メディアが覆い隠そうとしている事象をきちんと見つめ、そこに問題意識を強く持って自己の行動なり、的確な判断なりをするべきである。覚えている人もたくさんおいでだと思うが、今から15年ほど前に、ジョン・カーペンター監督作品の「ゼイリブ」という映画が放映されて、一時話題になったことがある。これはレンタルビデオでも出ていた。私はこの作品が好きで何度か見ている(どうも、今は見つからないようだ)。物語は悪魔の手先風の宇宙人が地球人に紛れ込んで、体制を支配しており、人々は彼らのサブリミナルに訴えかける巧妙なコマーシャリズムに洗脳されて、購買欲や消費意欲を異常に煽られている。人々の欲望を異常に刺激することで、大量生産・大量消費をどんどん亢進し、地球環境の悪化を招いているということもさりげなく語られていた。この体制やシステムに従順であれば出世をしていき、批判的であれば貧乏のどん底に落とされ、囚われの身になり、命までも狙われるというSF映画であった。ところが、今思い返してみると、この映画に込められた本当のメッセージは、明らかに国際金融資本を皮肉っており、アメリカの新自由主義体制という、いわゆる『欲望資本主義』の加速的導入を、痛烈なアイロニーをもって警告していたことがよくわかる。

 小泉政権以降、今の日本は、アメリカに追従して、この映画「ゼイリブ」に近い状況になってしまっている。特にマスメディアの洗脳的性格がそっくりである。あの映画は日本の近未来を正確に投影していたと思う。

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「角を矯めて牛を殺す」のが、今の政治(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第89弾です)

 本日(6月22日)の報道2001で西部邁が、「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺を使っていた。「少しの欠点を直そうとして、その手段が度を過ぎ、かえって物事全体をだめにしてしまう」 、危ないからと角を縛って動きを抑えると、牛、本来の力が発揮できないという意味だ。正に現在の日本の政治がこれにあてはまる。

 通貨発行権を持っている政府にとって、何の意味もない「国の借金」を返す目的で、馬鹿な政策を次々と打ち出し、それがことごとく失敗している。国の出費を抑える目的で、建築確認業務を民営化した。民にできる業務は民でやらせろというわけだ。その結果姉歯による耐震偽装の問題が起き大騒ぎをしたたことは、記憶に新しい。そこで国は建築確認申請を厳格化した。そうしたら、住宅着工の許可が大幅に遅れ出し、住宅着工戸数の大幅減少を招き、それが経済の更なる停滞を招いた。まさに「官製不況」を招き、国の借金を逆に増やす結果をなった。「角をためて牛を殺す」という諺がぴったりだ。

 公共工事の入札が次々と不成立になっていることを、NHKが特集を組んで取り上げていた。談合を無くすために、安値で入札させようとした結果、業者がそれでは利益が出ないということで敬遠し、公共工事が進まない事態となり市民生活に悪影響が出かねないとの懸念がでてるそう。2005年度以前に比べ2006年度は不成立が10倍以上出たそう。

 公共工事をめぐる数々の不正・無駄を取り締まるのは良いのだが、だからと言って公共投資をどんどん減らすのでよいのだろうか。近隣諸国がどんどん社会資本の整備を進めている中で、日本だけが何もしないのでよいのだろうか。

Wikipediaによると
『財政法第4条では「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。」とあり、国債発行を禁止している。財政法第4条の但し書きにおいて「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」と規定されており、この規定に基づいて、建設国債が発行できるとしている。建設される公共施設は後世にも残って国民に利用できる経費には建設国債として発行できる一方、一時的に赤字を補填するだけで国民に対して後世に残らない経費に対しては国債は発行できない。』
となっている。

 つまり、国が借金する際、公共投資をするのであれば、建設される公共施設は後世にも残るのでよいのだが、それ以外の赤字国債はよくないとされていた。ここにも、国債は次世代へのつけを残すという間違えた考えが強く反映されている。通貨発行権は現在だけでなく、未来にも引き継がれるのだから、実際は国債発行によって次世代につけが残るということは全く無い。建設される公共施設、整備した社会資本は確実に残る。一方で建設を中止した社会資本のつけだけは、間違いなく次世代に残してしまう。汗水流して、快適な社会の建設が如何に重要かということだ。痛みに耐えて、何もしないのでは国は良くならない。公共投資のための借金=善、それ以外の借金=悪という考えが、一転するときがきた。
 
 公共投資を単なる景気対策と考えていた人たちは、公共投資がどれだけ景気浮揚にやくだったのかを議論し始めた。そこには経済理論を無視した過剰な期待があったのだろう。千数百兆円もの資産価値がデフレで失われたのに、僅か20~30兆円の景気対策で、それを取り返そうなどという無茶な期待である。しかも、景気対策の中身も疑われた。公共投資と言っても、土地取得に随分金が掛かっている。また地方負担分や、様々な付随して発生する金額まで含めて景気対策の額が水増しされているとし、それを除く「真水」の部分はいくらなのかとの議論が国会でも闘わされ、実体は良く分からなかったというのが現実だった。

 結局、景気対策は効かないし、借金を増やすだけだという間違った考えを持った小泉さんが首相になり、景気対策=悪とされるようになったわけである。しかし、例えば小渕さんの景気対策で1998年には-1%の実質成長率だったものが、2000年には3%にまで劇的に景気は回復しており、一人当たりの名目GDPも6位から3位まで上昇したわけだ。お金を刷って国民のために使えば日本は豊かになることが実証されたわけだ。

 小泉氏の緊縮財政が始まってからは、一人当たりの名目GDPは急落して、2006年には、遂に18位まで落ちてしまった。残念ながら小泉氏によって日本全体が集団催眠にかかってしまった。なんと、国の目的が国の借金返済に向かってしまった。外国からの借金を返すというならまだしも、国は膨大な債券を持っており、国の借金と言えない国債残高を減らそうという馬鹿な目標だ。通貨発行権を持つ政府にとって、これほど馬鹿げた目標はない。日本経済復活のためには、この集団催眠から目を覚ますことが、絶対条件になる。

 人間とは簡単に集団催眠にかかってしまうものだ。昨日、私は家内と、その実の姉に連れられて巨人戦を観戦に行ってきた。何年か前にも巨人戦に付き合ったことがあった。あのときは家内の父親と一緒だったが、出身が広島の私は当時広島ファンであって、巨人の応援席にいるのにちょっと違和感を感じていた。今は、家内と、その実家が巨人ファンであることに影響され、朱に染まれば赤くなるで、自分も巨人ファンになってしまい違和感は無くなった。これも集団催眠の一つだろう。厳密な理論とは関係なく、周りに合わせておいた方が、大抵の場合、社会生活がうまくいく。特に、上司や支配者にたてつかないほうが良い。長いものに巻かれろというわけだ。人間共通の性質だろう。

 しかし、支配者が間違った道を走り出し、それに国民全体が従い始めたら大変なことになる。まさに破滅への道であり、現在の日本がそれに当てはまる。国民にその集団催眠から目を覚まさせるため、我々は日夜活動をしているし、皆さんも是非加わって頂きたい。

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2008年6月20日 (金)

阿部知子衆議院議員との会話(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第88弾です)

 6月5日と6月19日に、社民党の阿部知子衆議院議員とお話しをする機会があった。私は、阿部氏と考えが極めて近いと感じた。もちろん、立場上彼女が「お金がなければ刷りなさい」などと言うわけはないのだが、私の「お金を刷ればよい」という発言に、一切反対はされなかった。日本経済復活の会の活動に非常に興味を示しておられたし、時間があれば勉強のため日本経済復活の会の定例会に出席したいとも言っておられた。阿部氏は頭脳明晰で経済についても幅広い正確な知識をお持ちだと感じた。以下、阿部氏との会話の一部を書く。録音したわけでなく、ごく断片的にしか覚えていないので、間違いがある可能性をご了承頂きたい。彼女は、相手の話を聞き出すことが上手で、色々話したいことを引き出して頂いたので、どういう話を私がしたかを中心に、順不同で書く。この会話を通じて阿部氏が国民の立場に立って話していることが伝わってきた。

阿部知子  労働分配率が下がっていることを、どう思いますか。

小野盛司  労使の力関係でしょう。デフレ下では、使用者側が強くなる。失業者が多いから、替わりはいくらでもいる。労働条件に不満な人は出て行って下さいと使用者は言う。労働者はリストラが怖くて、賃上げ要求ができない。これがデフレの怖さです。こんな社会にしてはいけません。かつての日本では、新卒は金の卵だった。少しでも条件を良くして、良い人材を採ろうとしていた。人を大切にしていた。合理化など大反対された。デフレ時には人は使い捨てにされます。デフレでは労働者にろくにお金を払わなくても、人は集まるのです。

阿部知子  介護の現場では、求人が応募者の5~6倍もある。

小野盛司  労働条件が悪すぎては、人は集まりません。そこはもっと市場原理を取り入れるべきで、暮らしが成り立たないような労働条件を提示しても、人は集まりません。介護士が必要とされている現状では、それに相応しい給料で迎えるべきです。

阿部知子  規制を緩和するということですか。

小野盛司  そうです。給料を上げれば人は集まります。産婦人科医や麻酔科医も同様です。人材が足りなくなったら、人が集まるまで労働条件を改善すればよい。金が無くなるとギスギスしてきます。金がないというかもしれませんが、お金は作ることができます。

阿部知子  今、医療現場・介護の現場は過重労働等で大変なことになっている。

小野盛司  私は、ITが過重労働を軽減すると考えています。例えば、ガイダンスシステムを作る。インターネットに行けば誰でも病気の診断がしてもらえるようにすればよい。その症状なら、自宅で寝ているだけで治るのか、あるいは市販の薬で大丈夫なのか、あるいは病院にいけばよいのか、あるいは救急車を呼べばよいのかを教えてくれる。大病院で1時間も2時間も待って、2~3分しか話を聞いてもらえない。医者も忙しくて一人一人の悩みを聞く暇がない。それならまずコンピュータで最初の診断をしてもらえるシステムを国が開発して、無料で国民に使わせる。それだけで、かなりの医療サービスが受けられ、医者不足も解消にも役立つ。介護ロボットも国がうんと金を出して開発すれば、介護現場を助けることができる。コンピュータはものすごい勢いで安くなっている。介護ロボットも安くできるようになる。お金が無いと言っていたら、いつまで経っても何もできない。お金は刷ればよい。

阿部知子  少子高齢化を迎えようとしていることを、どう考えますか。

小野盛司  少子高齢化という言葉そのものに異論があります。何歳以上が老人というような線引きをやってよいのでしょうか。1947年には平均寿命は52歳、人生僅か50年と言っていました。今は平均寿命がずっと延びました。

阿部知子  100歳近くまで生きるようになりましたね。

小野盛司  そうです。どんどん寿命は延びています。年率にすれば0.2歳の割合で延びています。このようなときに、人は64歳までしか働けない、75歳以上は姥捨て山行きだなどという線引きが適当でしょうか。平均寿命が延びれば、健康年齢も延びるし、働ける年齢の上限も上がっていくはずです。それまで考慮すれば、生産年齢人口の割合は減らない。

阿部知子  高齢者も働ける環境をつくることも大切ですね。

小野盛司  そうです。デフレ脱却し、高齢者も働ける職も十分確保てきるようにすべきです。

阿部知子  デフレと言いますが、庶民感覚では物価は上がっていますね。デフレーターの統計の取り方に問題があるのではないでしょうか。コンピュータの性能が上がり値段が下がっても、庶民はそれで物価が下がったという実感はない。

小野盛司  消費者物価指数は上がっていますが、コア指数やコアコア指数は下がっています。中小企業は、とても値上げできる状況ではありません。東京のタクシーも値上げしたら、売り上げ減で利益は減った。デフレは脱却できていません。景気をよくして普通の国並のインフレ率を実現すべきです。

 国会議員との長い会話を通じて、国の財政政策の大転換をさせようとしている。デフレの時に、歳出削減か増税しか無いのだという馬鹿な結論を大前提にしてしか話しができないとは余りにも惨めである。国が通貨発行権を持っているということを忘れてもらっては困るのだ。デフレのときに通貨発行権を放棄したら、国の経済は縮小するしかないのだから。そこには悲惨な未来が待っている。


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2008年6月19日 (木)

少子高齢化で「働き手」は減るのか。 -総理の増税提案に断固反対する-(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第87弾です)

 日本は少子高齢化で、これからは少ない人数で多くの老人を支えなければならない。だから負担増は避けられないというのが、政府の説明だ。何と総理は消費税増税の是非を決断するときだとさえ言った。我々は、このような増税に断固反対すべきだ。デフレの際の増税は言語道断だということ以外にも、反対する沢山の理由がある。今、福田内閣が消費税増税を強行しようものなら、支持率1桁どころか、与党からも猛反発をくらい、今度な衆議院で内閣不信任案が可決されるに違いない。

 少子高齢化で働き手の割合が減ってくるのだという。どのくらい減るかは人口問題研究所が次のような推計を出している。

1564

 つまり1年で0.265%ずつ15~64歳の人口割合が減っていくということだ。しかし、これが直ちに、「働き手」が減るということにはならない事に注意しよう。「働き手」とは時代によって変わることは明らかだ。例えば1947年には平均寿命は52歳だった。「人生僅か50年」と言っていた。この頃15~64歳が「働き手」だとはとても言えないだろう。徐々に寿命は延びてきたし、これからも伸び続けると予想される。現在は1年で約0.22歳のペースで平均寿命は延びている。延びるのは寿命だけではなく、健康寿命も延びる。当然のことながら、働くことができる期間も延びてくる。実際、高齢者雇用安定法改正により60歳定年の義務化されたのに続き、平成16年の改正により65歳までの雇用延長を段階的に進めることが義務化された。定年延長の動きは、働ける期間が延びてきて、「働き手」の範囲が広がったことを意味している。この意味で働き手の範囲は、今後もどんどん広がるに違いない。

 働き手の範囲が平均寿命の延びと同程度の速度で広がると仮定しよう。つまり働ける上限が1年で0.22歳ずつ延びていくとしよう。これは働ける期間が毎年0.44%ずつ増えていくということだ。1年で0.265%ずつ15~64歳の人口割合が減っていくのだが、働ける期間の延びを考えると、0.44%―0.265=0.175%だから、むしろ労働力人口の割合は0.175%ずつ増えていくことになる。寿命は延びるが、健康で労働が可能な期間は増えないという、奇妙な仮定だと当然、労働が可能な人の割合は減る。当たり前だ。こんな馬鹿な前提の元に、国民の恐怖心を煽るのは止めて欲しい。

 それだけではない。もしも経済政策さえ誤らなければ、労働生産性は少なくとも年間2~3%伸ばすことができる。そのように考えるなら、我々は、毎年2~3%ずつ豊かになるはずだ。もちろん、今の政府のように、国民の生活を犠牲にし国の借金を返すことを最優先にした経済政策を続けていけば、悲惨な結果になり、日本人だけが一人負けで、どんどん貧乏になっていく。

 国は通貨発行権を持っていることを、日本人は一刻も早く気付くべきだ。主権国家の持っている最も大切な権利の一つであるこの権利を行使し、お金を刷って、経済活動に必要なお金を国民に渡すのであれば、上記のような速度で国も国民も豊かになっていく。そのためには、今は増税ではなく、減税の時だ。

 環境対策も直ぐにやるべき事が山積しているではないか。日本経済復活の会では1年前、九州大学名誉教授の太田俊昭氏を招いて炭素繊維を使った洋上風力発電の開発に関する講演を行ってもらった。原発の半分以下のコストで電力を供給できるとのことで、原油価格高騰で、代替エネルギーとして注目すべき時だ。このことを、我々は多くの国会議員に訴え続けてきた。それが通じたかどうかは分からないが、社民党のホームページに、この研究に関する紹介がなされるようになった。

http://www5.sdp.or.jp/policy/policy/electoric/electoric_wind01.htm

 公共工事など日本にはもう必要がないと主張する馬鹿な連中がいるが、それが国民を苦しめる。我々の活動も少しずつ成果を出しつつあるのではないか。来週の木曜日(6月26日)には、地熱をビルの冷暖房に利用するための研究をしている産業技術総合研究所の盛田耕二氏に講演を依頼している。財源が無いと言って諦めていることだが、実は国がお金を刷れば、財源は出てくる。デフレ下の増税で国の経済を破壊するのでなく、我々の次世代の若者達に、豊かで健康的な国を引き渡すために、活動を続けていきたい。

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キムタク主演ドラマ『CHANGE』は小泉再登板の洗脳的布石なのか!?

 植草さんはブログ記事で、木村拓哉主演のドラマ『CHANGE』と小泉内閣元秘書官・飯島勲氏が強い相関性を持つことを「週刊ポスト」の記事を取り上げて指摘している。

 植草さんも言うように、この話は小野寺光一氏のメルマガによって、番組が開始する前から配信されていた。えっ?キクタク主演の総理大臣のドラマと飯島元秘書官の関係だって?そりゃないだろう!と、最初は自分も半信半疑であったが、その後も、小野寺メルマガが何度か同じ情報をもたらしているのを読み、ひょっとするとこれはありうる話かもしれないと思っていた。2005年9月の郵政解散総選挙の時、自民党の広報戦略・IT戦略を任せられていた人物は世耕弘成氏であったことは皆さんの記憶に残っていることと思う。彼は党幹事長補佐広報担当者としてメディア戦略に手腕を発揮した。

 以下は私の推測である。世耕氏の広報活動は、2ちゃんねるなどでは「世耕チーム」などと言われ、謀略的宣伝工作担当の専門であるかのように、面白おかしく書かれていた向きもあった。しかし、私はテレビ等で彼の発言を何度か聞いて、人となりを観察した結果、彼はそれほど奸智に長けた恐ろしい人間ではないと感じている。そういうイメージは、一部の人間がからかい半分にデマとして流したものだろう。表向きは世耕氏が広報担当であったが、実際、官邸の広報戦略司令塔として、大きな力を発揮したのは、当時官邸主導勢力の中心にいて、小泉元総理の秘書官を努めた飯島勲氏ではなかったのかと自分は思っている。私は小泉官邸主導という言葉を聞くと、真っ先に思い浮かべる人物が二人いる。飯島勲氏と中川秀直氏である。

 小泉政権を痛烈に批判していた植草さんが理不尽な目に遭わされた裏には、官邸の中心から出た何らかの力が存在したと考えることは、けっして的外れではない。しかし、だからと言って、植草さんをハメた首謀的人物が誰であったかなどということは、わかるはずもない。しかし、一人なのか、複数なのかわからないが確実に首謀者はいたはずである。当然、その人物は官憲に顔の効く人間であっただろう。植草さんが、小泉構造改革に対する理論的抵抗勢力の筆頭として位置づけられたことは間違いない。また、小泉政権が官僚の無駄を省くというポーズを取りながらも、じつは財務省主導の官僚利権構造をそっくり温存し、これが植草さんに指弾されたことなども官邸筋に恨まれた理由であろう。

 あと一つ、決定的なことであるが、植草さんがりそなインサイダー疑惑を指摘したことは、これにかかわったさまざまな当事者達の心胆を寒からしめ、植草さんの言論が世間に拡散しないように、早めに手を打とうと考えた者たちがいてもいっこうに不思議はない。当時の金融庁には竹中平蔵氏がいて、彼は京急事件のすぐ後に政治家を廃業して市井の人になった。郵政民営化にあれだけ情熱を示したのに、郵政のその後の進展を見届けようとせず、植草さんが京急事件に遭遇したことを見たあと、情熱が消滅したように下野している。任期をあと四年も残してだ。これを見ると、郵政民営化担当大臣としての、それまでの獅子奮迅ぶりはいったい何だったのだろうかと、素朴な疑念が浮かぶのだ。だからと言って、私は竹中氏が怪しいとはひとことも言っていない。

 京急電車内で起こった迷惑防止条例違反の案件だが、これが、謀略に基づいた痴漢偽装事件である可能性はきわめて濃厚だと私は思っている。

 話が逸れたが、今回はキムタク主演ドラマ『CHANGE』が、ずばり言って小泉純一郎の再登板のために、飯島氏がシナリオを書いてドラマ化し、国民をテレビで洗脳しようとしているのではないかという噂は本当らしく思えてくる。メディアの中でも、テレビの洗脳効果は群を抜いている。キムタク総理のイメージと、小泉純一郎氏のイメージを重ねあわせ、来るべき衆院選選挙で、小泉氏再登板に劇的に有利なイメージ付けを行なうのが目的だろう。このドラマは小泉政権の再登場を意図した危険な宣撫ドラマの可能性が高い。B層市民というのは、先天的な差異によって出ているというよりも、ほとんどはテレビの愚民化放送によって造られているような気がする。それほど、テレビというのは主体的な思考能力を奪う洗脳効果の高い映像メディアなのである。世論誘導を目論む為政者が、人気テレビドラマを仕立てて、世論操作を有効に行なおうと画策したとしても、一向に不思議ではない。

 小泉政権とは、憲政史上、最凶最悪の政権であった。これほど国民を害し、国益を毀損した政権はない。日本史開闢以来の悪政の見本である。これが再現されることは、悪夢を超えて、今度こそ日本の終焉である。こういう地獄の政権を二度と舞台に登場させてはならない。

 

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2008年6月17日 (火)

今の日本は新自由主義ファシズムだ!!

前:           ななし
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内容:
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 ちなみに米英の人口当たりの公務員数は日本より遥かに多いです。
更に言えば、米国の雇用者数で一番多いのも実は公務員だったりします。
膨大な軍事費を軍産複合体を使ってばら撒いてる米国は小さな政府じゃあないですし。

 サブプラ問題での対応を見ても小さな政府や市場主義、自己責任原則が嘘っぱち
であるとわかりますしね。90年代米国躍進の本当の理由は日本を見習って政官財の
癒着を強めた結果だと言う人もいますしねw

 それから新自由主義に関してですが、今度のサブプラ問題で底が割れちゃいましたね。

 所詮は80年代後期の日本と一緒で信用創造をもてあそんでバブルを膨らませてただけなんだと。
 経済評論家の内橋克人氏は新自由主義とは、バブル形成と崩壊の繰り返しなんだと喝破してらっしゃいます。

 内橋氏と言えば、植草氏や森永氏と並ぶ反新自由主義の評論家です。
マスコミでの新自由主義論者の台頭とケインズ主義者に対するパージの中でもかろうじて生き残ってる
数少ない評論家の一人ですね。

 植草氏やクー氏が姿を消した今は森永氏と内橋氏くらいしか居なくなっちゃいました。
 毛色は違うけど金子氏も反新自由主義かな?あの慶応の教授と言うのが引っ掛かりますが。
 今の日本のメディアはさしずめ新自由主義者によるファシズムでしょうか。
戦前・戦中の共産主義弾圧がケインズ主義弾圧に替わったような印象ですね。
 それから小さな政府礼賛は中学校の教科書にも載ってるそうです。
中学生の内から刷り込むつもりなんでしょう。ゆとり教育導入と言い、文科省も狂ってますね。
中曽根以降、本当におかしな国になって来ました。
改めて旧田中派、旧経世会の政治の良さが思い知らされましたね。
 メディアの刷り込みで完全に潰された感はありますが復活する事を祈ってます。

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2008年6月16日 (月)

植草さんとB・フルフォードさんのロング対談!!

 今日、夜の10時半に帰宅してネットを見たら、「神州の泉」のアクセス数がいつもより1000くらい多くなっている。リンク元を見た。すると、ベンジャミン・フルフォードさんが「神州の泉」の過去記事を二つリンクしていただいていた。直前エントリーのコメント欄では、吉祥天さんが、植草さんとフルフォードさんの対談があることを知らせていただいた。今日の弊ブログ・アクセス数は、これを書いている段階で5100、モノアクセスは2400である。

 植草さんを応援している者の一人として、今「神州の泉」が読者の皆さんに少しだけお願いしたいことがある。おそらくだが、植草さんに政治的なことを語ってほしくない連中が、今週木曜日に行なわれる植草さんとフルフォードさんの対談を、何とか邪魔したいと思っているかもしれない。私がお願いしたいことは、ここをご覧になっている皆さんが、この対談が行なわれることを覚えていただけたらありがたいと思う。2000人くらいの人がこの対談があるということを、ただ記憶していただけるだけで、強い抑止効果があると思うからだ。植草さんをハメた連中はほんとうに危ないですから。

 

 フルフォードさんのその記事をここに転載しておく。

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 06/16/2008

植草一秀先生VSベンジャミンフルフォード対談について

 今週木曜日に植草先生とロング対談をします。優秀な経済学者である植草先生に日本経済の「真の実態」と「今後の行方」、また植草先生をハメた「国策逮捕」について最新の情報を加え、一連の出来事をわかり易く語っていただきます。以下のテーマ以外に議論してほしいことや質問がありましたらコメントに投稿して下さい。宜しくお願いします。

テーマ:国家権力が植草先生をハメた理由、国策逮捕について、竹中・小泉の売国政治、広がる格差問題、日本経済の「真の実態」と
    「今後の行方」など

植草一秀(Wikipedia)

<参考資料>
植草先生を陥れる権力達

テレ朝植草一秀氏国策捜査疑惑報道

「国家」と「資本」の暴走を食い止めろ!佐藤優VSベンジャミン・フルフォード対談

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2008年6月15日 (日)

小さな政府か大きな政府か(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第86弾です)

 小さな政府か大きな政府かという議論がある。マスコミは、ほぼ小さな政府を支持する方向に固まっていて、大きな政府を支持しようものなら、マスコミの常連でもマスコミには出させてもらえなくなるという憂き目にあう。マスコミは小さな政府に世論を誘導しようとしているのは明らかだ。

 その中で、実際の国民の考えはどうなのだろうか。客観的な調査として、例えば2006年に北海道大学と北海道新聞情報研究所が行った「大都市圏と地方における政治意識」に関する世論調査がある。調査は北海道と東京で行われた。小さい政府の実現を目標に掲げた小泉政権の5年間で、「日本は良くなったと思いますか」という問いに対し、北海道では、肯定的な見方は32.4%にとどまり、否定的な意見はその2倍の63.2%に上った。東京でも肯定的な見方は44.3%で、否定的な見方の49.5%のほうが多かった。

 「政府のあり方として小さな政府と大きな政府で、どちらが望ましいか」という問いに対しては、北海道では、大きい政府と答えた人が60.6%だったのに対し、小さい政府と答えた人は35.7%にすぎなかった。東京でも大きな政府と答えた人は52.5%であり、小さな政府と答えた人の40.1%を大きく上回った。詳しくは
http://www.global-g.jp/report200602/2-2.pdf
を見て頂きたい。

 「小さな政府」が少数意見であるにも拘わらず、現在マスコミでは、極めて厳しい報道管制が敷かれている。つまり、大きい政府を支持するような意見を持つ人は絶対にマスコミで発言できない。私が話した国会議員も国民新党やその他ごく小数を除き、本当は財政拡大を支持していてもそのようなことを表向きは言えない状態になっている。実際、一言そのような発言をするとマスコミから「非国民」とでも言われそうだ。まるで戦前のような日本になってきた。

 小さな政府ということは歳出削減ということだ。デフレの際に歳出削減をやれば、膨大な労働資源の無駄が発生し、そのために日本が衰退するのは間違いないのだから、この上ない危険な政策なのだ。それを唯一理論的に正当化しているのが内閣府の経済モデルだ。しかし、何度も言うがこれは大本営発表のインチキモデルなのだ。歳出拡大で国民にお金なんか渡しても経済は良くならず、国の借金が増えるばかりだという結論を出している。しかし、マクロ経済モデルの専門家は誰もがこのモデルがインチキだと知っている。シンクタンクの研究者が、それを指摘しようものなら大変な迫害を受けるから誰も口を閉ざす。私は日本がいつか民主国家になって、言論の自由が認められ、内閣府のモデルの過ちをシンクタンクの研究者が何の迫害を受けずに指摘できるようになる日を待ち望んでいる。

 内閣府の経済モデルがどれだけ欺瞞的か知って頂きたい。景気対策をやって、国民にお金を渡しても、経済は発展しないという経済モデルは内閣府のもの以外には存在しない。日本を代表する8つのシンクタンクの経済モデルを集めて、内閣府のものと比べてみた。どのモデルでも、景気対策をやれば景気は良くなりデフレ脱却ができ、税収も増えるのだ。内閣府のモデルとはまるで違う結論だ。

 我々は、質問主意書という形で滝実衆議院議員を通じ内閣府のモデルに関し様々な角度から追求した。総理からの答弁書はいつも同じだった。「あのモデルは誤差が大きいので使いものにならない」と言う。それなら小さな政府を推奨する理論的根拠は消滅する。

 2011年までにプライマリーバランスを黒字化するという目標も、内閣府の経済モデルが理論的なベースになっている。それが誤差が大きくて使いものにならないのなら、2011年までにプライマリーバランスの黒字化という国民を苦しめる目標は撤回すべきだ。この目標実現のため、厳しく財政削減を行ったために、75歳以上の老人の医療は切り捨てられ、産婦人科医・麻酔科医も減って満足な医療が受けられなくなり、介護福祉士やヘルパーも人手不足、教育も予算不足で学力低下、地方自治体も軒並み赤字財政、公共投資の激減で、全国の橋も崩壊しそうな箇所が続出している。年金に対する国民の不安も増すばかりだ。このように国民に痛みを押しつける政府の論理は、景気対策は景気を良くしないという間違った内閣府のモデルによって裏付けられている。しかし、内閣府のモデルは、大本営発表だということは、次のグラフから一目瞭然だ。

Photo

 このグラフは2002年から2008年まで(合計7回)の内閣府のモデルによる試算の結果である。GDPデフレーターの上昇の予測が示されている。7回すべて、快調にデフレーターは上昇し、このままでいけば1~2年でデフレ脱却(デフレーターがプラス)すると、国民に説明している。しかし、2002年~2007年の間デフレーターはずっとマイナスで2002年が-1.2%、2007年が-0.9%だからほとんど横ばいで、実際のデフレーターはこのグラフでほぼ水平だったわけである。内閣府が7回も国民に嘘を言った、大本営発表を行ったことは一目瞭然だ。

 北大と北海道新聞の調査などからも明らかなように、国民の多くが、国は国民のためにもっと多くのお金を使えと言っている。つまり大きな政府だ。マスコミも政府もそれを無視し続けているばかりでなく、大きな政府という発言を抹殺するために、マスコミに大きな圧力を掛けている。財源はどこにあるのかと、直ぐに言うが、財源は日銀が刷った金でよいのである。それがデフレ脱却の正攻法なのだから。

 国民に負担をさせることが良いことだと錯覚する人がいる。お金を刷ることは悪いことだとでも言いたいのだろう。実は、お金を刷れば、景気がよくなり、デフレが脱却でき、インフレ率も経済成長にとって最良なレベルにまで上昇する。そうすると国民がそれまで持っていた金融資産が目減りすることにより、立派に国民は負担をしているのである。これをインフレ税という。但し、資産インフレ等もあり、金融資産はインフレ率を上回る速度で上昇し、国民は実質的にはより多くの資産を持つようになる。良い政策とは、国民を豊かにすることである。デフレの際の増税など、国民負担の増大は、国民は貧しくするから悪い政策である。逆にお金を刷って国民にお金を渡す政策は、国民を豊かにするのだから、間違いなく良い政策である。

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驚愕!!貞子こと藤井まり子氏と木村剛氏との深い関係!!!

 貞子ちゃんこと藤井まり子氏に関連して、私がもっとも信頼しているブロガーのお一人、『とむ丸の夢』さんから、じつに貴重なコメントが寄せられたのでここに掲載する。「とむ丸の夢」さん、ありがとうございます。
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名前:           とむ丸
メールアドレス:
URL:            

内容:
--------
こんにちわ。
実は私、数年前は結構この「貞子ちゃん……」とよく読んでおりました。共感して読んだとか、そんなことは全然ないのですが、やたらと金融面に詳しいような表現が出てきたかと思えば、ときには日本海側の町の旧家の生まれとかのカミングアウトがあったり、社会事象への独自の見解があったりするのです。
独特のシラーっとした脱力系のようなセレブ系のような、なんとも言い難い手触りというか読み触りで、金融に関する知識と社会に対する姿勢・見解の間の、いいようのない落差がおかしくて、読んでましたが。
この貞子ちゃんについては「非日常的日常inowe椅子人blog」さんが、「貞子さんの何が面白いかって時折元森首相みたいな発言しちゃうのであります」といっておられますから、井上さんも私と同じような感覚で読んでいたのか、といつか一人で大笑いしてしまいました。
http://inowe-blog.seesaa.net/article/11941250.html
です。

その後、その傾向が私にはいよいよ耐え難くなってきましたので、ここ1年はまったく読んでいませんので、アルファーブロガーに選ばれていたことは知りませんでした。

なお、私の記憶では、木村剛氏は貞子ちゃんの配偶者のお仲間でしたよ。

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 ここをご覧になられている皆さんは、植草さんが「りそなインサイダー取引疑惑」を糾明する必要があると訴えていたことはご存知だと思う。りそな銀行が国庫救済され、国有化されたのが2003年5月17日である。この直前の4月28日の日経平均株価は7607円まで暴落している。この前年2002年9月30日、内閣改造が行なわれた際、竹中平蔵氏が“米国の指示”に従って金融相を兼務することになった。就任早々、竹中氏は『金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム(PT)』というものを発足させた。私はこの金融プロジェクトチームの設立自体がすでに非常に怪しいと睨んでいる。竹中氏は10月30日に「金融再生プログラム」を発表したが、その骨子は不良債権処理の見直しに当たって、金融機関の資産査定厳格化、自己資本充実、ガバナンス強化などであった。

 植草さんは「知られざる真実ー勾留地にてー」のP72「15 標的にされたりそな銀」に書いているが、竹中氏はこの時、資産査定厳格化の一環として「繰延税金資産」計上ルールの見直しを提示した。植草さんは言う。この「繰延税金資産」が「りそな銀行疑惑」のキーワードであると。竹中氏は「金融再生プログラム」で自己資本算定ルールの厳格化を試みた。銀行界は猛反発した。こういう一連の経過は少し複雑であるから、詳しいことは植草さんの「知られざる真実ー勾留地にてー」を読んでいただきたい。要は、金融プロジェクトチームなるものが、きわめて摩訶不思議、面妖な会計ルール変更を強行した。このために、標的にされたりそな銀行は破綻寸前まで行きながら、ぎりぎりのところで預金保険法の抜け穴条項によって国庫救済された。

 これら金融プロジェクトチームの行なった一連の金融行政的操作に、恣意的な株価操作の疑いがあるのではないのかというのが「りそなインサイダー疑惑」の全体像である。つまり、国庫救済直前の株価大暴落も誘導の可能性があり、救済後の株価猛反発(じつは復旧的値動き)も誘導の可能性があるのではないのかという疑いである。この動きに乗じて、外資系ファンドやその他が株の底値買いを行い、反発した時期を見計らって売り抜けて大儲けをしたとしたら、彼らが事前に金融操作の情報を得ていた可能性は大きい。植草さんは政府(金融庁)絡みの謀略、すなわち巨大なインサイダー取引疑惑の動きを俯瞰したのだ。だから、関係者から調査をする必要を説いた。これに泡を食った“関係者”たちは植草さんを最大級に敵視し、何とか彼を潰そうと考えたとしても不思議ではない。しかし、すでに品川事件で冤罪や国策捜査の疑惑がネットに広まっていたために、植草さんの謀殺の時期は逸していた。だから次に打つ手として、植草さんの社会的不名誉を作出する手を考えたとしてもけっしておかしくはない。東京都の迷惑防止条例違反で仕掛ければ、自分たちはリスクを最小限にして植草さんの不名誉を創出できるわけである。もちろんこれは私「神州の泉」の個人的な推測であるが。

 今言いたいことは、木村剛氏がこの金融プロジェクトチーム(PT)に名を連ね、竹中氏の政策ブレーンになっていたという話である。つまり木村氏はこの時期の金融行政担当の重鎮だった人物である。その人物と貞子こと藤井まり子氏の配偶者が仲間であるとすれば、『貞子ちゃんの連れ連れ日記』というブログが、植草さんに対して異様な攻撃を仕掛けてきた真の思惑が透けて見えてくるようだ。したがって、「とむ丸の夢」さんの上記コメントにある“木村剛氏は貞子ちゃんの配偶者のお仲間”はすこぶる重大な意味を持っているのだ。

  経済評論家(?)の藤井まり子女史に入れ知恵をした者がいて、ブログによるあのような植草さん攻撃が生じたとしたら、その最大の思惑は一つしか考えられない。それは植草さんが著した「知られざる真実ー勾留地にてー」を無価値化したいという強い意志ではないだろうか。

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2008年6月14日 (土)

藤井まり子氏の動きについて

 『貞子ちゃんの連れ連れ日記』の管理人の貞子ちゃんこと藤井まり子氏の投稿を前回エントリーに掲載したが、この人の植草さんに関する一連の記事を見て気が付いたことがある。一見、品格のない表現で、随所に植草さんの誹謗中傷をちりばめているのが特徴だ。藤井氏は福祉やミルトン・フリードマンに関する見方などを表層的に書いてはいるが、三回におよぶ彼女のブログ記事の内容と、今回の投稿コメントを読んでみると、読者層に訴えたい本当の目的が、すべて植草さんの誹謗中傷に収斂されていることがわかる。

 つまり、「神州の泉」や「植草一秀氏を応援するブログ」のゆうたまさんや、そのお仲間に反応させることで、書き込みのきっかけ(契機)を継続させ、その中で散発的に植草さんの誹謗中傷記事を発信して行くという底意が見受けられる。一見感情的な言い回しで書かれている箇所も多々見受けられるが、これらは偽装であり、実は非常に巧妙に考え抜かれた記事を書いているように思う。真の目的は植草さんの人格攻撃、彼のエコノミストとしての存在価値否定、くわえて植草さんの重要な著書『知られざる真実ー勾留地にてー』(2007年イプシロン出版企画)の内容否定に彼女の本心があるように思える。彼女個人ではなく、背景があって、こういう動きなっているように強く感じる。彼女の記事に散りばめられている植草さんへの誹謗中傷記事は、個人の感想を飛び越えて政治的な意図を感じる。

 従って、よほどの必要を感じない限り、今後不用意には反応しないことにした。これ以上、彼女との対話を継続しても、出てくるのは植草さんのイメージダウンを狙った言辞だけだろう。

ところで藤井氏はコメントでこう書いている。

『私個人は、小泉氏はもとより竹中氏とも一度も会ったことはないし、ですから、私が彼らの出先機関であるはずがないです。』

 ここには、なぜか木村剛氏の名前が不自然に抜けている。竹中金融プロジェクトチーム(金融PT)のキーマンとして重要な役目を果たしていたのが、たしか木村剛氏ではなかったのか?藤井氏は木村剛氏とはコンタクトを取ったことはないのだろうか?ないならば、小泉氏、竹中氏に列して木村氏の名前を挙げなければ不自然だと思う。藤井氏のブログのトップページには木村剛氏からのトラックバックが四つも見られるが・・。

 『一秀くんの同級生のブログ』さんの最新エントリーには、木村剛氏と藤井氏について実に興味深いことが書かれている。

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貞子ちゃんこと藤井まり子氏からの投稿

 『貞子ちゃんの連れ連れ日記』の管理者である藤井まり子氏から、弊ブログ記事「『貞子ちゃんの連れ連れ日記』は小泉・竹中路線の出先ブログか!?」にコメントが寄せられたので、本記事欄にエントリーしておく。いずれ、これに対する見解も含め、藤井氏がご本人のブログで、植草さんについて書かれた三連の記事に対する私の感想も書いてみたいと考えている。

 その前に、今強く言っておくべきことは、藤井氏の下記の文章に、植草さんに対する看過できないレベルの悪意に満ちた表現があったので、それを指摘して強く抗議しておく。


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該当箇所抜粋)
彼の有料レポートは、プロにとっては実に使い道がなかったんです。彼の有料レポートは、ありきたりの統計を使っているだけでしたし(精神的に参っていて、いい仕事ができないのかな?とわたしこじんはおもっていました。)、少なくとも、彼の有料レポートの中では、福祉についての代替案はなかった。たいていのプロは、みな、彼の有料のレポートを「支援金」として我慢して支払っていたけど、読まなかったし使えなかったです。使い道がなかった・・・。

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 良識ある皆さんは、この文を見てどう思われるだろうか?あたかも植草さんが支援金目当てに彼の専門的な経済分析のレポートを配布しているかのごとくに書いた中傷文になっている。これはあきらかに植草さん個人に対する人格攻撃であり、営業妨害になるのではないだろうか。それ以前に良識ある人間の表現としてかなり問題があると思う。

 あとで書くつもりだが、藤井氏は例の三連記事で、エコノミストとしての植草さんの存在価値を否定し、彼の近著である『知られざる真実ー勾留地にてー』の内容をまっこうから無価値なものとして否定する意図が読み取れる。これらのことを冷静に眺めれば、藤井氏の植草さんにかんする書き方が、藤井氏個人の意図というよりも、大きな政治的背景にもとづいて行なわれているように私には見えてくる。個人の範囲で書くことを超えているように見受けられるのだ。

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名前:           藤井 まり子
メールアドレス:
URL:            

内容:
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「アメリカにごり押しされた郵政民営化の解散総選挙であろう。おそらく恫喝されていたのだろうが、文字通り“命がけで”やったかもしれない」とのことですが、これも間違っています。
高橋洋一氏の「さざば!財務省」とか「財投改革の経済学」を読めば、こういった「恫喝論」という「陰謀論」もただの憶測であるというのが、理解できるはずです。
郵政は、大蔵省資金運用部を解体した瞬間から、民営化しなければ、生き延びれなかったのです。郵政民営化は、郵便局を残すために、必要でした。
大蔵省資金運用部解体は賛成だけど、郵政民営化は反対ってのは、実行不可能な課題です。郵政を生き延びさせるためには、民営化するしか方法がなかったという認識の上で議論しないと、袋小路に陥ります。
せめて、高橋氏の上の近著だけでも、お読みください。
15年、国債や財投改革や日本型の福祉に命を賭けていれば、この話は理解できるのです。
フリードマンは、確かに誤解されやすいです。現行の社会保障制度は、腐敗や汚職をはびこらせるから、廃止すべきだと彼は予言していますから、一般には、フリードマンは社会保障制度には無関心であると、(特に理系の方には)誤解されやすいのせす。ただ、フリードマンは、弱者保護には熱心でした。今ある程度経済学に詳しい若手は、フリードマンが唱えた弱者保護「ベーシックインカム」とか「負の所得税」の発想を取り入れて、日本型の社会保障を持続可能にしようと、あれこれ知恵を絞っています。
高橋洋一氏は、公的年金制度の維持にも熱心です。
高橋さん、一度、実際に会ってみませんか?
こちらは、国債発行については熱心なブログであるのは、私の読者から聞き及んでいます。
今でも、私は植草氏については痴漢冤罪では応援しています。
ただ、愛知県内で多くの人が彼を応援してみたのですが。。。なんというか、彼の有料レポートは、プロにとっては実に使い道がなかったんです。彼の有料レポートは、ありきたりの統計を使っているだけでしたし(精神的に参っていて、いい仕事ができないのかな?とわたしこじんはおもっていました。)、少なくとも、彼の有料レポートの中では、福祉についての代替案はなかった。たいていのプロは、みな、彼の有料のレポートを「支援金」として我慢して支払っていたけど、読まなかったし使えなかったです。使い道がなかった・・・。
植田和夫先生も優秀ですし、実力の上からは、日銀総裁候補でしたが、キャバクラがお好きということで、今回候補からはずされてしまいました。(金融界でも金融ブログ界では有名な話)。
植草氏は植田先生とキャバクラ繋がりで趣味も共有していたがごとく誤解される記事を、氏は自分のブログで再び暴露してしまっているし、もう、どうしようもない。
それと同列で、●田さんと親交があったとブログで自分から強調するのですから、これまた、本当に彼のガードの甘さというか、世間知らず度には、がっくりさせられてしまいました。●田氏の逆鱗にまで自ら触れるつもりなのでしょうか?また、世話になった方に迷惑かけるつもりなのか????
100日以上拘留されても、彼の長い友人の多いはずの金融界や学会からは、彼への保釈陳情書が無かった理由が、今回私も初めて理解できました。
私個人は、小泉氏はもとより竹中氏とも一度も会ったことはないし、ですから、私が彼らの出先機関であるはずがないです。
私個人は、福祉政策について、ここ15年以上、あらゆる角度から考察している一ブロガーです。(確かに、そういった関係で、総合研究所などから正社員として働いてほしいという打診は幾度かありましたが、健康上の理由でお断りしています。)
そういえば、わが夫が植草氏に紹介したのは、とある金融機関の社長でした。(私の記憶に間違いがありましたが、私個人は政界や財界の人事にはすこぶる弱いんですよ・・・誰にでも弱点はあります。)誤解なきように・・・。

植草氏が植草氏をほとんど犯罪者と決めつけている大御所ブロガーも他に存在しているのに、そういった大御所を見逃して、グッチーさんの過去記事にだけ噛みついたことへの不信感は一部のブロガーの間でも「植草氏の弱い者いじめか?」と気づき始めています。
この最後の一行はどうでもよいことですが、植草氏の自暴自棄状態、なんとかなりませんか?

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2008年6月13日 (金)

たばこ増税案と消費税増税案(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第85弾です)

 与野党でたばこ税の引き上げを求める動きが活発になっている。今秋には、基礎年金の国庫負担分の増加のため2.3兆円の財源が必要となり、それを消費税増税でまかなおうとする動きがあった。しかし、消費税増税の強行実施は、低迷を続ける内閣支持率を更に下げることになるので難しい。そこで比較的賛成が得られやすいたばこ税の引き上げという案が出てきたのだろう。たばこ税を上げると、喫煙者が減り健康には良いかもしれないし、賛成したくなるのだが、しかし、そこには危険な落とし穴もある。やはり増税は増税だ。

 例えば紙巻きたばこの価格は英国982円、アメリカ(NY)736円、フランス621円だが、日本は270円だから安い。税金を諸外国並にして、大幅値上げすれば、税収が増え、喫煙者も減らすことができるから一石二鳥というわけだ。肺ガンが減り医療費も減らすことができるという。一箱二十本入りなら175円の税金が課せられていて、たばこ税収は年間2.2兆円。これを一箱千円にすれば、売り上げが落ちなければ8兆円程度の税収増になる計算だ。これなら基礎年金の国庫負担分は余裕でカバーできるという計算だ。

 しかし、一箱千円にすると、3分の2の人は喫煙を止めるというアンケート調査の結果を考慮し、税収を再計算すると、実は、税収はほとんど伸びないことになる。また仮に「たばこ1箱1,000円」となった場合、たばこ耕作農家、たばこ販売店をはじめとするたばこ業界および地域経済にも壊滅的な影響をもたらすということを考えれば、むしろ税収は減るかもしれないし、景気には確実に悪影響を及ぼす。

 たばこ税を上げて、喫煙者を減らし、健康促進という考え方には賛成できたとしても、増税は増税であり、デフレの際の増税は国民からお金を取り上げ、国を貧乏にするだけの結果に終わってしまう。増税だけで、デフレ対策を何もしないと最悪の結果になる。

 本日(6月13日)の日経の夕刊にも「温暖化対策コスト」「国民も応分の負担を」とある。つまり環境対策のための増税を政府の地球温暖化問題に関する懇談会が提言している。ここでも同じ間違いを犯している。つまり、デフレ下での増税は経済停滞を招き、税収が減り、経済が縮小し、結局技術開発も遅れ、温暖化対策も遅れてしまう。

 消費税の議論も同様である。欧米の消費税は日本よりはるかに高い。ヨーロッパ諸国は20%前後だ。だから、日本も欧米並に消費税を引き上げて税収を確保したほうがよいという議論がある。しかし、これには根本的な間違いがある。欧米諸国はどこも日本のようにデフレではないし、日本の名目経済成長率はどの国の成長率よりはるかに低く、ほとんど成長していない。これだけの経済の大停滞を招いたのは、デフレが原因だ。つまり国民に経済活動を正常に行うだけの十分なお金が渡されていない。そんな環境で、発展できるわけがない。もしこの最悪の状況で、増税を行えば、更に国民からお金を取り上げることになり、デフレが悪化し、貴重な労働資源も、生産設備も更に無駄にしてしまうことになる。

 他の国では、もっと高い税率だから、日本でもそれを受け入れられるに違いないと主張する人がいる。どんな高い税率であっても、税を引いた後の可処分所得が十分多ければ、経済活動は十分行えるわけで、経済は発展する。もっと正確に言えば、可処分所得の前年比が十分高ければ、経済は発展できるが、高くなければ経済は停滞するだけだ。つまり、税率がどんなに高くても、人は前年より多く収入があれば、必ず前年より多く消費する。生産者から見れば、前年より多く注文が来るわけである。そのときは、人は新しい機械を買ったり、様々な工夫をして、より多くの生産をし、なんとか増えた注文に対応しようとする。これが経済の発展であり、こういった方法でどこの国も、徐々に豊かになっていく。しかし、日本だけは9年連続して平均給与は下がっている。こうなると、人は前年よりも消費を減らしてしまう。生産者側から見ると、前年より少ない注文しか来ないから、新しい機械を買うこともなく、生産を増やす工夫をすることもない。こうしてデフレの時は、国民は徐々に貧乏になっていく。これが、日本が世界の中で、どんどん没落して行っている原因である。

 没落を防ぐには、デフレを止めるしかない。そのためには、国民にもっと多くお金を渡すことだ。収入が徐々に増えるようにすればよい。国が単に最低賃金を上げて強制的に賃上げをすれば、経営が悪化し、リストラが進み、結局平均賃金は下がるだけで、デフレは止まらない。唯一のデフレ脱却法は、バーナンキFRB議長が言うように、お金を刷って国民に渡すことだ。日銀が国債を買い、国が財源を得、それをもとに減税を行うなり、様々な施策に使って、国民にお金が渡るようにすればよい。

 減税以外でも、温暖化対策でもよい、老人医療に使っても良い。病院も介護施設も教育現場も農家も、お金が無くてひどいことになっている。刷ったお金を使えば、どれだけ多くの国民を助けることができるか。それが国を繁栄させる。今回の秋葉原の殺傷事件だって、人の心を荒廃させた派遣制度から生じたものではなかったのか。我々の前の世代の人たちが努力して経済が発展したからこそ、我々の豊かな国が築かれ、我々が受け継ぐことができた。それを我々の政府の間違えた経済政策が、国を荒廃させ、それを次の世代に渡してしまうことに罪悪感を感じないのか。もしそのような罪悪感を感じる人がいたら、是非我々と共に活動をしていただきたい。現政府の国を貧乏にする経済政策から、再び国が発展するように経済政策を転換させる。それが我々の活動の目的である。

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2008年6月12日 (木)

『貞子ちゃんの連れ連れ日記』は小泉・竹中路線の出先ブログか!?

「貞子ちゃんの連れ連れ日記」というブログがある。このブログは最近までまったく知らなかったのだが、5月25日の私の記事『ブログにも見られる印象操作(植草事件の底流に)』に、当該ブログからトラックバックが入っていたので覗いてみた。5月27日付けのその記事『痴漢冤罪について女性の立場から一言。』では、植草さんは冤罪ではないかと思っているということと、植草さんから『知られざる真実ー勾留地にてー』を献本されたと書いてあったので、この人はご家族か知人が植草さんと近しい関係で、支援者のお一人なのかなと単純に思った。そこで私はトラックバックのお礼にその記事にコメントを寄せた。少し気になったのは右側のトラックバックの欄に木村剛氏の名前が散見されたことだったが、私はブログ記事だけを読んでみた。その一部抜粋を下記に示す。

_________________________________________
個人的には、「私は植草教授は冤罪なのではないか」とは思っています。私個人は植草教授には実際にお会いしたことは一度もないですが、私の周りには、植草教授を実際にけっこう知っている人は幾人かいます。
我が家も植草教授から知られざる真実―勾留地にて―
という本を去年の秋に献本いただきました。
それをざざっと読んでも、やはり植草教授は、私個人は「冤罪なのではないか?」と思います。(裁判などを傍聴したわけではないので、これは、あくまでも、私個人の推測の域を出ていませんが、やっぱり植草氏は冤罪だと思ってしまうのです。)
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 これだけ見れば、ブログ主催者である「貞子ちゃん」なる人物については、少なくとも植草さん擁護派の一人ではないかと誰でも思ってしまうだろう。ところが今日、植草さんのブログを読んでみて、当該ブログが書いている内容を見て驚いた。詳細はそのブログを読んでいただきたい。なんと、6月11日の「貞子ちゃんの連れ連れ日記」の記事では、植草さんへの中傷記事と、植草さんのエコノミストとしての存在価値を否定する内容になっているのだ。それに、植草事件の謀略論をまるで、植草さん自身があたかも「率先」してやっているかのような印象操作的な書き込みをしている。植草さんは冤罪は主張しているが、謀略論については「可能性としては否定しない」というごく消極的な姿勢で一貫している。

(藤井氏の記事より抜粋)
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植草教授の身の回りでとんでもない不条理な苛めがあったことは確かなのだ。けれども、今度はその植草教授自身が、それを国家の陰謀論・謀殺論にまで結びつけるのは、いくらなんでも唐突過ぎて無理がある。この「陰謀論」も一種の苛めだ。

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 藤井まり子さん、ここを読んでおられるなら、あなたに言いたいが、植草事件について『謀略論』、『国策捜査論』を京急事件の翌日から、本ブログや『植草事件の真実』、『紙の爆弾』等で堂々と展開し、今もそれを続けているのは、植草さんではなく、「神州の泉」管理人の私、高橋博彦です。批判や攻撃文を書きたければ、謀略論を堂々と披瀝している私、高橋博彦に対してやられたらいかがですか。植草さんが率先して謀略論を吹聴しているかのごとくに、いい加減なことを書かないでいただきたい。

 それに“この「陰謀論」も一種の苛めだ。”と書かれているが、誰に対するいじめなのか?京急事件の被害者へか?逮捕した人物や目撃した人物たちへか?それとも、小泉政権を植草さんがいじめているとでも言いたいのか?はっきりされたらどうか。それに、“謀殺論”とも書いているが、植草さんがいつそんなことを言った?謀殺の危機があると書いたのはすべてこの私である。藤井さん、謀略論について植草さんを攻撃するのは的外れなんですよ。やるなら「神州の泉」をやりなさい。受けて立ちます。

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けれども、あくまで、科学を志す人なら、「それを使ってはおしまいよ~」というのが、陰謀論とか謀殺論である。
判りやすいけど、眉唾なのが陰謀論なのだ。
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 また“謀殺論”を出した。植草さんは言っていない。まあ、これも昔からよく用いられる陰謀論否定の単線的かつ典型的な手法だ。真の謀略を否定する時、画一的な電波的妄想論のように決め付けて強弁するという味も素っ気もないやりかたである。要するに常識のある人は陰謀論を言わないという持って行き方だ。“謀略”と言う言葉がいつのまにか“陰謀”という言葉にすり替わっている。この私でさえ、事件について陰謀という言葉は使った記憶がない。それと、植草さんを“アンチ市場原理主義者”と決め付けているが、これも大間違い。植草さんは基本的には市場原理主義者である。健全な競争を是とする考えだ。しかし、小泉・竹中路線のようにセーフティネットを外してしまうような競争原理には断固として異を唱えるという話である。藤井氏が植草さんの著書をほとんど読んでいないことは明白だ。経済に興味がある人ならその部分を読み落とすはずがない。

  また藤井氏は「植草氏の「弱者保護」は、ここ2年ほど、抽象論ばかりで具体案が皆無だからだ。彼の「弱者保護」は表向きだけである可能性もあるのだ」とか書いているが、これも植草さんの著書を読んだものの感想ではない。よくこんな出まかせを言えるものだ。

 植草さんは戦前からあった内務省と大蔵省のうち、GHQが解体したのは内務省であり、大蔵省はそのまま戦後に継承されてしまい、これが大蔵省主導の官僚利権構造の歴史的な流れを作ってしまったと言っている。彼はこうも言う。GHQが戦後改革において、日本の官僚機構の抜本改革を実施し、その特権的な位置づけを除外していたなら、現在の日本の規制に縛られた経済構造をアメリカが深刻な問題として指摘することはなかっただろう。つまり植草さんは真の意味における『構造改革派』なのである。日本の戦後経済構造は護送船団方式という言葉が出たように、日本固有の村落共同体的特殊性や硬直性をもっていて、それは自らが修正しなければならない局面に至っていたが、小泉政権は財務省主導の官僚利権システムを温存したまま、年次改革要望書に沿って経済構造をネオリベ体制に切り替えたのである。植草さんの言う真の意味での構造改革、規制緩和とは、その主要主体が大蔵省主導官僚支配体制を打破することにある。その理由は、植草さんが庶民に目を向けているエコノミストだからだ。

 1999年に出た植草さんの著書『日本の総決算』、「Ⅵ 平成ニューディール」の中では、彼が失業や企業倒産に言及している箇所がある。

「特に問題は労働者の遊休化、すなわち失業の増大である。企業倒産も戦後最悪の状況を迎えている。経済政策はまず国民の生活の安定が第一の課題である。高成長を求める必要はなくても、われわれ日本人が平和で健康で暮らしていくための基礎的条件を整えることは政府の最重要の役割である。この根源的な政府の役割が充分に認識されていない。失業、倒産の苦しみから人々を救うにはある程度の経済成長が必要なのである」(P221より)

 これを弱者救済の考え方、すなわち経世済民の思想と言わずして何と言うのだろうか。少なくとも今から9年前にも植草さんは失業者や倒産企業に心を砕いていた。植草さんはその言論活動において、随所でこの根本的な姿勢を披瀝しているのだ。「貞子ちゃんの連れ連れ日記」の主催者が植草さんの著書をほとんど読んでいないことは一目瞭然である。植草さんが狙われたのは「万民幸福の原理」思想が根底にあり、これが官僚利権温存派やネオリベ急進派に邪魔だと思われていることと、植草さんが大蔵省(財務省)主導の官僚利権構造の打破を訴えていることにある。この延長線上で、りそな国有化の当事者と言うか、その首魁的存在として、小泉官邸主導勢力が植草さんに立ちはだかったのである。その金融行政の中心には竹中平蔵氏や木村剛氏がいた。貞子ちゃんこと藤井まり子氏が木村剛氏と強い親和性があるように見えることから、彼女が植草氏にとってどういう立場の人であるか、およそ推測がつく。またミルトン・フリードマンを何度も出していることなどを見ても、この人がヘビーな新自由主義信奉者であることがよくわかる。典型的な反ケインズ主義者であり、小泉政権が敷いた構造改革路線の先鋭的な信奉者であろう。

 藤井氏はこういうことも言っている。
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そもそも、彼のブログには将来の「明るい展望」が無い。
過去を振り返ってばかりで、過去の政権のあら捜しばかりしている。
実にエコノミストらしい。自分がしなかったけど、他人が体を張って命がけで実行したことへの「あら捜し」ばかりでなのだ。
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  突っ込みどころ満載である。言っていることがまるっきり逆である。植草さんが身体を張って勇気ある告発をしたのだ。小泉純一郎氏が身体を張った部分があるとすれば、それはアメリカにごり押しされた郵政民営化の解散総選挙であろう。おそらく恫喝されていたのだろうが、文字通り“命がけで”やったかもしれない。しかし、それはけっして植草さんのように国民のためではなかったのだ。無益なあら捜しをしているのは藤井氏である。

 藤井氏という人は、植草氏の冤罪は肯定しているようだが、国家規模の謀略論、すなわち国策捜査論?は異常な強弁で否定している。なぜ、一般のブロガーがそこまで強固に謀略論を否定するのだろうか。動機はなんだろうか?私は藤井氏にも、ぐっちーこと、山口正洋氏と同様な小泉政権が発していた特有のきな臭い香りを嗅ぎ取る。

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2008年6月11日 (水)

バーナンキFRB議長も、日本にお金を刷れと提言(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第84弾です)

 サミュエルソン、スティグリッツ、クライン等、世界を代表する経済学者は異口同音に、デフレ脱却の正攻法として日本にお金を刷れと提言している。その中でも、ベン・バーナンキFRB議長は、デフレ研究の世界第一人者と言われるだけあって、日本に関して詳しく研究しており、日本経済を救う具体的な方法を詳しく述べている。特に、2003年5月31日に日本金融学会で行った講演は、英文は
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~toyohal/JSME/pdf03s/03s100-bernanke.pdf
にある。日本語で読みたい方は筆者に連絡(sono@tek.jp)していただきたい。この論文は日本経済を復活させるための具体的方法を知る上で最も重要な論文と言える。

 彼が最初に提案したのは、インフレ目標でなく、物価水準目標値であった。デフレ脱却というのは、単に通常の2~3%程度のインフレ率を目標とするのでなく、更に高めのインフレ率を目標とすべきというわけです。これは、一時期デフレ脱却したと思われる水準に達したと思っても、そこで安易に引き締めを行うと再びデフレに逆戻りする可能性が高いという過去の経験から来ているものと思われます。日本の場合は更にひどいでしょう。デフレ脱却をする前に、すでに緊縮政策を行っているのですから。

 バーナンキは、日銀に国債を買え(つまりお金を刷れ)と主張しています。そこでよく言われること、つまり「もし日銀が大量に国債を保有するようになれば、キャピタルロス(日銀が大損をする)が発生し、バランスシートが悪化する」という危惧に対しても丁寧に反論しています。

 その説明の前に日銀が大量の国債を買うと、なぜ日銀が大損をするのかということですが、次のようなロジックです。日銀が国債を買い、お金が国民に渡るとします。そうすると景気が良くなり、給料も上がり、国民は物を買えるようになり、企業は商売繁盛で、銀行から融資を受け積極的に投資してもっと儲けようとします。そうなると、デフレの時のような低金利でなく、もっと高金利でもお金を借りる人が増え、金利が上がってきます。そのときは、株もどんどん上がりますから、国債などのような低金利のものは売りが殺到し、値下がりします。日銀は国債をたくさん買い込んだので、その値下がりで大損をするというわけです。

 別に、日銀が損をしても、破綻する訳ではなく、日本国民が豊かになればそれでよいのですが、日銀に損をさせないほうがなんとなく気分がよい。そのためには、国民にお金を渡すべきでなく、国民が貧乏になっても仕方がないという、間違った考えの人が政府や日銀にいます。そういった馬鹿な考えの人に対し、バーナンキは経団連の提案を引用しています。この提案は日銀の保有する国債を変動金利のものに置きかえればよいというものです。つまり、景気が良くなって、金利が上がってきたら、国債の金利も連動して上がるようにすればよいというもの。こうすれば、金利が上がったとき、国債の金利も連動して上がれば、誰も国債から、別な金融商品に乗り換えたりしませんから、国債が下がりません。だから、日銀が大損することもないわけです。別の提案としては、国債と同時に日銀が株を大量に買えば(あるいは投資信託で間接的に株を買えば)株が上がり、日銀は大もうけをするわけで、少々国債で損をしても、十分取り返せます。このように、デフレの際、お金を刷る政策で損をする人は誰もいません。

 バーナンキは、財政と金融が協調すべきだと主張しています。つまり日銀と財務省が共同でデフレに立ち向かえということです。財務省出身者は日銀総裁になるべきでないという主張と正反対です。バーナンキは、国の借金は景気対策のために生じたのでなく、経済成長が遅すぎるために生じたと指摘しています。もしお金を刷って、減税等に使えば、国の債務のGDP比は減ってくるから財政は健全化すると述べています。これは様々なマクロ計量モデルを使ったシミュレーションの結果と一致しています。財政健全化のための最良の方法は、日銀が国債を買うことにより、政府が景気対策を行い、その結果消費が伸び、GDPが増え、税収が増えるというシナリオである。これにより、経済は回復し、遊休資源の再活用が可能となる。

 インフレのときは、お金を刷ることに対しては、日銀はNOというべきだが、デフレのときは、お金を刷ること(バーナンキは通貨創造という言葉を使っている)は全く問題はない。デフレは日本にとってマイナーな問題ではない(つまり重大な問題だ)。日本経済のみならず、世界経済のためにも、早期のデフレ脱却を望みます。

 この講演をしたときは、彼はまだFRBの理事だった。その後、FRB議長になってからは、彼の発言が世界経済に与える影響は余りに大きいので、発言は極めて慎重になっている。しかし、何ら考えを変えたわけではない。彼の考えは
『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』田中秀臣著、講談社 に詳しく書かれている。

 国債を、日銀はもっと買えというバーナンキの主張に対し、障害になっているのが、「日銀が買い取る長期国債の上限を日銀券の流通残高以下に抑える」という日銀の自主規制である。バーナンキはこれを放棄せよと主張している。よく言われるのは、もし国が国債発行により、つまり借金をして、減税をしたなら、国民は将来の増税に備えて、消費でなく、貯蓄をしてしまう。しかし、刷ったお金で減税してくれれば、将来の増税は無いと考え、お金は消費に向かい、景気はよくなる。

 最近、景気後退の可能性が盛んに言われ始めた。それなのに、景気をよくするための政策は全く出てこない。坂を転げ落ちる車でブレーキを踏もうとしない運転手のようだ。乗っている我々乗客はたまったものではない。隣の韓国では、わずか牛肉問題で100万人のデモが話題になっている。日本人も、今こそ立ち上がるべきだ。国会の周りを埋め尽くすデモで、国民に痛みを与える政策から、国を繁栄させ国民を豊かにする政策に転換せよと主張してもよいときだ。

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『後期高齢者医療制度』に怒る!!

 これは小泉内閣がもたらした鬼畜の棄民制度だ!

 このところ、時間が経ってもいっこうに憤りが鎮まらない。「後期高齢者医療制度」の棄民感覚に四六時中怒りが噴出してやまないのだ。このように、寝ても覚めても沸々と湧きあがるこの気分はまったく心身状況(QOL)によくない。私と同じ思いの方々も数多くいることだろう。ご高齢者を強制的に枠で囲い込み、彼らのあり方を一括して処理しようとする、この法案の成立根拠とはいったい何であろうか。また、そこに内在するこの法案の思想性とは、はたしてどういうものだろうか。今から、これを考えた者たちの意識の深層を探ってみたい。実は「神州の泉」の読者さんたちなら、もうすでに気が付いていると思うが、この法令には憲政史上、最凶最悪の鬼っ子として登場した小泉政権の本質がよく出ているのだ。

 ようするに、これは大多数の国民を隷属化させ、そこから労働力と富を搾取する体制作りがもたらた悪しき政策の一つなのだ。つまり、これはネオリベ制度が生み出してくる当然の社会的帰結であり、イギリスの産業革命以来、資本主義の剥き出しの暴力性が顕在化していることの一つの現象である。一言で言うなら弱肉強食の資本論理だけが、何の歯止めもないままに、平和に暮らそうとする国民に対し、暴虐の牙を向けてきたのだ。ネオリベの本質は弱肉強食であり、社会の価値観が市場の資本論理だけに異常に収斂され、他の文化的精神的価値観が低位に置かれてしまう粗暴な社会である。ここでは伝統も文化も非効率で余計な物として淘汰され、粗暴な力や金銭のみがすべてを決定するかのような風潮が出ている。

 筆者はこういう世界を“福祉国家”とは対極に位置する“夜警国家”と呼ぶ。この夜警国家とは19世紀ドイツの社会学者フェルデナンド・ラッサールが、『労働者綱領』の中で編み出した言葉だ。これは小泉信三全集・第24巻に収録されている。夜警といえば、レンブラントの有名な“夜警”の絵を思い浮かべる方もいると思う。夜警国家とは文字通り、夜警化した国家であり、国家の存在理由が、夜盗や外国の侵略に対して警備する力を持つだけでいいという意味である。ラッサール自身はこれを、近代自由主義国家の成れの果てという皮肉をこめた意味で使っているが、筆者はこの夜警国家に小泉構造改革路線が行なった国造りを見る。小泉政権が激変的に敷いたネオリベ体制は、その遷移の行き着く先として、現代的な意味における夜警国家に向かっている。福祉政策はずたずたに破壊され、逆累進課税的に弱いものへ重税を課す傾向に極端に傾斜している今の日本は、国家という有機的な基本概念が崩れ去る手前にある。

「後期高齢者医療制度」、これは完全なる棄民政策であり、国家が国民を守らないという鮮明な意思表示となっているのだ。それどころか、積極的に国民を投げ捨てるとしか思えない姿勢を堂々と示しているのがこの法律に見えてくる。国家が国民を保護しないということは、国家が無機的に空洞化してきている証左なのだ。つまり後期高齢者医療制度が発案され、法律として具体化された時点で日本は夜警国家に成り下ったと言えるだろう。ここでは、ラッサールの使った夜警と言う意味が敷衍されていて、警護の対象が国民ではなく、日本にネオリベを敷設した特権階級だけを守るための夜警なのである。つまり、弱者も、障害者も、高齢者も、無用の長物として無残に切り捨ててしまう社会が実現しようとしている。この体制作りを加速するために、言論の自由が奪われてきているという現実が進行している。清和会を中心とした自民党買弁勢力は、人間の皮を被った鬼畜集団である。

 植草さんがセーフティネットを確立し、弱者を救済する社会システムを構築することを折に触れて熱弁するのは、単にヒューマニズムの観点だけからではないと思う。弱肉強食を自然状態で放置すれば、民心に希望が失せ、格差が強固に固定し、社会は極限的に不安定になる。暴動が発生し、凶悪犯罪が頻発しても不思議ではない社会が到来する。この状況は国力という大きな枠組みで眺めた場合、最悪である。外国に攻められて国が破綻することとは違い、内部から国力が脆弱化し、やがては崩壊することになる。つまりは国家概念の完全なる溶解である。こうなった場合、日本という国家は存在せず、極東の弓なり列島という土地があるだけである。国家が消滅するわけだから、外国の蹂躙し放題になる。ネオリベ主義者達は自分達に累が及ばなければ、外国が入ってきてもどうでもいいだろう。

 筆者が日本のネオリベ体制化に非常な危惧を抱くのは、それが国家崩壊に繋がるからである。国民はいまだに無自覚だが、小泉・竹中構造改革路線は、市場原理至上主義だけを特化して日本をネオリベ体制に切り替えた。これが向かう先は夜警国家、すなわち国家の崩壊なのである。竹中平蔵氏などの思想的基盤は、市場中心主義である。国家の影響を限りなく除外してすべてを市場の“神の見えざる手”に任せておけば万事上手く行くということである。しかし、市場に神は存在しない。そこにいるのは略奪志向だけの国際金融資本である。為政者と国民に、民族自立の精神と正統な国家観が甦らないと、日本の夜警国家路線は止まらないだろう。このままだと、子孫に美田を残す前に、国際金融資本の“見えざる手”によって、わが国の優良資産はことごとく吸い尽くされ、同時に固有の文明は溶解してしまうだろう。

  さて、後期高齢者医療制度については植草一秀さんが、バランスの取れた非常に整理された視点で問題の所在を浮き彫りにしているので、是非ともご覧になっていただきたい。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_e256.html

 植草さんが言うように、後期高齢者医療制度は、小泉政権の「弱者切り捨て・弱肉強食礼賛・市場原理主義」政策の一環として制定された制度である。これはまったく本質を言い当てている。筆者はこの非人間的な制度をこう考える。人間の一生を存在論的に眺めると、生まれて成長し、青年期から壮年期にいたり、やがては年老いて死を迎える道程を踏む。ある時間範囲で眺めれば、人間個々には、生老病死という存在様態が不可分に付きまとう。単純に考えて、老いたから人間の自己同一性を失うわけでもなく、障害者になったから自己同一性を失うこともない。人間として存在した場合、生老病死は不可避であり、老いても息を引き取るまでは若者と等しい人間なのである。これを、病気に罹患しやすい生存様態に突入したから、その“老人様態”に自己責任を負えと言うのは、鬼畜の発想に他ならない。現役世代がお年寄りの面倒を見なくなったら、文明社会は秩序を保てずに崩壊するだろう。今の日本はそれが現実になってきているのだ。

 人間の生涯というスパンを眺めれば、後期高齢者だけを別枠の社会制度にくくりこむという発想がいかに馬鹿げたものか、おわかりだろう。保険の成立概念は相互扶助、相互互恵観念が基層にある。加入者すべてが等分にリスクを背負うから“保険”なのである。これを切り分けた場合、それは保険にはならないだろう。あと、日本には敬神崇祖の伝統がある。近しい先祖であるお年寄りを大事にしない社会は、日本人の自己同一性を捨てる行為に等しいのだ。これでいかにこの制度が非情で、人間の尊厳を無視したものかわかると思う。これを制定した鬼畜の自民党に、生き延びる資格はまったくないのだ。

 筆者が後期高齢者医療制度に対し、深奥から怒りがこみ上げているのは、小泉政権が人間存在を冒涜していると感じているからにほかならない。あれは長幼の序もないし、お年寄りへの感謝の気持ちも微塵もない。何度も言うが鬼畜政権と呼ぶ以外にない。

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2008年6月10日 (火)

IMFの管理下にはないけれど・・・、(いかりや爆さんの寄稿)

IMFの管理下にはないけれど・・・、

 IMFの管理下にはないけれど、日本経済はアメリカの思惑通りに動いている。軍事だけでなく、経済も実質的にアメリカの支配下にあるのと違いますか。
 白人たちの根源的思想は、表向きは「民主主義、自由と人権」ですが、「金と暴力」でしょう?

 何らかの圧力がない限り、また戦争などのような非常事態でもない限り、過去11年間も経済成長ゼロってことはあり得ない。

「超低金利と量的緩和」という強力な景気刺激策を採りながら、且つ前代未聞の500兆円という借金を膨らませて財政出動している。本来なら大きなインフレが生じても不思議ではない。ところが現実には、逆に日本経済の萎縮(デフレ)を生じさせた。

 前回述べたごとく、バブルを発生させ、バブルを潰し、景気悪化を誘導し、国の借金を膨らませ、そのあげくもっともらしい屁理屈(不良債権)をでっちあげて超低金利政策を10年以上も続けてきた。さらに景気刺激策と称して量的緩和政策まで打ち出した。日本の「超低金利と量的緩和」によって溢れた金は実体経済には流れず、世界に投機マネーとして流れ、金満家を太らせ、金融機関やヘッジファンド(通貨マフィア)らの餌食に利用された。経済成長なくして、日本人の金融資産だけが280兆円も膨らむはずがない。
 彼らの懐に入った金は、国家のTax(税金)の対象にもならず、坊主丸儲け状態である。このような馬鹿げたことが、何らの意図せずして起こり得るはずがない。アメリカの筋書き通りじゃないですか。

 骨太の方針、「努力した者が報われる社会を創る」と国民に甘い幻想をふりまきながら、その陰でアクセル(噴射)とブレーキ(逆噴射)を同時に踏むという怪しげな政策を採った。
 アメリカ発のグローバリゼーションと市場原理主義という効率一辺倒(儲け主義)の行き着く先は、企業のリストラと低賃金化を招き、1700万人を超す非正規労働者を発生させ、ワーキングプアーという働いても働いても豊かになれない人たちを大量生産した。アメリカの日本経済弱体化政策の賜物?とちがいますか。

 前回最後のほうで、「グローバリゼーションでは幸せはやってこない、いや日本はグローバリゼーションの最大の犠牲者である。日本人の多くはそれさえも認識できていない。欧米諸国の指導者たちはそれを知っているからこそ、日本を冷ややかに見つめている。」と記述した。

 ひょっとして、「日本の超低金利と量的緩和策」による美味しい果実は、『市場原理主義を信奉する世界の指導者?たちにも分け前の恩恵を与えた?来月の洞爺湖サミットは、さぞかし優雅な・・・』というのは悪い冗談だろうか。

 いつまでこのような不条理が放置され続けるのだろうか。アメリカだけを非難してもつまらない、アメリカの要望に唯々諾々として従う愚か、且つ売国的な政治家や政策責任者たちがいることを国民が知る必要がある。

蛇足1:特に地方財政の借金は深刻である。国からの財政支援がない限り、決して立ち直ることはあり得ない。日本全国が夕張市や大阪府のようになる恐れがある。自公政治家は財源がないと繰り返し、消費税アップの必要性を説くが、金満家たちが不当?に手にした280兆円を取り返すつもりは微塵もないらしい。
 
蛇足2:食料自給率40%を切っている。農水省が10年来自給率アップを目指して努力?しているが、その成果はでていない。そして今後さらに10年もこの状態が続けば、日本という国家基盤を支えている中小企業そのものが弱体化が進み、健康保健制度が崩壊、医療破壊が進み、年金制度の崩壊現象も現実のものとなるだろう。

蛇足3:自民党の「外国人材交流推進議員連盟」(会長=中川秀直)がまとめた日本の移民政策に関する提言案が7日、明らかになった。
人口減少社会において国力を伸ばすには、移民を大幅に受け入れる必要があるとし、「日本の総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を今後50年間で目指す」という。

 日本人労働者不足を安価な外国人で補うやりかた(無論彼はそういう表現はしていないが)は、アメリカそっくりな社会が実現する。日本人労働者の賃金低下を招き日本経済の活性化にもならない。少子化対策なら、日本人の収入を増やして安心して子育てできる社会の実現をめざすべきである。また労働力不足なら、70歳あるいはそれ以上まで働ける人は働く社会にすればすればいい、それだけで年金や健保問題にプラスするはずである。中川氏のやり方は信用できない。

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2008年6月 9日 (月)

昭和61年度に発行された政府貨幣(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第83弾です)

 昭和61年度末(1986年度末)の公債残高は143兆円に達していて、厳しい財政状態にあるとし、少しでも国債発行額を減らすという目的で政府貨幣が発行された。ちなみに、現在は国債発行残高は550兆円程度であり、国の借金ははるかに多くなった。当時は天皇陛下在位60周年記念という名目で、十万円の政府貨幣を1100万枚発行することにより、7526万円の財源を得た。このときは「天皇陛下ご即位記念のための十万円の貨幣の発行に関する法律」というものが制定された。

 もしも今、同様な法律を制定すれば、税とは別の財源として使えるのだろうか。例えば、洞爺湖サミット記念硬貨を発行したとする。硬貨をつくる経費以上に硬貨の価値を認めてもらって、それが十分売れれば、それだけ国庫にお金が入ってくる。しかし、これは景気対策としては余り意味がなさそうだ。なぜなら、これで何兆円、何十兆円の収益を挙げるのは無理だし、第一、この方法では、硬貨を国民に売る替わりにお金を国民から政府が受け取るわけで、お金が国民から政府に流れる点では、税金と似たところがある。

 国民に渡っているお金が少なすぎると、デフレになり、デフレ脱却を可能にする唯一の方法は、国民に痛みを与えるのでなく、国民にお金を渡すことだ。政府貨幣として記念硬貨を発行するのでは、逆にお金を国民から取り上げることになりそうだ。記念硬貨ではなく、高額紙幣(例えば百万円札とか、一億円札とか)を政府が発行し、それが日銀に渡し、日銀の金庫に入ったときに、国庫にそれと同額のお金が振り込まれるような制度にすれば、もちろん、景気対策が可能となり、政府は歳出拡大や減税などの方法で、そのお金を国民に渡すことができる。残念ながら、現在は、政府貨幣が日銀の金庫に入っただけでは、国庫にその金額が振り込まれるような制度にはなっていない。スティグリッツは制度を変えるとよいと言ったが、誰もそれを検討していない。

 最近は霞ヶ関埋蔵金の話が出てくる。埋蔵金を使えば、新規国債発行額を減らすことができたり、国債の償還に使うことにより国の借金を減らすことができる。一見よさそうに見えるが、これも要注意だ。埋蔵金は国債とか、株とかの金融商品で運用されている。巨額だから、それが一度に売り出されると、株や国債が値下がりしてしまう。埋蔵金は国が所有しているのだから、それを現金化すると、お金は国民から国に渡り、デフレに悪影響を与える。もし、売る相手が日銀であれば、その悪影響はなく、そこで入手した現金を国民のために使うのであれば、確実にデフレ脱却の方向に向かう。是非、その可能性を国に検討してもらいたい。

 ここまで話せばお分かりと思うが、単純に国の借金を減らすと、実質的には、お金を国民から取り上げ、デフレを悪化させてしまう。何も、国の借金は減らさなくてもよいと言っているのではない。減らし方が問題なのだ。国の経済を貧乏にしてしまったら、絶対に国の借金は減らないのだということを、しっかりと認識しておかねばならない。どこの国でも国の借金はどんどん増えている。しかし、GDPも増えているために、借金のGDP比は変わらない。日本だけはGDPが全くと言って増えないほど経済が停滞している。そういうときは、借金だけが増えてしまう結果になる。

 現在の日本は、名目GDPはほとんど増えなくなったし、当然給料も増えない。こんな国は世界中どこにもない。国の中を出回るお金が増えてこない。市中を出回る通貨量を示すのにマネーサプライ(通貨供給量)というものが使われている。これは出回っている現金や預金の総額である。これには郵貯は入っていなかったが、郵政民営化を受け、今度、郵貯も含めた「マネーストック」というものに変わるのだが、それはともかくとして、マネーサプライは過去どのように増加してきたかを下のグラフで示す。

Photo

 景気が良かった70年代、80年代はマネーサプライは10%ずつ前後増加していたが、デフレになってからは、増加率は0~5%である。小渕内閣の景気対策が行われたときは、伸び率が5%近くなったが、それ以外は伸び率は低調であった。景気対策でお金を刷って国民に渡し続けていれば、経済は正常化し、国民が豊かになり、その結果財政も豊かになれたのだが、小泉氏はそれを理解しなかった。

 デフレになる前には、景気対策などせずに、公定歩合の上げ下げで景気の調整はできた。これだけのマネーサプライの増加があったのは、大量のお金をどこかで刷っていたのである。それは、地価や株など資産インフレが誘因となっている。増えた資産価値を担保に企業は前年より多くのお金を借りることができたし、そのお金で企業を大きくし賃金も上げることができた。それが消費を伸ばし、さらに企業が利益を伸ばした。将来の不動産価格の値上がりを見込んで、より多くのお金を借りてマイホームを手に入れることができた。金を借りても、それを金庫にしまっておくのではなく、銀行に預けておくわけで、銀行は預かった金をどんどん貸し出しに回した。つまりぐるぐるお金が回っているわけで、このようにしてお金が膨れあがっている。その意味で、当時お金を刷っていたのは実質的には銀行ということになる。経済が拡大しているときは、このように銀行がお金をどんどん「刷れる」わけである。

 現在、経済拡大はピタリと止まった。止まっているのは日本だけだ。他の国のように、経済を成長軌道に戻すためには、一時的に国がお金を刷って国民に渡す必要がある。一度経済が拡大を始めれば、銀行がお金を刷り始めるので、国は刷るのを止めて良い。名目GDP成長率が6%を超える水準に達したら、銀行がお金を刷りすぎているということだから、要注意である。但し、成長が早まると、賃金が上がり、高所得者が激増し、累進課税だから、税収が飛躍的に伸びる。それは実質的には増税になっていて、自然にブレーキが掛かるし、そのとき大量のお金が国民から国に流れる仕組みになっている。経済成長が財政の急激な改善をもたらすことは、様々な人によってシミュレーションで示されている。

 未経験な政策だから政治家も勇気が要るのだろう。しかし、一時的にお金を刷って(日銀による買いオペ)国民にお金を十分渡せば、自立的な経済の成長が始まる。それは衰退する日本を、再び成長する日本に変えてくれる。

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『植草事件』を惹起した巨大な闇(3)

  京急偽装事件の契機になったと思われる植草氏によるネット言論

 小泉・竹中構造改革、あるいはその継承路線に内在する真の本質構造は『買弁』である。植草氏は小泉政権初期から、その性格を見抜いていた。平成15年(2003年)5月9日には、全国木材産業政治連盟が主催した講演会において、次のような小泉政権批判を行なっていたことでよくわかる。

 「一般的には改革派と抵抗勢力に分けられるが、中身をみると「亡国派と救国派」勢力という表現の方が正しいような気がする。我々が日本の国益を守る。国益とは日本の物は日本人が持つ。これが民族自決であり、日本の資産を全部外国の人が持つ状態を植民地という状態で、それは避けるべきである。」(12、「国益を損なう政策に厳重な警戒が必要」より)
http://www.zenmoku.jp/moku_kankei/keiei/uekusa_lec/11.html#12

 「知られざる真実ー勾留地にてー」を参照すると、この講演から11日前の4月28日には日経平均株価は7607円に下落していた。また、この講演のわずか8日後の5月17日に、植草氏は大阪にいた。桂文珍氏が司会する読売テレビの報道番組「ウェークアップ」に出演するためだった。日経新聞の朝刊は「りそな銀行実質国有化」を伝えていた。「りそな銀行実質国有化」報道は、2001年4月の小泉政権発足当時から植草氏が“警告してきた”「金融恐慌リスク」が現実化したことを意味していた。大銀行が破綻すれば他の企業に余波が及び金融恐慌を引き起こす。植草氏は小泉政権発足時から、この政権が主張する政策を敢行し続ければ日本経済は最悪の状況に陥ると指摘し続けてきた。国全体が当時の小泉政権を熱狂的に支持していた時に、植草氏は政権の反国益性を見抜いていた。当時の有識者の中では彼は明らかに突出した異端児的存在だった。

 「退出させるべき企業は市場から退出させる」と、徹底した自己責任原則をぶち上げていた小泉内閣は、その予想される単線的な処理方策、つまり悪しき企業の市場退散をせずに、何と預金保険法の抜け穴条項を使い、りそな銀行を救済した。(この経緯については彼の著書を読んでもらいたい)この行為は小泉政権の存立基盤を自己否定するものだった。ところが当時は民主党もマスコミもそのことはいっさい追及しなかったし、今もしていない。それどころか当時、マスコミは、小泉政権が金融問題を見事に解決して日本経済の再生に成功したかのような報道を行なった。植草氏はこれを、日本が偽装の魔術に閉じ込められた瞬間だったと言っている。いわば金融モラルをぶち壊す行為を、非常に適正な処理であったかのように糊塗・偽装したという話である。この話にはまだ重大な本質(うら)がある。植草氏はこの一連のりそな銀行救済処置に巨大な胡散臭さを嗅ぎ付け、そこには金融操作によるインサイダー取引があったのではないかという強い疑念を抱いた。

 植草氏が京急事件で逮捕されたのが2006年9月13日である。これを読んでいる方々には是非確認して欲しいことがある。植草氏が宮崎学氏が主催するネット「直言」で、りそなインサイダー疑惑の闇を最後にダイレクトに指摘していたのが、何と、逮捕7日前の9月6日なのである。その6日の記事、「第12回『失われた5年-小泉政権・負の総決算(6)』」ではこう書いてある。

 『小泉政権が2003年に金融処理における「自己責任原則」を放棄して税金による銀行救済に踏み切ったのは、米国の指導によった可能性が高い。米国の政権につながる金融勢力は、日本政府が金融恐慌をあおり、株価暴落を誘導しながら最終局面で銀行救済に踏み切ることを指導し、日本の優良資産を破格の値段で大量取得することに成功したものと思われる』

 当時の政権が、メディアを使ってこのような疑獄的な金融犯罪を行い、国民に対しては洗脳的偽装手法でごまかしていたとすれば、この本質をまともに見抜いた植草氏を、買弁勢力筋ははたして放擲して置くだろうか。よく考えていただきたい。植草氏がネットで上の記述を行なってから、わずか一週間後に京急事件は起きたのだ。これが偶然だと言えるだろうか。買弁勢力筋はかなり以前から植草氏の言動に神経を尖らせてきたが、りそなインサイダー疑惑に植草氏が言及するに及んで、ついに抑制がはずれ、植草氏をかねてから計画していた偽装犯罪に巻き込んだのではないだろうか。筆者は植草氏の京急偽装事件が始動した直接の契機は上の「第12回『失われた5年-小泉政権・負の総決算(6)』」ではないかと考えている。この記述は一般人のブロガーが、その場の思い込みで書きなぐったものとはわけが違うのだ。経済政策に精通するプロのエコノミストが書いたものなのだ。いかにネットといえども、その影響力は圧倒的である。植草氏は明らかに言論表現を封じられている。
                                          
 前回でも書いたが、植草氏は2001年の段階で痛烈に小泉政権批判を繰り返していた。2001年12月26日の夕刊フジに載った「『小沢一郎&植草一秀』ビック対談」で、小沢一郎氏は植草氏に対して、無意識に植草氏の未来を予見したような話を振っている。

小沢 僕らは少数派だけど、賛否を別にして明確に自分たちの主張を打ち出す政治集団があるということが大事だと思う。いまは自民党も他の政党も主張が何だか分からない。誤解されることがあっても、合理的な政治判断を下していくべき。植草さんも政府ににらまれているかもしれないけど(笑)、きちっと意見をおっしゃってるでしょ、それが大事なんだ。誰の前でも自分の考えた結論をきちっと言うことが、健全な社会のために必要なんだよ。

  小沢一郎という、これも傑出した政治家の第六感は、植草氏が時の政府に睨まれていることをこの時点で見抜いていた。小沢一郎と言えば、現在の自民党は、メディアの印象操作を使って、毎日のように小沢氏のイメージダウンを計っている。植草氏がブログで語ったように、自民党は小沢一郎氏をそうとうに恐れている。そのために小沢氏のイメージを落とすことに躍起となっている。

(つづく)

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2008年6月 8日 (日)

城内実さんと植草一秀さんに大いに期待する

  植草一秀さんと城内実さんは、エコノミストと政治家という立場の違いはあるが、彼らが怒りを持って立ち向かった『相手』はまったく同じである。それは憲政史上、最も国民と国益を毀損した政権、小泉官邸主導政権であった。城内さんは小泉純一郎氏と竹中平蔵氏のタッグで強制的に運ばれた売国法案・郵政民営化に真っ向から咬みついた。一方、植草さんは小泉施政のマクロ政策の誤りを痛烈に批判し、りそな銀行にまつわる金融操作の疑惑をストレートに指弾した。植草、城内両者に共通するキーパーソンは竹中平蔵氏であった。

 それはともかく、植草さんは迷惑防止条例違反が利用された偽装事件で、二回も逮捕され、不当な捜査と裁判で徹底的に名誉を剥奪されている。城内さんは、小泉政権の方針に異を唱えたために、自民党を追放され、静岡の選挙区では売国小泉チルドレン軍団の筆頭である片山さつき女史という刺客を差し向けられている。両者は、国民のために信念を貫いて、同じ政権筋から同じ悪意を浴びている。対峙した相手が同じなら、受難の原因も同じである。このご両者は政治や国民生活がどうあるべきかという考え方において、その基本理念や感性的とらえ方が非常によく似ている。たとえば植草さんも、城内さんも、関岡英之さんの『奪われる日本』を重く評価しているところや、買弁政策に熾烈な怒りを示していることなどである。

 城内実さんは2005年6月7日、「郵政民営化に関する特別委員会-9号」において、当時の竹中平蔵大臣に対して、外資による敵対的買収への防衛策について質問している。これに対して竹中大臣はのらりくらりとごまかし答弁をしている。ここで城内さんが買弁自民党清和会に決定的に睨まれてしまった質問をしている。それを紹介しよう。彼は竹中大臣にこのように訊ねたのだ。

 『そこで、質問ですけれども、郵政民営化準備室が発足したのが昨年の四月ですから、この昨年の四月から約一年間、現在に至るまで、郵政民営化準備室に対する、米国の官民関係者との間で郵政民営化問題についての会談、協議ないし申し入れ等、こういったものが何回程度行われたのか、教えていただきたいと思います。』

 これに対して竹中国務大臣は『昨年の四月二十六日から現在まで、郵政民営化準備室がアメリカの政府、民間関係者と十七回面談を行っているということでございます』と答えざるを得なかった。

 城内さんは、売国郵政民営化推進派の筆頭からじつに重要で決定的な言質を引き出しているのだ。これ一つでも、城内実という人物が、国益や国民の万民益を志向している本物の政治家であることは疑いようがないことだ。つまり、アメリカの飼い犬になって、年次改革要望書の実行を先頭に立って推進してきた竹中平蔵氏の最も触れられたくない部分を城内さんは見事にえぐりだしたのだ。じつは城内さんのこの功績は、植草さんが『りそなインサイダー疑惑』の基本構造に気が付き、それを果敢に指弾し、当時の関係者を調べろと言ったことに匹敵するのだ。竹中平蔵氏は郵政民営化準備室をスタートさせた2004年の4月から2005年の同時期までの約一年間、アメリカの官民関係者と郵政民営化に関して協議、ないし会談をしていた事実が城内さんによって"スッパ抜かれた"のだ。竹中氏が会っていた米国の官民関係者の正体は、日本に『年次改革要望書』を陰険にもたらした者達の一味であることは明らかだ。私は彼らが米国通商代表部(USTR)だったと思っている。密談の実態は、協議とか会談ではなく、郵政民営化の進捗状態について細かにテコ入れしたことと、竹中氏に対する強圧的な指令だった可能性がある。

 植草さんのりそなインサイダー疑惑指弾も、城内さんの郵政民営化指弾も、憲政史上、あるいは経済批評史上、まさに最大級の快挙であることは間違いないが、大手マスメディアは権力筋の飼い犬的存在に成り下がっているから、植草さんや城内さんの歴史的指弾を国民に知らせることはなかった。それどころか、植草さんに関して言うならば、メディアはその報道能力を目一杯動員して、彼の国策捜査の片棒を担いだのである。城内さんは最近、静岡新聞の陰険な報道操作にやられているのだ。このご両者はあきらかにいまだに小泉政権官邸主導勢力に睨まれている。もう少し植草さんのことを言っておこう。

 2006年9月13日、メディアが欣喜雀躍して飛びつき、大きく報じた事件があった。それはエコノミストの植草一秀さんが、京急電車内で女子高生に痴漢を働き、逮捕されたというニュースであった。私、神州の泉はメディアが一斉に流したこのニュース群を聞いたとき、大きな違和感を感じていた。それは被害者と称する女子高生も、逮捕したという二人の一般人の情報がまったくないことだった。どのニュースを見ても、植草さんが女子高生に触れたということと、2004年の品川手鏡事件を抱き併せて報道していたのだ。ここにはなぜか植草さん側の弁明が徹底的に不自然に省かれていた。私はセンセーショナルではあるが、内容的には奇妙に画一的で偏頗な報道に対し、強い不信感を抱かざるを得なかった。

 そこで、このニュースの続報を注視していたのだが、事件の真の構造を知りうる新たな追加情報はほとんど出てこなかった。出てくるものは事件の具体的な詳細ではなく、植草さんの性癖を面白おかしくあげつらうようなものばかりだった。高名なエコノミストが痴漢をやったという表面的な話題性のみが目立ち、一向に女子高生の素性も逮捕者の様相も知ることはできなかった。品川手鏡事件との関連性が取り沙汰されることはあっても、それ以前に、京急電車内で発生した事件については、事実としてどのようなことがあったのかを、少なくとも植草さん側の言い分もきちんと並列した上で報道しなければ、著しくバランスを欠いた報道になると思った。あの事件に関する初期報道は、ニュースの客観性に問題があり、メディア各社は、警察の出した一次情報だけを鵜呑みにした報道ばかりであった。

 私の見解だが、植草さんは、小泉政権を鋭く弾劾したために、米系国際金融資本の飼い犬的存在に成り下がった構造改革急進派に睨まれ、買弁勢力に国策捜査の罠を仕掛けられた可能性が決定的に高い。品川事件と京急事件、これらは二つとも官憲の介入した謀略的な偽装事件の疑いがすこぶる濃厚である。事件の詳細は植草さんの近著である『知られざる真実-勾留地にて-』に詳しい。事件そのものが政治的背景を持った国策捜査であった可能性は私のブログで何度も指摘しているので、興味があったら読んでいただきたいと思う。

 さて、私が言いたいのは、植草さんの経世済民感覚と、城内さんの持つ『万民幸福の原理』の基本心情が同じであるという話である。彼らは心情的な部分でよく似ているのである。二人とも自己の名声利得よりも、国民の幸福を希求し、その観点から折れない批判精神を貫いたために、外国資本の走狗となった買弁的構造改革派に睨まれたのである。今の日本は耳ざわりのよいリフォーム(構造改革)という名目の破壊作業によって満身創痍、とことん傷ついてしまったのだ。この疲弊を修復するには、城内さんと植草さんが力を出し合って、この日本を復興させることが必要だと思う。人間には目標が必要なように、国家にもグランドデザインが必要だ。彼らなら見事な国政デザインが必ず描ける。それが私の夢であり、強い願いである。政治には長幼の序という側面も重要であり、日本国の宰相に相応しい政治家は平沼赳夫さんや西村真悟さんなど、舵取りしてもらいたい政治家はあまたいると思うが、ここまで激しく傷つき、青息吐息の日本は思い切って、若い城内実さんを日本国総理大臣にしたらどうだろうか。今という時局は、経験値よりも志(こころざし)の高さこそが必要だ。そして、植草一秀さんを財務大臣兼金融大臣に登用し、財務省(旧大蔵省)主導の官僚利権構造を是正してもらい、彼の経世済民感覚による正しい金融財政政策を実行してもらうというのが私の強い願いでもある。この日本は若くて誠実な彼らの力を借りないと甦らないだろう。


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2008年6月 7日 (土)

『日本がIMFの管理下に』という発言には驚くばかり(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第82弾です)

 前回も書いたが、日本がIMFの管理下に置かれるかもしれないという発言には、本当に驚かされる。しかもそれが、竹中、塩川、柳澤という当時大臣であった方々が予算委員会で発言されたということは、私には余りにも衝撃的な事実であった。これら3氏が本当にそのようなことを考えていたとすれば、この3氏は経済に関しては余りにも経済音痴と言うべきである。しかし、私はこれが『しゃみせん』(相手をまどわすためにとる言動)ではないかと思えてくるのである。それどころか、ネバダ・レポートなるものが、そもそも財務省か竹中氏かの陰謀ではないかとさえ思えてくる。

 予算委員会の発言をみて分かるように、(以下のサイト参照)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815420020214010.htm

 日本がIMFの管理下に置かれるかもしれないということを竹中、塩川、柳澤の3大臣は否定していない。皆さんは本当にそのような可能性があることを、この3氏が考えていたと思いますか。IMFとは世界の金持ちの国が、外国からの借金が出来なくなった国に対し、お金を出し合って基金をつくり、融通してやる替わりに、その基金の管理下に置いて支配しようというもの。いわば倒産をした会社を再生させようとするようなものでしょう。日本はアメリカに次いで多くのお金を拠出している世界第2位の大金持ちの国。その大金持ちの国がIMFから金を借りて事実上の破産をし、IMFの管理下になるのですか。そんな馬鹿なことを、この3大臣が考えていたと思いますか。それとも日本が外貨を多く持っていることを知らなかったのでしょうか!?

 問題のネバダ・レポートだが、これはアメリカのIMFに近い筋の専門家がまとめているものなのだそうだ。しかし、本当にアメリカのIMFに近い専門家がそんなことを言うのだろうか。IMFから日本が金を借りてIMFの管理下に入り、「公務員の総数、給料は三〇%以上カット、及びボーナスは例外なくすべてカット。二、公務員の退職金は一切認めない、一〇〇%カット。年金は一律三〇%カット。国債の利払いは五年から十年間停止。消費税を二〇%に引き上げる。課税最低限を引き下げ、年収百万円以上から徴税を行う。資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の五%を課税。債券、社債については五から一五%の課税。それから、預金については一律ペイオフを実施し、第二段階として、預金を三〇%から四〇%カットする。」のだそうだ。

 これだけの超緊縮政策を取れば、もちろん、日本経済は大恐慌に陥り、アメリカからの輸入は激減するでしょうし、アメリカの貿易収支の赤字は一気に拡大するでしょう。アメリカは、日本にもっとアメリカ製品を買ってもらいたくて、再三景気を刺激して内需を拡大せよと要求を突きつけています。このレポートは、それと正反対の要求をし、しかも、貧乏な国のための基金であるIMFの基金から日本が金を借りなさいと言っている。そんな馬鹿なことをアメリカの専門家が要求するわけがない。アメリカがもっとIMFに金を出して、それを日本が借りるなんてことが考えられるだろうか。そんなことするくらいなら、日本がアメリカに貸している金を返してもらったほうがよほどましだ。それだけで、IMFが貸すことができる資金の10倍以上ある。それだけでなく、日本の毎年の所得収支(つまり利子や配当で外国から稼いでいる金)だけで、IMFの貸出可能額よりはるかに多いし、貿易黒字だって巨額である。日本にIMFから金を借りさせろという発想はアメリカの金融専門家から出てくることはあり得ない。

 では、誰があのレポートを書いたのか。ここからは、私の想像だが、これは日本の財務省か、竹中氏自身かによる陰謀ではないかと思う。つまり、彼らは日本国民を騙して、増税や歳出削減をやらせたい。だから再三、財政が厳しいなどと言い続けている。できれば財政破綻するぞと脅して、国民から金を巻き上げたいところだが、それをやれば、国債も危ないということになる。だから、外国からの圧力がかかったことにしたい。このレポートを、「アメリカのIMFに近い筋の専門家」から出たことにしてくれれば、日本がIMFにもっと金を出してやってもよいという交換条件提示した。金の力で何でもできるからこのような提案も十分考えられる。もっと直接的に、レポートを出してくれた関係者に多額の金が渡った可能性もある。実際、彼らは金の力で小野盛司の口封じにも圧力をかけ始めている。

 自分で書いておいて、それを素知らぬ顔で、予算委員会で答弁をする。典型的なしゃみせんだ。日本がIMFから金を借りるなどあり得ないと本当は思っていても、馬鹿な国民ならこの程度のレポートで騙すことができると思っている。実際、あのレポートで騙された人たちが、多くのサイトで国家破産について話し合っている。共通に言えることは、この程度の嘘に騙された哀れな人たちは、外国からの借金と日本国内で消化されている国債発行との区別がついていないことだ。外国からの借金で返済が出来なくなったときは、中央銀行がいくら自国通貨を発行しても、返済はできず、IMFの管理下に置かれるしかない。日本の見かけの借金は、通貨発行で簡単に片付く。それを税金で返そうなどと全く経済音痴の政策を続けているからどんどん国が没落して行っているだけだ。

 皆さんに訴えたい。あのようなレポートや政治家のしゃみせんに騙されてはいけない。意図的に国民を騙そうとしている政治家に怒るべきです。世界を代表する経済学者は、日本の借金の問題は、日銀が国債を買い取ることにより、簡単に片付くことを教えています。BBCのホームページにすら、日本にお金を刷れ(print yen)と書いていた。

The best chance might be to print yen by the trillion, and hand them out to the public until they feel rich and secure enough to actually spend some of their reserves.

 デフレは通貨発行により簡単に片付きます。デフレ時の緊縮財政は最悪で、それにより国は没落し、しかも借金は重くなる一方です。タクシー問題よりはるかに重要な問題が、あることを認識していただきたい。

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本日7日は『紙の爆弾』発売日

7_2   今日、鹿砦社の『紙の爆弾』7月号が発売されます。「神州の泉」管理人の記事が載っています。論考のおおまかな内容は、年次改革要望書に沿って、ネオリベ体制を性急に敷いた小泉政権以降、日本がどのような変化にさらされ、これからどうなっていくのかを考察しました。植草さんの弾圧事件と、鹿砦社・松岡さんの弾圧事件から、この日本が似非保守連中の策動によって、夜警国家へ変貌し始めていることを描いてみました。全9ページです。このまま構造改革派に政権を運営させておくと、著名人だけではなく、今度は一般の個人も狙ってくることは明らかです。明日はわが身になります。この趨勢は早く止めないといけません。人権擁護法案にしろ、共謀罪法案にしろ、電子投票制度にしろ、これらは国民の自由を剥奪する目的で出されているものです。今、喫緊の問題はネット規制の動きでしょう。国民はマスメディアの嘘報道、誘導報道に惑わされてはなりません。ネットや『紙の爆弾』のような権力に迎合しないメディアから真実の情報を汲み取ってください。

 翼賛傾向に向かっている今の日本は、言論表現の自由が本当に危うくなっています。私の論考は植草弾圧事件、松岡弾圧事件に国家の方向性の間違いを読み取り、国民に覚醒してもらいたいという一念で書いています。今の日本は右翼だ、左翼だという前に、言論の自由を早急に確保する必要があるのです。言論表現の自由を奪われたら、国民は小泉純一郎氏や竹中平蔵氏のような国民をまったく省みない破壊的な為政者の意のままに操られます。このままだと、われわれは悲惨な奴隷国民になってしまうでしょう。私は植草さんの勇敢な小泉政権指弾をけっして忘れません。彼こそ真の英雄なのです。そして松岡さんの巨悪弾劾行為も立派としか言いようのないものです。国民は鹿砦社の弾圧に危険な徴候を汲み取らないといけません。今、売国構造改革路線に国民が立ち向かうには、このお二人の真の勇気と、凛とした行為に学ぶことです。皆さんには『紙の爆弾』を手にとって、是非、私の思いを汲み取っていただきたいと思います。以下は記事のほんの一部です。
____________________________________

 「鹿砦社・松岡利康大弾圧事件は夜警国家変貌への証し」
                                 植草事件を検証する会 高橋博彦

 一 仮借なき「長期人質司法」の深奥に見えてくるもの(4ページ)

(一部抜粋します)
Photo_2  グローバリゼーションという国際金融資本が仕掛けたインチキ外来思潮は、買弁勢力を手駒にし、さまざまな悪辣な手口を使って日本をネオリベ社会に改変しつつある。
 この動きが先鋭化したのが小泉政権だった。植草氏や松岡氏への言論弾圧は国家構造の急激な改変作業の中で出てきたものだ。アメリカの対日「年次改革要望書」のプログラムに従った買弁勢力中枢は、郵政民営化という国富朝貢作戦を展開した。国民労働の結晶である350兆円もの郵政資金を米系金融資本に提供し、日本各地の優良資産を二束三文でハゲタカ系の外資に売り渡す政策が目的であった。彼らは徹底的に外資に有利な規制緩和を敢行し、それを聖域なき構造改革と呼んでいた。国富を宗主国に貢ぎ、そのおこぼれに預かろうとした犬畜生にも劣る連中は、メディアを掌握することによって世論形成を徹底的に封じた。これが小泉政権五年半で起こった破壊的な日本改変であった。

 畢竟、小泉・竹中構造改革とは売国のためのシステム造りだった。この危険性を見抜き、これに異を唱える政治家やジャーナリストなど、良心派有識者は抵抗勢力なるレッテルを貼られ、徹底的に表舞台から引き摺り下ろされた。その象徴的有識者がエコノミストの植草一秀氏であった。

 また、鹿砦社の松岡利康氏は郵政解散総選挙が目前に迫る2005年7月にガサ入れと不当拘束に出遭っているが、当時はアメリカ通商代表部の意向を汲んだメディアの報道統制が最も先鋭化していた時期でもあった。したがって、松岡氏への唐突で異常な弾圧も小泉政権による国策パラダイムの転換とけっして無縁ではない。自民党清和会を中心とする買弁勢力は、売国的構造改革路線を批判する者はもちろんのこと、天下りなど官僚利権構造の温存を批判する者たちも許さなかった。松岡氏の逮捕勾留は、氏が警察官僚天下り企業の不正を糾弾したからである。

 構造改革は、所得格差や消費格差の経済格差として出たが、この弊害は教育格差や希望格差などの文化的格差まで助長し、ネオリベラリズム特有の階級社会を固定化し始めた。この動きに呼応して、権力は反ネオリベ的な姿勢を持つ個人や出版社に表現弾圧の志向を強め、ついには鹿砦社が露骨な言論弾圧を受けた。

二 強者が弱者を狙い撃つ暗黒の夜警国家(2ページ)

三 巨悪を指弾した松岡氏と特別取材班(半ページ)

四  現今メディアに浸透する棄民体質(半ページ)

五 危殆に瀕する「言論の自由」(2ページ)

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2008年6月 6日 (金)

第52回 日本経済復活の会 定例会開催のお知らせ

日本経済復活の会 会長 小野盛司


○日時 平成20年6月26日(木)午後6時~午後9時

○場所 東京都千代田区九段北4-2-25 アルカディア市ヶ谷(私学会館)
    TEL:03-3261-9921

○会費 3500円(資料代や食事・飲み物の費用を含みます)

○講師 盛田耕二 先生 産業技術総合研究所 エネルギー技術研究部門、
            熱・流体システムグループ、客員研究員
            『足下に眠っている豊富な地熱資源を生かす』

  限りある地球のエネルギー資源の持続的有効利用を図り、同時に地球温暖化を防止することが求められています。わが国では豊富な地熱資源が眠っています。地球に優しい冷暖房システムや地熱発電などに関して、第一線の研究者に話していただき、これが地球や没落する日本を救う手段になるうるかについて一緒に議論していきたいと考えます。

○講師 小野 盛司 日本経済復活の会会長

  会の活動報告
  ―日本経済復活への道―


当会合に関する一切の問い合わせと、御来会の可否は小野(03-3823-5233)宛にお願いします。メール(下記参照)でも結構です。弁当の注文や配布物の準備等ありますので、申し込みはできるだけ早めに行って下さるよう、ご協力お願いします。

【ご案内図】

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今、起きつつある日本の変化

  政治ブログのランキングをやり始めて一年半くらい経つが、昨日初めて25位内に入った。今まで26位や27位まで行ったことはあるが、やはり25位以内は嬉しい気持ちである。これも、日本経済復活の会の小野盛司会長の精力的な投稿、いかりや爆さん、ななしさん、JAXVNさん、その他の皆さんの力が大きいと思う。ありがたいことである。私一人の力では25位の壁を突破できなかっただろう。

 「神州の泉」を始めたのが2005年の9月27日である。それから約二年八ヶ月続けたことになる。開始日27日の記事が「溶解を早める日本」というタイトルで、小泉純一郎氏が強行した郵政民営化総選挙の後でもあり、筆者は小泉施政に対してかなり憤っていたようだ。当時、ブログを始めた動機は、その後9月29日の「驟雨にけむる父の姿」のように、日本固有の自然の中に住む日本人と、そこから生まれる精神文化について書きたいという思いがあったようだ。ところが小泉政権の非道なる性格と破壊性を見て、怒り心頭に達していた筆者は、その後の記事が勢い政治的な話にならざるを得なくなっていた。そのうちに、西村真悟議員が微罪で逮捕されたことを見て、国策捜査が実際に起きていることを悟り、植草さんが2004年に品川駅で遭遇した事件についても、筆者は国策捜査の疑念を抱くようになっていた。

 ブログを始めて一年後の9月13日、奇しくもこの日は筆者の誕生日でもあるが、植草さんは京急電車内で偽装事件に嵌められたのである。植草さんのように、セーフティネットを大切にし、国民の一割の不遇の人たちへの思いやりを経済理念の基層に置いているエコノミストが逮捕されてしまうことは尋常なことではないと思っていた。案の定、調べてみたら植草さんは小泉政権批判の先鋒を担いでいたことがわかった。彼は御用学者の対極を行き、歯に衣を着せぬ舌鋒で小泉・竹中路線を批判していた。筆者は即座に思った。郵政造反組をけっして容赦せず、その政治生命まで奪おうと憎悪を爆発させた小泉官邸主導勢力は、植草さんをけっして放置しないだろうということは自明の理であった。そういう観点が元になって、植草事件国策捜査論を弊ブログで展開してきた。

 日本は小泉政権以降、ネオリベ構造の究極相として夜警国家に向かっている。下記は弊ブログの読者さんである「ななしさん」の投稿であるが、昨今日本の変化をよくとらえていると思う。特に彼が、エスタブリッシュメントが日本に新自由主義を敷いた理由を、「米英のような階級分化社会と世襲制社会にするのが本来の目的なんじゃないかと。」述べているのは至言だと思う。私も権力筋の目的が階級分化社会の設立にあると考えていたからだ。まさにこれはネオリベ社会の極相社会であり、一部の特権階級だけの利得社会ができあがりつつあると思う。大手マスメディアはその目的に向かって情報操作に躍起であり、国民が真相をつかめないように、巧妙に世論誘導をしながら洗脳報道を続けている。

 では、ななしさんのコメントを読んでいただこう。
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植草氏逮捕は反新自由主義、反小泉改革勢力に対する強烈なメッセージと圧力になりますね。これが最大のメリットでしょうかね。
戦前の共産主義弾圧や反戦主義者の弾圧にも重なりますね。
最近の風潮としては、旧経世会いわゆる旧田中派のようなケインズ主義者を排除しようと言う傾向がありますね。
新自由主義者の傾向としては、景気回復や財政再建を錦の御旗にして構造改悪をやりたいだけなんじゃないかと思われます。
米英のような階級分化社会と世襲制社会にするのが本来の目的なんじゃないかと。
マスコミはしきりといざなぎ以来の好景気だとか、戦後最長の景気拡大期だとか宣伝していますが、名目成長率で見れば景気拡大どころか停滞したまんまです。
ドル換算で見ますとむしろ景気は後退しております。
そこまでして国民の目を欺いてやろうとしてる改革って誰の為なんでしょうね。
多くの国民の為じゃあ無いのは明らかですね。
それから植草氏の言われる構造改革はまさに官→民ですが、小泉改革では官→財、あるいは日系資本→外資、日本人→害人への利益移転と言うのが正しいでしょうね。
なぜかメディアの批判の俎上に上らなくなった財務省、経産省、日銀、与党のバックには米英資本が控えてると思いますね。
じゃないとこんな無茶な事は出来んでしょう。
もちろんマスメディアのバックにも彼らはいます。
一昔前の広告主と比較すれば明らかでしょう。
更に創価学会と統一協会と言うカルト宗教の人脈や組織票も控えています。
ブッシュ大統領が創価の集会にビデオメッセージを寄せたり、国際金融資本の根拠地NYが池田大作氏を名誉市民にしているのも改革とは無関係じゃあないでしょう。
彼らの組織票が多大な貢献をしましたから。
気が付いてみれば日本はトンデモない方向に向かってる気がしますね。
おそらく内閣府のインチキ臭い経済モデルも構造改革とやらを正当化する為に恣意的なものになってるんでしょうね。
まさに手段を選んでません。

投稿 ななし | 2008年6月 5日 (木) 11時15分
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2008年6月 5日 (木)

雑談日記のSOBAさんへ伝言!!

同志SOBAさんへ伝言です!!

 ご存知の通り、植草さんが「blog植草一秀の『知られざる真実』」で精力的に基本信念を披瀝し始めており、ブログランキングでも上位に位置しています。今、日毎に多くの人々の耳目を強く集めつつあります。

 植草さんが個人ブログを発信ツールとして積極的に活用し始めたことは画期的です。今、ネットを介して、そうとう効果的に植草事件の真実や、小泉売国構造改革路線の真相が彼によって語られようとしています。

 この動きに、地獄の小泉構造改革継承派が黙っているとは思えません。彼らは植草さんに対して有形無形の攻撃を仕掛けてくる公算が高いと考えています。ようやく著書やネットを通じて反撃に転じ始めた植草さんを、またしても彼らの毒牙に掛けるわけには行きません。そこでSOBAさんにも、またSOBAさんが造ったバナーを貼って頂いている多くのブロガーの皆さんにも、注意を喚起していただきたいと思う。

 植草さんに売国勢力が手出しをできないように、われわれがしっかりと見守っているんだぞということを、今、新たに呼びかけたいということです。植草さんのブログ発信は、われわれ一般人のそれとは影響力が桁違いに違います。だからこそ、彼を陥れた勢力にとっては、この情況が非常に厄介だと考えていることは間違いないことです。

 私は何度でも言いますが、小泉政権の国益毀損を阻止しようとして、初期から果敢に批判や指弾を繰り返していた植草さんは今こそ高く評価されるべきお人なのです。国民が小泉内閣発足当時から植草さんの真摯な言葉に慎重に耳を傾けていれば、障害者自立支援法や後期高齢者医療制度、逆累進課税傾向など、数々の悪しき格差政策は実現しなかった可能性があります。今、かなり多くの人たちが植草さんの先見性を認めつつあるはずです。だからこそ、われわれは、これ以上、彼を理不尽な目に遭わせるわけには行きません。彼の勇気と弱者への同胞愛に報いることです。

 同志のSOBAさん、植草さんブログを側面から強力にサポートする必要がありますね。権力筋に対して、われわれがしっかりと見張っているんだぞという姿勢を見せましょう。 SOBAさんのバナーに賛同している85人のブロガーさんがいます。それ以外にも植草さんを応援している人は数多くいるはずです。多くの人たちが植草さんの言動を注視し、売国構造改革派が何をやるのかと厳しい目で見ていることを知らせましょう。

 よろしく
                   神州の泉  HIRO

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日本がIMFの管理下に??(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第81弾です)

 日本がIMFの管理下に置かれるかも知れないという話が、様々なサイトで議論されているようだ。どうしようもない経済オンチが世の中にはいるものだと、私はあきれて、とてもこの話題をここで取り上げようとは思わなかった。しかし、これが衆議院予算委員会で取り上げられたというからお笑いである。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

第154回国会 予算委員会 第10号(平成14年2月14日(木曜日)

○五十嵐委員  私のところに一つレポートがございます。ネバダ・レポートというものです。これは、アメリカのIMFに近い筋の専門家がまとめているものなんですけれども、この中にどういうことが書いてあるか。

 ネバダ・レポートの中でも、昨年の九月七日に配信されたものなんですけれども、IMF審査の受け入れの前に、小泉総理の、日本の税収は五十兆円ほどしかない、今の八十五兆円を超える予算は異常なんですという発言があります。これを大変重視して、当然だと言っているんです。

 同時に、九月上旬、ワシントンで、私、柳澤大臣と行き会いましたけれども、そのときに、柳澤大臣が記者会見をワシントンでされていまして、IMFプログラムを受け入れるという発言をされていますね。これは御確認をさせていただきたいんですが、そのとおりですか。

○柳澤国務大臣  IMFのFSAP、これは受け入れます。これはもともとがG7の国で発案をしたものでして、それをいつやるかということを我々も考えておりましたが、我々の方はペイオフという大事業があるので、生まれたばかりの役所でマンパワーがとかく不足であるというようなこともありまして、少しそのタイミングを見計 らったということが背景で、今回、そういうことを正式に表明したということでございます。

○五十嵐委員  極めて狭い意味、いわゆる金融のIMFによる検査という意味で柳澤大臣は使われているんですが、IMFの方では、金融面のプログラム、それは検査だけではないと思いますが、いわゆるIMFのプログラムの中には、金融面とそうでない部分があるんですね。主に我々も金融面をとらえているし、その検査も含めて、 柳澤大臣も金融面のことを頭に置かれているというふうに思うんですが、このネバダ・レポートの中ではこの二つの発言を評価しておりまして、これが当たり前なんだということを言っております。つまり、バランスバジェット、収支均衡というのが極めてIMFでは重視されるんだということを言っておりまして、もし IMF管理下に日本が入ったとすれば、八項目のプログラムが実行されるだろうということを述べているのであります。
 手元にありますが、その八項目というのは大変ショッキングであります。

公務員の総数、給料は三〇%以上カット、及びボーナスは例外なくすべてカット。
二、公務員の退職金は一切認めない、一〇〇%カット。
年金は一律三〇%カット。
国債の利払いは五年から十年間停止。
消費税を二〇%に引き上げる。
課税最低限を引き下げ、年収百万円以上から徴税を行う。
資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の五%を課税。
債券、社債については五から一五%の課税。
それか ら、預金については一律ペイオフを実施し、
第二段階として、預金を三〇%から四〇%カットする。

大変厳しい見方がなされている。
 これはどういうことか。そのぐらい収支均衡というのは大事なんだ、経済を立て直すためには極めて大事なんだということを、世界の常識となっているということを示しているわけであります。
 こういう認識をお持ちになっているかどうか、財務大臣、竹中大臣、伺いたいと思います。

○塩川国務大臣 数字の面でいろいろ議論ございますけれども、私は、今おっしゃったような厳しい認識は持っております。

○竹中国務大臣 短期的に常に均衡させることが重要かどうかということについては、当然のことながら議論が御承知のとおりありますけれども、長期的にやはり持続可能であるためには、それはまさにプライマリーバランスを均衡させなければいけないと強く思っております。
_____________________________________

 日本がIMFの管理下に入るという議論がいかに馬鹿げているかを述べたい。確かに、外国から借金している国は、借金返済ができなくなり、IMFの管理下に入るかもしれない。しかし、日本は世界の中で外国に金を最も多く貸している国の一つだ。つまり世界で最も金持ちの国の一つなのである。IFMに拠出している額もアメリカに次いで2位である。IMFからドルを借りる必要は全くない。

 IMFが貸せる額は全部合わせてもせいぜい10兆円だ。日本はアメリカ等に100兆円も貸している。その日本がIMFに金を貸してくれと頼むのですか!?確かに日本政府は800兆円の借金がある。それをIMFが肩代わりですか。そんな金をIMFは持っていない。もしIMFが、世界中から800兆円を強引に集めて日本政府に貸そうとしたとします。それは非難ゴウゴウでしょう。貧乏な国から金を巻き上げて、世界で最も金を貯め込んでいる国に貸そうという話ですから。

 しかも、IMFが世界中から集められるのはドルであって、円ではありません。日本政府はドルは有り余るほど持っているのです。日本政府に足りないのは円なのです。800兆円の円を刷れるのは、世界中で日本銀行だけなのです。もし、IMFが800兆円分のドルを持ってきたとしましょう。それを日本政府が財政に使うには円に替えなければなりません。そんな円はどこにもありませんから、結局日銀が刷るしかありません。しかし、日銀は世界中の貧乏な国から集めてきたドルなどなくても、いつでも、そしていくらでも日銀は円を刷ることはできるのです。それを理由もなく拒否しているために、政府も地方も国民も病院も学校も介護施設もお金が足りなくて困り果てています。自殺者も多数でています。年金も危なくなっています。

 日本がIMFの管理下に置かれるのではないか、つまりIMFから金を借りようという馬鹿な議論は止めましょう。IMFから1兆円や2兆円貸してもらっても何にもなりません。IMFのお金は世界の貧しい国のために使うべきです。日本には円をいくらでも刷っても良いという権利が与えられています。この権利は世界に対する義務でもあり、きちんと行使して、日本経済を復活させようではありませんか。そのお金は、やがて世界にも流れ出し、貧しい国をも助けるのです。

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鹿砦社弾圧三周年、「今、表現の自由を考える集い」

 7月12日の集いにご参加願う!!(神戸)

 自己宣伝のようで恐縮なのだが、7日に発売される月刊『紙の爆弾』に筆者の記事が掲載されている。その内容は鹿砦社言論弾圧事件と、植草さんの弾圧事件に共通する時代背景を「神州の泉」の目線で分析したつもりである。

 今から三年前の7月12日、鹿砦社・社長の松岡利康さんは、いきなり官憲に、事務所や家宅の強制捜査に遭い、身柄を拘束された。そして、そのまま192日間の勾留を受けたのである。名誉毀損の疑いである。一方、植草さんは132日の勾留に遭っている。長期人質司法の苛烈さは、経験したものにしかわからない苦痛だと思うが、このお二人に権力筋が取った対応は異常としか言いようがない。両者に共通することは、言論弾圧にほかならない。もう一つは両者とも「見せしめ」になっている。「紙の爆弾」に載った原稿用紙30枚分の拙稿は、日本の統治体制が、福祉国家とは正反対の夜警国家に変貌し始めているという論調で書かれている。

 植草さんや松岡さんが遭遇した言論弾圧は、筆者の定点観測で言うなら、日本が翼賛傾向に傾きつつ夜警国家へ向かっている中で起きている出来事である。したがって、国民がこの趨勢を感じ取り、目覚めて抵抗しなければ、やがては後戻りできなくなる不自由な時代が到来することを警告したつもりである。鹿砦社の弾圧事件はメディアが冷たく無視したために、国民レベルでは周知の事実として認識されていない。しかし、この弾圧事件が意味することは、これを放置しておけば、国全体に言論統制が行き渡ってしまう危険性がある。今、喫緊に憂慮していることはネットへの言論統制の動きである。ネットが封じられたら日本はもうおしまいである。皆さんには必死で抵抗していただきたい。

 今年の7月12日は、鹿砦社弾圧事件から三周年であり、松岡氏が不当に裁かれた神戸地裁の近くで「今、表現の自由を考える集い」という集会が開かれる。基調講演は上智大学教授の田島康彦氏(憲法、メディア法)が行なうが、題目は「表現の自由をめぐる情況と鹿砦社言論弾圧事件」である。

 小泉政権以降、テレビや新聞という大メディアは権力の走狗と化し、国民には有益な情報は伝わらないようになっている。それどころか、大手メディアは露骨に世論誘導を行なうようになっている。昨年の総裁レースで読売系が世論操作に加担したことは忘れてはならないことだ。また、植草さん報道も間違いなくこうした動きの一環である。こういうトレンドの中で、個人への言論弾圧が増えてきたように思う。こういう趨勢に危機意識を抱いている人たちは是非この集会に参加していただいて、言論の自由と表現の自由の重要さをつよく感得して欲しいと思う。

Photo

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2008年6月 4日 (水)

『植草事件』を惹起した巨大な闇(2)

 植草一秀氏が小泉政権糾弾者の筆頭であったというメディアがけっして報じない事実

 筆者がタイトルとして名づけた『植草事件』とは、2004年4月8日に品川駅構内エスカレータで起きた、いわゆる「手鏡事件」と、2006年9月13日に京急電車内で起きた事件の併せて二件を意味している。これら二つの案件は、ともに背景に政治的謀略が介在する国策捜査の疑いがきわめて濃厚だ。つまり、二件とも、事実無根の植草氏に対して強制的に偽装事件が被せられ、彼は否応なく犯罪者としてイメージ付けられてしまったという経緯である。以下、これら二件の植草事件を個別に言う場合は、便宜上『品川事件』、『京急事件』と呼ぶことにする。

 さて、植草氏が時の政権政策とはまったくかかわりのない職種の人間であったとしよう。その場合、たとえば事件そのものがまったく植草氏の身に覚えのない冤罪であっても、そのことが報道されるときは、著名人の醜聞という報道様態で出てきても何ら不思議ではない。つまり「スキャンダリズム」の報道視点が取られることはごく当たり前であろう。しかし、独自の景況分析をわかりやすく説明できて、歯に衣を着せぬ鋭敏な政策批判を果敢にやってきた植草氏の場合は、『政策提言ができる稀有なエコノミスト』として、世論に重大な影響を与えうる存在であったことは論を待たない。植草氏がテレビで経済分析や政策の解説を行うと、論理明晰で視聴者には非常にわかりやすいという特徴があった。つまり、抜群の説得力があるのである。

 ここで読者に一考してもらいたいが、抜群の分析力と説得力を持つ植草氏が、テレビや他のメディアで小泉政権の方針を痛烈に批判した場合、官邸筋は彼に対してどういう姿勢を取るのだろうか。彼が大した論拠も持たずに出まかせ的な言辞を弄するエコノミストであったなら政府筋は黙認するだろう。しかし、あの小泉政権が植草氏に対してそういう風に鷹揚な黙殺で済ませられただろうか。結論から言えば、官邸主導勢力が植草氏の言論表現を封じる工作に取り掛かったとしても何ら不思議ではない。むしろ権謀術数が渦巻く政界では、氏の言論活動に対して、合法非合法な妨害工作に出る蓋然性はつとに高い。だから、痴漢犯罪に冤罪の可能性があり、しかも、被疑者が政権筋に政敵として位置づけられていた場合、冤罪は謀略の様相を帯びてくる可能性がある。植草事件の場合、メディアはその可能性を捨象してはならないのであるが、どういうわけか、メディアは冤罪の可能性も謀略の可能性にもまったく触れないでいる。彼らは頭ごなしに一様に植草事件を既遂事実として報道しているのだ。

 筆者は植草報道について、メディアは著しく偏った報道視点で捉えていると再三再四語ってきた。植草氏と小泉政権との間には、ただならぬ軋轢、政策上の反目があったという重要な事実をマスメディアは故意に語らない。メディアがかたくなに取っているこの偏頗性(メディア・コントロール)は、事件そのものの報道様態に植草氏側の弁明が極端に少ないというアンバランスに集中して見られた。また、それと同時に非常に奇異な点は、彼の経歴報道についても感じられるのだ。それは、氏の学歴や職歴は簡潔に伝えているのだが、肝心のエコノミストとしての彼の職能的特徴を何一つ伝えていないのである。

 これはかえって奇妙としか言いようがない。植草氏のエコノミストとしての専門は三つある。一つはマクロ経済という総体的な観点から分析する日本経済論。二番目は金融論。そして三番目が彼が最も得意とする経済政策論である。植草事件の本質と、この三番目の経済政策論には密接な関係がある。知ってもらいたいことは、植草氏の職能的経済分析は他のエコノミストと異なり、井戸端会議的な衒学性は微塵もなく、それは日本の方向性を決定付ける重要な政策立案に寄与できる実践的なものだ。政府が国策的経済政策を遂行する上で、植草氏が重要な提言者として重い位置を占めていたことをマスコミは伝えていなかった。政策論が得意なエコノミストは時の政権が最も頼りとする力になりうるが、その反面、このエコノミストが政府のマクロ政策に反旗を翻した時、それは政権にとって最も脅威の存在となりうる。ましてや彼がテレビで説得力のある説明ができるとなれば政権筋にとってはなおさら脅威であろう。植草氏と小泉政権の関係はまさにこの対立構図にあったのだ。小泉政権は構造改革を批判する者は一括して“抵抗勢力”というレッテルを貼り、自民党から排斥した。その顕著な事例が郵政造反組みへ行なった党籍剥奪であった。郵政民営化というシングルイシューに反対した党員たちを不倶戴天の敵と断じ、彼らを党外に追放したのみか、非情にも追放者たちの各選挙区に刺客と称する落下傘候補を投入した。この憎悪と敵意は政党政治の常軌を逸したものだ。

 郵政造反者にこういう熾烈な憎悪を差し向け、非情な振る舞いにおよんだ行動から類推して、小泉官邸主導勢力が反小泉派筆頭であった植草氏に対して、鷹揚に構えたまま何もしないと考える方がはるかに無理がある。これが植草事件の報道において、メディアがスルーした重要な点である。植草氏が小泉政権批判の筆頭であったという説明は、植草事件の報道から巧妙に除外されているのである。植草氏が小泉政権のマクロ政策の方向性の間違いを指摘すると同時に、今から10年も前から財務省主導による官僚利権構造の打破を積極的に訴えていたことも重要な観点である。宮沢-クリントン合意によって『年次改革要望書』が実現したのが1994年である。国益毀損政策がここから始動している。植草氏がこの辺りから、アメリカの対日経済占領に協力する官僚に睨まれていた可能性は大きい。年次改革要望書は国民の知らない間に生まれていた。

 日本がただ単に隷属的内政干渉に合意したとは考えにくい。ここには財務省の省益である官僚利権構造の温存と、国益毀損的な年次改革要望書敷設の併存という密約があったかもしれない。いくら宗主国の圧力がこの陰湿な対日要求指令書という形を取ったとしても、買弁勢力が何の利得もなしに外国資本に国富の移転を計るわけがない。アメリカは対日要求を大蔵省に飲ませる対価として、官僚利権という省益を保障したのだろう。年次改革要望書は小泉政権に至って最も先鋭的に具体化している。それが郵政民営化である。畢竟、小泉・竹中構造改革路線とは年次改革要望書を確実に具現化するための規制緩和政策であり、外国資本への国富移転政策だったのだ。植草一秀という非凡なエコノミストの洞察力は小泉政権の買弁性格を初期から見抜いていたのだ。彼は国益と国民益の強い思いから小泉政権を果敢に糾弾した。植草氏が小泉政権と熾烈に反目していたことを、メディアが事件報道からきれいに取り除いた理由はただ一つ。それは二度にわたる植草案件が、国策的な謀略で嵌められた可能性を国民に考えさせないためである。筆者は初期報道の不自然さにこの可能性を強く感じ取っていた。メディアの報道様態の不自然さと、二度の事件そのものの客観的具体性の中に、植草事件が謀略である可能性は強く湧出している。現今メディアが権力の走狗となっている事実を考えれば、メディアが植草事件の謀略に一役買っていることは充分に考えられるのだ。筆者にはその論証を行なう用意がある。

 以上の理由から、御用学者とは対極に位置する良心派エコノミストである植草氏の場合は、その言論活動に強い政治性がまとわりついていることがおわかりだろう。このような背景を有したエコノミストが巻き込まれた事件を、表層的な『スキャンダリズム』の位相だけで見ていいはずはない。今後展開していく予定であるが、植草氏に関わる二度の案件を冷静に検証すれば謀略の可能性が色濃く反映されていることがわかる。そのことを筆者は何度でも力説する。

 ここに植草氏が第一次小泉内閣の時点で、どのような政権批判を行なっていたか、その一端を披瀝する。以下は夕刊フジに載った2001年12月26日の 「『小沢一郎&植草一秀』ビック対談」から、植草氏による小泉政権批判を抜粋したものである。 
          
    http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/2001/02.htm

植草 小泉内閣は「構造改革」という看板を掲げているが、実際は「不良債権の処理」と称する問題企業の破綻推進と、「財政再建」という名の下で緊縮財政を進めている。常識的に考えて、マクロの政策で景気を悪化させながら企業破綻を促進すれば、事態は一段と悪化するだけ。当然、株価も地価も下がり、不良債権問題は拡大していく。

植草 首相の掲げる改革の精神も問題、宗教家や哲学者、教育者ならば「なるほど」と思うが、経済政策は実学であり、専門知識に基づいた木目細かい運営が必要。ところが、経済のメカニズムを無視して理念や哲学だけで突っ走っているため、経済がどんどん悪化している。この段階での改革はある種の手術に近く、点滴や麻酔と輸血が不可欠だが、首相は患者の血を抜き、断食を強いて、力がなくなってからメスを入れている。これは改革ではなく傷害や殺人に近い。

植草 最大の構造改革は、国の政策決定における財務省の影響を排除することだが、いまや永田町は財務省に占拠された状況で、経済財政諮問会議も裏側は財務省一色。日本がいま景気が悪いのは、景気対策が効かなかったためではなく、実際は良くなりかけたときに?、逆噴射?・したことが最大の問題点なのに、財務省による情報操作でそこに人々の目が向かないように腐心している。

 小泉元首相のやり方を「傷害や殺人に近い」と言い切っている。まったくその通りであるのだが、官邸筋は植草氏のように洗脳も懐柔もできない有識者に心底手を焼いたに違いない。植草氏は、エコノミストとして、テレビで経済政策や景況分析をやらせてもぶれずに一貫したわかりやすさで説明が可能であること、また書くことも格調高い文体で抜群の説得力を持つ人物である。こういう人物が小泉政権の間違いをいち早く察知し、政権が主導する誤まった政策判断を逐次批判し、国民レベルで納得できる政策提案を出し始めた場合、批判された政権筋はどう出るのだろうか。「ハイ、ハイ、ごもっともなご意見でございます」と低姿勢で受け流すだろうか。ここで是非思い出してもらいたいのは、小泉純一郎という男が政敵に対してどのような態度を取ったかである。彼は自分の政策に反するすべての者に対して、いっさい容赦がなく、その持てる権力を行使して憤怒を暴発させている。先述したように、その典型的な事例が2005年8月8日の衆院解散にともなう9月11日の総選挙であった。党籍を剥奪した元党員たちに刺客を差し向けている。

 こういう過激な敵意を実行する官邸主導勢力が、誤まった政策を指弾した植草氏に対して、いったいどういう態度を取るだろうか。筆者は植草案件を考える上で、植草氏が小泉政権の執行した国策にとって、どういう位置にあり、どういう影響力を持っていたかを十分に認識することが必須だと考えている。彼は小泉内閣初期段階から政権中枢に進言、進講していたが、小泉元首相はそれを取り合わなかったようだ。それどころか竹中平蔵氏を筆頭とする官邸勢力は、植草氏を構造改革遂行にとって最も阻害要因になる存在と位置づけたに違いない。何しろ、経済政策では緊縮財政下における加速的な不良債権処理が逆噴射であることや、竹中氏主導の金融政策が一貫性を持たない支離滅裂さを有していることを臆することなく言い続けた。官邸が植草氏の折れないこういう姿勢にとことん脅威を感じたであろうことは容易に想像がつく。

小泉政権は構造改革を錦の御旗にした。植草氏も構造改革賛成派のエコノミストである。しかし、ここで気をつけて欲しいことがある。筆者はブログで何度も言ってきたが、『構造改革』という言葉は魔の政治用語であり、それは意味も範囲も不明確で曖昧な言葉の一つだ。言うなれば「構造改革」は使う人間によって千差万別の意味を持ちかねない危険な言葉と言えよう。冷静に考えるなら、権力筋が大衆に向かってこの『構造改革』を濫発し始めたら、それは権力者達の奸佞邪智によって、国民に真の思惑を悟らせないためのカモフラージュになっているのである。

 筆者が理解している範囲で言うなら、小泉政権が唱えた構造改革は極端な新自由主義によって外国資本を益するための無差別な規制緩和政策である。一方、植草氏が提唱する構造改革とは官僚利権構造を根絶するための小さな政府論である。両者は言葉としては「構造改革」とか「小さな政府」を志向していたとしても、その意味するところはまったく異なっているのだ。

(つづく)

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2008年6月 3日 (火)

我々の未来には、どのような社会が待っているのか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第80弾です)

 最近十数年間で、世界の中で日本は大きく没落しただけでなく、人を不安にし、経済苦が原因の自殺者の数を数倍に増やしてしまった。その原因は、政治家が「我々の未来の社会はどのようなものか」を正しく理解しておらず、正しい経済政策が取られなかったことである。

 前回も述べたが、人間は進化によってつくられた。進化によってつくられた人間がどのようなものかを理解できれば、我々の未来の世界が見えてくる。進化によって、子孫を残す能力の優れた生物だけが選ばれた。「子孫を残す能力」として、1970年頃までは、種の保存という言葉が使われていたが、進化における選択の基準は種の保存の能力ではなく、遺伝子保存の能力だということになり、それが「遺伝子は利己的だ」という珍説に陥ってしまった。

 かつては種の保存が進化における選択の基準のごとく信じられ、すべての動物は種の保存のために行動していると思われていたが、ある発見をきっかけに、動物は種の保存などのための行動は一切行わないなどという極端な考えを多くの生物学者が持つようになった。しかし、これは極端すぎるのである。このことに関し話し出したら長くなるので、簡単のために、ここでは「遺伝子を保存する能力」も、「子孫を残す能力」も、すべて含んでいるという意味で「種の保存」という言葉を使うことにする。

 進化によって選ばれたのは、種の保存の能力の高い生物である。ということは、人間の行っている行動は、すべて種の保存という言葉で、何らかの意味を持つ。しかしながら、「人間のすべての行動は種の保存のために行われている」と言えるほど単純ではない。そこで次のような仮定をする。

 すべての人間の体の中には、人間の行動を支配しているものがあり、それをディスクリミネータと呼ぶことにする。進化により、ディスクリミネータに改良が加えられたわけで、ディスクリミネータの構造はすべて種の保存によって説明できる。ディスクリミネータは、行動が種の保存にとって良いか悪いかを判別し、人が種の保存に好ましいことをすればディスクリミネータがプラスになり、好ましくないことをすればマイナスとなる。人はできるだけディスクリミネータをプラスにし、極力マイナスを避けようと行動する。ディスクリミネータがプラスとは、美しい、美味しい、幸福、快感等の状態であり、マイナスとは、醜い、まずい、不幸、不快の状態である。

 我々が気付かないうちに、我々はこのディスクリミネータに思想も行動も完全に支配されている。例えば「動物を人間の食料にする」ということは、全く自然に受け入れられ日常普通に行われていることである。それではその逆はどうだろう。つまり「人肉を動物の餌にする」ということになる。もちろんあなたはそのような考えを持ったことがないだろう。またそんな考えを持った人の話は聞いたことがない。数学者は、どの命題であっても、その逆を自由に考えることができる。しかしどんなに自由に思想を展開できると思っている人でも、こんなぶっそうな思想を持つことはできない。「人肉を動物の餌にしよう」という考えはどんな凶悪な殺人犯の心の片隅にすら思いつかないことである。このことから、いかにディスクリミネータによる思想統制が強烈であるかがわかる。

 話は変わるが、では芸術は、種の保存とどのように関係しているのだろう。芸術作品の代表的なものを見てみよう。ミロのヴィーナスはどうであろう。これは裸体の女性であり性欲を引き起こすものだから、生殖のための行動を誘発するもの(これがディスクリミネータ)があってそれが女体を見たときに美しいという信号を脳に送る。しかし、実際はミロのヴィーナスは石だから、種の保存とは関係ない。つまりディスクリミネータが騙されてプラスの信号を出しているにすぎない。芸術にせよ、それ以外の様々な娯楽は、ディスクリミネータを騙してプラスにしている。つまりディスクリミネータを人為的にプラスにすることが目的化している。これをディスクリミネータの空作動(カラサドウ)と呼ぼう。
ディスクリミネータの作動状態は次の四つに分類できる。

1.正常作動・・・種の保存にとって益になるときがプラス、害になるときがマイナスという  
本来のディスクリミネータに従った作動をする状態
2.空作動 ・・・種の保存には益にも害にもならないが、人為的な方法等によりディス
         クリミネータをプラスにする状態
3.作動抑止・・・種の保存にとって害にならないのにマイナスになっている場合、それ                   
         を人為的な方法で消す状態
4.異常作動・・・種の保存にとっては害になるのにディスクリミネータがプラスにな
       るとき、または種の保存に益になっているのにディスクリミネータ
       がマイナスになる状態

 本物の女性を見て美しいと感じるのは正常作動、ミロのヴィーナスを見て美しいと感じるのが空作動である。歯医者で治療を受けているとき痛みを感じる。歯の治療は種の保存に益になる。しかしそれでもディスクリミネータはマイナスになるから異常作動。これに対し、催眠療法とか麻酔で痛みを和らげたり、止めたりするのが作動抑止である。自殺しそうな人やひどく落ち込んだ人を励ますのも作動抑止である。宗教活動にはこういった事がよく行われている。カウンセリングも作動抑止である。

 我々の社会はゆとりがでてくるにつれ、できるだけ多くの人のディスクリミネータがプラスになるように、そしてマイナスを避けるように様々な工夫をしている。このように、種の保存を達成しながらディスクリミネータがプラスになりやすくマイナスになりにくくするよう社会を変えることを「ディスクリミネータの解放」と呼ぶことにする。誰も現代の社会がどちらの方向に向かって変化しているか気が付いていない。人類は数百万年もの間、ぎりぎりで種の保存が達成できる状態だった。こういう時代には、苦痛に耐える(ディスクリミネータが強くマイナスになるような)行動も敢えて取らざるを得なくなるのだ。例えば人口が増えすぎたり、干ばつ等で食糧が不足したときなど、人は生まれた赤ん坊や働けない老人を殺したりした。

 ところが種の保存が容易に達成できるようになり、物があふれゆとりがでてきた現代においては、ディスクリミネータがマイナスになるような行動は徹底して排除し、できるだけディスクリミネータがプラスになるように工夫し始めたのだ。要するに快を求め不快を避けるということだ。これがディスクリミネータの解放であり、それに合わせて法律を制定し、犯罪や善悪を定義し、道徳・倫理を定めた。ディスクリミネータの解放の例としては、奴隷解放、女性解放、性解放、旅行の増加、レジャーの時間の増加などがある。

 過去、現在、そして未来と、社会は大きく変化する。それは科学技術の進歩によって、人間がディスクリミネータを解放できるようになったことによる変化と言える。ここまで論じると、我々の将来どうなるかが見えてくる。種の保存は容易に達成できる。食糧も十分確保でき、子育ても種の保存という意味であれば、完璧に達成できる。その後で人類が行うのは、更なるディスクリミネータの解放、つまり人為的にディスクリミネータをプラスにすることだ。労働は苦痛を伴うものも少なくない。貧困に喘いでいた時代には職業を選ぶ余裕はなく、多くの人が3K(きつい、汚い、危険)の苛酷な職業ですら受け入れるしかなかった。かつては女工哀史に象徴されるような苛酷極まりない職場もあった。それに比べ現代は遙かに改善が見られている。ロボットに労働を任せることができる未来では、すべての人が自分にとっての理想に近い職業、つまり生き甲斐を感じることができる職業を選ぶことができるようになり、QOL(生活の質)は格段に高まる。

 過去においては、貴族の生活ができるのは、ごく限られた人間だけだった。しかし、未来においては、生産性が高まり、労働をロボットにさせて、大部分の人間は貴族の生活ができるようになる。つまり、スポーツでも芸術でも旅行でも、好きなことをやってよい社会だ。それを目指して社会も経済も変えていかねばならぬ。国の借金に縛られているようでは進歩は無いし、快適な社会を築くことはできない。自国の通貨はいくらでも作って良いというのが国際的ルールだ。国の借金に振り回されている国の経済政策ほど馬鹿馬鹿しいものはない。

 未来のある日、普通の人間並の能力を持つロボットができたとしよう。そのロボットは自分と同じようなロボットを次々作るだろう。そこには人手は掛からないから、みんなタダ同然でできてしまうし、そのロボットはタダでいくらでも労働を提供できる。そのときロボットが人間の職を大部分奪ってしまい、大部分の人が失職する。財政が厳しいからと言って、失業手当もほとんど出さなかったとしよう。ロボットが人間のためにいくら働いて、素晴らしい商品があふれるばかりに店頭に並んでも、誰も買えない。お金を持っていないからだ。国民のほとんどが、馬鹿な政府のために、餓死させられてしまう。ところが、政府がお金を刷って国民に渡せば、国民は貴族の生活ができる。財サービスはロボットがいくらでも提供してくれる。自分は好きなことをやっていればよいのだ。

 お金は、必要なときには、必要なだけ刷らなければ、我々の未来はないことがお分かりだろうか。我々は国の借金を返すために生まれてきたのではない。お金は経済を発達させる手段にすぎず、お金の量は、その経済に最適なだけ発行されなくてはならないのである。ここで書いたことに関して更に詳しく知りたい方は『人間の行動と進化論』や『ロボット ウイズ アス』を読んで頂きたい。

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2008年6月 1日 (日)

お金を刷る政策のシミュレーション(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第79弾です)

 インフレとは、国民にお金を渡しすぎて、物の供給が間に合わなくなる現象であり、逆にデフレとは、国民に渡ったお金が少なすぎて、物が売れ残る現象である。デフレの際には、お金を刷って国民に渡さなければならないのだが、日本政府は愚かにも、逆に国民からお金を取り上げる政策を採用しているために、いつまで経ってもデフレから脱却できない。

 例えば、日銀が国債を買う政策、つまり買いオペをすれば、景気は回復し、デフレ脱却でき、日本の没落は防げる。日銀が国債を買えば金利が下がる。どうしてだろうか。そもそも金利というものは、貸す人と借りる人の資金の需給バランスで決まる。国債も債券の一つで、債券を売る人(お金を借りる人)のほうが、債券を買う人(お金を貸す人)よりも少なくなれば、より安い金利で借りてもらおうと競争になるわけだから、金利の値下げ競争になる。だから金利が下がる。つまり、日銀の買いオペは、日銀という巨大な貸し手が動き出せば、金利が下がる。そして国民に向かってお金が流れ出す。

 一部に馬鹿な議論がある。金利が上がれば、利子が増えて、それで国民にお金が渡り、消費が拡大し、景気が回復するという珍説だ。内閣府計量分析室に聞いてみたが、そこでもその珍説は支持していなかった。様々なシミュレーションを見ても、金利が上がると経済は間違いなく減速する。日銀からお金が流れ出したら、様々なルートでそれが国民に渡ることは、理解できるだろう。企業にお金が流れれば、賃金の改善にも繋がる。住宅ローンも借りやすくなる。確かに利子は減るが、それによる消費拡大は微々たるものであることが、証明されている。

 金利が下がれば、間違いなくGDPが拡大し、デフレ脱却の方向に物価は動き、税収の増加や国の借金に対する利払いの減少のために、財政も健全化の方向に動く。デフレの際には、金利は低ければ低いほどよい。
 自見庄三郎参議院議員の要請で参議院調査情報室が計算した結果は下の表のようになる。景気は良い方向に向かうし、失業率は減る方向に向かう。唯一、民間消費は僅かながら減少するが、例えば日経のモデルでは増加するとなっている。結果は微妙であり、どちらとも言えない。企業の所得は大幅に増加し、賃金は上昇するので消費は増加する可能性はある。いずれにせよ、景気は良い方向に向かうのは間違いない。
 
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 しかし、ゼロ金利にしても景気は良くならなかったではないかという人がいるかもしれない。この結果は、金利を下げた場合と、下げなかった場合の比較である。資産デフレなど、景気にとってマイナスの要素が強くはたらいている場合、ゼロ金利が、プラスの要素としてはたらいても、それがマイナスを打ち消すほど大きくなければ景気はよくならない。もっと強いプラスを持ってこなければならなかったということになる。
 例えばアメリカでも、1942年に連銀と財務省が、国債の買い支えを行って金利が一定水準を上回らないような措置をとることで合意した。この結果国債の利回りは2.5%以内の水準で維持された。

 金利を低く保つことは、景気をよくする効果があるだけでなく、税収を増やす。一方で国の借金を増やすわけではないから、確実に国の債務のGDP比が下げ、財政を健全化の方向に向かわせる。
 逆に金利を上げれば、景気も財政も悪化する。このことを悪用して、「構造改革」をしなかったり、公共投資を増やしたりすると財政が悪化すると脅している。こんな馬鹿馬鹿しい嘘に騙されてはいけない。

 2005年の内閣府の試算では、「構造改革」をしなかったら、長期金利は7%になって財政が悪化するという何の意味もない試算を行っている。金利は日銀が操作できるのであり、構造改革と直接関係があるわけでない。しかし、マクロ経済を知らない国民を騙すのには、この程度の嘘で十分だったのだろう。マスコミはこの嘘にのせられて、構造改革をしなければ金利が7%に上がるという「試算結果」を報道した。実際は、7%は試算結果ではなく、単に7%にまで金利を上げたら日本経済はどうなるかという計算にすぎなかったのだ。1%の違いで上記の表のような結果となるので、7%にまで上げれば大変なことなる事は分かりきっている。景気が悪いときに、日銀が狂ったように国民から吸い上げ、7%にまで金利を上げたら、どれだけ経済が悪くなるかという馬鹿な試算をするなと言いたい。

 公共投資を増やしたときの試算でも同様だ。内閣府の試算は同時に金利を上げ、景気を冷やすようにしている。車で言えばアクセルとブレーキを同時に踏む。だからスピードは上がらない。つまり公共投資を増やしても景気はよくならず、財政を悪化させるだけだと言う。しかし、参議院調査情報室を含む、8カ所のシンクタンクの試算結果を宍戸駿太郞氏がまとめ、近く発表しようとしている。これによれば、公共投資を増やしても景気が良くならないと言っているのは、内閣府だけで、他はすべて景気はよくなるとなっている。比較のグラフを見れば、内閣府の嘘が一目瞭然だ。GDPが拡大すれば国の借金のGDP比も下がってくる。特に、日銀が資金を供給しながら、景気対策を行うと効果てきめんだ。

 我々が、予算委員会等で、金利を下げながら景気対策を行えば、景気はよくなるし、しかも財政は健全化すると、内閣府の試算をもとに、追求していたら、突然内閣府は、金利の効果を馬鹿馬鹿しいほど少ないものに変えてきた。これば2007年から発表している試算だ。2006年までは、短期金利を1%下げると、名目GDPは0.91%上がると言っていたのに、2007年からは突然、0.22%しか上がらないと言い出した。GDPへの効果を、何と4分の1以下に下げて、これなら、景気対策を金利引き下げをセットでやっても駄目だと言い出した。しかも短期金利は長期金利にほとんど影響を与えないなどと言い始めたから、あきれて物が言えない。もうこれは国民を騙すためとしか言いようがない。

 しかし、注意していただきたい。2011年度にプライマリーバランスの黒字化という政府目標を決めたのは、この欺瞞的なシミュレーションがすべての理論的なバックグラウンドになっているのだ。この政府目標を目指して、増税、歳出削減を強力に推し進めようとしている。これが、崖を転がり落ちている日本経済を、どこまでも落し続けようとしている。一刻も早く止めなければならない。そのためには、内閣府のシミュレーションの嘘に多くの人に理解してもらわなければならない。残念ながら、すでに内閣府から私の口封じをしようとする手が伸びてきた。私から言論の自由を奪おうとする動きだ。いつまでこのブログを続けられるか分からないが、やれるところまでやるつもりだ。

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