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2008年6月30日 (月)

(続)吉兆の堕ちアユ

 前回エントリー『吉兆の堕ちアユ』に、cameramanさんという読者さんから下記のコメントを寄せていただいた。少し感じるところがあったので、私も感想を書いてみた。
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  一般家庭で食べ残しを捨てたら(程度にも依るが)、常識を疑われるでしょうが、食事を文化として供する料亭がここまで落ちているとは。いわゆるケに対するハレの文化を楽しむものであり、カロリーの摂取によって血糖値を安定させるためのものでは有りません。お茶を飲むのに1時間かけるような文化は、おそらく世界でも珍しいでしょう。
料理人、経営者にも責はありますが、客の側にもこのハレの気分を味わう、という極めて良い意味での雅さが薄れて来ているのではないでしょうか。ありていに言えば「料亭○○」で食べられる人間は、勝組である、・・・お終い。といったところです。

投稿 cameraman | 2008年6月29日 (日) 22時36分
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  (以下は「神州の泉」管理人)

cameramanさん、こんばんは。

>いわゆるケに対するハレの文化を楽しむものであり

>ありていに言えば「料亭○○」で食べられる人間は、勝組である、
>・・・お終い。といったところです。

 おっしゃるように、高級和食料亭の存在意義は、日常“ケ”を超えたところに求める、しばしの“ハレ”・・。まったくその通りなんですね。高級料亭で食べられる資格を持ったものは、いわゆる普通の意味で、社会の勝ち組と言われる人たちでした。と、あえて過去形で言ったのは、風流や雅(みやび)が、文化人や為政者達に当然の教養として根付いていたころの話です。ただ、大金を出せば最高峰の和食文化を楽しめるという時代ではなかったと思います。高級和食を味わえるステータスのある者とは、それに相応しい知識を持ち、文化を深く理解できる教養人であり、しかも斯界の成功者という文脈での“勝ち組”なんですね。つまり、“ハレ”の空気がきちんと読める人たちでありました。当時であれば“金融博打で”儲けた成金さんは敷居が高くて行けなかった店はたくさんあったはずです。今ではそういう店そのものが幻想となっています。

 ホリエモンや村上何がしかが行くようなところはけっして本物の高級和食ではありません。“場”が彼らのような金銭至上主義者、つまり下衆な守銭奴をはじいていたのです。この対応関係は、昔の吉原文化の中で、一番の花魁に気に入られるためには、大金持ちという条件のみでは近づけなかったことと似ているでしょうね。いわゆる“粋”を解し、花柳界の文化に通暁している最低の条件があったように理解しています。ただ、おっしゃるように、客層水準の低下を見れば、現代日本にはたして、高級和食文化なるものが存在するかどうかは、はなはだ疑問がありますね。もっとも、私のような貧乏庶民には、その世界の実態はわかりませんけどね。

 私個人の願望から言うなら、いわゆる“健全な意味”における勝ち組連中が行く料亭はあってしかるべきです。それは深い文化に接するという健全な特権意識を育みます。これはこれで、社会の一つの必要なエリート意識を育てることにもなります。若い人たちが憧れるような場所であれば、なおさらいいでしょう。料亭でなくとも、そういう場所はインフラとして必要だと考えます。財産や持ち金の多寡だけで会員資格を問うような“場所”には文化も品位も生まれるとは思えません。そういう場所がどのような雰囲気になるかと言えば、旧約聖書・創世記に出てくるようなソドムやゴモラのような背徳の雰囲気に満ちてくるでしょう。求める場所とは、日本人であることを再確認でき、日本人でよかったと思える空間ではないでしょうか。そこには当然ながら、和の伝統的空気が息づいていることが必要です。然るべき社会的成功を収め、そういう特別な場所へ行く資格ができた者には、高度な日本文化を理解できることと、もう一つは日本人として、ノーブレス・オブリージュの魂も持って欲しいと思うのは私だけでしょうか。しかし、見かけの偽装を行なうようなところに、そのような空気は絶対に生まれません。

 私のイメージはあくまでも私個人の想像が大きいわけですが、これもマンガ『美味しんぼ』などのレベルで仕入れた浅薄な知識で言いますが、本物の伝統的高級和食なる文化は、すでに北大路魯山人あたりで消滅しているのかもしれません。だいたいにおいて、現代日本が和の文化を死守する構えが強かったのなら、けっして対米隷属にはなりませんね。日本が日本の本質を大事に守っていたなら、マクドナルドがここまで毒々しく街に氾濫しないでしょう。和食文化の極限的衰退は、戦後日本の社会体制の変遷からもある程度言うことができます。それはドイツの社会学者テンニースが唱えた、有機的、血縁的、継承的社会共同体から出てきたゲマインシャフトから、利害関係のみで泡沫的に形成されたゲゼルシャフトへの移行が、戦後日本では極端に進んでしまい、伝統的な世襲制、徒弟制度が急速に崩壊してしまったことにも関係があります。特にゲゼルシャフトへの変容ですが、日本は新自由主義を取り入れて、もともとあった共同体的志向の残渣さえも消えようとしています。この状況で、職能的世襲制が滅びかけており、和食職人の伝統的奥義が伝承されにくくなっていることも確かでしょう。

 また、われわれが和食と考えている物の大部分は素材からして海外産です。本当の独立自尊的な考え方が国家レベルにあるならば、食料自給率をこれほど低迷させたまま放置することはありえません。確か39パーセント以下でしたっけ。BSE(狂牛病)の疑いがあるアメリカ産牛肉を政治的圧力によって、唯々諾々と輸入しているわが国に、正統な意味における和食伝統文化が残存しているものでしょうか。食糧自給の実態と、環境悪化を正視した場合、今の日本は文化以前のレベルまで落ちていることがわかります。雅な食の伝統が花開く以前の状態ですね。本物の和食文化が残存しているとしたら、それはどこかの漁村や山深い山村に、風流心を持った板前さんがいて、新鮮な素材に和の心を込めて料理している所くらいではないでしょうか。船場吉兆は日本全体の食文化退嬰の実態を忠実に示しているのではないでしょうか。

 正統な和食文化が復興するためには、日本の自然そのものが回復し、人々の心に万葉の雅(みやび)が満ちることしかないでしょう。日本の国土復興と日本精神のルネッサンスですね。戦後大きく逸れた道は、日本人をあまりにも遠いところに導いてしまったわけです。

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