「角を矯めて牛を殺す」のが、今の政治(小野盛司)
(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第89弾です)
本日(6月22日)の報道2001で西部邁が、「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺を使っていた。「少しの欠点を直そうとして、その手段が度を過ぎ、かえって物事全体をだめにしてしまう」 、危ないからと角を縛って動きを抑えると、牛、本来の力が発揮できないという意味だ。正に現在の日本の政治がこれにあてはまる。
通貨発行権を持っている政府にとって、何の意味もない「国の借金」を返す目的で、馬鹿な政策を次々と打ち出し、それがことごとく失敗している。国の出費を抑える目的で、建築確認業務を民営化した。民にできる業務は民でやらせろというわけだ。その結果姉歯による耐震偽装の問題が起き大騒ぎをしたたことは、記憶に新しい。そこで国は建築確認申請を厳格化した。そうしたら、住宅着工の許可が大幅に遅れ出し、住宅着工戸数の大幅減少を招き、それが経済の更なる停滞を招いた。まさに「官製不況」を招き、国の借金を逆に増やす結果をなった。「角をためて牛を殺す」という諺がぴったりだ。
公共工事の入札が次々と不成立になっていることを、NHKが特集を組んで取り上げていた。談合を無くすために、安値で入札させようとした結果、業者がそれでは利益が出ないということで敬遠し、公共工事が進まない事態となり市民生活に悪影響が出かねないとの懸念がでてるそう。2005年度以前に比べ2006年度は不成立が10倍以上出たそう。
公共工事をめぐる数々の不正・無駄を取り締まるのは良いのだが、だからと言って公共投資をどんどん減らすのでよいのだろうか。近隣諸国がどんどん社会資本の整備を進めている中で、日本だけが何もしないのでよいのだろうか。
Wikipediaによると
『財政法第4条では「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。」とあり、国債発行を禁止している。財政法第4条の但し書きにおいて「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」と規定されており、この規定に基づいて、建設国債が発行できるとしている。建設される公共施設は後世にも残って国民に利用できる経費には建設国債として発行できる一方、一時的に赤字を補填するだけで国民に対して後世に残らない経費に対しては国債は発行できない。』
となっている。
つまり、国が借金する際、公共投資をするのであれば、建設される公共施設は後世にも残るのでよいのだが、それ以外の赤字国債はよくないとされていた。ここにも、国債は次世代へのつけを残すという間違えた考えが強く反映されている。通貨発行権は現在だけでなく、未来にも引き継がれるのだから、実際は国債発行によって次世代につけが残るということは全く無い。建設される公共施設、整備した社会資本は確実に残る。一方で建設を中止した社会資本のつけだけは、間違いなく次世代に残してしまう。汗水流して、快適な社会の建設が如何に重要かということだ。痛みに耐えて、何もしないのでは国は良くならない。公共投資のための借金=善、それ以外の借金=悪という考えが、一転するときがきた。
公共投資を単なる景気対策と考えていた人たちは、公共投資がどれだけ景気浮揚にやくだったのかを議論し始めた。そこには経済理論を無視した過剰な期待があったのだろう。千数百兆円もの資産価値がデフレで失われたのに、僅か20~30兆円の景気対策で、それを取り返そうなどという無茶な期待である。しかも、景気対策の中身も疑われた。公共投資と言っても、土地取得に随分金が掛かっている。また地方負担分や、様々な付随して発生する金額まで含めて景気対策の額が水増しされているとし、それを除く「真水」の部分はいくらなのかとの議論が国会でも闘わされ、実体は良く分からなかったというのが現実だった。
結局、景気対策は効かないし、借金を増やすだけだという間違った考えを持った小泉さんが首相になり、景気対策=悪とされるようになったわけである。しかし、例えば小渕さんの景気対策で1998年には-1%の実質成長率だったものが、2000年には3%にまで劇的に景気は回復しており、一人当たりの名目GDPも6位から3位まで上昇したわけだ。お金を刷って国民のために使えば日本は豊かになることが実証されたわけだ。
小泉氏の緊縮財政が始まってからは、一人当たりの名目GDPは急落して、2006年には、遂に18位まで落ちてしまった。残念ながら小泉氏によって日本全体が集団催眠にかかってしまった。なんと、国の目的が国の借金返済に向かってしまった。外国からの借金を返すというならまだしも、国は膨大な債券を持っており、国の借金と言えない国債残高を減らそうという馬鹿な目標だ。通貨発行権を持つ政府にとって、これほど馬鹿げた目標はない。日本経済復活のためには、この集団催眠から目を覚ますことが、絶対条件になる。
人間とは簡単に集団催眠にかかってしまうものだ。昨日、私は家内と、その実の姉に連れられて巨人戦を観戦に行ってきた。何年か前にも巨人戦に付き合ったことがあった。あのときは家内の父親と一緒だったが、出身が広島の私は当時広島ファンであって、巨人の応援席にいるのにちょっと違和感を感じていた。今は、家内と、その実家が巨人ファンであることに影響され、朱に染まれば赤くなるで、自分も巨人ファンになってしまい違和感は無くなった。これも集団催眠の一つだろう。厳密な理論とは関係なく、周りに合わせておいた方が、大抵の場合、社会生活がうまくいく。特に、上司や支配者にたてつかないほうが良い。長いものに巻かれろというわけだ。人間共通の性質だろう。
しかし、支配者が間違った道を走り出し、それに国民全体が従い始めたら大変なことになる。まさに破滅への道であり、現在の日本がそれに当てはまる。国民にその集団催眠から目を覚まさせるため、我々は日夜活動をしているし、皆さんも是非加わって頂きたい。
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日本に希望を与える信念の男、城内実
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