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2008年7月31日 (木)

成長し続ける道はある。日本よ、自信を取り戻せ。・・・ポール・サミュエルソン(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第103弾です)

 発売されたばかりの「日経ビジネスマネジメント ベストプラクティスシリーズ Vol.2 混迷の時代に描く成長戦略」という雑誌の中に、ポール・サミュエルソンによる日本経済再生の提言がある。ノーベル経済学賞受賞者であり、経済学の最高権威であるサミュエルソンは、日本経済に最も理解を示す米国の経済学者だろう。彼は数年前に小泉首相に「お金を刷って減税等の財政に使うと良い」などの提言を行っている。

 平成17年12月1日には、「日本政府は米国債を売り、世界中の株を買うとよい」という驚くべき提案を行っている。そのほうが日本にとって利益になるというもの。彼の言うとおりだった。最近のドル安を見ても、早めに米国債を売り世界中の株を買っていたら、日本は数十兆円の利益を得ていた可能性がある。

 しかし、サミュエルソンは米国人だ。日本が米国債を売ることは、米国から資金が逃げていくのだから、明らかに米国経済にはマイナスになる。自国を犠牲にしてまでサミュエルソンは日本経済を救いたいと思っていたし、今でも思っている。彼の提言には大変感激した。日本のエコノミストは自国の利益ばかり考えていて、ここまで他国の事を考えている人は一人もいない。他国の事どころか、財政再建を最優先して、自国の経済のことすら、ろくに考えていない馬鹿なエコノミストや政治家が目に付く。

今回のサミュエルソンの提言の一部を紹介しよう。

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財政出動と減税で内需拡大を

 日本が今後も経済を成長させ続けるためには、現在のように輸出主導型の成長に固執するのをやめ、内需を拡大することも必要でしょう。それには赤字国債の発行によって財政支出を増やすとともに減税を実施することです。

 不況が長期にわたった90年代にも、日本は財政出動を果敢に実施すべきでした。29年に始まった世界大恐慌に終止符を打つために積極的に政府支出を拡大した当時のフランクリン・ルーズベルト米大統領のようにです。

 ところが財政再建を優先し、消費税の税率を引き上げた。その代わりに金利の引き下げによって景気を回復させようとしました。しかし、結果は思い通りにはならなかった。なぜなら、金利が低くなりすぎて金融政策の効果が失われる「流動性の罠」に陥ったからです。にもかかわらず、日銀は政策の誤りを認めず、ゼロ金利政策を取り続けました。その結果、不況が長期化したのです。

 不況から脱した今、恐らく国内外の保守的な人々からは増税と歳出削減による財政再建を求める声が強まっていることでしょう。「GDPに比べて著しく多い国債残高をいつまでも抱えておくことはできない。削減すべきだ」とね。

 しかし、日本政府は、次のように反論すべきです。「それはあなたの知ったことではない。先にやらなければならない重要なことはほかにある。それは再び経済を成長させることだ。国債の残高について心配するのはその後でいい」と。

 財政支出を増やして公共投資を拡大せずに金融緩和に頼ったから、失われた10年と言われるほど不況が長引いたのです。しかも、現在は世界経済が失速し始めている。財政支出の拡大と減税によって景気を刺激すべきです。増税による財政再建は今なすべきことではありません。

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 以上、一部のみを掲載したのだが、詳しくは本誌を読んでいただきたい。今まで我々は戦後最長の景気回復期にあると政府から聞かされてきた。しかしその間も、そして今もずっとデフレは続いているわけで、それが景気回復期だとはお笑いである。今や、失業率も増加を始め、様々な経済指標が景気悪化を示し始めている。これから予算編成だが、与党の中にも財政出動を求める声が上がっているという。「赤字国債を発行すれば将来世代へのつけを残す」という間違えた報道が繰り返しされている。赤字国債はお金を刷っているだけであり、将来世代につけを残すことではない。将来世代もお金を刷れるのだから。国の借金のGDP比が増える一方であるかのように言われているが、そうではない。お金を刷って実体経済に流せば、そのお金の活躍によって、当然GDPは増える。国の経済が順調になれば、国の借金のGDP比は、自然と他国と同じレベルに収束するようになっているのだ。デフレの際に、無理をして借金を減らそうとしなくてもよい。これはサミュエルソンも言っているとおりだ。

 大田大臣と宍戸駿太郞氏の公開討論会は8月8日に決まったのだが、この討論会に関しては、内閣府は全く逃げ腰だった。3月14日に福田首相が開催に同意したのだが、何と長い時間が掛かったことか。近く組閣があるかもしれない。大田大臣が大臣から降ろされるのかもしれない。8月8日はオリンピックの開幕式だから、国民は討論会など見向きもしないだろう。

 様々なしたたかな思惑があったのではないか。いずれにせよ逃げ腰であるのは間違いない。そんなに追求が怖いのか。そんなに自分たちのモデルのトリックが暴露されるのが怖いのか。日本経済を痛めつけ、日本国民を苦しめている内閣府の経済モデルの中身を8月8日にじっくり説明していただく。

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2008年7月30日 (水)

告発の後に襲い来る漆黒の大津波

     
 (※本稿は「紙の爆弾」8月号に掲載された管理人の記事です)

一、トリプル・メモリアル

 三年というのは、今の鹿砦社にとっては特別な意味を持つ年数になっているようだ。その第一は、2005年7月12日の鹿砦社弾圧事件から、今年は三周年目に当たる。第二は、鹿砦社基幹雑誌『紙の爆弾』創刊から三周年目である。そして、第三は、鹿砦社・社長の松岡利康氏とは、ともに運命共同体的な歴史の流れを生きており、戦友にも等しい魂の絆を持つ同志でもある、西宮冷蔵社長の水谷洋一氏に新たな展開が起きていることだ。それは水谷社長の雪印食品牛肉偽装事件告発がNHKでドラマ化され、7月30日に放送されることが決定したからだ。ドラマは水谷社長を主人公に、特別番組「たったひとりの反乱」という題名で放送される。昨今、あまた頻出している食品偽装事件の先駆け的告発をなした水谷社長の生き様を再現ドラマ化したものだ。水谷氏の波乱の人生にとって、エポックメーキングともなりうるこの放送は、奇しくも鹿砦社言論弾圧事件から三周年目の7月30日に全国放送される。この快挙は鹿砦社の松岡氏にとっても非常に意義深いものとなっており、それについては本論でおいおい明かしていく。つまり、今の鹿砦社にとって、「三年」というのは三重の意味でメモリアルなのである。

 今回、筆者はこのトリプル・メモリアルにちなんで、松岡氏、水谷氏ご両者が受けた、有形無形の弾圧の背後にひそむ深刻な社会的深層を見つめてみたい。彼らは、それぞれが不退転の覚悟で巨悪に立ち向かい、妥協なしの暴露、そして告発をみごとに行なった。ところが、両者とも、その勇猛果敢な告発の後には、法や権力にたずさわるサイドから、陰湿、陰険とも言える不当な迫害を受け、会社の運営に壊滅的なダメージを受けている。松岡氏に関して言えば、出版、報道をめぐる名誉毀損の容疑が、民事のみならず、警察、検察が直接介入する刑事事件として取り扱われた。2005年7月12日、早朝六時半、神戸地検特別刑事部の一団が松岡氏の自宅を急襲、その日には本社事務所、東京支社に対しても大掛かりな家宅捜査が執行され、神戸地検に連行された松岡氏は、地検内にて逮捕された。しばらくして神戸拘置所に移送された。そのあとは192日間に及ぶ長期勾留にいたっている。この事件を機に、本社事務所も東京支社も閉鎖、そして撤去の憂き目に遭い、出版活動は事実上停止状態に追い込まれた。

 2007年6月には、国連の拷問禁止委員会が日本に対して"代用監獄制度の廃止"勧告が出された。昨今、日本の人質司法はかなり深刻な問題となっているが、松岡利康氏やエコノミストの植草一秀氏が受けた長期人質司法は優先して考えなければならない問題である。はじめに拘束ありきで、自由を奪うことから始まる傍若無人な人質司法は、国際的に見れば法治国家にあってはならないことであり、後進性そのもの、国家の恥辱とも言える。

 神戸地裁は、松岡氏の長期身柄拘束について、なんと、当然の制裁であるかのように一定の評価を下し容認した。これは裁判所の裁定感覚を問題視するというレベルをはるかに超え、国民にとってはなはだ危険であることを示している。司法が順当な手続きを無視して、狙った国民を好きな時に拘束できるという恐ろしい現実が進行中である。身柄拘束に対して法的根拠が薄弱でも、国民が官憲によるこのような暴挙を看過・黙認した場合、これが常態化・既成事実化することは当然の成り行きである。それを考えたら、その恐怖が強く身にしみてくる。権力にとって、不従順で気に入らない個人や、都合の悪いことを言う個人は、何を持ってしても、とにかく身柄を拘束してしまえばいい、その拘束理由はあとでどのように付けてもかまわないということになる。鹿砦社の横暴な弾圧事件を放置すれば、恐怖政治が横行する社会へ道筋をつけてしまうことにもなりかねない。 

二、告発は「偽装内閣」という時代性の中であらわれた

 近年、日本は「偽装」という言葉がマスコミに乱舞しない日はないほど、さまざまなジャンルで偽装事件が頻発している。耐震強度偽装や大量の品を扱う食品偽装などは比較的有名であるが、身近にあるものでは、たとえば会計偽装や、スーパーなどで売られるパック食品の産地偽装や魚類の正体偽装など、細かく上げたらきりがない。

 このような偽装オンパレードの中で、もっとも規模の大きな偽装とはいったい何であろうか。筆者はそれが小泉内閣そのものであったと断言できる。すでに通り過ぎた一つの内閣を偽装内閣だったと言えば、奇異に聞こえるかもしれないが、偽装というものを、国民の目をごまかして内容とは違うレッテルを貼り、誰かが不当な利益を得ることだと定義すれば、小泉政権も紛うことなく偽装の典型的なかたちを有していた。歴代内閣の中で、なぜ小泉内閣が偽装内閣だったのかと言えば、それはこの内閣がアメリカの傀儡内閣だったからにほかならない。小泉施政の五年半は、「聖域なき構造改革」という錦の御旗の下で、強引に進められた、あくなき日本破壊の年月であった。

 官邸主導という独裁色を帯びたこの政権は、アメリカがもたらした対日『年次改革要望書』に基づいて、日本の社会システムを急激にグローバル・スタンダードに適合させた。日本の構造を弱肉強食の新自由主義体制へ転換したのである。また、政府の陰謀とも思えるデフレ経済の固定化は、長期にわたって景気を後退させ、巷を失業者であふれさせ、正規雇用者から非正規雇用者に多くの者がシフトした。このため、所得格差は著しく拡大し、国民の可処分所得は激減、ますます内需後退の泥沼に突入してデフレ傾向は深刻化した。政府も、マスコミも、なぜかこの実態を公表しない。

 国民のためを装い、表面的には国益志向を装ったこの内閣は、徹底した買弁性格に彩られていた。まさに小泉内閣とは『偽装政権』そのものであった。この内閣が推進した構造改革の実態は外国資本へ利益供与するためのシステム造りであった。いわゆる聖域なき構造改革の断行は、国民経済を奈落の底に追いやり、老人福祉や医療は崩壊の兆しを見せ始めている。自殺者が年間三万人を超え、国民は明日に希望を持てず、逼迫した気分にある。この政権の顕著な特徴は、国民の労働成果である富の再分配が国民に行き渡らず、一部の株主、特に海外資本株主だけに強く傾斜配分してしまうことにある。

 筆者が、小泉内閣時代を、特に『偽装内閣』と称して強調したことには重大な意味がある。なぜなら、松岡利康氏の暴露も、水谷洋一氏の告発も、また、植草氏の小泉政権糾弾も、彼らは、そのあとから考えられないようなむごい仕打ちに襲われている。三人は正義の告発をおこなったのだが、時代(体制)は彼らに獰猛な牙を向けた。筆者が最も深刻に憂い、何とかしなければならないと切歯扼腕していることは、時代が正義の回復を望んでいないように見受けられることにある。このことは、植草一秀氏の132日間、松岡利康氏の192日間に及ぶ身柄拘束に見られる官憲の執拗な悪意を見れば、鮮明に見えてくる。国の秩序を維持するために、権力執行の大事な役目を担うというのは聞こえはいいが、彼らには国民の公僕としての良識も、正義感も、その精神の核の部分で空洞化し始めているように見える。筆者は、国家の秩序維持を職能とする組織が、このように形骸化し、社会正義の常道を忘却している事実に、深刻な国家の危機を読み取る。また、その深層に目を投じれば、日本の根源的な病巣が、アメリカや国際金融資本の傀儡的性格を強く持ち始めたことに起因することがよくわかる。日本はいまだに植民地の存在形態から脱却できないでいる。

三、偽装はゆがんだ時代構造によって生み出された

 近年は偽装事件のオンパレードである。昨年2007年は食品偽装事件が相次いだことで人々の耳目を引き付けたが、最近では船場吉兆の"料理つかいまわし"が世間をにぎわせた。食品偽装の風潮はまさに止まるところを知らない勢いである。『紙の爆弾』本年1月号に書かれた松岡利康氏の「告発の行方」を参照すれば、食品偽装騒動は、昨年1月、「不二家」で期限切れ牛乳が発覚したことに始まり、「ミートホープ」、「白い恋人」、「赤福」、「日本ライス」、「比内地鶏」、「船場吉兆」などに続いた。この一連の食品偽装事件には、大きく分けて二つの位相がある。一つは文字通り、業界に携わる人間のモラルハザードの問題である。日本が世界に誇っていた高度な品質管理感覚が急速に崩れ始めている。もう一つは、この一連の偽装事件の裏には、「年次改革要望書」の目論見どおり、日本の優良資産を持つ企業の社会的信用を故意に低落させて株価を下げ、底値に近い状態で安く買い叩こうとする米系国際金融資本(外資=害資)の陰険な思惑と仕掛けが存在している。もちろん、全部の偽装がそうとは言わないが、かなりの部分で外資の暗躍があると考えている。"害資"の働き掛けについては、今回は紙数の関係で言及しない。
 
 前号でも簡単に説明したが、今日本を席巻している言論弾圧傾向は、巨大な国家変容にその原因があると指摘した。つまり、今の日本は『夜警国家』に変貌しつつあり、その変化にともなって、言論表現の封じ込めが権力筋の喫緊の課題、狙いとなって露骨になってきたという説である。この夜警国家という耳慣れない言葉について、少し説明して置こう。

 数々の偽装事件が全国各地で起きており、官庁も、国民も、国家ぐるみで慢性的なモラルハザードに落ちている。これを糊塗しようとする動きが露骨な言論弾圧となって、出版社や個人を狙い撃ちする傾向が先鋭化してきた。筆者はこういう世界を"福祉国家"とは対極に位置する現代の"夜警国家"と呼ぶ。この夜警国家は、19世紀ドイツの社会学者フェルデナンド・ラッサールが、『労働者綱領』の中で編み出した言葉だ。これは昭和44年、文藝春秋社発刊、小泉信三全集・第24巻に収録されている。夜警といえば、レンブラントの有名な"夜警"の絵を思い浮かべる方もいると思う。夜警国家とは文字通り、夜警化した国家であり、国家の存在様態が、夜盗や外国の侵略に対して警備する力を持つだけでいいという意味である。ラッサール自身はこれを、近代自由主義国家の成れの果てという皮肉をこめた意味で使っているが、筆者はこの夜警国家に小泉構造改革路線が行なった「国替え」の真相を見る。小泉政権が激変的に敷いた構造改革路線、すなわち本質的にはネオリベ体制と呼べるこの政策路線は、その遷移の行き着く先として、現代的な意味における夜警国家に向かっている。福祉政策はずたずたに破壊され、逆累進課税的に弱いものへ重税を課す傾向に極端に傾斜している。年金制度も医療制度も崩壊の兆しを見せ始めている。今の日本は、歴史、文化、伝統を包含した連続的、有機的な基本概念としての国家観が崩れ去る一歩手前にきている。

 日本が夜警国家に変貌し始めている。植草一秀氏、水谷洋一氏、松岡利康氏が、その勇気ある告発の彼方に待ち受けていたものは、国家機関とかかわる位置にいる場所から発した陰険で熾烈な弾圧であった。米系国際金融資本の意のままに日本構造を改変した、自民党清和会を中心とする買弁勢力は、国家的変容が夜警国家、すなわち新自由主義体制の終局点としての監視国家に向かっている現実を糊塗するために、植草氏や松岡氏の言論表現に止めを刺そうと画策したのだ。国民には真相を悟らせないためである。植草氏は小泉政権の売国性をストレートに糾弾したからわかりやすい。だが、松岡氏の場合はどうだろうか。彼はたしかにアルゼというパチスロメーカーの巨悪を暴露したが、そのことと、夜警国家論と何のつながりがある?と思われる方も多いだろう。じつは大いにかかわり合いがある。警察官僚と強い癒着構造を有している企業の不祥事が世間に注目されてしまうことは絶対にご法度なのだ。松岡氏のアルゼ指弾はまっこうからこの不文律をおかしているのである。これを官憲が許せないということは、小泉政権の国家変容が一部の特権階級だけに恩恵を与える構図を持ったこと、また、その体制をガードする警察や検察の官憲機構や、裁判所が、国民のためではなく、支配階級や国際金融資本の走狗に成り下がってきたという現実が背景にある。エスタブリッシュメントは告発や暴露を絶対に許さないという腹を固めたのである。

 水谷洋一氏が雪印食品の偽装牛肉を告発したあとで、家業の倉庫業に対して、業界や監督官庁から陰湿な迫害を受け、営業が壊滅的打撃を受け始めたのが、りそなインサイダー疑惑と言われる金融疑獄事件が実際に進行していて、それが頂点にあったと思われる2003年初頭当時であったことはけっして偶然ではない。この時期に買弁勢力に手引き、誘導された外資は日本の優良資産を買いあさっていた。この実態を国民に知らせないために、官邸筋はメディアの統制色を強くした。当然、「告発」の類は最も警戒していたはずである。当時、西宮冷蔵を狙い撃ちした監督官庁は「国交省神戸運輸監理部」であった。この時期から、郵政民営化が本格始動する2007年の10月辺りまで、実質的には小泉官邸主導の性格を受け継いだ与党政権は、独裁色を一気に強め、政権に批判的な政治家や有識者達をことごとく第一線から斥けている。鹿砦社の言論弾圧事件が勃発したのも、郵政民営化解散総選挙の二ヶ月前である。当時は小泉官邸主導筋がマスメディアを掌握して、最も言論統制的色合いが露骨になっていた時期でもあった。買弁傾向が最も先鋭化したこの時期に、権力筋が言論封じに神経を尖らしたであろうことは容易に想像がつく。

四、単独の一揆的レジスタンス

 冒頭で、松岡利康氏と水谷洋一氏は、戦友にも等しい魂の絆を持つと書いたのは、けっして筆者の衒学的発想から出た言葉ではない。この二人が受けた漆黒の津波は同じ意志から発しているからであり、彼らは強い相似性を持つ。松岡氏は水谷氏が孤立してジリ貧になっていた時、物心両面で水谷氏を応援した。水谷氏が街頭カンパを呼びかけていた時、松岡氏は、鹿砦社発刊の「内部告発」という本、及び「スキャンダル大戦争」という雑誌を提供しており、これが街頭で売れたことが、西宮冷蔵再起の呼び水となった。翌年の4月、西宮冷蔵がようやく事業再開に漕ぎ着けた時、「西宮冷蔵を再建する会」が発足したが、この会長に、検察の裏金を内部告発した三井環氏が就いている。副会長には松岡氏がなった。この時の会長、副会長の成り行き的形態から、検察は、松岡氏が三井氏と強い絆があるかのごとく邪推し、それが鹿砦社弾圧の一因になった可能性もあると言われ、松岡氏自身もそう語っている。

 また、松岡氏は一つの根本的な疑念を呈している。水谷氏が今から六年前、巨大なガリバー企業の偽装を告発して、世間に衝撃的な波紋を投げかけているのに、昨今、食品偽装事件は減るどころか頻出傾向にあるのはなぜなのか、と。これについて、筆者には一つのとらえかたがある。かつて、日本が高度経済成長に歩んでいた時は、すべての製造流通分野において、世界に冠たる高度な品質管理(QC)を誇っていた。当然、安全や衛生も日本人らしい几帳面さで高度な管理が実現されていた。その当時であったなら、偽装がどこかで発覚したなら、それは即座に教訓とされたであろう。しかし、小泉政権が日本にネオリベ参入を許し、社会の価値を、人間的なモラルが消滅するような市場原理至上主義に置き換えてしまってから、日本人は全体的にモラルハザードにおちいってしまったと筆者は見ている。つまり「夜警国家」とは、人心の荒廃が極限まで進んだ社会と言うこともできるのだ。

 筆者は、その人間がどのような思想を持ち、どのような人間であろうとも、単身で大きな力に向かう行動様式に対しては、限りない讃美の念を持つ。誰にもできることではないからだ。近くでは、祖国に殉じて敵に突っ込んだ特攻隊もそうであるし、たとえば東映仁侠路線というフィクションであっても、ヤクザが組や仲間の義理人情のために、かなわない敵に向かって、血まみれになって自爆するという行動様式には純粋に心を惹かれる。ましてや、松岡氏、水谷氏、植草氏はフィクションではない。彼らも、筆者と同じ時代に生き、同じ歴史の潮流にもまれている儚(はかな)い人間たちの一人なのだ。押し寄せる時代の波に翻弄されるかよわい個人に、巨悪の跳梁跋扈を許さないという気持ちが澎湃(ほうはい)として湧き起こった。彼らは巨悪に睥睨されることを潔しとせず、果敢に立ち上がった。そして怯まずに睨みつけ、無謀にも立ち向かっていった。彼らの受けた返り血を、黙って見ている手はないと思った。筆者は多くの人間に向かって、彼らの勇気ある行動と魂の強靭さを提示する必要に今強く駆り立てられる。また、そうしなければ、この日本は早晩、壊死の憂き目に遭うだろう。

 7月30日、NHKで西宮冷蔵・水谷社長のドラマ『たったひとりの反乱』が放送されることは、艱難を超えて歩む植草氏、松岡氏、水谷氏にとっては、ひとつの暁光だろう。

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「たったひとりの反乱」今晩放映!!

  今日7月30日、午後10時より、NHKにて、偽装食品告発の先駆けとなった西宮冷蔵の水谷洋一社長のドラマ「たったひとりの反乱」が放映される。

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 2002年初頭、あるニュースが世間を賑わした。『雪印食品・牛肉偽装詐欺事件』である。これを告発したのが、兵庫県・西宮市にある倉庫会社、「西宮冷蔵」の社長・水谷洋一氏である。この内部告発から3ヶ月後に「雪印食品」は解体した。しかし、その告発の後、西宮冷蔵も国土交通省から営業停止処分を受けた。また、取引先は次々と撤退した。翌年の5月には倉庫の電気が止められた。水谷氏は正義の告発の後に、家業ができなくなるような迫害を受けている。しかし、彼は不撓不屈の精神で家族と心を合わせ、再建への苦闘を開始し、今日に至っている。

 最も苦しい時期に、水谷社長は、大阪の街頭に立ち、書籍販売の露天を開き、告発の経緯を書いた「内部告発」という本、および「スキャンダル大戦争」という雑誌を販売して再建資金の道筋をつけた。二冊とも鹿砦社出版である。鹿砦社・社長の松岡利康氏の物心両面にわたる援助があった。

 水谷社長のこの苦闘のドラマを是非見て欲しいと思う。小さな倉庫会社が、社会正義という一心から、雪印食品という巨大な企業の不正を告発したのである。しかし、その結果は会社の営業ができなくなるほどのしっぺ返しであった。今の日本は、社会正義から政治や企業の不正を糾弾すると、権力筋から理不尽な圧力がかけられる状況になっている。植草さんも、鹿砦社の松岡利康さんも似たようなひどい目に遭っている。良心的な有識者がこういう目に遭う現実は、国民にとってけっして良くない国政が行われている現実でもある。今の日本は言論の自由が危殆に瀕しているのだ。正義の告発者がひどい目に遭う現実がそれを物語っている。

 NHKで、今晩10時から放映される水谷社長の苦闘のドラマを是非ご覧になっていただきたいと思う。

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「竹中平蔵氏&木村剛氏」と植草さんの確執

   
 日曜日(27日)の御用番組「サンデープロジェクト」に、竹中平蔵氏と木村剛氏が仲良く肩を並べて出演していた。ほんの少ししか見られなかったので、全体として彼らがどのようなことを言っていたのかわからないが、竹中氏のりそな銀行救済に関して言及した部分は印象に残っている。正確ではないが、竹中氏は、「あれは非常に適正な不良債権処理だったわけです」という意味のことを言ったように思う。りそな処理に対する当事者として、竹中氏のこの発言は、当然ながら植草さんの指摘する見解と真っ向から異なっている。竹中氏と木村氏が仲良くテレビ出演している姿を見ると、竹中氏が2002年9月30日の組閣の後に、金融再生プロジェクトチーム(PT)なるものを発足させ、後に木村剛氏を参画させたことに思い当たる。このチームの目的は金融行政のルール変更であり、その首謀者がこの二人であった。

 植草さんは2006年9月13日に京急事件に見舞われた。品川手鏡事件も含めて二度にわたる植草さんの国策捜査論に懐疑的な連中は、しばしば次のような質問を行う。それは小泉政権にとって、植草一秀氏という一介のエコノミストの存在が、そんなに影響力のある重要な存在なのか?という疑問である。その答えはYES、小泉政権の本質を見抜いていた植草さんは、彼らの政策遂行にとって、理論的に最も懸念すべき阻害要因だったことは確かである。京急事件の起きた年の6月25日に書かれた「第10回『失われた5年-小泉政権・負の総決算(4)』」にはこう書いている。

 『2003年のりそな処理=株価底入れの過程については、3つの重要な論点があると述べた。①金融行政と外国資本との連携の疑い、②りそな銀行がなぜ標的とされたか、③りそな銀行処理における繰延税金資産計上の不自然さ、の3点だ。
 小泉政権は大銀行についても、「退出すべきは退出させる」方針を貫くことを再三にわたり表明していた。日経平均株価が7607円まで暴落した最大の理由がこの点にあった。大銀行が倒産させられるなら、企業の破綻は一気に拡大する。そして連鎖的に第二、第三の銀行破綻が引き起こされるだろう。いわゆる「金融恐慌」の懸念である』

  結果的に金融恐慌は起こらなかった。繰延税金資産計上の不自然さなど、大銀行を破綻寸前まで導いたが、寸前でその自己責任原則論を放棄して救済した。りそな救済にまつわる一連の動きには究明すべき背景があると植草さんは力説している。つまり、植草さんは、りそなの実質国有化には非常に不自然で大掛かりな人為的操作が施されている可能性があることを繰り返し指弾しているのだ。外国資本および買弁勢力と結託した金融再生プロジェクトチームが主導して、巨大なインサイダー取引疑惑が行われた疑惑を植草さんだけが見抜いていた。植草さんは現在も、竹中氏だけではなく、木村剛氏にも相当強い警戒心を抱かれていると考えてもまったく不思議ではない。その一つの証左が、最近、木村氏と関係の深い藤井まり子氏が、「貞子ちゃんの連れ連れ日記」で、唐突に植草さんの誹謗中傷を行ったことも間違いなくその線であろう。植草さんが現在ブログで精力的に清和会や「偽装CHANGE」勢力の胎動を警告し始めたことも、木村氏や竹中氏などを痛く刺激しているに違いない。

 植草さんを敵視している人物は、もちろんこの二人だけではなく、小泉政権を持ち上げた勢力すべてが、当時の政策パラダイムに反する植草さんを第一級の抵抗勢力として、その発言を封じたいと考えたとしても当然である。小泉政権が終え、その後を引き継いだ安部政権、そして現在の福田政権になっても、清和会主導の売国勢力は存続しており、小泉政権が敷いた国民を苦しめる政治体制の堅持に躍起になっている。その趨勢を植草さんは「偽装CHANGE」勢力に警戒しろという、まことに適切な表現で、今、精力的にブログで発信し続けている。「偽装CHANGE」勢力の構成要素は植草さんの言う「悪徳のペンタゴン」である。悪徳のペンタゴンとは、「政治屋(政)・特権官僚(官)・大資本(業)・米国(外)・御用メディア(電)」の五角形構造である。

 気をつけなければいけないのは、中川秀直氏の唱える上げ潮路線などは、ともすれば官僚主導論の弊害という、一見納得できる論法に隠れてその偽装性に幻惑されてしまうが、植草さんはその見分けを、高級官僚と一般公務員の区別をしないで、一般公務員が悪いと指摘する論法にあると指摘している。つまり、本当の悪は財務省が主導する一部高級官僚の天下りなどにあるが、偽装CHANGE勢力は、そこをぼかしたまま、一般公務員悪玉論にすり替えているから注意を要すると言っている。これは平沼赳夫氏などの官僚認識にも通じるところがある。中川秀直氏はその著書「官僚国家の崩壊」で繰り返し、「ステルス複合体」なる造語で、官僚とも学閥ともつかぬ曖昧な勢力を熾烈に非難しているが、これは普通に読んでいくと、私には一般公務員を指しているようにしか見えない。中川氏は、自分たちの身内共同体を尊重し、自分達の身分の安定を優先して動くエリート集団、彼らこそ抵抗勢力の本尊であるなどと書いているが、植草さんのようにはっきりと特権官僚に標的を定めていないように思う。

 「神州の泉」で時々、鋭い適切な意見を書いていただいているkenkensyaさんから、木村剛氏と植草さんのテレビ出演に関する貴重な投稿を頂いているので、それを以下に記す。木村氏や竹中氏は、テレビ対論において植草さんと強い確執を示したし、金融再生プロジェクトチームでも、彼らが画策した不自然な金融行政のルール変更などを考え合わせると、彼らが植草さんにどのような思いを抱いているか、かなり鮮明に見えてくるが、いかがであろうか。言論弾圧が起こるのは、言われると不都合な連中が、然るべき不都合な事情を抱えているからである。

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 「2003年の「りそな銀行」救済が発表されて間もなくだったと記憶する。東京放送のワールド・ビジネス・サテライトに出演されていた植草先生は、「りそな銀行救済策が出た後、意見と態度を180度変えた」木村剛氏と、この件について番組の中で小さな論争になるという場面があった。この時、ふてぶてしく居直る木村氏に対してムキになって反論された植草先生の目に光るものが、あったのを私は忘れることができない。おそらく、無念と、「してやられた」という思いが交錯した、「悔し涙」だったのだろう。
「ああ、この人は誠実な人間なのだな」私は直感した。私は、それ以来二つの事件について、植草氏の「無実」を疑ったことはない。高橋博彦先生のブログに出入りさせていただいている由縁である。
余談になるが、この少し前、私の弟子を僭称する証券マンが夜遅く突如電話をかけてきて
「師匠、木村剛って街金のオヤジにそっくりだと思いませんか?」
私も思わず吹き出し「ははは、そりゃそうだが、あいつは日銀出身だぞ」
「いや、私、吃驚しましてね、何故、街金のオヤジが突如、経済評論家になるのかと」
「ははは、だからお前は馬鹿だと言われるんだ」

こんな会話の直後、木村剛氏が街金まがいの銀行設立に関係したと聞き、私は呟いた。
「あの野郎、意外と人を見る目があるのかもしれん」

投稿 kenkensya | 2008年6月10日 (火) 01時23分
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2008年7月27日 (日)

内閣府による口封じに抗議する(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第102弾です)

 国の借金が増えたから、日本経済は今にも破産しそうだという珍説がある。何年か前、そういった説を唱えるブログに私が入り込んで徹底的に反論したことがある。そうしたら、大混乱が起き、これではブログが維持できないから、小野さんは別なところで反論してくれと泣きつかれた。白旗を揚げたのだ。

 本当に日本政府は愚かというしかない。国の借金が気になってしょうがないのなら、日銀が借金を買い取れば、簡単に解決することなのだから。バーナンキFRB議長やノーベル経済学賞を受賞したクラインやサミュエルソン氏などは口を揃えて、日銀に国の借金を買い取らせよと言っている。

 私は、どうしても国家破産説を唱えている思考構造が理解できない。どこで間違えているのか調べてみようと思い、一冊本を買ってきて読んでみた。著者は通貨発行権の事は知っているようだ。彼の主張は、日本は間もなく国家破綻をする。通貨発行権を行使すれば、ハイパーインフレになり、国債が紙くずになり、国民の金融財産が一挙に失われるという説のようだ。マクロ経済が全く理解できない悲しさだ。テレビに出演する解説者も、同様なレベルなのだろう。それではお金を少し刷ったらどうなるのかと聞けば、きっと彼は「少しぐらいでは全く効果がない」と答えるに違いない。では刷るお金を徐々に増やしていったらどうなるかと聞けばどう答えるか。あるところで一気にハイパーインフレになると答えるだろう。つまり、世界中たいていの国で1~3%程度のインフレ率を実現しているが、日本だけはデフレかハイパーインフレしか絶対にあり得ないのだ。

 どうしてそうなのか。それは国家破産と言わなければ、彼の本は売れないし世間は注目してくれない。名前を売るには、どうしても国民を恐怖に陥れる必要があるのだ。オーム真理教もそうだった。ハルマゲドンで信者を脅し、金を巻き上げた。

 適度なレベルの財政出動が日本を救うという計量経済学の結論を教えても、全く彼には理解できないのだろう。第一、財政出動の規模が少ないときは、全く効果が無く、ある程度財政出動の規模が大きくなったとき突然ハイパーインフレになるという経済モデルは作ることはできないし、全く現実離れしている。ハイパーインフレ説を唱える人は、計量経済学が全く理解できない人だ。残念ながら、こういった愚かな人たちによって世論が間違えた方向に誘導され、それが日本経済の衰退につながっている。1989年末には株式時価総額で14もの日本企業が世界20位までに入っていた。今日の日経によれば、現在の最高はトヨタの21位だそうだから、20位までに入っている日本企業はいなくなった。

 政府は一見するとこの愚かな連中と同様な主張のように見えて全く異なる見解を持つ。政府は国債を売っている立場だから、国家破産など絶対に言えない。しかし増税と歳出削減を主張したいために、「財政が厳しい」と言い、一方で国債を売りたいから国債は100%安全であり国家破産は100%無いと言う。では、誰も国債を買わなくなったらどうするのかと聞けば「最悪の場合は日銀に買ってもらう」とは答えないが、本音ではそう思っている。口をすべらして本音が出たら、きっと国民から、日銀に買ってもらえるなら財政は厳しくないではないかと言われるに違いないから大変だ。本音が言えない苦しい立場では、結局、財政出動をしても効果がないが、財政出動をしなくても、一気に景気がよくなるという、現実離れをしてインチキ経済モデルを国民に提示せざるを得なかった。そして「2011年度に基礎的財政収支を黒字化」という非現実的な国家目標を掲げることになった。

 私は、内閣府のモデルが如何にインチキであるかを分かりやすく説明し、質問主意書という形等で徹底的に追求した。マクロ経済モデルの専門家の集まる研究会が日本経済研究センターで開かれている。昨年私は、それに参加した。内閣府からも出席者があり、彼らのモデルの説明があり、私はそのモデルに対する疑問点を指摘した。どうやら私の追求は、内閣府には相当こたえたらしい。今年は内閣府が研究会の主催者に対し「小野盛司を参加させるな」という命令があったようだ。私は出席を許されなかった。これは憲法に保障された言論の自由を奪うものであり、厳重に抗議する。小野盛司の口封じをして、それで日本経済が良くなると言うのだろうか。内閣府が自らの経済モデルが正しいと思うなら、このような手段で言論の自由を奪うのでなく、堂々と反論すればよいではないか。質問主意書の答弁書はいつも「誤差が大きいので使い物にならない」というだけだ。使い物にならないような経済モデルを使って「2011年度基礎的財政収支黒字化」というような、とんでもない国家目標を作ったのはどう考えてもおかしい。

 本日(7月27日)TBSの時事放談でも民主党の岡田克也氏がこの事に関して間違えた見解を述べていた。政府の方針は

①まず2011年度に基礎的財政収支の黒字化を実現する。
②その後で、国の債務のGDP比を下げていく。

 である。寝ぼけ眼でテレビを見ていたので正確かどうか分からないが岡田氏は「黒字化は歳出削減をしても、やるべきだと思う。しかし、国の債務のGDP比を下げるところまでは、歳出削減だけでできるかどうか分からない。増税が必要になるかもしれない。」と言ったように思う。ほとんどの政治家と経済評論家は同様な事を言う。これはマクロ経済を全く知らないことを証明している。つまり②は①より難しいと考えているようだ。

 これは完全な間違いである。国の債務のGDP比を下げることは基礎的財政収支の黒字化の後でないとできないと勘違いしているからお笑いだ。しかし、すでに国の債務のGDP比は下がりつつある。内閣府のモデルでも、この傾向は今後数年間続くという結論を出しているのだ。これだけ重要なことを、次回の民主党の党首になるかもしれない人が知らないとは!!更に重要なことは、基礎的財政収支を黒字化しようとして歳出削減をすると国の債務のGDP比が逆に増えることが内閣府のモデルで示されている。それから、2011年度に基礎的財政収支の黒字化が実現しそうな幻想を与えているのは、単に内閣府のモデルが大本営発表であって、国民を騙すためにそのように作られているからに過ぎず、2011年度が近づくにつれ、徐々にその馬脚が現れつつあることはすでに述べた通りだ。

 政治家も経済評論家も是非これらのことを勉強して欲しい。真実を隠すために小野盛司の口封じをするだけでよいのか。本当に日本経済を復活させるには何をすべきか、今こそ真剣に考えていただきたいと思う。本来なら、マクロモデルを研究している専門家が内閣府のモデルを自由に批判できる環境が望ましい。しかし、そのような専門家はシンクタンクに属しているし、それらのシンクタンクには政府から調査研究費として多額の現金が流れており、少しでも批判をしようものなら、ばっさり金の流れを着られてしまう。つまり、政府のモデルがインチキだと知っていながら、全く批判ができない、つまり言論の自由を奪われているのが現状だ。日本経済を復活させるには、言論の自由を取り戻し政府による口封じを止めさせなければならない。

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2008年7月26日 (土)

真夏の風物詩「西瓜」

○西瓜喰いの奥義、etc・・。

 ここのところ、真夏の猛暑が続いている。これからも一層暑さが強くなっていくだろう。私は冷房が嫌いで、なるべく自然の暑さに身体を慣らそうとして汗が出るままにしているが、さすがにここ数日はつらい暑さである。そこで酷暑になると、条件反射的に思い出すことが貝原益軒の「養生訓」に有名な下記の言葉だ。

 瓜は風涼の日、及秋月清涼の日、食ふべからず。極暑の時食ふべし

 つまり、酷暑の真夏はキュウリや西瓜など、瓜(うり)類を食べると暑さ負けしないということらしい。私は物心ついてから西瓜が大好物であったので、夏になると益軒のこの言葉と関連付けてたくさん食べるようにしてきた。何のことはない、ただ好きなだけなのである。

 父が健在だったころは、畑を少しやっていて、さまざまな野菜類を作っており、西瓜も有機栽培で毎年作っていたが、ここ数年は自家栽培の西瓜を食べていない。そこでスーパーなどで買って食べていたが、なかなかみずみずしくて美味しい西瓜に出会ったことがない。ところが、昨日、近所のスーパーで新潟産の中玉を買って食べたら、これが大当たりで、肉質がきめ細かくみずみずしくて、さわやかな甘さで満足した。考えてみると子供の頃、食べた西瓜はほとんどこのように美味しい西瓜だった。冷蔵庫のない時代だったから、井戸水や付近を流れる小川などに冷やしていた。井戸水くらいの温度で冷やした方が美味しいのである。今のように食べ物が豊富にない時代だったから、西瓜は貴重な夏のおやつであった。冷やした西瓜を母や父が包丁を入れて真っ二つに割る瞬間にときめいたものだった。

 私くらい年季の入った西瓜喰いになると、西瓜に二種類の味わいを求めるようになる。最初はもちろん、赤い果肉のさわやかな涼味と甘みを味わうが、普通の西瓜好きの人は、そこで満足してしまうのである。ところが私のようなレベルに到達すれば、そんなもったいない食し方は我慢ならないのである。西瓜の本当の旨さは、実は皮の白い部分にあるのだ。あの白い部分にこそ、西瓜本来の旨味がぎっしりと凝縮している。その部分にこそ、ウリとしての西瓜の本質がある。内部の赤い果肉の部分の甘さは子孫を増やすために、鳥獣を欺いて、種子を広範囲にばら撒くための偽装ではないだろうか。しかし、ほとんどの人は西瓜の本質をあの赤い果肉部の甘さだと思っている。でも、勘違いしてはいけない。西瓜は果物ではなく、分類学上はウリ科のツル性一年草なのだ。しかし、ウリ類ではメロンと同様に、果肉には糖分がたくさん含まれていて、果物感覚で食べられている。もしかしたら、西瓜は進化の過程で、甘さを好む生物にタネを運ばせるために赤い果肉部分を果物仕様に偽装したのではないだろうか。園芸業界や菜園で、西瓜を果菜類(=果物と野菜の中間の意味)と分類していようが、西瓜はウリなのだ。(笑)

 だから、西瓜を食べている読者さんに進言するが、西瓜はウリ類だという認識を新たにして、虚心坦懐にあの白い部分を味わってみられてはいかがだろうか。果物感覚で甘い果肉を食べた後、まったく気持ちを変えて、キュウリの仲間だと思って、その白い部分を食べてみられるとよい。ウリの絶妙な味が口中に広がるだろう。ただし、促成栽培的に熟したものは皮は不味くて食べられない。あくまでも、自然の条件で、自然に熟したみずみずしい西瓜のみに私の言ったことは当てはまる。

 西瓜には昭和30年代の思い出が染み付いている。切った西瓜を家族で縁側に腰掛けながら、タネをプッと吹いて飛ばしあった。こういう光景は私の年代では、夏の思い出として、みんな似たようなものであろう。懐古趣味ではないが、当時はゆったりした時間と場所があった。今は環境的によくない。縁側もなければ、西瓜を冷やす井戸水もない。人間がほっとする空間がなくなってきているのが現代生活の特徴だ。効率と価値観の特化性、わかりやすい即物的な空間利用。しかし、現代社会のこういう計算された空間の矮小化や特化性にこそ、人間のゆとりや情緒が破壊される元凶があるように思う。昭和30年当時のあの縁側空間や、何にも利用されていない多くの空き地、あるいは森林資源として捉えられていなかった多くの里山こそ、実は人間にとって最も有用な空間ではなかったのか?

 基本的な疑念がある。だいたい、人生の辛酸をなめつくして生き抜いてきたお年寄りに、ほっとする空間を提供できない現代社会を健全な文明と呼べるものだろうか?縁側で、祖父母と孫が西瓜を食べながら、話ができたあの空間はほとんど見当たらないではないか。今はどこかがおかしい。

 現代社会の無機的な空間では、西瓜は風物詩になりえない。

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2008年7月24日 (木)

基礎的財政収支の黒字化見通しに暗雲 -内閣府モデルに騙され続ける政府-(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第101弾です)

 本日(7月23日)の新聞各紙には、「2011年度に基礎的財政収支の黒字化」という政府目標が厳しくなったと伝えている。それでも日経新聞は「黒字化の旗を降ろすな」などと馬鹿なことを言っている。この目標こそが、日本経済を急激に衰退させ国民を苦しめているものであり諸悪の根源なのだ。財政収支の黒字化と言えば、如何にも良いことのように聞こえるが、デフレ下においてこれほど害になる政策はない。デフレでお金が足りなくて国民が困っている時に、財政収支黒字化のために、増税で国民から金を取り上げ、歳出削減で国民に渡すべきお金を渡さない。

 どうしてこのような世界にも例を見ない最悪の国家目標を掲げてしまったのだろうか。これは小泉内閣が終わりに近づいた2006年7月に閣議決定されている。小泉首相は自分の在任中に経済成長を高めデフレを脱却すると言っていた。構造改革なくして景気回復無しというのが元々の彼のキャッチであったが、デフレすら脱却できないのでは、景気回復とは言えないし、結局構造改革が失敗したことになるから、デフレはどうしても脱却したかったのだろう。デフレ脱却は積極財政を行っていたら簡単にできたのに彼は緊縮財政を続けて、デフレ脱却に失敗した。すさまじい外需の後押しがありながら失敗したのだ。あれだけの猛烈な追い風が増えていれば、何もしなくても大変な好景気になっていたのに、彼は緊縮財政で常に景気にブレーキをかけ続けていた。その結果世界経済の中で日本がみるみるしぼんでしまい、経済では一流でないと大臣が言うまでに堕ちてしまった。

 小泉氏の最後の置きみやげが2011年度に基礎的財政収支の黒字化という国家目標だった。成長率を高め、デフレを脱却し、国の借金を返すという彼の目標は何一つ達成されなかったのだが、せめて「2011年度に基礎的財政収支の黒字化を」という目標くらい立てておけば、彼の後継者がやってくれるだろうと思ったのだろう。これが計量モデルを理解できない小泉氏の悲しさだ。なぜ2011年なのかと言えば、2006年度に発表された内閣府のモデルでは2011年に財政収支が黒字化すると予測していたからだ。しかし、ここに落とし穴があった。内閣府のモデルは、このままの政策を続ければ、あっという間に景気がよくなり、財政も改善しますよという大本営発表をするためのモデルだったのだ。国民を騙すために作られたインチキモデルであることを小泉氏も理解していなかった。このことは以前も説明した。念のため再度下の図に示す。このモデルでは1~2年でデフレーターはプラスになってデフレ脱却し景気回復することになっているが、現実はいつまで経ってもデフレは続いていっていることが分かる。
Gdp 
 このモデルは国民だけでなく、何と小泉氏までも騙してしまった。本当は緊縮財政を続けていたら、デフレはいつまで経っても脱却できないし、当然財政収支など黒字化するわけがない。当然のことながら、発表のたびに2011年度基礎的財政収支の黒字化見通しは厳しくなる。このモデルは大本営発表にすぎないのだから、そんなことは初めから分かっていたのだ。実際に内閣府の発表で見通しがどんどん暗くなっている様子を書いてみよう。

①2006年7月の閣議決定    (対GDP比)
  歳出削減がなくても2011年度に基礎的財政収支を黒字化する
         国 0.8%赤字  地方 0.8%黒字
         合計  0.0%
②2007年1月
  14.3兆円の歳出削減を行えば
         国 1.2%赤字  地方 1.5%黒字
         合計  0.2%黒字
③2008年1月
  14.3兆円の歳出削減を行っても
         国 1.4%赤字  地方 1.3%黒字
         合計  0.1%赤字
④2008年7月
  14.3兆円の歳出削減を行っても
         合計  0.7%赤字

 お分かりだろうか。2006年度には歳出削減も増税もなくても2011年度には基礎的財政収支は黒字化するというのが、このモデルの予測だったのに今月の発表は14.3兆円の歳出削減を行ってもまだGDP比で0.7%の赤字ということだ。もちろんこれは大本営発表にすぎず、時間が経つにつれて嘘がバレる運命にあった。それは上のグラフでもはっきり分かる。政府が今の緊縮財政を続けている限り、国民の生活を苦しめ、経済を悪化させ、財政健全化など出来るわけがない。政府がやらなければならないのは、景気対策(これはお金を刷って国民に渡す政策だ)である。そうすれば、あっという間に財政再建も財政収支の黒字化も実現する。インチキモデルに振り回されるのを止め、真に国民のための政策を行っていただきたい。今日の日経には、国民新党がマニュフェストに16兆円の景気対策を提言するとある。国民の事、経済の事を考えてくれている政党もいるのである。

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2008年7月20日 (日)

お金を刷るのがなぜいけないのか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第100弾です)

 多くの政治家やマスコミに出演するコメンテーターなどは決して、「お金がなければ刷りなさい」という提言など行わない。しかし、本日(7月20日)の報道2001にあったように、皆さんお金が足りなくて本当に困っている。番組で調査したところ生活が苦しくなったと答えた人が72%もいたそうだ。それはそうだ、デフレはお金が消えていく怖い病気。お金が消えれば国民はどんどん貧乏になっていく。貧乏になった国、日本に、ヨーロッパなどの金持ちになった国からどんどん観光客がやってきて買い物をする。彼らにとって貧乏な日本の物価は安い。給料が安いからだ。

 お金が消えていく病気を治す方法はただ一つである。「お金を刷りなさい。お金をつくりなさい。」ということだ。しかし、報道2001に出演した方々は一言もそれに触れなかった。本当は言いたいのかも知れないのだが、言えない。なぜだろう。それは単純な迷信からくるもの。よく似た例がエホバの証人たちが、宗教上の理由から輸血禁止を言っていることと非常によく似ている。私はエホバの証人を非難するつもりはなく、宗教の自由は日本では憲法で保障されているのだから、このことに関して彼らを攻めるつもりもない。何らかの理由で血が足りなくなったら、私は輸血をしてでも命を救うことは良いことだと考える。これは私の考えだ。私は輸血禁止の考えを取らない。

 お金を刷ることを禁止する考えは、一種の宗教だろう。デフレでお金が実体経済から消えてしまい、国民生活がどんなに苦しくなっても、お金を刷るべきでないという考えが日本を支配してしまった。これは経済学上、あるいは計量経済学上の結論ではない。もしも経済学上の結論でお金を刷る政策が否定されるのであれば、政府も堂々を論争に応じるだろう。政府は徹底してその議論を力で封じようとしている。その証拠に、我々が質問主意書という形で質問をしても、総理からの答弁書はいつも「内閣府のモデルは誤差が大きすぎるので参考にならない」となっている。「黙れ」と言ったつもりなのだろう。政府はやっかいな宗教にとりつかれたものだ。

 先週、内閣府は2008年度の名目と実質のGDPの予測を出した。実質から名目を引けばデフレーターが計算でき、2008年度の予測は-1%だ。これを使ってデフレーターの国際比較をしてみる。日本以外はOECDのデータだ。

Gdp

 デフレーターが0以下になると、デフレと呼ばれ、大不況を意味する。お金がどんどん消えていき、国民がどんなに長時間働こうと、どんなに素晴らしい発明をしようと、経済システムをどんなに改革しても、どんどん貧乏になる運命にある。だからこそ、どの国も絶対にデフレにしないようにしている。短時間だけデフレにしてしまうことはあっても、政府は直ちに景気を刺激して(お金を刷って)デフレから脱却している。日本はとんでもない宗教にはまってしまったもので、理由もなくお金を刷ろうとしない。それどころか、増税や歳出削減をしてデフレに拍車をかけている。

 例えば政府が1兆円の増税をして国の借金を1兆円だけ返したとする。国の借金は現在長期が800兆円、短期が200兆円くらい、合わせて約1000兆円ある。1兆円の増税でそれが999兆円になるのか。いや違う。毎年政府は利払い等で30兆円近く新たな借金を増やしている。1兆円の増税で、借金の増え方がほんの少し減るかもしれないが、借金は増え続ける。この方法でいつ借金は返せるのかというと永遠に返せないのだ。しかし、国には通貨発行権というものを持っている。これを使えば、国の借金は一夜にして返せる。

 これは輸血と同じだ。血が足りなくなっても輸血を受けないとがんばる人、出血多量の場合は死ぬしかない。輸血を受ければ血液不足によるショック死は免れることができる。日本の経済もこれに似ている。お金が足りなくなった。お金は刷らないと、いつまで頑張るつもりだ。お金を刷れば、日本経済を助けることができるのだ。もちろん、刷ったお金の額が多すぎればハーパーインフレになるが、計量経済学でしっかり計算して刷ればそんなことには決してならない。輸血でも多く輸血してしまうと害になるが、適量なら人の命を救う。

 7月24日(木)には、日本経済復活の会が開かれます。今回は8月8日(木)の大田大臣との公開討論会での戦略を話し合いましょう。どなたでも参加できますし、今からでも申し込みが可能ですので、一人でも多くの方のご参加をお待ちしております。

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中川秀直氏著『官僚国家の崩壊』を批判する

 ○この本は偽装CHANGE勢力のバイブルとなるかもしれない

 今日のサンデープロジェクトには小泉チルドレンの女性代表格として、小池百合子氏、佐藤ゆかり氏、猪口邦子氏が出ていた。これと同時に民主党・凌雲会の代表格の前原誠司氏が出ていた。この顔ぶれ自体が、植草さんの言う「偽装CHANGE」勢力の筆頭格である。この番組は田原総一郎氏が主導する御用番組であるが、植草さんが指摘するように、解散総選挙を目標とした、「偽装CHANGE」勢力が、にわかに活発化していると見ていいだろう。この勢力の影の中心人物の双璧は小泉純一郎氏と竹中平蔵氏である。そして、月9テレビドラマ「CHANGE」のシナリオを書いた人物が飯島勲前秘書官である。つまり、福田政権の底流で実際に蠢いているのは、小泉政権の亡霊ではなく、形を変えてしぶとく生き残っている小泉政権そのものである。つまり、植草さんが警鐘を鳴らす「偽装CHANGE」勢力とは、この日本に小泉政権が目指したものを完全敷設するための売国勢力と断言しても差し支えない。新勢力を装っているから「偽装」であり、その実態は植草さんが指摘する通り、自民党買弁勢力(売国勢力)の別働隊なのである。

 来るべき総選挙を睨み、彼ら「偽装CHANGE」派の精力的な布石がメディアで始まったという感じである。彼らは新興勢力として政界再編を目指しているが、その実態は日本にネオリベ導入を行って、格差階級社会を実現し、海外資本に徹底的に利益供与を行う亡国的グループと断じて差し支えない。一年前の参院選敗北で小泉構造改革にマイナスのイメージが付いたことを憂慮した売国自公勢力は、そのイメージ悪化を払拭するために、装いだけを変えて国民を欺く方針を固めた。それが偽装CHANGE作戦なのである。重要なことは、その偽装作戦を成功させるために、自民党内に『増税派vs上げ潮路線派』という党内対立を演出していることだ。この上げ潮派の代表格が中川秀直氏である。

 最近、中川秀直氏の書いた『官僚国家の崩壊』を読んでみた。この書は全編を通じて「官僚亡国論」に終始しており、戦前から現在まで続く官僚支配体制を熾烈に糾弾しており、一見すれば、植草一秀さんの主張と強くオーバーラップするものがある。特に財務省(旧大蔵省)主導の官僚主権構造の弊害の説明に縷々明け暮れているところは植草さんのテーマに共通するところがある。もうひとつ指摘したいことは、日本経済復活の会・会長の小野盛司会長と中村慶一郎氏が出版した積極財政振興論の著書「お金がなければ刷りなさい」の出版記念パーティに中川秀直氏が来場して、積極財政論に熱いメッセージを送っていることである。しかし、私は植草さんと同様に、中川氏のこれらの動きに関しては強い疑念を抱かざるを得なかった。理由は単純である。中川秀直氏が上げ潮路線を言い出したのが2006年からであることと、彼が小泉官邸主導政治の中核を為していた人物の一人であったことだ。言うなれば、小泉官邸主導という独裁政権を造った表の最大の功労者が中川氏なのである。(裏の功労者は飯島勲氏)

 2006年と言えば、竹中平蔵氏など、小泉政権の幹部連中も上げ潮路線に鞍替えしたころである。あれほど植草さんを敵視していた竹中氏が、郵政公社分社化や実質的民営化スタートを見守ることなく政治家を廃業して野に下ったのもこの年である。私は中川氏や竹中氏のこの反転的な動きは、小泉政策の間違った出力が国民生活をどん底に陥れ、その怨嗟が自分達に降りかかることを、あらかじめ予測して防御線を張ったのではないかと考えている。それと同時に、植草さんの言う偽装CHANGE勢力を成功に導くために、人気の低落した福田政権とは違う風が吹くぞという新しいイメージの作出を狙っているのである。それにしても、私は中川氏の『官僚国家の崩壊』を読んでいて非常に、腹立たしい箇所があった。それは「東大法学部卒が官庁に入らなくなった理由」という項目の中に、「現代の若者が官僚機構に求めているものは『非金銭的インセンティブ』である」という箇所である(P100)。アメリカに扇動されて、日本の社会構造を新自由主義に転換した中核的人物である中川氏が、今の若者の価値観が非金銭的インセンティブを求めていると指摘すること自体が、強い違和感を持って迫ってくる。市場原理至上主義を強引に導入した人物が、いまさら非金銭的インセンティブを強調することはおかしい。日本の文化や伝統感性を足蹴にし、金銭的唯物主義の価値観に社会を特化することに尽力した人物が精神性を謳うことはどうかと思う。

 中川氏はこの本で、竹中平蔵氏と小泉純一郎氏を一貫してべた褒めしているが、それここそが偽装CHANGEの最たるものであろう。彼は語る。あの当時、自民党政治に見向きもしなかった、二十代、茶髪、フリーターが、あの郵政選挙で自民党に投票したのは、小泉氏の「殺されてもいい」という捨て身の姿勢に、お金で買えない価値を見出したからだと言っている。まったくこれは真実を糊塗していると言うしかない。あの郵政選挙はメディアが米系保険会社の資金を背景に世論誘導したものであり、小泉氏の「命がけ」の真剣さはアメリカに追い込まれていたからに他ならない。つまり、国民のための真剣さではなく、国益を明け渡す約束の履行を迫られた上での真剣さであった。過去を美化する傾向は誰にもあるが、小泉政権には美化の要素はまるでない。この政権が五年半稼働したせいで、本来なら生じなかった尊い人命の犠牲が多数起こっており、避けられた多くの企業倒産が起こっている。結果的に国民生活は逼迫した状態に置かれた。

 また、中川氏の言い方で許せないのは、三浦展氏が使った国土のファスト風土化という言葉を使って、安部前総理の言った美しい日本路線を語っていることだ。いわく、コンクリートを剥がし、自然の美しい光景を取り戻すために公共工事を考えようということを、安部政権時代に幹事長を務めたときに訴えていると書いていることだ。私はその構想を“まっさらな土台”で提唱できる人物は植草さんや城内実さんしかいないと確信している。米国に阿諛追従して国益毀損をする政治体制に切り替えた人物が、ファスト風土化をやめて美しい国土に切り替えようと提言することは許しがたい偽装思想にしか見えない。中川氏は偽装CHANGE勢力の要注意人物ではないだろうか。

 彼が小泉・竹中継承路線の方向性を切り替えるとは到底信じられないのである。記憶に新しいのは、安部政権時、郵政造反組の復党問題が起きた時、安部氏が平沼赳夫氏ら造反組への確信的容認論を打ち出している時に、中川秀直氏は異常な反意を示した上、「詫び状」という踏み絵を復党組に迫ったことだ。しかし、その要求を毅然として拒んだ平沼氏は立派であった。内に小泉政治の熾烈な情念を秘めている中川氏が、「CHANGE」を旗印にして、小泉・竹中路線と訣別することはあり得ないことなのだ。もし本気で新しい政治の風を目指すのであれば、小泉・竹中路線にノーを突きつけることを最初の儀式的政治見解とすべきである。しかし、中川氏は小泉・竹中路線を賞賛していることで、彼が真に望んでいる政治風景が透けて見えるのだ。

 1994年、自社さ連立政権時に、中川秀直氏は総理補佐として活躍した。そのとき、彼が村山富市と会談した時に手渡した極秘文書には、「国民を衆愚視して専制的政治を目指す発想を排し、「賢い民意」による“賢い政治と政府”をめざし、「議会制民主主義」を確立する」と書いているそうである(P37)。しかし、小泉官邸主導政治を確立した中川氏に、この理念が微塵もないことは明かである。中川氏の上げ潮路線提唱は2006年からである。植草さんがいみじくも指摘しているように、なぜその前の小泉政権時にこの方策を提唱しなかったのか。彼は充分に実行できる権限を持つ立場にいる時、それをまったくしなかったことは致命的である。従って、彼が今唱えている上げ潮路線や官僚主導打破の政治をというスローガンが、リップサービスである可能性は非常に高いのだ。

 小泉構造改革の要点は、アメリカ型の小さな政府推進であり、自由と自己責任原則を柱とする考え方である。ところが、「障害者自立支援法」や「後期高齢者医療制度」の内実を見てもわかるように、小泉構造改革が謳う「自由」とは、弱者に対するセーフティネットをすべて取り外し、その中で自由競争原理を如何なく発揮できるシステム創りであった。これは資金の多さや、既得権保持者の優位性がそのままベース的展開となって弱者を駆逐し、一握りの金持ち連中がますます儲け、有利な立場になっていく方向性を持った。出発条件の公平性がまったくない絶対格差が前提の競争社会である。競争性の健全な条件を整えないままに弱肉強食原理を野放しにした市場原理至上主義である。これが導く社会の姿とは際限のないモラルハザードである。ネオリベラリズム(新自由主義)の拙速的適用は社会規範の加速的な崩壊を招くのだ。すでに、その証左は昨今の連続的に頻出するさまざまな偽装事件にはっきりと示されている。

 小さな政府とは、経済に占める政府の比重を限りなく小さくするという行政形態であり、お上の負担を減らすことであるから、当然、国民の税負担は減らす方向になる。減らした分の税金は可処分所得として消費に回るので経済は成長することになる。簡単に言えばそういう理屈である。ところが、小泉政権は財務省の方針に従って、財政均衡政策を堅持した。そのために国民に対しては、減税どころか、その逆の増税傾向が露骨に出た。問題は国民の税負担を軽減するはずの「小さな政府」が、いわゆる「強者」に相当する大企業や法人に対して行われていることだ。大多数の庶民階級には増税になっている。国民生活の恒久的な安定性を担保していた定率減税を廃止して、「逆累進課税」的な収税構造を帯びてしまった。国民年金や国民健康保険の値上がり、住民税の値上がりなどである。 医療負担金、各種年金、介護負担金など、庶民層の負担は確実に増大し、生活保護や児童扶養手当が無機的に削減された。セーフティネットを取り外し、増税しながら国民に自己責任を要求しているのである。これでは国家が国民の生存権を保障するどころか、力のない者は早く死ねと言わんばかりである。

「民にできることは民で」というスローガンで行われた、いわゆる「聖域なき構造改革」とは、国民をペテン(詐術)にかけ、大資本家に利益供与をするためだけに行われた大掛かりな偽装政策であった。共産党の小池晃議員も言っている様に、小泉構造改革は大企業を減税してますます強くすることによって、一般庶民の経済を底上げするという方向性が完全に間違いであったことを露呈した。ハイエク的手法が完全に破綻していることを示しているのだ。ハイエク的手法とは、わかりやすくイメージ的に言えば、機関車、動力車(=大企業や大資本家のこと)が強くなれば、客車(=中小企業や一般庶民のレベルのこと)を牽引する力も増して全体的に良くなってくるという一種の経済神話である。しかし、この理論を恒常的な統治政体で適用すれば、完全に破壊的な作用をおよばすことは70年代のアメリカで実証済みである。その実例を知りたいなら内橋克人氏の「悪夢のサイクル」によく説明されている。ここでは航空機業界に行ったネオリベ導入が完全破綻した実例が紹介されている。小泉政権のポピュリズムに幻惑され、今の日本は、アメリカがかつてたどった愚を何も学ばずに体験しているということである。

 大企業などの資本強者を優遇することによって、何が起きたか。それは経済底辺層(一般庶民)を救済するどころか、それとは真逆の国民底辺層の犠牲を強いる最悪の結果を招いたのである。「年次改革要望書」、つまり、アメリカが押し進めるグローバル・スタンダードによる国際的同調圧力と言うのは、国家秩序の緩みを意味すると私は考える。これは単に経済問題のみならず、国家特有の自立性、文明の特有性の崩壊に繋がることになる。宍戸駿太郎氏は、真の構造改革は単線的指向ではなく複線的指向で長期的視点でやらねばならないと言っている。小泉構造改革の不自然な性急性、拙速性は有効需要を無視してサプライサイドに収斂した。構造改革はデフレ下でやってはいけない、もしやるなら完全雇用が達成され、インフレ加熱の傾向が出てくる、いわゆる「ハイプレッシャー・エコノミー」の状況でやるのがいいと宍戸氏は語っている。小泉構造改革はこの真逆の破壊的道程をたどった悪政の見本である。中川氏の『官僚国家の崩壊』についてはまだ書きたいこと、警鐘したいことが多々あるが、本記事ではこの辺にしておく。

  偽装とは、いかにも、もっともらしいことを打ち出して中身の嘘を隠蔽することだ。国民は政策理念にも大掛かりな偽装が存在することを見抜かなければならない。それにうっかり乗せられてしまうと、小泉政権の悪夢が再び現出することになる。この視点で最も信頼できる人物が、植草一秀さんである。

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2008年7月18日 (金)

またか、GDP成長率の下方修正(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第99弾です)

 新聞報道によれば内閣府は日本の経済成長率見通しについて、実質で今年度1.3%前後とする方向で関係各省庁と調整に入ったとある。成長率見通しが、客観的なデータに基づいて計算されるのでなく、各省庁で相談しながら決めるというのも驚きだが、今回も例年通り、大幅な下方修正であり、やはり元の発表は大本営発表だったことが裏付けられた。以下の表で、内閣府による国民を馬鹿にした発表を示した。2002年から、この大本営発表を繰り返しており、どうして国民が怒らないか不思議でならない。
Photo_2 
 例えば2007年度の名目成長率は昨年1月には2.2%だろうと言っていたが、実際はその3分の1にも届かない0.6%だった。2008年度の成長率は昨年1月の予測では2.8%だったが、今回の発表では何とその9分の1以下の0.3%だ。2009年度の見通しもみるみる下がっている。つまり政府は、日本経済は順調に回復を続けていることを毎年アピールしているのだが、実際その年になってみると「予想外」に低い成長率であることが分かり、そのたびにもっともらしい言い訳がつけてある。

 その言い訳も2~3回ならまだしも、2002年度からずっと言い続けている。以前に2007年度の成長率が国際的に見て如何に低いかを示したら、今度のデータで2008年度の国際比較をしてみたので下のグラフをご覧頂きたい。日本以外はOECDの最新の予測を使った。誰が見ても明らかだ。日本の成長率は余りにも低い。これだけ成長率が低いと日本では何をやってもうまくいかないし、収入の伸びも全く期待できない。
2008

 現状維持ならまだよいのだが実はそうではない。ヨーロッパから見た日本のGDPのグラフを下に示す。これで分かるように日本経済は実は急激に縮小しているのだ。縮小を止める方法が無いのなら仕方がないのだが、縮小は簡単に止められる。お金を刷ればよいだけだ。刷って減税なり、歳出拡大で国民のために使うだけでよい。お金を刷る規模で、名目成長率は自由に変えられる。

Photo_3

 我々は、これらの事に関しても政府の追求を続ける。その一つの機会が大田大臣と宍戸駿太郞氏の公開討論会だと思っている。その日程が決まった。

ESRI-経済フォーラム
~経済政策とマクロ計量モデル~

1.日時 8月8日(金) 13時から15時
2.場所 霞ヶ関ビル東海大学校友会館

 しかしながら、内閣府の提案は到底受け入れがたいものだった。つまり彼らのプランは最初の20分だけ、大田大臣と宍戸氏の対談があり、それが終わると、大田大臣は逃亡(敵前逃亡?)し、その後は、御用学者がぞろぞろ登場にて、政府の政策の擁護をするというもの。なぜ内閣府はいつもそのような悪知恵をはたらかすのだろう。政府は、ちゃんと国民の声を聞くべきだ。随分長い間、国の借金を返そうとして、緊縮財政をしているが、全然返せてない。緊縮財政は国民の大きな犠牲のもとで行われたのだが、その結果として日本経済は随分縮小した。得る物は何もなかった。政策の根本的な間違いがあったのではないかと疑うときに来ている。今こそ専門家の声に耳を傾けるときだ。

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「偽装CHANGE」勢力の胎動に目を配ろう!!

 植草さんが今、精力的に警鐘を鳴らしていることは重大である。それは自民党の清和政策研究会、および民主党の凌雲会勢力が中心となって策動体勢を整えつつある「偽装CHANGE」作戦のことである。やっぱり植草一秀さんという人物は歴史的な人物である。あれだけ、ひどい目に遭ったあとで、ご自分の体勢を回復しながらも、現在進行している政権勢力の危険な徴候、胎動を見抜き、ブログ発信で世間に警告を発し続けている。この果敢な姿勢は、彼が小泉・竹中構造改革路線の誤りを不退転で指摘し続けたことと、りそなインサイダー疑惑を指弾し続けたこととまるで同じである。このような行動は常人ができる範囲を超えている。彼のブログ記事を読んでいればわかるが、植草さんは再び巨大な売国勢力に立ち向かっているのだ。

 今の植草さんは2004年4月の品川事件、そして、2006年9月の京急事件の直前に、彼が政権主導筋によって、対米隷属仕様の構造改革における第一級の阻害因子を孕んだ人物として睨まれていたことと、まったく同じ位相に突入していると思う。つまり、今、彼や彼の考え方を支持する者たちは、現主力政権筋に睨まれ、非常に危険な状況に至っていると考えた方がいい。今、彼らは当然、何としても植草さんの言論展開を阻もうと画策しているはずである。しかし、植草さんは現在、言論表現手法を、リアルタイムで発信でき、双方向通信が可能なインターネットで行っていることにより、彼の日々の言論は多くのネットユーザーに強く注目されている。それは政治ブログランキングの上位に位置していることでよくわかる。

 私が言いたいのはこの状況で政権筋が、植草さんに下手に手を出した場合、ネットユーザーを中心とする多くの反構造改革派、反対米従属派、国民層の多岐に渡るセーフティネット回復希求派が黙っていないことだ。おそらく、品川、京急事件に続く三度目の謀略はもう通用しないだろう。しかし、彼らは何としても植草さんの『偽装CHANGE警告』言論を潰そうと、あの手この手を考えていることだろう。今、植草さんの言論に注目する方々は注意して植草さんのことを見守って欲しい。

 さて、『知られざる真実ー勾留地にてー』第一章の13によれば、今から9年以上も前、小泉政権が誕生する以前に、植草さんは日経新聞の現社長である杉田亮毅氏に依頼され、約一時間半の時間をもらって小泉純一郎氏に進講した。そこでは小泉氏に、1990年以降の日本経済の推移、米国の三重苦克服のメカニズム、日本の三重苦克服の方策を説明した。ところが、小泉氏は序盤から植草さんを遮って持論を展開したそうである。 植草さんは何とか説明を続けようと試みたが、まったく虚しい結果となった。つまり、小泉氏は植草さんの経済分析や展望、国民経済の寄与にはまったく関心がなく、この時点でいかに宰相の器量を持っていなかったかを充分に証明していたのである。植草さんが嵌められる第一の伏線は、すでにこの時に発生したようだ。植草さんの不安は的中し、小泉氏は政権を超緊縮財政に導いて経済を落下させた。植草さんは小泉氏が総理大臣になってからも、二回ほど話したことがあるそうだ。2003年の自民党総裁選に際してのテレビ討論と、フジテレビの「報道2001」だった。「郵政民営化」論でも小泉氏は植草さんに激しく反論したらしい。(同書P65~66参照)

 さて、植草さんはフジテレビの月9ドラマ、木村拓哉主演の総理大臣ドラマ「CHANGE」を、政治的プロパガンダ・ドラマであり、国策番組の疑いが濃いと言っている。小泉官邸主導政権の中枢にいた飯島勲元秘書官がシナリオを書いているのなら、その可能性はきわめて高い。テレビメディアが国民世論の誘導操作を、ニュース番組やニュース・ワイドショーだけでやるわけではない。ドラマの物語性や役者の演技に感情移入できる政治ドラマを華やかに制作すれば、それは娯楽番組ではあっても、確実に視聴者のイメージに影響を与えることになる。このドラマが狙う視聴者へのサブリミナル効果は、小泉構造改革がいかに的確で正しいベクトルを有していたかを、識域下に刷り込む(imprinting)ことにある。俗に言えば、やっぱり小泉改革継承路線は良かったから、それで行くしかないのだという方向である。これはかつて竹中平蔵氏が主導して、いわゆるB層連中をターゲットにして、小泉バンザイを洗脳した手法の別バージョンである。

 自民党買弁勢力は、このドラマ「CHANGE」を旗振りとして、福田政権の絶望的な不人気を踏まえ、政権交代によって民主党に与党の座を明け渡さないために、ある種の偽装新興勢力を旗揚げしようとしている。植草さんは現在の与党主力勢力(清和会)や民主党の買弁勢力(凌雲会)の基本姿勢を次のように捕捉している。

①弱肉強食奨励 ②官僚利権温存 ③対米隷属外交

 この三つは小泉・竹中構造改革路線の主軸であるが、「偽装CHANGE」とは、小泉政権が確立したこの三つの基本姿勢を、将来的に堅持していくために、外装、見かけだけを華々しいものに変えて国民を欺く手法なのである。国民を不幸にするこれらの政策主軸のベクトルを変更するには、これらと正反対の政策理念を掲げることである。それが、

①セーフティーネット重視  ②官僚利権根絶 ③独立自尊外交
という対置的政策理念である。

 昨今は偽装が流行のようになっているが、小泉政権は国民を欺く偽装政権の最たるものだった。この偽装政権が外側の衣を変えて国民をまたたぶらかそうと、今、大きな胎動が始まった。植草さんはそれを国民に警告しているのである。
                                                
 再度言うが、今、植草さんがネットで展開している「偽装CHANGE」警鐘は、彼が、りそなインサイダー疑惑を指弾していた時と同様のインパクトを持ち、買弁政権筋は、またもや植草さんを徹底的に眼の仇にしていると考えた方が良い。したがって、植草さんを支持するネットユーザーやブロガーの皆さんは、植草さんの言行録に最大の注意を払って見守って欲しい。電車による三度目の偽装事件は無理だとは思うが、彼らも計画が挫折しないように必死である。したがって、まだ何をするかわからない不気味さがある。国民の視点で言うなら、今、植草さんの心底から発する良心的な警告を無視しないで欲しい。これが無視された場合、小泉・竹中路線が敷き詰めた亡国的な趨勢は後戻りできなくなるだろう。

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2008年7月16日 (水)

お金を刷りまくる米国(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第98弾です)

 サブプライム問題(低所得者住宅ローン)を受け、米国がお金を刷りまくっている。もともと資本主義経済では、バブルでお金が一気に増えたり(増えたつもりになるだけかも)、逆にバブルが崩壊して、一気にお金が消えたりするものである。お金が一気に消えたとき、日本政府と日銀は、慌てふためいているだけで適切な経済政策をしなかった(何をすればよいのか知らなかった)から、日本経済は一気に縮小し、日本は貧乏になってしまった。

 米国は違う。お金が一気に消えたときは、お金を刷りまくるのが最良の経済対策だ。2月には総額焼く1680億ドル(約18兆円)の財政出動(減税)を行い、7月11日には総額最大3000億ドル(約32兆円)の救済法案を上院が可決した。政府によるローン保証を大幅に拡充し、住宅差し押さえや不良債権の増加に歯止めをかけた。それだけではない。7月13日、ポールソン米財務長官は、サブプライム問題による経営不安から株価が急落している政府系住宅金融会社ファニーメイと米連邦住宅貸し付け抵当会社(フレディマックに公的資金の注入を検討して資本増強をするとの声明を発表した。両社の住宅ローンは5兆~6兆ドル(約530兆~640兆円)を保有または保証している。これは日本のGDPを上回る巨額なものだ。この2社の株価急落を受けて米当局が支援に動き出した。

 損失が出れば国民の負担となると日本のマスコミは解説するが、米国人にはそのような感覚は無いだろう。刷った金に国民の負担は無い。それよりサブプライム問題で負の連鎖が発生するよりはるかによい。米国はデフレに陥る手前で必死に景気浮揚を試みている。日本の愚を繰り返すなということだ。通貨発行権を放棄すれば、デフレ脱却は極めて難しくなり、日本のように11年連続デフレーターがマイナスという異常事態にもなり、国はどんどん貧乏になっていく。それは、日本全国民がどんなに働いても、どんなに構造改革をしても、どんなに素晴らしい発明をしても同じこと。お金が消え続けるデフレの下では、貧乏になるしかない。今日の朝日新聞には、内閣府は2008年度のGDP成長率の見通しを実質で1.3%、名目で0.3%とする方向で最終調整に入ったとある。昨年12月に発表した政府経済見通しは実質2.0%、名目2.1%であったから大変な下方修正である。下方修正は2002年度の経済予測を発表以来、毎年の年中行事となっている。

 しかしながら、名目GDP成長率が0.3%だと平気で予測するとはどういう神経なのだろう。下の図を見ていただきたい。2007年度は0.6%成長であったのだが、これは世界の中で際立って低い。それなのに2008年度は、さらにその半分の0.3%だという。国民は怒りを爆発させるべきだ。どこまで日本を貧乏にすればよいのか。名目から実質を引いたものがGDPデフレーターであり、これがプラスになればデフレ脱却となるのだが、昨年12月の予測では2008年度の名目成長率はプラス0.1%であったが、今回はなんとマイナス1.0%だ。

2007

 本当にデフレ脱却が困難なのであれえば仕方がないが、国がお金を刷って減税とか福祉、医療費、教育費や国民の将来に向けての投資などに使えば、簡単にデフレは脱却できるのである。政府が当然やらなければならないことをやらないために国は衰退する。

 貧乏になりつつある国、日本、に投資する人はいない。海外の投資家や日本の国内の投資家はもちろん、日本政府さえも国内に投資を避けようとしている。政府も国家ファンドなどを作り、国民から集めた金(年金積立金など)を海外に投資するのだという。日本から逃げ出した資金が海外で暴れまくる。米国の貧乏人に金を貸して住宅を建てさせた。いわゆるサブプライムローンだ。それが危なくなると、資金は産油国へ移動。それが原油価格の高騰を招き、世界中を困らせている。

 海外に逃げた資金を日本国内に取り戻す方法はただ一つ、日本経済を成長軌道に乗せることだ。そうすれば投資家達も日本市場に資金を移動させ始める。世界の株式時価総額の日本のシェアは1990年には32.9%だったものが2007年には7.3%にまで激減、2008年には更に株価は下落している。資金は貧乏になりつつある国から逃げてしまった。

 デフレを正攻法で脱却させよ。不況下の物価高騰で苦しんでいる国民のためにお金を刷って使いなさい。計量経済学の示す通り、それにより経済は高成長し、それにより逃げた資金は帰ってくる。投資家は低すぎる日本の株を買いまくるだろう。大量の資金を、サブプライムとか、原油価格の高騰などの「悪さ」をするために使うのでなく、日本経済発展のために使ったほうが良い。そのほうが、日本経済だけでなく世界経済にとっても良いことである。

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2008年7月14日 (月)

来月中旬、マッド・アマノさんの新著が出ます!!

  神州の泉・管理人の私が深く尊敬し、最近生起するさまざまな社会事象などの背景を、いろいろとご示唆、ご教示していただいているイラストレーターのマッド・アマノさんが、来月(8月中旬)に新著を出されるので、その前書きをいち早く当ブログにて紹介しておきます。本のタイトルは『マッド・アマノの謝罪の品格』です。

 マッド・アマノさんの表現手法はパロディ・イラストですが、政治や社会現象のこういう風刺的表現を行うには、非常に深い知識と洞察力が要求されると思います。そういう意味では、マッド・アマノさんはこの分野の草分け的存在であり、現代日本の稀少な文化人のお一人です。マッドさんは以前から、日本人の国民性としての謝罪文化に鋭い分析を加えておられ、その考察をついに本に著しました。来月、この本が世に出ましたら、神州の泉でまたあらためて紹介しますので読者の方々はご記憶ください。

 尚、マッドさんは『リコール!小泉鈍一郎』という本を出されていることからもお分かりのように、小泉政権、およびその継承政権を痛烈に批判する立場でも知られています。また、マッドさんは動画で佐野美和さんと対談されているので是非こちらもご覧ください。
http://loxx.tv/mad/index.html

                         (神州の泉 高橋博彦)

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  『マッド・アマノの謝罪の品格』まえがきより

 「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」など多くのヒット曲を世に出した桑田佳祐率いる人気バンド、サザンオールスターズがニューアルバムを発売するにあたって全国紙に全面広告を掲載したことがある(2005年9月1日)。報道陣の前で神妙な面持ちで頭を下げる4人のメンバーの中央に桑田が泣きながら何やら釈明している、という何とも奇妙な広告。大げさな泣き顔は誇張されていて笑いを誘う。見出しの冒頭に「お詫び」とある。えっ、桑田が何を詫びるの?と怪訝に思いつつ、つい文章を読みたくなる。そこがこの広告の狙い目なのだ。広告文はこんな感じで始まる。「私どもサザンオールスターズは、よく考えると7年もの間オリジナルアルバムを発表しておりませんでした。けっして遊んでいたわけではありませんが…」、そして「ついに新曲も含む2枚組の大作を完成させるにいたりました。」とさりげなく宣伝する。さらに、「秋には、お詫びの意味も兼ねまして全国ツアーに伺いますので何卒、よろしくお願い致します。」と謝罪とツアーの告知とを巧みに織り交ぜている。最後に、「皆様、お待たせしてしまい大変申し訳ありませんでした。」「これで許して。」の言葉でしめている。

 不祥事を起こした企業の経営陣が雁首下げて謝罪するシーンを嫌というほど見せられてきた私たちの怒りとあきらめにも似た嘆きを彼は逆手に取っているところがいかにもサザンらしいユーモアだが"謝罪会見流行り"を茶化しているばかりか痛烈な社会風刺となっている。

 実は私は「頭下げ会見」の写真入り新聞記事を約12年前から収集してきた。今ではA4・40ページのファイルが6冊にも及び、ざっと数えただけでも300近くある。どれを見ても大の男が深々と頭を下げて謝っている写真ばかり。この写真を一冊の本にまとめたいと考えた。ほとんど文章がなくとも風刺が効いて面白いはずだと思った。世界にまれな「頭下げ写真集」はたしかにパロディー的に見て笑えるものだ。外国で売ればかなりユニークな「日本人論」になるはず、と独りほくそ笑んだ。
  
 「頭下げ」写真の収集のきっかけとなったのはミドリ十字の経営陣5人が土下座して謝っている某週刊誌に掲載された写真(96年3月14日号)だ。これは衝撃的だったので記憶されている方も多いと思う。輸入血液製剤でエイズウイルスに感染した血友病患者らを前にしてのパフォーマンスである。平身低頭謝れば急場を凌げるばかりか罪を軽減できると考えての行為なのだろうか。これを見せられた私たち多くの日本人は「これほど真剣に謝っているのだから許そうじゃないか」という気分になったのではないだろうか。これこそが過ちを犯した側の"思うツボ"なのだ。過去に謝罪会見を行った彼らはおしなべて陳謝の弁の舌の根が乾かないうちに裏でベロを出している。反省の色は見られないのだから始末が悪い。

 謝れば罪を問わない日本の道徳観を私はあえて「謝罪文化」と呼ぶ。こんな文化は少しも褒められたものではない。ここで注意しなければならないことは数多く行われてきた頭下げ会見の中で本質が隠されているものが多々ある、ということだ。たとえば「薬害エイズ問題」。厚生大臣が頭を下げるだけでは根本的な解決にはならない。なぜならば厚労省、製薬会社、病院などの癒着だけではなく国際製薬会社の"暗躍"を否定できないからだ。さらに、そごう、西武グループはたまたグッドウイル・グループなどの不祥事発覚の背景にはカリスマ経営者の追い出しを画策する国際金融資本の影がちらつく。経営者の謝罪・退任で一件落着?いやいや、そんな簡単な話ではない。裏でどす黒い乗っ取りが行われているのだ。一方、"食肉の帝王"ハンナンの浅田社長、ライブドアの堀江社長、"防衛省の天皇"の異名をとる守屋防衛相らの逮捕・長期拘留のケースは、不祥事の張本人でありながらなぜか謝罪会見がない。これらの裏に国策捜査の臭いがフンプンとする。外国人の謝罪はごくまれだが本国では習慣のない頭下げ謝罪をあえて行った駐日米国大使・米軍幹部や三菱ふそう、シンドラー社らの本音を読みとることも重要だ。

 船場吉兆ではないが紙に書いたメモを顔も上げずにただ棒読みする"品のない謝罪"はご免被りたい。これからは謝罪にも、ある種の「品格」が求められるはず。そこでタイトルを「謝罪の品格」とした。年末恒例の「今年の漢字」の向こうを張って「今年の品格ある謝罪」を選定してベスト・ワンに大賞を授与したいくらいだ。
  
  カタチだけの「頭下げ」パフォーマンスに騙されず、その裏を的確に読みとることこそが重要だ。

                     2008年初夏 マッド・アマノ

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7月12日の集会に出てみて

  昨日12日土曜日は、鹿砦社の言論弾圧事件から、三周年目を記念して、「今、表現の自由を考える集い」が開かれた。私は鹿砦社の「紙の爆弾」に拙記事が掲載されたこともあり、鹿砦社の社長さんである松岡利康さんにはお礼方々、一度お話をしてみたいと思っていたので、神戸に出向いて集会に参加させていただいた。集会の場所は神戸総合福祉センターで、あの楠木親子を祭っている湊川神社のすぐ横だった。私は父親から、自分が22歳で満州北支方面隊に出兵する直前に、この湊川神社に参詣してから船出したと聞いているので、会場に到着する前に神社境内を歩き、拝殿でお参りした。左翼の方々が多く来られる集会に赴いて、神社を参拝する自分の行為は奇妙に映るかもしれないが、私の中では日本人として普通の行為である。

 私個人は鹿砦社の松岡氏やエコノミストの植草さんを応援することは、左翼右翼思想の延長上で行っているのではなく、日本を悪くする勢力に敢然と立ち向かい、その結果として、マスコミや時の権力から迫害を受けている人を支援したいという人間としての心情からである。今の日本、あるいは外の多くの国々は、グローバリゼーションと新自由主義の極端な介入によって、先祖から受け継いだ国民性や国柄、人間性を失わされてきつつある。この趨勢がもたらす金銭至上主義、弱肉強食の論理は、社会の隅々まで浸透し、本来的な人間の持つ良いものがどんどん失われ、モラルが極端に低下する結果を招いた。この状況は日本で言えば、際限のないアメリカ化である。与党連中は国民の幸福についてはいっさい考えていない。

 戦後、これほどひどい政権与党はなかった。彼らは一部の金持ち連中だけが、富を享受し、多くの下層格差階級の苦悶を尻目に、マスコミや権力を自在に駆使して、ますます自分達に都合のいいように各制度などを立案したり変更したりしている。小泉政権以降に成立した法律は表層的には国民利益を謳っているが、その内実は「後期高齢者医療制度」や「障害者自立支援法」などを見てもわかるように、徹底的に弱者から吸い取る方向性を持っている。一方では法人などの税率は下げられている。清和政策研究会が牛耳る小泉政権以降の政権与党は、棄民的体質を持つ非常に危険な政権なのである。これらの政権がネオリベ体制に日本を切り替える段階で、いわゆる国策捜査と言われる一連の言論弾圧事件が起きている。こういう趨勢の中、西宮冷蔵への迫害も、鹿砦社への弾圧も、植草さんへの弾圧も起きている。つまり日本の政治体制はネオリベ傾向が高まる中で、同時的に言論統制傾向が著しく強まっている。この実態に国民は無関心である。それはマスメディアが故意に知らせないからである。何度も言うが、テレビを筆頭として、マスメディアはアメリカに追従する政権の言いなりだからである。

 さて、土曜日の集会では田島泰彦先生の基調講演で始まり、言論の自由の危機を語られていたことは身に沁みる内容だった。また、集会には一水会代表の鈴木邦男氏が来られ、松岡氏へのエールを送られた。鈴木氏の言葉の中で、非常に印象に残り、自分も賛同したことは、「左翼がもっと元気を出して欲しい」と言われたことである。この言葉の意味は非常に深いものがあると思う。この世の森羅万象には、男女、北極・南極、電池のプラスとマイナスのように、両極性(ポラリティ)がある。私は思想も同じことだと思っている。左翼だけでも駄目で、もちろん右翼思想だけでも駄目なのである。左翼と右翼が両立性を持ち、拮抗作用を持つことによって、思想や言論界のバランスが取れるのではないだろうか。もっとも、それについて理論的になぜかということはわからないが、洞察的にそう思えるのである。どちらか一方が極端に突出すると非常に良くない傾向になる。現在の日本は擬似的な右翼が優勢になることによって、左翼全盛時代よりも時代が劣化している。つまり、言論の自由度が著しく下がってきているのだ。乱暴な論法だと思うが、右傾思想の方向性が誤まると権力の濫用が起こり、国民の自由度は著しく制限される事態が生れてくる。特に、国際金融資本の思惑と、小泉、安部政権のような誤まった国家主義がリンクすると、とんでもない閉塞的な社会が現出されてしまう。今の日本がそういう趨勢下に置かれていることは火を見るより明らかである。ネオリベの創始者であるミルトン・フリードマンはいっさい語っていないが、新自由主義は警察権力の強化と、戦争への志向性が一気に高まる性格を有している。そういう意味では、今の日本は危険なゾーンに入りつつある。

 話は変わるが、雑談日記のSOBAさんから動画を紹介してもらって、初めて知ることになった、門真(かどま)の市議会議員・戸田ひさよしさんも駆けつけてくれた。戸田ひさよしさんの動画では、大阪府知事選の時、橋下徹弁護士を激しく弾劾していたことが印象にあり、自分も同感であったために、いつかはお会いしたいと思っていた。サングラスをかけていて、その筋の人かなと一瞬思ったが、はっきりした大きな声に聞き覚えがあった。それで私から戸田さんにお声をかけてみた。私は私なりに、植草さんの応援者として、橋下弁護士が、根拠のない女性セブンの捏造記事を土台にして、植草さんの性癖論をテレビで強調した事実はけっして忘れることはない。この人物がリーダーになってもよいのか。日本がひどい状況に陥っているのは、こういう人物が府知事になっていることだ。民主的に選ばれたというよりも、テレビの出演回数を異常に多くして、自公が異常に肩入れした事実は、明らかに自民党を動かす外の勢力のメガネにかなっている人物だということである。国民はマスコミのイメージ操作によって作られた人物に警戒するべきである。
 
 戸田さんとは橋下氏のことで、もっとゆっくり話をしたかったが、彼は人気者だったのでなかなか機会ができなかった。戸田さんには、植草さんが嵌められたという私の話を真摯に聴いていただけて嬉しかった。またお会いすることもあるだろう。鹿砦社の松岡さんとはゆっくり話ができて神戸まで行った甲斐があった。また支援者の方々とは親睦会で打ち解けた話が出来て楽しかった。親切に話しかけていただいた人の中に、「完全ヒモマニュアル」や「大震災名言録」などを書かれた鍵英之(藤尾 潔)氏がいて、非常に有意義で楽しい会話ができた。あらためて鹿砦社の松岡さんの交友範囲の広さに驚かされた思いである。

 余談であるが、神戸の人たちの親切心には感動した。私が会場の場所などを訊ねると、丁寧に説明してくれ、その上に途中まで一緒に道を歩いて案内してくれた。それが一回だけではなく、一日の中で駅や建物を聞いたとき、全部で三度もあった。恐縮する思いと同時に、関西人の親切心には昔の日本人の名残りを見て感動した。こういう所まで、冷たい東京のような雰囲気にならないように日本人は回復される必要があると心から思った。

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2008年7月13日 (日)

中川昭一元政調会長が財政出動の政策提言(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第97弾です)

日本経済復活の会 会長 小野盛司

 我々が待ちに待っていた大田大臣と宍戸駿太郞氏の公開討論会は8月8日に決まった。いよいよ、内閣との直接対決が行われる。乞うご期待である。そういった時に7月10日発売の月刊誌「中央公論」で自民党の中川昭一元政調会長が「日本経済復活のための13の政策」と題した提言を行った。マスコミの扱いはそれほど大きくはないが、中川氏が総理に名乗りを上げたとか、景気対策の議論が解禁になったとかということで話題になっている。我々としては、この記事が発端となり、世論が動き、正常な経済政策への大転換が起きて欲しいと願うものである。

 中川氏の提言は
① 2兆6000億円の定率減税の復活
② 2兆円の法人税減税
③ 年金の物価スライド制の復活
④ 長寿医療制度での保険料軽減
⑤ 基礎年金の全額税方式
⑥ 抜本的な少子化対策(2.5兆円)
⑦ 証券市場の活性化
⑧ 政府系ファンドの創設
⑨ 世界的競争力を有する産業育成
⑩ 規格のグローバル化
⑪ 都市再生
などである。これらを含めた経済対策の総額は21兆円あまりとしている。

 昨日(7月11日)の日経新聞には園田博之自民党政調会長代理が「補正を使って内需拡大策」を行うという記事が載っている。検討中の今年の補正予算編成の狙いはという問いに対し園田氏は「予算編成後に生じた新たな問題が原油高騰、高齢者対策、内需拡大だ。内需拡大は例えば農業や漁業、中小企業対策、環境対策だ」と述べている。

 明らかな変化が感じられる。今まで我々の質問主意書に対する政府の答弁は、「政府としては、基本方針二〇〇七において、予算編成の原則として、民間需要主導の経済成長を目指し、景気を支えるために政府が需要を積み増す政策はとらないこととしている。現在の極めて厳しい財政状況等を踏まえれば、経済成長を維持しながら、歳出・歳入一体改革に正面から取り組むことが必要であると考えている」(内閣衆質一六八第一〇号  平成十九年九月二十五日、内閣衆質一六八第一三三号  平成十九年十月二十六日)であった。補正を組むことは、これらの方針が間違えていたことを事実上政府が認めたものだ。

 マスコミは表面的には歳出削減と増税というデフレ経済にとって絶対に行ってはならない政策を支持しているように見えるが、その間違いに気付き始めていると私は見ている。実は筆者は数日前、マスコミの方々が多数集まる会合に招かれ「お金がなければ刷りなさい」という内容で、3時間以上お話しをさせていただいた。かなり過激な内容でマスコミの論調に真っ向から対立するものであるだけに、相当の批判を浴びるのかと覚悟をしていた。ところが実際は「目から鱗」だということで、出席した方々は大賛成の様子だった。やはりマスコミも現在の政府の政策が間違えていると気付いているのだと感じた。私の希望的観測ではあるが、水面下でマグマのようなものが静かに動き出している。何かのきっかけで、一気に爆発するのではないだろうか。それが中川昭一氏を総理に押し上げるのではないか。これが私の希望的観測である。

 中川氏の提言に対して、赤字国債は将来世代につけを残すことになるという馬鹿な議論があるだろう。しかし、内閣府の試算でも景気対策をやれば国の借金は実質的に減少するとなっている。景気対策を怠ったために、日本はどんどん貧乏になっているし、日本経済が一流でないと大田大臣が言うようになるほど衰退してしまった。国を貧乏にしてしまったということは、将来世代に大きなつけを残したということだ。一刻も早く、日本経済を一流に戻す努力が必要だ。

 一流でなくなったということは、成熟した経済ではないということだし、日本経済は成熟しているから、もう成長しないというのは過去のことだ。かつては成熟していたかもしれないが、その成熟した経済を、政府の経済政策の失敗で、貧乏な国にしてしまった。政府は経済政策の失敗を認め、貧乏な国を成熟した国へ戻す努力をしなければならない。キーワードは「お金がなければ刷りなさい」である。

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2008年7月 9日 (水)

「大田大臣vs宍戸俊太郎」公開討論会

日本経済復活の会・会長 小野盛司さんからのお知らせです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大田vs宍戸公開討論会の日程が決まりました。

8月8日(金)

 2時間くらいということです。何時からとかは未定です。

第35回 ESRIー経済政策フォーラムということになるようです。
このフォーラムは
http://www.esri.go.jp/jp/forum1/menu.html
に、前回までのフォーラムが書いてあります。

 場所等は不明です。内閣改造があるのかどうか、分かりませんし
大田氏がその時大臣であるのかどうかも分かりません。

小野盛司

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表現の自由確保に右も左もない!!7月12日集会にご参加を!!

  思想混迷の時代の今日、『表現の自由』確保は国民生活を左右する重大事

 今週土曜日(7月12日)は鹿砦社言論弾圧事件から三周年を記念して、『表現の自由』を考える集いがある。言論、思想、表現、出版の自由などと言うと、戦後にイメージ付けされた市民左翼的なスローガンに聞こえるが、実は日本国憲法第21条に規定されるこれが侵されると、日本という国そのものが、戦時中に経験した大本営発表の言論統制時代に突入してしまう。

 こう言えば、戦時でもなく、独裁体制にもない今の日本で、言論統制とは何を馬鹿なことを言っていると思われるかもしれない。しかし、アメリカの圧力よって、むりやり新自由主義体制に切り替えられた現代日本は、間違いなく言論統制の傾向が強まっている。テレビメディアや他の大手新聞は、アメリカに阿諛追従する買弁権力中枢によって子飼い化され、国民の知りたいことがらを都合のいい方向へ世論誘導し始めている。

 この傾向は年次改革要望書を改革の指針とした小泉政権後に急速に強まっている。その証左として、小泉政権下では、政策批判をしたエコノミストの植草一秀さんや、警察天下り企業の不正を暴き、告発した鹿砦社の松岡利康さんに露骨な言論弾圧を加えている。私は今月号の『紙の爆弾』にも書いたが、六年前に雪印食品の牛肉偽装事件を内部告発した西宮冷蔵の水谷洋一さんも、告発後に会社運営が停止するほどの弾圧を受けていることなど、一連の告発後の弾圧事件を冷静に眺めると、明らかに今の日本が統制社会に変化していることを痛感する。私流の言い方をするなら、これは『現代夜警国家』化なのである。

 国民は今の日本が平和で、国家統制や言論弾圧とはまったく無関係な時代であると漠然と思い込んでいるが、事態の進展は完全にその認識を裏切っている。日本が、ネオリベ体制に切り替えられ、超格差社会に変換、貧富の差が増大するアメリカ型階級分化社会に改変されつつある現状は真摯に受け止めるべきだ。主体性を失い、平和の美名の下に傀儡国家と堕しつつある現状日本では、急速に言論の自由が空白化、空洞化してきた。

 言論弾圧があるレベルを超えた場合、国民は統制的体制下に縛られ、国民として享受すべき生活の保障も、批判の自由も、集会も、言論活動も、事実上封殺されてしまうことになる。鹿砦社の松岡さんは、本でパチスロメーカー「アルゼ」の不正を暴露しただけなのだが、名誉毀損の罪を着せられ、いきなり逮捕され、192日間も拘束されてしまった。エコノミストの植草一秀さんは小泉政権のマクロ政策の間違いを初期から強く指摘、りそな銀行国庫救済にからむインサイダー取引疑惑を指摘したために、小泉政権下で二度にわたって痴漢偽装事件を起こされている。その上、彼も132日間に及ぶ長期人質司法の理不尽な目に遭っている。

 国民をたばかって、外国資本に利益供与をはかる政治体制は、正当な告発を行う言論人に対し、露骨な弾圧を加え始めている。国民はこの事実を認識する必要がある。

 今週の土曜日12日、午後一時半から四時半まで、神戸総合福祉センターで、上智大学教授の田島泰彦氏の基調講演を中心に「今、表現の自由を考える集い」が開かれる。皆さんも参加して欲しい。表現の自由が封じられたら、左派も保守もあったものじゃない。言いたいことが言える世の中は、絶対に確保していく必要があると思う。


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サミットに成果はあったのか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第96弾です)

 マスコミの報道によれば、洞爺湖サミットでは、2050年までに二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出量を現状比で半減させる長期目標について「世界全体の目標として採用を求める」ことで合意したそうだ。京都議定書からはずれたカナダ・米国も加えてこのような表現でまとまったということで、成果を強調するが、目標の採用は求めるが、採用されないことが分かっているから米国・カナダが合意したのではないか。米国が京都議定書に加わらなかった理由は中国・インドなどの新興国が加わらなかったら意味がないという理由だったのだから、逆に言えば、もともと新興国が加わるなら自分たちも加わっても良いという意見だった。ということは、今回のサミットでの進歩はなかったのではないだろうか。

 そもそも2050年までの目標など余り意味がないし、近い将来、新興国が温暖化ガスの大半を排出するようになる可能性が高く、それであれば新興国抜きで合意して何になるのだろうと思ってしまう。それでは議長国の日本として何をすべきか。私なら、国際協力で温室効果ガスの排出を減らすための巨大プロジェクトなどをスタートさせようと提案したと思う。たとえば、洋上風力発電や人間の替わりにあらゆる労働を引き受けてくれるロボットの開発である。そして、開発の成果は、資金を拠出した国が拠出割合に比例して分配するとしておく。

 これらのプロジェクトは、すぐには利益は出ないが将来的には、膨大な利益が見込まれる。基礎研究は進んでいて、資金さえ十分にあれば実用化される日は近いし、採算が取れる見通しもついている。巨大な株式会社のような組織にしておけばよい。累積の拠出金に比例して利益が分配され、途中参加も可能にしておく。最初様子見をしていた国々も、次々参加してくるだろう。温暖化対策であまり意味のない宣言文を毎年まとめているより、このようなビッグプロジェクトで技術開発が進めば、一気に温暖化対策が進んでくる。

 日本は、こういったビッグプロジェクトをスタートするには、非常にタイミングがよい。なぜならデフレ経済にあるからだ。巨額投資を始めても、インフレが進みすぎて困ることはない。デフレ脱却に役立つし、失業者を減らすにも役立つ。低すぎるGDPを引き上げるにも最適だし、国の借金のGDP比(つまり実質的な借金)を引き下げるにも役立つ。国際協力によるビッグプロジェクトも、例えば核融合実験炉のような場合は、どこでやるかが大きな問題になる。日本とフランスが取り合いをして結局フランスのカダラッシュに建設することに決まってしまった。10年かけて実験炉を建設し実験を始めるということで、実用化にはまだまだ時間が掛かる。

 一方、洋上風力発電であれば、それほど時間は掛からないし、世界各国で実験を行える。核融合炉ほど技術的な大きな問題もないし、炉が放射能を帯びてしまうという問題も無い。しかも日本は海に囲まれていて、このプロジェクトで日本が中心になってやると宣言できる立場にある。温暖化防止やエネルギー自給率の引き上げなど、日本にとってもメリットは限りなく大きい。日本政府が躊躇しているのは、国の借金が大変だということだろうが、お金は刷ればよいのだ。税金ではなく、日銀が刷ったお金を使って実施するのであれば、いわばタダでやれるようなものだ。

 ロボット開発も同様だ。人間の替わりに労働をしてくれるロボットが安く開発できれば、それは安い労働力を永遠に手に入れたことになり少子高齢化を恐れる必要は永遠に無くなる。そういった労働力を求めているのは、どの国も同様だろう。ロボット技術は世界の中で日本が群を抜いて高い。そこで世界で手分けして、労働を任せられるロボットづくりの技術開発をすればよい。この分野でも日本が中心となり、プロジェクトを立ち上げればよいではないか。議長国になるのなら、そういった前向きの提案をしたかった。

 米国でも大不況を乗り越えるためにルーズベルト大統領はニューディール政策を実施した。大規模な公共工事であり、大不況を取り除くためには、国民に夢を与えることであった。現在の日本の復活も同様な、巨大プロジェクトを立ち上げ、財政は心配ないと説明し、更にこのプロジェクトの完遂の後には繁栄する日本があることをきちんとシミュレーションを行い誰もが納得できる説明をした後に大胆に実行すれば国民は必ずついてくる。

 今の日本に最も必要なのは自信を取り戻すことだ。かつては追いつき追い越せで驚異的な経済発展を成し遂げた。やればできるという自信ができた。日本の失敗は、国の借金を税金で返さねばならないと勘違いしたことだ。お金はいくらでも日銀の金庫から引き出せる。引き出したお金を有効利用して、世界を風力発電やロボットの分野で世界をリードできることが分かったら、日本国民が自信を取り戻すきっかけになるだろう。日銀の金庫からお金を取り出せば、神のたたりでも起こると考えているのだろうか。そんな心配は無用である。

 原油や食料価格の高騰で、アフリカなど貧しい国に危機が訪れている。そうでなくても不足していた食糧も買えなくなって、飢餓に襲われる。僅かのODAなどで助けられるような、そんな小さな問題ではない。このようなとき、風力発電などの技術の進歩は、世界のエネルギー危機を救う。それだけではない。バイオ燃料の生産が食糧価格の高騰に拍車をかけているのだから、エネルギー危機を救えばバイオ燃料など不要となり、原油価格だけでなく、食料価格も元に戻り、飢餓に貧す国々を救うことになる。日本がお金を刷ることが、世界をも救うのである。

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2008年7月 7日 (月)

第53回日本経済復活の会・開催

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【ご案内図】

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本日は『紙の爆弾』8月号発売日

Vfsh0113_3  本日は鹿砦社の基幹雑誌『紙の爆弾』8月号の発売日である。今月号記事の全般の読後感は充実していて面白いと思う。
                                                        珍しいと思ったのは、今回から俳優の千葉真一さんが連載を始めたことだ。私の年代では子供の頃、「月光仮面」、「風小僧」、「白馬童子」、「赤胴鈴之助」、「まぼろし探偵」などがヒーローだった。その中で「七色仮面」もけっして抜かせないヒーローであった。今回の千葉真一さんの回想録で知ったのだが、なんと「新・七色仮面」が彼のデビュー作だったそうである。子供の頃のヒーローの一人が、アクション俳優の千葉真一さんであったことは今初めて知って少し驚いている。

 あと、作家の安部譲二さんが寄稿している。彼は鹿砦社・社長の松岡利康さんや中川編集長はけっして“カタギ”ではないと、元その筋の人間らしい表現で書いているが、その真意は、既存の大手新聞やテレビメディアの報道することを鵜呑みにしている人々が、いわゆる“カタギ”の連中ということらしい。それなら私も同感だ。大手メディアにすっかり洗脳されていて疑うことを知らない、いわゆるB層連中が、安部さんの言う“まとも”な連中なのだ。

Photo_3  パロディ作家のマッドアマノさんによる鳩山法相(写真)には思わず笑ってしまった。人権擁護法案や共謀罪法案など、危ない法案には、なぜかこの人の影が強くちらついている。ネオリベ・マンセーで強い従米志向、この御仁はかなり危ない人に見えるのだが。

 あとは、自分の記事の紹介で恐縮だが、昨今の頻出する偽装事件の深層が、小泉政権のネオリベ導入による人心荒廃でモラルハザードが起きているからではないかという考察を書いてみた。なぜなら、西宮冷蔵の水谷社長が六年前に雪印食品の牛肉偽装事件を内部告発して世間に衝撃を与えたはずなのに、その教訓はいっこうに生かされず、ご存知のように、毎日食品偽装事件が続いている。この背景には過剰な市場原理至上主義によるモラルハザードが起因していると私は考えている。小泉政権の出力は国民全般のモラルハザードも招来したのだ。拙記事のタイトルは『告発の後に襲い来る漆黒の大津波』(P88)

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江戸時代にあった「水系一貫の思想」

 熊沢蕃山の現代的意味を問いかける

 今月24日に開かれる「日本経済復活の会」定例会では、林野庁森林整備部研究・保全課長の渋谷晃太郎氏をお呼びして、『林野庁における花粉発生源対策等の取組について』という題目の講演をお願いする予定らしい。

 杉花粉症の罹患率は日本総人口の10パーセントを超えると推計されている。筆者もここ数年、杉やヒノキの花粉が飛散する時期になると、何やら、くしゃみが出たり、目鼻がむずがゆくなるので、そろそろ罹ってきたのかなと、いささか気にし始めている。筆者の居住地は、神奈川県境や山梨県境に近い静岡県東部であるが、筆者の周りにも花粉症に悩まされている人々は多い。感じとしては、10パーセントどころか、もっと高い率で花粉症を発症している人々がいて、毎年同情している。首都圏の花粉飛散で、杉花粉が最も多いのであれば、今、花粉症に苦しむ人々への対症療法的な措置として、無花粉杉への転換植林も早急に必要ではあろう。しかし、森林問題の根源は花粉症が出るか出ないかではない。総合的に見て、健全な国土に寄与する森林をいかに造り、いかに保全していくかにある。

 1989年から始まった、国営諫早湾干拓事業は、日本の国土計画の最悪の事例として  歴史に刻まれるだろう。この国土改変がどれほど海浜環境の悪化と自然生態システムの破壊を招いたか、いくら言っても足りない思いである。ギロチンと呼ばれた300枚におよぶ潮受け堤防はすぐにでも撤去するべきである。諫早湾のエコシステムが完全に崩壊してからでは自然環境の回復は絶望的である。国が地球環境に対し、このような非道な公共事業を強行すること自体が、日本には国土保全思想がないことを物語る。戦後は日本各地でこれに類似した深刻な自然破壊が公共事業として公然と行なわれている。日本人はそろそろ明治以前の国土保全思想を復活させるべき時に来ていると思う。

 筆者は、内閣府の姿勢はもちろんのこと、国民全体の意志としての『国論』として、明確な国土計画が存在しないことに、戦後日本の最大の悲劇を見る。昭和20年8月15日、日本は悲劇の戦争に幕を下ろした。主要都市は米軍機の集中的空爆によって、ことごとく焦土と化した。敗戦の経済疲弊は惨憺たるものであり、国民は、とにかく当面は食べていくために復興に全力を傾け、脇目も振らずに戦後のインフラ建設に邁進した。その後、日本は短日月(たんじつげつ)で、世界の奇跡と言われる戦後復興を成し遂げた。その後の高度経済成長は目を瞠るばかりの大躍進であった。1960年代まで、総じて年10パーセントを超える経済成長を歩んだ。二度の石油危機など、紆余曲折はあったが、1980年ごろは米国に次いで世界第二位の経済大国になっていた。戦後の闇市的な混沌から、そこに到達するまで、日本人は、荒廃した国土復興と戦後インフラの建設に血道をあげ、一時はエコノミック・アニマルとか、働きバチ症候群なる造語が定着したほど、日夜仕事に勤しんだ。

 日本はこのような、戦後復興から経済大国への単線的な道程を歩んでいる間に、先祖達が営々と受け継いで行なってきた大事な責務をすっかり亡失してしまった。それが国土保全の思想と行動であった。豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と総称され、白砂青松、山紫水明と謳われた、世界にも稀なバランスの取れた美しい自然に恵まれていた日本の国土は、戦後の経済成長とともに、その様相を一変させてしまった。山間部の森林、河川、里山、海浜と大雑把に国土の自然を分けた場合、これらすべてがエコシステム的様態を破壊する方向に進んでしまっている。経済成長にともない、自然環境の改変が進み、全国的に自然林や干潟等が急速に減少した。特に視覚的にその変化がよくわかるのは天然林が人工林に変わってしまったことだろう。森林の色相や複雑な景観は、四季の移ろいによってあざやかに変化していた。ところが杉やヒノキなどの常緑針葉人工樹林は、四季を通じて緑か赤茶けた色かの単調な変化だけである。日本人が自国の自然に壊滅的な破壊作用を与える傾向は、すでに明治期にその萌芽が見られる。当時は、欧米型近代化による殖産興業振興政策で、列島全体的に神社仏閣の森や海浜環境等の自然破壊が起きていた。。

 日本列島における自然崩壊の先鞭的事例は、明治39年、南方熊楠が全身全霊で反対した神社合祀令による鎮守の森の統廃合に見られる。いや、もっと正確に言うなら、富国強兵を前提とした脱亜入欧的な明治期の殖産興業振興政策が、わが国の自然環境に与えた負の部分は、その悪名高い神社合祀令に先立つ、明治29年の河川法、翌年30年の砂防法、森林法の成立があり、これらは総称して治水三法と呼ばれたが、この法律によって、江戸時代以来続いていた、わが国特有の『水系一貫の思想』が、無残にも破棄されてしまった。長くなるので、仔細に説明するゆとりはないが、『水と緑と土』を書いた富山和子女史によれば、この治水三法によって日本の治水行政は、治山、砂防、河川改修、利水などに機械的に分割され、水系一貫の継承的思想は行政方面からも、この時点で断絶したそうである。ここが重大なポイントである。

 現在、わが国の自然保護や国土行政の基本姿勢には、実は明治期のこの治水三法及び、熊楠が猛反発した「神社合祀令」の反自然的思想が一貫して見られ、ブルドーザーやパワーシャベルのような重機が発達した今日に、その破壊的自然観は脈々と受け継がれているのだ。戦後日本の治水行政は徹底した水系一貫システムの破壊にあった。つまり、行政機構も、国民も、日本列島の自然をダイナミックな循環系のエコシステムとして捉える視点を持たず、いわゆる要素還元主義的な自然観による局所的な自然改変に血道をあげたのである。水系一貫の考え方とは、水の流れという物理的な見方だけで言うなら、源流域の奥山の森林の健康な状態から始まって、複数の支流河川、中流域、下流域、そして海へ流入する水系の有機的、生態学的な連続性のことである。しかし、水系を基準に見て、その流域に住む人間の環境や、農業生産物を生む田畑や、河口域と関わる周辺部の海産物が獲れる漁場などは、すべてが関連した水系によってエコシステムが形成されている。この水系に人間の都合だけでコンクリート護岸やダムなどの人工物を構築すると、全体のエコシステムに重大な損傷が生じてしまうのである。諫早湾の潮止め堤防の例を見てもはっきりしたように、水系の遮断構築物が生態系を破壊することは間違いない。

 それでも、大東亜戦争以前はまだ天然林が各地に見られたようである。戦後は昭和30年代後半くらいまでは、常緑広葉樹林、中間針葉樹林、落葉広葉樹林などの多様な植生に彩られた混合林が多かったが、それも急速に失われ、杉やヒノキ等の針葉樹林に置き換えられてしまった。

 特に国有林は瞬く間に人工林に変えられた。また、民間が管理する民有林も、国の計画によってスギなどが植林された。杉の植林に補助金が支給されたために、日本全国の貴重な天然林に覆われた大部分の山々が、短日月でいっせいにスギ等の人工林に切り替えられた。その後、杉の国内需要は外国産の値段の安い木材に押されて需要が低下、価値を失った人工林は間伐や下草狩りなどの手入れがなされなくなり、放置状態にされている。その結果、全国の人工林は土壌荒廃を起こし、無残な状態に陥っている。その悪影響はいろいろ指摘できるが、今真っ先に言いたいことは、森林環境の手入れを怠ったために、土壌荒廃を起こし、雨水の潅水能力がほとんど失せた人工林になってしまっている。そのために異常気象による大量降雨があった場合、鉄砲水や土砂崩れをあちこちで引き起こしているのだ。台風時や異常降雨時の大洪水は人災なのである。天然林を針葉樹の人工林に大規模に切り替えたこと、そして、その人工林の手入れをせずに放置したために山肌が荒廃し、土壌流出や潅水機能の極限的な低下を招いている。温暖化が原因と言われる最近の異常降雨は、全国各地に深刻な土砂崩れ災害を引き起こし、河川源流域の様相を一変させている。戦後日本の治山治水事業は限界のないエコシステムの破壊作業であった。

 筆者は、これを江戸時代の治山治水思想に戻す必要を痛感する今日この頃である。具体的には江戸期の環境工学者であった熊沢蕃山の思想を早急に現代に生かすことを進める。熊沢蕃山は江戸の陽明学派の儒学者であり、中江藤樹に師事した。彼の自然観、治水治山観の要諦が出ている有名な文章を記す。

 (熊沢蕃山の『集義外書』より)
「山は木ある時は神気さかんなり、木なきときは神気おとろえて、雲雨を起こすべき力少なし。しかのみならず木草しげき山は、土砂を川中に落さず。大雨降れども木草に水を含みて、十日も二十日も自然に川に出る故に、かたがたもって洪水の憂いなし。山に草木なければ、土砂川中に入りて川床高くなり候。大雨を貯(たくわ)うべき草木なき故に、一度に川に落ち入り、しかも川床高ければ洪水の憂いあり。山川神気うすく、山沢気を通じて、水を生じることも少なければ、平生(へいぜい)は田地の用水少なく、舟をかよわすこと自由ならず」(狩野亮二『江戸時代の林業思想』より ※富山和子著「水と緑と土」86ページから引用)

  若い人たちに解説するが、蕃山が“神気さかんなり”とか“神気おとろえて”と表現している“神気”という言葉は、神仙思想などのような、特別霊的なもの、神秘的なものとして受け取る必要はまったくない。もっとも、蕃山の本来の自然思想の核は、深山幽谷の霊気に深い畏敬の念を持っていることにあると思える。しかし、ここでは蕃山が使っている神気とは、健康な植生に満ちている山というレベルで受け取っていいと思う。つまり、多様な植物に覆われ、活き活きと生命力に満ちている山容というほどの意味である。要は、山にある樹木を乱伐すると山肌が荒廃し、雲を起こし、雨を降らせるシステムが弱ってくる。しかし、木や草が青々と繁茂する山は土砂が川に流出することもなく、大雨が降っても、山の草木が水を貯留し、すぐに河川に流入することはない。水が染み出るには十日も二十日も時間をかけてゆっくりと出てくるから洪水の心配がない。山に草木がなければ、これとは逆に、土砂が川に流れ出て、川床を埋めて高くするために洪水が頻発するようになる。また舟の往来が自由にできなくなる。

  蕃山はわが国で最初に乱開発による国土の荒廃を指摘し、治世の根幹は治水・治山にあると断言した学者である。今、洞爺湖サミットの議題でも環境保護が議題となっているが、われわれの先祖には、熊沢蕃山のような碩学がいて、彼が今日に生きていれば、即座に政府の誤まった国土計画を弾劾するだろう。われわれは蕃山の思想を受け継ぎ、現代に適用させることを真剣に考えるべき時に来ていると思う。江戸時代に確立していた“水系一貫の思想”は現代に甦らせるべきである。

 この観点で言えば、前長野県知事・田中康夫さんの『脱ダム宣言』が、日本文明回帰論的な文脈において、いかに重要で突破的な考え方であるかお分かりになると思う。

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2008年7月 6日 (日)

シンガポールにまで抜かれた日本(小野盛司)

    (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第95弾です)

 かつて、世界で最も豊かな国の一つであった日本だが、デフレを放置しておいているため、没落が止まらない。昨日(7月5日)の日経によれば、2007年の一人当たりのGDPでシンガポールにも抜かれたようだ。これはIMFの調査結果だ。 25年間で、日本の一人当たりのGDPは3.9倍にしか増えていないのに、シンガポールは10.1倍、韓国は5.6倍になっている。

 シンガポールは07年課税分から法人税を2%引き下げ18%に低減。所得税も最高税率20%で、相続税もない。日本では将来世代につけを残さないためには、増税することが、不可欠であるかのように語られるが、それは全くの逆だ。国が国民からお金を多く取りすぎているから、満足な経済活動ができなくなって、どんどん貧乏になっていく。アジアの国々でも賢明な指導者がいれば、税率を下げ、経済を活性化し、豊かになっていく。どちらが将来世代のために貢献しているかを冷静に考えて欲しいものである。

 日本は世界で最も豊かな国の一つであった時代は終わったにせよ、アジアでは最も金持ちの国だろうという甘い幻想は捨てた方がよい。今の政府が行っているデフレ下での緊縮財政が続くなら、日本国民がどんなに長時間働いて、どんなに頑張っても、果てしなく日本は貧乏になるのであり、そのうちアジアの国々までが、あわれむほどの惨めな国になってしまう。木村剛の『投資戦略の発想法』から少し引用する。アジア各国における上場企業の時価総額を2007年11月16日時点で比較してある。

 鉄工業では、韓国のポコスがナンバーワンです。第二位が新日本製鐵で、第三位は中国の宝山鋼鉄。日本国内では第二位のJFEホールディングは四位にすぎません。化学ではトップは信越化学、第ワンの南亜プラスチックが第二位で住友化学や三菱化学を上回っている。

 インターネットでは、日本のヤフーの後塵を拝していますが、中国のアリババ・ドット・コムが急成長しています。そして、韓国のNHNや、中国のテンセン・ホールディングが楽天を抑えています。

 移動体通信の分野では、中国の中国移動通信(チャイナモバイル)はNTTドコモの5倍を超える巨大企業であり、世界一の加入者数を誇っています。鉱業をみると、国債五社が再編・合併により設立された中国の中国アルミは、住友金属鉱山をはるかに上回り、アジアトップに君臨していますし、製糸業でも、中国の九龍製紙が、日本最大手の製紙メーカーである王子製紙と第二位の日本製紙を足し上げた以上の規模を誇っています。

 造船が強いのは韓国。三井造船の上には、韓国の五社以外にシンガポール、中国の企業が陣取っています。金属では、インドのスターライト・インダストリーズ、中国の江西銅業に次ぐ第三位に日本精工がなんとか入っている現状です。航空会社では、中国国際航空、シンガポール航空、キャセイパシフィック航空、中国東方航空の次にやっと全日空が入る。ホテル業界で日本でトップの帝国ホテルは、アジアでは第十位以下。

 というわけで、アジアの中でも次々と抜かれている現状が分かる。日本経済を衰退させたのは、政府の経済政策の失敗であることは言うまでもない。その失敗の原因となった判断ミスは、内閣府の経済モデルによる試算結果にあった。内閣府は自ら好んであのような欺瞞的な経済モデルを作ったのではないだろう。誰かに命じられてインチキモデルを作ったに違いない。それが誰かは分からないが、財務省なのか、小泉元首相なのか、竹中元大臣なのか、デフレ下の緊縮財政を主張した誰かだろう。あれは馬鹿なモデルだという証拠の一つとして、宍戸駿太郞氏のまとめたグラフを紹介したい。これは個人所得税を減税した場合GDPがどれだけ伸びるかを示したものだ。

Photo_3

 所得税減税をして国民に金を渡しても、たいした効果はないと言いたいのが良く分かるだろう。実際は、他のシンクタンクは内閣府の2~3倍の景気刺激効果を認めている。政治的圧力無しに、過去の経済データに忠実にモデルをつくるとこうなるのだ。

 国をどんなに貧乏にしてもよいから増税をして財政を立て直そうとしている政府。増税をしても、それほど景気は悪くならないからと言いたいのだ。これを国民不在と言わず何と言おう。国の借金が増えたから財政が厳しいという。しかし、通貨発行権を持っている国にとって借金は何の意味もない。お金を刷れば借金はいつでも返せる。国は通貨発行権を放棄し、国の借金を返すことを最優先するのでなく、経済と国民を最優先して経済政策を行っていただきたい。

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2008年7月 4日 (金)

公的年金の運用で損失が昨年度5兆8000億円(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第94弾です)

 経済に関係して悪いニュースが続々届いている。NY原油は一時145ドルにもなった。日経平均は11日続落、これは54年ぶりだ。本日(7月4日)も午前中は値下がりしているから12日続落だ。欧州では0.25%利上げを行った。拡大を続ける欧州にとっては、加熱を冷ます効果がありよいのだろうが、最悪の経済状態にある日本も、影響を受けて更に景気が悪化してはたまらない。賃金が上がらない中、物価が上がり続けているから消費者の購買心理は突きを追うごとに悪化している。海外旅行も各社で前年比5~25%の落ち込みだ。

 そういった中で特に目についたのが、公的年金の運用で昨年度出た損失の5兆8000億円だ。それ以前に利益が出ているから、それまで入れれば運用利回りでマイナスにはならないと言うが、かつて39000円だった日経平均が、デフレで経済が縮小し、今や13000円台にまで落ち込んできており、政府はデフレ脱却の努力もしていないし、デフレ脱却の目標も持っていないことから、際限なく経済が縮小する恐れがあり、運用利回りのマイナスがどこまで拡大するか分からない。

 年金の運用をどうするべきか色々話し合われているようである。最良なのは賦課方式と言って、その年に集めた年金を、その範囲で支払う方法で、これなら溜めておく必要はない。日本のように数年分の年金を溜めてしまって、それで官僚がマネーゲームをやろうなどという考えは頂けない。マネーゲームは民間のすることであり、民のできることは民でやればよい。国が国民から巨額の資金を集めてマネーゲームをやるほど、馬鹿げたことはないし、またどこの国もやらない危険なマネーゲームだ。今話題のワールドオーシャンファームがエビ養殖投資だと称しで集めた金が350億円だから、国が集めた金は、この数千倍に上る。国は集めるだけで、100年先まで年金を確保するという大義名分で決してこの金を国民に返そうとしない。どうせ100年先まで誰も生きていないから何を言っても大丈夫と思っているのだろうか。

 問題は年金積立金だけで、150兆円、企業年金、共済年金まで含めると230兆円とも言われる余りにも巨額な資金を国民から集めていることだ。国がこれだけ集めると明らかに経済に悪影響を与える。国民は使うお金が足りなくて困っている。

 それだけではない。投資先をどうするのか。ほんの数十人の官僚が、これだけの巨額の投資先を勝手に決めていることの危うさである。まず株式投資を考えてみよう。10兆円単位で株式の売買が行われると株の暴落・暴騰を引き起こす。昨年発生した運用の損失5兆8000億円という額がいかに巨額か。あれだけ日本中を騒がせたガソリン税の2.3倍もの金が消えた。

 持っている株を少し売っただけで、株は暴落する。ということは持っていても売れないということになる。かつて、NTTの株を売って財政の穴埋めをしようと国会で議論を始めた瞬間に、NTTの株の暴落が始まった。国債だって、額が大きくなれば暴落の危険を恐れ売れなくなる。売り始めたという噂だけで暴落が始まる。国はかつて郵便局に国債を買わせていた。郵政民営化した今は、年金で国債を買おうとしている。つまり、年金を国民から集め、それを年金の支払いに使うのでなく、国の借金の穴埋めに使うということだ。借金の穴埋めに使われたのであれば、使われた瞬間に消えて無くなるということだ。そこで手に入れた資金を国は公共工事等に使ってしまう。将来の年金の支払いに使おうと思っても、国債を売ると暴落するから売れない。ということは、年金積立金は国の借金返済に使い、将来の年金はまた新たに集めるということだ。

 年金を海外の株や債券を買うために使うのであっても同様だ。日本は米国国債をたくさん持っている。それを売りたい気分になると橋本元総理が言っただけで、米国債は暴落した。日米関係がおかしくなる。それを避けるためには米国債は売れないどころか、売りたい気分になるということさえ、言えなくなる。一度買ったら最後、売れないのであれば不良債権と同じだ。なぜ国民の貴重な資金を半強制的に集めて、そんな危険なマネーゲームをしなければならないのだろうか。

 公的年金基金は、社会保険料の引き下げ、年金の増額を行って徐々に国民に返していくのがよい。その際、年金を株や国債で運用している場合は、市場で売り出すのでなく、日銀に買ってもらうべきだ。つまり刷ったお金で買うのだ。そうすることにより、国民の可処分所得が増加し、不況の中の物価高に悩む家計に潤いを与え、消費を刺激し、日本経済を刺激することができる。

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2008年7月 3日 (木)

副島隆彦氏が植草さんの全面応援を表明した!!

 政治評論家で、知名度の高い副島隆彦氏が植草さんに対する全面的応援を表明した。副島氏の植草さんに対する尊崇の念は非常に深いものがある。以下に彼のその文章の一部を転載するが、鋭い頭脳と深い憂国情念の副島氏であるから、植草さんの人間としての深さや磨きぬかれた非凡な知性を感得したものと思える。

 私自身は親しみを込めて『植草さん』と横柄な呼び方をしているが、本来であれば、私などはそばに近づけない偉大なお人だと思っている。このお人は真に歴史的に重要な人物である。植草さんは、左右思想の桎梏をはるかに超えた部分で、日本人のことを心配している稀有なお人なのだ。私たち、「応援する会」が植草さんを支援する真の目的は、この偉大なお人の情念と知性を、日本再建に役立てたいと思っているからだ。

 国民は、そろそろ植草さんの真の姿に気が付いてもよい頃である。小泉・竹中構造改革路線が結果的に何をしたか。彼らの政策的出力が、今、この日本にどのような結実をもたらしているか、そのひどさや間違いを実感として体得してきた人々は多くなっていると思う。初期小泉内閣時代に、真の憂国情念で、わが身の危険を省みずに、国民や社会的弱者たちのために、この売国的かつ非道な政権を果敢に指弾した有識者が何人いるだろうか?

 小泉政権が外国資本に利益供与を行なう姿勢を持つことと、言葉とは裏腹に官僚利権温存を行なっている事実、そして決定的なこととして、りそな銀行の公的救済にかかわる金融疑獄の疑いを指摘した有識者は植草さんだけではなかったのか?他の有識者も、小泉政権の間違いに気付いてた者は大勢いたと思う。しかし、彼らは御用学者と同様に、都合の悪いことにはいっさい触れなかった。自分の地位や名誉、家族、命が惜しいからである。私は思う。植草さんが強い思いで単独で戦っていた時、これに歩調を合わせ、勇気を出して小泉政権を弾劾する有識者が、わずか数名でもいたなら、日本のベクトルは明らかに変わっていただろう。孤軍奮闘した植草さんを、他の有識者たちは、その怯惰によって助けなかったことと、国民が小泉政権の欺瞞性、詐術性に気付かなかったことが、植草さんを二度の謀略的事件に遭遇させてしまったことは間違いない。小泉政権を稀代の国賊政権だと確信しているこの私でさえ、植草さんが批判の色合いを強めていた、第一次小泉内閣初期の当時は、小泉氏のパフォーマンスに幻惑され、期待をしていたのだから。

 小泉政権は歴史的な国民毀損政権、国家毀損政権政権であった。植草さんはたった一人でこの政権に喰らいつき、その非を強く糾弾し続けた。その思いと行動は強く評価されるべきである。今からでも遅くはない。植草さんを救国情念の最も強い有識者として再評価するべきである。しかも、今の日本の状況を考えたら、一刻も猶予の時はない。危殆に瀕している今の日本は、植草さんの力を必要としている。時代は植草さんを求めていることは間違いない。

 副島氏は植草さんの非凡な知性と文化的教養に満ちた『知られざる真実ー勾留地にてー』を読了し、その感性の深さ、知性の縦横無尽さに感動し、植草さんを『日本の宝』とまで呼んでいる。そう思っている人は案外多いのではないだろうか。だから、なるべく多くの人たちがこの本を読んでほしいと願う。この本は全編を通じて透徹した静謐さに満ちている。私欲から完全に離れているこの客観的俯瞰性こそ、植草さんの真骨頂である。そろそろ国民も気付いてきたと思うが、小泉政権が植草さんを第一級の阻害要因として憎んだ理由は、植草さんが本物の国民利益で戦っていたからにほかならない。小泉政権やその継承政権は、国民に仇を為す売国政権である。今の日本は彼らに舵を乗っ取られ、船内を荒らされ、今にも沈もうとしている巨船である。一刻も早く「まともなひとたち」に国家運営をしてもらわないと日本が消滅するだろう。

 以下に副島氏の文を一部転載する。副島氏の植草さんに対する熱い思いが読み取れる。

(これ以降は、副島隆彦氏の会員ページ、7月2日の記事より抜粋)
__________________________________________
「953」 植草一秀(うえくさかずひで)氏のサイトを紹介し、彼に仕掛けられた痴漢冤罪の政治謀略と奮闘する植草氏を心から尊敬し応援したいと思います。副島隆彦記 2008.7.2 
副島隆彦です。 今日は、2008年7月2日です。
 以下に載せるには、私が尊敬する植草一秀(うえくさかずひで)氏のサイト「植草一秀の『知られざる真実』」 に、彼自身が精力的に書いている文章です。そのなかの最近の一文を、植草氏に断りなく私は勝手にここに転載します。 

 その理由は、この文章が、大変な名文であり、優れた中身だからです。私は、この文を10日ほど前に一読して、これは凄(すご)いと思った。これだけの文章は、普通の人間には書けない。鍛え抜かれた高度の頭脳 を持ち、かつ 激しい現実の現世の闘いを身をもって闘い、そして戦火を文字通り潜り抜けてきた人間だけが、その研ぎ澄まされた感覚と才能と経験を通して、さらさらと書くことのできる文章なのだということが分かります。私は、今では植草一秀氏を心の底から尊敬しています。

 痴漢冤罪(ちかんえんざい)という、恐ろしい政治権力からの攻撃、弾圧を受けて、しかも、それを2回も受けて、地獄の火に焼かれるほどの苦悩を味わいながら、そこから不屈の精神で、自力で這い上がり、そして、今、淡々とこれらの優れた文章をネット上に毎日のように書いて、私たちに読ませてくれる。植草氏のご家族のこれまでのご苦労までを思うと私は涙が止まらない。 

 植草一秀氏を、私は、文句なしで、一切の条件をつけずに、日本国の宝物であるから、彼の言うこと(書くこと)なら、今後、無条件で信じて、そして従おうと思います。 植草一秀氏が、今も彼に加えられている政治弾圧と、残酷な謀略を跳ね返して、もし、なんからの政治行動に打って出るときには、私は、お呼ばれがあれば、自分の身を挺(てい)して、植草氏を司令官とする陣営に参列する覚悟です。 このように明確な態度表明を今日、どうしてもしておこうと思いました。

 立派な立場にあった人間が、今の日本でおよそ考えられる限りの最低の恥辱(ちじょく)を受け、自分の身を業火(ごうか)に焼かれるほどの苦悩と難儀を味わった、そのあとでも、孤立無援の中から、植草一秀という人は、自ら立ち直り、これほどの落ち着いた、優れた文章を書いて、しかも倦(う)まず弛(たゆ)まず、前進している。

 彼こそは、日本国民の本当の指導者だ。厳しい試練(しれん、Ordeal オーディ-ル、宗教裁判 )を身をもって味わってその煉獄(れんごく)から生還した英雄であるから、そのことが検証されたのだ。私は、何があっても、この国にいざという時がきたら、彼からの要請があれば、彼の横にしっかりと軍略家として着くことに勝手に決めました。

 これは、私一個の勝手な決断ですから、私の弟子たちのそれぞれの生き方や判断とは、別です。私の弟子たちが主宰するこの「学問道場」サイトに対してはあとで、ご相談して主要な弟子たちと意見を交換しようと思います。 

 私は、今は、どうしてもこのように書いておきたいから書くのです。人生には時々、するべき潔(いさぎよ)い決断というのがある。私はそういうことをする人間だ。その時にはもう、あとさきあれこれ考えない。突撃する時は突撃する。

 だからといって、私がいますぐに何かができるということはありません。植草氏の痴漢冤罪(痴漢事件の無実の罪)の 政治謀略攻撃である裁判 (日本の政治警察の一部が暴走している) に何かの支援行動を行う、ということも出来ません。 私ができることは、やがて、すこしずつ状況が煮詰まってきて、日本国に危機が迫りくるだろうから、それに対して冷静沈着に対応して、本当に日本国と日本国民の為に闘えるだけの頭脳と体力を持つ人間たちが、結集して行動を起こすだろうから、その時のためにしっかりと備える、ということです。それ以上のことを私は言いません(書きません)。

植草一秀氏に対する、2004年の4月8日(品川駅)での謀略(第一回目)と、2006年9月13日(京急線の電車内)での謀略(第二回目)を仕掛けた、日本の政治警察の暴走した幹部たちを、将来、私たちが支持する勢力が政権を取るときには大きな真実を明らかにして、彼らを必ず刑務所送りにするべきだ。 この愚劣なる者たちに、本物の愛国者の言論人・知識人の闘い、というものを見せてやる。植草一秀の他に私も狙うというのであれば、そうしろ。  私は、私一個の決意としてこのように表明しておきます。 

 それでは、植草氏の文章を以下に載せます。皆さんも、植草氏のサイトに、彼の文章を読みに行ってください。

副島隆彦拝

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鹿砦社・松岡利康大弾圧事件は夜警国家変貌への証し(その3)

三、巨悪を指弾した松岡氏と特別取材班

 悪を悪としてストレートに糾弾することは社会正義の根幹である。本来マスコミは公益を毀損する社会悪を糾す役目を担っているはずだ。しかし、昨今のマスコミはいたって権力迎合的であり、政権筋と繋がった一部の利益団体を益する報道しか行なわない。このトレンドは非常に危険である。エコノミストの植草氏は小泉政権の国策的な犯罪性を単身で真正面から糾弾した。その結果、彼は二度も官憲のでっち上げ事件に嵌められた。鹿砦社の松岡氏はアルゼの巨悪を本で告発し、阪神タイガーズ元スカウトの転落死疑惑を指摘して不当強制捜査を受けた。この二人は社会の巨悪を見据え、そのことを正直に告発しただけである。個人やメディアの言論が、横暴な資本や権力筋の間違いを自由闊達に批判できてこそ、健全な社会秩序は維持される。

 ところで、松岡氏と特別取材班は、その著書「アルゼ王国の闇」シリーズで、巨大アミューズメント企業の巨悪をストレートに正攻法で糾弾している。「アルゼ王国の闇」を読むとわかるが、巨大な企業「アルゼ」がその資金を使って、弱体化したブランド企業にM&Aを仕掛け、その企業技術のノウハウや人材を徹底的にしゃぶりつくした上に、無残に放り捨てるという、ハゲタカ外資も真っ青な悪逆非道な経営体質を持つことを余すところなく描ききっている。これは巨悪に対する告発本であり、けっして低俗な暴露本ではない。その視点は透徹した社会正義に貫かれている。

 したがって、この案件は刑法第230条の2で言うところの公共の利害に深く関わるものであり、その公益性によって表現の自由は保護されるべきものだ。これに関する憲法第21条及び刑法第230条適用の妥当性については、支援者の方々が適切に語っているので、ここではこれ以上は語らない。

 しかし、ふと思ったのだが、鹿砦社のような零細な出版社がこれをやることは確かに無謀だったのかもしれない。相手が巨大すぎるのである。正直、筆者から見ると蟷螂の斧の感は否めない。しかし、松岡氏の不退転の果敢さと立ち向かう姿勢には純粋な感動を覚えずにはいられない。ここには本物のジャーナリストの矜持と折れない魂が見える。巨悪を睨むこの姿勢は植草一秀氏にも共通するものがある。二人ともあまりにも小さくひ弱であるが、そこにこそ、本物の批判精神の真髄が見られるのだ。社会は小さいものが大きなものを批判できるルートを確保しておくべきだ。小さいものがものを言えない世界は人間的な精神が死滅する荒廃した夜警国家となる。

四、現今メディアに浸透する棄民体質

 大手出版社や他のメディアは鹿砦社事件を黙殺した。まるで腫れ物でも扱うかのようにこの件に触れることをタブー視したのだ。見殺しである。表現の自由というメディアの生命線が断ち切られるかどうかという重大な問題を提起した事件であるのに、同業者たちは「見ざる、言わざる、聞かざる」に変貌した。彼らのその棄民感覚は、じつは自分たちの表現精神におけるレゾンデートルを捨てていることに気が付いていない。巨大資本や権力を前にして、言葉を駆使する生業(なりわい)の者が萎縮したら、言葉そのものが死んでしまうではないか。

 法律とは個人や弱小企業が巨大資本や権力に翻弄されることのないように考案された社会の歯止めである。ところが今の日本はこの歯止めが軒並み崩れかけている。日本は典型的な社会ダーウィニズム型に変貌しようとしている。今、真に危険な徴候は、警察、検察、裁判所が社会的強者の走狗と化しつつあることだ。彼らは社会正義と秩序を維持するために行使すべき権力を、特定の階層を保護し強化するために、邪魔な個人の排斥を行い始めた。特に国のマクロ政策や官僚利権構造などを鋭く批判する有識者に対しては露骨に牙を剥けることが頻出している。

 鹿砦社弾圧の基本構造は官僚天下り制度に深く関係する。アルゼの巨悪を弾劾する行為は必然的に警察官僚の天下りを周知にさらすことになるからだ。権力機構の焦りがここに起因することは間違いない。しかし官憲が社会正義を亡失して個人を狙い撃つなど言語道断であろう。国家機構の規範が崩れ始めている。これは、社会正義の番人であるべき官憲が巨大国際金融資本の番犬と化すネオリベ体制が導いた結果なのだ。植草氏と松岡氏は人間の良心として悪を悪として素直に糾弾した。ところがその普通のことが国家権力の逆鱗に触れ、彼らは強制捜査を受け、不当勾留を受けた。このようなことが常態化したら、それは国家が狂ってきているのである。官憲が恣意的に一個人に獰猛な牙を向ける社会こそ、絶対に受け入れてはならない社会である。

五、危殆に瀕する言論の自由

 大戦後の日本はGHQによって戦後民主主義のわだちを引かれ、紆余曲折はあったが、かろうじてその上を歩き続け、その間、曲がりなりにも言論の自由は何とか担保されてきたと誰しもが思っている。しかし、本当にそうだったのだろうか?

 戦後のメディア一般は、アメリカの正義に対しては「開かれた言語空間」であり、日本の歴史に対しては「閉ざされた言語空間」というきわめて非対称・不均衡な方向性を持ちながら現在にいたっている。GHQ統治の時代から今日まで、メディアは緩慢な言論統制色を有していたが、小泉政権にいたっては、いきなりGHQ時代の放送コードが甦った感がある。このメディアの報道統制色は、アメリカの傀儡政権であった小泉内閣時代、特に2005年9月、郵政民営化というシングル・イシューで行なわれた衆院解散総選挙の前後に最も先鋭化した。松岡利康氏が7月に強制的な家宅捜査を受け、有無を言わさずに勾留されたのもこの時期であった。筆者はこの時期の大手メディアが米系保険会社から出たCM料によって報道管制を敷かれていたことを強く感じ、ブログ等で警鐘を鳴らしていた。今から思えば、松岡氏の逮捕もこの時期における情報統制の先鋭化とけっして無縁ではなかっただろう。

 ビデオジャーナリストの神保哲生氏によれば、日本のテレビと新聞は、クロスオーナーシップという同一資本に保有されているので、事実上、情報統制が行なわれ、随意に世論形成が可能であると言っている。くり返すが、あの郵政民営化・解散総選挙の時、メディアは政権与党に有利な誘導操作を露骨に行なっている。この時、テレビや新聞紙上のCMには、異様に外資系保険会社の名前が乱舞していたことを記憶している方も多いと思う。資本主義世界であるから、世の中がある程度大資本の影響下に置かれるのは仕方ないとしても、メディアは資本に超然としている必要がある。

 思想の左右を問わず、憲法第21条、言論表現の自由はどのような時代にあっても絶対に死守すべきものだ。資本の力でこれが踏み潰されることがあってはならない。一般人であっても、表現の自由は人間存在の根源的レゾンデートルの一つである。これが侵される社会は必然的に第25条の「生存権」さえも侵されてしまうことになる。人はパンだけでは生きてはいけないのだ。表現することも、食べることと同様に生きていく重要な糧なのだ。
 国家や国民の幸せ度や充実度を表す指標は、普通は経済の有様を見ることだと思われがちだが、じつはもっとわかりやすいサインがある。それこそが思想表現の自由度であろう。この自由度が低下する社会は閉塞した社会であり、このトレンドが極相に到達した時、民主主義は破壊される。

 今の日本は一部の人間だけが権力を恣意的に行使でき、国民の奴隷労働の成果である富を彼らだけが独占できるシステムに作りかえられている。格差社会の本質とはそういうことだ。経済的に言うなら、富の正常な還流が滞り、再分配機能が働かない社会のことである。そのために経済弱者は塗炭の苦しみをなめることになる。これが今、我が国を覆い尽くそうとしている圧倒的な趨勢である。

 何度もくり返すが、今日本を覆っている言論空間の閉塞性は、これを放置しておくと、近い将来、日本が夜警国家に変貌することを警告している。したがって、鹿砦社弾圧事件は日本人全体の命運がかかっている重要なできごとだと言っても、けっして過言ではない。
いつに筆者が松岡利康氏のジャーナリスト魂を強く評価し、感動を覚えるのは、氏の糾弾姿勢の一貫した矯激さと、弱いものに対する優しい眼差しにある。かつて小泉政権が発足した当時に刊行された「闘論・スキャンダリズムの眞相」というブックレットでは、「噂の眞相」誌編集長の岡留安則氏と松岡氏が、全共闘ワールド全開で対論しているが、これがすこぶる面白い。その中に松岡氏が語った印象に残る次の言葉があった。

 「鹿砦社の小ブル急進主義的・ブランキスト的なやり方と、『噂の真相』の構造改革派的なやり方」

 昔はノンポリで、左翼の思想遍歴を持たない筆者には、左翼用語はぴんと来ないのだが、松岡氏が対談で「僕は小ブル急進主義的、ブランキストだ」と言っていたことは強く印象に残っている。なぜなら、これは鹿砦社の表現姿勢の根幹を的確に打ち出していると見るからだ。松岡氏が2001年当時に、対談の中で披瀝したこの「小ブル急進主義・ブランキズム」というのは、保守系の筆者でも、それを左翼ワールドとしてではなく、純粋な行動学としてみれば鮮明にその意味がわかる。筆者流に解釈すれば、出版職人で表現者でもある松岡氏は、一切の妥協を許さない一揆的な批判精神・糾弾精神をもってことに当たるという意志の表現なのだ。松岡氏のこの矯激なポリシーは一貫して踏襲されている。芸能スキャンダル発掘やアルゼ糾弾などを見てもわかるとおり、裁判沙汰の波濤も乗り越えるという強靭さを持ちながら、それは鹿砦社の編集方針として根付いた。アルゼや阪神タイガーズ糾弾の案件では192日間も勾留の憂き目に遭っている。松岡氏のこういう生き様を見る限り、その物静かな風貌に似合わず、かなり過激な要素を持ったお人である。まさにブランキストそのものだ。

 また、芸能スキャンダルは低俗な覗き趣味だと思われがちだが、松岡氏によれば芸能界(スポーツ界や相撲界も含む)は社会の縮図どころか、何でもありの伏魔殿であるから、これを斬ることは社会的に有益かつ意味のあることだとはっきり述べている。

さて、ブランキズム云々はともかく、松岡氏のアルゼ糾弾は、出版職人あるいは糾弾者として、彼の為せるわざの金字塔であり、余人の追従できない仕事になっている。なぜなら、それは蟻が剣歯虎に咬みついたに等しい捨て身の無謀さに満ちているからだ。
しかし、そこには左翼や右翼思想の枠を超えた部分で、悪いものを悪いと言い続ける折れない勇気と一貫性があり、それは強く胸を打つ。もちろん、松岡氏の有罪判決の深層には、この国が夜警国家へ変貌しつつあるという時代趨勢が厳然としてある。

 最後に、長いものには巻かれろと、権力や資本強者に阿諛追従するニセ物ばかりが横行する今日、巨悪にひるまずに真っ向から挑んだ松岡氏の行動様式には、理屈を超えた不思議な清冽さがある。本物だけが放つ清々しさである。暴政・圧政の超格差社会に突入してきた今日、鹿砦社の姿勢は必ずや心ある人たちを触発し、翼賛傾向に走る日本の軌道修正の一端を担うかもしれない。圧倒的に巨大な相手でも、真に必要を感じた時は、ひるまずに咬みつけばダメージを与えられることがわかったからだ。他人の心を揺り動かす言葉とは、もしかしたら血を噴き出す思いの中からしか生まれないのかもしれない。鹿砦社はブレークするだろう。筆者はそう確信している。

   (終了)

 参考資料
「アルゼ王国の闇」
「アルゼ王国はスキャンダルの総合商社」
「アルゼ王国の崩壊」
「アルゼ王国 地獄への道」
(以上四冊は鹿砦社発行 松岡利康&特別取材班=編著)

「闘論・スキャンダリズムの眞相」(鹿砦社)
「植草事件の真実」(ナビ出版)
「紙の爆弾」各号、その他

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鹿砦社・松岡利康大弾圧事件は夜警国家変貌への証し(その2)

   二、強者が弱者を狙い撃つ暗黒の夜警国家

 昨今日本の病弊を簡単に言うなら、対米属国化がより顕著になり、それは特に金融経済領域に著しい。もともと新自由主義的な傾向は中曽根政権辺りから顕著になっていたが、小泉政権に至っては、聖域なき規制緩和のもとに、日本型の市場構造をグローバル・スタンダードに激変的に適合させた。

 「聖域なき構造改革」と銘打ったこの急激かつ圧倒的な構造改変が、どれほど無辜の人間や企業の命を奪ったか、その弊害は測り知れないものがある。市場原理至上主義による弱肉強食型の経済体制を敷設することが小泉・竹中構造改革路線の目的であった。この構造改変以降、我が国は国策パラダイムが極端な新自由主義(ネオリベ)に傾斜した。この動きはラディカルな革命に近いものであり、日本の社会構造は根底から拙速に変質した。わかりやすく言うなら、強者が弱者を徹底的に支配し、搾取し尽くすシステムに切り替えられたのである。これに呼応して、言論の自由は急激に蚕食され、大手メディアは権力の走狗と化した。

 国民は深刻なデフレが固定化した平成大不況に意気消沈している間に、憲法第21条がつとに無効化されてきた状況に気付いていない。このままでは、ごく近いうちに言論や出版の自由がすっかり形骸化し、人々は本当に言いたいことが言えなくなってしまうことになりかねない。

 国民はやがては権力に迎合した生活を余儀なくされ、経済強者や官憲の顔色を伺いながら、卑屈で怯惰な心持ちで日々を過ごすようになる。言論界は太鼓持ちのような当たり障りのない表現だけになり、社会悪の批判や弾劾は夢のまた夢となる。おそらく風刺さえも禁止される社会に突入するだろう。鹿砦社の弾圧は、そういう究極的な閉塞社会が間近に迫っていることを我々に教える。

 なぜそう感じるのかと言えば、植草氏や松岡氏に対して官憲が行なったことを見て、それを国家を牛耳るパワーエリートの意志として捉えれば、彼らがこれから造ろうとしている日本の姿がおぼろげながら浮かんでくるからだ。

 この動きは超絶的な格差社会の到来を予見させる。小泉・竹中構造改革路線は、米系国際金融資本の言うかがままにネオリベ経済体制を敷設した。これが生み出す超格差社会は固定化され、国民労働の成果である富は不公平に傾斜分配される。わかりやすく言うなら、会社の利益は株主に還元され、社員には分配されない。強者が弱者を犠牲にしてますますいい目を見る社会システムが構築されつつある。それに加えて、似非保守連中が策動する主体性なき改憲論の動きは、自衛隊を合法的にアメリカの傭兵にしようとする策謀にほかならない。ただし、傭兵は報酬をもらうが、この場合は日本の莫大な国富をアメリカに貢いだ上に、アメリカのために日本人若者の血が流されることになる。

 このような冷血な法律を策定する売国奴たちの方向性にこそ、言論の自由が封殺される契機が存在するのだ。日本の構造を改変し、自分たちの欲望をほしいままに実現するシステムを円滑にするために、エスタブリッシュメントは、日本にミルトン・フリードマンを始めとするシカゴ経済学派たちの創設した新自由主義をもたらした。

 その目的は、日本型資本主義システムによる富の公平配分を破壊して超格差社会を出現させ、構造的に経済弱者を大勢生み出すことにある。国民の大多数を経済弱者に落としてしまえば支配が容易になるからだ。これを行なうためにはメディアを掌握し、世論を随意に形成する必要があった。そのために権力中枢は国際金融資本の資力を使って主要メディアを握った。メディアは資本強者や権力を批判できなくなり、一部の特権階級だけがわが世の春を謳歌する最悪の状況が訪れようとしている。小泉構造改革継承路線とはこのような構造を帯びている。

 社会動向を安易に生物学的な類推で考察するのは、必ずしも有効とはかぎらないが、時にはわかりやすいこともある。社会が変化する時は森林生態学的な経過をたどる場合がある。それは森林の多様な植生が変化し、やがては平衡してゆく有様と似ていなくもない。植物群落が遷移していき最終段階になると、群落と環境との間に一種の動的平衡状態ができるが、群落は安定的に落ち着いてしまう。これを極相と言うが、このアナロジーを小泉・竹中構造改革路線に適用すると、彼らが目指した徹底した自己責任論、小さな政府、聖域なき規制緩和等は、それまで築き上げてきた日本本来の自生的秩序をことごとく破壊しつくす暴虐であった。

 その結果、日本特有の社会セーフティネットは消滅した。今年の4月から始まった「後期高齢者医療制度」は老人に自己責任原則を被せ、彼らのなけなしの年金から強制天引きを行なうという非道さだ。しかも、二年毎の見直しで天引き増額が行なわれることは目に見えている。文字通りの棄民政策だ。これが象徴する近未来の日本は、新自由主義社会の行き着く先、すなわち極相社会として、数パーセントの大金持ちと、自由と批判精神を奪われ奴隷化した大多数の貧乏な市民に階層分極化する。

 この極相社会を夜警国家というが、徹底した奴隷労働と相互監視、密告(チクリ)社会が実現するかもしれない。強力な武器を持った警察が市中を徘徊し、市民を睥睨する恐怖社会が到来する公算は大きい。オーウェルも真っ青の監視社会はけっして幻想ではないのだ。

(3)に続く

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鹿砦社・松岡利康大弾圧事件は夜警国家変貌への証し(その1)

(本稿は2008年6月7日に発売された鹿砦社『紙の爆弾』7月号に掲載された管理人の拙稿『鹿砦社・松岡利康大弾圧事件は夜警国家変貌への証し』である。これを三回に分けて弊ブログで公開する)

                      「植草一秀事件を検証する会」 高橋博彦

  一、仮借なき「長期人質司法」の深奥に見えてくるもの

 昨年の本誌4月号に、「植草事件に隠された闇」と題して筆者の寄稿が掲載された。本誌の表裏をデザインしておられる、パロディ作家でありグラフィックデザイナーのマッド・アマノさんと、鹿砦社編集長である中川志大さんのご好意によるものである。エコノミスト・植草一秀氏に関する拙記事が「紙の爆弾」に掲載された時、松岡利康社長からメールをいただいたが、そこには『紙の爆弾』は、まだまだ小さな存在ですが、世に埋もれた真実を、タブーなくどんどん掲載していく所存であるという力強い言葉があった。また、氏は偽装痴漢事件に嵌められた植草一秀氏についても、「不当に身柄を拘束され"別荘"暮らしを強いられた悔しさは、体験したものにしか判りません。植草氏のハメラレた悔しさのほどは、ハメラレて半年余りも"別荘"暮らしを強いられた私には理解できます」と、今から思えば国策捜査の陥穽に落とされた者にしか言えない重い言葉があった。

 当時、筆者は植草一秀氏が遭遇した「痴漢偽装でっち上げ事件」に心を奪われており、その政治的謀略を行った黒幕と、権力に迎合して言いたい放題の嘘を報道したマスメディアに対して熾烈な怒りを覚えていた。そのために筆者は松岡利康氏が遭遇した不当捜査事件を皮相的にとらえており、その出来事が内包する真の危険な問題にまだ思いが至らなかった。

 しかし、最近になって、松岡氏を襲った傍若無人な出来事を自分なりに考え始めた時、ここには植草氏の場合と同質の深刻きわまる問題が横たわっているように思えてきた。松岡氏本人も含め、彼を支援する方々は、日本国憲法第21条が危殆に瀕していることを、各々のすぐれた筆法で真剣に説明している。これは最も重要なことであり、この条文が担保されない社会は、万民の幸福原理に真っ向から背反する暗黒の閉塞社会となる。いかなる時代にあっても、いっさいの言論表現の自由は保障される必要がある。松岡氏の場合は言論・出版界に身を置く人間であるから、これは最も切実な訴えであると思う。

 問題が深刻なのは、鹿砦社のように本物の告発と暴露を行なう弱小メディアや個人に向かって、この憲法第21条が選別的に無効化されてしまうという圧倒的事実だ。世の中は力の弱いものが強いものの不正やひずみを批判できるシステムを温存しておかないと、非常にいびつな方向に傾いてしまう。今の日本は権力中枢に迎合し、統治機構の出先機関と成り下がった大手メディアがのうのうと生かされていて、弱いものいじめに奔走するきらいがある。彼らが時の権力にそそのかされ、個人や弱小資本を無慈悲に「叩い」ても、この国にはそれを制止できる保護機構は存在しない。

 逆に鹿砦社のように小さな出版業者が大手資本の巨悪に挑んだだけで、徹底的に壊滅状態になるまで権力筋に干渉されてしまうのだ。強者が弱者を完膚なきまでに叩き潰す社会。こういう弱肉強食を放置して、いったいどこに世の中の健全性を求めるというのだろう。

 グローバリゼーションという国際金融資本が仕掛けたインチキ外来思潮は、買弁勢力を手駒にし、さまざまな悪辣な手口を使って日本をネオリベ社会に改変しつつある。この動きが先鋭化したのが小泉政権だった。植草氏や松岡氏への言論弾圧は国家構造の急激な改変作業の中で出てきたものだ。アメリカの対日「年次改革要望書」のプログラムに従った買弁勢力中枢は、郵政民営化という国富朝貢作戦を展開した。国民労働の結晶である350兆円もの郵政資金を米系金融資本に提供し、日本各地の優良資産を二束三文でハゲタカ系の外資に売り渡す政策が目的であった。彼らは徹底的に外資に有利な規制緩和を敢行し、それを聖域なき構造改革と呼んでいた。国富を宗主国に貢ぎ、そのおこぼれに預かろうとした犬にも劣る連中は、メディアを掌握することによって世論形成を徹底的に封じた。これが小泉政権五年半で起こった破壊的な日本改変であった。

 畢竟、小泉・竹中構造改革とは売国のためのシステム造りだった。この危険性を見抜き、これに異を唱える政治家やジャーナリストなど、良心派有識者は抵抗勢力なるレッテルを貼られ、徹底的に表舞台から引き摺り下ろされた。その象徴的有識者がエコノミストの植草一秀氏であった。

 また、鹿砦社の松岡利康氏は郵政解散総選挙が目前に迫る2005年7月にガサ入れと不当拘束に出遭っているが、当時はアメリカ通商代表部の意向を汲んだメディアの報道統制が最も先鋭化していた時期でもあった。したがって、松岡氏への唐突で異常な弾圧も小泉政権による国策パラダイムの転換とけっして無縁ではない。自民党清和会を中心とする買弁勢力は、売国的構造改革路線を批判する者はもちろんのこと、天下りなど官僚利権構造の温存を批判する者たちも許さなかった。松岡氏の逮捕勾留は、氏が警察官僚天下り企業の不正を糾弾したからである。

 構造改革は、所得格差や消費格差の経済格差として出たが、この弊害は教育格差や希望格差などの文化的格差まで助長し、ネオリベラリズム特有の階級社会を固定化し始めた。この動きに呼応して、権力は反ネオリベ的な姿勢を持つ個人や出版社に表現弾圧の志向を強め、ついには鹿砦社が露骨な言論弾圧を受けた。松岡氏が糾弾したアルゼ(株)は、パチスロ業界の権化とも言える企業であり、典型的なネオリベ的市場原理の活動様態を持つ。しかも警察官僚と癒着がある企業だ。他のメディアがタブー視して触れなかったものに松岡氏は挑んだ。虎の尾を踏んだのだ。

 アルゼに対する松岡氏の弾劾視点は、子会社を無慈悲に潰すその悪辣な弱肉強食にある。彼が「アルゼ王国の闇」と言っているのは、魚心あれば水心ありの日本的経営感覚になじまない無慈悲で極悪非道な経営体質である。

 つまり、松岡氏本人は大企業の巨悪に対して不正糾弾を行なっていたのだが、この告発行為は企業レベルを飛び越えて、結果的には日本にネオリベを敷設した急進的構造改革派の逆鱗に触れたのだ。これは、エコノミストの植草一秀氏が行なった「りそなインサイダー疑惑」糾弾とまったく同様な位相を持ち、松岡氏を狙い撃ちした元凶は、植草氏を嵌めた勢力と同一の買弁勢力ではないかと筆者は思っている。ネオリベの破壊的趨勢は出版社の表現格差にまで及んでいるのだ。論壇領域に弱肉強食の社会ダーウィニズムが席巻したら、文化を創造し、それを継承発展させていくことなど到底不可能であろう。

 植草、松岡両氏が返り血を浴びながらも果敢に行なった巨悪弾劾行為は、日本再生の鍵となる突破的かつ歴史的な偉業だと筆者は思っている。気が付いたもう一つの特徴は、メディアがこの二人の事件に対して取った振る舞いの異様さにある。そこには、今、日本が入り込んでいるトンネルの深い闇が垣間見える。植草事件でメディアは、初期報道からセンセーショナルに取り扱うことで、彼の言われなき病的性癖説を流布しまくった。一方、松岡事件では逆に異様なほどに鎮静的と言うか、ほとんどメディアが触れない状況があったようだ。特に東京方面では鹿砦社問題は歯牙にもかけなかった。松岡氏自身はこれを「メディアの見棄て感」と言っている。

 植草氏の場合はテレビ出演回数も多く、その知名度で関心を引きつけたことはあった。だが、マスコミが彼のありもしない病的性癖を大々的に、面白おかしく諧謔性を交えた表現に終始したことは、無辜の人間に罪を着せる目的があったとしか思えない。各マスコミの初期報道には内容の極端なバイアスが見られた。そこには植草氏側の弁明がほとんど皆無であることと、事件を一貫して既遂事実として扱ってしまうという悪意ある印象報道が行なわれた。

 植草事件は大々的に喧伝されたが、氏個人の人権という側面から見ると、植草氏側の弁明は徹底的に無視され、虚妄の病的性癖論だけが面白おかしく流布された。ここにはきわめて不自然な非対称(不均衡)が見られるのだ。これは松岡氏の言う「メディアの見棄て感」を髣髴とさせる。植草氏が遭遇した二度にわたる痴漢事件とは、国家権力による策謀的な偽装犯罪の疑いがきわめて濃厚である。

 ちなみに植草氏は迷惑防止条例違反の嫌疑で132日間、松岡氏は、パチスロメーカー「アルゼ」役員の私生活を暴いたことと、阪神タイガースの元スカウトマンの転落死が、あたかも現役の阪神球団の職員による犯行であるかのような記述を行った、そのスカウトマンの長女の文章を、鹿砦社発行の『スキャンダル大戦争』に掲載したことで、名誉毀損の嫌疑をかけられ、じつに192日間もの不当勾留を受けている。

 彼らは容疑段階であるにもかかわらず、被疑者の自由を徹底的に奪う「長期人質司法」を受けている。それは苛烈さと人権無視において、甚だしく異常な弾圧だと言えよう。両者とも長期に及んで国家に羽交い絞めにされるような嫌疑ではない。どう考えても、この人質司法(別名:代用監獄)は通常の意味で言う官憲の権力行使から逸脱している。しかも、松岡氏の場合は、これによって出版社の機能停止にまで追い込まれているし、植草氏の場合も会社の営業停止に追い込まれている。

 ここに共通することは、両者とも、現代企業の必需品で業務情報が集積する会社専用パソコンが押収されているという事実だ。明らかにこれは言論封殺を目的とする不当弾圧であるのだが、非道なことに、生業の稼動を不能にして、憲法第25条に規定される生存権の浸潤に及ぶ陰険さも併せ持っている。その執拗さ、その徹底ぶりに思いを止めると、ここには権力側にのっぴきならない事情があることをうかがわせる。植草氏と松岡氏に加えられた唐突な弾圧には、法律的な根拠とは別に、権力側にとって、けっして看過できない、「彼ら特有の」重い事情が生じたことを裏付けている。両者の表現行為は、明らかに権力機構という巨龍の逆鱗に触れ、その獣性を刺激した。

 京急電車内で植草氏を逮捕した一般人を、一審第二回公判に出廷した検察側目撃証言者は、法廷証言で思わず『私服の男性』と呼んでいる。これは筆者も他の支援者もはっきりと耳にした。検察とこの証人の法廷問答において、証人が乗り合わせた一般人の乗客を「私服」と形容しなければならない合理的理由も必然性も限りなく低い。筆者と他の支援者は、この証言者と検察官の問答様態を傍聴席で見聞したが、それは異様なほどよどみなくスムースなやり取りであった。まるで想定問答を充分に繰り返したような印象を受けている。

 しかし、反射的な答え方を練習すればするほど、想定になかった質問が突然投げかけられた場合は、思わず本音をさらけ出してしまうということはあるのかもしれない。目撃者が逮捕者の制服姿を普段から知っている可能性が高い場合は、うっかり「私服」という言葉を使う場合もあるかもしれない。筆者は植草氏を追尾して嵌めたグループが、少なくても国家権力を象徴する制服を着る職業の者たちではないかと睨んでいる。この制服組が権力政党と関係する宗教団体である可能性もないとは言えないだろう。一方、松岡氏が糾弾した「アルゼ」や阪神タイガーズは警察官僚が天下っている企業である。

 権力筋は植草氏に対しては、偽装犯罪を仕掛け、松岡氏に対しては国権を発動して強制捜査、強制勾留に及んだ。体制側にはどうしても彼らを潰さなければならない事情が存在していることになる。植草氏の場合は間違いなく小泉政権がらみの政治的謀略が働いており、その巨大な背景の一つは、りそなインサイダー取引疑惑を彼が指摘したことにある。また彼は、小泉政権が官僚批判を前面に出しながらも、財務省主導による官僚利権構造が温存されていたことも鋭く指摘している。

 松岡氏の場合は、糾弾した相手の大企業に警察官僚が深く関わっていることにより、事件性が表面化すると困るからだろう。つまり、アルゼも例の球団も権力の執行機関から見れば絶対に無謬性を貫いてもらわないと困るからだ。犯罪企業に天下ることは警察機構の威厳が低下することに直結し、絶対にあってはならないことだからだ。だからこそ、鹿砦社のように、これに瑕疵を付けようとする行為は徹底的に弾圧するのではないだろうか。植草氏、松岡氏ともに、眠れる日本のリヴァイアサンを呼び覚ましたのだ。体制側は触れて欲しくない何か「不都合な理由」を抱えていた。俯瞰すれば、両者が遭遇した事件には同質の時代背景がある。時代は日本国憲法第21条の侵食というやっかいな位相に突入している。

第21条
1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 植草氏や松岡氏の大弾圧に見られる決定的な傾向は、言論の自由が無効化される時代が間近に来ていることを示している。エスタブリッシュメントは、言論表現の自由を圧殺してこの日本をどうしようとしているのだろうか。筆者は言論封殺の彼方に、今の日本が「夜警国家」という恐怖社会へ変貌し始めていることを強く感じる。

『鹿砦社・松岡利康大弾圧事件は夜警国家変貌への証し(その2)』へ続く

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2008年7月 1日 (火)

2011年までに基礎的財政収支を黒字化するという目標について(小野盛司)

日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第93弾です)

 
【※小野盛司会長が、本日、渡辺喜美金融担当大臣と会い、積極財政について話し合ったそうです!!】
 
 日本経済は急速に衰退している。みるみる日本が貧乏になっていくことが、毎日誰もが実感していることだろう。食料品やガソリン等の値上げで誰もが苦しんでいるが、日本国内にこれで利益を得ている人はいない。賃金は上がらないから当然消費は落ち込み、人は節約に走るから、どんどん景気は悪化する。この景気悪化が、デフレ脱却ができていないときに起こったのは、悲劇というしかない。なぜなら、デフレとは大不況を意味し、その状態から更に経済が更に悪化しようというのだからたまらない。

 日本経済がここまで悪くなったとき、「2011年までに基礎的財政収支を黒字化するという国の目標」という国家目標をいつまでも掲げていてもよいのだろうか。私は、本日このことに関し渡辺喜美 金融担当大臣とじっくりお話しする機会を得た。本当に真剣に聞いて頂き良く理解して頂いたことを、心から感謝している。大臣が真剣に日本経済の事、国民の事を考えておられることが、伝わってきた。私が大臣にお話しした内容の、ごく一部をここで紹介する。

 まず最初に「2011年までに基礎的財政収支を黒字化するという目標でよいのか」という問題から始めた。内閣府の試算によればデフレ時に緊縮財政を行えば、国の債務のGDP比(実質的な借金)は増大するし、逆に積極財政を行えば、国の実質的な借金は減るのである。「2011年までに基礎的財政収支を黒字化するという目標」は、この内閣府の試算を基に設定されたものであり、どのような環境の変化があっても変えてはならないという性格のものでもない。実際、新規国債発行枠30兆円という目標も達成されなかったし、この程度の公約は、たいしたことはないというのが、小泉元首相の発言であった。2006年度にデフレ脱却をするという公約も守られなかった。

 我々は、「緊縮財政を行えば、国の債務のGDP比(実質的な借金)は増大するし、逆に積極財政を行えば、国の実質的な借金は減る」という内閣府の試算について質問主意書という形で総理に質問した。それなら、積極財政を行って国の実質的な借金を減らしたほうがよいのではないかという質問である。

それに対し、平成19年2月23日の総理による答弁書(内閣衆質166第62号)では「借金のGDP比は当初の1年目及び2年目は低下するが、3年目以降上昇する。」とあった。そこで我々は「金利を低め誘導するなら、3年目以降も低下する。」と再質問をした。つまり内閣府の試算では、ほんの少しでも景気が回復すると、一気に金利引き上げをしているが、その必要はなく、金利低め誘導なら、3年目以降も上昇しないというわけだ。
それに対し、「平成19年3月9日の総理の答弁書(内閣衆質166第94号)」では、「計量経済モデルによる計算結果は、誤差を伴う。」という答えであった。しかし、それは緊縮財政を行うべきだ、積極財政は良くないという結論にはならない。誤差が大きいモデルなら、改良し誤差を小さくしなければならない。ここで議論が止めてしまってはいけないという私の意見に大臣は同意して下さった。

 国が財政政策の指針を決定している内閣府の経済モデル(進路と戦略)によると、財政出動によって、景気は回復しGDPは増え、デフレ脱却を可能にし、失業者も減らすし、国の借金も少なくとも初めの3年間は実質的に減る(GDP比が減る)。日本経済にとって良いことばかりだ。唯一問題ありと内閣府が主張しているのは、4年後に国の借金がたまって増えていくということだ。しかしながら、この懸念に対しては、宍戸駿太郞氏が見事なデータで、完璧に否定している。次のグラフを見て頂きたい。

Photo_2

 これは、景気対策として公共投資をした場合にどれだけGDPが拡大するかを、日本の代表的なシンクタンクによるモデルの比較をしたものだ。政府も内閣府のものと参議院調査情報室のものがある。この比較で分かるように、内閣府のデータが圧倒的に低い。公共投資でなくとも、減税などによる景気対策でも同様だ。内閣府のものだけがこれだけ低いということは、内閣府によれば、景気対策として国がお金を国民のために使ったとしても、経済はほとんど良くならないし国の借金も増えるだけで、3~4年後あたりから、その増えた借金の効果が現れるというものだ。しかし、そんなわけはないというのが、他のすべてのシンクタンクや参議院調査情報室の結論だ。

 内閣府の試算によれば、日本経済は、エンジンが壊れかけた車のようなものである。思いっきりアクセルをふかしても、スピードは自転車並みしか出ない。どうしてそのような非現実的な経済モデルを内閣府は作ったのか。それは雇い主である小泉首相や竹中大臣に、そのように作れと命令を受けたからだ。作る前から結論は出ていたのだ。景気対策をやっても無駄だと国民を説得するために、非現実的な経済モデルを作らされたのだ。だから、新しい経済データが出る度に下方修正を行うことが年中行事になっている。

 どしゃぶりの雨が降っているとき、明日か明後日には快晴になりますよと気象庁が発表するようなものだ。しかし、何日経ってもどしゃぶりのままだ。日本人は何と騙されやすい国民か。2002年からの内閣府の発表を見ればよい。1~2年中にデフレは脱却できると言い続けているが、それが外れっぱなしである。もうそろそろ騙されていることに気付くときではないか。オオカミ少年だって、3度目には誰も信じてくれなくなっていた。日本人は何回内閣府に騙されれば内閣府を信用しなくなるのだろうか。

 内閣府のモデルでは、景気対策をしてもGDPがほとんど増えないために、借金のGDP比は長期的には増えていく。分母が増えないからだ。しかし、それ以外の経済モデルでは、景気対策では、GDPはちゃんと増える。そのときは、分母が大きくなるから、3年目以降も、実質的な借金は減っていくのだ。景気対策を行っても実質的な借金が減っているのであれば、借金は将来返す必要が無く、事実上お金を刷ったと同じことになるのだ。

 以上が、渡辺大臣にお話しした内容の一部である。大臣は我々の考えを極めてよく理解して下さった。是非、このような政治家に、総理大臣になって頂いて、日本経済を再生して下さることを心から願っております。

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