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2008年7月31日 (木)

成長し続ける道はある。日本よ、自信を取り戻せ。・・・ポール・サミュエルソン(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第103弾です)

 発売されたばかりの「日経ビジネスマネジメント ベストプラクティスシリーズ Vol.2 混迷の時代に描く成長戦略」という雑誌の中に、ポール・サミュエルソンによる日本経済再生の提言がある。ノーベル経済学賞受賞者であり、経済学の最高権威であるサミュエルソンは、日本経済に最も理解を示す米国の経済学者だろう。彼は数年前に小泉首相に「お金を刷って減税等の財政に使うと良い」などの提言を行っている。

 平成17年12月1日には、「日本政府は米国債を売り、世界中の株を買うとよい」という驚くべき提案を行っている。そのほうが日本にとって利益になるというもの。彼の言うとおりだった。最近のドル安を見ても、早めに米国債を売り世界中の株を買っていたら、日本は数十兆円の利益を得ていた可能性がある。

 しかし、サミュエルソンは米国人だ。日本が米国債を売ることは、米国から資金が逃げていくのだから、明らかに米国経済にはマイナスになる。自国を犠牲にしてまでサミュエルソンは日本経済を救いたいと思っていたし、今でも思っている。彼の提言には大変感激した。日本のエコノミストは自国の利益ばかり考えていて、ここまで他国の事を考えている人は一人もいない。他国の事どころか、財政再建を最優先して、自国の経済のことすら、ろくに考えていない馬鹿なエコノミストや政治家が目に付く。

今回のサミュエルソンの提言の一部を紹介しよう。

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財政出動と減税で内需拡大を

 日本が今後も経済を成長させ続けるためには、現在のように輸出主導型の成長に固執するのをやめ、内需を拡大することも必要でしょう。それには赤字国債の発行によって財政支出を増やすとともに減税を実施することです。

 不況が長期にわたった90年代にも、日本は財政出動を果敢に実施すべきでした。29年に始まった世界大恐慌に終止符を打つために積極的に政府支出を拡大した当時のフランクリン・ルーズベルト米大統領のようにです。

 ところが財政再建を優先し、消費税の税率を引き上げた。その代わりに金利の引き下げによって景気を回復させようとしました。しかし、結果は思い通りにはならなかった。なぜなら、金利が低くなりすぎて金融政策の効果が失われる「流動性の罠」に陥ったからです。にもかかわらず、日銀は政策の誤りを認めず、ゼロ金利政策を取り続けました。その結果、不況が長期化したのです。

 不況から脱した今、恐らく国内外の保守的な人々からは増税と歳出削減による財政再建を求める声が強まっていることでしょう。「GDPに比べて著しく多い国債残高をいつまでも抱えておくことはできない。削減すべきだ」とね。

 しかし、日本政府は、次のように反論すべきです。「それはあなたの知ったことではない。先にやらなければならない重要なことはほかにある。それは再び経済を成長させることだ。国債の残高について心配するのはその後でいい」と。

 財政支出を増やして公共投資を拡大せずに金融緩和に頼ったから、失われた10年と言われるほど不況が長引いたのです。しかも、現在は世界経済が失速し始めている。財政支出の拡大と減税によって景気を刺激すべきです。増税による財政再建は今なすべきことではありません。

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 以上、一部のみを掲載したのだが、詳しくは本誌を読んでいただきたい。今まで我々は戦後最長の景気回復期にあると政府から聞かされてきた。しかしその間も、そして今もずっとデフレは続いているわけで、それが景気回復期だとはお笑いである。今や、失業率も増加を始め、様々な経済指標が景気悪化を示し始めている。これから予算編成だが、与党の中にも財政出動を求める声が上がっているという。「赤字国債を発行すれば将来世代へのつけを残す」という間違えた報道が繰り返しされている。赤字国債はお金を刷っているだけであり、将来世代につけを残すことではない。将来世代もお金を刷れるのだから。国の借金のGDP比が増える一方であるかのように言われているが、そうではない。お金を刷って実体経済に流せば、そのお金の活躍によって、当然GDPは増える。国の経済が順調になれば、国の借金のGDP比は、自然と他国と同じレベルに収束するようになっているのだ。デフレの際に、無理をして借金を減らそうとしなくてもよい。これはサミュエルソンも言っているとおりだ。

 大田大臣と宍戸駿太郞氏の公開討論会は8月8日に決まったのだが、この討論会に関しては、内閣府は全く逃げ腰だった。3月14日に福田首相が開催に同意したのだが、何と長い時間が掛かったことか。近く組閣があるかもしれない。大田大臣が大臣から降ろされるのかもしれない。8月8日はオリンピックの開幕式だから、国民は討論会など見向きもしないだろう。

 様々なしたたかな思惑があったのではないか。いずれにせよ逃げ腰であるのは間違いない。そんなに追求が怖いのか。そんなに自分たちのモデルのトリックが暴露されるのが怖いのか。日本経済を痛めつけ、日本国民を苦しめている内閣府の経済モデルの中身を8月8日にじっくり説明していただく。

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2008年7月30日 (水)

告発の後に襲い来る漆黒の大津波

     
 (※本稿は「紙の爆弾」8月号に掲載された管理人の記事です)

一、トリプル・メモリアル

 三年というのは、今の鹿砦社にとっては特別な意味を持つ年数になっているようだ。その第一は、2005年7月12日の鹿砦社弾圧事件から、今年は三周年目に当たる。第二は、鹿砦社基幹雑誌『紙の爆弾』創刊から三周年目である。そして、第三は、鹿砦社・社長の松岡利康氏とは、ともに運命共同体的な歴史の流れを生きており、戦友にも等しい魂の絆を持つ同志でもある、西宮冷蔵社長の水谷洋一氏に新たな展開が起きていることだ。それは水谷社長の雪印食品牛肉偽装事件告発がNHKでドラマ化され、7月30日に放送されることが決定したからだ。ドラマは水谷社長を主人公に、特別番組「たったひとりの反乱」という題名で放送される。昨今、あまた頻出している食品偽装事件の先駆け的告発をなした水谷社長の生き様を再現ドラマ化したものだ。水谷氏の波乱の人生にとって、エポックメーキングともなりうるこの放送は、奇しくも鹿砦社言論弾圧事件から三周年目の7月30日に全国放送される。この快挙は鹿砦社の松岡氏にとっても非常に意義深いものとなっており、それについては本論でおいおい明かしていく。つまり、今の鹿砦社にとって、「三年」というのは三重の意味でメモリアルなのである。

 今回、筆者はこのトリプル・メモリアルにちなんで、松岡氏、水谷氏ご両者が受けた、有形無形の弾圧の背後にひそむ深刻な社会的深層を見つめてみたい。彼らは、それぞれが不退転の覚悟で巨悪に立ち向かい、妥協なしの暴露、そして告発をみごとに行なった。ところが、両者とも、その勇猛果敢な告発の後には、法や権力にたずさわるサイドから、陰湿、陰険とも言える不当な迫害を受け、会社の運営に壊滅的なダメージを受けている。松岡氏に関して言えば、出版、報道をめぐる名誉毀損の容疑が、民事のみならず、警察、検察が直接介入する刑事事件として取り扱われた。2005年7月12日、早朝六時半、神戸地検特別刑事部の一団が松岡氏の自宅を急襲、その日には本社事務所、東京支社に対しても大掛かりな家宅捜査が執行され、神戸地検に連行された松岡氏は、地検内にて逮捕された。しばらくして神戸拘置所に移送された。そのあとは192日間に及ぶ長期勾留にいたっている。この事件を機に、本社事務所も東京支社も閉鎖、そして撤去の憂き目に遭い、出版活動は事実上停止状態に追い込まれた。

 2007年6月には、国連の拷問禁止委員会が日本に対して"代用監獄制度の廃止"勧告が出された。昨今、日本の人質司法はかなり深刻な問題となっているが、松岡利康氏やエコノミストの植草一秀氏が受けた長期人質司法は優先して考えなければならない問題である。はじめに拘束ありきで、自由を奪うことから始まる傍若無人な人質司法は、国際的に見れば法治国家にあってはならないことであり、後進性そのもの、国家の恥辱とも言える。

 神戸地裁は、松岡氏の長期身柄拘束について、なんと、当然の制裁であるかのように一定の評価を下し容認した。これは裁判所の裁定感覚を問題視するというレベルをはるかに超え、国民にとってはなはだ危険であることを示している。司法が順当な手続きを無視して、狙った国民を好きな時に拘束できるという恐ろしい現実が進行中である。身柄拘束に対して法的根拠が薄弱でも、国民が官憲によるこのような暴挙を看過・黙認した場合、これが常態化・既成事実化することは当然の成り行きである。それを考えたら、その恐怖が強く身にしみてくる。権力にとって、不従順で気に入らない個人や、都合の悪いことを言う個人は、何を持ってしても、とにかく身柄を拘束してしまえばいい、その拘束理由はあとでどのように付けてもかまわないということになる。鹿砦社の横暴な弾圧事件を放置すれば、恐怖政治が横行する社会へ道筋をつけてしまうことにもなりかねない。 

二、告発は「偽装内閣」という時代性の中であらわれた

 近年、日本は「偽装」という言葉がマスコミに乱舞しない日はないほど、さまざまなジャンルで偽装事件が頻発している。耐震強度偽装や大量の品を扱う食品偽装などは比較的有名であるが、身近にあるものでは、たとえば会計偽装や、スーパーなどで売られるパック食品の産地偽装や魚類の正体偽装など、細かく上げたらきりがない。

 このような偽装オンパレードの中で、もっとも規模の大きな偽装とはいったい何であろうか。筆者はそれが小泉内閣そのものであったと断言できる。すでに通り過ぎた一つの内閣を偽装内閣だったと言えば、奇異に聞こえるかもしれないが、偽装というものを、国民の目をごまかして内容とは違うレッテルを貼り、誰かが不当な利益を得ることだと定義すれば、小泉政権も紛うことなく偽装の典型的なかたちを有していた。歴代内閣の中で、なぜ小泉内閣が偽装内閣だったのかと言えば、それはこの内閣がアメリカの傀儡内閣だったからにほかならない。小泉施政の五年半は、「聖域なき構造改革」という錦の御旗の下で、強引に進められた、あくなき日本破壊の年月であった。

 官邸主導という独裁色を帯びたこの政権は、アメリカがもたらした対日『年次改革要望書』に基づいて、日本の社会システムを急激にグローバル・スタンダードに適合させた。日本の構造を弱肉強食の新自由主義体制へ転換したのである。また、政府の陰謀とも思えるデフレ経済の固定化は、長期にわたって景気を後退させ、巷を失業者であふれさせ、正規雇用者から非正規雇用者に多くの者がシフトした。このため、所得格差は著しく拡大し、国民の可処分所得は激減、ますます内需後退の泥沼に突入してデフレ傾向は深刻化した。政府も、マスコミも、なぜかこの実態を公表しない。

 国民のためを装い、表面的には国益志向を装ったこの内閣は、徹底した買弁性格に彩られていた。まさに小泉内閣とは『偽装政権』そのものであった。この内閣が推進した構造改革の実態は外国資本へ利益供与するためのシステム造りであった。いわゆる聖域なき構造改革の断行は、国民経済を奈落の底に追いやり、老人福祉や医療は崩壊の兆しを見せ始めている。自殺者が年間三万人を超え、国民は明日に希望を持てず、逼迫した気分にある。この政権の顕著な特徴は、国民の労働成果である富の再分配が国民に行き渡らず、一部の株主、特に海外資本株主だけに強く傾斜配分してしまうことにある。

 筆者が、小泉内閣時代を、特に『偽装内閣』と称して強調したことには重大な意味がある。なぜなら、松岡利康氏の暴露も、水谷洋一氏の告発も、また、植草氏の小泉政権糾弾も、彼らは、そのあとから考えられないようなむごい仕打ちに襲われている。三人は正義の告発をおこなったのだが、時代(体制)は彼らに獰猛な牙を向けた。筆者が最も深刻に憂い、何とかしなければならないと切歯扼腕していることは、時代が正義の回復を望んでいないように見受けられることにある。このことは、植草一秀氏の132日間、松岡利康氏の192日間に及ぶ身柄拘束に見られる官憲の執拗な悪意を見れば、鮮明に見えてくる。国の秩序を維持するために、権力執行の大事な役目を担うというのは聞こえはいいが、彼らには国民の公僕としての良識も、正義感も、その精神の核の部分で空洞化し始めているように見える。筆者は、国家の秩序維持を職能とする組織が、このように形骸化し、社会正義の常道を忘却している事実に、深刻な国家の危機を読み取る。また、その深層に目を投じれば、日本の根源的な病巣が、アメリカや国際金融資本の傀儡的性格を強く持ち始めたことに起因することがよくわかる。日本はいまだに植民地の存在形態から脱却できないでいる。

三、偽装はゆがんだ時代構造によって生み出された

 近年は偽装事件のオンパレードである。昨年2007年は食品偽装事件が相次いだことで人々の耳目を引き付けたが、最近では船場吉兆の"料理つかいまわし"が世間をにぎわせた。食品偽装の風潮はまさに止まるところを知らない勢いである。『紙の爆弾』本年1月号に書かれた松岡利康氏の「告発の行方」を参照すれば、食品偽装騒動は、昨年1月、「不二家」で期限切れ牛乳が発覚したことに始まり、「ミートホープ」、「白い恋人」、「赤福」、「日本ライス」、「比内地鶏」、「船場吉兆」などに続いた。この一連の食品偽装事件には、大きく分けて二つの位相がある。一つは文字通り、業界に携わる人間のモラルハザードの問題である。日本が世界に誇っていた高度な品質管理感覚が急速に崩れ始めている。もう一つは、この一連の偽装事件の裏には、「年次改革要望書」の目論見どおり、日本の優良資産を持つ企業の社会的信用を故意に低落させて株価を下げ、底値に近い状態で安く買い叩こうとする米系国際金融資本(外資=害資)の陰険な思惑と仕掛けが存在している。もちろん、全部の偽装がそうとは言わないが、かなりの部分で外資の暗躍があると考えている。"害資"の働き掛けについては、今回は紙数の関係で言及しない。
 
 前号でも簡単に説明したが、今日本を席巻している言論弾圧傾向は、巨大な国家変容にその原因があると指摘した。つまり、今の日本は『夜警国家』に変貌しつつあり、その変化にともなって、言論表現の封じ込めが権力筋の喫緊の課題、狙いとなって露骨になってきたという説である。この夜警国家という耳慣れない言葉について、少し説明して置こう。

 数々の偽装事件が全国各地で起きており、官庁も、国民も、国家ぐるみで慢性的なモラルハザードに落ちている。これを糊塗しようとする動きが露骨な言論弾圧となって、出版社や個人を狙い撃ちする傾向が先鋭化してきた。筆者はこういう世界を"福祉国家"とは対極に位置する現代の"夜警国家"と呼ぶ。この夜警国家は、19世紀ドイツの社会学者フェルデナンド・ラッサールが、『労働者綱領』の中で編み出した言葉だ。これは昭和44年、文藝春秋社発刊、小泉信三全集・第24巻に収録されている。夜警といえば、レンブラントの有名な"夜警"の絵を思い浮かべる方もいると思う。夜警国家とは文字通り、夜警化した国家であり、国家の存在様態が、夜盗や外国の侵略に対して警備する力を持つだけでいいという意味である。ラッサール自身はこれを、近代自由主義国家の成れの果てという皮肉をこめた意味で使っているが、筆者はこの夜警国家に小泉構造改革路線が行なった「国替え」の真相を見る。小泉政権が激変的に敷いた構造改革路線、すなわち本質的にはネオリベ体制と呼べるこの政策路線は、その遷移の行き着く先として、現代的な意味における夜警国家に向かっている。福祉政策はずたずたに破壊され、逆累進課税的に弱いものへ重税を課す傾向に極端に傾斜している。年金制度も医療制度も崩壊の兆しを見せ始めている。今の日本は、歴史、文化、伝統を包含した連続的、有機的な基本概念としての国家観が崩れ去る一歩手前にきている。

 日本が夜警国家に変貌し始めている。植草一秀氏、水谷洋一氏、松岡利康氏が、その勇気ある告発の彼方に待ち受けていたものは、国家機関とかかわる位置にいる場所から発した陰険で熾烈な弾圧であった。米系国際金融資本の意のままに日本構造を改変した、自民党清和会を中心とする買弁勢力は、国家的変容が夜警国家、すなわち新自由主義体制の終局点としての監視国家に向かっている現実を糊塗するために、植草氏や松岡氏の言論表現に止めを刺そうと画策したのだ。国民には真相を悟らせないためである。植草氏は小泉政権の売国性をストレートに糾弾したからわかりやすい。だが、松岡氏の場合はどうだろうか。彼はたしかにアルゼというパチスロメーカーの巨悪を暴露したが、そのことと、夜警国家論と何のつながりがある?と思われる方も多いだろう。じつは大いにかかわり合いがある。警察官僚と強い癒着構造を有している企業の不祥事が世間に注目されてしまうことは絶対にご法度なのだ。松岡氏のアルゼ指弾はまっこうからこの不文律をおかしているのである。これを官憲が許せないということは、小泉政権の国家変容が一部の特権階級だけに恩恵を与える構図を持ったこと、また、その体制をガードする警察や検察の官憲機構や、裁判所が、国民のためではなく、支配階級や国際金融資本の走狗に成り下がってきたという現実が背景にある。エスタブリッシュメントは告発や暴露を絶対に許さないという腹を固めたのである。

 水谷洋一氏が雪印食品の偽装牛肉を告発したあとで、家業の倉庫業に対して、業界や監督官庁から陰湿な迫害を受け、営業が壊滅的打撃を受け始めたのが、りそなインサイダー疑惑と言われる金融疑獄事件が実際に進行していて、それが頂点にあったと思われる2003年初頭当時であったことはけっして偶然ではない。この時期に買弁勢力に手引き、誘導された外資は日本の優良資産を買いあさっていた。この実態を国民に知らせないために、官邸筋はメディアの統制色を強くした。当然、「告発」の類は最も警戒していたはずである。当時、西宮冷蔵を狙い撃ちした監督官庁は「国交省神戸運輸監理部」であった。この時期から、郵政民営化が本格始動する2007年の10月辺りまで、実質的には小泉官邸主導の性格を受け継いだ与党政権は、独裁色を一気に強め、政権に批判的な政治家や有識者達をことごとく第一線から斥けている。鹿砦社の言論弾圧事件が勃発したのも、郵政民営化解散総選挙の二ヶ月前である。当時は小泉官邸主導筋がマスメディアを掌握して、最も言論統制的色合いが露骨になっていた時期でもあった。買弁傾向が最も先鋭化したこの時期に、権力筋が言論封じに神経を尖らしたであろうことは容易に想像がつく。

四、単独の一揆的レジスタンス

 冒頭で、松岡利康氏と水谷洋一氏は、戦友にも等しい魂の絆を持つと書いたのは、けっして筆者の衒学的発想から出た言葉ではない。この二人が受けた漆黒の津波は同じ意志から発しているからであり、彼らは強い相似性を持つ。松岡氏は水谷氏が孤立してジリ貧になっていた時、物心両面で水谷氏を応援した。水谷氏が街頭カンパを呼びかけていた時、松岡氏は、鹿砦社発刊の「内部告発」という本、及び「スキャンダル大戦争」という雑誌を提供しており、これが街頭で売れたことが、西宮冷蔵再起の呼び水となった。翌年の4月、西宮冷蔵がようやく事業再開に漕ぎ着けた時、「西宮冷蔵を再建する会」が発足したが、この会長に、検察の裏金を内部告発した三井環氏が就いている。副会長には松岡氏がなった。この時の会長、副会長の成り行き的形態から、検察は、松岡氏が三井氏と強い絆があるかのごとく邪推し、それが鹿砦社弾圧の一因になった可能性もあると言われ、松岡氏自身もそう語っている。

 また、松岡氏は一つの根本的な疑念を呈している。水谷氏が今から六年前、巨大なガリバー企業の偽装を告発して、世間に衝撃的な波紋を投げかけているのに、昨今、食品偽装事件は減るどころか頻出傾向にあるのはなぜなのか、と。これについて、筆者には一つのとらえかたがある。かつて、日本が高度経済成長に歩んでいた時は、すべての製造流通分野において、世界に冠たる高度な品質管理(QC)を誇っていた。当然、安全や衛生も日本人らしい几帳面さで高度な管理が実現されていた。その当時であったなら、偽装がどこかで発覚したなら、それは即座に教訓とされたであろう。しかし、小泉政権が日本にネオリベ参入を許し、社会の価値を、人間的なモラルが消滅するような市場原理至上主義に置き換えてしまってから、日本人は全体的にモラルハザードにおちいってしまったと筆者は見ている。つまり「夜警国家」とは、人心の荒廃が極限まで進んだ社会と言うこともできるのだ。

 筆者は、その人間がどのような思想を持ち、どのような人間であろうとも、単身で大きな力に向かう行動様式に対しては、限りない讃美の念を持つ。誰にもできることではないからだ。近くでは、祖国に殉じて敵に突っ込んだ特攻隊もそうであるし、たとえば東映仁侠路線というフィクションであっても、ヤクザが組や仲間の義理人情のために、かなわない敵に向かって、血まみれになって自爆するという行動様式には純粋に心を惹かれる。ましてや、松岡氏、水谷氏、植草氏はフィクションではない。彼らも、筆者と同じ時代に生き、同じ歴史の潮流にもまれている儚(はかな)い人間たちの一人なのだ。押し寄せる時代の波に翻弄されるかよわい個人に、巨悪の跳梁跋扈を許さないという気持ちが澎湃(ほうはい)として湧き起こった。彼らは巨悪に睥睨されることを潔しとせず、果敢に立ち上がった。そして怯まずに睨みつけ、無謀にも立ち向かっていった。彼らの受けた返り血を、黙って見ている手はないと思った。筆者は多くの人間に向かって、彼らの勇気ある行動と魂の強靭さを提示する必要に今強く駆り立てられる。また、そうしなければ、この日本は早晩、壊死の憂き目に遭うだろう。

 7月30日、NHKで西宮冷蔵・水谷社長のドラマ『たったひとりの反乱』が放送されることは、艱難を超えて歩む植草氏、松岡氏、水谷氏にとっては、ひとつの暁光だろう。

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「たったひとりの反乱」今晩放映!!

  今日7月30日、午後10時より、NHKにて、偽装食品告発の先駆けとなった西宮冷蔵の水谷洋一社長のドラマ「たったひとりの反乱」が放映される。

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 2002年初頭、あるニュースが世間を賑わした。『雪印食品・牛肉偽装詐欺事件』である。これを告発したのが、兵庫県・西宮市にある倉庫会社、「西宮冷蔵」の社長・水谷洋一氏である。この内部告発から3ヶ月後に「雪印食品」は解体した。しかし、その告発の後、西宮冷蔵も国土交通省から営業停止処分を受けた。また、取引先は次々と撤退した。翌年の5月には倉庫の電気が止められた。水谷氏は正義の告発の後に、家業ができなくなるような迫害を受けている。しかし、彼は不撓不屈の精神で家族と心を合わせ、再建への苦闘を開始し、今日に至っている。

 最も苦しい時期に、水谷社長は、大阪の街頭に立ち、書籍販売の露天を開き、告発の経緯を書いた「内部告発」という本、および「スキャンダル大戦争」という雑誌を販売して再建資金の道筋をつけた。二冊とも鹿砦社出版である。鹿砦社・社長の松岡利康氏の物心両面にわたる援助があった。

 水谷社長のこの苦闘のドラマを是非見て欲しいと思う。小さな倉庫会社が、社会正義という一心から、雪印食品という巨大な企業の不正を告発したのである。しかし、その結果は会社の営業ができなくなるほどのしっぺ返しであった。今の日本は、社会正義から政治や企業の不正を糾弾すると、権力筋から理不尽な圧力がかけられる状況になっている。植草さんも、鹿砦社の松岡利康さんも似たようなひどい目に遭っている。良心的な有識者がこういう目に遭う現実は、国民にとってけっして良くない国政が行われている現実でもある。今の日本は言論の自由が危殆に瀕しているのだ。正義の告発者がひどい目に遭う現実がそれを物語っている。

 NHKで、今晩10時から放映される水谷社長の苦闘のドラマを是非ご覧になっていただきたいと思う。

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「竹中平蔵氏&木村剛氏」と植草さんの確執

   
 日曜日(27日)の御用番組「サンデープロジェクト」に、竹中平蔵氏と木村剛氏が仲良く肩を並べて出演していた。ほんの少ししか見られなかったので、全体として彼らがどのようなことを言っていたのかわからないが、竹中氏のりそな銀行救済に関して言及した部分は印象に残っている。正確ではないが、竹中氏は、「あれは非常に適正な不良債権処理だったわけです」という意味のことを言ったように思う。りそな処理に対する当事者として、竹中氏のこの発言は、当然ながら植草さんの指摘する見解と真っ向から異なっている。竹中氏と木村氏が仲良くテレビ出演している姿を見ると、竹中氏が2002年9月30日の組閣の後に、金融再生プロジェクトチーム(PT)なるものを発足させ、後に木村剛氏を参画させたことに思い当たる。このチームの目的は金融行政のルール変更であり、その首謀者がこの二人であった。

 植草さんは2006年9月13日に京急事件に見舞われた。品川手鏡事件も含めて二度にわたる植草さんの国策捜査論に懐疑的な連中は、しばしば次のような質問を行う。それは小泉政権にとって、植草一秀氏という一介のエコノミストの存在が、そんなに影響力のある重要な存在なのか?という疑問である。その答えはYES、小泉政権の本質を見抜いていた植草さんは、彼らの政策遂行にとって、理論的に最も懸念すべき阻害要因だったことは確かである。京急事件の起きた年の6月25日に書かれた「第10回『失われた5年-小泉政権・負の総決算(4)』」にはこう書いている。

 『2003年のりそな処理=株価底入れの過程については、3つの重要な論点があると述べた。①金融行政と外国資本との連携の疑い、②りそな銀行がなぜ標的とされたか、③りそな銀行処理における繰延税金資産計上の不自然さ、の3点だ。
 小泉政権は大銀行についても、「退出すべきは退出させる」方針を貫くことを再三にわたり表明していた。日経平均株価が7607円まで暴落した最大の理由がこの点にあった。大銀行が倒産させられるなら、企業の破綻は一気に拡大する。そして連鎖的に第二、第三の銀行破綻が引き起こされるだろう。いわゆる「金融恐慌」の懸念である』

  結果的に金融恐慌は起こらなかった。繰延税金資産計上の不自然さなど、大銀行を破綻寸前まで導いたが、寸前でその自己責任原則論を放棄して救済した。りそな救済にまつわる一連の動きには究明すべき背景があると植草さんは力説している。つまり、植草さんは、りそなの実質国有化には非常に不自然で大掛かりな人為的操作が施されている可能性があることを繰り返し指弾しているのだ。外国資本および買弁勢力と結託した金融再生プロジェクトチームが主導して、巨大なインサイダー取引疑惑が行われた疑惑を植草さんだけが見抜いていた。植草さんは現在も、竹中氏だけではなく、木村剛氏にも相当強い警戒心を抱かれていると考えてもまったく不思議ではない。その一つの証左が、最近、木村氏と関係の深い藤井まり子氏が、「貞子ちゃんの連れ連れ日記」で、唐突に植草さんの誹謗中傷を行ったことも間違いなくその線であろう。植草さんが現在ブログで精力的に清和会や「偽装CHANGE」勢力の胎動を警告し始めたことも、木村氏や竹中氏などを痛く刺激しているに違いない。

 植草さんを敵視している人物は、もちろんこの二人だけではなく、小泉政権を持ち上げた勢力すべてが、当時の政策パラダイムに反する植草さんを第一級の抵抗勢力として、その発言を封じたいと考えたとしても当然である。小泉政権が終え、その後を引き継いだ安部政権、そして現在の福田政権になっても、清和会主導の売国勢力は存続しており、小泉政権が敷いた国民を苦しめる政治体制の堅持に躍起になっている。その趨勢を植草さんは「偽装CHANGE」勢力に警戒しろという、まことに適切な表現で、今、精力的にブログで発信し続けている。「偽装CHANGE」勢力の構成要素は植草さんの言う「悪徳のペンタゴン」である。悪徳のペンタゴンとは、「政治屋(政)・特権官僚(官)・大資本(業)・米国(外)・御用メディア(電)」の五角形構造である。

 気をつけなければいけないのは、中川秀直氏の唱える上げ潮路線などは、ともすれば官僚主導論の弊害という、一見納得できる論法に隠れてその偽装性に幻惑されてしまうが、植草さんはその見分けを、高級官僚と一般公務員の区別をしないで、一般公務員が悪いと指摘する論法にあると指摘している。つまり、本当の悪は財務省が主導する一部高級官僚の天下りなどにあるが、偽装CHANGE勢力は、そこをぼかしたまま、一般公務員悪玉論にすり替えているから注意を要すると言っている。これは平沼赳夫氏などの官僚認識にも通じるところがある。中川秀直氏はその著書「官僚国家の崩壊」で繰り返し、「ステルス複合体」なる造語で、官僚とも学閥ともつかぬ曖昧な勢力を熾烈に非難しているが、これは普通に読んでいくと、私には一般公務員を指しているようにしか見えない。中川氏は、自分たちの身内共同体を尊重し、自分達の身分の安定を優先して動くエリート集団、彼らこそ抵抗勢力の本尊であるなどと書いているが、植草さんのようにはっきりと特権官僚に標的を定めていないように思う。

 「神州の泉」で時々、鋭い適切な意見を書いていただいているkenkensyaさんから、木村剛氏と植草さんのテレビ出演に関する貴重な投稿を頂いているので、それを以下に記す。木村氏や竹中氏は、テレビ対論において植草さんと強い確執を示したし、金融再生プロジェクトチームでも、彼らが画策した不自然な金融行政のルール変更などを考え合わせると、彼らが植草さんにどのような思いを抱いているか、かなり鮮明に見えてくるが、いかがであろうか。言論弾圧が起こるのは、言われると不都合な連中が、然るべき不都合な事情を抱えているからである。

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 「2003年の「りそな銀行」救済が発表されて間もなくだったと記憶する。東京放送のワールド・ビジネス・サテライトに出演されていた植草先生は、「りそな銀行救済策が出た後、意見と態度を180度変えた」木村剛氏と、この件について番組の中で小さな論争になるという場面があった。この時、ふてぶてしく居直る木村氏に対してムキになって反論された植草先生の目に光るものが、あったのを私は忘れることができない。おそらく、無念と、「してやられた」という思いが交錯した、「悔し涙」だったのだろう。
「ああ、この人は誠実な人間なのだな」私は直感した。私は、それ以来二つの事件について、植草氏の「無実」を疑ったことはない。高橋博彦先生のブログに出入りさせていただいている由縁である。
余談になるが、この少し前、私の弟子を僭称する証券マンが夜遅く突如電話をかけてきて
「師匠、木村剛って街金のオヤジにそっくりだと思いませんか?」
私も思わず吹き出し「ははは、そりゃそうだが、あいつは日銀出身だぞ」
「いや、私、吃驚しましてね、何故、街金のオヤジが突如、経済評論家になるのかと」
「ははは、だからお前は馬鹿だと言われるんだ」

こんな会話の直後、木村剛氏が街金まがいの銀行設立に関係したと聞き、私は呟いた。
「あの野郎、意外と人を見る目があるのかもしれん」

投稿 kenkensya | 2008年6月10日 (火) 01時23分
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2008年7月27日 (日)

内閣府による口封じに抗議する(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第102弾です)

 国の借金が増えたから、日本経済は今にも破産しそうだという珍説がある。何年か前、そういった説を唱えるブログに私が入り込んで徹底的に反論したことがある。そうしたら、大混乱が起き、これではブログが維持できないから、小野さんは別なところで反論してくれと泣きつかれた。白旗を揚げたのだ。

 本当に日本政府は愚かというしかない。国の借金が気になってしょうがないのなら、日銀が借金を買い取れば、簡単に解決することなのだから。バーナンキFRB議長やノーベル経済学賞を受賞したクラインやサミュエルソン氏などは口を揃えて、日銀に国の借金を買い取らせよと言っている。

 私は、どうしても国家破産説を唱えている思考構造が理解できない。どこで間違えているのか調べてみようと思い、一冊本を買ってきて読んでみた。著者は通貨発行権の事は知っているようだ。彼の主張は、日本は間もなく国家破綻をする。通貨発行権を行使すれば、ハイパーインフレになり、国債が紙くずになり、国民の金融財産が一挙に失われるという説のようだ。マクロ経済が全く理解できない悲しさだ。テレビに出演する解説者も、同様なレベルなのだろう。それではお金を少し刷ったらどうなるのかと聞けば、きっと彼は「少しぐらいでは全く効果がない」と答えるに違いない。では刷るお金を徐々に増やしていったらどうなるかと聞けばどう答えるか。あるところで一気にハイパーインフレになると答えるだろう。つまり、世界中たいていの国で1~3%程度のインフレ率を実現しているが、日本だけはデフレかハイパーインフレしか絶対にあり得ないのだ。

 どうしてそうなのか。それは国家破産と言わなければ、彼の本は売れないし世間は注目してくれない。名前を売るには、どうしても国民を恐怖に陥れる必要があるのだ。オーム真理教もそうだった。ハルマゲドンで信者を脅し、金を巻き上げた。

 適度なレベルの財政出動が日本を救うという計量経済学の結論を教えても、全く彼には理解できないのだろう。第一、財政出動の規模が少ないときは、全く効果が無く、ある程度財政出動の規模が大きくなったとき突然ハイパーインフレになるという経済モデルは作ることはできないし、全く現実離れしている。ハイパーインフレ説を唱える人は、計量経済学が全く理解できない人だ。残念ながら、こういった愚かな人たちによって世論が間違えた方向に誘導され、それが日本経済の衰退につながっている。1989年末には株式時価総額で14もの日本企業が世界20位までに入っていた。今日の日経によれば、現在の最高はトヨタの21位だそうだから、20位までに入っている日本企業はいなくなった。

 政府は一見するとこの愚かな連中と同様な主張のように見えて全く異なる見解を持つ。政府は国債を売っている立場だから、国家破産など絶対に言えない。しかし増税と歳出削減を主張したいために、「財政が厳しい」と言い、一方で国債を売りたいから国債は100%安全であり国家破産は100%無いと言う。では、誰も国債を買わなくなったらどうするのかと聞けば「最悪の場合は日銀に買ってもらう」とは答えないが、本音ではそう思っている。口をすべらして本音が出たら、きっと国民から、日銀に買ってもらえるなら財政は厳しくないではないかと言われるに違いないから大変だ。本音が言えない苦しい立場では、結局、財政出動をしても効果がないが、財政出動をしなくても、一気に景気がよくなるという、現実離れをしてインチキ経済モデルを国民に提示せざるを得なかった。そして「2011年度に基礎的財政収支を黒字化」という非現実的な国家目標を掲げることになった。

 私は、内閣府のモデルが如何にインチキであるかを分かりやすく説明し、質問主意書という形等で徹底的に追求した。マクロ経済モデルの専門家の集まる研究会が日本経済研究センターで開かれている。昨年私は、それに参加した。内閣府からも出席者があり、彼らのモデルの説明があり、私はそのモデルに対する疑問点を指摘した。どうやら私の追求は、内閣府には相当こたえたらしい。今年は内閣府が研究会の主催者に対し「小野盛司を参加させるな」という命令があったようだ。私は出席を許されなかった。これは憲法に保障された言論の自由を奪うものであり、厳重に抗議する。小野盛司の口封じをして、それで日本経済が良くなると言うのだろうか。内閣府が自らの経済モデルが正しいと思うなら、このような手段で言論の自由を奪うのでなく、堂々と反論すればよいではないか。質問主意書の答弁書はいつも「誤差が大きいので使い物にならない」というだけだ。使い物にならないような経済モデルを使って「2011年度基礎的財政収支黒字化」というような、とんでもない国家目標を作ったのはどう考えてもおかしい。

 本日(7月27日)TBSの時事放談でも民主党の岡田克也氏がこの事に関して間違えた見解を述べていた。政府の方針は

①まず2011年度に基礎的財政収支の黒字化を実現する。
②その後で、国の債務のGDP比を下げていく。

 である。寝ぼけ眼でテレビを見ていたので正確かどうか分からないが岡田氏は「黒字化は歳出削減をしても、やるべきだと思う。しかし、国の債務のGDP比を下げるところまでは、歳出削減だけでできるかどうか分からない。増税が必要になるかもしれない。」と言ったように思う。ほとんどの政治家と経済評論家は同様な事を言う。これはマクロ経済を全く知らないことを証明している。つまり②は①より難しいと考えているようだ。

 これは完全な間違いである。国の債務のGDP比を下げることは基礎的財政収支の黒字化の後でないとできないと勘違いしているからお笑いだ。しかし、すでに国の債務のGDP比は下がりつつある。内閣府のモデルでも、この傾向は今後数年間続くという結論を出しているのだ。これだけ重要なことを、次回の民主党の党首になるかもしれない人が知らないとは!!更に重要なことは、基礎的財政収支を黒字化しようとして歳出削減をすると国の債務のGDP比が逆に増えることが内閣府のモデルで示されている。それから、2011年度に基礎的財政収支の黒字化が実現しそうな幻想を与えているのは、単に内閣府のモデルが大本営発表であって、国民を騙すためにそのように作られているからに過ぎず、2011年度が近づくにつれ、徐々にその馬脚が現れつつあることはすでに述べた通りだ。

 政治家も経済評論家も是非これらのことを勉強して欲しい。真実を隠すために小野盛司の口封じをするだけでよいのか。本当に日本経済を復活させるには何をすべきか、今こそ真剣に考えていただきたいと思う。本来なら、マクロモデルを研究している専門家が内閣府のモデルを自由に批判できる環境が望ましい。しかし、そのような専門家はシンクタンクに属しているし、それらのシンクタンクには政府から調査研究費として多額の現金が流れており、少しでも批判をしようものなら、ばっさり金の流れを着られてしまう。つまり、政府のモデルがインチキだと知っていながら、全く批判ができない、つまり言論の自由を奪われているのが現状だ。日本経済を復活させるには、言論の自由を取り戻し政府による口封じを止めさせなければならない。

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2008年7月26日 (土)

真夏の風物詩「西瓜」

○西瓜喰いの奥義、etc・・。

 ここのところ、真夏の猛暑が続いている。これからも一層暑さが強くなっていくだろう。私は冷房が嫌いで、なるべく自然の暑さに身体を慣らそうとして汗が出るままにしているが、さすがにここ数日はつらい暑さである。そこで酷暑になると、条件反射的に思い出すことが貝原益軒の「養生訓」に有名な下記の言葉だ。

 瓜は風涼の日、及秋月清涼の日、食ふべからず。極暑の時食ふべし

 つまり、酷暑の真夏はキュウリや西瓜など、瓜(うり)類を食べると暑さ負けしないということらしい。私は物心ついてから西瓜が大好物であったので、夏になると益軒のこの言葉と関連付けてたくさん食べるようにしてきた。何のことはない、ただ好きなだけなのである。

 父が健在だったころは、畑を少しやっていて、さまざまな野菜類を作っており、西瓜も有機栽培で毎年作っていたが、ここ数年は自家栽培の西瓜を食べていない。そこでスーパーなどで買って食べていたが、なかなかみずみずしくて美味しい西瓜に出会ったことがない。ところが、昨日、近所のスーパーで新潟産の中玉を買って食べたら、これが大当たりで、肉質がきめ細かくみずみずしくて、さわやかな甘さで満足した。考えてみると子供の頃、食べた西瓜はほとんどこのように美味しい西瓜だった。冷蔵庫のない時代だったから、井戸水や付近を流れる小川などに冷やしていた。井戸水くらいの温度で冷やした方が美味しいのである。今のように食べ物が豊富にない時代だったから、西瓜は貴重な夏のおやつであった。冷やした西瓜を母や父が包丁を入れて真っ二つに割る瞬間にときめいたものだった。

 私くらい年季の入った西瓜喰いになると、西瓜に二種類の味わいを求めるようになる。最初はもちろん、赤い果肉のさわやかな涼味と甘みを味わうが、普通の西瓜好きの人は、そこで満足してしまうのである。ところが私のようなレベルに到達すれば、そんなもったいない食し方は我慢ならないのである。西瓜の本当の旨さは、実は皮の白い部分にあるのだ。あの白い部分にこそ、西瓜本来の旨味がぎっしりと凝縮している。その部分にこそ、ウリとしての西瓜の本質がある。内部の赤い果肉の部分の甘さは子孫を増やすために、鳥獣を欺いて、種子を広範囲にばら撒くための偽装ではないだろうか。しかし、ほとんどの人は西瓜の本質をあの赤い果肉部の甘さだと思っている。でも、勘違いしてはいけない。西瓜は果物ではなく、分類学上はウリ科のツル性一年草なのだ。しかし、ウリ類ではメロンと同様に、果肉には糖分がたくさん含まれていて、果物感覚で食べられている。もしかしたら、西瓜は進化の過程で、甘さを好む生物にタネを運ばせるために赤い果肉部分を果物仕様に偽装したのではないだろうか。園芸業界や菜園で、西瓜を果菜類(=果物と野菜の中間の意味)と分類していようが、西瓜はウリなのだ。(笑)

 だから、西瓜を食べている読者さんに進言するが、西瓜はウリ類だという認識を新たにして、虚心坦懐にあの白い部分を味わってみられてはいかがだろうか。果物感覚で甘い果肉を食べた後、まったく気持ちを変えて、キュウリの仲間だと思って、その白い部分を食べてみられるとよい。ウリの絶妙な味が口中に広がるだろう。ただし、促成栽培的に熟したものは皮は不味くて食べられない。あくまでも、自然の条件で、自然に熟したみずみずしい西瓜のみに私の言ったことは当てはまる。

 西瓜には昭和30年代の思い出が染み付いている。切った西瓜を家族で縁側に腰掛けながら、タネをプッと吹いて飛ばしあった。こういう光景は私の年代では、夏の思い出として、みんな似たようなものであろう。懐古趣味ではないが、当時はゆったりした時間と場所があった。今は環境的によくない。縁側もなければ、西瓜を冷やす井戸水もない。人間がほっとする空間がなくなってきているのが現代生活の特徴だ。効率と価値観の特化性、わかりやすい即物的な空間利用。しかし、現代社会のこういう計算された空間の矮小化や特化性にこそ、人間のゆとりや情緒が破壊される元凶があるように思う。昭和30年当時のあの縁側空間や、何にも利用されていない多くの空き地、あるいは森林資源として捉えられていなかった多くの里山こそ、実は人間にとって最も有用な空間ではなかったのか?

 基本的な疑念がある。だいたい、人生の辛酸をなめつくして生き抜いてきたお年寄りに、ほっとする空間を提供できない現代社会を健全な文明と呼べるものだろうか?縁側で、祖父母と孫が西瓜を食べながら、話ができたあの空間はほとんど見当たらないではないか。今はどこかがおかしい。

 現代社会の無機的な空間では、西瓜は風物詩になりえない。

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2008年7月24日 (木)

基礎的財政収支の黒字化見通しに暗雲 -内閣府モデルに騙され続ける政府-(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第101弾です)

 本日(7月23日)の新聞各紙には、「2011年度に基礎的財政収支の黒字化」という政府目標が厳しくなったと伝えている。それでも日経新聞は「黒字化の旗を降ろすな」などと馬鹿なことを言っている。この目標こそが、日本経済を急激に衰退させ国民を苦しめているものであり諸悪の根源なのだ。財政収支の黒字化と言えば、如何にも良いことのように聞こえるが、デフレ下においてこれほど害になる政策はない。デフレでお金が足りなくて国民が困っている時に、財政収支黒字化のために、増税で国民から金を取り上げ、歳出削減で国民に渡すべきお金を渡さない。

 どうしてこのような世界にも例を見ない最悪の国家目標を掲げてしまったのだろうか。これは小泉内閣が終わりに近づいた2006年7月に閣議決定されている。小泉首相は自分の在任中に経済成長を高めデフレを脱却すると言っていた。構造改革なくして景気回復無しというのが元々の彼のキャッチであったが、デフレすら脱却できないのでは、景気回復とは言えないし、結局構造改革が失敗したことになるから、デフレはどうしても脱却したかったのだろう。デフレ脱却は積極財政を行っていたら簡単にできたのに彼は緊縮財政を続けて、デフレ脱却に失敗した。すさまじい外需の後押しがありながら失敗したのだ。あれだけの猛烈な追い風が増えていれば、何もしなくても大変な好景気になっていたのに、彼は緊縮財政で常に景気にブレーキをかけ続けていた。その結果世界経済の中で日本がみるみるしぼんでしまい、経済では一流でないと大臣が言うまでに堕ちてしまった。

 小泉氏の最後の置きみやげが2011年度に基礎的財政収支の黒字化という国家目標だった。成長率を高め、デフレを脱却し、国の借金を返すという彼の目標は何一つ達成されなかったのだが、せめて「2011年度に基礎的財政収支の黒字化を」という目標くらい立てておけば、彼の後継者がやってくれるだろうと思ったのだろう。これが計量モデルを理解できない小泉氏の悲しさだ。なぜ2011年なのかと言えば、2006年度に発表された内閣府のモデルでは2011年に財政収支が黒字化すると予測していたからだ。しかし、ここに落とし穴があった。内閣府のモデルは、このままの政策を続ければ、あっという間に景気がよくなり、財政も改善しますよという大本営発表をするためのモデルだったのだ。国民を騙すために作られたインチキモデルであることを小泉氏も理解していなかった。このことは以前も説明した。念のため再度下の図に示す。このモデルでは1~2年でデフレーターはプラスになってデフレ脱却し景気回復することになっているが、現実はいつまで経ってもデフレは続いていっていることが分かる。
Gdp 
 このモデルは国民だけでなく、何と小泉氏までも騙してしまった。本当は緊縮財政を続けていたら、デフレはいつまで経っても脱却できないし、当然財政収支など黒字化するわけがない。当然のことながら、発表のたびに2011年度基礎的財政収支の黒字化見通しは厳しくなる。このモデルは大本営発表にすぎないのだから、そんなことは初めから分かっていたのだ。実際に内閣府の発表で見通しがどんどん暗くなっている様子を書いてみよう。

①2006年7月の閣議決定    (対GDP比)
  歳出削減がなくても2011年度に基礎的財政収支を黒字化する
         国 0.8%赤字  地方 0.8%黒字
         合計  0.0%
②2007年1月
  14.3兆円の歳出削減を行えば
         国 1.2%赤字  地方 1.5%黒字
         合計  0.2%黒字
③2008年1月
  14.3兆円の歳出削減を行っても
         国 1.4%赤字  地方 1.3%黒字
         合計  0.1%赤字
④2008年7月
  14.3兆円の歳出削減を行っても
         合計  0.7%赤字

 お分かりだろうか。2006年度には歳出削減も増税もなくても2011年度には基礎的財政収支は黒字化するというのが、このモデルの予測だったのに今月の発表は14.3兆円の歳出削減を行ってもまだGDP比で0.7%の赤字ということだ。もちろんこれは大本営発表にすぎず、時間が経つにつれて嘘がバレる運命にあった。それは上のグラフでもはっきり分かる。政府が今の緊縮財政を続けている限り、国民の生活を苦しめ、経済を悪化させ、財政健全化など出来るわけがない。政府がやらなければならないのは、景気対策(これはお金を刷って国民に渡す政策だ)である。そうすれば、あっという間に財政再建も財政収支の黒字化も実現する。インチキモデルに振り回されるのを止め、真に国民のための政策を行っていただきたい。今日の日経には、国民新党がマニュフェストに16兆円の景気対策を提言するとある。国民の事、経済の事を考えてくれている政党もいるのである。

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2008年7月20日 (日)

お金を刷るのがなぜいけないのか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第100弾です)

 多くの政治家やマスコミに出演するコメンテーターなどは決して、「お金がなければ刷りなさい」という提言など行わない。しかし、本日(7月20日)の報道2001にあったように、皆さんお金が足りなくて本当に困っている。番組で調査したところ生活が苦しくなったと答えた人が72%もいたそうだ。それはそうだ、デフレはお金が消えていく怖い病気。お金が消えれば国民はどんどん貧乏になっていく。貧乏になった国、日本に、ヨーロッパなどの金持ちになった国からどんどん観光客がやってきて買い物をする。彼らにとって貧乏な日本の物価は安い。給料が安いからだ。

 お金が消えていく病気を治す方法はただ一つである。「お金を刷りなさい。お金をつくりなさい。」ということだ。しかし、報道2001に出演した方々は一言もそれに触れなかった。本当は言いたいのかも知れないのだが、言えない。なぜだろう。それは単純な迷信からくるもの。よく似た例がエホバの証人たちが、宗教上の理由から輸血禁止を言っていることと非常によく似ている。私はエホバの証人を非難するつもりはなく、宗教の自由は日本では憲法で保障されているのだから、このことに関して彼らを攻めるつもりもない。何らかの理由で血が足りなくなったら、私は輸血をしてでも命を救うことは良いことだと考える。これは私の考えだ。私は輸血禁止の考えを取らない。

 お金を刷ることを禁止する考えは、一種の宗教だろう。デフレでお金が実体経済から消えてしまい、国民生活がどんなに苦しくなっても、お金を刷るべきでないという考えが日本を支配してしまった。これは経済学上、あるいは計量経済学上の結論ではない。もしも経済学上の結論でお金を刷る政策が否定されるのであれば、政府も堂々を論争に応じるだろう。政府は徹底してその議論を力で封じようとしている。その証拠に、我々が質問主意書という形で質問をしても、総理からの答弁書はいつも「内閣府のモデルは誤差が大きすぎるので参考にならない」となっている。「黙れ」と言ったつもりなのだろう。政府はやっかいな宗教にとりつかれたものだ。

 先週、内閣府は2008年度の名目と実質のGDPの予測を出した。実質から名目を引けばデフレーターが計算でき、2008年度の予測は-1%だ。これを使ってデフレーターの国際比較をしてみる。日本以外はOECDのデータだ。

Gdp

 デフレーターが0以下になると、デフレと呼ばれ、大不況を意味する。お金がどんどん消えていき、国民がどんなに長時間働こうと、どんなに素晴らしい発明をしようと、経済システムをどんなに改革しても、どんどん貧乏になる運命にある。だからこそ、どの国も絶対にデフレにしないようにしている。短時間だけデフレにしてしまうことはあっても、政府は直ちに景気を刺激して(お金を刷って)デフレから脱却している。日本はとんでもない宗教にはまってしまったもので、理由もなくお金を刷ろうとしない。それどころか、増税や歳出削減をしてデフレに拍車をかけている。

 例えば政府が1兆円の増税をして国の借金を1兆円だけ返したとする。国の借金は現在長期が800兆円、短期が200兆円くらい、合わせて約1000兆円ある。1兆円の増税でそれが999兆円になるのか。いや違う。毎年政府は利払い等で30兆円近く新たな借金を増やしている。1兆円の増税で、借金の増え方がほんの少し減るかもしれないが、借金は増え続ける。この方法でいつ借金は返せるのかというと永遠に返せないのだ。しかし、国には通貨発行権というものを持っている。これを使えば、国の借金は一夜にして返せる。

 これは輸血と同じだ。血が足りなくなっても輸血を受けないとがんばる人、出血多量の場合は死ぬしかない。輸血を受ければ血液不足によるショック死は免れることができる。日本の経済もこれに似ている。お金が足りなくなった。お金は刷らないと、いつまで頑張るつもりだ。お金を刷れば、日本経済を助けることができるのだ。もちろん、刷ったお金の額が多すぎればハーパーインフレになるが、計量経済学でしっかり計算して刷ればそんなことには決してならない。輸血でも多く輸血してしまうと害になるが、適量なら人の命を救う。

 7月24日(木)には、日本経済復活の会が開かれます。今回は8月8日(木)の大田大臣との公開討論会での戦略を話し合いましょう。どなたでも参加できますし、今からでも申し込みが可能ですので、一人でも多くの方のご参加をお待ちしております。

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中川秀直氏著『官僚国家の崩壊』を批判する

 ○この本は偽装CHANGE勢力のバイブルとなるかもしれない

 今日のサンデープロジェクトには小泉チルドレンの女性代表格として、小池百合子氏、佐藤ゆかり氏、猪口邦子氏が出ていた。これと同時に民主党・凌雲会の代表格の前原誠司氏が出ていた。この顔ぶれ自体が、植草さんの言う「偽装CHANGE」勢力の筆頭格である。この番組は田原総一郎氏が主導する御用番組であるが、植草さんが指摘するように、解散総選挙を目標とした、「偽装CHANGE」勢力が、にわかに活発化していると見ていいだろう。この勢力の影の中心人物の双璧は小泉純一郎氏と竹中平蔵氏である。そして、月9テレビドラマ「CHANGE」のシナリオを書いた人物が飯島勲前秘書官である。つまり、福田政権の底流で実際に蠢いているのは、小泉政権の亡霊ではなく、形を変えてしぶとく生き残っている小泉政権そのものである。つまり、植草さんが警鐘を鳴らす「偽装CHANGE」勢力とは、この日本に小泉政権が目指したものを完全敷設するための売国勢力と断言しても差し支えない。新勢力を装っているから「偽装」であり、その実態は植草さんが指摘する通り、自民党買弁勢力(売国勢力)の別働隊なのである。

 来るべき総選挙を睨み、彼ら「偽装CHANGE」派の精力的な布石がメディアで始まったという感じである。彼らは新興勢力として政界再編を目指しているが、その実態は日本にネオリベ導入を行って、格差階級社会を実現し、海外資本に徹底的に利益供与を行う亡国的グループと断じて差し支えない。一年前の参院選敗北で小泉構造改革にマイナスのイメージが付いたことを憂慮した売国自公勢力は、そのイメージ悪化を払拭するために、装いだけを変えて国民を欺く方針を固めた。それが偽装CHANGE作戦なのである。重要なことは、その偽装作戦を成功させるために、自民党内に『増税派vs上げ潮路線派』という党内対立を演出していることだ。この上げ潮派の代表格が中川秀直氏である。

 最近、中川秀直氏の書いた『官僚国家の崩壊』を読んでみた。この書は全編を通じて「官僚亡国論」に終始しており、戦前から現在まで続く官僚支配体制を熾烈に糾弾しており、一見すれば、植草一秀さんの主張と強くオーバーラップするものがある。特に財務省(旧大蔵省)主導の官僚主権構造の弊害の説明に縷々明け暮れているところは植草さんのテーマに共通するところがある。もうひとつ指摘したいことは、日本経済復活の会・会長の小野盛司会長と中村慶一郎氏が出版した積極財政振興論の著書「お金がなければ刷りなさい」の出版記念パーティに中川秀直氏が来場して、積極財政論に熱いメッセージを送っていることである。しかし、私は植草さんと同様に、中川氏のこれらの動きに関しては強い疑念を抱かざるを得なかった。理由は単純である。中川秀直氏が上げ潮路線を言い出したのが2006年からであることと、彼が小泉官邸主導政治の中核を為していた人物の一人であったことだ。言うなれば、小泉官邸主導という独裁政権を造った表の最大の功労者が中川氏なのである。(裏の功労者は飯島勲氏)

 2006年と言えば、竹中平蔵氏など、小泉政権の幹部連中も上げ潮路線に鞍替えしたころである。あれほど植草さんを敵視していた竹中氏が、郵政公社分社化や実質的民営化スタートを見守ることなく政治家を廃業して野に下ったのもこの年である。私は中川氏や竹中氏のこの反転的な動きは、小泉政策の間違った出力が国民生活をどん底に陥れ、その怨嗟が自分達に降りかかることを、あらかじめ予測して防御線を張ったのではないかと考えている。それと同時に、植草さんの言う偽装CHANGE勢力を成功に導くために、人気の低落した福田政権とは違う風が吹くぞという新しいイメージの作出を狙っているのである。それにしても、私は中川氏の『官僚国家の崩壊』を読んでいて非常に、腹立たしい箇所があった。それは「東大法学部卒が官庁に入らなくなった理由」という項目の中に、「現代の若者が官僚機構に求めているものは『非金銭的インセンティブ』である」という箇所である(P100)。アメリカに扇動されて、日本の社会構造を新自由主義に転換した中核的人物である中川氏が、今の若者の価値観が非金銭的インセンティブを求めていると指摘すること自体が、強い違和感を持って迫ってくる。市場原理至上主義を強引に導入した人物が、いまさら非金銭的インセンティブを強調することはおかしい。日本の文化や伝統感性を足蹴にし、金銭的唯物主義の価値観に社会を特化することに尽力した人物が精神性を謳うことはどうかと思う。

 中川氏はこの本で、竹中平蔵氏と小泉純一郎氏を一貫してべた褒めしているが、それここそが偽装CHANGEの最たるものであろう。彼は語る。あの当時、自民党政治に見向きもしなかった、二十代、茶髪、フリーターが、あの郵政選挙で自民党に投票したのは、小泉氏の「殺されてもいい」という捨て身の姿勢に、お金で買えない価値を見出したからだと言っている。まったくこれは真実を糊塗していると言うしかない。あの郵政選挙はメディアが米系保険会社の資金を背景に世論誘導したものであり、小泉氏の「命がけ」の真剣さはアメリカに追い込まれていたからに他ならない。つまり、国民のための真剣さではなく、国益を明け渡す約束の履行を迫られた上での真剣さであった。過去を美化する傾向は誰にもあるが、小泉政権には美化の要素はまるでない。この政権が五年半稼働したせいで、本来なら生じなかった尊い人命の犠牲が多数起こっており、避けられた多くの企業倒産が起こっている。結果的に国民生活は逼迫した状態に置かれた。

 また、中川氏の言い方で許せないのは、三浦展氏が使った国土のファスト風土化という言葉を使って、安部前総理の言った美しい日本路線を語っていることだ。いわく、コンクリートを剥がし、自然の美しい光景を取り戻すために公共工事を考えようということを、安部政権時代に幹事長を務めたときに訴えていると書いていることだ。私はその構想を“まっさらな土台”で提唱できる人物は植草さんや城内実さんしかいないと確信している。米国に阿諛追従して国益毀損をする政治体制に切り替えた人物が、ファスト風土化をやめて美しい国土に切り替えようと提言することは許しがたい偽装思想にしか見えない。中川氏は偽装CHANGE勢力の要注意人物ではないだろうか。

 彼が小泉・竹中継承路線の方向性を切り替えるとは到底信じられないのである。記憶に新しいのは、安部政権時、郵政造反組の復党問題が起きた時、安部氏が平沼赳夫氏ら造反組への確信的容認論を打ち出している時に、中川秀直氏は異常な反意を示した上、「詫び状」という踏み絵を復党組に迫ったことだ。しかし、その要求を毅然として拒んだ平沼氏は立派であった。内に小泉政治の熾烈な情念を秘めている中川氏が、「CHANGE」を旗印にして、小泉・竹中路線と訣別することはあり得ないことなのだ。もし本気で新しい政治の風を目指すのであれば、小泉・竹中路線にノーを突きつけることを最初の儀式的政治見解とすべきである。しかし、中川氏は小泉・竹中路線を賞賛していることで、彼が真に望んでいる政治風景が透けて見えるのだ。

 1994年、自社さ連立政権時に、中川秀直氏は総理補佐として活躍した。そのとき、彼が村山富市と会談した時に手渡した極秘文書には、「国民を衆愚視して専制的政治を目指す発想を排し、「賢い民意」による“賢い政治と政府”をめざし、「議会制民主主義」を確立する」と書いているそうである(P37)。しかし、小泉官邸主導政治を確立した中川氏に、この理念が微塵もないことは明かである。中川氏の上げ潮路線提唱は2006年からである。植草さんがいみじくも指摘しているように、なぜその前の小泉政権時にこの方策を提唱しなかったのか。彼は充分に実行できる権限を持つ立場にいる時、それをまったくしなかったことは致命的である。従って、彼が今唱えている上げ潮路線や官僚主導打破の政治をというスローガンが、リップサービスである可能性は非常に高いのだ。

 小泉構造改革の要点は、アメリカ型の小さな政府推進であり、自由と自己責任原則を柱とする考え方である。ところが、「障害者自立支援法」や「後期高齢者医療制度」の内実を見てもわかるように、小泉構造改革が謳う「自由」とは、弱者に対するセーフティネットをすべて取り外し、その中で自由競争原理を如何なく発揮できるシステム創りであった。これは資金の多さや、既得権保持者の優位性がそのままベース的展開となって弱者を駆逐し、一握りの金持ち連中がますます儲け、有利な立場になっていく方向性を持った。出発条件の公平性がまったくない絶対格差が前提の競争社会である。競争性の健全な条件を整えないままに弱肉強食原理を野放しにした市場原理至上主義である。これが導く社会の姿とは際限のないモラルハザードである。ネオリベラリズム(新自由主義)の拙速的適用は社会規範の加速的な崩壊を招くのだ。すでに、その証左は昨今の連続的に頻出するさまざまな偽装事件にはっきりと示されている。

 小さな政府とは、経済に占める政府の比重を限りなく小さくするという行政形態であり、お上の負担を減らすことであるから、当然、国民の税負担は減らす方向になる。減らした分の税金は可処分所得として消費に回るので経済は成長することになる。簡単に言えばそういう理屈である。ところが、小泉政権は財務省の方針に従って、財政均衡政策を堅持した。そのために国民に対しては、減税どころか、その逆の増税傾向が露骨に出た。問題は国民の税負担を軽減するはずの「小さな政府」が、いわゆる「強者」に相当する大企業や法人に対して行われていることだ。大多数の庶民階級には増税になっている。国民生活の恒久的な安定性を担保していた定率減税を廃止して、「逆累進課税」的な収税構造を帯びてしまった。国民年金や国民健康保険の値上がり、住民税の値上がりなどである。 医療負担金、各種年金、介護負担金など、庶民層の負担は確実に増大し、生活保護や児童扶養手当が無機的に削減された。セーフティネットを取り外し、増税しながら国民に自己責任を要求しているのである。これでは国家が国民の生存権を保障するどころか、力のない者は早く死ねと言わんばかりである。

「民にできることは民で」というスローガンで行われた、いわゆる「聖域なき構造改革」とは、国民をペテン(詐術)にかけ、大資本家に利益供与をするためだけに行われた大掛かりな偽装政策であった。共産党の小池晃議員も言っている様に、小泉構造改革は大企業を減税してますます強くすることによって、一般庶民の経済を底上げするという方向性が完全に間違いであったことを露呈した。ハイエク的手法が完全に破綻していることを示しているのだ。ハイエク的手法とは、わかりやすくイメージ的に言えば、機関車、動力車(=大企業や大資本家のこと)が強くなれば、客車(=中小企業や一般庶民のレベルのこと)を牽引する力も増して全体的に良くなってくるという一種の経済神話である。しかし、この理論を恒常的な統治政体で適用すれば、完全に破壊的な作用をおよばすことは70年代のアメリカで実証済みである。その実例を知りたいなら内橋克人氏の「悪夢のサイクル」によく説明されている。ここでは航空機業界に行ったネオリベ導入が完全破綻した実例が紹介されている。小泉政権のポピュリズムに幻惑され、今の日本は、アメリカがかつてたどった愚を何も学ばずに体験しているということである。

 大企業などの資本強者を優遇することによって、何が起きたか。それは経済底辺層(一般庶民)を救済するどころか、それとは真逆の国民底辺層の犠牲を強いる最悪の結果を招いたのである。「年次改革要望書」、つまり、アメリカが押し進めるグローバル・スタンダードによる国際的同調圧力と言うのは、国家秩序の緩みを意味すると私は考える。これは単に経済問題のみならず、国家特有の自立性、文明の特有性の崩壊に繋がることになる。宍戸駿太郎氏は、真の構造改革は単線的指向ではなく複線的指向で長期的視点でやらねばならないと言っている。小泉構造改革の不自然な性急性、拙速性は有効需要を無視してサプライサイドに収斂した。構造改革はデフレ下でやってはいけない、もしやるなら完全雇用が達成され、インフレ加熱の傾向が出てくる、いわゆる「ハイプレッシャー・エコノミー」の状況でやるのがいいと宍戸氏は語っている。小泉構造改革はこの真逆の破壊的道程をたどった悪政の見本である。中川氏の『官僚国家の崩壊』についてはまだ書きたいこと、警鐘したいことが多々あるが、本記事ではこの辺にしておく。

  偽装とは、いかにも、もっともらしいことを打ち出して中身の嘘を隠蔽することだ。国民は政策理念にも大掛かりな偽装が存在することを見抜かなければならない。それにうっかり乗せられてしまうと、小泉政権の悪夢が再び現出することになる。この視点で最も信頼できる人物が、植草一秀さんである。

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2008年7月18日 (金)

またか、GDP成長率の下方修正(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第99弾です)

 新聞報道によれば内閣府は日本の経済成長率見通しについて、実質で今年度1.3%前後とする方向で関係各省庁と調整に入ったとある。成長率見通しが、客観的なデータに基づいて計算されるのでなく、各省庁で相談しながら決めるというのも驚きだが、今回も例年通り、大幅な下方修正であり、やはり元の発表は大本営発表だったことが裏付けられた。以下の表で、内閣府による国民を馬鹿にした発表を示した。2002年から、この大本営発表を繰り返しており、どうして国民が怒らないか不思議でならない。
Photo_2 
 例えば2007年度の名目成長率は昨年1月には2.2%だろうと言っていたが、実際はその3分の1にも届かない0.6%だった。2008年度の成長率は昨年1月の予測では2.8%だったが、今回の発表では何とその9分の1以下の0.3%だ。2009年度の見通しもみるみる下がっている。つまり政府は、日本経済は順調に回復を続けていることを毎年アピールしているのだが、実際その年になってみると「予想外」に低い成長率であることが分かり、そのたびにもっともらしい言い訳がつけてある。

 その言い訳も2~3回ならまだしも、2002年度からずっと言い続けている。以前に2007年度の成長率が国際的に見て如何に低いかを示したら、今度のデータで2008年度の国際比較をしてみたので下のグラフをご覧頂きたい。日本以外はOECDの最新の予測を使った。誰が見ても明らかだ。日本の成長率は余りにも低い。これだけ成長率が低いと日本では何をやってもうまくいかないし、収入の伸びも全く期待できない。
2008

 現状維持ならまだよいのだが実はそうではない。ヨーロッパから見た日本のGDPのグラフを下に示す。これで分かるように日本経済は実は急激に縮小しているのだ。縮小を止める方法が無いのなら仕方がないのだが、縮小は簡単に止められる。お金を刷ればよいだけだ。刷って減税なり、歳出拡大で国民のために使うだけでよい。お金を刷る規模で、名目成長率は自由に変えられる。

Photo_3

 我々は、これらの事に関しても政府の追求を続ける。その一つの機会が大田大臣と宍戸駿太郞氏の公開討論会だと思っている。その日程が決まった。

ESRI-経済フォーラム
~経済政策とマクロ計量モデル~

1.日時 8月8日(金) 13時から15時
2.場所 霞ヶ関ビル東海大学校友会館

 しかしながら、内閣府の提案は到底受け入れがたいものだった。つまり彼らのプランは最初の20分だけ、大田大臣と宍戸氏の対談があり、それが終わると、大田大臣は逃亡(敵前逃亡?)し、その後は、御用学者がぞろぞろ登場にて、政府の政策の擁護をするというもの。なぜ内閣府はいつもそのような悪知恵をはたらかすのだろう。政府は、ちゃんと国民の声を聞くべきだ。随分長い間、国の借金を返そうとして、緊縮財政をしているが、全然返せてない。緊縮財政は国民の大きな犠牲のもとで行われたのだが、その結果として日本経済は随分縮小した。得る物は何もなかった。政策の根本的な間違いがあったのではないかと疑うときに来ている。今こそ専門家の声に耳を傾けるときだ。

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