鹿砦社・松岡利康大弾圧事件は夜警国家変貌への証し(その3)
三、巨悪を指弾した松岡氏と特別取材班
悪を悪としてストレートに糾弾することは社会正義の根幹である。本来マスコミは公益を毀損する社会悪を糾す役目を担っているはずだ。しかし、昨今のマスコミはいたって権力迎合的であり、政権筋と繋がった一部の利益団体を益する報道しか行なわない。このトレンドは非常に危険である。エコノミストの植草氏は小泉政権の国策的な犯罪性を単身で真正面から糾弾した。その結果、彼は二度も官憲のでっち上げ事件に嵌められた。鹿砦社の松岡氏はアルゼの巨悪を本で告発し、阪神タイガーズ元スカウトの転落死疑惑を指摘して不当強制捜査を受けた。この二人は社会の巨悪を見据え、そのことを正直に告発しただけである。個人やメディアの言論が、横暴な資本や権力筋の間違いを自由闊達に批判できてこそ、健全な社会秩序は維持される。
ところで、松岡氏と特別取材班は、その著書「アルゼ王国の闇」シリーズで、巨大アミューズメント企業の巨悪をストレートに正攻法で糾弾している。「アルゼ王国の闇」を読むとわかるが、巨大な企業「アルゼ」がその資金を使って、弱体化したブランド企業にM&Aを仕掛け、その企業技術のノウハウや人材を徹底的にしゃぶりつくした上に、無残に放り捨てるという、ハゲタカ外資も真っ青な悪逆非道な経営体質を持つことを余すところなく描ききっている。これは巨悪に対する告発本であり、けっして低俗な暴露本ではない。その視点は透徹した社会正義に貫かれている。
したがって、この案件は刑法第230条の2で言うところの公共の利害に深く関わるものであり、その公益性によって表現の自由は保護されるべきものだ。これに関する憲法第21条及び刑法第230条適用の妥当性については、支援者の方々が適切に語っているので、ここではこれ以上は語らない。
しかし、ふと思ったのだが、鹿砦社のような零細な出版社がこれをやることは確かに無謀だったのかもしれない。相手が巨大すぎるのである。正直、筆者から見ると蟷螂の斧の感は否めない。しかし、松岡氏の不退転の果敢さと立ち向かう姿勢には純粋な感動を覚えずにはいられない。ここには本物のジャーナリストの矜持と折れない魂が見える。巨悪を睨むこの姿勢は植草一秀氏にも共通するものがある。二人ともあまりにも小さくひ弱であるが、そこにこそ、本物の批判精神の真髄が見られるのだ。社会は小さいものが大きなものを批判できるルートを確保しておくべきだ。小さいものがものを言えない世界は人間的な精神が死滅する荒廃した夜警国家となる。
四、現今メディアに浸透する棄民体質
大手出版社や他のメディアは鹿砦社事件を黙殺した。まるで腫れ物でも扱うかのようにこの件に触れることをタブー視したのだ。見殺しである。表現の自由というメディアの生命線が断ち切られるかどうかという重大な問題を提起した事件であるのに、同業者たちは「見ざる、言わざる、聞かざる」に変貌した。彼らのその棄民感覚は、じつは自分たちの表現精神におけるレゾンデートルを捨てていることに気が付いていない。巨大資本や権力を前にして、言葉を駆使する生業(なりわい)の者が萎縮したら、言葉そのものが死んでしまうではないか。
法律とは個人や弱小企業が巨大資本や権力に翻弄されることのないように考案された社会の歯止めである。ところが今の日本はこの歯止めが軒並み崩れかけている。日本は典型的な社会ダーウィニズム型に変貌しようとしている。今、真に危険な徴候は、警察、検察、裁判所が社会的強者の走狗と化しつつあることだ。彼らは社会正義と秩序を維持するために行使すべき権力を、特定の階層を保護し強化するために、邪魔な個人の排斥を行い始めた。特に国のマクロ政策や官僚利権構造などを鋭く批判する有識者に対しては露骨に牙を剥けることが頻出している。
鹿砦社弾圧の基本構造は官僚天下り制度に深く関係する。アルゼの巨悪を弾劾する行為は必然的に警察官僚の天下りを周知にさらすことになるからだ。権力機構の焦りがここに起因することは間違いない。しかし官憲が社会正義を亡失して個人を狙い撃つなど言語道断であろう。国家機構の規範が崩れ始めている。これは、社会正義の番人であるべき官憲が巨大国際金融資本の番犬と化すネオリベ体制が導いた結果なのだ。植草氏と松岡氏は人間の良心として悪を悪として素直に糾弾した。ところがその普通のことが国家権力の逆鱗に触れ、彼らは強制捜査を受け、不当勾留を受けた。このようなことが常態化したら、それは国家が狂ってきているのである。官憲が恣意的に一個人に獰猛な牙を向ける社会こそ、絶対に受け入れてはならない社会である。
五、危殆に瀕する言論の自由
大戦後の日本はGHQによって戦後民主主義のわだちを引かれ、紆余曲折はあったが、かろうじてその上を歩き続け、その間、曲がりなりにも言論の自由は何とか担保されてきたと誰しもが思っている。しかし、本当にそうだったのだろうか?
戦後のメディア一般は、アメリカの正義に対しては「開かれた言語空間」であり、日本の歴史に対しては「閉ざされた言語空間」というきわめて非対称・不均衡な方向性を持ちながら現在にいたっている。GHQ統治の時代から今日まで、メディアは緩慢な言論統制色を有していたが、小泉政権にいたっては、いきなりGHQ時代の放送コードが甦った感がある。このメディアの報道統制色は、アメリカの傀儡政権であった小泉内閣時代、特に2005年9月、郵政民営化というシングル・イシューで行なわれた衆院解散総選挙の前後に最も先鋭化した。松岡利康氏が7月に強制的な家宅捜査を受け、有無を言わさずに勾留されたのもこの時期であった。筆者はこの時期の大手メディアが米系保険会社から出たCM料によって報道管制を敷かれていたことを強く感じ、ブログ等で警鐘を鳴らしていた。今から思えば、松岡氏の逮捕もこの時期における情報統制の先鋭化とけっして無縁ではなかっただろう。
ビデオジャーナリストの神保哲生氏によれば、日本のテレビと新聞は、クロスオーナーシップという同一資本に保有されているので、事実上、情報統制が行なわれ、随意に世論形成が可能であると言っている。くり返すが、あの郵政民営化・解散総選挙の時、メディアは政権与党に有利な誘導操作を露骨に行なっている。この時、テレビや新聞紙上のCMには、異様に外資系保険会社の名前が乱舞していたことを記憶している方も多いと思う。資本主義世界であるから、世の中がある程度大資本の影響下に置かれるのは仕方ないとしても、メディアは資本に超然としている必要がある。
思想の左右を問わず、憲法第21条、言論表現の自由はどのような時代にあっても絶対に死守すべきものだ。資本の力でこれが踏み潰されることがあってはならない。一般人であっても、表現の自由は人間存在の根源的レゾンデートルの一つである。これが侵される社会は必然的に第25条の「生存権」さえも侵されてしまうことになる。人はパンだけでは生きてはいけないのだ。表現することも、食べることと同様に生きていく重要な糧なのだ。
国家や国民の幸せ度や充実度を表す指標は、普通は経済の有様を見ることだと思われがちだが、じつはもっとわかりやすいサインがある。それこそが思想表現の自由度であろう。この自由度が低下する社会は閉塞した社会であり、このトレンドが極相に到達した時、民主主義は破壊される。
今の日本は一部の人間だけが権力を恣意的に行使でき、国民の奴隷労働の成果である富を彼らだけが独占できるシステムに作りかえられている。格差社会の本質とはそういうことだ。経済的に言うなら、富の正常な還流が滞り、再分配機能が働かない社会のことである。そのために経済弱者は塗炭の苦しみをなめることになる。これが今、我が国を覆い尽くそうとしている圧倒的な趨勢である。
何度もくり返すが、今日本を覆っている言論空間の閉塞性は、これを放置しておくと、近い将来、日本が夜警国家に変貌することを警告している。したがって、鹿砦社弾圧事件は日本人全体の命運がかかっている重要なできごとだと言っても、けっして過言ではない。
いつに筆者が松岡利康氏のジャーナリスト魂を強く評価し、感動を覚えるのは、氏の糾弾姿勢の一貫した矯激さと、弱いものに対する優しい眼差しにある。かつて小泉政権が発足した当時に刊行された「闘論・スキャンダリズムの眞相」というブックレットでは、「噂の眞相」誌編集長の岡留安則氏と松岡氏が、全共闘ワールド全開で対論しているが、これがすこぶる面白い。その中に松岡氏が語った印象に残る次の言葉があった。
「鹿砦社の小ブル急進主義的・ブランキスト的なやり方と、『噂の真相』の構造改革派的なやり方」
昔はノンポリで、左翼の思想遍歴を持たない筆者には、左翼用語はぴんと来ないのだが、松岡氏が対談で「僕は小ブル急進主義的、ブランキストだ」と言っていたことは強く印象に残っている。なぜなら、これは鹿砦社の表現姿勢の根幹を的確に打ち出していると見るからだ。松岡氏が2001年当時に、対談の中で披瀝したこの「小ブル急進主義・ブランキズム」というのは、保守系の筆者でも、それを左翼ワールドとしてではなく、純粋な行動学としてみれば鮮明にその意味がわかる。筆者流に解釈すれば、出版職人で表現者でもある松岡氏は、一切の妥協を許さない一揆的な批判精神・糾弾精神をもってことに当たるという意志の表現なのだ。松岡氏のこの矯激なポリシーは一貫して踏襲されている。芸能スキャンダル発掘やアルゼ糾弾などを見てもわかるとおり、裁判沙汰の波濤も乗り越えるという強靭さを持ちながら、それは鹿砦社の編集方針として根付いた。アルゼや阪神タイガーズ糾弾の案件では192日間も勾留の憂き目に遭っている。松岡氏のこういう生き様を見る限り、その物静かな風貌に似合わず、かなり過激な要素を持ったお人である。まさにブランキストそのものだ。
また、芸能スキャンダルは低俗な覗き趣味だと思われがちだが、松岡氏によれば芸能界(スポーツ界や相撲界も含む)は社会の縮図どころか、何でもありの伏魔殿であるから、これを斬ることは社会的に有益かつ意味のあることだとはっきり述べている。
さて、ブランキズム云々はともかく、松岡氏のアルゼ糾弾は、出版職人あるいは糾弾者として、彼の為せるわざの金字塔であり、余人の追従できない仕事になっている。なぜなら、それは蟻が剣歯虎に咬みついたに等しい捨て身の無謀さに満ちているからだ。
しかし、そこには左翼や右翼思想の枠を超えた部分で、悪いものを悪いと言い続ける折れない勇気と一貫性があり、それは強く胸を打つ。もちろん、松岡氏の有罪判決の深層には、この国が夜警国家へ変貌しつつあるという時代趨勢が厳然としてある。
最後に、長いものには巻かれろと、権力や資本強者に阿諛追従するニセ物ばかりが横行する今日、巨悪にひるまずに真っ向から挑んだ松岡氏の行動様式には、理屈を超えた不思議な清冽さがある。本物だけが放つ清々しさである。暴政・圧政の超格差社会に突入してきた今日、鹿砦社の姿勢は必ずや心ある人たちを触発し、翼賛傾向に走る日本の軌道修正の一端を担うかもしれない。圧倒的に巨大な相手でも、真に必要を感じた時は、ひるまずに咬みつけばダメージを与えられることがわかったからだ。他人の心を揺り動かす言葉とは、もしかしたら血を噴き出す思いの中からしか生まれないのかもしれない。鹿砦社はブレークするだろう。筆者はそう確信している。
(終了)
参考資料
「アルゼ王国の闇」
「アルゼ王国はスキャンダルの総合商社」
「アルゼ王国の崩壊」
「アルゼ王国 地獄への道」
(以上四冊は鹿砦社発行 松岡利康&特別取材班=編著)
「闘論・スキャンダリズムの眞相」(鹿砦社)
「植草事件の真実」(ナビ出版)
「紙の爆弾」各号、その他
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日本に希望を与える信念の男、城内実
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コメント
ジャーナリスト、小説家、漫画家、これらの職業に就く者は本来、反権力・反体制を売り物にしてきたはずである。ある意味、ジャーナリズムの本質はスキャンダリズムとセンセーショナリズムにあるからだ。
三十年以上前、「四畳半襖の下張」を掲載した「面白半分」が当局の手入れを受け裁判沙汰になっていた頃であった。「ビッグコミック」という漫画誌の巻末に黒鉄ヒロシ氏が衝撃的な作品を発表した。
登場するのは、「お万」という江戸時代(?)の娘さんで、漫画は凡そ三つのパーツからなっている。
①「お万」が小さな店を営んでいる絵→「お万、小商い」
②「お万」が鹿に餌をやっている絵→「お万、小鹿にやる」
③「お万」が男と会い、二人が呼び合う→「お万」「恋次郎」
下品と言えば、これほど下品なネタもないし(私も投稿を憚られる)女性性器を表す四文字言葉を使うか否かが、「猥褻」の基準であった時代にこれを発表する物怖じしない胆力には驚嘆の念を禁じえなかった。やはり名家に生まれた者(黒鉄ヒロシ氏は土佐の銘酒司牡丹の蔵元の次男坊)はだけが、こういうことが出来るのだなと、「由緒正しい貧乏人」(本田靖春氏の言葉を借りる)の出である私なぞは大いに落胆を覚えたものだった。
それから幾星霜、初老の域に達した私はさすがに漫画本を読まなくなった。従って黒鉄氏がいかなる活躍をしているのかは知る由もない。ところが先日思わぬところで黒鉄ヒロシ氏の姿を拝見した。何のニュース番組であったか、氏がテリー伊藤という自民党清和会政権のお茶坊主と一緒にコメンテーターをつとめていたのである。勿論、黒鉄氏の真意がどこにあるのか何処にあるのかは傍から分かるものではない。しかし、例えは悪いが中学校時代の憧れのマドンナが数十年来の同窓会で目をそむけんばかりの醜老女と化していたような悲哀を感じたのも事実なのである。
投稿: kenkensya | 2008年7月 6日 (日) 13時29分
kenkensya様
過分な言葉、ありがとうございます。
紙の媒体では簡単に訂正ができないので
力が入ってしまいます。もっともネットも
有効なツールですから同じ真剣さで書かないと
いけませんが。
高橋博彦先生はご勘弁願えないでしょうか。


高橋さんでけっこうです。
投稿: 高橋博彦(管理人) | 2008年7月 4日 (金) 17時00分
高橋博彦先生へ
これは希代の名文であります。他人の文章に採点の辛い(無論自分の書くものには甘い)私も唸ったまま、発するに言葉なく暫し呆然といたしました。
しかし、ここまで凄いものを書かれてしまうと後が大変などではと人事ながら心配になってしまいます。三打数一安打でもよろしいかと。戦いはまだ緒に就いたばかりです。スタミナ配分を考え、ペナントレースを乗り切って勝利を掴むためにも御自愛のほどを。
投稿: kenkensya | 2008年7月 4日 (金) 16時35分