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2008年8月31日 (日)

赤字国債でなく、建設国債を出せばいいんですか!? 福田首相、論理が破綻していますよ(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第112弾です)

 公明党による景気対策の要求に押されて政府が迷走している。国債を増発するが、赤字国債でなく建設国債を増発するのだから、良いと言っているようだ。その理由は、公共投資の場合、社会資本の充実のために使われ、それは国民が後で利用できるからということだ。でも、これは、公共投資を景気対策としてどんどん進めていた頃の論理でした。赤字国債でも建設国債でも、同じ国債なのだ。しかし景気を良くするには、最も効率がよいのは、つまり景気対策の優等生は公共投資なのだから、かつて小渕内閣などは景気浮揚のため公共投資をどんどん増やしていった。それは間違いでは無かった。14000円台だった株価も2万円を越え、一人当たりの名目GDPも世界6位から3位に上昇、―1%だった実質成長率も+3にまで激増した。そのまま景気対策を続ければ、今頃は日本は世界で最も豊かな国になっていて、国の借金の問題もとっくに片付いていた。

 しかし日本人はせっかちというか、神経質というか、経済音痴というか、国債の発行残高がどんどん増えていくのがたまらなく不安になったのだろう。小泉内閣になったら、急に公共投資を悪者にして、減らし始めた。「赤字国債より建設国債のほうが良い」という論理はどこへ行ったのかと聞きたい。景気対策の優等生であり、国の借金減らしの優等生である公共投資を減らし始めたからたまらない。一人当たりのGDPは5位から18位まで陥落、国の借金は増えるばかり、株も上がらず、世界に占める株式時価総額の割合は5分の1にまで低下した。

 ところで、政府・与党は8月29日、物価高や景気低迷などに対応する総合経済対策、を決定した。事業規模は総額11兆7000億円、対策に必要な費用は国費ベースで2兆円となるとのこと。なんと、福田首相は同日の経済対策閣僚会議で、補正予算の財源について「赤字国債の発行は行わず建設国債と使う」と述べたそうだ。これはかつて、「公共投資は借金をしてでもやってもよい」ということを正当化するために使っていた論理だ。これを使うのなら、「今まで公共投資を減らしてきたことは間違いだった」と宣言すべきだ。赤字国債はいけないが、建設国債はよいというのであれば、公共投資を減らしたのは間違いだったと言っているのに等しい。公共投資も、CO2の排出量を激減させ、エネルギー自給率を飛躍的に増加させることができるものもある。

 更に驚くべきことに、首相は「赤字国債は出さない」とも発言されている。首相は何を言っておられるのでしょうか。赤字国債を出さずに予算が組めるわけ無いでしょう。新規国債発行は25兆円やるわけでしょう。これが全部建設国債なわけがありませんから、残りは全部赤字国債です。国債発行はそれだけではありません。過去に発行した国債が満期を迎え償還に応じなければなりません。これが何と120兆円あります。これも新たな国債発行でしか応じる手段がありません。ですから国債発行は

120+25=145兆円

 程度になります。これに1兆円とか2兆円とかを加えようと、減じようと大勢には影響しません。重要なのは、日本の名目成長率を普通の国並の4%程度にまで引き上げることです。そのためには最低でも20兆円規模の景気対策が必要です。国債発行額が145兆円でも165兆円でも大差はないではありませんか。それで国の経済が息を吹き返すのであれば安いものです。

 今必要なことは、名目GDPを何%まで引き上げるといった明確な国家目標であり、赤字国債か建設国債かといった、くだらない議論ではありません。本日(8月31日)の報道2001で西部邁も言っていたことだが、今こそ政府は小さい政府が良いだの、景気対策はやらないだの、基礎的財政収支の黒字化だのという過去の発言は間違えていましたと、きっぱりと言うべきだ。橋本内閣も緊縮財政は間違いだったと言ったではないですか。そうしてから、どの程度の景気対策が今必要なのか、何を目標に経済対策を行うのかを全く新しい立場で考えるべきだ。そうでないと、経済対策は申し訳程度になってしまい、景気はよくならず、結局効果がなかったということになってしまう。

 忘れてはならないことは、デフレとはお金が消えていく恐ろしい経済の病気。放っておくと、国民がどんなに頑張っても、どんどん貧乏になってしまう。これに対抗するには、大型補正予算で景気対策をすること。それでGDPは増え、借金のGDP比は減るから、借金は返さなくてもよいことになる。つまり、景気対策とはお金を刷って国民に渡すということである。

 ところで、皆さんに是非お願いしたいことがあります。NHKが9月6日(土)20時~22:59に「日本の、これから 税金」というテーマで3時間番組をやるそうです。番組担当者が我々の考えに強い興味を持っているようで、期待しています。次のサイトでアンケートをやっています。

http://www.nhk.or.jp/korekara/index.html

 ここに、寄せられた国民の声を基に番組を作るそうですから、是非、ここにアクセスしてアンケートに答えて頂きたい。我々の声が多数であれば、大々的に「お金が無ければ刷りなさい」という意見が、NHKを通じ全国に流れる可能性があります。

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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アラブ世界の対日意識は変わったのか?

  アフガニスタンで、NGOペシャワール会の伊藤和也さんが暴徒に拉致され、殺害された。冥福を祈るとともに、ご遺族のお気持ちにご同情申し上げる。きな臭い政治情勢とは無関係に、真摯な支援活動を行っている真面目な青年が、このようなむごい殺され方をするのは、いたたまれない思いである。

 大雑把なことしか言えなくて忸怩たる思いもあるのだが、伊藤和也さんの訃報に接し、日本とイスラム世界との関係が基本的なところで変質したことを強く感じる。私事ながら、私は28歳当時、七ヶ月ほど、サウジアラビアというイスラム国家で仕事をしたことがある。仕事は大型石油プラントの建設工事であった。そこでは仕事柄、周辺のアラブ諸国から出稼ぎに来ていた多くのアラブ人と交わった。彼らはアラブ語以外に言葉が通じず、最初は身振り手振りで意志を伝え、何とか現場の作業に持っていくことが、そうとうに大変な思いであった。それでも、毎日一緒に行動し、彼らから習い覚えた稚拙極まるアラブ語を使って意思疎通しているうちに、お互いの気心が知れて、かなり打ち解けてきた。

 初めて海外生活をしたのが、イスラム諸国のうちでも、最もイスラム戒律が厳格なサウジアラビアだった。私は彼らとコミュニケーションして、ほとんど内容はわからなかったが、彼らがコーランという聖典に帰依する気持ちの強いことに驚いた。彼らは生活や仕事の中心がアッラー一筋であった。仕事中も、時間が来ると彼らはお祈り用のカーペットを現場に敷いて、メッカに向かって礼拝する光景は強烈だった。日本人や欧米人は国家の法律と宗教は別物であるが、彼らは宗教法典そのものが法律であり、生活指針なのだった。私は他の日本人とともに、イスラム一神教の異邦性に対峙して、大きなカルチャーショックを受けた。そういう中でも、荒涼たる砂漠の生活は彼我の文化の違いを私なりに考えさせてくれた。

 日本人は各家庭に仏壇があり、神棚がある。また、旅行に行けば当地の神社にお参りする。そこの祭神が何であるか、いっこうにお構いなくお参りする。生まれながらに多神教アニミズムの中で育ち、唯一の神だとか、異教の神だとかいう概念を持たない日本人が、厳格なイスラム戒律の国へ行くこと自体が、非日常的な異邦世界との接触であった。しかし、私は何十人かのアラブ人と浅い交流をしてみて、興味深いことに気が付いた。それは彼らが日本については、ほとんど知らなかったが、日露戦争についてはよく知っているということであった。ある年配(当時五十代)のイエメン人は、幼い頃から祖父や父に日露戦争のことを聞かされていたそうである。彼はかの有名なアラビアのロレンスについても、祖父からいろいろ聞かされたそうである。それについては私はほとんど理解できなかった。ただ、彼が熱く語った話は、日本が蛮国ロシアに立ち向かった英雄であるという賞賛の内容だった。ロシアと国境を接する領域にいたトルコ人は、特に日露戦争を意識していて親日的だが、概して多くのアラブ人も、日本を特別視して親日感を抱いていたように私は感じていた。

 それとは別に、戦後の日本は中東諸国へ技術支援したり、彼らの役に立つことを真摯にやってきた。我々のプラント建設の仕事もその流れにあったと思っている。日本という国は概ねアラブ諸国の信頼を勝ち得ていたのである。その信頼の基盤は日露戦争が大きいが、戦後の日本人の良心的な働き振りも大きかったのだろう。しかし、日本がアメリカへの隷属傾向を強め、小泉政権に至っては、あのイラク侵攻に西側諸国としては、最も早く賛同した国が日本だった。私はそれまでアラブ世界ときわめて良好な関係を築いてきた日本の努力が、その愚劣な決断で灰燼に帰したと思っている。小泉純一郎氏が国民の総意を無視して行ったイラク侵攻作戦への賛同表明、そして自衛隊のイラク派兵は、少なからずアラブ人の日本観を変えてしまったのではないだろうか。

 小泉純一郎氏の隷属的アメリカ追従によって、親日的だったアラブ社会の対日感覚は変遷したと思う。NGOペシャワール会の伊藤さんを殺害した暴徒達が、真底、凶暴化した者達である可能性もあるが、この背景にはアラブ人の対日感覚の変化も無関係ではないような気もする。結局、日本も、自らの権益のためにアラブ世界を蚕食する野蛮な大国であるアメリカやロシア、あるいはヨーロッパ諸国と同じではないかという見方になってきているのだろう。先人達が汗にまみれてこつこつと築いてきた、アラブ人の親日感、信頼感を、小泉政権は一朝一夕で崩したのだ。伊藤さんの痛ましい事件も、小泉政権の対米隷属と無関係ではない。自分がアラブ体験してから28年が経過している。今のアラブ社会がどんな感じかわからないが、ふとそういうことを感じた。

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2008年8月29日 (金)

『地獄の構造改革復活・・・』に関連して

(※いかりや爆さんの投稿です)

 『地獄の構造改革復活・・・』に関連して

 竹中氏について、

>デフレ下で緊縮財政と不良債権処理を強行した。

>彼は供給サイドにしか目線がなかったわけであり、いまさら国内総需要喚起策を挙げるのはいたって奇妙である。

 この事実はいろいろな人が言っています、小野会長も指摘しています。竹中氏は非常識です、経済のイロハを知らない中学生レベル以下です。
もし、わかっていて強行したのであれば、悪魔(イルミナティ)的手法です。

 竹中平蔵、小泉氏とともに日本経済を破壊、日本社会を不安に陥れた元凶の一人です。

竹中氏の発言、

>第一は構造改革のモメンタム(勢い)低下によって・・・、

>第二は、コンプラ不況と言われるような・・・・行き過ぎた規制強化である。

>第三は、金融引き締めである ・・・

 第一に、構造改革のモメンタムの低下? 恥ずかしげもなくよく言うよ、不況の元凶を造ったのはこの男、竹中氏。真に必要なことは、彼の頭の中の「構造改革」だったのです。

 第二にコンプラ不況? 貴方(竹中氏)の政策が間違っていたから起きた不況です、強いていえば、「ぼんくら不況」です。

 無責任男、「ニッポンの恥」の代表格、別の言葉で言えば「巨大産業廃棄物」、有害無益な「ゴミ男」です。彼にとって必要なことは、小学校入学前の親の躾、幼児教育です。つまり「道徳教育」からやり直してもらわなくてはならない。

 このような「恥」男が慶応大学の『教授』というのだから、あきれます。
 彼のことはいくら非難しても非難し過ぎることはありません。

 彼から講義を受ける慶大の純粋無垢?な学生たちが、彼の講義を受けて汚染されて社会に送り出されていく。汚染物質が社会に拡散していくのかと思うとやりきれない。

 慶応大学の学生さん(もしこれを読んでいたら)、貴方が尊敬する大先生をこっぴどく批判して、ゴメンネ!
 でも、希望は捨てていませんよ。「青は藍より出でて藍より青し」って言うでしょう。
「経済学は、愛より出でて愛より高し」でなくちゃいけないよ。

 神州の泉(高橋)さん、もし上記が罵詈雑言に相当するとすれば、削除してください。

>第三に金融引き締め・・・

 日銀は前代未聞の「超ゆるゆる」の金融政策「超低金利政策」と「金融緩和策」を10年以上続けても、景気回復しなかった(1996年の名目GDPと2006年の名目GDPは同レベル)。これについては、『誰がために金は成るのか?』のところで述べました。

 要は「金」が実体経済に回る仕組みを構築しておかねばならない。

 ある意味で、日銀が経済(金の流れ)の生殺与奪を握っている。
 表向き「金融を緩めた」かのごとくみせかけて、個々の金融機関への窓口規制(無言の圧力を含めて)で、実体経済の方向へ金が流れる蛇口を絞っていては、経済成長はありえません。

 日銀は罪深い伏魔殿です。日銀の行動を監視する第三者機関が必要だと思う(しかし、悪魔「イルミナティ」集団がそれを許さないと思う)。

 金融機関は、不況下で「利」が薄く、リスクの高い実体経済にマネーを回すよりも、国際的金融ファンド(ハゲタカ)にマネーを回した方が、より安心?で利益が出るとなれば、実体経済へ金が回らないのは当然です(欲の皮の突っ張ったアホな銀行は、サブプライムにひっかかったけれど)。
 
 そういう意味で「国際的な金融投機マネー」を「規制」もしくは、「課税」するシステムを構築する必要があります。「金」で「金」を操る怪しげな通貨マフィアが野放し状態になっています。こんなことを主張する政治家、エコノミスト、ジャーナリストなど殆どいません。

 「グローバリゼーション」の美名のもとに、「規制緩和」だとか、「国際競争力の強化」だとかは、悪魔「イルミナティ」集団の思う壷ですね。

 「金」は足りなければ刷りなさい」と言うだけでは充分ではありません。
 例えば、公共事業に大きな予算を充当すれば、それに使う資材や土地購入に「金」が回って行く経済効果はあります。しかしそれだけでは一次的効果に終わってしまう恐れがあります。

 土地長者が大儲け、企業が利益をあげても、株主や経営者など金持ちグループに儲けさせるだけでは、経済は成長していかないことは実証済みです。

 一部の金持ちだけではなく、そこで働く従業員や労働者の待遇改善、賃金をアップすることです。社会全体が豊かになることが重要、そうすれば新たな需要が生まれます。

 今最も必要なことは、「供給サイド」ではなく、「需要」を刺激することです。

 一例ですが、日本人の高齢化が進み、「介護」を必要とする巨大なマーケットがあるのに、それを生かしていない。
 介護を必要とする潜在的需要は大きい。だが、介護士が不足しています。介護士の賃金はあまりにも低過ぎるために、介護士のなりてがないので不足しています。介護士の仕事だけでは、自分一人の生活も危うい、ましてや家族を養っていけない。

 一方、手厚い「介護」を受けたくても、「介護料」を支払える資金をもたない多くの老人や悲惨な家族がいるのです。
 介護士の賃金を上げるとともに、金のない人にも充分な介護がうけられる仕組みを構築するのが国の役目です。

 こんなことを言えば直ぐに、頭の弱い自民政治家は「資金がないのに、無責任だ。やっぱ消費税をアップしなければ」と言う。

 要は、国民全体を豊かにすれば、「需要」は次から次に生まれるのです。

 現在の「金:マネー」はオンスで計る実物の「ゴールド」ではないのです。単に「無」から見かけ上、「有」をつくり出しているにすぎません。日本に足りないのは、政治家の少しばかりの「知恵」と「大いなる勇気」です。

 余談:
 悪魔(イルミナティ)集団は「民」を貧乏なままにしておいた方が、「民」をコントロールしやすいのです、にんじん(金)をぶらさげて「民」を操るのです。そして時には、『力』をも行使します。
 彼らが最も恐れるのは、民が、「知恵」と「知識」を持つことです。

 愚民化政策:社会規範の乱れ、世代間、肉親間の断絶(若者の自暴自棄の犯罪や親が子を殺し、子が親を殺すなどなど)、これらは彼らの望むところです。
 国民はエンターテイメント(スポーツや不倫やセックスetc)に夢中にさせ、政治や経済に関心を持たせないようにすることです。

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総合経済対策10兆円、真水1兆円の欺瞞(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第111弾です)

 本日(8月29日)の日経には総合経済対策の事業規模が10兆円とある。これでGDPが10兆円拡大するかと言えばそうではなさそうだ。選挙目当てで、事業規模を水増しし、見かけ上政府は国民のために「やるべきことはやった」と見せる作戦のようだ。上げ底経済対策と言うべきだろう。政府の経済政策の失敗で多くの国民が苦境に追い込まれている。中小企業、低所得者、母子家庭等である。そういった人たちに融資枠を広げることで事業規模は拡大された。

 しかし、こうした政府の経済政策の失敗で生じた犠牲者が本当にそのような借金を受け入れるのか。今のような政策ではデフレ脱却も絶望的で大不況は際限なく続く。そんなとき、政府が融資枠を広げたからと言って借金をどんどん増やしていったら、それこそ借金地獄だ。それを避けるためにはこの融資枠は使わないほうがよい。ということは総合経済対策は無駄に終わり、10兆円という数字は空念仏に終わるだけだ。

 政府が本気で窮地に追い込まれた国民を救おうというのであれば、金利0.01%で、返済は100年後でよいという融資枠をつくることだ。政府系金融機関を通じ融資をすればよい。これなら自分が生きているうちに返済義務は生じないから、安心して借りることができるだろう。これなら財政支出ではないので、国の借金は一切増えない。まさに、「お金を刷って国民に渡す」という日本経済復活の会の「崇高な理念」にぴったりだ。融資は金融の分野であり、財政支出ではないから財政規律の問題も発生しない。

 傾斜生産方式も考えると良い。つまりこの融資を使い、洋上風力発電やマグマ発電などに大規模投資をすれば、CO2削減にも役立つし、日本のエネルギー需要をすべてカバーできるし、安全だし、しかも発電コストが安い。将来のオイルショックへの備えにもなる。こういった分野にどんどん刷ったお金を投入していけば、日本の未来はバラ色である。開発された技術は輸出することも可能で、日本を豊かにするのは間違いないだけでなく、危機にある地球を救うことができる。農業や漁業の近代化、大規模化で生産性を上げるために、この融資枠を使うのも良い。

 失業者やニートまで吸い上げて、企業は環境に優しい発電所の建設に専念できる。これは全国どこでも建設が可能で、失業者の多い地区にどんどん工場をつくればよい。働く場所が無かった人も職を得て生活は安定する。膨大な労働資源の無駄が有効利用されるわけだ。社会保険庁の無駄遣いなどの何万倍もの無駄遣いを止めさせることができる。GDPは大きく増大し、税収も増えてくるし、デフレ脱却、プライマリーバランスの黒字化などあっという間に実現する。

 日本を潰そうと考えている連中は、こんな融資に反対するかもしれない。

【反対1】このような融資は、民間の銀行業務を圧迫する。

【反論】そんなことはない。これは限られた分野への融資であり、民業を圧迫することはない。この方法により、お金が国民の手に渡り、景気が良くなってくれば、企業全体に日本経済への明るい見通しが生まれ、将来の経済拡大に備え設備投資をしておこうという気運が生まれるから、民間金融機関にとってもビジネスチャンスは膨らむ。民間投資の拡大は銀行経営にとって追い風だ。

【反対2】このような極めて甘い融資を行う政府系金融機関は大赤字になって、結局それを税金で穴埋めすることになるのではないか。

【反論】そうではない。これは日銀から供給された刷ったお金であり、刷ったお金を国民に渡して悪い理由はない。通貨発行は独立国の固有の権利で、日本のように、デフレで千数百兆円の資産価値が消えた国では、当然通貨発行で補わなければならない。もちろん、赤字でも返す必要はない。

【反対3】ハイパーインフレになるのではないか。

【反論】それはあり得ない。きちんとマクロ計量経済モデルで計算しておけば、インフレ率がいくらになるかは計算できる。予想外に高いインフレ率になったときは、金融引き締めをすればよいだけ。金融引き締めで納まらないインフレなど、歴史的に一度もなかった。ドイツの1兆倍ものインフレですら均衡財政を宣言しただけで、翌月からインフレはピタリと止まった。むしろ、インフレを過度に恐れて思い切った経済対策を避けることのほうが余程悲惨な結果を導く。

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2008年8月28日 (木)

自公政権は地獄の構造改革復活を目論んでいる!

 今年の4-6月期の国内総生産(GDP)が、実質で前期比マイナス0.6%、年率平均でマイナス2.4%となったことを受け、竹中平蔵元総務大臣が「日経ネットPlus」、「バラマキ予算の前にやるべきこと」というコラム内で、下記の説明を行っている。
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内需がマイナス成長の原因

 政策論としてまず議論すべきことがある。それは「なぜ日本経済がここまで悪くなったのかと」いう点だ。マイナス2.4%成長のうち、外需はゼロ成長である。マイナス分はすべて内需から来ている。したがって、単に世界経済が停滞したことによって、つまり外需の関係で日本がマイナス成長になった(与謝野馨経済財政担当相はそう受け取れるような発言をしているが・・・)というのは適切ではない。経済が停滞した国内要因を考える必要がある。

経済悪化の要因として、大きく次の3点が挙げられる。

 第一は構造改革のモメンタム(勢い)低下によって、期待成長率が押し下げられたことだ。期待の低下が個人消費と設備投資の低迷を招いている。

 第二は、コンプラ不況と言われるような行き過ぎた規制強化である。コンプライアンス(法令順守)や安全・安心のための規制は必要だが、だからといって、行き過ぎは正当化されない。建築基準法の修正の結果、建築確認が停滞し、それが住宅投資の大幅減少をもたらしたのは記憶に新しい。ほかにも外資規制や金融取引規制が強化され、経済活動が萎縮している。

 そして第三は、金融引き締めである。日本では2006年に、いわゆる量的緩和を解除して以来、金融の引き締めが続いてきた。デフレを放置したままでの金利引き上げが実質金利を上昇させ、経済活動を停滞させたことは明白である。

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 第一の要因について、竹中氏は内需の低迷が、マイナス成長の主要因であると言っており、これ自体はその通りである。しかし、五年半にわたる小泉構造改革の実際的な旗振りとして、当時の路線を推進してきた竹中氏は、デフレ下で緊縮財政と不良債権処理を強行した。彼は供給サイドにしか目線がなかったわけであり、いまさら国内総需要喚起策を挙げるのはいたって奇妙である。上げ潮派の筆頭である中川秀直氏もそうであるが、小泉構造改革路線の立役者でもあり、官邸主導政治の中心にいた、これらの重要人物が、小泉政権が終わる年に、なぜ基本路線を急激に変更したのだろうか。五年半という歳月は膨大である。この間に、国民生活は、かつてないほどの苦境に落とされてしまった。米百俵の故事を揚げて、国民に痛みを我慢するように言った「聖域なき構造改革」、その彼方に待ち受けていたものは、より深刻で、悲痛な阿鼻叫喚の世界であった。つまり小泉構造改革が取り繕った偽装は、シュンペンターのいう「創造的破壊」の体裁を取りつつも、実際に行ったことは「破壊のための破壊」であった。メディアが彼を持ち上げ、威勢の良いワンフレーズ・ポリティクスを放って国民を欺き、強行した政策の出力が、日本破壊なのであった。

 若者が結婚して子供をもうけ、家庭を得るという、ごく当たり前だったことが、ごく一部の恵まれた背景を持った者にしか実現できなくなっている現状は、事実上の国家破壊と言ってよい。止め処もない絶対格差社会が固定化し始めている。六本木ヒルズにたむろする一部の特権的階級は、我々には考えられないような豪奢な生活を享受する一方で、実に多くの人々が明日の生活をどうやって過ごしたらいいのかと、強い閉塞感と不安にさいなまされている。具体的には、六本木ヒルズ森タワー、最上階のすぐ下の階では、入会金百万円以上、年間数十万円の会費を払って利用できる社交会場や図書館があるそうである。また、森タワーに隣接する六本木ヒルズレジデンスは特権階級層のための居住空間となっている。ここは賃貸専用で、家賃は150万円前後が主流、最も広い部屋で家賃が435万円だそうである。こういう場所に誰が住むのであろうか。高額納税者が住むのである。彼らはいかにして高額納税者となったのだろうか。私が言えることは、彼らが堀江貴文氏や村上世彰氏の同類であるということだけである。

 その一方で、その日暮らしという極限的な不安定生活を余儀なくされている、期間を限定された派遣労働者や日雇い生活者が激増している。この日本では、小泉・竹中構造改革路線という、国の誇りを失った悪魔の国策によって、それまで長く続いていた日本の安定的な社会構造がズタズタに破壊されてしまった。間違った規制撤廃、間違った規制緩和によって、富の異常な傾斜配分が生じてしまった。この絶対格差は金銭的格差だけに限らず、教育格差、居住格差、その他諸々の文化的格差にまで及んでいる。こういうアメリカ型の社会構造は、相互扶助精神や共同体意識が継承されていた伝統的な日本人の精神性にまったくなじまない。今の日本人が出口の見えない不安感や閉塞感に蝕まれている深層には、金銭的格差による欠乏感だけではなく、日本社会が何者かによってまったく質的に望まない方向に切り替えられたことを本能的に感知しているからだ。小泉氏や竹中氏、あるいは中川秀直氏、彼らと協働して構造改革を推進してきた買弁的強硬派は日本社会の存在様態を根元から変えてしまったのである。

 国民が気をつけなければならないのは、結局、竹中平蔵氏も、中川秀直氏も、主張の骨子は、構造改革の勢いを復活させるということを政策論の落としどころにしていることだ。偽装CHANGE勢力が、官僚利権構造の撤廃を謳っても、それは欺瞞であるから注意しろと植草さんは言っている。つまり真の構造改革は高級官僚の利権構造の廃止である。もう一つ気をつけることは、現状の景気低迷の解決策を、構造改革の盛り返しにあるという論旨に持っていくことだ。福田政権は先の組閣で小泉色を一掃したように見せかけているが、その本質は対米隷属であり、新自由主義の強化的推進であることに違いはない。つまり表面を取り繕っても、内心は国民の幸福に逆行する小泉構造改革路線の復活なのである。増税派の与謝野馨財務相も、上げ潮派の中川秀直氏も、竹中平蔵氏も、同じ穴のむじなである。

 竹中氏は、上記第二の要因で、コンプラ不況という行き過ぎた法令順守や規制の影響で経済力が殺がれていると批判しているが、こういう捉え方こそが国民を不幸に導いた元凶である。ネオリベ政策とは、弱者などにもある程度、金が回るようにできている福祉的なセーフティネットまで切り崩し、その分がすべて金持ちに行き渡るような仕組みに変えることなのである。国民大多数や社会的弱者、保護されるべき人間や、弱小企業などが、大企業や外資、資本強者等の犠牲になるような規制撤廃・緩和策によって、弱肉強食一辺倒の市場主義社会に平準化された。そのために不必要な淘汰が開始され、日本型市場構造の優れた面まですっかり破壊されたのである。竹中氏はまるで正反対のことを言っている。国民が安心して暮らしていけるコンプライアンスが確立してこそ社会は安定し、国内総需要が喚起される条件が整うのである。

 国民の大多数の労働の搾取の上に成り立つ、金融バンパイアを作るような政策によって、六本木ヒルズに象徴されるような金融摩天楼をつくることはやめるべきだ。小泉構造改革とは、アメリカのピラミッド型の特権階級構造を日本に移設するための社会変革なのである。こんなものが日本人の幸福に寄与することはあり得ない。小泉構造改革に関わった重要な政治家連中は、昨年の参院選の敗北を見て、己の保身のために、政策論の偽装に取り掛かってきた。それが植草さんが警鐘する偽装CHANGE勢力である。彼らは植草さんの真実の論旨をうまく取り入れて、必死に偽装するだろう。騙されないように気をつけなければならない。

 最後に竹中平蔵氏は、小泉内閣が成立した直後の2001年の予算委員会で、「現在のメインストリームの経済学では・・・」と何度か繰り返している。今、かなりの人がそのメインストリームなる真の意味を理解していることと思う。そう、そのストリームこそ、新自由主義なのである。自民党、公明党、民主党一部の対米従属勢力の底意は、結局、新自由主義に基づく構造改革の推進なのである。今度は自殺者ばかりではなく、餓死者が増えていくことは間違いない。だから、自公政権は打倒する必要がある。

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2008年8月27日 (水)

小泉構造改革の失敗を取り返すには、20年以上かかると福田首相が発言!(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第110弾です)

 一人当たりの名目GDPの国際順位が18位にまで落ちたことを指摘したのは、昨年の10月26日の朝日新聞に載せた意見広告だった。

出所 内閣府
Photo_2   

 この意見広告を見た多くの人が、このショッキングなデータについて話し合うようになった。一人当たりのGDPは、小泉内閣発足時には5位だったのに、内閣の終わりには18位にまで落ちていた。デフレ時に緊縮財政を行えば国は貧乏になるのは分かりきっている。小泉構造改革は大失敗だったのだ。

 8月26日の朝日新聞によると、福田首相はこの失敗を取り返すために来春「福田版」構造改革の考えを示す考えだそうだ。一人当たりのGDPを20年後に10位以内に押し上げるという国家目標を立てるのだそうだ。ということは、小泉構造改革の失敗の約半分を取り戻すには20年掛かると彼は思っているようだ。小泉構造改革が日本経済の復活にどれだけ大変なダメージを与えてしまったかを示している。

 我々が、小泉内閣が2001年に発足した時以来、一貫して主張してきた事は、デフレ時に緊縮財政をしてはならないということだ。もし小泉純一郎と竹中平蔵と小野盛司の対談が実現したら次のようなものになるだろう。

小泉:「当時、国の借金が増えていたから、これ以上増やすわけにはいかなかった。」

小野:「しかし、実際は緊縮財政のお陰で国の借金は減るどころか200兆円も増えてしまったではないですか。マクロ計量経済学が理解していればこのような過ちは犯すはずがなかったのですよ。」

竹中:「そういいますけどね。緊縮財政をしなかったらもっと借金は増えていましたよ。将来世代にツケを残してもいいんですか。誰が責任を取るんですか。」

小野:「もちろん、借金は増えますが、GDPも増えます。結果として借金のGDP比は減ってきますから、ツケは実質的に減ります。国家目標を立てるために使っている内閣府のモデルでもそうなっています。」

竹中:「確かに、借金のGDP比は最初の1,2年は下がりますが、3年以降は上がります。」

小野:「内閣府のモデルではそうなっています。でも内閣府の試算には次のようなコメントがありますね。『試算は誤差を伴っており、相当の幅をもってみるべきである。また、先の期間になるほど、不確実な要素が多くなることに留意が必要である。』ということは3年後の試算結果なんて当てにならないと言うことですよ。実際、他のモデルでは、3年後以降も減ることになっている。

竹中:「勉強させていただきます。」

 多分、こんな感じになるだろう。私は福田さんに是非分かってもらいたいことがある。つまり、今のように財政立て直しで歳出削減ばかり考えて、財政運営をしていたら、20年かかっても、一人当たりの名目GDPが10位以内になることは絶対にあり得ない。国は貧乏になるばかりです。デフレとはお金が消えていく病気ですから、この病気を治さない限り、日本は貧乏になるだけ。

 お金を刷って、国民に渡せば、あっという間に国は豊かになります。まだまだ日本企業のブランド力は素晴らしい。お金が一時的に消えただけで、それを挽回するために日本銀行がお金をつくるのは、簡単なこと。大型景気対策で国民にお金を渡せば、日本経済は見違えるように活気を帯びてきます。国債が市中でだぶついてきたら、日銀が買いオペをすればよいだけ。景気が回復し経済規模が拡大してくれば、国の借金も実質的に減ってきますし、税収も増えてきますから、財政赤字も縮小します。将来世代へのツケは減ってきます。きちんとマクロ計量モデルで計算して、戦略を練りましょう。

 人口減少なんて関係ありません。今の日本経済の沈滞は、お金がどんどん消えて行っているのが原因です。バブルの時を思い出して下さい。あのときでもすでに将来の人口減少は分かっていました。それでも、人々は将来土地が足りなくなって値上がりすると思って買いまくりました。思いこみで、経済は沈滞もするし、繁栄もします。

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2008年8月25日 (月)

景気対策は"Too small, Too late"になってしまうことのないように(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第109弾です)

 今、仕事が猛烈に忙しくて、なかなか書く時間が取れなくて、読者の皆さんには申し訳なく思う。この間、与党は景気対策の話を盛んにしている。迫ってきた衆議院議員選挙で、このまま何もしなければ、大敗することが見えてきたから、選挙で国会に戻って来れそうもない議員たちは必死なのだろう。公明党も、減税・燃料費補填・中小企業支援など要求している。大型景気対策を考えているのだろう。

 ここに至って政府はジレンマに陥っている。これだけの不景気で何もしなかったら、過半数どころか、第一党にすらなれず、衆参で完全に野党になってしまうし、近い将来政権を取り返せる見通しは無くなってしまうだろう。

 ところが、大型景気対策をしたらどうだろう。小泉政権発足以来、景気対策は借金を増やすだけで景気を良くしないと言い続けた。それを証明する経済モデルまで偽装した。それが全部嘘でしたと白状する以外、大型景気対策を始める道はないと考えている自民党執行部は多いだろう。いわば、日本経済をここまで悪くしたA級戦犯だ。

 しかしながら、日本経済復活の会としては、A級戦犯を追及したいとは思っていない。民主党政権になったからと言って、大型景気対策をやるという保証は無いからだ。過去の過ちは小泉氏一人の誤解、つまり国の借金を減らすには緊縮財政がよいのだという勘違いから引き起こされたのであり、緊縮財政では国の借金は減らせないということは、国民はいやというほど知らされたはずだから、二度と過ちを繰り返さないようにと、我々はアドバイスをするだけだ。過去の過ちを追求するより、これからどうすればよいのかということのほうが、はるかに重要だ。バブル崩壊からデフレに陥る過程を見ればよい。Wikipediaから引用する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 バブル崩壊後の対応では、初期の金融政策や財政政策による景気刺激が小規模であったことが指摘できよう。公共事業による景気刺激がその後の財政赤字の拡大を招いたという批判は多いが、当初の経済対策は財政資金の投入は少なく、対策を小出しにしたことが次第に大規模な財政刺激が必要となった一因と考えられる。また日銀は1991年7月に公定歩合を0.5%引き下げたが、その後の金融緩和の速度が遅かったと考えられている。これらの政策は外国から "Too small, Too late"(政策規模が小さすぎ、実行が遅すぎ、そのため効果的な政策ではない)と批判された。

 銀行など金融機関の不良債権問題が深刻となって以降は、早期に財政資金を投入して破綻した金融機関の救済を行うべきであったと考えられている。しかしこの問題でも、住専処理に6850億円の資金を投入するという政府の1996年度予算案に対して、マスコミなどは金融機関に失敗の責任を取らせずに救済のために税金を投入すべきではないなど強く反発することとなり、国会も混乱した。後から数十兆円の資金が投入されることになったことを考えれば、早期に公的資金の注入ができれば問題の拡大を抑制でき、結局は国民の負担も少なくて済んだのではないかという見方も多い。
――――――――――――――――――――――――――――――――――


 今回、日本経済は急速に悪化をし始めた。相変わらず内閣府は来年になればよくなるという試算(大本営発表)を出しているが誰も信用しないだろう。内需も外需も総崩れであり、国民の多くが悲観的になっている。こんな時こそお金を刷って実体経済に流さなければならない。要するに景気対策だ。政府は1兆円以内と言う。「大型」を唱える人は2~3兆円と言う。各省庁の要求を足し上げると8兆円程度になる。

 最も重要なことは、何兆円の景気対策をすれば、デフレという病気から脱却できるのかということ。諸外国のように名目成長率が最低でも4%程度になって欲しいものだ。これを国家目標にするのもよい。現在は名目成長率はほぼゼロであるから4%成長にするには500×0.04=20(兆円)だけ名目GDPを増やすように、景気対策をすれば、日本経済は健康体に近づく。

 では何兆円の景気対策かということだが、竹中平蔵氏が平成17年8月19日に立命館大学で行った講演では「10兆円の歳出削減では、名目GDPが10兆円減る」と述べた。景気対策の中身が問題ではあるが、この数字はそれほどピンぼけではない。逆を言えば「10兆円の景気対策では10兆円名目GDPが伸びる」ということであり、「20兆円だけGDPを増やそうと思えば20兆円の景気対策をやればよい」ということだ。もちろん、刷ったお金でやるのであり、増税で財源を確保しようものなら、プラスマイナスゼロとなって、何にもならない。現在の国の借金のGDP比は

 800
 ――― = 1.6
 500

程度である。これに分子分母に同じ数を加えれば、この分数はどんどん小さくなる。つまり、借金の重みが減っていくのだ。ちなみに、x兆円の景気対策をすれば、この分数は

  800+x         300
 ――――― = 1+ ―――――
  500+x         500+x

 となるので、xが増えれば、この分数はどんどん減っていくことが分かる。実際は景気対策をやれば税収も増えることでも、この分数の減少を助ける。

 残念ながら2~3兆円の規模では気休めに過ぎず、今回も"Too small, Too late"になってしまい、過ちを繰り返すことになる。私なら20兆円~30兆円規模の景気対策を考えるだろう。洋上風力発電に大規模投資をすれば、エネルギー自給率を飛躍的に向上できる。農業や漁業の近代化・効率化にも金を使い、食糧自給率を高めればよい。それに、高齢者などの社会的弱者に援助の手をさしのべ国民に高齢になっても政府が助けてくれるという安心感を与えるとよい。企業の国際的競争力を強化するには法人税減税も欠かせない。お金は今も将来も刷れるのだから、財源が枯渇することはない。最も怖いのは、日本企業が競争力を失い、日本が貧乏な国になってしまうことだ。経済的競争力を強め、エネルギー自給率、食糧自給率を高め、豊かな日本をつくっていけば、国民は安心し、日本が自信を取り戻し、それが国を豊かにする。

 求められることは、計量経済学に基づいた信頼できる試算を行い、日本経済は何兆円の景気対策で復活するのかを計算することだ。

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2008年8月22日 (金)

雨上がりの露

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(※秋田県の友人の作品です)

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シンクロナイズド・スイミング、井村コーチの中国チーム指導に大きな違和感

 報道でも知られている通り、日本のシンクロナイズド・スイミングの実力をここまで引き上げたのは、井村雅代(58歳)氏というコーチの長年の努力の賜物と言っていいくらい、この人物の功績は大きい。これは関係者でなくともよく知られている事実である。シンクロ競技あるところに井村コーチの存在はひと際目立っていたからだ。日本のレベルをここまで高めた最大の功労者である井村コーチが、現在、中国チームのヘッドコーチを務めていることについて、賛否両論が喧々囂々と湧き上がっているようだ。井村氏は、これについて過去にこう語っている。

「日本には、決して私の代表コーチ就任を快く思わない声がある。また国内の報道のなかにも、それは感じられる。私は中日の友好のために中国チームに来た。その選択が間違っていないことを信じている。彼らは2008年のオリンピックのあと、私の選択を理解してくれるだろう」

 私はスポーツ交流は国際親善のかなめであるから、さまざまなスポーツの揺籃期にある国々へ、スポーツの大家が実技指導に赴くことは、一般論としては良い事だと思っている。文字通り、それはスポーツ親善だからだ。しかし、疑問に思うことがあり、それは四年に一度のオリンピックの場合は、まったくその考えは通用しないと私は考えている。その理由を以下に述べてみる。

 オリンピック憲章にざっと目を通すと、人類的にはまことに高邁な考え方に則っているが、往々にして建前と本音は乖離しているものである。オリンピックというものについて、私は見栄を張らずに真っ直ぐに思ったことを言ってみる。この地球世界は資源争奪、政治的覇権主義、過去の歴史的経緯など、さまざまな場所で国と国、民族と民族が相争っているのが現実である。従って、グローバルに国際親善や平和の協定を結ぶのがいかに困難であるか、当事者でなくともよく知るところである。こういう緊張に満ちた世界の中で、、“平和の祭典”と銘打ったオリンピックの存在意義は大きい。

 確かに四年に一度の平和の祭典は、世界の国々の一時的な緊張緩和には役立っているのかもしれない。しかし、ずばり本音を言えば、スポーツと平和には何の関係もない。むしろ、スポーツ競技の源流を遡れば、それはほとんどが戦争行為に帰一するのではないだろうか。敵味方に分かれて戦う球技にしても、馬術にしても、スポーツと原始的な戦闘行為は密接な関係がある。一見、他者との血生臭い戦闘行為を想起させないマラソンでさえも、戦争の勝利を伝えるために伝令として走りぬいた者のエピソードが起源になっている。マラソンも戦争と関わっている。戦いは人類の本能の一つであり、その本能は戦争に転化することもあれば、スポーツとして遊戯に転化することもある。ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」などを読むと、人類は闘争本能も遊戯本能も、根源的な性質として持っている動物であり、文明に開花する種々の文化的特質にそれがよく表れてくるようだ。

 さて、オリンピックというものは、各人種の遊戯的特質を国際的祭典として位置づけ、あらゆる国から、スポーツに傑出した人物が選ばれて、その技を競うことである。これに代表を送った各国が熱狂し、競技の結果に一喜一憂するのだ。さて、ここまではたいていの人がその通りだと自覚していると思う。しかし、オリンピックの本当の目的をじっと見つめた場合、きれいごとではない真の理由が浮かび上がってくるのだ。国際平和は、各国がナショナリズムに頑迷固陋に固執すると、けっして成立しない。特に排外主義的な狭隘なナショナリズムに陥ると、その国は必ず関係国と紛争やトラブルを起こす。その事例は説明するまでもない。だからと言って、左翼の言うようなナショナリズム排斥論は大間違いである。民族主義、国家主義はある程度、必要なのである。要は国際協調とのバランスの問題である。郷土や祖国を愛することはパトリオティズムと言ってナショナリズムとは異なるという論法をかます人がいるが、実はこの両者の境界は明瞭ではない。日本人同胞も、育ててくれた郷土も、祖国も愛するという文脈であるなら、それ自体は非常に尊い心持ちである。しかし、その熱狂が往々にして排外的な民族主義、国粋主義に傾斜した場合、きな臭い匂いを帯びてくる。

 さて、スポーツとは人類の闘争本能がホモ・ルーデンス、つまりは遊戯文化的人間が行う、体現的遊びとして社会に定着したものである。しかし、その起源的内実は血生臭い戦争にあるのであるから、国家同士のスポーツの祭典とは、はっきり言って代理戦争なのである。オリンピックとは所詮、どのようにきれいごとを謳っていても、それは国家間の代理戦争の意味合いが一番強い。だからこそ、我々は自国の選手がメダルを獲得することに熱狂することになる。もちろん、代理戦争とは言っても、それは象徴的な意味合いであり、実際に血が流れ、人死にが出るわけではない。しかし、各国選手が国旗を背負って必死の戦いに赴くのは、国家による代理戦争を行うからである。オリンピックは、本質的にはローマの円形闘技場(コロッセオ)で行われていたことと同じであり、観衆は奴隷や囚人達の血生臭い殺し合いに熱狂したことの、遊戯化された国際版なのだ。

 つまり、オリンピックの隠された目的は、各国同士の象徴的な代理戦争であるから、世界中に起きている敵意や憎悪の緩和、すなわちガス抜きの意味合いが強い。オリンピックは参加することに意義があるという言い方が、かなり古くからあるが、その真の意味は、きちんと代理戦争をすることによって、少しでもリアルな闘争を回避するようにということではないだろうか。競技では、どんなに惨めな敗北を喫しても、国が報復戦争へ発展することはない。次回に勝てば溜飲が下がるのだから。

 ここまで私が言ったことを総合すると、オリンピックとは、人類の闘争本能を、最大限に遊戯的に洗練した、国際的なオマツリなのである。従って各国は、オリンピックの競技に思いっきりナショナリズムを発揮して応援するべきであり、選手もコーチも、代理戦争のナショナリズムに徹するべきである。それが国際親善スポーツの意味する本来の姿である。

 従って、シンクロナイズド・スイミングの井村コーチが、北京オリンピックで中国チームのヘッドコーチをやったのは間違いである。国際試合でコーチを引き受けず、通常時においては、ある国の専属コーチを引き受けることは、スポーツ貢献において意義深いことである。しかし、国際的な戦いの場では、他国のヘッドコーチを引き受けるべきではないと私は思う。もしも、井村コーチが、中国シンクロのレベルを上げることで、アジア勢の実力の底上げを行い、欧米人に対抗しようとする目論見があったとしても、オリンピック競技では他国の専属コーチになるべきではない。なぜなら、オリンピックは世界の多種民族の祭典ではあるが、その実態は多種民族間の代理戦争なのであるから。

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2008年8月21日 (木)

自公政権は、もはやその存続理由を持たない

(※いかりや爆さんの投稿です)

自公政権の売国的行為は、最早政権存続の理由を失っている
 
 小泉政権は2003年1月~翌年3月まで、合計35兆円以上も、狂ったように為替市場に介入(円売りドル買い)している。

 当時の竹中氏らの主張は、小さな政府、民にできることは民にまかせる。「市場のことは市場にまかせる」というのが彼らの基本原則だったはず。
公的機関が市場に介入すべきでないと言いながら、市場に介入した。

 彼らの主張は原理原則も何もあったもんじゃない、支離滅裂である。

 当時、為替相場が格別に「円売りドル買い」しなければならない相場状況ではなかった。一体何のために、前代未聞の大量の「円売りドル買い」介入したのか、全く意味不明、説明もなかった。

 その後の外貨準備高の動きと外貨証券の急増からみて、買ったドルの大部分は米国債に化けたものと思われる。

 2003年3月19日、ブッシュ大統領はイラク戦争を始めた。戦争を始めるにあたり、戦争継続のための資金調達も考えずに、イラク戦争を始めるわけがない。
 
 大量の『理由無き為替市場介入』、日本の「円売りドル買い」は、ブッシュのイラク戦争と裏で繋がっていると言わねばなるぬ。
大量のワーキングプアーを発生させながら、一方でブッシュのイラク戦争を支援するために、日本が資金調達してやったと考えるほかない。

国民に対する裏切り行為である。

 ブッシュのイラク戦争は、イラク攻撃の大義名分とした「大量破壊兵器」があったわけでもない、テロリスト・アルカイダとの関連もなかった。イラクへの先制攻撃はブッシュの犯罪行為である。それを陰で支援したのが、小泉の自公政権である。

 自公政権はブッシュの犯罪行為に深く関わっている。

 小泉首相の靖国参拝の詭弁

 彼は靖国参拝について,過去次のように述べている。

””日本は過去の戦争を踏まえ反省しつつ、二度と戦争を起こしてはならない。そして今日の日本の平和と繁栄というのは、現在生きている人だけで成り立っているのではない。戦争で尊い命を犠牲にされた、そういう方々の上に今の日本というのは今日があると。戦争に行って、祖国の為、また家族の為、命を投げ出さなければならなかった犠牲者に対して、心からなる敬意と感謝の念を持って靖国神社に参拝しております。
・・・多くの戦没者の方々に哀悼の念を表す。二度とこのような苦しい戦争をさせてはいけない、そういう気持ちで参拝しているんです。””

 彼は間違っている。
 過去の反省に立ち、二度と戦争をさせてはいけないとの立場に立つのであれば、過去の大戦の最大の教訓を生かさねばならない。

 その教訓は、 『日本は、いかなる理由があろうとも軍隊を海外に派遣すべきではない』としなければならない。それが靖国の英霊にたいする「誠の哀悼」というものだ、それが総理としての反省であるべきだ。

 小泉は「金」ばかりでなく、自衛隊までイラクへ派遣した。身も心もアメリカべったり、いったい彼の頭の中はどうなっているのだろうか。

 自公政権はブッシュの犯罪行為に深く関わった。戦後の日本外交の主軸は「平和外交」だったはず。
 いくら何でも、理由の如何を問わず、最早汚れ過ぎた自公政権は存続する理由を失っている。

_____________________________________________

 (管理人の感想)

 実は、私も2006年10月の弊記事、「植草つぶしは『りそな問題』の隠蔽にある(4)」で、アメリカのイラク侵攻の資金調達と、植草さんが気が付いた、りそなに関わる推移で、巨大な国内資産がアメリカに移転したことは関係があるという見解を書いている。下記はその時に書いた一部分である。

 偽装されたりそな金融ショックが、米国のイラク武力侵攻の資金的契機となった可能性は大きいのである。りそな金融ショックとは、あとに控えている膨大な資金源である郵政資金に狙いを定めた米国が、その試験的回収の意味合いとして行った、日本に作られた利益確定システムの稼動実験であると私は考える。従って、この巨大な国家がらみ、米国がらみのインサイダー疑惑の背後には、米国の獰猛な世界戦略が横たわっていたのである。

 ブッシュの犬となり、尻尾を振っていた小泉元首相が、郵政民営化という巨大な国家資産の移転を合法的に実行する前に、2003年の時点でも、国内優良資産の株価を底値にし、米系金融資本に激安で買い叩かせていた。

 米国によるイラク侵攻作戦の時期は偶然ではないと思う。竹中平蔵・木村剛両氏が主導した金融庁がらみのりそなインサイダー疑惑が着々と進行していた当時、米系金融資本が日本から吸い上げた巨大な資産は、イラク戦争の資金調達に当てられた可能性は高い。つまり、植草さんが指摘するりそなインサイダー疑惑とは、ただ単に国内金融資産の外国移転に止まらず、イラクという一国の命運をも左右した重大な国際犯罪が背景になっていた可能性がある。小泉純一郎氏が、ブッシュ米国大統領のイラク作戦をいち早く賛同した影には、日本の自衛隊の違法な海外派兵と、罪もない何万人ものイラク人の命を奪うことに、小泉政権が加担したことを物語る。

 米国が日本の資産をあてにして、イラクに侵攻したとすれば、国民を騙して政府がらみの巨大な金融犯罪が行われた疑惑は解明しなければならない。自公政権が権力死守に躍起になり、あの手この手を使って延命を試みているのは、政権交代が実現してしまえば、国を省みない、自分たちの醜い私利私欲の権力欲が満たされないのと、彼らが行った国家的犯罪が暴露されてしまうことを恐れているのかもしれない。だからこそ、国民の目を欺いて行った彼らの謀略を的確に見抜いていた植草さんを、目の仇にしたのだと思う。彼らの誤算は、品川手鏡事件における結果だった。彼らは、あの事件で植草さんがすでに人間として二度と立ち上がれないだろうと踏んでいたが、植草さんは不死鳥のごとく甦り、勇猛果敢に小泉政権の糾弾を再開した。慌てた旧政権筋は、急ごしらえ的に2006年9月に京急事件を作って植草さんを嵌めたのだ。彼らの真の意図は抹殺だったと思う。しかし、ネットなどで品川手鏡事件の謀略論(国策捜査説)が広まっていたために、抹殺は逆効果になることを知り、彼の名誉を剥奪する戦法に切り替えたのだと思う。それが東京都の迷惑防止条例違反を使用して、彼の名誉と社会的な信用を落とすことであった。

 しかし、ご存知のように、植草さんに対する言論妨害の企ては失敗している。彼は現在、毎日のようにネットで自己の政治的見解を発信している。ブログランキングを見てもわかるとおり、多くの人間が植草さんの発言に強い関心を示している現状では、彼の口を封じる下手な工作はできないだろう。

 りそな疑惑は究明されねばならないが、同時に、りそな疑惑の背後にはアメリカのイラク侵攻作戦のための戦費調達の意図が強く働いていた可能性がある。また、いかりや爆さんによれば、小泉政権が、2003年1月から、翌年3月にかけて、合計35兆円以上も為替市場に介入している現実をみれば、財務省が主導した円売りドル買いの操作が、りそなインサイダー疑惑と連動していたと考える方が合理的であろう。そうなると、小泉政権、金融庁、財務省、銀行筋、米系国政金融資本筋が大掛かりに絡んだ巨大な金融犯罪が進行していた時期であったと考えていいだろう。政権交代したら、次期政権与党はこの疑惑を徹底的に調査するべきである。

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2008年8月20日 (水)

そろそろ真相が明らかにされてもいい

(※読者のkenkensyaさんの投稿です)

 3月(2003年の)ではなかったかと思う。雑誌か新聞か、テレビ東京のワールド・ビジネス・サテライトであったのか記憶が定かではないのだが植草一秀先生が「このまま小泉政権が資産デフレ政策を行って後、突然インフレ政策に転じたならば、現在、投売りを買い漁っている勢力だけが莫大な利益を手にすることになる」という発言をしておられた。

 おそらく5月の日経平均大底に向かって国際的インサイダー勢力が猛烈な底値買いをしていることをはっきりと知っておられたのだろう。

 事態は、その言の通りに推移した。植草先生は「小泉政権の大方向転換」「りそな銀行会計処理疑惑」を主として述べておられるが、私が不思議で仕方がないのは、時機を合わせて行われた財務省の40数兆円に及ぶドル買い・円売りの為替介入である。「偶然、時機が重なっただけだ」と言い訳されてしまえば確たる証拠がないだけにどうしようもないが、これは明らかに日本資産買占めのための資金を財務省が提供したとしか考えられないではないか。
 
 私は別に歴史に詳しい人間ではないが、有史以来、自国の資産を外国勢力に買占めさせるために国家の歳入に匹敵する金額を差し出した間抜け且つ愚劣な政権というものがあったとは聞いたことがない。万死に値する行為であろう。そしてこれをチンドン屋よろしく礼賛したジャーナリズムも同罪だと思う。

 それ以来、日本のフンドシでうまうまと「物言う大株主」となった外資は配当性向を高めるよう強く要求し、毎年々々莫大な金額を受け取るようになった。そしてこのことが労働分配率の低下を齎し、膨大な数の非正規雇用やワーキング・プアを生んでいるのである。

 歴史の針を元に戻すことは出来ない相談だが、我々もそろそろ真相を明らかにして反撃すべきときが来ているのではないだろうか。

 ところが、ここに一つ大きな問題がある。買弁勢力の洗脳工作は、なかなか手がこんでいる。「CHANGE」をはじめとして、笑いあり、お涙頂戴あり、スケールの大きな虚構あり、僅かばかりの真実混入ありと芸が細かいのである。

 これに対する「反ネオ・リベ」「反買弁勢力」は誠実・真面目の一本槍、これでは飛車角金銀落ちで戦っているようなもので勝ち目が少ないのだ。作戦変更を考えるべきだが、それについては時が来れば投稿したいと思います。

________________________________________
(管理人の感想)

 2003年の上半期に何が起きていたかというのは、すぐには思い出せないが、上記の情報では植草さんはWBS等で、小泉政権が外国資本への利益供与政策を行っていることを見抜き、警鐘を発しておられた。しかし、メディアはほとんどこの話を世間に流布しなかった。

 この時期、何が日本の報道を占めていたのかと言えば、3月は、北朝鮮が地対艦ミサイルを日本海に向けて発射し、国内世論を騒然とさせたことや、中国における新型肺炎SARSの話題でもちきりであった。特にSARSの話題は連日、ワイドショーやニュースのメインで流されていたように思う。もう一つ多く流れていた報道はアメリカ、イギリスによるイラク侵攻が始まったことだ。

 これらの圧倒的なニュース報道によって、植草さんの真摯な警告が掻き消された感がある。今から思えば、国民の生活にとって、最も重大な影響を及ぼす情報は植草さんからの情報だった。なぜなら、米系外国資本の犬に成り下がった当時の買弁政権は、当初の予定通り、この時期に国内の優良資産を外資勢力に底値買いをさせていたようだ。この時期、小泉政権が最も精力的に行っていたことは、「聖域なき構造改革」と銘打って、国際金融資本に日本国の資産を移転する目的(弱肉強食の市場形態に転換するため)の規制緩和が行われていた。しかし、これと併行して小泉政権は、外国資本や国内買弁勢力とつるんで巨大な金融インサイダー取引を仕掛けていた。この動きを的確に見抜いていたのが、有識者では植草さん一人であった。

 要は、この時期は、アメリカの言いなりになり、国民を貧乏にし、不幸にする政策が水面下では着実に実行されていた。この音頭を取ったのが、竹中平蔵氏、木村剛氏が率いる“金融プロジェクト・チーム”だった。売国勢力たちの暗躍に国民がまったく気が付かなかった状況とは、ひとえに日本のマスメディアが国益と反する動きしかしないからだ。イラク戦争開始やSARSも大きなニュースではあるが、もっと切実なできごとは、異常な株式暴落の裏に進んでいた金融謀略であったのだ。これに気が付くのは植草一秀さんのような、特別優れた洞察力と英知を持った有識者だけである、しかも、わが身の振りを省みずに国民のために真相を究明し、その危険を訴える有識者だけである。ところが良心的有識者の中でも、最も救国的な警鐘を発した植草さんを、買弁勢力はマスコミを使って叩き落したのだ。国民はそろそろりそなの真相を知るべきであるが、同時にそれを見抜き警告をしていたただ一人の勇気ある植草さんの真実の姿を知るべきなのだ。

 kenkensyaさんの情報で驚いたことは、この時期に財務省による巨大な「ドル買い、円売り」の為替介入があったという事実である。

  時機を合わせて行われた財務省の40数兆円に及ぶ「ドル買い・円売り」の為替介入である。「偶然、時機が重なっただけだ」と言い訳されてしまえば確たる証拠がないだけにどうしようもないが、これは明らかに日本資産買占めのための資金を財務省が提供したとしか考えられないではないか。

 すると、植草さんの言うとおり、日本の「売国経済」とは、財務省主導で行われているということではないか。つまり、国民経済を最悪の状態にして、日本の屋台骨をぼろぼろにした小泉構造改革とは、財務省が中心になって行われたということだ。りそなに絡む金融犯罪は、金融庁筋が旗を振ったわけだが、その深い闇の部分では財務省筋が青写真を描いていたということだ。国民を不幸にする悪の巣窟本殿は財務省なのか。すると、八月の福田組閣内閣が、植草さんが指摘するように財務省万歳の形を取っていることは、国民にとって非常に恐ろしい布陣が敷かれたということだ。

 歴史には、国が危うくなると救国の士が必ず登場する。しかし、この人物はきわめて少ない。国民が真の救国者に気が付かず、その人物をないがしろにすれば、国民全体が不幸になる。今の日本は、そういう状態になっている。国の危険を見抜き、警醒の声を上げた植草一秀さんがひどい目に遭って、国民はそのことを気が付かず、レミングの集団自殺のような動きになっている。自公政権とはハーメルンの笛吹き男なのだ。この笛に惹かれて付いていったら、国民も日本という国も奈落の底に落下する。政権交代の必要性とは、ただ、それが望ましいからというレベルにはない。政権交代が無ければ自公政権は日本を食いつぶし、再び立ち上がる余力さえも剥ぎ取ってしまう。今が日本の危急存亡時なのである。

 2003年初頭に、メディアが植草さんのことを取り上げ、その警告を国民に浸透させていたなら、外国資本の犬に成り下がって日本を破壊する者たちの暴虐は生じなかった。当時、小泉政権の間違いと胡散臭さを糾弾していれば、事態は変わっていたはずである。日本はマスコミによって世論形成がコントロールされているが、問題はそのマスコミが売国政権の走狗になっていることだ。

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2008年8月15日 (金)

国民の生存権を脅かす自公政権に終焉をもたらそう

 日本の情報様態の変遷について、最近雑談日記のSOBAさんも次のように言っていた。日本の大手メディアは嘘ばかり書いていて、まったく信用ならない。その代わり、個人が発信するブログが真実の情報を発信しているから、社会で真に起きているできごとはネットでしか見ることができなくなった。真実のニュースと、それに関するまともな見識を発している筆頭ブログが「植草一秀の『知られざる真実』」であると。

 まったくその通りである。もちろん植草さん以外にも、コアーな情報を発信しているブログはたくさんあるが、植草さんのブログはひと際異彩を放っている。現在、彼のブログ発信は政権筋にとって最大の難問だろう。その理由は、今まで政権筋が大手メディアを使って簡単に洗脳し、簡単に世論誘導ができていた大勢のB層国民に比べ、植草さんはメディア・リテラシーを持つ層のシンボル的な有識者になりつつあるからだ。かつて、植草さんは小泉政権の偽装を見抜き、果敢にその政策の間違いや金融政策の巨大な疑惑を追及した。その結果、彼は清和会を中心とした、小泉・竹中路線を展開する連中に睨まれ、最大の『政敵』として、その信用失墜を目的とした謀略的事件に二度も巻き込まれている。彼らにとって、植草さんは一介の経済評論家という位置づけではなく、まさに、彼らのベーシックな政策に決定的な影響を与えうる最大級の“政敵”として扱われたのだ。しかし、政権の走狗であるメディアは、この事実をまったく取り上げなかった。従って、国民は植草さんが政権の方向性の間違いを正確に指摘していた事実をまったく知らずにいた。小泉政権筋は、真相を語る有識者を片っ端から駆逐した。この当時、一般の国民は小泉氏の唱える華々しい“構造改革”に幻惑され、植草さんの必死の警鐘が耳に入らなかった。

 2001年、あるいは2002年当時、小泉政権の方向性が、イギリス型、アメリカ型の格差社会を志向する性格を持つと指摘していたのは、植草さんだけではない。有名な人では森永卓郎氏、森田実氏、紺谷典子氏、内橋克人氏、金子勝氏などがいた。その中でも、小泉政権が外資(米系金融資本)に利益供与を行う形を鮮明にしていると危惧の念を表面していたのは、植草さん以外には、森田実氏や森永卓郎氏がいた。ご存知のように、森田実氏はテレビの表舞台から完全に引き離されてしまったし、紺谷典子氏も画面から消えてしまった。では森永卓郎氏はどうか。不思議なことに、彼はテレビには相変わらずよく出演している。当時の小泉政権批判では森永氏もかなりハードに批判しているのだが、なぜか彼は目立った迫害を受けていないようだ。痴漢の汚名を着せられ、132日間も獄舎に監禁された植草さんと、森永卓郎氏の差異とは何であろうか。

 森永氏は2002年の終盤に「シンプル人生の経済設計」という新書本を出しているが、この中では舌鋒鋭く小泉政権の批判に終始している。特に小泉政権が目指しているものが「超階級社会」であるという捉え方は卓見であり、今、社会はその通りの様相を呈している。しかも彼は、正統派と称する経済学者が本当のことを言わないのは、彼らが目論む日本改造計画が頓挫してしまうからだとまで書いている。彼が言ったように、この当時は御用学者とマスコミが一体となって、二極分化社会への階梯を築いていたのだ。市場メカニズムを極端に強化することで実現する「超格差社会」を目指すとか、新自由主義敷設の政権だとか言う人間は、この当時もそれなりにいたと思う。しかし、官憲が動き、政治を背景とする謀略的な陥穽(国策捜査)に嵌められるほど深い糾弾、告発とは、いったい何であっただろうか。おそらく植草さんの糾弾は他の人よりも数段階レベルが深かったのだと思う。その一つはりそなインサイダー取引疑惑であり、あと一つは財務省主導の官僚利権構造の指摘であっただろう。

 もう一つは、彼が嵌められる要因として、政府筋の誰かから個人的な恨みを買ったということもあるかもしれないが、植草さんの真っ直ぐな性分から考えれば、人間的なドロドロを引きずったことは考えにくく、やはり政治的な背景があって嵌められたと考えた方が当を得ているだろう。しかし、金融行政の謀略性を指摘されて、大慌てになっていた人物が何人かいたと考えても不思議はない。2002年の組閣以降の小泉政権では、金融行政を実質的に運営していたのが竹中平蔵氏と木村剛氏の二人であったが、植草さんが糾弾したりそな金融疑惑言動に対しては、彼らや、彼らの取り巻き連中が心胆を寒くしていたことは事実だろう。だからと言って、私は竹中氏や木村氏が植草さんを嵌めた直接の首謀者だとは断定していない。ただ、この筋に関わるところが動いた可能性は高いと思っている。

 りそな銀行について、ある策略が描かれ、実行された可能性がある。りそな銀行を作為的に自己資本不足にし、実質国有化に誘導、竹中金融相、奥山章雄公認会計協会会長、木村剛氏などが連携して、これらの策動が引き起こされた可能性は追求する必要がある。りそな疑惑には、この三名のほか、米系外資筋や財務省、その他、深い人脈の闇が存在するのだろう。小泉政権の闇とは、「年次改革要望書」に沿って、国民をないがしろにした構造改革を断行したことだけではなく、金融行政を私物化し、大銀行も破綻するんだぞと、徹底的な自己責任原則を市場に押し付け、市場は怯んでパニック寸前になった。これが株価の暴落を引き起こし、底値近い状況になった時、外資がこれを買いたたいた。金融恐慌が目前かと思われた時、りそなという大銀行は預金保険法の抜け穴条項により、市場の期待を裏切って救済され、株価は再浮上した。これらの一連の動きには、金融庁筋の計画的な策動があった可能性があると植草さんは指摘した。金融行政を私物化し、株価操作を恣意的に行った計略があったことは追及される必要があると彼は言った。これを指摘した有識者は植草さんただ一人である。政権絡みの犯罪があった可能性を植草さんは指摘したのだ。森永卓郎氏が狙われずに、植草さんが狙われた背景には、追求する闇の深さの違いがあったと思われる。

 森永卓郎氏が狙われなかった別の理由のひとつに、小泉政権が敷いた超格差社会への彼の対処法が、現状肯定的であったことが上げられる。森永氏の小泉政権批判は妥当なものであったが、それへの対処法の案は、植草さんとはまったく異なったものだった。森永氏の対処法とは、小泉的なものと直接戦うことでもなく、政権交代への提言でもなかった。何と、森永氏は超格差社会を、そういう時流だと観念し、国民は個々に個人主義をまっとうせよと言っている。あそこまで、小泉施政を超格差社会への造り替えであると適切な指摘をしたのはいいのだが、その解決策は大勢において受容なのである。各自は個人主義や趣味へ徹して、超格差社会の勝ち組みになるより、貧乏でも、低所得でも、充実したライフスタイルを志向したほうが幸せであると言っている。これも国民生活の在り方を認容するひとつの態度なのかもしれないが、小泉政権が造り替えたネオリベ社会を受容するという前提に立った解決策を提示している。これでは小泉氏を担ぎ上げている売国連中には痛くも痒くもない。また、彼は吉野家牛丼の愛好者でもあり、店舗でBSE感染肉に遭遇する確率は低いと言っている。牛丼の嗜好はいいのだが、アメリカ産牛肉輸入の胡散臭さを考えた場合、吉野家バンザイは有識者として不見識過ぎる。

 森永氏が非常に的確に小泉政権の本質を暴いていたことを見ると、彼がそれに対処する方法論があまりにも、想定とかけ離れていたことは、もしかしたら、彼流の自己防衛策だったのかもしれない。本質を暴くことで、国民が正しい対処法を判断するという目算があり、彼は故意に自己防衛のために腹にもないことを語って、小泉政権を刺激することを回避した可能性もある。これに比して、植草さんはいっさい妥協的方策を講じずに、悪いものは悪いとストレートに糾弾していくスタイルを貫き、その姿勢は今も強固に保ち続けている。福田政権が唐突に今回の組閣を行い、表面的には小泉純一郎色を一掃した影には、植草さんのブログが強い影響を与えている可能性がある。植草さんが偽装CHANGE勢力の動きを警告したために、これが国民世論に影響を及ぼすことを恐れた清和会は、昨年の参院選敗北が、小泉政権への批判選挙であったことと関連付け、表面的には小泉色を払拭して国民を欺くことを決定した。

 しかし、財務大臣に伊吹文明氏、経済財政担当大臣に与謝野馨氏、国土交通大臣に谷垣禎一氏、官房長官に町村信孝氏が残留したことなどを見る限り、植草さんの言われるように、財務省主導の体制は変わっていないものと思える。福田総理は、八月の改造人事の際には、なぜ改造するのか、どういう展望で組閣するのか、いっさい言わなかった。これ自体が国民の側を見ずに、選挙対策だけを考えて付け焼刃的に行ったことがわかる。太田公明党代表だけが、テレビのインタビューで、今度の組閣は「弱者に暖かい政治をするためだ」と語っていたが、これは植草さんがブログで語っていることを強引に復唱しているだけだと感じた。つまり、この組閣が行われた背景には、植草さんのブログがかなり大きな影響力を与えているように思う。自公政権は、国民が今の政権は弱者を犠牲にして弱肉強食を強めていると判断し、このままでは国民の自民党離れが加速し、選挙には勝てないと痛感した。福田改造内閣が小泉色を離れた格好を取ったのは、選挙対策だけを視点に置いた偽装だと考えて間違いない。植草さんが指摘する通り、選挙で政権維持ができた時は、中川秀直氏を中心とする偽装CHANGE勢力と合流して、小泉構造改革路線が復活することは間違いないことだ。

 また日本経済復活の会・小野盛司会長は、経済財政担当大臣に、増税派の与謝野馨氏が就任したことは、日本経済を最悪の方向に導く可能性が高いと指摘している。とにかく、小泉政権以降、彼ら構造改革派が目指すデザインは、国民に回るべき労働報酬が一部の企業や外資、特権階級にだけに配分される超格差社会である。これは国民の大多数を貧乏にし、弱者を無残に切り捨てる形態が定着されてしまうということでもある。植草さんは「感無景気からの景気後退」で下記のように言っている。 
_______________________________________ 
   日本では政治屋(政)、特権官僚(官)、大資本(業)が癒着して、一般国民(労働者)を不幸にする制度が急激に強化された。政官業のトライアングルに外国資本(外)、メディア(電)が加わり「悪徳のペンタゴン(5角形)」が形成され、国民の生存権が脅かされてきた。

「政官業外電の癒着構造」の上に位置する自公政権を一般国民が支持することは、自分で自分の首を絞める行為だ。政権交代を実現して一般国民の幸福を追求する政府を樹立しなければならないと思う。
_______________________________________

 まったくその通りだと思う。国民がこれ以上、自公政権を支持することは自殺行為に等しいことである。とにかく自公政権を打倒して新しい国民のための政権を樹立しなければならない。自公政権は憲法第21条に規定される言論表現、出版の自由ばかりか、第25条に規定される生存権さえも脅かす存在になっている。政権交代は必須である。希望としては、国民新党と、郵政民営化に反対した議員さんたち、それに民主党の憂国意識の高い議員さんたちが大同団結し、新党を結成する動きが起こればいいと思っている。

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2008年8月14日 (木)

GDPマイナス2.4%の意味するもの(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第108弾です)

 今年の4-6月期のGDPが発表となり、実質で前期比マイナス0.6%、年率平均でマイナス2.4%となった。1994年に日本経済はデフレに陥り、それが続いているということは、大不況が続いているということだが、ここにきて、更に景気が悪化し始めたということで、恐ろしいことになってきたと感じている。海外への所得流出は年率換算で28兆円にもなる。これだけ海外へ税金を取られているようなもので、増税と同じ効果を生じるから景気を冷やす。しかも米国経済の減速で、これまでの景気回復の唯一のたよりだった外需も減ってくる。

 日本経済にとって現在好材料は何も見あたらない。内閣府は今年度の名目成長率は0.3%だと言っているが、内閣府の経済見通しでは来年度(2009年度)は何と1.7%なのだそうだ。一体何がそんなに景気を押し上げるというのか。相変わらずオオカミ少年を続けていて、このような欺瞞的な発表に国民は文句を言わない。

 そんな中、僅かに希望が持てるのが、政府も自民党も公明党も景気対策を検討し始めたことだ。麻生氏は11年度の基礎的財政収支を先送りしてでも景気対策をやれと主張する。私は心からこの動きを歓迎したい。是非、過去の過ちを繰り返さないで頂きたい。過去の11回の景気対策の規模は、しっかりした経済モデルに裏付けられたものではなかった。今度こそ、何兆円の経済対策が名目成長率を何%押し上げるという計算をしっかりやっていただき、0.3%の名目成長率を諸外国並の成長率まで引き上げるにはどれだけの規模の景気対策をどの位の期間続けるべきなのかをしっかり計算して頂きたいものである。日経新聞社の経済モデルNEEDSを使った計算は次のようになる。

Photo

 これで分かるように、日本経済を諸外国のように名目GDPを数%程度に押し上げるには、数兆円ではなく、数十兆円規模の景気対策を何年か続けなければならないことが分かる。そうしないとデフレからの脱却は不可能だ。これだけの規模と聞いただけで政治家は目を回しそうだ。しかし、冷静に計量経済学を駆使しその数字の妥当性を検討すべきである。

 この景気対策費を洋上風力発電とか太陽光発電とかに使えば、年間28兆円もの海外への流出している所得を取り返すことができる。医療、福祉、教育等使いたいところは山ほどある。お金を刷って使えばよい。それにより、多くの失業者は救われる。消費も拡大し、物が売れるようになると企業も潤うようになる。だんだん人手不足になってくると、企業は非正規労働者を正規労働者に昇格させて、労働資源を確保する。給料も上げて、より優秀な人材を確保しようとする。それでも足りないときは、新しい機械を入れて効率をアップする。そうしたことにより、日本経済は新たな飛躍が始まり国民の生活は、はっきりと豊かになっていると感じられるようになる。すべては政治家の決断次第だ。

 小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2008年8月11日 (月)

小野盛司氏の日本経済蘇生論シリーズ・インデックス

 本ブログでは、「日本経済復活の会」会長の小野盛司氏から、「日本経済蘇生論シリーズ」を精力的に発信していただいていますが、それらの記事をインデックスにしました。小野氏の言説は計量経済学の根拠に裏打ちされていますが、わかりやすく書かれていますので、お気軽にご覧ください。

  小野盛司氏による「日本経済蘇生の提言」索引

1、 政府による経済予測計算の偽装
2、 財政は破綻するのか
3、 デフレ下で行う増税や歳出削減が、いかに馬鹿げているか
4、 日本を貧乏にする政策にNOと言おう
5、 お金がなければ刷りなさい
6、 景気対策をすればどうなるのか
7、 アメリカは16兆円を刷って減税という景気対策を実施
8、 内閣府の試算による積極財政で財政が健全化することが明らかに
9、 株価急落に対する政府の無策を追求しよう
10、 ガソリンの暫定税率の存廃を争っているときか
11、 景気対策をやったほうがよいのではないかと内閣府に電話して聞いてみました
12、 バブル潰しは、あれでよかったのか
13、 ダボス会議で、IMF専務理事が景気対策を呼びかける
14、 円の信用とは何か
15、 道路はもういらないのか
16、 国の財政と家計とは比較できない
17、 経済成長に必要な成長通貨
18、 イタリアに学ぶ真の財政健全化策
19、 日本における言論統制の実情
20、人口減少でGDPが伸びなくなるという嘘
21、可処分所得と消費
22、昭和恐慌に学ぶデフレ脱却法
23、デフレが人を不安にした
24、年金問題の正しい考え方
25、実質成長率さえよければ、名目成長率が低くても良いという嘘
26、国の借金を返した5つの例
27、政府貨幣発行について
28、過去の景気対策がなぜ効かなかったか
29、ここまで来た 日本の地盤沈下
30、なぜ財政赤字なのにインフレにならないか、国債は暴落しないのか
31、(続)政府による経済予測計算の偽装
32、アメリカが圧力をかけて日本に景気対策をさせないようにしているのか?
33、国の借金が大変なら日銀が買い取れば良いと世界を代表するエコノミストが提言
34、日銀は、なぜ国の借金を買い取らないのか
35、杉並区は75年後は無税?無税国家とは?
36、貿易赤字になると輸入ができなくなるのか
37、環境問題に対する正しい考え方
38、構造改革、不良債権処理が終わって、景気は回復したか
39、政府よ、企業に賃上げの圧力を掛けるのをやめよ
40、財政と金融の分離、日銀の独立性について
41、積極財政の経済シミュレーションと、その驚くべき結果
42、宍戸駿太郞vs大田弘子大臣 公開討論会で時代が動く
43、ドル急落、円95円台、株急落、政府は日本経済を見殺しにする気か
44、日銀総裁人事の議論で欠けるもの
45、景気が「踊り場」入り?? デフレとは大不況を意味するのに!
46、外国人の日本株離れ鮮明
47、日本経済の4重苦:円高、株安、原材料高、米国不況
48、景気悪化を放置する政府
49、出版記念パーティーの開催
50、積極財政に関する質問に対する福田首相の答弁書
51、どうやれば「お金を刷る」ことができるのか
52、国民はいつまで騙され続けているのか-内閣府が乗数表を公表
53、内閣府の経済モデルは過去の日本経済を説明できるのか
54、デフレ下で消費税増税をさせてはいけない
55、労働はロボットに、人間は貴族に
56、内閣府の試算と日本経済復活の条件
57、宍戸vs大田大臣の公開討論会はどうなったのか
58、IMF委 共同声明 景気刺激へ財政政策を
59、生産性向上が国を豊かにする。国がお金を使わないと生産性は向上しない
60、未来の医療はどうあるべきか
61、マスコミは誤った世論誘導をやめよ
62、経済を良く理解している国会議員に期待しよう
63、無益な経済論争をいつまで続けるのか
64、国益を考えてみよう
65、山口補選で国民の審判は下った。政府は国民の声を真摯に受け止めよ
66、ガソリン暫定税率と高齢者医療で明らかになった民意
67、一流でなくなった経済を一流に戻すには何をすべきか
68、報道2001での与謝野馨氏の発言について
69、消費を伸ばすには1500兆円の個人金融資産を「活用」すればよいのか
70、暮らしに対する不安感が高まっている―内閣府調査
71、経済成長vs財政再建の議論について
72、財政が破綻したらどうなるのか?
73、減税をしても、長期的には税収は増える
74、後期高齢者医療制度が自民党に致命傷
75、デフレは悪化している ・・・ 内閣府発表
76、政府が国民を騙そうとしている証拠
77、政府の経済モデルのトリック
78、政府貨幣発行に対する国会議員の考え方
79、お金を刷る政策のシミュレーション
80、我々の未来には、どのような社会が待っているのか
81、日本がIMFの管理下に??
82、『日本がIMFの管理下に』という発言には驚くばかり
83、昭和61年度に発行された政府貨幣
84、バーナンキFRB議長も、日本にお金を刷れと提言
85、たばこ増税案と消費税増税案
86、小さな政府か大きな政府か
87、少子高齢化で「働き手」は減るのか。 -総理の増税提案に断固反対する
88、阿部知子衆議院議員との会話
89、「角を矯めて牛を殺す」のが、今の政治
90、お金が海外に流れ出ている
91、金の力と国際競争力
92、ガソリンや食料品等の値上がりに対する正しい国家戦略
93、2011年までに基礎的財政収支を黒字化するという目標について
94、公的年金の運用で損失が昨年度5兆8000億円
95、シンガポールにまで抜かれた日本
96、サミットに成果はあったのか
97、中川昭一元政調会長が財政出動の政策提言
98、お金を刷りまくる米国
99、またか、GDP成長率の下方修正
100、お金を刷るのがなぜいけないのか

  ●101以降はこちらです


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2008年8月 9日 (土)

大田弘子vs宍戸駿太郞公開討論会だったはずの討論会に出席して(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第107弾です)

 昨日(8月8日)、大田弘子vs宍戸駿太郞公開討論会が開かれるはずだったが、実際は大田弘子が出席を拒否し、内閣府vs宍戸駿太郞の公開討論会になってしまった。それでも、筆者はこの討論会に出席し、発言をさせていただいたので、ここにご報告をさせていただくことにした。読者の方々でこの討論会に出席された方の多いのかもしれないが念のため会の概要を書かせていただく。

 会は「第35回 ESRI-経済フォーラム」という形で13:00に始まった。最初内閣府経済社会総合研究所次長の中藤泉氏の挨拶、次に基調講演として内閣府計量分析室の齋藤潤氏による「経済政策とマクロ計量モデルの活用」というテーマで話しをされ終わったのが13:30だった。その後で自見庄三郎参議院議員が14:00まで、この公開討論会に至る経過報告を行った。そこで内閣府の経済モデルに対する問題点を話していただいたので、この討論会が内閣府ペースで進んでしまうのをそれなりに防ぐという意味があった。そして自見氏は出席を拒否した大田前大臣を激しく糾弾し、国会の場で参考人・証人として喚問し追求すると言っておられた。

 パネルディスカッションが13:20から始まる予定だったが、実際始まったのは14:00になっていた。14:00になってから、また内閣府の齋藤潤氏のお話が始まり正直うんざりした。その後宍戸駿太郞氏の質問があり、それに門田治電力中研研究員が若干コメントし、それに対して齋藤潤氏が答えた。

 宍戸氏の指摘は、世界的に見て余りにも低い日本の成長率だが、これでよいのか。景気対策が必要なときに、内閣府のモデルは景気対策をしても効かないことを示している。他のどのシンクタンクも景気対策は有効だという結果が出ているのに、内閣府のものだけ景気対策は無効だとしているのはおかしいのではないか、何か政治的な意図があるのではないかということだった。そして内閣府は過去のモデルを大きく変えたのはなぜか、モデルの責任者は誰かなどと質問した。

 答える側の内閣府の齋藤氏は、政治的な意図は無い。モデルとして特に景気対策が効かないようにしたわけではなく、他のモデルと比べても特に異常なわけではないとした。齋藤氏の説明が終わったときは、すでに予定の終了時間をオーバーしていた。そもそも予定の終了時間が早すぎた。この種の討論会で1時間半というのは短すぎる。

 元々の予定としては、会場からの質問を受ける予定だったが、時間が来たのでこれで終わると司会が言った。私はここで終わっては、討論会の意味が薄れてしまうと感じ、挙手し発言させよと要求した。司会は、それでは最後に宍戸氏にお話しをしてもらって、それで終わりにしましょうと言った。それからは宍戸氏と私の連係プレーだった。宍戸氏は「私の替わりに小野さんに話してもらいましょう」と言って下さったので、お言葉に甘える形で私が発言することとなった。

 私がそこで何を話したかを説明する前に、福田改造内閣発足以来、極めて大きな変化が現れていることを指摘したい。小泉内閣以来、一貫して政府は構造改革中心の政策運営だった。そこでは財政再建と称し、歳出削減と増税、社会保険料値上げ、年金カットという国民に厳しく対応し痛みに耐えよ、そうすれば日本は良くなると訴えていた。それは昭和恐慌を引き起こした井上準之助蔵相の政策そっくりだった。井上蔵相の緊縮財政も結局不況を招き、税収が減り、国民の不満が高まり、井上蔵相は暗殺され、結局高橋是清による積極財政で日本経済は再生されたのである。

 デフレの時には、お金がどんどん消えていくのだから、緊縮財政で経済が再生するわけがない。今回日本に不運だったのは、デフレ時に緊縮財政をやったにも拘わらず、30年間で最高と言われたほどの世界的な好景気の中で、大変な追い風が吹き、日本経済が少なくとも国内だけを見れば緊縮財政で景気が急激に悪化するのを免れたことである。世界の中の日本を考えれば、日本経済は急速に縮小していったのだが、国民はそれをそれほど大きな痛みと感じなかったために、強く景気対策を求めることはなかった。しかし、そのような外需依存による経済の下支えがいつまでも出来るわけが無く、世界経済悪化と共に、日本経済はデフレが更に悪化しようとしている。それが現在の日本である。

 小泉流では、景気対策はやらないのだから、やらなくてもよいという理論的な裏付けを必要とした。だから、景気対策をやっても効果が無いという無茶苦茶な経済モデルを内閣府に作らせた。しかし、今や景気対策をやらなければ日本経済はもたないことがはっきりした。そこで福田改造内閣では景気対策をやると言い出した。実は「どうせ内閣府のモデルはデタラメなのだから」と心の中で思っているからこそ、そのような変化が可能なのだ。そうなると、この内閣府の経済モデルでは困るのだ。役に立たない景気対策をなぜやるのかと追求されるはめになる。

そこで私は、次のように発言した。

 折角このような討論会を開いていただいたのですから、景気対策が良いのか悪いのかを議論すべきだと思います。景気悪化に伴い、政府は景気対策をやると言っております。それに対し、景気対策は将来世代につけを残すから良くないと政府を批判する人がいますが、それが正しくないということは、内閣府の経済モデルで示されています。宍戸氏の資料の23頁を見ていただきたい(私が説明をするということで、宍戸氏の資料の中にこの表を入れておいていただいていた)。

 そこには、積極財政をした場合(つまり景気対策をした場合)と緊縮財政だった場合(つまり景気対策をしなかった場合)の比較があります。景気対策をすれば、間違いなく名目GDPも実質GDPも増えます。日本の低すぎる成長率が伸びてくるのです。デフレーターは改善し、デフレ脱却を容易にし、失業率も減ってきます。国の借金ですが、借金そのものには意味が無くて、意味があるのは借金のGDP比なわけでこれが実質的な借金です。これは景気対策によってGDPが伸びるので減ってきます。つまり景気対策によって国の借金は実質的に減ってくるのです。

Photo_2 

 こう言うと、齋藤氏は借金のGDP比は2012年からは増えてくると言われると思いますが(ここで齋藤氏は強くうなずいた)、しかし、4年後ともなりますと、モデルの不確定性が大きくなります。このことは、他のモデルとの比較で齋藤氏からの詳しい説明がありました。つまりこのモデルは2012年以降の信頼に足る予測は不可能なわけです。つまりこのモデルで結論できることは、景気対策によって将来世代へのつけは減るということです。この後、内閣府はデフレをどうやれば脱却できるのかを経済モデルで説明すべきだという話をした。

 お分かりだろうか。私が作成したこの表は、小泉構造改革を進めるには頭痛の種だったのだ。景気対策をすれば借金が実質的に減るのであれば、なぜ景気対策をしないのかという議論が出てくる。反論するには内閣府のモデルが間違いだと言うしかないし、政府はそのような反論をするわけにはいかない。小泉内閣、内閣府はこの事実を必死で隠蔽しようとした。マクロモデル研究会に小野盛司を出席させるなと内閣府が命令したのも、隠蔽工作の一貫である。しかし、状況は一変した。今や景気対策を政府がやろうと言い始めた。それならこんな便利な表は無い。景気対策をやればやるほど国の借金は実質的に減るのであれば、誰に遠慮をする必要があるだろう。国・内閣府はこの表を堂々と掲げて国民に訴えればよい。次世代へのつけを減らすには思い切って景気対策をすればよいのだ。

 ばらまきと馬鹿な連中が言う。国全体にお金が不足しているときにばらまきをやらず、特定の人間だけに巨額のお金をプレゼントするような政策にあなたは賛成しますか。たまたま、あなたがそのお金を受け取って大金持ちになればいいけど、そんな人は政治家に特別なコネがある人だけだ。それより、国民全体にお金が回るような景気対策をやったほうがはるかに良い。もちろん、日本経済をこれから引っ張っていくような産業への投資は最優先でやって欲しい。

 景気対策とは、次世代につけを残すことではなく、お金を刷って国民に渡すことだ。お金が国民に流れれば、見違えるように活気にあふれた日本が出現する。

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長崎の鐘は今日も鳴っている!

(※いかりや爆さんの投稿です) 

 原爆投下の事前警告はなかった。

 今日は8月9日、長崎の「原爆の日」です。63年前の今日、広島に続き二発目の原爆が投下された。

 アメリカ人は、原爆投下が戦争終結を早めたと思い込んでいる人が多い。原爆が多くの米軍兵士の命を救ったと主張する。

 日本は終戦の数ヶ月前から、必死に終戦(降伏)を模索していた。それをアメリカが知らぬはずはなかった。

 日本の降伏を本気で早めたければ、先ず大量破壊兵器(原爆)投下の事前の警告を発するのが常識というものだろう。だがアメリカは事前警告は一切しなかった。

例えは悪いが、並みの強盗なら、『手をあげろ!金を出せ!さもなければぶっ放すぞ』と警告するではないか。アメリカの政治家にはその程度のモラルさえもなかった。

 原爆投下前に日本が降伏されては、困る事情があったからである。彼らは人体実験と破壊力のすざまじさを実測したかったのである。

 アメリカは2種類(ウラニウム型とプルトニウム)の原爆を用意していた。原爆投下前に日本が降伏されては、この実験が不可能になるのだ。

 二発目は中2日しか、間をおかなかった。間隔をあけて、その間に日本が降伏されたなら、第二の実験プルトニウム型原爆の「長崎投下」が不可能になるからだ。

 二発目はあろうことか、彼らの信仰する「神」を祀る教会、浦上天主堂の真上近くに投下された。地上における「阿鼻叫喚の世界」、「神」をも恐れぬ「愚劣な行為」、日本人だったなら、「事前警告」なしに、このような愚かなことをするだろうか。

 礼拝中の神父と信者全員が犠牲になった。浦上地区の信徒12,000人のうち、8,500人の人たちが被爆死した。

 倒壊した瓦礫のなかに、奇跡的に聖母マリアの像がみつかった。

 天主堂の「アンジェラの鐘」も瓦礫の中から、掘り出された。

 被爆したその「悲しみに満ちた聖母マリアの像」をご覧ください。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/5hibakuseibo.htm

 被爆した「アンジェラの鐘」は「長崎の鐘」と呼ばれるようになった。

 今日も「長崎の鐘」は、鳴っています。お聴きください。下記をクリックして、少し下方へずらすと 被爆した「長崎の鐘」の写真がご覧になれます。

そこで、
”♪サウンドをお聴きください(4回鳴ります)♪”をクリックすると、平和を希求する「長崎の鐘」の響きを聴くことができます。
http://www.carillon.co.jp/nagasaki.htm

蛇足:
 アメリカ下院議会は、昨年「従軍慰安婦」問題で日本政府の謝罪を求めた。

だが、アメリカ自身が犯した「ジェノサイド」に対しては「反省」も「謝罪」も求めることをしない。
無論、アメリカ歴代大統領は誰一人、この「ジェノサイド」に対して謝罪していない。

 今年の「ヒロシマ 原爆の日」式典には、過去最高の55カ国の代表者の参加があった。ロシア、中国の代表も参加したが、日米同盟?たるアメリカの代表者の姿はなかった。

 アメリカが最も恐れていることは、日本が反米国家になることと、「核保有国」になることかもしれない。アメリカが日本を半永久的にアメリカの属国にしておきたい理由がここにある。

 第二次大戦後、「東京裁判」で極東国際軍事裁判所憲章という事後法をでっちあげて日本のリーダーたちを「平和の罪」で裁き、7名を絞首刑にした。

 イラクには、「大量破壊兵器」もテロリストとされる「アルカイダ」との関連もなかった。にも拘らず、ブッシュ政権はイラクへ先制攻撃をした。ブッシュ政権は、アメリカが「東京裁判」で問うた「平和の罪を超える罪」を犯している。

 本来なら、日本こそが「東京裁判」で裁かれたその同じ論理「平和の罪」で、ブッシュ政権の「罪悪」を問う「権利」と「責任」を有する。だが悲しいかな、アメリカに娼婦のごとく「媚」を売る日本の政治家たち、哀れ・・・「思いやり予算」、「無料ガソリンスタンド」「郵政民営化」etc、もううんざりだ。少しは毅然たる態度はとれないものか。

蛇足の蛇足:旧聞ですが、日本の核武装論を唱えた西村慎吾議員は弁護士法違反で逮捕された・・・弁護士法違反が微罪とは言わないが、被害者がいて告訴されたわけでもない。背後で糸を引いた奴がいると思うのは考え過ぎだろうか。

 「神の意思」に背いた者は、いずれ「神の意思」による「天罰」が降る日が来るだろう。

お願い、本稿に賛成の方、広めてください。
一昨日夜8時、NHKスペシャル「封印を解かれた写真が語るNAGASAKI 米軍カメラマンの苦悩 原爆の真実」をみた。アメリカにも極めて少数派ながら、「人間の心」を持つ人がいることを知った。

 お願い、本稿に賛同の方、広めてください。
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2008年8月 8日 (金)

「平和と豊饒」を日本から世界に!

  お会いしたことはないが、ブログ上の我が盟友である喜八さんが、ブログとリアルにおける「今後の展望」を開陳した。その展望とは下記の言葉である。

・平和と豊穣の国日本を築く
・日本から全世界に向けて平和と豊穣を発信する

 左翼でも右翼でもない下翼(げよく)と自称する喜八さんがぶち上げた、この“思想的展望”は「神州の泉」管理人の私にもすんなりと受け入れられるものだ。私自身はブログや掲示板等で、些少ながらも、自らの考え方を書いてきたが、畢竟、私の言いたいことも喜八さんの展望と同じものである。

 平和と豊饒、もともと日本人は数千年前に、ユーラシア大陸や環太平洋の島々、あるいは大陸から、列島に流れ着いた民族で構成されている可能性が高い。また、私自身が日猶同祖論に関心があることもあるが、日本にはペルシャや、古代イスラエル王朝が存在していた辺りの民族も流入しているに違いない。アイヌや熊襲を除き、日本人は単一民族(大和民族)だと思われているが、実は遠い昔には、地球上のさまざまな領域から、流れてきた混交民族が今の日本人の原型を作ったのではないだろうか。その辺の学問的な知見はないのだが、私が言いたいことは、日本人というものは、日本列島という、限られた島状の領土の中で、縄文文化といわれた古い時代から、悠久の時をかけて、他の人間との共存共栄を成し遂げてきた膨大な時間を持っているということだ。

 他者との共存共栄を成し遂げる能力にかけては、世界中、どこを探しても日本人の右に出るものはいない。つまり、我々の先祖は非大陸的な狭い領土の中で、生き抜いて行く為には、否応なく他者との平和共存をはかって凌いで行く事しか選択肢がなかったのだ。我々のDNAには、他者との平和共存を成し遂げる最適な同調回路が備わっているのだ。その理由は、深く考えると多くの文明的、文化的な考察があると思うが、少なくとも、よくわかる一つのことがある。それは豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と言われるわが国は、水田や畑の多い国であるが、その始まりには、部落間や個人間で水利権の熾烈な争いがあり、これを解決するために先祖たちは刻苦精励したのだと思う。我田引水という言葉がある。これは自分に都合のいいように有利な説を唱えることを意味するが、本来は自分のたんぼだけに水を引いてくるという意味で、噴飯者の代名詞であった。

 想像なのだが、遠い昔、稲作や畑作が列島のあちこちで試みられた時、混交民族であった住人たちは、土地の権利や水の権利を確保するために、熾烈な争いを展開し、列島全体で血生臭い戦いに明け暮れていたのではないだろうか。国盗りや水争いである。つまり、先祖たちは肌の色の違いや風俗、血統、言葉の違いもあって、当時は喧嘩に明け暮れていた。その最初の喧嘩は、狩猟採取時代は、木の実や山菜、食料になる動物が多く生息する森や、魚のたくさん獲れる川や湖沼など、いわゆる豊饒の領域をめぐって争ったことだろう。領土争いである。しかし、部族同士で何とか棲み分けが完了した時点で、今度は水利権の争いが勃発したに違いない。導水路を造れば、自在に自分の部落に優先的に水が運べるからである。この水利権争いも、おそらくかなり熾烈なものであっただろう。しかし、先祖達はある時間をかけてこの問題を解決した。つまり、全体の部落に均等に水が行き渡るように、立派な灌漑システムを完成し、同時に水利権の平等性に関するさまざまな「おきて」も施行されたのだろう。

 ここにいわゆる日本社会の原型的祖形が誕生したのだと思う。部落共同体の発祥である。部落共同体の秩序を維持する求心力が、今も残存する鎮守の杜(もり)である。鎮守の杜を中心に部落民はさまざまな祭祀を行い、これがお祭りの原型となった。政治行為を政(まつりごと)というのは、鎮守の杜のお祭りに因むことなのだろう。昔の日本人は水争いや国盗りの血生臭い争いに辟易し、何とか穏やかに平和に共存する道はないのものかと模索した。その結果、棲み分けの思想や、争わず、物を独占しないで仲良く分配する共生調和の思想が発達した。これが日本文明のアーキタイプなのである。土地や水利権の争いが解決してからも、大きな共同体単位では、あい争う事態が続いていた。しかし、ある時、大陸から騎馬民族の形態を持った一団が九州に到達し、本州を平定しながら北上した。これが神武東征である。これによって日本には大和王朝が誕生した。

 ざっと非学問的に、荒っぽい日本列島史の素描を試みたが、私が言いたいことは、日本人は限られた領土や、限られた農耕地、限られた森林資源などの条件下で、奪い合うよりも平和共存の道を選んできたという話である。では京都が焼け爛れた応仁の乱や戦国時代の戦乱は何だったのかという話になりそうであるが、長い日本の歴史的時間の中では、語弊はあるが、わずかな乱れと言えるだろう。ひと言戦国時代に関して言えることは、戦国大名同士が戦って勝敗がついても、勝ったほうは敗戦国の領民を虐殺しなかったことである。これはヨーロッパや中国の戦いの慣例とは大分異なっている。日本人は基本的に敵を殺さない性質がある。こう言うと、あの大東亜戦争では南京虐殺など、多くの人々を殺したではないかと反論がありそうだが、そういうイメージは東京裁判史観で構築された間違った刷り込みである。世界的にみれば、日本人ほど他民族を殺さない民族はいないということである。戦後の左翼感性に染まっている人はこれにかなり反感を覚えるだろうが、本当のことだ。

 喜八さんの言葉に戻るが、平和と豊饒は分離した言葉ではなく、両者が一体不可分となって、初めて生きてくる言葉なのだ。その意味は「平和と豊饒」の対語である「戦争と窮乏」という言葉を見れば一目瞭然である。戦争はあらゆる生命的なものを破壊尽くし、実りをもたらさない。その意味で、豊饒とは戦争をしないという言葉に置き換えることができるだろう。日本人は戦後の日本を冷静になって振り返ってみれば、日本人のDNAに刻まれている本来の性質がどんなものかよくわかると思う。東京裁判で間違った日本人観が世界に発信されてしまっている。それは好戦的で残虐な日本人というイメージである。そのように思い込んで、自信を失っている日本人がたくさんいるが、胸に手を当ててよく考えて見て欲しい。

 日本人の性質が先天的に残虐で好戦的であったのなら、戦後63年間、一度も他国に侵略もしなかったし、また、他国の人を残虐に扱ったこともないという事実はどう説明できるのだろう。これに比べ、アメリカは朝鮮やベトナム、イラクやアフガニスタン、その他、実に多くの戦争や紛争を起こしている。中国もチベット問題などを見てもわかるように、実に残虐な他国侵略をしている。63年間という時間は大きいのだ。ある民族が真に好戦的なら、この年月の間に、必ずどこかで紛争を起こすだろうし、戦争をするだろう。例え憲法で“不戦”を謳っていても、すぐに何らかの理由をつけて改憲を行い、戦いを実現化していただろう。アメリカ人や中国人がそれをはっきりと証明しているのに、日本人はそういう事実は過去63年皆無である。日本人悪玉論に汚染されている人はこの事実をとくと考えるべきだ。不戦を決めたら、徹底してそれを実行してしまうこの抑制力は、日本人独特のものである。

 しかし、今の日本は、本来の日本人の性質とは異なる売国的な魂を有した連中が政権を牛耳っている。彼らには先祖達が希求した、和を尊ぶ伝統的意識が微塵もなく、自分たちの利益になるなら、日本人の若者が宗主国アメリカの傭兵になって、血が流れることを厭わない。もちろん、経済的にも自分たちの利益になることなら、平然と国民を搾取し、国民の労働成果を外資や大企業にまわして恥じない。安部前首相が主導した改憲論の本質は対米従属の流れにある。米国の侵略主義を否定した上にこそ、日本本来の美しさの源があるのだ。米国に追従し、イラク戦争を真っ先に肯定した小泉純一郎元首相が、靖国神社で英霊を参拝する行為は、日本人として冒涜行為である。このような極悪な首相が主導した政権政策が国民を塗炭の苦しみに落とすことは当然であろう。

 戦後、一貫して日本が不戦を維持したことについて、頭の悪い人はこう言うだろう。それは九条という平和憲法があったからだと。その説明はまったく馬鹿げているのだ。武力行使を禁じる憲法があり、戦後の日本人はそれに従って侵略や戦争行為に準じることがまったくなかったというのは詭弁以外の何物でもない。唯一の合理的な説明は、憲法九条が敵性憲法、すなわち、GHQの刀狩りの思惑で造られたものであったとしても、その思想は、戦争をしたくないという日本人の精神的アーキタイプに合致したからにほかならない。つまり、ここが肝心なのであるが、大東亜戦争で死力を尽くして戦い抜いた日本人は、敗戦を境にして精神の巨大なエアポケットに陥った。

 日本人の敗戦ショックに乗じて、戦勝国は刀狩りを目的に憲法九条を敷設させた。戦争ですっかり消耗していた日本人は、戦いを放棄したこの憲法に、ある種の救いを求めたと同時に、先祖達が伝承的に自己陶冶し、培ってきた平和共存の精神に共鳴したのである。大東亜戦争で、心ならずも勇猛果敢な闘争心を極限まで発露させた反動として、振り子現象的に、戦後は非戦貫徹に傾斜したことは無理からぬことであった。日本人の武士道とは、正義と大義のためなら、己の命も捨てることをためらわないところがあった。大東亜戦争とは日本人が、欧米の侵略主義に対して武士道精神を発露させた戦争でもあった。決して好戦的だったからではない。我慢に我慢を重ねた末に爆発した自衛戦争であった。

 欧米白人種には500年に及ぶ侵略の歴史がある。極東の島国で静かに暮らしていた日本人は、幕末に彼らの圧倒的な武力侵略を目の当たりに見て、否応なく富国強兵、殖産興業政策を基軸にして、明治維新という国家変容を行った。薩長の好戦的な勢力が国替えを行って、結果的に日本は西欧の帝国主義に準じた。この時期の帝国主義化を現代の感覚で批判する者がいるが、もし、この時期に日本人がそれを否定した場合、欧米の植民地になる以外に、どんな選択肢があったのかという疑問を考えた方がいい。この時期の日本の軍国主義化を単純に全否定する者がいたら、それ以外にどのような選択肢があったのかきちんと提示する必要がある。これに現実的な回答を示した御仁にまだお目にかかっていない。大東亜戦争を単純に侵略戦争と規定すること自体が根本的に間違いなのだ。東亜百年の欧米侵略史を見た場合、日本が富国強兵策を取る以外に道はなかった。しかも、帝国主義へ無理やり衣替えさせられた後で、欧米はABCD包囲網という経済制裁を行い、日本は国家として存亡の危機に置かれたが、アメリカは徹底的に日本を敵視して、いっさいの打開案を拒絶した。国際的ないじめである。これはハル・ノートに出ている。東京裁判で出された歴史は、故意にこの背景を無視している。満州帝国建立も、朝鮮・台湾総督府の設置も、欧米の略奪式植民地主義とは異なり、東亜の秩序形成のためであった部分はよく考慮せねばならない。

 喜八さんの言う「平和を世界に発信させる日本」という概念を、にわかに信じることができない日本人が大勢いるが、その理由は戦勝国が故意に捏造した日本悪玉論なのである。欧米白人諸国がグローバルに世界侵略を行わない歴史にあったのなら、日本は極東でひっそりと平和に生きていただろう。戦後の日本は東西冷戦の影に隠れて平和を維持した。しかし、この平和と経済発展はアメリカの核の傘下で実現したものであり、けっして無垢な平和ではない。しかし、考えてもいいことは、日本人が先天的に好戦的な国民なら、アメリカとの同盟関係があっても、なくても、戦後から今まで、一度も戦渦に巻き込まれたことがなかったことはあり得ない話だと思う。少なくとも日本人は63年もの歳月、戦いを忌避して来た事実がある。この事実は評価できることである。しかし、再度強調するが、この事実はけっして、第九条という偽りの平和を謳った美名憲法条項によってではない。悠久の昔から、争いを拒むために、絶え間なく行ってきた日本人の自己陶冶の賜物なのである。戦後時間とは、日本人が平和を体現できる民族であることを充分に証明した時間でもある。

 ここで喜八さんの例の展望に戻る。日本人が平和と豊饒の基本パターンを持った民族である事実が、私のつたない説明で少しはわかったと思う。今、世界は環境問題が何よりも優先事項のように言われているが、日本人が自然環境を大事にすると言う時は、意味が異なってくる。それは日本人の平和希求の感性の底に、鎮守の杜の感覚があるからである。鎮守の森にお社(やしろ)があり、そこを中心として夏祭りやその他の祭礼を行った。この感覚が日本人の政(まつりごと)や社会秩序を形成した。縄文時代から日本人は森林がもたらす平和の感覚を独自に涵養し、生きとし生けるものが互いに喧嘩しないように、たゆまぬ自己陶冶を行ってきた。「鎮守の森」とは森林文明の象徴なのである。我々日本人の精神のアーキタイプには、日本の自然から学んだ共生感覚がある。いきなりこういうことを言うのもなんだが、日本には奴隷を組織的制度的に扱った歴史はないし、中国のように、女性に纏足のようなむごいことをしたこともない。これは日本人が人類の原罪である「支配、被支配」の感覚が薄い民族だからである。原初的に培ったこの感性こそが、日本人の相互扶助や協調性という平和を維持する秩序感覚を磨いてきたのである。だからこそ、人類の未来には、日本人が縄文の照葉樹林文明で培った平和協調の感覚と、物を粗末にしない江戸時代のエコ感覚が役に立つのである。

ここにおいて、喜八さんがいみじくも提示した、

・平和と豊穣の国日本を築く
・日本から全世界に向けて平和と豊穣を発信する

 という日本の展望は、俄然現実味を帯びてくるのである。この発想を欧米人や中国人が言った場合、すこぶるいかがわしい響きを持つのだが、日本人がそれを言うのはまったく自然なことなのである。日本という国は、神が世界の最後を阻止し、世界を再生させるために、最後の切り札として極東に取っておいた特別な国なのである。

  最後に、私がこのような日本論を展開すると、それは日本優位主義、日本優生論に繋がる極右思想なのではないのかと言う人が必ず出てくるが、この話は右翼左翼論の思想地平にはない。この話は文明論の範疇である。日本には特有の文明論的本質があり、それは森林や田園的特性から長い時間をかかって形成されたものである。この特有の日本的本質には世界平和の原型が存在する。その本質で最もわかりやすいことは、日本には一神教的な宗教的排外主義が存在しないことにある。信奉する神は唯一であるというのは一見わかりやすいが、この感覚が血生臭い戦争や殺人を惹起する。一神教世界にはふしだらと理解されている、日本人の多神教を受容する感覚は、冷静に考えると、世界の多様性を受け入れるキャパシティを持つ能力を暗示させる。フランシスコ・ザビエル以降、日本の宗教史を振り返れば、キリスト教人口がわずか2~3パーセント以上にはならない事実が厳然としてあり、この現実は重要である。森林の多様性から培った日本人の民族的な受容性には、一神教の排外主義は受け入れ難いからである。縄文から培った日本人のDNAに一神教的理念は不整合である。しかし、日本人は一神教が突出しないで他と平和共存できるなら、喜んで受容するだろう。そういう民族なのだ。

 鎮守の森のネットワークとは、神社のネットワークでもある。神社の祭司の長が天皇である。日本の天皇は日本人によって誤解されている。天皇は中世ヨーロッパの王様のような政治的権威の象徴ではなく、鎮守の杜のネットワークを統合した、森林文明としての日本の象徴なのだと私は思っている。つまり、人間が自然となじんで生活することの原型という意味での、平和の象徴が天皇なのだ。欧米の侵略主義が日本に押し寄せなければ、明治から天皇が軍神化する必要はなかった。森林とたんぼの平和の君子が、軍神とならざるを得なかったところに、日本がたどらざるを得なかった苦しい道程があった。しかし、本来の日本は平和を希求する最も誠意ある国家と断言して差し支えない。国民はこの本質に目覚める必要がある。日本人が、アメリカ的な偽善と強欲の汚染から離れ、本来の自己に目覚めた時、世界に対して森林の共生思想を発信できると私は感じている。喜八さんが掲げた「平和と豊饒」は、奇しくも日本という国の本質を言い当てている。

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2008年8月 6日 (水)

基礎的財政収支黒字化、先送り論(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第106弾です) 

 福田改造内閣が発足し、経済政策に僅かに変化の兆しが見えてきた。2011年度に基礎的財政収支黒字化するという目標を先送りする案が浮上してきた。デフレ脱却を不可能にしているこの黒字化目標であり、これが諸悪の根源となっているのだから、これを先送りしようという動きは大歓迎だ。与謝野経済財政担当相も景気対策を検討している。このきっかけになったのが、米国経済の減速と原油高に伴う企業収益の悪化を受けて日本の景気も悪化してきたことだ。4-6月期は実質GDPが年率でマイナス2.4%という予測(民間調査会社28社の予測平均)が8月5日の日経新聞に載っている。今まで外需頼みの経済成長だったのが、輸出が減速したものだから、経済は更に縮小するしかない。

 我々が政府に質問主意書という形で景気対策をやらないのかと質問したら、総理からの答弁書はワンパターンで
「予算編成の原則として、民間需要主導の経済成長を目指し、景気を支えるために政府が需要を積み増す政策はとらないこととしている。」
となっていた。

 例えば
内閣衆質一六八第一〇号    平成十九年九月二十五日
内閣衆質一六八第一三三号   平成十九年十月二十六日
内閣衆質一六九第三七九号   平成二十年五月二十三日
を参照頂きたい。

 今年の1月に私が大田大臣になぜ景気対策をしないのかと尋ねたときは、大田大臣は「景気対策をしようと思えば国会の承認が必要で時間が掛かるからやらない」という奇妙な返事だった。

 いずれにせよ、今となっては訳が分からない。今までやらないと一貫して言ってきたことが、なぜやることになったのかの説明もない。もしも、今までは、政府は景気は十分良いから景気対策をやる必要はないと考えていたのなら、そういった理由を付け加えて答弁すべきだった。しかし、そのような答弁をしたとしても、到底景気対策をしないことを正当化するものではなかったことは明らかだ。名目成長率を見るがいい。他の先進国の10分の1しか成長していないのにどうしてもっと経済を成長させようとしないのか。デフレという最悪の経済状態を脱却しなければいけないのに、一体なぜ景気対策が良くないというのか。繰り返し言ってきた戦後最長の「景気回復」だが、世界経済の中で急激にシェアを落としているのに、景気回復とは絶対に言えなかった。しかし、今は更に経済は悪化した。何とマイナス成長になってきたのだ。

 景気対策をやるということは、政府がやっと経済政策の間違いを認めたと言うことだ。それで最も重要なことは、どれだけ経済規模を拡大したいのか、そしてそれにはどの程度の規模の景気対策が必要かをきちんと経済モデルで計算し国民に示すことだ。どんぶり勘定では必ず失敗する。福田首相は今年度の予備費(3500億円)などで財源を捻出するのだそうだ。内閣府の経済モデルでも示されているように、景気対策として最も効果が大きいのは公共投資である。もし3500億円を全部公共投資に使ったとする。内閣府のモデルに従うとこれにより0.08%名目GDPは増える。

 2008年度の名目GDPは、わずか0.3%と予測されている。諸外国の最低レベルは4%程度である。0.08%の名目GDPの増加により0.3%の名目成長率は0.38%になるが、まだ4%成長の10分の1にも達していない。公共投資でなく、他の目的に使うとGDPの押し上げ効果は更に小さくなる。

 新聞各紙は、このようなすずめの涙ほどの微少な経済対策すら「選挙目当てのバラマキ」だと非難している。景気対策をやれば、金利が上がって住宅ローンが上がり庶民を苦しめるのだそうだ。なんという馬鹿な論調か。過去11回の景気対策で金利が上がったことはない。過去の景気対策は10~20兆円規模だった。今回はその数十分の一という、全くお笑いのすずめの涙でしかない。景気対策は効果を出すことでなく、やることに意義がある!?選挙対策にはそれで十分だというのか。

 デフレ脱却という目標は一体どこに行ってしまったのか。適切な規模の景気対策で、デフレ脱却に成功し、名目成長率が他の先進国並の4%レベルに達したら、国の債務のGDP比は減少し、財政健全化は急速に進む。大規模な景気対策こそが、将来の世代につけを残さない唯一の方法なのだ。それを確かめたければ、信頼できる経済モデルで試算を行うしかない。

 景気対策とは、お金を刷って国民に渡すことだ。将来世代への負担は無い。将来世代もいつでもお金を刷って使えるのだから。

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2008年8月 4日 (月)

景気対策について(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第105弾です) 

 福田改造内閣が動き始めた。朝日新聞の世論調査では内閣支持率は横ばいの24%、その他の世論調査でも、少し上昇したものもあったが、低迷を続けていることが分かった。これでは衆議院選で勝てないと思ったか、何と景気対策・財政出動と言い出した。「構造改革」という言葉が消え、「補正」、「減税」といった言葉が出てくるようになった。改造前は、景気対策は否定し続けていたのだが、やっと誤りに気付いたのだろうか。与謝野氏や伊吹氏の消費税増税の主張が影を潜め、拡大路線に移行するということなら大歓迎だが、まだ喜ぶのは早すぎるだろう。

 大規模な財政出動をやりなさい。国債発行額を増やしても、それは次世代へのつけにならず、GDPが増大するために、むしろ国の借金のGDP比が減るのだから、事実上お金を刷っていることと同じだというのが、我々が繰り返し述べていることだ。

 それとは別の景気対策を提案してみよう。私の提案は、1999年に発行された地域振興券の改良版である。消費税還元商品券と名付ける。日本人なら誰でも一人当たり105万円分の商品券を100万円で買えるようにする。もちろん、欲しくない人は買わなくても良い。例えば車を買おうか買うまいか迷っている人は、105万円の商品券が100万円で変えるのだから、5万円分割引で車が買えることになり、今のうちに車を買っておこうとするだろう。それ以外にも、以前から買いたいと思っていたのだが、買い控えてしまっていたものがある人は、これを機会に買うだろう。この商品券は買った日から6ヶ月間有効で、釣り銭を出すことが禁止され、額面以上の買い物をすることが義務付けられる。

 確かに、5万円分は国の負担となるのだが、105万円の消費がされれば、国は消費税も受け取れるし、消費が伸びれば、法人税や所得税も伸びるから、実質的には国の負担は少なく、負担どころか税収が増える可能性もある。GDPは確実に伸びる。消費者にとっては、消費税を国に還元してもらった形なので、これを喜ばない人はいないだろう。もちろん、100万円は使わないが、20万円なら使うという人なら21万円の商品券を20万円で買えばよい。誰もが何らかの形で消費税をタダにしてもらったことに相当する恩恵を受ける。商品券は1万円を単位としたらどうだろう。これなら国もつけを次世代に残すのではないかという心配はする必要は無いだろう。内需拡大は間違いない。

 話は変わるが、8月1日に世耕弘成氏の政経セミナーに参加させて頂いた。彼は日本経済復活の会の顧問を引き受けて下さっており、いつもセミナーには参加させていただいているのだが、彼の歯に衣着せぬお話しで、政界に何が起きているのか良く分かる。特に、一方的に他党の批判に終始せず、むしろ身内の引き締めを呼びかける所など、好感が持たれる。さすが世耕さんだと思う。戦略家であり、選挙ではいつも圧倒的な勝利を収める所以だろう。それだけに彼に警戒する人も多い。いつもたくさんのアイディアを持ち、実現のために果敢に行動を起こす。これだけの政治家は少ないし、いずれ彼が中心になって日本経済の復活のための政策が断行されることを期待している。

 彼の話の多くは好感が持てたのだが、若干気が付いたことがあるので、その点を書いてみよう。

①民主党の小川議員と共に1週間ヨーロッパに視察旅行に出かけたとのこと。ドイツのCDUとSPDの大連立の話をされた。これを見本に日本でも自民と民主の大連立を模索するのは全く正しい選択だと思う。そうでもしないと何も決まらない。もっとも、そういった大連立により、景気対策の芽が摘み取られるのであれば、何にもなりませんが。世耕さんは、東ドイツの併合に生じた負の遺産とドイツの財政再建の話をされた。ドイツは財政再建のために増税を行い、また労働時間の短縮により多くの労働者に仕事をシェアした結果失業率が8%にまで下がった。これを日本は見習うべきなのだろうか?

 ちょっと待って下さい、世耕さん。日本とドイツは状況が全く違うのです。日本は1994年以来デフレが続き最悪の経済状況にありますから増税は最悪の政策です。ドイツはデフレではありません。2007年の名目成長率は日本が0.6%なのにドイツは4.5%です。更に違うことは、ドイツはEUという枠組みの中にあり国境も開放されており、通貨もユーロとして共通のものを使っています。EUを日本に例えれば、ドイツは国内の一つの県(例えば千葉県)のようなものです。例えば日本の中で千葉県だけが、県債を乱発し、どんどん借金をして、金を使いすぎることは許されないことは明らかです。千葉県が独自の通貨を刷ることも許されません。赤字が度を超すと債権管理団体に指定されてしまう。

 もちろん日本は、独立国であり、誰に気兼ねをすることなく、自由に通貨を発行できる立場にあります。ですから、日本経済を考えるときは、米国の中の一つの州とか、EUの中の一つの国の経済と比較するのでなく、通貨を自由に発行できる完全な独立国と比べなければなりません。多くの人の判断を誤らせたのは、EU諸国が赤字減らしに専念しているのを見て、日本も同じ事をやらねばならないのだと誤解したことにあります。EUのような経済共同体の中の一国であれば、EU全体がデフレ経済でない限り、一国だけがデフレに陥るということもあり得ないでしょう。一国がお金が足りなくなってデフレになれば周りの国からお金が流れ込みますから。

 ②世耕さんは、埋蔵金等を使って財政出動を行う話をされた。3年間で50兆円出せるということだった。政府で現在検討している財政出動も埋蔵金を使う話のようだ。しかし、これには要注意である。埋蔵金と言っても現金の形で金庫で眠っているというより、株式や国債等の形になっていることが多い。それらを売ればどうなるかと言えば、巨額な売りということだから、株価を下げ景気に悪影響を及ぼすし、国債を大量に売り出すと、長期金利が上がり、やはりこれも景気を冷やす。郵政民営化で郵便局が国債を買わなくなり、しかも埋蔵金の国債まで売られるとなると、どこが国債を引き受けるのかと言うことになる。日銀すら、国債を売って保有額を減らしつつある。残るは年金しかないという理由で社会保険料を値上げし、年金支払額を減らし、捻出したお金で国債を買うなどというシナリオは国民にとって最悪だろう。国民は国の借金のために社会保険料を払っているのではない。そう考えると、埋蔵金として眠っている国債を市場で売るというのは、あまり褒められた政策とは言えない。もちろん、日銀に買ってもらうということなら大変素晴らしい政策ということになりますが。

 結局八方塞がりということになるのだが、一番大切なことを忘れていませんかということだ。デフレというお金が消えていく病気から日本経済を復活させようと思えば、何らかの形でお金を増やし、それを実体経済へ注ぎ込まねばならないわけだ。つまりお金を刷ることだ。それは個人でも企業でもできない。唯一できるのは日銀だ。日銀が市場から国債とか株式とかを買えばよいだけだ。それなら何の害もない。カラカラに干上がった畑に恵みの雨が降るようなものだ。日本経済にとってこれ以上の政策は無いのだ。

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2008年8月 2日 (土)

国民を騙した福田内閣(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第104弾です)

 日本経済復活の会は超党派であり、野党側でも与党側でもないと言ってきた。しかし、大田大臣vs宍戸駿太郞の公開討論会に関しては、福田首相に騙されたと言うしかない。3月14日の予算委員会で福田首相ははっきりと公開討論会をやると言った。一体なぜ8月8日にまで日程をずらしたのか不思議に思っていた。8月1日に組閣をやり、大田大臣を首にした。なんと討論の片方が不在のまま、討論会をやるのだそうだ。もともとそういう作戦だったのだろうか。こんな田舎芝居を仕組んだ福田首相に激しい憤りを感じる。大田大臣不在のままで大田vs宍戸公開討論会をやるのだそうだ。国民を馬鹿にするのもいいかげんにして欲しい。

 大田弘子は逃亡した。自らも討論会をやると3月14日の予算委員会で約束したくせに、それを今更やらないとは言えないはずだ。無責任極まりない。内閣府のモデルがインチキ経済モデルであることが暴露されるのを恐れているのだろう。そんなモデルを使って、日本経済を一流でなくしてしまったことに良心の呵責はないのか。
 与謝野馨氏が大田弘子の後任の大臣だそうだが、与謝野氏は残念ながら経済は全く理解していない。デフレ下の消費税増税を唱える経済音痴を経済財政担当大臣にしてしまったのは、大失敗だ。

 例えば2006年3月8日の予算委員会で秋元司氏が内閣府の経済モデルに関して与謝野金融担当大臣に質問しているが、一言も答えられなかった。次のやりとりを見ても、如何に与謝野氏が経済音痴かが分かる。

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秋元司議員
 一人当たりのGDP平均を見ても日本はかつてトップだったのですけど、今現在、現在といいますかね、これデータが無いんで、2004年のデータだと11位まで下がってしまっているというわけでありましてね、そういうことから考えますとね、やはり名目成長率というものをある程度、高めに設定していく必要性が、一時期私はあるのではないかと思っているのでありまして、我が国における名目成長率の適正値というものは、どのへんを考えていらっしゃるか、お答えいただきたいと思います。
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与謝野金融担当大臣
 一番大事なのは、本当に日本の経済が成長しているかどうかということで、これは実質成長率の話だと思います。名目成長率を高くしろというのは、いわば、人によっては、これはインフレ期待ではないかということをいう方がおられまして、私はそれは一面の真実を語っていると思います。私どもが初めて議員になりましたときに国会の中には物価問題調査特別委員会というものがございまして、物価問題というのは国民の極めて重大な関心事であったわけでございます。私どもとしては日本の本当の意味での経済の実力、すなわち実質的な潜在成長力を高めるという政策は極めて重要だと思っておりますし、その日本の経済を力強くなおかつ成長させていくための成長力、しかもそれを実質的な成長力、これを高めるための国民的な努力、あるいは政治の努力というのは必要だと思っております。そのときに、成長に伴う健全な物価上昇と言うことはあるわけでございまして、そういう成長に伴う、物価上昇というのは、国民もお許しを頂けると思っておりますが、人工的にインフレ、名目成長率だけを上げるという、いわゆる上げ底をやるというのは、私は国民が望んでいるという政策とは思っておりません。

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 要するに、与謝野氏が言いたいのは、「一人当たりの名目GDPはいくら下がってもいいのだ。実質GDPが上がっていれば大丈夫だ」ということだ。これは彼は実質GDPの意味が全く分かっていないことを証明するものだ。実は谷垣氏も同様の趣旨の発言をしたことがある。次の例で、彼らの考え方が全く間違えていることが容易に理解できる。

 最近ジンバブエのインフレが話題になっている。たとえばジンバブエの名目GDPが1年間で1万倍になったとしよう。だからと言って1万倍の物を生産できるようになったわけでもなく、国民が1万倍の物を買うことができるようになったわけでもない。もちろん、これだけ名目GDPが伸びた主な理由はインフレである。例えば9800倍のインフレ率だったとすると、実質GDP成長率は2%である。こちらが、生産力の増大や購買力の増大に関係する数字だ。では、国際比較をするときはどうだろう。一気に1万倍にもなればジンバブエは世界一の経済大国になるだろうか。そんなことはない。インフレが起きれば為替の調整が起きるのだ。9800倍のインフレが起きれば、ドルに対する自国の通貨の価値が約9800分の1になるから、貿易が可能となる。ということで、ドルに換算してみると、少しだけ成長しただけということになる。これでお分かりと思うが、ドルに換算して各国の名目GDPを比較すると、ほぼ実質的な経済規模の比較になるのである。

 つまり、与謝野氏は名目GDPという言葉に騙されて、これはあくまで名目だから意味がないと勘違いしたのだが実は実質的な経済力の比較になっているのである。名目GDPと実質GDPの意味すら理解できない与謝野氏にとって、経済モデルの意味を理解するのは「夢のまた夢」である。こんな人を経済財政担当大臣にしたのは大失敗であった。伊吹財務大臣も与謝野経済財政担当大臣と共に、消費税増税に賛成していると言われている。これだけ経済が悪化したときに、消費税増税などしようものなら、次の衆議院選挙で与党大敗が確定する。

 今回の内閣改造で、日本経済復活の会の顧問の方々では高村正彦外相は留任、野田聖子氏と保岡興治氏が入閣した。デフレ下での、更なる景気悪化で国民の生活は脅かされている。今こそお金を刷って国の経済を立て直してもらいたいものだ。

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