「平和と豊饒」を日本から世界に!
お会いしたことはないが、ブログ上の我が盟友である喜八さんが、ブログとリアルにおける「今後の展望」を開陳した。その展望とは下記の言葉である。
・平和と豊穣の国日本を築く
・日本から全世界に向けて平和と豊穣を発信する
左翼でも右翼でもない下翼(げよく)と自称する喜八さんがぶち上げた、この“思想的展望”は「神州の泉」管理人の私にもすんなりと受け入れられるものだ。私自身はブログや掲示板等で、些少ながらも、自らの考え方を書いてきたが、畢竟、私の言いたいことも喜八さんの展望と同じものである。
平和と豊饒、もともと日本人は数千年前に、ユーラシア大陸や環太平洋の島々、あるいは大陸から、列島に流れ着いた民族で構成されている可能性が高い。また、私自身が日猶同祖論に関心があることもあるが、日本にはペルシャや、古代イスラエル王朝が存在していた辺りの民族も流入しているに違いない。アイヌや熊襲を除き、日本人は単一民族(大和民族)だと思われているが、実は遠い昔には、地球上のさまざまな領域から、流れてきた混交民族が今の日本人の原型を作ったのではないだろうか。その辺の学問的な知見はないのだが、私が言いたいことは、日本人というものは、日本列島という、限られた島状の領土の中で、縄文文化といわれた古い時代から、悠久の時をかけて、他の人間との共存共栄を成し遂げてきた膨大な時間を持っているということだ。
他者との共存共栄を成し遂げる能力にかけては、世界中、どこを探しても日本人の右に出るものはいない。つまり、我々の先祖は非大陸的な狭い領土の中で、生き抜いて行く為には、否応なく他者との平和共存をはかって凌いで行く事しか選択肢がなかったのだ。我々のDNAには、他者との平和共存を成し遂げる最適な同調回路が備わっているのだ。その理由は、深く考えると多くの文明的、文化的な考察があると思うが、少なくとも、よくわかる一つのことがある。それは豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と言われるわが国は、水田や畑の多い国であるが、その始まりには、部落間や個人間で水利権の熾烈な争いがあり、これを解決するために先祖たちは刻苦精励したのだと思う。我田引水という言葉がある。これは自分に都合のいいように有利な説を唱えることを意味するが、本来は自分のたんぼだけに水を引いてくるという意味で、噴飯者の代名詞であった。
想像なのだが、遠い昔、稲作や畑作が列島のあちこちで試みられた時、混交民族であった住人たちは、土地の権利や水の権利を確保するために、熾烈な争いを展開し、列島全体で血生臭い戦いに明け暮れていたのではないだろうか。国盗りや水争いである。つまり、先祖たちは肌の色の違いや風俗、血統、言葉の違いもあって、当時は喧嘩に明け暮れていた。その最初の喧嘩は、狩猟採取時代は、木の実や山菜、食料になる動物が多く生息する森や、魚のたくさん獲れる川や湖沼など、いわゆる豊饒の領域をめぐって争ったことだろう。領土争いである。しかし、部族同士で何とか棲み分けが完了した時点で、今度は水利権の争いが勃発したに違いない。導水路を造れば、自在に自分の部落に優先的に水が運べるからである。この水利権争いも、おそらくかなり熾烈なものであっただろう。しかし、先祖達はある時間をかけてこの問題を解決した。つまり、全体の部落に均等に水が行き渡るように、立派な灌漑システムを完成し、同時に水利権の平等性に関するさまざまな「おきて」も施行されたのだろう。
ここにいわゆる日本社会の原型的祖形が誕生したのだと思う。部落共同体の発祥である。部落共同体の秩序を維持する求心力が、今も残存する鎮守の杜(もり)である。鎮守の杜を中心に部落民はさまざまな祭祀を行い、これがお祭りの原型となった。政治行為を政(まつりごと)というのは、鎮守の杜のお祭りに因むことなのだろう。昔の日本人は水争いや国盗りの血生臭い争いに辟易し、何とか穏やかに平和に共存する道はないのものかと模索した。その結果、棲み分けの思想や、争わず、物を独占しないで仲良く分配する共生調和の思想が発達した。これが日本文明のアーキタイプなのである。土地や水利権の争いが解決してからも、大きな共同体単位では、あい争う事態が続いていた。しかし、ある時、大陸から騎馬民族の形態を持った一団が九州に到達し、本州を平定しながら北上した。これが神武東征である。これによって日本には大和王朝が誕生した。
ざっと非学問的に、荒っぽい日本列島史の素描を試みたが、私が言いたいことは、日本人は限られた領土や、限られた農耕地、限られた森林資源などの条件下で、奪い合うよりも平和共存の道を選んできたという話である。では京都が焼け爛れた応仁の乱や戦国時代の戦乱は何だったのかという話になりそうであるが、長い日本の歴史的時間の中では、語弊はあるが、わずかな乱れと言えるだろう。ひと言戦国時代に関して言えることは、戦国大名同士が戦って勝敗がついても、勝ったほうは敗戦国の領民を虐殺しなかったことである。これはヨーロッパや中国の戦いの慣例とは大分異なっている。日本人は基本的に敵を殺さない性質がある。こう言うと、あの大東亜戦争では南京虐殺など、多くの人々を殺したではないかと反論がありそうだが、そういうイメージは東京裁判史観で構築された間違った刷り込みである。世界的にみれば、日本人ほど他民族を殺さない民族はいないということである。戦後の左翼感性に染まっている人はこれにかなり反感を覚えるだろうが、本当のことだ。
喜八さんの言葉に戻るが、平和と豊饒は分離した言葉ではなく、両者が一体不可分となって、初めて生きてくる言葉なのだ。その意味は「平和と豊饒」の対語である「戦争と窮乏」という言葉を見れば一目瞭然である。戦争はあらゆる生命的なものを破壊尽くし、実りをもたらさない。その意味で、豊饒とは戦争をしないという言葉に置き換えることができるだろう。日本人は戦後の日本を冷静になって振り返ってみれば、日本人のDNAに刻まれている本来の性質がどんなものかよくわかると思う。東京裁判で間違った日本人観が世界に発信されてしまっている。それは好戦的で残虐な日本人というイメージである。そのように思い込んで、自信を失っている日本人がたくさんいるが、胸に手を当ててよく考えて見て欲しい。
日本人の性質が先天的に残虐で好戦的であったのなら、戦後63年間、一度も他国に侵略もしなかったし、また、他国の人を残虐に扱ったこともないという事実はどう説明できるのだろう。これに比べ、アメリカは朝鮮やベトナム、イラクやアフガニスタン、その他、実に多くの戦争や紛争を起こしている。中国もチベット問題などを見てもわかるように、実に残虐な他国侵略をしている。63年間という時間は大きいのだ。ある民族が真に好戦的なら、この年月の間に、必ずどこかで紛争を起こすだろうし、戦争をするだろう。例え憲法で“不戦”を謳っていても、すぐに何らかの理由をつけて改憲を行い、戦いを実現化していただろう。アメリカ人や中国人がそれをはっきりと証明しているのに、日本人はそういう事実は過去63年皆無である。日本人悪玉論に汚染されている人はこの事実をとくと考えるべきだ。不戦を決めたら、徹底してそれを実行してしまうこの抑制力は、日本人独特のものである。
しかし、今の日本は、本来の日本人の性質とは異なる売国的な魂を有した連中が政権を牛耳っている。彼らには先祖達が希求した、和を尊ぶ伝統的意識が微塵もなく、自分たちの利益になるなら、日本人の若者が宗主国アメリカの傭兵になって、血が流れることを厭わない。もちろん、経済的にも自分たちの利益になることなら、平然と国民を搾取し、国民の労働成果を外資や大企業にまわして恥じない。安部前首相が主導した改憲論の本質は対米従属の流れにある。米国の侵略主義を否定した上にこそ、日本本来の美しさの源があるのだ。米国に追従し、イラク戦争を真っ先に肯定した小泉純一郎元首相が、靖国神社で英霊を参拝する行為は、日本人として冒涜行為である。このような極悪な首相が主導した政権政策が国民を塗炭の苦しみに落とすことは当然であろう。
戦後、一貫して日本が不戦を維持したことについて、頭の悪い人はこう言うだろう。それは九条という平和憲法があったからだと。その説明はまったく馬鹿げているのだ。武力行使を禁じる憲法があり、戦後の日本人はそれに従って侵略や戦争行為に準じることがまったくなかったというのは詭弁以外の何物でもない。唯一の合理的な説明は、憲法九条が敵性憲法、すなわち、GHQの刀狩りの思惑で造られたものであったとしても、その思想は、戦争をしたくないという日本人の精神的アーキタイプに合致したからにほかならない。つまり、ここが肝心なのであるが、大東亜戦争で死力を尽くして戦い抜いた日本人は、敗戦を境にして精神の巨大なエアポケットに陥った。
日本人の敗戦ショックに乗じて、戦勝国は刀狩りを目的に憲法九条を敷設させた。戦争ですっかり消耗していた日本人は、戦いを放棄したこの憲法に、ある種の救いを求めたと同時に、先祖達が伝承的に自己陶冶し、培ってきた平和共存の精神に共鳴したのである。大東亜戦争で、心ならずも勇猛果敢な闘争心を極限まで発露させた反動として、振り子現象的に、戦後は非戦貫徹に傾斜したことは無理からぬことであった。日本人の武士道とは、正義と大義のためなら、己の命も捨てることをためらわないところがあった。大東亜戦争とは日本人が、欧米の侵略主義に対して武士道精神を発露させた戦争でもあった。決して好戦的だったからではない。我慢に我慢を重ねた末に爆発した自衛戦争であった。
欧米白人種には500年に及ぶ侵略の歴史がある。極東の島国で静かに暮らしていた日本人は、幕末に彼らの圧倒的な武力侵略を目の当たりに見て、否応なく富国強兵、殖産興業政策を基軸にして、明治維新という国家変容を行った。薩長の好戦的な勢力が国替えを行って、結果的に日本は西欧の帝国主義に準じた。この時期の帝国主義化を現代の感覚で批判する者がいるが、もし、この時期に日本人がそれを否定した場合、欧米の植民地になる以外に、どんな選択肢があったのかという疑問を考えた方がいい。この時期の日本の軍国主義化を単純に全否定する者がいたら、それ以外にどのような選択肢があったのかきちんと提示する必要がある。これに現実的な回答を示した御仁にまだお目にかかっていない。大東亜戦争を単純に侵略戦争と規定すること自体が根本的に間違いなのだ。東亜百年の欧米侵略史を見た場合、日本が富国強兵策を取る以外に道はなかった。しかも、帝国主義へ無理やり衣替えさせられた後で、欧米はABCD包囲網という経済制裁を行い、日本は国家として存亡の危機に置かれたが、アメリカは徹底的に日本を敵視して、いっさいの打開案を拒絶した。国際的ないじめである。これはハル・ノートに出ている。東京裁判で出された歴史は、故意にこの背景を無視している。満州帝国建立も、朝鮮・台湾総督府の設置も、欧米の略奪式植民地主義とは異なり、東亜の秩序形成のためであった部分はよく考慮せねばならない。
喜八さんの言う「平和を世界に発信させる日本」という概念を、にわかに信じることができない日本人が大勢いるが、その理由は戦勝国が故意に捏造した日本悪玉論なのである。欧米白人諸国がグローバルに世界侵略を行わない歴史にあったのなら、日本は極東でひっそりと平和に生きていただろう。戦後の日本は東西冷戦の影に隠れて平和を維持した。しかし、この平和と経済発展はアメリカの核の傘下で実現したものであり、けっして無垢な平和ではない。しかし、考えてもいいことは、日本人が先天的に好戦的な国民なら、アメリカとの同盟関係があっても、なくても、戦後から今まで、一度も戦渦に巻き込まれたことがなかったことはあり得ない話だと思う。少なくとも日本人は63年もの歳月、戦いを忌避して来た事実がある。この事実は評価できることである。しかし、再度強調するが、この事実はけっして、第九条という偽りの平和を謳った美名憲法条項によってではない。悠久の昔から、争いを拒むために、絶え間なく行ってきた日本人の自己陶冶の賜物なのである。戦後時間とは、日本人が平和を体現できる民族であることを充分に証明した時間でもある。
ここで喜八さんの例の展望に戻る。日本人が平和と豊饒の基本パターンを持った民族である事実が、私のつたない説明で少しはわかったと思う。今、世界は環境問題が何よりも優先事項のように言われているが、日本人が自然環境を大事にすると言う時は、意味が異なってくる。それは日本人の平和希求の感性の底に、鎮守の杜の感覚があるからである。鎮守の森にお社(やしろ)があり、そこを中心として夏祭りやその他の祭礼を行った。この感覚が日本人の政(まつりごと)や社会秩序を形成した。縄文時代から日本人は森林がもたらす平和の感覚を独自に涵養し、生きとし生けるものが互いに喧嘩しないように、たゆまぬ自己陶冶を行ってきた。「鎮守の森」とは森林文明の象徴なのである。我々日本人の精神のアーキタイプには、日本の自然から学んだ共生感覚がある。いきなりこういうことを言うのもなんだが、日本には奴隷を組織的制度的に扱った歴史はないし、中国のように、女性に纏足のようなむごいことをしたこともない。これは日本人が人類の原罪である「支配、被支配」の感覚が薄い民族だからである。原初的に培ったこの感性こそが、日本人の相互扶助や協調性という平和を維持する秩序感覚を磨いてきたのである。だからこそ、人類の未来には、日本人が縄文の照葉樹林文明で培った平和協調の感覚と、物を粗末にしない江戸時代のエコ感覚が役に立つのである。
ここにおいて、喜八さんがいみじくも提示した、
・平和と豊穣の国日本を築く
・日本から全世界に向けて平和と豊穣を発信する
という日本の展望は、俄然現実味を帯びてくるのである。この発想を欧米人や中国人が言った場合、すこぶるいかがわしい響きを持つのだが、日本人がそれを言うのはまったく自然なことなのである。日本という国は、神が世界の最後を阻止し、世界を再生させるために、最後の切り札として極東に取っておいた特別な国なのである。
最後に、私がこのような日本論を展開すると、それは日本優位主義、日本優生論に繋がる極右思想なのではないのかと言う人が必ず出てくるが、この話は右翼左翼論の思想地平にはない。この話は文明論の範疇である。日本には特有の文明論的本質があり、それは森林や田園的特性から長い時間をかかって形成されたものである。この特有の日本的本質には世界平和の原型が存在する。その本質で最もわかりやすいことは、日本には一神教的な宗教的排外主義が存在しないことにある。信奉する神は唯一であるというのは一見わかりやすいが、この感覚が血生臭い戦争や殺人を惹起する。一神教世界にはふしだらと理解されている、日本人の多神教を受容する感覚は、冷静に考えると、世界の多様性を受け入れるキャパシティを持つ能力を暗示させる。フランシスコ・ザビエル以降、日本の宗教史を振り返れば、キリスト教人口がわずか2~3パーセント以上にはならない事実が厳然としてあり、この現実は重要である。森林の多様性から培った日本人の民族的な受容性には、一神教の排外主義は受け入れ難いからである。縄文から培った日本人のDNAに一神教的理念は不整合である。しかし、日本人は一神教が突出しないで他と平和共存できるなら、喜んで受容するだろう。そういう民族なのだ。
鎮守の森のネットワークとは、神社のネットワークでもある。神社の祭司の長が天皇である。日本の天皇は日本人によって誤解されている。天皇は中世ヨーロッパの王様のような政治的権威の象徴ではなく、鎮守の杜のネットワークを統合した、森林文明としての日本の象徴なのだと私は思っている。つまり、人間が自然となじんで生活することの原型という意味での、平和の象徴が天皇なのだ。欧米の侵略主義が日本に押し寄せなければ、明治から天皇が軍神化する必要はなかった。森林とたんぼの平和の君子が、軍神とならざるを得なかったところに、日本がたどらざるを得なかった苦しい道程があった。しかし、本来の日本は平和を希求する最も誠意ある国家と断言して差し支えない。国民はこの本質に目覚める必要がある。日本人が、アメリカ的な偽善と強欲の汚染から離れ、本来の自己に目覚めた時、世界に対して森林の共生思想を発信できると私は感じている。喜八さんが掲げた「平和と豊饒」は、奇しくも日本という国の本質を言い当てている。
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日本に希望を与える信念の男、城内実
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説明文、自民党政治の弊害を検証し、政権交代を促します。「ずーっと同じ政権」って、北朝鮮じゃないんですからネ。のTBP自民党政治があと1200ほどで10000の5桁に乗ります。衆議院選挙野党共闘も700ほどで同じく10000の5桁です。併せて応援をお願いします。 なお、TBP自民党政治とTBP民主党政治のGIFバナーのコマ数を合わせてリニューアルしました。 です。 ※ブログ仲間の再開ニュースなど:嗚呼、負け犬の遠吠え日記が再開宣言したようです。 ↓良質なブログ・情報への入口、中継点を目指します。毎... [続きを読む]
受信: 2008年8月 9日 (土) 09時25分









コメント
喜八さん、こんばんは。
北畠親房の「神皇正統記」ですか。高校生の
頃、「慈円」という本を持っていまして、北畠
親房は読んでいたはずですが、まったく内容を
覚えていません。無意識に覚えていたのでしょ
うかね。
私が上で書いたことは、ここ十年くらいの間
に、何度かネットでも書いたことです。私は佐
藤優さんよりも、林房雄の「大東亜戦争肯定論」
にかなり影響を受けています。
今の日本人は自分達の巨大な潜在能力と民族
の品格を置き忘れていますからね。ですから、
覚醒すれば、城内さんもよく理解されている
日本的霊性に回帰し、世界に日本の本質を発信
できると思っています。
投稿: 高橋博彦(管理人) | 2008年8月 9日 (土) 23時52分
高橋さん、こんばんは。
弊ブログ記事を取り上げていただきまして、ありがとうございます!
高橋さんの主張を読みながら「はて? この『思想』にはどこかで触れたことがあるような?」と感じていました。
しばらく後になって気づきました「『神皇正統記』の思想だ!」と。
『神皇正統記』は佐藤優さんが強く推薦していますから、高橋さんと佐藤優さんの思想も通ずるところが多いと思います。
「日本から全世界に向けて平和と豊穣を発信する」というのは大真面目中の大真面目な主張です。
もし「日本人にはそんな力がない」と仰る「日本人」がいたとしたら、残念ながら、その方は勘違いをされていると言わねばならないでしょうね。
日本人はそんなに劣った人たちではないし、日本は歴史的・世界的に見ても、非常に強い国・大きな国です。
だからといって慢心して、何もしないで威張っていればいいというわけではありません(笑)。
日本人は優れた資質を持っているのだし、日本は大きくて強い国なのだから、世界の平和と豊穣に大いに貢献できるはずだと考えるのです。
世界の人々から尊敬される日本人・日本の国であって欲しいというのが日本人・喜八の素朴な願いです。
今のように米国の腰巾着でいたら、世界の誰も尊敬してはくれません。
もちろん、米国人からも尊敬されるはずはありません。
逆に軽蔑され莫迦にされるだけでしょうね・・・。
投稿: 喜八 | 2008年8月 9日 (土) 21時18分
管理人、高橋様へ
投稿文の最後の方で、何故か文章がダブっている個所があります。恐れ入りますが、下記文を削除おねがいします。
””お願い、本稿に賛成の方、広めてください。
一昨日夜8時、NHKスペシャル「封印を解かれた写真が語るNAGASAKI 米軍カメラマンの苦悩 原爆の真実」をみた。アメリカにも極めて少数派ながら、「人間””
投稿: いかりや爆 | 2008年8月 9日 (土) 07時22分
管理人、高橋様へ、
下記投稿、できれば表舞台に登場させてくだい。
長崎の鐘は今日も鳴っている!
原爆投下の事前警告はなかった。
今日は8月9日、長崎の「原爆の日」です。63年前の今日、広島に続き二発目の原爆が投下された。
アメリカ人は、原爆投下が戦争終結を早めたと思い込んでいる人が多い。原爆が多くの米軍兵士の命を救ったと主張する。
日本は終戦の数ヶ月前から、必死に終戦(降伏)を模索していた。それをアメリカが知らぬはずはなかった。
日本の降伏を本気で早めたければ、先ず大量破壊兵器(原爆)投下の事前の警告を発するのが常識というものだろう。だがアメリカは事前警告は一切しなかった。
例えは悪いが、並みの強盗なら、『手をあげろ!金を出せ!さもなければぶっ放すぞ』と警告するではないか。アメリカの政治家にはその程度のモラルさえもなかった。
原爆投下前に日本が降伏されては、困る事情があったからである。彼らは人体実験と破壊力のすざまじさを実測したかったのである。
アメリカは2種類(ウラニウム型とプルトニウム)の原爆を用意していた。原爆投下前に日本が降伏されては、この実験が不可能になるのだ。
二発目は中2日しか、間をおかなかった。間隔をあけて、その間に日本が降伏されたなら、第二の実験プルトニウム型原爆の「長崎投下」が不可能になるからだ。
二発目はあろうことか、彼らの信仰する「神」を祀る教会、浦上天主堂の真上近くに投下された。地上における「阿鼻叫喚の世界」、「神」をも恐れぬ「愚劣な行為」、日本人だったなら、「事前警告」なしに、このような愚かなことをするだろうか。
礼拝中の神父と信者全員が犠牲になった。浦上地区の信徒12,000人のうち、8,500人の人たちが被爆死した。
倒壊した瓦礫のなかに、奇跡的に聖母マリアの像がみつかった。
天主堂の「アンジェラの鐘」も瓦礫の中から、掘り出された。
被爆したその「悲しみに満ちた聖母マリアの像」をご覧ください。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/5hibakuseibo.htm
被爆した「アンジェラの鐘」は「長崎の鐘」と呼ばれるようになった。
今日も「長崎の鐘」は、鳴っています。お聴きください。下記をクリックして、少し下方へずらすと 被爆した「長崎の鐘」の写真がご覧になれます。
そこで、
”♪サウンドをお聴きください(4回鳴ります)♪”をクリックすると、平和を希求する「長崎の鐘」の響きを聴くことができます。
http://www.carillon.co.jp/nagasaki.htm
蛇足:
アメリカ下院議会は、昨年「従軍慰安婦」問題で日本政府の謝罪を求めた。
だが、アメリカ自身が犯した「ジェノサイド」に対しては「反省」も「謝罪」も求めることをしない。
無論、アメリカ歴代大統領は誰一人、この「ジェノサイド」に対して謝罪していない。
今年の「ヒロシマ 原爆の日」式典には、過去最高の55カ国の代表者の参加があった。ロシア、中国の代表も参加したが、日米同盟?たるアメリカの代表者の姿はなかった。
アメリカが最も恐れていることは、日本が反米国家になることと、「核保有国」になることかもしれない。アメリカが日本を半永久的にアメリカの属国にしておきたい理由がここにある。
第二次大戦後、「東京裁判」で極東国際軍事裁判所憲章という事後法をでっちあげて日本のリーダーたちを「平和の罪」で裁き、7名を絞首刑にした。
イラクには、「大量破壊兵器」もテロリストとされる「アルカイダ」との関連もなかった。にも拘らず、ブッシュ政権はイラクへ先制攻撃をした。ブッシュ政権は、アメリカが「東京裁判」で問うた「平和の罪を超える罪」を犯している。
本来なら、日本こそが「東京裁判」で裁かれたその同じ論理「平和の罪」で、ブッシュ政権の「罪悪」を問う「権利」と「責任」を有する。だが悲しいかな、アメリカに娼婦のごとく「媚」を売る日本の政治家たち、哀れ・・・「思いやり予算」、「無料ガソリンスタンド」「郵政民営化」etc、もううんざりだ。少しは毅然たる態度はとれないものか。
蛇足の蛇足:旧聞ですが、日本の核武装論を唱えた西村慎吾議員は弁護士法違反で逮捕された・・・弁護士法違反が微罪とは言わないが、被害者がいて告訴されたわけでもない。背後で糸を引いた奴がいると思うのは考え過ぎだろうか。
「神の意思」に背いた者は、いずれ「神の意思」による「天罰」が降る日が来るだろう。
お願い、本稿に賛成の方、広めてください。
一昨日夜8時、NHKスペシャル「封印を解かれた写真が語るNAGASAKI 米軍カメラマンの苦悩 原爆の真実」をみた。アメリカにも極めて少数派ながら、「人間
一昨日夜8時、NHKスペシャル「封印を解かれた写真が語るNAGASAKI 米軍カメラマンの苦悩 原爆の真実」をみた。アメリカにも極めて少数派ながら、「人間の心」を持つ人がいることを知った。
お願い、本稿に賛同の方、広めてください。
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投稿: いかりや爆 | 2008年8月 9日 (土) 07時06分