« 麻生新自民党総裁に望むこと(小野盛司) | トップページ | 麻生内閣について(小野盛司) »

2008年9月26日 (金)

小泉自公政権の悪政を見究める必要がある

 小泉純一郎元首相が唐突に議員引退表明をした。彼が議員を辞することで「小泉構造改革」が過去のものになったと思うのは早計である。この議員辞任については、自分の敷いた路線を最も強く継承する総理候補だった小池百合子氏を応援した時の党内反応を見てのことか、あるいは、国民の小泉構造改革に対する強い不信を見て、政治の流れが完全に変わってしまったことを実感し、自分の時代が終えたことを痛感したのだろうか。

 小泉構造改革に対しては、党内支持に相当深い亀裂が生じ、後期高齢者医療制度への不信や猛毒汚染米問題など、小泉政権に由来する立て続けの問題勃発に、もはや自分の影響力は完全に失ったことを悟ったのだろう。その通りである。国民は、まだ漠然としながらも、小泉構造改革路線に対しては、かなりいぶかしい疑問を感じていることは間違いない。マスコミと劇場型政治が合体して、急速に断行された小泉・竹中構造改革路線は、これからも深刻な問題がどんどん出てくるだろう。この気配を察知して小泉氏は集中非難を避けるために政界を引退したのだと思う。ネオリベ政治の自己責任原則を自ら放棄して逃げを打ったのである。かつて、竹中平蔵氏が郵政民営化の実質始動を見届けずに下野したことと同じである。

 今年の四月に統合した三越伊勢丹ホールディングスは、傘下の三越を三越池袋店4店舗と小売売店2店舗を閉鎖すると発表した。ドイツでは3店舗を閉鎖する。三越と言えば昔から老舗デパートのご本尊であり、日本の百貨店のシンボルのような存在であった。それが今はヤマダ電機や他の量販店に進出され、経営が圧迫されていると言う。世間の常識では老舗デパート三越の凋落については、その構造や体質が時代に追いついていないからだと言うが、私は紋切り型のその分析には抵抗がある。表層的には確かにその通りなのだが、この問題を国策という政策論で見れば、郊外型量販店が乱立することを可能にした規制緩和に大元の原因がある。1991年の大店法改正によって商業インフラが大きく変えられてしまったからだ。商業構造が新規大資本に有利になり、伝統的ヒエラルキーが壊れたのである。三越や西部デパートは戦後の日本型資本主義の頂点に位置していた百貨店である。ここには時間の集積とともに、人々に認められた百貨店文化と格式があった。

 しかし、三越が代表していた商業文化が、大店法改正という規制緩和によるファスト風土化によって、またたくまにその存在価値は低落し、老舗デパートは往年の栄華を失った。かつて、三越のイメージが、ハイソ相手の高級デパートの頂点だったとしても、三越は地方に多くあった小売店の象徴的な存在だったと思う。日本型資本主義のヒエラルキーのトップという意味で日本社会の重要な一翼を担っていたことは確かだ。かつての三越や西部には今の量販店にはない格式があった。そこには商品クオリティに対する絶大な信頼性があり、これが社会の安定感の一つとして機能していたのだ。庶民にはそこで何かを買うと高価だという思いがあったが、頑張ればそこで買い物が出来るという憧れがあった。駅前に立店していた老舗デパートは、その周辺に無数に存在している庶民の小売店の中心にあり、安定した商業圏を構成していた。この商業圏が地域インフラの重要な要素となっていたが、郊外型量販店の乱立によってその安定性が崩壊した。駅前シャッター通りの無残な光景がそれを物語る。

 われわれは根本的な疑問を感じる時に来ている。郊外型量販店のおかげで庶民は電化製品や他の必需品を安く手に入れることが出来るようになった。しかし、安易に廉価製品を買える代償として何を失ったのかを真剣に考えてみることだ。それは従来の小売店が競争に負けて近くから消えたことによって、車を持たないお年寄りや主婦、長く歩けない障害者などが、簡単に物を買えなくなっている現実があることだ。それに生活の便利さやコストパフォーマンスを考えれば、車を使う買い物はけっして割安ではない。ガソリン代、維持費、税金がかかっている分だけ家計支出が増えている。最も深刻な問題は、小売店が消えたことによって地域の安全が脅かされていることだ。

 従来は顔なじみの小売店がたくさんあったために、子供達や老人、女性が安心して買い物に出て行くことが出来たが、今は外出にリスクが出ている。さまざまな種類の品物を一箇所でまとめ買いできて、しかも安いとなれば確かに便利である。しかし、量販店が地域の文化や安定性に役に立っているという話は聞いたことがない。むしろ、儲からなければ大店舗を売りに出して引き上げることは地域の不安定化を招き、一気に人々の不便さをもたらすだけでなく、子供達の情操教育にもマイナスである。昔から郊外の風景は子供達の情操教育の大きな要素でもあった。しかし、今の郊外店の乱立は日本全国の郊外風景を破壊した上に、無機的な画一化によって、子供達の心象風景の醸成を大いに阻害している。

 中曽根政権以降に押し進められてきた、アメリカ型の市場原理至上主義は、社会の文化と安全を犠牲にして全体の不安定化をもたらしている。これを象徴するのが郊外型量販店の乱立と老舗デパートの凋落である。この趨勢を国民はグローバル化の波に従って仕方のない変化だというふうにとらえているが、よく考えてみると国策的デザインの描き間違いの可能性が見えてくる。構造改革というのは根本から疑ってかからないといけない。構造が悪いから変えろ、時代に合わせた社会構造に変革しよう、こういう掛け声ははたして妥当なものだったのだろうか。本来、「構造」という言葉は無色透明で良くも悪くもないものだ。しかも、その構造なるものは国によって、その文化や国民性によって自生的に形作られている面が強い。それをグローバリゼーションこそが最良の市場構造であるという無謀な決め付けによって、安易に変更していいはずがない。変えるべきときは極力慎重に検討するべきものである。従って、構造改革と言う時は、変えるべき構造が何であり、なぜ変えるのか、変えた結果はどうなるのか、ということを仔細に説明するべきである。為政者が口を揃えて構造改革の必要性を叫び始めた時、われわれはその真意を汲み取って賛成したのだろうか?

 中曽根政権以来、構造改革がいかにも善であるかのように思わされてきたことは、実は日本人が自らの頭で考えた自生的内発的な政策ではなく、完全にアメリカの意向に沿った他生的外発的な構造改変であったと思う。時代の進展とか、国際化、グローバル化などの言葉に影響され、本質はアメリカの内政干渉であったことを自覚するべきではないだろうか。構造改革を、いかにも時代の趨勢であるかのように勘違いし、日本の良い面を片っ端から破壊してきたことを反省した方がいい。日本型資本主義には欠陥が多く見出された、だから構造改革をしようという話は、実は大いなる詐術だった可能性がある。構造改革の潮流は小泉政権になって先鋭的に進展した。小泉純一郎氏と竹中平蔵氏が中心となり、アメリカの「年次改革要望書」に沿って断行された、あの『聖域なき構造改革』は、実は日本を徹底的に破壊しつくした暴挙だった。国民はその全貌をつまびらかにし、徹底的に検証する必要がある。

 「年次改革要望書」とは、80年代に熾烈になっていた「日米構造摩擦」が、より陰険に、狡猾に進化したアメリカによる対日市場開放プログラムなのだ。国際金融資本に都合のいいように、日本市場の構造を日本人自らの手で改変させるという狡猾極まりないやり方であった。1994年から始動したこの対日プログラムは、2001年から始まった小泉政権の五年半でほぼ当初の予定通り完了した。特に2005年の郵政民営化法案成立でその主な目的は達成された。小泉政権は詐術を用いて国民をめくらましし、一部の特権階級に都合のいいように日本の市場構造を劇的に改変した。その結果、ひどい格差が生じ、日本は弱肉強食の市場原理至上主義の荒野に変えられてしまった。

  私が植草一秀さんを強く応援し、彼の無罪はもとより、彼は国策的な謀略に嵌められたと強く確信した最大の理由は、小泉政権の凶暴かつ詐術的な政権政策を感じていたからだ。その受け止め方はけっして間違っていなかった。小泉政権の出力は国民を苦しめ、出口の見えない閉塞感に固定した。今、国民は自公政権に怒りを持っている。小泉純一郎氏の政界引退表明はその気配を察知しているからだろう。

  植草さんがブログにて小泉政権以降の自公政権の政策本質を下記の二種類で見事に説明している。

(1)
①「弱肉強食」奨励=「市場原理主義」=「セーフティーネット破壊」
②「天下り」=「官僚利権」温存
③「対米隷属」外交方針

(2)
  国民の「苦しみ」は「循環的」な「不況」によって生じているのではなく、小泉政権以来の自公政権が実行した「市場万能主義=弱肉強食奨励=格差拡大=大企業優遇=セーフティーネット破壊」の経済政策によってもたらされているのだ。したがって、いま求められているのは「単なる景気対策」ではなく、「世の中の仕組み」、「政治の仕組み」、「経済運営の考え方」の「転換」=「刷新」である。

(1)の内容は自民党に君臨する相互互助会の私益と高級官僚の利権、そしてアメリカの利益に寄与する隷属的姿勢である。植草さんが指摘したことで私が最も重要だと感じているのは(2)である。それは、今の日本に生じている大問題は単なる景気対策的手法では解決しないということだ。その意味は私が本ブログでかねてから主張している話とも一致するが、小泉政権が行ったことは単なる修正主義的政策ではなく、日本の市場構造、ひいては日本の国柄を根幹から別のものに変えてしまった悪政だったという話なのである。このモデルになった思想がミルトン・フリードマンのネオリベ思想なのである。従って、小泉純一郎氏が政界を引退しようとも、残ろうとも、小泉政権の政策の本質はきちんと総括し、その罪悪を徹底的に糾弾する必要がある。麻生氏が小泉構造改革とまったく別個の政策を推進しても、閣僚の顔ぶれを見れば、この政権がその作業はしないだろう。となれば、この政権もニセモノである。結局、アメリカの傀儡政権となる可能性は高い。

 政権交代が実現したら、そのとき与党になっている政権は必ず小泉政権を総括し、日本をここまで疲弊困窮させた元凶を暴き、当時の為政者たちに厳罰を課す必要がある。なぜなら、小泉政権とは国家転覆に等しい重罪なのだからけっして看過してはならない。日本は韓国と違って過ぎた政権の非をあげつらって、当時の為政者を罰する慣習はないが、小泉政権だけは国家犯罪であるから、罰することは必然である。同時に当該政権の本質を深く見つめることによって、二度と間違った国策に傾倒しないように国民も為政者も銘肝すべきなのである。特に「聖域なき構造改革」の中心政策であった規制緩和が、誰の方を向いて行ったのか、またそれによってどれだけ壊してはならない規制が壊されたのかを詳細に検討する必要がある。

 規制緩和が「年次改革要望書」を指針として行われたのであれば、それが国益を害するものであることは明らかである。

人気ブログランキング ← この記事に興味を持たれた方はクリックお願いします!!

植草一秀応援バナー

城内みのるさん応援サイトへ日本に希望を与える信念の男、城内実

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

|

« 麻生新自民党総裁に望むこと(小野盛司) | トップページ | 麻生内閣について(小野盛司) »

コメント

いすけ屋さん

 たしかにおっしゃるとおり、民主党は寄り合い
で心もとない党です。私はまともな政治家を判断
する試金石は郵政民営化へ確信を持って反対して
ることと、小泉構造改革批判の見識を持つかどう
かです。ですから、政界再編でこの勢力が出てく
ればいいのですが、偽装チェンジ派が台頭したら
危険です。今の情勢ではその可能性が高いような
気がします。もっとも政権交代が実現し、民主党
政権が実現しても、彼らが非常に拙劣な失政をや
ってしまった場合、振り子現象で、中川秀直氏や
町村氏などが率いる小泉構造改革に逆戻りする可
能性も捨て切れません。難しい状況ですが、民主
党に旗を振らせてみたらどうでしょうか。国民新
党が小沢氏を支えるというのが理想です。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2008年9月27日 (土) 12時12分

管理人さんの説得力ある論理にいつも感心させられます。ただ植草先生と共に、あまりに民主党を過大評価しすぎていませんか。たしかに民主党の一部の方は政権担当能力もあると思いますが、重箱の隅をつつくだけでは昔の社会党と一緒です。直接、植草先生が民主党の政策に係っておられるのでしたら、それでもいいんですが。小泉政権をのさばらせたのは、マスコミの煽動とそれに乗せられた国民の責任です。そして、すでに自民党はボロボロですが、政界再編以外に日本を救う方策はないのでは・・・。

投稿: いすけ屋 | 2008年9月26日 (金) 16時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/141377/42599483

この記事へのトラックバック一覧です: 小泉自公政権の悪政を見究める必要がある:

« 麻生新自民党総裁に望むこと(小野盛司) | トップページ | 麻生内閣について(小野盛司) »