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2008年10月15日 (水)

左から右へ変わったことによって、日本人は精神の深部にあった防衛装置を消失した

 日本の思想論壇は、ここ15年くらいで、ほぼ完全に論調が左から右に急速に傾斜した感がある。その端的な例を上げれば、たとえば、小林よしのり氏の漫画思想書・「戦争論」などは、思想論調が左から右へ針が触れるエポック的な作品と言っていいだろう。

 kenkensyaさんがコメントで書かれていた、「かつて日本を覆っていた社会主義幻想のユーフォリア」という表現が示すように、70年代、80年代は知識人を筆頭に、丸山真男的な左翼的思潮が主軸となっていて、一般人の論調も、それに追随するように左翼論調が常識だという空気が醸成されていた。それはマルクスやレーニンを読んでいなくても同じであり、一億総左翼ならぬ一億総社会主義ユーフォリアである。この政治的表明の頂点として、旧社会党の石橋政嗣委員長(当時)が表明した「非武装中立論」が有名である。

 これは形態的にはマハトマ・ガンジーの無抵抗主義と似ているが、その思想的哲学的確信は話にならないほど薄いものだった。なぜなら、その根拠は日本国憲法第九条に依拠していたからだ。非武装中立論は煎じ詰めて言えば、国境なき無国籍社会への希求である。しかし、自衛隊と在日米軍を違憲とし永久的武装放擲を理想とした、石橋氏のこの論拠は憲法的には至極当然の帰結なのである。この考え方は、日本国憲法の前文、すなわち『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。云々』を誠実に踏襲しており、形式的には何の不自然さもない。

 問題は日本人総体が、国際社会を公正と信義の国だけで構成されていると本気で信じているか否かなのだが、幼稚園児でもこれが嘘だということはわかる。ところが国是として60年以上もこれを大前提として堅持したことは、日本人の自己欺瞞を責められても抗弁のしようがない。旧社会党が唱えた『非武装中立論』は、SF的であるのだが、本当はもっと非現実的でSF 的なのは、憲法の前文と第九条を、天から与えられた至高の文章だと思い込んできた自家撞着的戦後パシフィズム、つまり戦後教育における平和ユーフォリアである。わかりやすく言うなら、これは水槽の中の金魚が水槽の中だけの世界観で、水槽以外の世界の論理に対抗しようとしている滑稽極まる思想である。

 アメリカの核の傘下に守られていながら、温室の中の日本は憲法第九条の美的な理想論を吹聴し、周辺諸国の敵意に対して、これを努めて見て見ぬふりをした。アメリカを誰よりも大事な庇護者だと思い込むことによって現実の脅威や矛盾から目を逸らし続けた。占領期、占領後、そしてそのあとの世界は東西冷戦に突入し、イデオロギー的には共産主義の驚異から西側を防ぐために日本は極東の防塁になっていた。アメリカは最初から日本を保護しようという考えはなく、常に冷徹なプラグマティズムで対日関係を持続している。冷戦が終結した後、アメリカは軍事的戦略を経済戦略にシフトし、同盟国の日本が最も驚異のある敵国となっていた。これに気が付かない日本は、東京裁判史観を基底にして、アメリカを慈愛深き父親だと思い続けた。アメリカは着々と第二の日本占領計画を実行していた。その手始めがプラザ合意であった。その次が1993年、宮沢・クリントン合意における『年次改革要望書』の始動であった。だが、これは一般国民の目から覆い隠されたところで着々と進行しており、小泉政権に至って、この対日内政干渉、すなわちアメリカの経済占領政策の完全な具現化が実行された。

 大雑把に語ったが、こういう戦後の推移の中、左翼ユーフォリアに浸っていた連中は、一旦はイデオロギー的には無彩色な道程をたどったが、平成のある時期を境にして、急速に右傾化した様相が見える。無彩色というのは、しばらくは左右に拘泥しない、ある種の無機的、無思想的な言論思潮に支配された時期という意味である。こういう中にあって、90年代の後半、小林よしのり氏のゴーマニズム宣言や「戦争論」などがメディアに表れて、その主張が示すように、世の中の思想的な空気は急速に保守論調に傾斜した。しかし、私はこの保守化が擬似保守化であり、本来の真正保守や右翼が求めるものとはまったく異質なものであることを痛感している。断っておくが、私は小林氏の業績は高く評価している。特に『戦争論』は日本人の情緒に訴えるやり方で東京裁判史観に疑念を持たせるという意味では画期的な作品である。多くの若者に読んでもらいたい。私が問題としている擬似保守は小林氏のことではなく、彼に影響されたであろう空気的な左翼感性の連中が、哲学的洞察も得ず、存在論的な思考過程も経ず、いきなり保守へ転向したことだ。

 実は急速に保守化を唱え始めた連中も、ほとんどは空気的左翼ユーフォリアであり、それが空気的右翼ユーフォリアに鞍替えしただけの話である。彼らには深い歴史の考察も、思想的洞察力もない。保守愛国とは言うが、日本人の文明論的位置づけの発想がそこにはなく、非常に軽薄な排外主義的ナショナリズムに拘泥している。この貧弱な精神を端的に示しているのが、ネット右翼と呼ばれる存在である。これについては文藝評論家の山崎行太郎氏の見解によく賛同できる。こういうことをきちんと言うには、個々に思想界の代表的言論人の名を上げて、思想論調の変遷を言うべきなのだろうが、今は省略する。私が大きな問題意識を持つのは、日本が左から右へ移行した時、国民には無自覚ではあったが、ある重要なものが失われたということである。左翼的ユーフォリアが、いつの間にか右翼的ユーフォリアに転調した時、日本の深層に横たわっていたある種の精神的な防衛装置が決壊したのだ。国民意識において、それが如何に重要な変質であるかを私は指摘したい。

 その前に、私は最近、左側の人たちとも親しくお付き合いさせていただき、左側の書物もつとめて読むようになっている。自分の年齢のせいだろうか、今は左側の考え方にも、なるほどなあと思うことが多々ある。これは思想転向などというスタンスとはまるで違っていて、私自身が右も左も同じ日本人であることを強く意識し始めたからにほかならない。右の人が左の人を揶揄して、「非国民め!」とか、左の人が右の人を指して「天皇カルトめ!」などと罵倒しあう構図に、私はなぜか笑えてくる。多分、罵倒し合い、排斥し合う左右バトルの構図は排外主義の隘路に陥り、両者ともに存在論的、文明論的な視野狭窄を招いてしまうからだろう。

 そう言う私はけっして高みから物を言っているわけではなく、自分の思想史を眺めた場合、左翼罵倒の恥ずかしい経験を持つからだ。最近は右にしても、左にしても、物の考え方、見方にある批判を感じたとき、最初に結論ありきではなく、つとめて鳥瞰的に、かつ文明論的史観から物を考えるようにしている。私は一人の日本人である。日本人であるから日本固有の文明を大事にしたいし、今の日本に生まれた日本人として、次代へ引き渡す文明の一翼を担っていきたいと願っている。同時代に生まれ合わせた他の人々とも、力を合わせて日本文明の継承をしていきたい。こう言うと大掛かりで大上段に振りかぶっているように聴こえるかもしれないが、何のことはない。爺さん、婆さん、父母、お隣の爺さん、婆さんから聞いたこと教わったこと、あるいは昔の書物を目にして感動したことなどを自分の経験で咀嚼し、自分にできる何らかの形で表現することが大事だと思う。現代人として生き、何か感じたことを次世代に語り継ぎ、次世代に考えさせていくことが、文明を継承するということだと思っている。地味ではあるが、親から子へ、子から孫へである。

 話が少し逸れてしまったが、思想風潮が左から右に転調した時、私は日本人総体が、先祖から受け継ぎ、心の内に宿していたある種の自己防衛装置が崩れてしまったと書いた。誤解なきように言っておくが、右や保守がいいとか悪いとか言うのではない。日本は左右イデオロギーの対立・交雑混交などを経ているうちに、外来の悪しきイデオロギーにすっかり侵食され、東京裁判史観とはまったく別個に精神の深部を侵されている。つまり、今の日本人は東京裁判史観とともに、精神の深部をもう一つの危険なイデオロギーに蚕食されているのだ。これを端的に示す人物こそ、小泉純一郎氏であり、竹中平蔵氏である。左右思想の位置づけから見た場合、人々は小泉純一郎という人物をどう捉えているだろうか。靖国神社に参拝し、特攻隊の遺書に涙したことを見れば、彼は紛うことなき真正の保守に見えるかもしれない。しかし、彼は村山談話を踏襲し、大東亜戦争をカール・マルクスの典型的な階級闘争史観で捉えている。右の要素も左の要素も強く持つ宰相、われわれはこれをどう把握するべきだろう。

 小泉純一郎氏の思想的内面に併存し、彼の行動原理をつかさどる強烈な左右の背理、彼が背負うその自己矛盾にこそ、戦後日本がたどった日米関係の哀しい歴史がある。日本人は左から右へ転向したのではなく、極論すれば、左から文明論的な意味における極左に転向しているのである。私が今言っている極左とは、フランス革命以前の全否定、つまりアンシャン・レジームを政治体制的に体現した国家、すなわちアメリカ合衆国の国是に日本人が取り込まれつつあるという話なのだ。

 さて、長くなったのでこれ以降はまた日を改めて書こうと思う。実は左から右へ向かった過程で日本人が喪失したものを認識することは、すこぶる重要である。最も肝心なそのことはまだ書いていない。

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コメント

なんか回りくどい書き方してるが、俺は嘘吐きが大っ嫌いなだけなのさ。
沖縄の2万人以下の集会を11万6千と大法螺吹いてみたり、中国のチベット人の大虐殺のことは全然報道しないのに、ありもしない日本軍の南京大虐殺はまるで事実だったかのように報道したり、朝鮮人売春婦の婆さんを日本軍のsex slaveだったと世界に向けて宣伝しているようなヤツラが絶対に絶対に許せない、それだけ!!

投稿: あびしにこふ | 2008年10月17日 (金) 23時03分

 本件主題に関しては、おおまかには管理人さんの主張通りです。
いろいろ言いたいことはありますが、小泉元首相についてだけ述べさせていただきます。

 小泉純一郎について

 彼は政治家になるべき人物ではなかった。彼は思考「脳力」に劣り、いわば彼自身が「B」層そのものであった、と言うしかない。彼は左か右かなど論ずるに値しない人物である。

 米CIAは、日本の政治家を常にウオッチしているようだ。彼が「脳力」に劣る人物であること、及び彼の弱点、欠点を早くから見抜いていたからこそ、米側は彼を精一杯利用したに違いありません。
 そうでも考えない限り、彼の政治家としての発言や反日的行動パターンは理解し難い。

 例えば、靖国神社参拝に関して言えば、彼の主張は、

<特攻隊員の遺書に涙し、靖国神社には国のために犠牲なった兵士が祀られている、彼らの犠牲の上に今日がある、犠牲になった英霊に誠の哀悼を捧げる。日本は戦争を二度としてはならない。「靖国神社に参拝して何が悪い?」と開き直る。>

 しかし、こんなことは日本人なら、左、右に関係なく当たり前のことにすぎない。それを一般人が言うならそれもよかろう、しかし彼は政治家、ましてや一国のトップである。

 特攻隊員の遺書に涙し、戦争を二度と起こしてはならないと本心で主張するのであれば、現在を生きる政治家としてなすべきことは、この国の軍隊(自衛隊)を二度と海外に派遣するようなことがあってはならない、集団的自衛権などもってのほかである。
 歴史の教訓も、そのように教えているではないか。日本は昭和初期に始まった中国へ軍隊を派遣しなければ、太平洋戦争に巻き込まれることもなかった。(誤解しないでください、軍隊は必要ないと言っているのではありません)。

 彼ら兵士は、戦時中「鬼畜米英」を徹底的にたたき込まれた兵士たちである。戦場に向かう兵士には、相手国と戦う「大義」もしくは「正義」に根ざす「憎悪」なくして銃口は敵兵に向けられない。そうでなければ、単なる殺人(犯罪)行為に楕す。

 英霊に「誠の哀悼」を捧げるのであれば、彼らの「怨霊」を払う必要がある。
 これこそが、日本人が持っていた「けじめ」であり、「大和魂」である。
 口先だけの哀悼であってはならない。小泉元首相は、その「鬼畜米英」に隷従してイラクへ自衛隊を派遣した、それが「英霊」に対する侮辱にあたることに彼の乏しい頭では全く気づいていない。

 さもなければ、彼らがたたき込まれた「鬼畜米英」という「怨霊」から解き放つ儀式、つまり先の戦争が間違っていたことへの「謝罪」と「何故今アメリカに従うのか」についての納得のいく合理的な説明を「靖国の英霊」に捧げる必要がある。そうでなければ政治家が靖国神社に参拝する資格はない。

投稿: いかりや爆 | 2008年10月16日 (木) 14時56分

 高橋さん>小泉純一郎氏の思想的内面に併存し、彼の行動原理をつかさどる強烈な左右の背理、彼が背負うその自己矛盾にこそ、戦後日本がたどった日米関係の哀しい歴史がある。

私(デカルト)は、こう思う。
「小泉は元来は左翼的人間だった。偶然で自民党総裁になり、首相の座に着いた後、強姦事件や愛人変死事件でアメリカにシッポを握られ、新自由主義者にならざるを得なかった。
元々、小泉は靖国にも関心はなかった。 が、ある事情で、毎年靖国に参拝したり、知覧でウソ涙を流さざるを得なくなった。
その事情とは、父親純也氏の出自である。
賢明な諸氏には、もうお分かりだろうが、純也氏は間違いなく朝鮮系である。
私は朝鮮系が悪いとは少しも思っていない。
現に、その血筋であればこその甘いマスクで、純也も純一郎も女性を夢中にさせることができたのである。 が、首相になった純一郎にとって、この出自は公にしたくないことであった。これが小泉が米国追随の新自由主義ポチになった理由であり、売国奴になった理由である。『朝鮮系説』はネットなど、陰で流れていたにも拘らず、週刊誌種にはなっていないことが、いかにアメリカが小泉を守ったかの何よりの証拠である(同時に、いかに小泉が米国に売国したかの証明でもある)。
首相にさえならなければ、小泉も稀代の詐欺師にならずに済んだろうにと、私は少しだけ小泉に同情している。

もうひとりの詐欺師竹中平蔵は根っからのペテン師である。あのスレッカラシ振りは、多分、子供時代に相当な差別を経験したからに違いない。暗い過去から決別するために、売国奴への道を選らんだのである。
『柔ちゃん顔』が幸いして、未だにB層は竹中がペテン師であることに気付いていない。 このことが今の日本の不幸を増殖させている。」

投稿: デカルト | 2008年10月16日 (木) 13時38分

「農薬大好き」

>大雑把に語ったが、こういう戦後の推移の中、左翼ユーフォリアに浸っていた連中は、一旦はイデオロギー的には無彩色な道程をたどったが、平成のある時期を境にして、急速に右傾化した様相が見える。無彩色というのは、しばらくは左右に拘泥しない、ある種の無機的、無思想的な言論思潮に支配された時期という意味である。

高橋先生が思想的に「無彩色」な時代と書かれておられるのは、おそらく私の二十代に重なっているものと思われます。この時期に私を驚かせたのが「玄米食ブーム」「自然食ブーム」「有機野菜ブーム」でした。
勿論、これ自体は大変結構なものなのでしょうが、私が驚いたのは、これらを勧める人たちの、熱のはいった話しっぷりと、それを普遍的なものであると信ずる姿勢が、かつての「社会主義信奉者」のそれと酷似していたことでした。
「これは学生運動や社会主義運動の代替品にちがいない」そう直感した私は、生来のヘソ曲がりから、絶対にこういう物は口にしないぞ、と心中強く誓ったのでした。なーに、少しくらい農薬が残ったものを食ったところで急には死ぬまい、私はそうタカをくくり、以来三十年、農薬のたっぷり染み込んだ野菜をぱくぱくと食い続け、平気な顔をして生きております。

おそらく若い「サロン・マルキスト」(うまい言葉が思いつかない)の何割かが「連合赤軍リンチ事件」をきっかけにして、自然食と、ある種の宗教に転身したのではないか、これが自分の来しかたを懐古するときの独断と偏見に満ち満ちた、支離滅裂な感想であります。

投稿: kenkensya | 2008年10月16日 (木) 07時23分

「独立の陰に」

先月まで暇だったので、とあるヤクザな会社に手伝いに出ていた。するとある日、商談で来られたビルマ人の女性(ご主人は日本人)を社長が戻るまでの三〇分ほどお相手しなければならないという事態に相なった。
話題もなく気まずいので私からアウン・サウンと並ぶビルマ建国の父、バー・モーについてうかがってみることにすると、相手の女性は「えっ、バー・モーさんをご存知なんですか?」と驚いた様子だったが、なに深田祐介氏の「美貌なれ昭和」を昔読んで、おもしろい部分を覚えていただけのことである。
相手が嬉しそうだったので、私は調子に乗ってバー・モーが戦争中は新潟で亡命生活を送っていたこと、GHQに捕らえられると「新潟には連合国司令部に対する大規模な反乱組織がある」という大ウソをついてGHQをきりきり舞いさせ、新潟の関係者と直接対決させられた際にはウィンクしながら「タイム、タイム、リトルタイム」と小さく言ったというのである。バー・モーは少し時間を稼げば東西冷戦からGHQが自分を必要とするときが来ると読んで、こういうホラ話をでっち上げたのだと新潟の日本人も直ぐにピンときた、という内容を話した。
女性は更に喜色を強め「私はバー・モーさんの弟さんの家族とはお友達なんですよ!日本にもこんなにビルマの事をよく知っている方がいるなんて感激です」と手を握ってきた。
ここで私に閃くものがあり、「ちょっとうかがいたいのですが、インド独立では(マハトマ)ガンジーばかりが有名ですが、(ネタジ)スバス・チャンドラ・ボースがいました。ビルマ独立でのアウン・サウンとバー・モーとの関係に似ているのではないでしょうか?」
女性は暫し考えていたが「少しニュアンスは違いますが、そういう部分はあるかもしれません」というお答えが帰ってきた。

私は積年の疑問がとけて胸のツカエがとれる思いだった。「そうか、国家が独立するには、ボースやバー・モーのような機略たっぷり、胆力十分、武力に頼ることも厭わない清濁併せ呑む、バイタリティ溢れる人間がどうしても必要なのだ。しかし残念なことに彼らは後に崇められるようになった権力者によって歴史から(少なくとも日本の歴史教科書からは)消されてしまう」―20数年前に行った杉並の蓮光寺に再度ボースの墓を見に行ってみるとしましょうか。

投稿: kenkensya | 2008年10月16日 (木) 02時49分

左から右へ向かった過程で喪失したわけではなく、喪失してることが明らかになっただけでしょう。今言われてる保守やネット右翼は、単に9条を信奉するような日本的サヨクではない者のことです。よって、それらの中身は本当の保守から世界的には極左で括られる者まで入ってます。その多くは世界基準で見れば左派です。保守や右翼の呼び名で括るのがそもそもの間違いなのです。それを切り分けずに論評してしまうと実態を捉え損ねます。

小泉には思想的な拘りのまったくない人だと見てます。右なら嫌がってやらないこと、左なら嫌がってやらないことを全然気にせず出来てしまう人なのだと思います。もっとも、これも今の日本の右左の分け方で見た場合の話で、実際には完全に左です。小泉には保守の要素など皆無です。

投稿: sadatajp | 2008年10月16日 (木) 01時00分

新三さん、こんばんは。

>小泉氏は、政治的には右派か左派の区別は
>つきませんが、経済左派であることは間違
>いないと思います。

 確かにあの人は左派ですね。何と言いましょ
うか、思想と経済総体として小泉さんをとらえ
ますと、左右のカテゴリーではなく『ヤクザ型
ネオリベ主義者』なのです。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2008年10月16日 (木) 00時33分

憂國板愛読者様

 こんばんは。あの板をご覧になっていたのです
か。まったくお恥ずかしい限りです。あれはもう
十数年前のことになりますか。あの当時、年甲斐
もなく拙劣な表現にとち狂っていました。私自身
は変わっていませんが、書き方がオヤジっぽくな
りました。(笑)

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2008年10月16日 (木) 00時27分

喜八さん、こんばんは。

>すでに「左右のカルト連中」のターゲットに
>なっているであろうと思います。

 カルトは左右にいるのですね。思想ストーカー
は昔何度も、掲示板等で遭遇しましたが、押しな
べて粘着質でたちが悪い。人格の下品さを撒き散
らす不快要因です。彼らの書く文の読後感はおよ
そ爽快とは対極にある汚物感ですからね。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2008年10月16日 (木) 00時21分

> 自分の思想史を眺めた場合、左翼罵倒の恥ずかしい経験を持つからだ。

ついつい昔の高橋さんを思い出しました(笑)
というか、昔のことになってしまったのですね。

投稿: 憂國板愛読者 | 2008年10月15日 (水) 22時59分

山崎行太郎さんや佐藤優さん、はたまた雨宮処凛さんなどは、右からも左からも撃たれまくっていますね。
これらの方たちとはスケールが違いますが、私(喜八)も左右から撃たれています。
が、これは当初から予想していたことです。
「自分の意見を正直に言えば、左右の(主に)カルト連中から攻撃されるな」と。
結局、淡々と自分の道を行くしかないですね~。

> 新三さん

城内実さんを応援し、「喜八」と付き合う新三さんは、すでに「左右のカルト連中」のターゲットになっているであろうと思います。
いまのところは、あまり撃たれてはいないかもしれませんが、今後は・・・。
こうなったら「しかたない」と諦めて、「我が道」を行くしかありませんぞ!(笑)

投稿: 喜八 | 2008年10月15日 (水) 22時32分

政治的な右派左派が存在すれば、
経済的な右派左派も存在します。

小泉氏は、政治的には右派か左派の区別はつきませんが、経済左派であることは間違いないと思います。

私自身は、果たしてどうなのかと考えてしまいます。

投稿: 新三 | 2008年10月15日 (水) 21時30分

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