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2008年11月30日 (日)

第二次補正の提出時期について(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第141弾です)

 第二次補正予算の提出時期をめぐって、色々騒がしくなってきた。景気対策をやるから衆議院選を先延ばしにしたのに、なぜ直ぐに予算案を提出しないのかという民主党。一部の与党議員も同様な発言をしている。それに対し、政府は色々な発言をするが、本音は、今提出すると衆議院では簡単に可決するが、参議院では引き延ばし戦術をされる。それでも予算案は衆議院の議決が優先されるから成立するが、関連法案が通らない。審議未了で、次の国会に回されたら、そこでは参議院で否決され、その場合、同じ法案は衆議院で再議決できないので廃案となる。つまり、今の国会に提出しても成立の見込みが無い。だから成立させるとしたら、次の通常国会の冒頭に出すのが最速だというわけだ。

 民主党は引き延ばしはしないという。しかし、同様な約束をした前回のテロ特措法の際も公然と約束を破ったのだから、その手に乗るもんかと政府は言いたいのだろう。党首討論だったと思うが、小沢さんが「二次補正関連法案はすみやかに議決をする。それができなかったら議員辞職をする」と言ったと、麻生さんが言うと、小沢さんが「そんなことは言っていない」と反論した。ということは、小沢さんの本音は、すみやかに議決はせずに引き延ばし戦術を取るつもりだから、議員辞職はできないということだろう。今、提出してくれれば、政府の景気対策は粉砕され、衆議院は解散に追い込まれる。そうであれば、民主党の主張の「すみやかな参議院での議決」は信用できない、つまりこれは罠だということになる。

 私の提案は、こんなちっぽけな第二次補正予算など忘れてしまえということ。どうせ効かないということは政府も認めること。その証拠にこれをやっても2008年度も2009年度もマイナス成長になると与謝野氏は言っている。そうであれば、組み直してその10倍程度の規模の補正予算を出すことだ。それならプラス成長になるのは間違いない。自然エネルギー革命を旗印に巨大財政支出を伴う5年計画を打ち出すとよい。そしてこの結果財政は健全化へと向かうのだという信頼しうるマクロ計量モデルの試算を国民に示すと良い。そうすれば、国民も希望を持つようになるだろう。

 麻生氏に言いたい。政治は求心力だ。人を引きつける力が無ければ誰も着いてこない。第二次補正を単に次の国会に回すのでは能がない。これでは12月の国会審議が消化試合になってしまい、一日1億円といわれる国会の維持費が無駄になると批判を浴びるだろう。第二次補正は全く不十分だが、これを通そうと思うのなら、民主党とじっくり話し合ったらどうだ。民主党も表向きは少なくとも参議院ですみやかに審議をして採決をすると言っている。例えば、補正関連法案の採決が年内に終わらなかったら、小沢代表が議員辞職をすると文書で確約するなら、今提出しても良いという条件をつけ、小沢代表の返事を待ったらどうか。小沢代表がNOと言えばやっぱり引き延ばしをたくらんでいるということが明白になるから民主党が悪いということになる。YESなら提出しても大丈夫だ。採決しなかったら、小沢さんに責任を取ってもらえばよいことだ。その約束を文書にしておけば、それは破れないでしょう。

 麻生さんの支持率はどんどん下がる一方だ。それはマスコミが連日麻生バッシングを続けているからである。小泉氏も失言は随分あった。しかし、麻生氏との違いは、マスコミを自由に操れたことだ。黙らせることができたと言っても良い。裏で飯島秘書官の活躍もあったのかもしれない。マスコミの政権批判は度を超している。実際、そのお陰で何回政権が変わったことか。このように頻繁に国のリーダーが変わる国もめずらしいし、そのための国政の停滞も免れない。野党も政策の実行ではなく、政局第一、政権の転覆のことばかり考えているから、当然政治は停滞する。迷惑するのは国民である。

 本来このように衆参でねじれ現象が起きているのであれば、与野党が協力して法案作りをしなければ、両者が拒否権を持っているのでは、何も決まらないのは明らかだ。米国大統領の任期は4年だが、この4年間は良くても悪くてもじっくり政策を実行させてみようという空気がアメリカにはある。野党が議会の過半数を握ったとしても途中でサボタージュをして政府を転覆させようなどとしていない。クリントンのホワイトハウス内で行われた浮気ですら、政権の命取りにはならなかった。

 弱体政権で何も政策が実行できないという状態は、日本経済にとっては致命的だ。隣の中国のように一党独裁なら何でもできるから、経済もどんどん発展できる。空港を造ろうと思っても、建設開始から約40年経ってもまだ土地収用すら完了していない。中国なら民衆が反対しようと問答無用で建設できる。結果としては、建設がすみやかに進んだほうが国民にとっては利益になる。財政出動をしようとしても、たった5兆円の財政出動の審議さえ始めることができない日本に対して、中国は57兆円の景気刺激のための投資をあっという間に決めた。風力発電でも日本は全部合わせでも1.5GWだが、中国は内モンゴル地域だけで1.5GWで、更にその地域に10GWレベルの施設を計画している。まさに「お金が無ければ刷りなさい」である。不況の時代、実行力のある強力な政権を持っている国が勝つ。お金をどんどん刷る国のほうが圧倒的に有利なのは間違いない。

 麻生さんに言いたい。日本経済を復活させるためにすべてを捧げるつもりで、思い切った政策を断行して欲しい。そのためには、国民に自分のやろうとしていることをきちんと説明できなければならない。今回の第二次補正では、GDPを0.5%しか押し上げることができない。しかし、今回の金融危機でGDPは1.5%だけ押し下げられる。麻生氏は3%成長を目指している。自分が目指す成長率を確保するにはどうするか。その結論は第二次補正の約10倍の財政出動をすればよいだけだ。そうすればGDPは10倍の5%押し上げられるし、5%から1.5%を引けば3.5%だから、目標は達せられる。弱体政権でも、筋が通っていたら国民は付いてくる。

 本日(11月30日)のTBSの時事放談で瀬戸内寂聴氏が質問していた。国は800兆円もの借金をしているのに、どうして国民に給付金を配れるのでしょうという素朴な質問だ。読者の方でどなたか瀬戸内さんと話す機会があったら次のように教えてあげて下さい。

読者「国には通貨発行権がありますから、お金はいくらでも作り出せます」

瀬戸内「そんなことしたら、インフレになるのでしょう」

読者「この世にはインフレかデフレかのどちらかしかありません。デフレは極端な不況の状態で、経済が最悪になっている状態です。だからこそ、小泉さんもデフレ脱却するという目標を掲げていましたが、実現しませんでした。デフレ脱却とは、景気をよくして経済をゆるやかなインフレ状態にするということで、インフレになったほうがよいのです。」

瀬戸内「でもね、終戦直後のインフレには国民は随分苦しめられましたね」

読者「ですから、どの国もインフレターゲットというものを持っていて2%前後のゆるやかなインフレ率に持って行こうとしています。日本も作り出したお金を使って、そのようなインフレ率になるまで景気をよくしていけば、日本経済は見違えるように活気に溢れたものになります。どのくらいお金を刷ればどのくらいのインフレになるかはシミュレーションで計算できるのです。」

 といった具合に、話を進めればよいでしょう。

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2008年11月28日 (金)

将来景気がよくなって金利が上昇しても、国の利払いを増やさないようにするにはどうするか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第140弾です)

 昨日(11月26日)の日本経済復活の会の定例会で、櫻井充参議院議員が、将来景気がよくなったときの金利上昇について心配しておられた。まさにこの点を財務省は最も恐れている。だから彼らは金利が上がらないように「努力」している。金利が上がらないようにする努力とは、すなわち景気を悪いままにしておく努力だ。
 しかし、景気を良くしても、国の借金に対する利払いを抑える方法がある。それは日銀が国債を買うことだ。下図のように、現在日銀は国債の10%を保有している。たった、10%だ。それでも日銀は利払いを受ける。そこで利益が出ると、その大部分は剰余金として国庫に返している。国債の利払いは日銀を通じて国に返してもらえるのだということに注目しよう。

国債の所有者内訳
Photo

 次の表が、その剰余金のリストである。2007年度の剰余金は、円高による損失が発生して、やや少なくなっている。

日銀が受け取った利子などの利益と国庫納付金(日銀のホームページより作成)

年度        税引前当期剰余金  国庫納付金

平成10年度   1兆5115億円      1兆4360億円
平成11年度   1兆1374億円      1兆 858億円
平成12年度   1兆3377億円      1兆2581億円
平成13年度   1兆4813億円      1兆3904億円
平成14年度      5988億円         5053億円
平成15年度       555億円          472億円
平成16年度        2915億円            0
平成17年度        3338億円         3171億円
平成18年度        7805億円         7414億円
平成19年度        6873億円         6087億円

 例えば、金利が今の2倍になったとすれば、国が払う国債に対する利払いは20兆円程度になる。もし、国債の半分を日銀が保有していたとすれば、利払いのうちの半分の10兆円は国庫に戻ってくるから、利払い負担は半減する。だから日銀が多く国債を保有しておけば安心なわけだ。しかし、日銀が実際にやっていることは、売りオペだ。どんどん日銀の国債保有残高を減らしている。最近数年間で30兆円も減らした。これは景気が過熱したときに景気にブレーキを掛けるときにやる政策でデフレの時にやるということは、逆にデフレを悪化させるから「キチガイに刃物」と言ってもよいくらいだ。

 海外に目を向ければ、11月25日にアメリカの中央銀行に当たるFRBは追加経済対策として77兆円出すことを発表した。お金を刷って、住宅ローンや証券化商品を買うのだ。言ってみれば不良債権の買い取りで、それによって資金が市中に流れ込み、消費を拡大し、自動車産業にも好影響を及ぼすということだ。中央銀行が市中から買える物は片っ端から買って市中に資金を流す。通貨の大増発だ。日本のような失敗を繰り返さないための正しい政策である。

 金融危機に対応するため連発した救済策により、アメリカ政府とFRBが投融資や債務保証の総額(日本で言う景気対策の規模)は760兆円である。日本はすでにデフレが長期に続いていて、今後更に景気は悪化しそうなわけだから、経済は日本のほうがはるかに悪く、アメリカ以上の景気対策が必要なのだが、第二次補正でもやっと27兆円で、それも本予算で公共投資を5%削減、将来の消費税増税、たばこ税増税などがセットとして考えられているから、景気浮揚効果はそれだけ少なくなる。正直、本当に景気を良くする気があるのかと思ってしまう。

 日本もバブル崩壊で巨額の不良債権が発生した。政府・日銀はなすすべもなく長期に放置したから、北海道拓殖銀行や長銀などが破綻に追い込まれ、銀行が自力で不良債権処理をするようにさせたから、銀行は体力が低下し、経済の再建の足かせとなった。さらに不良債権の新たな発生を恐れ銀行は融資に慎重になり、中小企業に対する貸し渋り、貸しはがしが公然と行われ、それが企業の倒産を招き、設備投資にも悪影響を及ぼし、新規事業を始めるにも支障が出て、日本経済の停滞の原因となった。バブル崩壊で急激に景気が悪化していたのに、日銀は金利を下げずに強烈な引き締め政策を続けていた。このような経済政策の大失敗の二の舞にならないように、各国の動きは素早い。

 もしも、FRBのように日銀が素早く金利を下げ、不良債権を初期の段階で一気に買い上げていたら、デフレで国民を苦しめ、自殺者が年間3万人を超えるという世界の歴史に残る大惨事を起こさずに済んだに違いない。中央銀行が刷ったお金で買い上げている限り、これは国の借金ではない。第一、FRBも日銀も法人組織であり、ある意味で民間銀行だ。日銀は資本金1億円の特殊法人である。しかし、株主総会もなければ、株主が総裁を選ぶわけでもない。それでも形の上で法人にしておけば、日銀が国債を持ったとき、その国債が国の所有物ではなく、民間会社の所有物だと言いたいようだ。だから日銀が国債を買い取っても借金の返済にはならないという論理である。しかし、政府から独立した民間会社に国の運命を任せてよいのだろうか。

 ヴェルナーの『円の支配者』には確か次のようなことが書いてあった。バブルが崩壊し、日本経済が急激に悪化していたころ、ヴェルナーが日銀の理事に、問いただしていたとき、日銀の理事は「ここで日本経済を悪くしておかないと構造改革ができないのですよ」と言ったという。日銀は意図的に景気を悪くした。今もそれを改めようとする気配は全くない。これは歴史的な犯罪行為ではなかろうか。

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2008年11月26日 (水)

期待を裏切られることの虚しさ「麻生幻想瓦解」

 日毎に寒さが募ってくる今日このごろ、しもじもの連中の一人である私、神州の泉は「ホッケの煮付け」を食べてDHA(ドコサヘキサエン酸)を適度に摂取しよう。日本人が、こうして和食の基本を踏襲(ふしゅう)して、健康に心がけていれば、未曾有(みぞうゆう)の経済危機に対応できるかもしれない。

 植草さんは麻生首相を、一国の命運を預かる宰相としては資質的に相応しくないと言い続けている。この見解には賛同せざるを得ない。「麻生政権も間違いなく亡国政権だ!!」の中では、10月3日の参院代表質問で、国民新党の自見庄三郎議員が、郵政民営化の問題点について触れた時、麻生首相はほとんど要領を得ない短い答弁をしたことを言った。私も、過去の麻生氏の政策態度を見る限り、この御仁の政治哲学には疑念を感じる。彼は「医師には社会常識がかなり欠落している人が多い」と言ったが、本人こそ、一貫した国政概念がない人物のように見える。

 正直、私は麻生首相が、小泉構造改革の本丸である「郵政民営化見直し」を断行するかもしれないと、ひそかに期待していた。今までは面従腹背で小泉氏に従っていたが、腹の中では天下を取ったら、ただちに小泉・竹中路線を全否定して、従来のケインズ的色彩の濃い日本型資本主義へ路線変更してくれることを期待した。つまり、新自由主義の荒廃から、ケインズ的再分配路線への舵取りである。実は麻生氏については、そう思える伏線があったのだ。しかし、総理大臣になってからの言動や行動を見る限り、私のかすかな期待は完全に裏切られている。だから、植草さんが指摘するように、この人物は総理の器ではない。

 では、私が麻生氏にかすかな期待を寄せていた理由を述べよう。

 小泉官邸主導政治で、最も悪質で政治の本分を曲げたのは何かと言えば、2001年の省庁再編で内閣府に設置された「経済財政諮問会議」であった。

 郵政民営化についての主なる討論の場は、竹中平蔵元経済担当相の進言によって、この「経済財政諮問会議」に移された。

 この協議機関は、それまでの財務省主導の予算編成を、政治主導に切り替える目的で造られたと言う。しかし、自分のような素人目で見ても何か違和感を感じる。これは国政の正当な機関と言うよりも、何か特殊な偏向性を帯びた私設の政治懇談会に見える。例えは適当ではないかもしれないが、この協議会は極東国際軍事裁判のような私設性を感じるのである。

 郵政民営化法案を固める最も重要な時期、2004年と2005年当時のメンバーは以下である

○小泉純一郎 議長 内閣総理大臣
○細田博之 内閣官房長官
○竹中平蔵 経済財政政策担当大臣
○麻生太郎 総務大臣
○谷垣禎一 財務大臣
○中川昭一 経済産業大臣
○福井俊彦 日本銀行総裁
○牛尾治朗 ウシオ電機(株)代表取締役会長
○奥田碩 トヨタ自動車(株)取締役会長
○本間正明 大阪大学大学院経済学研究科教授
○吉川洋 東京大学大学院経済学研究科教授

 郵政民営化の骨子は、事実上この陣容で決定され、具体的な準備作業は内閣官房の郵政民営化準備室で行われた。上記のコアなメンバーそれぞれの、新自由主義に対する考え方を調べれば、非常に興味深い結果が出てくると思うが、この会議の問題点は密室性であろう。この中でディスカッションされた重要な課題について、誰がどのような意見を言ったのか、ほとんど世間に出てこなかったと記憶している。

 旧田中派をイメージして、小泉氏が徹底的に敵視した旧弊なる抵抗勢力政治には、政治の「密室性」があったはずだ。ところが、国土全体にまたがる大規模なインフラを構成する郵政事業民営化については、閣議決定までの重要な過程が、密室というブラックボックスを通過している。郵政民営化という国家的な大事業の核になるプランが、少人数で、しかも密室的な協議で行われている。これが国政のあるべき姿なのだろうか。

 2004年の諮問会議と首相主導の決定過程に対して、自民党は大きな不満を抱いている。通常は閣議決定の前には、自民党の政調会や総務会で法案審査の手続きがなされるそうだ。ところが郵政民営化の時は、この与党審査手続きが省略された。この年9月の内閣改造に際し、小泉首相は「民営化への賛否」を入閣の判断材料とすると言って、入閣希望の中堅郵政族を脅している。このため、郵政に詳しい実力議員は海外出張を繰り返すなどして発言を控えている。当然、民営化審議は竹中氏の独壇場であった。

 しかし、実はこの流れの中で、10年間にわたる民営化への移行期間後に、持ち株会社の郵貯会社と簡保会社の株式をすべて売却するかどうかで熾烈な対立があったようだ。アメリカに郵政資金を朝貢する意図の竹中氏は、もちろん全株の完全売却であったが、当時、総務相の麻生太郎氏は一定保有の継続を主張した。この後、両者にはかなりのバトルが白熱したらしい。株売却様態のほかに、もう一つの両者のバトルがあった。それは郵政公社の分社化における時限的な考え方の相違であった。竹中氏は2007年の民営化スタート時には、予定通り、即日完全分社化を強硬に主張したが、麻生氏は「段階的、逐次的」分社化を主張した。このバトルはしばらく紛糾したが、結局は小泉氏の首相権限で竹中氏に軍配が上がった。、

 郵政民営化について麻生氏の立場を言えば、総論賛成、各論反対であった。つまり、民営化そのものは賛同するが、持ち株株式の売却には政府が一定保有せよ、もうひとつは郵政公社の分社化は急ぐな!であった。

 読者の皆さんには考えて欲しいことがある。小泉元首相と竹中元郵政大臣が、郵政株の完全売却と同時分社化に異常すぎる執念で固執したことは、いったいどういう意味を持つかである。本来の日本的な政治風土であれば、分社化を急がなければならない理由は何もない。これだけ巨大な事業である。むしろ、注意深く着実に様子を見ながらやっていくという方法論が採用される。その試行錯誤の中で安全に堅実に民営化を実行していくというのが正常な考え方だ。その意味で、当時の麻生氏の言い分は正当なものだ。ところが、小泉氏や竹中氏は郵政公社の分社化を是が非でも急がなければならない強い理由があったわけである。読者のどなたかがその理由を聞いたことがあるだろうか。

 ここで、思い浮かべるのは城内実さんの国会質問である。城内さんは、2005年6月7日の衆議院郵政民営化特別委員会において、竹中大臣に対して、過去一年間に米国と郵政民営化問題について何回会談、協議したかという質問を真っ向から浴びせた。竹中氏は何と17回と答えている。アメリカ政府筋(おそらくUSTR筋)が郵政民営化について、並々ならぬ関心どころか、強圧的な監視をしていたことがわかる。

 お分かりだろうか。郵政公社四分社化強硬論は、竹中氏がアメリカ政府要人と会った時に、最優先事項として指令されていた可能性が高い。つまり、年次改革要望書の絶対なる具現化である。小泉氏も、竹中氏も、「年次改革要望書」指令の文脈で動いていたことは疑う余地はない。郵政民営化とは巨大な国益毀損と国家の安定性を破壊する憲政史上、最大の悪法と言えるだろう。

 今の日本で宰相をやるには命がかかることだと思う。麻生氏にはその気構えがない。彼は郵政民営化のいかがわしさには気が付いていたと思う。しかし、いざ最高権力者になってしまったら、決断力も政策の一貫性もないことが見えてきた。優柔不断、迷いの人である。私は麻生太郎という人物は、中川秀直氏や竹中平蔵氏など、バリバリの構造改革推進強行派とは違って、米国の要望に盲従する議員ではないと思っていた。腹の中では新自由主義に基づく構造改革路線は反対、郵政民営化も反対だと思っていた。

 しかし、その期待は見事に打ち砕かれた。

参考図書

 ○
内山融「小泉政権」中公新書

 ○鈴木棟一「小泉政権50の功罪」ダイヤモンド社

  

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2008年11月25日 (火)

自然エネルギー革命で日本経済復活を (小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第139弾です)  

 景気対策をやるという麻生内閣だが、第二次補正でもそれほど効果があると思われていない。実際、与謝野大臣も今年も来年もマイナス成長だと言っている。これでは3年後に名目で2~3%の成長すら、夢のまた夢だろう。今後アメリカもEUも中国も自然エネルギーに巨額の投資をして、どんどん経済を発展させてくる。この分野で日本が取り残されたら悲惨なことになる。

 自然エネルギーに巨額投資をすることは、景気回復には極めて有効だし、京都議定書に定められた二酸化炭素の削減目標の実現に前進できるし、エネルギー自給率を上げることも可能だし、開発された技術はどんどん輸出できるので、日本の貴重な財産になる。赤字国債を出して投資すると、確かに国の借金は増えるが、すでに借金は巨額なので増加率ではそれほどでもない。しかし、同時に名目GDPも押し上げる。借金の増加率より名目GDPの増加率のほうが大きく、結局借金のGDP比は減っていき、その意味で将来へのツケは減っていく。

 例えば風力発電は、極めて有望な自然エネルギーである。2007年末で世界の風車発電設備容量は約100GWとなっている。1GWは原発1基分と考えれば良く、世界では原発100基分の電力が風力発電で行われている。風力発電は世界各国で建設が進んでいるが日本は取り残されている。日本は2007年で発電容量は1.538GWで、世界の中のランキングは数年前には8位だったのが、今や13位に転落した。これは下図で示した。

Photo

 世界の総電力需要は2TW=2000GWであるが、最大限自然エネルギーを利用した場合、風力で72TW, 太陽光で1780TWの発電が可能である。ということで、自然エネルギーを十分使うなら、化石燃料などを使って二酸化炭素を出し続ける必要はない。日本での電力需要は約150GW。つまり原発を約150基作れば、全部原発でまかなえる。現在日本にある原発で47GWの電力を起こしている。原発は事故やテロが怖いし、高レベル放射性廃棄物の処理も大変だ。だからこそ、風力や太陽光などの自然エネルギーの利用が望まれる。

 例えば中国は内モンゴル地区に風力発電の大プロジェクトがあり、現在1.59GWの発電能力があるから、ここだけで日本以上だ。しかも一カ所で10GWの発電をしようという計画がる。こんな電力をどうやって使うのか。中国人はここに工場を造ればよいという。労働力が安い中国で、こんな安くて豊富な電力が使えるようになったら、日本にある企業は勝てるわけがない。

 EUも2010年までに自然エネルギーの比率を総エネルギー消費の12%にする目標があり、10兆円の投資をしようとしている。100万個の太陽光発電システムと10GWの風力発電と10GWのバイオマス発電だ。

 日本は陸上では、風力発電のできる場所は限られている。風が強く、太い道路が整備されていて、送電設備が整っているところは少ない。しかし、海上を考えれば日本は世界第7位(447万平方キロメートル)を誇る排他的経済水域を持っている。風力発電にとって風が強いことは極めて重要で発電容量は風速の3乗に比例するから、風速が2倍になれば発電容量は8倍になる。洋上は風が強く、徳に沖ノ鳥島付近は強いからこのあたりだけで日本の全エネルギー需要を満たせるという試算がある。

        出所:電気事業連合会 2004年1月
Photo_2

 上図は各発電方法に対する発電単価である。風力も他と並ぶ程度になってきている。風力の場合、大規模になればコストは下がる。それにこれは鋼鉄製で作るとして計算されているので、17年しか耐用年数がないとして計算されている。しかし、太田俊昭氏によるカーボンファイバー(SCF)を使ったものなら耐用年数は80年以上とされていて、そうなると発電単価はずっと下がってくる。

 政府もこういったプロジェクトにもっと積極的に資金を出すべきである。平成のニューディール政策としてもよいのだ。「お金が無ければ刷りなさい」である。不況克服に巨額財政出動をせよというクルーグマンの呼びかけに耳を傾けるときが来た。

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2008年11月24日 (月)

「マッド・アマノの『謝罪の品格』」書評!!

Photo_2  私が親しくお付き合いさせていただいているパロディストのマッド・アマノさんの新著、「マッド・アマノの『謝罪の品格』」が、このほど平凡社新書として発売された。

 実は、この新書は今年の8月中旬に発売される予定だった。その一ヶ月前の7月中旬、本ブログにて、その『前書き』文を掲載したのだが、実際の発売は三ヶ月遅れて11月中旬になってしまった。内容は、企業、大学、芸能人、その他、さまざまな人々の「謝罪」を窓口にして、日本社会の特異で興味深い姿を浮き彫りにするものだが、著者のマッドさん特有の鋭い社会批評眼が余すところなく散りばめられている。

 日本人の公的な『謝罪』の様態は、すっかり慣習化、様式化され、それはすでに日本文化の一形態として強固に根付き、一つの「謝罪文化」を形成するまでになった。だが、マッドさんの鋭い感性は、この謝罪慣習を見て、そこには一筋縄ではいかない、日本人特有のさまざまな事情があることを見て取った。こういう繰り返される公的謝罪は、一体誰に向けてのものか、何のためのものなのか、どんな意味があるのか?などを、マッドさんは長年、社会風刺を生業(なりわい)にしてきた、その洗練されたプロの視点で見事に描ききっている。

 マッドさんは、この十年余り、丹念に集めた300件にも達する諸々の謝罪記録から50選を抽出し、それらの事例から湧出する社会の姿を面白く描いている。謝罪には、もちろん真摯な謝罪もあるが、中には謝罪する側の論理からくる止むに止まれぬ裏事情や、世間を騙す嘘の文脈で行われる場合もかなり散見される。私がマッドさんを尊敬するのは、パロディストとして、彼の作品に強く惹かれることはもちろんだが、その作品を創出するご本人の透徹した深い知性と、お人柄に惹かれているからだ。当然、私は彼の手になる文章そのものにも強く惹かれている。非常に洗練された知的文章であり、適度に抑制された表現や、その配置バランスの美しさは、柔らかく徐々に脳に働きかけ、読むものをけっして疲れさせないのだ。この本も、全体を通じて非常に読みやすい筆致で書いてある。

 この本には謝罪の「頭下げ」写真がふんだんに使われており、それに応じたマッドさんの社会批評文が個々に記されている。18個の小見出しがあり、その中には全部で50近い謝罪エピソードが語られている。しかし、このエピソードは年次的にも、話題的にも個々に独立した謝罪マターを陳列しているように見えるが、読み進むうちに、謝罪から見えてくる日本社会のパノラマ的視界が徐々に開けてくるようになっている。ざっくばらんに言うと、各駅停車の列車に乗って、各駅の風物詩を観光しているような視覚的な楽しさ、新鮮さがある。

 だから、読み始めると止まらない面白さがある。特に「神州の泉」を見ていただいている方々も同じような読書体験ができるだろう。謝罪マターが無機的に羅列されているのではなく、時にはマッドさんのユーモア、ブラック・ユーモアの目線を通じて、時事問題の本質が語られていく。読み進むうちに、個々の謝罪マターの背景に、一本の有機的な連環が見えてくる感じがとても面白いのだ。

 主にマッドさんが、力点を置いて書いている事柄は、裏に国際金融資本の暗躍が垣間見える背景を持つ「謝罪」である。私が最も興味深く読んだのは、やはり、証券会社や銀行に関する記述だった。例えば、山一證券が破綻し、北海道の拓殖銀行もつまづいた。山一證券はあの金融ビッグバンの犠牲になった最初の金融会社である。また長銀が破綻し、八兆円という国庫金が充当されたが、リップルウッドに破格の超安値で買収された。そして2003年のりそな銀行の「不自然な」国庫救済の話である。マッドさんはこれらの動きに、ある種の符号を感じ取り、影に国際金融資本の暗躍を読み取っている。同時に「年次改革要望書」によって、商法改正やその他、ネガティブな力学が日本社会に作用していることをマッドさんならではの視点で鋭く読み取っている。

 りそなに関する記述の中で、マッドさんは植草一秀さんの事件にも言及している。植草さんは小泉経済政策の全体を批判する急先鋒だったこと、りそな銀行救済劇の裏にインサイダー取引の疑惑があることを提起したことで謀略的に嵌められた。マッドさんも、私と同様に、植草さんの無罪を信じ、彼は嵌められたものと信じると書いている。これについて、マッドさんはもっと紙数を費やしたかったようだが、本の主旨やその他の理由で最小限に止めている。それにしても神州の泉は、平凡社という大手出版社が、この事件における冤罪観点の記載をよく許可したものだと思う。実に懐が深い出版社だと思う。

 この本の内容はハードなものが多いが、軽快な筆致とマッドさん特有の抑制された読みやすい文章力で、最後まで新鮮な気分で読み進める。是非、一読をお勧めしたい一冊だ。

 最後に、最近、歌手のフランク永井さんが永眠され、淋しい思いをした。彼の有名な代表歌がある。「♪あなたを待てば 雨が降る 濡れて来ぬかと気にかかる ああ ビルのほとりのティールーム」で始まる「有楽町で逢いましょう」である。昔から大好きな歌だ。恋人達の逢瀬を、しっとりとした情感で歌い上げた名曲である。新自由主義が猖獗(しょうけつ)をきわめる現代東京では、もはやありえない叙情性である。この二番目の歌詞に「♪ああ 小窓にけむるデパートよ」と、デパートが登場するが、このデパートは破綻した「そごう」である。マッドさんは、一時代を築いた「そごうデパート」の凋落の影に国際金融資本の暗躍を読み取っている。この視点は私にとって実に新鮮な驚きだった。なるほど、これもそうだったのかと。(※マッドさんのパロディ・タイムスにも私の簡単な書評が出ています)

                       神州の泉・管理人 推薦の一冊
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2008年11月22日 (土)

大不況克服へ巨額財政出動をせよ。債務増を心配する時でない クルーグマン(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第138弾です)

  11月17日の朝日新聞に今年ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンの主張が出た。以下、彼の主張の一部を引用する。

「大不況克服へ巨額財政出動をせよ。債務増を心配する時でない」

 金融政策が影響力を失い、財政政策しか残っていないというのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では、貯蓄を高めることが悪いことで、健全な財政も悪いこと。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべの世界」だ。

 ここは長くいたくない。「奇妙な経済学」を永遠に続けたくない。しかし我々は今ここにいるのだ。

 かねてから、財政出動に反対していた朝日新聞がこれを取り上げたことを我々は注目したい。やっと分かってきたのか。我々は平成20年10月24日に提出した質問主意書で麻生総理に対し次のような質問をした。

 今年ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンは、『グローバル経済を動かす愚かな人々』の中で日本経済に関して「まずは需要を増やすことである。そのためには信用拡大のための通貨供給の大幅増大だけでなく、公共事業の拡大、減税の実施などが肝要である。」と述べている。これについてどのように考えるか。

 これに対し、平成20年11月4日に麻生総理からの答弁書(内閣衆質170第159号)が届いた。それによると

 ご指摘の見解は、我が国経済が、バブル経済の崩壊により、極めて厳しい不況を経験し、ある時期には危機的な様相さえ呈していた平成10年当時において、極度の消費や投資の手控えから需要不足に陥っているという認識の下、通貨供給量の増加等の対応策について述べられたものと認識している。

 だそうだ。「でも麻生さん、それっておかしくないですか。あなたは、今の経済危機が100年に一度と言ったはず。ということは10年前より今の方が悪いということでしょう」という内容で、質問主意書を書いておいた。それに対する答弁書では、10年前を今とでどちらが悪いとは一概に言えないと答えた。だったら、クルーグマンの言ったことが今に通用しないというのはおかしい。

 100年に一度の経済危機と言いながら、どうも麻生氏には危機感が無い。3年後には消費税を上げるという発言も危機感の欠如が感じられる。麻生氏には是非11月18日の日経の大機小機を読んでいただきたい。キーポイントだけを以下に引用しよう。

 1929年のクラッシュ時の大統領はフーバーだが、なすすべを知らず、不況の深化を傍観して任期を終えた。33年にフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任してやっと「ニューディール政策」が動き出す。
 フーバー大統領は健全財政こそが最良の策だとずっと信じ込んでいた。大恐慌への経済学の処方せん(ケインズ「雇用・利子・貨幣の一般理論」)が出たのは36年になってだが、すでに日本やドイツは戦時体制に走り始めていた。
 ルーズベルト大統領が就任演説で語った次の言葉は今もあてはまる。「われわれが恐れるべき唯一のことは、恐怖それ自体だ」

 今、日本が景気回復をするために最も重要なことは、日本国民に心配しなくてもよい、日本経済は大丈夫だという強いメッセージを送ることだ。お金がなければ刷ればよいのだから、口が裂けても増税を口にすべきでない。増税を提案するのは、名目成長率が他の先進国並の5%を超えたときだ。現実に戻ると、日本の名目GDPは1997年には513兆円であったが、2007年度は515兆円だ。10年間の平均成長率は僅か0.04%。低成長の世界記録としてギネスブックに申請したらどうだろう。2008年度は大幅マイナス成長だから、11年間の平均成長率はマイナスとなって低成長の世界記録を更新するだろう。

Photo

 この最悪の経済から抜け出す唯一の方法は、クルーグマンが言っているように巨額財政出動だ。日経新聞も風向きが変わったのだろうか。11月17日に「日本は内需拡大を」という見出しでコロンビア大学のヒュー・パトリック氏のインタビュー記事を載せている。

 日本は具体的に何をすべきかという問いに対し「公共投資の増額や減税を通じて、消費者の消費意欲を回復させるのが先決だ。もちろん時限的な措置だ。財政再建は重要だが、20年程度の時間をかけて取り組むべき課題だ。いまは経済の底上げ策を優先する時期だ。政府債務に対する過度な心配は不要だ。」

 読売新聞も11月15日にポール・サミュエルソンの財政出動をせよというアピールを載せている。

 景気対策で最も重要なことは、その対策が名目GDPをどれだけ押し上げるかを正確に予測し、日本の名目成長率を適正レベルまで引き上げることができるような規模で景気対策をすることだ。

 麻生総理は、3年後に消費税増税と言った。景気回復という条件付きだったが、我々は、その条件を数字で示せよと質問主意書で要求した。答弁書には直接その数字を明言しなかったが、首相官邸で記者団の前でその条件は「成長率2~3%が続いた」状態だと言った。ということは、名目GDPが毎年10兆円~15兆円増えるようになったらという条件だ。現在のような政策でそのような成長はとても無理だということは上図で分かる。世界経済が30年で最も良い状態と言われ、大変な追い風が吹いていた小泉政権時代ですらそれを達成できなかった。現在金融危機の暴風雨から立ち向かうにはどれだけの財政出動が必要かを麻生氏はきちんと計算しようとしない。野村総研の試算も参考にすればよい。この逆風を打ち消すためだけで、第二次補正の3倍くらいの財政出動が必要なのだ。与謝野氏も言ってる。今年も来年もマイナス成長だと。情けない。プラス成長に、いや2~3%成長にするんだ。そのために○○兆円の財政出動をやれば、それが実現するんだと国民にアピールすればよいではないか。政府が自分で落ち込んでばかりでどうする。

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2008年11月21日 (金)

元厚生事務次官の連続殺傷事件は構造改革派の足掻きなのだろうか!?

 相次いで凶刃に見舞われた元厚生事務次官の事件が今、国民の戦慄を招いている。ベンジャミン・フルフォード氏のBBSコメント欄に、そうとう注意を引く書き込みがあった。「日本を独立国家にするために」という記事に付いた西澤草介という人のコメントだ。かなり生々しい人名が出ているので、本ブログではその転載を控えるが、内容は本質を衝いているかもしれない。

  二人の元厚生事務次官とその家族が相次いで襲撃された。奥さんともに凶刃に倒れた山口剛彦氏(66)と、奥さんが刺されて重症を負った吉原健二氏(76)は1985年当時、年金局の上司と部下の関係だった。これは深刻な年金問題を露呈する厚生省に対する怒りのテロなのかとか、個人的な恨みなのかとか、さまざまに取り沙汰されているようだ。

 フルフォード氏のBBSのコメントでは、およそ次のようなことが書かれている。この刺殺事件で狙われた二人が事務次官をやっていた時期と、小泉純一郎氏が厚生大臣をやっていた二期が、みごとに重なっていると。先日、麻生・小沢の党首討論があり、国会の会期がのびたので、民主党の長妻議員が、今回狙われた二人を証人喚問に呼ぶ予定だったと聞いたと書いてある。この二人の元事務次官が国会で、年金のことを暴露し始めたら、困る人たちが出てくる。それで、その困る人たちが暗殺チームを雇ったというきわめてストレートな表現を、このコメンテーターはしている。

 私としては、困る人たちが何者かなど、具体的なことはいっさい言う根拠を持たないが、推論的に言うなら、小泉構造改革派を形成したコアーな連中が、小泉政権のはるか以前から、年金利権にかかわることに手を出していた可能性は高い。私は今回の元事務次官襲撃事件は、厚生省行政に対する怒りの暴発などという社会テロとは違うような気がする。あくまでも推測だが、民主党の長妻議員が、この二人の元事務次官を証人喚問した場合、今まで隠蔽されていた何か重要なことが暴かれてしまい、それによって困る人たちが出てくる。その困る人たちは小泉構造改革路線の強力な推進者だったという話はありそうな気がする。

 そこで、今回の連続殺傷事件を、厚生省に鬱屈した不満を叩きつけたかのような文脈でマスメディアは報道しているが、事実は年金利権を暴かれたくない分子が刺客を雇い、二名の元事務次官を襲撃させたということではないのか。しかも、これにはもっと明確な目的があるかもしれない。それは、この事件の最も肝要な点は、本人以外に、家族も凶刃に巻き込まれていることだ。政治的なテロならば、元事務次官本人だけをターゲットにするだろう。しかし、今回は初めから家族の殺傷も意図していた節がある。これはテロと言うよりも、ある勢力が故意に放った警告メッセージではないだろうか。

 今、小泉構造改革は、大元の自民党からも見直しの批判を浴びている。アメリカの新自由主義が破綻した今、このまま行くと小泉構造改革の存在理由がなくなってしまう。それどころか、日本経済をここまで逼迫させた責任を問われかねないのだ。小泉構造改革は、止まるところを知らない格差社会の現出を筆頭に、金銭至上主義、市場原理原則の行き過ぎ等に批判が集中している。これを推し進めたコアーな連中は、さまざまな利権に絡む、もろもろの罪深い犯罪を行っているかも知れず、彼らの地位が廃れるに従って、その犯罪が暴かれることを未然に防ぐという意志が働いているのではないだろうか。

 たとえば、植草一秀さんが指摘した「りそなインサイダー取引疑惑」だ。これは戦後史最大規模の金融犯罪疑獄になるかもしれない超弩級懸案なのだが、これに関与していた中枢的勢力の正体が暴かれる動きが出てきているのではあるまいか?小泉構造改革路線の全否定とは、結果的にこの政権にまつわる諸々の犯罪が表に出されてしまうということでもある。これを恐れた該当勢力は刺客を雇って何人か殺傷した。そこには罪もない家族への殺意もはっきりと示した。二人の事務次官が小泉厚生大臣の時期と重なっているという事実は、構造改革派のコアメンバーが地位保全とともに、犯罪暴露を恐れていると考えるのは行き過ぎだろうか。

 今、彼らは必死の抵抗を試みているのかもしれない。つまり、事情を知る者たちを脅すことによって、緘口令を敷きたいと思っているのでは?そのために、もし事情を喋ったら、家族さえも生贄にするぞという強いメッセージを放った?余計なことはいっさい言うんじゃねえぞ!ということだろうか。当時の事情を知る者は決して口外せず、墓場まで持って行けという暗黙のメッセージが、この連続殺傷事件にはあるような気がする。

 最後に、今、マスコミの麻生総理へ対する異常極まるバッシングが継続している。これには裏があると考えるべきだろう。もしかしたら、麻生総理は国際金融資本の侵攻にそれなりに抵抗しているかもしれない。郵政民営化の凍結を暗示したことに、その姿勢がうかがえる。マスコミが総理を庇わなくなった、つまり麻生おろしが始まったということは、総理がアメリカの日本買い勢力から睨まれたことを示唆する。

 危険なことは、麻生政権への幻滅に乗じて、植草さんの語る小泉構造改革派の衣替え勢力、すなわち偽装CHANGE派の急激な浮上である。こういう流れはあらかじめ予定されていた既定路線として計画されているのかもしれないが。

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2008年11月20日 (木)

日本経済を犠牲にして国債を守ろうとする財務省と日銀(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第137弾です)

 景気対策に埋蔵金を使うという提案がなされている。これは与野党共通している。第二次補正では埋蔵金と建設国債を使うが、赤字国債は使わないという。しかし、赤字国債を使おうと埋蔵金を使おうと国の債務残高に関して言えば、どちらも全く同じだ。違うのは、赤字国債なら規模拡大ができるし、次回の補正も自由にできるが、埋蔵金は一回限りだ。筆者は、赤字国債を政府に使わせようと思い、何回も財務省に電話して質問してみた。そこで分かったのが、国債暴落におびえる財務省の姿だった。

 今回の二次補正の財源は建設国債と埋蔵金を使うのだそう。そのために埋蔵金から国債の買い入れ消却を中止し、お金を浮かして、それを二次補正に使うという。そもそも埋蔵金とは何かということだが、これは財政投融資特別会計(財投)から作り出したお金である。財投とは、国が政府系金融機関を通じて、お金を国民に貸し出している。これは金利の変動によっては損失が出る仕組みになっていて、その保険のような役割をする準備金がある。安全度を低めて準備金の一部を取り崩すというのが「埋蔵金を使う」ということだ。例えば生命保険を掛けていたが、お金が無くなったから、万一の事は忘れて今、保険金を取り崩して使おうといったようなものだろう。借金返済ができなくなった人はギリギリのところで生命保険を取り崩すことがあるのを知っているだろう。埋蔵金の取り崩しとは、それに相当する。

 ところで、この埋蔵金はもともと国債の償還(国の借金返済)に使うことが法律(特別会計に関する法律 第68条)で決まっていたから、これを景気対策に使うのであれば、法律を改正しなければならない。さて、もともと何のために埋蔵金を借金返済に使っていたのか。それは2008年問題を切り抜けるためだったそうだ。2008年問題とは何かというと、10年前小渕内閣で10年物国債を一度に発行したことなどが原因で、2008年にそれが償還(借金返済時期)を迎えるので、それに対応していると、必要な資金がどっと増える(額にして約14兆円くらい増加)。それに対応するために、国債(借換債という)をたくさん発行すると、需給のバランスが崩れ国債が暴落するのではないかという発想だ。そうなれば、国債を持っている日銀、銀行、証券会社等がすべてダメージを受け、日本国債の信用が失墜するとでも考えているのだろう。

 財務省は、これが起こらないように事前に手を打った。つまり埋蔵金を使って2008年に償還を迎える国債を買い取ることにした。具体的には市中から1兆円、日銀から5.5兆円、財政融資資金から5.5兆円である。単純素朴に考えると、日銀が持っている国債が償還を迎えたら、替わりの国債で置きかえてやればよいような気がする。しかしそれは財政法で禁止されていて、一旦国債は一般市場で売買される。その後で日銀が買うのであれば許される。

 財務省は日銀から国債を買い取ることはできるが、日銀に国債を売ることはできない。日銀が国債を売るということは、お金が日銀に戻ってしまうことだから、売りオペ、つまり景気を悪くしてしまう。財政融資資金の国債を減らすことも同様な効果がある。これを見ても財務省の本音が分かる。彼らは、日本の景気が悪くなってもかまわない、それによって毎年何千人もの国民が自殺に追い込まれても、そんなことどうでもよいのだ。彼らにとっては、国債を守ればよいだけだから。

 本当に2008年問題だけなら、国債買い入れは市中からに限ってもよかった。そうすれば景気を悪化させることはなかった。日銀や財政融資資金の国債が償却の大部分を占めていたということは、むしろ日本の経済を悪化させたかったのではないか。そうなれば金利は上昇しないから、国債は値を下げなくてもすむ。
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 実際、日銀のホームページを見ると、国債保有残高はどんどん減っている。しかもその減り方たるや、2008年問題解決のための5.5兆円どころではない。何と30兆円以上も減らしている。これはお金を刷る政策とは正反対で、日銀が国民から巨額のお金を奪い取っているとも言える。

 中川秀直氏のホームページから引用しよう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress0/index.php?p=1078
「本来借金返済に充てることになっていたお金を使うことは、赤字国債を追加発行することと効果は変わらない」というが、「国債償還」に充てるとしながら、市中の国債ではなく、日銀保有国債や財政融資資金保有国債の買い入れをするのと、国民の利益に還元するのと、どちらが正しい政策なのか。「埋蔵金流用」という表現はおかしいだろう。「埋蔵金活用」だろう。
日銀保有国債や財政融資資金保有国債の買い入れを行うということは再度、埋蔵金として「埋め戻す」ことを意味しているのではないか。
埋蔵金は国民のものなのだから、国民に還元すべきなのである。「霞が関埋蔵金」50兆円を国民に還元することが、政治の責務である。霞が関埋蔵金50兆円の国民への還元こそが、最大の景気対策だからである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
 確かに、中川氏の言っていることには一理ある。埋蔵金を国債の償還に使ってしまったら、日銀や財投の国債を減らすことになり、景気にはマイナスだから、埋蔵金を景気対策に使った方がよい。しかしそれよりはるかによい選択がある。それは日銀に国債の保有残高を減らすことを止めさせることだ。いや、それよりはるかによいことは、日銀に国債をもっと買わせよ、つまりお金を刷りなさいということだ。

 埋蔵金には、それなりに意味がある。金利変動で損失が出るから、それを防ぐために準備金を積み立てているような場合、それを取り崩してしまったら、それ以後は金利は上がるのを防がねばならない。金利が上がらないようにするには、景気がよくならないようにするということ。つまり埋蔵金(準備金)を取り崩した後には、絶対に景気をよくしてはならないのだ。そういう意味で、埋蔵金を使うより、日銀が刷ったお金、つまり赤字国債を使うのがよい。それに景気対策として50兆円では足りないというのが、シミュレーションの結論だ。

 それにしても、日銀が国債の保有残高をどんどん減らしているとは何たることだ。お金を刷らなければならないときに、逆に国民からお金を奪い取って、経済をどん底に落とそうとするとは!!財務省に聞いてみたが、なぜ日銀が国債の保有残高を減らしているのか分からなかった。仕方なく、日銀に電話した。いやな予感がした。省庁の職員の丁寧な対応とは対照的に、日銀は我々を馬鹿にしたような応対しかしないからだ。

 今回もそうだった。女の人が電話に出た。日銀が国債の保有残高を減らしているのは当たり前だと、怒ったような口調でまくしたてられた。量的緩和を解除したのだから、当たり前だろうと言う。かつては量的緩和で国債を買って銀行に資金を提供していた。景気がよくなってきたから、今は日銀当座預金の残高を増やして資金を供給しているのだそう。日銀が銀行にいくら資金を供給したところで、これだけ不景気なときに金を借りて商売をしようと、あるいは事業拡大をしようとする人は少ない。借りたい人は、どうせ倒産するのだから、とことん借りて踏み倒してやろうという人ばかり。不良債権を出したくない銀行は、そんな人には貸さない。結局銀行貸出は伸びず、日銀当座預金の残高を増やす形で銀行への資金提供はいくらやっても無駄だ。

 我々が主張する「お金がなければ刷りなさい」を実現するためには、市中に存在する国債を日銀が片っ端から買えばよい。そうすれば、国も遠慮せずに財政出動ができる。日銀が市中から買いまくれば、金利が上がるなどと心配しなくてもよい。バーナンキも日本にやってきて、日銀にもっと国債を買わせろと主張しているし、クライン、サミュエルソン等ノーベル経済学賞を受賞している経済学者も口を揃えて同様の主張をしている。私が日銀の担当者に、銀行だけでなく一般からも買ったらどうだと言うと、怒ったように日銀は銀行からしか買いませんと言った。それも日銀の規制の一つなのか。

 我々は、政府・財務省には様々な方法でアプローチし「お金を刷りなさい」ということを伝えているし、だんだん彼らも分かってくれてきていると信じている。しかし、なかなか日銀には近づけない。日銀は総裁、副総裁2名、審議委員6名の計9名ですべて決定している。750名近くいる国会議員の100分の1余りだから、なかなか近づけない。一度福間審議委員と中原審議委員と話す機会があり、我々の考えを支持していただいた。なかなかそれ以上の接触はできない。

 日銀はひどい。全く日本経済の事を考えていない。日銀が国債の保有を減らせば減らすほど、円の価値も国債の価値も高まるという馬鹿なことを考えている。そのお陰で円高になって企業がどれだけ打撃を受けていることが分かっているのだろうか。昭和恐慌の克服には日銀と大蔵省の強力で見事に克服したことを、しっかり勉強してほしいものだ。それに日銀の独立性の上にあぐらをかいていて、他の人の意見は全く無視だ。1年間デフレから脱却できなかったら、全員首にするような制度にしたほうがよい。
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2008年11月18日 (火)

第二次補正と3年後の景気回復の意味についての質問主意書と答弁書(小野盛司)

    (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第136弾です)

 11月7日に提出した質問主意書の答弁書が返ってきたので紹介する。安倍内閣や福田内閣に比べ、ずっと真面目に答えている。少なくとも聞く耳を持っていることだけは確かだ。重要なのは次の事が確認されたことである。

4について
  税収減については赤字国債を使うが、今回の景気対策には赤字国債を使わない。

5、6について
  今回の景気対策の発表「生活対策」で述べた将来へつけを回さないという意味は債務のGDP比を増やさないという意味であり債務そのものを増やさないという意味ではない。

7について
  内閣府のモデルを使った試算結果では赤字国債を発行して景気対策をしたとき債務のGDP比は減るという結果が出ていることに関し、これで一概に将来への負担が減るかどうか断言できない。

8について
  10年前に比べどちらが厳しいかは一概には答えられないが景気後退に入ったと言える。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
平成20年11月7日提出
三年後の景気回復の可能性に関する質問主意書

                 提出者  滝 実 (無所属 比例近畿)

 麻生首相は十月三十日の記者会見で、事業規模二十七兆円の新総合経済対策を発表し、同時に行政改革や景気回復を前提に、三年後に消費税率を引き上げる考えを明言された。麻生首相は「日本経済は全治三年」と言っておられる。このことに関して質問する。

一 首相の言う「景気回復」とは、どういう状態なのか、どういう経済指標になればそう言えるのかを数字で定義していただきたい。

二 今回の新総合経済対策に関して、十月三十一日の朝日新聞に野村證券金融経済研究所による試算が載っている。それによると、5兆円の財政支出によるGDP押し上げ効果は計0.5%程度。一方金融危機が深刻化した9月以降の円高と株安、世界経済の悪化は計1.4%もの押し下げ要因になる。ということは、この経済対策では景気を良くするどころか、景気悪化さえも抑えられないということではないか。もし、野村證券金融経済研究所の試算が政府の試算とは異なるのであれば、政府の試算を示していただきたい。

三 平成二十年八月内閣府発表の資料(第三十五回ESRI経済フォーラム「経済対策とマクロ計量モデルの活用」)によれば二○○八年度のGDPデフレーターはマイナス1.0%となっており、デフレは脱却できていない。民間シンクタンクがまとめた7~9月期のGDPは年率換算で実質がマイナス3.0%、名目がマイナス3.3%となっている。円高・株安・海外の景気後退など、日本の景気にとってマイナスの要因は多い。これから景気は更に悪化するのを政府が放置するのであれば、三年後の景気回復は望めないのではないか。

四 政府は、赤字国債を使って景気対策を行わないと言っているが、それであれば、今年で埋蔵金は使い果たし、今後は景気対策をできない、つまり景気が悪化しデフレスパイラルに陥っても放置するということか。また、今年度の国税収入は予算計上額を5兆円も下回るのではないかと言われるほど憂慮すべき状況にあり、金額はともかくとして、そのような事態が確実視される今回の景気対策は、実質的に赤字国債を財源としていることになるのではないか。

五 内閣府(新たな経済対策に関する政府・与党会議・経済対策閣僚会議合同会議)が平成二十年十月三十日に発表した「生活対策」の三頁~四頁には「安易に将来世代に負担をつけまわすことは行わない」とある。将来世代への負担とは、国の債務そのもののことか、それとも債務のGDP比のことか。

六 もし、将来世代への負担の意味が債務そのものであるなら、百分の一のデノミを行えば簡単に負担は百分の一に減らせるが、それで十分なのか。

七 もし、将来世代への負担の意味が債務のGDP比という意味なら、内閣府の短期モデルの乗数表が参考になる。下の表は短期金利を固定したまま、公共投資を毎年GDPの1%(5.2兆円程度か?)増やし続けたらどうなるかのシミュレーションを示したものである。これによれば、全ての経済指標は大きく改善されている。それだけでなく、国の債務のGDP比は初年度マイナス1.53%、2年後マイナス1.99%、3年目マイナス2.35%と減り続けている。3年目から増加ということはない。つまり赤字国債を発行して景気対策をすれば、将来世代への負担を減らすことが出来るということではないか。

八 平成二十年十一月四日の答弁書(内閣衆質一七○第一五九号)の六についてで、「ご指摘の見解は、我が国経済が、バブル経済の崩壊により、極めて厳しい不況を経験し、ある時期には危機的な様相さえ呈していた平成十年当時において」とある。その一方で麻生首相は十月三十日の記者会見で百年に一度の暴風雨が吹き荒れていると述べられた。平成十年当時と今とでどちらの経済情勢が厳しいと考えているのか。

 右質問する。

Gdp_2

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

内閣衆質一七○ 第二一三号
平成二十年十一月十八日
内閣総理大臣 麻 生 太 郎

衆議院議長 河 野 洋 平 殿
衆議院議員滝実君提出
三年後の景気回復の可能性に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員滝実君提出三年後の景気回復の可能性に関する質問に対する答弁書

一から三までについて
 今回の「生活対策」(平成二十年十月三十日新たな経済対策に関する政府・与党会議、経済対策閣僚会議合同会議決定。以下「本対策」という。) においては、「生活者の暮らしの安心」、「金融・経済の安定強化」、「地方の底力の発揮」を重点分野とし、我が国経済の立て直しに取り組んでいくこととしている。
 お尋ねの「景気回復」については、経済社会の動向等を総合的にみて判断する必要があり、個々の経済指標で一概に定義することは困難である。いずれにせよ、政府としては、現在の金融経済情勢を踏まえ、「日本経済は全治三年」という基本認識の下、当面は本対策等に基づき、景気回復を 最優先で図っていくこととしている。
なお、本対策の効果等の試算については、本対策には様々な施策が盛り込まれていること、それらについての予算や税制等の具体的内容が決定されていないこと等から、御指摘の野村讃券金融経済研究所による試算と同様の試算を行うことは困難である。

四について
 経済財政運営に当たっては、経済成長と財政健全化の両立を図つていくとの考え方を基本とし、時々の経済状況に応じて、適切な対応に努めてまいりたい。
 本対策の財源については、税収減を補うための財源とは別のものとして、赤字国債に依存しないこととしている。

五及び六について
「日本経済の進路と戦略―開かれた国、全員参加の成長、環境との共生―」(平成二十年一月十八日閣議決定) においては、我が国の財政について、「政府債務残高GDP比は二OO八年度(平成二十年度)百四十・ニパーセント程度と引き続き極めて高い水準にあると見込まれる。このように、我が国財政は主要先進国の中でひときわ厳しい状況にあり、将来世代へ負担を先送りする構造となっている。(中略)人口減少や少子高齢化が進めば、将来の世代に一層重い負担がかかることから、財政健全化は喫緊の課題である」としており、政府としては、将来世代に責任をもった財政運営を行い、持続可能な財政構造を構築する観点から、債務残高GDP比を安定的に引き下げること等を目指しているところである。

七について
「短期日本経済マクロ計量モデル(二〇〇六年版) の構造と乗数分析」(内閣府経済社会総合研究所ディスカツション・ベーパー一七三号)付属資料におけるシミュレーションは、モデルの構造について理解を助けるため、短期金利を機械的に固定するなど一定の前提を置いて推計した結果であるが、一般に、計量モデルによる計算結果は、相当の幅をもって解釈すべきものであることから、この結果をもって、赤字国債を発行して景気対策をすれば、将来世代への負担を減らすことが出来るか否かは一概には言えない。

八について
平成十年当時と現在の経済情勢のどちらが厳しいかについては、内外の経済社会状況等の違いもあり、一概にお答えすることは困難であるが、現在の我が国経済については、世界経済の減速に伴い既に景気後退局面に入ったとみられ、当面、厳しい状況が続いていくものと認識している。
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第56回 日本経済復活の会 定例会のご案内

   ※「神州の泉」読者の皆さんへ   

   今回の定例会のゲストは参議院議員で医学博士の櫻井充(さくらい みつる)先生です。

 読者の皆さんならば、とうにご承知かと思いますが、櫻井議員は小泉政権下において郵政民営化法案の審議中、当時の竹中平蔵大臣に、『年次改革要望書』を引き合いに出して鋭い質問を浴びせた方です。これによって、この要望書の存在を知った人は多くいます。彼の舌鋒鋭い質問は憂国の情に燃え、まるで鬼神のごとくでした。今回の話は「医療」についてですが、医療崩壊が現実になり始めた今、例の要望書との関連もお話してくれるでしょう。是非ご参加ください。     ( 神州の泉・管理人  )

 平成20年11月10日
      日本経済復活の会 会長 小野盛司

○ 日時 平成20年11月26日(水)午後6:00時~午後9:00時

○ 会場 東京都千代田区九段北4-2-25 アルカディア市ヶ谷(私学会館) 
       TEL 03-3261-9921

○ 会費 3500円(資料代や食事・飲み物の費用を含みます)
   当会合に関する一切の問い合わせと、御来会の可否は小野(03-3823-5233)宛にお願いします。
   メール(sono@tek.jp)でも結構です。弁当の注文や配布物の準備等ありますので、
   申し込みはできるだけ早めに行って下さるよう、ご協力お願いします。

○ 講師 

① 櫻井充 参議院議員  医学博士

Sakuraithumb_3        『日本の医療について』

 最近、医療崩壊が進んでいると言われています。後期高齢者医療制度は、その是非はともかく、国民の不安を高めたのは確かではないでしょうか。
 産婦人科医・小児科医不足が深刻だと言われています。これらすべてが、日本の財政問題に関係して起こった問題で、これからの日本の医療はどうすればよいのか、厚生労働委員会や予算委員会で活発に議論しておられる櫻井先生と共に考えていきたいと思います。  

② 小野 盛司 日本経済復活の会会長 

Photo   会の活動報告、『日本経済復活への道 -積極財政が財政を健全化する-』  

 



アルカディア市ヶ谷(私学会館) TEL 3261-9921

●地下鉄有楽町線・南北線    市ヶ谷駅A1-1出口
●地下鉄新宿線              
市ヶ谷駅A1-1またはA4出口
●JR中央線(各駅停車)市ヶ谷駅
上記各出口から徒歩2分
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2008年11月17日 (月)

冷静に「日本侵略国家説」を疑う(田母神論文を支持する)

 戦後の迷妄的戦争観から解き放つ「田母神論文」

  小泉政権に対する知的で鋭い批判では、いつも新たな情報や有益な視点を提供していただいている、弊ブログ読者のkenkensyaさんやいかりや爆さんが、田母神論文については真っ向から否定的な見解を開陳している。こういうこともあるだろう。歴史観において、人はそれぞれに異なる見解を持つのであれば、仕方のないことだ。

 歴史にIF(もしも、こうだったら・・)はないと言うのはよく言われることだが、大東亜戦争についてもIFはないだろう。しかし、「神州の泉」管理人は「村山談話」とか「河野談話」などというものは到底肯(がえんじ)ることはできない。対米戦争についてはルーズベルトの謀略戦で日本側からの開戦が惹起されたという話があり、いろいろな証言も出ている。また、1928年の張作霖の列車爆殺事件についても、関東軍による謀殺ということが当たり前のように言われてきたが、最近はソ連諜報機関の資料が見つかり、田母神氏の書いたように、コミンテルンの仕業であったという見解が出ている。今ここでそれらを仔細に検証することはしないが、謀略的色合いが強い歴史事件については、双方の立場からなるべく多くの傍証的検証が行われることが望ましい。

   ふと、クラウゼヴィッツの「戦争論」を思い出す

 少し話が飛ぶかもしれないが、クラウゼヴィッツの『戦争論』は全世界的によく知られている。この有名な戦争論については、かつて私も岩波文庫の三巻を読んだが、こういう古典的な本は訳出の問題もあり、難解なところが多くあって読解に難儀した。フランス革命やナポレオン戦争当時の時代背景で書かれたこの本が、近現代戦争、特に第二次世界大戦などに適用しうるかどうかは議論が分かれるようだ。特に核兵器や電子戦と言う、まったく非古典的な戦争形態に突入した今日、湾岸戦争などの遠隔的戦争形態はクラウゼヴィッツの想像をはるかに超えている。しかし、作者は戦争の本質を哲学的に把握しようとしたことに意義があり、戦争そのものにまとわり付く数々の本質や属性についての彼の深い考察は、時代を超えて思考の助けにはなるかもしれない。

  大東亜戦争当時の日本の軍人さんがクラウゼヴィッツの「戦争論」を読んでいたかどうかは知らないが、高級将校は少なからず目にしていたかもしれない。クラウゼヴィッツは戦争には二種類あって、一つは敵そのものを撃滅打尽する目的の戦争があり、もう一つは敵の領土や国境に、自国の領土を橋頭堡的に取得することである。要するに敵を倒すか、何らかの理由があって陣地を取るかのどちらかだと言っている。

 クラウゼヴィッツの分類に従えば、朝鮮総督府や満州帝國は、どちらかと言えば後者に属する「要城占拠」の傾向が強いということになる。これまでさまざまな人が述べているように、大観的に眺めれば、日露戦争に勝利したとは言え、それはかろうじてであり、日本は引き続きロシアの驚異に対抗しなければならなかった。朝鮮半島に日本が固執したのは、大国ロシアの驚異から列島を防衛するための防塁的見地からだった。こういう言い方は不適切かもしれないが、満州帝國は地政学的に対ロシアからの脅威に対する第一次防塁であり、朝鮮半島は第二次防塁であった。李氏朝鮮に日本が総督府を置いたことと、満州帝國を建国したことは時間的に逆になっているが、当時の趨勢では遅かれ早かれ、どこかに安定した要城的陣地が必要だった。

 これを侵略か、防衛的進出かという話は議論の分かれるところであるが、当時の支那(中国)の国情的状況を考えれば、侵略という言い方は不適当であると思う。五味川純平の「人間の条件」に出ている光景を想像してもわかるように、中国という大地は荒涼として広大である。そこは馬賊や匪賊が群雄割拠し、中央集権的な行政秩序はまったくなかったと言える。この大陸的な無秩序は魯迅の「阿Q正伝」などでも感得できる。当時の中国に日本のような秩序ある国家と等価のイメージを持つことはできない。野放しにされた荒野のようなイメージが一番近い。

 帝国主義的覇権が趨勢だったあの時代に、日露戦争に勝利した日本が権益として満州建国を考えたとしても、これを侵略と定義づけることには無理がある。しかも、軍の進出にはきちんと条約を交わしているのだ。もしこれを永遠に贖罪しなければならない領土侵犯だと言うなら、欧米の数百年に及ぶ植民地拡大についても、同様に言及するべきだ。クラウゼヴィッツは「戦争は政治の一形態」と断言していることは有名である。また、戦争は元来、一国の知能である少数の政治家や軍人によって発起せられるが、これをもってして軍部の単独暴走だという言い方はあたらない。

 クラウゼヴィッツによれば戦争のその型は戦略(ストラテジー)の領域であり、起きたときの形態である。後年の人間が統帥権干犯問題とその形態を結び付けて、軍部独走による侵略戦争だという論法に持って行くことは本質をとらえていない。大東亜戦争とは、東亜百年のアジア史の流れで起きた思想戦であった。軍部と一部政治家だけが悪者で、一般国民は巻き込まれただけというのは「階級闘争史観の」誤まった適用である。ただ、アジアや南方まで広域に軍を進めたのは兵力の散逸と兵站(ロジスティクス)の枯渇を招き、戦略的には失敗であろう。欧米列強からの解放戦の思想が根底にあったから、気持ちはわかるが、自滅的作戦であったと思う。日本は短期決戦に集中するべきであった。しかし、これを言えばIFになってしまう。

  クラウゼヴィッツの戦争論が、大東亜戦争の思想戦的側面において、補強的論考になるとは思えないが、冷静さを持って戦争史を眺める時には参考になる部分がある。

  戦勝国史観に惑わされている戦後日本

 張作霖爆殺事件、あるいは真珠湾開戦をルーズベルトがお膳立てしたということについても、今強く言いたいことは、ある事件の生起について、どちら側に仕掛けがあったのかという、いわゆる発生因果論については、双方の立場から充分に検討する必要はあるのだが、それができにくい現状になっていることは案外知られていない。互いに相反する見解を検証する場合、最低限度担保されるべき「言論の自由」という基本的舞台ができあがっているという前提で考えている。ところが、実状は憲法第21条に規定される言論の自由がすべてにわたって担保されていないのが日本の現実だ。

 私が別記事で述べたように、太平洋戦争史観に都合の悪い歴史的事実やその検証資料は入りにくい状況になっている。それは資料や当時者関係の証言が得にくいことと、誰かがそれらを調べても、メディアはそれを報道のルートに載せないからだ。日本における言論空間には明らかにはっきりした情報の偏頗性が存在する。その流れを作った淵源は、江藤淳が研究した「閉ざされた言語空間」に真相が記載されている。

 日本におけるあの戦争の史実を研究するには、最初に占領期の日本人洗脳作戦を認識することから始める必要がある。これをしないで、いきなり歴史検証に入ると、自動的にアメリカが構築した太平洋戦争史観に取り込まれることになる。一つの例を上げれば、全国各地にある多くの図書館に所蔵される近現代史の書物が圧倒的に太平洋戦争史観で書かれた物ばかりである事実が挙げられる。林房雄の「大東亜戦争肯定論」のような物は、最初からデフォルトで稀少本になっている。この背景には、書籍の流通過程、特に出版傾向からして、この手の本が出にくい現状があり、図書館の職員の意識に、左翼的な選別感覚が働いていることもあるだろう。

 われわれが容易に手にできる資料とは、戦勝国史観に基づいた物である。人類の戦争史を俯瞰すれば、戦勝国が戦争の正当性を都合のいいようにつくってきた歴史があり、敗戦国は常に悪者扱いにされたまま、歴史に刻印されてきた。ならば、あの戦争が例外だったと言うことはできない。世界に聖書的倫理や正義感を土台にして、普遍的な国是を発信したい米国が、おのれの正当性を堅持するために、自分達に都合のいい戦争史観を生み出した可能性を見るべきだ。特に考えるべきことは、広島に落とされた濃縮ウラン型原爆(リトルボーイ)と、長崎に落とされたプルトニウム型原爆(ファットマン)は、戦争の圧倒的優位性を利用した、米国による生物学的実験であった。

 武器は竹槍、燃料は松脂(マツヤニ)しかなくなった日本に、戦争の早期終結のために原爆を落とす必要があったのか?なぜドイツには原爆を使用しなかったのか?これらを考えると、原爆の人体実験、及び都市破壊実験の意図が見えてくる。都市空襲で一般人殲滅を狙った非道さを考え合わせると、米国の人類犯罪が浮かび上がってくる。

 米国は日本の都市空襲と原爆投下の非道性を覆い隠すために、日本を根っからの悪逆非道な民族だと決め付ける必要があった。そのためにナチスの非道を裁いたニュルンベルグ裁判を凝らして、東京に極東国際軍事裁判という“人類法廷”を勝手に立ち上げたのだ。何という傲慢さだろう。あんたらのいったいどこに、人類を代表する絶対正義があると言うのか?自らの非道性を歴史から覆い隠すために、米国は東京裁判で戦争犯罪人を裁き、国内にはラジオと新聞という公器を使って、洗脳作戦を大々的に行った。新聞には“太平洋戦争史”が掲載され、ここで初めて『南京大虐殺』が大々的に流布されていく。

 南京大虐殺は戦後の日本人の精神を奥底で蚕食する中心的イメージである。GHQに強制されて新聞に出てきたこの『南京大虐殺』以前に、中国からそれについての非難がどれくらい出ていたのか冷静に調べる必要がある。あと、以前から指摘されていたことだが、南京大虐殺の虐殺様態には非日本的な要素が多々見られるそうだ。強いて言えば、実際に起きたことで、日本人が考えられないほどむごい目に遭った通州事件と、南京大虐殺の虐殺様態の類似性も検討に値する。

 大虐殺イメージの土台になったできごとはあったかもしれないが、そのできごとが他国の都市攻略作戦にくらべて異常な規模の死者を本当に出しているのか検証しなければならないが、中国政府がそのために協力する必要がある。ところが中共政府はこれを拒絶する。彼らにとっても検証は有意義なことであるはずだが、彼らはそれを忌避する。なぜだろうか。それは松井石根陸軍大将が率いる南京攻略の『大規模殺戮』のイメージがGHQ演出だった可能性を強く示唆する。中国政府が“南京大虐殺”の史実的検証を頑なに拒んでいることは、自分達が唱えていることとまるで食い違う結果が出てくることを恐れているからだ。

 日本人の戦後感覚を規定している自虐史観、贖罪史観の中心には『南京大虐殺のイメージ』が刷り込まれていて、そのイメージの最初の出所は日本の新聞だった可能性を検証しないとならない。同時に「アジア侵略史観」と言うものも、WGIP(戦争罪悪感刷り込み作戦)の要諦として組み込まれていた可能性が非常に高い。

 従って、田母神論文の表題である『日本は侵略国家であったのか』ということの検証作業に入るためには、最初に上述のGHQによる洗脳宣撫作戦の実態を見据えた上で、戦勝国アメリカの戦史捏造意図を見抜き、そのベースから歴史検証を照射することが肝要だと思う。田母神論文は内容が非常に重要であるが、その前にマスメディアや政府がこれに対して取っている異様な反応こそがWGIPに囲繞された日本を端的に表していることを指摘する。これに気付いた人はたくさんいる。すなわち、日本の言論空間の閉鎖性が何に対して恒常的に作用しているか、田母神論文によって、一時的にその姿が浮き彫りになったのである。すなわち、大半の日本人やマスメディアが、田母神論文の内容検証を異様に忌避し、ただ単にそれが出てきたという事実だけに反応して強い嫌悪感を示した。この事実こそ、日本人がいまだに洗脳下に置かれていることの明白な証左なのである。

 大東亜戦争史観については異常にナーバスになり、その言論言及に頭打ちで忌避感情を示す今の日本の現実は、検閲機関という外部的存在があるからではない。それは日本人の内なる精神構造にがっちりと組み込まれた「東京裁判史観」という自己検閲システムができあがっているからだ。東京裁判パーセプションである。つまりこれが戦後日本人に巣食うWGIPによる洗脳継続状態なのだ。深刻な問題は、これが無自覚なまま、戦後何十年も放置されてきたことにある。このイナーシャ(慣性)は巨大である。誰しも自分が洗脳状態にあることを認めない。

継続中の日本悪玉史観

 東京裁判史観が現代日本人に継続中であることは疑う余地はないが、何かのきっかけで、あの戦争がダイレクトに取り沙汰された時、人々は普段は潜在下に伏せていた洗脳認識が急激に表層に浮上し、最初の反応として強度な不快感を示すのである。今回の田母神論文の表出には、政府もマスメディアも、最初にその典型的な不快感だけを示している。その次は不快感からくる忌避感情による自分の認識への回避行動である。その典型的な行動が田母神氏の参考人招致のテレビ中継をNHKがしなかったことだ。

 加えて質疑の初めに、河村官房長官が田母神氏に、ここは持論を展開する所ではないなどと釘を刺していた。そもそも田母神氏を更迭し、参考人招致した理由は田母神論文が政府見解と異なるという理由からである。ならば、田母神氏にきちんと歴史見解を披瀝させ、内容の適否を検証するのが最初だろう。その内容表明を制止するなら、呼び出した意味はない。田母神論文の主旨は日本は侵略国家にあらずである。この表題からして彼らは恐ろしいのである。だから見ざる、言わざる、聞かざるの思考停止状態から脱却できない。日本侵略国家以外の言説は、彼らの常識を規定している自己認識の崩壊に繋がるからだ。

 東京裁判とWGIPが日本人に与えた強力な意識操作は、60年を経た今日でも執拗にわれわれの精神を呪縛し、われわれの先人たちが有していた常識的な「大東亜戦争史観」を忌むべきものとして感じ取ってしまうのである。政府やメディアは、この封印された戦争史観が精神の表層に浮上することを強く拒むのである。だからこそ、先人たちが持っていた日本側の世界観、歴史観を、まるで見てはならない物、知ってはならない呪われた物のように取り扱ってしまうのだ。この心理反応は純粋理性で認識されたものではなく、洗脳作用によって外因的に刷り込まれたものだ。それが世代を超えて延々と継承されているのだ。

 私は日本では「言論の自由」が偏頗的に働いている事実を繰り返し強く主張する。つまり、われわれは占領軍が引き上げた1952年から、日本国憲法第21条に基づいて「言論・表現の自由」が正常に機能してきたと勘違いをしている。前述したように、言論の自由が機能するのは「太平洋戦争史観」に即した事柄だけであり、「大東亜戦争史観」については、完全に封殺状態に固定されている。この言論の偏頗性をもたらした歴史的な起点は、占領軍による大々的な広報宣伝活動にあり、極東国際軍事裁判にある。

 今回の田母神論文についても、報道や討論番組にこの偏頗性が非常に鮮明に出ていた。すなわち、東京裁判史観に即したものについては自由に開かれているが、閉鎖された言語空間に存在する歴史認識については、憲法第21条ははっきりと無効化されている。日本には戦艦大和とともに、海冥に沈んだ大東亜戦争史観が眠っている。大東亜戦争史観には本来の日本人の風景がある。日本人がこの眠りから目覚めて真の日本の姿を心に呼び覚まさなければ日本は壊滅に至る。今はその一歩手前にあるのだ。だからこそ、田母神俊雄氏の止むに止まれぬ救国衝動は世論を喚起しつつある。彼が投じた一石は、今確実にその波紋を広げている。

 田母神論文について、言いたいことはわかるが、時宜にかなわないとか、解決策が提示されていないなどと言って、否定的な見解に持って行く批判もあるが、これらも洗脳結果による典型的な反応の一形態である。この論文の主旨は、閉鎖された言語空間に覚醒することであって、戦略的展望や対外的な方法論ではない。この覚醒の段階を抜いて、今戦略論(ストラテジー)に固執することは無意味である。この論文の価値は、日本側の視点をまず取り戻せという一点に尽きる。

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2008年11月16日 (日)

お金の使い方を間違えた麻生内閣(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第135弾です)

 日本経済復活の会の主張は「お金がなければ刷りなさい」である。それはデフレ経済の下、政府が再三財政が厳しいから、金がないから、と言って予算を削り続け、デフレ脱却をさせようとしなかったからである。例えば今年6月27日に政府が発表した「経済財政改革の基本方針2008」においても歳出の最大限の削減を行うと明言している。これが今でも政府の財政政策の基本方針となっているのだ。しかし、こんなことをやっていたら日本は世界経済の中で取り残されてしまう。だったら、お金を刷って、諸外国並の名目成長率に持って行きなさいというのが当会の主張である。

 しかし、麻生内閣に変わってから、明らかに変化が出てきた。お金を使おうというムードが出てきた。それは大変良いことなのだが、残念ながらとても国民の合意の得られるようなお金の使い方を提案しているとは言えない。各種世論調査で2兆円の定額給付金を評価するとした人は約3割、評価しないとした人が約6割だ。今回の金融サミットでも、日本はIMFに10兆円もの資金支援をする方針を表明した。

 どうやら、これまで政府がお金が無いと言ってきたのは嘘だったようだ。毎年0.2兆円社会保障費を削減する。高齢者医療費の削減のため、後期高齢者医療制度を作って国民から猛反発をくらった。医療費削減のお陰で病院の破綻が相次ぎ、国民の医療サービスが危機にさらされている。特に産婦人科医、小児科医、麻酔医不足が深刻だ。先進国で最低レベルの教育費も削減するばかり。母子家庭への助成金も削った。重度の障害者への支援も削り、弱者切り捨てという批判を浴びた。

 2兆円の定額減税や10兆円のIMFへの拠出でなく、これら国民生活を脅かす財政削減をストップし元に戻したら、国民はどれだけ喜ぶことか。それに我々の次の世代の経済の繁栄のために自然エネルギー開発への投資も国民を勇気づけるに違いない。選挙対策をやりたいのが本音であれば、実際は今からでもやり直して、国民の支持を取り付けたほうが選挙対策という意味でもはるかに効果的だ。第一、国民が納得していないような形でお金をばらまいて景気が回復するわけがない。景気とは国民の心理が大きくかかわってくる。今回、一回限りで金をばらまくが3年後には消費税増税で取り返すと言われれば、国民の消費意欲は冷えるだけだ。

 麻生内閣は最初からつまずいてしまった。何をすれば国民が喜ぶかは誰の目にも明らかなのに、なぜこのような国民から評価されない金のばらまき方をするのだろうか。その理由は明白だ。小泉政権下で、財政再建を再建するという「大義名分」を掲げ、デフレ時に歳出の最大限の削減をするという暴挙に出た。その結果世界は30年間で最もよい経済状態と言われた中、日本だけはデフレからの脱却すらできず、経済的理由で自殺する人が数千人増加した状態が続き生活保護世帯も大幅増加し100万世帯を超えた。かつて世界2位だった一人当たりの名目GDPも小泉経済政策により18位まで転落した。

 もし今、財政削減努力を放棄し、財政を増大させたら小泉内閣の経済政策が失敗であったことを認めることになるから、どんな経済危機が訪れようと、自民党政権が続く限り財政拡大ができないと考えている自民党議員は多いのだろう。11月14日の朝日新聞には、財政制度審議会が月内にまとめる09年度予算編成に向けた建議(意見書)の素案で2011年度に基礎的財政収支の黒字化する目標を「努力目標」に後退させることが分かったとある。政府はこれが実現不可能な目標だと知っている。いずれ目標達成の失敗を認めなければならない時が来るのだが、今のうちにそのショックを和らげておこうという作戦だ。2011年度の基礎的財政収支の黒字化目標は小泉内閣による負の遺産の一つだ。

 経済が全く理解できない小泉氏が、財政赤字を減らせば国の借金の問題が片付くと勘違いしたのが、そもそもの大失敗の始まりだ。内閣府発表のシミュレーションには2011年度に基礎的財政収支の赤字がゼロになるとなっていたから、これを国家目標にしようと、全くの「馬鹿殿様」の鶴の一声で、国全体がこれに向かって走り出した。だけどちょっと待って下さい、小泉さん。あのシミュレーションは、「改革無くして景気回復無し」というあなたの持論を正当化させるために、あなたが内閣府に命令して経済モデルを偽装させたものだったではないですか。景気対策をやってもちっとも景気は良くないという現実離れをしたモデルを作らせ、景気対策はやるべきではないのだというあなたの間違えた主張の理論武装をした。

 そんな偽装モデルは、当たるわけが無いですね。案の定、当たらなかった。だから毎年「今年は当たりませんでしたが、来年こそはデフレ脱却ができます」という嘘を言い続けた。2002年からずっとそうですよ。天気予報だって、土砂降りの雨のとき明日になれば晴れますと毎日言い続け、何日も土砂降りが続いていたら、国民は気象庁なんていらないと言うでしょう。あの偽装モデルは国民を騙すには都合がよかったのでしょうが、小泉さん、あなたもあの経済モデルに騙されてしまいましたね。2011年度に基礎的財政収支が黒字かするなんて、できるわけないのに、すっかり騙されてしまって、それを国家目標にするなんて、なんと馬鹿な殿様なのでしょう。今でも政権は、最大限の歳出削減という馬鹿な目標と経済危機とのジレンマで、本当に困っています。

 本来なら、このような政策の大失敗の後では政権交代が起きて、新しい政権で、間違いを正す政策を行われるのだが、残念ながら、民主党もデフレの時に緊縮財政は最悪であることが理解できていない。農民に無条件の所得保障するという理解できないバラマキ政策を提案している。バラマキ政策提案で参議院選に勝ったから、今度は与党が定額給付金というバラマキで対抗した。もうこんなバラマキ競争を止めて、真に日本の未来を考えて頂きたい。国民が納得するお金の使い方はあるはずです。与野党でバラマキ競争をやっているわけですから、お金はあるわけです。お金が無くても刷ればよいのですから、もっと与野党共しっかり国民の事を考えて、国民に支持される政策で競争していただきたい。
小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2008年11月15日 (土)

「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(4) (kenkensya)

「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(4)

 これに続いて、田母神論文は、盧溝橋事件の真の実行犯は誰か、「東京裁判」について、真珠湾攻撃から始まる日米戦争は果たして米国の謀略であったのか、日本軍の残虐行為の存否などと多様な論点を連ねていくが、一つ一つこれらについての私見を書いていくのは余りに長ったらしいし、読んでくださる方が、うんざりするのは、失礼であると思われるので簡潔に記す。また私がよく知らない部分も多いし、少々、齧ってはいるものの結論を迷っているものもある。

①「盧溝橋事件勃発」についての田母神氏のコミンテルン、または中共軍が真の仕掛け人であるとする見解は、かなりの説得力を持つ。しかしこのような謀略に易々と引っ掛かってしまったのは日本軍の方にも騙されるに十分な内的な原因があったのではないか。また中国によって戦争に引きずり込まれたとするのは、当時の「朝鮮兵站基地論」に基づいて進められていた朝鮮半島の工業化という国策と著しい矛盾を生じさせてしまう。

②「東京裁判」については、恥ずかしながら、何かを述べるに値するような知識をもっていない。ただその不当性を証明するかもしれない傍証は存在する。
1933年、イギリス・フランスが「ブロック経済政策」を開始した際、経済学者の高橋亀吉は東洋経済新報に「英国がこのような政策を採るならば必ず第二次世界大戦につながる」という旨の論文を発表した。しかし高橋が私学出身であったため日本の学界では全く無視された。読みもしなかった人が大部分であったと思われる。しかし敗戦後、日本を占領したGHQは、真っ先に高橋亀吉を捜し出し、どういうわけか公職追放とした。おそらく図星だったので、「東京裁判」への影響を恐れて、大慌てで、やったものだと考えられる。

③米国側が「真珠湾攻撃」を事前に知っていたことは間違いない。また「ハル覚書」は明らかに「真珠湾攻撃中止」を阻止するためのものであったことは、まず疑いないものと思う。しかし日本側が「ハル覚書」を受け入れたとしてもアメリカが第二、第三の「ハル覚書」を出してきただろうとするのは「歴史にifはない」に属するものだと思う。

④日本軍の日中戦争時の残虐行為の有無については、別の機会にゆずりたい。この論点を最初に言い出したのは、記憶するところでは山本七平氏ではなかったかと思う。その後、鈴木なんとかという御仁の「南京大虐殺の幻」という論文で広く知られることになったことだけを記すにとどめる。

 さて、ここで私が「田母神論文」の中で注目した部分を引用する。

(1)自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。

「集団的自衛権も行使出来ない」という部分を除いて(これについても、またの機会に譲る)、極めて由々しい問題提起である。自衛権が憲法上当然、認められ、自衛隊が合憲であるとするのであれば、その任務を全うしえないような立法上の規制は、憲法上の疑義を引き起こすものと考えられるからである。

 そして、この責任は、国民からの反発(具体的には選挙で落とされること)を恐れて敢えて、これを議題にすることを避けてきた政府自民党、また珍妙な論理から「自衛隊違憲論」を唱えてきた野党・社会党、またこれに与してきた新聞をはじめとする報道機関、そして、斯様な議員を選出し、やや左寄りの新聞の論調に喝采を送ってきた国民(新聞は読者受けする論調のものしか掲載しないものだから)の全員が等しく負わねばならないものだと考えるである。

 次に、継ぎはぎであるか再び、「田母神論文」を引用する。

(2)このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない

 アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。

 上記見解には同意を表する。しかし取り立てて目新しいものでもないと、極めてゴーマンである私は、はっとする感銘を受けることはなかった。何しろ私は、自分の書いた文章に、ひどく評価が甘く、他人のものに対しての評点がきわめて辛い。

 忌憚なく言わせていただくのであれば、今回の「田母神論文」は適当な引用を組み合わせた凡庸な中程度の論文であろうと思う。高橋先生がこの論文を賞賛しているのに違和感を覚えたのは、これによる部分も大きい。(高橋先生、こういう身の程知らずの馬鹿もいるのだ、これ程の馬鹿にサイトへの出入りを許してしまった不運を嘆きつつ、お諦めになって何卒、お許しください。)

 更に私が「田母神論文」に不満を感じるのは、勇ましく大上段に構えて正論を主張しながら、その解決策が何も述べられていないことであった。

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「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(3) (kenkensya)

「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(3)

 次いで、「田母神論文」の順に従って、私の抱いた支持しうる部分、そして疑問点を挙げる。

 朝鮮半島の植民地化と満州の一部への権益強化が、当時の国際的通念ないしは国際法に悖るものでないことは、論をまたない。当然ながら私もこの見解を支持する。また朝鮮半島および台湾の支配が緒列国のそれと異なり搾取どころか日本の持ち出しであったこと、更に日本の教育制度を移植したため、それが戦後の韓国・台湾の復興や経済発展に大きく寄与したことは大書されて良いことだと思う。しかし以下に述べる細部について私は氏の論文に疑義を呈する。

 第一に、張作霖爆殺事件の主犯が河本大作ではないとする推論の引用は、信用ある証言が残っている当時の首相・田中義一の「軍のやつら、親の心、子知らずとはこのことだ。とんでもないことをしてくれた」という発言を全くの聞き違いであったというのに等しい。
更に当初、昭和天皇に「今回の事件については関東軍の関与が濃厚であるので厳正に処分いたします」と一旦は奏上した田中義一が、陸軍への温情または陸軍からの圧力に屈し、「今回の事件は中国便衣隊の行ったものと思われます」と前回の内容を翻す奏上をして、昭和天皇から「田中のいうことは信用ならん」とのお怒りを買い、総辞職したのは虚妄であったと言い得るのか。もしそうであるとするならば昭和天皇はつまらない勘違いをなさって政治を壟断なされたことになってしまう。平気でこう述べるのはあまりに畏れ多いことではないだろうか。

 次に田母神氏は、中国侵略(または侵攻)の理由として、中国側の条約不履行を挙げておられるが、これは現代国家、しかも極めて中央集権的なそれを土台とした見解であろうと思う。私たちは生まれてこのかた、中央集権的現代国家に暮らしてきたため、それ以外の国家像(?)というものを想像することが非常に難しい。人はすべて時代の子たることを免れ得ないのだ。

 かく申すそれがしなぞも、昭和初期のシナが、軍閥割拠という近代以前の形態の土地であったことに、おぼろげながら気付いたのは、天安門事件をテレビで視ていて、この40万人分の食糧の代金は一体誰が出し、糞小便の始末はどうやっているのだろう、とあれこれ思い巡らした結果、どうやら鄧小平に対抗する大きな軍閥の存在を疑ったところからなのである。「これは中国を日本のような国家と思うのはとんでもない間違いなのかもしれない。一つに見える中国も一皮剥いてみれば群雄割拠なのかもしれんぞ。この事件はある軍閥から鄧小平軍閥への揺さぶりなのだろう(だから鄧小平は軍隊への発砲を命じたし、別の軍閥の助けがあったからこそ女子大生の指導者は国外に逃れることができた)」私はこんな考え(妄想)をいだくようになった。

 さらに勝手な想像をたくましうしてみるのならば、当時の軍閥の長は、そもそも国家という概念がないのだから国際条約に拘束を感じる、またはそれを遵守するなどという考えは持ち合わせていなかった、つまり「なーに、何時でも破って構わない口約束か、その場限りの便法を紙切れに書いただけだ」くらいに考えていただろう。そして日本側も薄々これは存知していたのではないか。このような当時の事情を無視して日中戦争の「きっかけ」を一方的に中国側の条約無視に求めるのは、大人気ないのみならず、歴史を捻じ曲げている、といえるのではないだろうか?(間違えていただいては困るが、この部分についてのみへの私見である)

 戦争の「原因」と「きっかけ」は全く別物である。田母神氏が論文で述べられているのは、日中戦争の「きっかけ」が主となっている。失礼だが「きっかけ」なぞ、いくらでも説はあるだろうし、後からなら何とでも言えるものなのだ。

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2008年11月13日 (木)

忘却の国民精神を掘り起こした「田母神論文」の凄さ!!

 田母神論文は忘却の帳(とばり)を開いた   

 戦後史とは、無理やり眠らされた日本の魂の上に構築された虚構の生存空間である。私は1946年に成立した日本国憲法下で生まれ、その後56年をこの憲法下で生きてきた。普段、憲法とは何であるかなどは、いっさい考えずに、これは日本の秩序や規則を明文化したものだから、とにかく守っていればいいものだというくらいにしか考えていなかった。しかし、いざという時に、愛する郷土や家族、国家を守る概念のない憲法ははたしていいものなのかという疑念にいつもとらわれている。

 戦後の高度経済成長期に育ち、成人となる過程で、私は戦争のことはほとんど考えたことがなかった。時々、「太平洋戦争」というワードに目が触れた時は、自分が、いくらその時代を生きていなかったとは言え、何だか後ろめたい気持ちになって、日本がそうとう悪いことをしたのだろうという漠然とした思いしか湧いてこなかった。父親が歩兵連隊で中国で戦ってきたことは知っていた。しかし、詳しいことは知らなかったし、訊ねてみようとも思わなかった。母は若い時に一家で開拓団として満州に住んでいた。

 戦争の話や満州の話は、父母から断片的には聞いていたが、詳しく聞くようになったのは比較的後のことだった。物心付いたときから両親の戦後史を何となく知っているだけで、それ以前、すなわち、戦前に彼らの過ごした環境や歴史はほとんど情報として入ってこなかった。私が積極的に聞かなかったからだ。ただし、両親が幼少年時代を過ごした生まれ故郷の話は度々聞いたことはある。私は、父が戦地に、母が満州にいた当時の話は意識して聞かなかったような気がする。

 サウジでの黙想

 私には後ろめたい気持ちがあった。今、日本は戦争していないからわからないが、以前の日本人は、辺りの国にひどいことをしていたという漠然とした刷り込みが、少年時代や青年時代の私の気持ちを蚕食していたのである。今から28年前の28歳の時、サウジアラビアで働くことになった。その時、砂漠の真ん中で、必死に働く日本人仲間を見ながら、日本人って何だろうかと考えた。そして遠い祖国、日本に思いを馳せた。私が日本をまじまじと考えたのはこの時が初めてである。サウジの国営企業は、巨大な石油プラントのプロジェクトを、多国籍企業を使って建設していた。したがって、労働者の現地キャンプには台湾人、韓国人、日本人、タイ人、イタリア人、ドイツ人、アメリカ人、フランス人などがいて、周辺アラブ諸国からの出稼ぎ者も数多くいた。つまり、プラントという狭いエリアで多様な人種が混じり合って働いていたのである。

 そういう擬似的な国際万博会場みたいなところで、いろいろな人種と接しているうちに、おぼろげながら日本人の新しい顔が見えてきたのである。休日に街(リヤド)に出かけて買い物をすると、いろいろな外国人が買い物をしていたが、日本人は別格扱いをされていた。丁寧に扱われるのである。アラビア語で二人称の「YOU」は「アンタ」と発音する。店のアラビア人はアジア人の客に、「アンタ コリア(あなたは韓国人か)?」とか「アンタ ヤバーニ(あなたは日本人か)?」と聞くのである。私は当初、「アナ ヤバーニ」(自分、日本人)と真面目に答えていたが、ずいぶんと親切に応対してくれた。品物を値引きしてくれたり、愛想よくしてくれた。

 彼らは日本人とわかると、空を指差して「アッラー フィー?」(神はいると思うか?)と聞く。日本人が確信的に「フィー」(存在する)と言うと非常に喜ぶのだ。

 いつか同じ事を聞かれたとき、私は冗談で「アナ コリア」(自分 朝鮮人)と言ってしまった。反応が知りたかったからである。これが大失敗だった。売り子は途端に態度が頑なになり、絶対に商品をまけてくれなかったし、買ったら早く出て行けと言わんばかりだった。同様にアッラーの存在について、「知らない」とか「いないと思う」とか答えたら、態度が激変した。この話は差別感覚で言っているのではなく、正直な体験談だ。

 韓国人と日本人に対する目線の違いは確かにあった。私にはそれが衝撃だった。態度が逆なら話はわかる。日本人は先の大戦で外国人に大迷惑をかけているから、アラビア人も良く思っていないのかなくらいに思っていたからだ。ところが、実際は逆で、日本人はそうとう信用され、尊敬されていたのだ。すべてのアラブ国家ではどうなのかわからないが、少なくともサウジでは日本人は別格扱いされていた。これに驚いた私は、砂漠で日本を思い、それまで自分が培った日本というイメージに大きな修正を迫ることになった。

Saudihiro2  サウジの荒涼とした砂漠はそこで暮らす者を内省的にした。遠い異国に出て、砂嵐とぎらつく太陽のほかは何もない風景は、日本を強く考えさせてくれた。暑さで脱水気味になっても、愚痴も言わずに必死で働く同胞には誇りが湧いてきた。日本人は何という強い責任感と仕事完遂の熾烈な欲求があるのだろうと思った。他の外国人が怠け者だとは言わないが、圧倒的に日本人は働き者だった。初めて日本人はいいなあと思った。

 私はサウジで汗だくになって働いている日本人も、あの戦争でアジア人をひどい目に合わせた日本人も、同じ血が流れているとはとうてい納得できなかった。わずか一世代、二世代の違いで、悪鬼のごとく外国人を惨殺する日本人から、アラビア人に尊敬される日本人に変わるものだろうかと。左翼の人たちは反省と抑制が効いているからだろうと言うかもしれないが、そんなことは受け入れがたい。

 民族の習性はどこにいても、どの時代も普遍的に出るからだ。作家の森村誠一氏は戦争は人を狂気に追いやると断言したが、母から聞いた話では、極限状態の日本人は、狂気よりも冷静さや誠実さがよく出ているという感が強かった。関東軍と一緒だった母の満州南下逃避行の話はいつか書きたいと思っている。泣き叫ぶ赤ちゃんを殺せと言った民間人がいた。しかし、殺さないで可能な限り連れて行けと庇った軍人さんがいた。ソ連軍の銃弾が飛び交う中で、母たちや軍人さんたちはそうとうの犠牲を出しながらも、助け合いながら逃げ延びた。その模様は何度も聞いている。

 母はかなりの年なので、最近その話をボイスレコーダーに記録した。そこには死の恐怖にさらされた人間のドラマがたくさんあった。しかし、それは狂気ではない。狂気は確かに発生するが、森村氏が指摘したように、全的にデモーニッシュ(悪魔的)な空気に支配されるなどということはない。全的狂気はないが、戦争には美もない。助け合って生き延びた物語は美しい面もあるが、逃げられず無残な最期を遂げた人々の話は、血の匂いがして、気持ちを閉ざしたくなる酸鼻なものだった。逃げ延びても赤痢などで無念の死を遂げた人たちの様子も聞いた。戦争というものを一刀両断にこういうものだとは言えないことだけはわかる。でも、戦争には人間存在のリアリティがある。

 サウジで私は思った。もしかしたら、私は大きな勘違いをしているのではないのか?学校で教わったこと、大人に教わったこと、常識だと思っていたことは、実は何らかの理由があって、虚構の上に構築された洗脳的映像だったのではないのかと。アメリカが正義で、日本は中国、朝鮮、台湾などを侵略して暴虐の限りを尽くしたなどという戦史イメージは歪曲されているのではないのかと。

 日本人が知らない「閉ざされた言語空間」

 今の日本人は、終戦直後の占領軍の行った占領政策の実態をどういう風に認識しているのだろうか。おそらく占領軍(GHQ)は敗戦国日本に上陸して、日本の秩序を建てなおすために何年か管理統制していたくらいにしか思っていないだろう。戦後教育の近現代史では、占領軍の占領政策の内実を絶対に教えないからである。

 戦後史のベーシックを知るには、占領期の実態を知ることが必須である。これを知るには、江藤淳の「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(文春文庫1994年)を読むといい。これは江藤淳が1979年10月から1980年6月までの9ヶ月間、アメリカのウイルソン研究所で行ったGHQ占領政策の骨子、すなわち検閲研究の集大成と呼ぶべき研究論文である。以下、主にこの本を参照して書く。この本に出ていない事柄は、私の拙い知識から出ているので、その辺は斟酌願いたい。

 この本には随所に興味深いことが書いてある。江藤氏が研究所に調べものの文書コピーを頼みに行くと、若い係員が「あんた、何を調べたいの?」と訊いた。江藤は「CCDの検閲を調べています」と答えると、若い男は「検閲?」と、怪訝な顔をしてから、「ああ、日本を民主化するためにやったんだろう」と言った。CCDと言うのは、占領軍の米軍民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment)のことだ。

 この係員の言葉が、戦後史における日本人の誤謬の基本認識を表している。我々戦後生まれの日本人は、占領軍が日本に置いて行ったものは欧米風の民主化だと思い込んでいる。いわゆる戦後民主主義である。占領軍のCCDの検閲の詳細については江藤の本を読むと詳しく書いてある。戦争末期、日本は国土防衛隊の組織を命じて徹底抗戦を望んだが、その武器は竹槍(たけやり)しかなかった。この頃は弾薬も重油も尽きかけており、飛行機の燃料を松根油(松の木から採取した松脂)で代用するような状況だった。戦艦大和に搭載した重油が事実上、日本の最後の重油だったと考えてもいいだろう。

 終戦後、CCD(民間検閲支隊)は、占領政策への批判はもとより、竹槍しか武器がなかったことを川柳風(自嘲的)に歌った下記の俳句まで検閲した。

 一円と二十銭なる竹槍で
  みいくさせしも夢のまた夢

  これは国民精神の弾圧と言っていい、言論統制の象徴である。もっとも、俳句を知らないアメリカ人が見たら、この短い文言の中に、日本人だけが理解する闘争心を煽る符牒があると考えたのかもしれない。占領軍は日本の伝統精神が宿るものは片っ端から禁止した。特に剣道、柔道、銃剣術など、武道は真っ先に禁止した。何と碁や将棋まで禁止したと聞いたことがある。

 今から思えば教育勅語とは、ただの道徳律である。ただし、これには日本の国体精神が宿っていた。これは日本の固有性であり、危険思想でも何でもない。米国人は教育勅語が日本人の死を恐れぬ闘争精神を奮い立たせた元凶的文言であるかのように勝手に解釈した。要するに日本的なエッセンスの強いものは何でも危険視したのである。

  江藤の「閉ざされた言語空間」に書かれた最も重要なことは第五章にある。民間情報教育局(GHQ CI&E)は、CCDの提供する確度の高い情報にもとづいて、WGIP(ワー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program)を数次にわたって強力に展開していた。WGIPとは、戦争についての罪悪感を日本人に植え付け、その潜在意識に刷り込み(imprinting)するための宣伝計画である。簡単に言えば、日本悪玉史観である。これによって戦後の日本人は精神にクサビを打ち込まれてしまったのである。

 ナチ・宣伝担当相だったゲッベルズは「嘘も百篇繰り返せば真実になる」と、大衆洗脳の方法を語っている。占領期の検閲と放送コードは、このような洗脳原理が働き、新聞やラジオ放送で日本人の精神を深部まで洗脳した。その宣撫工作の中心がWGIPだった。

 大東亜戦争侵略史観は、主にここから展開されていると考えた方がいい。田母神論文では満州帝國、朝鮮総督府、台湾総督府について、きわめて重要なことを述べている。これらは列強の植民地とはまったく性格が異なっていて、そこでは内地と同じようにする政策が取られたと書いている。つまり「同化政策」が取られた。そこでは神社を強制的に拝ませたなどと言う者がいるが、内地では自主的に参拝するだけである。神道には強制性はない。神道は原理的に多神教アニミズムであるから、一神教のように排他的特性はなく、現地の他の宗教も受け入れている。

 田母神氏の言うように欧米に比べればきわめて穏健な統治社会であった。それは台湾人の記憶に残っている。一方、李氏朝鮮に朝鮮総督府をつくって統治した日本は莫大な国費を投入してインフラを形成している。しかし、韓半島の人間は統治様態を列強のそれと等価扱いにし、いまだに日本を責め続けている。これは同じアジア人でも民度の違いと言うべきか。満州も同様である。日本が入って国は豊かになった。

 大東亜戦争史観から太平洋戦争史観というパラダイムの切り替え

  1945年12月8日に民間情報教育局によって、日本の日刊紙に「太平洋戦争史」と題する連載企画が始まった。この「太平洋戦争史」の中で、特に日本軍の南京とマニラにおける残虐行為が強調されている。この時期、BC級戦犯容疑者のリスト発表と関連して、戦時中の残虐行為が強調された「インフォメーション・プログラム」が新聞向けに行われている。徹底的な罪悪感の植え付けである。

 この「太平洋戦争史」の前文で、マッカーサーは日本の軍国主義者の権力濫用や国民の自由剥奪、捕虜への非道な取り扱いなどを強調している。これらの洗脳宣伝が戦後日本の歴史認識のパラダイムを規定した。日本の言語空間が閉ざされたのである。その象徴的出来事は、この宣伝文章に初めて「太平洋戦争」という呼称を日本語の言語空間に嵌めこんだということである。昭和20年12月15日、大東亜戦争という呼称は禁止され、それに伴って、日本側から見た大東亜戦争史観は封印されてしまったのである。

 これが私が冒頭に書いた、日本の魂が眠らされてしまったあとに戦後史が始まったという意味である。

 田母神論文の歴史的意義

 田母神論文の画期的なことは、歴史の地下深くに封印されていた真実の大東亜戦争史観を白日の下に引き上げたことにある。彼は閉ざされていた言語空間を開いたのである。日本人は深く考えてみるべきだ。先人たちが常用的に使用していた「大東亜戦争」が、ある日を境に「太平洋戦争」に入れ替えられたのだ。その結果、何が起きたのか。日本人の伝統的精神や潔癖性、先祖を尊崇する極当たり前の感情が封印され、相互互恵精神や助け合いの共同体的心情が溶解した。日本人本来の美しい民族特性が掻き消されていった。

 その原因は精神の深部に「自民族はデフォルトで有害な性向を持つ」という間違った刷り込みが行われてしまったからだ。そのために若者は自国に誇りが持てなくなり、先祖を蔑むようになった。由々しき事態である。しかし、あの戦争の時代、日本には侵略ではなく自衛の要素や共和の精神が息づいていたとしたらどうだろう。日本人はまったく違う精神の位相に移ることになる。だから日本人は、あの戦争の何が史実で、何が捏造による洗脳史観なのか、よく見極める必要がある。

  田母神論文こそ、迷妄の眠りに沈んでいた日本人に救国の鶏鳴を轟かせているのだ。戦後日本の言語空間とは、アメリカに都合の良い歴史観、すなわち「太平洋戦争史観」に対しては、思いっきり開かれており、日本側の真実の「大東亜戦争史観」に対しては、思いっきり閉ざされていたのだ。現行日本国憲法第21条に謳う言論表現の自由とは、太平洋戦争史観に対してのみ、有効に作用してきたのだ。しかし、この表現の自由は大東亜戦争史観に対しては、こじ開けられない牢獄のように、まったく無効化しているのが戦後の現実だった。

 つまり、日本人が忘却している真実の歴史認識は、凄絶なる非対称性の中で戦後の60年を放擲(ほうてき)されてきたのだ。田母神論文は、この闇に沈んでいた日本の精神を地上に今、引き上げたのである。まさにこれは戦後史の快挙というべきできごとである。

 特に若い人たちは、田母神論文を精読し、そこから日本の真実を汲み取って欲しい。この論文には、失われた日本の原風景がたしかにある。

 江藤淳は書いている。昭和20年12月8日から15日にいたる僅か一週間の間に、日本人が戦った戦争、「大東亜戦争」はその存在と意義を抹殺され、その欠落の跡には、米国人の戦った戦争、「太平洋戦争」が嵌めこまれたのだと。これは単なる呼称の入れ替えではなく、この戦争に託されていたすべての意味や価値観そのもの、すなわち歴史認識のパラダイムまでが米国製に入れ替わったことを示している。

 この事実認識から田母神論文に意識を照射してみて欲しい。封印されていた真の日本が浮かび上がってくる。そして最後に、田母神氏が参考人招致を終えたあとで、記者に「村山談話の正体が今回わかった。言論弾圧の道具だ、あれは」と喝破した。そのとおりである。村山談話とは大東亜戦争パラダイムと言う、本邦の言語空間を閉ざすための道具にほかならない。

                              神州の泉 高橋博彦

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「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(kenkensya)

  「神州の泉」にいつも高度な知見を寄せていただいている、いかりや爆さんと同様に、kenkensyaさんも今回、田母神論文について非常に高い識見をもって、読む者を沈思黙考へ誘う論考を寄せていただいた。皆さんもそれぞれにこの論考を考えてみてください。内容の賛否にかかわらず、素晴らしい論考です。

 まことに僭越な言い方ですが、この御仁は思考の王道を弁えている方と感じます。管理人もこのような深い客観性と、多元的な考察視点を持ちたいと思っていますが、生まれ持ったものしかありません。トホホdespair

 本記事の感想については別のエントリーに書きます。(管理人)

                                                

__________________________________________
(kenkensyaさんの投稿です)

「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(1)

 ある碩学の話によると、各国の憲法を較べてみると明文上、規定がなくとも各々の国に自衛権があることは当然だとのことである(比較憲法学というらしい)。従って自衛隊はもともと合憲である。考えてみれば至極当然のことであって、これを否定した「非武装中立論」はとんでもない勘違いをしていたものと断ぜざるをえない。まったく実現不可能であるからである。

 すると、戦後数十年、うんざりするように繰り返されてきた「自衛隊の違憲・合憲論争」は多分にイデオロギー的背景をもった政局的手段であったと考えられる。

 ところが非常に残念なボタンの掛け違いが戦後史の中で生じてしまった。1950年の警察予備隊設立当時、まだ国民の戦争(また軍隊)アレルギーが強かったので反政府運動の盛り上がりを恐れる自民党が、野党の違憲攻撃に憲法解釈を変遷させながらお茶を濁して対処してしまったのである。自衛隊が合憲であるとは怖くて公言できなかったのだ。

 もしイデオロギーを離れて、かつ自衛権の存在を前提に憲法解釈をしてみれば、憲法9条は、自衛隊の海外派兵を禁じた規定であろうと思う。もちろん無学者の私見であるからご批判は甘んじて受けるが、こういう解釈をする人間もいるのだということだけは知ってもらいたい。

 次いで更なる不幸が日本を襲う。1991年のソ連崩壊によって、左翼陣営が総崩れになったため自衛隊違憲論が跡形もなく消えてしまったのである(これをみても自衛隊違憲論が如何に思想的・政治的なものであったかが分かる)。すると政府自民党のクラゲの如き憲法解釈だけが幅を利かせることになり、挙句、明らかなアメリカの侵略戦争のお先棒を担いでイラク戦争に自衛隊を派遣するという、憲法明文上、違憲としか言いようがない国家行為が許されてしまったのだ。

 さてここで少し話を変える。日本国憲法も押し付け憲法だ、何だと随分、悪役と見做されるようになってきたが、その果たしてきた役割の功の部分もあるのではないだろうか。
1951年であったと思うが、時のCIA長官アレン・ダレスが吉田茂に、社会党、共産党を非合法化せよと迫ったことがあったと聞いたことがある。

 アレン・ダレスといえば大統領アイゼンアウワーをも子供扱いする、いわば「世界の闇の皇帝」である。無論、邪魔な人間を暗殺するくらい屁とも思わぬ人間だった。これに対して吉田茂は「残念ですが、それはできません。日本には、あなたさまの国(アメリカ)から与えていただいた立派な憲法がありまして、その中の21条によって表現・結社の自由は、しっかり保障されております」と平然とダレスの要求を拒み、さすがのダレスに二の句を継がせなかったという。

  「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(2

 表現の自由について私は、アメリカ連邦最高裁の何とかいう判事の述べた「誤った意見は自由な論議に不可欠であるだけでなく、守られなければならない。なぜなら表現の自由が生き残るためには、息をつくゆとりが必要とされるからである」(記憶で書くので適当です)という言葉を尊重する。狭量な視野と許容範囲からでは「表現の自由」という貴重でありながら脆弱な基本的人権を維持してゆくことはできないと考える。

 従って、左右翼両陣営から盛んに行われた、怒号、罵倒、汚い名称のレッテル貼りなどによって相手の発言を抹殺しようとする試みは、いずれも大変な間違いであったと思う。イデオロギーや見解の対立によって相手を仇敵の如く憎悪する感情(私もこれを人並み以上にたっぷりと持っている)は、言うは易く実行は極めて難しいものの、これを必死になって抑え込まねばならないのだ(私もこれができずにウンウン苦しんでいる)。

 正直に白状すると、今回の「田母神論文」とこれに対する高橋先生の扱いは、私にとって気に食わないものであった。「何故、高橋先生がこんなものを賞賛するのか」と腹立ちを覚えて感情的になっていたことを認める(ただし、暫らく投稿を控えていたのは別の事情による)。しかしここで「あんなものを褒め称える奴のサイトなぞ見るものか」と無視したり攻撃したりするならば、それは自分の不利益になるがゆえに不当な言論弾圧を行った「買弁勢力」と同じレベルになってしまうのだ。

 結果、今回の「田母神論文」は表現の自由の許容範囲に属するものであり、国会での問題化と国営放送局の態度は、「表現の自由に対する侵害」に抵触するものと考える。あとは、内容の当否を検討していかねばならない。

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2008年11月12日 (水)

田母神前空幕長の論文で思うこと(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第134弾です)   

 日本経済復活の会は超党派の会であり、田母神氏の論文に関しては、政治家もマスコミも一斉に批判している状況を考えても、筆者はこの問題にはコメントを差し控えたい気持ちではある。しかし、マスコミの論調が余りにも偏っているから、会長としてではなく、個人的な立場で、一言言わせて頂きたい。お見せしたいのは、世界価値観調査2000のデータである。

Photo

 これは「戦争が起きたら国のために闘うか」という問いに答えたものである。日本ははいと答えた人が僅か15%、それに対してベトナムが94%、中国が89%という現実をどう判断するか。

 確かに、もう戦争などこりごりという気持ちは分かる。二度とあのような戦争に巻き込まれたくないという強い日本人の気持ちがあって、反戦教育となったのだろう。しかし、やりすぎたというのは、このデータからも明らかだ。愛国心が育っていない。日本は悪い国だと教えてばかりいたら、日本は守らなくても良い。中国や韓国に将来占領されても仕方がないではないか、あるいは米国の一つの州になっても仕方がないという気分になるのではないか。本当に愛国心を教えなくてもよいのだろうか。

 過去の戦争のように再び近隣諸国を占領せよと教える必要は無いし、それは絶対にやってはならないことだ。しかし、日本民族は立派な民族だと教えるのはよい。日本は守る価値がある国だと教えるのはよいことだ。戦争というものは、勝てば侵略も正当化されるし、負ければ侵略は非難され悪者扱いされる。しかし、我々が生まれる前に起こったことで永遠に我々が悪者扱いされるのはまっぴらだ。我々が生まれる前に起きた戦争に関しては日本は3勝1敗なのだから、75%が善、25%の悪で、そんなに卑下することはない。いずれにせよ、戦後生まれの我々は過去の歴史に対しては第三者的な立場で十分だ。

 愛国心の欠如が、日本経済を良くしようという努力を失わせている。国は通貨発行権を持っているのだから、国の借金など何の意味もない。通貨発行権を行使すれば、一夜にして財源問題など吹っ飛んでしまうのに、属国気分なのだろうか、権利を行使しようとしない。麻生内閣の2兆円の定額減税には日本人の過半数の人が批判的であるが、驚くべきことに消費税増税には、多くの人が理解をしている。これではまるで集団自殺だ。デフレのときに増税をすることほど危険なことはない。麻生氏も恐慌の怖さを知るべきだ。何千、何万という罪もない人たちを自殺に追いやる暴挙だということを知っておくべきだ。

 筆者も2兆円の定率減税を積極的には支持しない。この経済危機に僅か0.1%のGDP押し上げ効果しかない対策で、「これで日本は景気回復間違いなしだから、この後消費税増税するのだ」などと麻生氏は言いたいのだろうが、全く見当違いも甚だしい。今の日本は、最低でも4%程度の名目GDP押し上げ効果のある景気対策が必要だ。そうであれば、定率減税によって景気回復を目指すなら数十兆円程度は必要になる。しかも単年度ではいけない。これはしっかりしたマクロ経済モデルによる結論であり、でまかせの数字ではない。

 日本の7割のGDPしかない中国が57兆円もの景気対策を打ち出した。中国の成長率は日本よりはるかに高いが、成長率が下がる前に景気を刺激しておこうという考えだ。お金は刷ればいくらでもある。日本ももっと本格的な景気刺激策を考えた方がよい。別に定率減税にこだわることはない。風力発電などの新エネルギー開発や、医療、介護、教育、年金など、お金を使うところはいくらでもあるではないか。

(※太文字強調は神州の泉・管理人)

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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城内みのるさん応援サイトへ日本に希望を与える信念の男、城内実

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いかりや爆さんの反論、及び管理人のコメント

 読者のいかりや爆さんが、私の田母神論文支持に批判コメントを寄せてくれた。彼は小泉政権批判で、いつも素晴らしいコメントを寄せてくれる方でもあるので、敬意を込めてその意見を載せることにする。後で私の意見を書いた。田母神論文については、いろいろな考えがあると思うが、田母神氏の訴えたいことは広く世間に浸透して欲しいと強く思う。
_______________________________

(いかりや爆さんのご意見)

 参院外交防衛委員会での田母神氏は、持論を繰り返したらしい。こういうときに限って、NHKは国会中継をやらない。インターネット中継もあるらしいが、どうしてもつながらなかった。

 田母神氏の幼稚性と勇気のなさ

 人それぞれに立場が違えば、歴史認識は異なる。歴史事実を大きく逸脱しない限り、そのことは許される。私は、それについて一度も問題にしていない。

 彼は、「どこが悪かったのか指摘してもらいたい」と発言している。それがわからないのなら、指摘しておこう。

 先の戦争で日本が中国へ大量の軍隊を派遣したことは、理由は何であれ、まぎれもない事実である。「軍隊を派遣して、殴りこみをかけておきながら、殴りこみは濡れ衣だった」という彼の主張は通用するはずがない、幼児がだだを捏ねるに等しい。

 アメリカのイラク攻撃の大義は、「大量破壊兵器の存在と、テロリストとの関係」だった。だが「大量破壊兵器もテロとの関係もなかった」、アメリカの戦争の大義はなかったのである。

 彼の論文によれば、太平洋戦争は「日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している」と主張している。

 日本国を罠に嵌め、イラクで「大義なき戦争」を始めたアメリカ、「その米軍の下で、イラクに於いて今使い走りをしている航空自衛隊をどう思うか」については、彼の論文は一切言及せず、イラクでの航空自衛隊の活動を違憲判決(今年4月、名古屋高裁判決)にたいして、真摯な対応を示さず「そんなの関係ねえ」と武人らしくない卑怯な発言で逃げている。
 何故イラク派遣の正しさを堂々と披瀝しないのか。隊員の士気を落としているのは彼自身ではないか。

 東京裁判を主導したアメリカは、日本のリーダーたちに、「平和の罪」つまり中国侵略と太平洋戦争開戦の責任を問うたではないか。そのアメリカのブッシュ政権が、日本の責任を問うた以上の「罪」をイラクで犯している。そういうアメリカに隷従して、イラクで働かされている現実について言及しない、彼にはパンドラの箱を開ける勇気がないのである。

 彼は「言論の自由はあるはずだ、何も言えないのでは、北朝鮮と同じだ」と主張する、また村山談話は言論封殺の道具であると主張する。しかし、イラクへ航空自衛隊が、アメリカに隷従して派遣されていることに関しては、自ら口を封じている。今の日本の現実を無視して、過去を語っても意義はない。評論家ならば懐古趣味もいいだろう、しかし彼は現場の最高責任者であったのである。

 こんなことは言いたくはないが、アパグループとのズブズブの関係も取り沙汰されている。
 
 公用車で元谷外志雄氏の出版記念にかけつけたり、F15戦闘機に元谷外志雄氏を乗せる許可をが出したという、よほどの親密な関係でもない限り一般人を国家の戦闘機に乗せることなどあり得ないと思う、これ以上ボロを出さねばいいがと願う。

 それでも恥かしげもなく、彼を賛美するとは、「神州の泉」も落ちたものである。
 反論、歓迎します、罵詈雑言も今回にかぎりOK(笑)。

_______________________________________

 「神州の泉」管理人の上記意見に対するコメント

 いかりや爆さん、ご意見、ありがとうございます。私は大所高所から肩肘張ってものを言うネトウヨ(笑)ではありませんから、単線的には反応しません。ただ、正しいと思ったことは語っていくつもりです。

 単線的には反論しませんが、曲線的には少し反論(笑)させていただきます。

 航空自衛隊がイラク戦線で多国籍軍を搬送したことについて、名古屋高裁で違憲の解釈が出されたことについて、田母神氏が黙っていることを、いかりや爆さんは怒り、情けないといっておりますが、それまでの経緯や状況を考えれば無理のないことだと思います。

 名古屋高裁の例の件について言うのであれば、自衛隊の違憲存在そのこと自体がそもそも問題なのです。憲法的には自衛隊のレゾンデートルはありません。現行憲法に従えば、自衛隊は存在してはなりません。しかし、自衛隊は蜃気楼でも幽霊でもなく、厳然と存在しています。なぜでしょうか。それは何らかの、国家国民を害する事態が生じたとき、彼らに働いてもらいたいというのが本音だからです。

 憲法では認めないが、実質上は国民が認めている自衛隊。これは日本国民全体が悪いのです。国防と憲法というきわめて重要な問題を思考放棄し、全体的な討論や世論に上げることさえ禁忌扱いにしてきた日本人全体が悪いのです。一朝国家に危難が及んだら、自衛隊に守ってもらいたいということが国民の一致した本音ならば、憲法そのものをきちんとした形に整え、自衛隊の日本国軍化を真摯に検討すべきでしょう。

 然るに、安倍政権の憲法九条改憲に私が反対したのは、反戦思想からではありません。米国の傀儡政権が、米国の意図に従って自衛隊の戦闘力拡大を志向したからです。これは日本自衛隊の傭兵化に繋がり、わが国の純粋な国防とはまったく性格が異なることです。そんなものを認めるくらいなら、九条を堅持してアカの方々と協力し、アメリカに逆らうことの方がよっぽど愛国的態度と言えるでしょう。

 日本を日本人が自主的に守ること。これが重要なのです。九条の交戦権廃止に米国が関与して、日本人がそれに手を付けるなどということは絶対にあってはならないことです。やるなら、純粋に日本人の精神で、日本人の考えで行うべきです。

 小泉氏がブッシュに盲従して、他国に先駆けていち早くイラク侵略戦争を支持したことも、自衛隊の現地派遣を決めたのも、魂なき日本の宰相が行ったことです。ですが、これを看過した責任はわれわれ国民全体にもあるのです。憲法を堅持するなら、派遣させるべきではありませんでした。ここで、田母神氏のような愛国派の自衛隊幹部が腹を切って自衛隊の資格を国民に問いかけると言う方法もあったとは思いますが、今の日本人の民度では、昔、三島由紀夫烈士が腹を切ったとき、マスコミや政府がその行動の異常性(非日常性)ばかり強調して、三島の訴えたかった本質を言わなかったことが繰り返されてしまうでしょう。

 これについては、意見が分かれるかとは思いますが、私は田母神氏のように論文と言う形で自己の考え方を開陳するという方法は適切であったと確信します。

 いかりや爆さんの言うように、田母神論文は直接アメリカを攻撃していませんが、それは彼の今の目的は日本国民の覚醒にあるからです。実に卓見です。適正な歴史観を日本人が取り戻せた場合、当然、アメリカの奸智に日本人は気が付き、然るべき態度を持つことになるでしょう。これが再び対米戦争になるのかという発想はあまりにも短絡です。アメリカのずるさ陰険さを見究めたうえで、互いの利害の一致になることは協力し合おうという対等な同盟関係はありうるわけです。悪いと思ったら、堂々とそう言える関係が対等条約なのですから。

 自衛隊は最高司令官である総理大臣の命に従います。その最高司令官が国を省みない奴でも命令には従うのが軍人です。田母神氏がイラク派遣の正当性を堂々と披瀝しなかったことを責めるのはお門違いというものです。私は「そんなの関係ねー」と言う以外になかった田母神氏を理解します。それを責めるなら、責める側の人間も含めた国民全体の自衛隊への取り組み方(自衛隊の身分を無視していること)そのものを責めるべきです。

 それと、アパの耐震偽装の件を持ち出して、歴史認識と絡めていますが、歴史認識は歴史認識です。絡めるべきではありません。APAグループ代表の元谷外志雄氏の国家観や歴史認識は正当であり、私はこれも強く評価します。田母神氏と元谷氏の歴史観には共振するところがありますから、このお二人に親和性が生じることは当然の成り行きでしょう。

 以上が私のささやかな反論です。

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2008年11月11日 (火)

田母神・前航空幕僚長の参考人招致の形態は言論弾圧ではないのか!?

   今日は田母神俊雄・前航空幕僚長の参考人招致の日である。ある懸賞論文に、現役航空自衛隊・最高幹部の手になる原稿が採用された。世に言う「田母神論文」である。この論文は田母神俊雄・航空幕僚長が書いた、原稿用紙にして20枚にも満たない小論であるが、内容はいたって硬質であり、日本人すべてが胸に手を当てて熟考すべき内実を含んでいる。「熟考すべき内実」とは、今の日本人が遠い記憶の彼方に置き忘れてきた、大切な心象風景である。

 この小論が注目されるや否や、世は騒然とした。産経新聞以外のメディアは右往左往し、押しなべて感情的にこの問題に反応している。一方、政府は「何で今、こんなものを・・」と、まるで苦虫を潰したかのような困惑である。田母神論文に対し、政府もメディアも揉み消しに躍起となっている。政府見解と異なる歴史観を、現役航空幕僚長が懸賞論文に発表したこと自体が悪いのだそうだ。

 政府とメディアの対応には不思議と一貫性がない。論文が出て、すぐに大慌てで大問題扱いしているのだが、この「論文」のいったい何が問題なのかという話になると、急に押し黙るのだ。いざ、政府公式見解(村山談話)と、どこがどういう風に違うのかという詳細な話になってくると、その比較検討を病的に回避しているように見える。田母神氏を舌鋒鋭く非難している割には、内容検証について異常にナーバスになっているのだ。このアンビバレンツな態度は異様と言うしかない。

 浜田防衛相は、政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは、航空幕僚長として、大変不適切だと言う理由で田母神氏を更迭した。また、政府統一見解に真逆に対峙する歴史認識(戦争史認識)は文民統制(シビリアン・コントロール)を崩壊させる惧れがあるという論調が、あちらこちらからすぐに出た。政府の統一見解とは、元社会党・党首であった村山富市氏が開陳した「村山談話」である。これを典型的な自虐史観と考える国民は私も含めて多い。もちろんこの日本侵略史観を肯定する人もかなり多い。「村山談話」は史実ではなく、そのベースは東京裁判史観と「階級闘争史観」に立脚している。これは先祖の遺徳を無に帰し、わが国の伝統精神の正統性(レジティマシー)を冒涜するものだ。

 田母神論文にアレルギーを起こしている人は、あの大戦争の経緯をよく考えてみて欲しい。学校ではなぜあの大戦争を「太平洋戦争」と教えているのだろうか。当時の日本人(先人)たちはあの戦争を「大東亜戦争」と呼称していた。それに先人達は中国と言わずに支那(シナ)と呼んでいた。なぜ、テレビも学校も大東亜戦争と言わずに、アメリカの戦争史観に即した太平洋戦争と呼ぶのか。視点を大東亜戦争ではなく、太平洋戦争に置く習慣は洗脳されているからだ。

 また、支那がいつの間にか中国に変わっている。支那は英語読みでCHINAだから妥当な呼称であり蔑称ではない。このように、あの当時、常識的に使われた言葉一つ取ってみても歴史から消されているのだ。それは極東国際軍事裁判で日本が一方的に悪玉とされたからではないのか。つまり日本は抗弁できない明確な形で「平和を侵した」罪でアメリカに裁かれたのである。戦勝国が敗戦国を断罪したのだ。戦勝国の一方的な強圧で戦後の歴史観は形成されている。正義も戦勝国が勝ち取り、歴史も戦勝国が作る。哀しいことだが、これは記録に残る人類の正史と言われるものの実相だ。

 アメリカが正義の戦勝国だったという話は歴史的に検証しなおすべきだ。なぜなら、アメリカはイラクに大量破壊兵器があると言って侵略し、国土を壊滅的に破壊し、多くの無辜の民を死に至らしめた。しかし、大量破壊兵器はどこにもなかった。欺瞞の大義で戦争を始めてしまうような国と我々の先人たちは戦った。

  ただ、対米戦争には一縷の理はあったかもしれないが、満州帝国、朝鮮総督府、台湾総督府は明らかに植民地化であり侵略だろうと言う人は多い。しかし、戦後六十数年を経た日本が、アジア諸国との関係において、何か紛争や国際トラブルを起こしたことがあっただろうか?もしも日本人が先天的に鬼のような侵略・略奪を働く習性の国民だったら、この60年という歳月にそれが見られないことは不思議と言うしかない。他国を侵略して血生臭い狼藉(ろうぜき)を働くような国民性であるなら、どうして60年以上もその欲動を押さえることができるだろうか。答えは一つである。日本人は平和を愛好する民なのだ。

 日本人が戦争を好み、侵略をすぐに行うというイメージは、アメリカによって植えつけられた印象操作である。この印象操作が日本人の精神を蚕食し、これに付け込んだ中国や韓半島の連中が日本に金をたかっている。日本人の奥底に居座る東京裁判史観を克己しなければ、自己を恒久的に蝕む間違った贖罪観念から抜け出せないし、他国に翻弄され続けるしかない。

“自分の祖父や父の世代が、他国の国民を殺し、女性を凌辱し、暴虐の限りを尽くした。日本人の血は何と汚れているのだろう。我々は常に贖罪観念を保持し、迷惑をかけた人々に未来永劫謝罪し続けます”。

 こんな思いを続けていたら、国家が空中分解し、国民の心が無国籍化するに決まっている。もうすでにそうなりかけている。歴史はアメリカのフィルターを通さずに、日本人の視線で真摯に再検証する必要がある。

 人類の歴史は開闢以来、戦争と支配の連続である。ある戦争が、侵略か自衛かと問われる時、考えなければならないことがある。幕末のころから、わが国は列強に支配されたくない、奴隷にはなりたくないという切なる思いで頑張ってきた歴史がある。田母神論文では根源的なことも語っている。すなわち、支配・被支配の桎梏から逃れる唯一の方図は戦争しかないと。

 世界が社会ダーウィニズム、すなわち強者支配の弱肉強食であれば、支配された時、懇願しても支配は解かれない。隷属状況から脱出する唯一の方法は生死をかけて蜂起するしかないのだ。話してもわからない野蛮さ(バーバリズム)に対抗する手段はそれ以外にない。実は北朝鮮による日本人同胞の拉致も、筋としては武力で奪還すべき話なのだ。世界が『平和を愛する諸国民』で形成されているなら話は別だ。私が言っていることは戦争讃美でも肯定でもない。歴史には戦うしか選択肢がない局面もあるのだ。

 この側面から大東亜戦争を検証することも大事だ。田母神論文は正面切ってその突破口を開いた。
 
 最後に、田母神氏の今日の外交防衛委員会での参考人招致だが、その形態は解せない。10日の毎日新聞から引用すると、「通常の参考人招致と異なり、河村氏、浜田氏、中曽根弘文外相の関係3閣僚も出席。田母神氏は委員から質問された時だけ答弁する形でテレビ中継もない。田母神氏の持論を披露する場になることを与野党が警戒したためだ。」とある。

 テレビ中継もなく、質問された時だけ答弁するというこの形を見ると、一体何のための質疑かわからなくなる。政府側も、野党も、明らかに田母神氏の歴史観の公表を恐れているとしか思えない。公式見解と違うからと言うはっきりした名目で招致するわけだから、肝心の歴史認識は本人にきちんと語らせないと招致の意味がない。与野党が田母神氏の歴史認識がマスコミに出るのを極力嫌っていることは明白だ。人を国会という公の場に引きずり出しておいて、充分に喋らせないとは、言論弾圧ではないか。

 つまり、この参考人招致は日本国憲法第21条一項の“集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する”に抵触していると思うのだが、いかがだろうか。私は参考人招致を知った時から、テレビ中継はしないだろうと確信していた。田母神氏は戦後、政府やマスコミが必死に封印し続けてきた歴史認識を披瀝するからだ。田母神論文を開けてはならない『パンドラの箱』扱いをする政府のこの怯惰なる姿勢こそ、日本の重篤な病気の一つと言うことができる。

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2008年11月 9日 (日)

著作権法の過度な適用も言論弾圧の一形態

 私が管理するこの「神州の泉」はココログを使っているが、植草さんのブログもココログである。この間の記事で植草さんの「植草一秀の『知られざる真実』」が、一時的なココログのアクセス禁止措置の憂き目に遭った。そのことについては、私の記事でも感じたことを素朴に述べておいたが、植草さんのブログでは、この件に関し、鬼頭栄美子氏と言う弁護士さんが、法曹関係者としての立場から、実に適正、的確な論文を書かれていた。

 これを読んで、私はもやもやとしたものが一気に晴れた思いがした。溜飲が下がるとはこのことである。詳しくは当該記事の(1)と(2)を読んでいただきたい。

(1)本ブログアクセス禁止措置についての考察   (その1-再掲示)
(2)本ブログアクセス禁止措置についての考察   (その2)

 この論文の初頭から、鬼頭栄美子氏は重要なことを述べている。

「ブログ等により一般国民が情報の送り手となる事が一定範囲で可能となった現在と雖も、「政治」に関する「情報入手」は、マスコミの力を借りずには、ほぼ不可能である。」

 日本には伝統的な悪慣習とも言える『記者クラブ制度』が屹立している。この制度がもたらしている弊害は、メディア史に新たに誕生し、急速に発達しているインターネットといえども、政治情報の取得形態が大手マスコミの力を借りないと出てこないという現実がある。

 この問題を敷衍して考えれば、大手マスコミが特権的に政治情報を入手できる現実は、神保哲生氏などが語るクロスオーナーシップ問題がある。日本のクロスオーナーシップ問題とは、大手メディア五社五系列が一握りの民間資本に独占され、メディアの新規参入が事実上不可能になっていることがある。小泉政権は自由市場における競争の優先を旗印に、競争の公平性や弱者を保護していたセーフティネットを、規制緩和によって瞬く間に破壊してしまった。

 一方では、最も最初に問題視するべき、新聞の再販制度やクロスオーナーシップを頑固に温存したままだ。そのために、国民は一方的にバイアスした政治情報しか見聞きできないようになっている。このような情報の後進性は日本だけである。これ以下は私の個人的見解であるが、クロスオーナーシップ制度が日本に頑強に根付いている現実は、ただ単にメディアの資本独占という表層的な問題だけではない。この状況には日本のエスタブリッシュメントの意向そのものが雁字搦めに働いていると見ていい。

 つまり、インターネットが国籍や国境を越える、何者にも影響されない超国家的情報媒体だとは言っても、わが国の政治情報が「記者クラブ制度」という旧態依然、かつ権力の手先的仕組みに依存している以上、明らかに情報の「上意下達(じょういかたつ)」構造になっている。そうなると、インターネットがこれほど普及した現実でも、肝心の政治情報が統制管理下に置かれていることになる。これが日本の現実なのだ。

 私は「植草一秀氏を応援するブログ」のコメント欄に「表現の自由と著作権法のはざまで!!」という粗っぽい意見を書いた。その中で「ココログはインターネットの中小企業だから、大手新聞社である毎日新聞の威光に平伏し、憲法第21条、第一項の言論の自由と著作権法の二側面からの充分な検討を行わず、毎日新聞社のクレームを丸呑みしてしまったのではないのか」という意味合いのことを開陳した。すると、誰かからココログは中小企業じゃなくて充分に大手であり、ニフティもパソコンの黎明期にパソコン通信を手かげた老舗的存在だ、従って私のコメントは見当はずれだとコメント返しをされた。まあ、言われてみればその通りなのだが、企業規模の大小は私の言おうとしている本筋とは関係ない。

 私は事業の規模によって、資本の小さいものが大きいものに平伏したと言う意味で言ったのではなく、歴史の古い紙媒体メディアの新聞は、クロスオーナーシップという独占資本形態から見ても容易に推察できるように、明らかに日本のエスタブリッシュメントと繋がっているということを言うつもりだった。そう考えれば、ネット企業は歴史的には生まれたばかりの新媒体であるから、まだそういう魔手は伸びていないかもしれない。しかし、このまま行くと、いずれはクロスオーナーシップに取り込まれるだろう。(もしかしたら、もうかなり取り込まれているのかもしれないが)

 ネット企業から見れば、五大新聞は徳川幕府の江戸城(千代田城)のような存在なのかもしれない。ここには情報取得の優先性のほかに、権力中枢との強い繋がりの問題も暗示されている。私の推測だが、ココログは毎日新聞の命令に恭順したのだろうか。その辺は内部事情であるからわからないが。

 「記者クラブ制度」や「クロスオーナーシップ」など、わが国の大手メディアはこういうがんじがらめの国内事情を抱えている。その中で起きた「植草さんブログ・アクセス禁止措置事件」である。鬼頭弁護士さんは、今検討されている「日本版フェア・ユース規定」が実行されたら、今回の毎日新聞によるクレームなどは一刀両断に無効化されると断言している。フェア・ユースとは「公正な利用」のことである。詳しくは鬼頭氏の論文を読んでいただきたい。

 日本国憲法第21条に著わされる「言論表現の自由」と、著作権法との相克の問題は古くから屹立しているが、著作権法の適用には極力慎重さを持つべきである。私のような法律の素人が考えてもわかるが、著作権法や名誉毀損など、この手の法律の適用基準を限りなく広げていくと、見事なまでの言論統制社会が出来上がることは目に見えているのだ。

 小泉政権は日本にネオリベ構造を導入して階級分化社会をつくり、極端な格差固定社会を形成しつつある。この目的は一握りの富裕階級層が可能な限り国民から労働成果を恒久的に搾取するシステムを構築するためだ。これを効率よく推進するために言論弾圧の傾向が顕著になっている。小泉政権以降の自公政権はこの形を持っているから阻止する必要がある。植草さんは国策捜査に遭う以前も、その後も自公政権の政策理念とは水と油の関係であり、狙われる充分な理由を持っている。

 だから、今回の植草さんブログの「アクセス禁止措置」には、間違いなく政治的意図が介入していると私は確信している。推測であるが、小泉政権の残党が毎日新聞社に介入した可能性が高い。その残党が○○政策研究会だとは名指しできないが、植草さんの政策理念とは対極的な売国思想を持つグループだろう。

 また、本記事と直接の関係はないが、ココログを評価しなければならないことがあった。ココログは11月7日のココログニュースでフジテレビの「サキヨミLIVE」が、「年次改革要望書」を取り上げたことを記事にしている。タイトルは「フジテレビ「年次改革要望書」特集に波紋」だ。そこでは、「神州の泉」の該当記事も紹介していた。これはココログを利用する者としては非常に嬉しいことだった。年次改革要望書を冷静に取り上げるメディアは何であろうとも大きな評価をしたい。

 

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麻生政権の運命(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第133弾です)

 衆議院選挙は暫くなさそうだから、少なくともその間は麻生政権は続きそうだ。しかし、この政権は前途多難であるのは誰の目からも明らかだ。第一、参議院では野党に過半数を取られているから、いつ問責決議案が出てくるかもしれないし、法案審議で、参議院で強い抵抗に遭えば解散に追い込まれるかもしれない。

 それ以上に大きな問題は景気の動向だ。麻生総理自身が認めているように金融危機で経済は100年に一度の暴風雨の中にある。株安・円高・海外の景気後退の影響が出てくるのはこれからだ。もし、麻生政権が経済政策を誤れば、国民の不満が爆発し、麻生政権は惨めな最期を迎えるだろう。アメリカはオバマ政権が誕生した。オバマ氏は公共事業による追加経済対策を主張している。かつてのルーズベルト大統領のニューディール政策のような大型財政出動になる可能性がある。アメリカには計量経済学の権威が政策を助けている。

 麻生総理は10月30日の記者会見で、事業規模27兆円の新総合経済対策を発表した。2兆円の定額減税が核となっている。果たしてこれで景気は回復するのだろうか。10月31日の朝日新聞に野村證券金融経済研究所による試算が載っている。それによると、5兆円の財政支出によるGDP押し上げ効果は計0.5%程度。一方、金融危機が深刻化した9月以降の円高と株安、世界経済の悪化は計1.4%もの押し下げ要因になる。ということは、この経済対策では景気を良くするどころか、景気悪化さえも不可能ということになる。

 ちなみに、この経済対策は1998年11月の小渕内閣による27兆円の景気対策に対抗して出されたようだ。しかし、中身は全然力強さに欠く。小渕内閣の景気対策のときは、政府による経済効果の試算が発表され、それによると名目GDPの押し上げ効果は2.5%、実質GDPの押し上げ効果は2.3%だから、麻生政権の景気対策の経済効果ははるかにインパクトが小さいと分かるだろう。小渕政権の景気対策は公共投資8.1兆円が含まれていたが、麻生政権の景気対策は減税や高速料金引き下げ等が中心となっている。額が同じなら、GDP押し上げ効果は公共投資の場合は所得税減税の4.1倍というのが内閣府の見解だ。小渕氏の景気対策は減税も9.4兆円という巨額だった。

 麻生氏の景気対策は減税額も定額減税と住宅ローン減税を合わせても3.2兆円しかなく、小渕氏とときの3分の1にすぎない。麻生内閣が、この景気対策を大きく見せたのは、中小企業の資金繰り支援である。信用保証協会を通じて金融機関への返済を保証する公的保証枠を、20兆円としたことである。これが本当に中小企業への融資を増やすかどうかわからない。それに、このように景気が悪いときに潰れそうな会社に対し、一時しのぎで、どんどん融資を増やしていると、更に景気が落ち込んだときに返済不能となり、倒産する会社が続出する。経済苦で自殺する人を大量につくりだす景気対策になっているのではないか。借りたお金ともらったお金では、威力が全然違うことも明らかだ。

 住宅ローン減税も危なっかしい。住宅を購入すれば減税があると言われ、無理なローンをして家を買っても、景気が悪くなれば、ローンが払えなくなる人が続出する。サブプライムローンの問題と同じだ。余り褒められた政策ではない。

 結局、麻生氏の景気対策は力不足で景気悪化を止めることもできず、景気は悪くなる一方という結果になる恐れがある。そうすれば、マスコミは言うだろう。やはり景気対策は効果がない。確かに0.5%の押し上げ効果は、無いよりずっとよい。しかし、金融危機で1.4%も景気悪化圧力があり、差し引きマイナス0.9%の成長ということになる。「効かない」となると、景気対策は二度とやれなくなるかもしれない。そうなると、日本経済は惨憺たる状況になる。世界は景気回復のため赤字国債を発行して景気下支えをし、それが成功する中、日本だけはデフレがずっと続くことになる。これが最悪のシナリオだ。世界大恐慌でのいち早く景気対策を行った日本が最速で景気回復した。景気対策が遅れたイギリスなどは、回復が遅れた。

 では、最良の選択は何だろう。もちろん、お金を刷って経済的に強い日本を復活させることだ。「環境エネルギー革命」を柱に強力に政策遂行したらよい。直接の財政支出だけで最低20兆円は出したい。エネルギー自給率を向上させ、CO2排出量を減らすという目標であれば、国民も納得するだろう。残念ながら、現在の日本政府は財政難を理由に自然エネルギー利用促進に対して極めて後ろ向きだ。世界がどんどん利用促進をしている中、日本だけが立ち止まっている観がある。

 風力発電に限れば、世界全体での発電量は1億キロワット(100GW)で、原発に換算して100基分である(つまり原発は1基約1GW)。2007年末にはドイツは22.2GWで、日本は僅か1.53GWしかなく、世界13位にまで落ちた。中国は内モンゴル地域に10GWの風力発電所を計画しているそう。この計画だけで、日本の全風力発電量の7倍だ。原発10基分もの電力をどうするかだが、ここに工業地帯をつくればよいと考えているそうだ。遠方まで電線で電力を運ぶと電気抵抗でロスが大きい。電気分解して水素に変え、水素として運んでもやはりロスが多いそう。超伝導で電気抵抗をゼロにして運ぶほうが現実的だという。

 タダの風を資源として利用する。素晴らしいアイディアだ。定額減税で一人1万2千円もらってもそれほど嬉しくもないが、このような夢のあるビッグプロジェクトを政府が計画していると、頑張って生きていれば将来よくなってくると国民は感じるものだ。日本政府にも是非、夢を語って欲しい。成長通貨を実体経済に流さねば経済は大きくならない。市中にお金を流すには、財政赤字を拡大すればよいのだ。政府の財政赤字は国民の側から見れば黒字だ。これはゼロサムゲームだから。

 本日(11月8日)の日経の17面を読んで頂きたい。米国の膨大な経常赤字の事について書いてある。世界経済が拡大するには成長通貨であるドルがどんどん増えなければならない。ドルを刷れるのはアメリカだけだ。つまり、アメリカの経常赤字で世界経済は拡大する。返す必要がないドルをどんどん刷れば、世界経済の発展に貢献できる。ドルが基軸通貨である限りこのようなことになる。日本も同じ。お金を刷ることにより、国の財政赤字が増えれば、お金が市中に流れ、日本経済が拡大する。将来につけを残すなんて大嘘だ。

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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城内みのるさん応援サイトへ日本に希望を与える信念の男、城内実

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2008年11月 8日 (土)

植草一秀さんが仕掛けられた政治的謀略事件の考察、インデックス

 2006年9月13日、エコノミストの植草一秀さんは、京急電車内にて身に覚えのない事件に巻き込まれました。これは狭義の意味では冤罪事件であり、広義の意味では間違いなく政治的謀略による<国策捜査>です。

 植草さんは小泉政権初期から、その政策モデルの反国益性を指摘、また、その政策出力が、社会的弱者を無残に虐(しいた)げる方向性を持つことを憂い、自らの危険も省みずに果敢に指弾していました。戦後の憲政史上、類を見ない小泉政権の悪政を糺すため、彼は不退転の姿勢を貫きました。今、小泉・竹中構造改革の見直し気運が強くなっていますが、一般大衆が小泉政権を賞賛していた時も、すでにこの政権と、がっぷり四つで戦っていた植草さんは見直されるべきです。

   彼は常に庶民の視線で経済や政策を語ります。たとえば「ウエクサ・レポート 2006年を規定するファクター」(P184~P185)には、こういうことが書いてあります。
__________________________________________________________
 今求められているのは「成長重視の政策」である。言い方を変えれば、「均衡重視の政策」である。「人間尊重の経済政策である。「均衡」状態にある経済とは、存在する経済資源が過不足なく有効に活用されている状況だ。働く能力があり、働く意志が有る人には働く場が存在する状況である。失業が大量発生している状況は、労働力という貴重な経済資源が遊休化したまま放置されている状況なのである。

 人間は生きていくために職業を得る必要がある。経済成長を促し、経済を均衡状態に誘導することは、すべての国民に健康で文化的な生活を送ることができるための条件を整えることにほかならない。日本国憲法が保障している生存権を満たすために政府が取るべき責務とも言える。

 現在のような不況下でも、現実に生活に困窮する、死線をさまよう人々の比率は10%程度だろう。残りの90%人々はそれなりの豊かな生活を享受しているだろう。しかし、貴重なのは10%もの人々が苦しみに瀕していることを重大視することにある。誰しもがいつこの10%に転じるかもしれないのである。社会学者のロールズは「鎖で繋がれた輪を社会と見たとき、社会の強さは鎖で構成される一つ一つの輪のなかのもっとも弱い輪がどれだけ強いかで決定される」と述べた。

 現在の政策は弱者切捨ての政策である。弱肉強食を支持し、強いもの、恵まれたものがさらに収奪を強化することを推進する政策である。同時に日本の国富の所有権が激しい勢いで海外へ流出しており、政府の政策はそれを回避することに力を注ぐどころか、海外勢力に国富を贈与することに貢献するものになっている。
________________________________________________________

  これこそ、上杉鷹山を思わせる経世済民思想です。こういう庶民済度(さいど)の目線のお人ですから、小泉政権の傍若無人な政策が我慢ならなかったのです。今彼が書き続けているブログの記事も同じ目線なのです。理路整然と悪いものは悪いと言い続けています。

 植草一秀さんというお人は、持って生まれた非凡な洞察力と鋭敏な知性、そして、何よりも節を曲げない確固たる良心を持って、悪いものを悪いとストレートに言える稀有な有識者です。彼は、世論が小泉純一郎という人物のカリスマ性を大絶賛する以前から、そのベーシックな国政感覚が、経済に打撃を与え、私利私欲を満たし、外国資本へ利益供与する悪い型を持つことを見抜いていました。

 小泉元首相は植草さんが予想したとおりの政策を遂行し始めたので、植草さんは、それが看過できず、勇猛果敢にその過ちを指弾し、適正な方向性を具申していました。そのため彼は、売国国策トレンドに仇なす者として権力の闇に睨まれ、2004年の品川駅構内事件、そして2006年の京急電車事件という、実に二つの謀略事件を仕掛けられています。言葉を換えて言うなら、植草さんは二度も、国策捜査という偽装事件を仕掛けられ、その社会的名誉や人格を毀損されました。

 「神州の泉」管理人は、京急事件の翌日から植草一秀事件について考察したことを逐次記事に書いてきました。それを日付順にインデックスにしていますので、関心のある方は御照覧ください。(まだ作成途中ですが・・。)

1、植草一秀氏の二度目の逮捕はまたもや国策捜査の疑いがある
2、植草一秀氏逮捕が不当逮捕だと考える理由
3、植草氏逮捕劇の大いなる違和感
4、植草氏を庇って何の得があるのかという質問に
5、今回、植草氏擁護論が激減した奇妙さについて
6、トンズラ小僧、竹中平蔵
7、植草氏逮捕に関するメディアの独断性と偏頗性
8、植草氏、すでに七回も示談あり、って何だ?
9、植草一秀氏は今、謀殺の危機に晒されている
10、国思う者を救うのは今(植草先生は無罪)
11、「女性セブン」誌、過去7回報道の悪質さ
12、同一情報源のはずが、二つの違う話に分化(植草氏の謀殺を防ごうではないか)
13、植草氏謀殺までの必要な過程として仕掛けられた罠
14、私はなぜ植草一秀氏を擁護するのか
15、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(1)
16、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(2)
17、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(3)
18、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(4)
19、閑話休題(植草氏擁護に思うことあり)
20、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(5)
21、マッドアマノ氏の記事を読んで
22、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(6)
23、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(7)
24、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(8)
25、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(9)
26、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(10)
27、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(11)
28、植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(12)
29、植草氏は最高度の危険ゾーンに入った
30、(続)植草氏は最高度の危険ゾーンに入った
31、植草一秀氏逮捕は国策捜査以外に考えられない
32、植草氏の身の安全を心配する理由
33、幽閉されてもなお、弱者へのまなざしが・・
34、植草一秀氏と西村眞悟氏に見える共通性
35、植草氏に関し、初期報道の悪質さ
36、報道と公判証言にあらわれる駄目押しパターン
37、竹中や飯島を引き継ぐ中川秀直
38、米国傀儡政権が、憂国者・植草一秀氏を狙い撃ちした
39、植草事件は国家の行く末にかかわる問題
40、植草氏はシロ
41、植草さんの意見陳述書
42、裁きの庭、腰縄凄愴!
43、ハルシオン混入の可能性か?
44、保釈決定!地裁はどう出る?
45、保釈取り消し二度目の意味
46、奇妙な符合◆なぜ今?
47、綿密な計画性に生じたディレンマ
48、植草氏を取り押さえた二人は暴力のプロか?
49、郵政民営化売国プロジェクトに嵌められた植草一秀氏
50、第二回植草氏公判・見聞録
51、法廷内の植草さんの様子
52、『私服』というキーワード
53、傍聴人A氏の傍聴記(1)
54、傍聴人A氏の傍聴記(2)
55、公判印象記(傍聴人A)
56、位置証言に費やした冗長な時間
57、疑問点(体験から考える:byA)
58、植草氏第二回公判速記録(弁護側尋問)
59、疑問点2 (体験から考える:byA)
60、印象操作(刷り込み)
61、重複する通常国会招集日と第三回公判日
62、「それでも僕はやってない」と植草さんを絡めない民放番組
63、(1)18.12.20第二回公判、速記録
64、(2)18.12.20第二回公判、速記録
65、(3)18.12.20第二回公判、速記録
66、(4)18.12.20第二回公判、速記録
67、真昼の幻想(国策トリック)
68、第三回公判備忘録(通報時間のミステリー)
69、(1)植草事件の突破口(痴漢犯罪の偽装を見破る)
70、(2)植草事件の突破口(痴漢犯罪の偽装を見破る)
71、(3)植草事件の突破口(痴漢犯罪の偽装を見破る)
72、「植草事件の突破口」要約
73、新刊本『植草事件の真実』発売
74、「雑談日記」管理人SOBAさんの功労
75、偽証の可能性は濃厚

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2008年11月 6日 (木)

植草さんのブログを注視しておこう!間違いなく狙われている

 植草一秀さんのブログ「植草一秀の『知られざる真実』」、10月23日付記事「「逃げ回る」醜態を晒す麻生首相」に対し、毎日新聞の記事(ウエブ記事)を全文掲載したという理由で、ココログから植草さんに連絡メールがあり、ご本人はそのメールの確認が遅れた。それだけで、ココログは植草さんのブログを「アクセス禁止」“措置”にした。当初は事務的な手違いくらいに思っていたが、どうも様子が変だ。

 ココログの通知内容は植草さんのブログにこう書かれていた。

「毎日新聞社より「毎日新聞の記事が全文転載されている。当該記事の全文掲載であるうえ、前後の脈絡から掲載する必然性もなく、著作権法上認められた引用にあたらない。」とのご連絡が弊社宛にございました。」

 私は詳しい著作権法は知らないが、全文掲載は禁止とは言っても、公的に開示されたニュースであるから、普通に考えれば全文転載しても新聞社に実害はないような気もする。なぜならネットで不特定多数に公開されているからだ。しかし、法律的には違反なのだろうか!?

 あまた多くあるブログに、さほど厳密に罰則規定を適用しているとはとうてい思われない。全文引用している例は結構見られるような気がする。もっとも、数万も数十万もあるブログに、物理的に万遍なく目が届いていないということもあるだろう。植草さんに適用されたのは、彼が有名人だから注目度が高いということなのだろうか。

 どうもしっくりこない。言論弾圧の匂いが強くする。流れから言えば、毎日新聞が植草さんのブログ記事を目ざとく見つけ、ニフテイ・ココログに知らせた。ココログは植草さんに上記の通知をメールで知らせてきた。しかし、この文面は警告通知の要素は感じられなく、いきなり罰則のアクセス禁止を適用しますよという強圧感を抱かせる。“前後の脈絡から掲載する必然性もなく”という文が妙に引っかかると言うか、私には合点がいかない。引用文に対して、全体の文脈を構成する主体は、書いた本人である植草さんである。したがって、脈絡と意味づけを把握しているのは植草さんご本人だ。それを新聞社の主観で脈絡がないと断じるのは、強い違和感を感じざるを得ない。

 前後の脈絡があろうと、なかろうと全文転載そのものが違法なのであろうか?それなら、なぜ「前後の脈絡から掲載する必然性もなく」と言うのだろうか?この文脈だと、前後の脈絡がきちんとあれば掲載が許されると言っているように聞こえるのだが・・。だとすれば、新聞社の主観で脈絡を決められたら、気に入らない全文掲載はすべて駄目であり、軒並みブログはこれに抵触してしまうだろう。それとも全文転載は無条件に違法なのか?

 このできごとを見て、私はあることを連想した。それは可罰的違法性(かばつてきいほうせい)という耳なれない法律用語である。この言葉は佐藤優氏の「国家の罠」という本で初めて知ったのだが、そこには可罰的違法性の観点とは厳密に言えば法律違反だが、誰もがやっている事なのであえて刑事罰を与えるには及ばず、見逃しの範囲内で済ますという話である。有罪にするほどでもない軽微なものは、実質上無罪扱いされるという例は頻繁に見られる。隣の庭の落ち葉を一枚持ってくると、窃盗だが事実上は見逃されるという類である。こんなものをいちいち裁いていたのではきりがないからお目こぼしという話だ。

 何となく、植草さんのブログのアクセス禁止措置には、「可罰的違法性を欠く」という話を思い出してしまうのである。通常は見逃されていることが、何かの理由で急に厳密に罰則規定を適用するというような感じがしてならない。有名人だから法が厳密に適用されて、一般人だから見逃されているという実態は本来おかしいのである。下記は日本国憲法第21条である。
 
1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 この条文は、有名人だろうと、普通人だろうと、同じように適用される。ならば、著作権法で、著名人は全文転載を速攻で罰せられ、一般人は黙認されている現状はおかしいのではないだろうか。やるなら、ブログが何万あろうとも、同じように「アクセス禁止措置」にするべきでは?多くの一般ブログが全文転載を放置される現状は納得いかない。憲法第21条と著作権法の整合性の問題はわからないが、どうも釈然としない。植草さんが狙われたのは著名人だからではなく、彼のブログ表現に憎悪を抱く何者かが、スポット的に狙い撃ちしたのではないのか?

 植草さんは小泉政権の悪行を糾弾したために国策捜査に嵌められた。国策捜査には、狙った人物のあら捜しをして、可罰的違法性を欠くような些細な事柄に目をつけ、それを可罰的違法性を満たす状態に恣意的に持って行くこともあるように私は理解している。もちろん、罪人としてでっち上げるためだ。つまり違法性レベルの恣意的な適用である。私はココログによる直截的な「アクセス禁止措置」に、漫然と可罰的違法性を欠く状態にあったものを、いきなりスポット的に違法性のレベルに引き上げてしまった感が捨てきれない。つまり、ありていに言えば、植草さんは故意に狙われたのではないだろうか。彼のブログでの言論活動に脅威や怒りを抱いている何者かが、彼の言論活動を潰そうと、虎視眈々と隙を狙っているように思えてならない。

  私は法律の素人だから、著作権法の適用云々については、よくわからないが、植草さんのブログは明らかに狙われていると思う。今回のアクセス禁止措置は彼の活動に対する威嚇なのだろう。植草さんのブログはそうとうのアクセスがあり、かなりの人々が注目しているので、滅多なことはできないと思うが、応援ブロガーは注目していた方がいいと思う。大元のクレーム主体が毎日新聞社とは限らない。

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新大統領バラク・オバマ体制(雑感)

Photo_2   バラク・オバマ上院議員がマケイン氏(共和党)を圧倒的に破り、クリントン政権以来、8年ぶりに民主党政権が誕生する。ハリウッド映画で黒人が大統領になっているという設定があったが、たとえば「ディープ・インパクト」でモーガン・フリーマンが演じた大統領は印象深かった。Morgan_freeman_3 この役者さんは好きである。オバマ氏も頭が切れそうで品のいい感じである。                                

 メディアをコントロールしている極少数の支配的存在(真のエスタブリッシュメント=原田武夫氏の言い方では「奥の院」)が、大統領就任を陰で操っているとすれば、もしかしたら、オバマ大統領の選出は、支配階級からすれば既定路線だったのかもしれない。もちろん、表層的にはブッシュネオコン政権のほころびが、もうどうしようもなく繕えなくなっていることがきっかけなのだろうが、深層は、世界金融危機の責任をブッシュ政権だけに被せて新体制に移行したのだろうか。しかし、こういうことを書くと、第一企画出版社の世界に接近する恐れがあるが、アメリカがいきなり人畜無害な国家へ変貌(刷新)することは、にわかには信じられない。

 アメリカを支えてきた軍産コングロマリットが、戦争好きのブッシュ・ネオコン・グループと本当に訣別できるのだろうか。しかし、黒人大統領が誕生したことはまぎれもない事実である。人種の混交国家アメリカは、たとえばキング牧師の暗殺などを見る限り、黒人の社会的な地位向上はほとんど不可能な世界だった。ましてや国家の最高指導者になることは想像もできなかったはずだ。それはWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)や、白人優位主義者たち、例えばKKK団などに象徴される人種差別結社がいるように、アメリカは超頑固な白人至上主義の国である。

 アメリカ白人の徹底した人種差別は戦争末期、日本には原爆を落としたが、ドイツには落とさなかったことに強く現われている。

  それにしても、アメリカでは何が起きているのだろうか。日本の明治維新のように、ある種のメタモルフォーゼ(変態)を遂げるのだろうか。ウォールストリートの野蛮なカジノ的金融銭儲けの猖獗(しょうけつ)はおさまるのだろうか。しかし、支配的な富裕層がオバマ氏の「富裕層減税の廃止」をよく容認したと思う。暗殺までは行かないにしても、彼を潰そうとする強烈な反対が出ても不思議ではなかった。彼は金融危機に対応して、今までの無法地帯とも言えるような金融経済の規制を行う。これはいいことだ。弱肉強食がメインの市場原理第一主義は犠牲が大きすぎて世界を荒廃させる。日本もすぐに、セーフティネット再構築のために、既遂の規制緩和や規制撤廃を見直すべきだ。必要な規制は復活させなければならない。

 オバマ氏のやろうとしている公約は、ブッシュの強欲資本主義の見直しである。日本もブッシュに命令された小泉構造改革を早急に見直すべきだ。これは自公政権はやりそうもないから政権交代しかないだろう。しかし、日本の民主党もまったく心もとないから、お目付け役に国民新党の頭脳を使うべきだ。

 米国の民主党にもどるが、対日関係はどうなるのだろうか。あの悪質な「年次改革要望書」を発動させたのはクリントン民主党政権であった。これから、どのような対日政策が出てくるのかわからない。カジノ金融バクチ屋だけが巨利を得て、真面目に働く者がとことん搾取されるような世界はもう御免である。新自由主義はほんとうに終焉するのだろうか。それが終焉しても、あらたな悪しき経済イデオロギー、例えば戦争経済の継続であるとか、その類の破壊的なイデオロギーがアメリカから生まれてくるのではないだろうか。ミルトン・フリードマンが出たように。日本も目を光らせていた方がいい。黒人だからと言って安心はできない。黒人のコンドリーザ・ライス国務長官は好戦派である。イラクから米軍を撤退して経費削減を図っても、アフガニスタンへの増派を匂わせていることは、結局戦費調達は日本からということになりかねない。

 また、牛肉市場の拡大を求めていることは、日本の輸入枠の拡大圧力を強めることは必至だ。問題はBSE対策であるが、オバマ氏がこれにどれほど良心的に対応するか見ものだ。私は米国人の検疫感覚に疑問がある。まあ、外交姿勢は多少は良くなるだろう。ブッシュ政権のように「With us? Or Against us?」と二者択一を迫り、取り付くしまのないトップダウンの意思決定構造ではないと思う。小泉元首相はこれを徹底的に真似して日本を破壊した。オバマ氏なら、かなり柔軟な話し合いは期待できるかもしれない。

  以上はざっとジェトロの緊急レポートを読んでみた感じだが、オバマ氏は医療保険制度の改革も試みるようだ。自国の国民皆保険制度を構築する一方で、年次改革要望書に書かれる、日本の皆保険制度破壊は続けるつもりなのだろうか。強欲な米系保険会社のために。あと、予定通り、日本の郵政資金は米国経済建て直し、あるいは戦費調達のために収奪するつもりなのだろうか。その辺の対日政策は引き続き注意を要する。

 日本はけっして楽観はできないだろう。大統領が変わっても、米国は相互互恵よりも一方的な収奪の型を持つ。

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2008年11月 5日 (水)

第26回の質問主意書とその答弁書(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第132弾です)

 滝実衆議院議員を通じての第26回目の質問主意書とその答弁書が返ってきたので紹介したい。質問の要旨は次の通り。

 赤字国債の発行を拒んでいたのでは、不十分な景気対策しかできず、それでは景気回復はおぼつかない。諸外国はもっと大胆に赤字国債を発行している。赤字国債を発行すれば、一見将来世代へのツケを増やすように見えるが実際はGDPを増やし、債務のGDP比で見ればツケは減っていく。4年目以降に債務のGDP比が増えると内閣府は主張するが、それはモデルがおかしいからである。今年のノーベル経済学賞受賞のクルーグマンがお金を刷れと言っているというコメントも書いておいた。

 答弁では、核心に触れる部分は避けている。以前に比べ「内閣府のモデルは誤差が大きい」という記述は無くなった。確かにそんなみっともない答弁はやめたほうがよいのは明らかだ。クルーグマンのコメントは不況が厳しかった頃のコメントだと主張する。麻生総理は100年に一度の暴風雨が吹き荒れていると言ったのだが。クルーグマンの発言は100年以上前だったとでも言うのだろうか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
平成20年10月24日提出
赤字国債発行に関する再々質問主意書
          提出者   滝     実(無所属 比例近畿)

 アメリカの経済危機対策は最大265兆円、欧州は総額212兆円だと言われている。一方、わが国では、1.8兆円の総合経済対策を盛り込んだ補正予算が10月16日に成立した。この対策をつくった8月末と、それ以降の状況は大きく変わっているとして、政府は追加的な経済対策を検討していると報道されている。しかしながら、財源が明確でない。景気後退で今年度は予算に対して数兆円の税収減が見通されるのであるから、追加的経済対策には赤字国債の増発が不可避であるのは明らかである。追加的な経済対策において、赤字国債の発行を躊躇しているのは、それが将来世代へのツケになるのではないかという配慮からだと認識している。しかし計量経済モデルによる試算結果を見れば、実は赤字国債を発行して経済対策を行えば、逆に将来世代へのツケを減らすことができるのだと前回と前々回の質問主意書で指摘した。それに対し、平成二十年十月三日と十七日の答弁書(内閣衆質百七○第十二号と八七号)においてコメントをいただいた。これらの答弁書に関し確認したいことがあるので、質問する。

一 内閣府の試算(平成20年1月17日発表)によれば、赤字国債を発行して経済対策を行った場合、当初の3年間は、債務のGDP比は減るという意味で将来世代へのツケは減ると結論してよいか。

二 4年目以降は、債務のGDP比は増える可能性があるが、しかし、この原因が内閣府のモデルによれば景気対策によるGDPの押し上げ効果が、他のシンクタンクのモデルよりはるかに小さくなっていることに関係していると思われる。モデルによる違いは、前提条件等の違いからくる場合もあると答弁書でご指摘いただいた。つまり、4年目以降は、債務のGDP比は増えるか減るか分からないという意味で、将来世代へのツケは増えるか減るかは経済モデルでは結論できないということか。

三 以上の議論から計量経済モデルからは、「赤字国債を財源として景気対策を行ったとしても、単純にそれが将来世代へのツケを増やすことになると言うのは間違い」と結論すべきだと思うがどうか。

四 最近の急激な景気悪化で、国民は効果のある景気対策を求めている。どうやれば、景気対策が大きな効果をもたらし、債務のGDP比を減らすことができるのかを、内閣府で計量モデルを作り直して、真剣に検討すべき時に来ているのではないか。

五 十月二十一日の朝日新聞の記事には、内閣府の試算によれば、二兆円の定率減税(所得税減税)で実質GDPを押し上げる効果は年0.10%にすぎず、経済効果は望み薄で、同じ2兆円を公共投資に使う場合の0.41%増、法人税減税の0.27%増という引き上げ効果を下回るとある。これは内閣府の短期モデルの乗数表から求めた数字と思われるが、政府は景気対策でどれだけのGDP押し上げが必要と考えているか。

六 今年ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンは、『グローバル経済を動かす愚かな人々』の中で日本経済に関して「まずは需要を増やすことである。そのためには信用拡大のための通貨供給の大幅増大だけでなく、公共事業の拡大、減税の実施などが肝要である。」と述べている。これについてどのように考えるか。

 右質問する。

  ________________________________________________________

内閣衆質170第159号
  平成20年11月4日
                    内閣総理大臣 麻生太郎
衆議院議長 河野洋平殿

衆議院議員滝実君提出
 赤字国債発行に関する第三回質問に対し、別紙答弁書を送付する。

  衆議院議員滝実君提出赤字国債発行に関する第三回質問に対する答弁書

一から五までについて

 財政の持続可能性等を評価する観点からは、公債等残高の対国内総生産比率(以下「比率」という。)については、中長期的な動向をみる必要があると考えられる。

 ご指摘の「日本経済の進路と戦略-開かれた国、全員参加の成長、環境との共生-」(平成20年1月18日閣議決定)の参考試算の作成に当たって用いた「経済財政モデル(第二次再改訂版)」(平成20年3月内閣府公表)における乗数表を用いて、一定の仮定の下で計算すると、公共投資につき国債総生産の1%相当を継続的に増額するような政策について、比率は、当該政策を行わなかった場合に比べて、当初の1年目及び2年目は低下するが、3年目以降上昇し続ける結果となっている。3年目以降上昇するのは、公共投資の継続的な増額により、比率の分子である公債残高は拡大し続ける一方、分母である国内総生産の拡大は一定程度に抑えられるためであると考えられる。

 現実の経済政策を行うにあっ立っては、計量経済モデルによる計算結果を参考にとしつつも、その時々の経済状況等を十分に踏まえて総合的に判断することが必要である。

 なお、内閣府の計量モデルについては、それぞれの時点で入手可能な情報等を元に、随時必要な改訂を行っているところである。

 政府としては、「安心実現のための緊急総合対策」(平成20年8月29日「安心実現のための緊急総合対策」に関する政府・与党会議、経済対策閣僚会議合同会議決定)決定後の内外の金融・経済情勢の変化に対応するため、先般・政府・与党会議において「生活対策」(平成20年10圧30日新たな経済対策に関する政府・与党会議、経済対策閣僚会議合同会議決定)を決定したところであり、「生活者の暮らしの安心」。「金融・経済の安定強化」、「地方の底力の発揮」を重点分野とし、我が国経済の立て直しに取り組んでまいりたい。
 
六について

 ご指摘の見解は、我が国経済が、バブル経済の崩壊により、極めて厳しい不況を経験し、ある時期には危機的な様相さえ呈していた平成10年当時において、極度の消費や投資の手控えから需要不足に陥っているという認識の下、通貨供給量の増加等の対応策について述べられたものと認識している。

______________________________________________________

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2008年11月 3日 (月)

田母神論文は、救国意志として出た潜在衝動の一つの発露である!!

  (JAXVNさんの投稿)

  この田母神氏が論文で示した見解についてさらに考えてみたのですが、自衛隊員ならこのような見解を持つ事は当然ではないかとも思います。自衛隊はやはり日本軍であり、旧日本軍を継ぐ存在です。そして軍隊は有事となれば、敵と戦い殺す事も殺される事も覚悟しなければならない存在です。そして、殺すか殺されるかとという覚悟は決して私利私欲から出る物ではなく、「自分は正しい事をしている」という信念からのみ出る物なのではないでしょうか。

 だとすれば、旧日本軍の兵士はやはりほとんどが「この戦争は日本を守るための戦いである」という事を信じていたし、その後継である自衛隊員が「あの戦いは決して一方的な侵略ではなかった」と考えるのは当然であり、またそうでなければならないはずです。「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する。、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしなければならない。」これは正にWGIPの正に中心となる考えですが、このような意識では自衛隊員は「命を懸けても日本を守る」という考えは出て来ようがありません。それこそ「米軍の方がまだまし」ということになってしまうのです(数年前、TBSで「さとうきび畑の唄」というドラマがありましたが、このドラマは二重の意味で悪質でした。主人公の兵士は捕虜の殺害を命令され、それを拒否したため上官に射殺されました(旧軍で本当にこんな事があったら大問題になるはずです)。

 そしてラストシーンはその主人公の娘が米軍に保護される、というものでした。まさに「日本軍は野蛮で米軍は礼儀正しい」というWGIPそのものでした)。そんな中発表された今回の田母神氏の論文は「WGIPは間違っている。旧日本軍は決して侵略者ではなく、日本を守るために戦った。自衛隊はその意思を継がなければならない。米軍に頼らず、自らの力で日本を守らなくてはならない」という意思の表れだった、という事ではないかと思います。

 そうなるとイラク戦争に関連しての田母神氏の一連の発言はやはり、「例え間違っていても、我々は政府の命令に従うしかない」という自嘲をこめた発言であり、今回の論文こそが田母神氏の本音、そして少なからぬ自衛隊員の本音なのではないでしょうか。いや、そうでなくてはならないはずです。

__________________________________________________________

(管理人)

 JAXVNさん、いつも熟慮されたコメントをありがとうございます。私も、コメント欄に書きましたが 田母神論文に対する私の共感は、綿密な歴史考証もさることながら、私自身の深いところから出る、内面的洞察で見たとき、戦後教育を受けた今の日本人が、すっかり忘却しているある重要なエッセンスが含まれていることを感じたからです。重要なエッセンスというのは、歴史の連続性に基づいた純粋なわが国の正統性(レジティマシー)のことです。これは弊ブログの中心的課題ですから、おいおい考察を深めていくつもりです。

 日本の真珠湾開戦を侵略開始のメモリアルと言うのであれば、ロンドン軍縮会議やブロック経済、ABCD包囲網などの欧米列強の日本囲い込み状況をどう判断するのでしょう。そしてハルノートです。この流れは、ルーズベルトが日本を誘い込んだという軍略的智謀もさることながら、東亜百年の歴史の流れから言って、明らかに日本という国を壊滅させようとする意図があったことは明白です。幕末は先祖達が清のアヘン戦争を見ながら、西力東漸の列強の侵略主義に震撼し、国家防衛構想を真剣に考えました。

 こういう圧倒的な国際潮流が迫り、明治維新が起きて富国強兵、殖産興業振興に進みました。国家のサバイバルのために自ら国家体制をメタモルフォーゼしたのです。大東亜戦争とはこのような東亜百年のアジア史の流れの中で起きたことです。

 それでも、日本は戦争を回避して融和的国際政策を取っていたら、事態は安穏としていたはずだと言う愚かな人がたくさんいますが、断言できることは、日本があのタイミングで戦わなければ、日本人ばかりか、他の有色人種も軒並み白人の奴隷になっていたでしょう。それに、ハルノートの内容を知れば、それ自体が日本に対する宣戦布告だということがわかるでしょう。日本はぎりぎりまで開戦回避論でこらえています。それをアメリカが許さなかったということが真実です。戦争が回避できない状況に追い込まれたわけです。その想像力がはたらかない人が開戦不可避論を嫌うのです。

 歴史は解釈、とらえ方によって真相は一筋ではありませんが、それでも日本人はGHQによる洗脳史観に覆われているのであり、GHQ製の世界観を無理やり着せられました。その曇ったベールを外してみる必要を感じます。

 村山談話も、河野談話も、マルクスが共産党宣言で唱えた『階級闘争史観』を大東亜戦争に当て嵌めているものです。これは、すべて軍部の指導層が悪かった、国民は彼らに引きずられた被害者だ、という実に間違った認識構造を持つ歴史観です。

 私の母は米寿になりますが、満州北支の住人でした。終戦時に命からがらソ連軍から逃げました。その母が田母神論文を読んで、これが当時の実相に近いと断言しています。戦後生まれの我々とは異なり、この世代は開戦から終戦までリアルに体験しています。母は他の邦人たちと一緒に満州南下逃避行という生死を分ける行動をしたとき、関東軍に守られて助けられています。

 満州にソ連軍が条約を破って侵攻し、多くの邦人たちが犠牲になり、シベリアに抑留されました。今の人々は関東軍が邦人を無残に見捨てたと言う人が多いのですが、ほとんど尽きかけた弾薬や兵力の衰退で、応戦する力は残っていなかったわけです。北を見捨てざるを得ない状況があったのですが、それでも、現地邦人の脱出を守り抜いた関東軍が存在していたことは確かです。この状況一つ取っても、後世の人の解釈は否定的であるのに、大東亜戦争全体の解釈については不当に戦後のバイアスがかかっていることは否めません。あの戦争を林房雄や大川周明の視点から検証しなおすことは重要です。この部分で私は田母神論文を全面的に支持します。

 自衛隊は憲法違反です。しかし、だからと言って、国民は自衛隊を解体する気がありません。なぜでしょうね。この状況は確かに遵法精神に悖(もと)ると言っていいでしょう。これは世界で最も遵法精神の発達した日本人には相応しくない態度でしょう。占領憲法でも、憲法は法治国家の柱ですから守らないといけません。この苦しさに相似するものがあるとすれば、それは小泉元首相にイラク派遣を命じられた時、自衛隊員は命令を忠実に聞いて彼の地に出向いたということでしょう。

 米国のイラク開戦に大義はあったのか?大義がない侵攻で発生した戦地に、人道支援なるごまかしで行かねばならない自衛隊の立場とは?名古屋高裁が、自衛隊イラク派遣部隊が現地で多国籍軍を輸送したことについて違憲判断を出しました。それについて問われた時、田母神空幕長は「そんなの関係ねー」と言いましたが、そう答えねばならない自衛隊の哀しさがありますね。

 ところで、自衛隊はなぜヘビの生殺し状態にされているのでしょうか。それは、JAXVNさんの言うように、一旦緩急があったときに自衛隊員が命を賭けて同胞を守ってくれることを知っているからです。自衛隊は憲法規定がどうであろうとも、超法規的に日本人同胞を守ることは確実です。だからこそ、私は彼らの身分を国軍に昇格させたいと思っています。

 母がよく言います。日本人は極限状況になった時、日本人を守る魂があると。国民は自衛隊には敬意を持つべきであり、税金をもっと使って、近代装備を充実させ、今以上に充分な訓練を経て、彼らに精鋭の部隊になってもらいたいと願うべきです。

 自衛隊に田母神氏のような人物がいることで、母の言葉があらためて証明されています。田母神論文が集中豪雨的な非難を浴びることはいいことです。なぜなら、それでも、今まで封じられていた考え方が堂々と世に出てきたわけですから。あの論文は多くの人が読んで、自らの洞察力で考えてみるべきです。日本人はいつまでも負け犬ではいないでしょう。田母神論文の表出は、亡国に瀕した日本の一つの救国意志であり、国家防衛の潜在衝動の発露なのでしょう。

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2008年11月 2日 (日)

100年に一度の暴風雨が吹き荒れているときに、なぜ消費税増税の話をしなければならないのか(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第131弾です)

 麻生首相の第二次景気対策には全く失望した。麻生氏は日本は100年に一度の暴風雨が吹き荒れていると言った。ということは、昭和恐慌並の、あるいはそれ以上の経済危機であることを認めたということだろう。そうであれば、昭和恐慌から脱するだめに大規模な財政出動を行って日本経済を救った高橋是清の積極財政をお手本とすべきだろう。しかし麻生氏は3年後の消費税増税を国民にお願いしたいとも言う。だったら、こんな金を今ばらまくのでなく、将来増税をしなくてもよいように、とっておいて欲しいと思うのが素朴な国民感情というものだ。

 麻生氏は、経済というものが理解できていないようだ。経済は国民の心理状態に強く左右される。もしも、経済が安定していて、将来不安もない、経済の拡大が続きこれから自分の生活も豊かになっていくと思えば、国民は消費を増やし、企業も設備投資をし、生産性を上げ将来の需要増に備える。逆に、麻生氏の発言にあるように、日本は100年に一度の経済危機であり、3年後には消費税増税で更に生活は苦しくなるぞと脅せば、国民は危機に備え消費を減らす。企業も需要減に備え設備投資を控え、生産性は上がらない。融資枠を拡大しても、新たな投資へは消極的で、しかも銀行も不良債権の発生を抑えるために新たな貸出を抑える。悪循環だ。その悪循環を立つためには、国民に明るい未来の開くために力強いメッセージが必要だった。

 例えば、環境エネルギー革命を起こすと宣言すべきだった。風力・太陽光・地熱など投資先はたくさんあるし、技術では日本は世界トップクラスである。日本が最も大切にすべき産業分野だろう。自分達の次の世代のための財政出動だと言えば国民の支持は得られるに違いない。エネルギー自給率を高め、CO2削減で地球温暖化を防ぎ、しかも景気を良くすると言うことなら一石三鳥だ。

 実は、もう一つ良いことがあるから実際は一石四鳥なのだ。今まで、内閣府のモデルを何度も紹介してきた。それによると、景気対策をすると、最初の1,2年は国の借金のGDP比は減るのだが、3年目以降は逆に増えてくるという結論となっていた。3年目以降に増えてくるというところにトリックがあるのだ。景気対策をやらせたくない小泉・竹中氏が、トリックを仕掛けていた。短期金利をわざと引き上げて折角良くなりかけた景気を悪くしてしまうというのがシミュレーションに仕掛けられたトリックであり、それをやらなければ3年以降も国の借金をGDP比は減るということを話した。なんと、内閣府でも短期金利を引き上げない場合の計算はされていて、内閣府のホームページに書かれていた。
内閣府のこの試算を次のサイトから引用しよう。いわゆる短期モデルと呼ばれているものだ。  
http://www.esri.go.jp/jp/short/index.html
次の表は短期金利を固定したまま、公共投資を毎年5.2兆円増やし続けたらどうなるかをシミュレーションを示したものである。

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 すべてが、景気に好影響を与えることがわかる。2兆円の定額減税による実質GDPの押し上げ効果が僅か0.10%と言われているが、それよりも桁違いに効果が大きい。内閣府の短期モデルによれば名目GDPと税収の増加のため、国の借金のGDP比は下の図のように下がっていく。3年目も下がる!!つまり将来へのツケは減っていくのだ。同様な結果は他のシンクタンクでも同じである。

 これにより、環境問題もエネルギー自給の問題も改善し、しかし景気がよくなり、将来不安も解消すれば、国民も安心して生活を営むことができるし、消費も増やせる。企業も需要増に対応して、設備投資を増やせる。一人当たり1万円余りの意味不明のお金をもらうよりはるかによい。経済が拡大し、税収が増えてくれば、増加する社会保障費にも対応できるのだ。これなら誰もバラマキとは言わない。日本の明るい未来を切り開く希望の光だ。

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小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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田母神論文の明察!!

  神州の泉は田母神俊雄航空幕僚長の論文を強く支持する!!

Photo  ついに待ち望んでいたものが自衛隊の上層部から出た。かなり遅きに失した感は否めないが、航空幕僚長である田母神俊雄(たもがみ としお)氏が実に素晴らしい論文を世に出した。タイトルは「日本は侵略国家であったのか」である。日本航空自衛隊はこの人物をトップに戴いたことを誇るべきである。戦後、憲法第九条の愚かな拡大解釈に翻弄され続け、自衛隊の身分は宙を揺曳したまま、浮遊霊のようにさまよっている。

 日本はアメリカに守ってもらうわけであるから自衛隊は必要ない。首都に横田基地があり、交戦権の永久放棄と武力不行使の九条がある日本は、自ら軍事力を持つ理由がない。しかし、この現状を少し違う角度から見つめなおしたらどうだろうか。沖縄を中心として、日本各地にアメリカの最強軍隊が常時いてくれる安心感から一旦離れ、少し考えてみたらどうだろうか。

 我が国に駐留軍を置いている国が、年次改革要望書なる取り決め文書を交わし、日本の規制緩和や商習慣の変革など、市場構造の急速な改変を指導した。その結果、国内大手企業は外資に半分も株を買われ、各地の優良資産も安く買われた。その上、一握りの富裕階級と極貧に向かう大勢の国民が出現し、格差分極社会が出てきた。おまけに、郵便局が有している350兆円の国民資産は、近い将来、外の連中の手に渡ろうとしている。このようなことをする国が友好国と言えるのか。そして、このような国がいざという時に日本を守ってくれるのだろうか?

 答えは明らかにノーである。米国はいざという時に日本を守らない。二国間同盟は有名無実と考えるべきだ。同盟国の富を効率よく収奪する画策を立て、それを実行するようなあざとい国が、日本を守ると思うこと自体が馬鹿げている。米国は日本に利用価値がなくなるか、あるいは他国との力学関係で不利になると判断した途端に日本を放り出す。米国史を少し振り返ってみればそういう国だということがわかる。ならば、戦後から今まで日本各地にいる米軍は何のためにいるのだろう。答えは簡単である。日本が占領地だからだ。だから占領軍がいるのである。

 戦後、この状況が恒常的に続いてしまった原因は、実は日本側の精神の深部に横たわる、この問題に対する思考放棄にある。終戦後の占領期から現在まで、アメリカの対日占領支配は継続中である。その事実から目を逸らし、九条の拡大解釈で自衛隊という軍隊の浮遊霊を存在させてきた。この状況自体が、戦後日本人が、内なるレジティマシー(正統性)を喪失していることの証しである。これに一石を投じた軍隊浮遊霊の精鋭が出た。田母神俊雄航空幕僚長である。彼が投じた田母神論文こそ、自衛隊憂国派による乾坤一擲の意志の表出である。日本の崩壊を心配する祖霊が彼に働きかけたのかもしれない。この論文を読んで、日本にはまだ救いが存在すると確信するのは私だけだろうか。

 戦後の日本人は、東京裁判史観に雁字搦めに囲繞(いじょう)され、コミンテルンによって醸成された赤化思想の思潮的揺曳感にいまだに翻弄され続けている。その結果、国民全体に宿る通念的世界観に、国家意識の危殆的な希薄化がもたらされている。これがどれほど民族の自尊心や国益を毀損しているか、その弊害は絶大である。

 終戦直後、GHQが国際法を無視した私設軍事裁判所を東京市ヶ谷(旧陸軍省参謀本部)に造営した。極東国際軍事裁判である。それはドイツ・ニュルンベルグ裁判を凝らし、日本軍の戦争犯罪人を裁くためと、日本人全体に、戦争はすべて一方的に日本が悪いという戦争犯罪史観を刷り込むために無理やり開いた法廷だった。これが国際法無視や国際的な慣行無視と言われるのは「法の不遡及」の原則が踏みにじられているからである。これは法治社会の不文律を破る野蛮性があり、人類史が生み出した法体系の精神から言って許されざる暴挙だ。

 GHQとは、体裁は「連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters)」、つまり見かけは複数の戦勝国の軍事司令部代表機関のようになっているが、その実質的な運用実体はアメリカであり、マッカーサーであった。GHQは日本の為政者や知識人など、指導層には東京裁判を、一般大衆には新聞とラジオ放送によって、日本悪玉史観を植えつけた。これら大々的な洗脳のための情報宣撫作戦をWGIP(War Guilt Information Program)と言う。

 占領軍によって用意周到に遂行された、占領期のこの情報作戦によって、日本人は徐々に精神の深部を蚕食され、日本人というのは先天的に悪い素質を持つ最低の民族なんだなという自国毀損、及び自国侮蔑史観が徹底的に刷り込まれた。特にマスメディアや教育界はWGIPの継続的伝播を国民にもたらした。この文脈で言えば、先日更迭された中山前国交相の日教組批判はまったく妥当なものである。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)が生み出した洗脳史観を「東京裁判史観」と言うが、これによって、国民に染み付いてしまったのは、国家は悪、大東亜戦争も悪、日本はアジアや世界に大迷惑をかけた「人類の鬼っ子」という、自虐的かつ贖罪的なイメージであった。WGIPによる東京裁判史観は、太古から受け継いだ日本人の清新な精神を徐々に摩滅させ、日本人本来の馥郁たる情感や美的観念、長い伝統で培った互助精神、愛他精神を破壊していった。

 固有の美しい伝統や先祖の内面的特性は漸次消失し、平成の小泉政権時代を通過して、日本人は急速に日本的霊性を失ってしまった。米国の収奪主義、強欲主義が凝集した年次改革要望書を進んで受け入れ、同胞を騙し続け、アメリカや国際金融資本に卑屈な笑いを浮かべながら阿諛追従する売国日本人が多数輩出している。そのような現代の状況も、根底には東京裁判史観の猛毒が作用しているのだ。自民党の清和政策研究会、あるいは民主党の凌雲会などという政策研究グループも、典型的な東京裁判史観の崇拝者なのだ。つまり、骨の髄までアメリカの精神奴隷である。彼らには日本文明の真髄を誇る意識も、先祖の遺徳を崇める感謝の心も皆無だ。亡国の徒が二大政党の中枢に巣食っている。

 このように、最近の日本は自国の正統性(レジティマシー)も、自立自存の気運もまったく省みない亡国的思潮、亡国的政治風潮が色濃くなっていた。このような潮流にあって、11月1日のニュースに驚くべきことが出ていた。それは、航空自衛隊の最高責任者である田母神俊雄航空幕僚長が、ある論文を発表したが、この内容が政府の見解と食い違い不適切だということで、浜田靖一防衛相によって急遽解任されたというニュースだった。

 その論文は「アパグループ」によって開催された、第1回「真の近現代史観」懸賞論文であるが、これに応募して田母神空幕長はみごとに最優秀賞受賞者の座を射止めた。その論文の題名は「日本は侵略国家であったのか」である。「神州の泉」管理人は早速、この論文を精読してみた。読み終えて感動し、久々に目頭が熱くなった。論文の基底的骨子は、わが国がはたして本当に侵略国家であったのかという、大東亜戦争の通念的な歴史感に真っ向から強い疑問を投げかけ、その認識の修正を迫るものである。いわゆる日本の思想的戦後史を囲繞してきた東京裁判史観に真っ向から立ち向かう勇気ある論述である。

 戦後の日本人は多かれ少なかれ、WGIPによる日本悪玉史観に汚染されており、大東亜戦争を評価する時、左翼史観や東京裁判史観と異なる見解を示した途端に、拒否感情や怒りの感情を惹起させる。それは政府の要人であろうが、財界人であろうが、有識者であろうが、一般国民であろうが、軒並み強い汚染度を示している。日本人はよく反省する必要がある。我々の精神に住み着いている、大東亜戦争に関する基本的な歴史認識は、実は占領期のWGIP、つまり、東京裁判や新聞報道、ラジオ放送で行われた「真相箱」などの情報操作作戦で刷り込まれたものであることをよくよく考えたほうがいい。

 学校で教わった近現代史、特に大東亜戦争に関する知的情報の摂取は骨格そのものが大間違いなのだ。その重要部分はアメリカによる太平洋戦争史観であり、アメリカや当時の戦勝国に都合の良い捏造の戦争史観なのである。日本という国は、来日したアインシュタイン博士が喝破したように、古い伝統を誇るアジアの盟主、アジアの高峰である。わが国は本来、立派な伝統文化や良い国柄(くにがら)が残存する、世界に誇れる美しい国だった。それが終戦を経て経済大国になっても、国民は自国の伝統文化の本質を忘却し、日本人として生きるにあたり、いっこうに気持ちが満たされないという精神の貧困に喘いでいる。

 それにははっきりとした理由が存在する。アメリカによって刷り込まれた誤まった歴史観によって自分を見失っているからである。現在、経済的にも日本は青息吐息の土壇場に差し掛かり、活路を求めて足掻いている。しかし、アメリカ発のサブプライムローンから発生した世界金融危機によって、アメリカの真の正体が見えてきた。アメリカは今も昔も民主主義の聖なる殿堂ではけっしてない。この国にはいっさいの憧れを抱かずに、プラグマティックに賢く付き合う覚悟を持つことだ。この国に、親に対するような信頼感を持った途端に、骨の髄まで収奪されてしまうことになる。もう気付いた方がいい。

 アメリカが、プロテスタンティズムやカトリシズムが支配するキリスト教国であり、新約聖書でイエスが説いた、あの美しく慈愛溢れる「山上の垂訓」が息づいていると思ったら大間違いである。もしそうなら、イギリスを脱出した清教徒たちは現住民(インディアン)の土地を奪ったり虐殺したりすることもなく、奴隷船でアフリカから黒人を連れてきて強制労働などはさせなかっただろう。人種差別のどこに人類愛があるというのか。アメリカを聖書的に表現するなら、その性格は新約聖書にはまったく見つからず、むしろ旧約聖書に頻繁に記述されている古代イスラエル民族の闘争本能が具現化したような野蛮な行動原理を内包すると見た方が正確であろう。

 日本人はそういうことをきちんと見定めた上で、アメリカと付き合っていかなければならない。アングロサクソンは非常に頭のいい人種である。しかし、融和性、協調性、親睦性などの裏に、どれ一つとっても気を許せない奸智が透けて見える。大国で軍事力も強大、その上いたって狡猾。日本人は彼らの狡猾さを見究め、彼らの上を行く知略を持たなければならない。しかし、彼らの野蛮さを身に付けることはご法度だ。それをやれば国際社会が味方しない。最後には良心と誠実さが勝つだろう。要は本来の日本人に戻ればいいのだと思う。

 田母神論文は日本人が持つべき正統な歴史観を正直に提示している。これを航空自衛隊のトップが開陳したことに重大な意義がある。皆さんも大きな問題意識を持って彼の論文を読んで欲しい。日本がいつまで経っても幸福になれないのは、間違った歴史観がメジャーになってしまっているからだ。その根本的原因を解明した方がいい。

 以下に田母神論文の基底的なとらえ方である重要な箇所を引用する。

(田母神論文「日本は侵略国家であったのか」から引用開始)

 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。
(引用終了)


 田母神論文のすべてはここで読める。
http://www.apa.co.jp/book_report/index.html

 これを読んでいる読者諸氏諸兄に問いかけたい。私がたびたびこのブログで問題を問いかけていることだが、米国による「対日年次改革要望書」について、不当な押し付けだと立腹する気持ちがあるならば、こんなものを唯々諾々と受け入れている日本側の精神の脆弱性にも問題があるとは思わないだろうか。「戦争に負けた国だから、アメリカには逆らえない」では未来永劫にアメリカの奴隷国家に甘んじなければならない。その道筋の果てに待ち受けるのは、古代カルタゴ国家の運命だけである。 

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