「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(kenkensya)
「神州の泉」にいつも高度な知見を寄せていただいている、いかりや爆さんと同様に、kenkensyaさんも今回、田母神論文について非常に高い識見をもって、読む者を沈思黙考へ誘う論考を寄せていただいた。皆さんもそれぞれにこの論考を考えてみてください。内容の賛否にかかわらず、素晴らしい論考です。
まことに僭越な言い方ですが、この御仁は思考の王道を弁えている方と感じます。管理人もこのような深い客観性と、多元的な考察視点を持ちたいと思っていますが、生まれ持ったものしかありません。トホホ![]()
本記事の感想については別のエントリーに書きます。(管理人)
__________________________________________
(kenkensyaさんの投稿です)
「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(1)
ある碩学の話によると、各国の憲法を較べてみると明文上、規定がなくとも各々の国に自衛権があることは当然だとのことである(比較憲法学というらしい)。従って自衛隊はもともと合憲である。考えてみれば至極当然のことであって、これを否定した「非武装中立論」はとんでもない勘違いをしていたものと断ぜざるをえない。まったく実現不可能であるからである。
すると、戦後数十年、うんざりするように繰り返されてきた「自衛隊の違憲・合憲論争」は多分にイデオロギー的背景をもった政局的手段であったと考えられる。
ところが非常に残念なボタンの掛け違いが戦後史の中で生じてしまった。1950年の警察予備隊設立当時、まだ国民の戦争(また軍隊)アレルギーが強かったので反政府運動の盛り上がりを恐れる自民党が、野党の違憲攻撃に憲法解釈を変遷させながらお茶を濁して対処してしまったのである。自衛隊が合憲であるとは怖くて公言できなかったのだ。
もしイデオロギーを離れて、かつ自衛権の存在を前提に憲法解釈をしてみれば、憲法9条は、自衛隊の海外派兵を禁じた規定であろうと思う。もちろん無学者の私見であるからご批判は甘んじて受けるが、こういう解釈をする人間もいるのだということだけは知ってもらいたい。
次いで更なる不幸が日本を襲う。1991年のソ連崩壊によって、左翼陣営が総崩れになったため自衛隊違憲論が跡形もなく消えてしまったのである(これをみても自衛隊違憲論が如何に思想的・政治的なものであったかが分かる)。すると政府自民党のクラゲの如き憲法解釈だけが幅を利かせることになり、挙句、明らかなアメリカの侵略戦争のお先棒を担いでイラク戦争に自衛隊を派遣するという、憲法明文上、違憲としか言いようがない国家行為が許されてしまったのだ。
さてここで少し話を変える。日本国憲法も押し付け憲法だ、何だと随分、悪役と見做されるようになってきたが、その果たしてきた役割の功の部分もあるのではないだろうか。
1951年であったと思うが、時のCIA長官アレン・ダレスが吉田茂に、社会党、共産党を非合法化せよと迫ったことがあったと聞いたことがある。
アレン・ダレスといえば大統領アイゼンアウワーをも子供扱いする、いわば「世界の闇の皇帝」である。無論、邪魔な人間を暗殺するくらい屁とも思わぬ人間だった。これに対して吉田茂は「残念ですが、それはできません。日本には、あなたさまの国(アメリカ)から与えていただいた立派な憲法がありまして、その中の21条によって表現・結社の自由は、しっかり保障されております」と平然とダレスの要求を拒み、さすがのダレスに二の句を継がせなかったという。
「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(2)
表現の自由について私は、アメリカ連邦最高裁の何とかいう判事の述べた「誤った意見は自由な論議に不可欠であるだけでなく、守られなければならない。なぜなら表現の自由が生き残るためには、息をつくゆとりが必要とされるからである」(記憶で書くので適当です)という言葉を尊重する。狭量な視野と許容範囲からでは「表現の自由」という貴重でありながら脆弱な基本的人権を維持してゆくことはできないと考える。
従って、左右翼両陣営から盛んに行われた、怒号、罵倒、汚い名称のレッテル貼りなどによって相手の発言を抹殺しようとする試みは、いずれも大変な間違いであったと思う。イデオロギーや見解の対立によって相手を仇敵の如く憎悪する感情(私もこれを人並み以上にたっぷりと持っている)は、言うは易く実行は極めて難しいものの、これを必死になって抑え込まねばならないのだ(私もこれができずにウンウン苦しんでいる)。
正直に白状すると、今回の「田母神論文」とこれに対する高橋先生の扱いは、私にとって気に食わないものであった。「何故、高橋先生がこんなものを賞賛するのか」と腹立ちを覚えて感情的になっていたことを認める(ただし、暫らく投稿を控えていたのは別の事情による)。しかしここで「あんなものを褒め称える奴のサイトなぞ見るものか」と無視したり攻撃したりするならば、それは自分の不利益になるがゆえに不当な言論弾圧を行った「買弁勢力」と同じレベルになってしまうのだ。
結果、今回の「田母神論文」は表現の自由の許容範囲に属するものであり、国会での問題化と国営放送局の態度は、「表現の自由に対する侵害」に抵触するものと考える。あとは、内容の当否を検討していかねばならない。
← この記事に興味を持たれた方はクリックお願いします!!
神州の泉による「植草事件」関連記事
| 固定リンク







コメント
「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(4)
これに続いて、田母神論文は、盧溝橋事件の真の実行犯は誰か、「東京裁判」について、真珠湾攻撃から始まる日米戦争は果たして米国の謀略であったのか、日本軍の残虐行為の存否などと多様な論点を連ねていくが、一つ一つこれらについての私見を書いていくのは余りに長ったらしいし、読んでくださる方が、うんざりするのは、失礼であると思われるので簡潔に記す。また私がよく知らない部分も多いし、少々、齧ってはいるものの結論を迷っているものもある。
①「盧溝橋事件勃発」についての田母神氏のコミンテルン、または中共軍が真の仕掛け人であるとする見解は、かなりの説得力を持つ。しかしこのような謀略に易々と引っ掛かってしまったのは日本軍の方にも騙されるに十分な内的な原因があったのではないか。また中国によって戦争に引きずり込まれたとするのは、当時の「朝鮮兵站基地論」に基づいて進められていた朝鮮半島の工業化という国策と著しい矛盾を生じさせてしまう。
②「東京裁判」については、恥ずかしながら、何かを述べるに値するような知識をもっていない。ただその不当性を証明するかもしれない傍証は存在する。
1933年、イギリス・フランスが「ブロック経済政策」を開始した際、経済学者の高橋亀吉は東洋経済新報に「英国がこのような政策を採るならば必ず第二次世界大戦につながる」という旨の論文を発表した。しかし高橋が私学出身であったため日本の学界では全く無視された。読みもしなかった人が大部分であったと思われる。しかし敗戦後、日本を占領したGHQは、真っ先に高橋亀吉を捜し出し、どういうわけか公職追放とした。おそらく図星だったので、「東京裁判」への影響を恐れて、大慌てで、やったものだと考えられる。
③米国側が「真珠湾攻撃」を事前に知っていたことは間違いない。また「ハル覚書」は明らかに「真珠湾攻撃中止」を阻止するためのものであったことは、まず疑いないものと思う。しかし日本側が「ハル覚書」を受け入れたとしてもアメリカが第二、第三の「ハル覚書」を出してきただろうとするのは「歴史にifはない」に属するものだと思う。
④日本軍の日中戦争時の残虐行為の有無については、別の機会にゆずりたい。この論点を最初に言い出したのは、記憶するところでは山本七平氏ではなかったかと思う。その後、鈴木なんとかという御仁の「南京大虐殺の幻」という論文で広く知られることになったことだけを記すにとどめる。
さて、ここで私が「田母神論文」の中で注目した部分を引用する。
(1)自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。
「集団的自衛権も行使出来ない」という部分を除いて(これについても、またの機会に譲る)、極めて由々しい問題提起である。自衛権が憲法上当然、認められ、自衛隊が合憲であるとするのであれば、その任務を全うしえないような立法上の規制は、憲法上の疑義を引き起こすものと考えられるからである。
そして、この責任は、国民からの反発(具体的には選挙で落とされること)を恐れて敢えて、これを議題にすることを避けてきた政府自民党、また珍妙な論理から「自衛隊違憲論」を唱えてきた野党・社会党、またこれに与してきた新聞をはじめとする報道機関、そして、斯様な議員を選出し、やや左寄りの新聞の論調に喝采を送ってきた国民(新聞は読者受けする論調のものしか掲載しないものだから)の全員が等しく負わねばならないものだと考えるである。
次に、継ぎはぎであるか再び、「田母神論文」を引用する。
(2)このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない
アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。
上記見解には同意を表する。しかし取り立てて目新しいものでもないと、極めてゴーマンである私は、はっとする感銘を受けることはなかった。何しろ私は、自分の書いた文章に、ひどく評価が甘く、他人のものに対しての評点がきわめて辛い。
忌憚なく言わせていただくのであれば、今回の「田母神論文」は適当な引用を組み合わせた凡庸な中程度の論文であろうと思う。高橋先生がこの論文を賞賛しているのに違和感を覚えたのは、これによる部分も大きい。
(高橋先生、こういう身の程知らずの馬鹿もいるのだ、これ程の馬鹿にサイトへの出入りを許してしまった不運を嘆きつつ、お諦めになって何卒、お許しください。)
更に私が「田母神論文」に不満を感じるのは、勇ましく大上段に構えて正論を主張しながら、その解決策が何も述べられていないことであった。
# あと一回で終了いたします。ご勘弁のほどを。
投稿: kenkensya | 2008年11月15日 (土) 11時31分
「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(3)
次いで、「田母神論文」の順に従って、私の抱いた支持しうる部分、そして疑問点を挙げる。
朝鮮半島の植民地化と満州の一部への権益強化が、当時の国際的通念ないしは国際法に悖るものでないことは、論をまたない。当然ながら私もこの見解を支持する。また朝鮮半島および台湾の支配が緒列国のそれと異なり搾取どころか日本の持ち出しであったこと、更に日本の教育制度を移植したため、それが戦後の韓国・台湾の復興や経済発展に大きく寄与したことは大書されて良いことだと思う。しかし以下に述べる細部について私は氏の論文に疑義を呈する。
第一に、張作霖爆殺事件の主犯が河本大作ではないとする推論の引用は、信用ある証言が残っている当時の首相・田中義一の「軍のやつら、親の心、子知らずとはこのことだ。とんでもないことをしてくれた」という発言を全くの聞き違いであったというのに等しい。
更に当初、昭和天皇に「今回の事件については関東軍の関与が濃厚であるので厳正に処分いたします」と一旦は奏上した田中義一が、陸軍への温情または陸軍からの圧力に屈し、「今回の事件は中国便衣隊の行ったものと思われます」と前回の内容を翻す奏上をして、昭和天皇から「田中のいうことは信用ならん」とのお怒りを買い、総辞職したのは虚妄であったと言い得るのか。もしそうであるとするならば昭和天皇はつまらない勘違いをなさって政治を壟断なされたことになってしまう。平気でこう述べるのはあまりに畏れ多いことではないだろうか。
次に田母神氏は、中国侵略(または侵攻)の理由として、中国側の条約不履行を挙げておられるが、これは現代国家、しかも極めて中央集権的なそれを土台とした見解であろうと思う。私たちは生まれてこのかた、中央集権的現代国家に暮らしてきたため、それ以外の国家像(?)というものを想像することが非常に難しい。人はすべて時代の子たることを免れ得ないのだ。
かく申すそれがしなぞも、昭和初期のシナが、軍閥割拠という近代以前の形態の土地であったことに、おぼろげながら気付いたのは、天安門事件をテレビで視ていて、この40万人分の食糧の代金は一体誰が出し、糞小便の始末はどうやっているのだろう、とあれこれ思い巡らした結果、どうやら鄧小平に対抗する大きな軍閥の存在を疑ったところからなのである。「これは中国を日本のような国家と思うのはとんでもない間違いなのかもしれない。一つに見える中国も一皮剥いてみれば群雄割拠なのかもしれんぞ。この事件はある軍閥から鄧小平軍閥への揺さぶりなのだろう(だから鄧小平は軍隊への発砲を命じたし、別の軍閥の助けがあったからこそ女子大生の指導者は国外に逃れることができた)」私はこんな考え(妄想)をいだくようになった。
さらに勝手な想像をたくましうしてみるのならば、当時の軍閥の長は、そもそも国家という概念がないのだから国際条約に拘束を感じる、またはそれを遵守するなどという考えは持ち合わせていなかった、つまり「なーに、何時でも破って構わない口約束か、その場限りの便法を紙切れに書いただけだ」くらいに考えていただろう。そして日本側も薄々これは存知していたのではないか。このような当時の事情を無視して日中戦争の「きっかけ」を一方的に中国側の条約無視に求めるのは、大人気ないのみならず、歴史を捻じ曲げている、といえるのではないだろうか?(間違えていただいては困るが、この部分についてのみへの私見である)
戦争の「原因」と「きっかけ」は全く別物である。田母神氏が論文で述べられているのは、日中戦争の「きっかけ」が主となっている。失礼だが「きっかけ」なぞ、いくらでも説はあるだろうし、後からなら何とでも言えるものなのだ。
投稿: kenkensya | 2008年11月14日 (金) 08時35分
思うに、この件は、
「平和主義者」が、「軍国主義者」を叩いているのではなく、
「知的言論人」が、「国粋主義者」を叩いているのでもなく、
「左翼」マスコミが、「右翼」言論を叩いているのでもない。
(それは、そう、見せかけているだけ。)
「親米」というより「従米」隷属のマスコミが、「反米」言論を、押さえ込もうとしている。
「属国」が、「親分国」に楯突こうとしているのを、押さえ込もうとしている。
マスコミ上層部は、「左翼」でも「平和主義」でもない。
マスコミ上層部は、単なる「従米」隷属主義。
田母神論文には、明らかに、「反米色」がある。
わが国が「属国」である事を、国民に気づかせたくない勢力が存在する。
田母神論文を、色眼鏡無しに読めば、「気づき」が生じる。
TV放映しなかったのはおかしい。
TV放映した上で、議論の対象にすればよい。
それをしなかったのは、報道規制だ。
投稿: サウジ | 2008年11月14日 (金) 03時23分