冷静に「日本侵略国家説」を疑う(田母神論文を支持する)
戦後の迷妄的戦争観から解き放つ「田母神論文」
小泉政権に対する知的で鋭い批判では、いつも新たな情報や有益な視点を提供していただいている、弊ブログ読者のkenkensyaさんやいかりや爆さんが、田母神論文については真っ向から否定的な見解を開陳している。こういうこともあるだろう。歴史観において、人はそれぞれに異なる見解を持つのであれば、仕方のないことだ。
歴史にIF(もしも、こうだったら・・)はないと言うのはよく言われることだが、大東亜戦争についてもIFはないだろう。しかし、「神州の泉」管理人は「村山談話」とか「河野談話」などというものは到底肯(がえんじ)ることはできない。対米戦争についてはルーズベルトの謀略戦で日本側からの開戦が惹起されたという話があり、いろいろな証言も出ている。また、1928年の張作霖の列車爆殺事件についても、関東軍による謀殺ということが当たり前のように言われてきたが、最近はソ連諜報機関の資料が見つかり、田母神氏の書いたように、コミンテルンの仕業であったという見解が出ている。今ここでそれらを仔細に検証することはしないが、謀略的色合いが強い歴史事件については、双方の立場からなるべく多くの傍証的検証が行われることが望ましい。
ふと、クラウゼヴィッツの「戦争論」を思い出す
少し話が飛ぶかもしれないが、クラウゼヴィッツの『戦争論』は全世界的によく知られている。この有名な戦争論については、かつて私も岩波文庫の三巻を読んだが、こういう古典的な本は訳出の問題もあり、難解なところが多くあって読解に難儀した。フランス革命やナポレオン戦争当時の時代背景で書かれたこの本が、近現代戦争、特に第二次世界大戦などに適用しうるかどうかは議論が分かれるようだ。特に核兵器や電子戦と言う、まったく非古典的な戦争形態に突入した今日、湾岸戦争などの遠隔的戦争形態はクラウゼヴィッツの想像をはるかに超えている。しかし、作者は戦争の本質を哲学的に把握しようとしたことに意義があり、戦争そのものにまとわり付く数々の本質や属性についての彼の深い考察は、時代を超えて思考の助けにはなるかもしれない。
大東亜戦争当時の日本の軍人さんがクラウゼヴィッツの「戦争論」を読んでいたかどうかは知らないが、高級将校は少なからず目にしていたかもしれない。クラウゼヴィッツは戦争には二種類あって、一つは敵そのものを撃滅打尽する目的の戦争があり、もう一つは敵の領土や国境に、自国の領土を橋頭堡的に取得することである。要するに敵を倒すか、何らかの理由があって陣地を取るかのどちらかだと言っている。
クラウゼヴィッツの分類に従えば、朝鮮総督府や満州帝國は、どちらかと言えば後者に属する「要城占拠」の傾向が強いということになる。これまでさまざまな人が述べているように、大観的に眺めれば、日露戦争に勝利したとは言え、それはかろうじてであり、日本は引き続きロシアの驚異に対抗しなければならなかった。朝鮮半島に日本が固執したのは、大国ロシアの驚異から列島を防衛するための防塁的見地からだった。こういう言い方は不適切かもしれないが、満州帝國は地政学的に対ロシアからの脅威に対する第一次防塁であり、朝鮮半島は第二次防塁であった。李氏朝鮮に日本が総督府を置いたことと、満州帝國を建国したことは時間的に逆になっているが、当時の趨勢では遅かれ早かれ、どこかに安定した要城的陣地が必要だった。
これを侵略か、防衛的進出かという話は議論の分かれるところであるが、当時の支那(中国)の国情的状況を考えれば、侵略という言い方は不適当であると思う。五味川純平の「人間の条件」に出ている光景を想像してもわかるように、中国という大地は荒涼として広大である。そこは馬賊や匪賊が群雄割拠し、中央集権的な行政秩序はまったくなかったと言える。この大陸的な無秩序は魯迅の「阿Q正伝」などでも感得できる。当時の中国に日本のような秩序ある国家と等価のイメージを持つことはできない。野放しにされた荒野のようなイメージが一番近い。
帝国主義的覇権が趨勢だったあの時代に、日露戦争に勝利した日本が権益として満州建国を考えたとしても、これを侵略と定義づけることには無理がある。しかも、軍の進出にはきちんと条約を交わしているのだ。もしこれを永遠に贖罪しなければならない領土侵犯だと言うなら、欧米の数百年に及ぶ植民地拡大についても、同様に言及するべきだ。クラウゼヴィッツは「戦争は政治の一形態」と断言していることは有名である。また、戦争は元来、一国の知能である少数の政治家や軍人によって発起せられるが、これをもってして軍部の単独暴走だという言い方はあたらない。
クラウゼヴィッツによれば戦争のその型は戦略(ストラテジー)の領域であり、起きたときの形態である。後年の人間が統帥権干犯問題とその形態を結び付けて、軍部独走による侵略戦争だという論法に持って行くことは本質をとらえていない。大東亜戦争とは、東亜百年のアジア史の流れで起きた思想戦であった。軍部と一部政治家だけが悪者で、一般国民は巻き込まれただけというのは「階級闘争史観の」誤まった適用である。ただ、アジアや南方まで広域に軍を進めたのは兵力の散逸と兵站(ロジスティクス)の枯渇を招き、戦略的には失敗であろう。欧米列強からの解放戦の思想が根底にあったから、気持ちはわかるが、自滅的作戦であったと思う。日本は短期決戦に集中するべきであった。しかし、これを言えばIFになってしまう。
クラウゼヴィッツの戦争論が、大東亜戦争の思想戦的側面において、補強的論考になるとは思えないが、冷静さを持って戦争史を眺める時には参考になる部分がある。
戦勝国史観に惑わされている戦後日本
張作霖爆殺事件、あるいは真珠湾開戦をルーズベルトがお膳立てしたということについても、今強く言いたいことは、ある事件の生起について、どちら側に仕掛けがあったのかという、いわゆる発生因果論については、双方の立場から充分に検討する必要はあるのだが、それができにくい現状になっていることは案外知られていない。互いに相反する見解を検証する場合、最低限度担保されるべき「言論の自由」という基本的舞台ができあがっているという前提で考えている。ところが、実状は憲法第21条に規定される言論の自由がすべてにわたって担保されていないのが日本の現実だ。
私が別記事で述べたように、太平洋戦争史観に都合の悪い歴史的事実やその検証資料は入りにくい状況になっている。それは資料や当時者関係の証言が得にくいことと、誰かがそれらを調べても、メディアはそれを報道のルートに載せないからだ。日本における言論空間には明らかにはっきりした情報の偏頗性が存在する。その流れを作った淵源は、江藤淳が研究した「閉ざされた言語空間」に真相が記載されている。
日本におけるあの戦争の史実を研究するには、最初に占領期の日本人洗脳作戦を認識することから始める必要がある。これをしないで、いきなり歴史検証に入ると、自動的にアメリカが構築した太平洋戦争史観に取り込まれることになる。一つの例を上げれば、全国各地にある多くの図書館に所蔵される近現代史の書物が圧倒的に太平洋戦争史観で書かれた物ばかりである事実が挙げられる。林房雄の「大東亜戦争肯定論」のような物は、最初からデフォルトで稀少本になっている。この背景には、書籍の流通過程、特に出版傾向からして、この手の本が出にくい現状があり、図書館の職員の意識に、左翼的な選別感覚が働いていることもあるだろう。
われわれが容易に手にできる資料とは、戦勝国史観に基づいた物である。人類の戦争史を俯瞰すれば、戦勝国が戦争の正当性を都合のいいようにつくってきた歴史があり、敗戦国は常に悪者扱いにされたまま、歴史に刻印されてきた。ならば、あの戦争が例外だったと言うことはできない。世界に聖書的倫理や正義感を土台にして、普遍的な国是を発信したい米国が、おのれの正当性を堅持するために、自分達に都合のいい戦争史観を生み出した可能性を見るべきだ。特に考えるべきことは、広島に落とされた濃縮ウラン型原爆(リトルボーイ)と、長崎に落とされたプルトニウム型原爆(ファットマン)は、戦争の圧倒的優位性を利用した、米国による生物学的実験であった。
武器は竹槍、燃料は松脂(マツヤニ)しかなくなった日本に、戦争の早期終結のために原爆を落とす必要があったのか?なぜドイツには原爆を使用しなかったのか?これらを考えると、原爆の人体実験、及び都市破壊実験の意図が見えてくる。都市空襲で一般人殲滅を狙った非道さを考え合わせると、米国の人類犯罪が浮かび上がってくる。
米国は日本の都市空襲と原爆投下の非道性を覆い隠すために、日本を根っからの悪逆非道な民族だと決め付ける必要があった。そのためにナチスの非道を裁いたニュルンベルグ裁判を凝らして、東京に極東国際軍事裁判という“人類法廷”を勝手に立ち上げたのだ。何という傲慢さだろう。あんたらのいったいどこに、人類を代表する絶対正義があると言うのか?自らの非道性を歴史から覆い隠すために、米国は東京裁判で戦争犯罪人を裁き、国内にはラジオと新聞という公器を使って、洗脳作戦を大々的に行った。新聞には“太平洋戦争史”が掲載され、ここで初めて『南京大虐殺』が大々的に流布されていく。
南京大虐殺は戦後の日本人の精神を奥底で蚕食する中心的イメージである。GHQに強制されて新聞に出てきたこの『南京大虐殺』以前に、中国からそれについての非難がどれくらい出ていたのか冷静に調べる必要がある。あと、以前から指摘されていたことだが、南京大虐殺の虐殺様態には非日本的な要素が多々見られるそうだ。強いて言えば、実際に起きたことで、日本人が考えられないほどむごい目に遭った通州事件と、南京大虐殺の虐殺様態の類似性も検討に値する。
大虐殺イメージの土台になったできごとはあったかもしれないが、そのできごとが他国の都市攻略作戦にくらべて異常な規模の死者を本当に出しているのか検証しなければならないが、中国政府がそのために協力する必要がある。ところが中共政府はこれを拒絶する。彼らにとっても検証は有意義なことであるはずだが、彼らはそれを忌避する。なぜだろうか。それは松井石根陸軍大将が率いる南京攻略の『大規模殺戮』のイメージがGHQ演出だった可能性を強く示唆する。中国政府が“南京大虐殺”の史実的検証を頑なに拒んでいることは、自分達が唱えていることとまるで食い違う結果が出てくることを恐れているからだ。
日本人の戦後感覚を規定している自虐史観、贖罪史観の中心には『南京大虐殺のイメージ』が刷り込まれていて、そのイメージの最初の出所は日本の新聞だった可能性を検証しないとならない。同時に「アジア侵略史観」と言うものも、WGIP(戦争罪悪感刷り込み作戦)の要諦として組み込まれていた可能性が非常に高い。
従って、田母神論文の表題である『日本は侵略国家であったのか』ということの検証作業に入るためには、最初に上述のGHQによる洗脳宣撫作戦の実態を見据えた上で、戦勝国アメリカの戦史捏造意図を見抜き、そのベースから歴史検証を照射することが肝要だと思う。田母神論文は内容が非常に重要であるが、その前にマスメディアや政府がこれに対して取っている異様な反応こそがWGIPに囲繞された日本を端的に表していることを指摘する。これに気付いた人はたくさんいる。すなわち、日本の言論空間の閉鎖性が何に対して恒常的に作用しているか、田母神論文によって、一時的にその姿が浮き彫りになったのである。すなわち、大半の日本人やマスメディアが、田母神論文の内容検証を異様に忌避し、ただ単にそれが出てきたという事実だけに反応して強い嫌悪感を示した。この事実こそ、日本人がいまだに洗脳下に置かれていることの明白な証左なのである。
大東亜戦争史観については異常にナーバスになり、その言論言及に頭打ちで忌避感情を示す今の日本の現実は、検閲機関という外部的存在があるからではない。それは日本人の内なる精神構造にがっちりと組み込まれた「東京裁判史観」という自己検閲システムができあがっているからだ。東京裁判パーセプションである。つまりこれが戦後日本人に巣食うWGIPによる洗脳継続状態なのだ。深刻な問題は、これが無自覚なまま、戦後何十年も放置されてきたことにある。このイナーシャ(慣性)は巨大である。誰しも自分が洗脳状態にあることを認めない。
継続中の日本悪玉史観
東京裁判史観が現代日本人に継続中であることは疑う余地はないが、何かのきっかけで、あの戦争がダイレクトに取り沙汰された時、人々は普段は潜在下に伏せていた洗脳認識が急激に表層に浮上し、最初の反応として強度な不快感を示すのである。今回の田母神論文の表出には、政府もマスメディアも、最初にその典型的な不快感だけを示している。その次は不快感からくる忌避感情による自分の認識への回避行動である。その典型的な行動が田母神氏の参考人招致のテレビ中継をNHKがしなかったことだ。
加えて質疑の初めに、河村官房長官が田母神氏に、ここは持論を展開する所ではないなどと釘を刺していた。そもそも田母神氏を更迭し、参考人招致した理由は田母神論文が政府見解と異なるという理由からである。ならば、田母神氏にきちんと歴史見解を披瀝させ、内容の適否を検証するのが最初だろう。その内容表明を制止するなら、呼び出した意味はない。田母神論文の主旨は日本は侵略国家にあらずである。この表題からして彼らは恐ろしいのである。だから見ざる、言わざる、聞かざるの思考停止状態から脱却できない。日本侵略国家以外の言説は、彼らの常識を規定している自己認識の崩壊に繋がるからだ。
東京裁判とWGIPが日本人に与えた強力な意識操作は、60年を経た今日でも執拗にわれわれの精神を呪縛し、われわれの先人たちが有していた常識的な「大東亜戦争史観」を忌むべきものとして感じ取ってしまうのである。政府やメディアは、この封印された戦争史観が精神の表層に浮上することを強く拒むのである。だからこそ、先人たちが持っていた日本側の世界観、歴史観を、まるで見てはならない物、知ってはならない呪われた物のように取り扱ってしまうのだ。この心理反応は純粋理性で認識されたものではなく、洗脳作用によって外因的に刷り込まれたものだ。それが世代を超えて延々と継承されているのだ。
私は日本では「言論の自由」が偏頗的に働いている事実を繰り返し強く主張する。つまり、われわれは占領軍が引き上げた1952年から、日本国憲法第21条に基づいて「言論・表現の自由」が正常に機能してきたと勘違いをしている。前述したように、言論の自由が機能するのは「太平洋戦争史観」に即した事柄だけであり、「大東亜戦争史観」については、完全に封殺状態に固定されている。この言論の偏頗性をもたらした歴史的な起点は、占領軍による大々的な広報宣伝活動にあり、極東国際軍事裁判にある。
今回の田母神論文についても、報道や討論番組にこの偏頗性が非常に鮮明に出ていた。すなわち、東京裁判史観に即したものについては自由に開かれているが、閉鎖された言語空間に存在する歴史認識については、憲法第21条ははっきりと無効化されている。日本には戦艦大和とともに、海冥に沈んだ大東亜戦争史観が眠っている。大東亜戦争史観には本来の日本人の風景がある。日本人がこの眠りから目覚めて真の日本の姿を心に呼び覚まさなければ日本は壊滅に至る。今はその一歩手前にあるのだ。だからこそ、田母神俊雄氏の止むに止まれぬ救国衝動は世論を喚起しつつある。彼が投じた一石は、今確実にその波紋を広げている。
田母神論文について、言いたいことはわかるが、時宜にかなわないとか、解決策が提示されていないなどと言って、否定的な見解に持って行く批判もあるが、これらも洗脳結果による典型的な反応の一形態である。この論文の主旨は、閉鎖された言語空間に覚醒することであって、戦略的展望や対外的な方法論ではない。この覚醒の段階を抜いて、今戦略論(ストラテジー)に固執することは無意味である。この論文の価値は、日本側の視点をまず取り戻せという一点に尽きる。
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コメント
『見つかった!南京の記述!、翰林版にも!』
「Voice of America」などによると
南京の記述が無い無いと騒いでいた(2007年2月頃)、
翰林版の教科書にも、最後の付録の大時紀(大年表)に
"日軍入城大肆殺戮、是為南京大屠殺"
と書いてあるそうです。
http://www.voafanti.com/gate/big5/www.voanews.com/chinese/archive/2007-02/w2007-02-13-voa42.cfm
臺教科書淡化南京屠殺國民黨不滿 記者: 張永泰
台北
Feb 13, 2007
台灣新版高中歴史教科書當中,出現了淡化處理南京大屠殺事件的情形。
在野黨的國民黨對此相當不滿,並提出了批評。
有關1937年的南京大屠殺事件,台灣今年許多不同版本的高中歴史課本都出現了淡化處理的情形。
以翰林版為例,課文沒有提到南京大屠殺,只在最後附録的大事紀當中提到“日軍入城大肆殺戮,
是為南京大屠殺”15個字。
Voice of America
投稿: カルビー | 2009年3月18日 (水) 14時55分
朝日新聞論説主幹とエマニュエル・トッド氏との対談
ちなみに私個人の考え方とトッド氏の考え方はほとんど一緒です。
過去に囚われて現在や将来を犠牲にしてはなりませんね。
それこそ無益な事です。
過去より現在や将来の方がよっぽど大事なんですから。
贖罪意識を煽って日本封じ込めを図る米英中韓朝の意図に嵌まっては元も子も無くします。
日露関係の改善が日本の将来に大きな影響があると言うのもトッド氏と私と全く同意見であります。
表向きは米国、あるいはその裏に居る国際金融資本とはロシアがかなり距離を置いているように見受けられるからですが。
またエネルギー安保を考えても極東ロシアには地下資源が豊富にあります。
産業的にも補完関係を築きやすいんじゃないでしょうか。
おまけにこの後強引に引き起こされるであろう環境バブルに関しても森林資源が豊富ですから排出権取引等で有利な立場に立てる気がします。
それこそ歴史的なロシアアレルギーや北方領土問題はこの際脇に置いておくべきでしょう。
今は資源価格が落ち着いていますが長期的には右肩上がりになるのは免れないでしょうし。
日本が核武装し在日米軍を追い出して自立し中露と関係改善を果たす事が日本の長期的な国益に繋がる気がしています。
もう冷戦は終わったんですから。
米国の戦略は日本封じ込めに変わったんだと確信しております。
今回の金融危機ではそんな米国からの支配から逃れる絶好のチャンスだとも感じております。
http://www.sonoda-yoshiaki.com/index2.html
若宮 いま、北朝鮮の核が深刻な問題です。
トッド 北朝鮮の無軌道さは米国の攻撃的な政策の結果でしょう。一方、中国は北朝鮮をコントロールしうる立場にいる。つまり北朝鮮の異常な体制は、米国と中国の振る舞いあってこそです。
若宮 トッドさんは識字率の向上や出生率の低下から国民意識の変化を測り、ソ連の崩壊をいち早く予測しました。北朝鮮はどうでしょう。
トッド 正確な知識がないのでお答えできない。ただ、核兵器が実戦配備されるまでに崩壊するのでは……。
若宮 でも不気味です。
トッド 核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい。
若宮 日本が、ですか。
トッド イランも日本も脅威に見舞われている地域の大国であり、核武装していない点でも同じだ。一定の条件の下で日本やイランが核を持てば世界はより安定する。
若宮 極めて刺激的な意見ですね。広島の原爆ドームを世界遺産にしたのは核廃絶への願いからです。核の拒絶は国民的なアイデンティティーで、日本に核武装の選択肢はありません。
トッド 私も日本ではまず広島を訪れた。国民感情はわかるが、世界の現実も直視すべきです。北朝鮮より大きな構造的難題は米国と中国という二つの不安定な巨大システム。著書「帝国以後」でも説明したが、米国は巨額の財政赤字を抱えて衰退しつつあるため、軍事力ですぐ戦争に訴えがちだ。それが日本の唯一の同盟国なのです。
若宮 確かにイラク戦争は米国の問題を露呈しました。
トッド 一方の中国は賃金の頭打ちや種々の社会的格差といった緊張を抱え、「反日」ナショナリズムで国民の不満を外に向ける。そんな国が日本の貿易パートナーなのですよ。
若宮 だから核を持てとは短絡的でしょう。
トッド 核兵器は安全のための避難所。核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる。ドゴール主義的な考えです。
若宮 でも、核を持てば日米同盟が壊れるだけでなく、中国も警戒を強めてアジアは不安になります。
トッド 日本やドイツの家族構造やイデオロギーは平等原則になく、農民や上流階級に顕著なのは、長男による男系相続が基本ということ。兄弟間と同様に社会的な序列意識も根強い。フランスやロシア、中国、アラブ世界などとは違う。第2次大戦で日独は世界の長男になろうとして失敗し、戦後の日本は米国の弟で満足している。中国やフランスのように同列の兄弟になることにおびえがある。広島によって刻まれた国民的アイデンティティーは、平等な世界の自由さに対するおびえを隠す道具になっている。
若宮 確かに日本は負けた相手の米国に従順でした。一方、米国に救われたフランスには米国への対抗心が強く、イラク戦争でも反対の急先鋒(きゅうせんぽう)でした。「恩人」によく逆らえますね。
トッド ただの反逆ではない。フランスとアングロサクソンは中世以来、競合関係にありますから。フランスが核を持つ最大の理由は、何度も侵略されてきたこと。地政学的に危うい立場を一気に解決するのが核だった。
○トッド・過去にとらわれすぎるな 若宮・日本の自制でアジア均衡
若宮 パリの街にはドゴールやチャーチルの像がそびえてますが、日本では東条英機らの靖国神社合祀(ごうし)で周辺国に激しくたたかれる。日本が戦争のトラウマを捨てたら、アジアは非常に警戒する。我々は核兵器をつくる経済力も技術もあるけれど、自制によって均衡が保たれてきた。
トッド 第2次大戦の記憶と共に何千年も生きてはいけない。欧州でもユダヤ人虐殺の贖罪(しょくざい)意識が大きすぎるため、パレスチナ民族の窮状を放置しがちで、中東でイニシアチブをとりにくい。日本も戦争への贖罪意識が強く、技術・経済的にもリーダー国なのに世界に責任を果たせないでいる。過去を引き合いに出しての「道徳的立場」は、真に道徳的とはいいがたい。
若宮 「非核」を売りにする戦略思考の欠如こそが問題なのです。日本で「過去にとらわれるな」と言う人たちはいまだ過去を正当化しがち。日本の核武装論者に日米同盟の堅持論者が多いのもトッドさんとは違う点です。
トッド 小泉政権で印象深かったのは「気晴らし・面白半分のナショナリズム」。靖国参拝や、どう見ても二次的な問題である島へのこだわりです。実は米国に完全に服従していることを隠す「にせナショナリズム」ですよ。
若宮 面白い見方ですね。
トッド 日本はまず、世界とどんな関係を築いていくのか考えないと。なるほど日本が現在のイデオロギーの下で核兵器を持つのは時期尚早でしょう。中国や米国との間で大きな問題が起きてくる。だが、日本が紛争に巻き込まれないため、また米国の攻撃性から逃れるために核を持つのなら、中国の対応はいささか異なってくる。
若宮 唯一の被爆国、しかもNPT(核不拡散条約)の優等生が核を持つと言い出せば、歯止めがなくなる。
トッド 核を保有する大国が地域に二つもあれば、地域のすべての国に「核戦争は馬鹿らしい」と思わせられる。
若宮 EU(欧州連合)のような枠組みがないアジアや中東ではどうでしょう。さらに拡散し、ハプニングや流出による核使用の危険性が増えます。国際テロ組織に渡ったら均衡どころではない。
トッド 核拡散が本当に怖いなら、まず米国を落ち着かせないと。日本など世界の多くの人々は米国を「好戦的な国」と考えたくない。フランス政府も昨年はイランの核疑惑を深刻に見て、米国に従うそぶりを見せた。でも米国と申し合わせたイスラエルのレバノン侵攻でまた一変しました。米国は欧州の同盟国をイランとの敵対に引き込もうとしている。欧州と同様に石油を中東に依存する日本も大変ですが、国益に反してまで米国についていきますか。
若宮 日本のイランへの石油依存度は相当だし、歴史的な関係も深い。イラクの始末もついていないのにイランと戦争を始めたらどうなるか。イラクのときのように戦争支持とはいかないでしょう。
トッド きょう一番のニュースだ(笑い)。北朝鮮と違い、イスラム革命を抜け出たイランは日本と並んで古い非西洋文明を代表する国。民主主義とは言えないが、討論の伝統もある。選挙はずっと実施されており、多元主義も根づいている。あの大統領の狂信的なイメージは本質的な問題ではない。
若宮 イラン・イラク戦争のとき日本は双方と対話を保ち、パイプ役で努力した。その主役は安倍首相の父、安倍晋太郎外相でした。
トッド 私は中道左派で、満足に兵役も務めなかった反軍主義者。核の狂信的愛好者ではない。でも本当の話、核保有問題は緊急を要する。
若宮 核均衡が成り立つのは、核を使ったらおしまいだから。人類史上で原爆投下の例は日本にしかなく、その悲惨さを伝える責務がある。仮に核を勧められても持たないという「不思議な国」が一つくらいあってもいい。
トッド その考え方は興味深いが、核攻撃を受けた国が核を保有すれば、核についての本格論議が始まる。大きな転機となります。
○トッド・北方領土問題、高い視点から
若宮 ところでトッドさんはロシアを重視し、日ロ関係を良くすれば米国や中国への牽制(けんせい)になると書いてます。
トッド 私はずっとそう言ってきた。ロシアは日本の戦略的重要性を完全に理解している。国際政治において強国は常に均衡を求める。
若宮 でも、日ソ国交回復から50年たっても北方領土問題が片づかず、戦略的な関係を築けません。
トッド ロシアは1905年の敗北を忘れず、日本は第2次大戦末期のソ連参戦を許していない。でも仏独は互いに殺し合ってきたのに、現在の関係は素晴らしい。独ロや日米の関係もそうです。日ロもそうなれるはずだ。
若宮 日本は北方四島を全部還せと言い、ロシアは二つならばと譲らない。
トッド では、三つで手を打ったらどうか(笑い)。
若宮 そう簡単にはいきませんが、互いに発想転換も必要ですね。ロシアは中国との国境紛争を「五分五分」の妥協で片づけました。
投稿: ななし | 2008年11月17日 (月) 11時01分
↓
ご批評、ありがとうございます。できるだけ
多角的、多元的に物事は考えなければなりませ
ん。普段は言論の自由を唱える人々が大東亜戦
争史観への言及に対しては、悪魔的な力強さで
忌避することの奇妙さは分析されねばなりませ
ん。
投稿: 高橋博彦(管理人) | 2008年11月17日 (月) 10時56分
見事なまでに問題の本質を衝いた記事だと思います。
ネットのように比較的言論の自由が確保されている空間では、田母神氏を支持する人が多いわけです。
放送法にある、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」が守られ、
神州の泉さんのような考えも広く報道されるなら、日本はどれだけ健全になれることか。
切歯扼腕の思いです。
投稿: | 2008年11月17日 (月) 09時31分