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2008年12月28日 (日)

「お金を刷りなさい」という仲間が増えつつある(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第146弾です)

 世界的な金融危機で日本経済も急激に悪化する中、お金を刷りなさいと主張する仲間がどんどん増えつつある。2009/1.2/9号の週刊ポストには「これが「平成の救国札25兆円」日本再生計画だ!」という記事が載っている。高橋洋一氏の意見のようだ。

「政府紙幣発行の財政金融上の位置づけ-実務的観点からの考察-」という論文が財務省のホームページに載っている。

www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron086.pdf

 この頃(2004年4月)、財務省は政府貨幣の発行の検討をしていたという話を財務省の人から聞いたことがある。その頃財務省の検討内容をまとめたのがこの論文のようだ。ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツが日本にやってきて政府貨幣を発行せよと主張し話題になった。財務省もその前にスティグリッツを講演に招いており、そんな手があるのかということで、財務省もそれならとやる気になっていたようだ。2004年がやるべきか、やるべきでないかの微妙な年だったようだ。

 日本経済復活の会はこの頃、スティグリッツと連絡を取り、もう一度やってきて、あと一押ししてくれと頼んでいた。スティグリッツも乗り気で、具体的な日程まで出ていた。しかし、土壇場のところでキャンセルとなった。早稲田大学での名誉博士号授与の行事とぶつかり、結局そちらに取られてしまった。政府貨幣発行を財務省に受け入れさせるほうが名誉博士号より、余程重要だったと思うのだが・・・。いずれにせよ、政府貨幣発行を高橋洋一が支持しているということは、お金を刷れという主張をする仲間が一人増えたということだ。

 最近の産経新聞で中谷巌というマクロ経済学で有名な経済学者が「大規模財政出動をせよ」と主張している。経済学者はなかなかこういった主張をしていても、公には発表しない人が多い中、彼も大切な仲間の一人になった。

Photo_7   ところで、12月18日の朝日新聞に分かりやすい記事が載っている。日米の量的緩和策の違いを絵で説明している。量的緩和策とは、中央銀行がお金を刷る政策だ。刷ったお金が実体経済に十分流れれば、間違いなく景気は良くなる。しかし、日本は福井日銀総裁が2001~2006年の間量的緩和策を実行したが、余り効果がなかったと言われている。なぜだろう。絵の上半分を見ていただきたい。 まず言えることは、ジョロで流していることだ。つまり流す量が全然少ない。しかも金融機関に流しているだけで、そこから市中に流れることを期待した。しかし、流れるわけがない。これは日銀から銀行にプレゼントしたお金ではなく、銀行の持つ国債を買っただけだ。当時銀行は巨額の不良債権を抱えており、借金と資産のバランスを考えなければならぬ状況にあって、自己資産比率の低下に悩んでいた。つまり貸出を増やすと自己資本比率が低下し営業ができなくなる仕組みになっており、貸し出す余力がなかった。ましてや新たな不良債権を発生させるかもしれないような企業には貸せなかった。

 企業側からすれば、売り上げ不振で、銀行がら多額の融資を受けてどんどん設備投資をする状況にはなかった。すべてが、デフレ経済で名目GDPの伸びが世界最低の日本ならではの現象であった。つまり、日銀は銀行に刷ったお金を少しだけ流したが、それが市中に流れることはなかったから、効果はなかった。

 絵の下の部分を見て頂きたい。これは現在のアメリカの量的緩和だ。お金を刷る額が桁違いだ。しかも銀行に流すのでなく、直接市中にばらまいているのだ。これなら効く。いや、効くまでバラマキを増やし、一気に景気を回復させる。「お金を刷る」政策のお手本だ。麻生氏は世界最速で景気を回復させると言っているが、やり方は余りにもお粗末だ。これで景気が回復すると本気で思っているとしたらお笑いだ。まず第一に規模が小さすぎてとても景気回復など夢の又夢だ。それでなお3年後に増税など言っているのだから、わずかの景気の芽までもつぶしている。

 お金の使い方も間違えている。給付金などという大部分の国民が反対するような政策をなぜ強行するのか。定率減税ならほとんどの国民が賛成しただろう。雇用対策も問題だ。無理に雇用確保するということは、必要としない雇用にまで助成金を出すと言うこと。これぞ究極の無駄だ。非正規従業員を正規にしたら100万円をやるのだそうだが、非正規の中にも優秀な人はいる。そういった人は助成金なくても正規になっただろう。そのような昇進は、どの時期でもどの会社でも一定の割合で発生する。助成金なしでもいずれにせよ正規になれたのに、わざわざ税金で助成するのか。

 緊急融資もどうだろう。自分の会社は巨額の赤字を抱えていて、そろそろ潰そうと考えていたオーナーは喜んで借りるだろう。どうせ潰すなら、たっぷり借りて潰したほうが得だ。新銀行東京を見よ。やたらに誰でも金を貸したら、そういう無駄な所に金をばらまくことになる。

 金を使うならもっと国民の将来を考えろと言いたい。太陽光、風力、地熱などの新エネルギー開発に使うべきだ。教育にも、あるいは公共施設の耐震化にも、医療、介護、などにも使いたい。電信柱を取り払い地中に埋めるのもよい。花粉症対策で杉の木を花粉の出ないものに植え替えたらどうだ。首都圏の環状道路の整備はどうか。母子家庭や重度障害者への支援を復活したらどうか。小泉氏が診療報酬を引き下げたため公立病院がばたばた倒れている。元に戻したらどうだ。

 本当に使わなければならぬ所は山ほどある。場当たり的な景気対策を止め、本当に国民の将来を考えてお金を使って欲しい。それが景気回復への近道だ。

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2008年12月25日 (木)

「横浜のメリーさん」ふたたび

 
Photo  横浜のことをほとんど知らない私が、横浜の記事を書くのはおかしいかもしれない。しかし、なぜか無性に書きたい気持ちになった。

 2007年2月17日に、私は「横浜のメリーさん」という記事を書いた。その時は久しぶりに映画でも観たくなって、ふらりとビデオ屋さんに寄ったところ、偶然「ヨコハマメリー」というDVDが目に付いた。そのタイトルを見た時、なぜか忘れていた若い頃の記憶が強く揺り動かされた。メリーさんという人物のことを知っていたわけではないが、昔、二十代の頃、横浜で仕事をした一時期があり、その名前だけは何度か聞いたことがあった。強いて思い出せば、どこの町にも名物人間はいるんだなあというくらいで、メリーさん自身に特別な興味はなかった。ただ、どこにでもいる私のような若造の耳にも聞こえてくるくらいだから、かなり有名な人物だとは思っていた。

 DVDを観るつもりになったのは、メリーさんという名前には、その当時の自分を強く呼び覚ますなつかしいものがあったからだ。とりあえず、どんな映画だろうと思って、深く考えずにDVDを借りて観た。観ているうちに、涙がにじんできて止まらなくなった。映画とは言っても、ストーリー性はまったくなく、何人かの関係者が目撃談やメリーさんとの係わり合いを想い出しながら、訥々(とつとつ)と語っているだけのドキュメンタリーであった。メリーさん自身のインタビューなどはいっさいなかったが、随所に彼女の印象的な写真が散りばめられていた。では、この映画の何が私の涙腺を刺激したのだろうか。それは私にもわからない。それを知りたくて、今一度、メリーさんのことを書いてみたいと思った。

                                  Photo_2      2_3
                             
 メリーさんとは、顔を白塗りにして横浜の街に佇んでいた伝説の老女であ る。進駐軍の高級将校相手の街娼だったそうだ。老いても、変わらないスタイルで街に立ち続け、顔も、髪も、フリフリの付いたドレスも真っ白という白ずくめの異様なスタイルで、街角に佇んでいた。彼女は高貴な言葉遣いと物腰をけっして崩さなかったという。メリーさんは、いつしか有名になっていたが、この女性の来歴や私生活を知る者はいなかったという。

 作品を観ているうちに、「いったい何なんだ、このへんてこな婆さんは?」という気分が湧いてきたが、それもすぐに消えた。そして、顔を白く塗ったメリーさんに、次第に強く惹かれている自分に気が付いた。街角に佇む白塗りの老女は奇怪な光景である。どの写真を見ても、その奇怪さは強くまとわりついているが、彼女を知る人間の回想を聞いているうちに、その奇怪さが感じられなくなり、いつしか、メリーさんその人があるべき街の風景と一体化していた。そう見えるようになったと同時に、メリーさんを通して、失われたかつてのヨコハマが胸に深く突き刺さってきた。

 私は実物のメリーさんを見たことはない。しかし、不思議なことに、想像の中だけであるが、この白塗りの老婆が泰然と佇んでいる街の風景は、美しく静かで叙情的なのだ。おそらく、メリーさんの風景は、私の中の過ぎた時間の中にある横浜のイメージなのだろう。人間の記憶に刻み付けられている街の情景は、その人間の加齢とともに過ぎ去っていく過去であり、それは二度と現実に見ることはできない。過去は追想の中にしか存在しないが、現実は時折、いたたまれないような悪戯(いたずら)をする。プルースト効果ではないが、時折、人間はある風景や匂いや味に、強烈に過去を蘇えらせることがある。私にとって、メリーさんの映画はそれに近いものであろう。
      
 何とも不思議な映画である。映画の冒頭を飾っていた曲は、青江美奈の「伊勢崎町ブルース」であり、私の年代では誰でも知っているムード歌謡曲である。実にこの映画の導入にふさわしい歌だ。1968年、私が高1の時のヒット曲だ。冒頭の吐息のようなため息が、当時は聞いてはならない性的なタブーのように思えて恥ずかしかった。しかし、この歌は今聴いても、しっとりとして叙情溢れるいいブルースだ。日本が駄目になってから、こういういい歌が聞こえなくなっている。桑田佳祐さんもこの歌を弾き語りで歌っているので興味があったら聴いていただきたい。

 伊勢崎町ブルースがこの映画に用いられたのは、メリーさんが伊勢崎町、福富町、関内という横浜の中心におもにいたからでもあるが、この歌の曲想が街に佇むメリーさんにぴったりと合っているからだろう。「ヨコハマメリー」という映画は、忘れていた記憶を呼び覚ます不思議な効果がある。メリーさんの面倒を見ていたシャンソン歌手の永登元次郎さんを中心に、彼女の思い出を語る複数の人たちの言葉は、一幅の重奏曲となって、横浜の失われたなつかしい時間とともに、この映画を観る者自身の過去の追想を呼び起こす。何というか、思いがけなく上質な風景画を観ているような気分になってくる。

3  監督が意識したのかどうかわからないが、「伊勢崎町ブルース」で始まっているこの映画の心象風景としての基調的音楽はシャンソンである。私はあの有名な「枯葉」(Autumn Leaves)が心に繰り返して浮かんだ。メリーさんの情景は、初冬の木枯らしに吹かれて舞い落ちる枯葉を連想する。誰にも心を開かなかったメリーさん、いつも高潔な態度を崩さなかったメリーさん。この映画を黙って観ていると、メリーさんの周囲にはいつも美しく澄んだ冷たい風が吹いているように見えた。それはあまりにも切なく静寂に満ちていた。この物哀しくも叙情的な画面の羅列にはまってしまうと、心にいつのまにかシャンソンの音楽が浮かび、涙が止まらなくなってくる。映画を観終わったあとに余韻として残るのは、予想もしていなかった慰撫だった。なんというカタルシスだろう。

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 それにしても何なのだろう、この婆さんは・・。

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餓死者、凍死者が出る前に

 派遣労働者や期間従業員が大量に解雇されている。小泉政権が2004年に行った労働者派遣法の改正で、製造業への派遣ができるようになり、2007年に期間が最長3年になった。2006年から派遣を受け入れる企業が増えたため、3年後の2009年には、契約期限切れで大量の労働者が巷に溢れることになる。2009年に見込まれる大量の無職者の問題を「2009年問題」と言うらしい。

 しかし、連日のニュースを見ればわかるように、派遣労働者の解雇は、まだ年が明けない今の時期になだれのように起きている。生活の糧を得るための職業と、生活の根城である住まいを同時に追い払われ、身一つ、バッグ一つで寒空の巷に放り出されている人たちが後を絶たない。読売新聞によると、11月25日現在の厚生労働省の調査によれば、今年10月から来年3月までに職を失なったか、失う予定の非正規労働者は3万人を超えるそうである。そのうち派遣労働者は約2万人だ。

 特に大企業は非情である。リーマン・ショックによる米国金融危機が生じ、それは瞬く間に世界不況へと進展した。日本の大企業はこの米国発の不況の波に乗じて、2009年に契約期間を終える派遣労働者等を、現在の時点で解雇している。企業に貢献した人たちの生存権をまったく顧みない非情冷酷な首の切り方である。生産の急激な縮小で余剰人員を抱えておくことができないのはわかるが、これほど急激に追い出す必要があるだろうか。これでは、職を失ない、放逐された人々は、政府が然るべき救済手段をとる前に全員路頭に迷うことになる。

 一旦は実家に帰ったり、友人宅へ身を寄せたりできる人は、取り敢えずはまだ死ななくてもいいが、現実問題として、中には住居が確保できずに路上生活、野宿生活を否応なく強いられる人々もどんどん出ているようだ。粗悪な食物を食べて栄養不足になった身体で、この寒空に野宿をすれば、凍死者も続出するだろう。一部のキリスト教団体による炊き出しはあるようだが、そういう奉仕活動だけではまかないきれない現実が押し寄せている。このままでは餓死者や凍死者が出る。テレビで観たが、派遣労働者の中には、こういう現状に身を染めたのは、自分の能力のなさと不甲斐なさがあったからだと、すべてを自己責任に帰していた人が何人かいたが、まったくそんなことはない。

 この現状は百パーセント政治が悪い。また、このような社会が造られてしまったことを漫然と受身で眺めていた国民も悪いだろう。しかし、何と言っても許しがたいのは、一部の富裕層をより富ませるために、アメリカの言うがままに新自由主義体制を敷いた政治家どもである。真面目に働く者が、それなりの報酬と社会的安定を得るシステムが実体経済である。ところがアメリカが世界に拡散させた金融資本主義は、いつの間にか実体経済の上位に上がり、実体経済を食いつぶして果てしなく醜い膨張を続けた。金融資本主義とはバクチ経済である。まともに働かずに投機というバクチにのめりこみ、人間のための経済を根底から破壊した。福祉や文化活動は無駄なものとして切り捨てられ、社会を機械の部品のようにバラバラな無機物にしてしまった。

 そのために、日本社会には、もとからあった可撓性(かとうせい=柔軟にたわむこと)や弾力性がなくなり、すっかり硬直した構造になった。ここでは、一時的に生まれた弱者、たとえば今の事例で言えば、いきなり解雇されて路頭に迷う派遣労働者などを吸収して生かす場がなくなっている。新自由主義とは人間性を破壊する無情な社会システムである。強欲資本家たちだけが利を得、その分、大勢の弱者から労働や金銭を搾取する仕組みに他ならない。そのために、政府は干渉するな(できるだけ小さな政府)とか、何でも民営化が最善だとか唱えて、セーフティネットを破壊し、強欲な資本家だけが儲ける仕組みを作った。その典型的な方法が聖域なき構造改革、すなわち弱者を殺す規制緩和だった。

 セーフティネットが破壊されて、まだ修繕ができていないところへ突然、1929年のような経済大不況が押し寄せたら、弱者に残された道は死ぬ以外にない。本来であれば、こういうときに弱者を守る社会の仕組みができていなければおかしいのだ。今の自公政権には、この危機に対応して彼らを救う能力が皆無である。それはそうであろう。彼らこそ、地獄の小泉政権を守り立てて、こういう殺伐とした非人間的な社会を築いた主犯格なのだから。

 寒空に放り出された人たちは、苦しいだろうが何とか死なないで耐えて欲しい。生きてさえいれば、日本がまともになる時が来ると思う。今、住まいがあって食べている人たちは、少しでもできる範囲で彼らの生存を助けて欲しい。政府が何もしないなら、そうするしかない。食べ物でもお金でも、施しを受けたという卑下はしなくてもいいと思う。思い出してほしいが、日本は古来から講(こう)という風習が各地に根付いていた。地方によって「何々講」と、呼び名は違っていたが、たとえば、それは寄り合いの形をとった食事会であったり、金銭や食べ物を各自持ち寄って、恵まれない人たちを助けていた。

 これは日本特有の相互扶助である。その風習は飽食の現代にあっても、まだ残っている地方はある。これには施しという差別的な意味合いはない。助け合いの原型である。だから、今助けられても、それは自尊心を崩すことではない。誰かに助けられたら、今度は自分がいつか誰かを助ければいいのだ。そういう精神がもとの日本人には強くあった。だから、それに従えばいいと思う。

 私が死ぬなとここで書いても、放り出された人たちはネットにも入れない環境にあるから、このメッセージは届かないかもしれない。それにしても、日本は何というひどい国になったものだ。腹が立つ。勝ち組とか言われている連中は、一歩はなれた場所に、飢えと寒さで死にそうになっている日本人が出てきている状況を見ても幸せなのだろうか? 自分さえ良ければ、他人が生存の危機に瀕していても平気なのだろうか?子供達のために必死で頑張ってくれたお年寄りを虐げる社会。そんな国で誰が幸せになれると言うのだ?

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2008年12月22日 (月)

日銀利下げ、来年度予算案・・・対策が小さすぎ、遅すぎ(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第145弾です)   

 いつものことだが、政府日銀の対策はToo little、 too late.である。何度間違いを繰り返せばよいのだろうか。アメリカのFRBが事実上のゼロ金利にしたら、あわてて日銀が利下げをした。これは2006年と2007年の利上げが間違いだったことを意味している。デフレ脱却すらしていなかったのに、利上げなど論外であった。景気過熱の恐れがあったとの判断をして利上げを強行し、日本経済の不況を悪化させたということは、重大な責任問題に発展しなければおかしい。日銀の独立性を隠れ蓑に無責任な決定をする。この制度こそ改革すべきだ。

 アメリカは金利を昨年9月から引き下げ始めた。それまで5.25%だったが、1年余りで0~0.25%まで引き下げたのだから、引き下げのスピードは電光石火だし、その規模も限度一杯までやった。それだけではない。量的緩和もやるという。量的緩和とはまさに「お金を刷る」政策だ。日本でも2001年3月に量的緩和を始めたが、効果はほとんどなかった。

 なぜなら効果が無いようにやったからだ。日銀がお金を刷って、銀行に流したが、ただでもらったお金ではないわけで、銀行も勝手に使えない。政府は銀行に対して不良債権を減らせと圧力をかけていたから、不良債権になりそうな企業への融資はできなかった。健全経営の会社も、不況で売上が伸びない経済状態、つまり名目GDPがほとんど伸びない状況では、融資を受けて新たな投資はやりにくかった。 結局、お金は日本国内には流れず、海外に流れていった。一部は円キャリートレードとして使われ、危険なサブプライムローンへと流れた。日本の政府・日銀の誤った政策が現在の金融危機の原因の一つになっている。

 アメリカが行っている量的緩和は日本がかつて行ったものとは全然違う。刷ったお金を日本のような馬鹿な使い方はしない。確実に米国国内に流れるようなお金の刷り方をしている。不良債権を買い取ったり、CPも買っている。CPをは企業が発行する約策手形だから、約束手形という紙切れをつくるだけで、中央銀行が刷ったお金を受け取れるのだ。長期国債まで買うと言っているから、まさに刷ったお金でアメリカ経済の再生を目指している。

 もし、日本がバブル崩壊の直後に、現在のアメリカが行っているような強力な財政・金融政策を行っていたら、今頃は日本のGDPは1000兆円程度まで拡大し、財政もこれほど悪化することはなかった。デフレ問題の第一人者として知られるバーナンキFRB議長もかつて日本にやってきて、デフレ脱却を指南した。それはお金を刷れということ、つまり日銀に国債を買わせろと主張した。日銀は何でも買え(ケチャップでも)と言った。日銀が買えば、それは刷ったお金が国民の手に渡るということ。信用収縮で疲弊する日本経済を救うのだ。

 しかし、馬鹿なエコノミストや財務官僚などは珍説を唱えて反論した。そんなことをすれば、日本円の信認が失われて、円が暴落、国債が暴落、資金が海外に逃げると主張した。しかし今アメリカがまさにその政策を取りつつある。馬鹿な日本のエコノミストはFRB関係者に質問していた。ドルの信認が失われないかと。海外ではそんな馬鹿なことを心配する人はいない。日本の常識は世界の非常識だ。ドルは暴落したか。米国債は暴落したか。そんなことはない。

 これで馬鹿なエコノミストや財務官僚などの珍説は間違えていたことがはっきりした。一刻も早く、アメリカをお手本に、大規模にお金を刷って国民に渡すべきだ。

 すでに日銀はCPを買い切りを決断した。それなら、なんでもありだろう。長期国債も、株価連動型投資信託(ETF)も不動産投資信託(RIET)なども、どんどん買うと良い。やれば、円安に向かうはずで、円高で苦しむ輸出企業を助けることができる。

 先週、第29回目の質問主意書(滝実衆議院議員を通じている)の麻生総理の答弁書が返ってきた。真面目な答弁書ではないので、一部のみ(第5番目の質問のみ)紹介する。

___________________________________________
質問

五  十二月三日に麻生首相は「景気対策と財政再建は両立しないわけではない」と発言された。このことは、多くの計量経済モデルによる試算で正しいことが示されている。景気対策により、GDPが増加すれば国の債務のGDP比が減少し、税収が増えれば基礎的財政収支も黒字化することが示されている。このことを政府は数値で示し国民に正確に伝えるべきではないか。

麻生総理の答弁

五について
衆議院議員滝実君提出赤字国債発行に関する第二回質問に対する答弁書(平成二十年十一月四国内閣衆質一七〇第一五九号)で述べたとおり、「経済財政モデル(第二次再改定版)」(平成二十年二月内閣府公表) における乗数表を用いて、一定の仮定の下で計算すると、公共投資につき国内総生産の一パーセント相当を継続的に増額するような政策を行った場合、国・地方の基礎的財政収支は悪化し、公債等残高の対国内総生産比率は三年目以降上昇し続ける結果となっている。

 現実の経済政策を行うに当たっては、計量経済モデルによる計算結果を参考としつつも、その時々の経済状況等を十分に踏まえて総合的に判断することが必要であり、経済成長と財政健全化の両立を図っていくとの考え方を基本とし、適切な対応に努めてまいりたい。
___________________________________________

 これで何が読み取れるかということだが、この答弁書は官僚が書いている。これを書いた官僚は麻生総理に批判的ということだ。質問では「景気対策と財政再建は両立しないわけではない」という麻生総理の発言を引用し、この考えに賛成だし、この考えをもっと国民に知らせるべきだと言っている。ところが、これに対する「麻生総理の答弁書」では、麻生総理の発言は正しくないと一生懸命説明している。もちろん、発言した麻生氏本人がこんなことを言うわけ無いから、官僚が勝手に書いて、麻生氏はこれを読んでもいないということだろう。それでも答弁書は閣議決定を経ているから、麻生氏はこの文章に責任を負わなければならない立場にある。

 官僚の前に「裸の王様」となっている麻生氏の姿が見えてくる。

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2008年12月19日 (金)

ななしさんの投稿(2)

  積極財政=ケインズ主義への転換も大事ですが、日銀をどうにかしない限り財政赤字を増やすだけに終わりそうな気がします。欧米中銀がジャブジャブに資金供給しているこの時期に日銀は逆に資金を市場から吸収していますからね。基地外沙汰だと思います。

 そりゃあ円高・デフレ不況が深刻になる訳です。
小渕氏が積極財政をやって景気回復させた時も日銀が早期利上げに踏み切って潰しましたからね。あの時、主要なエコノミストでただ1人植草氏だけが早期利上げに反対していたように記憶しております。その辺も、売国奴どもには目ざわりだったんですね。おそらく麻生内閣が補正を組んでも日銀が潰すような気がしますね。

 そしてメディアを使ってやっぱり財政政策は効果が無いと決めつけるような気がします。その後は清和会、改革派の復権を目論んでるんでしょうね。日銀の独立性を認めたのは間違いだったと思いますね。議会か内閣の管理下に置くべきでしょう。若しくは亀井氏がかつて主張していたように政府に通貨の発行権を認めるとかしないと。

 このままでは無駄骨に終わるでしょうね。それにしても日米の差は速度じゃなくて売国奴かそうでないかの差だと思いますね。米政府・FRB・マスコミと日本のそれとの差でしょうね。目的や政策が揺るぎないですもん。断固デフレ阻止、リセッション阻止ですもん。FRBのバランスシート悪化やインフレ懸念、長期金利高騰、ドル下落は二の次でしょう。

 米国は沈み行く船で火事を心配するような愚は犯してませんよ。憎っくき新自由主義の国ですが、そこら辺はうらやましく思いますね。ダブスタだろうが、自らの教義=市場原理主義に反しようがどうだろうが立て直すんだと言う気概が見えますw

  こう言う時だけは日本も米国を見習って欲しいですよねw
だけどマスメディアは絶対にそれを言わないw
未だに構造改革あるのみの一点張りw
真正の阿呆なのか工作員なのか売国奴なのかは知りませんが。
まあ、もうマスメディアには愛想を尽かしてますがw
だけど未だに絶大な影響力があるのは事実です・・・


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「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(6)(kenkensya)

 ここで話を元に戻す。戦前のある時期から戦後にかけて、様々な思潮が世に喧伝され、それとともに様々な「スローガン」「合言葉」ないしは「標語」が広められた。ざっと思い付くままに列挙してみると、

「バスに乗り遅れるな」「八紘一宇」「満州は日本の生命線」「五族共和」「鬼畜米英」「一億総懺悔」「非核三原則」「安保反対」「友好第一」「日本列島改造」「エコノミックアニマル」「民活」「不沈空母」「自虐史観」「集団的自衛権」「子孫に借金を残すな」「聖域なき構造改革」「改革の本丸」「官から民へ」「美しい国」等々。

 このような「スローガン」が何故流布されたのか。本物の思潮や政策であれば斯様な「符牒」を伴う必要はないはずである。低く静かに語られ、また冷厳な数字を以って伝えられれば事足りるはずだ。

 答えは単純明快だと思う。これらの「符牒」を随伴する思想や政策が、その程度の差こそあれ虚構ないしは嘘っ八を含むものだからである。そしてこの虚構は、虚構であるがゆえに多数の国民の心情に(理性に対してではなく)働きかける性質を強く有するものなのである。だからこそ怖い。我々はこの手の「符牒」や「スローガン」が声高に周囲から聞こえてきた時こそ、その発信者と背景をよくよく慎重に検証してみるべきだと私は考える。
今回の田母神論文で取り上げられている「標語」は「集団的自衛権」と「自虐史観」である。この二つについて書いてみたいこともあるのだが、田母神エッセイに対する私見の焦点は別のところにかかっているので、またの機会に譲りたい。これを長々と書いてしまうと私の真意がぼやけてしまう虞があるものと考えられるからである。

 しかし田母神氏がエッセイ発表後にとった言動については、どうしてもひと言申し上げておきたい。田母神氏はこれが問題となった時に「国民の多数は私の意見を支持している」という旨の発言をなされたようだが、これは間違っている。

 思うに如何に崇高な愛国心であれ、自己愛の拡張たることを免れ得ない。極端な話、自分の過去の行動を褒められるのと、貶されるのとどちらを好むのかと訊ねられれば、誰しも貶される方を喜んで選択することはないのだ。このような単純な国民のセンチメントを自分の論文の援用として求めるのは何らかの言論を表そうとしている人間が決して、やってはならない行為であると思う。国民の多数が支持さえすれば間違った論旨が正しくなるわけではないことは、つい三年半前の郵政民営化法案で嫌という程味わったことではないか。

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「日本国憲法と田母神論文についての手前勝手な考察」(5)(kenkensya)

 人様のサイトでもあるし、あまりきついことは言わずに済ませようと考えていたが、どうもこの田母神氏のエッセイについては、適当にお茶を濁すことが難しいようである。従って地を剥き出しにして思ったことを述べる。常に他人に対して厳しい言辞を吐き周囲が全て敵になってしまうのは小学校一年生のときから慣れ親しんできたいわば私の人生の常態である。あと何十年も生きるわけでもなし、今更変えてみても仕方あるまい。(合掌)

 まず先日書いた「ジュクの帝王」加納貢氏が苦笑しながら言ったと伝えられる「戦後の日本はそもそも胴体がなくなってしまったんだから左だろうが右だろうが翼を付けようがないじゃないか」というところから文章を起こしてみたい。この加納貢という市井の一アウトサイダー(しかし偉大な)の言葉は戦後日本の本質を恐ろしいまでについていると私は考えるのである。

 四捨五入していうならば戦後の日本の言論界、マスメディアは米国をはじめとした凡そ四ヶ国の情報機関による陣取り合戦であった。各情報機関がそれぞれの国益や国際情勢に合わせて自らの国や組織に都合の良い言論に対して、あるいは金銭的援助を与え、あるいはシンパや系列のメディアにこれを取り上げさせて国民を何となくそのような気にさせるという世論誘導を専らにしてきたのである。言論の元ネタを与えたり、場合によっては文章そのものを作成したこともあったに違いない。

 我々はその猫の目のように変わる各国の思惑によって、ある者は左往右往し、ある者は公然と他国の宣伝を行い、また過去に行った自分の意見がどうも時流(実際は各国の作戦変更)と外れてきていることに気付いて大慌てで見苦しい言い訳を叫んで反対者を攻撃したり、また、こっそりと重心移動を行って元の位置に留まっているかつての同好の士を批判したりした挙句、それが言論だ、論争だと恐るべき勘違いをして見苦しい大騒ぎを演じながら60年間を過ごしてきたのである。

 つまり我々は自らの頭で考え、自らの言葉でそれを表し、自らの肉声で語った思想というものを僅かの例外を除いて持たなかったのである。

 お前の読書や知識が足りないからだと言われればご批判は甘んじて受けるが、私は胸を撃つようなオリジナルな論考を表した言論人を三人しか知らない。しかしいくら浅学菲才な私といえども、当該論文が自ら絞り出すようにして生んだ本物の論考であるのか、はたまた胡散臭い他国の影響下で安手に書かれたものかどうか、多数が言っているから自分もとりあえず合わせておこうと発言したものなのか否か―この程度を見極める眼力は備わっているものと、ささやかに自負している。

 私が歴史観だ、何だという七面倒臭いことは、ともかく「いかりや爆氏」に与する気持ちになるのは氏の書く文章が氏の直情径行(または年甲斐もない癇癪持ち)ゆえか、自分の言葉として直に伝わってくるからなのである。そして氏の「戦争だけは懲り懲りだ」という思いが完全に血肉となった借り物でない氏の自前の考えだからである。

 ちょっと話を脇道に逸らせる。私が高橋先生のサイトに出入りさせていただいてから七ヶ月になるが、その間に目にした文章の中で最も新鮮な驚きをもって読んだのは、高橋先生による、熊沢蕃山の文章から起こした「鎮守の森の神々を畏れ、敬え」という小文であった。

 これは日本再生への唯一の処方箋となりうる素晴らしい思想の萌芽であり端緒である、私はそう直感した。高橋先生はこれをどう繋げ発展させてゆくのだろう、私は非常な期待を抱いて続きを楽しみにしていた。

 また私は自分でもこれをどうやって次の段階にもってゆくべきかを暫し考えてみたことがある。するとこの内容から次のステップへの距離が、何千里もあることに気付き、その作業を諦めると同時に高橋先生の苦衷を察し、しかし無責任な立場からこの距離を一気呵成に縮める力技を一高橋ファンとしてどうしても見届けたいという思いが募った。

 現在のところ私の期待は肩透かしを食った形になっている。この小論に対する反応が非常に薄かったので高橋先生がこれ以上書く気がなくなったのかとも考えていたが、やはり余りに大きな児を産もうとしているのでひどい難産になっているのだと解すべきだろう。高橋先生、私は何年でも(しかし出来れば、私があの世に逝く前に)お待ちいたします。何卒、続きを、お書きになって、これを発展させて下さるようお願いいたします。

#まだしつこく続きがあります。

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2008年12月14日 (日)

亀井静香が報道2001で「無利子・無期限国債を発行せよ」と発言!(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第144弾です)

 本日(12月14日)の報道2001で亀井静香衆議院議員(国民新党代表代行)が、無利子の永久国債を発行せよと発言した。これぞまさに究極の「お金を刷る政策」である。これをテレビで発言したのは画期的なことであり、賞賛に値する。

 しかし、無利子・無期限という条件でお金を貸してくれる人がいたら、自分も借りたいと皆さん思うだろう。そんな人などいるわけ無い。しかし日銀は違う。日銀は通貨を無制限に発行できるのだ。まず政府が無利子・無期限の国債を発行し、銀行に無理矢理買わせ、その翌日に銀行が買った無利子・無期限国債を全部日銀が買い取るということで、誰も損はしない。そんな国債に市場性は無く、価格が下がるなどしないから、日銀の資産内容が悪化することはない。円の価値が下がり円安傾向になれば、輸出企業にとってこれほど良いことはない。

 深尾光洋日経経済研究センター理事長は反論する。それをやると、景気が良くなり過熱気味になったとき売りオペができないと。しかし、そのときは政府が買い戻せばよいだけだ。無利子・無期限の国債が銀行経由で政府に戻ってきても良い。景気が過熱気味になれば増税をやって景気にブレーキを掛ければよいのだし、増税で財源を得て、それで無利子・無期限国債(コンソル債)買い戻せばよいだけで何の問題もない。

 麻生総理は財源の問題で随分苦悩しているようだ。赤字国債を景気対策に使わないだの、3年後に消費税増税をお願いするなどの発言を繰り返し言っている。これが公明党だけでなく自民党の多くの議員の反発を招き、与党は混乱状態にあり分裂の危機だ。100年に一度という世界的な経済危機の中で国民に増税をお願いしているような馬鹿な首相・大統領がいるだろうか。麻生氏は3年で景気をよくするのだと言いたいのだろう。しかし、景気をよくするというなら、どの位の景気対策をやれば、どの位のGDP押し上げ効果があるのかを把握していなければ、それは100%間違いなく空念仏に終わる。

 最近、OECD Economic Outlook No.84にGDPデフレーターの最新のデータが発表されたので、以下に示す。

Photo_2   

 GDPデフレーターとは、消費者物価、企業物価、輸入物価等GDPに関係したすべての物価を変化を示す指標で、これがマイナスになると、大不況でデフレを意味する。どの国もあらゆる手段を使ってデフレにならないようにしている。日本は何と1994年からずっとデフレーターがマイナスでデフレが続いている。1997年だけはプラスになったが、これは景気がよくなったのでなく、単に消費税が上がった分だけが上乗せされただけだ。
 日本の首相はくるくる替わる。どの首相も景気をよくすると公約するが、すべて空念仏に終わる。きちんと経済理論に基づいた計算で、どの位のGDP押し上げ効果があるかを考えずに政策を決定しているから、失敗続きだ。

 筆者が日経新聞社の協力を得て行った計算がある。景気対策をどの程度行うと、名目GDPはどの程度伸びるかという試算である。

Photo_3

 このグラフから分かることは、50兆円程度の財政出動を数年続けると、日本経済は諸外国並の成長軌道に戻りデフレから脱却できるということだ。麻生内閣は44兆円規模の経済対策をやると言っているが、財政出動を伴うものは10兆円程度であり、それも給付金等が主であるから経済効果は少ないし、それも埋蔵金を使った1年限りの政策だ。このグラフを見ていただきたい。この試算は、経済効果がはるかに大きい公共投資を半分組み入れて計算してあるのだが、しかしそれでも1年だけ10兆円の景気対策をやっても効果は僅かだと分かるだろう。100年に1度の経済危機による景気下落の下支えすらできない。それで世界最速の景気回復とか、3年後の消費税増税などの発言はお笑いだ。もっとしっかり経済を勉強してもらわねば「経済の麻生」の名が泣く。経済を知らない者が、いいかげんの判断で景気対策をやると後が怖い。やがて景気対策が効かないと騒ぎ出すのだ。挙げ句の果てには、もう日本では景気対策は無効なのだなどと馬鹿な事を言い出す。そうではなく、対策が「少なすぎ、遅すぎる」だけなのだ。

 それに比べ亀井静香氏の「無利子・無期限の国債発行論」は素晴らしい。それが国民に与える心理的影響は果てしなく大きい。なんだ、こうやれば国の借金の問題は解決できるのだと思うようになること。この安心感が日本経済を復活させる。日本経済の復活のキャッチコピーは『お金が無ければ刷りなさい』である。

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2008年12月13日 (土)

森田実氏の「崩壊前夜 日本の危機」を読んでみて

  人間の生存権を剥奪する非情な「市場原理主義」におさらばしよう

Photo  植草さんが「市場原理主義に代わるもの」 と題して、実にわかりやすく、小泉・竹中両氏が敷いた弱肉強食論理一辺倒の政策本質を書いている。その中に下記の説明があったので引用させていただく。

「小泉政権が強引に日本社会に浸透させた「効率至上主義」=「市場原理主義」=「新自由主義」=「弱肉強食奨励」=「格差拡大容認」=「弱者切り捨て」の政策路線に対する根本的な見直しが求められている」

 私は今、森田実氏の「崩壊前夜・日本の危機」(日本文芸社)を読み終えたばかりだが、森田氏は市場原理主義と訣別せよと、暴走した小泉構造改革をきびしく糾弾し、その非人間的な考え方から離脱して、修正資本主義に切り替えるべきだと、一貫して主張している。小沢民主党に対する捉えかたは、植草さんと森田実氏では、若干ニュアンスの違いはあるものの、米国に言われるがままにやった、弱肉強食の小泉政権、及びその踏襲(とうしゅう)政権への批判はほとんど同じである。両者とも、市場原理主義の過剰が招いた国民生活のクライシスをよく認識し、資本主義の暴走を食い止めて、国民中心の政策に切り替えるべしという視点では一致している。

 この本で森田氏は言う。暴走する資本主義から「中庸の資本主義」(修正資本主義)に立ち返れと。金融破綻でパックス・アメリカーナが終焉した今、日米同盟関係を再検討する議論を起こすべきであり、新自由主義か、修正資本主義かの議論も避けるべきではないと。「修正資本主義」については管理人のとらえ方をあとで説明する。森田実氏の乾坤一擲の憂国心情溢れる著書・「崩壊前夜・日本の危機」については、森田氏のサイトに渡邊良明氏の優れた書評があるので、そちらをご覧いただきたい。

 しかし、私が今、植草さんと関連して言いたいことは、この森田氏の著書のエピローグについてである。ここには森田氏の姿がテレビから消えたことについて詳しくその経緯が書かれている。森田実氏は植草さんと同様に、2001年当時から、小泉政権が弱者切り捨て、福祉切捨て、地域切捨ての政策構造を持つことを見抜いており、小泉政権発足時から、この政権の危険性、方向性の間違いを指弾し続けていた。小泉純一郎氏が2005年に、郵政民営化のために衆議院を解散した翌日の9月9日、フジテレビの「めざましテレビ」のコーナーで、森田氏は「小泉首相は憲法違反をした」と発言した。

 その内容であるが、憲法第41条は、国会は国権の最高機関であり、唯一の立法機関であると規定している。その国会が郵政民営化を否決したのに内閣総理大臣が納得できないと言って、国民投票に代わる衆議院選挙で決着を付けようとした行為は、内閣総理大臣が従うべき国会の決定を踏みにじり、自分を国会の上位に置いたことになり、これは明らかな憲法違反である、小泉首相は直ちに責任を取るべきだと森田氏は言ったそうである。この話は当時、少し話題になったから私も覚えている。「森田さん、よくぞ言ってくれた!」と快哉を叫ぶ思いだった。

 ところが、この出演を契機に森田氏はフジテレビ生番組の出演依頼がぴったりと止まった。その後、何日かしてTBSのお昼の芸能番組からも出演依頼があり、森田氏は静岡7区(当時、城内実さんと片山さつき氏の大激戦があった区)にかかわることについて、控えめに語った。その日の夕方、官邸から政治部記者が二人駆けつけて会議が持たれ、その後、テレビ・ディレクターが、「今後は森田に依頼するな」と、森田氏に知らせてくれたアシスタント・ディレクターに命令したそうである。森田氏はここできわめて控えめにこう書いてある。「その記者が官邸から何かを言われたのだと思います」と。

 しかし、この圧力は明らかに官邸主導の中枢から、すなわち当時の清和政策研究会筋から出たものに決まっている。この一件以降、森田氏はいっさい東京のテレビには出演できなくなった。森田氏に限らず、これ以降、小泉政権に批判的な識者はテレビから姿を消した。森田氏はこれを、1950年のレッド・パージ(赤狩り)のようなことが起きたと言っている。この本のエピローグはまだ物凄い。森田氏はその後も、自民党の圧力を事細かに書いている。小渕内閣の時、森田氏は新井将敬氏の自殺に関連して、「ザ・ウィーク」で自民党は冷たすぎるとテレビで言ったら、それに共感した人たちから自民党本部に抗議が殺到、これに怒った自民党大幹部はテレビ局に抗議をし、この番組は結果的につぶれたそうである。

 森田氏はアメリカ保険業界が数千億円の資金を投入し、電通を使って「民営化は善、官営は悪だ」という一大キャンペーンを張った事実を、ウォール・ストリート筋の話として暴いている。額もあとで森田氏がしらべたら「兆」の桁であることがわかったそうだ。この辺の仔細は本を読んでいただきたい。実に驚くべきことが書かれている。これは私の一存で言うが、あの当時、古館一郎氏やみのもんた氏等、郵政民営化に国民を誘導し、司会者権限で反対意見を潰した者たちは国賊級である。国民はいつまでも彼らをのさばらせない方がいい。売国に手を貸した者を人気者にしているわけだから、国民の民度も問題であろう。彼らを無批判に称揚する連中はB層と言われても仕方がない。今のテレビというものは基本的に愚民化公器である。それを自覚して自分の頭で考えて欲しい。

 森田氏は城内実さんに大きな期待を寄せているようだ。小泉政権が何であったかを、わかりやすく知りたい方は、「崩壊前夜・日本の危機」を是非読んでいただきたいと思う。

 最後に、修正資本主義とは、資本主義制度の抱えるさまざまな問題、貧困、失業、格差など、国民生活や企業に生じる種々のネガティブな矛盾を、自己修正することによって矯正し、良い方向に持っていくこと。ケインズ経済学のマクロ政策などもこれに該当する。マルクス経済学的には夜警国家から福祉国家への反転作用という考え方もできる。

 小泉・竹中構造改革路線とは、その意味で言えば典型的な夜警国家造りであり、それはフリードマン・モデルに忠実に従ったものだ。だからこそ、このネオリベ・モデルを早急に否定し、人間に優しい資本主義体制に作り変える必要がある。経済モデルはいろいろとあると思うが、新自由主義とは、日本のみならず、どこの国でも採用してはならないモデルである。あまりにも非人間的である。これを続ければ国が崩壊する。小泉・竹中路線が敷いた経済モデルは、日本経済が選んではならない進化の系統樹だった。従って、今後はアメリカの影響下から脱した自立自尊型の日本経済を構築していく必要を感じる。

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2008年12月 8日 (月)

支持率22%の麻生内閣、必要なのは長期ビジョンを国民に示すこと(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第143弾です)

 積極財政を唱えて首相になった麻生太郎氏に我々は期待していた。残念ながら支持率は下がる一方で、すでに政権末期の支持率まで下がったと言われている。原因は主張がぶれることと失言の多さだろう。何と言っても日本再生のための首尾一貫した長期ビジョンが無いことが致命的だ。

 長期ビジョンを国民に示すためには、マクロ計量経済学によるシミュレーションを基にして考えることが不可欠である。例として2003年に日経新聞社のNEEDS日本経済モデルを使って行われた試算結果を示そう。

Photo_3

 これは、2000年度から5年間、減税と財政拡大で毎年50兆円の財政出動を行った場合の名目GDPの推移の試算である。これを見れば分かるように、初年度である2000年度ですでに名目GDPは537兆円に達している。名目GDPだから単に物価が上がっただけというのでなく、実質GDPもほぼ比例する形で大幅上昇をしている。

 現実は緊縮財政が行われ2007年度になってもまだ515兆円であり、2008年度は更に下がりそうであり、この調子だと537兆円に達するのは50年後でも難しそうである。正直、気は確かかと言いたいのである。大規模財政出動をすれば、これは異常な上昇などではなく、他の国の普通の経済の拡大のペースなのだ。つまりお金を刷って大規模財政出動をすれば、日本だって普通の経済成長ができる。そうなれば、どんどん暮らしも楽になるし、自殺者も、生活保護世帯も激減し、こんなに毎年収入が増えるなら自分の老後も安心できると誰もが感じられるようになれるのだ。

 5年後には名目GDPは36%増の677兆円になっている。経済は発展しないもの、生活は苦しくなるもの、所得は減るものだとあきらめるのは止めよう。財政出動で必ず経済は復活する。お金があれば、最新鋭の機械を購入でき、付加価値の高い製品を製造でき、日本の製造業の国際競争力も高まるのだ。いや、国際競争力を高めるような所に集中的に投資するとよい。環境エネルギー革命の5年計画を示すとよい。

 しかし、馬鹿な「識者」は、そんなに赤字国債を発行したら将来に大きなツケを回すことになると言うだろう。しかし、国の債務のGDP比は、これだけGDPが伸びると逆に減ってくるからツケは減る。財政の赤字幅はどうだろう。

日経新聞社のモデルによる試算
Photo_2

 図に示されたように、積極財政を行えば、最初は赤字幅は大幅に拡大する。しかし、景気回復に伴い、税収は伸びてくるので赤字幅はみるみる縮小し、4年目からは現状維持の場合より少なくなる。恐らく6年目からは財政は黒字に転ずると思われるが、このモデルは5年までしか計算できない。この図で分かるように、毎年50兆円の財政出動をする場合でも、3年目に増税をする状況になっていない。ましてや麻生氏のようにたった5兆円の財政出動を1年間やって3年後には増税するなど、この図を見れば論外だと分かるだろう。増税などやらなくても、積極財政を続けていけば、国の債務のGDPが減るだけでなく、財政赤字幅も減ってくるのだ。

 この試算に関しては2名のノーベル経済学賞受賞者から賞賛のメッセージが届けられたが、この試算に対する反論は驚くほど少ない。本も出版したが、猛反対して来た人は一人もいなかった。こんなに国債を発行すると、国債が暴落し、金利が暴騰すると言う人もいた。しかし、過去十数年間に国は借金を数百兆円も増やしたが、金利は全く上がらなかったことを考えれば、金利暴騰はあり得ない。金利が上がる兆候を示したら、日銀が国債を買えばよいだけである。政府が発行する国債を日銀が直接買うことはできなくても、一旦市中にでたものを買えばよいだけだ。日銀は際限なく買える。それによってデフレから脱却が可能となり、経済に最も良いとされる2%前後のゆるやかなインフレ率に持って行けるのだからこんな素晴らしいことはない。

 アメリカも住宅金融公社の経営不安などから住宅ローンの金利が上がっていた。しかし、FRBが11月25日に住宅ローン関連資産の買い入れなどを中心に8000億ドルの追加金融対策を発表しただけで、金利は急低下した。金利を下げるのは簡単だと分かるだろう。中央銀行が刷ったお金で国債など様々な金融商品を買えば、いや買うと言っただけで金利はすぐに下がった。だからと行ってハイパーインフレも無ければドル暴落もない。アメリカ経済の活性化に最適な経済政策である。オバマ次期大統領は、グリーン・ニューディールを唱えている。それは自然エネルギー、次世代バイオ燃料、省エネ、エコカー、エコハウス等への投資で500万人の雇用創出を目指している。アメリカの真似をするのが大好きな日本だから、アメリカのお手本をしっかり見て、それに倣って、デフレ脱却策を探ると良い。

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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植草一秀さんが遭遇した二度の偽装事件を考える

  植草さんは、2004年の品川手鏡事件、そして2006年の京急電車内事件という二つの事件をメディアに大きく取り上げられ、あたかも植草さんには常習的性癖があるかのように強く印象付けられた報道が行なわれた。小学館の「女性セブン」は「過去7回の示談あり」と嘘の記事を書いた。この記事を鵜呑みにして、大阪朝日放送のムーブは、宮崎哲弥氏、橋下徹氏、大谷昭宏氏など、テレビ等で顔を知られた彼らの口を借りて、植草さんの性癖説を垂れ流した。

 テレビや大新聞などが、嘘を報道しないと思い込んでいる人たちは、植草事件の初期報道を完全に鵜呑みにした。品川事件も、京急事件も、事件に付随する幾多の事実を見るだけでも、これらが謀略的に植草さんを罠に嵌める偽装事件であることは間違いない。私はそのことを、弊ブログや雑誌などで何度も指摘してきたし、他の人々も同様な指摘をしている。1998年の東海道線車両の案件は、ボックス席対面に座っていた女性の勘違いである。女性については知らないが、男の場合は夜、仕事の残業続きで風呂を使えない日が続き、身体を良く洗っていない場合や、物を介して他者からの感染があった場合、鼠蹊部(そけいぶ)に常態的な痒みを持ってしまう場合がある。

 このような場合、わずかなきっかけで強い痒みに襲われる。冬季の電車、特に当時の東海道線車両は、私も経験があるが、かなり暖房が強めであり、不快になることがよくあった。上記のように、鼠蹊部に痒みの原因を持った人が、強めの暖房が効いている電車のボックス・シートに座った場合、下からの熱の浸透で痒みがいきなり増大し、我慢できなくなることは充分に考えられる。植草さんはオイラックスという痒み止めの薬を使用していたが、シートの熱で痒くなってしまった。そこで数度掻いた。その事情を察知しない女性の場合、その行為を見て、それを自慰行為だと勘違いしてしまうシチュエーションはあると思う。前の女性は通りかかった車掌に「この人、感じが悪いんですが」と言った。

 これが鉄道警察によって、「女性にさわった」ということにされてしまった。こういう場合、女性の言い分が断然強い。私はこの成り行きに官憲の計画性があったかどうかはわからない。だが、警察は植草さんに対し、認めなければ逮捕すると脅したのであるから、これは典型的な人質司法である。そして、品川事件も、京急事件も、嵌めた側は、この98年の案件を母体として、思いっきり利用している。二件とも、この案件を表面化させ、植草さんの性的性癖説をいかにも本当であるかのように印象付けている。事実、メディアの初期報道が鬼の首を取ったかのように、98年の案件を付け加えている。

 評論家の宮崎哲弥氏は大阪朝日放送の「ムーブ」で下記のように喋っていた。

「だからね はっきり申し上げるけれども、彼の経済的な知識や彼の経済理論と、彼の下半身がどういう方向性を持っているかということは、まったく別なんですよ。ですから、彼は、私は更生して欲しいと思う。更生されるためには、冤罪とかね、陰謀とかね、そういうことを言っちゃいけないんだよ、治療させるべきなんだよ

 特に下線太字の部分は激昂して喋っていた。しかし、彼がこのように自信を持って断言したことは、何の下調べもなしに「女性セブン」の捏造記事のみを下敷きにしているのだ。テレビ放送の浸透力、影響力の大きさを考えたら、この発言がどう影響するか、よくわかったはずだ。自分で独自に裏も取らず、大衆的な週刊誌記事だけを鵜呑みにして、ここまで断言してもいいのだろうか。提訴の結果、小学館「女性セブン」は、2008年4月4日、100万円の支払いと「お詫び」、および「お詫び」文の「女性セブン」誌への掲載で和解が成立した。事実上の勝訴である。つまり、宮崎氏のいい加減なホラ話は完全否定されている。重要なことは、この国策捜査に加担したものは、メディアや官憲だけではなく、有名人も何名か意を含まされて発言していた可能性がある。

  2004年の品川駅における国策逮捕事件は、わざわざ子供の誕生日を選んで行われた。ある会合で知り合った女性が、私にそれを強調してこう言った。子供の誕生日にこういうことを仕掛けるのは悪質すぎる、並みの悪意ではないと。また、最近では別の人が、子供の誕生日という日付を使ったのは、いかにも米国のやりそうなことだと言った。GHQは、今上天皇の誕生日である12月23日にA級戦犯の処刑を行っている。これは偶然ではないだろう。この日付にはアメリカの強いメッセージが込められているに違いない。同様に、植草さんが品川事件に嵌められたのが、お子さんの誕生日であったということは、我々の対日経済占領に歯向かえば、こうなるぞという強い意志を示したものと思える。つまり、この計画に歯向かうとこうなるぞという強いメッセージを含ませている。

 植草さんは「知られざる真実ー勾留地にてー」の110ページに書いている。1999年の夏にはアメリカにいて、旧長銀(1998年に破綻した日本長期信用銀行、現新生銀行)の落札先が、「リップルウッド・ホールディングス」という米国投資ファンドに内定したことを事前に情報としてつかんでいたと。帰国して長銀の売却先を注視していたら、はたして、9月28日に譲渡先がリップルウッドに決まった。これには米国政界の大物が関与していた。植草さんはこういう不透明な動きをあちこちで語り始めた。彼が買弁権力筋(買弁とは外国に利益供与する者達)に危険人物として睨まれたのは、かなり以前からだと思うが、リップルウッドによる旧長銀買収を、事前にアメリカで植草さんがつかんでいた件も、米国が日本に知られたくないことの一つだったことは間違いない。

 あと、これは完全に私個人の推測なので、間違っているかもしれない。それでも敢えて言ってみる。2001年の総裁選のとき、亀井静香氏が本選挙を辞退して、小泉純一郎氏の応援に回ったことは誰でも知っている。これは禅譲とでも言えばいいのだろうか。この時、亀井氏と小泉氏はある約束を交わしたそうである。一説には九項目の約束があったという。ところが当選した小泉氏はこの約束を反故にしたばかりか、亀井氏を不倶戴天の政敵扱い(抵抗勢力の筆頭)にしてしまった。亀井氏がどんな約束を小泉氏に取り付けたのか、正直わからない。しかし、今となってみれば、亀井氏の要望は小泉・竹中路線のネオリベ政策とは真逆のケインズ的色彩の濃い政策だったに違いない。

 ここまではおそらくそれほど見当違いではないだろう。しかし、私はこの密約?に植草さんの抜擢のことが盛り込まれていた可能性を強く感じるのだ。一時、ネットでも噂になっていたことがある。2002年の9月30日の内閣改造において、竹中平蔵氏は経済財政担当大臣と金融担当大臣を兼任して、事実上小泉内閣のナンバー2の権力者になった。この抜擢を快く思わなかった勢力が自民党にいた。日本型資本主義を牽引していた実力者達である。彼らは以後、守旧派、抵抗勢力と呼ばれ、小泉氏に徹底的に弾圧を受けた。代表格が亀井静香氏や、参議院のドンと言われた青木幹雄参議院会長だった。竹中氏のあまりの売国政策に業を煮やした彼らは、何んとしても彼を引き摺り下ろし、代わりにジョン・メイナード・ケインズのような人間性のある人物を竹中大臣の位置に付けたいと思っていた。その第一候補者が植草さんではなかっただろうか。

 そう思う理由は、竹中氏の植草さんに対する異常とも言える怨念と言うか、憎悪を感じるからである。「知られざる真実ー勾留地にてー」を読むと、植草さんに対する竹中氏の憎しみは半端ではない。私はなぜここまでやるのかと疑念を持っていた。ただの政策スタンスの違いであるなら、人間は政敵をここまで憎悪することはない。そこには植草さんの国政登場の芽を何としても摘み取らねばならない強い意志があったのではないだろうか。つまり、表面的には見えなかったが、裏で亀井氏や青木氏の一派が、竹中氏を打倒して植草さんを擁立する計画を立てていたのではないだろうか。もちろん、これは完全に推測の域を出ない話であるが、もしかしたら亀井氏は総裁選のとき、小泉氏に、植草さんを然るべき地位に付けることを条件として提示していたのではないだろうか。

 ところが、米国の傀儡(パペット=操り人形)になっていた小泉氏は、反ネオリベの植草さんが国政に現われたらとんでもない阻害要因になることは明らかであり、これは絶対に阻止するという、固い決意を有したのではないか。なぜなら植草さんが然るべき重要な地位に着いたら、年次改革要望書がご破算になってしまうからである。小泉氏は政権発足以前に植草さんの進講を受けており、植草さんがアメリカの計画に反する人物であることをよく知っていたからである。小泉氏は植草さんのレクチャーを受ける気はまったくなく、無造作に遮(さえぎ)った上に、自分の意見を強引に開陳したそうである。

 植草さんの政策スタンスは、アメリカ政府筋、そして国内ではアメリカ大使館、あるいはACCJ(the American Chamber of Commerce in Japan=在日米国商工会議所)の連中に、危険視されていたに相違ない。つまり、植草さんは彼らに取って、年次改革要望書の具現化、及び新自由主義政策の敷設にとって、最も邪魔になる存在としてマークされていたに違いない。具体的にはりそなの計画も、郵政民営化も、植草さんが然るべき地位についていたなら実現しなかった可能性は非常に高い。この文脈で眺めれば、竹中氏が植草さんに対して取った尋常ならざる態度がよく理解できる。植草さんと竹中氏は実に鮮明な対蹠的存在なのである。

 植草さんが品川事件に陥れられたのは、ただ、反小泉・竹中路線の批判的急先鋒だったからではなく、実際に植草さんを国政の壇上に挙げようとしていた動きが水面下であったからではないだろうか。2004年の品川事件の背景には、こういう国策的暗闘があったのではないだろうか。

 また、2006年の京急事件の背景には、植草さんが「りそな」に関する巨大なインサイダー疑惑を指弾し続けたことが直接の契機だと思う。

 つまり、植草さんの二つの事件は間違いなく国策的謀略で仕掛けられたものだ。宮崎哲弥氏の言ったような、経済政策と下半身は別だなどというレベルにはない。国家政策というグランドデザインの違いによる紛うことなき謀略である。今、小泉政権を継承した政権が残していった負の遺産が国民を苦しめている。これから日本人が取るべき道は、小泉氏や竹中氏の敷いた路線を完全に消滅させ、植草さんの知恵を国政に反映させることである。植草さんを活かしていくのが国家再生の道であることは、もはや疑う余地はない。

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2008年12月 5日 (金)

月刊現代に、小泉・竹中構造改革路線の本格的批判記事が出た

12   実は私は先月から「月刊現代」のある記事に注目していた。先月号、2008年12月号には、ジャーナリストの佐々木実(ささき みのる)氏が、「小泉改革とは何であったのか」という、小泉政権をダイレクトに批判する論文が28ページにわたって掲載されていた。副題は「竹中平蔵の罪と罰」であり、しかも「前編」となっていた。論考視点は「格差社会の元凶を本格検証」である。彼は言う。構造改革が不十分だったから、今の日本はまだ駄目だという論調がまかり通っているが、そんなことを言う前に、あの構造改革そのものがいったい何であったのかを検証するほうが先だろうと。

  この論考は、小泉氏や竹中氏が推し進めた「構造改革」とはいったい何だっただろうかという話で始まっているが、この政策を推し進めたキーパーソンである竹中平蔵氏が、アメリカの金融関係筋とどう関わってきたかを克明に描くことから始まっている。

 物凄く読み応えがある論考だった。これを読んで私がすぐに思い浮かべたのは、植草一秀さんの「知られざる真実ー勾留地にてー」だった。植草さんも、きっとこの記事を読んでいて、ブログに反映するだろうと期待していたが、はたしてそのとおりになった。この記事は植草さんが今まで指摘してきたことを見事に補完する内容になっている。私は先月、この論考を読んで植草さんが遭遇した理不尽な事件を思った。佐々木氏は「月刊現代」次号(最終号)で、「小泉改革とは何であったのか」の続編(完結編)を書くと予告していたが、私は彼の記事は潰されるのではないかと心配していた。そして、佐々木氏には何事も起こらないことを願っていた。しかし、それは杞憂であり、佐々木氏は見事に続編(月刊現代2009年1月号)を世に出した。4910034230198

 「竹中平蔵の罪と罰」続編は出たのである。ここには、りそなの会計監査をやった会計士の自殺、そして竹中平蔵氏や木村剛氏らが行った金融プラン(竹中プラン)と、自殺したその会計士との関係が克明に描かれている。植草さんが書かれた「知られざる真実ー勾留地にてー」には、竹中氏が発足した「金融分野緊急対応戦略プロジェクト」について書かれた部分がある。これを読んだ人にとっては、この佐々木氏の続編は冷静には読めない内容になっている。正直ここまで書いていいのか?と思った。詳しいことは植草さんの「知られざる真実ー勾留地にてー」と佐々木実氏の記事を併読してほしい。当時の金融PTと、りそなの監査関係の真相が鮮明に浮き上がってくる。

 一つだけ、私が植草さんの書いたことと、佐々木氏の書いた関連事項を並べて書いておこう。それは竹中氏のブレーンだった木村剛氏に関することだ。

(1)植草さん : 木村氏は5月14日付のインターネットコラムに、りそな問題に関する意見を「破綻する監査法人はどこか」というタイトルで発表した。りそな銀行について記述したことが明らかな文章で、木村氏は「繰延税金資産計上はゼロか1年しかあり得ない。それ以上の計上を監査法人が認めるなら、その監査法人を破綻させるべき」と主張した。(「知られざる真実ー勾留地にてー」P77より)

(2)佐々木実氏 : りそな銀行の監査が本格化する直前の2月、日本経済新聞のウェブサイトの連載コラムで、監査法人を脅かすような文章を書いている。「大手行特別検査、竹中大臣のターゲットは外部監査人?」(月刊現代2009年1月号P169)

Shirarezarushinjitsu_2    竹中氏は2002年の秋に「日本の大銀行は大きすぎるからつぶせない(=トゥ ビッグ トゥ フェール)との考え方を取らない」とNYタイムズ紙上で言明した。これを契機に日本の株価は下がった。木村氏は木村氏で、監査が本格化する翌年の2月に、竹中氏を代弁するという形で、上記のように監査法人を脅すことをかき立てていた。この二人は金融不安を煽り立てて株価を下げ、最終的には公的資金投入を決めて、株価を引き戻す腹を決めていた節がある。

 しかし、よく考えてみれば、佐々木氏の論考は、植草さんが身命を賭して、小泉・竹中構造改革路線を先駆的に指弾したからこそ、実現できたものかもしれない。アメリカが金融破綻を勃発してから、小泉構造改革路線は明らかに、そのベクトルを変えざるを得なくなっている。その中でこれから、構造改革批判がどんどん出てくるだろうし、りそなに関する大規模な金融インサイダー疑惑への追及も出てくるだろう。その中で、関係者がもたらす知られざるコアな情報もこれから出てくる可能性も高い。私は、元厚生事務次官の連続襲撃の背景が小泉官邸主導勢力と無関係ではないと思っている。これは関係者に対する大掛かりな言論封鎖(おどし)だろう。

 しかし、日本を破壊しつくした闇の勢力も、悪政に怒る人々の火の手を防ぐことはできないだろう。日本人はバカではない。この民族は一度憤怒をいだいたら止めることはできない。今では、小泉構造改革が、再分配構造の破壊、格差社会発現、セーフティネット破壊の大元凶であることは、かなり多くの人に認識されてきた。自公政権は、世の中の非難や怨嗟をまともに受け、構造改革路線が行った数々の悪しき政策の見直しにてんてこ舞いである。

 小泉政権の五年五ヶ月とは、小泉純一郎氏と竹中平蔵氏のタッグ・マッチによって、日本社会の安定性や再分配構造をことごとく破壊した憲政史上、類例を見ない国家破壊であった。この破壊構造を最も最初に見抜き、警告を発していたエコノミストの植草一秀さんは、この日本壊滅のグランドデザインを描いた勢力によってあらぬ罪に嵌められた。植草さんは、まさに現代政治経済の「岩窟王」なのである。「岩窟王」とは、デュマの有名な小説「モンテクリスト伯」の物語。主人公のエドモンド・ダンデスは、冤罪で絶海の孤島の監獄に幽閉された。彼は自力で脱出に成功し、同室にいた囚人から宝の隠し場所を教わっていたことから、それを掘り当て、その財力でモンテ・クリスト伯爵と名乗って社交界にデビューし、名士になった。そして無実の罪を着せた者に次々に復讐する。

 しかし、ダンデスと植草さんの決定的な違いは、植草さんが受けたものは、個人的な枠の冤罪ではなく、国家規模の背景を持った謀略的な冤罪だということだ。これは国策捜査という言う方が通りがよい。2004年の品川事件、そして2006年の京急電車事件、人々は、マスコミのこれでもかという、異常降雨のような初期報道によって、すわ、これは高名なエコノミストの痴漢事件か?と、彼に好奇の視線を注いだ。しかし、二件とも植草さんの信用性を剥奪する政権筋による謀略だった。私は支援者として、メディアが報道しなかったさまざまなファクトを知るにつけ、植草さんが国家謀略に嵌められたことを千パーセント確信している。

 日本はおかしい。植草さんは嵌められた。日本破壊構想をたくらみ、それを実行した勢力よって、彼は第一級の阻害要因として睨まれ、警察、検察、裁判官まで動員されて、犯してもいない罪の濡れ衣を着せられて今日に至っている。

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2008年12月 3日 (水)

自然エネルギー革命を景気対策の柱にせよ(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第142弾です)

 景気対策が迷走している。麻生総理は12月2日、公共投資3%削減や社会保障費の伸びの2200億円圧縮を定めた来年度予算の概算要求基準をいじする方針を自民党に伝えた。こうなると、もう支離滅裂だ。これだけ経済が悪化し緊急に大規模な財政出動が必要な時に、歳出削減をやろうなどと言うのは論外である。支持率は急落し麻生離れが加速している。自民党の総務会では、歳出抑制の撤回を求める声が相次ぎ、細田幹事長ですら「3年程度骨太方針を停止してでも景気対策をすべきだ」と主張している。

 麻生氏は積極財政を支持していると思っていた。しかし、とんでもない思い違いだったのかもしれないと思うようになった。ここで麻生政権が倒れ、次の自民党政権が誕生したところで、あるいは民主党政権が誕生したしたところで、残念ながら更なる積極財政路線に進む見込みは無い。

 麻生氏の景気対策が不人気だったのは、内容が国民に受け入れにくいものだったからである。我々は、自然エネルギー開発に大規模な投資をせよと主張している。これなら反対する者はいない。マスコミも賛成するだろう。これに関する政府とのやり取りを以下に示す。答弁書は昨日受け取ったものである。政府として、真面目に答えていると感じる。このような質問が、政府の方針転換へと繋がって欲しいものである。

【質問主意書】

平成20年11月20日提出
自然エネルギーの利用に関する質問主意書

                   提出者 滝  実 (無所属 比例近畿)

 環境省が11月12日に発表した平成19年度の国内の温暖化ガス排出量(速報値)は二酸化炭素換算で前年比2.3%増と過去最高を記録した。京都議定書で日本は平成20年~22年度平均の温暖化ガス排出量を平成2年度比で6%減らす目標を課されており、平成19年度比では13.5%の削減が必要となる。これを産業界が負担して削減を行おうとすると莫大なコスト負担が必要となり非現実的である。今年の6月28日の日経新聞によれば、1バレル140ドルで1ドル=106円の為替相場が続けば、日本からの産油国への所得流出は24兆円だそうである。いつまた原油価格の高騰があるか分からないのであるから、エネルギー自給率4%という現実に国民は不安に思っている。これに関して質問する。

一 風力・太陽光・地熱などの自然エネルギーは、資源としては国内に豊富にあるのにも拘わらず、政府がこれを利用しようとする取組は遅れており、世界の中でのシェアをどんどん落としているのが現状である。一例として風力発電の国別の設備容量を下図で示した。平成16年末には日本は世界8位であったが、平成19年末には13位にまで下がっている。政府は自然エネルギーの利用をもっと積極的に推進すべきだと考えるがどうか。

二 自然エネルギーの利用促進という面で大きな障害になっているのが、電力の買い取り価格である。自然エネルギーの利用が進んでいるドイツなどと比べて買い取り価格が低いために、自然エネルギー発電は採算に合わず、いつまでも開発は進まない。しかし、買い取り価格を上げると、電力会社の負担が大きくなる。そうであれば、負担は政府が助成金として電力会社に支給するという可能性は考えられないか。

三 買い取り価格を上げただけでは開発が進まない分野がある。例えば洋上風力発電である。日本は国土の約12倍もの面積の排他的経済水域を保有しており、この水域の一部を利用して風力発電を行えば、日本の全エネルギー需要が満たされるという試算がある(注)。洋上風力発電では、ある程度の事業規模が確保され炭素繊維を使って製造した場合、耐用年数は80年以上で発電コストが原子力による発電コストを下回るという試算がある。もしそうであれば、これは日本国民に大変大きな希望を与えるものとなる。しかしながら、これをすべて民間の企業に行わせるには、規模が大きすぎ、また経費を回収する期間が長すぎるということになる。政府は、このような自然エネルギー開発にもっと積極的に財政支援をすべきではないか。

四 平成二十年十一月十八日の答弁書(内閣衆質170第213号)では、将来への負担を増やさないという意味は債務残高そのものではなく、債務のGDP比を増やさないという意味であることを認めていただいた。また、赤字国債を発行して景気対策を行った場合債務のGDP比が減少するという可能性も否定しなかった。政府は赤字国債発行を必要以上に恐れる必要はない。11月17日の朝日新聞でもクルーグマンが「大不況克服へ巨額財政出動をせよ。債務増を心配するときでない」と述べている。

 今我々は真剣に日本の未来を考えなければならない時に来ている。マスコミの論調も、2兆円の定額給付金よりも自然エネルギー開発にお金を使うべきだということになっているようであり、定額給付金以上に国民の理解を得やすいと思われる。自然エネルギー開発を積極的に政府が乗り出すと次のようなメリットが考えられる。

① エネルギー自給率の向上。
② 温暖化ガス排出量削減。
③ 排出権取引で日本は有利な立場に立てる。
④ 開発された技術は輸出できるので、日本経済を活性化させることができる。
⑤ 将来のエネルギー価格の高騰を恐れる必要が無くなる。
⑥ 定額給付金よりGDP押し上げ効果が大きい。
⑦ 赤字国債でなく建設国債を使える。
⑧ 自然エネルギー開発への投資は国の借金を増大させるが、同時に名目GDPも増大させる。借金の増加率よりも、名目GDPの増加率のほうが大きく、結果として国の借金のGDP比を減らし、将来世代へのつけを減らすことができる可能性がある。

  このようなメリットについてどのように思うか。

 右質問する。

(注) 瀬谷道夫、山口光弘、多田国之 文部科学省科学技術政策研究所・科学技術動向研究センター 平成14年3月

図             

                出所 世界風力エネルギー協会(WWEA)
Photo

【答弁書】

内閣衆質一七○ 第二五九号
平成二十年十二月二日
内閣総理大臣 麻 生 太 郎

衆議院議長 河 野 洋 平 殿

衆議院議員滝実君提出

自然エネルギーの利用に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員滝実君提出自然エネルギーの利用に関する質問に対する答弁書

一について
政府としては、「低炭素社会づくり行動計画」(平成二十年七月二十九日閣議決定。以下「行動計画」という。)などに基づき、低炭素社会の実現に向けて、太陽光発電や風力発電などの新エネルギー技術の抜本的な普及の促進及び開発の加速を図ることとしている。なお、御指摘の風力発電については、行動計画において、「陸上風力の導入支援、洋上風力などの新技術の検討を進める」こととしている。

二について
政府としては、新エネルギー技術の普及の促進に向けて、新エネルギー技術を導入する者に対する補助事業等を既に実施しているところである。なお、御指摘の、新エネルギー技術により発電された電力を買い取る電力会社に助成金を支給する可能性については、施策の有効性や効率性についての現行の導入補助事業等との比較を含め、十分な検討が必要であると考えている。

三について
御指摘の洋上風力発電については、行動計画において、「新技術の検討を進める」こととしており、経済産業省においては、平成二十年度から、我が国特有の気象・海象条件を把握し、これらに適合した洋上風力発電に関する技術開発や環境影響評価手法を確立するための事業を実施している。また、環境省においては、平成二十年度に、浮体型の洋上風力発電について、実証試験の実施に向けた課題の抽出や候補海域の選定などを行う調査研究を実施している。

四について
太陽光や風力などの新エネルギーは、輸入に依存しないエネルギー源であることから、我が国におけるエネルギーの安定的かつ適切な供給の確保に資するものであるとともに、温室効果ガスの排出量の削減により、低炭素社会の実現にも資するものである。また、我が国が強みとする新エネルギー技術の開発の推進は、我が国経済の活性化に資するものである。これらの観点を踏まえ、政府としては、新エネルギー技術の抜本的な普及の促進及び開発の加速を図ることとしている。

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2008年12月 2日 (火)

構造改革によって日本の特質は変わった(ななし)

(※ななしさんの投稿です)

 政府・財務省・日銀・マスコミの言うようにインフレによる名目成長率の上昇が国債の長期金利の上昇を招いて危険だと言うのなら、なぜに法人税や不労所得、富裕層の減税をやり、その分緊縮財政(国民への富の分配を減らす)や庶民増税や構造改革(特に労働者層への利益分配を減らす)を推し進めてるんでしょうか?

 彼らは景気回復の為、デフレ脱却の為と判で押したように言いますが、実は逆のように思います。

 富の再分配を減らし、更に庶民増税で可処分所得を減らし、構造改革で雇用を不安定化すればGDPの6割を占める個人消費が落ち込む事くらい小学生でも分かりそうなもんですが。最終需要が減ると言う事はデフレ維持策でもあります。
 
 言ってる事とやってる事が矛盾しまくっててどうにも納得が行きません。中国との競争の為と言いながら派遣業法を改正し、また外国人に株を売って株主利益至上主義にしてコストカット(主に人件費)をやって来ましたが、聞くところによると、トヨタの北米工場では日本の労働者の実に三倍以上の給料をライン工に払ってると聞きます。

 幾ら政治的配慮があるにしてもこれは酷過ぎますし、矛盾だらけです。米国のライン工は日本の期間工の三倍も優秀なんでしょうかw?少し前になりますが、中国広州のホンダの工場では日本のライン工が1人でやる作業を6人がかりでやってると聞いた事があります。それでも割が合うほど労賃が安いんでしょう。

 だけど米国人が日本人の3倍働くとはとても思えませんよね。ただのライン工が年収1000万円だそうです。それでもビッグ3に比べると安いそうです。陰謀論は好きじゃあ無いですが、構造改革とは米中韓組んでの日本潰しの一環のような気がしますね。90年代、日本の経団連は日本企業の最大の強みは豊かな中間層が作り出す豊かな消費市場にあると言ってたはずなんですが。

 今は180度違う事を言ってる御手洗会長もそのような事を言ってたんですが。もう一つの強みは株式を持ち合って護送船団方式にする事によって株主によって経営方針が左右されずに中長期的視野に立った開発や社員育成が可能だった事です。米英のような四半期単位の超短期的株主利益至上主義では無理なんですね。確か米国の映画の中でもその事に言及してた映画がありました。エンロン問題を風刺した映画でしたけども。私は構造改革によって日本の強みや日本人の特質を生かした社会が変質してしまったように思います。もちろん悪い方向に。

内需=新車市場だけを取りますとピーク時から200万台以上減少して今や30年前の水準ですしね。

 裏を返せば内需拡大策をやれば200万台増えると言う事でもあります。そうすれば北米を中心とした外需の落ち込みをある程度カバー出来るでしょうに。96年には9%だった外需依存率が今や16%ですしね。政府やマスコミ、御用学者は内需拡大は無理なような言論を吐いていますが。

 そう言えば、小泉元総理がブッシュとのテキサスでの日米投資イニシアチブの合意の中には日本の内需を減らしてより米国市場頼みにするように書いてあるらしいですね。日本のマスメディアは一切触れませんでしたが。とにかく最近の政治やマスメディアは矛盾だらけで信用できないです。米国の傀儡に過ぎないんじゃ無いかと強く思います。

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