「構造改革がまだ不十分だ!」と言う政治家を信用するな!
今の日本は、構造改革がいまだに不十分だと力説する政治家がいるが、これこそ最悪の考え方である。我が国は中曽根政権以来導入した新自由主義傾向の強い政治システムを稼動させたために、国民全体の幸福や生活の安定が毀損される方向に進んでおり、小泉政権の五年六ヶ月、及びそれを踏襲した自公政権の暴政で、日本型資本主義本来の良さは完全に失われてしまった。
昨年、サブプライムローン・クラッシュに端を発する、アメリカ発の金融クライシスが世界を怒涛のように襲い、人々は世界的なリセッションにすっかり退嬰的な気分になっている。これもアメリカ系国際金融資本が、世界中に無理やり敷いた金融マーケット、すなわちグローバル・スタンダードなるインチキ強欲金融至上主義が招いた惨憺たる結果である。20世紀から21世紀に向かって、人類は二度にわたる大規模な世界大戦を経験し、右上がりの加速的な工業化、石油資源の飽くなき消費によって、グローバルに環境を荒廃させてきた。
強欲資本主義の風潮を世界にばら撒いた連中は、多くの国々の基本姿勢を、産業革命時の獣欲的資本主義に変遷させ、真面目にこつこつと働いて、日々の労働の成果を神に感謝する極当たり前の美風を破壊した。そればかりか、各国の資源や労働力の成果を効率的に搾取する金融資本主義の世界的フランチャイズ化は、その国固有の伝統文化や精神風土を価値のないものとして捨て去る方向へ導いた。
日本でもつい最近までは、政治家がいかにも当然のように、自分の意見を語りだす枕詞として「現代はグローバル・スタンダードの時代ですから、それに即応した考え方を云々」と言っていた。グローバリゼーションとか、グローバル化した世界とかいう言葉を安易に多用していた政治家は、国際金融資本の敷いた強欲資本主義に、自ら盲目的に従った馬鹿な政治家であることを表明したことになる。日本人として国民の付託を受け、国政の壇上に上げてもらった政治家が、自国文化の精神風土や慣習を悪しきものとして事実上無価値化し、自ら率先してアメリカが推し進める強欲資本主義のグローバル・スタンダードに、自国の市場構造を変える意志を示した。
これの最も悪質な姿勢は、小泉・竹中構造改革路線を諸手を挙げて賛同してきた連中である。マスメディアはこのインチキな構造改革路線を、日本が向かうべき唯一のあるべき市場改革であり、なるべく早く、聖域を設けずに、産業も社会福祉も聖域を設けずに規制緩和、規制撤廃を行うべきだと囃し立ててきた。規制が何のためにあるのかを、まったく考慮しない無謀な規制緩和や民営化が実行された。盲目的かつがむしゃらな、この猛牛の突進のような構造改革によって、日本型資本主義の安定構造は完全に破壊されてしまった。その最大の過ちは郵政民営化である。小泉政権が猪突猛進的に実行した構造改革、その実体はアメリカに対する国富朝貢作戦だった。
同時にこの構造改革は日本型資本主義の破壊と、日本の政治や経済システムをアメリカの属国化へ導いただけである。すなわち、極端な格差現出、労働分配率の極端な資本家傾斜、社会の安定化を保障していた各セーフティネットの崩壊である。これによって、日本が世界に誇っていた分厚い中流生活層が一気に崩れ、社会構造が数パーセントの富裕階級層と貧乏な大衆層へと二極分化傾斜に向かった。労働分配率を見ても、企業利益がほとんど株主にだけ還元されてしまえば、社員の労働意欲は低減するだけだ。加えて露骨な派遣労働者切りを見たら、正社員も萎縮し、明日はわが身の閉塞感だけが残る。
日本は政治家にも財界にも属国意識が蔓延し、自国への愛情や誇りがないと見える。アメリカはアンシャン・レジームの典型的な国家であり、りっぱな自国の伝統を持つ日本のような国は絶対に手本とするべき国ではない。戦後日本はアメリカに追いつき追い越せ、アメリカにどう気に入られるかということだけを国是にしてきた。考えてみればわかるが、アメリカは既に一つの文明国家のモデルとしては完全に破綻している。その端的な露見的事例は、ハリケーン・カトリーナによるニューオリンズの惨状だ。国家が黒人やその他の貧困層を完全に見放した状況があの被災地に見られ、それは世界中に知られてしまった。
アメリカ人のマジョリティを構成する大多数の国民は、数パーセントの富裕層とは異なって、まだ強い良心を有する層だという者もいるが、それがWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)を指し示すとすれば、その見方も間違っている言わざるを得ない。マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が息づいている国なら、その宗教的エートスが、アメリカ一部富裕層による資本主義の暴走を止めなければおかしいのだ。ところが、その気配はまったくなく、彼らは自国に安住して他国へ自分達の金融資本主義や軍事主義が多大な悪影響を与えているということを自覚していない。アメリカにはプロテスタンティズムの倫理も道徳も、もはや存在しないと見ていい。
一部の指導層的な日本人は、それでもアメリカを見習うべき手本国家として盲従する馬鹿な者が多くいる。彼らが「年次改革要望書」にそって、自主的に日本の市場構造を米系国政金融資本の都合のいいように改悪したのだ。日本人でありながら、喜んでアメリカの犬に成り下がっている彼らを、ある人は日米ハイブリッド新種と呼ぶ。外資が企業買収で日本の国富を掻っ攫うという盗賊行為がこの十年間に激しく行われたが、実はその動きを支えた日本人が多数存在する。政治家では小泉、竹中両氏や自民党清和会の連中だ。彼らが日米ハイブリッド新種連中だ。中川秀直氏、小池百合子氏、山本一太氏など数え上げればきりがない。高橋洋一氏など脱藩官僚にも多くいる。御手洗経団連会長もそうだ。最近では「かんぽの宿」70施設をオリックスに売却しようとした日本郵政に関わった者や、オリックスの宮内義彦氏なども日米ハイブリッドだ。こういう連中こそが日本をガタガタに壊してしまった元凶である。
日米ハイブリッド新種とは要するに売国連中のことだ。この連中が共通して声高に呼号したことこそ「構造改革」である。だから、今、「構造改革がまだ不十分です」などという連中は売国派以外にあり得ないのだからけっして信用してはならない。日本はグローバル・スタンダードという外来の間違った見方を捨てて、壊れた社会システムの修復に勤しみ、日本型の修正資本主義に転じるべきだ。
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コメント
「物語性の欠如」
以前にも少し書いたことだが反ネオリベ派=国益派に手詰まり感が見られるように思える。これは国益派の戦法(表現方法)がどうも正論を述べた評論形式の一本槍で、国民の注意や興味を喚起するに足るものが出ていないというのが原因なのではないだろうか。
これに対して買弁勢力のプロパガンダは、荒唐無稽とはいえTVドラマの「CHANGE」をはじめとして極めてドラマ性に富んでいるのである。
いつぞや読んだ竹森俊平氏の「世界デフレは三度、来たる」の最後の章だったか、後書きだったか、いつものように手元に既に本がないので判然とはしないが、竹森氏は「国民は異常に忘れっぽいので、同じ轍を踏まないためには、これを物語にして残しておかねばならない、というのが、この本を書いた動機である」といった旨の発言をされていた。
浜口雄幸首相と井上準之助蔵相によって齎されたデフレの大惨禍については、もう出来の良い作品がいくつか世に出ていることであろう。従ってこれについて何か書かれる必要はない。無論、読みたい方もおられようが、少なくとも私はこれを希求しない。
単刀直入に言うならば、我々が待ち望み、渇望しているものは、「りそな疑惑」から「郵政民営化法案」までの「同時代史」に他ならないのだ。しかも、それは編年体でなく紀伝体で記され、あの時期を鮮明に思い起こさせると同時に多数の者が読んでおもしろいものであるという厳しい条件を求められる。悪し様に言うのは気が引けるが幸田真音氏の書いた作品程度では全くの役不足であろう。
問題は果たして誰がこれを書くかだが、考えても書きそうな人間がいないのが何とも残念である。
「そこまでデカイことを言うなら、お前が書いてみろ」とでも言われそうだが、滅相もない、私のようなグータラな無学者に書けるはずもなし、やれやれ困ったものだ。
投稿: kenkensya | 2009年1月20日 (火) 02時26分
こんにちは。たびたび失礼します。
たっきーさんのご指摘は重要だと思います。確かに米国の大統領が変わる事は大きな事ですが、ここまで他国の事を大きく報道する必要があるのでしょうか(小浜市の「勝手に応援する会」の件はしゃれとしても)?また、「オバマ演説集」がベストセラーになっているのは日本だけ、という話もあります。このオバマブームはメディアにより作られている、という側面は確かにあると思います。「偽装CHANGE勢力」への誘導なのかもしれません。十分な注意が必要なのではないでしょうか。
投稿: JAXVN | 2009年1月19日 (月) 20時25分
明後日の20日は次のアメリカ大統領になるバラク・オバマ氏の就任式がワシントンで行われることになっている。
アメリカのメデイアが24時間中継をして盛り上げるのは当然だろうしそれはそれでいいだろう。
だが、日本と日本人がアメリカ人以上に盛り上がってどうする?という気持ちが私にはある。
ところが、メデイアも含めて多くの日本人の気持ちがアメリカ人以上にウキウキしている。
よく私たちは政府や政治家、官僚、財界の姿勢を「アメリカの方ばかり見て、自分の判断や主張がない」と非難するのだが、実は日本国民全体が常に「アメリカの動き」しか興味がなく、アメリカばっかり見ているのだ。
だから、アメリカに「あっち向いてホイ!こっち向いてホイ!」とやられるとまったく無抵抗に国民全体が言われるがままに向いてしまうと言うわけだ。
アメリカという国は戦後六十数年の間に、日本を実質的な「目下の同盟者」「属国」扱いして、日本の政治・経済・文化をいいように牛耳ってきた。いわば、上手に「育ての親なのよ」という顔をして来たのだ。
その結果、多くの日本人には、生まれたときから「自分たちの親は、アメリカなのだ」という≪刷り込み≫がされてしまっていて、いまや90%を超える日本人は毎日「アメリカの顔」を見ないでは一人で歩くことも出来ず、自分では何も決断できないという民族になってしまったのである。
最近のメデイアやマスゴミは盛んに「麻生にも小沢にも期待できないから、オバマに期待するしかない」という論調を流し続けている。
これもまた「日本人が自らの運命を決定する権利を他国の指導者に委ねる」という体質をこれからも維持するために緻密に練り上げられた意図的なアメリカの政策なのだ。
日本の支配階層の多くは、政治家、高級官僚、学者知識人、経済人などなど、戦後一貫して、いずれもアメリカの影響を受け、アメリカの世話になり、育てられ、アメリカの対日戦略の下で飼い慣らされた連中ばかりだと言っていいのだが、一般国民の大部分はそんなことは夢想だにすることはない。
彼らのほとんどは、国籍こそ日本人だが、身も心もカネも「アメリカ人」なのだ。
いまテレビに登場して「アメリカ」と「小泉構造改革」の代弁者である竹中屁遺贈の言っていることは、「日本が助かるためには、アメリカを助けなければダメ」ということに尽きる。
そして、「規制緩和」と「改革の不徹底」こそが、日本を弱体化させる原因だ・・と言っている。
それは、ある意味で説得力のある主張のように聞こえてくる。
だが、問題はそれが「誰に奉仕する規制緩和であり、構造改革なのか」ということなのだ。
小泉・竹中路線の行った構造改革は、そのほとんどが日本と日本人の幸福に繋がらず、アメリカの利益のためのアメリカに奉仕させられた構造改革でしかなかった。
たとえば、トヨタもキャノンも小泉構造改革路線のおかげで未曾有の利潤を確保する世界企業になったではないか?
その世界企業が、いま真っ先に日本と日本人を切り捨てているのはどうしたことだ!
金子勝教授も、その辺のことを竹中に質すべきなのである。
世界の仕組みの中で、「他国に奉仕し、他国にカネを吸い上げられる改革」など、断固として拒絶しなければ、この国に未来はない。
竹中の主張である「法人税減税」「羽田空港の国際空港化」「東大の民営化」などの改革で日本がどうなるっていうのか・・という疑問は誰だって思うに違いない。
大事なことは「自国の運命は自国民で決定する!」という原則を打ちたてることである。
誰の言いなりにもならない。日本の進路・・外交も政治も、日本人が考え日本人が決めるのでなければ、この国は世界の中でバカにされ続けて、果ては孤立することにもなりかねないだろう。
竹中流に言えば「規制緩和と改革をしなければ国際競争力に勝てないから、どんどん企業が逃げていく」のだそうだ。企業が逃げていくのではなく「アメリカが腹を立ててしまう」というのが本音だろう。
「結構!そんなに≪日本と日本人を第一≫に考えない企業はこの国から出て行って貰って結構です」と言い切る政治指導者の出現が求められているのだと、私は思っている。
売国勢力(この言葉はキライだがね)を一掃しなければ、『真の独立』を勝ち取ることはできないのだ。
投稿: たっき~ | 2009年1月19日 (月) 18時47分
日本型社会主義と言われた安定した資本主義を何故、アメリカ様ははぁ~m(_ _)mと言って捨て去ったのか?と考えてみると
1、親米保守から親米保身へ
アメリカの言うとおりにすれば、政治家なり資本家は我が身安泰という事が分かっているので、無条件で従うのでは?と思うのです。もちろん多大な利益があるという餌付きですが。
2、結果としてどうなるか
アメリカ様ははぁ~m(_ _)mの社会が続けば、かつての日本型社会主義と言われた安定した資本主義は壊されアメリカ型の格差拡大社会に益々なっていくと思います。その結果は日本の国力ダウンであり、いずれ取り返しのつかなくなる事になります。
サブプライムでいろんな矛盾が噴き出した今こそ、日本型社会主義と言われた安定した資本主義に立ち返るしかありません。
投稿: ボス@和白組 | 2009年1月18日 (日) 12時22分
訂正です。国会での答弁で「ぼくが」というのは「私が」でした。
投稿: 一葉 | 2009年1月17日 (土) 17時52分
郵政民営化法案が参院で否決されたころでしょうか、総理が「殺されてもいい」と言ったということが森元総理の口から伝えられましたが、死んでもやり抜くというのならまだしも、殺されてもという言葉には何か異常なものを感じました。そのころ、オーストラリアやインド、シンガポールの新聞に氏のレイプ疑惑を報じる記事の写真がネット上に流れましたが、あきらかにアメリカの工作が感じられました。これがもし中国や韓国の新聞に出たらさすがにわが国のマスコミも無視できなくなったでしょう。「殺されても」と言った氏の脳裏には自分を殺しにくる相手の顔が映っていたはずです。(S0BA氏のバナーに貼られた彼の表情には追い詰められた動物の恐怖がありありと読み取れました。)
もっとも、レイプ疑惑は国会でも平野貞夫氏が追及されています。そのとき、小泉首相はへらへら笑いながら「ぼくがそんな人間に見えますか」と答えたのです。私は思わず「見えるよ!!」とテレビに向かって叫んでいました。
西尾幹二氏は「狂気の首相」と言われました。狂気と言えばまだ肯定的な意味合いもあり体温も感じられますが、西尾氏は完全に病理学的範疇で捉えておられていたように思います。
たまたま、氏の顔をテレビで見たときは、私は心の痛みに耐えかねて奇声を漏らし家族を驚かせています。
投稿: 一葉 | 2009年1月17日 (土) 15時39分
一葉 様
ありがとうございます。戦後の政権内閣は
ほとんど従米姿勢に徹してきましたが、それでも
どこかに面従腹背の気概がありました。小泉政権
はそれがまったくなく、自ら率先して日本の経済
構造や国柄を破壊しましたね。大罪人どもです。
国柄を破壊しただけにとどまらず、彼は皇室も
構造改革という解体作業をする意志がありまし
た。日本史上、最悪の宰相にあげてもいいでしょ
う。
投稿: 高橋博彦(管理人) | 2009年1月17日 (土) 13時03分
管理人様が小泉元総理のことを「犬畜生にも劣る」と書かれていたのを目にしたとき、言論人としての鬼気迫るような「覚悟」をそこにみて私は慄然としました。
この国へ仇なすものへの怒り、この国が汚れていくことの哀しみが私たちのそれをはるかに凌駕しているのでしょう。核保有についても、抑止力のためといざというときの自爆用にと言われたときも、私は慄然とすると共に何か爽やかな清々しい気持ちになりました。陵辱されるくらいなら。「こんな国があった」と後世の人が畏敬の念で語ってくれるのを想像するのもいいものです。
投稿: 一葉 | 2009年1月17日 (土) 12時03分