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2009年4月29日 (水)

景気対策とその効果に関する質問主意書とその答弁書(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第164弾です) 

 これが我々と政府との33回目の質問とその答弁である。今回の景気対策は財政規模が15.4兆円と言われているが、これでは十分な景気回復は望めそうもない。実際、この対策をしても、GDPは09年度-3.3%の成長ということで、経済は大幅に縮小することが内閣府で発表になった。更に、失業者は4.1%から5.2%に急増、鉱工業生産は-23.4%の減少をすると発表されている。崖から転がり落ちるがごとくの日本経済に対してなぜ政府は適切な経済対策を取ろうとしないのか。我々の徹底した追求は続いていく。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

十五・四兆円で日本経済は経済危機から脱却できるのかどうかに関する質問主意書

                          滝実衆議院議員

 政府は四月十日、平成二十一年度補正予算の財政支出を十五・四兆円とすることを発表した。過去最大だった平成十年度三次補正を超える史上最大の経済対策とされている。ただし、平成十年度三次補正では九・八兆円の減税が行われており、これも加えると今回の経済対策は史上最大とは言えない。今回の経済対策に関して質問する。

一 この補正予算によるGDP押し上げ効果は二%であるという内閣府の試算が出ている。この補正は、例えば生前贈与して住宅を建設したり改修したりすると減税するとか、エコカーや省エネ家電を買うと補助するなどを含んでいる。買わないと金は出さないという仕組みだから、これは消費を刺激し消費税等の税収を増やすと考えられるが、この補正による税収の増加は何兆円程度か。

二 今回の補正の財源の一部が国債発行となっているために、これが将来世代への国債の負担が重くなるという意見がある。しかし、国債を増発したからというだけで将来世代への国債の負担が重くなるということにはならないという考え方がある。

 そこで、国の普通会計の国債残高が六百四十兆円、GDPが五百兆円として計算をしてみる。今回の財政出動前の国債のGDP比は六百四十÷五百=一・二八である。財政出動十五・四兆円のうち国債は十一兆円とされているから国債残高は六百五十一兆円、GDPは二%伸びるのだから、国債のGDP比は六百五十一÷(五百×一・〇二)=一・二七・・・となる。これですでに国債のGDP比は減少している。これに加え税収の増加が期待できるのだから、減少幅はこれよりずっと大きいと思われる。このような計算が成り立つのであれば、国債を財源とする財政出動によって将来世代への国債の負担が重くなることはないと考えていいのではないか。

三 二に示した計算のように、国債を財源として景気対策を行っても、国債のGDP比は減るのだから、将来世代への国債の負担は減ると言うべきではないか。逆に、将来世代への国債の負担が重くなる虞(おそれ)があるならば、その虞を避ける方策を講じることができるのではないか。これは日本の財政政策の方向を左右する極めて重要な問題であるのに専門家を集めた徹底的な議論を行っているようにはみえないのは、政府の怠慢というべきではないか。

四 四月十日、与謝野大臣は「放っておけば六~七%成長率が落ちる。落ち込みを二%強だけ戻すということだ」と述べた。言い換えれば、四~五%という大幅な経済の縮小をさせることが政府の目標ということになる。なぜ経済拡大でなく、経済縮小を国家目標にするのか理解できない。
また、「効果があることはやったらいいが、すべて需要が足りないところを財政でやれと言うべきではない」という自民党の津島雄二税制調査会長の発言もある。これらは政府の見解と思っていいのか。

五 実際は、需要不足の全てを解消することが財政出動で可能なのではないか。例えば、昭和恐慌の際に、大規模な景気対策が行われた。そのお陰で下図に示すように実質GDPは、大幅増加となった。需要不足を完全に財政出動で補うことができただけでなく、急速な経済拡大にも成功し、何の問題もなかった。今回の経済危機も、当時の規模に相当する規模で景気対策を行えば、同様に大幅な実質GDPの増加になるに違いない。一方、昭和恐慌当時、需要不足の三分の一程度の気休めの景気対策が一年だけで終わっていたならば、景気回復はなかっただろうという意見があるのをどう考えるか。

六 今回の追加補正予算は、一年だけ、しかも需要不足の三分の一だけを補うというのが政府案と思われる。過去の景気対策の失敗は規模が小さすぎたし、十分な効果が出ないうちに打ち切ったことが原因である。五年計画でいわゆる真水の投入総額百兆円の経済対策を打ち出すべきとの提案があるが、政府はこのような提案に反対なのか。政府も五年計画で、もっと大規模な経済対策で経済危機の脱却の方法を考えてはどうか。
 右質問する。

出所:明治以降本邦主要経済統計 日本銀行統計局
Gnp
________________________________

答弁書

内閣衆質171第327号
平成二十一年四月二十八日
内閣総理大臣麻生太郎
衆議院議長河野洋平殿

衆議院議員滝実君提出
十五・四兆円で日本経済は経済危機から脱却できるのかどうかに関する質問に対し別紙答弁書を送付する。
衆議院議員滝実君提出十五・四兆円で日本経済は経済危機から脱却できるのかどうかに関する質問に対する答弁書

一について
「経済危機対策」(平成二十一年四月十日「経済危機対策」に関する政府・与党会議、経済対策閣僚会議合同会議決定)の実施に伴う税収への影響については、様々な経済活動の状況等に左右されるため、具体的にお示しすることは困難である。

二及び三について
 国債を財源とする財政出動を行った場合いの国債残高の対G D P 比への影響については、内外経済状況や経済対策の効果の発現の態様等に左右されるため、「国債を財源とする財政出動によって 将来世代の国債の負担が重くなることはないと一概にはいえない。

 我が国の債務残高対G D P 比の発散を止め、安定的に引き下げていくことは、財政の持続可能性を確保する上で極めて重要である。政府としては、当面、過去に前例のない不透明な内外経済状況に弾力的に対応しつつも、財政規律の維持の観点から、将来世代への安易な負担の付け回しをしないことが重要であると考えており、中期的には、財政健全化に向けた取組を進めてまいりたい。

 なお、経済対策や中長期的な財政健全化に向けた考え方を検討するに当たっては経済諮問会議において、各界の有識者から意見を伺っているところである。

四から六までについて,
 政府は、これまでの三次にわたる総額約七十五兆円の経済対策に加えて、先般、多年度による対応も視野に入れた総額約五十七兆円(うち国費約十五兆円)の「経済危機対策」を取りまとめたところであり、これにより、「景気の底割れ」を防ぎつつ、国民の安心を確保し、未来の成長力強化につなげることとしている。なお、需要不足のすべてを財政支出で埋め合わせることについては、過度に公需依存となり、民間経済の自律的回復をむしろ遅らせると等から、これらの対策においてはそのような考えはとっていない。

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小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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北野誠氏と草彅剛氏の奇妙奇天烈な報道の裏には、検察とヤクザの暗闘があるのか!?

   二つの奇矯な芸能スキャンダルに注目

 日本の大手メディアは偏向・誘導報道がもはや常態化しているが、小泉政権以降は特にそういう感が否めない。私は最近起こった、二人の芸能人に関わる別々のニュースに、とても奇妙な違和感を覚えると同時に、この二つは裏で関連していて、実は日本の権力機構の脆弱さをもろに露呈したできごとだと推測している。

 二人の件とは、タレントの北野誠氏の無期限謹慎の件と、SMAPの草彅剛氏の泥酔裸乱行事件である。この二つは報道様態としては芸能人スキャンダルとして分類されるが、私は両者案件には、あまりにも不可解な報道様態があり、この両者の裏に共通する政治的文脈を読み取った。それが正しいか見当はずれかはともかく、感じたことを書いてみる。

  北野誠氏の不可解な永久追放

 28日、ラジオなどで不適切発言をしたとして、所属事務所の松竹芸能から無期限の謹慎処分を受けたタレントの北野誠氏が大阪市内で会見し、「事実に基づかない不適切な発言で、自分と同じ業界で働いているタレントの皆様、所属するプロダクション関係の皆様らに多大なるご迷惑をおかけした」と謝罪した。私が言うまでもないが、北野誠氏の失言・方言の内容はいまだにいっさい不明である。いろいろな噂は飛び交っているが、芸能界に大きな力を持つ誰かの勘気を蒙り、芸能界から永久追放されてしまったとか、穏やかではない話が出ている。

 まず、北野氏にまつわる報道の異様さとは、芸能界追放処分の理由も背景もいっさいがっさい不明となっており、事情を知る人々は完全に口を閉ざしていることにある。ネットに流れている噂では、北野氏が、大手芸能プロダクション・バーニングの社長・周防郁雄氏を誹謗、中傷をしたから、が一番多い推測記事になっている。バーニングは吉本興業やジャニーズなどを除き、大手プロダクションの九割を傘下におさめる巨大芸能プロダクション。これを束ねる芸能界の首領(ドン)である周防郁雄氏の激甚な勘気を蒙った。松竹芸能を中心として芸能人を扱うマスメディアは、この件に対して完全な沈黙を行っている。

 鹿砦社から出ている今年の「紙の爆弾」4月号に、代表・松岡利康さんによるバーニング訴訟の記事があるが、それを参照すると、「我が国の芸能界は、バーニング、吉本興業、ジャニーズ事務所の三大巨頭を中心として群雄割拠し秩序が形成されている。一方、マスコミ出版界、とりわけ「芸能マスコミ」と言われる領域は、この三巨頭に翼賛化され、ほとんど批判的言論が存在できないことになっている」(P39)

 北野誠氏の件に関し、何も降板理由が出てこないのは、芸能界及び芸能マスコミの世界では、如何にバーニング社長・周防郁雄氏の支配権力が凄まじいかを物語っている。

SMAP・草彅剛氏の狂乱報道

 北野氏の永久追放騒ぎからまだ間もないころ、SMAP・草彅剛氏の泥酔裸事件が起きた。酔っ払いが裸になってわめくというスタイルは、飲酒天国の日本では取り立てて珍奇なことではない。しかし、報道様態があまりにも不可解である。事件は、「23日午前3時ころ東京ミッドタウンに近い港区・赤坂の檜町公園で裸になって騒いでいた所を、近隣住人からの通報によって駆けつけた警察官に注意されたが、聞き入れなかったため公然わいせつ容疑で逮捕された」とある。

 公然わいせつ罪と言うが、深夜の人ッ気の少ない公園の一角で泥酔して裸になり、何かを喚いていたところで、その恥を大々的に全国ニュースで報道する必要があるのだろうか。泥酔事件の悪質なものに比べたら、草彅氏のこの行動は児戯にも等しいもので、わいせつで被害を受けた者の話は聞いていない。普通、警察はこのような酔っ払いの場合、保護することを優先するのではないだろうか。それをしなかったばかりか、あえてマスコミに知らせたことは奇異な感じがする。

 ましてやトップクラスのアイドルであり、他の泥酔者の乱行と同様に、保護して説諭すればいい話である。行為そのものを擁護する気は毛頭ないが、この場合は誰も深刻な被害は受けていないから報道は控えるべきであっただろう。真昼の銀座四丁目交差点とか、渋谷ハチ公前広場で裸になって喚いたら、それは大勢に迷惑をかけ、当該罪状が当てはまるだろう。しかし深夜の公園では、そういう悪質性は少ない。

 芸能人だろうが一般人だろうが、ストレスは溜まるから、時にはそういうこともあるだろう。こういう場合は、心情として警察は穏便に処理してもいいような気がする。有名人だから身を律し、人々の模範になる行為を心がけることは必要だが、人間なんだからたまには崩れることもあるだろう。日本人はそういうことに鷹揚だったはずだ。しかし、警察は保護よりも逮捕を優先した。こういう事件で、警察が逮捕要件のハードルを下げる時は裏に何かある。

 宴会での裸に比べれば罪は軽い

 公然わいせつ罪と言うが、深夜の小さな公園の一角で裸になったところで、「公衆の面前」という状況はあまり感じられず、彼のハダカを見て被害を受けたという人の話は聞かない。しかも、この件には驚天動地とも言うべきおまけがついている。それは、この状況で、草彅氏の住まいが家宅捜査(ガサ入れ)まで受けていることだ。ここまで来ると唖然とするが、ニュース解説では薬物の有無を確かめるためなどと言っていた。本人の血液や尿検査をして、然るべき反応が出た場合なら、それはあるとは思うが、今回はそのステップを踏まずに草彅氏の自宅へ入ったようである。最初からガサ入れを狙い撃ちしていただろうか。

 私自身は見たことはないが、我が国では、飲み会で酔っ払って裸になるケースはしばしばあると思う。忘年会やその他の宴会で、酔っ払いが裸になることはあるが、そんなもので親睦が増すなどというのは眉唾である。そういう類の蛮行は、宴会が普段溜まった鬱憤をガス抜きする場でもあるという考えが下地になっているのだろう。私は好かないが、日本人は比較的酒の上でのはみ出し行為には寛容である。ただ、それも程度の差はあるが。

 深夜の公園での裸と、明るい照明の中における宴会中の裸芸では、宴会中のほうが丸見えであるから桁違いにわいせつなものだろう。しかし宴会で裸になる者がいて、彼らがことごとく警察にしょっ引かれたという話は聞いたことがない。今回の件は、警察官が泥酔者の保護よりも、有名人の失態ということを公にさらすことを優先した感じがぬぐえない。普通、このような場合は泥酔者保護を優先し、事故にならないように然るべき場所に一晩泊め、翌日に懇々(こんこん)と説諭(せつゆ)して放免するというのが警察の対応ではないのか。

  警察も政府もマスコミもこの事件に過剰に反応した

 草彅氏が泥酔して誰かを傷つけたりした場合は、大きなニュースとして報道されても仕方がないが、今回の場合は全国ニュースとして大々的に流す必要も、家宅捜査の必要もまったくない。不可解なことはそれだけではない。鳩山総務相が「事実であれば、めちゃくちゃな怒りを感じている。なんでそんな者をイメージキャラクターに選んだのか。恥ずかしいし、最低の人間だ。絶対許さない」と、激越な反応を示したことだ。ここまで大ごとにするような事件ではない。

 これは警察がメディアにリークせずに、草彅氏を酔いが冷めるまで保護して後、訓示して釈放すれば済む話だと思う。推測ではあるが、権力は草彅氏の乱行を利用して、何らかのメッセージを発したように見える。ジャニーズ事務所の超売れっ子タレントが、飲みすぎてハメを外した。警察はそれを庇わず躊躇なくメディアに晒したばかりか、本人の家宅捜査までやってのけた。官憲のこの派手な振る舞いには、ある種の挑戦というか、報復の意味合いが込められているかもしれない。明らかに誰かに対して強いメッセージを送っている。

ある政治的な推測
 
 もちろん真相はわからないが、もしかしたら、草彅剛氏の泥酔裸事件は、タレント・北野誠氏の全レギュラー降板事件と裏で関わっているのかもしれない。北野誠氏の全レギュラー番組降板の背景は、芸能マスコミ界が自主的に真相を封じている。これは完全にバーニングによるマスコミ界の言論弾圧であり、国民の知る権利を無視したものだ。北野誠氏が舌禍事件を起こし、その対象とされたバーニングは芸能界や芸能マスコミを沈黙させるほどの支配力を誇示した。

 検察は西松建設の違法献金容疑で小沢一郎氏の秘書を逮捕したことで、政治的謀略だ、国策捜査だと、思わぬ突き上げを喰らい、本丸の小沢一郎氏まで追及の矢を進めることができず、すっかり威信を落とした形になった。北野誠氏降板事件はこういう時に起きたのである。これは小沢氏秘書献金疑惑のせいで検察のマスコミへの掌握力が緩んだのと、これによって、相対的に三大芸能プロダクションのメディアに対する支配力が急に高まった事実がある。

 三大巨頭プロダクションの支配力は、直接政治には関わりないと言っても、北野誠氏の降板事件を完全に口止めした力は、我が国の官憲にとっても無視できないことだったかもしれない。北野氏の降板事件は芸能メディア全般を震撼させ、国民に対し、芸能プロダクションの圧倒的な権力と翼賛的な力を見せ付けたことになる。つまり、小沢一郎氏を狙った国策捜査が国民の疑念によって途中で折れてしまった時、バーニングは圧倒的な権力を国民に対して示したことは、間違いなく国家権力を刺激した形になっている。

 はっきり言って、芸能プロダクションの裏には大きなヤクザ組織が関わってるから、今回の北野誠氏の件が、政治的に何を象徴したかと言えば、小沢一郎氏への国策捜査の断念で検察の威信が低下し、相対的にヤクザの支配力が強まったという見方もできるのだ。これに危機感を感じた官憲は、威信回復のために芸能界の三大プロダクションに威圧をかけることにしたのではないだろうか。

 もちろんこれは私の推測に過ぎないが、草彅剛氏の泥酔裸事件がおおっぴらに報道されてしまったのは、芸能三大プロダクションに対する官憲の宣戦布告だとも取れる。本当の権力者は我々だから勘違いをするなよというメッセージであろう。そう考えると日本のトップアイドルの泥酔を保護せずに逮捕してマスコミにリークし、家捜しまでしたことは、日本の裏社会に対する国家権力の威信回復の行動に見える。つまり、北野氏と草彅剛氏の事件は、裏で警察とヤクザの暗闘が始まったことを示している。

 これが当たっているとすれば、官憲が小沢一郎氏への国策捜査を失敗したという事実が如何にダメージが大きかったかを物語っているのではないだろうか。草彅剛氏の件を、バーニングとジャニーズ事務所の覇権争いと見る向きもあるが、私は違うような気がする。なぜなら、有名タレントは商売上の大事な商品であり、その商品を潰す形で謀略を組むことはないと思うからだ。やるなら別の形を取るだろう。

 穿った考えかもしれないが、検察特捜部が小沢一郎氏への国策捜査を失敗したことで、マスコミ界では相対的にヤクザの支配力が増し、これに焦慮した官憲が、SMAPの草彅剛氏をあえてさらし者にしたということではないだろうか。日本の権力構造にはれっきとしたヒエラルキーがあり、その力関係はマスメディアに出てくる。検察の国策捜査の失敗はこの階層序列にゆがみを生じさせているように思える。

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2009年4月26日 (日)

週刊新潮4月23日号の記事に垣間見える彼らの本音とは!?

 週刊新潮に書かれた植草一秀さんに関する記事について

 週刊新潮4月23日号の「ワイド特集 柳に風」というコーナーに、“高橋洋一教授の「窃盗報道が少ない」と怒る「植草元教授」”というタイトルで、植草一秀さんのブログを取り上げた記事が書かれていた。一ページあまりの、読む価値もないような低劣なものだが、内容は植草さんのブログを揶揄(やゆ)するものであり、記事の最後には、個人的に植草さんを異常憎悪している横田由美子氏の誹謗中傷記事が添えられていた。ただ、読んでいて、この記事を書いた者というか、書かせた者の本音が見えてきたので、それを書いてみる。

 その前に、週刊新潮に書かれた記事の概略を言うと、例によって、御用週刊誌の定型パターンにのっとった誹謗・侮蔑で始まっている。「エコノミストからテカガミストへ」という書き方で始まり、内容はまず最初に、植草さんのブログに書かれた記事、「解散総選挙が日本経済を救出する唯一の道」、「国策捜査と情報操作がまかり通る暗黒国家日本」の二つを上げ、「提言あり、陰謀論あり、なかなかのバリエーションだ」と書いているが、内容についての言及はない。

 普通ならば、「提言あり、国策捜査あり、なかなかのバリエーションだ」と書くのが自然なのだが、「国策捜査」という言葉をわざわざ「陰謀論」と置き換えているところに、この記事の作者、あるいは書かせた大元が「国策捜査」という言葉を意識して使いたくない気持が汲み取れる。植草さんの上記ブログ記事では、小沢一郎氏の秘書の件も含め、小泉政権以降は「国策捜査」が積極的に活用されてきたと書いていることを意識しているのだろうか。

 次に、植草さんがブログで、高橋洋一氏の窃盗事件に関し、警察が高橋氏を逮捕していないことに、官憲の裁量権が働いているのではないかということと、この事件に関するマスコミの少なすぎる報道量には、メディアに一致した抑制が働いているのでは、という、ごく当たり前の疑念をブログに提起した。植草さん自身が冤罪に巻き込まれた際の洪水のような報道量と比較して、高橋洋一氏のそれは異常なほど小さいことを書いたことに対し、週刊新潮は「わが身を引き合いに出し、根拠のないことを書く始末である」、「妄想はまだ続く」、「まるで的外れな勘ぐりに終始している」などと、それこそ根拠のない言い方をしている。

 植草さんが指摘し週刊新潮が揶揄している事実は、今の日本が置かれている暗黒政治の一面を鋭くとらえたものであり、国民は絶対に看過してはならないことである。

 この記者は「裁量権」について警察に尋ねたそうである。答えは、個々の裁量とやらでは逮捕の可否を決められないという話だと書いてある。表では、警察は当たり障りのないことを言うだろう。逮捕の可否が個々のケースで違っているのであれば、警察がその理由を明確に示さない限り、裁量が働いていると思われても仕方のないことだ。書類送検だけで済まされる理由が「逃走の恐れなし」だったなら、植草さん案件の場合も逃走の恐れはまったくなかったわけである。2006年9月の案件では、植草さんは事実上逮捕され、132日間も勾留されている。まさに逮捕の有無が天国と地獄を分けているのである。

 旧態依然とした人質司法が有効に機能している現代の官憲に、事実上逮捕勾留されてしまえば、被疑者は文字通りまな板の鯉、金魚鉢の金魚状態になる。高橋洋一氏の場合は、施設の防犯ビデオに似た人物が映っていたとあり、それがもし本人であり、犯行様態が捕捉されているならば、その記録は犯行の直接証拠になる。(※ただし、MSN産経ニュースに出ていた防犯ビデオの件は、犯行現場だとも、本人だとも書いていないので、私は映像記録については疑いを持っている) 植草さんの場合は、当日の状況は女性の供述だけであり、誰も犯行を目撃していない。女性は犯行があったと言われる2分間、回避行動を起こしていない。後に検察側が目撃証人を出廷させ、私もその裁判を傍聴したが、その証言は著しく矛盾に満ちていた。

 その後に、今度は植草さんが犯行をやっていないことを目撃した証人が現れたが、裁判官はその真実性を取り上げなかった。私は、植草さんは小泉政権を鋭く指弾し続けたために政治的謀略事件を仕掛けられたものと確信している。典型的な国策捜査である。この両者のケースでは、高橋氏が逃亡の恐れがないことで書類送検になるのであれば植草さんが逮捕勾留される道理はない。この両者の逮捕の有無には、裁量権が働いていると考えざるを得ない。

 それに、植草さんと高橋氏、両者の報道対象としての同質性から見たら、圧倒的に高橋洋一氏の報道量が少ないことは奇異なことこの上ない。明らかに、この両者に対する官憲やマスメディアの取り扱い方には、天と地ほどに開きがある。植草事件が重大犯罪のように扱われ、高橋洋一氏は軽微に扱われている。本来ならば被疑事件の法定刑の見地から言えば、これは逆ではないのか。

 週刊新潮に書かれた、植草さんを誹謗中傷する記事は、植草さんを貶める目的だと看做してしまえば、その通りなのだが、深読みすると、植草さんを嵌めた連中が、依然として植草さんの言論活動に脅威を感じていることがよくわかる。つまり、植草さんがブログ発信している記事内容が、彼らにとって、いかに都合の悪いものであるかという意識が強く働いてることが見えるのだ。

 つまり、小泉政権時の悪徳利権屋集団の残党が、小沢民主党・政権与党の実現を嫌い、検察に働きかけて国策捜査に打って出た。小沢一郎氏の政治的影響力を排除する動きに出てきた彼らは、ブログで植草さんが精力的に書いている悪徳ペンタゴン攻撃を強く敵視しているのだ。この動きは、かつて、木村剛氏に近い藤井まり子氏が、突然、自分のブログで植草さんを誹謗中傷し始めたことと無縁ではない。彼らは植草さんのブロガーとしての言論活動を敵視し始めたということだ。今も自公政権の権力の座で蠢く怪しい集団を、植草さんは、政・官・業・外・電の悪徳のペンタゴン(五角形)と名付けている。

 官憲とマスメディアが、高橋洋一氏と植草さんの取り扱いに決定的な差異を示したことは、大きな意味があると思う。高橋氏は向こう側の人間であった。彼は小泉・竹中構造改革路線の理論的支柱を担っていた影の功労者だった。いわば高橋氏は小泉構造改革や郵政民営化の裏の裏まで知り抜いている人物である。悪徳ペンタゴンの側で働いていた高橋氏は、小泉政権を支えた悪徳ペンタゴンの内情をよく知る人物だ。

 その高橋氏が、心機一転、経済学者の中谷厳氏と同様に、アメリカ流のグローバル資本主義を捨てて、過去の過ちを認めることがあるとすれば、悪徳ペンタゴンの悪の構造がかなりの精度で暴かれてしまうことになりかねない。それを憂慮した悪徳ペンタゴンは、他の関係者に対する見せしめを兼ねて、高橋洋一氏を嵌めた可能性がある。これも一つの国策捜査だと私は思っている。ただ、植草さんの場合と決定的に異なるのは、高橋氏が向こう側に多大な貢献をした人物だったというところにある。

 2月の日本経済復活の会定例会で高橋洋一氏は講演した。それを見てきた私の知り合いは、高橋氏が必ずしも小泉氏や竹中氏の犬に成り下がっていたようには見えず、むしろ逆に竹中氏を呼び捨てにしていて、快く思っていないようだったと語っていた。彼が、小泉氏や竹中氏のブレーンをやっていた当時はともかく、最近はメディアでも名が売れ始め、大蔵官僚を批判した著書はベストセラーになっている。やしきたかじん氏と辛坊治郎氏が司会を務めるテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」のレギュラーコメンテーターに彼を起用する予定もあったらしい。

 このように、目覚しくメディアに登場してきた高橋氏を、悪徳ペンタゴンが強い警戒感を持ったであろうことは容易に推測できる。マスメディアにもてはやされると、必然的にその人物の発言力は増して行く。もしかしたら、高橋氏には小泉政権の悪徳構造を喋りだす兆候があったのかもしれない。そのために悪徳ペンタゴンは高橋氏の口を封じた可能性が強いと私は見ている。
_72
(パロディストのマッド・アマノさんの作品です。植草さんのブログから拝借)

 警察とメディアが、高橋氏の取り扱いに対しては思いっきり抑制的であり、植草さんの場合に比して巨大な懸隔があるのは、高橋氏が小泉構造改革対し、大きな功労者であり、植草さんがそれを真っ向から糾弾していたという、両者の立ち位置の鮮明な違いにあるのではないだろうか。だから、私は高橋洋一氏の窃盗事件も、悪徳ペンタゴンによる国策捜査の疑いがきわめて濃厚だと思っている。ただし、高橋氏の場合は仲間内の裏切り行為に対する予見的な口封じとして国策捜査を仕掛け、植草さんの場合は、国策に反する分子としてダイレクトに粛清目的を持ったということだと考えている。

 高橋洋一氏と植草さんに限定して言えば、警察の逮捕の可否に裁量権が働いたことは、それは悪徳ペンタゴンと官憲のセットによる国策捜査の文脈から明瞭に理解できることだ。御用週刊誌である週刊新潮に記事を書いた作者は、植草さんの「植草一秀の『知られざる真実』」というブログ記事の権威を貶める目的で書いたと思うが、それを書かせた大元の意志は、植草さんが警察の裁量権に疑念を呈したことと、マスメディアの報道量の多寡を問題視したことに、強い懸念を持っていることがよく見えている。それは植草さんの指摘が真実を衝いていることを示し、彼らはそのことを煙に巻きたい魂胆がある。

 記事の最後に援用されている横田由美子氏の「彼の拠り所はもはや『冤罪』と言い続けるしかないんです」という悪意ある言葉も、悪徳のペンタゴンが植草さん事件が国策捜査であることを逸らす意図があるように思える。

 つまり、週刊新潮の植草さんに関する記事は、実に低劣な内容だが、よく読むと、植草さんを嵌めた側が、今まで何度も繰り返してきた攻撃パターンを忠実に踏襲している。すなわち、国策捜査を妄想の文脈で否定し、植草さんの言説を無価値化して読者離れを期待しているのだ。植草さんは、週刊新潮の取材を無視するという最も賢明な態度を取った。もし、彼らの接触に応じていたなら、植草さんを徹底的に貶める記事に利用されていたことは確実だったと思う。

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2009年4月25日 (土)

財政規模15.4兆円の景気対策では規模が小さすぎる(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第163弾です)      

日本経済復活の会 会長 小野盛司

 政府・与党は4月8日、09年度補正予算の財政支出を15.4兆円とする方針を決めた。過去最大だった1998年度3次補正を超える史上最大の景気対策とされている。ただし、1998年には9.8兆円の減税が行われており、これも加えるなら今回の経済対策は史上最大とは言えない。

 この景気対策のGDP押し上げ効果は2%だというのが内閣府の発表だ。与謝野大臣によれば、何もしなければ-6%か-7%の成長率になるが、この景気対策によって-4%か-5%の成長率まで戻すということだ。昨日(4月24日)の新聞各紙には、09年度の政府経済見通しが-3.3%に下方修正されると報道されている。さっそく内閣府に問い合わせてみたら、これは4月27日に正式発表となるとのこと。担当者によれば、これは「政府目標」(大本営発表か?)だという。ということは、実際は更に悪いのだろう。

 マイナス成長ということは、国が経済を縮小させ国を貧乏にすることを目標にしているということだ。こんな国家目標があるだろうか。IMFは日本の成長率は-6.2%で世界最悪だと言っている。世界全体では-1.3%だが、それほりはるかに悪い。景気対策を適切な規模で実行している中国では+6.2%の成長率見通しをIMFはしている。政府内には需要不足を全部財政で補うのは無理だという声もあるようだ。そんな馬鹿なことはない。お金さえ十分出せば需要はいくらでもふくらむ。昭和恐慌の際の成長率を見るとよい。下図は日銀のデータだ。

 1931年高橋是清大蔵大臣は超大型景気対策を開始した。それ以来、日本経済は4~10%の実質GNPの伸びが続いた。確かに国の借金は増えたがGNP比で見ればむしろ借金の実質的増加は止まったというべきだ。需要不足をすべて財政で補えるという明確な証拠だ。不足分を補っただけではない。経済を大きく成長させた。今の政治家は勇気が無い。なぜ中国のように、あるいは高橋是清のように、思い切った経済対策で経済を立て直そうとしないのか。国の借金が心配だって?しかし、ちゃんとマクロモデルで計算してみるとよい。経済が拡大基調に入れば、国の借金も減ってくる。

出所:明治以降本邦主要経済統計 日本銀行統計局
Gnp_2

自民党最大派閥の清和会でも100兆円の財政出動を提言している。
http://www.seiwaken.jp/committee/committee20090325.html
 現在の日本経済は誰もが認めるように需要不足だ。これは現在の金融危機以前からそうだった。デフレが続いていたということは、最近十数年間はずっと需要不足だったことを示している。国内の新車販売台数の推移をグラフで示した。今年になってから特に大幅に販売は落ち込んでいる。一方で、57兆円という日本より遙かに大規模な景気対策を行った中国では、新車販売台数が伸び、今年の1,2,3月のいずれも販売台数で世界一になったと報じられている。

 なぜそういうことになるのか。日本の自動車会社が生産能力が無いのかというとそんなことはない。やろうと思えば、生産はいくらでも伸ばせる。工場もあるし、人手もある。原因は簡単だ。国が経済政策を間違えて、国民を貧乏にしてしまったから国民が車を変えなくなっただけだ。中国は正しい経済政策で国民を豊かにしたからどんどん車を買える。

出所 日本自動車販売協会連合会
Photo_2

 それでは、日本でも間違えた経済政策を修正して、国民にもっとお金を渡すことは可能なのか。もちろん可能だ。主権国家である限り、国は無制限の通貨発行権を認められている。政府貨幣発行でも日銀の国債買い取りでも、国は必要なだけお金は発行できる。国も国民もマスコミもそれをやると「神のたたり」があるとでも思っているようだ。何か悪いことが起きるのではないかと恐れている。お金を国民に渡しても、悪いことは何もない。もっと車、住宅、家電等の売上が伸び、経済が活性化するだけだ。

 景気対策で国民にお金を渡しても、国民はお金を使わないから景気は回復しないと言っていたのが、小泉、安倍、福田政権時代の政府だった。「景気対策=悪」と言い続けた。我々の質問主意書に対しても「景気を支えるために政府が需要を積み増す政策はとらない」と言い続けた。ここに至って、過去の間違えた発言を反省することなく、小規模な景気対策をやり始めた。どうして日本国民が十分な実力を発揮できるようになるまで、適正な規模の景気対策をやらないのか。お金を十分発行できない制度になっているというなら、なぜその制度を変えようとしないのか。2011年の消費税増税を直ちに撤回せよ!!

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2009年4月24日 (金)

②素人参加を義務化する裁判員制度は目的が不明

参加がいつの間にか義務化している不可解さ

  裁判員制度については多々疑問点が浮かぶが、選出された人は必ず出る義務を課せられ、拒否する権利を持たないことはおかしい。こういう強制出頭は、国民の参加というよりも絶対服従の命令に近い。何というか、戦時中の赤紙みたいな印象がある。法律のど素人を、刑事裁判に出すこともおかしいが、それが強制的な義務であるということが、参加という概念になじまない。たしかこの制度案が出されたころは、国民主権の拡大のひとつとして、裁判に参画する権利を与えられるようなニュアンスがあったように思う。ところが時が経つうちに、その権利はいつの間にか参加する「義務」に変わっていた。

 納税、勤労、教育という国民の三大義務は日本国憲法によって定まっている。裁判員制度が義務化されたなら、国民は第四の義務を背負うことになるのだろうか。つまり、国家の命令があれば、司法制度に参加する義務である。だとすれば誰が何の権限で、国民に新たな義務を課すのか、その理由も明確にする必要があると思う。裁判に国民が参加すると言えば、いかにも国民に選択の自由が担保されたうえでの参加と思いたいが、それが義務になれば、参加理由を明確にする必要がある。つまり国民が刑事裁判の判決に責任を負う理由が必要だが、それが明確になっていない。

 現行憲法で謳われる国民の三大義務である納税、勤労、教育の義務は、その一つ一つが国民の幸せに直結する納得のいくものである。しかし、国民が司法へ参加する義務は、国民の幸せには直結しない。むしろ、素人が重大な判定を行う後ろめたさと大きな不安が生まれ、誤判決の恐怖に怯えるというマイナス要素が大きい。そのマイナスを得るリスクをかけても実行する意図がわからない。三大義務には整合性があるが、今回の制度は新たな義務の創設により憲法違反ではないのか。法曹に詳しい人に聞いてみたい。

 裁判官に実社会の生活感覚から乖離があるから、裁定感覚にネガティブな影響が出ると言うのであれば、それを是正するためには、一般人の素人を参加させるよりも、裁判官自身に世間体験を持ってもらうシステムを導入した方がより妥当であり、金もかからない。一般人に義務まで課して、国民を裁判に編入させることは異常である。

 「法律の素人でも、裁判員になれる」と当局は喧伝しているが、この本当の意味は、「深い法律知識がある人は裁判員にはなれない、なってもらいたくない」という本音がうかがい知れる。法曹に詳しい人から聞いたが、現役業界人、法学部教授、法曹資格を有する人、過去に法曹資格を持っていた人なども裁判員にはなることはできないそうだ。それは裁判員法第15条に「就職禁止事由」として規定されている。

 その人は、その理由を深読みすれば、判例・法律知識・リーガルマインド等がある人であれば、裁判官に対して効果的な反論ができてしまうからだ、と批判されても反論できないだろうと言っている。普通に考えれば、裁判官の生活感覚の欠落を是正するためなら、法律に明るい一般人の感覚が審理に反映されることが最も望ましいと思われるが、この裁判員法第15条は、法律の素人しか参加させたくない前提があるように見える。当局は、裁判官の言いなりになる操り人形がほしいのである。

 そのためには、「法律的など素人」、「知識のない」、「素直な人間」が最適の人材ということになる。「反骨の人」、「信念の徒」、「法律好き」、「議論好きの人」などは採用してもらえないであろうことは、容易に想像できる。要するに、当局が法曹センスのある裁判員を忌避するところに、この制度のいかがわしさが見える気がする。その方向から眺めても、国民を裁判員に登用する意図が不明なのである。

 国民一人ひとりが、主権者として裁判に参加すると言えば、聞こえはいいが、強制されてどこに主権者の資格があるのだろうか。今のままでは、6人の裁判員が3人の判事にコントロールされることは明白である。それなら市民参加の意味がない。それでも呼ぶと言うなら、裁判員制度は判決に自信のない裁判官の判決責任を、罪のない一般人に分散する目的だと思われても仕方ないだろう。

 小泉政権時代には政策啓蒙の掛け声でタウンミーティングが行われた。ところが2006年に、その中にやらせ行為があったことが発覚し、問題が顕在化した。全タウンミーティング中、15回のやらせ質問があり、最多は、裁判員制度などについて議論された司法制度改革タウンミーティングの6回であった。偽装タウンミーティングだ。サクラを使ってやらせ行為をしてでも、国民の賛意を得たいという法制度は、制度設計そのものが、いかがわしい発想によって出来上がっていることを想起させる。

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ワールド・ブロガー協会から

 昨日ワールド・ブロガー協会の世話人の方からメールをいただいた。テレビや大新聞、あるいは大きな出版メディアには、事実上、言論規制の網がかけられている言ってよい現状である。この上、インターネットまで思想表現の自由を規制する法の網をかけられたら、日本の言論空間は完全に閉塞する。その状況は国家警察(ゲシュタポ)が暗躍する暗黒社会である。そうならないように、ブロガーは下記日本国憲法第21条を死守する決意が必要だ。

1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 下記の動画にも出ているが、植草一秀さんも登壇されているので是非見ていただきたい。米国に阿諛追従(あゆついしょう)する曲がった政権のせいで、日本の言論空間はどんどん狭(せば)められている。植草一秀さんへの不当な国策弾圧も言論統制の一環である。このワールド・ブロガー協会の設立主旨を鑑みれば、権力筋の横暴な圧力には屈しないメンバーが揃っているのだろう。脅されてすぐに逃げ回るような臆病な御仁は多分いないと思う。

____________________________________________
  (ワールド・ブロガー協会のある世話人より)
 21日の催しは平日の昼間という条件にも拘らず、150人くらいの来場があり、我々としては大成功と思っています。「神州の泉」での宣伝も大きく寄与したと思っています。
有難うございます。
 
 告知期間も非常に短く、しかも平日の昼間にも拘らず150名もの人が御参加下さいました。大変ありがたく思います。

 インターネットのブログは日本社会で重要な情報源として定着した感があります。
しかし情報の信頼性という点で既存のメディアからはまだまだ遅れていますし、社会もそのように見ていると思います。ここはやはりブログの質を高める必要を感じますし、ネット規制への警戒も持たねばなりません。

 そういう意味で今回の催しが盛大に行われたことは世話人会にとっては次のステップへの自信になったようです。もうすぐビデオがアップされると思います。取材会、講演、対談の内容への評価はいろいろお聞かせいただくとして、こういう情報伝達の手法があると言うことで今後は質向上へ努力したいと思います。

 一部の世話人が設立記念講演会の一部を公開してくれています。ご覧いただければ幸いです。

「1万人のブロガーが日本を変える」=ワールド・ブロガー協会
が設立記念講演会・第1回取材会を開く

http://news.livedoor.com/article/detail/4123151/

植草一秀先生ご挨拶/ワールド・ブロガー協会第一回取材会
http://www.youtube.com/watch?v=LjQmG0e-B88

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2009年4月23日 (木)

①裁判員制度の胡散臭さについて

 法律や裁判など、法にかかわることがらについて、それは自分の生活圏で起こる体験とはほとんど無縁なものとして今まで過ごしてきた。私が裁判というものを直接目にしたのは、2006年及び2007年の植草一秀さんに関する第一審の裁判だった。植草さんの無実を確信し、支援することを決めてからは、何度か彼の公判の傍聴に出向いているが、それが生まれて初めて生の裁判に接するできごとだった。

 確かに、法廷という場所は一種独特の緊張感はあったが、映画やテレビで見ていたように、エモーショナルな芝居じみた演出はほとんどなく、審議は淡々とシーケンシャルに進んで行くだけだった。当然ながら、法廷上に飛び交う言葉の応酬は、一般市民が世俗的に行う会話とは異なっており、ある限られた時間内に、然るべき証言やそれに対する解釈などが厳密に取り交わされていく言論の戦場であった。

 私は裁判員制度について専門的立場にはまったくないが、一国民として非常に強い違和感を感じている。制度そのものの是非論を問う前に、この制度が、またしても小泉政権から出ていることは重要なことだ。小泉政権で生起した新たな法制化はすべて疑ってかかるべき時期に来ている。郵政民営化も、後期高齢者医療制度も、身体障害者自立支援法も、国民利益とはおよそ対蹠的な視点で策定されたことを思えば、この裁判員制度も根底からその存立目的を疑って当然だろう。

 裁判への市民参加は意義があるという言い方なら、その通りであろうが、国民をいきなり司法権執行の領域に参加させねばならない必然性はどこにあるのか。古い感覚かもしれないが裁判員制度は、江戸時代に、遠山の金さんが、お白州(しらす)に、いきなり長屋の大工や旅館の奉公人を呼んで、彼らにもお裁きの一翼を担ってもらおうとすることだ。何というか、あまりにも展開が唐突な気がするのは私だけだろうか。裁判員制度を拙速に展開しなければならない歴史的必然性がどこにあるのだろうか。

 司法制度改革の目玉だとか、意味不明の掛け声はあったようだが、政府のキャンペーンの派手さとは裏腹に、その内実が国民にはいっこうに届かないままに制度施行まで、あと一ヶ月に迫っている。裁判に素人の私が思いつくままに言うと、一般国民が裁判に参画することの意義云々について、どうのこうの言う前に、法的な言論戦にまったく不慣れな一般人がいきなり参加して、はたしてまともな裁定感覚が持てるだろうか。特に刑事訴訟法やその他の法律にほとんど関わりなく過ごしている人々がいきなり法廷という裁きの場に立って、正当性を持つ有罪無罪の判定から量刑までを判断することができるだろうか。

 裁判員制度については不可解なことは多くあるが、まず目に付くことは、法律のど素人である一般人が、思い罪責を課すことになる刑事事件に立ち会うことである。社会の常識的体験とは大きくかけ離れた「死刑」や「無期懲役刑」を決定する重要な判断に、何で法律のど素人が参画せねばならないのだろうか。もう一つ大事なことは、この制度が適用されるのは重大な刑事事件だけである。米国の陪審員制度とは異なり、なぜ裁判員制度に民事が適用対象とならないのか?

 少し考えればわかるが、法律に不慣れな一般人を裁判に参画させるなら、被告の生死や運命を決定的に左右する重大刑事事件よりも、企業犯罪やその他の民事事件の方がよっぽど合理的で親和性もあると思う。民事は、その名が示すとおり、国民生活により身近なものだからだ。この制度設計をした“大元”が、なぜ民事を除外したのだろうか?別記事でも考察したいと思っているが、それは設計者にとって、民事における裁判員制度がはなはだしく都合が悪いからだ。この制度が民事事件に適用された場合を考えると、仮に、米系企業と日本企業のビジネス上の闘いが勃発した場合、日本人裁判員の愛国心に火がついてしまう可能性が高くなる。そうなると困るのは米系の企業である。つまり、民事にこの制度が適用されない背景には、制度設計者が米国であることを如実に物語っているということになる。

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)の問題もある。裁判員に提供される資料には通常の生活では見たくもない死体や被害状態の写真等を見ることになり、かなりのショックを受けると思うが、それよりも深刻なことは冤罪だった場合である。検察や警察が提供した証拠資料に基づいてしか判断材料がないとすれば、それがあとで不正なものだったとわかっても裁判員には罪はない。しかし、死刑にしてから冤罪だとわかった場合、人間として、あの判定は不可抗力だったではすまないだろう。一人の無実の人間が不当な死を受け、それに自分が関与したという事実は生涯消えうせることはない。これは充分に起こりうることだ。

 冤罪や国策捜査が頻発する昨今の官憲や司法関係は、法執行の公正性が揺らいでいる。このような脆弱な司法状況では、国民参加はしない方がいい。佐藤優氏が「テロリズムの罠」で興味深いことを言っている。「日本の裁判は起訴されると、第一審段階で99.8パーセントの有罪率であり、第二審では第一審の無罪がくつがえされる事例も多い。結果から見るならば、裁判所は検察庁の起訴を追認する機関となっている。裁判官が自らの判決に自信を持っているならば、素人の国民を判決に巻き込むことは考えない。・・中略、裁判員制度の強引な導入も日本国家の弱体化を示すものである」(P66、67)

 佐藤優氏の言い方では、裁判官が判決に自信がなく、国民を断罪に巻き込むことによって、自分たちの責任を分散させることが目的だと解釈できる。そしてそのこと自体が国家の脆弱性だと言っているのである。私もそのように思う。裁判所は正義を判断する最後の拠り所である。その聖なる場がおかしくゆがんできている。それは植草一秀さんの裁判を見てもよく見えてくる。マスコミと同様に、すでに裁判所に正義は存在せず、そこは検察の補助機関であると同時に、国策捜査の追認機関と成り下がっている。

 裁判員制度導入が日本国家の弱体化の一つの明徴だと言っているのだが、私も同感である。小泉政権は究極的には無政府主義に行き着くフリードマンの新自由主義構造に日本社会を転換した。新自由主義的構造転換が起こると国家秩序が脆弱化し、当然、その一環として司法の厳格性や公正性は揺らぐことになる。この現象は別角度から言い直せば、裁判の不公正さが増大するという恐ろしい現実を示しているのだ。ネオリベ社会は急速に夜警国家になる。日本の場合は特殊であり、アメリカの指令で国策が動く状況になっているから、夜警国家が急速に遷移して警察国家と化している。

 つまり、夜警国家と警察国家は別物であるが、日本の特殊事情はこの両者を同時進行させている。ネオリベ体制下で、憲法九条の縛りが一見、日本を夜警国家としているが、植草さんの言う悪徳ペンタゴンが志向している現体制は、明らかに「警察国家」に向かっている。一つのわかりやすい証左としては、昨年10月26日の麻生首相邸宅見学ツアーにおける逮捕劇である。主催者ら三人が路上で逮捕された状況は日本が警察国家に変貌していることをまざまざと見せ付けた。政治的デモが自由に出来た60年代や70年代を思うと、とても危険な社会に移行しつつあることがわかる。こういう状況下で国民が、日本人の魂を失った司法に加担して断罪に加わることは問題である。

 今後、裁判員制度は気が付いたことを書いていくが、小泉政権時に行われた政策がほとんど米国の都合によって行われたように、この制度設計も明らかに米国発のいかがわしい内政干渉の一環にほかならない。

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2009年4月22日 (水)

現在の景気と景気対策に関する質問主意書と政府の答弁書(小野盛司)

  (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第162弾です)

 日本経済復活の会では、質問主意書という形で政府を説得しようとしているし、政府の考えを問いただしている。32回目の政府とのやり取りを紹介したい。31回目のやりとりでは、我々の主張は「今回の経済危機で急激に経済が悪化したが、その前から日本経済は世界の中で没落を続けていた。今回の経済の悪化を食い止めるだけでは足りない」ということで、名目GDPで見れば日本は十数年間ほとんど変化していないし、諸外国にはそのような低成長な国は無いことを例に挙げて説明した。それに対して、政府は名目でなく実質で比べるべきだと主張。我々の反論は、世界の経済の中で日本経済が没落していることを示す客観的なデータを示した。

 我々は、このような政府とのやりとりが決して無駄に終わるとは思っていない。お金を刷って、国民に渡すことが日本経済を救うのだと、いつか必ず政府も理解する、いや、理解させてみせる。僅か15.4兆円の景気対策で十分だと、誰も思わない。しかし、一方では増え続ける国の借金におびえる政府・マスコミ・国民。

 日本、いや世界経済を救うのは、どの国も自国の通貨を増刷する権利を持っているし、今こそそれを行使しなければならない時が来たのだということを、一刻も早く理解させなければならない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第32回質問主意書

急激に悪化する日本経済に対応する経済政策に関する再質問主意書
                   衆議院議員  滝 実

 前回の質問主意書に対する、答弁書(内閣衆質一七一第二一三号、以下「答弁書」という)において、日本経済の現状に関して政府の考え方が示された。特に「一及び二について」で、「経済の成長という点において、日本だけが世界から取り残されてきたのではないか」という質問に対し、実質GDPも含めて判断する必要があり、名目GDP成長率のグラフのみでは、一概に判断することはできないとの答弁であった。これに関して再度質問する。

一、確かに物価上昇が激しい国であれば、名目GDP成長率が、そのまま経済の規模の拡大を表すのではなく、物価上昇分を引いた実質GDP成長率で考えねばならぬことは明らかである。しかし、我が国のようにデフレが続く経済では状況は異なるのではないか。デフレーターをマイナスにすればするほど実質GDPはかさ上げされる。例えば、デフレーターをマイナスにした要因の一つはパソコンの性能の向上だと言われる。パソコンの値段は変わらないがパワーがアップしたから、実質値下がりしたのだという。しかし、これによって果たして景気がよくなったという実感がわいてくるだろうか。多くの国民にとって、パソコンのパワーはすでに十分であり、パワーアップしても実質的に価値は変わっていない。実質GDPの数値だけはかさ上げされたものの、給料が上がるわけではなく、景気回復の実感がなかったのは当然ではないかと思うがどうか。

二、図1ではドル換算した各国のGDP比較を示した。これも名目GDPではあるものの、ドル換算をすれば為替調整を考慮すれば、実質的なGDPの比較と言っても良い。これでみても日本経済は1995年ごろから停滞が始まっていて、世界の中で経済成長という点において、取り残されたことは明らかである。図2では、日本のGDPが米国のGDPの何%であるかを示した。1995年には71%あったものが、2007年には31.7%にまで下がっている。やはり日本経済は停滞しているのは間違いないと思うがどうか。

三、図3では、世界のGDPに占める日本の割合を示した。これ以外にも「経済の成長という点において、日本だけが世界から取り残されてきた」証拠を示す客観的な経済データは多数存在する。これは、政府が十分な経済対策を行って来なかったことが原因していると思うがどうか。

四、過去において、成長率をもっと高める方法が無かったのかと言えばそうではない。例えば今回の12兆円の財政支出を伴う景気対策であれば、1%の成長率を引き上げるとのことであり、名目成長率も実質成長率も同時に引き上げる。過去において景気対策をもっと強力に行っていたら、更に大きな成長率の増加が見込まれたし『失われた10年』を防ぐことができたのは間違いないと思うがどうか。

五、名目成長率の上昇は、日本経済へ様々な好影響を及ぼす。
①デフレ時での景気対策は、名目成長率だけでなく実質成長率も引き上げるから、実質的な経済規模の拡大が見込まれる。

②名目GDPの拡大は可処分所得の増加をもたらし、景気回復の実感がわいてきて、日本国民に将来への希望をもたらす。
 
③経済の拡大が、年金への不安を解消する。

④一時的に国の債務のGDP比が増加したとしても、一定の成長軌道に入れば、新たな景気対策無しにGDPが増え続け、GDPの増加は債務のGDP比を下げ続ける。

⑤税収が増加するから、長期的には財政は健全化する。
このような経済への好影響を考えるなら、今後の景気対策は、名目成長率が少なくとも4%を超えるまでは続けるべきだと考えるがどうか。

六、3月27日の記者会見で与謝野大臣は11年度に基礎的財政収支を黒字化する財政健全化目標(以下旧目標という)に代わる新目標『骨太の方針09』(以下新目標という)を、今夏ごろに策定する考えを示した。しかし、旧目標により歳出削減を行ったために、結果として日本経済は縮小し、国民を苦しめ、しかも財政健全化という意味では全く逆効果しかなかったのだから、旧目標を掲げたことは間違いだったのではないか。新目標を掲げることは、失敗を繰り返すことになるだけだと思うがどうか。

七、オバマ米国大統領は2月9日夜、就任後初めてとなる公式記者会見で1990年代の日本の長期停滞にも触れ「迅速に行動しなかったために『失われた10年』と呼ばれる不況を経験した」と指摘。日本の教訓に学ぶ必要性を訴えた。またフレドリック・ミシュキン元FRB理事が3月27日、ニューヨーク市内で講演し、日本はゴッド・ダム・ストゥーピッド(大バカ野郎)だと発言し、1990年代の不況を長期化させた元凶として日本の財政・金融政策を厳しく批判した。このような指摘に対し政府は過去の経済政策で反省すべきものはなかったのか真剣に検討すべきだと考えるがどうか。

八、政府は十五兆円の規模で補正予算を編成すると伝えられている。しかし、G20で決まったのはGDP2%以上というのでなく、総額500兆円ということであり、日本が世界のGDPの8%であることを考えれば、40兆円規模を考えるべきではないか。それに日本は世界の中でも際だって経済が悪化していることを考えれば、40兆円よりも更に規模を大きくしなければならないのではないか。

図1 出所 IMF World Economic Outlook 2008
Gdp

図2 出所 IMF World Economic Outlook 2008
Gdp_2

図3 出所 国民経済計算
Gdp_3

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第32回答弁書

内閣衆質171第292号
平成21年4月17日
内閣総理大臣麻生太郎
衆議院議長河野洋平殿
衆議院議員滝実君提出

 急激に悪化する日本経済に対応する経済政策に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員滝実君提出急激に悪化する日本経済に対応する経済政策に関する再質問に対する答弁書

一について'
経済の成長については、前回答弁書.(平成二十一年三月二十四日内閣衆質一七一第二一三号)でお答えしたとおり、物価動向を考慮した実質GDP成長率等も含めて判断する必要があると考えている。なお、2002年初め以降の景気回復局面においては、名目賃金の伸びが低かったことが景気回復を実感しにくくする一つの要因となった可能性があるものと認識している。

二から四までについて
1995年から2007年までの期間を比較した場合、ブラジル、中国、インド、ロシアなどの新興国経済等のGDP成長率が高かったことや、 先進国においては米国のGDP成長率が相対的に高かったことなどが、世界のGDPに占める日本の割合及び米国のGDPに対する日本のGDPの比率が低下した主な要因と考えている。なお、過去の累次の経済対策については、日本経済が極めて厳しい状況にあった中で景気の下支えに一定の効果があったものと考えている。

五及び八について
経済政策を行うに当たっては、 様々な経済指標を参考にしつつ、 その時々の経済状況等を十分に踏まえて総合的に判断することが必要であると考えている。政府としては、現下の厳しい経済金融情勢に対しては、「景気の底割れ」を防ぐことを最重要課題として、平成二十年八月以降、総額約七十五兆円の三次にわたる経済対策を取りまとめ、その速やかな実施に全力を挙げてきた。さらに、平成二十一年四月十日には、総額約五十七兆円(うち国費約十五兆円)の「経済危機対策」(平成二十一年四月十日「経済危機対策」に関する政府・与党会議、経済対策閣僚会議合同会議決定)を取りまとめたところである。

六について
世界的な金融危機と経済悪化を受けて、基礎的財政収支を黒字化させるとの目標の達成は困難になりつつあるが、当面は、財政規律の観点から、現行の努力目標の下で、景気回復を最優先としつつ、財政健全化に取り組んでまいりたい。

七について
政府は、1990年代の深刻な景気後退に対しては、累次の経済対策を含む大胆な政策運営を行うとともに、金融機関の不良債権処理、企業の過剰債務解消に向け、抜本的な対策を講じ、こうした政策努力の成果もあり、我が国経済は、「債務、雇用、設備の3つの過剰」を克服し、その後の景気回復が実現したと認識している。

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2009年4月19日 (日)

明日20日(月)、「日本経済復活の会」定例会講演のご案内

(神州の泉・管理人より ここ一週間は、私的なことに忙殺され、更新がかないませんでした。ご心配をおかけしました)

日本経済復活の会 会長 小野盛司より

○ 日時 平成21年4月20日(月)午後6:00時~午後9:00時
                 (開場5:30、講演開始6:00)
○ 場所 東京都千代田区九段北4-2-25 アルカディア市ヶ谷(私学会館) 
TEL 03-3261-9921

○ 会費 3500円(資料代や食事・飲み物の費用を含みます)
当会合に関する一切の問い合わせと、御来会の可否は小野(03-3823-5233)宛にお願いします。メール(sono@tek.jp)でも結構です。弁当の注文や配布物の準備等ありますので、申し込みはできるだけ早めに行って下さるよう、ご協力お願いします。

○ 講師

 ①田村耕太郎 

 参議院議員 参議院国土交通委員長、元内閣府大臣政務官、前大阪日日新聞社長、エール大学大学院修了、自民党財務金融委員会副部会長、自民党金融調査会副会長

   『日本経済を世界最強にするために』

 田村先生は、政府紙幣議員連盟の会長として、麻生総理を始め自民党幹部の説得を精力的に行っておられます。政府紙幣発行だけでなく、贈与税減税で生前贈与を加速させる案、無利子国債発行で相続を加速させ、消費・投資意欲の高い世代に金融資産を早めに移転させる案など、斬新なアイディアで日本経済を世界最強にさせる可能性についてお話しをして頂きます。
         
      ②小野 盛司 日本経済復活の会会長 

 会の活動報告、『日本経済復活への道 -お金がなければ刷りなさい-』 

 場所
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2009年4月12日 (日)

財政再建には新たな目標が必要と財務大臣が発言(小野盛司)

    (※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第161弾です)

 与謝野大臣が4月11日、BS11の番組収録で基礎的財政収支を2011年度に黒字化するという現行の政府目標に代わる、新しい財政目標を立てる必要性を強調した。これがまさに我々が長年指摘してきたことで、やっと分かってくれたのかと、この発言を歓迎したいと同時に、どこまで分かってくれたのか一抹の不安は残る。

 基礎的財政収支の黒字化ということで今までは政府とマスコミが一体となって国の最も重要な目標であるかごとく語られていた。その実現のために、歳出を最大限削減し増税も語ってきた。それが日本経済の縮小を招き、日本がどんどん没落し、貧乏になっていったのだが、財政健全化には全く効果はなかった。

 我々は、逆に財政を拡大すれば、国の債務のGDP比は減っていって財政は健全化することをくり返し述べてきた。赤字国債を使って財政出動をすることは、決して将来世代への負担が増すのでなく、GDPが増えることによって債務のGDP比は減って、将来世代への負担は減っていく、つまり赤字国債で財政出動を行うということは、事実上お金を刷って国民に渡すことであり、将来世代も同様にお金を再び刷ることができるのであるから、今お金を刷ることが将来世代に負担になることではない。むしろGDPを拡大し、国を豊かにすることは、将来世代に豊かな生活を提供するものである。

 2006年3月8日に、我々は秋元司参議院議員にお願いして谷垣財務大臣に「国の借金を減らすということは、国の借金そのものを減らすのか、それとも国の借金のGDP比をへらすのか」という質問をしていただいた。谷垣大臣の答弁は国の借金そのものでなく、国の借金のGDP比だと答弁した。このことは新聞にも掲載された。

 これは非常に重要なことなので、我々は2007年にも同様な質問を質問主意書で行い、2007年6月1日の答弁書で、やはり減らすのは債務のGDP比であるということを確認させている。国の債務を減らすには緊縮財政がよい(実はこれも錯覚なのだが)のだが、国の債務のGDP比を減らすのであれば積極財政がよいということになる。つまり全く逆の結論となるから、我々はくり返し国の債務そのものでなく(つまり基礎的財政収支の黒字化でなく)国の債務のGDP比を減らすべきなのだと政府を説得してきた。2006年度、2007年度には基礎的財政収支が大赤字でも国の債務のGDP比は減少しているではないか。我々は、基礎的財政収支の黒字化は財政の健全化には無関係だから無視すべきだとくり返し政府を説得した。

 今回の与謝野氏の発言は、我々の主張に与謝野氏が大きく歩み寄ったように見える。彼の発言を以下に書く。『基礎的財政収支の黒字化目標については、達してもGDP比の国債残高が増え続けるケースがある。財政再建目標としては「ほとんど意味のない概念だ」債務残高のGDP比が安定的に減っていく方向で収束する形をつくらなければならない。基礎的財政収支を2011年度に黒字化するという現行の政府目標に代わり、新しい財政再建の目標をたてる必要性がある。』ここまで分かったのであれば、国の債務のGDP比がどうやれば、減るのかということだけを集中して議論すればよく、そのときは私がくり返し示しているグラフが役に立つ。

Photo_3

 これは日経新聞社の開発したNEEDS日本経済モデルであり、我が国で最も信頼されている経済モデルの一つで計算したものだ。このグラフが明確に示している。財政出動の規模を拡大すればするほど、国の債務のGDP比は減るのだ。2003年に私が日経新聞社のモデルを使いこの計算結果を示して以来、この道の専門家の大部分はこのグラフを目にしている。現在に至るまで、私はこの計算結果に対して反論は一切受けていない。与謝野さん、これで結論が出ましたね。財政を健全化したければ超大型財政出動をすればよいだけですよ。

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「ワールド・ブロガー協会」設立記念講演会の案内

「ワールド・ブロガー協会」設立記念講演会が21日(火)に東京で開催される

 私の知り合いの人が、最近ネット規制の動きを感じるようになり、ワールドフォーラムという単体の人達とブロガー協会を創ることになったそうである。http://www.worldblogger.net/

 それで4月21日に第一回目の取材を開くことになったそうである。そこでは丹羽春喜氏と亀井静香氏との対談も盛り込まれた。前エントリーで書いたように、小泉政権の構造改革を継承した政権が存続した場合、確実にネット規制が行われる。表の大手メディアが御用メディアと化している以上、ブログの言論表現に権力介入が行われると、日本の体制はすぐに翼賛体制へ移るだろう。

 このワールド・ブロガー協会というのは、そういう深刻な危惧を共有しているブロガー同志の集いらしい。

 4月21日は、表のメディアでは聞くことのできない貴重な話がお三方によって発信される。第三部は亀井静香氏と丹羽春樹氏の対談だそうである。興味のある方は是非聞きに行ってみて欲しい。

一人目   元日本経済新聞論説委員    和佐隆弘氏
二人目   国民新党代表代行        亀井静香氏
三人目    大阪学院大学名誉教授     丹羽春喜氏

 詳細は下記速報に!!

Photo_2

    E-mail:sasokunio2008@live.jp

会場  : 新宿区立牛込箪笥区民ホール
〒162-0833 新宿区箪笥町15番地 TEL:03-3260-3421 FAX:03-3260-3421
http://shinjuku-kuminhall.com/pc/event_ushigometansu.html
地図
http://shinjuku-kuminhall.com/pc/pdf/ushigometansu_map.pdf

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自公政権が存続した場合、ブログは息の根を止められる

   

 (1)国内メディアの不偏不党性は大うそ、今の日本では不偏不党はブログにしか存在しない

 ブロガーが集まって、これからのブログの諸問題をきちんと認識し、いかなる意味でも権力の圧力に左右されず、独自の創造的かつ社会献身的なブログメディアを発展させることを命題にした「ワールド・ブロガー協会」が設立されたようだ。私自身は元来、団体組織とか、何々の会とか、そういうものに属することは好かない性質である。しかし、現今政治の危機的な状況下では、ブログからの真実の情報発信だけが唯一の突破口になっているから、こういう動きは歓迎する。もしも権力の悪意によって、ネットからの情報発信が封鎖された場合、国民は正しい情報を得る機会が閉ざされてしまうことになる。

 権力の悪意とは、ネット発信者に法の網を網を被せて、歪んだ権力の批判をいっさいできない状況に持っていくことだ。現在、国内大手メディアは外国資本と結託した小泉・竹中政治路線に掌握され、国民利益にそう反した報道しか行なわない。唯一、正しい情報発信が出てくる可能性のあるメディア空間が、ブログやメルマガを中心とするネット媒体のみである。

 当然ながら、翼賛体制を強いて国民を支配しようとしている勢力は、ネットの情報発信機能を潰そうと画策している。近年、自公政権は人権擁護法案や共謀罪法案など、一見国民の側に立ったかのような体裁を整えた言論弾圧法案を策定している。いずれも有志のいち早い警戒によって、寸前で法案成立は止められた。しかし、国策捜査で政権交代を食い止める算段をする売国自公政権は、もしも、近い将来行われる総選挙で民主党を押さえ、多数の議席を確保した場合、憲法第21条を完全に無効化する法案を早々に成立させてしまうことは間違いない。すでに出版メディアはそれに近い状況に陥ってるから、次は確実にネット規制が行われるだろう。

 そうなれば、国民はいっさいの政権批判や米国批判ができなくなり、北朝鮮とほぼ同じ政治環境が現出するだろう。清和会を中心とする自民党が非常に危険であることは、日本を完全翼賛体制にしようとしていることが見え見えだからだ。麻生政権は郵政民営化の見直し問題で、一時内部抗争があったが、すぐにアメリカの干渉が入り、既得権益派と手打ちが行われた可能性が高い。その証左に郵政民営化(四分社体制)の見直しはすっかり消えている。従って、今の麻生政権は小泉・竹中構造改革という売国路線を続ける魂胆がはっきりしている。

 腐った権力者のやることは、既得権益優先のためと、自分たちの政治犯罪が暴露されないように国策捜査を頻発させ、メディアを完全掌握して国民の意思を閉ざすことになる。事実上の独裁体制を狙っているのだ。これを防ぐために、ブロガーたちは、自分たちの理念や発念を、何ものにも邪魔されない形で発信し続ける必要がある。しかし、ブロガーには唯一の欠点というか弱みが存在する。それはブログという発信形態が持つ個人的性格である。

 ネット空間に存在するブログは個々に独立しており、実社会に存在するような共同体的性格はいっさいない。社会学的に言えば、利益を媒介にして結びつくゲゼルシャフト的結合や、家族や地域共同体のようなゲマインシャフト的結合は存在しない。従って、個々のブログの情報発信能力は高くても、個々のブログ間には有機的なバンドリングが存在しないことによって、集団の力、協働の力は生まれにくい。ここへ、言論表現に対する悪意ある法の網がかけられたら、ブログは一気に潰される脆弱性を持つ。

 しかも、ブログは玉石混交、正当な政治批判のブログもあれば、社会悪を惹起しかねない悪質な物もじつに多くあり、権力に付け込まれる弱点ばかりである。名誉毀損なども、下手に権力に干渉された場合、名誉防衛の拡大解釈によって、言いたいことが言えなくなることは火を見るよりも明らかだ。国民の幸福を顧みない権力が、ネットやメディア規制をやり始める手法は、まず高らかに正義を建前にして、じつは権力批判を効果的に封じる地雷のような条項が必ず盛り込まれるのだ。見るからに正しい法案のように見せかけながら、じつは国民の思想表現を縛る猛毒を混ぜるのである。

 可能性としては、その条項は徹底的に国民の興味からそらされた形で盛り込まれるだろう。今まで自公政権が三分の二条項を発動して強行しようとしたものに、かなり危険な法案があったことを忘れてはならない。そういうものは巧妙に出されていたが、もしも自民党が政権を継続した場合は、手を変え品を変え、言論弾圧法案が矢継ぎ早に提出されるだろう。今ブロガーが頑張らないと、確実に恐怖政治が日本を覆うことになる。

 (2)ブログやメルマガに権力規制が入ると正しい情報が死滅する

 もう少し管理人の思いを披瀝する。今の日本は言論・思想表現の自由において、大変危険な状況に差し掛かっている。表現の自由や正しい情報の発信を、権力によって封じ込まれる社会は、オーウェルの「1984」に描写されるように、窒息しそうな暗黒社会となり、国家権力の暴力性が突出する北朝鮮のような社会となる。案外国民は意識していないが、この日本はすでにかなりの情報統制国家になりつつある。ネオリベ政策の導入によって、国家を脆弱化させ、極端な傾斜配分社会によって、国民生活を真の逼塞状に追い込んだ権力筋は、あと一息で完全な統制社会の実現に持って行こうと策謀をめぐらしている。

 国民を完全な支配下に置くためには、情報を統制し、国民側からの情報発信機能を潰して置けばいい。それには、やりかたが二つある。一つは武力で国民を脅して言うことを聞かせる武力革命の方法である。この方法は民主主義を自認し、民度の高い日本人には通用しない。もう一つの方法はメディアを権力筋が完全にコントロールすることによって、国民の口をふさぐ方法である。現在、置かれている日本の危機は、この方法が陰険に行われているところにある。植草一秀さんを含め、国策捜査が小泉政権以降、頻出したことがその証左である。誤まった国策を指弾する有識者は、逮捕されるかメディアから遠ざけられている。

 小沢民主党の政権与党化が実現しそうになった今日、売国構造改革派は、なりふり構わず国策捜査を開始して、小沢一郎氏個人の影響力を排除する方向にいっせいに動き始めた。しかし、国民はこの政治謀略的な作戦にうすうす気付いている節がある。テレビや新聞が、既得権益持続派にコントロールされている胡散臭さが目だってきている。しかし、インターネットのブロガーだけは、この動きに巻き込まれず、超然としてことの真相を冷静に分析して、日夜、表のメディアの裏側を書き続けている。

 ブロガーの長所は何物にも影響されずに個人的発信が出来ること。だがそれは同時にブロガーの欠点でもあり、共同体的結束が生まれずに孤立していることでもある。だから、権力が法の網をブログにかけて、政権批判、大企業批判、外国資本批判などができなくなる状況は何んとしても防ぐ必要がある。そのためにはブロガーは結束して声を上げる必要がある。言論表現の自由に対するブロガーたちの統一した見解は、それを叫ぶことによってりっぱな世論となる。これは強大な力である。官憲は世論を無視できないのだ。ブロガー同志の結束した意思表明は、言論封鎖を企む悪意に対して有効な闘争手段となる。

  (3)政治ブログが潰されたら日本は、翼賛体制を加速し警察国家に変貌する

 私に限らず、上述したような憂慮を持つブロガーは多い。「ワールド・ブロガー協会」の設立を記念して、今月の21(火曜日)に開始記念講演会を都内で開く。今、権力筋は大多数の国民を徹底的に貧乏にして、被搾取階級に落とし込み、徹底的に支配しようと企んでいる。その尖兵的政策を導入したのが小泉政権であった。この勢力は構造改革と銘打って、一部の富裕階級や外国資本のために利益供与を行い、社会の再配分機能の永久停止を目論んでいる。そのために、権力の走狗と化したテレビや新聞の報道はすっかり御用メディアと化して国民に不利益な誘導報道ばかりをやる。国内大手メディアはすっかり大本営化しており、小泉・竹中構造改革を継続しようと画策する既得権益派はメディアと一体となって、日本を完全な翼賛体制下に誘導しようと必死である。
             
 彼らにとって最も目障りな報道媒体は、今では政治などの社会時評系ブログであろう。せっかく大手メディアで国民に対して真実を知らせない報道管制システムを構築したにもかかわらず、ネットではブログと称する自由な情報伝達媒体が猖獗(しょうけつ)をきわめ、権力筋が必死に隠そう、隠そうと注力した重要情報が、ブログを通じて世間に流布されるケースが著しく増えてきた。同時に、大手メディアの作為的な誘導性を論理的に分析しているメディアリテラシーの優れたブログもどんどん増えている。

 しかし、ネットへの監視の目は年々強くなっており、それは社会正義の衣を着てはいるが、本音は政権批判を封じる魂胆がある。これが法制化された場合、日本国政の歪曲は是正できなくなり、暗黒国家に突入するだろう。児童ポルノ禁止法案は、写真を保持するだけで処罰対象になるように改正されようとしている。この形を政治ブログへの規制に転用した場合、政治批判そのものが、名誉毀損とか人権擁護の目的で処罰対象にされかねない。つまり、言いたいことが言えなくなる。民度の高い法治国家とは、庶民が自由に権力批判や政治批判ができることにある。政治批判が封じられ、官憲が強度の暴力性を帯びた場合、日本は警察国家に堕してしまう。

 (4)ブログは有効な情報発信ツール

ブログの歴史を紐解いてみると、いろいろ興味深い発展史があると思うが、現在のようなブログが国民的に普及したのは、たかだか10年以内に過ぎない。それ以前のネット・コミュニケーション・ツールはHPの中の読者投稿の一コンテンツが発達した掲示板が主体であった。しかし、掲示板は管理者の思惑とは異なり、悪意を持つ投稿者が(荒らし)が出現すると場が荒れるという大きな欠陥があり、たとえば人気の高い高品質な書き込みがあっても、それを阻害する力を制御しにくい状況があった。それに加えて、書き込みが増えるごとに、有用な記事、品質の高い記事が過去にどんどん流されてしまうという、掲示板ならではの原理的な欠点があった。

 そこで自然に登場したのが、ウエブログを略したブログという表現ツールである。これもエントリーごとに更新すれば、題材は過去に流れるが、過去ログは掲示板よりもはるかに見やすく検索もしやすい。ブログがどの時点で爆発的に普及したのかわからないが、調べてみると911同時テロ事件の後から、その津波現象は全世界に伝播した可能性がある。衝撃的なあの同時多発テロ事件は、当然、予想を超えるアクセスがニュースサイトに殺到した結果、サーバーがパンク(オーバーロード)してしまい、そのニュースを正確に写し取っていたブログに人々が集まったらしい。

 こういうことが、ブログのニュース発信機能の高さを証明した形になり、以後、どんどん世界にブログ浸透の津波が伝播した。ブログは掲示板と異なり、ブログ発信者の思想表現、あるいは感想がそのまま完結的に描写されていくという、個人の小宇宙(ミクロ・コスモス)が形成されるため、またたくまにネットユーザーの日常性として根付いた。

 人間にとって、自己の内面表現(ミクロ・コスモス)が、視覚的な文字と画像で容易にパソコンや携帯画面に反映されるという現実は実に魅力的であり、これを不特定多数の他者が閲覧できるというトポス(場)を自分が自由に構築することは、明らかにコミュニケーション革命である。ブログやSNSが今日のように発展することは当然のことだったかもしれない。

 ネットはただの備忘録的な日記から、思想、政治、社会時評、趣味、芸能人ブログ、政治家ブログ、情報伝達と、考えの及ぶかぎり、ありとあらゆる広域なジャンルにわたって普及した。

 しかし、ブログならではの性格や特殊性から、既存メディアでは滅多に発生しない深刻な問題が頻出するようになった。たとえば個人情報の流出問題、人権侵害、肖像権問題、極悪な犯罪としては、幼児ポルノ画像や個人女性の裸体写真などの流出は深刻な社会問題となっており、経済的には企業に対して事実無根の悪意ある名誉毀損などが出てきた。

 これらは深刻な犯罪であるから、当局が法に基づいて厳しく取り締まる必要があるが、ここに本記事が提示する大問題が出ている。戦後六十余年を経過した今日、経済的には大量消費経済という、アメリカの模倣国家を目指して進んできた日本は、日毎の情報摂取の窓口を、主に五大新聞とテレビに依拠してきた。ところが、日本の大メディアは日本の国家構造と同じで、アメリカに都合の悪い情報はいっさい伝えられない仕組みが頑強にでき上がっている。アメリカのプレスに沿った報道はいくらでも自由にできるが、アメリカの国益と真っ向から対峙するような報道はメディアの自主規制によって巷間には流れないようになっている。

 我々日本人は、プレスコードなる報道規制は、占領期の昭和27年(1952年)までであり、それ以降は憲法第21条に則って思想表現の自由は、かなりの自由度を以って満たされてきたという感慨を抱いているが、それは完全なる共同幻想である。事実は江藤淳氏の言う『閉ざされた言語空間』が厳然として継続中である。その一例は在日米国大使館のHPに“公開”されている『年次改革要望書』が、日本の国内メディアではいっさい取り上げられていないことである。その理由はメディアがこれに対して強い自主規制をかけているからだ。

 戦後の「閉ざされた言語空間」は、日本が隷米構造を強くするほど強くなっていき、米国の傀儡政権であった小泉政権では、メディアが完全にアメリカの大本営と化していたことは記憶に新しい。では現在の麻生政権はどうだろうかと観た場合、メディアは同じ構造を続けていると考えざるを得ない。

(5)最後に

   最後に、日本を憂慮するブロガーたちは、声を合わせて権力筋の言論封鎖に対抗する必要がある。そのためには心を合わせて、ネットでも、現実の場でも、国民の言論弾圧をたくらむ胡散臭い法案は絶対に成立させないように、ブロガー同志の強力な場(トポス)を形成する必要がある。ブロガーは無自覚であるが、現在ではブログ発信は表のメディアや政治に対して、強力な影響力を有している。それくらい、ブログは市民権を得ている情報媒体になっている。

 難しいことではない。個々のブロガーが、小泉政権のような反国益的政権がかならず行う言論弾圧に、強固で正鵠を射た批判や糾弾を続けることである。また、ネットブロガーは表の御用メディアに洗脳されている人々に対しても、目を覚ますように働きかける効果があることを自覚して欲しい。

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2009年4月10日 (金)

2020年には実質GDPを120兆円押し上げると麻生総理の発言(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第160弾です)

 昨日(4月9日)に麻生総理は日本記者クラブで講演をし、2020年には実質GDPを120兆円押し上げるとの目標を示した。今までの、政府の目標は財政健全化ばかりで、デフレ時での財政健全化の目標は経済を縮小させ、国を貧乏にするだけで全く馬鹿げたものだっただけに、今回総理が経済拡大の目標について触れたのは評価できる。

 昨日の報道ステーションでは古館伊知郎氏がさっそくこの数字にコメントをしていた。120兆円拡大なんて、できるわけないというコメントであった。古館氏は経済が全く分かっていないことが再確認された。たった120兆円なのかと批判するなら彼を評価できたのだが。今回の経済危機で2008年度で-4%、2009年度でー6%の成長だと言われている。ということは合わせてー10%、つまり50兆円を失ったわけだ。120兆円だけ拡大ということは2007年から13年かけて、差し引き70兆円(120―50=70)しか拡大しないということだ。これは年率約1%の成長を意味する。こんな低成長を目標にしている国は世界中捜しても日本しかいないだろう。これでもまだ高すぎると発言した古館氏の経済音痴にはあきれ果てた。

 一方では麻生総理は、アジア経済を2020年までに2倍にすると言った。2009年から2010年までに経済規模を2倍にするには年率6.5%の成長でよい。この程度の成長なら日本が足を引っ張らなければ達成可能だろう。特に中国はそれ以上を考えているだろう。もっとも、日本が1%成長なら、日本以外は10%を超える成長にしないと達成しないのではないか。なぜ、日本だけがアジアの中で他地域の10分の1の成長しかできないのか納得できない。日本は成熟した国だから成長できないとでも言いたいのか??成熟などしていない。一人当たりのGDPでは先進国では最低なのだから、まだまだ未開発だ。

 今回の15兆円の景気対策だが、ばらまきだとの批判、財政悪化への批判等、マスコミの批判はいただけない。この100年に一度の経済危機に、たった15兆円しか出さないのかと批判すべきだった。麻生内閣の過去3回の経済対策での財政支出は12兆円で、これがGDPを1%押し上げる効果があったと内閣府は発表した。1009年度の成長率はー6%程度と言われているので、もし何もやらなかったらー7%成長になるところだった。―7%よりー6%の方が確かによいのだが、額が足りなかったのは明らかだ。国民の苦しみを政治家は理解しない。中国は日本の6割のGDPしかないのだが、57兆円の景気対策を打ち出して、すでに効果を上げている。中国・上海の株価は昨年比30%も上昇した。日経平均は0.6%の上昇にすぎない。

 要するに豊かになりたかったらお金を刷りなさいということだ。国債の大量発行により金利がじりじり上がる。といってもまだ1.4%レベルだから全く心配ない。本格的に上がってきたら、日銀が国債を買えばよいだけだ。それをやらないと、日本は際限なく貧乏になってしまう。

 今回の補正予算を見ても、1年限りにして、その後は財政健全化に走ろうとしているのが分かる。今年以降の負担の増加につながるものは徹底して補正から除外している。例えば、公明党が重視する高齢者医療費負担引き下げは盛り込まなかった。公明党の中には「衆議院選応援に力が入らなくなる」との声さえあるのに、自民党が強力に反対したのは、翌年度からの負担は徹底して抑えようとしている表れだ。自民党は何を考えているのだろう。たった15兆円の財政出動を1年間やれば、日本経済は立ち直るとでも思っているのだろうか。その後に消費税増税で財政を立て直すとでも言うのか。

 本当に気は確かかと言いたい。今回15兆円の財政出動ということは、前回の12兆円と大差なく、GDP押し上げ効果は1%を若干超える程度なのだろう。08年度と09年度で合計10%のGDPを失ったことを深刻に考えているのだろうか。外需が無くなった分を内需で全部補うのは無理だと与謝野大臣は言う。それは申し訳程度の財政出動なら無理だ。お金を刷ることはしないというのなら難しいだろう。しかし、すべての国には通貨発行権がある。中国はそれを早々と利用して順調な経済拡大を続けている。日本だってできないわけがない。

 日本は国の債務のGDP比が高すぎるから、もう国債発行は限界だという説がある。しかし、それは違う。国債発行には上限は無い。これは借金というより、お金を刷っているわけだから、現在刷っても将来刷れる額が減るわけではない。いつでもいくらでも刷れる。大規模な経済対策でGDPが増えれば債務のGDP比は下がる。しかも税収が増えるからなおさらだ。今こそ財政健全化を忘れ、ひたすら経済拡大を目指すべきだ。1%成長でなく、名目で数%成長が世界標準だし、再び豊かな日本経済を取り戻すための必要不可欠な成長率である。それが唯一の財政健全化の道筋でもある。


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2009年4月 8日 (水)

米軍への思いやり予算は名称を“みかじめ予算”と変更するべき

米軍への思いやり予算は名称を“みかじめ予算”と変更するべきだ

 思いやり予算とは、日米安保や日米地位協定で特に取り決めがないのに、いわゆる日本側の「思いやり」で、毎年、駐留米軍に、住宅建設費用、施設維持費用(光熱費等)やその他にかかる費用を負担することである。防衛省公式サイトに寄れば、1978年当初は62億円だったものが、2007年には2173億円、じつに35倍に増額されている。最も多く支払われた年度は1995年であり、なんと2714億円になっている。噂では公称予算は控えめな数字であり、実際は毎年5000億円くらいの税金が使われているという話もある。

 1978年といえば、終戦から既に33年も経過している。東西冷戦の中で米軍の軍事力の傘下にすっぽりと入っていた日本が、軍事防衛を日米安保に託したことが、経済成長の追い風となっていたことは否めないが、国外からの収奪を旨とする大国に軍事防衛を任せた結果がどうなるか、もっと早く予想して置くべきことだった。軍事的国防という最も大事な国家の責務を、金を出して他国に任せておくという状況が、次代を担う子供達の教育にとって、どれほど悪影響を及ぼしているか測り知れないものがある。

 当初、米国は日本に軍事力を絶対に持たせないという強い意志があり、戦勝国として、占領期に徹底的な刀狩りを行った。それは東京裁判史観という日本人の精神洗脳の領域までに及ぶ徹底したものだった。ところが、日本が米国の思惑に相違して、急速に経済回復を遂げたばかりか、世界第二位の経済力を有するようになったのを見て、自国の産業や雇用を防衛するという意味では、スーパー301条のようなもので日本を攻撃したが、不平等条約である日米安保条約をうまく利用すれば、日本から莫大な金をむしりとることができるのを知って、何かにつけて宗主国の強みで金を無心していた。

 払い下げのようなアメリカのお古である戦闘機やミサイル、その他の型落ち軍事兵器を高額で売りつけられることもそうだが、思いやり予算は、目に見える用心棒代である。金丸信が、外見上、ヤクザ国家アメリカにむしりとられる形態を嫌って、日本から主体的に思いやりというねぎらいの形で「思いやり予算」と名づけたこの支出は、事実上の用心棒代なのである。植民地が宗主国に支払う「みかじめ料」が毎年数千億円である。これが血税で支払われている。占領状況を思考停止するために、「思いやり」などという馬鹿げた言葉でごまかす為政者も、それを容認する国民も狂っているとしか言いようがない。

 アメリカが好景気に沸いていた時も、この多額な税金は米軍に流れていた。その一方で小泉政権は、福祉予算をこのみかじめ料と同規模で削減し、その代償行為として増税の道筋を整え、麻生政権になっても、与謝野大臣辺りが中心となって増税路線に向かっている。老人医療問題や母子家庭援助、身体障害者など、生存権を維持するために適正な法的保護を必要とする人たちに思いやり予算を計上すれば、それだけで効果的なセーフティネットになる。ところが為政者にはそういう発想は微塵もない。

 小沢一郎氏が第七艦隊発言をして、CIA筋や売国構造改革派に国策捜査を仕掛けられたのは、小沢政権が実現すると、日本が米国のガマグチ国家となっている体制を根本から変える危険を感じたからだ。日本が軍事的自立の第一歩を踏み出せば、アメリカは日本からのみかじめ料が途絶えることになり、小泉政権を使って、せっかく敷いた日本の国富移転システムが破壊されてしまうことになる。 

 小泉・竹中売国構造改革路線は完全に絶つ必要がある。今、この売国路線を継続しようと企んでいる、清和会を中心とする勢力は、表面上は小泉政権を糾弾するように見せかけて、その実、第三極という偽装的な刷新勢力を立ち上げて国民を騙すような気がする。従って、小泉・竹中構造改革路線は政策上の誤りという表面的な責任追及でお茶を濁されている状況だ。一つ考えられることは、小泉・竹中路線の理論的支柱を担った高橋洋一氏が窃盗事件で事実上、口封じを行われていることだ。高橋氏のように構造改革路線の真相を知る人間を潰しておけば、構造改革の売国性は追求されずに済む。

 そうなれば、小泉政権の構造改革路線は正しい政策だったが、一部行き過ぎたせいで格差が広がったという、誤まった修正主義が国民を納得させることになる。騙されてはいけない。麻生政権が口に出す構造改革推進は、小泉・竹中路線の踏襲ということになる。つまり、麻生政権は政権が存続したら、今までの従米政策路線は何も変わらないということである。国民は毎年米軍に貢がれている「みかじめ予算」を永久に続けるべきだと思うのだろうか。

 子供達は国に誇りと自信が持てなくなり、福祉は削られて空洞化、老人や弱者の生存権は線香花火のようになる。そんな情けない生活舞台が国家と言えるのか。このままでは日本が北朝鮮化して行くだけだ。ある意味では北朝鮮よりもひどい国になる。国民の稼ぎは宗主国に吸い取られ、北朝鮮のようなチンピラ国家にはミサイルで脅されて何も言えず、怯えた顔でアメリカの顔をうかがっている。これ以上情けない状況があるだろうか。

 麻生自公政権を存続させることは自滅的行為である。アメリカの言うがままに、国民の大事な資産を、湯水のようにアメリカに移転させてしまうような国賊政策と、一部の富裕者に富が集中し、国民が貧乏に喘ぐような国策が今後も続くことになる。アメリカは日本から膨大なみかじめ料を取っているが、いざというときに日本を守らないことは明白だ。何のためにアメリカに金を払い続けるのかということをこの辺で深く考えるべきである。

 金で国家の軍事防衛を他国に頼むなどということが如何に異常であるか考えた方がいい。オバマがチェコのプラハで、米国が率先して核軍縮に臨むという演説をぶち上げた。核大国のアメリカが今の時期にこれを言ったことは胡散臭いことこの上ない。核を持つものが自国の核を捨てるはずがない。自分達は持ったまま、今後の世界の核武装は絶対に認めないという表明に等しい演説である。この演説は北朝鮮の核の脅威に対して、日本が核武装論を提起しても当然の状況に至っていることに対する牽制としか受け止められない。オバマ演説は明らかに日本に対する牽制である。

 テロリストが核を持ち込んだら、核の相互確証破壊(MAD)は無効化しているという意見もあるようだが、国家間の軍事力学は依然として有効であることからMADは有効である。特にアメリカ、北朝鮮、ロシア、中国に対しては絶大な有効性を持つ。国土の大小は関係ない。核に対して高度な平和理念によって核武装の解除を願うのは理想だが、現実には、そのガンジー主義が有効ではないことが戦後の60年に現れている。九条理念で核武装国家に立ち向かうのは最も愚かである。

 日本核武装論が国内コンセンサスを得たとしても、米国が絶対にそれを許さないという話を聞くが、もしそうなら、米国に堂々とその理由を国際舞台で問いかければいい。米国はそれを説明できないだろう。米国は日本の独立を望んでいないから、憲法九条に交戦権を賦与して通常戦力による戦力は与えたいと望んでも、日本の核武装は望まない。理由は宗主国の地位を失うからだ。米国が通常戦力を日本に望む理由は、自衛隊を米軍の傭兵戦力にして世界で戦ってもらいたいからだ。

 今の状況下で九条改憲は危険である。国民は自衛隊がアメリカの戦争経済ために血を流すことは望まないはずだ。それなら道は一つである。憲法九条改正と同時に、核武装も米国に認証させることしかない。これなら、米国も日本に傭兵派遣を命令し、恒常的に膨大な日本資産を収奪することができなくなる。九条改憲と同時に核武装をやらない限り、日本の自主独立はないと思うのだがいかがだろうか。

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2009年4月 6日 (月)

「ルポ 貧困大国アメリカ」を読んでみて

堤未果さんの「ルポ 貧困大国アメリカ」は目の前に迫った近未来日本の姿

Photo  最近、堤未果(つつみ みか)さんというジャーナリストの書いた「ルポ 貧困大国アメリカ」という本を読んだ。これには新自由主義によって、アメリカに凄まじい社会変化が生じ、その中でも極限的な階級格差社会が、どのように非人間的な現象をもたらしているか、わかりやすく書いてある。アメリカの格差現況を記した本は多々あるが、堤さんのこの著書は群を抜いて理解しやすい。

 急増するワーキングプアーや無職者たち、アメリカ社会は今、かつて日本や他の国々が憧れた豊かな中流家庭はどんどん低所得者層へ低落している。筆者は言う。サブプライムローンは単なる金融の話ではなく、過激な市場原理が経済弱者を生み、その経済弱者が「貧困ビジネス」によって、とことん食い物されてしまった話でもあると。

 日本でも派遣切りの悲惨さに見られるように、日本国憲法第25条に謳われる「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」が崩れかけている。小泉政権やその踏襲政権が敷いたネオリベ構造改革という格差路線は、日本がアメリカに次いで貧困大国へ歩んでいることを如実に示している。筆者は鋭く問いかけている。「教育」、「いのち」、「暮らし」という、国民に責任を負うべき政府の主要業務が徹底して民営化された時、はたしてそれは国家と呼べるのだろうかと。

 小泉・竹中構造改革路線のように、セーフティネットを故意に外し、大企業や外資を優遇して一般国民は低所得と増税で青息吐息にする政策は、国家のやることなのだろうか。経済的構造変遷で言うなら、日本はアメリカとほぼ同様の動きになっており、国民が不幸になる経済格差が顕著になっている。この格差社会の果てに何が待ち受けているかを見るなら、それはアメリカ社会を見ればわかる。

 ネオリベは国家経済を極端な傾斜配分にするだけじゃなく、政府の矮小化、すなわち無政府主義に向かう性格を持つから、文化、生活、教育など、すべてが極小化し、社会の安全や道徳は消滅していく、絶望的な社会に陥ることになる。私は小泉政権の重要閣僚が、構造改革の政策原理をけっして新自由主義だとは説明しなかったことが、最も悪質だったと何度も言っているが、それは新自由主義による構造改革を行って、失敗した事例が過去に多くあるからである。

 これは国民が専門的に国際政治を知らずとも、ニュージーランドや南米各国の事例に目を投じれば、構造改革の危険性に待ったをかけた可能性は高いのである。過去の失敗事例を見て、小泉・竹中構造改革路線のいくつかの政策を注視するだけで、この路線がいかに国民生活にダメージを与えるものか、帰納法的にすぐに気が付いたはずである。しかし、メディアもエコノミストたちも、その肝心な点を指摘することはなかった。

 しかし、非凡な洞察力を持つ植草一秀さん、紺谷典子さん、森田実さん、内橋克人さんなど、ごく少数の有識者たちが警告を発していたが、メディアは彼らの登場を許さなかった。国民の多くは、この政権が新自由主義であったことにうすうす気づいたのは、政権が終わったころだった。しかし、これを国民の愚昧さに帰趨させることはできない。悪いのは当初から国民を騙した小泉自公政権と、それに追随したマスメディアである。しかし、もっと悪いのは裏から日本をネオリベ構造に変えるように目に見えない圧力をかけた米国政府筋である。もっとも、米国政府筋も、もっと上の支配レベル(奥の院)に従っていることは明白であるが。

 サブプライムローンからリーマン・ショックが発生、世界金融危機の世界波及で、OECD各国の株価は軒並み低落したが、金融危機の張本人ではないはずの日本が最も株価の下落を受けたことにショックを受けた人は多い。それもそのはずで、日本は小泉政権以降、二重の意味で国力低下を招いていたからだ。一つはネオリベ政策によって、主な企業に外資が侵入した結果、企業コード(企業ガバナンス)が非日本的に変えられ、青い目の株主に利益誘導され、社員に再配分が行き届かなくなったこと。もう一つはデフレパターンが改善されない中で、国富が外資に移転してしまったからである。

 外資の強欲のおかげで、必死に働いても報酬が得られない仕組みに変わった。小泉政権、踏襲政権は、構造改革や郵政民営化を呼号しながら、裏では日本を叩き売っていた。

 問題の根っこにグローバル資本主義

 グローバリズムというのは、国家間の国益エゴのぶつかり合いや市場の固有性を超え、全体として、地球上の一つの市場システムをいう場合が当初のイメージだった。これは一見、全地球的な相互依存システムを連想させ、世界はいいものだという空気があったような気がする。しかし、その実態はいいものどころか、市場の弱肉強食を助長し、世界中に格差社会をもたらし、各国の文化毀損や大勢の貧困化をもたらした。グローバリズムとは、具体的には、企業、金融、資本の移動に関する規制緩和や自由化を指し、インフレの抑止を名目にして緊縮政策などを行う。

 グローバリスムは、新古典派とも言われる新自由主義(ネオリベラリズム)をベーシックにした超国家主義的な経済原理を言うが、そのイデオロギー的基盤は、各国政府の干渉を極度に排除して「小さな政府」を実現させ、各国の市場経済をグローバル(全地球的)な世界に開放することである。この思潮の根幹には経済を市場原理に任せれば、そこには“神の見えざる手”という素晴らしい自動調節機構が働いて、理想的な経済状態が実現するというものである。規制緩和の方針はグローバル・スタンダードという、いかにも世界のコンセンサスを取り付けた世界標準であるかのような言い方をしているが、これはあくまでも米国のローカルな基準であり、世界普及させる必然性はない。

 調べてみると、どうもグローバリズムの事の起こりは1989年以降のようだ。この年にベルリンの壁が崩れ、ソ連という巨大な軍事帝国は自壊した。東西冷戦は幕を閉じ、アメリカは世界戦略を軍事ヘゲモニーから経済ヘゲモニーへシフトした。この年から、世界は資本主義優勢の共通認識を世界に与えたが、その資本主義もそれ以降急速に変質していく。1989年はソ連の自壊によって共産主義経済は衰滅し、これを契機に資本主義経済は新古典主義的傾向を強めていくことになった。

 アメリカでは、ワシントン・コンセンサスという、新自由主義を柱とするグローバル資本主義のベースが生まれた。実態はアメリカ主導の国際経済秩序であり、金利の自由化、貿易の自由化、直接投資の自由化、民営化、規制緩和などが進められる市場原理主義である。しかし、体制変換後のロシアや通貨危機の後にIMF傘下に置かれた韓国は、ひどい不況に喘いだ。タイでは“血まみれのバーツ”などと言われ、新自由主義が中南米やアジアにもたらしたものは、よりひどい経済の荒廃だけだった。

 グローバリズム、米国がこれを主導し、自由な開放経済として、それを各国へ推し進めた結果、超格差社会という限りない不幸だけが現出した。国際市場に神は存在せず、そこには国際金融資本というハゲタカの魔物が降臨していた。貿易収支で考えれば8兆ドルで済む世界経済は、ハゲタカたちの用意した300兆ドルの浮動マネーによって、暴風雨のように荒らされた。金融資本主義という虚業世界の魔物が、グローバリズムという開放経済に乗って世界中を席巻し、収奪し、すべての豊かな土壌を荒廃させた。この暴風雨が去った後には何も残っていなかった。

 金融資本主義とは通常の意味における経済ではなく、現代の非道な搾取経済である。少数者が多数者を支配し、奴隷化する最悪の制度だと思う。朝生で、世耕弘成氏と「もやい」の湯浅誠氏がワーキング・プアーの問題で対論する場面を見たが、この対戦こそ新自由主義にどっぷりと浸かった者と、人間の命や尊厳をベースに考える者との象徴的な対談だった。派遣労働者について世耕氏は、「スキルをアップさせることが重要」と何度も繰り返した。湯浅氏は「それが出来る状況じゃない」と怒っていた。

 つまり、ネオリベ信奉者は自己責任原則でセーフティネットは不必要だという論法だ。個人の才覚と頑張り次第ですべては解決可能だという前提だ。この世の中、生きる目的を競争だけに特化して何が楽しいのかと思う。他人を蹴落として得られる満足感などたかが知れているし、いずれは自分が敗者となる。そのような安息のない社会でどうやって人間らしさを保てるというのだろう。新自由主義の問題は、競争原理が初期の不公平の状況から作動するから、初期段階で持てる者と持たざるものの勝敗が決定していることにある。まるでニュートン力学の運動方程式のようだ。初期条件で運動の帰結が見えている。

 政治学で言えば世襲政治家もこれに似ている。彼らは親の地盤という初期条件で政治家になっている。彼らに格差で苦しむ人間の気持はわからない。階級格差社会を作った小泉元首相が世襲を根回しして議員生活にピリオドを打つことは特段不思議ではない。それも階級社会の一つの性格だ。国民を騙して二極分化社会を作った人間にふさわしい行為である。

 デフォルトで不公平が発生しないように規制を設けるのがセーフティネットである。それを破壊した場合、資本強者の一人勝ちになる。雨宮処凛氏は、資金力のない無職者が、たとえ就職が決まっても、最初の一ヶ月を生活していく資力がないことは、自己責任論では絶対に解決しないと言っていたように思う。敗者が生存権を強制的に放棄されてしまう社会制度を作ったら、国家存在の意味がない。事態はそこまで進んでいる。清和政策研究会は最悪の連中である。彼らはネオリベ信奉者であり、アメリカの要求に盲従するやからでもある。彼らの政策思想が生き残るようであれば、日本は壊滅的状況になることは必至だ。

 堤未果さんの「ルポ 貧困大国アメリカ」によると、アメリカでは2005年8月にハリケーン・カトリーナが襲来し、ニューオリンズ市は八割がたが水没した。ブッシュ大統領はルイジアナ州に連邦非常事態宣言を発令し、その時の適用地域のリストには被害のひどかったニューオリンズなど、州南部地域は含まれていなかった。ルイジアナ州の知事が救援要請したにも関わらず、ブッシュは無視したそうだ。その結果、FEMA(連邦緊急事態管理庁)は何も動かず、ボランティア消防隊員の活動も制止した。

 クリントン政権時代はFEMAに自然災害優先プログラムを設けて予算を投じたが、2001年のブッシュ時代に、この災害対策を実質上、民営化組織にしてしまったことが、カトリーナの救援活動を遅らせた要因であると書いている。関係者は国民の命に関わる部分を民間に委託するのは間違いだったということを指摘した。堤さんの本を読むと、民営化や規制緩和が大企業や一部の富裕層のためにしかなっておらず、新自由主義が実行された社会は悲惨な底辺層が生まれることを淡々と書いている。アメリカの最悪な医療制度も近未来の日本の姿だ。

 詳しくは「ルポ 貧困大国アメリカ」に新自由主義の成れの果てがどうなるかということがリアルに書かれている。これを読むと日本の構造改革が何を目指しているのか、如実に見えてくる。アメリカの超格差社会は明日の日本の姿である。

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2009年4月 5日 (日)

全世界で500兆円の財政出動?(小野盛司)

(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第159弾です)

 日米欧に新興国を加えた20カ国・地域(G20)首脳会合(金融サミット)は2010年の世界経済の成長率を2%に回復させるため参加国の10年末までの財政出動が500兆円にのぼる首脳宣言を採択した。500兆円と言えば威勢がいい。さぞ立派な合意ができたと、各国首脳は鼻高々なのだろう。

 しかし、おや?と思った人はいないだろうか。500兆円と言えばGDPの約10%で、よく決断したものだと思う一方、各国がGDPの2%の財政出動をしようという米国の呼びかけには断固反対した。どこかおかしいと思うのが当然だろう。たった2%を反対したのに10%に賛成したのだ。

 実は500兆円という数字、具体的に誰がそんなに出すのか明記されていない。つまり、自国が出さなくても、自分の責任ではないと言い切れるのだ。すべての国で2%出せと言われれば猛反対する。しかし、すべての国の平均で10%というなら自国には何の責任も無い。それなら10%でも20%でも気軽に同意できるという、まやかしの数字が「500兆円財政出動」の実体だ。

 4月4日の日経新聞には、各国がどれだけ財政出動をしようとしているかのリストが載っている。

Photo

 これを見れば、500兆円財政出動という宣言が欺瞞的なものであることがよく分かる。GDP比で10%の財政出動をやろうなんて言っている国などどこにもいない。平均で僅か3.7%だ。これで100年に一度の経済危機から脱することができるのか心配だ。 
  
 世界の経済情勢の急変に伴い、経済予測も急激に変化していて、世界経済の将来予測など誰にも分からない。内閣府は昨年12月には2009年度の日本の実質成長率が0.0%であると発表したが、今年の3月にはIMFが-5.8%と予測、OECDは-6.6%と予測した。内閣府も今月には、下方修正した数値を発表すると言っている。これは集団心理のようなものだ。何か小さなきっかけが増幅され、急激な悪化・改善の発端となる。500兆円という数字(口先介入の一種か)に騙されて世界経済が回復に向かってくれればよいなと願うばかりである。

 世界大恐慌の時を思い出すがよい。金本位制を廃止して、お金を刷った国から景気が回復していった。金本位制である限り、十分なお金は刷れない。政府保有の金に限りがあるからである。本格的な景気回復は戦争によってもたらされた。今回戦争は無いだろう。今回の不況脱出は本当に可能なのか。まだ世界大不況の第一幕が始まったばかりなのか、それともすでに終盤なのか。今回もお金を刷った国から景気が回復していくという状況は変わらないだろう。今一番お金を刷っているのは中国であり、8%成長を目指している。今月の内閣府の発表を見守りたいが、日本は-6%成長を目指しているのだろうか。

 中国は、金融サミットでも存在感を増していた。ドルに代わる基軸通貨を育てようとしている。どんどんお金を刷って、世界中から富を買いまくりたいのだろう。お金を刷らない日本など丸ごと買ってしまえばよいと考えているのではないか。なぜ、中国にやりたい放題にさせるのか。

 我々の提案は、世界各国が協調して「お金を刷る」ことだ。世界各国がGDPの10%の政府紙幣を刷って、中央銀行に納めて歳入とすればよい。政府紙幣は流通させず、各国の中央銀行の金庫にしまっておけばよいだけのこと。日本経済復活の会では2回の質問主意書で繰り返して政府にこのことを進言したが、それに対する政府の明確な回答は無い。

 ヨーロッパは財政の悪化を心配して財政出動に後ろ向きだ。悪くするとこれが世界経済の回復を送らせるのかもしれない。政府紙幣発行によって財政を悪化させずに財源の確保ができれば、世界各国は安心して経済対策を行うだろう。世界経済回復の特効薬になる。特定の通貨の信認が失われるということもあり得ない。大変なメリットがある反面、問題点などどこにも見あたらないのだ。

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城内みのるさん応援サイトへ日本に希望を与える信念の男、城内実

小野盛司氏の日本経済復活シリーズ・インデックス

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2009年4月 4日 (土)

農場家畜を脱するには、自分が家畜化している現状認識が最初!!

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  確かにアメリカの軍隊には、『貧乏人は金持ちの盾』という側面がありますね。でもその一面だけで、貧困層が軍隊に吸収される傾向が、一概に、悪いとか間違っている、というものでは無いと思います。

 貧困層には、学校教育が受けられず、家庭も崩壊し、世の中に対しての不満は高く、ギャングになるしか’生存’できないような境遇の人がたくさんいます。貧困層でなくとも、アメリカは教育費が高く、学位を取って良い職を得たとしても、あとは学生ローンの支払いのため、必死で働かなければならない、という人が多いと思います。

 軍隊に入ると、教育はどこまで上っていっても全額支給、除隊したあともVA (退役軍人会)システムに組み込まれ、全米どこにいても最高の医療を受けられるようになっています。アメリカでは65歳以下の20%弱、18-24歳では3分の1近くが全く健康保険を持っていないことを考えると(健康保険は加入していても、サービスの程度はいろいろと違いがあります)、これだけでも大した恩典です。

 また軍隊生活では、当然ですが、徹底的に鍛えられます。ですから、家庭教育も何も無い出身でも、普通の人以上の鍛錬と教育がタダで受けられるのです。給料は確かにあまり良くないようですが(将校のことは知りません)、十分な専門教育を身に付け、人脈を培い、退役後起業して成功したり、色々な分野で活躍し、地域社会での指導的立場に上る人もたくさんいます。もちろん身を持って国防に尽くしたわけですから、社会では尊敬されています。(日本の自衛隊とは雲泥の差ですね。どうもアメリカ人は国際的に比較しても愛国心が高いようで、普通の人と会話しても、現在の日本の感覚でいうと、まるで極右のようです。)

 将来になんの希望も無い生活環境で、重大犯罪者で生涯を終えても不思議ではないような境遇から、これほどのチャンスと恩典が得られるわけですから、本人にとっても社会にとっても、メリットは多々あると思います。

 他にも新しく移民して来て市民権を得たような人は、積極的に入隊し、コミュニケーション・スキルから職業訓練、人脈・信用を得、退役後もFederal Governmentの公務員になる等、就職には大変有利で、軍隊に入るメリットは、非常に大きく重要なものです。

それと、アメリカの中間層は減って来てはいますが、消えたわけではありません。

 日本人は全般に教育程度が高いので、もう少し人任せ、お上まかせでなく、自分のことは自分で面倒をみる、政治にも国防にも、もう少し当事者意識を持って、日本が本当の意味での国民国家、民主国家になれば「鬼に金棒なのに」、とちょっと残念に思います。

 おもしろいんですが、最近中国の大胆な発言等、現地新聞にも載りますが、大新聞の電子版に載っている、読者のコメント欄に目を通すと、中国人の言うことには寛容、というか、どうも上から目線で諭すような意見が載ります。ところが、従軍慰安婦のことなどが載ると、突然感情的になって日本を非難するものが目に付きます。

 ウラを返すと、これだけ日本がアメリカに追従し、日本人は自信を失っていると自分で思っていても、アメリカ人は、未だ日本人に対して、中国人より、はるかに恐怖心・警戒心を持っているようですね。中国を見くびるなんて、アメリカ人は馬鹿だとしか、私には見えませんが、戦前も戦後も大国相手に、日本人は良くやってる訳です。

投稿: | 2009年4月 4日 (土) 10時47分
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(管理者コメント)

  上記は「ネオリベ日本は貧民層の徴兵を始めるのか!?」という拙記事に対して寄せられた無名の方の投稿だが、とても論理明晰でバランスの取れた見解を述べておられる。私は小泉政権が敷設した完全型の新自由主義社会が、圧倒的多数の貧乏人を生み出し、その中の若い者はアメリカが起こす戦争や紛争のために最前線の盾として、傭兵に借り出されるだろうと言ってきた。

 日米同盟がこのまま行けば、日本の自衛隊はアメリカの傭兵軍隊と化すのは火を見るより明らかだ。アメリカは中国と経済的に接近しているが、腹の中(潜在的)では中国を最重要敵性国家と位置づけている。そういう意味では地政学的にも日本をアメリカの盾に置こうとしていることは明らかだ。最終的には対中戦争を想定して、日本を最前線領域に置き、自衛隊と中国の人民解放軍を衝突させる考えがあるのだろう。

 アメリカがあの手この手を弄して、日本をネオリベ形態に変換した目的は二つあり、一つは経済的な収奪のためである。膨大な日本国富がアメリカに移転した。もう一つはアメリカの軍事目的のために日本の不戦条項を解除することによって、自衛隊をアメリカの傭兵にするという意志がある。それはアーミテージ元国務副長官の言動などからうかがい知れる。

>貧困層が軍隊に吸収される傾向が、一概に、悪いとか間違っている、
>というものでは無いと思います。

 たしかに出来てしまった貧困層が、軍隊に吸収されること自体は悪いものだとは一括りに言えない面はあるだろう。悪いものは、若者層やその他の人に、職業の選択肢を喪失させた政策そのものである。職に着きたくても叶わない人々が、そのままに置かれたら、社会に対する鬱積したエネルギーがどこかで噴出し、それは社会悪を惹起する。貧困層や無職者層を放置することは社会の安全を崩す。この状況への指摘はその通りであり、軍隊に入隊する方向性はさもありなんと思う。

 しかし、問題の根幹は若者やその他の無職層が軍隊に入る以外に選択肢がない社会を形成した「時の政権」の作意・つまり国策そのものにある。アメリカと日本はエスタブリッシュメントの性格がかなり違っていて、アメリカは軍産コングロマリットと連携した超財閥の支配下に政府が置かれている。日本の場合は、大規模軍需産業がないので支配階級は主に企業財閥になっている。

 軍産コングロマリットは、アメリカを維持するために戦争経済を遂行するという前提があり、その宿命を政府に託している。ブッシュ・ネオコン政権はまさにそれが顕著に出た政権だった。オバマ政権になってそれが激変するとは思えない。現今の金融危機で今アメリカは逼塞しているが、回復してくればまた正義を気取る戦争国家を押し出すだろう。共和党、民主党どちらでも、アメリカという軍事大国の本質は変わっていない。しかし、戦争好きなアメリカも、唯一の弱点が戦争でアメリカ人の命を落とすということ。だからアメリカ政府筋が最も神経を使うのは、如何にしてアメリカ人の犠牲を出さずに侵略目的の戦争、あるいは紛争を遂行するかにある。

 戦後60年かかって、アメリカは丁寧に日本人を家畜精神に洗脳してきた。今アメリカはその成果を刈り取ろうとしている。日本人はアメリカを崇拝し、アメリカに絶対に逆らわない従順な国民になったとアメリカは思っている節がある。多少の跳ね返りはいるだろうが、全体としては日本人はすでに我が国の意のままに動く牛馬に等しい民族になったと思っている。それは小泉政権で完全に米国に阿諛追従した自公政権が証明し、それに従った国民がいまだにアメリカの計略を理解していないことに見受けられると。

 実際、小泉・竹中構造改革路線は、日本が刈り取り自由な農場であり、日本人が荘園の小作人であることを自ら示していた。アメリカはもちろん荘園主である。これなら荘園の私設兵である自衛隊が、そろそろ我が国の前線傭兵となって喜んで血を流してくれるだろう。と、ありていに言えばそういうことなのである。

 上記コメントで指摘されたように、アメリカ人は潜在意識では日本人を心底恐れていることは確かだろう。それは年次改革要望書が日本人を怒らせないようにそうとう注意深く書かれていて、その緻密さ、用心深さに当の日本人がすっかりごまかされていたからだ。日本人はアニマル・ファームの羊や牛のように、一見大人しいが、民族の根っこに火がつくと手の付けられない怒り方をすることを一番承知しているのがじつはアメリカである。その次は中国人だ。

 かつての東映任侠路線には日本人精神のアーキタイプが正直に出ていた。日本人は耐えに耐え、いじめ抜かれて、最後に爆発する性質がある。これは民族の巨大な精神力の一端を見せるものだ。いつまでもやられっぱなしだと思うなよアメリカ人、という感情が沸々と出始めている気がする。家畜が咆哮したとき、それはオオカミに変わるなどと私が言ったら、美文憲法九条を信奉する人たちが怒るだろうか。coldsweats01

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2009年4月 3日 (金)

ネオリベ日本は貧民層の徴兵を始めるのか!?

  読者のJAXVNさんには、実に重要なニュースを知らせていただいた。日本の大手メディアは時の権力中枢の言うがままに国民をある方向に誘導する報道が多い。大本営の国策報道のような意図的なニュースや時事解説などが、連日繰り返して報道されることも多くなった。しかし、さりげない小さな話題の中に、仰天するような巨大な意味が含まれていることもある。JAXVNさんが気付いたとおり、このニュースは下手をすると、日本の近未来における完全なアメリカ化を充分に予想させる恐ろしい現実を物語る。

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自衛隊駐屯地で失業者向け職業訓練 自民内で構想浮上

2009年3月28日

 全国の自衛隊駐屯地に失業者を集めて職業訓練する雇用対策案が、自民党内で浮上した。防衛・農林・建設分野の重鎮議員が発案、政府の追加経済対策への反映を狙う。

 「民間国土保全隊」と名づけた構想で、不況で職を失った人やニートらが駐屯地に半年間住み、生活費を支給されながら職業訓練を受ける。「派遣切り」で表面化した失業者の住居問題に対応しつつ、土木工事用の大型機械などを扱う資格を身につけてもらうことで、耕作放棄地の活用や未整備の森林間伐などの担い手になることを期待している。(以下略)」
http://www.asahi.com/job/news/TKY200903280151.html
http://www.asyura2.com/09/senkyo60/msg/939.html

「新自由主義政策で職と収入を失った人を自衛隊で吸収し、米国の傭兵とする。」。
高橋さんもすっと危惧しておられた事が現実化しようとしています。もはや「現自公政権打倒」は一刻を争う事態と言えるのではないでしょうか。

投稿: JAXVN | 2009年3月29日 (日) 12時00分
____________________________________________

 このニュースの太字部分を読んで、本当に愕然とする思いに駆られた。私は本ブログでも何度か言及しているが、ネオリベ階級格差社会の目標は二つあると言っている。一つは経済的な階級格差を設けて、再配分を傾斜配分にし、一握りの金持ち連中をますます富み栄える社会構造に転換すること。これには国富としての優良資産を外資に移転させることも含まれる。

 さてもう一つの目的は、階級格差実現の結果、貧乏になって職にあぶれた若い連中を実に自然に徴兵できる状況に追い込むことである。この先駆けが上述ニュースに書かれている「民間国土保全隊」構想だ。

 あとで、詳しく書評を書こうと思っているが、最近読了した本に、ジャーナリストの堤未果(つつみ みか)という人が書いた『ルポ 貧困大国アメリカ』という岩波新書がある。この本にはアメリカが新自由主義でどういう風に変化したかということが、実にわかりやすく書かれていて、現代アメリカ研究の名著だと思っている。是非読んでいただきたい。

 彼女はアメリカの中間層が消えた理由と、アメリカ国内にはその中間層が、民営化によって生まれた国内難民と、自由化によって生まれた経済難民にスポットを主に当てている。その状況説明の中で、アメリカ政府が経済難民になった若者に巧妙な手段で徴兵する仕組みを築いていることと、そこへ行くしか選択肢がない社会状況に置いたアメリカ政府へのきびしい批判眼がある。

 じつはアメリカは貧困大国になっていて、唯一の安定的職業が軍隊であるというひどい状況に置かれている。これは日本より先にアメリカが極端な傾斜配分社会になっているからだが、堤未果さんの本を読むと、アメリカ人の生活に密着して、まざまざとその現実を感じ取れる。

 小泉政権以降の日本を見ると、これとまさに瓜二つの現象が起ころうとしていることに気が付く。派遣切りにあった労働者は、すべてを失い、生存権を得る手段が得られなくなっている。これは米国の若者が軍隊に志願する以外に生きる道がないのと同じ現況になっている。この後、日本に起こることは、圧倒的に苛烈をきわめる憲法九条改変への動きであろう。すなわち交戦権可能な状態にアメリカがごり押しするものと思われる。

 北朝鮮のミサイル問題は、日本がなかなか憲法改正に至らないのを見て、アメリカが業を煮やし、北朝鮮を使って、日本に揺さぶりをかけているのである。北朝鮮のテポドン発射問題は日本の郵政民営化見直し世論を封じることと、もう一つは日本が自らの手で自国防衛させるために北朝鮮に挑発行為をやらせていると思う。

 私は日本人が、真に自国防衛は日本人の手でやるんだと思うなら、それはいいと思っている。ところが、そういう正当な防衛観念に目覚めずに、アメリカの言いなりになるような腑抜けな状態で、交戦権条文の樹立はよくないと思う。なぜなら、アメリカのために自衛隊が血を流すことになるからだ。つまり、日本人傭兵化のためなら憲法改正は絶対によくない。しかし、北朝鮮が宣戦布告した場合、立ち上がるしかないだろう。

 北朝鮮に本土爆撃の形でミサイルが落とされた場合、日本は選択を迫られる。北朝鮮と交戦するか、黙ってやられっぱなしになるかという選択だ。おそらく日本人は怒りで立ち上がるだろう。このときが大事だ。アメリカの姦計に乗せられないように日米同盟をきちんと再考する必要がある。属国同盟のままでは、アメリカにいいようにされてしまうだろう。その部分を充分に注意して、自立国家に向かえばいいと思う。今の場合、超法規的に交戦事態に突入することはやむを得ないかもしれないが、安易に九条改正はしない方がいい。アメリカの対日作戦は見え見えだからである。

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小沢一郎氏の顔に見えるリアリティ

   小沢一郎さんの顔にはリアリティがある(読者・一葉さんの投稿)

 国民の間に国策操作への認知が行き渡るようになり、検察批判がテレビで語られるようになったことが、私には信じられないような変化に思えるのです。

 その親中、親韓に見える姿勢が多くの人に小沢代表への拒否反応を起こさせる主原因だと思われ、特に、在日参政権付与の賛成に対しては、激しい怒りの感情が向けられているようです。(岡田克也氏の、それは悲願であるとの心情の元には何があるのでしょう。)

 私は、小沢一郎さんの毀誉褒貶相半ばする人間像を前に何も言えず、立ちすくむしかないのですが、只、一人の人間一人の男性として見たとき、私にとってこれほど魅力のある人はいないのです。

 若い女性の価値基準はカワイイ、カワイクナイということのようですが、私の場合はリアリティがあるかどうか、或は美しいかどうかということになります。いうまでもなく、美しいとは心の持ち方、精神のあり方を指します。また、日本人のこころが生み出した「形」の美しさです。

 私は小沢さんの顔にリアリティを感じるのですが、政治家の顔のリアリティとは何かと考えて、それは腹が据わっていること、覚悟があることではないだろうかと思いました。

 反対に、リアりティのない顔とは、たまたま昨日テレビに出ておられたので引き合いに出させていただきますが、石原伸晃さんの顔です。伸晃さんは道路公団民営化のとき、その対応を「軽い」と批判されたことに深く傷つかれたのか、以来ポーカーフェイスの仮面をつけてしまわれたように見えます。彼に限らず、政治家の顔からリアリテイが失われて久しいのですが、よくもこれだけ現実感のない即物的な顔が集まったものだと感心します。

 明治維新では、尊皇攘夷派が開明派を退けて開国を成し遂げ、早々と列強と手打ちしたことなどを考えると、政治のベクトルがどこへ向かっていくのかはほんとうに分からないものですね。

 そういうことを考えると、これは私の強い願望なのですが、小沢代表が権力を握った暁には親中派、親韓派をばっさり切り捨てるということも有り得るかな、と思わずににはいられません。あくまで願望です。

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管理人の感想

 一葉さんは主婦ということだが、私は女性の感性や洞察力には一目置いている。ある人物を評価する時、その評価基準に、基本としては男女の差異はないと思っているが、そうは言っても、一般に男性は論理や客観性に傾倒し、女性は情緒や感覚的な直感力が強く出る傾向はあると思う。私はジェンダーフリー論者ではないが、男女に関わらず、ある知的レベル以上に達した人間は、ジェンダーに起因する意見の差異はないように思う。

 そうは言いながらも、女性の直感的洞察力は、男性のそれをはるかに凌駕する鋭敏さがあり、そのことは否定できない。これを私のいい加減な知識で無理に解釈すると、かつて、卑弥呼という女王がいて、彼女は鬼道を操り、権力者として邪馬台国を統括していたように、女性には強い巫女(シャーマン)的要素を持って政治に影響を与える者がいた。これは普通、高い論理能力よりも、ある種の霊感というか、直感的シャーマニズムの能力に長けた人物の方が人々に強い影響力を与えることができたからだ。

 そういう呪術的色彩を持つ女性は現代でも、相当数いるように思う。たとえば、田中真紀子女史などは、発する言葉にかなりの強さがあり、父親の田中角栄譲りの意志の強さはあるとしても、彼女には女性特有のシャーマン的な要素があるように見える。ある種の女性には呪術的・巫女的要素が開眼することがあり、恐山のイタコなどもそういう部類に入るのだろう。

 男性は、さまざまな材料を論理的に組み立てて、総合的に推論したり判断したりする論理過程をたどることが多い。これは論理や理性に傾注する性質があるからだ。しかし、女性は論理能力も高いが、男性と違って、わずかな変化や人間の表情などで、いきなり直感的に物事の真相を把握してしまうことがある。論理的帰趨はその後に来ることが多い。これが右脳系感覚なのかどうかわからないが、女性は直感的把握能力が確かにあって、そういうのが突出したのが、卑弥呼クラスの指導者になることも昔はあったようである。

 デジャ・ブ(既視感覚)なども、そういう直観力とかかわる能力なのだろう。これは有名な話であるが、歴史学者のA・J・トインビーは、ある古代遺跡に佇んでいたとき、その史跡にまつわる、古い時代のリアルで強烈な過去ビジョンを体験している。また、有名な考古学者のハインリッヒ・シュリーマンは、少年期にホメロス叙事詩の挿絵入り本を読んで、そこに強いリアリティを汲み取り、後年、伝説の都市トロイヤを発掘した。どこまで本当かわからないが、彼が伝説に強烈な現実感を感得したのも、一種の直観力であろう。男性にもそういう直観力の優れている人物が時々現れるようだ。しかし、こういう直観力は圧倒的に女性に多くみられる能力だと思う。

 なぜこういう話を振ったのかと言えば、元来女性は、そういうビジョン(洞察的幻影)を見る能力に長けているからだ。一葉さんは政治家の顔にあらわれるリアリティに言及した。じつはこういう感覚は、そうとうな年齢を重ね、多くの人間を観察してきた古老なども、自然に培っている能力だと思う。一葉さんによれば、小沢一郎氏の顔にはかなりのリアリティが感じられるそうである。

 彼女は若い娘の言いがちな可愛い、可愛くないという価値基準とは異なった、リアリティの有無、審美的要素の有無を第一の判断基準に置いている。リアリティも美の要素も論理地平とは別の場所にある判断基準である。こういうことは数値化できない意識の問題であるから無視されがちである。しかし、じつは人間には、論理に進む前に、大なり小なりそういう直感的な部分で思考の原点を定めていることが多い。論理の進展は後に来るのだ。そして論理の基になる論理基盤が形成される誘因には、情念や情緒の方が先行する。物事の本質を把握するには、論理構成能力よりも直感的洞察力が重要かもしれない。

 小沢一郎氏の唱える「永住外国人の地方参政権」については、私自身は反対の立場である。その理由をここに書けば長くなるので、また稿を改めて考えてみたい。少し言及すると、大日本帝国は、李氏朝鮮に対して日韓併合を行った。これは植民地政策というよりも同化政策であり、韓半島を日本本土と同じ国体にしようとした。これについては欧米の植民地化とは異なるものであり、同化政策の理屈から言えば、もし大東亜戦争に日本が勝利していた場合は、自動的に韓半島の人たちには参政権を与えられたと思う。同化政策とは日本国民と等しいということである。台湾総督府を体験した台湾人は日本に感謝し、朝鮮総督府を体験した韓半島人は日本を責める。この両総督府には統治政策上の違いはなかったはずであるが。

 敗戦の結果、東京裁判を無理やり認めさせられた日本は、まだ自国の国体が回復しているとはいえない状況である。東京裁判史観は間違った歴史観であり、日本人自身が修正する必要がある。つまり、日本自体がGHQの歴史観から脱却していない状況で、在日外国人がその東京裁判史観を肯定したまま、本来の日本国体を否定する状況であれば、彼らに地方参政権を付与することは間違いなのである。東京裁判を認めた状態を前提とする日本の再建や健全化は、いかなる意味でもけっして不可能である。

 私は小沢氏の唱える「永住外国人の地方参政権」には反対であり、彼の国連中心主義の自衛隊国際派遣という考え方にも反対である。そういう大きな瑕疵を小沢氏が有していても、国賊の自民党に比べたらまだましである。小泉・竹中構造改革路線を支持する自民党の方が数百倍も悪質である。今政治に求められるのは、小泉政権が産み落とした悪しきネオリベ体制を力技で止め、軌道修正を行うことだ。それには宰相の巨大な意志が必要だ。

 小沢氏の恩師である田中角栄はとても剛毅(ごうき)な人物であった。ブレジネフ書記長が率いるソ連時代に、田中角栄は北方領土問題の話し合いのためにクレムリンに赴いた。その時、田中はクレムリンの雰囲気に気おされないで堂々としていた。並外れて度胸のある人だったらしい。今の政治家にこういう腹の据わった人間ははたして何人いるのだろうか。小沢氏はそういう田中角栄の薫陶を受けている貴重な人物だ。

 饒舌さもなく、風説にもまれた東北人らしい風情で、どっしりと構えた小沢氏には、一旦決めたらブルドーザーのように政策を貫徹する角栄譲りのエネルギーがあるに違いない。それが、一葉さんの言うリアリティとなって、顔に出ているということも言えるだろう。

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2009年4月 2日 (木)

高橋洋一氏、窃盗事件の奇妙な違和感!!

 この間、私のブログのある読者さんと二年ぶりに会って食事をした。その際の四方山話では、WBCのこと、政治社会などの時事問題、環境汚染、食べ物、世代感覚の懸隔、教育など、多岐多様にわたる話をしたが、実に面白かった。その中でも、日本メディア論は現代社会の問題、つまり洗脳公器としてのメディア論について、互いに断トツの問題意識を共有していたことは収穫だった。

 今ここではメディア論を展開するつもりはないが、日本を悪い方向に導いている既得権益護持派の権力中枢と、「メディアの傀儡的報道姿勢」の問題は、そうとう高い重要度を持っている。私が日本のメディア報道の異常さに気が付いたのは、2005年9月の「郵政民営化は是か非か」を問いかける衆院解散総選挙の時と、2006年9月に、植草さんが遭遇した京急事件の報道だった。

 郵政選挙の時は、関岡英之氏の『拒否できない日本』を読んでいたので、メディアが小泉元首相の郵政民営化を、暴力的なまでに肯定的に報道していた意味は即座に把握できた。民営化の是非論を問いかけている選挙だから、有権者には投票前に、民営化の賛否両論を十分に考える報道をするのがメディアの役目である。ところが、みなさんもご記憶に残っていると思うが、あの9月11日選挙の一ヶ月くらい前は、テレビ新聞を含めて、メディアはこの問題について、両論併記どころか、賛成論ばかりで反対意見をほとんど報道しなかったと記憶している。

 この間、テレビや新聞には外資系保険会社のCMが、繰り返し大々的に流されていたことは記憶に新しい。前島密が郵便事業を開始してから134年にいたる巨大な国営事業を民営化するかどうかという重要な選択を、選挙で国民に託す形になった。こういう重大な国政に関わる大改革を、メディアは反対論や意見をほとんど封殺する形になっていた。特に郵貯と簡保の莫大な郵政資金の流出防衛に関する事柄は、国民に提起されなかった。小泉氏は「郵政民営化こそ構造改革の本丸」とか、「官でやっていることを何で民ができないのか?」などと、訳の分からないことを四六時中唱え、郵政民営化万歳の空気を醸成した。

 関岡氏が知らせた「年次改革要望書」が、悪質な対日内政干渉であることを知る少数者には、メディアが官邸主導でバイアス報道していることに、腸(はらわた)が煮えくり返っていた。この時分のメディア報道はほとんど北朝鮮と変わらないすさまじい偏向ぶりだった。ここから約一年後の9月、植草さんは京急事件に遭遇し、理不尽にも132日も官憲に監禁されてしまった。事件翌日のメディアの初期報道は、まさに猖獗(しょうけつ)をきわめていたと言っていいだろう。メディアは検察・警察のリーク報道だけをもとに、これでもかと植草さんの性癖犯行説を垂れ流した。

 まさに書きたい放題であった。私が妙だなと引っかかったのは、この土石流のような報道洪水が権力筋による既定路線じゃないのかという直感だった。京急事件はただの冤罪ではない。これは特に説明をしておくが、京急事件は国策捜査であり、普通の意味における冤罪事件ではないということである。もちろん植草さんご本人は、迷惑防止条例違反の嫌疑はまったく身に覚えのないことである。そこには、ある種の謀略性が介在しなければメディアはここまで常軌を逸した騒乱報道はしないだろう。彼らは官憲のリーク情報を土台にして、事実無根のことを好き勝手に付け足して書き、植草さんの名誉を地に墜としていた。あらゆるメディアはまるで申し合わせたように、京急事件のことが、あたかも動かぬ既遂事実のように報道し、一様に事実無根の病的性癖説を定着させようとしていた。

 ここには、植草さん側の弁明はほとんど流されることはなかった。この異常さ、この強烈な偏向報道を見るにつけ、これは裏に何かあると感じた。この時、私は2004年の品川駅手鏡事件の報道に関することはあんまり覚えていなかったが、すぐに郵政選挙時の報道と酷似していることに気が付いた。つまり、郵政民営化では賛否両論があり、京急事件では犯罪と冤罪の相反する二つがある。どちらの案件も最初から一方的な決めつけ報道に終始していた。もちろん、選挙報道と事件報道は異なる報道ジャンルだが、それでも一方的な印象操作報道には奇妙に似たものを感じていた。似ているはずである。同一勢力の意志で行われた報道だったからである。

 つまり、郵政解散総選挙では外資系保険会社のCMが乱立する中で、「郵政民営化=善」の決めつけ報道を行っていたことと、京急事件報道では植草さんの病的性癖説の大々的な流布をやったことは、権力の走狗と化したメディアが、最初から国民を誘導する目的で流したことがわかる。どちらも国策報道と考えて間違いない。これにまんまと騙された国民は、小泉政権の国策転換がどのような意志に基づいて行われたのか、まったく理解を欠いていた。国民はメディアが権力や国際金融資本の傀儡的代弁者を担っている事実を認識しないと、いつまでも騙され続けることになる。

 小泉政権の官邸主導政治は、メディアを駆使して国益毀損の郵政民営化を実現させ、日本の国内市場にハゲタカの外国資本を不用意に引き入れた。小泉・竹中構造改革路線は、すこぶる怪しい改革であり、結果的に外国資本へ利益移転する市場構造に切り替えられた。こういうことを考えていた時、竹中平蔵氏のブレーンで郵政民営化の理論的支柱をつとめた元財務官僚の高橋洋一東洋大学教授が窃盗罪で書類送検されたというニュースが入った。

 植草さんもブログで書いていたが、高橋洋一氏のメディアの扱いは実に奇妙な抑制報道に終始し、ほとんどのメディアがそれを拡大報道する傾向はなかった。これはとても奇妙な話だ。植草さんが係わった事件は報道洪水のように、連日センセーショナルに拡大流布された。しかし、数十万円の時計を窃盗した高橋氏の場合は実に抑制された報道なのである。植草さんと高橋氏の社会的地位は、どちらも大学教授であるから似ている位階にある。高橋氏が最近、政府紙幣発行論で、テレビやメディアに華々しく登場していたことなどもあり、彼のネームバリューはそうとう上がっていたことはたしかだ。

 高橋氏のネームバリューと、数十万円の金品の窃盗という重さを思えば、メディアはこの事件を根ほり葉ほり掘り下げて執拗に調べてもいいはずだ。ところが今回は植草さんの事件とあまりにも報道規模が異なっているのはなぜだろうか。単純に考えれば、高橋洋一氏は構造改革推進派の重鎮だった。植草さんはそれを厳しく糾弾する側の有識者。報道落差は、この両者の立場の違いと決して無縁ではないだろう。

 あと私は、高橋洋一氏の今回の事件について腑に落ちないことがある。逮捕じゃなくて書類送検だったのは、逃亡の恐れがないからだという。それなら植草さんも逃亡のおそれは皆無だったはずだ。それはともかく、二つの文脈でこの事件が高橋氏の口封じであった可能性はあるかもしれない。高橋洋一氏は小泉・竹中構造改革のブレーンであり、強力に官邸主導政治を進めた中川秀直氏のブレーンでもあったことは重要だ。これが何を意味するかと言えば、高橋氏こそ、構造改革や郵政民営化(四分社化)の真相を知り尽くしている人物だということである。既得権益護持勢力は、高橋氏が経済学者の中谷巌氏のような回心を行うことを恐れているのだろうか。もしかしたら、この事件は「抜け忍」騒動なのかもしれない。

 つまり構造改革利権や郵政民営化利権の闇の部分を知悉している可能性があり、売国既得権益勢力から口封じの駄目押しを受けたという文脈である。これは仮に政権交代が実現し、民主党が構造改革の闇を暴くため、司直の捜査を入れる場合、構造改革利権を得た関係者は調べられることになる。この時、改革の理論的中心人物であった高橋洋一氏を中心として、関係者は軒並み調べられることになる。だから既得権益勢力は、今の内に高橋氏に脅しをかけ、他の関係者にも口を割らないように見せしめにした可能性もある。仲間を書類送検で済ませた背景には、他の関係者に対する恫喝の意味があるかもしれない。

 もう一つの文脈は、国際金融資本から、高橋氏の政府紙幣発行論に対する脅迫があるのかもしれない。政府紙幣発行は国際金融資本と真っ向からぶつかるしろものだ。財務省筋からの口封じの可能性もあるかもしれない。高橋氏は、ある講演会で、財務省が不景気でも増税する理由は、税収が多いと財務官僚はポケットマネーを作れるからだと言った。彼は財務省筋に仕掛けられた可能性もあると友人は語っていたが・・。

 違和感が拭いきれないのは、5万円の財布と数十万円もする高級時計を、鍵をかけずにロッカーに入れるだろうか?という疑念がある。金持ちなら気にせずにそのような行動をとるかもしれないというのは、私のような貧乏人の浅はかな考えで、実際の金持ちは用心深い。豊島園のような世俗的な日帰り温泉に金持ちが行くだろうか?5万円の財布なんか盗まれてもヘッチャラ、ブルガリの高級腕時計(数十万円相当)なんか気を使う必要なしなどという金持ちが、火曜日の夜8時に豊島園の温泉に入るだろうか?

 真相は当事者たちから聞くまではわからないが、この事件には奇妙な違和感がある。

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