50万円定額給付金の提案はインフレターゲット論の一つか(小野盛司)
(※日本経済復活の会 小野盛司会長の記事、第179弾です)
(※ 小野盛司会長さんの「『一人50万円の定額給付金』をマニフェストに入れれば衆議院選に勝てる」の中で、びっくりモグラさんという読者さんから下記の質問が寄せられていましたが、私の知識にはあまるので、小野会長さんに尋ねてみました。それを掲載します。)
●以下小野会長
「今回の「50万円支給」が、インフレターゲット論」の主張とほぼ同じと考えてさしつかえないでしょうか?政府発行紙幣が日銀発行紙幣の紙幣とバックボーンが違うと盛んに言われますが、そもそもインフレ率を予期して(プラス2~4パーセントの直前で止める芸当)よい加減に匙加減をして、好況を招来できるとお考えでしょうか?」
読者から上記のような質問を頂いたので、簡単にお答えしたい。インフレ率2~4%程度を目指すという点ではインフレターゲット論である。しかし通常インフレターゲット論というときは、日銀による金融政策によってインフレ率を調整する意味でとらえられているのだが、私の提案は政府と日銀が一体となって、国民にお金を渡す政策を行うという意味で異なっている。
通常のインフレターゲット論だと、実際はデフレ状態においては日銀が機能不全に陥っており、目標のインフレ率を達成する手段が日銀にはない、というより自ら手を縛って、インフレ率を達成できないようにしているから、景気を良くして目標のインフレ率には到達が不可能になっているのである。
確実に言えることは、国民に十分なお金が渡れば間違いなく消費が伸び、GDPが拡大し、目標インフレ率が達成できる。どうやってお金を渡すかといえば、お金を刷って定額給付金とするなら確実だ。量的緩和という政策だと日銀はお金を刷って銀行に渡す。銀行にお金をいくら渡しても、それが国民に渡るわけではない。銀行も融資先を探すが危ないところには貸さない。危なくないところも、これだけの不景気だと設備投資をしても物が売れないから儲からない。だから借りない。ということで、お金は国民に渡らないからいつまで経っても景気はよくならず、デフレ脱却ができない。こういった日銀の金融政策を「伝統的金融政策」という。
お金はどうなるのか。日銀から供給されたお金は超低金利だから、もっと高金利の海外へと流れていく。これが円キャリートレードというもの。これを防ぎ、刷ったお金が日本国民に流そうとするなら、このお金を政府が定額給付金や公共投資等の財政政策に使えばよいのである。財政赤字は拡大するが、拡大すればするほど、それほど多くのお金が国民に渡る。このお金がいつか返さねばならないと勘違いして、日本人は「それならいらない」と言って財政赤字拡大をいやがる。実際はお金を刷って渡しているだけなので返さなくても良い。
日銀が国債を買い、お金を市中に流す。そのお金を政府が国民のために使う。この方法は日本経済を救う決定打になるのだが、財政拡大を目的に日銀が国債を買うことを「非伝統的金融政策」という。今、日本がやらなければならないのは、この非伝統的金融政策であるが、自民党や国民新党はこの政策に好意的であるのに対し、民主党は猛反対する。だから、日銀の人事でも随分もめた。
非伝統的金融政策は、真の意味でお金を刷る政策である。デフレ経済ではお金が消えていき、どんどん国が貧乏になるが、それを食い止め、豊かな活気ある日本経済を復活させるためには、非伝統的金融政策しかない。デフレ時に、お金を刷る政策に猛反対している民主党が政権を取れば、更なる大不況へと突入していく可能性があるのだが、自民党も消費税増税などと言っているようでは、民主党と同罪だ。
政府紙幣発行と日銀券発行との違いですが、政府紙幣発行では例えば1兆円の紙幣を60枚、政府が印刷したとします。これを日銀に持ち込み預けます。これで60兆円預けたことになって(そのような制度にしなければなりませんが)、それを使うときは日銀券で使います。もっとも、これだけ額が大きいと紙幣など使わないですね。振り込みだけですから、実際は電子信号が走るだけで、紙幣は関与しません。ATMで送られたお金が政府紙幣なのか、日銀券なのか分からないですね。受け取った人は通帳にその額が書き込まれるだけで、どちらなのか知る方法がありません。実際現在でも硬貨はすべて政府貨幣、紙幣は日銀券であり、それを預けると金額が記載されるだけで、どちらという区別はありません。
政府紙幣発行であれ、日銀の国債買い入れであれ、国がお金を手に入れ、それを国民に渡すことができれば、間違いなく消費は伸び、景気は回復します。
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コメント
確かに日銀が手立てを無くして、
既存手段のマネーサプライも銀行に吸収されるだけ…。
日本の歴史は何度も、従来のマクロ経済政策を不発に終らせてきました。
金額の程度は別としても、
給付金の何十万円単位は、考えるに値するかもしれません。
まあ、確実に円が弱くなり、
1ドル=200円くらいまで振れる事は確実でしょうし、
50万円×1億2,000万人=60兆円の財政出動ですから、
世界経済に恐ろしい程の影響を与えるでしょう。
給付を受ける国民は、勤勉な態度が一変して
怠惰な人間が増え、給付に対して中毒症状を起こす人も増えるかもしれません。
「お金は価値が変わらないから信用される物」
である事は変わりません。
投稿: | 2010年1月22日 (金) 21時12分
長年の小沢一郎の支持者です。(一郎氏の遍歴にパラレルし、自民から民主に鞍替えしました。)
小野猛司氏の「50万円ばら撒き」案、面白いと思います。1人50万円、好きに仕えるなんて、天にも昇る心地です。久しぶりに日本中に微笑と笑が溢れる気がします。モノを作る方もモノ・サービスを売る方もぜひ実行してもらいたい景気対策ではないでしょうか。
ただし、これは一つの「賭け」ですね。経済活性化の起爆剤になれるかどうか。注意点が3つほど考えられるのでは?
① 貯金好き・倹約好きの国民性がせっかく市場にばら撒かれた金を銀行にせっせと戻してしまう。
② 勤勉な日本人の性格が変質してしまう。「また政府からのばら撒きがあるかも」と、働かなくなってしまう。(ま、これは日本人に限ってはありえないか・・・)
③ 生産者がモノの値段を釣り上げてインフレを起こしてしまう。「政府から金もらったんだから、林檎1個千円でどうです?」生産者が欲深な気持ちを起こすと50万円も5万円に目減りしてしまう。
一度やってみる価値は大いにあると思いますが、経済構造自体が変わらなければ・・・・。
投稿: NE | 2009年7月12日 (日) 11時27分
マル・エンの何たるかもわからず、場違いな「シャシャリ」でも申し訳ありません。
都議選、地方人は「関係ねぇべ」なんでしょうか。メディアは何も報道しません。リクイアとカナダ御訪問・・・だけです。
テレビは選挙の「せ・・・」の字も言いません。なんで?東京の人、教えて。本当に都議選はこの日曜日にあるんですか。
カナダ御訪問・・・ですが、私の妄想では天皇・皇后両陛下は「人質」では?
毎日ご訪問の様子を日本国民にテレビ報道して見せているのは、「今日も、今のところご無事ですよ」という意味なのでは?
百兆円に麻生総理は「うん」といわざるを得ないでしょう。私が彼の立場だとしても、分・・・。
では、お2人はそのことをご存知なのか。側近は何も言わなくても、暗黙の了解で、両陛下はすべてご存知なのでは?お2人は日本国民のために命も辞さない御覚悟はいつも持っていらっしゃるのだと思います。65年前、「陛下万歳!」と叫んで散っていった祖先たちのDNA, 私たち後にも流れているのです。
両陛下にもしも万一なにかあったら、日本人は永劫アメリカを許さないでしょう。
投稿: NE | 2009年7月11日 (土) 15時24分
びっくりモグラさんの「最先端を自負するシカゴ学派」という表現は適切ですね。私は西山千明氏の「第4の選択」(PHP)で、彼らが古今東西の思想を取り上げて変な解釈をつけては廃棄する方法を見て、非常に嫌な感じを抱きました。老荘には怯堕だと言い、ヘーゲルには自由がないとか、ケインズもマルクスも人間の計画を信じる点では同じだとか。バッタバッタとなぎ倒す姿に、シカゴ大学に留学した若い竹中平蔵たちはシビれ、シカゴ大学を創設したディビッド・ロックフェラーの一味に懐柔されたのでしょう。確かに、古今東西の学問を破ったと自称する勢いで一時的には君臨するだろうが、やがては無理が高じて破綻するだろうと思っていました。
投稿: キビノコーイチ | 2009年7月11日 (土) 10時50分
びっくりモグラ様
深いご見識を感じるコメントありがとうございます。
>「ドイツイデオロギー」や「経済哲学手稿」「疎外論」一般についてとても面白かった、
>という記憶があります。その当時から、友人たちに「お前の読み方は邪道だ。社会科学と
>してクールに読みこなすべきで、文芸的に、あるいは人間主義的に読むべきでない」と
>顰蹙を買ったことが思い起こされます。
ドイツ人と日本人は白人とモンゴロイドの違いはありますが、不思議と親和するものが
多いと感じます。ヘッセ、ゲーテ、ニーチェ、シラー、マンその他の文藝家、あるいは
音楽家のバッハ、R・ワーグナーなどを好む日本人はたくさんいます。あとは、宗教改革
のルターなども日本人は興味を強く持っていると感じます。
ドイツ観念論などは私はうまが
合います。日本人とドイツ人の親和性の部分は人間集団のあり方にどこか類似性がある
からではないでしょうか。
投稿: 高橋博彦(管理人) | 2009年7月10日 (金) 23時17分
舌っ足らずの質問を取り上げてくださりありがとうございます。
質問内容を、私自身が十分検討しないうちに差し上げたことについて、いささか拙速気味であったかなと感じております。
にも拘らず、小野盛司会長の懇切なご説明がいただけたことに感謝している次第です。
インフレターゲット論についての私の認識が一面的であったことに冷汗三斗の思いでいます。実体経済について、その構造というか、アウトラインさえもまだ十分掴みきれていない自己の非力を思い知らされている次第です。
なにしろ、40年前に経済学、いわゆる初期マル・エンをかじった程度で、しかもその細部についてほとんど亡失している、というていたらくですから、何をかいわんや、です。
特に、「ドイツイデオロギー」や「経済哲学手稿」「疎外論」一般についてとても面白かった、という記憶があります。その当時から、友人たちに「お前の読み方は邪道だ。社会科学としてクールに読みこなすべきで、文芸的に、あるいは人間主義的に読むべきでない」と顰蹙を買ったことが思い起こされます。その読み方の悪癖は今でも続いているようで、今回の小野盛司会長や「神州の泉」様、植草先生の一連の論考をも、そのような我流の視点で解釈してしまうことに、改めて自我の強さを感じている「今日このごろ」です。
上記の文献は、むろん人文(哲学)に属するもので、私の読み方が必ずしも間違っていたとは思いません。
。後期の、「科学」への立ち位置、あるいは態度を決める重要な基礎を築く思索=「
科学」に移行するための根っこであったように思います。
私が、この時代に蔓延する「科学病」への疑いは、人間へのやさしさ、がすっかり失われている、ことと同義なのです。マルクス・エンゲルスはもちろん、梯明秀や小田実や広松渉など(勝手に自分の趣味を押しつけて申し訳ありません)の「人間側に寄り添った」学者がいかに少なくなってきているか、という事実にしんどいおもいをしているのです。
最先端を行っている、と自負する「シカゴ学派」の事の顛末はすでに明らかになりつつありますが、彼らはマル・エンはむろん、ケインズの「有効需要」論の時代おくれをいかにも乗り越えたかのように振る舞いましたが、マネーゲーム、という大人のお遊びを我々の前で披歴しただけです。もっと言えば、「人間」を忘れた「科学」の暴走をゆるしたわれわれの無力をあざ笑う彼らの姿、をしっかりと目に焼き付けばなりません。
私が植草先生や、「神州の泉」様の言説を信頼できる根拠は、単純なのです。つまり、「人間側に寄り添っている」体温のぬくもりが感じられるからなのです。
しかし、それにしても、正義が悪を征伐する、というのは童話の世界の中でのみ生き生きしているのかもしれません。大江がかつて、「抵抗しつつ滅びる…」という文句を好んで用いましたが、その伝で言えば、我々もまたそのような覚悟が必要、とされているかもしれません。
小野盛司会長のご説明について、私の予備知識があまりにも貧弱であるため、理解不能の部分がありましたが、一から勉強させていただくつもりでおります。お手数をおかけした「神州の泉」様も含め感謝しております。
投稿: びっくりモグラ | 2009年7月10日 (金) 22時29分
まやかしだな?
確かに50万円で買収するから勝てるかも知れないがその後が問題だな。
経済はそう簡単には、上手くいかないよ。
投稿: 無職の男 | 2009年7月10日 (金) 20時25分