TPP雑感
語句を調べると、
○関税障壁:国内産業の保護・育成の目的で、他国商品の流入を制限するために関税を新たに設けたり、高率にしたりすることである。
これは非常に明快で分かりやすい。貿易で、売ろうとする側(輸出する側)と、買おうとする側(輸入する側)で、買おうとする側が、いろいろな国内事情から、関税を設定して輸入品に規制(レギュレーション)を掛けることである。その際、考慮される国内事情とは、主に国内産業の保護育成、持続性などである。
理想的なイメージから言えば、貿易とは、各国それぞれが、相互に余裕のある物品を必要に応じて売買すればよい。ところが、産業革命からかなり時間が経って、工業技術が世界に拡散し、各国がよほど特殊なものを除けば、大概の必需品を生産できるようになった。問題は世界の需要と供給が、製品のクオリティ(品質)だけで動いているのではなく、資本の論理だけで動いていることである。現代の問題は、資本の国際流動が、適正な貿易様態を担保せずに、持てる者だけに利潤が極端に偏っていることである。
そのために大勢の国民への再分配が低下、可処分所得が減り景気が低迷する。一握りの企業家、投資家だけが富を寡占し、大多数の国民は低賃金で働かされ、解雇の恐怖に怯えている。こんな状況で生産活動が振興し、品質向上は図れない。生産活動を劣位に置きながら、金融資本主義というヤクザ利殖だけにうつつを抜かしたアメリカは、ぼろぼろの工業製品しか生産できなくなっている。アメリカは人類に崩壊必須の悪しき文明モデルを提示した。
カナダでは、日本車が重宝されていて、10年落ちの中古車でもかなりの人気があるそうである。一方、米国車は3年で廃車同様に扱われ、新車納入の段階で故障を内包していると見られている。かつての自動車王国、家電王国は半世紀で見る影もなく凋落した。アップルのような企業は例外である。世界中にインチキ金融商品を売りさばき、ウォール街に来る一部の資本家に富が集中した。リーマンショック以降もアメリカは、この強欲資本主義を押し通すしか選択肢がなくなっている。
自由貿易とか、開放経済とかいう言葉は、小泉元首相が連呼した「聖域なき構造改革」の「構造改革」という言葉と同様に、言葉自体には何の実体も存在しない。まず改革と言えば、それ自体が肯定的な響きがあるから、にわかには反対しにくいが、誰かが改革するぞと言うとき、「何が悪くて、それをどのように改めるのか、そしてそれは誰のための改革か」を明確に言わないと、構造改革という用語自体が巨大な政治的詐欺用語になる。エコノミストの植草一秀氏が、政権初期から果敢に糾弾していた「小泉・竹中構造改革路線」を思い出してほしい。
彼らは、「聖域なき構造改革」と連呼して、「聖域」を天下り法人とか、特殊法人とか、後付で言ったが、聖域も、構造改革も、その響きを聞いただけでは人々が、「ああ、あれのことだな」と勝手に都合よく解釈してしまうのである。ところが、小泉改革のやったことは、大ざっぱに言えば、利権の授受構造を旧田中派型政治から、市場原理構造に作り替えようとする輩たちに挿げ替えただけだった。その結果は惨憺たるものであり、日本は悲嘆と怒号が飛び交う荒廃の格差社会となった。植草氏や数少ない有識者を除き、国民は構造改革という心地よい言葉に騙されたのである。
ここまで言うと、純然たる国内問題に見えるが、問題はかなり深刻であり、騙し改革を入れ知恵したものが米国政府とその上位にある国際金融資本であった。つまり、騙し構造改革の底では、金融乗っ取りと、国富収奪が行われていたのである。郵政民営化は郵政資金を米国に献上するために竹中元郵政民営化担当大臣らが仕組んだものであり、寸前でペンディングになり現在に至っている。
さて前振りが長くなったが、構造改革という言葉と同様に、自由貿易や開放経済という言葉にも大きな罠がある。自由や開放という言葉自体には晴朗とした響きがあるが、責任やルールのない自由や野放しは、暴れ者が文字通り暴れまわるフィールドを出現させるだけである。「北斗の拳」の世界イメージである。「年次改革要望書」、「日米投資イニシャティブ報告書」、今年2月の「日米経済調和対話」も、すべては米国の思い通りに日本の市場構造を改変する目的に収斂している。そして今度のTPPである。麻生政権でひっそりと消えたはずの「年次改革要望書」は換骨奪胎を繰り返してTPPという地獄の仇花に開花しようとしている。
自由貿易という言葉に反感を示す人はいないだろう。しかし、ゴジラのような国際金融資本が、自由に各国の市場をこじ開けて、金に換算できるあらゆるものを奪っていくという含意が、この自由貿易に付与されていた場合は、この言葉は小泉政権が唱えた「聖域なき構造改革」と同様に、決定的な国際詐欺用語となる。従って、環太平洋戦略的連携協定(Trans-Pacific Partnership=TPP)などというのも、太平洋経済協力会議(APEC)に参加する小さな四か国間で発効したごくローカルなものだったが、発展するアジアの収奪にシフトしていた米国はこれに目を付けた。その瞬間からTPPは巨大な詐欺用語となった。理由は明白で国際金融資本がアジア、特に日本から泥棒するための「ひっかけ詐欺協定」と化したのである。
そこで、「非関税障壁」に焦点を当ててみる。
○非関税障壁:関税以外の手段による輸入制限。
具体的には輸入数量制限、輸入課徴金制度など。純粋に輸出国から眺めれば、輸出に障害の発生するすべての要素が非関税障壁である。物だけに限らず、金融、サービス、労働者、医療、保健、弁護士労働、財に還元できるあらゆるものの「自由な出入り」を阻む要素が対象となる。
ここで、私のように経済音痴でも、はたと首をひねる強いイメージが湧く。関税障壁をアメリカの勝手な都合だけで定義されたらたまったものではないが、それを桁違いに大きくする不安がよぎる。関税障壁なら、それがどういうことであるか、輸出国側を忖度すれば分かりやすい。障壁が貿易商品という物に向いているからだ。それよりも、私に熾烈な恐怖心を覚えさせるのは、アメリカ(あるいは強欲国際金融資本家たち)が想定する、日本における非関税障壁の意味するものである。想像すると思わず戦慄を覚えてしまう。
長くなったので、そろそろ止めておくが、一つ言えば、米国は郵政資金を略奪するために、竹中平蔵氏に何をやらせたのか。それは国営で三事業一体化だった郵政事業を四分社化したことである。今回のTPPで米国はあらゆる非関税障壁の撤廃を狙っているが、彼らが以前から疎ましく思っていたのは、日本社会に固有に発生していた相互互助システムなのである。共済制度もそれである。これは保険とは違って、営利目的ではなく相互扶助精神で積み立てておいたお金を、積み立てていた人々が、災害、病気入院、不幸などに見舞われた時、用立てする制度(しきたり?)であり、相互扶助が営利性に優先するものだ。社会の安定性に非常に重要である。
この源流はおそらく、日本各地の僻村などに根付いていた「~講(こう)」だと思う。部落共同体による助け合いである。日本人が大災害に見舞われた時、粛々と整然と秩序正しく行動するのは、こういう伝統精神が賦活するからである。共済とは形態が違うが、従来の郵政三事業も相互扶助構造だった。これは外から来る山賊に対して強力な防護壁となっていた。談合も系列も、防御面から見ればそれなりの合理性があった。アメリカはこれらを解体させて、盗人(ぬすっと)する露払いをしたのである。竹中氏が郵政を四分社化する理由には説得力がまるでなかった。あるはずがない。M&Aへの門戸明け以外の意味がないからだ。
談合や系列が悪いと言い始めたのは、アメリカである。日本式しきたりには、良い面と悪い面があり、それをどうしていくかは純然たる国内問題である。外様は放っておけというのが普通だろう。それを無理やり善悪で押し付け、日本市場の改変に走ったわけであるが、アメリカは日本社会の持続性とか、文化の多様性とか、歴史などはどうでもいいのである。もう言いたいことが分かったと思うが、TPPに付随する恐ろしいISDS(Investor State Dispute Settlement=国対投資家の紛争解決)条項(ISD条項)は、アメリカ企業だけが一人勝ちするような第三者機関の存在がある。紛争処理はアメリカの代理機関が行う。これが公明正大な独立組織だったら、それなりに各国へ公平性が担保されると思うが、ジャッジの経過も前例も秘密主義だという。そんな第三者機関があるかという話である。ISDSの最後のSはSettlementであるが、これは定住とか、植民地、新開地、居留地、開拓地などの意味があり、ピルグリムファーザーズの植民などという場合にthe settlement of the Pilgrim Fathersと表記されるようだ。セトルメントは定着とか、開拓とか、そこに居座って動かないイメージがある。私はネイティブ・インディアンの虐殺を連想する。中野剛志氏らが米韓FTAに出てくる「ラチェット規定=元に戻せない規定」を引き合いに出して警告しているが、ISDSの終いのSも逆回転しない歯車、つまりラチェット規定を連想させる。
何も悪いことをしていない日本が、まさに日本という固有の国柄(国体)を理由として、得体の知れない者たちが作った第三者機関に裁かれることは確実である。伝統、文化、民族性が非関税障壁として破壊されるのである。小泉政権が米国の意向でなぜ司法改革に着手したか。簡単である。日本を訴訟社会に変えるためである。青い目の弁護士が訴訟利権の獲得のため大挙して押し寄せ、間もなく日本語が非関税障壁として訴えられるだろう。商取引や弁護活動の阻害要因になるからだ。外資や外弁を優先させるために英語が強制される。小泉政権が司法制度改革を断行したのは、米国が後のTPPに照準を合わせていたからだと思う。その意味で、米国の陰険な作戦は一貫性がある。
長くなった。TPPとは通商協議ではない。日本破壊である。日本人が築き上げた社会慣習や風習、伝統文化など、すべては非関税障壁として否定されることになる。我々は事実上、国家も人種としてのアイデンティティも失うのである。震災で落ち込んでいる国民をだまし、こんなものを国民の頭ごなしに決めた菅、野田政権は許し難い。パートナーシップならば、協定なのだから先に中身を公開するべきである。中身を秘匿して急がせる構造は、巨大なオレオレ詐欺である。開かれた貿易、公平性、透明性、これらの明るい言葉は、だれがルールを決めるかによって全く違った悪魔の用語になる。TPPは自由貿易を標榜する侵略行為である。
追記
第三者:TPPで最も危険な核地雷となる紛争調停・仲裁機関ICSIDについて。
「世界銀行傘下のICSID ( International Centre for Settlement of Investment Disputes ) は、「国家と他の国家の国民との間の投資紛争の解決に関する条約」のもとに設立、1967年に署名が開始され、翌1968年に発効。ICSIDは国際投資紛争の調停と仲裁を行う場を提供する。」とあるが、関岡氏によると、そこには数名の仲裁人がいて、審理は一切非公開、判定は強制力を持つが、不服の場合でも上訴することはできないという。判定の基準は国家の必然性や妥当性ではなく、「外資が損害を被ったか否か」という一点に尽きるそうである。滅茶苦茶である。他国人をゴイム扱いしている。外資のあらゆる暴虐を許可するという基本だ。
ISD条項の恐ろしさは、国家(国内法)の上位に外資の経済活動を優先させていることにある。これが自由貿易、オープンエコノミー、いわゆるグローバル・スタンダードの衣を脱ぎ捨てた真の姿であるとすれば、そんなものは地球人類を奴隷化するだけである。ここで日本人が覚醒しなければ日本は消滅する。その前に怒らないといけない。
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