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2012年2月29日 (水)

「勝-勝ラインが動いた」が国策捜査の引き金か!?

Photo_3 経済誌、週刊東洋経済の編集長である三上直行氏が、2月17日(金曜日)、夜11頃の京浜東北線車両内で痴漢容疑(東京都迷惑防止条例違反)で捕まった。私はこの事件が限りなく国策捜査に近いのではないかと書いた。要するに政治的背景を強く有した謀略事件の匂いが強いということである。詳細を知りたくて続報を待っているのだが、ネットを調べる限り続報は見当たらない。この件に関する報道が19日(日曜日)だけの一過性の報道で終わるなら、植草事件(京急事件)時に見られた、あの土石流のような過熱報道とは様子を異にする。だがそれは、ネームバリューの相違もあるとは思うが、おそらくは腰の据わった頑強な反骨経済学者への言論弾圧と、不特定多数の出版社を狙った言論弾圧(出版妨害)の差異ではないだろうか。

 もちろん植草事件の場合も、他のエコノミストや政治評論家に対する十分な強い牽制効果を持っていた。しかし、検察と協働関係にあるマスメディアは植草事件をこれでもかと徹底的に叩いた。植草事件を画策した存在は、それほど対米隷属色を濃くした小泉政権を批判して欲しくなかったと思われる。おそらく植草事件には直接アメリカの意志が反映していたものと思われる。アメリカ政府筋が郵政資金の収奪計画として、郵政民営化を実行に移そうとした時、日本の知識人で誰が一番強力で、計画の阻害要因(邪魔者)となりうるかリスクヘッジした結果、植草一秀氏が筆頭に上げられたことは間違いない。

 これに比して、東洋経済編集長の三上直行氏の場合は、読者層が専門誌を買って読む対象に限られており、知名度が高くテレビなどで強い影響を及ぼしていた植草氏に比べて、その危険度が低く見積もられていたかもしれない。と言うか、この事件にはCIA等、アメリカの意志は関与していないと思われる。もちろん断言はできないことだが。三上氏を一回逮捕して汚名をかぶせれば、彼らの目的は充分に達すると思われ、それは週刊東洋経済誌の体制批判レベルを低下させることはもちろんあるが、実際の目的は他の出版社に対する警告、牽制の意味が強いのだろう。これを見て他紙の東電批判の舌鋒が鈍るものと思われる。

 この三上事件を企てた大本は財務省筋の可能性が高い。私はこの事件の後、週刊東洋経済2/18号をネットで取り寄せ、例の大特集「東京電力 偽りの延命」を読んでみた。30ページを上回る総力特集であり、様々な角度から東電を斬り込んでいる。私が読んでも気付かないところで、この特集の何らかの記事が財務省や東電の逆鱗に触れた可能性もある。いずれにしても、この特集が三上事件の直接の起因となっているような気がする。特集の冒頭にはこう書かれている。

(引用開始)
『原発が再び動く―――。先週、適期検査中の関西電力・大飯原子力発電所3,4号機が4月にも再稼働する方向と報じられた。
 本当なら、国内にある原発は、4月で全基停止し原発ゼロの夏がくるはずだった。
「勝―勝ラインが動いた」
永田町に、すぐさま噂が駆け巡った。
 勝栄二郎・財務省事務次官と勝俣恒久・東京電力会長。二人が”結んだ”というのがもっぱらの見立てだ。消費税議論を控えた大事な時期に、血税投入を回避したい財務省と国有化を阻止したい東電の思惑が測らずしも一致したというのだ。――』
(引用終了)

 東電の勝俣恒久会長と財務省事務次官の勝栄二郎氏が、枝野経産省大臣が推し進める実質国有化に反対の線で手を握り合っているということが書かれている。東電は実質経営権を手放したくないし、シロアリ総本山の財務省は、TPR(タックスのPR=増税宣撫作戦)を成功させて、国民から徴収する税金を東電に払いたくない。ここに両者の思惑が一致しているということなのだろう。もしかしたら、財務省は「勝―勝ラインが動いた」という表記に度肝を抜かれ、三上編集長に怒髪天を衝く勢いで怒り狂ったのかもしれない。

 また、この特集には「東電救済の前提に疑義 原発コスト8.9円の『ウソ』」と題して、昨年12月、エネルギー・環境会議コスト等検証委員会がまとめた一冊の報告書は、痛烈なダメ押しとして、原子力の発電コストは、最も安い場合でも8.9円/1キロワット時であると試算したことを述べている。これが2004年の試算よりも5割以上高い。これに加えて東洋経済編集部は、東電の損害見積もりコストが低すぎるのではないのかと疑念を呈している。これらは電力料金の値上げ(規制ゾーン、つまり一般国民を対象とする値上げ)を目論んでいる東電にすれば、「言うなよ。それは!」ということになるのだろう。

 もしかしたら、東電の体質を批判したこの総力特集は、他にも東電や財務省の怒りを招いた部分があるかもしれないが、国策捜査の契機となったことは充分に考えられる。神州の泉としては、全部目を通してみて、よくこれだけの充実した大特集を組んだものだと驚いた。それにしても、民主党議員・小泉俊明氏と言い、三上直行編集長と言い、最近権力がとみにきな臭くなってきた。

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2012年2月28日 (火)

シロアリ退治動画の拡散元を決して言わない政治家やマスコミ

(パロディスト、マッド・アマノ氏作品)
1 相変わらず野田佳彦首相は、わずか二年数か月前に力を込めて街頭演説したことや国会で発言したある重要な内容について思考停止状態というか、頑としてそこからエスケープしっ放しである。それは植草一秀氏が広めたシロアリ退治動画の話である。社会保障と一体化した消費増税こそ、待ったを許さない喫緊の課題であるという、何とかの一つ覚えをオウムのように繰り返している。シロアリのことは国会の質疑の中でも何度か取り上げられたが、首相は馬の耳に念仏である。

 菅直人前首相は見苦しくも、自己の地位保全を第一義にして延命を図り、被災者や原発事故対応を遅らせ、肝心な国防を忘却した。報道によれば、ロシアは北方領土を要塞化し、日本を敵性国家として軍事訓練する動きがあるという。ロシアや中国、韓国などに致命的な隙を見せつけ、日本の防衛を危機に導いている契機は尖閣諸島漁船衝突問題である。これへの対応の失敗が今日のひどい状況を招いている。直接の責任は、自衛隊を暴力装置だなどと公言して憚らない、極左愚連隊(きょくさぐれんたい)の仙谷由人前官房長官にあるが、何と言っても最高責任は当時総理大臣であった菅直人氏である。被災者救済の遅れと言い、原発事故対応の拙(まず)さと言い、尖閣漁船衝突事件の対応と言い、稀代の無能宰相であった。

 そして現職総理大臣の野田佳彦氏、彼も菅氏に引けを取らないどころか、より有害な首相と言える。その場を糊塗する弁舌だけは巧みに操るが、吐き出す言葉には心が全くない。巧言令色鮮なし仁を地で行く人物である。だが、これは甘すぎる評価である。デフレを放置し、底なしの官僚利権(税金食いつぶし)を放置したまま消費大増税を叫ぶ。それに加え国民に十分な説明も検討もさせず、いきなりTPP実質参加を進めるという、これも稀代の悪宰相である。菅から野田という、二代の国家転覆宰相を出してしまった日本は、内政の部分でも外政(主に国防政策)の部分でも危殆(きたい)に瀕する状況になってしまった。

 国家の危急存亡時こそ名利(みょうり)を離れたリーダーが必要なのだが、菅・野田という国民を無視した名利オンリーの愚物宰相たちが国政の舵を切った。平沼赳夫氏は、民主党には国家(観)がないと言う。まことにその通りである。国家、つまり日本国民が住む領土をしっかり防衛し保全しないで国民の安心はない。また、TPPは経済問題と言うよりは、ISD条項の本質を捉えれば、これは明らかに国防問題である。郵政民営化もその本質は国防問題であるが、今までその観点で論じた光景をあまり見ていない。言論にバイアスが掛かっているからである。

 郵政民営化にしても、TPPにしても、日本の為政者は切実な防衛問題を内政問題として矮小化し、結果的にアメリカや他国に都合の良い方向に持って行かれる。民主党は鳩山-小沢ラインに党内クーデターが起きてから売国政党に変質した。国家解体政党と言い換えてもよい。それを象徴的に物語るものは、野田佳彦氏の過去のシロアリ退治演説と現在の演説の断層である。植草一秀氏のメルマガ読者が植草氏にその動画の存在を知らせ、植草氏が主宰する人気ブログ「植草一秀の『知られざる真実』」でその動画を紹介したところ、それは瞬く間に拡散し、テレビやラジオでも話題になり国会でも何度か取り上げられるに至った。Photo_2

 国会中継の中で、政治家が野田総理への質問の中でこの動画を取り上げたことは実に大きなことだが不思議なことがある。彼らはこの動画について、「今やすっかり周知になった」という形容はするが、拡散元である植草氏の名前を決して言わない。ここまで知れ渡った動画であるならば、それを引用する場合、常識的には拡散元を言わなければおかしい。「植草一秀氏がインターネットから広めた動画ですが」と、一言断ってから披露するべきだ。それがルール(社会規範)なんです!! ところが、国会でもマスメディアでも、不思議なことに拡散者である植草氏の名前は言わずにその動画に言及する。少なくても私が知る範囲ではそうである。よく分かっていて言わない理由は、小沢一郎氏と同様に、植草一秀氏も「閉ざされた言語空間」にカテゴライズされる有識者の一人だからだ。

 だからこそ議会でこの動画を引き合いに出す政治家連中は、アメリカ政府筋に睨まれることを恐れ、拡散由来が植草氏であることを押し黙っている。小泉政権を牽引した自民党や公明党議員の場合は特にそうである。彼らが植草氏の名前を出すことは、同時に自分たちが行った過去の後ろめたい政治的な罪が見えてくるからである。日本では、アメリカを面と向かって批判できる有識者こそ本物中の本物なのである。これに比べれば野田どじょうポチが如何に醜い日本人か分かろうというものである。

 アメリカに阿諛追従して下卑た笑いを浮かべる御用有識者たちは「開かれた言語空間」に位置している。この皮肉が分かる人はいたって少ない。日本ではアメリカに隷属するという前提条件の中でしか自由な言論は得られない。その自由さとは、アメリカを決して批判できないという、目に見えない表現コードがかけられた自由なのである。日本人10人中6人がアメリカに「ノー」をきちんと言えるようになれば、日本は自然に独立国家となる。そのように六割がアメリカを睨むことができれば、アメリカも簡単に日本人を謀略の罠に嵌めたりはできなくなる。

 日米関係の真相に国民がなかなか気づかないのは、日本のマスメディアや教育が、アメリカの陰険さ、狡猾さ、他国からふんだくる暴力的な戦争経済の実態を教えないからである。なぜなら、彼らは「閉ざされた言語空間」の中でしか棲息できない歴史を背負っているからである。アメリカと戦った先人たちは、今のわれわれよりもよっぽど日本人らしい気概とプライドを持っていた。今の日米関係が、古代ローマとカルタゴの関係になっていると知る人がいったいどれくらいいるだろうか。目覚めてアメリカの桎梏を外さなければ、この延長上にはヴァニシング・ポイント(消滅点)が待ち受けているだけである。

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2012年2月26日 (日)

映画「ゼイリブ」と小泉政権以降の日本

(この作品は、パロディストのマッド・アマノ氏に作成していただきました。大変ありがたいことです。)
1984500

Photo 1988年と言えば、今から24年も前のことだが、アメリカのジョン・カーペンターという鬼才の監督が「ゼイリブ(THEY LIVE)」というSFアクション映画をリリースした。簡略にこの映画のあらすじを述べると、定住場所を持たないその日暮らしのロディ・パイパー(主人公)はやっと建設現場の日雇い仕事を見つける。そこで知り合った仕事仲間のキース・ディビッドは無宿者のパイパーを、ホームレスたちを支援するキリスト教系のコミューンに紹介する。

 夜露をしのぐために一時的に暮らすことになるそのコミューンで見たテレビには、時々電波ジャックによって奇妙な放送が流れていた。「彼らは我々を洗脳している。この社会は彼らの作ったニセモノだ。彼らは我々を支配しようとしている」。海賊放送局はある小さな教会だった。興味を押さえきれなくなったパイパーは、その教会に侵入したが、教会は武装警官たちに襲撃される。逃げ出したパイパーはその後、無人の教会に忍び込み、壁の中に仕舞われていた多くの特殊サングラスを見つける。

 このサングラスを透して見た街の様子は驚愕するほどに一変していた。街にある商業用の看板類には、見慣れた商業宣伝文とは違って、「OBEY 服従しろ」、「考えるな」、「消費しろ」、「結婚して子供を生め」、「政府には逆らうな」、「テレビを見ろ」、「眠っていろ」という命令形のメッセージがくっきりと書かれていた。サングラスはこれだけではなく、街に行き交う大半以上の人間が、骸骨のような顔をした異様な者たち(異形の者たち)であることをくっきりと映し出していた。この地球上に人間に偽装して紛れ込み、支配者層まで牛耳ってしまった宇宙人たちの姿であった。人間の意識を操る電磁波のような科学技術は街中に張り巡らされ、そのことが分からないように人間集団の識域下(サブリミナル)に、隷属するように常に働きかけていた。

 この時、パイパーは、人間が彼らによってサブリミナルに干渉され、購買意欲をそそられ、支配層に反感を抱いたり疑ったりしないように、絶対服従を強いられていること、それが四六時中無意識下で洗脳されていることを知った。真実を知って怒ったパイパーは、この事実を全ての人々に伝える決意をする。

 この映画はSF風味のストーリー展開の中で、爆破シーン、アクションシーンがふんだんに盛り込まれ、他のハリウッド映画と同様に視覚的な娯楽性に満ちているが、カーペンター監督の真意はまったく別のところにあるとしか思えない。神州の泉はこの作品が大好きで、今まで何度も見たが飽きることがない。それはこの映画がある種の真実性に基づき、迫真に満ちているからである。また作品を一貫して流れる通奏低音のような重々しいテーマ音楽もジョン・カーペンター自身の手作りであり、まさに名曲であるが、その効果はこの映画の持つ深刻な本質を際立たせている。最初に見たときは単なるB級ホラーSF映画だと思っていたが、実は非常に生々しいリアリティに取り込まれて強く意識の底に引っ掛かる映画だった。この生々しさが何に由来していたかを、はっきりと知ることができたのは、この十年くらいの間だった。

 この映画は、B級SF映画の体裁を取ってはいるが、その内実はアルビン・トフラー級の高度な文明批評となっている。このカーペンター監督自体が筋金入りの体制批判派であり、アメリカ型資本主義に対する痛烈な糾弾としてこの作品を世に出したとしか思えない。主人公の属性を底辺層根無し草の日雇い労働者として設定し、徹底的にその視点から描いていることで、この作品がアメリカ型金融資本主義に対し、強い怒りを以て挑みかかっていることが分かる。実に勇気ある監督さんである。おそらくマイケル・ムーア監督も強くこの作品に影響を受けている。

 日本人の想像をはるかに超えたことだが、アメリカ合衆国においてユダヤ金融資本の批判を行うことは御法度(ごはっと)中の御法度(古臭い表現で申し訳ないが、今風に言えばタブー中のタブーという意味)となっていて、それを敢えてやることは直接命の危険にまで及ぶことなのである。日本ではマルコポーロ廃刊事件がわずかにそのことを物語っている。アメリカ由来の「閉ざされた言語空間」は日本が抱える問題の枢要を占めるが、実はそのアメリカでさえも、欧米型の「閉ざされた言語空間」が不文律のように屹立していて、ウォールストリートと軍産複合体を支配するユダヤ金融資本(奥の院)の批判はいっさい行えないようになっている。その視点から「ゼイリブ」を投射した場合、カーペンター監督がいかに勇気のある人物であるかが見えてくる。

 この作品は宇宙人が人間社会にこっそり紛れ込んでいて、人間の意識を眠りに導き、せっせと生産と消費だけに専念する奴隷に追い込み、支配層がそこから富を搾取するシステムの恒久的温存を堅持する世の中を描いているが、この宇宙人を「ユダヤ金融資本家」と、それに隷従する人間たちと置き換えれば、この映画が何を糾弾しているか、一目瞭然であろう。神州の泉は、小泉竹中構造改革路線が生み出したあまりにもひどい政治出力を見て、それがこの映画とシンクロしていることを10年くらいに前に痛感した。シカゴ大学経済学派が創設し、ワシントン・コンセンサスが世界に放ったグローバリスムは、新自由主義の非人間的な荒廃を世界中にもたらしている。超格差社会現出の大弊害は、その国固有の伝統文化まで破壊し尽くしている。

 今から四半世紀も前に今日の欲望金融資本主義の猛威を、その発信国であるアメリカで見通し、映画という手法で警告を発していたジョン・カーペンターという監督は傑出的な文明批評家である。「ゼイリブ」と小泉政権以降の日本を見比べてみれば、この映画が今日の日本を余すこところなく表していることが分かるだろう。映画の中ではマスコミも警察も、彼ら(They)の支配下に置かれている。これなども現下日本のマスコミ、警察、検察、裁判所がアメリカ隷従既得権益複合体の支配下にある現状と完全にシンクロしているではないか。映画の冒頭部分に出ていた支援コミューンは、湯浅誠氏が2008年に緊急的に設置した「年越し派遣村」の光景にぴったりと重なっている。現代文明は金融資本家たちが、欲望資本主義を加速化させ、人類や自然環境を後戻りできない終末的な極相に遷移(せんい)させつつある。これを映像的に視覚化したところに「ゼイリブ」の真骨頂がある。その意味でこの映画は歴史的な傑作と言えるだろう。

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2012年2月25日 (土)

洗脳スクリーンと電波芸者たち

 (作品はマッド・アマノ氏によるものです)
1 前回エントリーで、テレビのお笑い番組が視聴者に対して政治的な目くらまし効果をもたらし、政治の本当の姿が見えないように国民の志向性を誘導していることを書いた。日本のテレビが供給するお笑い番組、グルメ番組、クイズ番組等、様々なバラエティ番組やワイドショーは、その放送目的が絶え間なく衆愚操作を行うことにあると断じても過言ではない。つまり、テレビ番組のほとんどは衆愚操作のツールとして用いられているのだ。そこには古今東西、支配層が民衆統治を行うとき、「由らしむべし 知らしむべからず」という基本が行われていることを意味する。

 作家の五木寛之氏の「下山の思想」(幻冬舎新書)には、民(たみ)という漢字の語源が書かれていた。それを参照すると、「漢字源」によれば、民(たみ)という漢字は、〈目を針で刺すさまを描いたもので、目を針で突いて見えなくした奴隷をあらわす。(中略)物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意〉ということだそうだ。実に残酷な意味を含む漢字であるが、民、民衆、大衆を統治するときは、彼らに真実を明かさず、意識を半眠り状態にしておけば、不満も反乱も極小化できてまことに都合がいいという話である。つまり大衆愚民化こそ統治原理の重要な基本路線ということになる。

 偽書と言われる「シオン長老の議定書」第13議定には、人々を日々の生活にあくせく追い込み、その追い詰められた心理を束の間解放するために、3S(スポーツ、セックス、スクリーン)にうつつを抜かさせるようにいざなう、と言うように、国民を衆愚化させ、真実に目が行かないように仕向けるというようなことが書かれている。偽書だろうが、真書だろうが、世界はこの通りのことが起きている。映像メディアは、無声映画からトーキー映画に変わり、テレビ、インターネット、スマートフォンなど多岐に発展してきた。スクリーンはテレビやスマホの普及でほぼ全国民に浸透している。携帯の契約数はついに日本総人口を1%超えている。この電波スクリーンは、毎日の食事と同じようにごく当たり前にわれわれの日常に入り込んでいる。

 われわれが何気なくテレビを付けてしまえば、テレビ受像機はこれでもかと、一方的に愚民化放送を垂れ流してくる。そして無害な娯楽番組だと思ってバラエティやワイドショーを見ると、そこには悪意ある政治の誘導操作が待っている。バラエティ番組は政治とは関係ないと思うかもしれないが、それは明らかに知性の鋭敏化とは正反対の知性の鈍磨(どんま)を伴う。大衆お笑い番組や飽食の堕落化を奨励するグルメ番組などで、人々の知性は鈍化し、そのためにメディア・リテラシーが働かなくなる。つまり、現今日本のテレビ番組はほとんどが大衆愚民化を狙っており、それを見た国民は政治に対して盲目になるのである。

 この状況で文化人と称する電波芸者たちが、もっともらしいことをテレビで言えば、テレビ性受動状態に取り込まれた国民は、いとも簡単に意識や考え方を誘導されてしまうのである。本人はそう思っていなくても、視覚と聴覚に同時に訴えかけるメディアの刷り込み効果は想像を絶するほど強力である。これに加えて民放はコマーシャルをひっきりなしに流し、人々にサブリミナル的に購買意欲を喚起させる。ちょっと考えれば分かるが、バラエティ番組やワイドショーの運営資金は企業からのCM料金で成り立っている。そうなると、大企業や富裕者層に都合の良い政策が実現されるためには、企業は番組内容まで干渉してくることが十分に考えられる。企業は自社製品の宣伝のみならず、番組コンテンツを介して視聴者の政治志向まで誘導する場合がある。

 これは植草氏が指摘したことだが、2008年夏にフジテレビ系列で、木村拓哉氏が総理大臣となる「CHANGE」というドラマが制作されたが、小泉政権の出力のひどさに辟易した国民が、新しい政治潮流を希求し始めたことを利用して、外観だけ衣替えして、その実、小泉・竹中政治をサバイバルさせようと、いかにもCHANGEを行うかのような偽装を施した新勢力が生まれる下地を作ったドラマである。この場合のCHANGEとは政治の偽装刷新のことであり、ドラマ自体が一種の政治誘導となっている。これに財界・大企業の思惑がないと考えるほうに無理がある。

 つまり、政治献金は政治家だけではなく、明らかにテレビ業界にも流れている。政治献金の全面禁止はもちろん必須だが、テレビと大企業の政治癒着を助長するカネの流れも止めるべきであろう。もっとも、CM料自体がそういう性格を帯びてはいるが。クロスオーナーシップに縛られている、旧態依然としたマスメディアは完全解体して、国民の負託が生きている資本によって再構築されるべきである。その点で国民の側に立った強力な政治家が必要である。

 テレビに登場し、長く名を売っている人々は、そのスタンスを国民側ではなく、支配者側、すなわち既得権益複合体に置いている場合が圧倒的に多い。なぜなら彼らは国民世論を支配者側に有利になるように巧妙に誘導する任務を帯びているからだ。それは御用政治家、御用学者だけではなく、バラエティタレントも例外ではない。北野たけしことビートたけし氏は、いつの間にか支配者側に魂を売り渡し、その知名度を利用して、折に触れ支配者側に都合の良い政治誘導をする姿が見える。例えば原発事故前においても、彼のスタンスは強力な原発擁護である。『新潮45』の記事を見ると、ビートたけし氏は臆面もなくこんなことを語っている。

 「民主党はCO2を25%削減すると大見得切ってしまったけれど、これからどうするつもりなのか。火力発電よりも圧倒的にCO2排出量が少ない原子力発電を使っていくしかないでしょう」「原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはずだから、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)」(『新潮45』2010年6月号)

 こういう発言をするからには、原子力マフィアとそうとう深いつながりができていると見なすしかない。お笑い界の大御所は、いつしか既得権益複合体に魂を売り、その仕事はテレビでの立ち位置を利用して、世論誘導を行うという汚れ仕事に徹している。このスタンスを冷静に捉えるなら、彼が良心の経済学者である植草一秀氏を何度か嘲笑したこともさもありなんという感じである。彼に限らず異常に売れ続けている電波芸者たちは、法外な毒饅頭を食らって国民を裏切っている。

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2012年2月23日 (木)

お笑い番組は政治的情報統制の一環

 今、日本の政治や経済で、それがどんな方向性を持ち、政策として実施されたら、誰が得し誰が損するのかということは、国政に興味を持つ者であれば、誰しもが知りたいことの一つだろう。もちろん政治は損得勘定だけではないが、少なくても日本の政治は利害得失が極めて大きな要素となっている。現下日本マスコミの最大の罪悪は、国政(国策)の方向性やその内実が、国民生活に寄与するかどうか、あるいは対外的にその政策実行が国益を害するものか否か等を、国民が考えないように、その志向性に幕を掛け、常態的な思考停止に置いてしまう報道に徹している。

 もっと端的に言うなら、マスコミの報道姿勢は、この日本を操る権力実態の大衆愚民化政策に基づいている。それを説明する事例はあまりにも多過ぎて、かえってピックアップしづらいのだが、まずは日本のテレビ番組を指摘するだけで十分だろう。どの局を見回しても、愚劣なお笑い番組が放送の大半以上を占めている。娯楽番組そのものは、国民の慰撫(いぶ)や明日への希望を保つスパイスとして必要なものであろう。だが、日本のお笑い番組やワイドショーは、アート的な価値が皆無どころか、有害な愚民化内容で占められている。

 私は古典落語や創作落語あるいは漫談、漫才など、既存の伝統話芸に基づいた芸は素晴らしい日本の文化だと思っている。だが、今日のお笑いをもたらした、ビートたけし氏、明石家さんま氏、島田紳助氏らの笑いの質は、この日本に鵺(ぬえ)のように居座っている対米隷従既得権益複合体にとって、実に都合の良い愚民化報道の材料を提供している。分かりやすく言えば、彼らが築いたお笑いの基本態様は「他者棄損」を手法としているのだ。人間個人の存在様態は単色で説明できるような単純なものではなく、長所、短所、個性、その他さまざまな属性に彩られており、全体として一人のパーソナリティを保っている。

 ビートたけし氏らが開発したお笑いは、他者のマイナス要素を過度にピックアップして、無理やりお笑いの形に仕立て上げるという、言わば下衆(げす)の基本形を持っている。これが育ちざかりの子供たちに与える効果はいじめの構造を蔓延させ、その教育上の悪影響は甚大である。一方、大人たちが彼らのお笑いを見た時は、即物的な笑いを得るが、その後味は無機質な空虚感だけである。ここまで言えば、読者は今、日本のテレビ界を席巻しているお笑いの本質が、既得権益複合体にとって大変都合がいいという、私の論旨をご理解できるだろう。

 対米隷属色が濃厚になった中曽根政権に始まり、小泉政権に至って華々しく開花した新自由主義は、歴史的に根付いていた連帯感や共同体意識を溶解させ、人々の社会的存在様態を徹底的にアトム(原子)化した。ミルトン・フリードマンを始めとするシカゴ経済学派が創設した新自由主義は、様々な国家群の独自性、固有性を破壊することによって、国際金融資本が金融収奪をするために敷設した悪魔の経済思想である。これに対して、防衛するどころか、彼らの走狗となって積極的に働いた政官財複合体は国賊としか言いようがない。

 新自由主義がもたらす人々のアトム化、共助性の否定、自分さえよければ他人は犠牲となっても構わないという風潮は、ビートたけし氏らが築いてきたお笑いの基本構造とぴったり一致する。つまり、江戸時代から連綿と続いているお笑いの伝統話芸に対し、前衛の形をとって出現した新様式のお笑い芸は、それまでの伝統芸をアウフヘーベン(止揚)して、新たな芸風に進化したという構造とは全く別のものであり、明らかに日本固有の伝統文化の破壊しかもたらさなかった。これは国民を愚民化したまま都合のいいように支配誘導しようとする、既得権益複合体をサブカルチャーの側面から強く補佐する構造となっている。

 別な言い方をすれば、今のテレビがのべつ幕なしで流し続けているお笑い番組は、深層において強い政治性を持っているという話である。その目的は視聴者が本当の政治を考えないこと、日本の権力構造の実態を考えないようにすることにある。ビートたけし氏が日本の芸能界やカンヌ映画祭などで特別扱いされているのは、彼が偉大なアーティストだからではなく、彼が日本を操る権力実態や国際金融資本にとって都合の良い芸風を築いたからに他ならない。この形は、明石家さんま氏、島田紳助氏、爆笑問題の太田光氏などにも当てはまる。

 ビートたけし氏が監督となって一連の映画作品が世に出されているが、私の個人的感想を言えば、全く評価に値しないしろものとしか言いようがない。彼の映画には彼の内面を支配する索漠とした凄絶な虚無感や、希望とは正反対のどす黒い狂気が滲み出ている。現行憲法では思想表現の自由が謳われているから、何を表現しようと自由であるが、同時に評価も自由である。こんな愚にもつかない作品群が評価される背景には、明らかに政治的意図が存在する。

 もっとはっきり言えば、新しく漫才ブームを築いた時代は二つの潮流があり、一つはコント55号に代表される古典芸能の様式を受け継いで止揚した芸風だった。これは萩本欣一氏の人格を語るまでもなく他者を持ち上げる芸風である。これに対し、ビートたけし氏らの芸風は徹底した他者棄損であり、笑いの質は蔑視や嘲笑を基本としている。これがどれほど日本社会の品格を地に堕とし、日本人の知的佇まいに悪影響を及ばしたか言い尽くせないものがある。ビートたけし氏や爆笑問題の太田光氏が、経済学者の植草一秀氏をテレビや誌上で誹謗中傷した事実は、決してお笑い手法の勢いから出たものではなく、明らかに政治的情報統制の一環として出たものである。

 つまり、漫才ブーム以来、テレビが提供し続けるお笑い番組は、国民の興味から政治の本質を逸らす目的で流される負の政治キャンペーンに他ならならない。対米隷属既得権益複合体は、国民に真相を知らせず、自分たちの権益保護を持続するためと、国民の貴重な労働成果や血税を搾取すること、宗主国アメリカ様に貢(みつぎ)物を贈るために、テレビ放送を使って国民の知的な政治参加を妨害し続けている。テレビのワイドショーも同じ構図にある。一応政治に触れてはいるが、肝心のことについては徹底的に情報統制を行っている。つまり、テレビや新聞からは本物の政治情報は決して得られない。それどころか、絶え間ない愚民化放送で、国民が政治を真面目に考えられないように情報攪乱しているのである。

 その意味で、インターネットの阿修羅掲示板は、国民が政治的な正気を保つうえで役に立つ唯一の言論空間であろう。アメリカも既得権益複合体もここを潰したくてうずうずしていることだろう。

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2012年2月22日 (水)

チーム品川(品川エリア国策捜査専従班!?)

 週刊経済編集長である三上直行氏がJR京浜東北線車両内で、痴漢(東京都迷惑防止条例違反)の現行犯で逮捕されたニュースを聞き、即座に鮮明な既視感が疾走(はし)ったが、その理由は経済学者の植草一秀氏が狙い撃ちされた、二度の国策捜査事件とぴったりと重なったからである。二度の国策捜査事件とは世に言う「植草事件」であり、それは2004年4月の「品川手鏡事件」と、2006年9月の「京急事件」を指している。まず、この二つの植草事件のあらましを簡単に説明しておく。

(1) 2004年4月8日 品川駅構内手鏡事件のあらまし

 4月8日の品川事件は、植草氏が、中田宏横浜市長が主催する昼食会を兼ねた勉強会で講演した帰りに起きた。彼が横浜駅ビルの書店に立ち寄った時、変わった様子の男が3人、後をつけてきた。目当ての本がなかったので、自宅の最寄り駅である品川へ向かおうと、京浜東北線に乗るが、その間も不審な男たちが植草氏を追尾していた。品川駅の改札を出てバスターミナルに降りたが、電話を入れる用事に気づき、携帯電話をかけられる場所を探した。適当な場所が見つからず、エスカレーターで公衆電話コーナーに戻ろうとして、中程まで上がった所で、右ひじを後ろからつかまれた。

 「警察だ。横浜からずっとついてきている」。神奈川県警の鉄道警察隊に所属する志賀博美巡査部長(当時)だった。「ポケットの中の所持品を出せ」と言った。左ポケットから手鏡が出てきた。警官は「手鏡か」と驚き、携帯電話を出せと求める。アタッシュケースの中から携帯電話を取り出した。高輪署では、非常に小さな微罪なので、容疑を認めれば罰金を払ってすべての処理が完結する。マスコミへは公表されないが、否認すれば長期勾留になり、仕事もできなくなると言われた。植草氏は、品川駅に防犯カメラがあることに気付き、映像の確認を取り調べの警察官、検事らに訴えたが、10日も経ってから「消えた」と告げられた。

 この事件は不審な男たち(私服警官)が登場し追尾している場面からして異常であり、駅構内の複数の防犯カメラ映像のチェックを求めたにもかかわらず、その訴えは無視され、映像記録は通常通り消去された。状況と言い、推移と言い、これは複数の警察官による捏造捜査を示している。

(2) 2006年9月13日 京急事件のあらまし

(作品はパロディスト、マッド・アマノ氏によるものです)
_72 9月13日、植草一秀氏は、午後六時半、JR大崎駅に連結する大崎ニューシティビルにある中華料理店にて懇親会に出席し、ビールや紹興酒(しょうこうしゅ)等を飲んだ後、JR大崎駅から電車で品川駅に向かったが、宴会途中から品川駅の京浜急行改札までの間の記憶は断片的にしかなかった。

 京浜急行の改札を通って前から3両目から乗ったようであるが、うっかり乗ったその電車は行き先である泉岳寺方面とは逆方向だった。「あ、反対行きか」と気づいたが、「まあいいか」と思って乗った。電車が発車する前に一度「やっぱり降りようか」と思ったが、その瞬間に何人かの人がどどっと駆け込んできてドアが閉まり、結果的に降りることはできなかった。

 その後、女性の声を聞いて、目を開けるまでは半眠りの状態、つまり強い睡魔に襲われながら、目をつむったまま、かろうじて立っていた状態だった。女性の甲高い声を聞いて目を開き、その動作を見て、植草氏はとっさに「痴漢騒ぎかも知れない」と感じ、「絶対に関わり合いになりたくない」と思った。たったこれだけのことが、その時の植草氏に自覚しうる全てであった。

 さて、スポーツ新聞、夕刊紙、テレビ等各種メディアは、午後10時10分ごろの京浜急行品川―京急蒲田駅間を走行中の車両中央付近で、女子高生の右後ろに位置していた植草氏が、左手で数分間触り続けたというものだった。被害者の抗議の声を聞きつけた一般人の男性乗客が彼を取り押さえて駅事務室に連れて行き、蒲田警察署に引き渡した経過が報道された。この事件名は「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例違反」であるが、報道では「東京都迷惑防止条例違反」と書かれた。

 神州の泉と支援仲間は、この裁判を傍聴し、速記録を取得したが、公判記録や報道様態をつぶさに調べると、この事件も謀略によって仕組まれたという結論を得ている。

 以上の二つの事件を植草事件と言うが、神州の泉が何度も書いてきたように、この二つは植草氏の言論弾圧を目的とした国策捜査事件である。さて、今度はこれら二つの植草事件と2月19日(日)に起きた週刊東洋経済編集長の事件を比べてみると、実に奇妙な共通点が存在することに気が付く。京急電鉄とJRの違いはあるが、共に品川駅を含み、品川と横浜間で起きている。とすれば、このエリアを根城とする国策捜査専従チームがいるという推測も出てくるのである。

 痴漢の謀略事件は、被害者役、逮捕者役、目撃者役、加えて周囲に謀略事件を目隠しするために配置される数名の工作員がいれば、ほとんど狙った人物を嵌めることが可能である。敗戦後の日本は、日本国憲法第21条に謳われる「思想・言論の自由」よって、国家権力がこれを弾圧できないことになっている。だが、実際にそうだろうか。昔の特高(特別高等警察)という思想弾圧警察は表向き存在しないことになっているが、神州の泉はこの組織が闇に潜伏して、脱法的に存在していると確信する。なぜそれが言えるのかと言えば、国策捜査が頻繁に起きているからである。明らかに官憲組織を通じて国策捜査発動機関が存在していると捉えたほうが合理的なのである。国策捜査は一介の検察官僚や警察官僚の裁量ではできない。明らかに組織機能が存在しないと無理である。日本には国策にそぐわない言論活動をする有識者を、汚名の罠に嵌める専門の黒い機関(ブラックチェンバー)が存在する。

 植草事件と、週刊東洋経済編集長(三上直行氏)の事件の背景には、品川エリアを根城とする国策捜査専従チームが存在するのかも知れない。それを便宜的に「チーム品川」と名付けておこう。

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励起(れいき)民族としての立ち位置

 2001年9月11日、アメリカ合衆国で同時多発テロ事件が発生して以来、アメリカはイラク・アフガニスタン侵攻し、ショックドクトリンを利用した戦争経済に加速的に突入して行った。アメリカを牛耳る軍産複合体は、世界中に戦争や紛争を起こし、そこを破壊して分捕った利益でなければ、自分の図体を維持できないようになっている。911同時多発テロ後、ブッシュ(Jr)大統領は「無限の正義」という作戦名を発表したが、イスラム社会はアメリカのこの思い上がりに猛反発した。これはやばいと思ったブッシュはそれをすぐに引っ込め、「不朽の自由」という新名称に姑息に変更した。

 この当時、まだ世界の警察と西側正義の御本尊を自認していたアメリカは、この「不朽の自由」作戦から、加速的に国家としての威信と力を失っていった。経済学者の植草一秀氏が糾弾したりそなインサイダー取引疑惑は2003年五月以降に外資(米系国際金融資本)が大儲けをする形で進んだ。この年の3月20日に米国はイラク戦争に突入している。この時期の一致は偶然ではない。米国はイラク進攻の戦費の大部分を日本から吸い上げたわけである。これに手を貸したのが小泉・竹中政権であった。こうしてみると米国のイラク参戦に、国民合意を経ずに、世界でいち早く賛同の意を表した小泉元ポチ首相のポチぶりが分かるだろう。
 
 日本は愚劣な宰相を生んだために、りそなインサイダー取引で心ならずも米国の戦争経済に積極的に加担したことになるわけである。恥を知る心(廉恥の心)は、古来から日本人の特徴であったが、戦後はアメリカに感化され、物欲と金銭欲の虜となった日本人は、本来の恥を知る美徳を失い、小泉・竹中構造改革を看過してしまった。その結果が今の野田政権に繋がっている。野田首相はシロアリ退治をアピールした過去の栄光を忘却し、そのことを封印して恥じない。この姿に国民は恥ずかしい思いをしている。このような総理大臣が選ばれてしまうのも、日本が国家として脆弱化していることを意味している。

 これを大枠で眺めると、日本国家統治機構の衰退であるが、これは同時に覇権大国アメリカの没落と同期している。平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声」で始まる名文がある。この中に「盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす」と「おごれる人も久しからず」という二つのフレーズが出てくるが、これは仏教でいう万物流転の世界観であり、どんなに傲慢で居丈高な奴でも、やがては栄枯盛衰の理に従って衰亡していくという話である。天人五衰(てんにんごすい)も有為転変(ういてんぺん)もその仲間である。人間は誰一人の例外もなく生老病死(しょうろうびょうし)という、言わばエントロピー増大則に従ってその生命現象を萎(しぼ)ませて行くが、だからと言って悲観することはない。

 人間の生命活動に付随する精神活動だけは、この熱力学第二法則に反して絶え間なく秩序ある世界観を紡ぎ出していく。その結果創造された新しい価値は、次世代が造るもっと新しい価値の土台や素材として受け継がれていく。それがあらゆるアートや職人芸、すべての職業活動に表れ、そうして人類の歴史は持続していく。そう考えると、百年に満たない個々人の儚い寿命であっても、この地球に一瞬でも存在できたことは素晴らしいことではないか。日本人が平家物語冒頭の短文を、長きにわたって深く好むのは、われわれが「もののあはれ」を感得できる唯一の民族だからである。はかないもの、滅びゆくものに美しさと感動を汲み取るのは日本人最大の特質である。この感性が築いていくものは、人間や生物を含めて環境を傷つけない。この感覚を文明に反映させる以外に、人類が仲良く共存しながら暮らしていく可能性はないだろう。

 Photo阪神淡路大震災の時も、昨年の東日本大震災の時も、日本人はパニックを起こさず整然と秩序ある佇まいをもって助け合った。外国人はこれを不思議がったが、不思議でもなんでもない。日本人は危機に際してこの「もののあはれ」が自然に発動するのである。この性質は、日本列島という四海に包囲された狭隘な島国で、奪い合わず、喧嘩をせずに共存するにはどうすればいいのかを、数千年間模索し、自己陶冶し、実践した結果、ついに獲得された民族特質である。これは新興国家アメリカのような歴史のない国ではまったく為しえない時間の偉業なのだ。万葉の世界観こそ、次世代人類文明のひとつのヒントなのである。

 もののあはれ・・、若い人は、日本人のDNAに内在するこの最大の特質を深く理解して、日本人に生まれた幸せを噛みしめて欲しい。欧米白人種が築き上げた、科学と資本が暴れ回る近代文明は、今や終焉の瀬戸際にある。世界は新しい文明モデルを模索し始めた。日本人の「もののあはれ」という感性はその一つの方向性を示唆している。311大震災も、原発事故も、日本人をこれだけ叩きのめしているが、日本が世界の精神的なモデル国家として輝く前の黎明期だと思って乗り越えていくしかない。世界人類がモデルとする新しい文明の雛型(ひながた)は、日本の若い人々から築かれていくことになるだろう、と、神州の泉は常日頃感じているのである。年を取れば取るほど、日本の若い人々が巨大な可能性を孕んでいることを強く感じている。

 この記事のタイトルを「励起民族としての立ち位置」と書いたのは、日本が他の民族を感化できるアビリティを持っていることを言いたかったからである。励起(れいき)とは工学で使われる用語であるが、分子・原子・原子核などの量子力学的な系が外部からエネルギーを得て、初期状態よりも高いエネルギー水準を以て定常状態(励起状態)に移行することを言う。西洋近代文明の行き詰まりと没落を踏まえ、世界はバイオスフィア(生物圏)を熱平衡(死の状態)に導かない、環境調和型の文明を模索している。これには大量生産、大量消費のモデルを捨てて、先進諸国はなるべく早く「下山の思想」を考えるべきである。これは老荘思想で言うところの“小国寡民”の理想モデルを追及する。これはTPPを推進するアメリカ・グローバロズムの思想と対極に位置する世界観である。今後、日本は経済や軍事の覇権国家ではなく、他の国々がモデルとしたくなるような励起(れいき)国家を目指したほうがいい。そのためには、先祖たちがその精神に涵養した“もののあはれ”がキーワードになる。

 今一度、慣れ親しんだ平家物語冒頭の文を味わってみたい。英語ではこの波動はけっして伝わってこない。


祗園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

娑羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

おごれる人も久しからず

唯春の夜の夢のごとし

たけき者も遂にはほろびぬ

偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ

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2012年2月21日 (火)

警察国家に向かう日本

(パロディスト、マッド・アマノ氏の作品です)
Photo 日本という国は近年、加速的に警察国家に傾いている。そのために熾烈なる情報統制の動きが、目立たない形で進行してきた感がある。そのことと、日本をネオリベ構造に切り替えた小泉政権以降の国家の変質は大きな相関関係がある。

 戦後70年近く経過したが、日本は偽りのパシフィズムの中で、今まさに“砂上の楼閣”国家になろうとしている。敗戦時の壊滅国家は、驚異的なスピードでインフラを復興したばかりか、高度経済成長を経て世界第二位の経済国家に成り上がった。しかし、その日本も平成不況に突入して、はや20年をはるかに超えてきた。21世紀の幕が開け、2001年の4月に始まった小泉政権は、ワシントン・コンセンサスの流儀を狂気のように信奉する竹中平蔵氏を中心に、日本の構造調整、実は構造の大転換という禁断の作業を断行した。その結果は言うまでもなく、国民を苦しみと絶望のどん底へ追いやった。自殺者が年間三万人を超え、凄絶なる経済不均衡(超格差社会)が生じつつある日本は、自分を失ってさまよい続けている。小泉竹中構造改革は日本市場や日本社会の固有性、安定性まで破壊し尽くしてしまった。

 ワシントン・コンセンサスとは、手っ取り早く言うなら「対日年次改革要望書」の骨格を貫ぬく基本理念である。基本理念と言えば、大層立派に聞こえるが、要は国際金融泥棒、すなわち、地球全土をまたにかける“ならず者金融資本屋”たちのための収奪マニュアルに他ならない。その考え方は、国によって垣根を設けない投資の自由化、公的部門の民営化、小さな政府(政府介入の極小化)、規制緩和、緊縮財政、金融引き締めなどである。これらは個々に見ると、それぞれにやり方を間違えると、とんでもない危険を孕んでいるが、経済の専門家や担当大臣はこれらについてリスクアセスメントをやっているようには見えない。それどころか積極的に受け入れているように見える。

 素人でも危険だなと分かるものばかりである。例えば投資の自由化であるが、米国は自国の安全を脅かす、外国資本による自国企業支配を制限するエクソン・フロリオ条項なるものがある。ところが日本はそれに該当する防衛条項がないために、日本の大企業に無防備に外資が流れ込んでいる。この状況で、郵政民営化が始動し始める前の2007年の5月には三角合併が解禁されている。2005年9月の郵政民営化総選挙では、外資脅威論からの民営化危険説が締め出されている。つまり、小林興起氏らに代表されていた民営化反対論は、国防の観点から「日本版エクソン・フロリオ条項」の可能性を論題に上げようとしていたが、政府方針と一体化したマスコミはこれを徹底して封じた。

 この当時、エクソン・フロリオ条項の可能性を日本でも考えようとした議員は愛国派と言ってもよい。なぜなら、これは「閉ざされた言語空間」に斬り込んで、国防的概念を持つからだ。自分の知る限り、この当時、エクソン・フロリオ条項に言及した大臣は故中川昭一氏のみである。彼は2004年5月26日の第37回総合科学技術会議議事(議長は小泉純一郎氏)の中で、特許や知的財産権関連でエクソン・フロリオ条項に言及していた。アメリカは植草一秀氏と同様に、間違いなく中川昭一氏も危険人物として捕捉していた。彼の死もその延長上で起きたと思う。

 郵政民営化が米国による郵政資金の収奪にあることはもはや常識である。あの時期に金融的国家防衛論を国家ぐるみで封じた背後にはアメリカの強い圧力があった。これも戦後日本を呪縛する「閉ざされた言語空間」という情報統制の型なのである。この当時、城内みのる氏や小林興起氏など、郵政民営化に反対した自民党員は軒並み粛清された。日本における情報統制は、アメリカによる間接統治の一つのはっきりした特徴である。ここで日本の官僚制度に話を移すが、日本の官僚は戦前と戦後では大きくその性格が異なっている。

 戦前は国民とともに天皇の臣民というアイデンティティが官僚にもあり、親方日の丸とは言え、ある種の親和性が国民との間にできていた。ところが敗戦後、天皇が人間宣言をしてから、官僚に働いていた求心力が天皇ではなく、米国になってしまった。これによって、国策の方向性が国民の求めるものと決定的に乖離してしまうことになる。これが国政に反映される萌芽は中曽根政権に表れていたが、決定的に開花したのは小泉政権であった。戦前も戦後も官僚主導体制は同じだが、戦後は官僚の精神から日本が喪失し、アメリカの傀儡的存在に堕してしまったのである。この変質は大蔵官僚に最も露骨に出たように思う。

 今の日本官僚は、ワシントン・コンセンサスに頭をやられている。そのために、初期民主党が出した国民生活第一の基本方針は官僚に伝播しなかったばかりか、それを潰す方向に働いた。財務官僚が野田首相を操っているのである。おそらく植草氏が拡散させたシロアリ退治の例の動画は、彼らにとって忌むべきものとなっている。ワシントン・コンセンサスを国政の基幹方針と定めた官僚たちは、これに逆らう有識者を片っ端から国家の罠に嵌めるつもりでいる。また、りそな銀行の怪しい推移と同様に、東電の天下りにも鋭いメスを入れようとしている言論人を粛清する傾向は激しくなると思われる。

 「週刊東洋経済」編集長の一件もそれを示している。官僚が税金を私物化する思想とネオリベ思想は、どちらも奪い取る形で迎合し合う。野田首相は財務官僚の操り人形と化し、パロディスト、マッドアマノ氏の描いた作品のように「見ざる、言わざる、聞かざる」になってシロアリを頭から切り離している。日本は、上述したようにワシントン・コンセンサスの潮流の中で、官僚が日本人を裏切り、急速に警察国家に向かっているように見える。

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2012年2月20日 (月)

週刊東洋経済編集長・三上直行氏の逮捕は限りなく国策捜査の疑いが強い

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朝日新聞)
週刊東洋経済の編集長、痴漢容疑で逮捕

 女性2人の尻をさわったとして、経済誌「週刊東洋経済」の編集長、三上直行容疑者(46)=横浜市磯子区峰町=が東京都迷惑防止条例違反の疑いで警視庁に現行犯逮捕されていたことが19日、同庁への取材でわかった。「酒に酔って覚えていない」などと話しているという。

 大森署によると、三上容疑者は17日午後11時ごろ、JR京浜東北線下りの品川―大森駅間の車両内で、20代と30代の女性会社員2人の尻をさわった疑いがある。目撃した乗客の男性が取り押さえたという。(2012年2月19日1時31分)
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(作品はパロディスト、マッド・アマノ氏によるものです)
 _72このニュースを知って最初に感じたことは強い既視感だった。それは2006年9月13日、経済学者の植草一秀氏が、午後10時08分品川発京急快速特急久里浜行きに乗り、品川~京急蒲田間で女子高生にさわったとされる事件に酷似するからである。京急事件のときは、付近にいた30代男性2人が異変に気付き、植草氏を常人逮捕して駅事務室に連行し、蒲田警察に引き渡した。いわゆる二度の植草事件の内の、京急事件と呼ばれるものである。

 週刊東洋経済の編集長、三上直行氏はJR京浜東北線の品川―大森間、植草氏は京急品川―蒲田間である。JRと京急電鉄という違いはあるものの、夜の時間帯と言い、本人が酒で酩酊していたことと言い、女性にさわったとされていることと言い、居合わせた男性に取り押さえられたことと言い、電車の通過エリアと言い、ほとんど酷似した状況である。私は京急事件の裁判を傍聴し、その速記録等を見たりして、植草氏が巧妙な謀略に嵌められたとの結論を得ている。それにしても、三上氏の場合も状況があまりにも京急事件とそっくりである。それに蒲田署と大森署はエリア的にさほど離れていない。

 おそらく、週刊東洋経済の編集長である三上直行氏逮捕も99、9パーセント謀略であろうと思われる。今の日本は、対米隷属既得権益複合体が策定した国策を、鋭く批判する有識者は国策捜査を仕掛けられてしまう。ある有識者や著名人が迷惑防止条例違反等で捕まった時は、それは限りなく言論弾圧の可能性が高いことを知るべきだ。小泉政権以降、この傾向は顕著になっている。三上編集長は、最近、週刊東洋経済2/18号で【東京電力偽りの延命】という特集を組んだようだが、これが原発利権を寡占する電力マフィアを刺激したか、あるいは天下り温存を恒常化させている権力官僚たちを刺激したか、いずれにしても、言論人としての三上氏の追及姿勢は、国策捜査を発動させる闇の組織を動かしたことは間違いない。

 何度でも言うが、ある知識人や著名人、特に国策を批判したり糾弾したりする言論人が、ある日、突然、都迷惑防止条例違反等で逮捕された時、まずは国策捜査を疑ってかかるべきである。今の日本の権力構造はそれをやるようになっている。三上氏が編集する週刊東洋経済が、どのような体制批判を行っていたのか、十分に吟味する必要がある。まず間違いなく言論弾圧の執行だろう。政治的背景がないと考えるほうに無理がある。

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2012年2月19日 (日)

小沢一郎陸山会事件と植草事件は同じ位相を持つ

 2月17日、資金管理団体による土地取引に関し、政治資金規正法違反に問われた小沢一郎氏の第14回公判が開かれたが、東京地裁の大善文男裁判長は、元秘書らの供述調書のうち、石川知裕氏が小沢被告の虚偽記入への関与を認めた調書を全て証拠採用しない決定を下した。

 この裁判の最大の特徴は、検察側の取り調べ、捜査方法において、検事による徹底的な圧力や利益誘導があったと裁判官が判断したことにあり、調書の任意性が認められなかったことにある。裁判所が検察の単なる追認機関であるという、これまでの常識を覆した珍しい判例だと思う。そもそも小沢氏の失脚に狙いを定めた、この一連の司法劇場は、2009年3月から始まった無理筋な嫌疑と、その後の無理筋な展開から成り立っている。この間には、郵便不正事件におけるフロッピーディスクの改ざんなど、検察特捜部の致命的犯罪的な捜査手法が露呈しており、これに関しては、もはや仲間内で処理し、国民を欺く手立てはなかったものと見える。

 これによって、検察バッジの秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)は地に堕ちた感がある。この経過を踏まえて、裁判官が最高裁事務総局の意向に従って、今まで通りに検察の言い分を追認するという定石パターンが通用しなかったということだと思う。さて、植草一秀氏は、2012年2月18日 (土)のブログとメルマガで、「石川氏調書不採用の小沢氏裁判に五つの論点」を書き記しているが、この中において植草氏は、小沢氏及び秘書たちへの取り調べ状況について、自身の苛酷な体験を通じて検察の違法な取り調べについて迫真の記述を行っている。特にメルマガで書いていることは、氏の血の滲む思いを感じざるを得ないが、それをここで書くわけにはいかない。

 検事による強力な圧力や利益誘導、あるいは家族を標的にした恫喝など、それらを体験した植草氏の記述は鬼気迫るものがある。植草氏が度々指摘しているが、2009年の3月に検察特捜部が小沢一郎氏を狙った真意は、小沢総理大臣の登場を阻止することにあったことは間違いない。誰もが認める通り、あの時期に政権交代が実現すれば、党の代表であった小沢氏が日本国宰相になる趨勢であったことは疑う余地がない。これを嫌ったアメリカに肩を叩かれて、日本のリヴァイアサン(真の権力実態)が動いた。それは対米隷属の既得権益複合体であるが、CIAの意を受けて小沢失脚を検察に直接働きかけた。

 小沢氏は2009年2月25日に、大阪で「アメリカのプレゼンス(存在感)は、私は必要だと思っております。それはおおむね、第7艦隊の存在で十分じゃないかなと」と、明確に対米自立志向を明言していた。日本人は無自覚だが、この表明にアメリカ政府の中枢部は色めきたった。これより約半年前、アメリカはリーマンショックを引き金に、底なしの金融危機と不況に突入し始めていた。この状況で、日本が対米自立に舵を切り、対米属国のくびきを外してしまえば、郵政資金や思いやり予算、米国債の強制売却など、日本から吸い上げている莫大な金が入って来なくなる状況になる。これはアメリカの国策として何としても阻止すべき懸案だったのである。311震災後のトモダチ・オペレーションでアメリカは莫大な金を日本からせびったと言われるが、小沢氏が国政の舵を取れば、アメリカはこのように日本を財布代わりに使えなくなる。

 つまり米国本国は、GHQ統治時代から一貫して関与の深かった日本検察特捜部に小沢総理大臣の実現を何としてでも阻止することを命じたのである。これが一連の陸山会事件、無理筋捜査として今日に至っている。小沢氏が日本統治のトップに立つことは、戦後、日本を属国・間接統治下に置いてきた米国の基本的な対日政策に抵触することになる。私が何回か言っているが、小沢氏は日本の政治家で、戦後日本の桎梏(しっこく=足かせ、手かせ)となっている『閉ざされた言語空間』を突破して政治を断行できる唯一の人物である。だからこそ、米国の犬「三宝会」に20年間も執拗に攻撃されているのである。

 彼がマスメディアに間断なく攻撃され続けていることは、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の「誰が小沢一郎を殺すのか 画策者なき陰謀」(角川書店)に説明されていて、その手法はスキャンダルを創出して狙った相手の人物破壊を行うことにある。小沢氏の場合は「カネと政治」のスキャンダルを創出された。ここで、植草一秀氏が遭遇した三度の事件に視点を移してみる。2004年の品川手鏡事件、そして2006年の京急事件は明らかに典型的な国策捜査事件である。これらは1998年の東海道線の件を土台として展開された官憲と司法による謀略捜査である。1998年の件は事件性がまったくない出来事が鉄道警察に上がった段階で、強圧的な人質司法によって無理やり事件化されたものであり、背景には政治的意図が存在する。植草氏の場合は迷惑防止条例違反という名目で攻撃され、三度の連続性を設定されるという、極めて悪質かつ陰険な手法を用いられている。

 なぜ、植草氏は狙われなければならなかったのか。それは日本の権力中枢に位置する財務省(旧大蔵省)に真っ向から対峙し、小泉竹中構造改革を弾劾したからである。特にりそな銀行実質国有化にまつわる、国家的インサイダー取引疑惑の提起は外資のご本尊、米系国際金融資本の逆鱗を招いた。経済学者の植草一秀氏も、小沢氏と同様に、米国の対日戦略に棹を指す巨大な反逆日本人として米国に睨まれている。マスメディアによる植草氏の人物破壊は2004年から始まっているが、官憲レベル、国家官僚レベルから宗主国様に逆らう要注意人物として注視されたのは1998年以前からである。そうなると、植草氏も14年以上の長きにわたり、国家機関からマークされ続けているということになる。

 小沢氏は20年以上、植草氏は14年以上、要警戒人物として米国の標的になり続けている。この二名に共通することは、本気で対米自立を希求し、本気で官僚主導政治を変えようとしていることにあると思われる。現代の日本は、本物のサムライこそが不名誉の汚名を受けるのである。小沢裁判と植草事件はこのような位相から読み解くべきであり、その視点の延長上には真の日本回復が見えている。

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放射線事故の影響に関するもう一方の考え方

※以下はcaccyo氏の投稿です。

高橋管理人様

いつもお世話になります。
今夜再びコメントが受け付けられないようなので、メールさせていただきます。
よろしくお願いいたしますm(__)m

反論するわけではありませんが・・・
政府・官僚の不作為を弁護するつもりは毛頭ないことを明言した上で、
以下に放射能・放射線についてボクが学んだことをお知らせします。

小出さんや児玉さん崎山さんらの専門家のみなさんを筆頭に、
ネット界の言論人知識人のみなさんは、副島隆彦さんを除いては
そのほとんどが、放射線の恐怖を「直線仮説」に基いて論じられて
みえるように感じています。
ヒトが五感で感じ取ることができない放射線は、生物の遺伝子を破壊
し突然変異を引き起こし、ガンを誘発したり奇形発生の原因となる等、
「とても恐ろしいものだ!」と認識されているようです。

それ故、放射線被曝は限りなく「ゼロ」に近いものであるべきで、
細胞分裂が盛んな胎児や乳幼児・成長期の子供においては、
「危険な放射線から遠ざけるよう!できる限りの努力をしなければ
ならない!!」
・・・そんな主張が正論として述べられているように感じています。

その正論を否定はしませんが、「若干の認識不足があるのかも!?」
放射線について様々な立場にみえる方々の著作を読んで勉強した
結果、そんなふうに考えるようになりました。


結論から述べさせていただきます。
「福島に住み続ける子供たちに発ガンの危険性はほとんど無い」
「福島県で計測されている線量はガンの危険性を高めるほど高い
線量には至っていないから大丈夫!」

直接的には放射線医の中川恵一氏の「被ばくと発ガンの真実」
(ベスト新書)を読んで、その内容を信じるに足るものだと考えた
からです。「中川恵一」をググルと「御用学者」とされています。
「そうらみたことだ!!」と吐き捨てないで、一読してください。
彼は決して「御用学者」なんかではないことが判るはずです。

ボクがそう考えるに至ったきっかけをご紹介しましょう!
先日のなだれ事故があった玉川温泉や三朝温泉・増富温泉など
のラジウム温泉(=放射能温泉)の存在が、放射線に対して「悪」
だと決め付けることを躊躇させたのです。
「原発をCO2を出さないクリーンエネルギーだ!」と声高に主張する
学者先生を「御用学者だ!」と断じることに躊躇いはありません。
しかし、何百年も日本人の健康に役立ってきた(歴史が証明している)
温泉が「放射能を含んでいるが故に危険だ!」と断言することは
できずにいました。

さらには人類は太陽由来の自然放射線や岩石由来の自然放射線、
また’50~’60年代の核実験由来の人工放射線などによって、年間
2mSVもの放射線を浴びながら生活していること。
またふつう成人は、放射性のカリウムを平均4000ベクレル程度は
体内に常時持っていることを、皆さん認識しているのでしょうか?

原爆投下からまだ70年も経過していないのに、なぜ広島長崎には
放射線が残っていないのか?温泉地に住む人々にはたしてガンは
多発しているのでしょうか?

放射線の恐怖を声高に語る方々は、自然放射線と放射能温泉に
ついてほとんど言及されないということに対して、少なからず不信感
を抱いてもいました。もしや「無知」が「誤解」や「偏見」を生み出して
いるのではないか!?そんな疑念が徐々に大きくなってきたのです。

中川先生はそれらについても詳しく説明されています。さらには、
事故後25年を経過したチェルノブイリの報告書の内容にも言及
されるなど、その内容については真理を探究する科学者としての
真面目さを感じ取りました。
「放射線に危険性は無い」旨の発言する人たちに対して、その発言
の中味を吟味することも無いまま、「御用学者」のレッテルを貼って
斬り捨てようとする側の方こそが、思慮に欠けた乱暴な言論だと
思えてきました。

みなさまも是非ご自分の目で頭で確かめてみてください。
参考文献)
「放射線利用の基礎知識」(東島和子、講談社ブルーブック)
「人はなぜ放射線に弱いか(近藤宗平、講談社ブルーブック)」


以上

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー―――――――

※管理人高橋より 

 本ブログにいつも真摯なコメントを寄せていただいているcaccyo氏から上記のメールがありました。管理人の姿勢は、多様性のある言論なら、両論併記とか、いろいろな立場の言論を鷹揚に紹介するということはあまり考えず、どっちかと言えば、基本は自分の視点に沿った傾向の言論を優遇する立場ですが、それであっても、つい最近、アル・ゴア元米国副大統領が「不都合な真実」の大キャンペーンを世界中に喧伝して、CO2地球温暖化説の浸透に努めたことに対してある思いがある。

 この二酸化炭素温暖化論が金科玉条としていた、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のホッケースティック曲線が捏造だと分かったそうである。アイスホッケースティックは先が急に曲がっている棒だが、この様態が過去からの世界平均気温が1900年代から急激に上がっている様子とそっくりだということでそう呼ばれるようだが、この急激な気温上昇がデータとして嘘だというのである。そうなると、産業革命以来、産業活動に伴うCO2温暖化説が巨大な虚構だということになってくる。この背景に原発利権推進者たちの思惑が働いていないとは言いきれないものがある。

 こういうこともあるから、ある一つの考え方が加速的に広まる時は、少し頭を冷やして警戒する見方も必要かもしれない。そういう観点で、放射線がさほど有害なものではないという考え方もあることを紹介した。ただし、管理人としては、危険だという方向性と、危険ではないという方向性が併存するとき、危機管理上の鉄則から危険だという方向性を優先的に重視する。この順位では、たとえ前者が間違っていても被害は少ないが、その逆の優先順位だった場合、取り返しがつかないからである。

 1999年に起きた東海村JCO臨界事故(JCOバケツ臨界事故とも呼ばれる)は、至近距離で被爆した方々の悲惨な最期が記憶に新しいが、広島・長崎の原爆症も思い合わせると、やはり放射能は恐ろしい。また、原発推進者たちが初期からひた隠しにしていたが、核分裂反応で出される膨大な熱エネルギーは、その大半以上が電力変換よりも熱廃棄として海や外気に垂れ流される。原発は恒常的な環境熱汚染を伴うのである。原発クリーンエネルギー説がその意味でもまやかしであることが分かる。低線量被曝は、その生物学的な影響が分からないうちは厳しくとらえるべきである。管理人は脱原発の立場であることを明記しておく。

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2012年2月18日 (土)

子供や妊婦を守らない国とは


(この作品はパロディスト、マッド・アマノ氏によるものです)
 Photo私は何の取り柄もない、どこにでもいる中年男の一人だが、10年くらい前までは政治経済にはほとんど無関心だった。ふた昔も前、もっと前かもしれないが、よく言われていた言葉だが、いわゆるノンポリ層というやつである。それも、桶は桶屋にの乗りで、政治は政治屋さんに、経済は経済屋さんに任せて置けばいいではないかという、極めて無責任かついい加減なものだった。

 だが、そんな政治無精の私でさえ、2005年当時には小泉竹中構造改革がもたらした政治出力のあまりのひどさに、国民の一人として憤慨していた時期だった。小泉純一郎氏が鬼神のように扇動した「郵政民営化、是か非か」という、シングル・イシュー特化総選挙は衝撃だった。マスコミや政府が一丸となって、郵政民営化成立への一点張りになだれ込んだが、さすがに呑気な私もその時は黙っていられない思いだった。小泉官邸大本営発表の通りに、マスコミや政治家、評論家、学者たちが、こぞって郵政民営化こそ至高なる目標であるかのように、平仄(ひょうそく)を合わせて大合唱を奏でていた。

 全体の動きを眺めると、完全に大政翼賛化していた。加えてテレビや新聞では海の向こうの保険会社が朝から晩までアヒルのコマーシャルを流し続けていた。そのような異様な空気の中で、みのもんた氏や古舘一郎氏など、テレビに頻繁に登場する顔の司会者が、地獄の門番の如く、郵政民営化反対論を片っ端から潰していたのだった。その時、今の日本は政治があまりにも異様であり、それも国政という大きな枠で狂っていると痛感した。特に私が異様に感じたのは、マスメディアと政権与党を背後で動かしている得体の知れない大きな権力実態の存在だった。

 その当時は漠然としていて、とらえどころがなかったが、ノンポリの私でも、日本が根幹のところで米国の間接統治を受けていることは知っていた。それについては、戦後の日米史を通観すれば誰でも見えてくる。横田幕府が銃を構えて首都東京を常に睨んでいるのである。だが、そうではあっても郵政民営化に翼賛的に傾いた日本を見て、米国と政権与党の間に、何か見えにくい大きな権力実態があるんじゃないかと思うようになっていた。それは後に植草一秀氏が悪徳ペンタゴンと称した重層的な既得権益複合体であった。そうこうしているうちに、翌年2006年の9月、その植草一秀氏が見舞われた京急事件(2006年9月13日発生)の初報に接し、即座に政治謀略を確信した。

 確かに小泉竹中構造改革が行った社会構造の改悪は、国民の生きる権利まで脅かす悪逆非道性を帯びており、それは安倍、福田、麻生政権を通り越し、菅、野田政権へ受け継がれている。ポチ1号からポチ3号までの政治は、日本の国政から国民が完全に捨象されてしまっている。小泉政権以降に根付いた統治ベクトルは、官僚主導体制を温存し、シロアリ帝国の膨大な無駄を生み続け、一握りの富裕層や国際金融資本へ富が傾斜配分され、その分、国民には配分量が絞られていて、統治ピラミッド構造の底辺層にいる国民は貧乏人ばかりになってきた。

 日本の中枢に鵺(ぬえ)のように棲みつく既得権益複合体は、霞が関を主体とした隷米間接統治ピラミッドに逆らう意思を持つ者を、官憲、司法、マスメディアを使って徹底的に攻撃する。小沢一郎氏も植草一秀氏もその毒牙に狙われた貴重な人材である。

 こういう背景の中で、昨年の311大災害が起き、連動して福島第一原発の凶悪な事故が起きた。地震津波災害も原発アクシデントも巨大な災害に違いないが、原発事故は放射性核種が環境にまき散らされ、未来時制、何十年、何百年にも渡って存在し続ける深刻さを有しており、その悪影響がこれから細胞分裂の盛んな若年層を中心に顕現してくることを考えると、暗澹たる気分に襲われる。

 福島原発事故に対する東電、政府、マスコミの対応、及びその逐次発表は、歴史に残るひどい隠蔽と不作為に満ちていた。特にNHKや民放に出ていた御用学者たちは、事故の真相を説明するどころか、逆にそれが見えないように適当なごまかしを言い続けた。さすがにこれには海外記者のみならず、全国民が辟易し怒りを持った。こういう情報遮断と隠蔽のさ中にあって、上杉隆氏、岩上安身氏、日隅一雄氏、その他の勇気あるフリージャーナリストたちが獅子奮迅の働きをしてわれわれに正しい情報を伝えてくれた。私自身は物凄く彼らに感謝している。そして、大悪党とつるんでいる既存メディアの向こうを張って頑張っている彼らに希望を感じている。

 彼らがいなかったら、事故がもっと凄惨なことになっていたと思われる。その辺の事情や経緯は、上杉隆氏の「堕国論Ⅰ~Ⅲ」に書かれてあるのでご覧になっていただきたい。上杉氏がこの中で言っているように、国が子供や妊婦を守らなくなったら、その国はお仕舞である。まさに311の後は、その通りのことが起きている。子供や妊婦を守らない政治とはいったい何だろうか。象徴的に捉えれば、妊婦も子供も未来へ受け継がれる生命(いのち)そのものである。これを見殺しにして国家の未来はない。そういう形の政治を政治と呼べるものだろうか。

 国民の良心を体現する経済学者に汚名を着せ、原発被災地の妊婦や子供を守ろうとしない政治は、誰が営んでいるのか、どういう勢力がそれを敷いているのか、しっかりと見据えて、日本の構造を変えていくしかないと思う。既存のマスメディアは対米隷属の既得権益複合体を利する情報しか発しない。そのようなものとは訣別したほうがいい。政治ソースをいつまでも記者クラブに握られているのはよくない。早くこれをオープンソースに持って行く必要がある。そして、ネットから本当の情報メディアを再構築するしかない。

 国家のグランド・デザインと言えば、大仰に聞こえるかもしれないが、案外単純な説明で事足りる。それは子供や妊婦が安心して健やかに住めて、他国に内政干渉されない状況をつくることだと思う。少なくとも私はたったそれだけのことを求めている。あ、まだあった。猫たちがのびのびと暮らせる地域環境も理想である。

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2012年2月17日 (金)

植草一秀氏が、枝野経産相「東電実質国営化」の背徳性をずばり指摘した

(このパロディ・フォトモンタージュはマッド・アマノ氏の作品です)
 Photo今回、枝野幸男経済産業相が示した、東電の政府直営化の方針は、その上辺の理由が政府の偽装であり、実は国民の側を全く向いていない、大利権創出の疑いが濃厚になった。この件の深層を最も的確に、最も鋭く衝いているのが、「植草一秀の『知られざる真実』」に、二日に渡って書かれた二つの記事である。それは最後に紹介する。福島第一原発プラントの大事故は、日本国民に取っても、他の国民に取っても、滅多にない自然の猛威が引き起こした不幸な天災だったと決めつけるわけにはいかない。これは人類未踏の大事故である。

 それは自然環境との調和を無視した前提に基づく、科学技術絶対主義による原子力技術の無謬(むびゅう)神話を拵(こしら)え、それを半世紀以上も国民に信じ込ませてきた原子力行政の人類的、犯罪的な大失敗である。つまり、福島原発事故は未曾有の大地震がトリガーとなってはいるが、事故そのものの生起や経緯は百パーセント人災である。これに対応した菅政権と東京電力の犯罪的な処し方は、今後徹底的に究明されなければならない。広島と長崎に原爆を落とされて人類唯一の核虐殺を経験した日本は、核の平和利用を謳ったその核で、再び我が身と我が国土を傷つけている。歴史上、このような巨大なアイロニーがあるだろうか。

 事故直後、当時の枝野幸男官房長官は、事故の深刻さを知りながら、政府発表として「ただちに影響ない、ただちに問題ない」を空しく繰り返し、実際に起こりつつある危機的状況から国民の目を逸らし続けた。ただちに問題はないと言いながら、妻子は海外に非難させ、4月には原発被災地の半径20キロ圏内を視察した折には、完全防護服と高性能防塵マスクを着用して、若者たちから「フルアーマー枝野」と揶揄(やゆ)された。彼が事故に対し極度の危機感を有していたことは、フルアーマーと車外視察時間がわずかに五分だったことからよく分かる。交通事故に遭って瀕死の人間に、耳元で「大丈夫ですから安心してください」と言いながら、心で「ただちには逝かないが、あと10分くらいかな」と思うようなものである。

Photo_2 この枝野氏が、いまだに経産省の大臣を拝命している事実も驚愕ものだが、彼が示している東電の政府直営化には、巨大な利権構造が付きまとう可能性を植草一秀氏がずばり指摘しているのだ。植草一秀氏と言えば、2003年5月にりそな銀行の破綻処理に関し、政府が預金保険法の抜け穴条項を利用して、本来は市場から退出させるべき銀行を国庫救済した一連の推移を鑑み、それを大掛かりな金融犯罪の構図と見做し、りそな銀行インサイダー取引疑惑を提起した唯一の有識者である。ここまで来ると、植草一秀氏という人物は、頭脳明晰な一エコノミストというよりも、世間からは見えにくい金融犯罪も決して見逃さない、その筋のエキスパートの側面も兼ね備える特異な有識者である。

 その植草氏が、政府の東電対応は、世界中の資本主義国家があきれる、お笑い草の対応であると、枝野氏の東電政府直営論を頭からばっさりと切り捨てる。読んでいて、心の底から納得した。詳細は植草氏のブログに書かれた二つの記事とメルマガ版を是非ご覧いただきたい。重要なことは、植草氏が枝野幸男氏を「背徳枝野」とまで呼ぶその理由なのである。枝野氏が東電の政府救済、すなわち国が東電株の過半数から3分の2以上の議決権を持ち、経営権を掌握しようとする意図に潜む真相は、以前のりそなと同様に、巨大な利権創出の疑いが出ていることを植草氏は見抜いているようである。

 植草氏は実質国有化と一時国有化の天地の差異を説明しながら、実質国有化という詐欺的用語の延長には、りそなで起きた人事ポスト利権と同じことが生じてくると言う。植草氏特有の物凄い洞察眼である。詳細は植草氏の下記ブログ記事2点と、「植草一秀『知られざる真実』」のメルマガ版を是非ご覧になっていただきたい。

①2012年2月14日 (火)
巨大な貸し手責任問わない背徳枝野東電処理

②2012年2月15日 (水)
「実質国有化」で進む限り枝野は癒着のかたまり


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2012年2月16日 (木)

小泉俊明議員のニュースに強い違和感

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議員会館でパーティーの民主・小泉氏 城島氏「大きな問題」
2012.2.15 17:39 [民主党]

 民主党の小泉俊明衆院議員の資金管理団体が平成22年に、衆院議員会館の会議室や国会内の控室で計8回の政治資金パーティーを開いていたことが15日、明らかになった。衆院事務局によると、議員会館内の政治資金パーティー開催は認められていない。城島光力国対委員長は記者団に「不適切な使用で、大きな問題だ」と述べ、党として対応を検討する考えを示した。
 小泉氏は昨年4月にも会館内でパーティーを計画したが、産経新聞が事前に報じたことを受け中止した。15日の衆院議院運営委員会理事会では、小泉氏が民主党側の聴取に対し「その後は一切やっていない」と説明したことが報告された。
 ただ、自民党は「規定を逸脱した行為で、それなりの処分が必要だ」と主張。今後、与野党の議運メンバーで構成する庶務小委員会で小泉氏の処分を含め対応を協議することを決めた。(MSN産経ニュースより)
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Photo 15日午後三時ごろ、私はこのニュースを、ニッポン放送「上柳昌彦 ごごばん!」という番組を偶然聴いていて耳にした。その時、MCである上柳昌彦氏は、正確には言えないが、小泉俊明議員を指して、「茨城三区だな、よ~し覚えておこう」というようなことをはっきりと言った。午後の、それも全国放送のラジオ番組で、司会者が、小泉俊明議員の選挙区を高らかに視聴者に伝えたのである。

 この放送内容が、該当選挙区の小泉氏に対する投票行動に大きな影響を与えるであろうことは間違いない。はたして、それでいいのだろうか。全国放送は有権者の意識に決定的な影響を及ぼす。ある政治家や知識人が、何らかの悪さをしたという理由で、急にニュース沙汰になることがある。一般的に知名度の高い誰かが、何らかの違法性を有する行為をしたり、組織の規約を破ったり、公序良俗に反する行為があった場合、マスコミはそれをネタにニュースとして報道する。大概の場合、それらは報道された通りのことがあったのだろう。

 だが、その文脈で、私は以前から疑問に感じていることがある。有名人であろうと、無名の一般人であろうと、人を殺傷したり、金品を盗んだり、淫行したり、詐欺などを働けば、それは重罪であり文句なくニュース性があるから、それを知った不特定多数の冷たい視線にさらされることは当然である。その部分をとやかく言うことはないのだが、もっと低レベルの違法性や脱法性で、誰かが咎められたとき、しばしば、彼のやったことは確かに感心しないが、こんなことを大々的に報道して人目にさらし、そこまで叩く必要性があるのかと考える時がある。その類のことで、全国にさらす前に内内で処理しても差支えないし程度のことは多々あると思う。その方が結果的にいい場合もある。

 例えば会社員だったら、会社の規約を知らぬ間に逸脱していたが、そのことが会社や他者に対してほとんど深刻な影響を与えていない場合である。こういう類のことを、コンプライアンスを掲げてすべて厳密に罰していたら、社会は硬直化して機能障害を起こすだろう。今回、小泉俊明議員が議員会館をパーティ会場に使っていた件は、結果的にどんな実害が生じていたのだろうか。そのことによって、誰が、どれくらいの規模で損害を受けていたのだろうか。もちろん、法治国家ではルール順守が原則であるから、公的施設を私的に使用した小泉氏は何らかの罰則を受けて当然である。だが、そもそも、これがテレビ、ラジオ、新聞等に大々的に流されなければならない事案なのだろうか。

 小泉議員は平成22年に、議員会館の会議室や国会の控室で計8回政治資金パーティを開催したという。そして、昨年4月にパーティを企画したが潰れている。確かに議員会館の不適切使用は責められるべきものではあるが、それがなぜ今なのだろうか。実際に彼が政治資金パーティを開催していたのは2年前のことだから、その時に然るべき処置を下せばいいことではないだろうか。

 日本はアメリカの訴訟社会とは全く違う歴史や共同体史を踏んでいて、話し合いで穏便に済ませる場合が多々ある。それがいいとか悪いとか言う前に、そういう文化背景がある。可罰的違法性の理論というものがあるが、ごく低レベルの違法性をどう扱うかは、そこにいる集団の民度が判断することではないだろうか。隣の庭木から散った落ち葉を一枚窃取しただけで、いちいちお縄になっていたのでは、息苦しくて世間を歩けない。

 議員会館を私的に使用したことはもちろん良くないことだ。だが、そのことがマスメディアに乗ったことで小泉俊明議員の次回選挙に不利に作用することは明白だ。釈然としないことは、小泉俊明議員がこれが原因で次回選挙で落選した場合、日本は年間自殺者を三万人以上も出し続ける、極悪な国政を正面切って糾弾できる数少ない人材を失ってしまうという事実である。逆説的に言うならば、小泉俊明議員が、小泉竹中構造改革の悪逆な姿を、国会で白日の下にさらけ出した手腕は、これに恨みを持つ自民党清和政策研究会や、対米隷属の政官財複合体の怒りを買っていることは間違いない。しかも小泉俊明議員ははっきりしたTPP反対論者でもある。TPPをどう考えるかは、政治家の本性を亡国か救国かで見分ける試金石となっている。


@koizumitoshiaki
小泉俊明
TPP参加は『平成の亡国』。ハッキリNOを。どう調べても農業、医療、保険などあらゆる面でデメリットが大きく、輸出は殆ど増えずメリットがない。韓国、中国も参加しないのもメリットがないから。国益最優先で判断を。
11月5日 Keitai Webから


 小泉議員の立ち位置は、小泉竹中糾弾と言い、TPP反対と言い、間違いなく救国派の議員である。議員会館の不適切使用を大きな問題だと言っているのは、TPP大賛成の城島光力国対委員長や自民党(清和会?)である。二年も前に議員会館の不適切使用をした小泉議員と、国民不在の対米隷属でTPPに賛同し、既得権益複合体に奉仕する議員連中、どちらが悪質なのだろうか。桁違いに後者こそ大悪党である。今の日本はマスメディアが悪党たちのちょうちん持ちになっているから、マスメディアが急に有識者を叩いたときは、その有識者が何を行ない、どんな言動をしていたかを注意深く見極める必要がある。なぜなら、大悪党のマスコミが、有識者を悪人としてニュースに提供した時は、その有識者が実は正義の人の場合が多々あるからである。正悪を逆転させて報道することが頻繁に起こるのが、今の腐ったマスコミである。

 通常なら、内内で済ませられる事柄を、故意にマスコミに提供して針小棒大に報道し、人物破壊を行う。この形は最近とみに目立ってきたように思う。巨悪が握りつぶされ、わずかな瑕疵が拡大放送されて繰り返され、人物破壊に至る。さらに言うが、議員会館の不適切使用と、年間自殺者を三万人も出し続け、明日の解雇を心配する派遣労働者を量産した国政を支持し続けた、国賊政治家たちとどちらが悪質かという問いかけが出てくるのである。TPP支持議員も国賊である。小泉議員を叩いている連中こそ、人間のクズ、亡国の徒たちではないか。

 小泉俊明議員を失脚させたら、国家の大きな損失になる。

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2012年2月15日 (水)

橋下徹「維新の会」、その危険な本質を考察する

(このパロディ・フォトモンタージュはマッド・アマノ氏の作品です)
Photo_2 良心派のサムライ議員とも言える、自民党参議院議員・西田昌司氏も指摘していたが、マスコミが橋下徹氏の動向を取り上げる、そのやり方は、かつての小泉純一郎氏が持ち上げられたレベルとそっくりだということをまず最初に注目する必要がある。つまり、マスコミは橋下徹氏の政策展望「船中八策」の中身が判然としていない段階で橋下氏を徹底的に英雄扱いし、閉塞したこの日本の政治を正面突破する歴史の勇者のごとく持ち上げている。絶対に忘れてはならないのは、マスコミが特定の政治的な人物をこのように異常に英雄視するときは、日本に取って極度の危険が迫っていることを意味する。

 今から11年前、小泉純一郎氏が総裁選に圧勝した直後も、マスコミは彼を、それまでの経世会政治(旧田中型政治)による、政官財トライアングルの弊害を打破し、大きな政府構造の無駄を除外し、徹底的で壮大な「官から民へ」の大移行を宣言したと囃し立てた。マスコミは、それまでの平成不況の閉塞感を打破し、日本に新境地を打ち立てる新星のように見立て、熱狂的に彼をもてはやした。この時、小泉氏が用いたキャッチフレーズが「聖域なき構造改革」だった。小泉氏は、勢いばかりが強いワン・イシュー・ポリティクスを連発していたが、表の威勢の良さとは裏腹に、「聖域なき構造改革」の中身をほとんど説明しなかった。

 そこで、心ある人たちは、自分たちでそれを勝手に推測し、小泉・竹中構造改革が進展する中で、聖域なき構造改革の「聖域」とは、特殊法人と特別会計のことじゃないかと言い合った。つまり、首相になる前の野田佳彦氏が、その殲滅(せんめつ)を叫んでいたシロアリ帝国への開戦宣言である。ところが、小泉・竹中路線のやったことを振り返ってみると、小泉氏がぶち上げた「聖域なき構造改革」の「聖域」とは、同じく彼が選挙前から叫んでいた「自民党をぶち壊す!」ことであり、その顛末を正確に言うと、自民党・清和政策研究会と対立構造にあった橋本経世会を崩壊させることにあった。小泉政治5年半で旧田中派型政治は完全にその息の根を止めてしまった。

 自民党をぶち壊す、この意味を旧田中派型政治が引きずっていた、政官財トライアングルの腐食構造、すなわち金券・利権政治の打破という側面から見たら、小泉氏は確かに自民党政治のある大きな底流を堰き止めた。その意味では自民党政治は壊されたと言えるだろう。だが、政官財の腐食構造は是正されていなかった。植草一秀氏は、2006年9月13日の国策捜査(京急事件のこと)に見舞われるわずか12日前の9月1日、ジャーナリストの神保哲生氏が主宰する「ビデオニュース・ドットコム マル激・トーク・オン・ディマンド」に出演している。その際、神保氏は植草氏から聞いた話として、下記のことを言っている。

(引用開始)「しかし、植草氏は小泉政治にはより大きな罪があると言う。それは、「構造改革」の名のもとに行った様々な制度改革はその内実をよく見てみると、実際はこれまで日本の政治を支配してきた旧田中派の建設・運輸関連と郵政関連の利権を破壊し、それを小泉氏自身の出身母体となっている財務・金融利権へと塗り替えただけでのものに過ぎないというのだ。そこには国民の生活をよりよくするなどの「国民の側に立った視点」はまったく欠如している。しかも、その「利権の移動」を、アメリカの後ろ盾で行いながら、アメリカのファンドなどにはしっかりと稼がせているという。これが、植草氏が、小泉改革を「売国奴的」とまで呼んで酷評する最大の理由だ。」(引用終了)

 植草氏のこの洞察によれば、小泉政権は政官財トライアングルの腐食構造を糺(ただ)さなかったばかりか、旧型政治の利権構造を小泉政権に付け替えただけだったと、かの政権の罪深い性格を看破しているのだ。しかも、それに他動的なダイナミズムを与えていた張本人がアメリカだったと言う。すでに心ある人々には周知のことだが、小泉・竹中構造改革路線を貫いていた政治思想は、アメリカの国際金融資本が他国の富を収奪する手段として使用する典型的な市場原理主義であり、アメリカはアルゼンチンにやったように、小泉傀儡政権を通じて日本にもそれを適用したのである。この時、政官財トライアングルを破壊するという名目で、実際は日本で独自に形成されていた田中型修正資本主義(混合経済体制)そのものを破壊してしまったのである。

 これによって、日本の福祉や医療、老人対策、中小零細企業対策など、それまで機能していた重要なセーフティネットの破壊が進み、国民は阿鼻叫喚の地獄を見ることとなった。経済では、日本の大事な国富をアメリカに垂れ流すような売国政策を展開した。つまり、小泉純一郎という人物は救世宰相を気取りながら日本を破壊する仕事に邁進したのである。彼のやった国政を簡便に説明するなら、日本型修正資本主義を「修正、刷新する」と言いながら、実はそれまでの良い連続性もすべて破壊する作業に専念しただけだった。修正資本主義の王道を破棄して、アメリカ指導の新自由主義に国策を大転換した。そのマニュアルと呼べるものが、USTR(米国通商代表部)のR・ゼーリック氏(当時)がテコ入れし、竹中平蔵氏が隠れ指針としていた「年次改革要望書」だった。出所はワシントン・コンセンサスである。

 小泉改革の5年半は日本を暗雲たなびく病的国家に変身させた。国民の怨嗟や憂慮を汲み取り、小沢一郎氏を主軸とする民主党は2009年に政権交代を成し遂げ、鳩山-小沢ラインを始動させた。彼らは国民の負託に応えて当初頑張ったが、米国、政官財トライアングル複合体、マスコミは、この小鳩ラインを徹底して集中攻撃し、叩き潰した上、菅直人、前原誠司、枝野幸男、仙谷由人、蓮舫、野田佳彦ら、国と国民を裏切る国賊政治家たちに国政の運営権を掌握させてしまった。その慣性が今の野田亡国政権に連続しているわけである。

 この流れをつぶさに見ると、旧田中派型の腐食構造を糺すという名目で生まれた小泉政権が、実はアメリカの画策によって、日本市場構造の改変作業に特化した結果、その悪影響は日本の文化、習慣、国体にまで及んだ。ここで橋下徹氏に目を転じると、実にぴったりと小泉純一郎氏にその属性が重なってくる。冒頭に申しあげたように、マスコミは7年前に小泉氏を異常に持ち上げたように橋下氏を持ち上げている。この現象は報道の過熱状態ではなく、明らかに裏側に米国奥の院の強いバックアップが働いている。

 2005年の郵政民営化是か非かの衆院総選挙を思い起こして欲しいが、この直前にテレビや大新聞は四六時中、米系保険会社のコマーシャルを流していた。これは森田実氏が喝破していたように、米国保険業界から日本のマスコミに莫大な工作資金が電通などを介して提供され、国民が郵政民営化を肯定するように大々的なキャンペーンが張られた。この流れで、みのもんた氏や古舘一郎氏など、国賊MCたちは、郵政民営化反対論者の論述を頭から握りつぶしている。反対論者の筆頭であった小林興起氏などが、彼らに反対論を言わせてもらえなかった場面を私も何度か見ている。

 GHQ占領期、ラジオや大新聞は徹底的な放送コード、プレスコードを敷かれ、アメリカに都合の良い偏った報道しかできなかった。その延長上で「閉ざされた言語空間」が日本のマスメディアに内包されてしまった。これが戦後レジームの深層である。新聞やテレビは、この時に形成された「閉ざされた言語空間」を現在まで間断なく継続し、折々の政治的局面でそれを発動している。小泉政権はこの文脈で強烈な対米隷属の国政を敷いたのである。つまり、アメリカに操縦されている日本のマスメディアが橋下徹氏を異常に持ち上げているのは、橋下氏が、小泉純一郎氏の再来として、典型的な対米隷属の国策を敷設するという、アメリカ本国の意図の顕れとしか解釈できないのだ。

 菅政権や野田政権も対米隷属政権ではあるが、彼らはあくまでも国民の評判を落とすために暫定的に利用された、言わば現代の抵抗勢力なのである。小泉氏が橋本経世会を抵抗勢力として殲滅対象としたように、現在の野田政権も国民の信任を得ない抵抗勢力として反撃に供される可能性がある。しかし、それをしても、もし橋下「維新の会」内閣が樹立されれば、シロアリ温存の大増税とTPP推進は間違いなく敢行されるだろう。

 十分に気を付けていただきたいことは、小泉純一郎氏や竹中平蔵氏が垣間見せた行動原理を、社会学的に捉えれば、それはH・スペンサーなどが唱えた典型的な社会ダーウィニズムであることを指摘する。つまり、強いもの勝ち、資本の多寡で勝敗が決まる世界、狡知に長けた者だけが独り勝ちをする優勝劣敗社会が彼らの理想世界なのである。分かりやすく視覚的に喩(たと)えれば、「北斗の拳」に設定される世界背景である。私は橋下氏の政治的な心象風景に全く同じものを見る。彼がTPP参加を国策と位置づけ、その理由として「(TPPには)基本的には参加だ。ヒト・モノ・カネの移動は国境を意識せず、日本の外から付加価値を取り込む」と言ってることに衝撃を受けた。

 これこそ、狩猟民族の典型的な獲得競争原理であり、弱いところから力で分捕れと言っていることと同じである。これは社会ダーウィニズムであり、小泉純一郎氏や竹中平蔵氏たちが抱くものとまったく同質の世界原理である。この観点から、彼が坂本竜馬を凝らして考えた「船中八策」政策を紐解いてみたいが、長くなったので機会を改めることにする。私がこの人物に強い危機感を覚えるのは、彼が権力の最高峰に立った時、小泉純一郎氏を桁外れに凌駕する強権発動を政敵に対して行う可能性を見るからである。日本の議院内閣制は総理大臣が強権発動すれば、いくらでも望みどおりにできる体制なのである。幼年期を同和部落で過ごした橋下氏が、日本社会に対するルサンチマンを濃密に蓄えている可能性は否定し切れない。これが強権発動に開花した時の政敵粛清を考えると空恐ろしい。政治を独裁と捉えている発想がそれを教唆している。

 日本国民は経済学者の植草一秀氏が行った、小泉・竹中構造改革の広範囲な分析をしっかりと胸に刻み込む必要がある。菅政権、野田政権という邪悪な売国政権が生まれてしまった背景には、国民が小泉政権の総括をおろそかにし、その解明を置き去りにしてきたからである。そのために新たに生まれる政権がアメリカの意のままに運営されてしまう国家的な危険性を放置する形が慣習化しそうになっている。この状態で橋下政権が樹立された場合、日本に再生の芽はなくなる。政治のリーダーを威勢の良さだけで選んだり、マスコミが異常に持ち上げる風潮に乗って選んだら、日本人は国家の計を誤ることになる。

 植草一秀氏は2009年8月3日に東京拘置所に収監され、同年10月4日に釈放された。この二か月間は、最高裁事務総局が民主党政権の誕生を睨み、小沢一郎氏の影響力の強さを見越して植草氏の言論を封殺したかったからと考える。その最大の理由は、今述べたように、植草氏による小泉政権の総括が民主党内に周知されることを阻止するためだった。また、この時期に彼のブログが休止状態に追いやられたことも、事務総局が世論喚起を恐れたからである。だからこそ、歴史的な新政権誕生直後の最も大事な時期に、小泉政権の政治的本質を知悉する植草氏の言動を収監という形で封じたのである。植草氏は国策捜査と国策裁判に見舞われただけではなく、タイミング的に国策収監にも遭っていたのである。

 もしも橋下政権が誕生した場合、小泉政権を二桁も凌駕する日本破壊が起きることは容易に想像できる。

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2012年2月13日 (月)

渡辺謙氏のダボス・メッセージを偏向報道した暗黒マスメディア

(この作品はパロディスト、マッド・アマノ氏によるものです)
 Photo_3 今日、知人の知らせで初めて知った。先月の1月25日、俳優の渡辺謙氏はスイスでダボス会議に出席していた。その席上で渡辺氏は、我が国の311大震災を回復するよすがとして、人々の絆(きずな)の大切さを説き、人間が最後までコントロールできない原子力エネルギーから離れて、再生エネルギーへ舵取りしなければ、子供たちへ未来を手渡すことはできない、と、実に素朴で共感性を与えるコンパクトなメッセージを発信していた。

 ところが、その後問題になっているようだが、日本のほとんどの大手メディアは、渡辺氏が訥々(とつとつ)と語った件(くだん)のスピーチを報道するに当たり、絆(きずな)の部分だけは大々的に伝えたが、脱原発から再生エネルギーへの舵(かじ)取りという部分を全く報道しなかったそうである。ただし、大手新聞の中で東京新聞だけは、渡辺氏の発言の全文を掲載しているので、それを転載する。渡辺謙氏のメッセージは、日本人らしく気負ったところが何もない、実に控えめな正論であり、それだけに水が真綿に染み込むように胸に響いてくる。


―――(東京新聞 TOKYO Web(2012年1月26日)より転載開始)―――

【渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】

渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える

 
 スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

 渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。
 スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

 スピーチ全文は次の通り。

 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍た ち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶこと で、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉 じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在 しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。し かし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川 で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あま り、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊か さは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしま いました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が 人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だった のです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている 人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。 絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったので す。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし 度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物 質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に 頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今まで と違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今や らなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの 「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。
―――――(転載終了)―――――


 お読みいただいて分かる通り、渡辺謙氏は脱原発という言葉さえ用いずに、極めて素朴にかつ控えめに、再生エネルギーへの転換を呼びかけ新たな幸福創造への価値観を模索している。この文脈には、おどろおどろしい政治的なアジテーションはまったくなく、彼はあくまでも全人類に共通する素朴な立場に立って、新しい日本の可能性を訴えている。私は素晴らしい文明論の序章的提示としてこのメッセージを高く評価する。日本が誇りを持って世界中に配信すべき内容になっていると思う。ところが、肝心な日本の大手メディアが再生エネルギーへの模索と転換の部分を軒並み意を合わせて隠蔽したのである。

 大手メディアのこの報道様態に見える真実は、原子力村、原子力マフィアが、脱原子力エネルギーについて徹底的に情報統制していることにある。福島第一原発の炉心事故は、日本人の遺伝子を傷つけ、恒久的に住めない土地を生み、太平洋を汚染し、大気圏を汚染し、汚染された農産物、海産物は偽装されて全国に行き渡りつつある。いまだ収束にはほど遠い状況と言えよう。加えて、他の原発が再稼働すれば、同様な事故の危険がつきものであり、他でもう一度同様の事態が起きれば、日本は再生不能な壊滅状況に至る。大手メディアを操る日本のエスタブリッシュメントは、原発プラントの恐ろしい実態を隠し通したまま、全国の原発をかつてのように再稼働しようとしているとしか思えない。そのために代替エネルギーの模索や可能性を芽の内に潰そうとしているのである。もちろん、これには電通などを通して、大手メディアが全面的な協力体制にある。

 大手メディアのこの偏頗(へんぱ)な報道は、世界中に日本マスメディアの極度な民度の低さを露呈し、大恥をかかせている。これは、例の311原発事故以降、東電原子力保安院が、事故に関する逐次発表を聴きに来た内外メディアを前にして、鉄面皮な顔をして誤魔化しに徹したこととそっくりである。海外ジャーナリストたちは、その嘘と隠蔽のあまりの露骨さに匙を投げてしまい、しまいには記者会見会場に記者の姿がほとんど見えなくなり閑古鳥が鳴いていたことを思い出す。彼らの嘘と隠蔽体質が、適正な避難体制を阻み、どれほど出さなくてもよい被爆者を生み、国民や郷土を不幸に追いやったか、察して余りある。

 日本のエスタブリッシュメントや大手メディアの上層にへばりついている人間は、現代日本人が江戸時代封建体制のように、「よらしむべし 知らしむべからず」で押し通せると思っている。海外往来が盛んになり、特にネットの発達がクロスオーバーに情報の行き来を容易にした今日、日本人だけには知らせないで置こうとすることが、いかに馬鹿げているか連中は理解していないようだ。対米従属既得権益複合体の一角を占めるマスメディアは、必死になって日本国民へ伝えるべき大事な情報を堰き止めるが、そのことが世界中から笑われているのである。アメリカは自国に不都合な情報は絶対に開示しないが、それ以外の情報はオープンである。日本は情報開示の分野でもこれにはるかに後れを取っている。

 ソビエト社会主義共和国連邦が体制崩壊を起こした時、ゴルバチョフ大統領が登場していたが、彼がペレストロイカ(改革)を執行した時、その最大の政策がグラスノチ(情報公開)だった。この当時、日本人は自由主義陣営の先輩として、高みから、「ああ、可哀そうに!ロシア人は今頃になってやっとこさ情報開示へ動いたか」などと思っていたが、当時の日本人はソ連が秘密のカーテンに囲われていて、日本は情報的にすがすがしい自由の空気にあると思い込んでいた。ところが、その日本が実は情報鎖国国家の先進国だった。「閉ざされた言語空間」に気付かずに、日本国民はマスメディアが流す偏向報道に流されたまま、アメリカや既得権益複合体の思うままに国政を誘導されていたのである。今の日本は切実にグラスノチが必要なのである。

 311以降の政府発表やマスメディアの報道様態を直に見て、国民は日本の権力構造の実相が見え始めている。メディアもいつまでも国民を騙しおおせないことに気付くべきである。渡辺謙氏のダボス・メッセージには復興の絆と再生エネルギーという二つの要素が語られたが、マスメディアは再生エネルギーへの言及を肩を並べて隠蔽した。この事実に、日本マスメディアの究極的な悪質さと凋落が表れている。従って、この一件は決して看過してはいけないのであり、日本報道業界の断末魔の状況を指していると考えるべきである。

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2012年2月12日 (日)

ついに馬脚を現したか、橋下「維新の会」

維新の会、TPP参加公約に…橋下氏が骨格表明

地域政党・大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は10日、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加や日米同盟を基軸とした外交などを次期衆院選の公約として掲げる意向を明らかにした。(2012年2月11日03時05分 読売新聞より一部引用)

 
 TPP(環平洋戦略的経済連携協定)の問題は、一言で言って、米国の対日経済戦略の総仕上げを意味する。敗戦直後から今日までを通した日米関係の歴史を振り返ってみると、この六十数年間、米国の対日戦略は明らかに不変の基軸が一本通っていることに気付くだろう。それは日本の国体破壊、すなわち国家の脆弱化である。表層的に言うならば、GHQ占領時代と米ソ冷戦構造終結後の米国による対日戦略は大きく変わっている。大東亜戦争終結直後は、日本人が再び米国に軍事的に刃向わないように、徹底した刀狩り(武装解除)を行い、それは東京裁判史観による日本民族の洗脳という形で、日本人の精神の深部にまで及んだ。(WGIP=ワー・ギルト・インフォメーション・プログラム)

 この洗脳があまりもに強かったので、世界で共産圏勢力の勃興が目立ってきたとき、アメリカは徹底的な刀狩りに追い込んだ日本を支配下に置いた上で、日本自らがこの共産圏勢力に対抗できるように、再軍備化を望んだが、日本はその意に反し、自国軍隊の創設を望まなかった。この時の決断の誤りが、それ以降、日米同盟という、実質的な軍事隷属、対米隷属の半永久的な路線を固定化してしまった。このきっかけを作ったのが、時の総理大臣、吉田茂であった。日本が高度経済成長期にあった時、日本は軍事防衛を米国に委ね、米国核の傘下に安住、自らは工業立国、貿易立国の道に特化し、それは驚異的な成功を為し遂げた。

 しかし、日本は国家の軍事的防衛という最も基本的な部分をグレーゾーンに置いたツケが回り、他国の脅威から守ってくれる良きパートナー、兄貴分として信頼していた米国の本性を見抜くことができなかった。軍事的に睨み合っていたソ連が崩壊して以来、米国は軍事ヘゲモニーを経済ヘゲモニーにシフトした。その時、最大の敵性国家として日本をターゲットにし、米国の国家目標は日本を経済占領する方針に転化した。ところが、能天気な日本はこのシフトに気付かず、アメリカを面倒見の良い相方として遇していた。このような進展の中で、米国は一貫して対日経済戦略にその頭脳をフルに使った。

 その萌芽は日米構造摩擦から見えていて、プラザ合意で露わになり、東西冷戦終結後は年次改革要望書、日米投資イニシャティブ報告書、郵政民営化の画策、日米経済調和対話などに衣替えを行ない、ついにはTPPに日本を巻き込み、日本の財産を根こそぎ奪い取る最終手段に出てきた。日米大戦は双方とも総力戦で、典型的な軍事大戦だったが、日米経済大戦は、米国による一方的な頭脳戦であった。特に年次改革要望書が小泉・竹中構造改革路線に結実した時は、アメリカは竹中平蔵氏を始めとした日本人の経済ゲリラ兵をたくさん育てており、グローバリゼーションという雰囲気づくりの中で、ハゲタカファンドが跳梁跋扈できるように、日本市場を内側から制度的に改変することに成功した。

 しかし、日本にも亀井静香氏、小林興起氏、小泉俊明氏、植草一秀氏のようなサムライたちが踏ん張っていて、米国の収奪作戦が思うように運ばなかった面もあった。郵政民営化が計画通りに運ばなかったのは、まだ日本人の良心を宿した立派な人々がいるからである。小泉政権のように、郵政民営化に賛意を表し、米国金融資本に国富を明け渡そうとする売国奴たちが、この日本を席巻しているのである。TPPは米国が対日経済侵略の最終総仕上げとして発動した経済核兵器である。植草氏がTPPを、マンハッタン計画における核爆弾級の経済兵器と称したことは決して大袈裟ではなく、彼はその破壊的な本質を見抜いているからである。

 維新の会・橋本徹氏のグランド・デザインが何であるか、良く見えなかったが、今回、TPPの参加を公約したことでそれが見えてきた。橋下氏は、アメリカの底意を見抜き、日米軍事同盟をしたたかに戦略的に持っていこうとする姿勢が皆無である。これは小泉純一郎氏と全く同じ姿勢と言えよう。なぜなら、TPPは郵政民営化計画の敷衍ヴァージョンだからである。ISD条項にどう対抗するか一切言及せずにTPP参加を公約すること自体、論外である。現下日本の最大の課題は、どうやって米国の収奪意志に対抗するかであるが、TPPに乗るという選択自体が、為政者として小泉純一郎氏の売国政策と全く同じものである。

 植草一秀氏が対米従属の既得権益複合体に嵌められたのは、米国を頂点とした日本の官僚ピラミッド支配構造が定めた国策に弓を引いたからである。つまり、彼は米国による日本間接統治構造という、虎の尾を踏んだことになる。彼が行った小泉政権糾弾と今回のTPP批判を見れば、植草氏の視線が、米国の対日経済戦略に真正面から立ち向かっている構図が良く見える。橋下徹氏は6年前、植草氏が嵌められた京急事件直後に、テレビ番組で植草氏の根拠無き薬物治療の必要性を説いていた。これは重大な人権侵害であるが、対米従属脱却を基本とする植草氏を叩く行為は、その政策上の基本理念が小泉純一郎氏と共通していることを示している。橋下氏は、すでに6年前のタレント弁護士時代から、その種の政治性を背景にして植草氏を排撃していたと私は見ている。現在、彼が得ている政治家としての地位は、その時の功労が何らかの形で生きている面は否定しがたい。

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2012年2月10日 (金)

神州ギャラリー1(パロディスト、マッド・アマノ氏 最近の5作品)

マッド・アマノ氏 (1939年7月28日 - )は東京都出身。本名は天野正之(あまのまさゆき)。グラフィックデザイナー。有限会社ビッグバン代表取締役。東京藝術大学美術学部卒。フォトモンタージュによるパロディ作品で知られる。(ウィキペディアより) ※本ブログでは、マッド・アマノ氏のご厚意により、何点か記事中に御作品を使用させていただいています。

○天下(り)泰平
1_2

○仮面の腹話術師は誰だ?
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○シロアリ退治の件はどうなった?
Photo_2


○我が日本は座礁させません。(月刊『創』3月号に掲載されています)
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○真紀子腹話術ショー
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2012年2月 9日 (木)

日本人は“防衛”の意味を今こそ真剣に考える時だ

(作品はマッド・アマノ氏によるものです。月刊「創」3月号より)
5 今日(2月8日)から我が国はTPPの実際的な交渉の端緒に着いた。シロアリ帝国への御奉公といい、米国へ無条件に国富を明け渡すTPP参加といい、日本国を航行させる船長である野田総理大臣は、国内、国外とも、日本の命運を決める重要な国政を舵取りしている。有効な景気対策をしないで、官僚主導体制の是正無き消費増税政策は、強度のデフレ傾向が続く中、日本を内側から瓦解させる悪政である。国民は可処分所得が急速に減っているのに、消費大増税を行ったら物を買わなくなるだろう。社会保障のための財源という理屈が如何にまやかしであるか分かるだろう。

 一方、日本の経済防衛的な条項をすべて無効化してしまうISD条項を有する、アメリカ主導のTPP参加は、外側の盗賊たちに日本の金融資産、ほか優良資産をすべて強奪されるのみか、稲作農耕が始まって以降、豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)を誇ってきた、我が国特有の美しい田園地帯を根こそぎ荒廃させてしまうだろう。加えて、中国を含む外資が、我が国の田園地帯を涵養する重要な水源地(奥山の湧水地)を買い漁っている。

“国破れて 山河あり 城春(しろはる)にして 草木深し ・・・”

 これは、8世紀に活躍した中国の詩人、杜甫(とほ)の「春望」という詩の一節であり、冒頭の「国破れて山河あり」は特に知られているフレーズである。私は今、衒学的にこの詩を引き合いに出したわけではない。TPPは参加しないことが一番いいが、参加した場合の我が国の壊滅的な惨状を強く想像できるから、この一節が浮かぶのである。

 我が国は67年前大東亜戦争に敗北した。戦争で日本人は、軍人、軍属、民間人合わせて257万人も死に、その中には、広島、長崎という大事な二都市に原爆を投下されて亡くなった、無辜(むこ)なる一般市民30万人も入っている。日本の主要都市群と統治機能は完全に破壊された。この文脈で簡単に書きにくい気持ちはあるが、それでも我が国に山河と田園は残った。それでも、戦後の日本は郊外の周囲を見渡せば、美しい田園風景が広がり、遠方にはのどかな青い山脈が連なり、海岸には波しぶきが白く砕けている。昔の人は、それを山紫水明(さんしすいめい)、白砂青松(はくしゃせいしょう)と形容した。

 それが、先祖たちや我々が生まれてから普通に見ていたごく当たり前の風景である。私がこのブログを「神州の泉」と名付けたのは、先祖たちが守り抜いてきたこの美しい山河と田園を、永遠(とわ)に守り抜きたいという素朴な願いからである。この愛すべき当たり前の風景が、これから巨大な盗賊国家アメリカによって破壊されようとしていることを、どれほど多くの日本人が認識しているのだろうか。皆さんに思い起こしていただきたいことがある。私の年代以上ならば、半世紀以上も日本の推移を見守ってきたから、日本の風景の変遷を身を以て体験しているが、その中でも特筆することは郊外の変わりようである。

 1992年の大店法改正で日本の郊外風景は瞬く間に変化した。モータリーゼーションの発達と相まって、郊外には毒々しい看板とアメリカ・スタイルの大型店舗が林立し、昔から日本人の情緒性を涵養していた、のどかで美しい里山や田園地帯が消滅し、工場かと見間違うような大型店ばかりが郊外風景となった。それに併行して、昔ながらの商店街はシャッター通りと化し見る影もなく衰退した。大型店を上手く軌道に乗せた資本家は豪放磊落に笑い、昔ながらの商店街は零落に打ちひしがれた。磊落(らいらく)と零落(れいらく)は響きが似ているが、その意味はまったく違う。大店法改正がアメリカの圧力によってなされたことを決して忘れてはならない。

Photo_2 さて、TPPの話題に移るが、いろいろな人たちが警告するように、これは国家の基底を揺るがす大問題を内包し、アメリカは取っ掛かりさえつかめれば、日本の市場を土足で踏み散らし、金銭に還元できるありとあらゆる価値を収奪していく腹である。TPP参加による国内農業問題は、関岡英之氏著「国家の存亡『平成の開国』が日本を亡ぼす」によれば、農業問題で米国の狙いは、農協と共済の解体であり、農協から信用(銀行)・共済(保険)部門を切り離し、特に共済(保険)の金を狙っているということである。この形は、郵政民営化で三事業をセパレートして、金融部門を百パーセント株式化してから市場に放出させ、ゴールドマンサックスを始めとする大型国際金融資本に郵貯・かんぽ資金を巻き上げさせようとする構図とそっくりである。

 問題はこの大掛かりな金融収奪だけではない。関岡氏の慧眼はTPPに関する農業問題に関して、その先にあるものを確かにフォーカスしている。氏によれば、OECD(経済協力開発機構)が2009年に出した報告書「日本の農地改革 競争力向上のための課題とは何か」には、「農地の売買や賃貸を妨げる規制や税制上の措置が存在している」、「農地取引に対する障壁は低められなければならない」とはっきり書かれているそうである。続けて関岡氏は、OECDは「農地の流動化」すなわち、農地の売却を促すために、農地法上の優遇税制を見直して、農地の保有コストを重くするべきだと、税制にまで踏み込んでいることを指摘する。さらに「農地の転用規制は国内の米市場を考慮しつつ、農業の生産性や多面的機能の観点から特に重要な地域に特化すべきである」とも提言しているそうである。(『国家の存亡』P163から引用)

 関岡氏はこれらの要望や文意を深く読み解くと、米国の真の狙いは日本の農業そのものよりも、実は規制を撤廃して農地を商業的に流動化させ、外資に日本の農地を買い叩かせることにあるのではないのか、と、日本人が戦慄すべき観点を指摘している。米国の底意がこの通りだとすれば、日本は間違いなく滅びる。水源涵養地ばかりか、山紫水明の瑞穂の平野部まで外資に蹂躙されるのである。このような危険を放置して、どこに日本人としての存在意義があるのだろうか。TPPはアメリカが根こそぎ日本の財産を狙っているとんでもない協定だということは、この憂慮一つを見てもお分かりになると思う。対米戦争に踏み切った先人たちの心境が痛いほど良く分かる。しかし、野蛮なのはアメリカだけではない。日本人の顔をしてアメリカに日本を売り渡す内なる売国奴どもがいる。

 防衛というのは軍事だけではない。極端に非対称な条約が作動する経済協定は軍事侵略に等しい。先祖たちが守り抜いてきた伝統や文化、美しい国土、かわいい子供たちの未来を守り抜くことが防衛ではないのか。このまま進めば、“国破れて山河も無し 城春にして草木枯れる”になる。

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2012年2月 8日 (水)

シロアリ帝国、そのステルス性格について

 小泉政権時代の元自民党幹事長、中川秀直氏は、飯島勲元官邸秘書官と並んで、小泉官邸主導体制を築いた一人である。小泉政権は、対米従属を柱とした戦後の自民党55年体制の中でも、完全にアメリカに魂を明け渡した極悪政権であった。日本が採用している議院内閣制は、植草一秀氏や飯尾潤氏が言っているように、日本人の通念とは異なり、実は権力集中的な制度である。詳しいことは飯尾潤著「日本の統治構造」(中公新書)などに書いてある。先進諸国の政治体制は大統領制と議院内閣制の二つに大きく分かれているが、結論的に言ってしまえば、大統領制は権力分散型であり、一方の議院内閣制は権力集中型なのである。これを実際に証明した日本の内閣総理大臣が小泉純一郎氏であった。

 大部分の日本人は戦後政治を見てきて、官邸主導に違和感を持っており、日本の宰相には米国大統領のような強い権限はないと思い込んでいる。ところが、植草氏もかねてから主張しているように、それは取り違えであり、制度上は日本の議院内閣制で選出された首相の権限は絶大なのである。田中角栄元首相を除き、戦後日本の歴代首相が強力な指導力を発揮して来なかったのは制度的な理由ではなく、民族的な伝統性が首相の圧倒的な指導可能性を抑制していたのである。伝統的な村落共同体から出た「和の精神」が、徹底的な合議制をもたらしていたのである。だから、小泉政権が官邸主導という、トップダウンの強力な指導体制を敷いたとき、日本人はびっくりしたが、実は小泉氏は制度の正当な機能を働かせただけである。同時に、小泉氏には和の精神が先天的に欠落していたことも、官邸主導実現の大きな理由であった。

 さて、冒頭に述べたように、官邸主導という、本来の強力な体制を敷いて、政治では小泉純一郎氏の首相権限を最大限に揮わせ、経済金融では竹中平蔵氏の権限を絶対のものにした陰の実力者が、当時官房長官をしていた中川秀直氏であった。小泉構造改革はネオリベラリズム(新自由主義)・ポリティクスを思想の根底に置き、年次改革要望書を指針とした完全な対米従属の市場原理政策であった。これで、どれほど日本の構造が破壊され、国民生活を破綻に導いたかは枚挙にいとまがない。その意味で、中川秀直氏も日本の針路を破局に向かわせた国政犯罪人の一人である。

Photo その中川氏が書いた著書「官僚国家の崩壊」(講談社)の中で、「ステルス複合体」という造語が出てくるが、その定義をこう記している。

学歴(東大法)に基づく自らの身分に誇りを共有する。官僚機構、日銀、経済界、学界、マスコミなど、あらゆるところに巨大なネットワークを張る。この同質的人脈が『空気』をつくり、政策の『相場感』をつくっていく。彼らの醸し出す空気と相場感に反するものは『異端』扱いされるか、無視され、あらゆるエリート層に、予定調和的な言動を強いて、同質化圧力を加えていく」(23ページ)

 中川氏がどのような人物であれ、この捉え方はシロアリ(官僚)帝国の本質を見事に衝いている。まさに言い得て妙である。特にシロアリ帝国と各界に通じた学閥ネットワークを「ステルス複合体」と名付けたセンスは、現代官僚の隠密的な姿をよくとらえている。また、官僚を初めてシロアリに喩えた人物が野田佳彦氏であったかどうかは分からないが、シロアリという言葉も実によく官僚の生態を表している言葉である。生物学的にはシロアリはアリではなくゴキブリの仲間らしい。目に見えない場所で、木造家屋を内側から蚕食するこの昆虫は嫌われている。中川氏はステルス複合体を官僚機構に止めず、日銀、経済界、学界、マスコミなど広範囲のネットワーク全体を複合体と名付けているが、最もステルス化しているものは何と言っても官僚機構だろう。

 最近、TPPの実務的な推進者としてクローズアップされている、宗像直子・経済産業省通商機構部長(グローバル経済室室長)は、国民の視界からそれた場所で、着実にTPPの実効的な推進作業をやっているようである。日刊現代2011年11月21日の記事にはこう書かれている。

「日米で言った言わないでモメている野田首相発言、『日本は全ての物品サービスを(TPPの)貿易自由化交渉のテーブルに乗せる』というセリフ。これは経済産業省が事前に用意したペーパーに書かれていて、これを作成したのが宗像なのである。問題のペーパーはAPECのためにハワイに先乗りした枝野経産相にカーク米通商代表との会談用として渡された。たまたま枝野に密着していたテレビが映したことで、存在がバレた。

 記事によれば、昨年の6月、震災と原発事故に騒然としていた時、『TPPを考える国民会議』副代表世話人の久野修慈・中央大学理事長(日本精糖工業会会長)は、宗像氏が慎重派の説得に動き回っていて、自分も説得を受けたことを暴露したそうである。宗像氏のこの行動も、シロアリ特有の隠密行動であった。政治を無視した水面下で、官僚たちが売国作業に勤しむ事実は深刻である。経産省に限らず、官僚たちはステルス複合体を使って、日本の蚕食活動に邁進していると見なすべきだろう。強力な官邸主導政治を実行した小泉政権さえ、その強気な言葉とは裏腹に、シロアリ帝国の牙城には手を付けられなかったのである。(イラストはパロディスト、マッド・アマノ氏の作品です)


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2012年2月 6日 (月)

シロアリ退治が変節して、シロアリへの御奉公に・・

 
(MSN産経ニュースより)

鳩山氏「小沢氏復権を」 増税で首相「変節」批判…

 民主党の鳩山由紀夫元首相は30日夜のBS11番組で、--途中略---。
 鳩山氏は「野田首相は首相になる前、麻生政権を倒す目的で天下りをなくすことが先で、それをやらないで消費税増税なんてとんでもないと言った」と指摘。その上で「今まさにその言葉が首相自身に返ってきている」と首相の「変節」を批判した。---以下略。
2012.1.31 00:11 [鳩山由紀夫]


(画像はパロディスト、マッド・アマノ氏の作品ですが、
ご本人のご厚意によりここに掲載させていただきました)
 Photo 鳩山由紀夫(友紀夫?)氏は先月末に、野田佳彦氏が麻生政権時代、天下りをなくすことが先決なのだが、それをしないで消費税を引き上げる話はおかしいと言っていたことが、今の野田首相に跳ね返ってきていると痛烈に批判している。これは、当然、例の「シロアリ駆除街頭演説」を指しているが、この貴重な動画を天下に知らしめたのは植草一秀氏である。野田首相は、同じ民主党の初代内閣総理大臣だった人にストレートに変節を指摘されても、一向に反省したり落ち込む様子がない。それは財務省の洗脳にすっかり頭をやられているからである。野田佳彦氏は二年半前にこう言っていた。


シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。


 2009年、政権交代時の民主党の基本方針の中に、官僚主導から政治主導へ転換というのがあって、その文脈において野田氏は、天下りやわたりの根絶を一生懸命説いていた。従って官僚主導体制是正の一環としては、何よりも天下りやわたりの問題にメスを入れることが最優先事項というか、前提条件となっていたはずである。この肝心要の部分を黙殺して、消費税増税に突き進む現状は、国民自体をバカにし、政治そのものを愚弄していることになる。

 官僚主導体制を政治主導体制に切り替えるというのは、決して一朝一夕には行かない難事業である。何故なら、官僚には律令制度発祥のころから染み付いた強い官吏意識があり、公僕とは言いつつも、彼らは自分たちがヒエラルキー的には国民の上位にあって、不動の支配階級だと考えているからである。絶対的な官尊民卑のヒエラルキー感覚である。欧米型民主主義が我が国に導入されたのは、たった六十数年前である。民主主義とはその字義通り、民が主体となる思想だが、戦前、戦後を通して官僚主導体制を見れば、我が国は民主主義と言うよりも官主主義国家と言った方がいいかもしれない。

 では、なぜ官僚が国民の負託を背負った政治家よりも優位にあるのか。それは官僚が国民を衆愚視しているからであり、衆愚の代表たる政治家は、やっぱり衆愚に他ならないと差別意識を持っているからだと思う。もう一つ考えられることは、官僚と政治家のライフサイクルの極端な違いに起因する。当たり前のことであるが、政治家は衆参両院の政治家がいて、衆議院は任期が4年であり、解散があれば任期満了前に議員資格が終了する。参議院は6年の任期である。

 一方、官僚の場合は選挙という民意による洗礼がないので、その任期は定年になるまでほぼ半永久的である。従って、行政を司るとは言っても、彼らは行政内部の深い部分まで掌握しているから、わずか数年の政治経験しかない政治家を素人としてしか見なくなり、腹の中では睥睨しているのである。法的には政治家が主導権を持つが、実質的には政治家は門前の小僧扱いなのである。それぞれの職分におけるライフサイクルの長さが圧倒的に違うことは大きい。

 だが、長ければいいというものでもない。人間は権力や金を扱う場所に長くいると腐敗する。だから、官僚主導体制とは、腐敗した官僚体制が事実上、政治をコントロールしている様態を言っているのであり、政治が下位構造に組み込まれている現状は民主主義とはほど遠いところにある。かつての野田佳彦氏がいみじくも喝破したように、シロアリ退治は必須である。官僚は多くの天下り法人を持ってシロアリ帝国を築いた。政治のコントロールが及ばないその牙城では、国民の税金が集積され、シロアリ軍団にいいように食い散らかされている。

 ここに、中曽根政権以来、新自由主義路線が我が国に導入されてから、シロアリ帝国は大きく分けて二つの悪さを行っており、そのために国民へ再配分される機能はどんどん廃れていった。その一つは官僚自身の利権肥大であり、もう一つは宗主国アメリカへ国富が移転されていることである。この傾向は小泉政権以降顕著になっており、特に後者の国富海外移転が国民生活破綻の主な元凶になっている。官僚が国家秩序を維持する重大な役目を担うなら、特にヘッジファンドなど、強欲外資の収奪状況に歯止めを打たねばならないわけであるが、その反対に、TPPを積極的に進める経産省のキャリア官僚、宗像直子氏のように、官僚自らが主体的に国を売る作業を始めていることは、暗澹たる日本の実情を示している。

 国民はシロアリ退治を無視して、シロアリたちに国民の血と汗の結晶を貢ごうとしている野田佳彦首相を絶対に許さないだろう。しかも、デフレ下における大増税政策は、心ある人たちが憂慮しているように、出血多量で死にそうになっている人へ献血を強要するようなものである。

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2012年2月 4日 (土)

野田首相殿、「社会保障と一体の増税」より、「吸血シロアリ駆除と一体の社会保障」ではないんですか?

Photo_2 植草氏がブログで紹介し、どんどん拡散された、例の「シロアリ駆除動画」が周知され始めている。ここでは、初志貫徹に燃える野田佳彦氏の力強い立派な街頭演説が聴く人々の心を捕える。何という説得力のある素晴らしい演説内容であろうか。

(その演説から引用)
 「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。これがルールです。書いてないことを平気でやる。これ、おかしいと思いませんか。書いてあったことは四年間何にもやらないで、書いてないことは平気でやる。

 それは、マニフェストを語る資格はないというふうに、是非皆さん思っていただきたいと思います。その一丁目一番地、税金の無駄遣いは許さないということです。
 天下りを許さない、わたりは許さない。それを徹底していきたいと思います。消費税1%は二兆五千億円です。十二兆六千億円ということは、消費税5%ということです。消費税5%分の皆さんの税金に天下り法人がぶら下がっている。

 シロアリがたかってるんです。それなのに、シロアリ退治をしないで、今度は消費税を引き上げるんですか?
 消費税の税収が二十兆円になったら、またシロアリがたかるかもしれません。鳩山さんが四年間消費税を引き上げないと言ったのは、そこなんです。

 シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく、それが民主党の考え方であります。


 冒頭に掲載した写真の動画で、野田佳彦氏は上記内容を力強く言ってのけている。本当に素直に共感できる街頭演説である。実に分かりやすくて、官僚利権の要点を上手く衝いていると思う。この動画は植草氏の記事によると、2009年8月15日の街頭演説の様子であるというから、約二年半前のことである。これだけ、力強くて説得力のある正論を堂々と述べていた野田佳彦氏が、今では官僚利権の「か」の字もない増税スローガンに変貌した。現在の野田佳彦氏が、本当にきれいさっぱりシロアリの存在を捨象しているのは、いくらなんでもあんまりだと言うしかない。


シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。


 消費税増税路線は、シロアリをやっつけることが、何よりも最初にやるべきことであることは、野田佳彦氏自身が極めてはっきりと表明していたではないか。シロアリ退治の過程を抜かして増税したら、爪に火を灯しながら細々と生きている貧しい国民から吸いとった税金は、シロアリたちの餌になってしまうだけである。それは、自分たちが住む社会空間の福祉やインフラのためではなく、シロアリ帝国の繁栄に血税を注いでいるようなものである。我々は日本という国に住む日本人である。だから税金は日本国家のために使うべきであり、シロアリ帝国という有害寄生虫の棲息する領域に流れてはならないのだ。

 官僚は、修正資本主義、または混合資本主義(※注:文末に記す)の機能を円滑にするためにこそ、その存在価値がある。原理論的な暴力資本主義をなだめ、福祉という社会主義的な要素を加味して全体のバランスを取る。それが産業革命以降に、自由主義圏の人類国家が選択した修正資本主義の道程である。ところが、共産圏が衰退して以来、事実上、資本主義国家群が剥き出しの市場原理性に立ち返り、その様相はイギリス産業革命直後に見えた暴力と搾取が支配する構造に変化した。この暴力資本主義への復古を事実上推進した者が国際金融資本であった。この一大拠点はアメリカにあって、アメリカそのものを牛耳る奥の院となっている。

1 日本の官僚に見える大問題は、この奥の院の意向に沿って国家運営を誘導する強い指向性を持ち、三権分立を凌駕して政治までコントロールすることにある。その目的は、宗主国に国富を貢ぐことと、自分たちの栄耀栄華を味わうためだけにある。そのために、財務官僚を筆頭にして彼らは徴税(ちょうぜい)原理至上主義に凝り固まる浅ましい存在となっている。日本の統治体制は、官僚主導体制という官僚帝国勃興システムに占拠されている。国民のために使われるべき税金が、いつの間にか官僚帝国へ横流しされる事実にみんなが気付き始めている。

 これは北朝鮮へ支援物資を届けても、物資が国民に届く前に軍部や支配階級に流れてしまうのと全く同じである。税金の歳入も歳出もシロアリが握っていて、横流しもシロアリがやっている。税金の流れがどうなっているか、シロアリは奸智に長けていて、途中のフロー状態を外から見えないようにブラックボックスを通す。これではヤクザやマフィアのマネーロンダリングと変わらない。高級官僚を国家ヤクザと理解する私の気持ちは決して的外れではないだろう。野田佳彦首相は、シロアリ撲滅という重大な要件を忘却し、シロアリに魂を売った。

 首相殿!シロアリ退治はどこへ行ったんですか?シロアリという言葉はタブーになったんですか?我々の血税が吸血シロアリに吸われている現状はどうするんですか?
(イラストはパロディスト、マッド・アマノ氏の作品です)

※注  修正資本主義、あるいは混合経済体制とは、原理的な資本主義経済の、資本力による弱肉強食経済に基づくさまざまな弊害を国家が政策的に是正し、国家に福祉性格を付与して、剥き出しの資本暴走を制御しようとする考え方。産業革命直後に見られた、資本家による労働者搾取・虐待による社会の脆弱化を見て、西欧自由主義国家群がやむなく採用した国家経済体制。国家による福祉政策とは、ケインズ主義的、社会主義的な性格を帯びており、資本主義の暴力的な資本ダイナミズムを、国家介入型福祉政策で緩和したので、修正、あるいは混合型資本主義と言う。小泉構造改革とは、セーフティネットの切り崩しや福祉予算を年間2千億円削減するなど、国家から福祉性格を除外する方向性を持っており、修正資本主義を本来の弱肉強食政治に戻そうとするベクトルを有する。つまり、竹中平蔵氏の政治思想とは、修正資本主義を破壊することによって、宗主国や資本強者だけを富ませる考え方なのである。(あくまでも管理人の理解ですが)

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2012年2月 3日 (金)

「シロアリ退治無き巨大消費増税」スローガンに見る極度な危険性について

(画像はパロディスト、マッド・アマノ氏の作品です)
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 ○現在も発動し続けているTPR
 最近、本ブログにおいて、野田佳彦氏が、ある時期を境にきれいに「鏡像反転」を起こし、それは彼が短期間で財務省にすっかり洗脳されているからだと書いた。これをもっと具体的に言えば、ここに掲載したパロディスト、マッド・アマノ氏の作品に出ているように、野田佳彦首相は、財務省によるTPRに完全に取り込まれ、見事なまでに財務事務次官・勝栄二郎氏のパペット(操り人形)と化している。TPR(TAXのPR)とは、財務省による大掛かりな増税洗脳プロジェクトのことである。野田首相は、消費税増税を言挙(ことあ)げして以来、妄執に火のついたような強烈な情念で、「巨大消費増税」の呼号に明け暮れている。野田首相を籠絡(ろうらく)した、このTPRというのは、植草一秀氏のブログや著書をご覧になっている方々はすでにご承知のことであるが、ブログ「植草一秀の『知られざる真実』」の、2011年11月10日の「日本破壊のTPPと国民生活破壊のTPR」にその実態が記載してあるので、今一度ご覧になっていただきたい。

 記事によると、驚くべきことに植草氏は「私は大蔵省に2年間在籍して、TPRが始動した局面でTPR事務局の一員を務めたことから、このTPR発足時の全貌を掌握している。」と書いているから、氏自身がこのプロジェクトの事務方にいて、その実態を知悉していたことになる。この実態を知れば、財務省が日本国民を菜種(ナタネ)の種子みたいなものとしか考えていないことが分かる。つまり油(税金)を可能な限り国民から搾り取ることしか眼中にない、金銭欲の魔殿ということになる。記事は、植草氏が大蔵省(財務省の旧名)に二年間在籍していた当時、彼自身がこのTPRに関わっていた貴重な体験から、国民が是非知るべき財務省の重大な本質が見えてくる。その記事から重要部分を抜粋する。


(引用開始)
TPRの活動は大きく分けて三つあった。
  第一は、政界・財界・学界3000人リストを作成し、この全員を説得するというもの。リストアップされた3000人の全員に対して大蔵省幹部が説得に出向いた。了解を取り付けた人物にはリスト上に丸印が付される。説得工作が失敗した場合にはX印が記され、ひとつ階級の高い官僚が次の説得に向かう。売上税導入に反対する人物には、最終的には事務次官までが対応するとの態勢が敷かれた。
 
 財金研研究部では毎日3000人リストの更新作業が行われた。3000人に対する徹底した説得工作が実行された。
 
 第二は、メディアに登場する論評に対する検閲である。TPRウィークリーなる資料が作成された。あらゆる新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌、単行本における税制問題関連の記述が検閲の対象になり、賛成派と反対派を色分けし、反対派をブラックリストに入れて説得工作の重点対象とするとともに、賛成派を売上税推進の提灯持ちとして活用することが検討された。
 
 第三は、メディア関連企業に対する説得・接待活動である。新聞、テレビ、広告代理店、さらに大手出版社までが説得・接待活動の対象にされた。接待としては、吉兆などの高級料亭が用いられたこともある。
 
 マスメディアのなかで、とりわけ重要度が高いのがNHKである。政府・与党が大きな政策を推進しようとする際、政府・与党はNHKを活用する。NHKは政府・与党の政策推進に積極的に協力してNHKスペシャルを制作する。

(引用終了)


 どうであろうか。実に驚くべき内容であるが、問題は、この巨大増税洗脳プロジェクトが、二十数年前に終わった大蔵省の一過性の話ではなく、現在も財務省に延々と受け継がれているという事実にある。植草氏は、ブログでもメルマガでも、野田首相の言う増税路線において、大前提が欠落していることを何度も繰り返し攻撃している。野田首相の猪突猛進的な増税路線を、財務省のTPRに洗脳されたと言えば、まさにその通りであるのだが、野田首相の行動様態を見ていると、単純だが、ある非常に重大な危険性を孕んでいることに気が付く。それを言う前に言うべきことがある。植草一秀氏が、ブログでもメルマガでも、何度も、何度も繰り返し指摘し続けていることが下記の内容である。

野田佳彦氏が突き進む消費増税。多くの問題点が指摘されているが、何よりも重要なことは、国民に負担を強いる前にやるべきこと、すなわち、官僚の天下り利権の根絶を実行しないで、消費税引き上げに突き進むのは許されないということだ。
 
 私は、このことだけを主張し続けている。

○植草一秀氏による洗脳解除ポリティクス
 植草氏はシロアリ退治の必要性をこれでもかと繰り返す。シロアリ退治、すなわち、天下り法人を消滅させ、天下り根絶、わたり根絶の道筋である。国民は増税について、何でもかんでも反対というわけではなく、然るべく条件が整ったら、社会保障の安定的な持続性を得るためには増税も視野に入っていると考えている。税金の使い道の合理性、妥当性を納得すれば、日本国民は納税を受け入れるはずである。だが、野田佳彦氏の増税路線には、その大前提となるある条件がすっぽりと抜け落ちている。大前提とは、シロアリ退治と、白アリの巣の破壊、巣相互をつなぐ連絡ルートの破壊である。国民の血税を高級官僚が着服し、彼らを受け入れる施設の拡大と温存、この状況に終止符を打たずして、彼らのほしいままに税金がシロアリ魔殿に垂れ流され、国民にはほとんど有益なメリットとして還元されない現実がある。

 税金は官僚を肥え太らせるために収めるのではなく、国民の福祉とより良い社会インフラ、社会資本を充実させるために収めるのである。つまりは国民の幸福と子供たちの良き未来のために税金は活用される使命を帯びている。ところが、今の日本は財務官僚を頂点として、あらゆる組織の高級官僚に国民の血税が集積するシステムが出来上がっている。官僚が肥え太って国家機能が動脈血栓を起こしているのである。その顕著な証左は、311大震災と原発事故に見える政府と行政の対応である。このような一大国難に当たっては、政府と官僚が協力し合って、被災地難民と原発放射能拡大の阻止に最大限の注力をするべきであるが、あろうことか、彼らは国民を棄民して、原発利権シンジケートを保護し、増税大作戦とTPPという国家解体作業に着手したのである。ついに、日本崩壊の銅鑼(どら)が鳴り響いた。

 そこで、今回は難問が山積する中で、植草氏が何度も何度も指摘し続けている、天下り根絶を故意に捨象した巨大消費増税を唱え続ける野田首相とマス・メディアの重大な危険性について述べておく。植草氏のように飛び抜けた碩学が、野田首相の「天下り根絶無き巨大消費増税」を執拗に攻撃し続けるのはなぜか。そこにこそ、私が強く訴えたい、野田首相とマス・メディアが仕掛けている大きな陥穽(かんせい=落とし穴的な罠のこと)があるのだ。野田首相は、2005年当時に郵政民営化総選挙を控えた時の、小泉純一郎氏の唱えたワンフレーズポリティクスを明らかに踏襲している。それが「社会保障と一体化した消費税増税」である。野田首相は、野党やネットからシロアリの件を突っつかれても一向に動じない。まさにドジョウの顔に泥を浴びせても平気の平左である。ここから財務省戦略のある手引きが見えてくる。

 それは野田首相が大衆洗脳ポリティクスの定石通りに動いていることにある。植草氏はそれを察知し、洗脳解除、つまりは逆洗脳ポリティクスとして、ブログから「ん?で、シロアリはどうした?どこへ消えた?」というメッセージを読者と政府に向けて、繰り返し発信しているのである。

○野田ワンフレーズ・ポリティクスに見える危険性
 小泉純一郎氏のワンフレーズ・ポリティクスは、B層籠絡(ろうらく)戦略として、当時話題になったが、これは「有限会社スリード」が、郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略には、「B層にフォーカスした、徹底したラーニングプロモーションが必要と考える」との総括があったことから来ている。野田首相の増税一直線は基本的にはこの考え方で行われている。財務省が推し進める大増税プロパガンダは、二重の洗脳構造を持っており、最初は首相自身を洗脳し、今度はその首相とマス・メディアを使って、大規模に国民を洗脳しているのである。その作戦はTPRに基づいている。しかし、野田首相の増税一本槍の単線的ポリティクスを冷静に眺めると、明らかに小泉純一郎氏のそれを真似ており、「郵政民営化、是か非か」のように、「社会保障と一体化した消費増税、是か非か」の二項対立に意図的に誘導していることが分かる。

 私が強い危険性を訴えたいのは、野田首相のこのワンフレーズが、結果的にマス・メディアを通じて執拗に繰り返されている現実にある。国民は何度も同じことを聞くうちに、社会保障のための増税なら仕方がないではないかと思うようになる。これが財務省の狙いだ。思い出さないだろうか。小泉氏に限らず、野田首相が繰り返す増税路線の反復呼号(=繰り返し呼びかけること)は、1925年のナチス党の宣伝担当相であったヨゼフ・ゲッベルズの大衆プロパガンダとそっくりだということを。洗脳の特徴は耳触りの良い短文を繰り返すことにある。財務省と野田首相が使用している耳触りの良い短文とは「社会保障のための財源獲得」であるが、これが洗脳効果をいやが上にも高めてしまうのだ。

 だからこそ、植草一秀氏はこの洗脳効果に対抗するために、シロアリの存在を執拗に訴え続けているのである。野田首相やマスコミが何度も、何度も「社会保障と一体化した増税」を流布し続けている以上、誰かがこれに対抗すべく、洗脳解除のキーワードを入れて洗脳対抗ポリティクスを「何度も何度も」唱え続ける必要がある。そのキーワードが「シロアリ」なのである。私が知る限り、有識者でこれを果敢に実行しているのは植草一秀氏だけである。重要なことは、単に野田路線を批判するに止まらず、「シロアリ駆除は一体どうしたんだ?」というフレーズを使って反対意見を何度も繰り返すことである。これによって、受動的被洗脳状態から能動的洗脳対抗状態に切り替えるのである。マス・メディアの伝達規模は巨大であるから過小評価は禁物だ。マス・メディアの伝達範囲が百万単位で、ネットユーザーのそれが数千から数万単位ならば、いや、数百から数千単位ならば、ネットユーザーは十倍から千倍以上繰り返せば、十分に対抗し得る計算になる。しかし、覚醒したネットユーザーが数多くいるから、個人的には千も繰り返す必要はないだろう。要はネットユーザーの心意気である。

 補記

 植草一秀氏は、私の知る限り、1999年5月6日発刊の『日本の総決算』(講談社)、その中の「TPRとKBK」という項目で、すでにTPRについて記述している(P50~51)のであり、これ以前から、氏が財務省の魔窟に巣食う官僚たちに裏切り者として目の敵にされていたことは充分に頷ける。ちなみにKBKとは「課税ベースの広い間接税」の省内における隠語だったそうだ。これと関連して、植草氏は橋本政権の増税路線を糾弾した第一人者でもあった。私は、1998年の東海道線の件は、この背景が色濃く投影されていて官憲が動いたとしか思えない。

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2012年2月 1日 (水)

尖閣諸島中国漁船衝突事件と米国、そしてショックドクトリン

○ショックドクトリンについて 

 ショックドクトリンとは、大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革(The Rise of Disaster Capitalism)」という意味で、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クライン(Naomi Klein)氏が2007年に著した本のタイトルである。この著書は瞬く間に世界中に伝播し、多くの知識人に現代思想上で重大な認識を与えたらしい。この本には「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」という副題が付けられているが、ナオミ・クライン女史が説くショックドクトリンが何であるかについては、女史自身が説明した動画が幾点か出ているので、それを見れば良いガイダンスになる。この本の執筆動機は、新自由主義の経済学者ミルトン・フリードマンの「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」という主張に対し、クライン女史は、現代の最も危険な思想と看破し、そのアンチテーゼとして「ショックドクトリン」を著した。

 女史によれば、「近年の悪名高い人権侵害は、とかく反民主主義的な体制によるサディスト的な残虐行為と見られがちですが、実は民衆を震え上がらせて抵抗力を奪うために綿密に計画されたものであり、急進的な市場主義改革を強行するために利用されてきた」と主張する。要するに天災・人災を問わず、何か大参事やテロ、恐怖政治、独裁政治の崩壊などが起きた直後、人々は思考停止状態に陥り、判断力や推理力が脆弱化し極めて単線的に物事を信じやすくなる。それに付け込んで、市場原理主義者たちが救済や復興、あるいは構造改革という美名ビジョンの下で、小泉・竹中構造改革路線が導入した市場原理至上主義構造に切り替える作業を急進的に行うのである。

 その手法はいろいろあると思うが、国家の場合には、その国に協力者を得て彼らに内部から手引きをしてもらうのである。池波正太郎原作の「鬼平犯科帳」には、盗賊の手先として「引き込み女」が出てくるが、これは国家の社会構造を国際金融資本の意のままに極端な市場原理至上主義に構造転換をして、外資の収奪行為を可能にした構造改革派全てが該当する。その最大の経済戦犯が竹中平蔵氏であった。鬼平犯科帳の主人公も長谷川平蔵という名であり、平蔵繋がりで奇妙な一致を見せている。しかし、菅政権時も、野田政権時もショックドクトリンのショックに相当するものが、東日本大震災と原発災害であることに異論はないであろう。

 さて、三橋貴明氏や中野剛志氏など、いろいろな俊英が指摘しているように、TPPは明らかに我が国で起きた東日本大震災とそれに連動した福島第一原発事故を利用したショックドクトリンの適用とみなすことができる。東北復興計画に外資が進出しやすい市場構造ができつつあることは危険な現象である。中野剛志氏が指摘するように、今まで政府が地方を見捨てているルサンチマンが相俟って、東北エリアがその悪魔の復興ビジョンに乗ってしまうことは充分に考えられる。その前に、日本でTPPが最初に人口に膾炙(かいしゃ)され始めたのは、菅直人前首相が、2010年10月1日の所信表明演説で突然に出されてかららしい。従って、311以前から日本をTPPに巻き込むために、国際金融資本のロビーストたち(ジャパンハンドラーズ)が菅氏に接触して洗脳していた可能性は高い。

○尖閣諸島中国漁船衝突事件をこう考える

 では、菅政権初期にショックドクトリンはなかったじゃないかと思う向きもあるかもしれないが、実はかなり大きなショックドクトリンが生起していたのである。それが2010年9月7日に起きた尖閣諸島中国漁船衝突事件である。これに対する菅前首相、特に仙谷前官房長官の実質上の対応は、国の体面に泥を塗るひどいものであったが、私はこの事件の筋書きを描いたのは、中国ではなくアメリカだと思っている。その最大の理由は、小沢一郎氏と菅直人氏の党首選、事実上、日本の首相を決定する選挙の真っ最中に起きたからである。

 小沢一郎氏が日本の宰相になった場合、一番困る国が小泉純一郎氏を持ち上げていたアメリカである。小沢一郎氏は小泉・竹中構造改革の反動的政治を目指し、つまりは国民主体の政治を実現しようと本気で政権交代を実現させた実力者である。取りも直さず小沢氏が選ばれることは、国際金融資本の日本進出を確実に頭打ちにすることであるから、アメリカはどうしても菅直人氏に軍配を上げる必要があった。ここで中国共産党の本音を私は推測したが、結論的に言って、中国もまた小沢総理大臣の登場を本音では望んでいなかったとみる。なぜなら中国も韓国も日本がアメリカの桎梏から離れ、実質的な独立国家になることを望んでいないからである。

 彼らはアメリカが我が国に敷いた東京裁判史観、つまりは「閉ざされた言語空間」に永久的に従属したままのほうが都合がよいからである。だから、日本の若い官僚や政治家予備軍が、アメリカに留学してワシントン・コンセンサスの洗脳を受けて帰ってくることを腹の中では歓迎していることになる。東京裁判史観はネオリベ思想敷設にとって整合性が高いのである。日本が米国の従属国家であり続けるほうが現在は都合がいいという話である。つまり、中国は竹中平蔵二世、三世がどんどん巣立って日本が政治的にも、軍事パワー的にも脆弱なままであって欲しいのである。田中角栄氏が日中国交回復を行った1972年から、その文脈で中国は小沢氏に対して親密性をアピールするが、本音では小沢氏の国家運営を忌避している。日本の自立化阻止は彼らの戦略上絶対必要条件であることに変わりはない。

 そこで、菅・小沢党首選で、実態は小沢氏の優位を見抜き、焦ったアメリカは急遽、中国共産党とホットラインで相談をし、例の中国漁船衝突案件を提案、それを中共政府に依頼した。中国とアメリカは表面上は敵対する二大覇権国だが、経済的には互いの利益がかみ合ううちは協力関係にある。小沢一郎氏を党首選に敗北させることは、両国の共有利益に合致することだったので、中共政府はこの要求を快諾し実行に移したのではあるまいか。それが例の漁船による敵対行動であった。また党首選では、米国がCIAを動かして党員サポーター票の不正操作を行い、菅直人という、なるべきでない人物が国政を担当指揮することになった。

 国会議員も尖閣事件を見てから、やっぱりアメリカに守ってもらわないと危ないと考え、菅氏に票を投じた者がかなり出たと思われる。つまり、私個人の見解であるが、尖閣漁船衝突事件は、アメリカと中国の合作であったということになる。事後、クリントン国務長官の奇妙な平静さがそれを示唆していたように見えた。同時にこの衝突事件は、日本に国際金融資本が上陸する上で十分なショックドクトリンになったのである。菅首相が2010年10月の段階で突然TPPをぶち上げ「開国宣言」というとんでもないスローガンを打ち出したのは、背後に国際金融資本の暗躍があったからである。これは極めて鮮明なショックドクトリン構造となっている。

 最後に、菅・野田両政権時に大震災や原発事故がダメ押しのようなショックドクトリンになっていることは疑う余地がないが、小泉政権時でそれに該当する案件が何かと問われれば、阪神大震災で動揺した後の、橋本政権時代の金融ビッグバンがそれに該当するだろう。それに加えて、2001年12月には、小泉元首相は青木建設の倒産に対するコメントとして、「構造改革が順調に進んでいることを示すもの」と述べて建設業界にショックを与え、続く2002年10月には、竹中平蔵氏が「“too big to fail”=潰すには大き過ぎるとの考えはとらない」と言って銀行業界を震撼させ、日経平均株価を暴落させた。これらも金融ビッグバンに追い打ちをかける十分なショックドクトリンであった。

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