五十路男のボディボード・デビュー
土、日、月と三日間、伊豆の海に行って来た。シュノーケリングを楽し
むためと、ボディ・ボードを教わる予定であった。土曜日は浮島(ふとう)
という所で素潜りをする予定でいた。現地に着いて見渡したところ、快
晴で波もなぎに近いほど穏やか、透明度もかなりありそうだった。これ
は最高の素潜りコンディションだと喜んだのはつかの間であった。
半袖ウエットスーツに着替え、準備体操もして意気揚々と海に入った。
最初は三メートル位の深さで耳抜きなどをして慣らすつもりで進んで行
ったところ、何かにちくッと刺されたようで、下唇の下に少し痛みが走っ
た。すぐに半そでの露出部分の腕にも同じような痛みを感じた。水中を
見ると、なんと無数の小型クラゲが遊泳していた。感じとしては、一平
方メートルくらいの枠内に10匹くらいのクラゲが居た。異常な数の多さ
である。大きさは二センチくらいから八センチくらいまでのクラゲがどこを
見ても無数に漂っていたのである。泳ぐとゼラチン触感のそれが身体に
まとわりついてくる。
岸から20メートルくらい離れたところで、仲間と一緒に「こりゃいかん、
すぐに上がろう」ということになって岸に引き上げた。私自身はこのよう
な密度のクラゲの集団を見たことはない。おそらく湾内すべてが同じ密
度でクラゲが居たのだと思う。刺したりしなければクラゲの乱舞はそれ
なりに見て楽しいものなんだろうが、毒性はあまりないとは言っても、や
はり刺されると痛いし何時間か刺されたあとがチクチクしっぱなしだっ
たので、一度に多く刺されると大変だと思う。それにしても、これほど多
くのクラゲの中を潜るのは気色悪すぎる感じがした。
というわけで、素もぐりのポイントを換えて弓ヶ浜の隣の逢ヶ浜という
所に急遽直行した。ここにはクラゲは居なかったが、水が濁っていて
透明度は一メートルもなかった。結局、今回は潜りを断念してボディボ
ードを教えてもらうことにした。一緒に行った素潜り仲間は、その昔、
湘南の海などでならしたれっきとしたサーファーである。私は小さい頃
から川や湖で泳いでいたから、泳ぎはそこそこにできる自信はあるの
だが、海の経験はいたって少ない。ましてや板切れで波に乗るなどと
いう芸当は死ぬまでできないものだと思っていた。
波を遊びの道具に使うスポーツなどは私の人生においては想定外
だったし、泳ぎにおいても川と海の決定的な違いは波である。海経験
の少ない私は元来、波を克服するのは苦手であった。かつては、たま
に海に遊びに行っても、波に飲まれたり押し流されたりして疲労困憊
していた。私にとっては、一メートルくらいの波でも越えるのが大変で
あったが、素潜りを始めて以来、その程度の高さの波は克服できるよ
うになった。今回覚えたことに、波の下をくぐって波をやり過ごすドルフィ
ンスルーというワザがあって、それは前から単身で自然にやっていた
ことと似ていたのでわりと容易くできた。ただ、板を波の進行方向に対
して垂直にしてしっかりと持ちながら頭を下に向けるだけでできたよう
である。
実は、何年も前から素潜り仲間には、俺が教えてやるから是非やる
ように勧められていた。サーフィンの醍醐味はいいぞ、一度波をつか
むことを味わったら面白いなんてものじゃない、自然のダイナミックな
力を身体で感じ取れる、高橋はきっと病み付きになるからやれと言わ
れていた。私も湘南に住んでいた頃はサーファーたちの波乗りを散歩
がてらに見物していた。確かにきれいに波に乗った人を見ていると羨
望の気持ちはあったが自分には無縁のスポーツだと思っていた。な
ぜなら若者専用のスポーツだという思い込みがあったからである。
しかし、今回、仲間に文字通り、手取り足取りでボディボードを教え
てもらい、幸運にも二日目で二回も波に乗ることが出来た。無理だと
観念していたので、実際にできた時にはあまりにも嬉しくて狂喜乱舞
する思いであった。私はまるっきりのビギナーなのでバランスが悪く、
パドリングさえままならなかった。しかし、バタ足を思いっきりやってス
ピードをつけたら波に乗れたのである。もちろん、テークオフのタイミ
ングはサーファー教師の合図で行った。それまではゴーの合図をもら
っても私が上手くスピードに乗れなくて何度も失敗していた。その成
功の前には何度も波に巻かれたり、海底にぶつかったりして海水を
しこたま飲んでいる。胃に海水が入ったせいか、しばらく胃が気持ち
悪かった。
素人の浅はかさで、私は、ボディボードは子供や女性の簡単な遊び
で、ショートボードを乗りこなす本物のサーフィンに比べたら児戯に等
しいものだと思っていた。簡単に言うと、プールで見かけるあのビート
板の少し大きい奴で、ただつかまってパタパタやるものだと思ってい
た。しかし、見るのと実際にやるのとでは大違いであった。私の考え
ていた大きな誤解は、サーフィンというものは、ただ板に乗って迫り
来る波を待っていればそのままテークオフできるものだと思っていた
ことである。とんでもない間違いであった。テークオフするには、波の
押し寄せる速度を正確に見ていてタイミングを測り、波が接近した時
には、自力でかなりのスピードを得ていなければ波に乗れないという
ことがわかった。
考えてみれば、波というものは流体の移動ではなく、文字通りサイ
ンウェーブ(正弦波)というエネルギーの移動であるから、これに乗る
には波前面の斜面の移動速度に同期しなければならない。そのため
に板を波のスピードにある程度合わせて前方に推し進める必要があ
るのだ。つまり、ある程度、波の速度に追いつく努力をこちら側でや
る必要があったのである。実際は波が来る寸前にこちらが同一方向
にスピードを得ていることである。これによって波の移動に乗るので
ある。傍目には優雅に見える波乗りも実際はかなり力の要るスポー
ツだなと思う。特に波を越えて沖に出て行くパドリングには相当な膂
力が必要だということがわかった。大きな波ではなかったが、それで
も私は20メートルくらい一気に岸に向かって運ばれた。そのスピード
感たるや、予測していたよりもはるかに速いものだった。これが波に
運ばれるという感覚かと思った。前方の岸辺があっと言う間に近くな
ってきた。岩崎恭子ではないが、今まで生きてきて一度も味わったこ
とがない新鮮な体験であった。
足ひれを使わない本格的なサーフィンはパドリングができなければ
沖のポイントまでは行けないし、テクニックもかなり難しいようだ。しか
し、年甲斐もなく、いずれサーフボードに立ってみたい願望は出てき
た。(笑)しかし、当分はボディボードに腹這いながら波に乗ってみよう
と思う。ボディボードは本当に胸躍る体験であった。しばらくはこのテ
クニックに磨きをかけようと思う。これで海の楽しみが二種類になった。
シュノーケリングと波乗りである。どちらも自然を体感できる面白さが
ある。
54歳の私は、その昔、波乗り連中は社会からドロップアウトした不
良たちだと思っていた。しかし、彼らが何を体験していたのか、この年
になってようやく理解できた思いである。超ビギナーとして思うが、波
乗り大マンセーである。(笑)
そして言い忘れたが、私が今回初めてボディボードをやって、幸運
にも二回も成功したのは、クラゲの異常繁殖のおかげかもしれない。
クラゲが居なければ私はシュノーケリングに没頭してしまい、新しいこ
とをやろうとは思わなかっただろう。
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