2006年9月 5日 (火)

五十路男のボディボード・デビュー

Vfsh0188


 土、日、月と三日間、伊豆の海に行って来た。シュノーケリングを楽し
むためと、ボディ・ボードを教わる予定であった。土曜日は浮島(ふとう)
という所で素潜りをする予定でいた。現地に着いて見渡したところ、快
晴で波もなぎに近いほど穏やか、透明度もかなりありそうだった。これ
は最高の素潜りコンディションだと喜んだのはつかの間であった。

 半袖ウエットスーツに着替え、準備体操もして意気揚々と海に入った。
最初は三メートル位の深さで耳抜きなどをして慣らすつもりで進んで行
ったところ、何かにちくッと刺されたようで、下唇の下に少し痛みが走っ
た。すぐに半そでの露出部分の腕にも同じような痛みを感じた。水中を
見ると、なんと無数の小型クラゲが遊泳していた。感じとしては、一平
方メートルくらいの枠内に10匹くらいのクラゲが居た。異常な数の多さ
である。大きさは二センチくらいから八センチくらいまでのクラゲがどこを
見ても無数に漂っていたのである。泳ぐとゼラチン触感のそれが身体に
まとわりついてくる。

 岸から20メートルくらい離れたところで、仲間と一緒に「こりゃいかん、
すぐに上がろう」ということになって岸に引き上げた。私自身はこのよう
な密度のクラゲの集団を見たことはない。おそらく湾内すべてが同じ密
度でクラゲが居たのだと思う。刺したりしなければクラゲの乱舞はそれ
なりに見て楽しいものなんだろうが、毒性はあまりないとは言っても、や
はり刺されると痛いし何時間か刺されたあとがチクチクしっぱなしだっ
たので、一度に多く刺されると大変だと思う。それにしても、これほど多
くのクラゲの中を潜るのは気色悪すぎる感じがした。

 というわけで、素もぐりのポイントを換えて弓ヶ浜の隣の逢ヶ浜という
所に急遽直行した。ここにはクラゲは居なかったが、水が濁っていて
透明度は一メートルもなかった。結局、今回は潜りを断念してボディボ
ードを教えてもらうことにした。一緒に行った素潜り仲間は、その昔、
湘南の海などでならしたれっきとしたサーファーである。私は小さい頃
から川や湖で泳いでいたから、泳ぎはそこそこにできる自信はあるの
だが、海の経験はいたって少ない。ましてや板切れで波に乗るなどと
いう芸当は死ぬまでできないものだと思っていた。

 波を遊びの道具に使うスポーツなどは私の人生においては想定外
だったし、泳ぎにおいても川と海の決定的な違いは波である。海経験
の少ない私は元来、波を克服するのは苦手であった。かつては、たま
に海に遊びに行っても、波に飲まれたり押し流されたりして疲労困憊
していた。私にとっては、一メートルくらいの波でも越えるのが大変で
あったが、素潜りを始めて以来、その程度の高さの波は克服できるよ
うになった。今回覚えたことに、波の下をくぐって波をやり過ごすドルフィ
ンスルーというワザがあって、それは前から単身で自然にやっていた
ことと似ていたのでわりと容易くできた。ただ、板を波の進行方向に対
して垂直にしてしっかりと持ちながら頭を下に向けるだけでできたよう
である。

 実は、何年も前から素潜り仲間には、俺が教えてやるから是非やる
ように勧められていた。サーフィンの醍醐味はいいぞ、一度波をつか
むことを味わったら面白いなんてものじゃない、自然のダイナミックな
力を身体で感じ取れる、高橋はきっと病み付きになるからやれと言わ
れていた。私も湘南に住んでいた頃はサーファーたちの波乗りを散歩
がてらに見物していた。確かにきれいに波に乗った人を見ていると羨
望の気持ちはあったが自分には無縁のスポーツだと思っていた。な
ぜなら若者専用のスポーツだという思い込みがあったからである。

 しかし、今回、仲間に文字通り、手取り足取りでボディボードを教え
てもらい、幸運にも二日目で二回も波に乗ることが出来た。無理だと
観念していたので、実際にできた時にはあまりにも嬉しくて狂喜乱舞
する思いであった。私はまるっきりのビギナーなのでバランスが悪く、
パドリングさえままならなかった。しかし、バタ足を思いっきりやってス
ピードをつけたら波に乗れたのである。もちろん、テークオフのタイミ
ングはサーファー教師の合図で行った。それまではゴーの合図をもら
っても私が上手くスピードに乗れなくて何度も失敗していた。その成
功の前には何度も波に巻かれたり、海底にぶつかったりして海水を
しこたま飲んでいる。胃に海水が入ったせいか、しばらく胃が気持ち
悪かった。

 素人の浅はかさで、私は、ボディボードは子供や女性の簡単な遊び
で、ショートボードを乗りこなす本物のサーフィンに比べたら児戯に等
しいものだと思っていた。簡単に言うと、プールで見かけるあのビート
板の少し大きい奴で、ただつかまってパタパタやるものだと思ってい
た。しかし、見るのと実際にやるのとでは大違いであった。私の考え
ていた大きな誤解は、サーフィンというものは、ただ板に乗って迫り
来る波を待っていればそのままテークオフできるものだと思っていた
ことである。とんでもない間違いであった。テークオフするには、波の
押し寄せる速度を正確に見ていてタイミングを測り、波が接近した時
には、自力でかなりのスピードを得ていなければ波に乗れないという
ことがわかった。

 考えてみれば、波というものは流体の移動ではなく、文字通りサイ
ンウェーブ(正弦波)というエネルギーの移動であるから、これに乗る
には波前面の斜面の移動速度に同期しなければならない。そのため
に板を波のスピードにある程度合わせて前方に推し進める必要があ
るのだ。つまり、ある程度、波の速度に追いつく努力をこちら側でや
る必要があったのである。実際は波が来る寸前にこちらが同一方向
にスピードを得ていることである。これによって波の移動に乗るので
ある。傍目には優雅に見える波乗りも実際はかなり力の要るスポー
ツだなと思う。特に波を越えて沖に出て行くパドリングには相当な膂
力が必要だということがわかった。大きな波ではなかったが、それで
も私は20メートルくらい一気に岸に向かって運ばれた。そのスピード
感たるや、予測していたよりもはるかに速いものだった。これが波に
運ばれるという感覚かと思った。前方の岸辺があっと言う間に近くな
ってきた。岩崎恭子ではないが、今まで生きてきて一度も味わったこ
とがない新鮮な体験であった。

 足ひれを使わない本格的なサーフィンはパドリングができなければ
沖のポイントまでは行けないし、テクニックもかなり難しいようだ。しか
し、年甲斐もなく、いずれサーフボードに立ってみたい願望は出てき
た。(笑)しかし、当分はボディボードに腹這いながら波に乗ってみよう
と思う。ボディボードは本当に胸躍る体験であった。しばらくはこのテ
クニックに磨きをかけようと思う。これで海の楽しみが二種類になった。
シュノーケリングと波乗りである。どちらも自然を体感できる面白さが
ある。

 54歳の私は、その昔、波乗り連中は社会からドロップアウトした不
良たちだと思っていた。しかし、彼らが何を体験していたのか、この年
になってようやく理解できた思いである。超ビギナーとして思うが、波
乗り大マンセーである。(笑)

  そして言い忘れたが、私が今回初めてボディボードをやって、幸運
にも二回も成功したのは、クラゲの異常繁殖のおかげかもしれない。
クラゲが居なければ私はシュノーケリングに没頭してしまい、新しいこ
とをやろうとは思わなかっただろう。

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2006年7月 4日 (火)

中田英寿とイチローの差異

 サッカーの中田英寿が29歳で引退した。私はサッカーにはほとんど詳し
くはないが、彼が日本サッカー史に押しも押されもせぬ輝かしい実績を残
したくらいのことはわかる。また、世界的にもイタリアのセリエAで大活躍し、
日本選手の名を上げたことは記憶に新しい。ミッドフィルターとしての正確
なパスなど、絶妙のボディバランスを持つ中田の特異な身体能力は飛び
抜けている。

 29歳、これからアブラの乗る時期に選手街道を自らリタイヤするにはあ
まりにも惜しいことだという声が多い。年齢的に、30代は体力的には落
ちていくが、力の入れ方やスタミナの配分法が自然と身について戦力的
にはかなり期待できると素人目には思う。しかし、サッカーは休みなく走り
続けるスポーツであるから、30を越えると想像以上に過酷なのだろう。短
距離の百メートル走をほとんど休みなく、何度も全力疾走しているようなも
のだろうか。若者だけに許される競技というものがあり、サッカーもその一
つであろう。

 プロ野球もサッカーも、基礎体力という意味では、相当な能力が要求さ
れるだろうが、サッカーの場合は走ることがメインである。蹴球と書くから、
キックがサッカーの運動形態に思えるが、実際は陸上の短距離走を連続
して行う走力の競技と言ったほうがいいかもしれない。必死で走りながら
も、ボールを的確な位置に運び、狙った場所に蹴る過酷極まりない競技
である。

 団体戦とは言っても、異なる競技である野球とサッカーを同列に考える
ことはできないが、団体戦のスピリットという意味では、今回のサッカーW
杯 と三月のワールド・ベースボール・クラシックを比較することはできるだ
ろう。特に、中田英寿とイチローはチームで言うなら立場的にほとんど同じ
位置に立っていたと言えるだろう。

 王貞治率いる日本チームは世界一の栄光に輝き、ジーコ率いる日本チ
ームはなぜかくも情けない惨敗の憂き目に遭ったのだろうか。勝負は時
の運でもあるから、ほんのわずかなきっかけで勝ち戦になったり負け戦に
なったりするのは仕方がない。従って、勝たなかった日本チームを責める
ことはできないだろう。ただ、今回の世界戦では、三月の野球における
WBC杯優勝の余韻が色濃く重なっていたのではないだろうか。近年、サ
ッカー熱はプロ野球を凌ぐ勢いで興隆していたこともあり、三浦知良、中
田英寿、中村俊輔など有名なスター選手が多く生まれていたこともあって、
日本中が過大な期待をかけていたことも事実である。

 それだけに、惨敗の悔しさ、失望感は日本中のため息となってしまった。
私は中田英寿がブラジル戦敗北のあと、七分間もスタジアムの芝生に仰
向けになっていた時、ほとんど選手仲間がそこに来なかった事実を重く見
ている。中田は他の選手と仲間意識を持てなかったように見える。その意
味は、彼がプレイに厳しかったからではない、誰のために勝つのかという
スピリットに問題があったように私には思える。自分に勝てばいいというの
は、彼のような求道的な天才肌には当然かもしれない。しかし、世界戦は
そうは行かないのである。世界戦では自分に勝つのではなく、相手に勝た
なければならない。つまり日本が勝たなければならない。イチローと中田
英寿が、共にチームの求心力を担う位置にいたことは明らかであり、その
求心力が、イチローには上手く働き、中田は失敗したことを指摘できる。

 そもそも、競技は違うが、プロのスポーツ選手という部分では中田とイチ
ローはまったく同じタイプの天才である。両者とも己のプレイに求道精神を
持ち、非常に厳しい課題を課している孤高の運動選手である。個と全体の
ファンクション、つまり、個人の選手の力量とチーム全体の流れ、方向性が
緊密に関わる度合いは、野球よりもサッカーの方がはるかに強い。つまり
サッカーの方が野球よりもチームプレイが重視されるのは、その特性上は
っきりしているが、チームの勢いを決定付けるのは、整合性の取れたファ
イティング・スピリッツと結束力を促す求心力である。中田とイチローの差
異はここにはっきりと出てしまったのである。

 イチローも中田英寿も、外国のチームに武者修行に参加して華々しい
実績を上げている選手である。外国にあり、外国の強豪チームと戦うこと
で、よりいっそう自分に磨きがかけられたという意味でもこの両者は同じよ
うに強力な自己進化を遂げている。しかし、私ごときが大雑把に言って申
し訳ないが、この両者が日本という国を背負って世界戦の舞台に立ったと
き、チームの勝敗を司る勝利の女神は中田に微笑を向けることはなかっ
た。

 前にも言ったが、スポーツの世界戦は単なる国際的な娯楽試合ではな
いのである。それは死者を出さない代理戦争なのである。ルールを決め
た枠内で雌雄を決する代理戦争なのである。従って、やるからには勝た
なければならない。なぜ勝たなければならないのか。それは戦争だから
である。敗れても、選手も国民も死なないが、スポーツ世界における名誉
は得られない。古めかしい言い方ではあるが、スポーツ世界戦で勝つこ
とは国威発揚に繋がるのである。だからこそ国民は世界戦に熱狂するの
である。そういう意味では、居間でビールを呑みながら、娯楽観戦してい
る者よりも、すぐに切れてしまう危険なサポーターの方が、熱狂としては
正直なのである。なぜなら戦争なのであるから。

 イチローと中田英寿の差異は、ずばり言って国家意識の差異であろう。
イチローはアメリカという弱肉強食の土地柄で生活しているうちに祖国愛
に目覚めた。心に日本を強く思ったのである。それがWBC戦において、
強烈な求心力となり、他の選手を引っ張って行った。一方、中田は、試合
の命運を決するのは走力であることを誰よりもよく知悉しており、普段から
他の選手に「とにかく走れ、走り切れ!」と激を飛ばしていたらしい。ところ
がご存知のように日本選手は走らなかった。というか攻守ともに激走する
ためのモチベーションを持ち得なかったのである。中田の考えは正しいと
思う。走りに徹して、自分も倒れる寸前まで走って模範を示していた。とこ
ろが、これに他の選手は感応しなかったのである。

 中田の頑張りが他の選手を励起状態にしなかったのは、彼には申し訳
ないが、中田自身の心に日の丸が希薄だったのではないだろうか。イチロ
ーは日の丸だけで他の選手を鼓舞し、他の選手は素直に日の丸の栄光
に燃えた。もちろん、王監督の人徳的な求心力がイチローや他の選手を
取り込んでいたことは大きい。そういうプラスの合成力が、チームの躍動
に決定的に現われたのである。ところがジーコのチームには、最初から
「日本」という国家意識が希薄であり、個人的には優れた選手同士の集ま
りではあっても、チーム全体をバンドリングする求心力として日本が足りな
かったのである。世界戦とは日本とどこかの国が戦うのである。選手に日
本が横溢しなければ世界戦には勝てないのだ。

 チームが強ければそれでいいのだ、国籍などは関係ないと考えている
者がいるなら、その者は国際試合の意味が飲み込めていないのである。

 中田は真に傑出した天才である。しかし、個人的には天才でもチーム
スピリッツを喚起する中心、つまりは「日本のために」という意識が足りな
かったら、全体としてはモチベーションは上がらないだろう。かつて、中田
は試合前の国歌斉唱を行わず、そのことを新聞記者に聞かれた時、「国
歌、ダサいですね」と答えた。それが異常にピックアップされて非難を浴
びた経緯がある。中田の真意は君が代の曲想が闘争心を鼓舞する場に
は相応しくないということだったらしい。個人的にはそういう感想もあると
思う。しかし、国歌は国歌である。祖国への誉れと愛情を切々と歌ってい
るのが「君が代」である。これを嫌いながら国の代理で戦うことは矛盾で
ある。

 中田が国歌にどんな感想を持っていたとしても、国際行事の場で国歌
を無視する行為は、誰のために奮戦するのかという最大の目的を、中田
自身が持っていなかったことを示して余りあるのである。人間は変わるも
のであるから、この当時と今の中田が同じだとは言えないにしても、彼自
身に「日本」が希薄だったことは否めない。国際戦とは日本を意識し、日
本の国威を発揚することが最大の目的なのである。だからこそ、応援す
る側にも力が入るのである。この基本をイチローは忠実に踏襲したから
こそ、王チームは予想外の力を発揮した。しかし、中田の場合はどうで
あっただろうか。技術的にも闘争心においても、中田自身は非凡であり、
チームの求心力として申し分なかった。しかし、彼の思いはチームに波
及しなかったのである。

 彼の思いに他の選手が呼応しなかった理由は、ずばり言って「日本の
栄光」のためにという動機付けがなかったからである。なかったというの
は言いすぎであっても、少なくともイチローほどの日本に対する情念の強
さはなかったことが中田チームの敗因ではないだろうか。サッカー自体
が日本では歴史が浅いために、ジーコとか、オシムとか、外国の人間に
頼るしかない現状が国家意識の醸成を妨げているのかもしれない。その
うち、三浦カズなどが采配を奮うようになったら、日本サッカーはかなりの
実力を持つのではないだろうか。

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2005年10月 4日 (火)

伊豆半島、奇岩奇観のある海辺

VFSH0292

  この間の日曜日と月曜日に西伊豆の某所湾内に素潜りに行ってき
た。ここは堂ヶ島に近い某有名ダイビング・スポットである。周囲は奇
岩、奇観の宝庫とも言える荒々しい景観の海辺である。

 二日とも写真が示すように非常によく晴れていて、到着したときは
期待に胸を膨らませたがすぐにその期待は裏切られた。強風とまで
は言えないが断続的に風が吹いていた。十月初旬にしては気温は
かなり暖かく、まだ夏のような感じの二日であった。

 沿海の波が強く、湾内も波力が減衰しているとは言え、海底の砂を
巻き上げるには充分な力を持っていた。午後の二時ごろ、海のまん
前の宿にチェックインし、そこからウエットスーツに着替えてエントリ
ーした。水温は暖かく、ロングじゃなくとも半袖のスーツでもいいくら
いだった。

 あまり遠くに行かなくとも湾内は急激に深くなっていて、岸近くでダ
イビングをやるにはよい場所である。しかし、マスクから覗き見る海
底は、深さ2メートルでもぼやけていてよく見ることはできない状況だ
った。加えて水面は波の攻勢で余分な力を使った。小魚の群れや中
型の魚は見かけたが、このような透明度の悪い水中ではじっくりと観
察して楽しむゆとりは持てなかった。

VFSH0328

 抜群に晴れた日であったし、情報では前日の透明度が15mだった
から、期待値が高かったせいもあり、かなりの消化不良というか不
満が残った。翌日の月曜日も鮮やかに晴れていて前日よりも風は弱
く、ひょっとしてこれは行けるかなと思ったが、海中の状況はあまり
変化がなくてがっかりした。救いは宿がきれいで食事が抜群に美味
かったこと。そしてタイプの異なる温泉露天風呂が四つもあり、ゆっく
りと冷えた体を温められて爽快だった。その露天風呂は渚から二十
メートルくらいの場所にあり、潮騒を聴きながら湯につかり、贅沢な
気分になれたことはそれだけでも得した気分になれた。

 まあ、潜りには恵まれなかったが今回はよいスポットを見つけたか
ら来年に期待しよう。

VFSH0300

 

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