熊沢蕃山の現代的意味を問いかける
今月24日に開かれる「日本経済復活の会」定例会では、林野庁森林整備部研究・保全課長の渋谷晃太郎氏をお呼びして、『林野庁における花粉発生源対策等の取組について』という題目の講演をお願いする予定らしい。
杉花粉症の罹患率は日本総人口の10パーセントを超えると推計されている。筆者もここ数年、杉やヒノキの花粉が飛散する時期になると、何やら、くしゃみが出たり、目鼻がむずがゆくなるので、そろそろ罹ってきたのかなと、いささか気にし始めている。筆者の居住地は、神奈川県境や山梨県境に近い静岡県東部であるが、筆者の周りにも花粉症に悩まされている人々は多い。感じとしては、10パーセントどころか、もっと高い率で花粉症を発症している人々がいて、毎年同情している。首都圏の花粉飛散で、杉花粉が最も多いのであれば、今、花粉症に苦しむ人々への対症療法的な措置として、無花粉杉への転換植林も早急に必要ではあろう。しかし、森林問題の根源は花粉症が出るか出ないかではない。総合的に見て、健全な国土に寄与する森林をいかに造り、いかに保全していくかにある。
1989年から始まった、国営諫早湾干拓事業は、日本の国土計画の最悪の事例として 歴史に刻まれるだろう。この国土改変がどれほど海浜環境の悪化と自然生態システムの破壊を招いたか、いくら言っても足りない思いである。ギロチンと呼ばれた300枚におよぶ潮受け堤防はすぐにでも撤去するべきである。諫早湾のエコシステムが完全に崩壊してからでは自然環境の回復は絶望的である。国が地球環境に対し、このような非道な公共事業を強行すること自体が、日本には国土保全思想がないことを物語る。戦後は日本各地でこれに類似した深刻な自然破壊が公共事業として公然と行なわれている。日本人はそろそろ明治以前の国土保全思想を復活させるべき時に来ていると思う。
筆者は、内閣府の姿勢はもちろんのこと、国民全体の意志としての『国論』として、明確な国土計画が存在しないことに、戦後日本の最大の悲劇を見る。昭和20年8月15日、日本は悲劇の戦争に幕を下ろした。主要都市は米軍機の集中的空爆によって、ことごとく焦土と化した。敗戦の経済疲弊は惨憺たるものであり、国民は、とにかく当面は食べていくために復興に全力を傾け、脇目も振らずに戦後のインフラ建設に邁進した。その後、日本は短日月(たんじつげつ)で、世界の奇跡と言われる戦後復興を成し遂げた。その後の高度経済成長は目を瞠るばかりの大躍進であった。1960年代まで、総じて年10パーセントを超える経済成長を歩んだ。二度の石油危機など、紆余曲折はあったが、1980年ごろは米国に次いで世界第二位の経済大国になっていた。戦後の闇市的な混沌から、そこに到達するまで、日本人は、荒廃した国土復興と戦後インフラの建設に血道をあげ、一時はエコノミック・アニマルとか、働きバチ症候群なる造語が定着したほど、日夜仕事に勤しんだ。
日本はこのような、戦後復興から経済大国への単線的な道程を歩んでいる間に、先祖達が営々と受け継いで行なってきた大事な責務をすっかり亡失してしまった。それが国土保全の思想と行動であった。豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と総称され、白砂青松、山紫水明と謳われた、世界にも稀なバランスの取れた美しい自然に恵まれていた日本の国土は、戦後の経済成長とともに、その様相を一変させてしまった。山間部の森林、河川、里山、海浜と大雑把に国土の自然を分けた場合、これらすべてがエコシステム的様態を破壊する方向に進んでしまっている。経済成長にともない、自然環境の改変が進み、全国的に自然林や干潟等が急速に減少した。特に視覚的にその変化がよくわかるのは天然林が人工林に変わってしまったことだろう。森林の色相や複雑な景観は、四季の移ろいによってあざやかに変化していた。ところが杉やヒノキなどの常緑針葉人工樹林は、四季を通じて緑か赤茶けた色かの単調な変化だけである。日本人が自国の自然に壊滅的な破壊作用を与える傾向は、すでに明治期にその萌芽が見られる。当時は、欧米型近代化による殖産興業振興政策で、列島全体的に神社仏閣の森や海浜環境等の自然破壊が起きていた。。
日本列島における自然崩壊の先鞭的事例は、明治39年、南方熊楠が全身全霊で反対した神社合祀令による鎮守の森の統廃合に見られる。いや、もっと正確に言うなら、富国強兵を前提とした脱亜入欧的な明治期の殖産興業振興政策が、わが国の自然環境に与えた負の部分は、その悪名高い神社合祀令に先立つ、明治29年の河川法、翌年30年の砂防法、森林法の成立があり、これらは総称して治水三法と呼ばれたが、この法律によって、江戸時代以来続いていた、わが国特有の『水系一貫の思想』が、無残にも破棄されてしまった。長くなるので、仔細に説明するゆとりはないが、『水と緑と土』を書いた富山和子女史によれば、この治水三法によって日本の治水行政は、治山、砂防、河川改修、利水などに機械的に分割され、水系一貫の継承的思想は行政方面からも、この時点で断絶したそうである。ここが重大なポイントである。
現在、わが国の自然保護や国土行政の基本姿勢には、実は明治期のこの治水三法及び、熊楠が猛反発した「神社合祀令」の反自然的思想が一貫して見られ、ブルドーザーやパワーシャベルのような重機が発達した今日に、その破壊的自然観は脈々と受け継がれているのだ。戦後日本の治水行政は徹底した水系一貫システムの破壊にあった。つまり、行政機構も、国民も、日本列島の自然をダイナミックな循環系のエコシステムとして捉える視点を持たず、いわゆる要素還元主義的な自然観による局所的な自然改変に血道をあげたのである。水系一貫の考え方とは、水の流れという物理的な見方だけで言うなら、源流域の奥山の森林の健康な状態から始まって、複数の支流河川、中流域、下流域、そして海へ流入する水系の有機的、生態学的な連続性のことである。しかし、水系を基準に見て、その流域に住む人間の環境や、農業生産物を生む田畑や、河口域と関わる周辺部の海産物が獲れる漁場などは、すべてが関連した水系によってエコシステムが形成されている。この水系に人間の都合だけでコンクリート護岸やダムなどの人工物を構築すると、全体のエコシステムに重大な損傷が生じてしまうのである。諫早湾の潮止め堤防の例を見てもはっきりしたように、水系の遮断構築物が生態系を破壊することは間違いない。
それでも、大東亜戦争以前はまだ天然林が各地に見られたようである。戦後は昭和30年代後半くらいまでは、常緑広葉樹林、中間針葉樹林、落葉広葉樹林などの多様な植生に彩られた混合林が多かったが、それも急速に失われ、杉やヒノキ等の針葉樹林に置き換えられてしまった。
特に国有林は瞬く間に人工林に変えられた。また、民間が管理する民有林も、国の計画によってスギなどが植林された。杉の植林に補助金が支給されたために、日本全国の貴重な天然林に覆われた大部分の山々が、短日月でいっせいにスギ等の人工林に切り替えられた。その後、杉の国内需要は外国産の値段の安い木材に押されて需要が低下、価値を失った人工林は間伐や下草狩りなどの手入れがなされなくなり、放置状態にされている。その結果、全国の人工林は土壌荒廃を起こし、無残な状態に陥っている。その悪影響はいろいろ指摘できるが、今真っ先に言いたいことは、森林環境の手入れを怠ったために、土壌荒廃を起こし、雨水の潅水能力がほとんど失せた人工林になってしまっている。そのために異常気象による大量降雨があった場合、鉄砲水や土砂崩れをあちこちで引き起こしているのだ。台風時や異常降雨時の大洪水は人災なのである。天然林を針葉樹の人工林に大規模に切り替えたこと、そして、その人工林の手入れをせずに放置したために山肌が荒廃し、土壌流出や潅水機能の極限的な低下を招いている。温暖化が原因と言われる最近の異常降雨は、全国各地に深刻な土砂崩れ災害を引き起こし、河川源流域の様相を一変させている。戦後日本の治山治水事業は限界のないエコシステムの破壊作業であった。
筆者は、これを江戸時代の治山治水思想に戻す必要を痛感する今日この頃である。具体的には江戸期の環境工学者であった熊沢蕃山の思想を早急に現代に生かすことを進める。熊沢蕃山は江戸の陽明学派の儒学者であり、中江藤樹に師事した。彼の自然観、治水治山観の要諦が出ている有名な文章を記す。
(熊沢蕃山の『集義外書』より)
「山は木ある時は神気さかんなり、木なきときは神気おとろえて、雲雨を起こすべき力少なし。しかのみならず木草しげき山は、土砂を川中に落さず。大雨降れども木草に水を含みて、十日も二十日も自然に川に出る故に、かたがたもって洪水の憂いなし。山に草木なければ、土砂川中に入りて川床高くなり候。大雨を貯(たくわ)うべき草木なき故に、一度に川に落ち入り、しかも川床高ければ洪水の憂いあり。山川神気うすく、山沢気を通じて、水を生じることも少なければ、平生(へいぜい)は田地の用水少なく、舟をかよわすこと自由ならず」(狩野亮二『江戸時代の林業思想』より ※富山和子著「水と緑と土」86ページから引用)
若い人たちに解説するが、蕃山が“神気さかんなり”とか“神気おとろえて”と表現している“神気”という言葉は、神仙思想などのような、特別霊的なもの、神秘的なものとして受け取る必要はまったくない。もっとも、蕃山の本来の自然思想の核は、深山幽谷の霊気に深い畏敬の念を持っていることにあると思える。しかし、ここでは蕃山が使っている神気とは、健康な植生に満ちている山というレベルで受け取っていいと思う。つまり、多様な植物に覆われ、活き活きと生命力に満ちている山容というほどの意味である。要は、山にある樹木を乱伐すると山肌が荒廃し、雲を起こし、雨を降らせるシステムが弱ってくる。しかし、木や草が青々と繁茂する山は土砂が川に流出することもなく、大雨が降っても、山の草木が水を貯留し、すぐに河川に流入することはない。水が染み出るには十日も二十日も時間をかけてゆっくりと出てくるから洪水の心配がない。山に草木がなければ、これとは逆に、土砂が川に流れ出て、川床を埋めて高くするために洪水が頻発するようになる。また舟の往来が自由にできなくなる。
蕃山はわが国で最初に乱開発による国土の荒廃を指摘し、治世の根幹は治水・治山にあると断言した学者である。今、洞爺湖サミットの議題でも環境保護が議題となっているが、われわれの先祖には、熊沢蕃山のような碩学がいて、彼が今日に生きていれば、即座に政府の誤まった国土計画を弾劾するだろう。われわれは蕃山の思想を受け継ぎ、現代に適用させることを真剣に考えるべき時に来ていると思う。江戸時代に確立していた“水系一貫の思想”は現代に甦らせるべきである。
この観点で言えば、前長野県知事・田中康夫さんの『脱ダム宣言』が、日本文明回帰論的な文脈において、いかに重要で突破的な考え方であるかお分かりになると思う。
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日本に希望を与える信念の男、城内実